幅広い架線柱ですが既に架線は撤去済み。大きな駅に市街地のような橋上駅舎。貨物列車の発着は無くなり、ホームも1本しか使われなくなってしまいました。
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
本年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願い致します。
貨車を引かず、EF65だけになった末期。やってきた石炭輸送の終焉。
再開発で立ち並んだビルを背景に。EF64に代わってEF65が先頭に立った石炭輸送。
夕暮れ時。青いタキ43000の手前に止まったホキ10000。巨大な操車場がなくなった後も生き残っていた黒い貨車。
頑丈な車止めで終わる線路。帝釈天への連絡で110年。
常磐線の金町駅前にある京成金町駅。隙間に収まったような終着駅。
都内では希少な国道の踏切がある金町線。単線ながら本数が多く、踏切と交差点が一体で混雑しやすいため、交差点を通過する陸橋が上に造られています。 西に1km進んだ場所の閑…
開業当初に造られた歴史ある金町線。車両が変わっても風情が残っている、都内では珍しい単線区間。
高架から降りる金町線。地上の連絡線は回送用で、直通運転はなくなってしまいました。
参拝用で生まれた私鉄はニュータウン・空港連絡へ変遷。同型車が同時発車する京成高砂駅。
京浜急行も発着する京成高砂駅。隣の青砥駅だけでなく、京成高砂駅でも検車区への出入りで折り返しが存在。頻繁にやってくる赤い電車。
京成本線と金町線の間に広がる高砂検車区。路線の中央に位置する運行拠点。
4両編成の電車が折り返す金町線ホーム。金町線は京成高砂駅の構造上、元は京成本線への直通が前提でしたが、高架化で完全に分離。ここから始まるわずか2.5kmの旅路。
様々な私鉄が接続しており、やってくる電車も様々。空港連絡が生み出したネットワーク。
金町線ホームが覆いかぶさった京成高砂駅。変わらない街並みの空を覆う鉄の蓋。
あまり変わらない西側に対して、劇的に変化した京成高砂駅の東側。過密区間ながら踏切が存在するため、他の駅よりも高架化が望まれていましたが、3路線の分岐と車両基地の出入り…
社寺が多い街。時代のコントラスト。
青砥駅から平行してきた京成本線と押上線は京成本線と北総鉄道に分離。一見するとシンプルな駅ですが、同方向の電車が並び続ける過密区間です。
中川を越えて京成高砂駅へ。「高砂駅」は周辺に存在しませんが「京成」と付いている珍しい駅。
豪華編成、旧型1等車、末期の改造イベント客車。大都市の中で静まり返った、草に覆われている車両基地の片隅。 客車が歩いて来た時代の、一つの終着点。
入換中にほんの刹那、定期運行では見せなかった顔をのぞかせたオハネフ25-502。終わろうとしていた、ブル…
「トワイライトエクスプレス」で唯一の角形クーラーだったスシ24-3。定期運行を終えた食堂車。
連絡線を活用して向きが北海道用から西日本用に変えられたオハネ25-563。新大阪駅から飛び出た三角形で進む入換作業。
1両だけ置き去りにされたオハ12-352。旧型客車が淘汰された民営化直前でも200両以上も客車が配置されていた宮原客車区。今ではもう、す…
国鉄のイメージアップで各地に登場したイベント用車両。臨時列車の減少で余剰になった12・14系客車を改造し、鉄道管理局ごとに企画。1983年に「サロンエクスプレス東京」とと…
21時間の行程中、ほとんどの時間で営業していたダイナープレアデス。特急電車で使われていた国鉄時代よりも忙しい時を過ごしていた食堂車スシ…
北陸を走っていた特急電車489系の食堂車から改造されたスシ24-2。客車と全く異なる断面構造に初期の特急電車で使われていたキノコ型クーラー…
国鉄末期に造られた4人用個室カルテットに対して、B寝台車に仕切り扉を追加しただけのコンパートメント。改造車で組まれ…
1両全てフリースペースだったオハ25-553。日本海を見下ろす構造で、片側がハイデッカー。食堂車とともに夜のパブタイムが設定されてい…
不思議な窓配置だったオハネ25-521。片側通路のツインと中央通路のシングルツインを1両にした合造車。二段窓のツインはB…
オハネ25-512の小さな窓はミニロビー。21時間に及ぶ個室の旅で息抜き出来るよう、ソファと自動販売機がありました。 …
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幅広い架線柱ですが既に架線は撤去済み。大きな駅に市街地のような橋上駅舎。貨物列車の発着は無くなり、ホームも1本しか使われなくなってしまいました。
草に埋もれて広々とした駅、通過する国鉄生まれの電車。糸魚川駅とともに地域産業の拠点だった青海駅。
新潟県内を結ぶ観光列車。変わり続ける北陸本線。
終点の糸魚川駅へ到着する大糸線キハ120-354。キハ52に替わって姫川沿いを走る軽快車。 1915年に開業した信濃鉄道が松本盆地北端の大町まで到達、ここから糸魚川に向かうので…
糸魚川駅のすぐ近く、小学校で保存されてきたC12-88。学校内に置かれていたものが整備されて公園に。大糸線の歴史を物語る小さな蒸気機関車は、貨物施設が無くなって目…
糸魚川駅の下には資料館と観光施設。入口に飾られた小型蒸気機関車は明星セメント専用線の分岐点近くから北に向かっていた東洋活性白土の専用鉄道で1982年の廃止まで使われた…
新幹線の高架橋が造られて大きく変わった糸魚川駅。出口がなかった南側、貨車が並んでいた側線は無くなり、機関庫の壁が復元された駅前。 国鉄の代表的な一般形気動…
糸魚川駅から西へ、大糸線に続いて南に分かれていた明星セメント専用線。田園を横切る築堤にはもう繋がっていないレールが残されたまま。
新幹線が開通した後も以前の雰囲気を残している糸魚川駅西側。交流60Hz区間の北限で、交流機EF70が国鉄末期まで活躍していた北陸本線の拠点。デッドセクションに向けてパンタグラ…
フォッサマグナの北側、山に囲まれた糸魚川駅。急峻な北陸本線沿線で新潟県に入って最初の大きな街。この先にある交直デッドセクションを通過する関係で、新たに導入された車両は…
荷物電車クモニ143から牽引車に改造されたクモヤ143-52。 荷物電車には吊り掛け駆動の旧型電車に新製車体を組み合わせた改…
篠ノ井線経由で貨物列車を引いてやって来たEF64-1027。勾配用電気機関車EF62やEF64-0番台が歩んだ道を支えてきたEF64-1000番台にも交代の時が迫って来ました。
地方線近代化で身延線に115系と共に導入された郵便・荷物電車クモユニ143-1。登場があまりに遅く、国鉄末期に生ま…
高架下を走る115系。北陸新幹線が造られた後も信州で第二の人生を歩んでいる近郊形電車。
長野工場で入換を続けてきた小型ディーゼル機関車DD16-11。余剰化したDD16を工場の入換機に使う動きは国鉄末期からありましたが、11号機は現代まで稼働し続けてきた小さ…
最後まで残った石油輸送は奥にあった油槽所へ。北館林荷扱所から分かれていた専用線は更地に変わりましたが、工業団地は貨物輸送廃止時よりもむしろ拡大。旺盛な需要の隣、物を言…
専用線がなくなって、貨物駅だけが残された北館林荷扱所。東武鉄道で最後の貨物輸送があった拠点に並ぶ、行き場を無くした電車。
佐野線の渡瀬駅近く、1972年に開業した北館林荷扱所。私鉄の貨物駅新設は珍しく、工業団地建設に合わせて開業して、右の食品工場からの出荷に対応していました。
群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
段々と市街地を離れて。2両編成の電車が走る佐野線。かつて終点の葛生駅から石灰石・セメント輸送があった、高度成長期を支えていた路線の今。
有蓋車の代用で蒸気機関車の部品を運んだ長物車チキ6366。コンテナ車から長物車に改造された後、再びコンテナを積む事になっ…
イベント用で残っていた車掌車ヨ4647。展望デッキのような使われ方をしていた黒い二軸車。
函館駅のオハ14-519。特急電車に似た車体構造の客車は流転の末に旧型客車の塗装で。
寝台急行「はまなす」廃止で廃車が進んだ中、それよりも前に蒸気機関車運転用に改造されて残ったスハフ14-505。函館駅に止まるあずき色。
旧型客車淘汰と鉄道縮小の狭間に生まれた普通列車用50系の北海道仕様51形客車。ディーゼルカーに改造される車両が多い中…
広大な北の鉄路に砂利散布を続けてきたホッパ車ホキ881。古き伝統を感じさせる黒い貨車。
函館駅に隣接する函館運転所はいつしか運輸所に名を変えて。電車・気動車・客車・貨車が詰め込まれた港町。
対岸の青森駅と同様に連絡船が保存された函館駅。函館山が見下ろす、もう使われていない岸壁の摩周丸。
あおなみ線はさらに南、廃線跡ではない新規の用地を通って金城埠頭へ。工業地帯の中、貨物列車が通らない高架橋。
野跡駅から南へ向かう高架橋。北側は高度成長期の頃から団地でしたが、駅が出来たのは半世紀も後の事。ここから南側は再び工業地帯の様相で、西名古屋港駅から分かれた貨物線はこの辺りで道路…
西名古屋港駅跡を離れたあおなみ線はさらに先へ。稲永東公園の南側にある入江の築堤は西名古屋港駅から西へ分かれていた貨物線の跡で、車両基地への分岐点から先の高架橋もここまでと同じく廃…
歩道部分に残る斜め踏切の跡と専用線のゲート。再開発が進む埋立地に残る、数少ない記憶。
割と新しい強固なコンクリート舗装の道路。斜めに曲がった側溝はかつて踏切があった頃の名残。
西名古屋港駅から南の埠頭へ斜め踏切が3箇所連続していた道路。現代でも石炭埠頭は操業中ですが当時を偲ぶ物は少なくなりました。
西名古屋港駅の跡地を再利用して造られた名古屋臨海高速鉄道の車庫。民営化後も残った貨物駅の西名古屋港駅でしたがコンテナ扱いがなく、コンテナが積まれた港との関わりは段々と失われていき…
車両基地へ降りる高架橋が分かれて地上へ。西名古屋港線の終点、貨物駅の西名古屋港駅があった場所。埋立地が拡大したりしたものの、倉庫の佇まいなど周囲はそれほど変わっていません。
あおなみ線の電車が荒子川公園駅へ。荒子川公園は運河が荒子川に合流する予定地だった場所で、2km東にある名古屋港線が橋を渡っていた港北運河の延長。戦後に建設が始まった運河は先に造られ…
荒子川のガード橋は西名古屋港線のもの。1950年の開通時は周辺に農地が広がっていました。
荒子川を渡る橋。公園の歩道となったガード橋の上にはあおなみ線の吊り橋。同じ鉄道橋ながら全く違う存在感。
新しい高架橋は広々とした団地の中を南へ。この向こうにある港北駅は高架化された西名古屋港線が地上に降りていた部分で、中部鋼鈑の専用線が分かれる部分でもありました。高架橋の真下は…