同カテゴリーの先回は「俳句」と「松尾芭蕉」について投稿した。執筆のキッカケになったのは、先月(2024/04)出かけた西美濃への小旅行。訪問地の1つ岐阜県・大垣市は「芭蕉」と縁が深い。彼が足を運んだ履歴を時系列に沿って並べれると、以下のとおり。貞享元年(1684年)秋。元禄元年(1688年)春。元禄二年(1689年)秋。元禄四年(1691年)秋。僅か7年ほどのうちに都合四度も来訪している。うち三度目のそれが、あの大旅行の結び。江戸・深川~関東~東北(奥州)~北陸と延べ2,400km、およそ150日を費やした『奥の細道』のゴールに選んだのである。大垣に「格別の思い」を抱いていたであろう事は、想像に難くない。当時の大垣は、城主の文教奨励もあり俳句をたしなむ気風が充満。リーダーは自分の弟子で俳友。早くから「芭蕉...俳聖、やはり旅人也「松尾芭蕉」②。