群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
草花に埋もれた手宮線。小樽築港駅の貨物線は港の南側を網羅していましたが、手宮線は北側と接続。1985年の廃止直前にはほとんど貨物列車がない状態でした。
草に埋もれながら残されていた小さな踏切。港の線路が跡形もなく消えていったのとは対照的に、南小樽駅から分岐していた手宮線は大部分が廃止後も残されていました。
特徴的な石積み倉庫が並ぶ小樽の街。かつては海側に函館本線の小樽築港駅と廃止された手宮駅から数多くの引込線が分岐。この倉庫街も道路の片側が廃線跡で、小樽築港駅から廃止さ…
シェルターをくぐる電車。トンネルではなく、飛行場の滑走路延長上で地下に潜るためのもので、飛行場周辺の鉄道で見られる構造です。 未開発の丘と田園を横切っていた長閑な地…
東名自動車道が相模大塚駅のすぐ東をくぐっており、南に分かれた貨物線は駅の南側で高速道路を横断。道路橋との珍しい併用橋で、貨物輸送廃止後も軍用でありがちな線路そのままで…
相模大塚駅西側。飛行場への軍用燃料輸送が行われていた支線の跡。相模大塚駅から側線に出て、折り返して右奥へと向かっていました。既に住宅地に飲み込まれて、廃線跡がわからな…
珍しい無蓋緩急車トフ400。無蓋車の中央に小さな車掌室を付けた貨車は古くから存在。貨車の近代化で消えていった狭小な車掌室。脚光を浴びる事のな…
車両基地の隅に置かれた電気機関車ED11。メーカーの性格が強く出た小柄な半流線形。最後まで残った軍用燃料輸送に使われていました。
空中で途切れる高架橋。 かしわ台駅の車両基地は丘の上に線路を広げたため、引上線の敷地が足りずに丘からはみ出る珍しい構造。
起伏に富んだ台地にある、かしわ台駅。発着するのは乗り入れてきた埼京線。かしわ台駅には面積が限られている丘の片隅に造られた車両基地が隣接。実際に手狭なようで、近隣の相模…
台地が切れる手前にある相模国分信号所。今も残る、小さなホームや側線。ここから曲がって海老名駅に向かう方が本線になり、直進する方が旅客輸送がない支線になりました。
相模線と分かれた後の相模鉄道貨物線。築堤上を通っているのはこのまま海老名市東部の台地へ登るため。住宅地は台地の上に広がり、低地はほぼ全て田畑。ガード橋の向こうは団…
厚木駅から北へ。車庫に出入りする電車しか通らない手前の相模鉄道と対照的に、電車になって運転状況が改善された相模線が頻繁に発着。 今でこそ住宅地になっていますが、右の…
相模線と並んで残る、相模鉄道の厚木駅。西横浜駅の連絡線が廃止された後は厚木駅で国鉄と接続。セメントなどの扱いがありましたが、最後まで残った軍用燃料輸送も廃止されて…
南北を結んでいた貨物側線が撤去されて道路側に設置された新ホーム。まるで終点のように、ホームに挟まれている厚木駅。
小田急電鉄の擁壁下にあった構内踏切。厚木駅は相模鉄道だけでなく、向こう側にあった連絡線で小田急電鉄とも接続。3社の貨物列車が連絡していた古き地方私鉄の要衝。
多くの側線があった厚木駅でしたが、貨物輸送廃止で空いた用地にホームを新設。反対側のホームは廃止されたものの、時間が止まったままで残されています。
相模線の厚木駅。1926年に南から延伸されてきた相模鉄道と横浜から西へ建設された神中鉄道が接続した場所で、小田原急行鉄道も1年遅れて上を乗り越す形で開通。相模鉄道と神中鉄…
西寒川駅の線路は途切れて、その先は道路。 元々、西寒川駅は末端の小さな駅だったわけでなく、古くは貨物線の途中に位置。国鉄買収以前の1921年、相模鉄道が茅ヶ崎駅から川寒…
廃線跡の遊歩道は八角公園まで。ここは支線の終点・西寒川駅があった場所。短いホームも整地されて残されていません。
花咲く公園の一角。もう何も通らない線路の姿。
住宅地に囲まれて、憩いの場所となっている一之宮公園。木の枕木に釘止めしただけの簡素な線路がそのまま残る廃線跡。
支線の中間が公園として整備された廃線跡。車輪がオブジェとして置かれている踏切跡。
寒川駅北側、寒川神社鳥居のすぐ近くで広がっている敷地。本線上から分かれていた支線の跡で、1984年まで支線が南西の相模川河川敷脇にあった西寒川駅へと続いていました。
相模線の寒川駅。電化されて木造駅舎もなくなりましたが、どこか落ち着いた雰囲気があります。
専用線はここからすぐ右へ、他にも本線に沿って南北にも専用線がありました。工場跡などは商業施設と住宅地に変わっています。
相模線が茅ヶ崎駅を出て、急カーブを曲がってすぐの場所にある北茅ヶ崎駅。駅そのものは側線2本の小さな駅でしたが、工業団地に複数の専用線が分岐する貨物列車の中継地点でした…
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群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
段々と市街地を離れて。2両編成の電車が走る佐野線。かつて終点の葛生駅から石灰石・セメント輸送があった、高度成長期を支えていた路線の今。
館林駅から東へ分かれて行く佐野線。葛生の石灰石を国鉄の佐野駅まで運んでいた佐野鉄道が東武鉄道と合併し、その後に館林・佐野間が開通して今の佐野線に。東武鉄道での貨物輸送…
館林駅から西へ分かれて行く小泉線。館林・小泉町間の中原鉄道として開通し、東武鉄道合併後に戦時輸送で小泉町・西小泉間と東小泉・太田間が造られて二又の支線に。西小泉駅の先…
館林駅の北側、伊勢崎線沿いにある車両基地。細長い用地にあり、電車は縦列で停車。連結器があれば繋がっているくらい間近に止められています。
館林駅北にある踏切。駅の変遷と密接に関わっていて、駅西側が再開発されて新しい道路が開通するまで、駅の両側を結ぶ主要道路でした。今は自動車禁止になり、ランプも×印が…
先頭車のパンタグラフが特徴的な3両編成。伊勢崎線は逆走しているのではなく、館林駅から北側が単線区間。右は分かれていく佐野線です。
館林駅に隣接する新しい食品プラント。かつてのサイロは姿を消し、港からやってきたホッパ車も見られなくなりました。
館林駅に残る側線。駅の北に車両基地、南に小さな工場があり、その間に位置する電留線のようになっていますが、かつては貨物列車が並んでいた線路。隣接して食品工場の倉庫とサイ…
浅草行の特急電車。伊勢崎線の特急は太田止まり以外ほとんどが赤城行で、群馬県東部の連絡に主軸を置いています。
ホーム端の切り欠きホームが特徴の館林駅。運転系統が南北で分断されており、特急電車以外のほとんどが始発になっています。
2両編成の8000系が特急電車と並ぶ館林駅。伊勢崎線から東へ佐野線、西へ小泉線が分かれる分岐点。利根川と渡良瀬川に挟まれた沼が多い城下町。東へ細長く飛び出た群馬県が栃木県…
かつての工場は花咲く丘に変わり、貨車の向こうには霞む浅間隠山。草津温泉への道中でしたが、西にも道路が開通して静かになってしまった六合村。
従来の15t積から17t積に拡大した大柄な2軸有蓋車。17000両以上も造られた黒い貨車のトップナンバーは保存施設入口のシンボルに。
太子駅の上、工場跡地の丘で保存されている有蓋車ワラ1。国鉄を代表する2軸貨車は標高700mの山間部。ここまで風光明媚な場所で保存されている貨車は珍しい存在です。
京都市で保存されていた車掌車ヨ6720。小柄なヨ6000はホッパーのある山の貨物列車によく合います。
茨城交通の無蓋車トラ15。国鉄トラ55000に似たタイプで、元は東武鉄道が杉戸工場で自作した17t積無蓋車。保存されている無蓋車の中では近代的な貨車で、海に近い車庫から山へとや…
綺麗に補修された無蓋車ハト37・ハト152。遠く九州の大牟田駅東側、三井専用鉄道の隅に止められていた小さな貨車。専用鉄道は三井三池炭鉱と港・工場を網羅する大規模なもので…
大井川鉄道からやってきた無蓋車ト111。1930年代の鋼製車ながら古典的な小型車。国鉄では戦後の輸送力拡大に対応出来ないので10t積は早くから淘汰が進みましたが、私鉄車だっ…
鉱石輸送に縁がある無蓋車を収集・保存している施設。廃墟と化した積み込みホッパーと傷んだ木製扉の無蓋車。時代のコントラスト。 トラ51862は1960年代始めに造られた木製扉のトラ4…
荒子川を渡る橋。公園の歩道となったガード橋の上にはあおなみ線の吊り橋。同じ鉄道橋ながら全く違う存在感。
新しい高架橋は広々とした団地の中を南へ。この向こうにある港北駅は高架化された西名古屋港線が地上に降りていた部分で、中部鋼鈑の専用線が分かれる部分でもありました。高架橋の真下は…
ここは国鉄時代の高架橋から新設された高架橋に切り替わる部分。西名古屋港線は現在のあおなみ線下り側に線路を敷いて使っていましたが、ここから南側は西名古屋港線の左右に並んでいた複線の…
高架脇に残る地上時代の廃線跡。もう当時の面影は残っていませんが、駐車場の左角にある踏切の基部が歴史を物語っています。
南方貨物線が途切れたまま建設中止になった一方で、西名古屋港線は踏切解消の名目で途切れていた部分を単線高架橋でつないで国鉄末期に高架化。建設当時は高架橋と道路橋の隙間を通って、西名…
西名古屋港線の途中に新しいコンテナ対応の貨物駅として開業した名古屋貨物ターミナル駅。1980年5月1日の開業日は名古屋港駅の先にあった堀川口駅の廃止日で、最後には名古屋駅の南に広が…
小本駅の西に残るカーブした敷地。 貨物列車の主要ルートになるはずだった南方貨物線は名古屋貨物ターミナル駅に合流し、そこからは複線化された西名古屋港線が東に向きを変えて名古屋駅へ…
希少なコキ250000の向こう、休憩室に使われていたコンテナ緩急車コキフ50000の車掌室部分。車掌業務が無くなって以降もしばらくはコキ50000に混じって使われ、いつし…
開業当初から電化が準備されながら、DD51が出入りしていた名古屋貨物ターミナル駅。ディーゼル機関車を置き換えた国鉄の電気機関車も姿を消し、並んでいるのは広島の…
待機中のハイブリッド機HD300-11。臨海鉄道のディーゼル機関車が姿を消した今の名古屋貨物ターミナル駅。
大都市の片隅に残っていた転車台。国鉄時代から名古屋客貨車区の客車・気動車の転向をしてきましたが、今は1両も客車が存在しません。
名古屋駅を出たEF210-112があおなみ線へ。ささしまライブ駅の東側は全て貨物駅だった笹島駅の跡地で、西名古屋港線の築堤横から大規模なコンテナホームが向こうの新幹線に突き当…
名古屋駅の西名古屋港線部分にはホームが造られて名古屋臨海高速鉄道に。使われないままの平らなホーム端部。
名古屋駅を通るEF210-309。名古屋貨物ターミナル駅へ向かう通路になっている新幹線横の単線。
南郊運河沿いの高架橋は西名古屋港線のすぐ手前で建設が止まり、接続は実現しませんでした。空き地に残された高度成長期の置き土産。
遊歩道は西名古屋港線から分かれて中部鋼鈑の北側に繋がっていた専用線の跡。専用線とは別に、壁の向こうには工場を繋いでいた専用鉄道のレールが今も残っている、色々な鉄道が紆…
中部鋼鈑の西端、橋脚が乱立する遊歩道。南方貨物線はここで高さを変えながら単線高架の西名古屋港線を跨いで名古屋貨物ターミナル駅へ。
中部鋼鈑の中を北へ曲がる南方貨物線。遮音壁まで存在し、完成状態だった高架橋。
南郊運河沿いでは1970年代のうちに高架橋の大部分が完成しましたが、道路を跨ぐ部分は全て撤去済み。再利用されているとも、放置されているとも言えない、負の遺産。
埋められた運河と使われなかった高架橋。不可思議な人工の景観。