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2016/10/06

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  • マリアの出現を信じますか ー 聖母マリア(16)(学びあいの会)

    Ⅶマリアの出現1マリアの出現(1)は中世以来数多く伝えられている。だが世界的に大きな影響を及ぼした出現は19世紀から20世紀にかけて起きた。主な出現を挙げてみる。①カトリーヌ・ラブレーへの出現:1830年パリ「不思議なメダイ」の起源(2)②ラ・サレット(南仏の地名)での出現:1846年2人の子どもにマリアが出現した③ルルドのベルナデッタへの出現:1858年ルルドの水により病者の奇跡的回復がみられ(ルルドの泉)、毎年数百万人の巡礼者が訪れるという最も有名な奇跡といわれる(3)④ファティマ(ポルトガル)での出現:1917年⑤その他教区司教により真実と認められたものボンマン(フランス1871年)ボーラン(ベルギー1932年)バヌー(ベルギー1933年)秋田(日本1973年)(4)フインカ・ベタニア(ベネズエラ1976...マリアの出現を信じますかー聖母マリア(16)(学びあいの会)

  • 祈りのなかのマリア ー 聖母マリア(15)(学びあいの会)

    Ⅵマリアの祈りマリア信心の表れとして教会はマリアに関する様々な祈りを生み出した。ここでは主なものを取り上げてみる(1)。1アヴェ・マリアの祈りこれはマリアと共にキリストを観想する(2)基本的な祈りである。アヴェ・マリアの祈り前半は、大天使ガブリエルの受胎告知の言葉(ルカ1:28)と、エリザベトの喜びの声(ルカ1:42)を組み合わせたものである。後半はマリアへの祈願である。このように、この祈りは祈りとしては独特の形式をとっているが、現在の章句の形式は6世紀から16世紀までの発展を経て成立したと言われる。2ロザリオの祈りロザリオの祈りとは、基本的には珠(たま)を繰りながら、「アヴェ・マリアの祈り」を数えながら唱え、キリストの出来事を黙想していくお祈りのことを言う。数珠(じゅずたま玉・珠)を祈りに使う伝統は様々な宗教...祈りのなかのマリアー聖母マリア(15)(学びあいの会)

  • 典礼暦のなかのマリア ー 聖母マリア(14)(学びあいの会)

    聖母マリア論は第2部「マリア信心(崇敬)」に入った。5月連休直前の今日の例会は晴天に恵まれたが出席者は少なかった。Ⅴ典礼典礼(1)とは教会がおこなう祭儀である。典礼暦(2)は4世紀頃(3)東西両教会で定着する。マリア信心もこの頃から盛んになる。エフェゾ公会議(431年)におけるマリアの「神の母(テオトコス)」宣言はマリア信心をさらに促進し、マリアの祝祭日(4)が祝われるようになった。祭日と祝日と記念日が区別されている。1マリアの祭日現行の教会暦のマリアの祭日は以下の三つである①神の母聖マリア(1月1日)②聖母被昇天(8月15日)③無原罪の御宿り(12月8日)2マリアの祝日①聖母の訪問(5月31日)マリアのエリザベト訪問(ルカ1:39~50)を記念する祝日。ローマでは8世紀に降誕節中に祝われたという。東方教会では...典礼暦のなかのマリアー聖母マリア(14)(学びあいの会)

  • 典礼歴のなかのマリア ー 聖母マリア(14)(学びあいの会)

    聖母マリア論は第2部「マリア信心(崇敬)」に入った。5月連休直前の今日の例会は晴天に恵まれたが出席者は少なかった。Ⅴ典礼典礼(1)とは教会がおこなう祭儀である。典礼暦(2)は4世紀頃(3)東西両教会で定着する。マリア信心もこの頃から盛んになる。エフェゾ公会議(431年)におけるマリアの「神の母(テオトコス)」宣言はマリア信心をさらに促進し、マリアの祝祭日(4)が祝われるようになった。祭日と祝日と記念日が区別されている。1マリアの祭日現行の教会暦のマリアの祭日は以下の三つである①神の母聖マリア(1月1日)②聖母被昇天(8月15日)③無原罪の御宿り(12月8日)2マリアの祝日①聖母の訪問(5月31日)マリアのエリザベト訪問(ルカ1:39~50)を記念する祝日。ローマでは8世紀に降誕節中に祝われたという。東方教会では...典礼歴のなかのマリアー聖母マリア(14)(学びあいの会)

  • ご復活祭おめでとうございますー3回目のコロナ禍のもとで

    ご復活祭おめでとうございます。コロナ禍の中でのイースターは3回目となります。私どもの教会では分散ミサが続いており、、ご復活祭といっても特定の班のみ出席可能なごミサです。私どもはたまたま今日のミサに当たっていたので出ることが出来ました。長い四旬節、聖週間、過越の3日間と、私どももカト研の皆さんと同じように、それなりに過ごしてきました。例年なら、教会のみなさんと一緒に盛大にごミサを挙げ、みなでお祝いするところですが、今年も寂しい復活祭となりました。復活徹夜祭で洗礼を受けた方もおられなかったようです。世界中どこでも同じなのかは解りませんが、残念なことです。ごミサ後のお祝いのパーティーもなく、子どもたちからのイースターエッグもなく、顔見知りの人と挨拶することもかないませんでした。コロナだからと言われれば返す言葉もありま...ご復活祭おめでとうございますー3回目のコロナ禍のもとで

  • 「神学ダイジェスト」にみる今日のマリア論 ー 聖母マリア(13)(学びあいの会)

    現代のマリア論の理解のために、上智大学神学会発行の機関誌「神学ダイジェスト」131号(2021年冬季号)の特集「今日のマリア論」が紹介された。5論文中4本の論文の要旨が紹介された。わたし自身はこれらの論文を読んでいないので不正確な紹介になるかもしれないが、現代のカトリックの神学者たちが、マリア論の中でなにを主要な問題として捉えているかを知る手がかりとして、簡単に目を通しておきたい。現代カトリック神学におけるフェミニズム神学、解放の神学のインパクトの大きさを垣間見ることができる。なお、この機関誌の編集長は光延一郎師のようだ(1)。神学ダイジェスト*目次は次の通り*〈巻頭言〉今日のマリア論について………………………………………岡立子神学の内に示されるマリア論の新たな方向性……………………………M・マッケンナ貧しい人...「神学ダイジェスト」にみる今日のマリア論ー聖母マリア(13)(学びあいの会)

  • 望ましいマリア信心とは ー 聖母マリア(12)(学びあいの会)

    それでは、新しいマリア論はどのような形をとるのだろうか。新しいマリア崇敬はどのような方向に進もうとするのか。それは、プロテスタントからの批判に耐えるものであり、解放の神学やフェミニズム神学の成果を取り入れ、エコロジー神学の展望を見据えるものとなるだろう。光延師は、聖霊とマリアのつながりを強化し、神の女性的側面と三位一体の交わりがつながることにマリア論の新しい展開を展望しているようだ。それは次回紹介する『神学ダイジェスト』(師が編集長である上智大学神学会の機関誌)特集号からも読み取ることができる。1解放の神学とフェミニズム神学解放の神学とフェミニズム神学は、その成立の背景も主張も異なるとは言え、実は「マグニフィカト聖母の讃歌」(ルカ1:46~56)に描かれる「解放の霊感」に共に注目している(1)という。マグニフィ...望ましいマリア信心とはー聖母マリア(12)(学びあいの会)

  • マリア崇敬をめぐる現代のマリア論 ー 聖母マリア(11)(学びあいの会)

    現代のマリア論の中心的論点はマリア崇敬だ。特に、エキュミニズム運動の進展の中で、カトリック教会とプロテスタント諸教会とのあいだで理解の違いが明確になってきた。また、解放の神学、フェミニズム、エコロジー神学など、新しい運動の登場の中で、マリア崇敬は新しい形を求められるようになっている。新しいマリア崇敬とはどのような形をとるのだろうか。1エキュメニズムとマリアマリア論はエキュメニズムの対話において重要なテーマの一つとなっている。マリア崇敬について東方教会(1)は本来はカトリックと同じ神学的伝統を持っている。プロテスタント諸教会はマリア崇敬に関しては消極的な傾向がある。マリア崇敬はカトリック教会では19・20世紀に強まったが、これは東方教会にもプロテスタント諸教会にとっても当惑の的となった。たとえば、プロテスタント側...マリア崇敬をめぐる現代のマリア論ー聖母マリア(11)(学びあいの会)

  • 教義宣言されなかった「恩恵の仲介者マリア」説 ー 聖母マリア(10)(学びあいの会)

    3-5恵みの媒介者なるマリアマリアに関する教義は神学的には多方面にわたる。神の母説はキリスト論に、無原罪の御宿り説は原罪論に、被昇天説は終末論に密接に関わっていた。そしてこの「恵みの媒介者」説は「教会論」に深く関わっている。マリアの「霊的母性」の教えは、マリアが願いの取りなし手、恩恵の仲介者であるとの信仰を強めた。そして、マリアは信仰者の共同体である教会の母であると敬われてきた。だが、マリアがキリストの「協贖者」(Coredmptrix)であるとの考えはまだ教義として認められていない。現代マリア論の最大の焦点のようだ(1)。①私たちにとってのマリアとは伝統的にマリアは信仰者のためにとりなす媒介者、取り次ぎ手、代願者medeatrixとされてきた。こういう表現は使徒信条の「聖徒の交わり」という言葉に通じる。「聖人...教義宣言されなかった「恩恵の仲介者マリア」説ー聖母マリア(10)(学びあいの会)

  • 終末に煉獄や中間期はない ー 聖母マリア(9)(学びあいの会)

    3-4マリアの被昇天被昇天の教義はマリア論ではあるが中心は「終末論」だ。終末論とは人間の(個人の、そして人類全体の)終末についての議論・洞察のことだ。つまり、人は死んだらどうなるのか、人類の歴史の終わりはどうなるのかと問うことである(1)。人は死んだら無に帰る。それでよいではないか。何であれこれ考えるのか。日本人の多くは、宗教心はあっても、神を信じないから、死んだら無に帰ると言われても、特に不安にもならない。せいぜい今の自分の人生を楽しんでおけばよい。あとは野となれ山となれだ。自分たちのために戦争などで亡くなられた方には申し訳ないと思う。でも、とりあえずは神社でお札でももらって健康とお金を願っておけばよい、と考えている。大げさに無神論などと騒ぎ立てない。ご先祖様のお墓参りはするが、自分は散骨でも樹木葬でもよいの...終末に煉獄や中間期はないー聖母マリア(9)(学びあいの会)

  • 原罪は遺伝する ー 聖母マリア(8)(学びあいの会)

    3-3マリアの無原罪の御宿り無原罪の御宿りの教義はマリア論ではあるが中心は「原罪論」だ。つまり罪と恵みの関係の問題だ。では、原罪とは何のことなのか(1)。原罪という言葉を聞くとすぐにいろいろな疑問が脳裏に浮かぶだろう。わたしは何も悪いことをしていないのにどうして罪人などと呼ばれるのか。自分がいつか死ぬのは罪を犯したからなのか。マリアはいつ原罪を免れたのか。イエスを宿した時か。それとも自分が生まれたとき(母アンナの胎内に宿ったとき)か。アダムが罪を犯したから全人類が原罪を免れなくなったのか。だから人間は必ず死ぬのか。ではマリアは死を免れているのか。生まれたばかりの赤ん坊(幼児)は無垢ではないのか。どうして汚れのない子どもが幼児洗礼を受ける必要があるのか。マリアの無原罪の御宿りの教義はこういう古くからある問いをめぐ...原罪は遺伝するー聖母マリア(8)(学びあいの会)

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