フォッサマグナの北側、山に囲まれた糸魚川駅。急峻な北陸本線沿線で新潟県に入って最初の大きな街。この先にある交直デッドセクションを通過する関係で、新たに導入された車両は…
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
中古国鉄車の時代は終わり、新車が発着する長野駅。
かつての信越本線。経営分離から年月が経ち、歪な鉄路へと乗り入れる篠ノ井線。
広くなり始める空。林の向こうに見えてくる成田空港。成田新幹線の道を歩むスカイライナー。
横須賀線から東京駅を経由してやって来た快速。新幹線の代わりにトンネルを抜ける通勤電車。
冬枯れた田園地帯。空港まであと少し。
成田新幹線に代わって走り始めたスカイライナー。起伏に富んだ山林は空港建設前から残る原風景。
用地買収すらされなかった他の区間と対照的に、空港近郊では建設が進んだ成田新幹線。成田線近くで高架橋が切り替わり、高架駅のような二段構造に。成田新幹線の計画にはなかった…
成田駅の北1.8km、成田線のすぐ東側から始まる高架橋。ここまら空港までの区間は成田新幹線として建設された部分で、放置されていた施設を再利用する事になり、1991年に成田駅か…
成田湯川駅の下をくぐる成田線我孫子支線。田園地帯は新線建設で激変。少しずつ周囲も宅地化が進んでいますが、成田線には駅がなく、成田市街に鉄道で行くことは出来ません。 …
新幹線のように通過線を駆け抜けるスカイライナー。 北千葉線の計画を踏襲した通勤路線は印旛日本医大駅まで、その先は新たに計画されたスカイアクセス線。成田湯川駅はス…
大きな掘割の南側に造られた千葉ニュータウン中央駅。 北総開発鉄道は手前の小室駅まで、計画では平行する北千葉線が新鎌ヶ谷駅から千葉ニュータウン中央駅を経由して成田方面…
掘割を跨ぐ陸橋の下で保存されている7000系。開業当初に新京成電鉄へ乗り入れていたステンレス車が車庫だった西白井駅で保存されています。
当初は新京成電鉄の北初富駅から小室駅までの暫定開業だった北総開発鉄道。団地が見下ろす西白井駅に小さな車庫が造られましたが、路線延長で車庫は保線基地に変わっています。
千葉ニュータウンの掘割を走るスカイライナー。 2路線分の大きな掘割は頓挫した鉄道計画の名残で、掘割の北側は小室駅までが北総開発鉄道、千葉ニュータウン駅から先の北側は…
空が広い東松戸駅。当初はホームの片側使用だった駅は全面利用になり、追加された線路で特急の追い越しが行われています。
都心を抜けたスカイライナーは郊外へ。ニュータウンの通勤路線は変遷を重ねて、特急が走るようになりました。
長距離列車に対応していた長いホーム。高度成長期の設備が今も残る、静かな五日町駅。
ホッパ車とタンク車が並んでいた側線は草の中。山越えしたEF64やEF65が止まっていたのは、ずっと前の出来事。
地方駅ではありふれていた、駅舎の横にある切り欠きホーム。有蓋車からトラックに積み替えていた時代の名残。
どこまでが線路かわからない草木に埋もれて。貨物列車だけでなく、旅客列車も少ない上越線。
五日町駅の東側にはセメントターミナルの他に石油施設もありました。国鉄末期に貨物輸送が縮小された後も、各地で残っていた大小様々な石油輸送。
建屋の中で眠りについていたモーターカー。専用線のあるどの駅でも見られた、今はもうほとんど残っていない小さな機関車。
短い専用線はそのまま住友セメントへ。ガレージのようなシャッターが専用線で、1両づつ荷役していた設備。
五日町駅の北側に残る小さな踏切。ほとんどそのままで残り、時間だけが過ぎてきた専用線。
いつも貨物列車の姿があったはずの五日町駅。沢山のトラックが出入りしていた広い駐車場。
5本もあるセメントターミナルのサイロ。上越新幹線、高速道路、ダムと建設需要が続き、大量輸送が行われていました。未完成だった北越北線が北越急行として開通し、国鉄民営化後…
南端にある空の建屋。止まったままの時間。
五日町駅に並んだセメントサイロ。関東から山を越えた貨物列車が到着していた側線は草に埋もれています。
閑静な駅前の向こう側に並び立つサイロ。高度成長期が激変させた町。
山を越えた上越線は南魚沼の田園地帯へ。上越新幹線と接続する浦佐駅の手前、静かで大きな五日町駅。
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。
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荷物電車クモニ143から牽引車に改造されたクモヤ143-52。 荷物電車には吊り掛け駆動の旧型電車に新製車体を組み合わせた改…
篠ノ井線経由で貨物列車を引いてやって来たEF64-1027。勾配用電気機関車EF62やEF64-0番台が歩んだ道を支えてきたEF64-1000番台にも交代の時が迫って来ました。
地方線近代化で身延線に115系と共に導入された郵便・荷物電車クモユニ143-1。登場があまりに遅く、国鉄末期に生ま…
高架下を走る115系。北陸新幹線が造られた後も信州で第二の人生を歩んでいる近郊形電車。
長野工場で入換を続けてきた小型ディーゼル機関車DD16-11。余剰化したDD16を工場の入換機に使う動きは国鉄末期からありましたが、11号機は現代まで稼働し続けてきた小さ…
最後まで残った石油輸送は奥にあった油槽所へ。北館林荷扱所から分かれていた専用線は更地に変わりましたが、工業団地は貨物輸送廃止時よりもむしろ拡大。旺盛な需要の隣、物を言…
専用線がなくなって、貨物駅だけが残された北館林荷扱所。東武鉄道で最後の貨物輸送があった拠点に並ぶ、行き場を無くした電車。
佐野線の渡瀬駅近く、1972年に開業した北館林荷扱所。私鉄の貨物駅新設は珍しく、工業団地建設に合わせて開業して、右の食品工場からの出荷に対応していました。
群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
段々と市街地を離れて。2両編成の電車が走る佐野線。かつて終点の葛生駅から石灰石・セメント輸送があった、高度成長期を支えていた路線の今。
館林駅から東へ分かれて行く佐野線。葛生の石灰石を国鉄の佐野駅まで運んでいた佐野鉄道が東武鉄道と合併し、その後に館林・佐野間が開通して今の佐野線に。東武鉄道での貨物輸送…
館林駅から西へ分かれて行く小泉線。館林・小泉町間の中原鉄道として開通し、東武鉄道合併後に戦時輸送で小泉町・西小泉間と東小泉・太田間が造られて二又の支線に。西小泉駅の先…
館林駅の北側、伊勢崎線沿いにある車両基地。細長い用地にあり、電車は縦列で停車。連結器があれば繋がっているくらい間近に止められています。
館林駅北にある踏切。駅の変遷と密接に関わっていて、駅西側が再開発されて新しい道路が開通するまで、駅の両側を結ぶ主要道路でした。今は自動車禁止になり、ランプも×印が…
先頭車のパンタグラフが特徴的な3両編成。伊勢崎線は逆走しているのではなく、館林駅から北側が単線区間。右は分かれていく佐野線です。
館林駅に隣接する新しい食品プラント。かつてのサイロは姿を消し、港からやってきたホッパ車も見られなくなりました。
館林駅に残る側線。駅の北に車両基地、南に小さな工場があり、その間に位置する電留線のようになっていますが、かつては貨物列車が並んでいた線路。隣接して食品工場の倉庫とサイ…
浅草行の特急電車。伊勢崎線の特急は太田止まり以外ほとんどが赤城行で、群馬県東部の連絡に主軸を置いています。
ホーム端の切り欠きホームが特徴の館林駅。運転系統が南北で分断されており、特急電車以外のほとんどが始発になっています。
西名古屋港駅跡を離れたあおなみ線はさらに先へ。稲永東公園の南側にある入江の築堤は西名古屋港駅から西へ分かれていた貨物線の跡で、車両基地への分岐点から先の高架橋もここまでと同じく廃…
歩道部分に残る斜め踏切の跡と専用線のゲート。再開発が進む埋立地に残る、数少ない記憶。
割と新しい強固なコンクリート舗装の道路。斜めに曲がった側溝はかつて踏切があった頃の名残。
西名古屋港駅から南の埠頭へ斜め踏切が3箇所連続していた道路。現代でも石炭埠頭は操業中ですが当時を偲ぶ物は少なくなりました。
西名古屋港駅の跡地を再利用して造られた名古屋臨海高速鉄道の車庫。民営化後も残った貨物駅の西名古屋港駅でしたがコンテナ扱いがなく、コンテナが積まれた港との関わりは段々と失われていき…
車両基地へ降りる高架橋が分かれて地上へ。西名古屋港線の終点、貨物駅の西名古屋港駅があった場所。埋立地が拡大したりしたものの、倉庫の佇まいなど周囲はそれほど変わっていません。
あおなみ線の電車が荒子川公園駅へ。荒子川公園は運河が荒子川に合流する予定地だった場所で、2km東にある名古屋港線が橋を渡っていた港北運河の延長。戦後に建設が始まった運河は先に造られ…
荒子川のガード橋は西名古屋港線のもの。1950年の開通時は周辺に農地が広がっていました。
荒子川を渡る橋。公園の歩道となったガード橋の上にはあおなみ線の吊り橋。同じ鉄道橋ながら全く違う存在感。
新しい高架橋は広々とした団地の中を南へ。この向こうにある港北駅は高架化された西名古屋港線が地上に降りていた部分で、中部鋼鈑の専用線が分かれる部分でもありました。高架橋の真下は…
ここは国鉄時代の高架橋から新設された高架橋に切り替わる部分。西名古屋港線は現在のあおなみ線下り側に線路を敷いて使っていましたが、ここから南側は西名古屋港線の左右に並んでいた複線の…
高架脇に残る地上時代の廃線跡。もう当時の面影は残っていませんが、駐車場の左角にある踏切の基部が歴史を物語っています。
南方貨物線が途切れたまま建設中止になった一方で、西名古屋港線は踏切解消の名目で途切れていた部分を単線高架橋でつないで国鉄末期に高架化。建設当時は高架橋と道路橋の隙間を通って、西名…
西名古屋港線の途中に新しいコンテナ対応の貨物駅として開業した名古屋貨物ターミナル駅。1980年5月1日の開業日は名古屋港駅の先にあった堀川口駅の廃止日で、最後には名古屋駅の南に広が…
小本駅の西に残るカーブした敷地。 貨物列車の主要ルートになるはずだった南方貨物線は名古屋貨物ターミナル駅に合流し、そこからは複線化された西名古屋港線が東に向きを変えて名古屋駅へ…
希少なコキ250000の向こう、休憩室に使われていたコンテナ緩急車コキフ50000の車掌室部分。車掌業務が無くなって以降もしばらくはコキ50000に混じって使われ、いつし…
開業当初から電化が準備されながら、DD51が出入りしていた名古屋貨物ターミナル駅。ディーゼル機関車を置き換えた国鉄の電気機関車も姿を消し、並んでいるのは広島の…
待機中のハイブリッド機HD300-11。臨海鉄道のディーゼル機関車が姿を消した今の名古屋貨物ターミナル駅。
大都市の片隅に残っていた転車台。国鉄時代から名古屋客貨車区の客車・気動車の転向をしてきましたが、今は1両も客車が存在しません。
名古屋駅を出たEF210-112があおなみ線へ。ささしまライブ駅の東側は全て貨物駅だった笹島駅の跡地で、西名古屋港線の築堤横から大規模なコンテナホームが向こうの新幹線に突き当…