お母さんは、わたしの横にいます。可愛らしい妹と賢そうな兄貴。許可を得なければ撮れないシーンですよね。スクエアフォーマットはローライ3.5F、フィルムはフジカラー400Hです。立派な大きなお弁当・オカズをご覧下さい。忘れることができないシーンです。ばらしいのはカメラマンではなく、演出家のお母さん♫すでに7-8年がたっています。兄貴と妹
要するに肝心なのはこちら。「人間臨終図鑑」(徳間文庫)。改版され何回も版を重ねているが、わたしの手許にあるのは3巻本4巻本が入り混じっている。こちらは傑作の名に値すると思う。こんなユニークな本はこれまでみたことがなかった。死にぎわの人間に焦点をあてているが、冷酷で皮肉な表現だけには終わっていない。年齢順に923人分・・・人間の死をこんなふうに見つめてきた物書きがほかにいるだろうか!?変格ドキュメンタリーですね。山田さんは79歳でお亡くなりになっている。うむむ、ずいぶんと教えられました、な(^^♪ウィキペディアに一覧表があり、参照できます。山田風太郎の傑作「人間臨終図鑑」を読む
ベッドの脇にいくつかの積読の山が聳えている。いずれ片づけないと拙いなと思っているが、なかなか進まない。そこから「戦中派天才老人・山田風太郎」(関川夏央ちくま文庫1998年刊)が出てきた。「人間臨終図鑑」を、いま盛んに読んでいる(-ω-)500人を超える各界の有名人の末期が書いてある。正宗白鳥の6ページが一番長いのかな?あとは平均2ページくらい。第Ⅲ巻と4⃣が同一なものとは知らなかった。このように人生観を述べた著作はほかに存在しない。じつにユニークで、“サビ”が効いている、名著といっていいだろ。ただし、この関川さんの著書はたいして面白くない。戦中派天才老人・山田風太郎
植物つながりでつぎはきのこ。すいませぬ、気まぐれで。これは以前もUPしたものと同じです。一見すればおわかりの通り、タマゴダケ(*^。^*)前橋の嶺公園(広大な霊園)を歩いていたとき、この子にお遭いしてびっくり!それから2シーズンきのこを探して歩きました。食べないから撮影するだけですが。タマゴダケ
ええと、昆虫図鑑を検索するのに、少々疲れました(´Д`)やれやれ、蛾がまだまだ10頭はいるのに、「だれか助けて」があまりにつづいたので。そこで思い出したのが草花。まずは在来種のスミレ♪深紫がきれいですよね。ここは前橋市の有名な遊水地周辺。それを取り囲むようにロータリーがぐるり廻っています。その一隅にある年、びっしりスミレが生えてきたのです。クルマを路肩に止めて、さてさて・・・と撮影。カメラに24ミリが付いていたか28ミリだったか。腰を据えてローアングルからパシャパシャ!!その中の一枚です。スミレは好きな花。だれかが蒔いたのでしょうね。スミレの群落
名作「網走まで」と「灰色の月」を読み返す ~調和型の私小説の神髄
「網走まで」「灰色の月」は志賀直哉の代表作として、ご存じの方が多いだろう。これまで3-4回は読んでいる。そしてまた、読み返した。“読み返すことができる”というのが、名作の条件であるものは、当然だと思える。以前、こうに書いたことがあった。《たとえば、堀辰雄の「辛夷の花」(「大和路・信濃路」の一編)と「網走まで」を、以前読み比べたとき「ああ、そうか。踏み込みの鋭さがまるで違う」と思ったものだ。どちらも列車の中の情景を題材としているが、「辛夷の花」がものを見ているのではなく、雰囲気描写に終始しているのと違い、「網走まで」のまなざしは現実に突き刺さっていく。こういう人に見られるのは、ある意味恐ろしいことである。視線がものの、あるいは人間の本質を衝き、ヴェールの内を暴いてしまうからだ。》「一つの到達点としての「焚火...名作「網走まで」と「灰色の月」を読み返す~調和型の私小説の神髄
金のイナゴ銀のイナゴといいたいけど、図鑑で調べるとどうもナキイナゴという種類のようです。上に乗っているのがオス、下がメスで一回り大きいですね(*・д・)ぐんま昆虫の森でお見かけしたとき、きれいだったので、童話を作ろうかなと思いました。こんな金と銀のイナゴがいたら、あなたもそうしますか?金のイナゴ銀のイナゴ
高齢者ごみ出しSOSだってさ♪こういう便利なクルマが町を走っているんだね。これまでも数回見たことがあった、自治体も大変^ωヽ*冷淡に眺めていたけど、このさき、2-3年でこのクルマのご厄介になるかもしれない。元気な人もいるだろうが、わたしの場合そうもいってられない・・・かもねタハハ対策を講じないと“ごみ屋敷”になって、近隣の苦情がもちこまれるのだろう。高齢者ごみ出しSOS
スカシユリだったかな?この黄色いユリを見ていたら、先客がいました。指のさきみたいな小さなカマキリ。こんなのが、花粉をもとめてやってくる昆虫を待ちかまえて潜んでいたのです。しかも臨戦態勢(゚o゚;カマキリにも6-7種あるらしいけど、ヒメカマキリは茶色なのかなあ。単に子どもなだけか。どこからでもかかってこい(T_T)
ヒゲナがオトシブミのオスだと思われます。首長竜みたいに、とにかく首が長いなが~い(´ω`*)これで翅があるんですよね、甲虫の一人ですから。さぞ、飛びにくいことでしょう。めずらしい種かとおもったら、榛名山の道端にいっぱいいました。小さいので、目に入らなかっただけ。それにしてもこの首の長いこと↑ヒゲナがオトシブミ
よいしょよいしょ!よいしょ!頑張れアマガエル(^O^)うちの敷地にはトノサマガエルもいますが、アマガエルの方が断然、数は多いです。やんちゃだから、ときおり観察をば♬このペンキの派手な赤。もちろん、ご本人は自分がこんな壁を攀じ登っているなんてわからないと思います、ファハハハ(^O^)赤い壁攀じ登るアマガエル
うむむ、あなたはどなたですか!?はあて、さてだれでしたか、わからなくなってしまいました。ハチだったかアブだったか、ハエのお仲間だったか・・・・。これじゃ勝手に悩んでろ!といわれそうです(´Д`)指につまんでクローズアップし過ぎたら、し過ぎてわからない。二十数年も昔のことなので、むふう。ところで、小生意気な王子様の風貌がありはしませんか?少年剣士(^^?)
■高濱虚子「高濱虚子集」現代俳句の世界1深川正一郎選(朝日文庫昭和59年刊)ほかの俳句の文庫本といっしょに、書棚からこぼれてきた。何気なく手にとって、澁澤龍彦の「物の世界にあそぶ」という序文を読みはじめたら、これにいささか圧倒された。何だって?高濱虚子に澁澤龍彦をぶつけただけで、不甲斐ないが「おっ♪」と唸ってしまった。略年譜を齋藤愼爾さんが編集しておられるので、齋藤さんが仕掛けたのかも知れない。読みはじめたら、中身も凄かった。それほど売れたとは思われないが(^ε^)澁澤さん、一番“のり”がよかった時代ではなかったか?めちゃくちゃ西洋派の論客として評論をお書きになっている人物を、「客観写生」「花鳥諷詠」によって主導した「ホトトギス」の領袖にぶつける。そうして、結果として、それが成功を収めているのだ。いままで...「物の世界にあそぶ」~澁澤龍彦が暴く虚子の実像
べっこう色をしたトンボ。わたしはトンボには、チョウと比べあまり関心がありません。何でかな、アルバムには100枚とはいわないけれど、それに近い数がある・・・と思うけど。榛名山麓の湿地で見かけたこのべっこう色のトンボは他の仲間のうちで目立っていた。下に板が渡してあり、足を踏み外すと池ポチャ。二ホンカワトンボ、ミヤマカワトンボ、アサヒカワトンボ・・・はて(´?ω?)上品なカワトンボ
ハエ・アブのお仲間にはお近づきになりたくないものが大勢いるが、この“コガタノミズアブ”など、数種の美麗種がいる(ˊᗜˋ*)里山の水田や池など水辺に棲息。希少種で、地域によっては絶滅危惧種。背中に金属の鎧を負って、蛍光ペンをあてたようなうす緑と黒の縞。体長12㎜前後。農薬の使い過ぎによるものか?美麗なコガタノミズアブ
偶然何ていう名かを発見しました。セリグロベニトゲアシガ^ωヽ*撮れたのも偶然なら、お名前を発見したのも偶然。めずらしいやつですよね。舌を噛みそうですが、セグロ・ベニトゲ・アシ・ガと分解すれば、わたし的には納得の名称であります。それにいつものキベリヒラタアブが忍び寄っています、彼のクセなので。セグロ・ベニトゲ・アシ・ガ
ちょい大げさにいうと、男の子の拳ぐらいありました。大きめの蛾の寝袋です。スカシダワラと呼ばれているらしい。赤城の山中で、二度ほどお見かけして撮影しています。これも正体はクスサンだったんですね。ハンモックですよね、気持ちよさそう♪覆われた葉っぱをベリッと剥がしたら、これ(゚ω、゚)タハハクスサンのハンモック
山田風太郎のことはあまりというか、ほとんど知らない。甲賀忍法帖か何か持ってはいたが、たしか売ったと思う。ところが先日から「あと千回の晩飯」(朝日文庫2000年刊)を読みはじめたら、これがおもしろい♬ことばがころころころがっていく。軽いのだ。書いている内容は、ご自分の“病気”について。重く書いてしまっては、暗鬱な闘病記にかりかねない。そこをうまく操縦している。「人間臨終図鑑」も手許にある。山田さんご自身は調べたら79歳でお亡くなりになっている。私小説や老人文学も好きになっている^ωヽ*わたし自身が歳をとった証拠なのだが。最後の1ページまでいけるかな。あと千回の晩飯がおもしろい
このころ使っていた機材の話を少々。ニコンマニアだったので、ニコンD70-D80-D7000と愛用し、レンズは安かったわりに評価が高かったタムロン90ミリF2.8を、ほぼ付けっぱなし。ニコンのAPS-C機は1.5倍となるため、重宝しました。はてこちらの写真ですが、3日ほど思案しましたが、結局わかりますぇぬ(´Д`)カメムシには間違いないのですが、卵の図鑑を調べても、いまのところは「おお、これか!」というフォトには出会えていましぇん。銃弾のように見えませんか、周辺部の濃い緑もふくめて?標高7-800mほどの山深い、赤城の中腹で出会いました。カメムシの卵
キバラヘリカメムシでいいのかなあ、よく似ているから。カメムシのお母さん頑張れ♬この勢ぞろいした卵、まだ産みそう。楕円形の小さなチョコみたいな卵が、ドレミファソラシドときれいに並んでいまする。こんな情景見たの、このときはじめてかも。お母さんに失礼し10粒ばかり口にいれたら、どんな味?でへっ。几帳面なキバラヘリカメムシの産卵
これはクサカゲロウの卵といわれているものです。微細な糸のさきに、白い卵がぎっしり。わが家の裏の藪ではじめてみたとき、わが目を疑いました。卵であることはそれとなくわかったのですが、図鑑にはどれにも載っていなかったので。ああそうか、3千年に一度花開くといわれる優曇華とはこれのことか(゚Д゚;)タハハクサカゲロウの卵
ちょっと風変わりな写真をいくつか続けてみますね。まずはこれ。有名ですよね(^o^)ミカドトックリバチの“卵のう”です。図書館かどこかで図鑑を見て覚えたのかな。すぐわかりますが、育房の徳利の首の部分に特徴があり、まず間違えません。このハチの画像はネット上にいくらもありますので、気になる方はどうぞ。ミカドトックリバチの卵のう
■「老いの生き方」鶴見俊輔編(ちくま文庫1997年刊)収録作品覚書をふくめ201ページ新刊書店をぶらぶら散歩していて、ふと見つけた。たまに、こういうことがある。何かおもしろい本はないかなとアンテナを張り巡らしているから。新刊なのに、定価560円と良心的な値がついている。2021年に再刊されたものだろう。《この本は、老いについての文章をあつめた。どのように老い、どのように終るかは、人それぞれでちがうから、当然にこの本は老いについての相反した観察をふくんでいる。限られた時間のなかで、いかに充実した人生を過ごすか。来たるべき日にむけて、考えるヒントになるエッセイ集。》筑摩書房のホームページより引用鶴見俊輔さんといえば「思想の科学」である。われわれ世代では、愛読者が周辺にそうとういた・・・という感じがする。わたし...老いの生きかた~サルトルは老いた、斎藤茂吉も老いた
こちらは、アジサイにやってきたカタツムリ。写真を数枚撮っただけなので、むろんえらそうなことくいえません。でも前回UPしたカタツムリとは、いささか、形や色が違っていますよね。ネットの図鑑にもバラつきがあるようです(。-ω-)昔は山一つ越えると別なカタツムリといわれていたのかな?地域差も大きいようです。アジサイの花とカタツムリ
カタツムリを二つ続けてみます。カタツムリにも種別があるのかもしれません。・・・と書きはじめ、念のためと思って、カタツムリ&図鑑で検索したら、○○マイマイとして、なかりの数が出てきた(;´д`)まいったなあ。そこで過去のアルバムを大急ぎで調べてみたら、これ、明らかに別な種類だなという画像をいくつか発掘できました。昔(20世紀の終わりころ)は、ネットの上にもカタツムリの資料は、ほとんどなかったはず。ネット情報の深化とともに、カタツムリの調査・分別が急速にすすんだということでしょう。カタツムリのいろいろ
さあて、と。普通の蛾に戻ります(変ないい方じゃな)。ええと、これはギンツバメといって、マニアには“あこがれ”の蛾です。なかなか美しく、白とグレーの混じりぐあいが気品ありですね。両端をつないでまるで綾取りをしているようなデザイン(ˊᗜˋ*)開張は25-29mm。ギンツバメなんて華麗な名を持ってます。爽やかなギンツバメ
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お母さんは、わたしの横にいます。可愛らしい妹と賢そうな兄貴。許可を得なければ撮れないシーンですよね。スクエアフォーマットはローライ3.5F、フィルムはフジカラー400Hです。立派な大きなお弁当・オカズをご覧下さい。忘れることができないシーンです。ばらしいのはカメラマンではなく、演出家のお母さん♫すでに7-8年がたっています。兄貴と妹
市街地に自動販売機がこれほど存在するのは、日本だけという話を友人から訊いたことがあります。そういえば、スペインにもインドにもその他の町の街角にも、自販機は見かけなかったなあ(*´ω`)よくお世話になります。平和の象徴として、このジョージアはここにあるんだし、それを日常風景として写真に撮るのだねぇ。このころ、フィルムカメラはニコンFE2を使っていました。自動販売機
大岡信選『折々のうた』(二)を読みはじめた。一茶からはじまる近代俳句。この区切りかたはおもしろい♪子規をのぞいて、尾崎放哉や山頭火以外には関心がもてなかった。大岡さんに説得されるのかな、ふむむ(´・ω・)?短歌は本当のところおもしろくない。辻原登編「与謝蕪村」(河出文庫)も買ってきてある。『折々のうた』(二)長谷川櫂編を読みはじめた
この千羽鶴はすごいなあ♫横の碑に秩父三拾四ヶ所巡拝という文字が刻んである。これを高崎市の下町で撮ったのだ。地蔵さんは敬慕されているんだねぇ。近所に信心深いおばあさんでもいるのだろう。帽子や涎かけ、お供えしてある花々。クルマから下りてお堂をのぞき込んだこと、憶えていまする(。-ω-)お地蔵さんと千羽鶴
これは以前UPしたことがあったかも♪地元ではお花見の名所、前橋公園。“お花見の客”なのです。二人の妙齢の女性はイスラムの人。お訊ねしたわけじゃないですが、髪を見ればわかります。スクエアフォーマットはローライフレックス3.5Fを使用。サクラは満開あるいはほぼ満開に近かったと憶えていまする(´◡`)お花見の女性二人
どこで撮影したのかはよく憶えています。沼田市街を、カメラ散歩していたとき。とてもきれいな帆船だと思ったことも。花屋さんの店先だったかなあ。そのあたりはあいまい(´ω`*)マスト、船体、重りなど、とても精巧にできていますよね。ご主人がマニアなのかもしれません。街中でこんなものを見かけたら、撮るしかありませぬ。美しい帆船模型
今年2月か3月にBOOKOFFで買った半藤一利さんの「漱石俳句探偵帖」(角川選書)は、まったく期待していなかった。それがこれほどおもしろい本だったとは♫読んではポストイットをたくさん挟んだ。半分ばかり読んだ中では「死こそ真のリアリティだ」をはじめ、目が離せない記事がたくさんある。あらためて漱石の俳句の真の魅力を、半藤さんが教えてくれたのだ。漱石全集は売却してしまったけど、岩波文庫の「漱石俳句集」は、2度ばかり読んでいる。「漱石俳句探偵帖」(角川選書)半藤一利
これはどこで撮ったのか、ハッキリとは覚えていません。おそらく、藤岡市内だったと思います。壁の一面が琺瑯看板で埋め尽くされていまする(゚ω、゚)これは意識して集めた・・・のでしょう。キンチョールとかナショナルの文字が多いですね。高齢者の場合、記憶の中に、きっちり刷り込まれているんじゃないかしら。琺瑯看板part2
一茶句集で退屈していたところ、長谷川櫂選の『折々のうた』選(一)を読み出し、頭を殴られたような鈍いショック!その句、内藤丈草「水底を見てきた顔の小鴨かな」であった。丈草は蕉門十哲のひとり。「淋しさの底ぬけて降るみぞれかな」などこちらに12編が収めてある。そのどれも優劣がつけにくいくらい、見事な出来映え(^^♪一度読んでいるけど、ほぼ忘れてしまった。「時鳥(ほととぎす)鳴くや湖水のささにごり」「我事とどじょうの逃げし根芹かな」。また読み返すのかい、あんた(;´д`)トホホ水底を見てきた顔の小鴨
うむむ。これは“婦人服”の専門店です。大きなマネキンが展示されていたのでパチリ!写っているのはわたしのクルマ。マネキンがいかに大きいかおわかりでしょう(゚ω、゚)左にあるのが、普通サイズ。えーっ♫大きなマネキン
昨日ラムネの瓶を見ていて思い出しました。こちらはJR安中駅。ふらりと立ち寄ってみたら、小学生の“図工”が陳列してありました。いやはや、華やか。空き瓶を使ったカラフルな集団演技・・・ですねぇ(ˊᗜˋ*)フィルムカメラはピント、露出を合わせるのが一仕事。むろん、それが愉しいんですよね。JR安中駅
これがどんな情景だか、おわかりになりますか(´?ω?)花弁はサクラ。サクラが散り敷いているのです。前橋公園の満開のサクラを見に行ったとき、ドリンクが、ピンク、ブルー、グリーンといっぱい、浴槽みたいなプールに冷やしてありました。もちろんペットボトルです。「あ~あ。きれいだな」そう思ってパチリ!歩きまわって、のどが渇いていたのです。ピンク、ブルー、グリーンのペットボトル
「凧(いかのぼり)きのふの空の有りどころ」蕪村のこの句がぎらりと光った。朔太郎の「郷愁の詩人与謝蕪村」(岩波文庫1988年刊)を昨夜読んでいたとき。この本は複数もっているけど、最後まで読んだのはこれがはじめて。小林秀雄「モーツアルト」が世に出たのは昭和21年。一方こちらは昭和11年。はらはらしながらよんだけど、よく最後まで健闘している。批評家としての朔太郎を見直した。「郷愁の詩人与謝蕪村」
この鋭角な建物を桐生市内で撮影したときのこと、はよく憶えています。フジカラー・コニカカラー(その昔はサクラカラー)!2大メーカーがしのぎを削っていましたよね(。-ω-)ポジフィルムも幅を利かせるようになったけれど、主体はネガカラー。フジがややリードしていたはず。くらまたカメラ東店。おおっと路肩に止めてバリバリ撮ったなあ♪桐生のとがったカメラ店
MOMOという文字が何かをアピールしていますよね。そして左下にいる女性。この人を画面に入れるかどうするか、「う~ん」と1分ほど迷ったのを憶えています。小汚い格好(失礼)をしていたからです。看板だけでも絵にはなるんですよね(ノω・、)擬制の窓と赤・青・黒のそれらデザイン、そして室外機。これだけでフレーミングして撮った記憶があります。もちろんフィルムです。MOMO
うわお!アメ車だよ。左折してくるといいな~。期待していたら、その通りになったので、遅れじとパチリ(゚ω、゚)お金をかけ、ずいぶんきれいにリニューアルされているなあ。ビュイック、フォード、シボレーなど50年代のロックンロールが映画で再燃したんじゃないかな。このボディ・カラー、一陣の風。ザッツ・ア・ファッショナル(笑)。アメ車
ワイド版一茶俳句集(岩波文庫1991年刊)。一茶は生涯に2万首といわれているけど、そこから2千首をえらび、制作年代順にまとめ、巻末に初句索引が付されてある。こんな本をどこで買ったのか、まるで思い出せない。以前は普通版の岩波文庫で読んでいるはず。丸山一彦さんの校注。その注がじつに充実していて、目を瞠らせられる。山頭火に引き込まれたいまの気分としては、和歌から俳句へ、くるくる流されるまま。「木々おのおの名乗り出(いで)たる木の芽哉」(寛政元年27歳)。ワイド版「一茶俳句集」を読みはじめた
会社は前橋市内にあったので、高崎からクルマで通勤していました。ここは新前橋駅にほど近い、私立の専門学校。中央専門動物学校と表示されていますね。半分以上は、外国人で占められている、かな?このときはついクルマの運転席からパチリ(ˊᗜˋ*)女性がさしている日傘が目立ちますよね。専門学校の生徒さん
ここからは2019年の写真です。そのほとんどはフィルムカメラによるもの♫さて、自転車のハンドルにひっかけてあるこの赤い帽子。鍔がついてますよ。インナーかな。サッカーボールのようなものが見えます。そして背景の青、黄が赤をきわだたせていまする(´Д`;)ハンドルにひっかけた赤い帽子
山頭火句集の(三)(四)が顔を出したので、(三)は途中までだけど、(四)はさっさと読み了えた。ご本人がセレクトした「草木塔」は、このシリーズの(一)(二)に収録されている。「草木塔」はほかの本をあわせ、何度となく読んでいる。山頭火になるまでの(三)をまとめて読むのははじめてかな。(四)は亡くなる直前まで詠んでいる。山頭火句集~草木塔以外の
■堀江敏幸・角田光代「私的読食録」(新潮文庫令和2年刊)晩酌しているためか、心身の老化が激しく、このところ長篇小説が読めない、という症状がつづいている。わたしの場合、62~3歳のころから、お行儀が悪いのだが、寝転がって読むことがふえてきた。だけど長篇小説だと、寝転がってもダメ(´Д`)体はもちろん、頭の方も、いかれかけている。そういうわけで、読める本は限定されてしまうのだ。そういえば、先日葛西善蔵の「蠢く者」「死児を産む」のふたつを読んだが、これは両方ともすごかった。何がすごいかというと、私小説特有のリアリティである。「死児を産む」の中で、刑務所に入っているという読者からのファンレターに対し、「まあ、ちょっと誇張があるんだけどね」・・・とつぶやいている(笑)。愛人や友人と、喧嘩三昧している日常が描かれてい...ユニークな書評が愉しい♬~堀江敏幸・角田光代「私的読食録」を読みはじめた
セルフオーダーシステムの食堂へいって「さて・・・」とクルマを半回転させたら、目の端にこんな光景が!“カモシカのようなすらりとした美脚”とえば「おいおい、じいさん。いつの時代の話だね」と笑われそうだにゃ(*´ω`)タハハ女子高校生だろう。われわれ世代の出る幕じゃねえなあ。カモシカのような美脚
■「妻と私・幼年時代」江藤淳(文春文庫2001年刊)■「悲しいだけ」藤枝静男(恋愛小説アンソロジー「感じて。息づかいを。」川上弘美選光文社文庫)(こちらが「感じて。息づかいを。」の表紙)「感じて。息づかいを。」(光文社)は100円の棚にあったので、たまたま手に取って眺めたら藤枝静男の「悲しいだけ」が掲載されていたため、この恋愛小説アンソロジーと称する文庫本を買うことになった。「藤枝文学の極北と称賛された感動の名作、野間文芸賞受賞の『悲しいだけ』を併録」と謳ってある。ただし、講談社文芸文庫の新刊で買うと税込み1,353円とお高い(゚ω、゚)ナハハ「感じて。息づかいを。」には、本編のほか、「桜の森の満開の下」坂口安吾、「武蔵丸」車谷長吉をふくめ、8篇が収められている。病苦の涯に身罷った妻のことが、容赦のない残...“伴侶の死”をめぐる2篇~江藤淳「妻と私」藤枝静男「悲しいだけ」を読む
福田和也「作家の値打ち」(飛鳥新社2000年刊)、こんな本があったのを思い出した。「作家の価値は、人の記憶に残る作品をどれがけ書けるかで決まる。その点からすれば、やはり《第三の新人》までの作家は偉い、というか高い値打ちをもっていると云わなければなるまい。」文学の世界の“偏向”がどうやら許せないらしい。全574点のうち、最高点をたたき出しているのは「仮往生伝試文」古井由吉、「ねじまき鳥クロニクル」村上春樹、「わが人生の時の時」石原慎太郎の3篇で、いずれも96点。第三の新人までかあ(*^。^*)「内向の世代」でも阿部昭などはわたし的にはお気に入りだけどね。作品(小説)を横一列にならべて数値化するというのが、おもしろかった。日本文学に反ってきたので、またちょっと読み返そうか。この時期をはずすと、二度と手に取らな...福田和也「作家の値打ち」が出てきた
猛暑襲来!!参ったな、35度を超えたらどこもかしこも熱々で身の置き場がない(´Д`;)クルマには遮光シート、小学生は冷水が入ったお気に入りのボトル。省エネを心がけてはいるけど、やむなくエアコンのスイッチはONにしている。猛暑襲来!
中村光夫「私小説名作選上」で、太宰治「富嶽百景」をしばらくぶりに読み返したが、半分ほど忘れていた。2度目に読み返したのは30代のはじめだったかも♪「晩年」の諸作と「津軽」が好き。中でも本作は極上の逸品。「私小説名作選上」は田山花袋のはじめて読む「少女病」からスタートするが、これは残念ながら習作レベルである。徳田秋声、近松秋江、志賀直哉、嘉村礒多など堂々たる私小説作家の代表作に伍して「富嶽百景」は、まちがいなくトップの3傑に入る。若い女性の二人連れに記念写真を頼まれ、結局は記念写真を撮らず、富士だけを撮ったエピソードなど忘れていた。新潮文庫なら注釈があるかと参照したが思惑ははずれた^ωヽ*読みのスピードががくんと遅くなったため、長篇がなかなか読めないなあ。太宰治「富嶽百景」を読み返す♬
新品だとたった3冊で6,000円超え(´Д`)血迷ったわけじゃないけど、講談社学芸文庫はお高いですなあ。「群像短篇名作選」2,300円、「戦後文学を読む」2,000円、「明治深刻悲惨小説」1,800円。もちろんこれに消費税が加わる。表紙は金文字でピッカピカ♬岩波と新潮にはかなわないからねぇ、破れかぶれ?年表だの解説だのがびっしり付属している。昔の単行本なみか、それ以上なので、お値段が張るのはあたりまえ。講談社学芸文庫の現在
■小谷野敦「私小説のすすめ」平凡社新書2009年刊以前にも読んでいるから“再読”となる。《このいわば「志の低さ」に辟易する人も多いだろう。わたしは、どちらかといえば、この後者》著者には失礼ながら、2010年1月6日のBlog「二草庵摘録」にこう感想を書いている。https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/d6760d02256e271d34a15ea2f35902b3さきごろスタンバイさせてある在庫をひっくり返しているうち、意図に反して出てきた。半分ほど読んで、中絶したかな・・・と思っていた(^^?)人の記憶は、そのくらいあてにならないものであ~る。付録のオビにつぎのような惹句がある。《才能がなくても書ける。それが私小説。その魅力を説き、「書きたい人」に勧める、挑発的文学論!》この惹...小谷野敦「私小説のすすめ」~ぶっちゃけ本音トークを再読する
関川夏央の「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(集英社文庫)の中に興味深い引用があった。志賀直哉「小僧の神様」のストーリーにおいて、中沢新一が“成熟した貨幣経済のうちで「純粋贈与」は可能か”と問いかけているという。「小僧の神様」はわずか24枚ほどの短篇だが、昔から傑作として名高い♬「それは不可能」というのが、中沢さんの結論だそうです。近代文学を読むにしても「それはいつ書かれたのか」という問いはつねに重要だと、関川さんはいっています。たとえば向田邦子の「あ・うん」の仙吉も「小僧の神様」からとられているんだって(。-ω-)新しい問いを発見するのが批評家の仕事でしょうね。関川夏央「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(集英社文庫)
割とよく通る交通量の多い交差点。赤い上っぱりを着た女性がいてくれたら・・・と思ったことがあった。そうしたら、この日おあつらえ向きに、ドンピシャリ(´◡`)リフォームの文字に懸け替えられたんだね。まさに“紅一点”のごとく!こんなところでスナップしたがっているのはわたしだけか(;^ω^)写真は1×2にトリミングしました。背景もおもしろい♬
車谷長吉の「武蔵丸」と、織田作之助の「聴雨」は近ごろ“大あたり”だった。拾ってきたカブトムシのことを書いた「武蔵丸」より、坂田三吉のことを描いた「聴雨」の方が上ですね↑フ~ムフム。はてさて大量に抱え込んだ本を、数百冊売らねばならないなあ。6DKでもいる場所がなくなってしまう。5-600冊売れば多少は風通しがよくなる・・・かな!?単行本の類は思い切って捨てることだなあ、やれやれ(´Д`)「聴雨」と「武蔵丸」はよかった↑
完璧な“流し撮り”にはほど遠いなあ^ωヽ*たまたまこうなった。男の子以外はブレてしまったので、そのように見えなくはない・・・というレベルだな。背景は年中出かける高崎のBOOKOFF。ん?流し撮りかな
昨日サルスベリの幹で交尾していたキマダラカメムシ(・・・たぶん)。よく家の中にも入り込んで、出るに出られず干からびているのがこいつだろう。違うかな(´?ω?)サクラ、カキ、サルスベリなど、多くの樹木につき街路樹にも多いようだ。台湾~東南アジア原産の帰化種とのこと。毛虫じゃなくてよかったぜ。キマダラカメムシ(´?ω?)
高橋さんは長吉の隣りに「高橋順子海へ」という生前墓を造ってもらい朱書してあるそうである。「夫・車谷長吉」は生半可な本ではない。読者としてわたしは、すっかり心を掻きまわされてしまった!「終の住処」の一章もすばらしい♬ドキュメンタリーの傑作である。なお本書で2018年講談社エッセイ賞を受賞しているそうである。夫の墓には入りませんという女性がふえているなかにあって、高橋さんの妻としての決然たる“思いの丈”が、この本にギュッとつまっている。読み了えるのがもったいないなあ(。-ω-)高橋順子“海へ”
(一昨日、BOOKOFFで手に入れた車谷長吉の2冊)妻の留守中に、解凍中の生イカをのどにつまらせ、69歳で窒息死した小説家車谷長吉。「四国八十八ヶ所感情巡礼」のレビューでこんな記事をお書きになっている方がいた。《どこかの駅でうんこを垂れ流し、「この始末は誰がするのか」と駅員に言われて「それは、おまえの給料のうち」と言い捨てて、折から着た電車に飛び乗ったという話を得意気に書いている下りでは腹が立った。自分のうんこの始末もできないで、会う人を、それぞれ「極楽に行く・行かない」と「採点」する。》ウハハハ、こりゃすごいな。そのとき、奥様の高橋順子さんはどこにいたのだろう。強度の強迫神経症を発症しているから、「夫・車谷長吉」を読んでいると、もうほとんど狂人と紙一重である。高橋さんはゲッと思うようなことをけっこう淡々...正常・異常の境界例を生きた男~反時代的毒虫・車谷長吉をめぐって
およそ3~4年に1回の頻度で姿を見せる、ゴマダラカミキリ♬この日は南東の植え込みで剪定をしていた。「終わり!」と思ってふと見え上げると、この子が枝に止まっていた。探すと見つからないが、すぐそこいらにいる。子どものころから見慣れたブルーブラックの輝きが、何ともいえず美しい(ˊᗜˋ*)ゴマダラカミキリがやってきた
高崎市の道路維持課の人が6人やってきて、水路や溝の清掃をしてくれた。息子が電話したあと、区長も連絡したようだ。わたしが憶えているかぎり、市の人材出動ははじめてのこと。距離にしたら約150m。左に見えるのはわが家の太陽光発電設備。わたしは屋敷内の雑木を伐採していた(*´ω`)いや~暑かった。水路の清掃
(新刊で手に入るのは、現在「夫・車谷長吉」のほかは文春文庫では「赤目四十八滝心中未遂」、新潮文庫では「鹽壺の匙」だけのようだ)一昨日からこの文春文庫「夫・車谷長吉」を読みはじめた。買おうか買うまいか、迷っていたのだ。本書の文庫が2020年2月刊行なので、まあ、目にとめてから約4年の歳月がたつ。高橋順子さんは、詩集も、1冊か2冊どこかにあったはず。ただし、じっくり腰を据えて読んだ記憶はない。「夫・車谷長吉」を、とうとう読みはじめ、その影響で「寝返りを打つ」という妙チキリンな詩が生まれてきた。高橋さんの詩からは影響をうけなかったのに、この車谷長吉について書かれたエッセイからは、影響をうけた。とてもストイックな、でもやさしさに満ち溢れた、どこかエレガントなエッセイとなっている。ⅠからⅥまで、6つの章に分かたれて...夫・車谷長吉とともに~詩人・高橋順子の愛情告白(2024.6.13記)
あああ。あああ。とつぶやきながら深夜のベッドで寝返りを打つ。そうして深い淵のようなところから這いあがったりずり落ちたりしている。そこに横たわるきみよいいかげんにしたらどうかね。何年こんなありさまですごしている。何年?ごわんごわんとブルドーザーのようなものが通りすぎていった。その轟音がいまでも耳元で響いている。ムクドリや女たちのざわめきや木の葉をゆらす風。反響はもうながいあいだ鳴りやまない。もういちど寝返りを打ったらそれらを払いのけることができるかしら?あああ。耳に栓をして暗闇の向こうを見るふりをしてぼくはなにか“こと”が起きることを待っている。這いあがったりずり落ちたりそのくり返しもまもなく終わりになるだろう。ひんやりとした空気の塊に目を凝らすようにぼくはベッドに横たわる深夜の自分を眺めている。※詩のよう...寝返りを打つポエムNo.2024-01
うけている、ずいぶん大げさに(*^。^*)アジア系は間違いないけど、もしかしたら日本人じゃないかも。ギャハハという声が聞こえてきそう。なにを話しているんでしょうね♪よほど仕合せなのか、右の女性が漫才師なのか!?おいらは四車線道路の反対側で信号待ち。信号待ちで