DP12Hアドレスのギアオイル初回交換。多少のスラッジが排出。この後ホイールを回したり、車体を左に傾けてみたけれど、残オイルはたいして排出されなかった。投入するのは「グロンドマン」。スクーター専用オイルというので、試してみる。容器が非常に使いやすく、交換作業は
大いなる独り言の世界。
万人受けするものなんて、できません。 感覚が合う方だけにいらしてもらえれば。 というスタンスでやっております。
DP12Hアドレスのギアオイル初回交換。多少のスラッジが排出。この後ホイールを回したり、車体を左に傾けてみたけれど、残オイルはたいして排出されなかった。投入するのは「グロンドマン」。スクーター専用オイルというので、試してみる。容器が非常に使いやすく、交換作業は
経営者のおばちゃまもバイトの女の子も皆気持ちの良い、アットホームなコンビニが閉店してしまう。閉店理由は契約の更新料が値上がりしたことだと伝え聞いた。元は酒屋さんで、もう40年以上前からあったような記憶がある。時代の流れで商売替えしてコンビニ(スリー⚫︎フそ
DP12H。メーターガラス(プラだけど)の内側が「曇る」。・・・という症状が起きたのは買ってから2〜3ヶ月め。だいたい1時間くらい走っていると曇りだす。LEDライトの熱が原因なのは間違いないと思うのですが、乗る度に曇るのはどう考えてもおかしい。曇る部分はいつも同じで
久しぶりに現行車の50ccに乗ったら、初速40キロくらまでピューンと加速する。代車なので50キロ手前で止めておいたけれど、良いではないですか。静かで優しいエンジンです。定型構文ですが、最早完成の領域。逆手に取れば完成されてしまったから、将来の排ガス規制に対応でき
「黒猫ガム」と呼ばれるタバコ型のガム。タイのレトロ駄菓子。昨年末に67年間におよんだ生産を中止した。どこでも買うことができたので、たいへん人気があったという。在庫が無くなり次第販売終了というので、1パック(24箱入り)を買った。値段はたしか110バーツ(タイ国内
1985年の暮れだったかなぁ。当時勤めていた会社の別フロアに行くと、岡田有希子の大判「紙焼き(プリント)」が大量に置かれていた。鮮やかな桃色の写真は強烈なインパクトがありました。その写真は以来目にしたことがない。(敢えて調べてもいなかったのですが)それが今月
リアルな五十路のおばさまが主役の映画「グロリア」。尻が青い時に見たお気に入りのひとつ。ウンガロを着こなしピンヒールで動き回る姿が、強く記憶に残っている。主演の「ジーナ・ローランズ」はこの8月にご逝去(悲)。「グロリア」は知っている人も多いと思いますが、「レ
1970年代の初頭⏤国道16号線の道端で、中古のパチンコ台を売る店(人)がいくつか点在していた。淵野辺から相模原警察署に至る区間の、ちょうど歩道部分が広くなっている所でゲリラ的に売っていた。当時、小田急相模原から昭石グラウンド(今の古淵)近辺に引越しをし、16号
遠くに見えるは昭和橋。鉛筆(2ミリ芯)+ フォトショ
1941年の画像。ある場所だけ田んぼじゃない。1961年の画像を見ても同様ですね。年代が前後してしまいますが、1956年の画像を拡大してみます。この場所は現在、県立座間高校のグラウンドになっています。画像は2019年。できる限り上の画像との縮尺を合わせています。実はこの
砂利運搬鉄道(通称:鍋トロ)を追ってみたエントリィでは、相模川からJR相模線・入谷駅までの特殊軌道(暫定的に「入谷軌道」とします)を追ってみました。そのルートを1946年(昭和21年)の地形図で再確認してみます。今回はその続編となります。きっかけは、Z市役所のある
満艦飾なCTを見て、バブル期の「4WDブーム(笑)」を思い出した。ガードやランプやラダーやらをこれでもかと装着したパジェロやサーフが街に溢れていた、あの頃です。子供の頃、山や林の中に「秘密基地」と称した隠れ場所を作ったり、「マッハ号」のような万能車に憧れていた
ゴーグル焼けした顔とグローブ焼けの腕。アブナイだとかの現実的な理屈は無し。白いTシャツ。「彼のオートバイ・彼女の島」の世界。わたしにとって夏といえば、コレなんです。
スマホ(AQUOS)の広告。これは素晴らしい。この清々しさはなんだろう。なんといってもキャッチが強烈。企業が元気だったバブル期以前の広告を見るようだ。逆にダメなCMだよ。(当社比)〈ニデック〉社名を周知させたいのに、最初のバージョンはコトバの滑舌が悪くテンポも速
AC90暑くなってきたら、エンジンの回り方がちょっとボコつく。昨年の夏もそうだった。ニードル位置の変更をアドバイスされたので、点検を兼ねてやってみた。キャブピストンの上面に堆積物。クリーナーを噴射しても取れない。熱で固まったようにこびりついていた。ニードル位
前方のズーマー。飛ばしているわけでもなく、のんびりでもない。こちらも追い越す必要はない。ヘルメットを取ったらまぁまぁな年齢の御方。もしや達人?と思わせる脱力感あるスタイルが良い。こういう人、大好き。おまけ画像
知らなんだ知らなんだ。今販売されているバイクの右バックミラーが、メーカー関係なく逆ネジだなんて。アドレス125のバックミラー。別にこのままでもいいけれど、メッキ(風)の丸型に変えると見栄えが変わるんです。オリジナルの異形インド仕様のミラー(オプション品)。CB
以前のエントリィからスズキのアンダーボーン車をピックアップ。1987年に発売されたスプリンター100。基本バーディーですが、フロントフォークやテールカウルでスポーツ性をアピール。機関はお馴染みJET COOLEDとPECSで武装。PECSとはいわゆる「2段クラッチ」で、今販売され
ヒトの生活のために役立ってくれたイキモノを弔うために建てられた慰霊碑。ある論文によると、日本には小さな昆虫から鯨まで百数十種の動物の供養塔が存在する。その総数に至っては数えきれないらしく、これは世界にも例を見ない多さだという。朽ちてもなお立ち続ける碑は愛
ラビット301。殆ど用をなしていないと思われる、60年近く経過したフロントサスペンション。ちょっと興味本位でSR400の純正品に交換してみる。新品を奢るほどもない、適度に使われた品を安価で入手。錆汚れをできる範囲でクリーニングして入れ替えた。遠目では違和感無し(当
交換用のタイヤは半年ほど前に購入済み。このまま置いていてもジャマなので、重い腰を上げて作業。備忘録を見ると、前回のタイヤ交換は2019年8月。もう十分。台湾製からタイ製へ。先ずはリアから。ブレーキシューとドラム面も研いでおく。ホイールのボルトナットもクリーニン
コンビニやスーパーで買うお弁当やお惣菜の、プラパッケージがあるじゃないですか。あれの蓋(カバー?)と入れ物(本体)を止めているセロテープのハナシ。異常に長くて容器の裏側まで回って張り付いていたりする。これを剥がす際に中身をぶちまけそうで好きじゃない。●近
ポスト投函されていたモノ。なんと怪しげな。ドキッとしちゃいますね。でもまぁ、会社名と住所が印字されているだけ、まだ救われる。何かしらの勧誘・営業なのは間違いない。扇状的な文言は迷惑・詐欺メールのタイトルと一緒で幼稚さが伝わる。このテの営業を仕掛けるのは大
奇数月の第二日曜日は多摩クラの日。今はどうであれ、変わらないルーティーンとして体内カレンダーに刻まれています。この日曜日の朝も、先ずは小さな神社で行われているフリマを見ようと走り出す。(残念ながらフリマは行われていなかった・・・)暫定多摩クラの集合場所へ
ラビット301は一言、調子良いです。バッテリーは冬を乗りきったところでセルの回りが重々しくなった。開放型の容量が大きいタイプを買い置きしていたので、交換。と思ったら、サイズが違っていた。何を勘違いしていたんでしょうかねぇ・・・。改めて買い直す(YTX7L-BS互換)
GWはお休み。三増峠[改訂版]に挿絵を追加。
東名高速を東京から下って横浜町田ICの手前。右側に見える「山林」の大部分は横浜市(緑区)が管理する「玄海田公園」。緑が多く広場もある。訪れる人は(比較的)少なく、人工物も最低限に抑え、しかも目立たないよう配慮されている。お薦めできる穴場的な公園。下のGGマッ
取引先の某大手企業の担当者の場合、タイトなスケジュールが進行中でも「休む」。なんでも「働き方改革」のせいで、無理やり休みを取らされたりするとも聞く。大企業vs超零細じゃぁ、そうそう文句は言えない。労働時間も厳しく管理されているのかな?土日祝日に電話がかかっ
中津川の河川敷内に広がる「田んぼ」の隅っこに、タイのお寺「ワット・ラカン」がある。タイにあるワット・ラカンは、バンコクの王宮からメナム川を挟んだ対岸にある巨大寺院。そのお寺の分院のようですが、タイのワット・ラカンとどれくらい関係が深いのかは、わからない。
ちょいと時間が空いたので「町田版画美術館」に。「日本のグラフィックデザイナーと版画」という企画展を見る。およそ40点の展示は、永井一正、田中一光、横尾忠則、福田繁雄、和田誠各氏の鉄板ラインアップ。さらにその中に「ミルトン・グレイザー」の名前がある。この人の
メットインできないシート下収納と、後方にある給油口。いやそれ以前に外観・デザインの好き嫌いも分かれるようで・・・。このため国内セールスは伸びていない(と思うんだ)。しかしそういう要素が不人気車愛好のタマシイをくすぐるから、困ったもんです。私は(ヘルメット
[前書き]大昔のツーリングレポートです。見る必要なしです・・・。[前章]厚木の4駆専門店で、かなりくたびれたJ54(ナローボディ)を買ったのは秋が始まる頃でした。積算計は10万キロを遥かに超えていて、もしかしたら二周りしているのではとも思えた。丹沢で滑落、相模
90cc(というか黄色ナンバー)のカテゴリーが大好きで、私にとっては特別な排気量です。50ccとは桁違いのチカラがあって、125cc(ピンクナンバー)車みたいに本格的じゃないという中途半端感覚が心地よい。175ccや185cc、200ccなんかも同様です。90cc各車は70年代に入ると飛
グリップヒーター好きなのですが、アドレス125には純正品は設定されていない。発電量が少ないからだと言う声も聞きますが、そうではなくてバッテリー容量の兼ね合いだとスズキの中の人は言っていた。GSX-R125やジクサー等も同様だと言う。ちなみに、そのスズキの中の人のアド
カブC90(角)。走行中にシャラシャラとノッキングみたいな囁くような音が聞こえる。直前に投入したガソリン添加剤のせいかなと気にしないでいた。ところがある日突然、その音が速度に乗じて大きくなり始めた。これは何かが緩んでいる。目視すると・・・ん?ホーンのセンター
ちょいと顔を出してきました。ひと頃は「BMWが多過ぎ」と言われてたのがウソのようで、この日はホンダツイン系が多かった。御大O氏が乗ってきたYG1もしくはYG1DX(どちらか判別不明)は何がすごいって、おそらく純正と思しきレッグシールドが付いていること。この造形が素敵
速度40キロくらいまでの間に、(エンジンの)振動が一番強い回転域がある。それが不快なワケではなく、逆に巧く抑えているなと思わせる出来の良さではあります。ただ・・・その回転域で、ヘッドライト近辺から盛大にビビリ音が出る。ひどい時はネジが緩んでいるのではないか
町田方面から見て厚木基地の向こう側に「報恩寺」というお寺があります。1602年(慶長7年)に曹洞宗の寺院として開山と伝えられている。敷地(広さ)的にはさほどの規模ではなく、古刹としては狭いほうかもしれない。ここは昔「お助(たすけ)観音」の霊場として大人気となっ
日本のオートバイ会社に「第5のメーカー」が現存していると知ったのは中学生の時でした。主にアメリカへの輸出専用機を製造していた「HODAKA」(穂高工業所)で、名前の響きが良い。もうひとつ、当時町田駅北側には「白馬製作所」という自転車のオーダー製作をする小さな工房
500キロ走った時点でエンジンオイルを抜いてみますよ〜。このモデルはオイルフィルターが無い。維持管理にお金のかかる物は極力排除している、要は途上国仕様(こういうのが私は好きなんです)。ちなみに以前乗っていたランクルはPZのスタンダード。なーんにも付いていないの
わずかに擦れるような音がフロントあたりから聞こえだした。その音はリズムを刻む。速度が上がるにつれ音のテンポも早くなる。ベアリングだったらイヤだなと思いつつチェックするけど、いまいち確証に欠ける。Hさんに泣きついて検証してもらう(いつもありがとうございます)
大きなアナログ式メーターは気に入っているところ。文字盤を囲んでいる画像で青く写っている部分は、燃料消費の状況を色の変化で教えてくれる便利なのか邪魔なのかわからない機能。彼方此方の試乗動画では、さも新機能みたいなコトを言っている人もいますが、もう5〜6年前
お気に入りの冬用ジャケットの見えない部分が加水分解しはじめた。防寒性も弱くなってきた。1年のうち厳冬期の2ヶ月くらいしか着ないけれど、購入してから10数年経っているから、まぁ十分使ったと思うことにして処分した。このジャケットはMA1のようなグリーンがかったカーキ
アドレス125の純正リアキャリアです。かなりの堅牢さを窺わせるパイプ径と取り付け方法。荷台面は荷物を括り付けることよりも、トップケース装着しか考えていないですね。この純正キャリアにはハンドルグリップの「ウェイト」も付属している。やはりフロントが軽いのかもしれ
インド生産の「ACCESS125」はユーラシア大陸にも輸出され、それなりに販売実績を上げている現在進行形のモデル。いちばん西方はイギリスみたいです。超過酷なインド他諸外国の使用事情に耐えた「セイゴ」が「アドレス」という名前に変わって、2年ほど前に日本へ水揚げされた
以前のエントリィ「菖蒲沼」で少し触れた、淵野辺にある「新田稲荷神社(1818年建立)」。その境内に盛り土をされている箇所があり、これは「呼ばわり山」という名前が付けられている。盛り土の上には社が建つ。周りの木や建物で眺めは良くない。何の為の盛り土なのかが、簡
私が小学生の頃の一番身近な古典は、漫画の「のらくろ」でした。復刻本の発行後アニメ化(70年)もされたのですが、現代風に焼き直したアニメは、どうもしっくりこなかった。よって記憶も朧(おぼろ)げ。⚫︎今から数十年前(笑)の1月15日。「成人式」は「町田市民ホール」
AC90のウインカーが点滅しなくなったので、バッテリーを交換。6N4-2A-4。「港北のお店」に在庫がなく、同じ品をメルカリで買ったら電解液が注入された状態で宅急便コンパクトにて届いた。開放型なんですが、いいのかな〜???初期充電はされていたけれど、念のためにもう一
年末年始はお休みです。
小田原方面からの帰りによく利用する、県道22号線沿いにある立ち食い系のお店。その「道」の人には有名店です。入ってみたいと思いつつも反対車線沿いなので、いつも横目で見て通り過ぎるだけ。そんなお店にようやく入ることができた。ホントは来年にエントリィしようと思っ
AC90用に最低限の工具を持ち運ぶ入れ物が欲しい。いまは年代物のマグネット式タンクポーチに入れているけれど、タンクの「リブ」のせいで落ち着きがない。キャリアがあればいいのですが、AC/AS系のキャリアは滅多に出てこないんですよ・・・。ということで仕方なく「ダイソー
原付1台を処分。オートバイは買うにも売るにも理由は付けない。つか、付けられないですよね?某オクに出品。乗るのならココとココの消耗品をチェック・交換してね。と念押し説明し、かなりお安い価格で売り切る(つもりだった)。ある人が現車を見に来た。年齢をお尋ねすると
バッテリー残量が40%を切ると「落ちる」。これが日を跨いで2度続いてしまった。たぶんバッテリーの劣化なんでしょうが、充電回数は900回ほど。目安は1,000回だというのでそろそろ交換時期と捉えるか、あと100日程は使用できるのにと思うか・・・。悩みどころに、その人の性
最近「すもも」にはまっています。コンビニでは売られていない(と思う)ので、ショッピングセンターや個人商店の駄菓子屋さんを巡っては買っています。これは1袋3個入りの「すもも兄弟」。これを1日1袋(3個)以上食すのは危険(当社比)。胃に穴が空きそうな酸味です。それ
スーパーカブC90角目。ハンドルを覆う「アッパーカバーの右上部分」に亀裂が入ったのは、購入後間もない時でした。ウインカーのメッキボデイがアッパーカバーを内側から押し上げ、一番圧力がかかるところが破断した。ちょうどウインカーのメッキボディを新品に交換した直後だ
高座渋谷駅前に「パッタイ」というタイ料理店ができたという情報を得た。10数年ほど前の町田に「パッタイ」というお店があり、昼夜問わず通い詰めていたのですが、もしやその店主が場所を変えて復活させたのか?そうだとすれば嬉しいぞ。と、確かめるべくお昼を食べに行って
バブル期直後の頃でしょうか。近所の解体屋兼中古車屋さんで、ジェンマ125を買いました。買い手がいないので安かった。当時の原付2種スクーター は「とっちゃんバイク」的なイメージで、人気が無かったですもんね。もともと「おっとりした」デザインにちょっと惹かれていたか
ネットで程度良さげなK100D(ボディ)を買ってしまいました。届いた品をチェック。懸念していた基盤の劣化は今のところ大丈夫のようです。内心ダメ元の気持ちで買ったので、これは嬉しかった。とりあえずこちらにレンズを差し、時々弄って楽しんでみようかと思っています。が
デジイチ黎明期に販売されていた「PENTAX K100D」。スペックは後継機に敵うはずがないけれど、これはこれで存在感ある機種になってきた。処分しようとしても捨て値にしかならないので、しばらく弄ることにする。たったの有効画素数610万ほどの「CCD」センサーは、貴重でもあ
以前のエントリィで「タイの屋外映画上映時のフィルムは16ミリ」という事をアップしましたが、実は35ミリの方が主流ではないかと疑問が湧いた。その裏付けのためあれこれ調べてみると、意外なところへ行き着いた。長いんで興味ない人はスルー推奨。●タイの屋外映画全盛期は
「リゲティ」生誕100周年とのことで、いくつかのクラシック番組(ラジオ)が「2001年宇宙の旅」のサントラを流してくれた。このパンフレットは1978年の初リバイバル公開時のもの。同年に公開された「スター・ウォーズ」の大ヒットのおかげで再公開され、評価が一気に頂点まで
5日間で二つのメガネを買いました。「買った」ワケだから、当然チェーン店の安いもの。高級店ならば「作った」と言って自慢します。直近数回は「J●●S」で買っていたけれど、今回は「メガネの●●」と「Z●●F」にした。殆どのチェーン店が、ディスプレイされているフレーム
2スト・ツインの90ccなんて、楽しいにきまっているじゃねーか!(甘利田先生風に)初代のリトルツインは65年頃にデビューしたAT90。その輸出仕様で、エンジンは100ccに拡大された「YL-1」というモデルがある。名前は知っていたけど輸出専用だったとは知らなんだ。これはタイ
ラビットS301。一晩で地面に敷いた新聞紙に直径2〜30cmのガソリン染みができる。何となく怪しそうな燃料コック下にペーパーを敷いておいたら、赤く染まった。漏れてますね〜。どうやらコック内のコルクが寿命っぽい。ということで、安心安全のリプロ品を注文。これが結構な価
普段使いしている「GR DIGITAL3(いわゆる旧型ね)」のAFが怪しくなってきた。旧型GRはオワコンとなって久しく、お金をかけて直す価値は無い。(それ以前に直らないかも・・・)代わりに使う「小さなスナップカメラ」を探してみると、ラインアップが寂しい。コンデジ自体がオ
公開初日の朝一番で映画を見るのは相当久しぶりです。「ヒッチコック映画術」というドキュメンタリー。ヒッチコック監督のあらゆる作品シーンを引用しながら、このように撮ったのはこういう理由や意図があったんだよ。という解説を、ヒッチコック自身が語ってくれる。あれ?
猛暑がぶり返した日。ヒマなうちに国際免許を取っておこうと、新宿へ。カブで行こうと思ったけれど暑さに挫け、苦手な電車で向かう。都庁までの地下道は熱気が溜まっているけれど・・・。地上よりマシ。あぢぃ〜。申請費用 2,350円を払い、書類を渡して15分程で発給。時刻は1
ガソリン満タンにして耐久テスト(笑)。「モータウン」初期のバッグは工具入れ代わり。数キロ走った後の信号待ちで、アイドリングがビミョーに高いのが気になる。(ちょっと嫌な予感はしたのですが・・・)その後1キロ程走ったところでエンジンストップ。あ”ーーー、やっぱ
5年ほどほぼ手付かずで乗りっぱなしのラビット301。この1〜2年、何かの拍子に(だいたいエンジンが暖まった後に多いのですが)、小鳥が囀る(さえずる)ような音が聞こえてくるようになった。恒常的に鳴り続けているワケではないのでそのままにしていたのですが、だんだんそ
さて、新宿武蔵野館は数十年ぶり。当然、昔の面影は全くない。(敢えて)何の予備知識も無しに、ふかふかのシートに座り「ウェルカム トゥ ダリ」を見る。ダリの晩年をメインに、如何にダリとなりえたのかを観客と共に紐解いていく。みたいな、実話を元にしたお話しでした。
駄目だよ〜。公園では禁止ですよ〜。ご丁寧に水場もある。これが2〜3日に一度の頻度で行われている。パンクズは食べやすいよう小さくカットしているから、単なるゴミ捨てではない。これを目当てにカラスや鳩がやってくる。こういうコトをする人って、大抵が「いいトシした人
2スト車はケムリを撒き散らしてナンボだと思っていて、その思いは昔よりも強くなっている。そして2スト車に乗ると、決まってマフラーから出る白煙をバックミラー越しに追ってしまう。走行中に、危ないですね。昔から不思議に思っていることが、車種によって煙の匂いが違うよ
映画「黒い河」のロケは「厚木基地」とその周辺で行われ、当時の景色が記録されている。これはたいへん貴重な資料となる(当社比)。映画そのものは米軍基地近くの町という設定だけで、特定の地域は想定されていない。これは厚木基地ゲート前から国道246号に通じるメインスト
1957年に公開された映画「黒い河」(松竹)スタイリッシュに撮られたモノクロ映像と出演陣の豪華さで評価されるべき作品ですが、あまり知られていない。架空の米軍基地周辺を舞台に、どん底生活をしている長屋(アパート)「月光荘」の住人と、そこの地上げを企む大家と愚連
節電モードで・・・夏休み社会科の自由研究(中学2年時)。昔も今も、やっていることは変わっていないのね・・・カンカン照りの午後、当時は未開だった麻溝地区の農道や獣道を自転車で通った際の、蒸っとした草いきれは今も忘れていません。
節電モードで・・・50年近く(実家の)リビングに掛けていた淡彩画。経年と紫外線攻撃によって無残な状態。これをスキャンしフォトショで10分くらい格闘すると、当時の色が戻ってきた。こんな程度の作業、もしかしたらワンクリックでできちゃうフィルターがあるのかもしれな
節電モードで・・・いちばん身近なモチーフは右手でした。1980年頃のノート。
S編集長の体調が思わしくないとの事で惜しくも終刊。結果として最終号は昨年の7月号となる。私が「バイカーズ」を語るなんて100年早いけれど、これだけは言わせてください。「有能な編集者が読者に媚びずに作った、今時珍しい骨のある雑誌」でした。たぶんこれから、編集長と
1937年に市ヶ谷から座間へ移転した「陸軍士官学校(現在のキャンプ座間)」。その卒業式には天皇陛下がご出席されるのが通例であった。12月に行われる卒業式までに、国鉄原町田駅(JR町田駅)から陸軍士官学校までの道を作ることが必須となる。学校報国団や住民、土木作業員
小学生の頃。そろそろプールの授業が始まる暑さになってくると目の検査が行われた。クラスの半分近くが「ろほうせういけつまくえん(濾胞性結膜炎)」と診断され、ベタベタする目薬をさしに眼科医へ通った記憶が何年分かあります。暑い日の午後、オダサガにある目医者さんの
映画「あの胸にもう一度」(1968年)での「素肌に革ツナギ」が日本では有名な、「Marianne Faithfull(マリアンヌ・フェイスフル)」。すんごい美人ではないけれど、お人形さんのような顔立ち。口角がキュッと上がっていて、実に愛らしい。革スーツとヘルメットはフランスの
自分が詳しくないので、簡単に整理してみました。66年から70年の間に生産されたスズキ「A」シリーズは、特に海外でパワフルなコミューターバイクとして人気を博したという。この年代のスズキ小排気量車の系譜は、なかなか把握しづらく苦手です。「A」シリーズの弟分が「AC・A
いまやどこの自治体でもやっている「好きなお店大賞」・・・みたいなモノって・・・ヒトの「推し活」心理を利用した姑息なイベントだ。(当社比)いろいろありますねぇ。名前は変われどやっていることは変わらない。市民の投票形式で順位を競う。「競う」って、何を競うの?
ASタンクには燃料コックが付いていなかった。ネジサイズはどんなだべ?と、Hさんに測ってもらったら「M14/P1.5」。ピッチ:1.5というのがクセもので、汎用品M14コックのピッチは全て1.0。(´・ω・`)オクに出ていた「M14/P1.5」を買ってみたけれど、燃料パイプ取り出し位置
怖いくらいのグッドタイミングでAS90タンクが手に入った。しかも同色。外観はアバタはあるけど凹みが無い、中はサビサビ。なんか鮫みたいですね。先ずは中性洗剤漬け1日。ゴミ袋の養生は効果あります。中性洗剤だけでもかなり綺麗になった。その後錆取り剤を投入。「モノタロ
やっぱりダブルシートの未練は捨てがたく。高校時代に跨っていたAC/ASのスタイルに近づけたいのです。ちなみにA100用(後期モデル用と思われ)をあてがうとこんな感じ。ちょいとシートが厚い。画像加工で4割ほどアンコ抜きしてみると、良いバランスではないですか。もしくは
ホントは今頃はタイにいるはずだったのですが、帯状疱疹回復途中で動き回るのがつらく、この状態でバンコクへ行くとバスやトゥクトゥクに跳ねられる確率80%。出かけるのを自粛しています。先日、タイ東北部の小さな地区で行われた市長選挙の話しを聞いた。以前現地へ2度ほど
JAWAが素敵です。質感、存在感抜群です。海外メーカーは、新しいモノを古臭く見せるのに長けている。イニシャル・アクションするメーターのデザインもぬかりがない。老舗(ホンダより約20年古い)のチカラでしょうか。日本メーカーは近未来風からレトロ風までいろいろ作って
ご存知の通り河川整備をされる前の境川は「暴れ川」で、大雨毎にあちこちで氾濫を起こしていた。曲がりくねった河川の急な角地は増水時、水力で川底がえぐられ、深く池のようになり、渇水時にも水が枯れなかったという。そんな場所を「淀(よど)」と呼んでいた。私の記憶の
オートバイが1台増えれば1台放出するという「ところてん式」により、余分な車両が増えるのを制御(笑)していた。ところが昨年あたりからイレギュラーな車両が増えてきて、これではいけないということで繁殖の制限をかけた・・・。来年の車検まではおそらく、ノーコストで乗
母親が運転する車内で「水筒忘れた」と言う後席の子供に気をとられ、前方に停車したタクシーに「すわ!」(古い表現w)追突か・・・。それを最先端の運転支援装置によって回避した。っていうCMがありますが、このテのCMを見る度に違和感を感じるのですよ。それは目線が常に「
カブC90備忘録。リアブレーキシューは「デイトナ」製の青い品。効きはすごく良いのですが、とにかくダストが多い。ドラム内から溢れたダストが走行中に吹き出し、リムやスポークが真っ黒け。だから半年サイクルでドラム内のクリーニングが必須となる。この作業はちょっと辟易
これは1980年頃の雑誌広告。歌舞伎町の一等地に3店舗を展開し、総席数1,300!今では信じられない巨大さで、氷河期前の恐竜のようなお店。客層はほぼ学生および準学生たちで占められていた、コンパ幹事御用達のパブ。当時新宿を根城にしていたこともあり、たまに出かけたのが
このAC90は、購入時からシングルシート&大型キャリア仕様になっていた。どこか既視感があるカタチだな?と思ったら、ヤマハのYL2Cじゃぁないですか。この単座シートはヤレてはいるけれどふかふかで座り心地が良く、なかなか捨て難い。でもダブルも付けて見たいということで
帯状疱疹にかかってしまいました。右足腿の痛みが数日続き、腰痛の予兆かなと思い整形外科で痛み止めを処方してもらう(この時点でかなりの激痛)。しかし全然効かない。痛みで眠れないんです。こりゃおかしいぞ・・・!●日曜日の夜明け前。足を見たら疱疹が広がっており「
カブC90のセルモーター・カーボンブラシが届いたので交換。古いブラシは設置面の荒れが・・・。いつも冷間時の始動はキックを使うようにしているし、セルを使う際もバカみたいに長回しなんかしないけれど、減るもんですね。内部を掃除して付け替えました。アーマチュアの接点
小野路へ通じる古い道からGIONスタジアムへアクセスするなだらかな坂道。なんとこの舗装の下には古代〜中世の古道が埋まっているという。上の発掘調査時の画像を見ると、何やら地面にポツポツと無数の穴が。(後述)この道の存在は、古道歩き&調査をしているグループの展示
コインがいっぱい出てきたのですよ。古い物入れから。62年の東京オリンピックや皇太子殿下御成婚記念、沖縄海洋博等々。これはお宝かぁ〜?!と思って調べたら、殆どが額面通りの価値しかない。しかし、記念硬貨って使用するのが心理的に憚れる。だから銀行へ持って行き入金
丸いはずの物が破断していたりして、いっ時は心が折れそうになった車両。エンジンは結局腰下まで開けての大オーバーホール大会となりました。作業はHさん。ウデは確かです。先日我が家に戻って来て、入れ替わりにラビットの修理をお願いした。
一点の曇りもない日曜日。未だBMWが届かず2回連続RC42での参加。今回は参加見送りのメールをH師匠へ入れたのですが、「まぁホンダでもいいからお越しなさいな」と言われちゃぁ行かないわけにはいかない。ただし肩身は狭い・・・側車付き3台、ソロ10台。最年長は70代後半か。
「ブログリーダー」を活用して、しろやぎさんをフォローしませんか?
DP12Hアドレスのギアオイル初回交換。多少のスラッジが排出。この後ホイールを回したり、車体を左に傾けてみたけれど、残オイルはたいして排出されなかった。投入するのは「グロンドマン」。スクーター専用オイルというので、試してみる。容器が非常に使いやすく、交換作業は
経営者のおばちゃまもバイトの女の子も皆気持ちの良い、アットホームなコンビニが閉店してしまう。閉店理由は契約の更新料が値上がりしたことだと伝え聞いた。元は酒屋さんで、もう40年以上前からあったような記憶がある。時代の流れで商売替えしてコンビニ(スリー⚫︎フそ
DP12H。メーターガラス(プラだけど)の内側が「曇る」。・・・という症状が起きたのは買ってから2〜3ヶ月め。だいたい1時間くらい走っていると曇りだす。LEDライトの熱が原因なのは間違いないと思うのですが、乗る度に曇るのはどう考えてもおかしい。曇る部分はいつも同じで
久しぶりに現行車の50ccに乗ったら、初速40キロくらまでピューンと加速する。代車なので50キロ手前で止めておいたけれど、良いではないですか。静かで優しいエンジンです。定型構文ですが、最早完成の領域。逆手に取れば完成されてしまったから、将来の排ガス規制に対応でき
「黒猫ガム」と呼ばれるタバコ型のガム。タイのレトロ駄菓子。昨年末に67年間におよんだ生産を中止した。どこでも買うことができたので、たいへん人気があったという。在庫が無くなり次第販売終了というので、1パック(24箱入り)を買った。値段はたしか110バーツ(タイ国内
1985年の暮れだったかなぁ。当時勤めていた会社の別フロアに行くと、岡田有希子の大判「紙焼き(プリント)」が大量に置かれていた。鮮やかな桃色の写真は強烈なインパクトがありました。その写真は以来目にしたことがない。(敢えて調べてもいなかったのですが)それが今月
リアルな五十路のおばさまが主役の映画「グロリア」。尻が青い時に見たお気に入りのひとつ。ウンガロを着こなしピンヒールで動き回る姿が、強く記憶に残っている。主演の「ジーナ・ローランズ」はこの8月にご逝去(悲)。「グロリア」は知っている人も多いと思いますが、「レ
1970年代の初頭⏤国道16号線の道端で、中古のパチンコ台を売る店(人)がいくつか点在していた。淵野辺から相模原警察署に至る区間の、ちょうど歩道部分が広くなっている所でゲリラ的に売っていた。当時、小田急相模原から昭石グラウンド(今の古淵)近辺に引越しをし、16号
遠くに見えるは昭和橋。鉛筆(2ミリ芯)+ フォトショ
1941年の画像。ある場所だけ田んぼじゃない。1961年の画像を見ても同様ですね。年代が前後してしまいますが、1956年の画像を拡大してみます。この場所は現在、県立座間高校のグラウンドになっています。画像は2019年。できる限り上の画像との縮尺を合わせています。実はこの
砂利運搬鉄道(通称:鍋トロ)を追ってみたエントリィでは、相模川からJR相模線・入谷駅までの特殊軌道(暫定的に「入谷軌道」とします)を追ってみました。そのルートを1946年(昭和21年)の地形図で再確認してみます。今回はその続編となります。きっかけは、Z市役所のある
満艦飾なCTを見て、バブル期の「4WDブーム(笑)」を思い出した。ガードやランプやラダーやらをこれでもかと装着したパジェロやサーフが街に溢れていた、あの頃です。子供の頃、山や林の中に「秘密基地」と称した隠れ場所を作ったり、「マッハ号」のような万能車に憧れていた
ゴーグル焼けした顔とグローブ焼けの腕。アブナイだとかの現実的な理屈は無し。白いTシャツ。「彼のオートバイ・彼女の島」の世界。わたしにとって夏といえば、コレなんです。
スマホ(AQUOS)の広告。これは素晴らしい。この清々しさはなんだろう。なんといってもキャッチが強烈。企業が元気だったバブル期以前の広告を見るようだ。逆にダメなCMだよ。(当社比)〈ニデック〉社名を周知させたいのに、最初のバージョンはコトバの滑舌が悪くテンポも速
AC90暑くなってきたら、エンジンの回り方がちょっとボコつく。昨年の夏もそうだった。ニードル位置の変更をアドバイスされたので、点検を兼ねてやってみた。キャブピストンの上面に堆積物。クリーナーを噴射しても取れない。熱で固まったようにこびりついていた。ニードル位
前方のズーマー。飛ばしているわけでもなく、のんびりでもない。こちらも追い越す必要はない。ヘルメットを取ったらまぁまぁな年齢の御方。もしや達人?と思わせる脱力感あるスタイルが良い。こういう人、大好き。おまけ画像
知らなんだ知らなんだ。今販売されているバイクの右バックミラーが、メーカー関係なく逆ネジだなんて。アドレス125のバックミラー。別にこのままでもいいけれど、メッキ(風)の丸型に変えると見栄えが変わるんです。オリジナルの異形インド仕様のミラー(オプション品)。CB
以前のエントリィからスズキのアンダーボーン車をピックアップ。1987年に発売されたスプリンター100。基本バーディーですが、フロントフォークやテールカウルでスポーツ性をアピール。機関はお馴染みJET COOLEDとPECSで武装。PECSとはいわゆる「2段クラッチ」で、今販売され
ヒトの生活のために役立ってくれたイキモノを弔うために建てられた慰霊碑。ある論文によると、日本には小さな昆虫から鯨まで百数十種の動物の供養塔が存在する。その総数に至っては数えきれないらしく、これは世界にも例を見ない多さだという。朽ちてもなお立ち続ける碑は愛
ラビット301。殆ど用をなしていないと思われる、60年近く経過したフロントサスペンション。ちょっと興味本位でSR400の純正品に交換してみる。新品を奢るほどもない、適度に使われた品を安価で入手。錆汚れをできる範囲でクリーニングして入れ替えた。遠目では違和感無し(当
普段使いしている「GR DIGITAL3(いわゆる旧型ね)」のAFが怪しくなってきた。旧型GRはオワコンとなって久しく、お金をかけて直す価値は無い。(それ以前に直らないかも・・・)代わりに使う「小さなスナップカメラ」を探してみると、ラインアップが寂しい。コンデジ自体がオ
公開初日の朝一番で映画を見るのは相当久しぶりです。「ヒッチコック映画術」というドキュメンタリー。ヒッチコック監督のあらゆる作品シーンを引用しながら、このように撮ったのはこういう理由や意図があったんだよ。という解説を、ヒッチコック自身が語ってくれる。あれ?
猛暑がぶり返した日。ヒマなうちに国際免許を取っておこうと、新宿へ。カブで行こうと思ったけれど暑さに挫け、苦手な電車で向かう。都庁までの地下道は熱気が溜まっているけれど・・・。地上よりマシ。あぢぃ〜。申請費用 2,350円を払い、書類を渡して15分程で発給。時刻は1
ガソリン満タンにして耐久テスト(笑)。「モータウン」初期のバッグは工具入れ代わり。数キロ走った後の信号待ちで、アイドリングがビミョーに高いのが気になる。(ちょっと嫌な予感はしたのですが・・・)その後1キロ程走ったところでエンジンストップ。あ”ーーー、やっぱ
5年ほどほぼ手付かずで乗りっぱなしのラビット301。この1〜2年、何かの拍子に(だいたいエンジンが暖まった後に多いのですが)、小鳥が囀る(さえずる)ような音が聞こえてくるようになった。恒常的に鳴り続けているワケではないのでそのままにしていたのですが、だんだんそ
さて、新宿武蔵野館は数十年ぶり。当然、昔の面影は全くない。(敢えて)何の予備知識も無しに、ふかふかのシートに座り「ウェルカム トゥ ダリ」を見る。ダリの晩年をメインに、如何にダリとなりえたのかを観客と共に紐解いていく。みたいな、実話を元にしたお話しでした。
駄目だよ〜。公園では禁止ですよ〜。ご丁寧に水場もある。これが2〜3日に一度の頻度で行われている。パンクズは食べやすいよう小さくカットしているから、単なるゴミ捨てではない。これを目当てにカラスや鳩がやってくる。こういうコトをする人って、大抵が「いいトシした人
2スト車はケムリを撒き散らしてナンボだと思っていて、その思いは昔よりも強くなっている。そして2スト車に乗ると、決まってマフラーから出る白煙をバックミラー越しに追ってしまう。走行中に、危ないですね。昔から不思議に思っていることが、車種によって煙の匂いが違うよ
映画「黒い河」のロケは「厚木基地」とその周辺で行われ、当時の景色が記録されている。これはたいへん貴重な資料となる(当社比)。映画そのものは米軍基地近くの町という設定だけで、特定の地域は想定されていない。これは厚木基地ゲート前から国道246号に通じるメインスト
1957年に公開された映画「黒い河」(松竹)スタイリッシュに撮られたモノクロ映像と出演陣の豪華さで評価されるべき作品ですが、あまり知られていない。架空の米軍基地周辺を舞台に、どん底生活をしている長屋(アパート)「月光荘」の住人と、そこの地上げを企む大家と愚連
節電モードで・・・夏休み社会科の自由研究(中学2年時)。昔も今も、やっていることは変わっていないのね・・・カンカン照りの午後、当時は未開だった麻溝地区の農道や獣道を自転車で通った際の、蒸っとした草いきれは今も忘れていません。
節電モードで・・・50年近く(実家の)リビングに掛けていた淡彩画。経年と紫外線攻撃によって無残な状態。これをスキャンしフォトショで10分くらい格闘すると、当時の色が戻ってきた。こんな程度の作業、もしかしたらワンクリックでできちゃうフィルターがあるのかもしれな
節電モードで・・・いちばん身近なモチーフは右手でした。1980年頃のノート。
S編集長の体調が思わしくないとの事で惜しくも終刊。結果として最終号は昨年の7月号となる。私が「バイカーズ」を語るなんて100年早いけれど、これだけは言わせてください。「有能な編集者が読者に媚びずに作った、今時珍しい骨のある雑誌」でした。たぶんこれから、編集長と
1937年に市ヶ谷から座間へ移転した「陸軍士官学校(現在のキャンプ座間)」。その卒業式には天皇陛下がご出席されるのが通例であった。12月に行われる卒業式までに、国鉄原町田駅(JR町田駅)から陸軍士官学校までの道を作ることが必須となる。学校報国団や住民、土木作業員
小学生の頃。そろそろプールの授業が始まる暑さになってくると目の検査が行われた。クラスの半分近くが「ろほうせういけつまくえん(濾胞性結膜炎)」と診断され、ベタベタする目薬をさしに眼科医へ通った記憶が何年分かあります。暑い日の午後、オダサガにある目医者さんの
映画「あの胸にもう一度」(1968年)での「素肌に革ツナギ」が日本では有名な、「Marianne Faithfull(マリアンヌ・フェイスフル)」。すんごい美人ではないけれど、お人形さんのような顔立ち。口角がキュッと上がっていて、実に愛らしい。革スーツとヘルメットはフランスの
自分が詳しくないので、簡単に整理してみました。66年から70年の間に生産されたスズキ「A」シリーズは、特に海外でパワフルなコミューターバイクとして人気を博したという。この年代のスズキ小排気量車の系譜は、なかなか把握しづらく苦手です。「A」シリーズの弟分が「AC・A
いまやどこの自治体でもやっている「好きなお店大賞」・・・みたいなモノって・・・ヒトの「推し活」心理を利用した姑息なイベントだ。(当社比)いろいろありますねぇ。名前は変われどやっていることは変わらない。市民の投票形式で順位を競う。「競う」って、何を競うの?
ASタンクには燃料コックが付いていなかった。ネジサイズはどんなだべ?と、Hさんに測ってもらったら「M14/P1.5」。ピッチ:1.5というのがクセもので、汎用品M14コックのピッチは全て1.0。(´・ω・`)オクに出ていた「M14/P1.5」を買ってみたけれど、燃料パイプ取り出し位置