皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
母は要介護4、父は要介護2、妹は重度障害者。シングル在宅介護をしながらも、私の仕事は介護士で、職場は訪問介護とデイサービス。寝ても覚めても介護な人生。家族と事業所、どっちのキモチも分かってしまう板挟み。なにはともあれ楽しくやるよー!
「在宅介護しながら自分の人生を生きる」を目標にするブログです。 本業は介護士、ときどき作家。2018年、たかはたゆきこの名前で「おでかけは最高のリハビリ! 要介護5の母とウィーンを旅する 」(雷鳥社)を出版。第4回斎藤茂太賞受賞。
先日から、草なぎ剛がアテントのCMをやっている。紙パンツのCMだ。実際に履いて撮影したという。めっちゃいいCMだと思う。たくさんバージョンがあるんだけど、これが一番好き。「オムツのこととか介護のこととかもっとオープンに話していけたらな」これ
母の退院はいつになるでしょう? と看護師さんに尋ねたら、「月曜に検査をして、その結果次第で退院できます」と言われた。そろそろ、というわけだ。早く帰ってきてほしいなあ、と思う反面、「のんびりできるのは今だけ!」という思いもある。まあ、何をしよ
母が入院して10日ほどになる。コロナのせいで面会は禁止。ナースステーションを通して差し入れはできるが、それも「必要最小限で」と言われている。寝巻もレンタルだから洗濯さえ要らない。家族は楽ちんである。ただ、だんだん心配になってくる。病院ではリ
介護職は出会いと別れの仕事である。別れには、亡くなったりや施設に入所されたりしてお別れする方が多いが、遠方に住む子供さんと一緒に住むため引っ越しされる方もある。「心配だわ。この年で引っ越しなんて」F子さんは何度もそう繰り返した。高齢者の引っ
猫のサンジとシシィの関係は微妙かつ絶妙だ。仲が悪いわけじゃないけど、ベッタリ仲良しってわけでもない。ジェラシーもするが、たまには追いかけっこをして遊ぶ。たまにはケンカもするが、寒くなるとくっついて昼寝をする。近づきすぎず。離れすぎず。お互い
母が入院して1週間。寂しいけど、申し訳ないけど・・・すごく楽。めちゃくちゃ楽。朝もバタバタしないですむし。仕事の合間にバタバタ帰ってこなくてすむし。ごはんをゆっくり食べられるし。水を飲め飲めと、うるさく言わないですむ。便はいつ出たかと気にし
ヒグラシが鳴いてた。ツクツクボウシも鳴いてた。死んで転がってるセミもいた。まだまだまだまだ暑いけど、夏は少しずつ少しずつ終わっていく。いつになるかわからないけど。コロナが一段落したら。自由になれたら。旅行にいこう。温泉にいこう。一人旅にいこ
腰痛が治った。だいぶ休んでしまったが、今日から仕事復帰だ!・・・嬉しいような悲しいような。家を出るときは夏休みあけの小学生みたいなキモチだった。けれど利用者さんの顔をみると嬉しくなってしまった。利用者さんにお会いできるのが嬉しい!働けること
母が入院してから4日間。私はひたすら体を休めた。今日が最後の1日で、動けないことはないけど動かないで、何もしないで、ぼけーーーっとしていた。こんなにもぼけーーーっとするのは、ブラック企業を辞めたとき以来10年ぶりだと思う。母が不在で、かわり
母の入院時に、着替えやコップなどいろいろ持っていったつもりだが、ぜんぶは運べなかった。車椅子を押しつつ大荷物を持つのは難しいからだ。PCR検査で陰性がはっきりするまで待ち、今日ようやく残りの荷物を運びこむことができた。オムツとかお尻ふきとか
母がPCR検査を受けるにあたって、「万が一陽性だったらマズイ」ということで仕事を休むことになった。やったーお休みだー!掃除するぞー!拭き掃除もやっちゃうぞー!・・・張り切って掃除機をかけはじめたら、最初の部屋で「ギックリ」きてしまった。しか
昨日の母の入院のことをもう少し。在宅医療の先生からあらかじめ市民病院につないでもらっていた。なので発熱外来まではスムーズに案内してもらえた。ただ、そこからが長かったのだけど・・・母がトイレに行きたいと訴えると、「すみません、ここには車いす用
母が入院した。薬で熱は下がったのだが、そのあとも吐き気がつづいてまったく飲み食いができなくなったからだ。訪問のお医者さんが市民病院につなぎをつけてくれた。入院前にいろいろな検査を受けた。鼠径部からの血液検査は痛かった。痰がとれなくて鼻腔に管
昨夜、母が熱をだした。さっきまで元気だったのに。突然の発熱。そして高熱。・・・何なん!?とりあえず高熱すぎるのでロキソニン飲ませたら熱は下がった。朝になって訪看さんに来てもらった。でもそのときは平熱。尿路感染症かなあ、と言いながら様子をみて
このあいだ「高齢者がエアコンをつけない理由」という記事を書いた。熱中症怖いよねって話なんだけど。でも実は、エアコンをつけていても熱中症になるのですよ!たとえば窓をあけてしまう場合。認知症のせいでなぜか窓を開けてしまう方がいる。うちの祖母もそ
毎日、暑い。おそろしく暑い。ガンガン冷房をつけて、両親にはやいやい言って水分補給もさせて。自分は汗だくになりながら家事をして・・・はっと気がついた。「あれ? 猫たちは?」サンジとシシィの姿が見えない。猫だから昼間はずっと寝ているのだが、寝て
訪問介護の仕事を終えて記録を書いていると、テレビが正午を告げた。「黙祷。」75年目の終戦記念日だ。「あのときはなあ、真っ暗やった」利用者さんがふと口にした。「戦争というのは勝っても負けても、いいことなんか一つもない・・・勝ったアメリカはいい
大正生まれのAさんに「昔のお話を聞かせてください」と頼んだときのことだ。Aさんは「こんな婆ぁの話なんか聞いてどうすんの」と笑っておっしゃった。私は「今後は、戦争を知らない世代が、若い人たちに『戦争はいけないことだ』と教えなければいけません。
仕事の合間にちょっとだけ帰宅したとき「・・・うん?焦げ臭い?」と気がついた。私はあんまり鼻がよくないのに、それでもわかる焦げた臭い。一体、何の臭いだろう。何が焦げてるんだろう。さっき急いでカレー作ったから焦がしちゃってたか?オヤジの煙草だっ
昨日、「高齢者がエアコンをつけない理由」という記事を書いたのだけど。うちのオヤジもなかなかだ。エアコンの存在を忘れている。エアコンをつけたとしても、窓を閉めることを忘れている。それでも昼間は私がつけるんだけど。問題は夜だ。うんざりするような
炎暑の日々がつづいている。もう信じられないくらい暑い。アイスクリームがなければ生きていけないくらい暑い。我が家は昼も夜もエアコンがフル稼働。それはどこの家でも同じだろう・・・と、いうわけでもない。訪問介護でいろんなお家をまわるが、半分以上の
うちのシシィさん(ねこ・女の子・4才)はちょっとした芸ができる。お手とかおかわりとかお座りとか、立っちとか。こいつ賢いなあとは思ってたんだけど。近頃シシィは新たな言葉を覚えた。それは「ギャッジアップ!」だ。シシイは母の枕元で昼寝をするのが大
ここのところずっとジタバタしていた。家も仕事も忙しく、ちゃんと休めていなかった。ブラックで働いてた頃に比べたらなんてことないんだけど、それでも目眩はするわ口内炎はできるわアトピーはひどいわ体重は増えるわ・・・あ、最後のは関係ないか。今日はよ
我が家には呪いがかけられている。料理がヘタという呪いである。呪いは数十年前までさかのぼる。母方の先祖の家は、代々お金持ちだった。そのせいか曾祖母は料理なんかまったく一度もしなかった。そんな人に育てられた祖母は、やっぱり料理が苦手だった。昔は
「オヤジがトイレを汚す問題」を意外な方法で解決した、かもしれない
5月に「高齢男性のトイレ汚し問題」という記事を書いた。男性が立ってトイレをして失敗してびちょびちょになってしまう問題である。どの家庭にもある問題なんだけど、高齢になると失敗がえげつなくなってくる。うちのオヤジも相当なもので、90代の利用者さ
忘れられない話がある。小学1年のとき、担任の先生がこんな質問した。「みなさんの好きな音は何ですか?」電車の音!ピアノの音!「じゃあ、みなさんの嫌いな音は何ですか?」嫌いな音? なんだろうなあ・・・黒板をキーキーひっかく音!「そうですか。先生
やばい!どうしよう!私、イライラしてる!10年前にブラック会社を辞めて以来、あんまり「怒る」ということがなかったのに。その会社で一生分怒ったから、もう怒らなくてもいいんだろうなって思ってたんだけど、そうでもなかったらしい。なんかもうオヤジの
うろ覚えだけど『幸せな介護のために』みたいなタイトルのWEB記事を読んだ。わりと一般的な介護アドバイスの記事だと思うんだけど、コメント欄はびっくりするほど罵倒の嵐だった。その多くが「『幸せな介護』なんて幻想だ!」「この程度のアドバイスで『幸
月曜日、母のデイサービスのお迎えは9時半に来る。私の仕事には微妙~に間に合わないので、バスがくる5分前くらいに「おかあさんをお願いね!」とオヤジに任せて家を出た。いくらオヤジでもドアを開けるくらいはできるだろう。あとは職員さんにおまかせだ。
昨日の朝のこと。目覚ましを止めるたとたん、スマホにプッシュ通知がきた。眠い目をこすりつつ見てみると、新型コロナウィルスの接触確認アプリ・COCOAからの通知ではないか!『濃厚接触の可能性の確認 確認数:1」えええ!私、コロナの方と濃厚接触し
工藤広伸著『親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと』
工藤さんの最新巻『親が認知症?離れて暮らす親の介護』を読みました。介護のためのノウハウ本です。第一印象は、とにかく読みやすい!見やすい!私は近頃、老眼がきちゃってるのですが、字が大きいので眼鏡なしで読めました。そして左右に別れたレイアウト。
オヤジはいわゆる「まだらボケ」だ。調子のいいときは普通に会話もできるし、よくわかっていることも多いのだが、ダメなときはてんでダメ。近頃はダメなときのほうが多くなってきた。朝からシャワーに入っているので様子をのぞくと、風呂の蛇口から水をくんで
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皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------
退院から20日。母は元気だ。絶好調といっても良い。薬こそ続けているものの、喘息なんて本当にあったのかと思うくらい元気。「酸素ボンベつけて帰宅」とか言われていたのが夢だったのかなくらいに元気。毎日のようにCMに乗せられて「ほら、『人生にもっと
「筋力低下で立位がとれません。在宅介護は厳しいでしょう」と言われたのに「私ならできます!」と言い切って母を退院させることに決めたけれど。私はちょとドキドキしていた。先週、病院ではちゃんと介助できたけど、あれはきっと、すごく調子がよかったから
「在宅介護は厳しいでしょう」気管支炎で入院した母。転院をくりかえし「あと1、2週間で退院できそう」というところまできた。呼吸も落ち着き、酸素ボンベももう要らない。いよいよ退院して元の生活に戻れる!と、思いきや。「正直、厳しいと思います」と言
7月に脳梗塞を起こすも「風邪じゃないですか」と処置されず、救急でようやく入院させてもらったオヤジ。8月に気管支炎となるも入院させてもらえず、悪化してようやく入院できた母。・・・やれやれ。私は過労で熱なんか出してしまった。それでも入院させたら
母は風邪をこじらせて気管支炎となり、紆余曲折の末ようやく入院することができた。そこは7月からオヤジが入院している市民病院。「夫婦2人で同じ病院だ!」と私は喜んだ。「通う手間が省ける!」入院したって放ったらかしにはできない。オムツなどの消耗品
療養型病院(1回目)在宅医の紹介をもって救急にいったのに「これくらいじゃ入院させられない」と帰宅させられた母。翌朝になっても状態は芳しくなかった。まったく飲み食いできないし、息も苦しそうだ。血中酸素飽和濃度は90を切っている。・・・本当はも
母が入院しました。経過とご報告です。長くなるんで分けます。風邪前回、私が風邪をひいて熱を出した話を書いた。39度くらいの熱が1週間ほど続き、ようやく引いてきたと思ったら・・・母に風邪がうつった。まあ、そりゃ、うつるよね。移乗も排泄も食事介助
熱が出た。火曜の夜のことだ。ちょっと喉が痛いな、程度だったのが夜遅くなって突然、関節が痛くなって、気が付いたら高熱だった。「これは、アカンやつや!」とうとうコロナが来てしまったのか。もちろんこういう仕事をしているので5類だろうが酷暑だろうが
水頭症の手術から2週間近くがたつ。手術によってオヤジはどうなったのか?少しでもよくなったのか?気になるところだが全然わからない。だって、ぜんぜん面会できていないからだ。術後すぐに「病棟でコロナがでました。面会は完全禁止です」となり、私はただ
オヤジが手術を受けることに決めたはいいが、さあ、大変だ。なにしろ手術は「明後日です」ときたもんだ。「ご家族さん、明日と明後日は病院に詰めてください」2日間、体をあけなくてはいけない!申し訳ないけど仕事は休む。母はデイサービス・ヘルパーさん・
脳梗塞で入院したら、なんと水頭症が発覚したオヤジ。根性なしのオヤジがリハビリをするとは思えなかったため「手術は受けない」と決めたのだが…。●オヤジの決意担当医と話した翌日。私は仕事でイベントに出席していたが、自分の講演だけ終わらせるとそのま
●手術をするかどうか「さて本題ですが」病院食をさんざんディスったあと、担当医はMRIの画像を見せながら話を切り替えた。「お父さんの脳の隙間、異常に大きいんですよ。これ水痘症ですね」・・・あ。水痘症。「脳に髄液がたまる水痘症で、失禁、歩行障害
オヤジが脳梗塞を発症して約1ヶ月がたつ。入院先の病院からは何の連絡もなくちょっとやきもきしていたところ、入院3週間でようやく進展があった。長いので分けて投稿していく。病院の待ち時間にポメラで書いて投稿しているため読みにくかったらすみません。
脳梗塞で入院したオヤジ。面会は午後2時~4時の2時間だけと制限されているから、仕事のある日は行けないが、休日には顔を見ることができる。いつもベッドで横になっていて、体位変換用のクッションが当てられ、自力で起き上がることもできないのは見てとれ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------