「シム」という言葉を初めて知ったのは中学1年。Z2のタペット調整にはシムが必要だという記事を読んだ時です。私はスマホに入れるシムのことを、てっきり同じ言葉だと思っていました。違うんですね。SHIMとSIM。発音の違いが難しい。スマホの機種変更をするとSIMサイズを変え
オートバイと街歩き。時々タイランド。
今昔混合のシンプルなブログを心がけています。 単にアクセス数を増やすだけの姑息な手段無し。 好きな方だけに見ていただければ良いかな。
1件〜100件
横浜の端っこ。面白くもなんともない住宅街に迷い込んだ。すると興味深い名前のアパートを発見。「クルンテープ3」(敢えて算用数字で表記)*念のためにクルンテープってのは、「クルンテープマハナコーンうんたらかんたら・・・」と、「じゅげむじゅげむ」のように長いバン
8脚ほどの椅子が取り囲む巨大なテーブルが2つ、ドカンドカンと置かれている。みんな仲良く相席で食べる食堂「ニューケヤキ」。ニューがあるということは、その前身があったのか?ちなみに「純喫茶」という名称は、「不純喫茶」があったからできたもの。ここは年配のご婦人二
どこへ行ったとか何を食べたとか。写真を撮って人に見せびらかす遊び。ただの日常でも、それをアップするとき気分は非日常になる。「いいね」の赤いポチを心待ちにするヒトもいる。「その瞬間」に強烈なアドレナリンが身体中を駆け巡る。その感覚・快感は、釣りやギャンブル
GW狭間の平日なら空いているんじゃなかろーかと、5月2日の月曜日に陸運事務所へ行こうと予定をたてていた。いつものバイク屋さんでまず自賠責を更新。「2日は混むんじゃないですかね〜。予約取れないかも」と言われた。バイク屋さんのカンは当たった。(さすがです) 6日前の
町中の小さなバイク店。店頭軒下に並んでいる数台の中に、C200が長い期間置かれているのは知っていた。ある日、見るだけでもと立ち寄ってみた。年配の店主はどうやら日本語での会話が不得手なようで、どうにも話が噛み合わない。店内にS8があって、見せてもらえますかと聞く
ず〜っと探していた本が手に入った。1970年(昭和45年)発行の漫画(単行本)「怪談スリラー」。当時買ったけれど廃棄してしまったのを悔やんでいた1冊。●それは1970年。毎年夏休みには母親の田舎へ行くのですが、昆虫採集やザリガニ獲り、九十九里で海水浴。午後にスイカを
もろもろエントリィのためにかき集めた古い画像。これはバンコクの王宮前を走る1級トラム。こういう風景写真を見ると、ついつい背後に写っているものに興味をもってしまう。この場合は右側に停まっている2台のオートバイ。拡大してみると・・・・・・・手前のは2本出しサイレ
RC42に年代物のコロナを取り付け、3年振りに開催されるBMWのミニツーへ向かう。(コロナの)取り付け方はいろいろ試してきたけれど、やはりオーソドックスなこの方法が一番安定しますね。*バッグ本体の取り付け向きはTPOで変えてます。achaoさんトコに寄り道&ご挨拶をして
部分合成の10-40(コーナンPBの安物)は真冬でもへこたれ感があった。今度は鉱物の15-50です。 これはカインズPBでリッター800円くらいだったかな。当然カインズで精製しているハズはないので、どこかから分けてもらっている。この(珍しい)粘度で安い価格帯のオイルを調べ
前回のエントリィを引きずってしまいますが、「怪情報メコンの謎」にはバンコクを走っていた「トラム」が出てきます。下の画像はそのキャプチャー。トラムを利用したアクションシーンですが、歩道には見物人(2階の窓にもいる)、道路には交通整理の警官が見える。昔の映画を
「怪情報メコンの謎」(KOMMISSAR X-DREI GOLDENE SCHLANGEN ISLAND OF LOST GIRLS THREE GOLDEN SERPENTS)は、1969年公開のドイツ製映画(日本では未公開)。007の人気にあやかって何作か撮られた中の1本。過去にテレビ放映はされているようですが、見た記憶は無い。主演は
画像を追加しております。「墓村(上野原)〜リバイバル」 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
RC42のエントリィは少ないですが、しっかりと走っております。RC42の(少ない)持病のひとつに「パルスジェネレーター不良による再始動困難」 というのがあるんだって(知らなかった)。熱の影響で動作が不安定になるらしい。新旧関わらず、どのオートバイにも付き纏う課題が
東林間駅前東側の商店街は、のーんびり感いっぱい。街並みはお化粧直しを施されお洒落を気取っているけれど、いかんせん店舗がそれに伴わず逆に痛々しさをも感じる。基本的には私が小学生の頃から変っていない。まぁそれがいいんですけどね。その一画に以前から入りたかった
3月なので、風防とグリップヒーターを外す。4ヶ月間の使用。風防は効果的なんだけど、暑い時期には人間がオーバーヒートしてしまう。先日の「大和オートバイミーティング」。用事を済ませてから、ちょいと出かけてみた。消息筋によると300台程が集結したという。インスタやツ
鶴間駅近くの国道246号線の旧道沿いにある工場で「チョコモナカジャンボ」は製造されている。初めて知った時はちょっと意外でした(寒い地方で生産していると思っていた)が、50年ほどここで操業しているという。昔はこの工場で直売するイベントがあったらしく、出来たてのチ
存在は知れども足が向かなかったお店のひとつ。タイ料理店の「トムヤムクン」。ベタな店名ですが、わかりやすい。わかりにくいのが、場所。相模大野駅南口至近ではあるけれど、小ぶりな集合住宅や一軒家が建つエリアの路地奥にある。久しぶりに来たら路地の入り口に看板が置
何日か前のネットニュース「木星からこれまでにない高エネルギーX線を観測」を見た瞬間頭に浮かんだのが、映画「2010年」。 2001年に活動停止した宇宙船ディスカバリー号は、木星の衛星「エウロパ」付近に留まっていた。そこに搭載されているコンピュータHAL9000を再起動し
久しぶりにタイまで荷物を送りました。先に送り状をもらって来ようと郵便局へ行ったら、知らないうちに手書き伝票がNGとなっていた。今後、送り状とインボイスはwebでの作成となるのね。送り先地域(国)ごとに異なる伝票の種類は、国名を指定すれば自動的に選択してくれる。
何を食べたいのか分からない時とか、積極的に食事をしようという気にならないことがたまにあって、そんな場合には何も食べなければよいのだけれど、それでも何か腹に入れたいなんて時には、立ち食い系のそば店。ある日の昼下がりは鶴間の「ゆで太郎」へ。ここはパチンコ店内
ホンダNOVA発売以前の1980年台はヤマハとカワサキがタイでのマーケットリーダーであったという。ちょっと意外でした。オイルの抜き替えがなく、手っ取り早く速い。何より安価。そんな2ストが好まれたんですね。ヤマハのアセアン専用車は「Bell」。85cc、7馬力、自動遠心3速。
1990年のポジフィルムを見ると、バイクタクシーと思われる車両が写っている。オレンジ色の “ バイクタクシー用のユニフォーム(ベスト)” を来ていないのでタクシーかどうか判別しにくいけれど、“ 仕事以外では被りたがらないベースボールキャップ ” のライダーが外国人
昨年のエントリィで「バイクタクシーが普及してから〜」と図らずもタイピングしてしまいましたが、ではいつ頃からバイクタクシーは発生し広まっていったのか。肝心なところです。 1990年発行の前川健一著「バンコクの好奇心」では「バイクタクシーに関してはわからないこと
サイドファスナータイプのウエスタンブーツもどきが、1980年初頭に突如流行った。著名人が履いていたのでブレイクした。というわけではない。ポパイやメンズクラブには間違っても掲載されるような代物ではなかった品が、理由なく流行った。プレーンなドレスブーツタイプもあ
成瀬地区から多摩川学園・鶴川あたりのエリアは、鉄塔・送電線銀座だ。「鉄塔マニア」という人は意外と多くて、情報は多くみつかる。ちょいと調べてみると、この界隈には10種ほどの「系統」が入り乱れているのがわかった。私は送電線や鉄塔に興味は無いのですが、それでもこ
古い区画割りの住宅街にある、パンの無人販売店。店内には自販機が5台並んでいる。どれもきちんと手入れをされて清潔感あり。バーガー、サンドイッチ類等多くの品が100円。ちょっとボリューミーなカツやチキン等は180円。パンの種類が多くて楽しい。お子さんを連れていくと大
タイで1987年に公開された映画「หวานมันส์ฉันคือเธอ...ถ้าเอามีทำใหม่(私はあなた)」は日本未公開。というより公開不可能。面白い作品なんですけどね・・・チェンマイのとある村にある高校が舞台の学園ドラマ。やんちゃなトン(サンティス
徒歩散歩のマイルールは、できる限り知らない道・通ったことのない道を選ぶ。(度を越すと在りし日の寺山修司氏みたいなコトになるので注意も必要)迷子上等。でも私は「鳩」と呼ばれたことがあるくらい方向感覚が強いので、すぐリカバリーできる特技がある。右に左に歩いて
「ส.อ.ว.ห้อง 2 รุ่น 44(邦題:クラスメイト)」は1990年公開のタイ映画。日本では過去に映画祭での上映と、NHK教育で1度放映されただけ。社会派ドラマの佳作です。タイ映画を見まくっているわけではありませんが、緩い作りの映画が好まれる中にあって、リアリテ
1987年製作のタイ映画「サパーン ラック サラシン」。日本ではタイ映画祭での上映。ロードショー公開はされなかった。その後NHK教育で「悲恋の橋」として、さらに東京MXでは「サラシン橋心中」と改題されて放映。 古今東西どの国でも、ここまでベタな物語はあるのだろうか
ちょっと前からホーンの音量が微妙に弱くなった。音も少し「割れて」きたみたい。 バッテリーのせいじゃなくてホーンの寿命。30年使えば十分ですね。そんでもって「デイトナ」製の普通で安価なホーンにする。これは「鳴り」が良くてお気に入りな品。価格も純正より安い。ホー
パーツ名は「ステー リヤーウインカー」。だけど前後共通。1個1,558円で、モノタロウでも買えた。これを交換。汚れを落としながら作業をするのが楽しかったりします。なので毎度のことですが、時間がかかる。前のオーナーがヘッドライトをLEDにしていたそうで、私はそれが嫌
そして経つ年による劣化で・・・まぁ消耗品なのでしょうがないけれど、年末というタイミングに凹みます。幸いパーツの注文がギリで間に合ったので、年が明けたらのんびり交換。 個人的にはこういうラバーマウントって、あんまり好きじゃない。 にほんブログ村にほんブログ
道に落ちている缶を蹴飛ばしてどけるとか、危ないんですけどね・・・にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
「乗ってる乗ってる乗ってる乗ってる」と連呼したヤマハメイトのCMは、映像は思い出せないけれど曲だけは耳に残っている。たぶんほとんどの人がそうだと思う。どれだけのCM出稿量だったんでしょうね。*画像はヤマハHPから同時期にビーチ・ボーイズが歌った「Little Honda」
平田弘史という漫画家をご存知でしょうか。圧倒的な画力と巧みな物語で作られる世界は、ヘタな映画やドラマ、小説など足元にも及ばない。国際的なアニメーションとなった「AKIRA」の題字も担当しているんですよ。まぁワタシなんぞがぐだぐだ語るよりも詳しい者が書いたブログ
1939年(昭和14年)から町田の商店街で営業していた写真館。2005年からはレストランに業務転換していたけれど、ついに今月営業終了となってしまった。実に82年間。あっぱれだと思います。大小関わらず組織を持続させるってーのはどんなに大変なことか、多少は判っているつも
中古ビデオ映画を買い集めるため、あちこちのお店でハンティングしていた時期があった。同好の知人の多くが「映像コンテンツ」収集に生きがいを感じている人たちでした。私が昭和プロレスが好きだということで、その中の一人から「リングス」のビデオテープが送られてきた。W
二輪も四輪も復刻ブームですが、真打登場って感じですね。水冷だけどパッと見は空冷、しかも旧式エンジンに見えてしまう。排気音は期待しないけれど、フィーリングは大いに期待できそう。BSA(しかもゴールドスター)って、個人的には一番手強そうなイメージがあります。そん
タイの貨客兼用三輪車雑記〜その3に追記。
「八日僧(ヨウカゾ)」とは、南多摩地方にのみに存在した奇妙な信仰。12月8日と2月8日の2回行われていた。 12月8日(&2月8日)の晩になると妖怪が現れ、特定の禁忌・行為を守らないと不幸が訪れるという。地域や家によって言い伝えられている内容に微妙な差異がある。現れ
前回の長津田「虹虹」の帰路は「つくし野駅」まで歩いてみた。この界隈に長く住んでいるくせに「長津田宿市民の森」(「宿」という字が付けられているのが良いではないですか)に入ったことがなかったので、ここを通り抜けてみたかったからです。そこへは虹虹前の道をそのま
長津田駅南口はプチ再開発の最中で、何やら騒々しい。といっても“はりぼて”のような“再開発”なので、まぁ数メートルも歩けば昔ながらの細い道のある風景になる。だいぶ前にエントリィしたラーメン屋さんは既に無し。そのまま進むと、左は結構な広さの駐車場。ここは農協
W800のメグロオマージュ車両。第一報を知った時には大いに期待した。でも詳細を知ると一瞬で萎えた。あっ、いや、でも、車両そのものは良いと思うんですよ。萎えたのはその姑息なメグロ化手段と、相変わらずなメディアの提灯記事。ベース車の色を塗り替えただで「メグロブラ
カブ90の荷台に付けている「メイホーのカスタムセブン」はいいぞぉ(当社比)。ものすごく軽くてものすごくチープ。直線基調のカタチは車種を問わない。意外や結構容量がある。今風の曲線で作られる箱はスクーターには似合うけれどカブには・・・。でもホントは何も付けたく
achaoさんから連絡を受け、日曜朝の津久井湖へ301で向かう。多摩クラの幹部会の日ということで、湖を見下ろす駐車場には見慣れた数人がいる。私は幹部じゃないので、恐る恐るいちばん隅っこに停める。異彩を放つ車両が1台。喫茶ラビットのHさんが乗ってきたNSU。初めて見た〜
カブC100EXのフロントブレーキケーブル先端の保護ラバーがボロボロになっていると指摘を受け、代用品を教えてもらい交換。(ハラダさんありがとー)タイヤの慣らしと新しいタイ料理店探しを兼ね、中津にピンポインを定めてうろちょろする。昭和橋上流の渡し舟発着地点(ファ
町田街道の小川交差点を南下してすぐ右側。焼肉店の脇にある路地。もしくはその先、自転車店脇の路地。狭くて、ある区間は一方通行だったりするこの道は、一直線に南下しています。これが鎌倉街道の名残道だというのはあまり知られていません。1953年(昭和28年)発行の地図
絶品といわれる「つけそば(醤油)」が気になってしょうがなく、再び訪問してしまいました。時間は平日14時ちょうど。先客無し。正面のドアが開いておばあちゃんが出てきた際、2階へ上がる階段が見え、「2階お座敷へどうぞ」の古い張り紙が確認できた。前回と同じ場所に座り
定期的に販売される「松屋」のタイカレーはあなどれない。今は「マッサマンカレー」。日本米で食べても美味しい。ワカメの味噌汁付きで730円。ある日。マッサマンもいいけど「クルンテープ」に足が向いた。たまにはカオソーイ以外のを注文してみようと、ガパオムー(豚)を。
町田・相模原地域で東方面へ向かう道の多くは、大山街道の名残といってもいい。いや、実際は違うのかもしれませんが、進行方向に大山がどーんと見えると、そう思わざるをいられない。街道沿いには大小の宿場もあった。当時の宿泊料が気になった。調べてみると、現代の安いビ
いつ頃からあったんだろう、古い中華店。お店の前の道はかれこれ40年以上は行ったり来たりしているけれど、訪れる機会はなかった。あまりにも身近すぎて、そして普通すぎてスルーしちゃってたんですよ〜。最寄駅は町田と相模大野。ともに徒歩20〜30分くらい。バスだと相模大
下の画像のようなタサイドカータイプはプラチアップキーリーカン県で最初に製造がはじまり、全国へ広まった。“バイクタクシーの普及に合わせて”台数が増えていく。カー(この場合はフネとは呼べないですよね)の座席を取り外せば大量の荷物を運べるし、商売もできる。価格
いわゆるミゼットタイプではない自転車&オートバイ改造編です。まずは1933年(昭和8年)。ナコンラチャシーマー県在住の航空機エンジニア、フォンソフォン氏が自転車と人力車を合体させた。アメリカ(マイアミらしいのですが・・・)で走っている「pedicab(ペティカブ)」
1929年(昭和4年)4月に営業開始した小田急江ノ島線。私のイメージは「1階建て」(敢えて平屋とは言わない)のロマンスカー。古い地形図には小田原線しか記載されていない。大野もオダサガ駅もできていない。開業時は昭和の大恐慌により、経堂駅から先の輸送量が乏しく(小田
バンコクの3輪タクシー「トゥクトゥク」編です。こいつはどうも苦手です。何が苦手かっていうと、あの排気音。ホテルの部屋にもよく響く(どんな安ホテルなんだ?!)。深夜にあのおぞましい音が聞こえると悪夢を見そうだし、明け方に聞くと目覚めの気分が最悪です。1991年サ
オートバイ関連の知人がミニ個展を開いているので見学に行く。環七沿いにある小洒落たカフェ(UNITED cafe)内のギャラリーだった。展示内容はオートバイと女性をモチーフにした水彩画。プロが使うようないやらしいテクニックが無い、素朴な味わいのある絵です。本業は某二輪
画像を追加&追記した改定2021年版となります。国道20号下り。中央高速相模湖ICを過ぎるとすぐ現れる勝瀬橋。現在のは2006年に開通した3台目。先代(2代目)勝瀬橋は1960年に作られたのですが、惜しくも解体されてしまった。 日本発の「斜張橋」だったというのは最近知った。
地図大好き。特に地形図なら1日中見ていられます。1928年(昭和3年)発行の地形図を見ると、八王子の繁栄振りが視覚的に理解できる。同比率で町田と比較するとさらに驚く。巨大都市ですね。この地形図から相模川で運行されていた渡し船の痕跡を再確認してみた。まず小倉橋。
好き嫌いは横に置いて、なんか雰囲気のある画像ではありませんか。乗っている姿はお行儀が良い。それもそのはずで、ここはバンコク。日本のオートバイや四輪車はタイ人のあこがれ。近年ではそれに日本食や日本のドラッグストア、日本の街並みまでもが対象になっている。そこ
超マイナーど変態オートバイのひとつ、ST1100 PAN EUROPEAN。パンナムならぬパンヨロというネーミングがいいですね。大陸横断・縦断という冒険心がかき立てられます。デカールのロゴも素敵です。*余談ですが、パンヨロと並ぶホンダ・ヨーロッパのベストセラー「TRANSALP」は
タイカブC100EXのタイヤ交換を、気温の高い今の季節にやってしまおうと思った。今回履くのは「ブリヂストン バトラックス BT-390」という勇ましい名前の品。このタイヤ、「カフェカブ」の賞品としていただいた物。(その際のエントリィはこちら)イベントの締めは(参加車両
バブル真っ盛りの頃、オートバイ量販店の日曜日は異常な盛り上がり方をみせていた。車両が売れると「○○様●●●●ご契約ありがとうございますー!」という店内放送が大音量で流れ、あちこちにいる店員さんが拍手する。それが10分くらいの間隔であったりするので、どんだけ
オートバイ整備は素人100%ですが、最低限のことくらいはやりたいので、最小限の工具類は一応持っている。多くが頂き物や車載物で占められています。「トネ」さんのソケットは整備士の人からいただいた。だから(工具を)買った記憶は非常に少ない。買っても安価なものですが
以下の3項に画像を追加。またひとつモザイクが埋まった感じです。くしかわの発電所入谷駅軌道跡磯部八幡宮前~その1
初代レブルはアタリです。車名とは真逆の優等生。「ちょいワル」なんて言葉が無かった時代に、「ちょいワル」願望のある人たちに支持された。アウトローを気取る人は、真面目さの反作用かホントにバカかのどちらかだと思う。レブルのさらにすごいことは、旧モデル「CM250」に
なぜかアメリカンなモデルが続いていますが、特に意味はございません。Vツインモデル史上最高のデザインと言っていいのが、ビラーゴの750&1100(当社比)。既存の車両を見事に造り変えた。デザインって、大切です。カタログ表紙にその美しいデザインは見せない。車体周りに
カタログカテゴリーにアメリカンな車種が続きます。一時所有していた4速最終の883。面白さの沸点がきわめて低い。だから誰でも楽しめるし、トシをとっても大丈夫なくらい乗りやすい。よって慌てて乗る必要はないと思った。 免許をとったばかりの友人が、ただ安いからという
ある日のお昼は「クルンテープ」でカオソーイ。3ヶ月振りです。とりわけ絶品というわけではないけれど、間が空くと恋しくなる家庭的な味。席に着くなり、前回勘違いで(お勘定を)30円多くもらっちゃったので、今日は差額分安くしてくれると言う。なんて正直なんでしょう。こ
アメリカンというジャンル・呼び方には昔から違和感があってならないのですが、一般的にはなっているコトバなので敢えてそれを使ってしまいます。1978年頃から、各メーカーはアメリカンスタイルに挑戦していた。ちょうど同時期にはアメリカンフィーリングという曲があったし
あるご婦人から「この映画面白いわよ」とDVDを渡されたのが「月のひつじ」。2000年のオーストラリア映画。タイトルから「小劇場で公開されるような意識高い系の人が見る文芸作品」的な匂いが感じられる。ワタシは意識高い系の人は好きじゃないので、ちょいと拒否反応がでた。
ゴジラ関連の断捨離がほぼ終えた。といっても大した物は持っていなかったけど。「オタク」という呼称が生まれるまさに直前の1979年。その8月に有楽町日劇で開催された大イベント「ゴジラ映画大全集」。日替わりで東宝ゴジラシリーズが上映されるという。家庭用ビデオなんて無
「高木集落(後)」に画像追加。古いネガがひとつ見つかりました。
ある旧家にお呼ばれされ、古い写真を見せてもらった。コロナ禍ということで躊躇もしたけれど、先様が良いというのでほんの僅かな時間だけおじゃまをした。犬神家のように広い家で、通された座敷は20帖以上はありそう。密とは無縁でした。そこにアルバムや小箱がどっさり積み
これがウワサの・・・!ネットで話題の・・・!ローソンストア100で販売されている「ウインナー弁当」。税込216円。 見た目で拒否反応を起こす方は多いかもしれないけれど、私は全然OK。ウインナーが5本なので悲壮感は無い。これが4本だったらイメージが変わってしまいそう
怒っているのではなく欠伸したところ。ウチに拾われて10年過ぎた頃。このあと13年生きた長寿ネコ。家ネコだけれど外で散歩し、泥だらけで帰ってきた。たぶんストレスは無かったはず。 お盆は休めず、といってもめちゃくちゃ忙しいわけでもない中途半端な時期。最近はバンコ
町田のヨドバシができたのは1998年も末のあたり。あの一帯を「ヨドバシ側」と呼ぶようになって、まだ20年ちょっとなんですね。じゃぁそれ以前は何と呼んでいたのか?住んでいる場所や年齢等でいろいろな呼び方をされていたと思うのですが、自分の周りでは「千寿閣側」「ボー
この暑い時に試してみたいオイルがあるので交換。今まで入っていた「2番目に安いAZ」は意外と良かった。すごく良いとは思えないけれど、期待していなかった分の割増評価です。今回入れたのは普通の鉱物油。リッター712円。価格で比べればAZの方がお得なんだなぁ。このオイル
以前のエントリィを追記、画像全入れ替えの改訂版です。FTシリーズってのは不憫な車両で、400・500に250、どれも定価では全く売れなかった。発売当初はショップでいちばん良い場所の「お立ち台」に堂々置かれていたけれど、いつの日か叩き売り状態に。50%OFFくらいだったので
ガソリンタンクに映り込むのは、おそらくイギリスの田舎道なのかもしれない。でもそれがよくわからないからもったいない。プロジェクターで画像をタンクへ投影するのですが、セールスポイントである(タンクの)独特な形がアダとなって投影画像は歪み、光がまわらない部分も
この時期、タイの田舎って当然暑いんだけれども、何故かエアコンが無くても大丈夫だった。次に行くことができるのは来年か再来年か?にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
高木集落を町田側(東方面)からの俯瞰画像で確認してみましょう。こういう説明では画像処理が効果的ですね。クリックして拡大すると、わかりやすいと思うのですが・・・。段丘の下が高木集落。段丘上から以西は広大な相模原台地。集落ができた頃は家を建てず段丘壁面に横穴
高木集落と境川を挟んだ対面にある「西田杉山神社」。(前回画像のC地点)今回はここの雑記となります。現在は町田市に籍を置いています(笑)が、大昔は高木集落の一部だったと思われます。前回のエントリィにも書いていますが、ある時代では高木伊勢守の居城の鬼門であった
町田市の高ヶ坂遺跡群のひとつ「牢場(ろうば)遺跡」。なかなかに不思議な名前を付けられている。市は名前の由来までは解説してくれていない。これが発端でした。 新編武蔵風土記稿では高ヶ坂に「牢場」という場所が記されている。さらに大和市の古い書物を読んでいたら、
ジャケ買い・カバー買いのように、店名や看板のチカラで入店しちゃった。なんていう場合は何と言うのでしょう?コンビニなどではディスプレイやPOPによる「瞬買」(瞬売?)なんていう言葉があるようですが。旧246号沿いで静かに営業しているラーメン屋さんが「それ」なんで
2009年にエントリィした「町田へら鮒センター」での古い製氷店。続編になるのかな。まったく関係のないことを調べていたら、大正4〜5年頃にこの場所で「蚕種冷蔵庫」業を始めた人がいたということが判った。蚕種冷蔵庫?何それ?と、私も思いましたよ。みなさんもそうでしょ
「昭和は地下にある」追記。
スタジオ内にスクリーンを貼って地平線の画像を投影し、一発で撮ったのがCBX750 HORIZONのカタログ。気持ちが揺さぶられ、投影された画像の奥を想像せずにはいられない。傑作写真だと思います。ロケとか合成だと、こういう微妙な心理戦はできないんです。中ページ。ここまで
ヤフーブログのサービス終了で消えた「バイクのカタログハンター日記」ロスが今も続いています。単なるカタログコレクションの披露ではなく、読み物として完成されていた。ブログ主のお人柄も滲み出て、毎週2回の更新が楽しみでした。どこかへ移転するのかと思いきや、そのま
サイアムスクエアの画像が送られてきた。昨日の日中。ちょいと知っている人はエリートビザを取得した。そんでもって来週訪タイするんだって。 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
BMWの小排気量モデル「G」。新型の広告です。海外版。これを元に各言語で展開しろとお達しがくる。今やどのメーカーもそうですね。↓↓↓ その日本版なんだこりゃぁ、これ書いたの日本人じゃないでしょ。これでヒャク何十万の客を狙えるの?え?車両本体価格は68万円?どひ
エアーマイルを貯めるため航空会社のキャンペーンを狙って「不要不急」の「旅行」をする人たちがいる。彼ら彼女らはその行為を自虐的に「修行」と呼んでいる。目的地までひたすら飛行機の座席に座り続けているからだという。なるほど。面白いですね。知り合いに、その「修行
通る度に気になる景色がある。国道246号のバイパスと旧246号の間にある集合住宅なのですが、地球外惑星の住宅地(なんだそれ?)みたいな空気が漂っているんです。谷戸の低い部分に沿ってギザギザと建てられている。けっこう奥に長いんです。低層の長屋式集合住宅は全時代的
友人Tくんからの情報で知った「荻野茂二」という作家が、1933年(昭和8年)に制作したアニメーションに驚いた。タイトルは「100年後の或る日」。主人公「私」は1942年の世界大戦で死亡し、その霊が未来の子孫に会い、マジックテレビジョンを使い2033年の東京を訪れる。そこに
津久井方面から道志みち(413号)に入ってまもなく現れる大きな右コーナー。その左にある小さなお店と駐車スペース。バス停「牧馬入口」もあるこの場所を「茶屋」と呼んでいた。朝練が終わったら必ずここで休憩。折りたたみの椅子が数脚あり、自販機はいつの頃からか数台置か
マッサージ ざとういち たばこ店 ヤニ スナック おねえさん 素材の会社 エージーシー カラオケ タンゴ 旅館 やどろく 駄菓子屋 こんぺいとう コンビニ セブンイレブンあとが続きません・・・・・ つか、生鮮じゃないしにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
攻撃的な御方が増えている。ある程度年齢を重ねている人が特に多い。他人の言うことを聞いてくれない。効く耳持たない。自分の欲求のみで行動しちゃうから、話にならない。なんでこーなるのかと考えると、叱ってくれる人がいないんですよ。それなりのお年の方にはそうそう叱
細い一方通行路を境界に用途地域規制が変わる。右側(駅側)は「近隣商業地域」と「商業地域」が混在するエリア。左側は「第1種住居地域」に区分される。その左側にタイスナックバーがある。規制により「接客できない」と嘆いているけれど、律儀にそれを守って営業している健
地図で見つけた気になるお店。お昼を食べに出かけてみました。場所は「横浜ドリームランド」の敷地が一部売却された際、そこに作られた巨大団地ゾーンのヘリ。団地は1972〜4年頃に建てられた。団地ができる前の画像ですが、こうして見ると異様です。この気持ち悪さは何だろう
地元に住むある年齢以上の人はよ〜く覚えていると断言します。たとえそこに入ったことがなくても。「サガミ劇場」は小田急相模原駅の北西側、行幸道路を渡った奥の方にポツンと建っていた。この建物に入るには、前に広がる空き地(駐車場になっている)を進んでこなければな
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「シム」という言葉を初めて知ったのは中学1年。Z2のタペット調整にはシムが必要だという記事を読んだ時です。私はスマホに入れるシムのことを、てっきり同じ言葉だと思っていました。違うんですね。SHIMとSIM。発音の違いが難しい。スマホの機種変更をするとSIMサイズを変え
エリア外なのでエントリィはしないつもりだったのですが、皆さんお好きなようでしたのでもう1本。ちなみに私は喫茶店に関しては全く詳しくないし、店舗巡りをしているわけでもありません。 中野駅近くの商店街にあった名曲喫茶「クラシック」。wikiに記載されているのに驚い
古いテーブルや椅子があるわけではないし、ナポリタンが名物なわけでもない。特徴が無いのが特徴で、それでも思いっきり昭和を感じられる喫茶店「シャノアール町田店」。地下にあるためか、存在は目立たない。それでも30年以上続いている。もしかしたら40年近いかも。そこそ
「町田駅前の映画館を懐かしんでみる」町田エトワールと町田ロマン会館の画像・情報を追記。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
「東雲(しののめ)荘」という美しい響きの「陸軍将校専用住宅」が、戦時中の町田にあった。八畳、六畳、三畳にお勝手がついた家が25戸。相模原へ「通う」だろうに町田に建てた。まぁ送り迎えが来るのだろうから、距離は問題なかったのかもしれませんね。運営していたのは「
シングルエイト(8ミリ)フィルムを結構持っていて、そろそろデジタルデータへ変換しておこうか。なんて思っている。当然専門店へ依頼するようになるのですが、手持ちのフィイルムを全て依頼すると、とんでもない金額になってしまう。フィルムの選分けをしてみようと、久しぶ
1980年前後に発行されていた「ポンプ![pump]」という雑誌。いつかアップしようしようと思いながらも流していたら、いつの間にか(ネットで)取り上げられるようになっていたので、慌ててアップ。「おしゃべりマガジン」というサブタイトル通り、読者からの投稿のみで成り
エンジニアを久しぶりにメンテナンス。 ソールを張り替えてから履き心地が硬く感じて、しばらくしまっておいた。今年は再び履きこんでいこうと思っています。ウイングつながりでホンダのカブ90。リアブレーキの「鳴き」が気になってきた。買い置きのシューがひとつあるけれど
預けたMacはCPUとかグラボとかに負荷をかけて徹底的に検証してもらい、問題なし。SSD換装も終え完了。引き取りは日曜の午前中。気分的に平日の多摩川越えには消極的になってしまうのよね〜。渋谷を抜けて青山通りはガラガラ。信号待ちで左を見たら行列している店があった。
小田急相模原駅の南側、相南1丁目から3丁目近辺。ピンポイントな話しなので激しくスルーを推奨いたします。 「相南(そうなん)」という呼び方は、1971年の住居表示変更の際につけられた。当時「相南」を「しょうなん」と呼んでいた人が多かった。大人も子供もです。「しょ
業務用Macの予備機のまた予備機、当面使う予定は無い機種。少しモデル遅れになってしまったけれど、A社のCSが動くので頼りになる。もしかしたら使わずに手放すかもしれないけれど、持っているからには手をかける。もろもろのチェックついでにHDをSSDに換装してもらうことにす
ヒトの居住エリアに入るのは気が咎めるのですが、カブだからほんの少し多めにみてやってください。それにしてもすごい急勾配。CVTの四輪だとベルトが滑るんじゃないかいな。 登って横に進んでまた登る。ジグザグ迷路です。ひとつ登り終えた途中の横道ポイント。この先、奥に
「津久井17系統」画像追加しました。
小田急線鶴川駅から玉川学園前駅へ向かう列車内から左側を見ると、線路と平行に走る道が見え隠れする。その道は谷戸のいちばん低いところをうねうねと走り、やがて行き止まる。なんだかもうこれ以上開発されないような、のんびり感・ほうったらかし感が漂うエリア。当然、良
小倉地区帆掛け船の画像が見つかったので追加。
RC42の持病のひとつにサイドカバーの割れと爪折れがあるという。カバー固定部分3箇所のうちひとつがビスでガッチリ止められている(残りはグロメット)ので、負荷がそこに集中しちゃうんですね。対策としてはビスを外してタイラップ止めし、動きの逃げを作る。幸い自分のは大
先日ブリーザーホースを交換した際にキャブのパッキンを少し曲げてしまったので、モノタロウに注文。翌日には発送された。いつのまにかメイドインベトナムに。。。。もともと付いていたのは薄いアルミ板と2枚合わせ。熱対策なのかな?しかしパーツリストには表記されていない
面白おかしく言われていたりするけれど、在住者にとってはどうでもよい話しかもしれません。町田は古くから境川を境界とする武蔵国と相模国の辺境という地形により、中途半端な立ち位置であった。その中で原町田地区だけは1600年代の「二の市」を発祥とする「二・六の市」の
馴染みのオートバイ屋さんに顔をだす。ちょうど手が空いていたようで話しをしていたら、バイク数台を積んだトラックが横付けした。ブローカーが車両引取りついでに不要車両を探して巡回しているとのこと。 新車が高くなりすぎ、しかも納期が遅れ気味で中古車が人気。だから価
意外やポラの出番が多いのです。電子化・ペーパーレス化の流れの中で、前時代アナログ方法が絶賛活躍中。なんでかというと、時間の無い仕事の(ある工程での)場合、これが一番早い方法なんです。撮って「はい」と渡すだけ。どんなデジタル機器を持ってきても、この早さには
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