「苦難は年齢、時を選ばず突然やってくる。」(私)お祝いの席に悲しみの知らせがやってくる。それが、この世の定めなのです。ガラスの心臓の私だったのにたくさんの苦しみがやってきました。今はお陰で防弾ガラスのように厚く強くなってきました。皆様のガラスも厚く強くなっていることでしょう。これからもガラスの心臓の人を導いてください。ガラスの心臓
音は聞くもので、見るものではない。そう思っていませんか。観音菩薩は音を観る仏様と書きます。人にも音を観る能力があるのかもしれません。私は山で迷った時、笛の音を頼りに山道に導かれました。夜中の訪問で道に迷った時、鈴の音で案内されました。坂道で自転車を必死にこいでいた時、後ろでバタバタする音に振り向くと、天使の羽根音がして押されているのが分かりました。教会の中に鳩が飛んでいる音がしました。すべてが心で音を観ていたのでしょうか。音を観るという話に江戸時代に千利休の孫に千宗旦(せんのそうたん)がいました。自分の子供たちを分家させて、表千家、裏千家、武者小路千家を作った人です。宗旦の所に仲良しの京都の安居院(あぐいん)の住職が珍しく咲いた椿の小枝を小僧に届けさせました。所が小僧はつまずいて転んでしまい、花が落ちてし...音を観る
禅語に『松直棘曲』松はまっすぐ育ち、イバラは曲がりくねって育つがあります。どちらもそれが自然であるという意味です。お互いを真似ることはないし、自分の姿を恥じることもない。まっすぐ育った松だけなら世の中はつまらない。曲がったイバラだけでも景色にならない。さまざまな個性が存在しているからあきないという事でしょうか。『みんなちがって、みんないい』(金子みすゞの詩)「僕達は神様のステキなマジックペン。みんな違って、みんないい。みんなが違うのはみんなで新しい色をこの宇宙に生み出すため。人と人が出会うたびに新しい色がこの宇宙に誕生している。」素敵な詩です。僕達みんなここで出会って新しい言葉の色がこの宇宙に誕生している。みんな違って、みんないい。言葉の色
🎋私は今日も有料老人ホームに書道を教えに行きます。昨年の皆様の言葉に吹き出してしまいました。おいらにゃ何も要らぬただ毛が欲しい。まだ昼ご飯食べてない。(深夜)家が心配と帰ったら、早く帰りなさいと言われた。旨いもの食いたい!もっと料理勉強しなさいよ!本当にお年寄りには付き添ってやってください。それが、家族の願いですから。七夕の願い
「人間朝昼夕飲んだり食べたりまたそれ以上のたくさんの世話(愛)されて生きていくもの。どんなに大きな怒りや悲しみもいつかは忘れ去っていく。」(私)人は生まれて死ぬまで一人では生きてはいけない。だから手を合わせ、感謝して歩いて行こう。記憶が遠くなるまで。世話(愛)
「国宝は壊れずに残った物に価値がある。しかし、修復された物にも価値がある。それは皆の思いがあるからだ。そして、あなた自身もだ。」(私)リハビリに頑張っている姉や皆様へ。修復
愛について鎌倉時代の僧侶無住が説いた言葉を紹介します。『愛は事(じ)なり』です。はて事とは何でしょうか?事とは「同事の心」のこととあります。同事の心とは、自分の立場を捨てて『相手と同じ境遇になって協調できる心』のことです。例えば、体の不自由なお年寄りに対して同じ目線になって接する心ということです。『愛とは相手に合わせる力』をいいます。自分のことを押し付けてしまっては愛とは言えないのです。愛とは与える事と言った人がいました。まだまだ愛が足りないと反省しております。愛されたければ愛しましょう!相手を思いやる気持ちが愛なのです。愛とは同事の心
私のメッセージが少なくなったと気づいた方いますか。神様の気持ちを伝えていない事は出してはならない。あなたは気ままに出してはいけません。私の言葉はそれだけ大事なんだと叱られました。私の神様はイエス・キリストお釈迦様「人は怒りの時、攻撃的な言葉を発しましす。」その先を越えた発言が人を目覚めさせ、その人を救い成長させるのです。その先の言葉。あなたも身につけてください。(神からの声より)「怒りで相手を殺すのでなく、生かす事が大事だと思いました。」怒りの先
【糖尿病宣告】健康診断で糖尿病と宣告されました。大きな病院に紹介状を書いてもらいました。若い女医さんから食事は?はい施設の昼食以外。はコンビニ弁当で何十年というのを、言わずに普通の食事ですと答えてしまった。毎日カツ丼、カレー丼、幕の内弁当、すき家の弁当、ハンバーグ丼、ケンタッキーフライドチキン、マックが私のメーンの食事です。あとは娘が買って来てくれるスシローのお寿司。何か悪いのかな?来週病院行って来ます。糖尿病宣告
「苦難は年齢、時を選ばず突然やってくる。ガラスの心が震えている。」(私)お祝いの席に悲しみの知らせがやってくる。それが、この世の定めなのです。ガラスの心の私だったのにたくさんの苦しみがやってきました。今はお陰で防弾ガラスのように厚く強くなってきました。皆様のガラスも厚く強くなっていることに気づいてください。悩む人を導いてください。強くなったあなたのガラスのように。ガラスの心
私は幼稚園の時、海水浴で大波(今で言う津波)に会いたくさんの人が沖に流されてしまいました。私も行方不明者となりました。私は随分離れた半島に打ち上げられました。それから人のいる所まで歩き、裸で電車に乗り大人のズボンを持って終点の前まで行きました。見覚えある地だったから。それから、出会った子供たちと遊びました。何で裸なの?と言われました。私は分からないと答えました。夕方になると子供たちは家に帰ってしまいました。私は父、母と来た路を思い出しながら夜中ずっと歩きました。深夜の朝方家にたどり着きました。兄は二日ぶりの私を見て幽霊と叫びました。町の話題になり連日人がやって来ました。幼稚園の園長さんに泣きながら抱かれた思い出があります。あれから私は死んだ人の言葉を聞くようになりました。死んでいく人を目の当たりにすること...生きる力
「心配事や不安な事があってもいいんだよ。必ずその先に嬉しくなる事が待っているからさ。ほらね明日ご家族の居室への面会予約が入ったよ。」(3年ぶりに居室面会が再開されました。皆の笑顔がたくさん見れます。)心配事あってもいいんだよ
「生きることが目的ではない。死ぬことが終わりではない。生かされていることに意味があり、死は生の途中に過ぎないってこと。忘れないでね。」(私)志は次の世代の心に生きるもの。あなたも私も永遠に誰かの心に生き続けているんだ。忘れないよ。永遠の命
「身口意(しんくい)」という言葉があります。身とは行動。口とは言葉。意とは思考(知恵)。自分の持っているものを他者の為に出すこと。いわゆる他者支援のことです。ボランティアとか、お布施ともいいます。人を助けることはお金だけではないのです。私は「言葉のボランティア、言葉のお布施」で支援していきたいと思います。身口意
いつまでも仲良くナいつまでも幸せにナいつまでも優しくナいつまでも思いやってナいつまでもがんばってナ(ある投書欄。兄が妹にあてた結婚式の寄せ書き、その後病死されたという。)兄からのメッセージ
「何でもかんでも沢山、本を読む事が正しいとは限りません。」と良寛さまが述べています。『たとえ恒沙(ごうしゃ)の書を読むとも、一句を持(じ)するに如(し)かず』と述べています。「恒沙」とはインドのガンジス河の川砂のこと。数えきれないことを恒沙といいます。「一句を持するに如かず」は沢山の書を読むのも良いが、一書の中の一句を噛み締め、考え、実践することはさらに大切であると述べています。心を打つ一句を持ち続けることがより大切と述べているのです。簡単な言葉でもずっとずっと心にこだまします。心に刻む言葉
【奈良にて】昨日は母の納骨の為、奈良に行ってきました。駅について驚きました。安倍晋三さんが駅前で演説中に亡くなった所でした。そうか、ここで亡くなったのですね。近鉄奈良駅の大きな場所でした。お寺に貼ってあった言葉紹介します。奈良にて
イエスが人生最後に言った言葉が「私は渇(かわ)く」です。十字架の上で苦しみながら肉体的に、ものすごく喉が渇いていたということもあるのでしょうが、愛の足りないこの世界に対して渇いていたのかもしれません。マザー・テレサがこの言葉に心を深く揺さぶられたといいます。インドの貧しく愛の足りないスラム街で人々の渇きを癒そうとしました。皆様も色々な悩み苦しみを癒されに来ていると思います、渇きを癒すことができますように。祈願私は渇く
長年勤めている老人施設のブログに私の事が掲載されていました。こんにちは!今日は真夏のような暑さの一日でしたね。お天気は良いものの、少し動くと汗が流れ出てきました。さて、ここ2~3か月ですっかり日常となった書道について。担当するケアマネジャーが皆様の作品を見ながら少し思ったことがある様子・・・爆笑お伝えさせていただきます♪「旅」90代の女性が30個以上あるお手本の中から選んで書いたのが「旅」でした。「旅」の言葉のイメージに何か深い意味を感じました。ドイツの詩人リルケやスペインの詩人アントニオ・マチャド、国内でも松尾芭蕉や若山牧水、島崎藤村と言った作家が、様々な「旅」「旅人」についての詩を残しています。「旅はね、自分の思い出作りと生きがいを探しに行くことさ。だからいつも歩いているんだね。」作品を見て、ふっと思...旅
ある人が私の5年前のブログを読んでくれていました。こんな事を書いていたのだなと懐かしく思い出しています。鎌倉建長寺の開山大覚禅師は「建長寺はすべて松関をとじず、無限の清風来たりて未だやまず」と述べています。修業者にも一般の人々にも、老若男女、あらゆる人に対して、いつでも門戸を開いているという意味です。建長寺がお地蔵さんを祀っているお寺だと知ってますか?私は自分の寺だと学生時代から通っていました。また、臨済宗建長寺派住職は「無限の清風」は偶然の出会いや出来事に姿を変えて訪れる。心の窓を閉じていると、風は入らず大事なご縁も気づかずに通りすぎてしまうと述べています。現在は、学業や仕事、介護に日々追われ、心の窓は閉ざされてしまいがちです。最近、聞く言葉に『ヤングケアラー』があります。病気や障害をもつ両親や祖父母な...幸せの風
高野山(空海)や比叡山(最澄)などの深山から、夜間ブッポーソーという鳴き声が聞こえてくるところからその鳥を「仏法僧」と名付けられた。「一声よく一夜に五千声発す」といわれ、その声をよく耳にするも、めったに姿を見せない鳥といわれていました。昭和になって、「木葉木菟(このはずく)」と分かりました。しかし、その名を改めることがなく仏法僧と呼ばれています。6月の季語になっています。深い山の中でしか聞こえない鳥に霊鳥を感じて思わず手を合わせたくなります。最近見た夢は飛び魚を追いかけ水平線まで泳いだり、水平線を飛び越え星空を泳いでいました。ポケットに星のかけらが入っていた。首飾りにしよう。夢の首飾りをつけた喜びの夢でした。そうだ!私が作った老人施設の体操ビデオは「長寿体操」です。次は「星空を泳ぐ体操」を作ろう!生きる喜...星空を泳ぐ
イエスは日々「み心が天に行われるとおり地にも行われますように」と祈りなさいと教えています。何が神のみ心なのでしょうか。それは毎日の自分の務めを果たすことです。これも一日中神に祈っていることと同じといいます。仏教の教えも紹介します。一休和尚は「小欲を越え、大欲に生きよ」そうすれば貧しくても心豊かに生きることができ、決してみじめになることはないと述べています。雨の日も風の日もひたすら励む。小さな欲を捨て、大欲(皆様の事を気遣う事)に生きる。そう考えて天に祈っています。豪雨や地震が多いです。世界の皆様、日本の皆様をお守りください。神に祈りを
僕はただの草名も知らないただの草。あの女の子毎日通るけど一度も気づかないだけど雨の日も、風の日もあの子が通るのを待っていた。あの子が泣きながら歩いてきた。そして、やっと僕を見てくれた。淋しくても強く生きている僕を見て元気が出たみたい。僕はただの草名も知らない草だけど人の心に「花」を咲かすことができるんだ。僕は名も知らない古い古いお地蔵さん誰かが悲しい思い出に立てたみたいとても悲しい悲しい思い出に違いないだって僕はいつも胸が痛いからだから、もうそんな悲しい事起きないように僕が守るから安心して僕を見たら手を合わせてくれたら嬉しいな胸の痛みが癒えるからさ。いつまでも忘れない。(毎日通る道に小さなお地蔵さんとたくさんの花束がいつまでもいつまでも耐えない。それを見て20年前に作りました。)草と地蔵
17年前の日記。介護士の研修で老人施設と訪問施設に行きました。全く違う職種で緊張して行きました。ショートステイの男性がやって来ました。彼はこんな所に来たくない。将棋できる人いないか!と大声上げていました。女性スタッフはいつもと同じ事をいう人と無視していました。私は手を上げて将棋のお相手しました。脳梗塞で下半身が不自由になって車椅子に座っていました。一勝一敗で終わり満足してくれました。私は言いました。ずっと心配そうに後ろに立っている女性が気になっていました。え!どんな風の人ですか?着物姿で小太りの女性です。あ!それは昨年亡くなった同居していたかみさんのお母さんだ。この車椅子は彼女の使っていた物です。彼は泣き出してありがとう。今日来てあなたに会えて良かった。私こそ役に立って良かったです。この仕事でもやれる自信...人生泣き笑い
「ChangeisChance.」チェンジ(変化)にこそチャンスがある。(gをcに変えるだけでこの言葉になります)異動辞令に不安を抱いている人に送った言葉です。新しい試みこそチャンスだと歩みましょう。変化はチャンス
昨晩のトピックスニュースに紹介していた、お蕎麦屋さんに嬉しくなりました。お蕎麦に揚げカレーパンを入れたら美味しかった!それから店の看板商品になった。娘に早速カレーパン買って来てもらって蕎麦カレーパン作りました。(インスタント蕎麦だから作るほどのものではない)旨かった!やみつきになりそう。うどん苦手だから、カレー蕎麦は良く食べていた。内の施設の食堂にも頼もうかなカレーパン蕎麦。カレーパン蕎麦
愛犬も亡くし、母も亡くし、続けて兄も亡くし友達も亡くしお世話したお年寄りも亡くした日々。心に淋しさが残り何か記憶に留めて置きたくて昔に書いた詩です。同じ体験持つ人に捧げます。【永訣の日】『さようなら』って言わせて木の葉は散っても木は生きている木が枯れても森は生きているひとつの命が死んでも必ず生まれ変わるんだ春になると木は新しい木の葉をつけ草やお花はパッと大地から芽を出すこのことがずっとずっとつづいていくんだもし死んでいる人に君の悲しい気持ちを話したら君はほっとするかもしれないよだってその人は君の気持ちをよくわかってくれるから大切な人は僕達の思い出の中でずっとずっと生きていくんだわすれないでねありがとうさようならと言わせて(ジム・ジョアン)『忘れないよ』と言わせて木は新しい木の葉をつくり森はあらたな生き物を...永訣の日
【心の涙】私は泣いています。心の中で。私は定年したのに臨時招集されケアマネとして働いています。あるユニットからsos。自尊心が強く暴言、拒否が強い人がいる。私は会いました。私と同じ70代後半の人でした。彼は映画のカメラマンで数々の作品を手掛けてきた。黒澤明、三船敏郎…。私は驚き尊敬した。私はテレビのドキュメントディレクター、戦地のカメラマン、子ども番組もしていたと話してから心打ち溶けた。現場の苦労話などに。書を教えたら喜んで書いてくれました。それが昨日急変して病院で亡くなりました。彼の部屋の壁に彼の書作品が張ってありました。思わず目が熱くなりました。安らかにお休みください。私はクリスチャンですので十字を切りました。続きはあちらでやりましょう。心の涙
「人間は毅然として現実の運命に耐えてゆくべきだ。そこに人生の一切の真理がひそんでいる。」(ゴッホ)奥深い言葉です。いまの与えられた現実を耐えること。それが自分の生きるすべての道の本質があるからです。病気になったこと、体が不自由になったこと、なぜ私だけがこうなったのと悩むことがあるかも知れません。それを乗り越えて生きることが大切とパラリンピックの選手達が教えてくれています。生きていけば必ずいいことある。そう信じて元気出しましょう!と毎日お年寄りに声掛けして手を握って回っています。生きる道
昨日3年ぶりにコロナで閉鎖していた市が運営している無料の銭湯に行って来た。お湯に浸かりながら思い出していた。ここで知り合った気の短いおじいさん。どうしたかな?私は異動で本館のユニットに行った。その時に出会ったおばあさん(昨年肺炎で亡くなった)。涙が出る程悲しい人生歩んで来た。旦那が博打ばかりして、家に一銭も入れないので赤ちゃん栄養失調で亡くしてしまった。睡眠薬ひと瓶飲んで苦しかったから救急車呼んだ。離婚して今の旦那と結婚してなんとか苦労から抜け出せた。その旦那の写真見たらあの銭湯で知り合ったおじいさんだった。おばあさんそれ聞いて3年ぶりに会いたいなと言って亡くなった。おばあさん、銭湯大好きな旦那を知っている人に会えて、誰にも話せない苦労話を聞いてくれる人に会えて私は幸せだよと言ってくれた。出会いは偶然でな...出会いは必然
愛とはその人の自由を見つめること。夫婦愛、親子愛、恋人愛、友人愛、すべてその人に寄り添うことができる人、それが愛だと思う。愛とは見つめる事なんだ。無茶苦茶な私をずっと見守ってくれている人がいるってことに気がつき感謝しています。愛とは
「ある人から悪口を言われたのですが、どうしたら良いですか」と相談されました。いつもこう答えます。お釈迦様だって説法を聞いてくれない人や、理解できない人は無視する。7日も過ぎれば悪口はなくなるものだ。悪口を毒蛇と思え。飛んで来た毒蛇は掴まないでよけるだろう。よけられた毒蛇は行き場所を失い元に戻るしかない。投げた人に戻るのだとお釈迦様は述べます。また、毎日病気を探しているお年寄りがいます。今日は胸が痛い、膵臓が悪い、寒気と吐き気がする、目まいがする、ガンになった・・・。毎日何かの病気を訴えて深刻な顔して起きません。バイタルとれば何ともありません。やっと安心して起きてくれます。「般若心経」の中に「心無けい礙(しんむけいげ)」という言葉があります。悲しいことがあれば、悲しみに心を奪われる。心配ごとがあれば、心配ご...心配事からの解放
竹の竿の先に五色の糸を飾って星に祈ると三年の間に必ず願いが叶うと言われた宮中行事が、江戸の頃庶民の行事として定着した。竹に五色の願いの糸を垂らすだけでしたが、元禄の頃には色紙や短冊に和歌を書いて吊るすようになり、さらに願い事を書くようになり現代へと続いている。あなたが好きは赤遠くにいる人へ青はしゃいでいる二人は黄二人の幸せを祈る白神様に願いを祈る紫「七夕をまつる心はひとつにて願いの糸はおのがすぢすぢ」源頼政(みなもとのよりまさ)あなたは何色の紙に願いを書きますか?私は紫の紙に願いを書くでしょう。皆様の健康を願います。七夕の準備
「安心とは一人じゃないことなんだ。」あるクリニックで何年ぶりか知り合いのナースに会った。私に何か憑いていませんか?突然聞かれた。アハハ、大丈夫だよ。と言うと安心して帰って行った。私とまだ繋がっている安心を感じたのでしょうか。皆様の安心にもなればありがたいです。安心
年をとると失うものが多い。両親、兄弟、友人、同僚、視力、聴力、腕力、記憶…。全ての財産を喪失していく。その不安や淋しさに負け、心とじる人もいます。人は木石にあらず。人は枯れ木や石ではない、喜びも悲しみも持つ感情ある生き物です。失うと言う考えでなく、生きる栄養となって『消化』したと思えばよい。失ったものをいつまでもくよくよする事なく、新たな喜びに感動する栄養をとりましょう。生きるて心の栄養一杯とることだから。江戸時代の女流俳人加賀千代女の「朝顔につるべ取られてもらい水」が有名ですが、私は違う句が心にしみています。「蜻蛉(とんぼ)釣り今日は何処まで行ったやら」幼い子どもを病で亡くし、その悲しみを抑え、あの子は今日も蜻蛉取りに行っていないんだと懸命に耐えている姿に心打たれています。この場も心の栄養補給となります...心の栄養
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「苦難は年齢、時を選ばず突然やってくる。」(私)お祝いの席に悲しみの知らせがやってくる。それが、この世の定めなのです。ガラスの心臓の私だったのにたくさんの苦しみがやってきました。今はお陰で防弾ガラスのように厚く強くなってきました。皆様のガラスも厚く強くなっていることでしょう。これからもガラスの心臓の人を導いてください。ガラスの心臓
『肩落とし家路につく夜夕星(ゆうづつ)が天路(あまじ)を見よとかげろふ二星』(私)今日の事がうまく行かず、肩を落として帰る夜、夕星が天女が通るという、天路を見よとの声に見上げると、光輝く星が二つ出合うように近くにいる。元気を出しなさいと言ってるようだ。素敵な事がありますようにと星合(ほしあい)に祈りながら家路につきました…。通常一番輝いている星は西の空の金星(宵の明星)を指しますが、東の空を見て一番星を見つけたならそれは木星です。どちらかを最初に見つけた星を夕星(ゆうづつ)と古代の人は呼びました。仕事帰りに夜空を見上げて頑張った自分に星達がお疲れ様と迎えてくれました。この場所もお疲れ様と元気がでる夕星ですね。お疲れ様の星
今日は「手放す幸せ」について話したいと思います。般若心経に「度一切苦厄(どいっさいくやく)」という言葉があります。度は動詞で、「悟りの世界に渡す」という意味です。『すべての苦しみや行き詰まりを、悟りの(心やすらかな)岸に渡した』という意味です。何故か、一切の苦や厄を消し去って無くしたと言わないのでしょうか。苦(四苦八苦)や厄(行き詰まりの意味)は消し去ることはできないので、悟りの岸に渡してしまったというのです。悩みの心を消すのでなく、悟りのある仏様に渡してしまえば楽になるということでしょうか。一人で悩んでいないで、どんどん渡してしまえばいいのです。それが、「幸せ」になるということです。幸せの語源を調べると、不思議な事が分かりました。「幸」は手かせの象形文字から来ているのです。手錠をかけられて束縛されている...手放す
常世草とは理想郷の果実と言われています。常世の国とは、永遠に変わらない国。仙人たちが住んでいる理想郷のことです。その昔、垂仁(すいじん)天皇は、その常世の国に、田道間守(たじまもり)を遣わしました。そして、9年後、彼が持ち帰った果実を「常世草」と呼びました。いまの蜜柑(みかん)なのです。昔は、蜜柑のことを橘(たちばな)といいました。「田道間花(たじまばな)」が縮まって「橘」になったといいます。その後、蜜のように、甘かったことから蜜柑と呼ぶようになったそうです。当時の人々にとっては、まさに常世の国の果実と思えたのでしょう。今でも京都御所には、右近の橘と左近の桜が植えられています。また、田道間守が9年後に戻って来たときには、垂仁天皇は亡くなっていました。田道間守は、天皇の墓の前で泣き崩れ、橘の実を供えて、後を...理想郷の果実
わ江戸時代の元禄文学の三大文豪に、芭蕉・近松・井原がいます。井原西鶴の「好色一代男」に「死なれぬ命のつれなくて、さりとは悲しくあさましき」があります。毎日毎日が辛くて、死ねるものならいっそ死んでしまいたいが、死のうにも死ねないせつなさは、まことに悲しくも浅ましいという意味。人間はひとたび生まれてきたからにはどのような思いをしても、どんなに大きな障害が待ち受けていても、死ぬまで生きなければならない。なぜなら生命は貴重なものだから。どうぞ、愚痴ばかりでなく、心は生きる力の言葉を発してください。必ず導きがありますから。生きる勇気
古代に流行っていた袖があります。現代では別れの時は、さようなら!と手を振りますね。しかし、万葉集を読んでいると、万葉の頃は袖(そで)振りというようです。「白波の寄そる浜辺に別れなばいともすべなみ八度(やたび)袖振る」(大舎人部祢麻呂・おおとねりべのねまろ)白い波が寄せる浜辺で別れてしまったら、もうどうしようもない。だから、何度も、何度も、何度も、何度も袖を振るのです。栃木県足利市の大舎人というひとが、防人(さきもり)として九州に派遣されて旅に出る途中に詠んだ歌。きっと恋しい人と、いつ会えるか分からない別れの歌なのでしょう。万葉の頃の袖は、手よりも長い筒袖でした。「袖を振る」とは、人の魂を鎮(しず)めたり、親しい人に自分の気持ちを伝えることができると信じられていたようです。袖振り合う仲というのでしょうか。愛...袖振り
体の汚れと違って、心の汚れは気づきにくい。気づいた時には汚れを落とすのは難しい。日々心の汚れを洗い落としましょう。そのひとつに、日々悔い改めることです。私は湯船に使って出来の悪い自分を悔いて謝っています。洗心
年をとると失うものが多い。両親、兄弟、友人、同僚、視力、聴力、腕力、脚力、記憶力、歯、胃…。あらゆる財産を喪失していく。その不安や淋しさに負け、心とじる人もいます。人は木石にあらず。人は枯れ木や石ではない、喜びも悲しみも持つ感情ある生き物です。失うと言う考えでなく、生きる栄養となって『消化』したと思えばよい。失ったものをいつまでもくよくよする事なく、新たな喜びに感動する栄養をとりましょう。生きるて心の栄養一杯とることだから。心の栄養
枕草子(清少納言)の書き出しに「春はあけぼの…夏はよる…秋は夕暮れ…冬はつとめて…」がありますが、「つとめて」とは朝早くという意味です。夜明けの日の出たころを指すようです。皆様はつとめては何されていますか?私はつとめて犬と散歩しています。今日も元気にいきましょう!枕草子つとめて
【聖なる言葉】「人を救うのはあなた。あなたを救うのは私達。私達を救うのは神から与えられた聖なる言葉です。」本当に不思議と救われるものです。あなたも聖なる言葉の力を感じて下さい。聖なる言葉
【張り付いて生きる】東京の障害者施設にいる重度の脳性マヒで寝たきり、体は動かず、言葉も話せない20歳の女性の記事を見ました。彼女はわずかに動く手をボランティアの添える手を借りて詩を書いています。その数1200点。『せかいのなかで』このひろいせかいのなかでわたしはたったひとりたくさんの人のなかでわたしとおなじ人はひとりもいないわたしはわたしだけそれがどんなにふじゆうだとしてもわたしのかわりはだれもいないのだからわたしはわたしのじんせいをどうどうといきる。『いきていてこそ』いまのつらさもかんどうもすべてはいきていてこそどんなにつらいげんじつでもはりついていきる。『こえをだせないわたしたちにもことばやいしがあることをしってほしい。そんざいをみとめて』このような人々がたくさんいると思います。また、このような子を持...堂々と生きる
近くの小さな図書館に寄りました。25年以上前の新潟市立小学校、おばたただお校長先生の「心のリボン」のお話を読み感動しました。運動会の閉会式の挨拶です。子供たちの胸にはリボンがついていました。一等は青、二等は黄色、三等は赤のリボンです。一人三回競技に参加しましたので、多い子は三つのリボンをつけていました。また、一つもつけていない子もいました。それを見て急に覚えてきた挨拶をやめて言いました。「リボンを三つ胸につけている人、手をあげなさい。この人たちは大変がんばった人です。その場所にしゃがみなさい。」「次に、リボンを二つつけている人、手をあげなさい。この人たちは、次にがんばった人たちです。しゃがみなさい。」このあたりで、父母の方々は心配そうになってきたそうです。「次に、リボンを一つつけている人、手をあげなさい。...心のリボン
瞳の中の空澄みきった空晴れきった空曇り空雨が降りそうな空雨雲が浮かぶようにうるうるという涙雲が浮かぶ。うるうるは鎌倉時代に良く使われた古語。涙雲で目が曇り、涙の雨がうるうると降る。しかし、雨はいつかやみます。空がまぶしく輝き出すように、あなたの瞳もきっと輝きを取り戻すことでしょう。うるうる
400年以上前の室町時代に『伊曾保物語』があるのを知りどんな内容か調べてみました。驚きました。ギリシャの説話集イソップ物語でした。ギリシャを訪れている秋篠宮の佳子様も読んで行かれたそうです。ポルトガル語から、「かな」に翻訳されたものでした。あの時代の人びとがありときりぎりす、北風と太陽、うさぎと亀などの物語を読んでいたのです。久しぶりにあった狐に鶏がまことにゆかしう存じる。と言っています。「ゆかしい」とは懐かしい、慕わしい、欲しい、見たいなどに使われていたようです。『ゆかしい』好きな言葉を見つけた喜びがしました。僕はあなたがゆかしい!僕はあなたに会えてゆかしく思う。何か今のなつかしいより、優雅な響きがあって好きです。奥ゆかしいはここからきたようです。ギリシャ訪問の佳子様
『迷い道青葉時雨に胸晴れる』(私)青葉時雨(あおばしぐれ)とは葉っぱの雫が落ちること。心惑いながら、竹藪の下を歩いていたら昨晩の雨の雫がぱらぱらと頭にこぼれて来た。ぱっと気持ちが晴れました。小さなことに心迷わすな!一滴の雫で気持ちが晴れ、感謝の心で手を合わせました。皆様にも青葉時雨が降りますように。青葉時雨
ある古典の中から素敵な言葉を思い出しました。《恋の蛍》です。「あまひこよ雲のまがきにことづてん恋のほたるは燃えてはてぬべし」(平祐挙・たいらのすけたか)「恋にこがれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身をこがす」鳴かない蛍は光ることで想いを表し、まるで身を焦がしているようだ。なんと素敵でロマンチックな言葉でしょう。私なら「燃え尽きて夜空をこがす遠(とお)花火鳴かぬ蛍も身をこがす」遠くに見える花火は音は聞こえないが夜空を焦がしている。暗闇を音もなく1匹の小さな蛍がほんのり照らす姿は秘めた思いで身を焦がし、みんなの願いを叶える光明蛍のようだ。私もそんな蛍になろう。光明蛍
【うぐいす】平安時代前期の『古今和歌集』より、『世にふれば言のはしげき呉竹(くれたけ)の憂き節ごとにうぐいすぞ鳴く』憂き節とは辛いこと、悲しいこと。長く生きていると、いろいろと嫌な事が聞こえて来て、そうした、辛い折々を嘆くようにうぐいすが鳴いている。(詠み人知らず)今でも同感する歌だと思います。古代の人も同じように感じて過ごしていたのだと分かると自分だけでないと元気が出ます。私は竹の節を人生の節と呼んでいます。この節が強い竹を作っているのです。人生もそうです。辛い節目があるから強くなっていくのです。今朝もうぐいすが鳴いているなあ。うぐいす
「刃物は物を切る言葉は心を斬る暖房は体を温める言葉は心を温める薬は病を治す言葉は全てを癒す言葉は生きる勇気の道標(みちしるべ)しかし、沈黙と傾聴を忘れてはならない言葉の力信じて共に歩もう前へ前へ」言葉の力
この仕事は若い人、いや年配者でも無理なのか?また、2カ月で出社拒否か無断欠勤をして辞めていく。人間関係が難しいからか。私が18年間勤められたのは何だろうか。「仕事が好きになれば仕事が来る。仕事の見返りは仕事だから。」(私)嫌いになると全てが嫌いになってしまう。石の上に3年は昔の言葉か。残りの仕事は皆が手に付けてない書類の整理やら清掃環境整備を依頼されています。まだまだ役にたつことがあることに感謝しています。仕事の報酬
長年勤めている老人施設のブログに私の事が掲載されていました。こんにちは!今日は真夏のような暑さの一日でしたね。お天気は良いものの、少し動くと汗が流れ出てきました。さて、ここ2~3か月ですっかり日常となった書道について。担当するケアマネジャーが皆様の作品を見ながら少し思ったことがある様子・・・爆笑お伝えさせていただきます♪「旅」90代の女性が30個以上あるお手本の中から選んで書いたのが「旅」でした。「旅」の言葉のイメージに何か深い意味を感じました。ドイツの詩人リルケやスペインの詩人アントニオ・マチャド、国内でも松尾芭蕉や若山牧水、島崎藤村と言った作家が、様々な「旅」「旅人」についての詩を残しています。「旅はね、自分の思い出作りと生きがいを探しに行くことさ。だからいつも歩いているんだね。」作品を見て、ふっと思...旅
ある人が私の5年前のブログを読んでくれていました。こんな事を書いていたのだなと懐かしく思い出しています。鎌倉建長寺の開山大覚禅師は「建長寺はすべて松関をとじず、無限の清風来たりて未だやまず」と述べています。修業者にも一般の人々にも、老若男女、あらゆる人に対して、いつでも門戸を開いているという意味です。建長寺がお地蔵さんを祀っているお寺だと知ってますか?私は自分の寺だと学生時代から通っていました。また、臨済宗建長寺派住職は「無限の清風」は偶然の出会いや出来事に姿を変えて訪れる。心の窓を閉じていると、風は入らず大事なご縁も気づかずに通りすぎてしまうと述べています。現在は、学業や仕事、介護に日々追われ、心の窓は閉ざされてしまいがちです。最近、聞く言葉に『ヤングケアラー』があります。病気や障害をもつ両親や祖父母な...幸せの風
高野山(空海)や比叡山(最澄)などの深山から、夜間ブッポーソーという鳴き声が聞こえてくるところからその鳥を「仏法僧」と名付けられた。「一声よく一夜に五千声発す」といわれ、その声をよく耳にするも、めったに姿を見せない鳥といわれていました。昭和になって、「木葉木菟(このはずく)」と分かりました。しかし、その名を改めることがなく仏法僧と呼ばれています。6月の季語になっています。深い山の中でしか聞こえない鳥に霊鳥を感じて思わず手を合わせたくなります。最近見た夢は飛び魚を追いかけ水平線まで泳いだり、水平線を飛び越え星空を泳いでいました。ポケットに星のかけらが入っていた。首飾りにしよう。夢の首飾りをつけた喜びの夢でした。そうだ!私が作った老人施設の体操ビデオは「長寿体操」です。次は「星空を泳ぐ体操」を作ろう!生きる喜...星空を泳ぐ
イエスは日々「み心が天に行われるとおり地にも行われますように」と祈りなさいと教えています。何が神のみ心なのでしょうか。それは毎日の自分の務めを果たすことです。これも一日中神に祈っていることと同じといいます。仏教の教えも紹介します。一休和尚は「小欲を越え、大欲に生きよ」そうすれば貧しくても心豊かに生きることができ、決してみじめになることはないと述べています。雨の日も風の日もひたすら励む。小さな欲を捨て、大欲(皆様の事を気遣う事)に生きる。そう考えて天に祈っています。豪雨や地震が多いです。世界の皆様、日本の皆様をお守りください。神に祈りを
僕はただの草名も知らないただの草。あの女の子毎日通るけど一度も気づかないだけど雨の日も、風の日もあの子が通るのを待っていた。あの子が泣きながら歩いてきた。そして、やっと僕を見てくれた。淋しくても強く生きている僕を見て元気が出たみたい。僕はただの草名も知らない草だけど人の心に「花」を咲かすことができるんだ。僕は名も知らない古い古いお地蔵さん誰かが悲しい思い出に立てたみたいとても悲しい悲しい思い出に違いないだって僕はいつも胸が痛いからだから、もうそんな悲しい事起きないように僕が守るから安心して僕を見たら手を合わせてくれたら嬉しいな胸の痛みが癒えるからさ。いつまでも忘れない。(毎日通る道に小さなお地蔵さんとたくさんの花束がいつまでもいつまでも耐えない。それを見て20年前に作りました。)草と地蔵
17年前の日記。介護士の研修で老人施設と訪問施設に行きました。全く違う職種で緊張して行きました。ショートステイの男性がやって来ました。彼はこんな所に来たくない。将棋できる人いないか!と大声上げていました。女性スタッフはいつもと同じ事をいう人と無視していました。私は手を上げて将棋のお相手しました。脳梗塞で下半身が不自由になって車椅子に座っていました。一勝一敗で終わり満足してくれました。私は言いました。ずっと心配そうに後ろに立っている女性が気になっていました。え!どんな風の人ですか?着物姿で小太りの女性です。あ!それは昨年亡くなった同居していたかみさんのお母さんだ。この車椅子は彼女の使っていた物です。彼は泣き出してありがとう。今日来てあなたに会えて良かった。私こそ役に立って良かったです。この仕事でもやれる自信...人生泣き笑い
「ChangeisChance.」チェンジ(変化)にこそチャンスがある。(gをcに変えるだけでこの言葉になります)異動辞令に不安を抱いている人に送った言葉です。新しい試みこそチャンスだと歩みましょう。変化はチャンス
昨晩のトピックスニュースに紹介していた、お蕎麦屋さんに嬉しくなりました。お蕎麦に揚げカレーパンを入れたら美味しかった!それから店の看板商品になった。娘に早速カレーパン買って来てもらって蕎麦カレーパン作りました。(インスタント蕎麦だから作るほどのものではない)旨かった!やみつきになりそう。うどん苦手だから、カレー蕎麦は良く食べていた。内の施設の食堂にも頼もうかなカレーパン蕎麦。カレーパン蕎麦
愛犬も亡くし、母も亡くし、続けて兄も亡くし友達も亡くしお世話したお年寄りも亡くした日々。心に淋しさが残り何か記憶に留めて置きたくて昔に書いた詩です。同じ体験持つ人に捧げます。【永訣の日】『さようなら』って言わせて木の葉は散っても木は生きている木が枯れても森は生きているひとつの命が死んでも必ず生まれ変わるんだ春になると木は新しい木の葉をつけ草やお花はパッと大地から芽を出すこのことがずっとずっとつづいていくんだもし死んでいる人に君の悲しい気持ちを話したら君はほっとするかもしれないよだってその人は君の気持ちをよくわかってくれるから大切な人は僕達の思い出の中でずっとずっと生きていくんだわすれないでねありがとうさようならと言わせて(ジム・ジョアン)『忘れないよ』と言わせて木は新しい木の葉をつくり森はあらたな生き物を...永訣の日
【心の涙】私は泣いています。心の中で。私は定年したのに臨時招集されケアマネとして働いています。あるユニットからsos。自尊心が強く暴言、拒否が強い人がいる。私は会いました。私と同じ70代後半の人でした。彼は映画のカメラマンで数々の作品を手掛けてきた。黒澤明、三船敏郎…。私は驚き尊敬した。私はテレビのドキュメントディレクター、戦地のカメラマン、子ども番組もしていたと話してから心打ち溶けた。現場の苦労話などに。書を教えたら喜んで書いてくれました。それが昨日急変して病院で亡くなりました。彼の部屋の壁に彼の書作品が張ってありました。思わず目が熱くなりました。安らかにお休みください。私はクリスチャンですので十字を切りました。続きはあちらでやりましょう。心の涙
「人間は毅然として現実の運命に耐えてゆくべきだ。そこに人生の一切の真理がひそんでいる。」(ゴッホ)奥深い言葉です。いまの与えられた現実を耐えること。それが自分の生きるすべての道の本質があるからです。病気になったこと、体が不自由になったこと、なぜ私だけがこうなったのと悩むことがあるかも知れません。それを乗り越えて生きることが大切とパラリンピックの選手達が教えてくれています。生きていけば必ずいいことある。そう信じて元気出しましょう!と毎日お年寄りに声掛けして手を握って回っています。生きる道
昨日3年ぶりにコロナで閉鎖していた市が運営している無料の銭湯に行って来た。お湯に浸かりながら思い出していた。ここで知り合った気の短いおじいさん。どうしたかな?私は異動で本館のユニットに行った。その時に出会ったおばあさん(昨年肺炎で亡くなった)。涙が出る程悲しい人生歩んで来た。旦那が博打ばかりして、家に一銭も入れないので赤ちゃん栄養失調で亡くしてしまった。睡眠薬ひと瓶飲んで苦しかったから救急車呼んだ。離婚して今の旦那と結婚してなんとか苦労から抜け出せた。その旦那の写真見たらあの銭湯で知り合ったおじいさんだった。おばあさんそれ聞いて3年ぶりに会いたいなと言って亡くなった。おばあさん、銭湯大好きな旦那を知っている人に会えて、誰にも話せない苦労話を聞いてくれる人に会えて私は幸せだよと言ってくれた。出会いは偶然でな...出会いは必然
愛とはその人の自由を見つめること。夫婦愛、親子愛、恋人愛、友人愛、すべてその人に寄り添うことができる人、それが愛だと思う。愛とは見つめる事なんだ。無茶苦茶な私をずっと見守ってくれている人がいるってことに気がつき感謝しています。愛とは
「ある人から悪口を言われたのですが、どうしたら良いですか」と相談されました。いつもこう答えます。お釈迦様だって説法を聞いてくれない人や、理解できない人は無視する。7日も過ぎれば悪口はなくなるものだ。悪口を毒蛇と思え。飛んで来た毒蛇は掴まないでよけるだろう。よけられた毒蛇は行き場所を失い元に戻るしかない。投げた人に戻るのだとお釈迦様は述べます。また、毎日病気を探しているお年寄りがいます。今日は胸が痛い、膵臓が悪い、寒気と吐き気がする、目まいがする、ガンになった・・・。毎日何かの病気を訴えて深刻な顔して起きません。バイタルとれば何ともありません。やっと安心して起きてくれます。「般若心経」の中に「心無けい礙(しんむけいげ)」という言葉があります。悲しいことがあれば、悲しみに心を奪われる。心配ごとがあれば、心配ご...心配事からの解放
竹の竿の先に五色の糸を飾って星に祈ると三年の間に必ず願いが叶うと言われた宮中行事が、江戸の頃庶民の行事として定着した。竹に五色の願いの糸を垂らすだけでしたが、元禄の頃には色紙や短冊に和歌を書いて吊るすようになり、さらに願い事を書くようになり現代へと続いている。あなたが好きは赤遠くにいる人へ青はしゃいでいる二人は黄二人の幸せを祈る白神様に願いを祈る紫「七夕をまつる心はひとつにて願いの糸はおのがすぢすぢ」源頼政(みなもとのよりまさ)あなたは何色の紙に願いを書きますか?私は紫の紙に願いを書くでしょう。皆様の健康を願います。七夕の準備
「安心とは一人じゃないことなんだ。」あるクリニックで何年ぶりか知り合いのナースに会った。私に何か憑いていませんか?突然聞かれた。アハハ、大丈夫だよ。と言うと安心して帰って行った。私とまだ繋がっている安心を感じたのでしょうか。皆様の安心にもなればありがたいです。安心
年をとると失うものが多い。両親、兄弟、友人、同僚、視力、聴力、腕力、記憶…。全ての財産を喪失していく。その不安や淋しさに負け、心とじる人もいます。人は木石にあらず。人は枯れ木や石ではない、喜びも悲しみも持つ感情ある生き物です。失うと言う考えでなく、生きる栄養となって『消化』したと思えばよい。失ったものをいつまでもくよくよする事なく、新たな喜びに感動する栄養をとりましょう。生きるて心の栄養一杯とることだから。江戸時代の女流俳人加賀千代女の「朝顔につるべ取られてもらい水」が有名ですが、私は違う句が心にしみています。「蜻蛉(とんぼ)釣り今日は何処まで行ったやら」幼い子どもを病で亡くし、その悲しみを抑え、あの子は今日も蜻蛉取りに行っていないんだと懸命に耐えている姿に心打たれています。この場も心の栄養補給となります...心の栄養
ある古典の中から素敵な言葉を思い出しました。《恋の蛍》です。「あまひこよ雲のまがきにことづてん恋のほたるは燃えてはてぬべし」(平祐挙・たいらのすけたか)「恋にこがれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身をこがす」鳴かない蛍は光ることで想いを表し、まるで身を焦がしているようだ。なんと素敵でロマンチックな言葉でしょう。私なら「燃え尽きて夜空をこがす遠(とお)花火鳴かぬ蛍も身をこがす」遠くに見える花火は音は聞こえないが夜空を焦がしている。暗闇を音もなく1匹の小さな蛍がほんのり照らす姿は秘めた思いで身を焦がし、みんなの願いを叶える光明蛍のようだ。私もそんな蛍になろう。恋の蛍
昨日川崎の老人施設に書道教師として行きました。一人の女性ベテラン介護士が助けを求めて来ました。仕事場でも自宅でもゴミ箱の蓋が浮いてドラムのように叩いていたり、、不思議なことばがり怒って怖いと。私は成仏できない魂が私に近づくようにしていたと感じて成仏させました。その魂が残した言葉が「私が近づくと怖くて慌てて成仏したくなった」でした。私の守護霊がよほど怖いのでしょうか?よく言われます。私の呪文ですか?「もう充分修行したでしょう。お疲れ様でした。」です。魂の鎮魂
人はみな悩みながら生きるものです。徳川家康だって、武田信玄にこてんぱんに敗(やぶ)れて、必死で逃げたといいます。その自画像を絵に描かせて、生涯の戒めにしたといいます。忠臣蔵の大石内蔵助も、はやる気持ちを抑えるようにと、寺の住職にさとされたといいます。討ち入り(12月14日)の前日、寺の住職に泣ける礼状を出していました。誰もが悩みながら生きていた証です。だから、あなたも悩むのは当たり前です。「人生は苦痛であり、人生は恐怖である。だから人間は不幸なのだ。だが、人間はいまでは人生を愛している。それは苦痛と恐怖を愛するからだ。」(ドストエフスキー)「七転八倒」つまづいたりころんだりするのが人生。(禅語)悩まぬ人生などない。そう考えれば少し楽になりませんか。人生は1回のみ、1回で充分だ。悩みながら生きる