皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
母は要介護4、父は要介護2、妹は重度障害者。シングル在宅介護をしながらも、私の仕事は介護士で、職場は訪問介護とデイサービス。寝ても覚めても介護な人生。家族と事業所、どっちのキモチも分かってしまう板挟み。なにはともあれ楽しくやるよー!
「在宅介護しながら自分の人生を生きる」を目標にするブログです。 本業は介護士、ときどき作家。2018年、たかはたゆきこの名前で「おでかけは最高のリハビリ! 要介護5の母とウィーンを旅する 」(雷鳥社)を出版。第4回斎藤茂太賞受賞。
オヤジが要支援をもらいまして、と話すと「まあ、大変ねえ! 介護が2人になっちゃって」とよく言われる。大変っちゃ大変だけど。今はわりとうまくいっている。2人を別々にみるのは大変だから、なるべく一緒くたにみるようにしている。一昨日の散歩だってそ
「花は偉いな」と言ったおばあちゃんがいた。「毎年、季節がきたら葉っぱのばして、ちゃんと咲く。どこに種が落ちるかは運次第やから、ひどいところから生えてくる花もおんのに、与えられた場所で文句もいわず、ちゃんと咲こうとする。ちゃんと頑張る。偉いも
少し時間があったので、朝から両親を散歩に連れ出した。二人とも腰が重いので、オヤジには「お母さんを日光にあてなくちゃいけないから、付き合って! おとうさんが来てくれないと、お母さんが寂しがる!」と言い母には「おとうさんを歩かせなくちゃいけない
昼食時。テレビのチャンネルを変えようとしたら、いつもの場所にリモコンがない。「どこにやった?」オヤジに聞いても首をかしげている。朝から晩までテレビを独占しているのはオヤジである。さっきサンテレビに替えたのもオヤジである。食い入るように『暴れ
「お仕事へったでしょう?」とケアマネさんに言われた。コロナのせいでヘルパーの訪問を休止する家が増えたからだ。デイサービスの休業で訪問介護が忙しくなっている地域もあるようだが、うちはそこまで増えてない。デイが危ないなら訪問ヘルパーだって危ない
福知山線の脱線事故から15年が過ぎた。私も福知山線沿いに住んでいるのでひとごとではなかった。あの日、誰もがみんな真っ青になって家族や友達の無事を確認しあった。テレビで犠牲者の名前が読み上げられるたび、どこかで悲鳴があがった。町中が悲しみにく
私は母をデイサービスにお願いしている一方、別のデイサービスで働く職員でもある。事業所側と家族側、どちらの気持ちもわかるつもりだ。そのためジレンマが生じる。普段はあんまり気にしてないけどコロナ騒動が始まってからはとくに。緊急事態宣言の頃から、
訪問介護をしていると、いろいろなお家を見る。ぴかぴかに磨かれたお家もあれば、何年も掃除機をかけていないお家もある。不自由な体でも暮らせるようにきちんと整えておられる方もいれば、手当り次第に散らばす方も。高齢の男性の中には片付けが苦手な方も多
介護保険サービスの利用を減らして3週間くらい経った。デイが使えない一番の問題は、入浴ができないことだ。現在の母の入浴は、週1回のデイと、訪看さんが1回。私一人でもシャワー浴ができないわけではないが、危険なのでやらない。そのかわり洗髪・足湯・
妹がお世話になっている施設から封筒が届いた。重度身体障害者の入所施設から。入っていたのは1枚の写真と短い手紙だった。新型コロナウィルス感染防止のために面会をご遠慮頂き、外出や行事なども中止しています。入居者のみなさまはお元気でお過ごしですの
オヤジはテレビ中毒である。一日中ずっとテレビをつけている。朝起きてから夜寝るまでずっとだ。ニュースを見て研究しているとか、大好きなドラマがあるとかなら、まだいい。たまに古い時代劇や韓流ドラマを好んで見ていることもあるが、大半はただ、ぼーーー
母の帯状疱疹が発症して3週間が経つ。発疹はともかく、痛みはぜんぜん引かない。むしろ増しているように思う。ロキソニンとリリカを飲んでいるのだけれど、ロキソニンは胃に悪いからやめましょうと在宅医の先生にいわれた。「胃から血がでても今は病院には行
私の訪問介護の仕事は、増えたり減ったりしている。「コロナが怖いからヘルパーさんにも来てほしくない」という利用者さんもいる。一方で「デイサービスを減らして訪問ヘルパーに来てもらう」という方も。まあ、トントンかな?ただ、今日はちょっとだけ忙しか
コロナ予防と節約のため、2月まで週4回だった母のデイサービス通いを週1回まで減らしている。私も働かなくちゃいけないし、母はお風呂が必要だから、この週1のデイはどうしてもはずせなかった。夕方、その大事なデイサービスから帰宅した母が爆弾発言をし
昨夜、嬉しいメールをいただいた。「『地球の迷子』を送ってください」と言っていただいたのだ。・・・10年も前に自費出版した旅行記。←アマゾンでは売り切れです今でもたまーに、ぽつんと買ってくださる方が現れる。今回の方は体調が悪いということだった
母方の祖父母は誰彼なしに「ハル敬語」をつかう人たちだった。子供に対してでも「ヒロミちゃんはあそこにいてはるよ」と言うし、犬にでも「あらまあ、シロが変なもん食べはったわ」という具合。上品といえば上品なんだろうけど、なんか違う。夕食のエビフライ
70代の両親はふたりとも基礎疾患があるし、私は介護職だ。そのためコロナが流行りだしてからこっち、当たり前だがかなり気をつかって暮らしてきた。ドアノブやリモコンなど、毎日あちこち消毒して。何度も何度も手洗いをして。買い物はなるべく行かないよう
「毎日毎日コロナでうんざり。なにか楽しい話、ない?」と友達に振られたけど、急すぎて思いつかなかった。オモロい話が浮かばないのが悔しかった。最近あんまり大笑いしていない気がする。そんなことを考えながら一日が過ぎ。帰宅したとき、ふと気がついた。
施設や訪問介護を通して感染が広がっている。人と接触する機会が減れば感染リスクが下がるため、介護保険サービスの利用を控える動きが広まっている。ショートステイ、デイサービス、訪問ヘルパー、訪問リハビリ、訪問看護などを使わないということだ。我が家
母が脳出血で倒れたのは2013年。介護保険のお世話になって7年になる。・・・7年間、ずっと要介護5だった。介護を始めた最初の頃は「そりゃ5だろうな」って感じだったんだけど、リハビリをしてよくなっても要介護5、ウィーンにまで行っても要介護5、
本を読みたいな。近頃、強くそう思うようになった。ニュースが怖くて、テレビを見るのがしんどいからだ。もちろんニュースは大事だ。現実を知らなくては戦うことができない。でも、ときには現実逃避だって大事じゃないだろうか?疲れた心と頭にはリラックスが
1週間ぶりに利用者さん宅を訪問をすると「よかったー来てくれた!」むちゃくちゃ喜ばれた。・・・何かありましたか?「特になにもないけど・・・。今は外にも出られへんし、毎日毎日テレビばっかり見てるやろ。そしたら毎日毎日コロナばっかりで、怖いニュー
緊急事態宣言がでてデイサービスを休んでいるので、家でデイみたいなことをしよう!と、昨日からがんばってみてるんだけど、2日目にして早々に挫折した。だって!だって!朝、起きられなかったんだもん!なんだか一日眠たくて。今日は掃除機すらかけられなか
緊急事態宣言が出た。我が家のある兵庫県も含まれている。昨日も記事にしたが、朝からケアマネさんに電話をして、「訪看さんと母のデイサービスを1回だけ残して、あとのサービスはすべてお休みします」と伝えた。「それがいいと思います!」ケアマネさんは大
朝起きたら、母のベッドが大洪水になっていた。パジャマからシーツまでびしょびしょだ。まあ、たまにあることだから仕方がない。洗濯機をまわした。ついでにオヤジのパンツもなかなの濡れ具合だった。これはまあ、毎朝だから仕方がない。もう一度洗濯機をまわ
世の中、コロナのせいで不安ばかりだ。ニュース見てもネットを覗いても恐ろしいことばかり考えてしまう。私も昨日は不安な記事を書いてしまった。そんな中でも昨日は素敵な言葉に出会った。「4日4日は幸せの日」というものだ。女の子の節句(ひなまつり)が
一ヶ月ほど前に、デイサービスが休止したら死人が出る、という話を書いた。一人暮らし高齢者にとってデイサービスは命綱。食事も薬もデイに頼っている人は珍しくないからだ。もちろん在宅介護をする家族にとっても命綱であることには変わりがない。ただ・・・
母の帯状疱疹はちょっとずつ良くなっている・・・気がする。が、劇的に良くなっているとはとても言えない。デイサービスへ行くと「こんなスゴいの初めて見ました!」と驚かれるくらい。かなりの長期戦の予感がする。大変なのは、痛みや痒みや出来物や薬の塗布
介護職は出会いと別れの仕事場だ。何年もお手伝いさせて頂いた方が、ある日突然に亡くなることは珍しくない。そう話したら、高校生の姪っ子がこんなふうに聞いてきた。「ちょっと想像がつかないんだけど、それはどんな気持ちなの?」どんな気持ちって?つらい
花見は大事な「おでかけ」の機会だ。去年の桜は、姫路城で見た。一昨年は、京都の醍醐寺。今年は万博公園にいこうかと計画していたのだけど、さすがにあきらめた。今年は、家の近所をお散歩しながらプチ花見。雨が降りそうで降らない、花曇りの朝。一応は花見
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皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------
退院から20日。母は元気だ。絶好調といっても良い。薬こそ続けているものの、喘息なんて本当にあったのかと思うくらい元気。「酸素ボンベつけて帰宅」とか言われていたのが夢だったのかなくらいに元気。毎日のようにCMに乗せられて「ほら、『人生にもっと
「筋力低下で立位がとれません。在宅介護は厳しいでしょう」と言われたのに「私ならできます!」と言い切って母を退院させることに決めたけれど。私はちょとドキドキしていた。先週、病院ではちゃんと介助できたけど、あれはきっと、すごく調子がよかったから
「在宅介護は厳しいでしょう」気管支炎で入院した母。転院をくりかえし「あと1、2週間で退院できそう」というところまできた。呼吸も落ち着き、酸素ボンベももう要らない。いよいよ退院して元の生活に戻れる!と、思いきや。「正直、厳しいと思います」と言
7月に脳梗塞を起こすも「風邪じゃないですか」と処置されず、救急でようやく入院させてもらったオヤジ。8月に気管支炎となるも入院させてもらえず、悪化してようやく入院できた母。・・・やれやれ。私は過労で熱なんか出してしまった。それでも入院させたら
母は風邪をこじらせて気管支炎となり、紆余曲折の末ようやく入院することができた。そこは7月からオヤジが入院している市民病院。「夫婦2人で同じ病院だ!」と私は喜んだ。「通う手間が省ける!」入院したって放ったらかしにはできない。オムツなどの消耗品
療養型病院(1回目)在宅医の紹介をもって救急にいったのに「これくらいじゃ入院させられない」と帰宅させられた母。翌朝になっても状態は芳しくなかった。まったく飲み食いできないし、息も苦しそうだ。血中酸素飽和濃度は90を切っている。・・・本当はも
母が入院しました。経過とご報告です。長くなるんで分けます。風邪前回、私が風邪をひいて熱を出した話を書いた。39度くらいの熱が1週間ほど続き、ようやく引いてきたと思ったら・・・母に風邪がうつった。まあ、そりゃ、うつるよね。移乗も排泄も食事介助
熱が出た。火曜の夜のことだ。ちょっと喉が痛いな、程度だったのが夜遅くなって突然、関節が痛くなって、気が付いたら高熱だった。「これは、アカンやつや!」とうとうコロナが来てしまったのか。もちろんこういう仕事をしているので5類だろうが酷暑だろうが
水頭症の手術から2週間近くがたつ。手術によってオヤジはどうなったのか?少しでもよくなったのか?気になるところだが全然わからない。だって、ぜんぜん面会できていないからだ。術後すぐに「病棟でコロナがでました。面会は完全禁止です」となり、私はただ
オヤジが手術を受けることに決めたはいいが、さあ、大変だ。なにしろ手術は「明後日です」ときたもんだ。「ご家族さん、明日と明後日は病院に詰めてください」2日間、体をあけなくてはいけない!申し訳ないけど仕事は休む。母はデイサービス・ヘルパーさん・
脳梗塞で入院したら、なんと水頭症が発覚したオヤジ。根性なしのオヤジがリハビリをするとは思えなかったため「手術は受けない」と決めたのだが…。●オヤジの決意担当医と話した翌日。私は仕事でイベントに出席していたが、自分の講演だけ終わらせるとそのま
●手術をするかどうか「さて本題ですが」病院食をさんざんディスったあと、担当医はMRIの画像を見せながら話を切り替えた。「お父さんの脳の隙間、異常に大きいんですよ。これ水痘症ですね」・・・あ。水痘症。「脳に髄液がたまる水痘症で、失禁、歩行障害
オヤジが脳梗塞を発症して約1ヶ月がたつ。入院先の病院からは何の連絡もなくちょっとやきもきしていたところ、入院3週間でようやく進展があった。長いので分けて投稿していく。病院の待ち時間にポメラで書いて投稿しているため読みにくかったらすみません。
脳梗塞で入院したオヤジ。面会は午後2時~4時の2時間だけと制限されているから、仕事のある日は行けないが、休日には顔を見ることができる。いつもベッドで横になっていて、体位変換用のクッションが当てられ、自力で起き上がることもできないのは見てとれ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------