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2016/10/06

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  • マリア神学は教皇至上主義の支柱か ー 聖母マリア(7)(学びあいの会)

    2マリア論の展開マリア論とは教義神学の一つで、マリアへの信仰や崇敬を対象として教義神学の中に位置づけようとする。歴史的経緯から実践神学としては教会論の中に位置づけられ(1)、また、教皇至上主義を擁護する議論として考えられてきたようだ(2)。マリア論Mariologiaという用語は、17世紀初めのニジド著『マリア論大全』(1602)で最初に使われ、19世紀には定着して用いられるようになったという。とはいえ、古代中世にもマリアを扱った著作は多い。たとえば、トマスなど中世のスコラ学者たちはマリアを受肉論のなかで扱い、中世の神学者スワレスも『キリストの生涯の秘跡』(1592)のなかでマリア論を展開していたという。おなじく、ペトロ・カニージオも『無比なる乙女マリア』(1577)のなかでマリアを論じているという。19世紀以...マリア神学は教皇至上主義の支柱かー聖母マリア(7)(学びあいの会)

  • マリアの「特権」とはなにか ー 聖母マリア(6)(学びあいの会)

    新型コロナウイルス対応で18都道府県に適用されていた蔓延防止等重点措置が3月22日に、全面解除された。当地では桜も満開を迎えた。だが当教会では4月も分散ミサが継続され、復活祭も皆でお祝いすることはできないようだ。ウクライナでの状況も予断を許さず、3月の学びあいの会も出席者の数は少なかった。満開の桜Ⅱマリア神学とは何か大仰なタイトルだが、議論の視点を定めるためにも、一応最低限の了解事項を共有しておく必要があるということであろう。1マリア神学の基礎マリアは「神の母」であることがマリア神学の基礎となる。「母」であるとはどういうことなのか。神の救いの業とは、神が御子キリストの「受肉」(1)と「復活」および「聖霊」の派遣によって人間を神と和解させ、永遠の命を与えることである。キリストは神と人間との「唯一の仲介者」である。...マリアの「特権」とはなにかー聖母マリア(6)(学びあいの会)

  • マリア信仰かフェミニズム神学か ー 聖母マリア(5)(学びあいの会)

    Ⅴ近・現代のマリア運動啓蒙思想の時代にはマリア信心は衰退したが、19世紀に入るとマリア信心は復活し始める。19世紀も近代と呼ぶなら(1)、この時代に多くのマリア大会が開催され、マリア関連の諸作が増え、マリア出現への関心が高まる。歴代の教皇に対して多くの国の司教からマリアを「恩恵の仲介者」と宣言するよう嘆願書が出される(2)。歴代の教皇たちはこの表現は誤解を招きやすく、エキュメニズムの思想に合わないとして永らく回避してきた。また、19世紀から20世紀前半にかけてマリア論者たちはマリアの「特権」を強調した。キリストについて当てはまることはマリアにも適用できるとして、マリアをキリストとの「共済者」として教義宣言するよう主張した。さすがこれは行きすぎたマリア信心だとして反省運動が起こり、第二バチカン公会議にまで議論は持...マリア信仰かフェミニズム神学かー聖母マリア(5)(学びあいの会)

  • マリアは恩恵の仲介者か ー 聖母マリア(4)(学びあいの会)

    Ⅲ中世西欧中世は停滞した暗黒の時代だったという、昔の日本の教科書によく見られた見方は現在ではほぼ消えたといえよう。中世は独自のダイナミズムを持つ豊かな時代だったという理解が支配的になってきているという。西欧中世をいつからいつまでと考えるかは諸説あるのだろうが、西ローマ帝国の滅亡(478)からアメリカ大陸の発見/到着(1492)までと考えてみる(1)。つまりざっと1000年間となる。中世をさらに初期(5~10世紀)・中期(11~15世紀)・後期と分けることも多いようだ。マリア崇敬で言えば東方教会では8世紀に頂点を迎え、西欧中世は13世紀を頂点とみてよいだろう。マリア論は修道院神学から大学神学へと中心が変化し、その姿も変貌していく。1修道院神学のマリア西方教会における神学は修道院でなされていた(2)。修道院神学は典...マリアは恩恵の仲介者かー聖母マリア(4)(学びあいの会)

  • マリアはキリストの神性を産んだのか人性を産んだのか ー 聖母マリア(3)(学びあいの会

    Ⅱ古代教会初期教会の時代にはマリア論はおもに「神の母」論が中心だったようだ。やがて教父時代に入るとグノーシス派との対決のなかで「処女母性」論が浮かび上がってくる。100篇を超えるといわれる「外典」(僞典)の流布のなかでマリアの「永眠」(終わり)を語るものは30篇を超えるらしい。マリア信心が広まっていく。なかでも「ヤコブ原福音書」の与えた影響が大きい。1初期教会時代のマリア理解①初期の信条「イエスが聖霊により乙女マリアから生まれた」との表現が見られる②「ヤコブ原福音書」(2世紀中頃の外典)これはエジプトで書かれたものらしく、マリアの誕生、幼年時代、ヨセフとの結婚、処女性、「洞窟」でのイエスの誕生などを詳しく述べている(1)。後年のマリアのイメージはこの外典(2)から大きな影響を受けているという(3)。③アンティオ...マリアはキリストの神性を産んだのか人性を産んだのかー聖母マリア(3)(学びあいの会

  • マリア信仰の歴史は古い ー 聖母マリア(2)(学びあいの会)

    第一部マリア神学【Ⅰ歴史】Ⅰ聖書新約聖書におけるマリアの記述は少ないといわれる。新約聖書がイエスの言行を描写したものなので、当然と言えば当然だろう(1)。新約でマリアの姿が最もよく描かれているのはルカだ。ルカは異邦人(主にギリシャ人)向けに書かれているとも言われるので、マリアが敬虔なユダヤ教徒であったことを強調しているようだ。他方共観福音書では最も古いと言われるマルコではマリアはほとんど言及されていない。マタイはユダヤ教徒向けの文書らしく、ユダヤ教徒を納得させるために、マリアではなくヨゼフ中心の誕生物語が描かれる。マリア信仰は伝承の世界で成熟してきたようだ。とはいえ、前提として聖書のなかでのマリアへの言及を比較しておこう(2)。【聖書のなかのマリア】1パウロ新約聖書で最古の文書であるパウロの書簡ガラティア4:4...マリア信仰の歴史は古いー聖母マリア(2)(学びあいの会)

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