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ブログタイトル
二草庵摘録
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本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップ
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457回 / 365日(平均8.8回/週)

ブログ村参加:2015/05/15

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二草庵摘録

三毛ネコさんの新着記事

1件〜30件

  • 酔って歩く(ポエムNO.3-90)

    (2014年10月)おれがあれを探すようになったのはいつからだろう。あれはおれの手のなかにあったのだけれどいつのまにかなくしてしまった。そんなことをぽつぽつとかんがえながら酔って歩く。いったいどこへ落としてきたのか。あれはピカピカ光っていたし沈丁花のようないいにおいがした。十代の終わりころよくやってきた夢の大風にふたたたび吹かれ酔って歩く。手放してしまえばもう二度と手に返ってはこない。どこへいったどこへ?断念したはずなのに気がつくと探している。酒をあびてはとろっこてろっこ酔って歩く。ランボーの詩語が散乱した十九世紀パリの一隅からヘミングウェイがいまも釣り糸を垂れにくるカリブの海をめぐっておれはあれを探して歩く。罪障のようなものであるかもしれぬ。ナイフのようなものであるかも知れぬ。失われたもののなつかしさが稲妻と...酔って歩く(ポエムNO.3-90)

  • 食べてみなけりゃわからない(ポエムNO.3-89)

    (2019年3月高崎)柿の木から摘みとった柿色のクッションを枕にしながらウトウトと寝込んでいたら真珠の精がもたらすもやっとした夢につつまれた。かなり歪んではいるけど大粒の真珠。さっき通っていったカラスがきみの頭にそれを落としていったのだ白黒の糞を落とすかわりに。ところでなぜカラスはカアと鳴くか?きみの頭蓋骨のなかは今日は光に満ちた巨大なスタジアム。さっきまで革命と恋がいや恋と革命が格闘技をくりひろげていた。そんなことさえ起こるんだ。二十代のおわりで死ねなかったからあとはいつ死んだって同じ。きみはそう考え運命という名前のスイカをむしゃむしゃ食べる。カラスがなぜカアと鳴くか知っているのはたぶんフランツ・カフカだけだろう。ことばの変てこりんな剥製を無数に蒐集していたから。明日はカフカの短編集を読みながら真珠の夢のソフ...食べてみなけりゃわからない(ポエムNO.3-89)

  • ケンタの遊び場

    「ケンタ何してるんだ!」。カメラを構え観察していたら、彼の遊び相手は小さなカナヘビ(^^♪「喰うんじゃねえぞ、そんなやつ」。ここはわが家の庭の一隅。ほっておいても毎年紫蘇(しそ)が群生する。以前は母が梅を漬けたけど、やらなくなって10年はたつだろう。ケンタの遊び場

  • こんなライフスタイル(ポエムNO.3-88)

    「詩人だの歌人だの俳人だのそういう人種がまだ棲息しているんだってね」と友人にいわれた。「絶滅危惧種だよねどっちみち」と。世知辛い世の中になったもんだ。友人が立去りちょっぴり夕立があって涼しくなった。「はてあの句集はどこへ突っ込んだかしら与謝蕪村のあれは」缶コーラ片手にロッキングチェアに腰を下ろす。要するにヒマをもてあましている。天文学の本が読みたかったけど朝からさがしているのにいまだ行方不明。午後はしばらく電話には出ないからぼくも行方不明。絶滅危惧種が書き絶滅危惧種が読むんだからこんなライフスタイルも“あり”だろう。こんなライフスタイル(ポエムNO.3-88)

  • オカトラノオとクロアゲハ

    先日クロアゲハのクローズアップを撮影した同じゴルフ練習場脇の植林。オカトラノオが咲いていると思って運転席から眺めていたら、そこへお食事にやってきたのがなんとクロアゲハ。そうだったのか!2頭いた。暗い曇天の午後4時、しかも林の中(^^;)天候を見はからって再登板するかな(ノ_σ)オカトラノオとクロアゲハ

  • レスピーギの「ローマ三部作」はトスカニーニ!

    レスピーギの有名な「ローマ三部作」。ムーティー、小澤、デュトワで聴いてきたけど納得いかなかった(~o~)ところがトスカニーニ&NBCを聴くにおよび「これ聴かなきゃだめ、これじゃねえか!」。中でも「ローマの松」はサイコー(^ー^)ノ十数年前にCD買ったのを忘れていた。よくあることだけど、粗忽者めが!レスピーギの「ローマ三部作」はトスカニーニ!

  • 中原中也と大岡昇平 ~「冬の長門峡」を軸に

    (大岡昇平「中原中也」講談社文芸文庫)長い間の懸案だった大岡昇平さんの「中原中也」を、ようやく読みおえることができた。併せて小林秀雄が、中原について書いた短い文章7編をすべて読み返した。そこでたいへん興味ある「裏側」の光景を眼にすることができたので、感想をしたためておこう。わたしが読んだのは、「中原中也伝――揺籃」「朝の歌」「在りし日の歌」の3編を収めた講談社学術文庫の「中原中也」である。はじめに中原の詩を引用する。■冬の長門峡長門峡(ちょうもんきょう)に、水は流れてありにけり。寒い寒い日なりき。われは料亭にありぬ。酒酌(く)みてありぬ。われのほか別に、客とてもなかりけり。水は、恰(あたか)も魂あるものの如(ごと)く、流れ流れてありにけり。やがても密柑(みかん)の如き夕陽、欄干(らんかん)にこぼれたり。ああ!―...中原中也と大岡昇平~「冬の長門峡」を軸に

  • 木槿のソネット(ポエムNO.3-87)

    (2019年7月撮影)川べりに大きな木槿がふうわり落下傘のようにいくつもいくつも舞い降りてつつましやかなピンク色であたりをつつんでいる。若くして亡くなった女流詩人のおもかげはたおやかなシルエットとなって風に舞う。あれはだれかをさがしているのだろう。待っている人はやってこない。夜になると花びらはとじて愛のことばを大事そうにかかえながら首をうなだれ口もとをかすかに開きいつかあらわれる人を待っている。千年乙女・・・際限のない時間のなかのうるわしきことばのかけら。木槿のソネット(ポエムNO.3-87)

  • 吉本隆明「改訂新版 共同幻想論」(角川文庫版)を買う

    戦後、哲学・思想分野で巨大な仕事をした吉本隆明の「改訂新版共同幻想論」。NHKの100分de名著の刊行にあわせ、印字の大きな新装版が出た。名著だとは漠然と感じはするがとにかく難解(=_=)単行本出版時に最後まで読み通したものの、字面を追っただけ。今度こそと思うけど、どこまで理解できるやら(゚ペ)吉本隆明「改訂新版共同幻想論」(角川文庫版)を買う

  • 色鮮やかな葉っぱ

    近所の駐車場でこんなに色鮮やかな葉っぱをひろった。細菌のしわざだろうが、ひろったわたしがびっくり(@_@)ケヤキかしら、違うかな。手で押さえていないと、くるんと丸まってしまう。色鮮やかな葉っぱ

  • 悔い改めねば(ポエムNO.3-86)

    (2013年7月ヤシカマット124G)茶目っ気たっぷりな男がおはようおはようと挨拶しながら歩いている。あれはだれだろう中也に似ている。街角のすべすべした岩陰にいろとりどりのチラシが貼ってあってその男もチラシを貼ってまわっている。「裁きの日は近づいた」ん?なんだか強烈なアルコールのにおいがするぞ。片足あげておしっこをする道端の犬にも見える。話はじめると止まらなくなるから男に口を開かせてはならない。裁きの日は近づいたというアメリカ映画の宣伝ビラじゃない。○○という教会の名が記されてある。ん?チラシ貼りの男はきのうおとといは「悔い改めよ」というビラを貼ってまわっていた。悔い改める人なんてだれもいないだろう。2千年もまえからそう決まっている。おはようおはよう通行人に向かってというより自分への挨拶なのだ。茶目っ気たっぷり...悔い改めねば(ポエムNO.3-86)

  • ほんの少しのたいせつなもの(ポエムNO.3-85)

    (2015年10月前橋)たいせつなものはほんの少ししかありはしない。川は流れないとよどんでいやなにおいを発しはじめる。時代がよどんでいたるところ悪臭がしている。すぐに慣れて感じなくなってしまうから問題にしようとする人は百人に一人もいない。たいせつなものはほんの少ししかありはしない。だけどほんの少しのたいせつなものをなおざりにしてきた。よどんだ空気の底で鼻をつまむかマスクをつけるか。皆さんそうして繁華街を闊歩する。背中にI'mageniusとプリントされたTシャツを着ている人もいる。「じじいやばばあはすっこんでろ!」ということなんだろう。ぼくは人通りの絶えたほの暗い路地をまがるもう一つ路地をまがる。そのさきにキレイなお花畑があってね百年まえのきみとぼくがおままごとをしている。いやおままごとにしか見えないなにかをし...ほんの少しのたいせつなもの(ポエムNO.3-85)

  • 薔薇を愛した詩人大手拓次 ~近代詩の探索者として(下)

    (2019年5月撮影)<承前>香料(香、香水、香炉、香気をふくむ)24編薔薇12編岩波文庫でチェックすると、香料、薔薇をタイトルにふくむ作品が36編存在する。これは瞠目すべき数である。だから大手拓次を「薔薇の詩人」と称するわけだ。男と女の色恋のロマンではなく、孤独な詩人の枕辺にあらわれるあえかな幻影の薔薇である。また大手拓次を「薔薇の詩人」といったとき、近代の詩人を一様に襲った、軍国日本の権力構造が精神的に重苦しくのしかかっていることも見逃してはならない。◆薔薇忌というのがある。だれの忌日かと思ったら、ほかならぬ大手拓次の忌日であった。1934(昭和9)年4月18日。だれも看とる人はなく、たった独りの臨終であったという。(安中市にある大手拓次詩碑)薔薇の詩をじつにたくさん書いているので「薔薇の詩人」とロマンチッ...薔薇を愛した詩人大手拓次~近代詩の探索者として(下)

  • 薔薇を愛した詩人大手拓次 ~近代詩の探索者として(上)

    (2019年5月撮影)<※長くなったので、本稿も2回に分けて掲載させていただく>大手拓次についてはせんだって小論を書いたばかり。しかし、岩波文庫版「大手拓次詩集」(原子朗編)を手に入れ、ぱらりぱらりと読んでいるうち、書き足しておきたいことがいくつか出てきた。大手拓次について語ることは、日本の「近代詩」について語ることと同義ではないか、とかんがえはじめたからだ。現在手軽に入手でき、詩人の全貌というか、全体像をつかもうとしたら、この岩波文庫版にとどめをさす。編集者にたのまれたから編集にあたったのではない。原子朗さんに、この詩人に対するやむにやまれぬつよい愛情、愛着があることが、巻末に付せられた「解説」からつたわってくる。原子朗さんは、元早稲田大学の教授で、宮沢賢治の研究家、ご自身も詩を書いておられた。2017年没。...薔薇を愛した詩人大手拓次~近代詩の探索者として(上)

  • 流木のように淋しい(ポエムNO.3-84)

    (撮影2014年10月)「精密検査をうけたら悪いところばかりさ」と苦笑いしていた友人が亡くなってぼくは淋しくなってしまった。だれかと突然走り出すなんてことはもう永久にないだろう。夢中になって二時間三時間バルザックやカフカについて話ができたそういう友人を失ってしまった。ああなんということだ。なんということだろう。淋しさのなかの真昼淋しさのなかの真夜中。だれ一人乗っていない夜汽車のように癒されることのない傷口のようにあれやこれ・・・のように。しんと静まり返った真昼と真夜中が交互にやってきてはぼくをからかう。あと何年?あと何年したらぼくもぼくもここから立去ることになるのだろう。ぷかりぷかりと浮かび真昼と真夜中の境界線をただよう流木のようにさ淋しい。サ・ヨ・ナ・ラ。流木のように淋しい(ポエムNO.3-84)

  • マスク星人

    過去からの手紙31は、すでにUPしたことがあるこれにしよう。いまどき、どこへいってもマスク星からやってきた“マスク星人”だらけ。マスクをしないとコンビニにすら入店をためらう(>_<)すげー時代になったものだ。熱があったら保菌者だと疑え!ということなのだろう。ただし撮影は2018年4月。このころは、マスク星人は少数派だった。マスク星人

  • 音楽のGift(ポエムNO.3-83)

    (ブラームスの評伝とオリンパスOM-2N2020年4月)老年というものはこんなにもすみやかにやってくるのだ。うとうと昼寝をして目を覚すまでほんのわずかなあいだ。さっきアゲハチョウがある花からつぎの花へ飛び移ったぞ。つまずきそうになって足許をふっと見やる。ああ向こうで洟たれ小僧がたわむれにひっかいたような数本のケヤキが六月の空の下でにじんでいる。あんなにも苦しかった経験や薫風の中のきみの記憶すらにじんで。生と死をへだてるボーダーラインがしだいに覚束なくなってきた。ラインをひいた神様ってどこにいるんだろう。ダークスーツのポケットから顔を出しているいくらか汚れたハンカチがそうかしら?ブラームスのホ短調のSinfonieを聴いていたら不意に涙があふれて止まらなくなった。泣いているわけじゃないのに。悲しみとはこういうもの...音楽のGift(ポエムNO.3-83)

  • 人間なのだから(ポエムNO.3-82)

    (2016年4月前橋公園)名前は他のものと区別するため付けられる。おれはあんたじゃないしあんたはおれじゃない。のしかかってくる名前逃げてゆく名前隠れている名前。いずれにしろこの地球という大海原の一滴にすぎないどんな名前だって。動物や植物には図鑑があってそれで名前を調べることができる。ところが人間には図鑑はない。すべて固有名詞だから?ぼくはきみじゃないしきみはぼくじゃない。だけど99%は同じだろうたぶん。そういえば「人間臨終図鑑」なんておもしろい本を書いた人がいた。死に方には個性がにじみ出る。ただし有名人じゃないとだれも興味はもたない。なにしろこの地球で一番多いのは人間なのだから。※「人間臨終図鑑」を書いたのは小説家山田風太郎。現在は徳間文庫で手に入ります。https://ja.wikipedia.org/wik...人間なのだから(ポエムNO.3-82)

  • リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」がおもしろい♪

    リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」が、色彩感が豊かでおもしろい!この数日デュトワで聴いていたけど、うますぎてもの足らなくなり、CD4枚買った。アンセルメ&スイス・ロマンド管弦楽団(右下。上はレスピーギのローマ三部作)で「うん、これこれ」という感じ(^^♪高速道路より、田舎のでこぼこ道をゆっくり走る愉しさじゃのう(~o~)ムハハ1960年発売、もはや古いけど音質はGood!リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」がおもしろい♪

  • ピジョンブラッドの夕焼け(ポエムNO.3-81)

    (夕景2018年3月)ピジョンブラッドのルビーを通過してきた夕焼けが一日のへりを鮮やかに染める。それは天空のかなたから地上を見下ろす神のまなざしでありまぶたなのだ。季節をまたぐ川風になぶられながら甘酸っぱいパイナップルのアイスをかじりながら公園のベンチに腰をおろしゆっくりと四方を眺めたり意味ありげに俯いたりする。大事なものはまぶたの草むらに落ちている・・・とでもいうみたいに。泥だらけになった星のキラキラを草むらからひろってしまったことがあったしね。スズムシのようにステキな声で鳴く恋人を見つけてとほとほおおよろこびするなーんていう神の奇蹟を期待し大火事となった西の空に眼を凝らす。フィナーレになにが起こるのか生まれるまえにみていた夢の燃えがらが俯いた視界のその先にある。ピジョンブラッドの夕焼け(ポエムNO.3-81)

  • 春のフーガ(ポエムNO.3-80)

    (風車2018年7月)心地よい春の風を背中にうけてきみは緑の海を帆走する。うねっていたり雨が降ったり変わりやすい天気に翻弄されて。絵のなかから抜け出した少年が別な絵のなかの少女を手招きしている。「さあぼくの隣りにおいでいっしょに帆走しよう」と。少年は心やさしい少女と手をたずさえステンドグラスの透過光に染まる異国をめざす。「ねえお腹すいたわ一休みしましょう」春はもう終わりかけている。よしぼくも帆走しよう帆走しよう彼らのあとを追って。老年から中年へそして少年へ。過ぎてきた歳月をさかのぼる春のフーガ。春のフーガ(ポエムNO.3-80)

  • 詩客(ポエムNO.3-79)

    (loveloveナミアゲハ2014年8月、わが家の庭先)このあいだリビングに詩客がやってきた。かのアンドレ・ブルトンが。・・・といいたいところだけれどやってきたのは拓次さんだった。むっつり黙りこんだままほとんどしゃべらない。「コーヒーを淹れましょう。まだ午前中だから」垢でよごれた和服に懐手しながらときどき頭をこつこつ叩く。「うるさくて困っているんだ」「なにがうるさいの?」大工や左官が何人もやってきて豪華な社殿のようなものをつくっているという。頭の中が建築現場なのかしら。大抵の人は頭のなかにそういったものを持って暮らしているたしかにね。考え事をしていると意識しているのは本人だけ。「ああうるさくて仕方ない。書いて外へ押しやってしまえばいいのだが」そうすれば静かになるのだという。飛び跳ねるイメージどもを掃き出し拓次...詩客(ポエムNO.3-79)

  • Film photo mixの世界

    (もっとも左の2階家が、北側から眺めたわが家)一番撮影ができる春に、あまり写真を撮らなかった。この十数年間でも、めずらしい出来事。そのかわり音楽にひたりこんでいた♪昨日、フィルムの現像、スキャンが3本あがってきた。たった3本なのに、すべて撮りおえるのに、4ヶ月ほどかかっている|*。Д`|┛デジタル写真は、ある意味、メモ用。本格的に「写真が撮りたい」という気分が盛り上がったときは、フィルム。そういった違いがある。だけど、お金がかかるし、撮影に手間ヒマかかる。お歳のせいだと思うけど、だんだん億国なってきたことは否めない、アハハ。アルバムに3本分をまとめてアップした。そこから10枚ばかりセレクトし、短いコメントを付しておこう。1.トップにあげたフォト。北側からながめたわが家とその周辺。2.市内クルージングで見かけたオ...Filmphotomixの世界

  • 梅雨の晴れ間

    全体に「青カブリ」に見えるけど、湿気が多いせいだろう。梅雨の晴れ間。正面奥、白い雲をいただいているのが浅間山、その左が小浅間。麓には軽井沢の別荘地が拡がっている。わが家から真西を眺めると、こういう風景が・・・(^-^)梅雨の晴れ間

  • お菓子でできた夢(ポエムNO.3-78)

    (撮影2019年12月)お菓子でできた甘すぎる夢。それを食べていたんだ毎夜たらふく。獏に喰わせろそんな夢あんな夢。おっとまちがえたぞ。右ではなく左へいやいやまっすぐだった。他人の夢にまぎれこみ帰り道がわからない。帰り道がわからない人たちが必要とされる間隔をあけてぞろぞろ歩いている。街頭演説する政治家に拍手をしたり年金事務所に相談にいったり。お菓子でできた甘すぎる夢を食べすぎたせいで帰り道がわからない。たっぷりとチョコレートをのせたケーキとモミジ似の京菓子がののしりあっている。そのかたわらで数十人の男女が途方に暮れている。「はてさてどちらへゆくべきか」なんてこんこんちきのキツネ顔。その一人にすぎないとこのあいだ気が付いた。なんてこったなんてこった。遅すぎたあまりにも。お菓子でできた夢(ポエムNO.3-78)

  • ハナアブとアジサイ

    梅雨入りしているようだけど、関東ではいまのところ雨は少ない。さて過去からの手紙30はハナアブの仲間(正確には未同定)。ご覧の通り、顔の半分以上は複眼が占める。ヒラタアブ、ハナアブは動物を刺すことはない。萼片をしっかりつかんで体を安定させているのがカワユイと思いませんか(*゚ー゚)ナハハハナアブとアジサイ

  • 六月の木陰の音楽会(ポエムNO.3-77)

    (コアオハナムグリとアジサイ2015年6月)秦の始皇帝は驚くほどの従者をひきつれてあの世へと旅だった。あちらでも戦争をしたり宴会にあけ暮れたりしているのだ。・・・と兵馬俑のフォトを眺めながらもの思いにふけっていたら遠くでナンネルがアマデウスを呼んでいる声がきこえる。そうか音楽会がはじまろうとしているのだ。ぼくも招待してくれないかしら。六月の木陰の音楽会。雨に降り込められて寄り添う二人なーんてね。そんな情景がにあわないじいさんになっちまったけど。手許にある手帳に脳裏をよぎったことばをメモしカステラを一つつまんでからよく冷えたビールをぐいと飲む。六月はアジサイとアマガエルどもの季節。田植えが終った広い田んぼのあちこちでモーツァルトのグランパルティータがはじまった。さて木陰の音楽会にでかけるとしようぼくも。手帳のなか...六月の木陰の音楽会(ポエムNO.3-77)

  • 永遠への口づけ(ポエムNO.3-76)

    (榛名山2014年5月)木はしゃべったり動いたりしない。しゃべったり動いたりしたことが大昔にあったかどうか世界中から神話を取り寄せて調べたわけじゃないからわからない。詩人がすすめるスコッチに口をつける。その瞬間が好きなのだ気泡入りの不格好な氷山が三つ四つクリスタルグラスとふれあってチリチリンと硬い透きとおった音を響かせる。そうしてなにをしているかというと芝生の上のロッキングチェアにもたれてブナの梢が夕暮れの風にゆれさわさわと波打っているのを見ている。近くの枝でヤマバトが鳴いている。「きみこういう音楽を知っているかねブラームスが渾身をふりしぼって書いたシンフォニーそっくりの。さっきまでゴーギャンがむっつりとそこに座っていたよ。楽譜のいらないこの世のほとりの演奏会さ」詩人はうれしげに微笑み金色のウィスキーに口をつけ...永遠への口づけ(ポエムNO.3-76)

  • ゴイシシジミと露草

    過去からの手紙29は、ゴイシシジミ。名前の由来がよ~くわかります。黒いちっぽけなブーツ(よく見えない)がおしゃれ。珍しいチョウではなく、竹藪、笹藪ですぐに見つかりまする(@_@)露草に狙いをつけているようだけど、そう見えるだけで興味なんてないのです。だってご飯はアブラムシのたぐいだから。ゴイシシジミと露草

  • 空想のあたらしい核(たね) ~幻想の詩人大手拓次 (下)

    (大手拓次。ネット上の画像をお借りしました)・・・承前。大手拓次の詩は、断定的にいうなら、総じて自己愛を結晶核とする抒情的な“うた”である。中原中也の世界も広い意味で自己愛を結晶核とする詩に属するのだが、中也の“うた”が開放的で陽気なのにひきかえ、拓次はいささか閉塞的で陰気。そのため、現在では「忘れられた詩人」の一人、という位置づけになってしまった。近代における抒情詩のゆれ幅を、この二人の詩人を焦点として眺めることもできるだろう(^^;)蟇(ひき)ということばに、わが国における詩的風土の湿気や、拓次自身の自己批判のイメージが集約されているとみて大過あるまい。ほかに「夜会」「盲目の鴉」「ジャスミンのゆめ」「夢をうむ五月」などの佳作がある。主要作は、詩集「藍色の蟇(ひき)」に集められている。しかし、ほかにも2400...空想のあたらしい核(たね)~幻想の詩人大手拓次(下)

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