配線をします。次が床下機器、先輩の言葉「動力更新は本体より高くつく」。モハネ582⑨
外れてた部品がありましたので接着剤を剥がして再度取付ました。救助メカの中でも特に人気があります。新しい生活が始まった今月もおしまい、今年は暑くなりそうですが、もう気にすることはない。ジェットモグラ
「家庭の事情」で月末は会館を借り切ってます、昨日より線路を設置したままで開催しました。運転会二日目
EF65-1000の試運転をしました。運転会
リモコンでコントロールされるエレベーターカーです。②番のエレベーターカーは途中で故障して他の航空機に衝突して炎上します。そして予備のエレベーターカーの登場となります。エレベーターカー②
ウェイトを取付けました。車体を載せて試運転ですが、片方の連結器を調達しないといけません。EF65-1000更新工事第二部(7)
便利そうに見える工具も使いにくいときがあり「外れ」のときがあります。インパクトドライバー用のチャックです。1mm以下の刃で使ってみましたがドライバー本体が重いので使いにくい。パンタグラフ用のドライバーになりました。今日は尼崎の事故の日、身近な場所なので他人事とは思えません。犠牲者の冥福と事故を繰り返さないことを思いつつ。適材適所
本日発売分です。現役時の最後の姿を見たのが97年の5月、出雲市で付属編成を解放してるときでした。「博多あさかぜ」と共用されたオシ24-700が連結されていた列車でした。その時は出雲市駅が高架化工事の最中でした。博多「あさかぜ」の編成があるので「出雲」の編成が組めます。ブルートレイン3車両をつくる185
「トットちゃん」、今も元気です。そして永遠に「お嬢様」です。「金庫破り」が運転するスーパーカーです。本物も環境にやさしい仕様になったとか。ペネロープ
久しぶりに手入れがてらサンダーバード2号の救助メカを見ていこうと思います。「SOS原子力旅客機」のメカです。①は「マスターエレベーターカー」でバージルが乗って他のエレベーターカーはリモコンで操作します。救助は成功するものの止まり切れず滑走路から外れますが、バージルは怪我もなく救助の成功を喜びます。リニアモーターで駆動してるようですが、聞こえるのはディーゼルエンジンの音、そして左右のバックミラーで他のエレベーターカーを操作するのが、今から100年以上先の時代設定ですが、60年前の製作というのが伺えます。エレベーターカー①
ウェイトを塗ったのですが塗装が剝がれてしまいました。洗ってトップコートを吹きます。EF65-1000更新工事第二部(6)
再組み立てをします。やっと下回りの問題が解決します。仮組しました。配線は長めに出してます。同じ手法でED76とED77が控えてます。EF65-1000更新工事第二部(5)
中間台車の処理ができました。試行錯誤した割には新しい部品を使えば難なく解決したのですが、手を付けて1年以上経ちました。EF65-1000更新工事第二部(4)
荒療治です。リーマーで強引に取り外しワイヤーブラシでハンダを落としました。横着してペーストを使ったのが間違いでした。EF65-1000更新工事第二部(3)
本日発売分です。「有明」はクモハ485に乗り実家に行きました。当時は模型を一時離れてた時期でしたが、その後中古で購入しました。動力もインサイドギアからカツミのフライホィールが付いた動力ユニット、そしてMPとキハ82系と同じ変遷です。ブルートレイン3車両をつくる184
在庫品の103系のモハユニットがあるので仕立てます。動力ユニットを出してきました。103系
そのままのEF65-1000初期です。中間台車の固定でそのままの状態です。次回の運転会ならぬ「線路を敷く日」までにせめて走らせるようにしたいです。放置
今日は脱脂したTR217を水洗いです。乾燥したら塗装です。毎日なにかしてます。
クーラーやベンチレーターの塗装をしたい。モハベ581も都合がつきそうなのでMPギアに変更します。モハネ580の更新工事
立派なトランスがついてますし部品そのものも新しい、時間ができた時に見てみましょう。シャーシをあけてみましたが、、、、、
あるメーカーの容量の大きいトランジスターコントローラーを入手しました。試しにつないでみたら電源は入るものの動作せず、テスターであちこち測りながらしばらくしたらトランジスターが熱を持つ始末。シャーシを開ければいい加減な配線、ボリュームには車両用の細い線を数本束ねて配線してるといういい加減なものでした。パワーパックの中古品を入手しました。電圧計は交換すればいいのですが、動くのかどうか。半導体式のパワーパック
本日発売分です。ついこないだ新幹線の車内販売が廃止になりました。日本の鉄道が「輸送力」優先と考えられており、60年前の年末に乗った「高千穂」は繁忙期は食堂車の代わりに座席車が連結されました。似たように思うのが航空機でボーイング747のアッパーデッキ(2階席)が当初はファーストクラスのラウンジと考えられてたのがストレッチされ、エコノミークラスとして使用されました。輸送力にならない「食堂」を飛ばすよりも座席として使った方が「移動手段」としては有効なのでしょう。新幹線も0系や200系の食堂車が姿を消しました。食堂車は採算性が悪く水を使うので保守費用もかかるので「食堂車淘汰」が北陸トンネル事故も理由になったと思います。車内販売の思い出は95年の夏、これが20系客車に乗るのが最後と思い「桜島」で西鹿児島から新大阪ま...ブルートレイン3車両をつくる183
塗っただけのホームです。1mもあると見栄えがします。ホームを作る⑨
後家さん(後家モハ)の相方の目途がついたので更新工事を開始します。上回りはガラスの交換とクーラーの塗装です。パンタグラフ部の屋根が浅いので室内灯が悩みです。この部分が「元祖に段ハネ」です。モハネ580の更新工事
モハネ580(60Hz)とモハ484、いずれもインサイドギアの車輛が1台ずつあります。DT32PLの在庫が2個、床板も電動機も在庫があるのでやりなさいということです。しかし国鉄型特急
381系の運転が終了し新型車両に置き換えられました。151系に始まった新型国電の特急型の最後と言えましょう。しかし車両の話題よりも「撮り鉄」の常識を外れた行動が取りだたされるのは残念なことです。国鉄型特急の終焉
関西に行ったのが先々月になり、いつのまにか3月も終わり4月。近所の模型店を覗きに行った以外は関西旅行以来の外出です。必要な部品を購入しました。久しぶりに外出
後家さんになってるモハネ580です。一時期MP改造を考えましたがそのままになってました。部屋を整理してて発掘です。相方がいたのには居たのですが、どうしても欲しい方がいて譲渡されました。動力を更新するも全てマイナスネジの骨董品です。保留車
本日発売分です。「ブルートレイン」(固定編成客車)よりも在来型の客車の印象があるのは、品川・尾久・龍華・竹下と並ぶ名門なのでしょう。昭和53年の配置表ではオシ17が北陸トンネル事故の証拠物件として配置されてました。ブルートレイン3車両をつくる182
父の看護に伴い部屋を明け渡しすることになりました。同居を辞めるのではなく部屋を変わるだけのことですが、家具を移動します。自室(模型部屋)が父の部屋になるのですが、試運転線を常設してるので、解体します。そしてベランダに面した部屋が寝室になります。家を丸々使ってよくなったものの自室が狭くなるので慣れるまでが大変になります。今月に入り時間ができたのでやっていこうかと。新年度になりまして、引越し
自尊心が高い人がいます。「負けず嫌い」は良いことと思いますが。人を見下し続けるということは、自分の未熟なところを隠してることと思います。長所短所を重んじ他人を大切に自分を大切にしたいものです。南無阿弥陀仏新しい生活がはじまります。こころのともしび4月
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配線をします。次が床下機器、先輩の言葉「動力更新は本体より高くつく」。モハネ582⑨
デッキの仕切りを取付けます。次が配線と床下機器です。モハネ582⑧
優しい気持ちをもちたいです。南無阿弥陀仏こころのともしび2024年6月
室内灯はLEDのパネルライトにしました。デッキ側に仕切りをつけます。仮配線をします。今月も終わり、後半は掘り出し物のモハネ582と兄貴分と弟に祝われ楽しく過ごせました。来月も運転会をやりますが、7月8月は夏休みなので子供優先なので休止です。モハネ582⑦
こちらの記事から。2020年の阪神赤胴車の引退、そして今年の青胴車引退で同じクーラーを積んだ12系をはじめ国鉄型車両の引退も近いと思ってました。高温多湿の日本の気候は車体の消耗もありますが、昭和40年代前半の開発で冷媒は塩素を含んだ冷媒を使ってると思われます。小学生の時、カツミのブリキの模型に始まり、「山陰」で余部鉄橋を渡り、2000番代の東北本線、日豊本線の「日南」で乗車しました。今月、京都に行かなかったのでどうしようか。西日本の12系引退
本日発売分です。青森運転所は最後のブルートレインの基地でした。「あけぼの」に乗ったのが10年前になりました。ブルートレイン3車両をつくる190
床下機器の塗装をします。キハ47
黄色のセメダインCが使いやすいんですが100均を見てもなし、次の目的が。JRマークをつける気がないので実家の佐賀線か山陰線。昼飯の名目で呑んで鯨刺し、小学生の頃給食で竜田揚げを食べてから好きになったのですが、今は貴重品。キハ47T
台車は新調しました。下回りを組み立ててます。ウェイトを黒を塗るところが灰色に塗ってます。そのまま使います。モハネ582⑥
在庫品のEN22をつけてACEカプラーを付けます。楽しい作業です。モハネ582⓹
買い置きの床板Aです。折り戸の切欠きをします。モハネ582
本日発売分です。人形や内装を入れるとこのくらいのスケールならよくなるでしょう。ブルートレイン3車両をつくる189
出かけました。須田町の六文そば、名物、ゲソ天は品切れ。買い物の後、新宿。百貨店が解体され空が広がる。あくまでも物売りは電鉄の副業、そして淘汰。岐阜屋でビールでした。久しぶりに出かけたものの、夏バテ
築10年ともなれば機器の「寿命」が来るものでして、父の部屋のエアコンの次は温水便座。エアコンはこれまで仕事でしたが最初から調子が良くなく専業メーカーですが「買うのをやめた方がいい」と思ってた製品でしたので来るべくしてきたと思ってました。買い換えた零は好調です。今のは快調です。しかし便座が交換なら20万は覚悟してましたが、修理を依頼すればまだまだ持つとのこと。結構な出費ですが仕方ない。痛かった、、、、、
月一で開催してます。来月は検討中。運転会
DT32はブッシュが入ってたので流用します。ボルスターは交換します。昔、MPギアを買ったらボルスターがついてたので手持ちがありました。台車
室内灯はパネルライトでした。LEDに交換します。下回りはすべて交換です。車体を外してみました。
飯を食ってリサイクルショップを覗いて見つけました。先日のモハネ580より状態が良いので購入しました。下回りが、片側のインサイドギアなし、元からこの動力は使うつもりがないのですが、覚えてる人も多いはず。モハネ582
本日発売分です。平成元年「海峡」で渡道したときに車窓から見た青森運転所は広々とした印象がありました。「日本海」や「きたぐに」が整備を受けた拠点です。最後に乗ったブルートレイン「あけぼの」が引き上げるのを見たのが10弁前になりました。ブルートレイン3車両をつくる188
今週に入り、父の看護で部屋を回送しています。先日のキャスターは書棚などの重量物の設置には向かないので、既存の作業台と交換し、作業台も組みなおしします。作業台の組み立て、
大きなウェイトの取付穴がモーターの取付ベースに干渉します。真鍮の床板だったので難なくねじ切り、現物合わせで位置を決める、今日はここまで。EF65-1000
カツミの目黒時代のショールームで売ってた床板を使うのがスカートの加工で断念し既存のインサイドギアの床板を加工します。ここまでくれば5か所、下穴を切ってタップを立てるだけですがなかなか進みません。中間台車のマクラバリは考えがまとまりましたが結果的には床板の再塗装になります。仕掛の動力ユニットが4台分、EF65用とトレーラーを引かせるのにキハ55用が2台、キハ20用が1台。EF65-1000更新工事
この日は、朝から資金調達に銀行に行き六甲颪を歌いながら出かけました。地元の小田急線を利用せずにほかの路線を使いましたがこんな事故がおきてました。「新百合丘で車両故障」と表示されてましたが、ショートとは。鉄道車両の主ヒューズは屋根上にあり、補助回路は分電盤のブレーカーにあります。おそらく何度も復帰作業をしてもブレーカーが落ちるので車両が使用不能に至ったのでしょう。案内によれば新百合丘の本線にしばらく本線上に留置されたと聞きます。おそらくほかの電車が救援したのでしょう。通信が進化し対面でないがために反応が鈍くなり表現が大胆になることがあります。ブログを書いてる自分の同じでしょうが直接でなく間接になることにより鈍くなることがあるでしょう。それはインターネットだけでなく手紙でも言えることです。そう思いながら今朝か...見えない怖いもの、それは電気
大きな空と半城土のことかもしれません。南無阿弥陀仏。こころのともしび2023年6月
本日発売分です。オロネ24は新製配置は向日町でした。「あかつき」「彗星」で運用されました。最後は「銀河」で「日本海」と共に関西に縁がある車両でした。近所のスーパーが今日で閉店です。便利だったのに。ブルートレイン3車両をつくる138と月末
「一人っ子」の頃、「初めて見た煙を出さない鉄道車両」は阪神電車でした。非冷房時代の3101系やステンレスシルバーの試作車を尼崎で見てたら「もうすぐお兄ちゃんになるのよ」と母に言われたのを思い出します。西九条で終わってた南大阪線も難波までつながり梅田経由よりも利用する機会が増えました。さて西武戦はどうなるか、阪神5101
高校2年のとき、夏休みにアルバイトして買ったナハネフ11です。冷房化してオハネフ13として運用してましたが、トミックスのオハネ17600(団体用)が手に入ったので、「九州観光」「南紀観光」に運用します。塗装を剥がしました。しかしこう仕掛品が増えると、死ぬまでにどれだけできるのか不安です。非冷房化
転轍機の動作を遠隔操作するのにリレーを使います。5回路制御します。配線
先日のシャーシがこんなことに、汎用で5回路のユニットになります。リレーユニット
周りの人に「鈍感」と言われます。自分でも認めてるので気にはしませんが、対照的な人が、「感じやすい人」(「ナィーブ」というらしい)です。「感じやすい人」でも本人だけが「感じやすく」他人には鈍感な人がいると思います。今日、帰りがけに電車が遅れてました。仕事中は何も感じなかったので「相変わらず鈍感やな」と思いながら帰宅したら、棚の書類がひっくり返りパソコンの電源は入らない、何とか復帰させ自分の鈍感さに呆れる始末。ジャンク品のクハ111の前面が手に入りましたので少しは作業が前に進みそうです。被災
9月の運転会の日程が決定しました。今回は市民館で大きく開催、8月には案内をだしますので準備します。線路も増設しますので忙しくなります。開催決定
本日発売分です。長崎駅は新幹線が乗り入れて大きく変化します。長崎電鉄もバリアフリー化します。懐かしい記事でした。ブルートレイン3車両をつくる137
丸屋根広窓、オハ35系列以降の車両が中心になります。しかし合理化でモノクラス化したのが国鉄末期、しかし民営化して細分化、繰り返すんでしょうね。自分が好きなのはオロフ33で一度乗りたかった車両です。並ロのすべて(下)
模型の画像ではありません。高崎でもなく大井川でもなく福知山で現役の頃の画像です。模型を買ったのではるか昔の画像です。オハニ36が入った編成で記録はDD511128米子オハニ367オハフ33539スハフ42140オハ47167スハフ42226オハフ33125オハ472221スハフ422149523列車福知山→浜坂198538の記録です。全て福知山区の客車でオハニは福附15オハフ33539は福臨附23で増結以下は福12で「基本編成」です。オハニの背後はマニ50そして1本越えて、更新工事されたオハフ33後ろはオハ12でしょう。ここで気になったのが背後の客車区の建物、煙を外に出すための屋根が見えます。鍛冶職場があったのでしょう。古い写真の再発見です。オハニ36トラムウェイ
「達人」とJAMで話したこと、直流でもスイッチマシンだ電気を食うものでリレーを使う、と言ってました。そこで在庫部品から探し出したプラグインリレーです。遠隔制御に使います。リレー
一歩ずつ終わりに近づく日がきました、今年は仕事。いつもなら母の日もかねて京都に行ってます。弟、友人からお祝い帰ってから父とサシで呑みです。さてEF65-1000更新工事をしないと、9月の運転会もしばらく運転会はやるともりなのでまだまだおわれません。やらなきゃ、
9月に運転会を開催するつもりで今から準備です。会場の確保が月末に決まりますので今から準備します。左の端子盤は自宅レイアウトの信号用です。準備
昨日発売分です。「あかつき」が廃止になって年経ちました。これからは新幹線「かもめ」の駅です。ブルートレイン3車両をつくる136
福知山線は古くから尼崎から塚口まで電化されてました。スハ44時代の「つばめ」「はと」の折り返し用で塚口で折り返して宮原に入り翌日の出発時に折り返して大阪駅にはいります。50-3以降は北陸線関連の「雷鳥」が向日町→新大阪→宮原→塚本→尼崎→塚口で折り返し大阪駅の混雑を緩和してました。塚口で581系や485系をよくみましたが、側線で大物車や鉄製有蓋車を見ました。その鉄製有蓋車が三菱の専用線に入っていったのが気になってました。奥の車止めから工場に入っていきます。長い踏切です、線路跡はコンビニです。右手のマンションは森永の工場でした。いつも甘い匂いがしてました。阪急神戸線がオーバークロスします。専用線の入り口です。門の跡です。上は阪急神戸線、専用線の跡は一部が生活道路になってます。昭和50年頃シキ400が塚口に留...三菱電機(株)伊丹製作所専用線跡
尼崎市は大阪市の一部の印象がありますが、市外局番が大阪市で商売上の理由です。みんな阪神大好きです。今夜の試合はどうなるか、サウナで観戦します。阪神甲子園球場100年のラッピング。後ろを振り向けば今年度中に姿を消す青胴車、MAU-13も今年の夏で役目を終えます。入庫・出庫を繰り返すので転轍機の音が頻繁に聞こえます。新ジェットカーの足元の分岐も変わった形です。阪急が好きな三分岐ではありませんが、出庫車両が出ていきます。この後は日本橋で買い物。そして甲子園口に向かいます。一番右が今の下り列車線、その昔は阪神武庫川線、その左が下り緩行線です。ちょっと不自然な配線です。路盤に余裕があります。分岐を見ます、背後のマンションは武庫川に沿ってます。下り列車線にホームがありません。線路に沿って店舗が見えます。「甲子園模型」...尼崎から神戸