いい年こいて、手塚治虫に夢中(^^)/なんてこったい。BOOKOFFに通っているうち「ふんにゃ?」と手塚さんの「アドルフに告ぐ」1~3巻(文春ビジュアル版)を買ってきたらこれが通俗的で、誇張ばかりで、いやはやおもしれえ♪講談社漫画賞を受賞しているし。うまくいえないけど、若いころそれとは違うなあ。「またかい?」「うん、まただよん。本はこころのご飯だから」手塚治虫って、総発行部数2000万部は超えているかな、それ以上か。「アドルフに告ぐ」に夢中
いい年こいて、手塚治虫に夢中(^^)/なんてこったい。BOOKOFFに通っているうち「ふんにゃ?」と手塚さんの「アドルフに告ぐ」1~3巻(文春ビジュアル版)を買ってきたらこれが通俗的で、誇張ばかりで、いやはやおもしれえ♪講談社漫画賞を受賞しているし。うまくいえないけど、若いころそれとは違うなあ。「またかい?」「うん、まただよん。本はこころのご飯だから」手塚治虫って、総発行部数2000万部は超えているかな、それ以上か。「アドルフに告ぐ」に夢中
このショットは違いますが、クジャクチョウにはじめて遭ったときのこと、よく覚えています。榛名湖畔の周遊道路からはずれて、アクセス道路を少しいくと、100m四方ほどのお花畑あり。わたしは図鑑で見たことのある真黒い、コールタールのようなチョウに気がつきました。おおっ、開翅ショットは、目視できただけ。でもいつか撮ってやるぞ。」ピエロのような派手ない衣装。目が釘付け!近づいてくる敵などを驚かすための衣装ですから、目が点になるのも当たり前。それにしてもこってりしすぎてるなあ(◍•ᴗ•◍)どぎつさでは、日本産の随一でしょうね。派手な衣装クジャクチョウ
「過去からの手紙」へ戻ります。これはたぶん、キアゲハ♬ナミアゲハではなく・・・てね。偶然撮れた一枚ですが、キアゲハへの褒めことばなのです。こういう写真が撮りたくて、仕事のあいまをぬって、フィールドを歩きまわっていていたのですね。ボケをあしらった背景の処理がうまくいきました。キアゲハへの褒めことば
手塚治虫少年は、たいへんな昆虫少年であったのだ。本書「昆虫つれづれ草」(小学館文庫2001年刊323ページ)は買ったのを完全に忘れていた(ノω`*)蔵書を半分に減らそうと、先日からがたがたやっていたら出てきた。コミック「ゼフィルス」「インセクター」が2本入っている。期待感もりもり盛り上がるなあ。いまさらだけど、手塚治虫はコミック・マンガ界の大スターだった。絵のうまさは、つげ義春とは別次元(;^ω^)「昆虫つれづれ草」手塚治虫(小学館文庫)
ええと、さらに数枚昆虫というか、チョウの写真がつづきます。これはだれもがご存じのモンシロチョウ♪白い花は何だったかな(´?ω?)春風があったかなかったか、画面が爽やかなので、気に入っています。この2頭、このあと結婚飛行へと飛び立っていきました。うわあ、いいなあ♡モンシロチョウの飛行
デジタルで昆虫写真をはじめた、ごく初期に撮ったもの。だから、20年ほどたっています。フィルムだと、色褪せが心配になる時期ですよね(;^ω^)これはツチイナゴの幼虫。「いい湯だな、いー湯だな」とドリフのように歌っています。・・・なこたあないか(^O^)ガハハハオレンジの湯に入れたらいいな、この子みたいに。オレンジの湯
池内紀はドイツ文学者で、カフカその他の翻訳でお世話になった。エッセイストとしても独特なユーモア、ペーソスを持ち味とする。岩波新書「文学フシギ帖―日本の文学百年を読む」こんな本を読みだしたらやめられなくて、お仕舞まですべて読んだ。「子規と明治の女」「久保田万太郎と湯豆腐」「堀辰雄とステッキ」「金子光晴の『鮫』」「尾崎放哉の孤独」など、短いページの中に彫金師みたいな、これまで「だれもいわなかったこと」がきちきちつまっている。“読者力を鍛える”かあ。うまいこと評したものだね。池内さん、あと一冊読んでみたいな(-ω-)「文学フシギ帖―日本の文学百年を読む」池内紀の芸
犬小屋のある片隅にふと目が止まりました。犬は長生きしたとしても11-12年。犬小屋を遺し、ご本尊は消えてしまいます。大型犬など、最期を看取るのはたいへんですよね(´Д`)街中を歩きながら、この一隅へきて、何かを感じたのです。庇の黒と、背景の緑。去ってしまった“過去”の思い出沁みついていますね。犬小屋の黒い庇
これはなんでしょう?トビ(鳶)かなとも思いましたが、カラスでしょうね。利根川河畔に、カラスたちの塒があるのです。望遠ズームを着けていたので、それを撮影した記憶あり、ぼんやりと。そのころ、右岸にはびっしり柳などが生えていました。カラスにはリーダーも参謀もいるなあ・・・と余計なこと考えたりしながら。カラスの群れ
過去からの手紙シリーズではありません。1千冊ほど、本を売り飛ばすつもりでガタガタやっていたら、手塚治虫の「人間昆虫記」が顔を出しました。持っていたのを忘れていました(;^ω^)何とか読めるレベルではありますが、文庫版なので文字が小さいなあ。それだけ老眼がすすんだということじゃ、まいった。手塚治虫「人間昆虫記」を少し読んだ
過去からの手紙、たぶんNO.11です。あえていろいろな傾向のスナップを取り上げています。これはこのころよく撮っていた仕事帰りのスナップ♬コンデジを右手にかまえてバシバシいい加減にシャッターを押していました。雨が降りはじめていました。スバルの軽ですが、この車種が好き・・・でした♡ところで、GOOがBlogのサービスを、11月に終了することになったんですね。残念至極!お引越ししようかなあ。雨の夜のスバル(自動車)
さて、つぎはフィルムカメラの一枚。ニコンFM2+ニッコール45ミリF2.8で撮影。防火水そうという標識の赤、トタンや空の水いろに空気感がただよっているのを感じます(。-ω-)自分でいうのもなんですが、大好きなショット。撮った場所は大間々郊外です。朝顔か昼顔がまきついて、花が咲いています♫フィルムは何だったかしら?フジのネガカラ100からフィルムスキャンしたと思います。街角ショット~ニコンFM2+45ミリF2.8
過去からの手紙に戻ります。ここは前橋の大渡橋の下。暑い夏、現役時代はときおり昼寝しにいっていました。大渡橋というと、地元では朔太郎の詩で有名で、詩碑のたぐいが2つか3つあります。このショット、自転車で通過するお兄さんが、うまくブレてくれました。コンデジでカメラ任せだった・・・と思います。ブレた自転車
2-3時間探しまわってようやく発見(;´д`)タハハつげ義春のマンガ、エッセイのことです。あちこちにバラバラに置いてあったので。本って、関心が変わるたび、入れ替えが必要になるんだよね、めんどくさいけど。「流れ雲旅」は北井一夫その他と組んで「アサヒカメラ」「アサヒグラフ」等に連載したのだね。当時、雑誌を購読していたけど、その後捨ててしまったなあ。うっすら記憶にあるだけ。ところが朝日新聞が2023年1月にリメイクしたのです。読んでみると、つげさん、まず当時の国産カメラで風景を撮影し、それからプリントを参考に、周辺の環境を仕上げてマンガを完成させるのですよね♬“失われゆく日本の風景への旅”。50年後のリメイクなので、皆さんすっかりお年を召しておられる。ひなびた温泉をめぐる旅。日本がいまより貧しかった時代の貴重な...つげ義春ワールドへ♪
伐り倒されたサクラの古木。樹齢100年くらいかな?すぐ近所の、六地蔵がある公民館の庭に、3本あったのが、3本ともやられた(゚o゚;知っているものではチェーホフ「桜の園」、安吾の「桜の森の満開の下」、梶井の「桜の木の下には」は、サクラをあつかった名編といっていいだろう。だれが伐ったのだろう!わたしは毎年、この古木に遭うのを愉しみにしていたのに。無残やな。伐り倒されたサクラ
ちくま文庫につげ義春コレクションがある。「紅い花・やなぎ家主人」を途中まで読み返したけど、いやはやす、すんばらしい(笑)。紅い花、長八の宿、ほんやら洞のべんさん、もっきり屋の少女、やなぎ屋主人に、以前読んだときのマークがつけてある。全巻揃えたはず。ただ年寄りには文字が小さいのが難点(;´д`)つげ義春コレクション(ちくま書房)
ここは原宿の神宮橋の上。明治神宮や代々木公園には、この橋をわたって行くのが普通でしょう。1990年代には数千人の若者がどこからともなく集まってきて賑やかでした。リーダーはいないし、仕掛け人もいない路上パフォーマンス♬彼ら彼女を追い回すカメラマン。ご覧の通り、これも集合写真です。夏は暑いので、主に春と秋。わたしは群馬から新宿の地下駐車場にクルマを入れ、原宿まで、何回となく通いました(^ε^)「おじさん撮って!」と呼ばれたのかも。きれいな女の子より“ブスい”子の方が威張っていたと思います。神宮橋の上。モノクロームの写真集を、後につくっています。なつかしいなあ。彼らが占拠ていたのです、路上をね。路上パフォーマンスのあとで
さてこれは「過去からの手紙」シリーズではありません。「働く自動車」を撮ろうと思って、ある店舗の駐車場へいってカメラを構えていたところ、「おやっ」と一瞬眼の端をよぎるものが。生垣に今年はじめてのアゲハチョウ(ナミアゲハ)が止まっていました(゚ω、゚)春型なので夏型の2/3ですが、鱗粉はとてもフレッシュ!ただ惜しいことに、向かって左の尾状突起が失われていました。何があったのでしょうね、生まれて間もないこんな子に。昨日は自宅の庭で、はじめてのヤマトシジミにもお遭いました♬今年はじめてのアゲハチョウにお遭いする
この小学生が走り出して、わたしの横を眼にも止まらぬようなスピードで走り抜けていった午後のことはよく憶えています。携帯の着歴音が鳴ってすぐだったと思います。うれしくて全力疾走。お母さんのクルマがサッカー場のPに止めてあったのです。わたしはニコンに50ミリを着けてスタンバイしていました。いったいどういった事情があるのかは、もちろん知りませんでした。めったに遭えない親子なのかなあ。全力疾走
サクラ、サクラの季節。日本人はこの花が好きですよね、あきれるくらいに。はてさて、ここは前橋公園のサクラ。市民の憩いの場所です。そこにやってきたS高校の生徒たち。記念撮影をはじめたので、わたしも撮影の仲間入り。ハッスルて「ハイチーズ!」とか声をかけたのだったかしら?前橋S公園の集合写真
つまらないフォトで恐縮です。散ったサクラの花が、暗い池の表に浮かんでいる。それだけ(笑)。ただクローズアップしてみたら、蜘蛛の糸に引っかかった花びらのこまかな葉脈がすかし紋様のように浮かんできた・・・デリケートなのか、ただの顕微鏡的写真なのか、拾い上げてみたものの、ことばにつまり気味。池の淵に浮かぶ花びら
退屈な部屋、魚石、日の戯れ、散歩の日々、池袋百点会、隣りの女。どれも皆おもしろい♬そして傑作「無能の人」。吉本隆明の解説+書誌をふくめ398ページ。新潮文庫から平成10年刊行されていた。このところ、BOOKOFFに5-600冊叩き売った。売れる本をさらに物色中(;^ω^)「無能の人・日の戯れ」新潮文庫(つげ義春)
見ればおわかりのように、ナンテンが散り敷くスナップです。ナンテンって木としては弱く、圧雪によって、たちまち撓んでしまいます。散り敷いた葉を眺めているうち、パレットの絵具をぶちまけてしまったように見えきて、ついパチリ!色や形に反応しています。わが家の通り道、雪の日の道端(^^♪ナンテンの葉の彩り
「過去からの手紙」のNO.3はこちら♬あれこれとスナップショットを取り混ぜてすすみますので、ご容赦。女の子3人組です。その日、サクラがほぼ満開だったと記憶しています。後ろは群馬県人にはお馴染みグリーンドームと噴水。春のわくわくするような開放感。ポーズはわたしが指示しています。もう10年はたっているなあ
たいした写真はありませんが、申すまでもなくすべてわたしが撮影しています。これを機会にあらためてレタッチしてリファインしたつもり、です(*´ω`)タハハ前をアニメを描いたクルマが走ってたので、つい運転席からパチリ!危険運転ですねぇ。こういうクルマを痛車(いたしゃ)というらしいですね。痛車
先日、ちょっと古めかしいUSBメモリのバックアップを見ていたら、15-6年前にまとめた写真がいろいろ出てきました。そこから30枚あまりを「過去からの手紙」と題してUPしてみます♪はじめはアゲハチョウの仲間でも個人的に大好きなアオスジアゲハ。赤い花との対比が眼に痛いほど強烈ですよね。アオスジアゲハ過去からの手紙(1)
「河童」や「歯車」の世界へと遠ざかってゆく人へ (4) ~芥川の通奏低音
(「芥川龍之介」ちくま日本文学全集1991年刊「戯れに」が収録されている文庫本はこれだけ)たしか吉本隆明さんにうながされてだったと思うけど、芥川の“通奏低音”に耳をましたことがあった。《戯れに(1)汝(な)と住むべくは下町の水(み)どろは青き溝(みぞ)づたい汝が洗湯の往き来には昼も泣きつる蚊を聞かん》《戯れに(2)汝と住むべくは下町の昼は寂しき路地の奥古簾(ふるす)垂れたる窓の上(へ)に鉢の雁皮も花さかむ》芥川がこんな詩を書いていたのは、そのときまで知らなかった。ファンであってもなくても、これが彼の生活の底をずうっと流れづけた“通奏低音”であったことは一目瞭然だろう。渾身の力をふり絞って、帝国ホテルで原稿と取り組む芥川は、かなり難解な小説家といわざるをえない。太宰もそうだが、自ら死を目前にひかえているので...「河童」や「歯車」の世界へと遠ざかってゆく人へ(4)~芥川の通奏低音
(こんなアンソロジーが宝島社から刊行れている)名作短篇と見なされているものを列挙してみよう。・羅生門・鼻・芋粥・藪の中・地獄変・蜘蛛の糸・杜子春・戯作三昧・玄鶴山房・枯野抄・河童・歯車・侏儒の言葉ざっと数えても短篇に限ってこれだけあるのは、他の作家を圧倒している。つまり純文学作家、作品として。大正時代は、芥川龍之介の時代であったのだ。「第四次新思潮」の発刊が大正5年、芥川の自殺が昭和2年のこと。(よく知られた友人ちと記念写真。上のは親友井川恭と。下のは右より成瀬正一、龍之介、松岡譲、久米正雄)(第3短篇集なる「傀儡師」のリメイク版、頂点へ上りつめる)この「傀儡師」には、「奉教人の死」から「地獄変」まで11篇の作品がならんでいる。ほかに「枯野抄」「蜘蛛の糸」「袈裟と盛遠」「ある日の大石内蔵助」「毛利先生」「...評伝で大正期へと迫る(3)~輝かしき芥川の出発
行方不明になっている内田百閒の文庫本をさがしていたら、この2冊が出てきた。近ごろ毎週のようにこの種のぼけかましがづづくなあ。われながら嫌になる。井伏さんの対談は深沢七郎、河上徹太郎を読んでどこかにもぐり込んでまった。紀野さんのは明恵、沢庵のを読もうとしていた。していた・・・だけだけど(´Д`;)井伏鱒二対談集ほか
“歴史”というフィクション (2)~人気NO.1の人気作家芥川龍之介
(豪華版日本文学全集16芥川龍之介66.12.11のゴム印が押してある)どこの書店へいっても、彼の本は必ず棚の在庫がある。それだけ現役作家のごとき人気作家なのである。オビ広告から引用させてもらう。《知性と懐疑の芸術。豪華版日本文学全集第4回配本定価480円。理知派とか新技巧派とよばれた芥川の文学の本質は、その豊かな教養と知的な技巧の冴えにある。特に新鮮な短篇小説に芸術至上主義の輝かしい姿勢を確立した。しかも人生の苦悩と絶望を時代の中に抱き、その鬼気迫る章句に知識人の不安と懐疑を赤裸々に示している。》「理知派とか新技巧派とよばれた芥川の文学の本質」そういうことは漠然と理解きるが、このコピー、後半は何を意図して書いているのかよくわからない(^ε^)皆さんには関係ないことながら、西暦1966年12月11日が、高...“歴史”というフィクション(2)~人気NO.1の人気作家芥川龍之介
評伝「芥川龍之介」を読む (1) ~近代文学NO.1の人気作家
■「芥川龍之介」関口安義(岩波新書1995年刊その後アンコール復刊2007年)オビ広告に《ご要望にお応えしてアンコール復刊》とある。また、《清新作家像を描く必携の本格的評伝》とも。評伝はいたってまじめで、古色をおびているが、おもしろくないわけではない(-ω-)いままで関口安義さんのお名前は存じあげなかった。都留文科大学の名誉教授で芥川とその周辺人物の評伝をずいぶん書いておられる。(2022年没)。実直な研究家とみえて、「芥川龍之介」(小学館1991年刊)に、「芥川龍之介研究史大概」「芥川龍之介年譜」をまとめている。新潮社の文学アルバムも、この人が編集。うかつにも、意識してこなかったというだけである。わたしは以前、大正時代の文学作品のファンと書いたことがあった。その中心人物こそ、芥川龍之介である。このところ...評伝「芥川龍之介」を読む(1)~近代文学NO.1の人気作家
以前一度UPしたことがあるので再度の投稿となります。ツルバラの自転車と名づけることにしました、この光景。最近乗った形跡がありますよね?乗っていなければ、サドル(かなり傷んでいますが)は埃まみれでしょう。茶色のカゴがあります。ツルバラ、花を咲かせるはまださきとなりそうですね♬ツルバラの自転車
遠くからの声、近くからの声。高崎球場そばの公園に子どもたちが4人。その向うにも3-4人の姿が見える(゚д゚)ここいらは下町の雰囲気をたっぷり残している。カードをならべてゲームに興じているのだ。3-4年生かな?赤とグレーの子ども用自転車。どこかそのへんで大人の眼が光っていたかも。子どもたちが公園にいる♬
「悲劇と喜劇に両またかけて」と、オビ広告は謳っている。池内紀解説“ちくま文学の森13旅ゆけば物語”。表紙は安野光雅。そこに高浜虚子「斑鳩物語」が収録されていた。これ40年の大昔から懸案だった本。秀作とはいえないが、そこそこおもしろかった。上・中・下に分かれ、小説とも長めの写生文とも読める。旅館のスタッフお道サン、お髪サンの方言が巧みでリアル。法起寺の塔に内部からこわごわ登るあたりも読ませる。「斑鳩物語」は本書で約20ページ。決着のつけ方がうまくいっていたら、秀作といわれたかもしれない。国内・海外ふくめ二十数編の紀行文・エッセイ・小説が収めてある。「斑鳩物語」高浜虚子~旅ゆけば物語より
ヨーロッパ風の両開きドアとスポーティな白い自転車(´・ω・)?何じゃなんじゃと思いつつ、運転席からカメラを構えました。単なるピクチャーでしたが、多少立体的に見えるよう陰があるのかなあ。イタリアンレストランの広告です。スポーツ自転車は「さわやかな心地よい風」の暗喩なのかしら(^o^)ニャハハ壁の絵
医院の駐輪場に止めてある一台の自転車。サドルの後ろにビニールの透明傘が差してある。荷物かごには手帖らしきものが。どこか“わざとらしさ”を感じるのはわたしだけかな(^ε^)○○クリニックといって、父が通院していた。わたしは歩けなくなって1回診療してもらった。はっきりいわせていたくなら“やぶ!”ですよ。駐輪場の1台
文豪といえば鷗外であり漱石である。その中から一番気に入っているものを一冊ずつ選ぶとすればこの二冊。「山椒大夫・高瀬・他四篇」とあるが、この四篇がぜんぶすごい。斎藤茂吉の“解説”も普通の学者の域をはるかに抜いている。あとは「雁」かな(。-ω-)「雁」を読んで、その年に東大構内を横切り、無縁坂を友人と下ったものだ。すでに17-8年の昔となるが。ことばを節約したため、短篇は鷗外の手腕によってさらに短くなった。どの一篇も傑作であり秀作である。これまで新版が出るたびに買い直している、とても大切な二冊じゃ♬もう一度全編を読めるといいなタハハ傑作群「山椒大夫・高瀬・他四篇」
防具じゃなく、防寒グッズ。まるで戦車みたいだねぇ(゚o゚;これをはじめて見たときは驚いた。皆さんの中にも「どひゃ!」と反応する方いるでしょうね。子育て中のママの顔や腕を守る、子どもをすっぽり守る。それにしても重装備。こんな自転車がわたしがよくいくスーパーの出入口付近に止まっていました。通販で買ってしまったものの、いくらも使わないうちに防寒グッズは廃版にした・・・とか(笑)。重たいよ、ふつうの主婦は持て余すはず。それとも電動自転車かな。防寒仕様の自転車
自転車のショットを、もう少しならべてみましょう♬アルバムを振り返ってみると、枚数はかなり多いけど、被写体としては人物を主体としたものが中心となってしまうな。自転車だけのショットは予想したより少ないかも(;´д`)運転しながら、ポストがあるのに気がつきました。ジョークがお好きでしょ。ポストと自転車
3月5日につづいてまた雪が降った。写真は階段室の踊り場から北側の納屋を見下ろしたところ。そのときより5㎝くらい少ないかな?淡雪小雪レベルというには少々積雪がある。餌をさがす野鳥は(慣れない年少組)はたいへんだなあ。きいーっ、きい!と激しく、ムクドリやオナガドリが啼いている。今年2度目の雪
このショットの主役は小型自転車というより、干すため拡げられたベージュの傘かもしれない。たしか桐生の無鄰館というところで撮影したのだ。桐生市には6-7年、連休のたび写真を撮りに出かけた。昭和の雰囲気を一番たたえた商店街が気に入ったのだ。無鄰館のご夫婦には特別な紅茶をいただき、親切にしていただいた(*゚ω゚*)奥の長い帯のような敷地には、いろんな施設があった。美術館といえるようなアートシアター(レンタルギャラリー)もあった。ご主人夫妻がおしゃれして、喫茶店をやっておられた。元来は機屋さんで無鄰館は旧北川織物工場跡地。傘を干した無鄰館の小型自転車
このショットの主役は小型自転車というより、ベージュの傘かもしれない。たしか桐生の無鄰菴というところで撮影したのだ。桐生市には6-7年、連休のたび写真を撮りに出かけた。昭和の雰囲気を一番たたえた商店街が気に入ったのだ。無鄰菴のご夫婦には特別な紅茶をいただき、親切にしていただいた(*゚ω゚*)奥の長い帯のような敷地には、いろんな施設があった。レンタルギャラリーなども併設されていた、と思う。ご主人夫妻が、喫茶店をやっておられた。桐生の無鄰菴にて
つい数日前「武田百合子対談集」中公文庫(2024年刊)を買ってきて、さっそく読ませてもらった。はじめに置かれた深沢七郎との対談「武田泰淳の存在」は80ページ以上もの分量があり、読ませる。深沢七郎は「楢山節考」しか知らなかったが、関心は強く本は着々と集まっている。このユニークな人物のある一面を、赤裸々に露呈しているのは予想通りだった。この長篇対談が、他の著作には書かれていない、亡くなった前後の武田泰淳と百合子夫妻のことを述べていて、興味深い。武田百合子、全然インテリじゃない。でも普通を超えたおばさん(-ω-)タハハそこがいいのだ。「武田百合子対談集」に引きずり込まれた
宇野浩二の著作は何作か持ってはいる。だけど唯一読んだといえるのはこの「獨断的作家論」にとどめを刺す。葛西善蔵論、川崎長太郎論等・・・持ち前の粘着気質でしつこく食い下がっていて、じつにおもしろい♬とある古書店で見つけた“拾いもの”なのだ。そろそろ宇野浩二の小説(講談社学芸文庫)にもとりかからないと、目がだめになってしまうぞ(^^;;)「獨断的作家論」に舌なめずり
こちらも自転車スナップ(ˊᗜˋ*)俗にいうママチャリでしょうね。お疲れ気味のカゴがついているよ、生活感滲んでいるなあ。ん?サドルには何やら覆いがかかってますね。ペンキ色の真っ赤な門扉、右の竹が古いのと新しいのと、意味ありげだにゃ。どこで撮ったんだろう、まったく憶えておりません。自転車のある光景(2)
予告したように、つぎは街角スナップでいってみようかな。道端に止めてある自転車を見ると、スナップしてしまう。ネットの友人葉流さんなどもときどき、風情ただよう“街角自転車”を撮っておられる。自転車は「はずれにある光景」なのだね。端っこにあるものに、人は何かを感じるのだ。その人の香りというか、フォトジェニックなものを強く。自転車のある光景(1)
時は疾風(はやて)の如く ~泰淳・百合子・花みんないってしまった
■『「富士日記」を読む』中公文庫(中央公論新社【編】2019年刊索引をふくめ301ページ)《九月二十一日、泰淳氏の死の二週間前に「富士日記」は終わっている。泰淳氏は去ったが、後に「富士日記」と、それによって紛れもない言葉の表現者としての武田百合子が残された。「富士日記」ほど、作者の全人格の表現である日記は稀であろう。その十六年半後の一九九三年五月二十七日、武田百合子氏も六十七歳の生涯を閉じた。》(黒井千次『「富士日記」を読む』190ページより)黒井千次さんが、エッセイの終わりをそう結んのは1996年のこと。そしてわたしはつい先だって、一人娘の花(武田花)さんが、2024年4月30日に亡くなったということも知ってしまった。時は疾風のように、またたくまに過ぎさっていく。泰淳さん64歳、百合子さん67歳、花さん...時は疾風(はやて)の如く~泰淳・百合子・花みんないってしまった
北から南へ、まったく同じスピードで走っていた。しっかり食いついて離れない、まるでコバンザメ₍(小判鮫)のように。あれれ、かなり距離があったけど、ずっとコバンザメでいくか(゚o゚;運転手どうしお知り合いとか・・・意図的なものがありそう♪コバンザメはさらにユンボという子供をつれていた。意図したように並走するクルマ
「遊覧日記」(ちくま文庫)には秀作がいくつもふくまれている♬母と娘の合作というのも得点が高い。まあしかし、武田百合子さんといえばまず「富士日記」ということになろう。3巻本だが、上巻がみつからないため買い直した。彼女の“天然ボケ”が花さんにつたわっているのはおもしろいことだな(。-ω-)武田百合子・花が書き残したもの
一瞬クルマのホイールを展示してると思えた。何だろう、これは。蛇の目傘じゃないし・・・唐傘か?6m道路に面した普通の木造民家。外からのぞけないよう「目隠し」にしてるのかな(´ω`*)奥様か娘さんか日本舞踊やってるのかも。わたしは9月の末に、偶然見かけてクルマの運転席からパチリ!唐傘?
さあて、つぎはどうしよう。街角スナップでもいってみようかな(*´σー`)ちょっとネタ切れかしら。その前に一つ。これ♬葉っぱにこんなおもしろい孔をあけた虫さんはどなたでしょう。「おれだよ」「あたしです」と名乗り出てくれればいいけど、聞いたことないねぇ。さてはおまえさんか!葉脈だけ食べ残すヤツは。葉っぱにへんな孔をあけたヤツ
ええと、きのこに深入りすると混乱してくるので、これを最後にします。・・・ナメコのように見えますが、イヌセンボンタケかもしれません。それも違うかな(^^;;)よく似たきのこが数種あります。結局、きのこは2シーズンだけで撤退。“同定”のあらし。図鑑と首っ引きのため、高齢者は疲れます。ご協力いただいた皆さんに感謝です。すごすごときのこから撤退です
2月から3月にかけて、北関東では必ず2-3回は雪がふる。見慣れた光景。わが家の玄関ドアを開けると、こんな光景が待っている(´Д`)外流し、そして東の物置き(駐車場)。いずれ解体撤去しなければなあ、お金がかかるにゃ、参ったまいった。雪の日
発売されたばかりのOM-3がやってきた。記念の一枚でありありまする。ボディは1㎝ほど横長、OMSESTEMのロゴにも多少違和感があるけど、すぐに馴れるでしょう。EOS5D(初代)&24-70㎜ズームを下取りに出して約20万円。レンズは従来のままであります。オリンパス何といっても小型軽量なのが一番♪。OM-3がやってきた
関川夏央編「鉄道文学傑作選」(中公文庫2024年刊)をぱらぱら読んでいて、上林暁「鄙の長路」という短篇を興味深く読ませてもらった。上林さんは、B級短篇ばかり読まされてきた。ところがこれは房総半島のローカル線(汽車旅)のことを、おもしろおかしく、綿々とつづっていて印象深く、感心した。いわゆる「病妻もの」は知られているが、それ以外の小説は知らないものがほとんど。代表作が1つ2つ書けないと、文学史のはざまにうもれ、忘れられた作家になってしまう(;^ω^)夏目漱石「三四郎」、志賀直哉の「網走まで」等と肩をならべている。危ういところ、関川さんがひろいあげてくれたのだ。「鄙の長路」(上林暁)を興味深く読んだ
アミガサタケというきのこでしょう。普段は野鳥の撮影のため歩いている、水辺の公園です。わおっ、と小さな叫びをあげてしまいました。こんなのが“にょきっ”と顔を出していたのですから。長さは12-13センチ。奇妙なきのこが土中に潜んでいたのです。生で食べると有害だといいますから、食べない方が無難だなあ。アミガサダケ
おっ、そうか写真家の武田花さんが、2024年4月30日に、甲状腺疾患のため72歳でお亡くなりになっていた!う~ん可哀想だな、ショック(゚o゚;「眠そうな町」で90年に第15回木村伊兵衛賞をとって以来、ファンだったし、母の百合子さんの「富士日記」もちょびちょび読んでいる。「遊覧日記」(1993年刊ちくま文庫)は母がエッセイを、娘がフォトを掲載している記念の一冊。それを、たまたま昨日からを読みはじめたのだ。花さんのフォトエッセイは、「煙突やニワトリ」「カラスも猫も」など5-6冊は持っている。母親ゆずりの“天然ぼけ”が何ともいえない味を出している。むろん写真もいいな。ライカM2&50㎜遣いじゃなかったかしら。そっかー、お亡くなりになっていたか。ショック、わたしより1歳年上だった。もう彼女の写真は見られない。追悼武田花~百合子さんの「遊覧日記」を読む
野鳥を探しにいったのだと憶えています。達磨さんで有名な少林山。ここは北斜面に本堂や鐘楼が展開している珍しいお寺、まあ緩やかではありますが。そこで発見!これは何だ(´ω`*)調べましたよ、図鑑を2-3種類買って。ツチグリ。まさに名称にぴったり。大きさは2-3センチで、湿った土壌を好むようです。ツチグリ発見
要するに肝心なのはこちら。「人間臨終図鑑」(徳間文庫)。改版され何回も版を重ねているが、わたしの手許にあるのは3巻本4巻本が入り混じっている。こちらは傑作の名に値すると思う。こんなユニークな本はこれまでみたことがなかった。死にぎわの人間に焦点をあてているが、冷酷で皮肉な表現だけには終わっていない。年齢順に923人分・・・人間の死をこんなふうに見つめてきた物書きがほかにいるだろうか!?変格ドキュメンタリーですね。山田さんは79歳でお亡くなりになっている。うむむ、ずいぶんと教えられました、な(^^♪ウィキペディアに一覧表があり、参照できます。山田風太郎の傑作「人間臨終図鑑」を読む
ベッドの脇にいくつかの積読の山が聳えている。いずれ片づけないと拙いなと思っているが、なかなか進まない。そこから「戦中派天才老人・山田風太郎」(関川夏央ちくま文庫1998年刊)が出てきた。「人間臨終図鑑」を、いま盛んに読んでいる(-ω-)500人を超える各界の有名人の末期が書いてある。正宗白鳥の6ページが一番長いのかな?あとは平均2ページくらい。第Ⅲ巻と4⃣が同一なものとは知らなかった。このように人生観を述べた著作はほかに存在しない。じつにユニークで、“サビ”が効いている、名著といっていいだろ。ただし、この関川さんの著書はたいして面白くない。戦中派天才老人・山田風太郎
植物つながりでつぎはきのこ。すいませぬ、気まぐれで。これは以前もUPしたものと同じです。一見すればおわかりの通り、タマゴダケ(*^。^*)前橋の嶺公園(広大な霊園)を歩いていたとき、この子にお遭いしてびっくり!それから2シーズンきのこを探して歩きました。食べないから撮影するだけですが。タマゴダケ
ええと、昆虫図鑑を検索するのに、少々疲れました(´Д`)やれやれ、蛾がまだまだ10頭はいるのに、「だれか助けて」があまりにつづいたので。そこで思い出したのが草花。まずは在来種のスミレ♪深紫がきれいですよね。ここは前橋市の有名な遊水地周辺。それを取り囲むようにロータリーがぐるり廻っています。その一隅にある年、びっしりスミレが生えてきたのです。クルマを路肩に止めて、さてさて・・・と撮影。カメラに24ミリが付いていたか28ミリだったか。腰を据えてローアングルからパシャパシャ!!その中の一枚です。スミレは好きな花。だれかが蒔いたのでしょうね。スミレの群落
名作「網走まで」と「灰色の月」を読み返す ~調和型の私小説の神髄
「網走まで」「灰色の月」は志賀直哉の代表作として、ご存じの方が多いだろう。これまで3-4回は読んでいる。そしてまた、読み返した。“読み返すことができる”というのが、名作の条件であるものは、当然だと思える。以前、こうに書いたことがあった。《たとえば、堀辰雄の「辛夷の花」(「大和路・信濃路」の一編)と「網走まで」を、以前読み比べたとき「ああ、そうか。踏み込みの鋭さがまるで違う」と思ったものだ。どちらも列車の中の情景を題材としているが、「辛夷の花」がものを見ているのではなく、雰囲気描写に終始しているのと違い、「網走まで」のまなざしは現実に突き刺さっていく。こういう人に見られるのは、ある意味恐ろしいことである。視線がものの、あるいは人間の本質を衝き、ヴェールの内を暴いてしまうからだ。》「一つの到達点としての「焚火...名作「網走まで」と「灰色の月」を読み返す~調和型の私小説の神髄
金のイナゴ銀のイナゴといいたいけど、図鑑で調べるとどうもナキイナゴという種類のようです。上に乗っているのがオス、下がメスで一回り大きいですね(*・д・)ぐんま昆虫の森でお見かけしたとき、きれいだったので、童話を作ろうかなと思いました。こんな金と銀のイナゴがいたら、あなたもそうしますか?金のイナゴ銀のイナゴ
高齢者ごみ出しSOSだってさ♪こういう便利なクルマが町を走っているんだね。これまでも数回見たことがあった、自治体も大変^ωヽ*冷淡に眺めていたけど、このさき、2-3年でこのクルマのご厄介になるかもしれない。元気な人もいるだろうが、わたしの場合そうもいってられない・・・かもねタハハ対策を講じないと“ごみ屋敷”になって、近隣の苦情がもちこまれるのだろう。高齢者ごみ出しSOS
スカシユリだったかな?この黄色いユリを見ていたら、先客がいました。指のさきみたいな小さなカマキリ。こんなのが、花粉をもとめてやってくる昆虫を待ちかまえて潜んでいたのです。しかも臨戦態勢(゚o゚;カマキリにも6-7種あるらしいけど、ヒメカマキリは茶色なのかなあ。単に子どもなだけか。どこからでもかかってこい(T_T)
ヒゲナがオトシブミのオスだと思われます。首長竜みたいに、とにかく首が長いなが~い(´ω`*)これで翅があるんですよね、甲虫の一人ですから。さぞ、飛びにくいことでしょう。めずらしい種かとおもったら、榛名山の道端にいっぱいいました。小さいので、目に入らなかっただけ。それにしてもこの首の長いこと↑ヒゲナがオトシブミ
よいしょよいしょ!よいしょ!頑張れアマガエル(^O^)うちの敷地にはトノサマガエルもいますが、アマガエルの方が断然、数は多いです。やんちゃだから、ときおり観察をば♬このペンキの派手な赤。もちろん、ご本人は自分がこんな壁を攀じ登っているなんてわからないと思います、ファハハハ(^O^)赤い壁攀じ登るアマガエル
うむむ、あなたはどなたですか!?はあて、さてだれでしたか、わからなくなってしまいました。ハチだったかアブだったか、ハエのお仲間だったか・・・・。これじゃ勝手に悩んでろ!といわれそうです(´Д`)指につまんでクローズアップし過ぎたら、し過ぎてわからない。二十数年も昔のことなので、むふう。ところで、小生意気な王子様の風貌がありはしませんか?少年剣士(^^?)
■高濱虚子「高濱虚子集」現代俳句の世界1深川正一郎選(朝日文庫昭和59年刊)ほかの俳句の文庫本といっしょに、書棚からこぼれてきた。何気なく手にとって、澁澤龍彦の「物の世界にあそぶ」という序文を読みはじめたら、これにいささか圧倒された。何だって?高濱虚子に澁澤龍彦をぶつけただけで、不甲斐ないが「おっ♪」と唸ってしまった。略年譜を齋藤愼爾さんが編集しておられるので、齋藤さんが仕掛けたのかも知れない。読みはじめたら、中身も凄かった。それほど売れたとは思われないが(^ε^)澁澤さん、一番“のり”がよかった時代ではなかったか?めちゃくちゃ西洋派の論客として評論をお書きになっている人物を、「客観写生」「花鳥諷詠」によって主導した「ホトトギス」の領袖にぶつける。そうして、結果として、それが成功を収めているのだ。いままで...「物の世界にあそぶ」~澁澤龍彦が暴く虚子の実像
べっこう色をしたトンボ。わたしはトンボには、チョウと比べあまり関心がありません。何でかな、アルバムには100枚とはいわないけれど、それに近い数がある・・・と思うけど。榛名山麓の湿地で見かけたこのべっこう色のトンボは他の仲間のうちで目立っていた。下に板が渡してあり、足を踏み外すと池ポチャ。二ホンカワトンボ、ミヤマカワトンボ、アサヒカワトンボ・・・はて(´?ω?)上品なカワトンボ
ハエ・アブのお仲間にはお近づきになりたくないものが大勢いるが、この“コガタノミズアブ”など、数種の美麗種がいる(ˊᗜˋ*)里山の水田や池など水辺に棲息。希少種で、地域によっては絶滅危惧種。背中に金属の鎧を負って、蛍光ペンをあてたようなうす緑と黒の縞。体長12㎜前後。農薬の使い過ぎによるものか?美麗なコガタノミズアブ
偶然何ていう名かを発見しました。セリグロベニトゲアシガ^ωヽ*撮れたのも偶然なら、お名前を発見したのも偶然。めずらしいやつですよね。舌を噛みそうですが、セグロ・ベニトゲ・アシ・ガと分解すれば、わたし的には納得の名称であります。それにいつものキベリヒラタアブが忍び寄っています、彼のクセなので。セグロ・ベニトゲ・アシ・ガ
ちょい大げさにいうと、男の子の拳ぐらいありました。大きめの蛾の寝袋です。スカシダワラと呼ばれているらしい。赤城の山中で、二度ほどお見かけして撮影しています。これも正体はクスサンだったんですね。ハンモックですよね、気持ちよさそう♪覆われた葉っぱをベリッと剥がしたら、これ(゚ω、゚)タハハクスサンのハンモック
山田風太郎のことはあまりというか、ほとんど知らない。甲賀忍法帖か何か持ってはいたが、たしか売ったと思う。ところが先日から「あと千回の晩飯」(朝日文庫2000年刊)を読みはじめたら、これがおもしろい♬ことばがころころころがっていく。軽いのだ。書いている内容は、ご自分の“病気”について。重く書いてしまっては、暗鬱な闘病記にかりかねない。そこをうまく操縦している。「人間臨終図鑑」も手許にある。山田さんご自身は調べたら79歳でお亡くなりになっている。私小説や老人文学も好きになっている^ωヽ*わたし自身が歳をとった証拠なのだが。最後の1ページまでいけるかな。あと千回の晩飯がおもしろい
このころ使っていた機材の話を少々。ニコンマニアだったので、ニコンD70-D80-D7000と愛用し、レンズは安かったわりに評価が高かったタムロン90ミリF2.8を、ほぼ付けっぱなし。ニコンのAPS-C機は1.5倍となるため、重宝しました。はてこちらの写真ですが、3日ほど思案しましたが、結局わかりますぇぬ(´Д`)カメムシには間違いないのですが、卵の図鑑を調べても、いまのところは「おお、これか!」というフォトには出会えていましぇん。銃弾のように見えませんか、周辺部の濃い緑もふくめて?標高7-800mほどの山深い、赤城の中腹で出会いました。カメムシの卵
キバラヘリカメムシでいいのかなあ、よく似ているから。カメムシのお母さん頑張れ♬この勢ぞろいした卵、まだ産みそう。楕円形の小さなチョコみたいな卵が、ドレミファソラシドときれいに並んでいまする。こんな情景見たの、このときはじめてかも。お母さんに失礼し10粒ばかり口にいれたら、どんな味?でへっ。几帳面なキバラヘリカメムシの産卵
これはクサカゲロウの卵といわれているものです。微細な糸のさきに、白い卵がぎっしり。わが家の裏の藪ではじめてみたとき、わが目を疑いました。卵であることはそれとなくわかったのですが、図鑑にはどれにも載っていなかったので。ああそうか、3千年に一度花開くといわれる優曇華とはこれのことか(゚Д゚;)タハハクサカゲロウの卵
ちょっと風変わりな写真をいくつか続けてみますね。まずはこれ。有名ですよね(^o^)ミカドトックリバチの“卵のう”です。図書館かどこかで図鑑を見て覚えたのかな。すぐわかりますが、育房の徳利の首の部分に特徴があり、まず間違えません。このハチの画像はネット上にいくらもありますので、気になる方はどうぞ。ミカドトックリバチの卵のう
■「老いの生き方」鶴見俊輔編(ちくま文庫1997年刊)収録作品覚書をふくめ201ページ新刊書店をぶらぶら散歩していて、ふと見つけた。たまに、こういうことがある。何かおもしろい本はないかなとアンテナを張り巡らしているから。新刊なのに、定価560円と良心的な値がついている。2021年に再刊されたものだろう。《この本は、老いについての文章をあつめた。どのように老い、どのように終るかは、人それぞれでちがうから、当然にこの本は老いについての相反した観察をふくんでいる。限られた時間のなかで、いかに充実した人生を過ごすか。来たるべき日にむけて、考えるヒントになるエッセイ集。》筑摩書房のホームページより引用鶴見俊輔さんといえば「思想の科学」である。われわれ世代では、愛読者が周辺にそうとういた・・・という感じがする。わたし...老いの生きかた~サルトルは老いた、斎藤茂吉も老いた
こちらは、アジサイにやってきたカタツムリ。写真を数枚撮っただけなので、むろんえらそうなことくいえません。でも前回UPしたカタツムリとは、いささか、形や色が違っていますよね。ネットの図鑑にもバラつきがあるようです(。-ω-)昔は山一つ越えると別なカタツムリといわれていたのかな?地域差も大きいようです。アジサイの花とカタツムリ
カタツムリを二つ続けてみます。カタツムリにも種別があるのかもしれません。・・・と書きはじめ、念のためと思って、カタツムリ&図鑑で検索したら、○○マイマイとして、なかりの数が出てきた(;´д`)まいったなあ。そこで過去のアルバムを大急ぎで調べてみたら、これ、明らかに別な種類だなという画像をいくつか発掘できました。昔(20世紀の終わりころ)は、ネットの上にもカタツムリの資料は、ほとんどなかったはず。ネット情報の深化とともに、カタツムリの調査・分別が急速にすすんだということでしょう。カタツムリのいろいろ
さあて、と。普通の蛾に戻ります(変ないい方じゃな)。ええと、これはギンツバメといって、マニアには“あこがれ”の蛾です。なかなか美しく、白とグレーの混じりぐあいが気品ありですね。両端をつないでまるで綾取りをしているようなデザイン(ˊᗜˋ*)開張は25-29mm。ギンツバメなんて華麗な名を持ってます。爽やかなギンツバメ
➀今日は、3回つぶやくことにします。場所塞ぎなどといわれかねないけど、ご海容のほど。クロアナバチ(アナクロバチではありませぬ)の生態を3点ワンセットでUPしますから見て下さいね♬これはあとからヤブガラシの花でクローズアップ撮影したクロアナバチ。ファーブルの「昆虫記」では狩バチと紹介しています。②昆虫の森の民家の庭で、クロアナバチとドキリと遭遇しました。「おや、何だこの子は(゚Д゚;)さっき穴を掘っていたのに、また隣に掘っているぞ。」わたしはすっかり観察者となって、小一時間地面に座り込んで、ハチの生態に見入っていました。そうしたら、えっちらおっちら運んできましたよ、“ツユムシ”を。➂自分より大きな個体です。「ありゃりゃ」です。ぐったりしたその虫を掘った穴に引きずり込んでいくではありませんか!!自宅に帰ってか...クロアナバチの特異な生態
こちらはハスオビマドガかな。たぶん。このあたりから、まあ、深海のような紛らわしい底へ入ってしまう。ご存じの方、ぜひお教え下され(ノω`*)枯葉の複雑な編み目に擬態しているのかと思います。なかなか見事な編み目ですよね。メチャクチャ手がこんでいますよね。親の遺伝子をコピーするのか?それにしても複雑なのをよく真似ます。ハスオビマドガかな
こちらはベニスズメという、けっこう有名なスズメガの仲間です。キレイですよね。これまでウンモンスズメなど、何種類か見ています。翅の形状が独特で、スズメガだということがかわります(*^。^*)蛾の中では、親しみを感じる方ですね。昼間は木陰でひっそり静止しているからびっくりすることがあります。美しいベニスズメ
これまで、こうした味わいの小説を読んだことがあったかしら。木山捷平の「軽石」(写真の「駄目も目である」収載)は40枚前後の短篇で、秀作の資格十分。読み了えてみれば、捷平流のユーモア、ペーソスが核心をパシンと射ちぬいている。なんといったらいいのかな?偶然に身をまかせ、偶然に沿って話がすすんでいく。読んだことがある人にしかわからないのかもしれない。木山さん、悪ふざけがすぎるものもあるけど。ちくま文庫は、宮部みゆき・北村薫が編集しているシリーズものの名作短篇集。似たような名前で4-5冊刊行されていたかな´・ω・?近ごろ中公やちくまの“アンソロジー”にはまっている。木山捷平の「軽石」が味わい深い
コケガが続いたので、おつぎはこちら♬これもかなり特徴ありですよね。黒い筋が3本、放射状にまるで扇子を拡げたように見えます。しかもお尻のあたりにはイエローの濃い斑紋。クロミスジシロエダシャクというお名前だそうです。半身に波型文様が波打っていますが、このあたりが見所かなあ。小技が効いてますよね。クロミスジシロエダシャク
このカラフルでやや派手な衣装を纏った蛾は・・・はて(*・д・)わかるようでわからないのがこの世界。どうやら、スジベニコケガのようです。ヒトリガの仲間で、ヒトリガは火採りという字になるようです。体長34-43㎜(オス34㎜メス43㎜)。黒ゴマのような斑点が粋なすばらしいデザイン。個体変異が多いそうです。スジベニコケガが美しい
(再現された萩原朔太郎の書斎)今日の仕事はこれで終わりではおやすみ。・・・とかの日本で一番か二番のすぐれた詩人・田村隆一は「1999」という詩で蟻について書いている。蟻にびっくりしているのだ。一日22時間寝ていて起きて働くのはたったの2時間。そのことに心底驚いて「おれも蟻のように眠っていたい」と感嘆している。そうかせっせと働いたからなミステリの翻訳や雑誌の編集で疲れきってウィスキーをしこたま飲んではまた疲れておれ蟻になりたいと。大詩人あんたの気持ちはよくわかる。2時間だけ目を覚まして22時間眠りこけているとはね。目がかすみ耳が遠くなってそこいらだけはおれもあんたに近づいたようだ。ではおやすみ。(写真と詩のあいだには直接関係はありません)ではおやすみ(NO.2025年-01)
日本の近代文学を読むについては、講談社文芸文庫の存在ははずせない。高価だけど、仕方ないのだ。そんなに売れないし、“売れる”ことなど心配していたら出版できないだろう(;^ω^)藤枝静男はかつて「悲しいだけ」だけ読んでいる。正真正銘の私小説作家。「悲しいだけ・欣求浄土」を買ったので、読まなければ♬講談社文芸文庫の「悲しいだけ・欣求浄土」藤枝静男
はて、と。これは何だ?アカスジシロコケガ。たぶんこれが正解だと思われます(´ω`*)白に3つ4つの赤いラインがよく目立ちます。特徴がくっきりしているし、まぎらわしい近似種も、案外存在しません。ま、初心者向きの蛾かもナハハ大昔の榛名山の売れ残り別荘分譲地で、誘蛾灯のような屋外照明が一つポツン。蛾は誘蛾灯が大好きなのはご存じですよね。夜明けとなると、何十という数の蛾がパタパタ。アカスジシロコケガにお遭いした
キシタエダシャクかな、違うかな(´?ω?)ふ~む難問、難問。同定などほど遠いですねぇ。白と黒の斑紋が鮮やかだし、頭部と翅の縁辺に、ボーダーのようなラインが見えます。おしゃれですよね。黄色とはいえ色味が濃く、美術的な小技が縁辺に沿ってカーヴを描き「おー」と人目を惹きます。でもないかしら?前回の子とは、柄が少し違うだけで、お仲間ですよね。キシタエダシャクかな?
ヒョウモンエダシャクだとかんがえている蛾です。蛾は驚くほど多様な姿をしていて似通ったものが何百といるから、同定するのは至難な技です(;^ω^)生物の中で蛾が一番むずかしいでしょう。わたしの独断と偏見により、比較的美しい種類を4-5枚ご紹介していきます。エダシャクの仲間は美しい子が多いですね(^^♪ヒョウモンエダシャクかしら?
さて、つぎはオオミズアオという大型の美しい蛾だとかんがえているのですが、違うかなあ(゚o゚;そうとすると、開帳は80-120mmにおよぶでかい蛾です。青みがかった翅が名の由来になっています。こんな夢みる子にはそうめったにめぐり遭うことはできないでしょう。榛名山の鬱蒼たる樹林のトバ口で見かけました。森の女神、オオミズアオ
はて、こちらの写真、何がいるかおわかりですか?えーと、われわれがナナフシと呼んでいる奇妙奇天烈な虫さんです。いるのがわかりますよね。ナナフシについてはウィキペディアに非常に詳しい、読み切れないほど解説があります。こんなやつ、どうやって進化したのか、頭をひねってしまいますよね(゚Д゚;)ナナフシはほかの写真もあったのですが、どうも種類が違うようです。探したけどみつかりませんナハハナナフシさんにお遭いした
loveloveゾウムシの代表選手!これ、シロコブゾウムシだと考えていたけど、ヒメシロコブゾウムシやクワゾウムシという、よく似たゾウムシがいることに気がついた。むむ、む。じゃこの子は?ままあることなので、いまさら驚かないが。道端を歩きながら「おっ、シロコブさん♪」と思っていたけど、違うのかなあ。シロコブゾウムシ?
この虫は暗い渋い光を放っていて、独特な姿をしています。ハッカハムシだと思われます。体長は7~9mm。こいう色なので、葉陰にいると、見落としがちですね(-ω-)ハッカやハッカ近縁のシソ科植物に集まるハムシ科の昆虫。赤銅色もあるようです。昔はこの子がわからなくて、「うむう、だれか教えて」とだれかにすがりつきたくなるのは、現在と同じですねぇ(;^ω^)この上さらに、西洋中世のシールド(shield)のように、黒の斑紋があります。ハッカハムシ
一昨日山前譲編集の「文豪たちの妙な話ミステリーアンソロジー」(河出文庫2022年刊)を買ってしまった。なぜかというと漱石、鷗外の「変な音」「カズイスチカ」等10篇の中に、正宗白鳥の「人を殺したが‥‥」が、珍しく復活していたからだ。そうか、そういえば、こんな小説を書いていたなあ、たしかに(*´ω`)「罪と罰」の影響が濃いそうだけど、読んでみる価値はありそうだにゃ。白鳥はかつて評論、随筆、小説と、多岐に渡って活躍していた。この人はもっと“復活”してくるかもしれない、いずれ。正宗白鳥の「人を殺したが‥‥」が蘇った
■「同時代の作家たち」廣津和郎(岩波文庫1992年刊)「同時代の作家たち」の冒頭に「あの時代―芥川と宇野」という文章が収めてある。小説なのか、随筆なのか、読者を大いに迷わせる。おもしろいことは、おもしろい♪わたしは2日間で読み了えた。もっとも実質90ページなので、集中できればなんてことはない。ところで、岩波文庫に「日本近代短編小説選」というシリーズがあるのはご存じの方が多いだろう。継続期間にあわせて明治期2冊、大正期1冊、昭和期3冊がラインナップされてある。そのうち、大正期の面々は、1.女作者田村俊子2.鱧の皮上司小剣3.子供役者の死岡本綺堂4.西班牙犬の家佐藤春夫5.銀二郎の片腕里見弴6.師崎行廣津和郎7.小さき者へ有島武郎8.虎久米正雄9.奉教人の死芥川龍之介10.屋根裏の法学士宇野浩二11.猫八岩野...大正期の“文士”~宇野浩二と廣津和郎をめぐって
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いい年こいて、手塚治虫に夢中(^^)/なんてこったい。BOOKOFFに通っているうち「ふんにゃ?」と手塚さんの「アドルフに告ぐ」1~3巻(文春ビジュアル版)を買ってきたらこれが通俗的で、誇張ばかりで、いやはやおもしれえ♪講談社漫画賞を受賞しているし。うまくいえないけど、若いころそれとは違うなあ。「またかい?」「うん、まただよん。本はこころのご飯だから」手塚治虫って、総発行部数2000万部は超えているかな、それ以上か。「アドルフに告ぐ」に夢中
このショットは違いますが、クジャクチョウにはじめて遭ったときのこと、よく覚えています。榛名湖畔の周遊道路からはずれて、アクセス道路を少しいくと、100m四方ほどのお花畑あり。わたしは図鑑で見たことのある真黒い、コールタールのようなチョウに気がつきました。おおっ、開翅ショットは、目視できただけ。でもいつか撮ってやるぞ。」ピエロのような派手ない衣装。目が釘付け!近づいてくる敵などを驚かすための衣装ですから、目が点になるのも当たり前。それにしてもこってりしすぎてるなあ(◍•ᴗ•◍)どぎつさでは、日本産の随一でしょうね。派手な衣装クジャクチョウ
「過去からの手紙」へ戻ります。これはたぶん、キアゲハ♬ナミアゲハではなく・・・てね。偶然撮れた一枚ですが、キアゲハへの褒めことばなのです。こういう写真が撮りたくて、仕事のあいまをぬって、フィールドを歩きまわっていていたのですね。ボケをあしらった背景の処理がうまくいきました。キアゲハへの褒めことば
手塚治虫少年は、たいへんな昆虫少年であったのだ。本書「昆虫つれづれ草」(小学館文庫2001年刊323ページ)は買ったのを完全に忘れていた(ノω`*)蔵書を半分に減らそうと、先日からがたがたやっていたら出てきた。コミック「ゼフィルス」「インセクター」が2本入っている。期待感もりもり盛り上がるなあ。いまさらだけど、手塚治虫はコミック・マンガ界の大スターだった。絵のうまさは、つげ義春とは別次元(;^ω^)「昆虫つれづれ草」手塚治虫(小学館文庫)
ええと、さらに数枚昆虫というか、チョウの写真がつづきます。これはだれもがご存じのモンシロチョウ♪白い花は何だったかな(´?ω?)春風があったかなかったか、画面が爽やかなので、気に入っています。この2頭、このあと結婚飛行へと飛び立っていきました。うわあ、いいなあ♡モンシロチョウの飛行
デジタルで昆虫写真をはじめた、ごく初期に撮ったもの。だから、20年ほどたっています。フィルムだと、色褪せが心配になる時期ですよね(;^ω^)これはツチイナゴの幼虫。「いい湯だな、いー湯だな」とドリフのように歌っています。・・・なこたあないか(^O^)ガハハハオレンジの湯に入れたらいいな、この子みたいに。オレンジの湯
池内紀はドイツ文学者で、カフカその他の翻訳でお世話になった。エッセイストとしても独特なユーモア、ペーソスを持ち味とする。岩波新書「文学フシギ帖―日本の文学百年を読む」こんな本を読みだしたらやめられなくて、お仕舞まですべて読んだ。「子規と明治の女」「久保田万太郎と湯豆腐」「堀辰雄とステッキ」「金子光晴の『鮫』」「尾崎放哉の孤独」など、短いページの中に彫金師みたいな、これまで「だれもいわなかったこと」がきちきちつまっている。“読者力を鍛える”かあ。うまいこと評したものだね。池内さん、あと一冊読んでみたいな(-ω-)「文学フシギ帖―日本の文学百年を読む」池内紀の芸
犬小屋のある片隅にふと目が止まりました。犬は長生きしたとしても11-12年。犬小屋を遺し、ご本尊は消えてしまいます。大型犬など、最期を看取るのはたいへんですよね(´Д`)街中を歩きながら、この一隅へきて、何かを感じたのです。庇の黒と、背景の緑。去ってしまった“過去”の思い出沁みついていますね。犬小屋の黒い庇
これはなんでしょう?トビ(鳶)かなとも思いましたが、カラスでしょうね。利根川河畔に、カラスたちの塒があるのです。望遠ズームを着けていたので、それを撮影した記憶あり、ぼんやりと。そのころ、右岸にはびっしり柳などが生えていました。カラスにはリーダーも参謀もいるなあ・・・と余計なこと考えたりしながら。カラスの群れ
過去からの手紙シリーズではありません。1千冊ほど、本を売り飛ばすつもりでガタガタやっていたら、手塚治虫の「人間昆虫記」が顔を出しました。持っていたのを忘れていました(;^ω^)何とか読めるレベルではありますが、文庫版なので文字が小さいなあ。それだけ老眼がすすんだということじゃ、まいった。手塚治虫「人間昆虫記」を少し読んだ
過去からの手紙、たぶんNO.11です。あえていろいろな傾向のスナップを取り上げています。これはこのころよく撮っていた仕事帰りのスナップ♬コンデジを右手にかまえてバシバシいい加減にシャッターを押していました。雨が降りはじめていました。スバルの軽ですが、この車種が好き・・・でした♡ところで、GOOがBlogのサービスを、11月に終了することになったんですね。残念至極!お引越ししようかなあ。雨の夜のスバル(自動車)
さて、つぎはフィルムカメラの一枚。ニコンFM2+ニッコール45ミリF2.8で撮影。防火水そうという標識の赤、トタンや空の水いろに空気感がただよっているのを感じます(。-ω-)自分でいうのもなんですが、大好きなショット。撮った場所は大間々郊外です。朝顔か昼顔がまきついて、花が咲いています♫フィルムは何だったかしら?フジのネガカラ100からフィルムスキャンしたと思います。街角ショット~ニコンFM2+45ミリF2.8
過去からの手紙に戻ります。ここは前橋の大渡橋の下。暑い夏、現役時代はときおり昼寝しにいっていました。大渡橋というと、地元では朔太郎の詩で有名で、詩碑のたぐいが2つか3つあります。このショット、自転車で通過するお兄さんが、うまくブレてくれました。コンデジでカメラ任せだった・・・と思います。ブレた自転車
2-3時間探しまわってようやく発見(;´д`)タハハつげ義春のマンガ、エッセイのことです。あちこちにバラバラに置いてあったので。本って、関心が変わるたび、入れ替えが必要になるんだよね、めんどくさいけど。「流れ雲旅」は北井一夫その他と組んで「アサヒカメラ」「アサヒグラフ」等に連載したのだね。当時、雑誌を購読していたけど、その後捨ててしまったなあ。うっすら記憶にあるだけ。ところが朝日新聞が2023年1月にリメイクしたのです。読んでみると、つげさん、まず当時の国産カメラで風景を撮影し、それからプリントを参考に、周辺の環境を仕上げてマンガを完成させるのですよね♬“失われゆく日本の風景への旅”。50年後のリメイクなので、皆さんすっかりお年を召しておられる。ひなびた温泉をめぐる旅。日本がいまより貧しかった時代の貴重な...つげ義春ワールドへ♪
伐り倒されたサクラの古木。樹齢100年くらいかな?すぐ近所の、六地蔵がある公民館の庭に、3本あったのが、3本ともやられた(゚o゚;知っているものではチェーホフ「桜の園」、安吾の「桜の森の満開の下」、梶井の「桜の木の下には」は、サクラをあつかった名編といっていいだろう。だれが伐ったのだろう!わたしは毎年、この古木に遭うのを愉しみにしていたのに。無残やな。伐り倒されたサクラ
ちくま文庫につげ義春コレクションがある。「紅い花・やなぎ家主人」を途中まで読み返したけど、いやはやす、すんばらしい(笑)。紅い花、長八の宿、ほんやら洞のべんさん、もっきり屋の少女、やなぎ屋主人に、以前読んだときのマークがつけてある。全巻揃えたはず。ただ年寄りには文字が小さいのが難点(;´д`)つげ義春コレクション(ちくま書房)
ここは原宿の神宮橋の上。明治神宮や代々木公園には、この橋をわたって行くのが普通でしょう。1990年代には数千人の若者がどこからともなく集まってきて賑やかでした。リーダーはいないし、仕掛け人もいない路上パフォーマンス♬彼ら彼女を追い回すカメラマン。ご覧の通り、これも集合写真です。夏は暑いので、主に春と秋。わたしは群馬から新宿の地下駐車場にクルマを入れ、原宿まで、何回となく通いました(^ε^)「おじさん撮って!」と呼ばれたのかも。きれいな女の子より“ブスい”子の方が威張っていたと思います。神宮橋の上。モノクロームの写真集を、後につくっています。なつかしいなあ。彼らが占拠ていたのです、路上をね。路上パフォーマンスのあとで
さてこれは「過去からの手紙」シリーズではありません。「働く自動車」を撮ろうと思って、ある店舗の駐車場へいってカメラを構えていたところ、「おやっ」と一瞬眼の端をよぎるものが。生垣に今年はじめてのアゲハチョウ(ナミアゲハ)が止まっていました(゚ω、゚)春型なので夏型の2/3ですが、鱗粉はとてもフレッシュ!ただ惜しいことに、向かって左の尾状突起が失われていました。何があったのでしょうね、生まれて間もないこんな子に。昨日は自宅の庭で、はじめてのヤマトシジミにもお遭いました♬今年はじめてのアゲハチョウにお遭いする
この小学生が走り出して、わたしの横を眼にも止まらぬようなスピードで走り抜けていった午後のことはよく憶えています。携帯の着歴音が鳴ってすぐだったと思います。うれしくて全力疾走。お母さんのクルマがサッカー場のPに止めてあったのです。わたしはニコンに50ミリを着けてスタンバイしていました。いったいどういった事情があるのかは、もちろん知りませんでした。めったに遭えない親子なのかなあ。全力疾走
サクラ、サクラの季節。日本人はこの花が好きですよね、あきれるくらいに。はてさて、ここは前橋公園のサクラ。市民の憩いの場所です。そこにやってきたS高校の生徒たち。記念撮影をはじめたので、わたしも撮影の仲間入り。ハッスルて「ハイチーズ!」とか声をかけたのだったかしら?前橋S公園の集合写真
友人二人にさそわれて久しぶりにランチ、それもフランス料理の(^^♪土日は混み合うようだけど、平日はすいているとのこと。コロナ騒ぎでこの数年くすぶっていたから、まあおフランスもいいか(´◡`)グラスワインがついて約1700円(税込み)。頼もしいことに友人の一人は片言ながらフランス語が話せる。「スタンダリアンだという噂を聞いたことがあるけど」とBさんに水を向けると、「学生時代の話でね」といくらか顔を赤くした。男というか、老人三人でいただくやや甘口ポートワインは多少場違いな雰囲気が。つぎは中華のうまい店で腹いっぱい食べようぜ、とAさん。わたしも思わず笑ってしまった。おフランスでランチ
モッコウバラは木香薔薇と表記するんだって♬この数年、近隣で栽培するお宅がふえた。なんといったらいいのか・・・いたいけない童女のような初々しさが好まれているのだろう。街角を曲がったら、よその塀の脇でこの子が迎えてくれた。やあ、いまが旬なのだね、あちらこちら静かにでほほえんでいる(ノω`*)いまが旬のモッコウバラ
深沢七郎の「笛吹川」を、ふと読みたくなったので、書棚から取り出した(*・ω・*)河出書房の「現代の文学31巻」(昭和40年)。深沢さんは大抵が他の文学者と抱き合わせなので、これは珍しい・・・と思って平成10年ごろ買った。「ちくま日本文学全集」の深沢七郎を読みなおしていたら、甲州の同郷中沢新一さんの解説があまりに素晴らしくて、いささか心動かされたのだ。ちくまの文学全集は文庫本にしては文字が大きくて読みやすいが、河出版の方は、さすがに表記が老齢には読みにくい。講談社文芸文庫が在庫“あり”なので、これを頼もうか?ただし新品だと1540円とお高い。しばらく我慢していようかなあ(´Д`)そうしていれば症状が治まるか?深沢七郎にそそられる
これは何ていうクルマでしょう(゚ω、゚)ご存じの方、ぜひお教え下さい。走行中に、たまに見かけることがあります。光岡自動車か・・・と当て推量して検索したんですがわかりません。雨の多い日本でも、4月5月はオープンカーの出番!と思って眺めていますが、さっぱりわかりませぬ(´Д`)スピードを愉しむスポーツカーなのか、レクリエーション主体のオープンカータイプの軽自動車かのか?気になる自動車
このBOXがなんだかわかる人いるかしら?そう・・・ミツバチどもの住処。箱一つに何匹いるんでしょう?https://www.youtube.com/watch?v=0iV6wOcvrVI家の近くのIさんのお宅で、“分蜂”が起こり、わが家にその群れがやってきたんですね。おかげで、純正の蜂蜜をひと瓶いただきました。ミツバチの分蜂
読み返しもしないで、その人物の周辺をとぼとぼ、うろうろ。近ごろこういういやな病気を発症しているな(ノω`*)ううん、まいったぜ。そろそろ元の路線に復帰!・・・といきたいのだが、どうもまだしばらくかかるようだにゃ。先日買った文庫本「夏の闇」に、新潮社の“お知らせ”が紛れこんでいた。ふ~~む。TOPに掲げた一枚が、いわば内容見本である。2010年5月31日発売で、定価3360円(税込)。こういう書籍が発売になっていたとは、知らなかった。3360円で何部刷ったのだろう?さほど売れるとも思えないが。これを眺めているとだれでもかるが、開高健さんは、女の子が書くような“丸文字”の人なのでありまなあ。またこちらの文学全集はたぶん、高校時代に買った本。買っただけで、恥ずかしながら読んではいない。新潮日本文学63(巻全64...開高健の周辺をとぼとぼ歩く
《「人間」らしくやりたいナトリスを飲んで「人間」らしくやりやいナ「人間」なんだからナ》これは寿屋(現サントリー)時代のCMコピーの代表作と注釈がある、開高健さんの。「江分利満氏の優雅な生活」シリーズや、コラムニストとして名高い山口瞳はサントリーの後輩にあたる。往年のコラムはさすがにわたしの記憶にはないが。人間らしくやりたいナ
開高健与えられたのは58年。https://www.youtube.com/watch?v=h2FB-mS9Tbsこの時代の人物としては比較的多くのフィルムを残した。スコットランド紀行もすばらしい♬デスクに座っているのに飽きると、世界中へ出かけていった。いつも“奇蹟”のとなりに彼がいた。輝かしき58年!あんな豪勢な絢爛たる笑いで周囲の人びとを巻き込む作家が、ほかにいただろうか(´?ω?)しばらくはここから抜け出せそうにないなあ。開高健のいる光景
河出書房から出ているMOOKに「開高健永久保存版」がある。そこに「今よみがえる巨人の全貌」というキャッチコピーが添えられている。開高さん自身の著書に「ピカソはほんまに天才か」があるが、それにひっかけていえば「開高健はほんまに巨人か」といっても許されるだろう。かねてから気になっていた開高健さん。サントリーの宣伝部から身を起こし、CMコピーの制作者から一流の小説家になった。同じくサントリーの宣伝部出身者に山口瞳がいる。このお二人の“よき読者”になりたかったが、結局はろくすっぽ読まないあいだにこの世の人ではなくなってしまった。調べてみると、開高さんは享年58歳。その事実を知って衝撃をうけたのは、この2~3年のことである。開高さん、そんなお年で(゚Д゚;)(「開高健の文学論」中公文庫「衣食足りて文学は忘れわれた⁉...開高健はほんまに巨人か~この人をめぐるよしなしごと
ここは西の物置の裏手にあたる。妹の家の“チイちゃん”が逃げ出してきたのだ。このあたりはけん太の縄張り。ライバルが出現するより早く片づけねばと、つけ狙うけん太(゚o゚;都会のマンション猫とはことなり、2匹とも避妊はしてないですからね。数か月前顔を見たとき、いずれは・・・と予想していたけど。チイちゃんとけん太
シダレモモを撮ろうと下の妹の家へいったら、いろんな花が押し合いへし合い。そうか、もう四月なんだね、春本番(ˊᗜˋ*)だれが主役ですか!?と問うたら「あたしよ、あたし」とスイセンが。おや(^^?)そのスイセンも、衣裳さまざまですね。どの子がいいのか、迷います。スイセンいろいろ
ええと“街角の自転車シリーズ”です。何の変哲もないシルバーメタリックのママチャリ。そこにのしかかっている、このつる性の植物はなんでしょうね(´ω`*)シートは傷みがある。掃除をやった形跡もある。普段は駐車場で、自家用車が止まっていた・・・という気がする。「つる性植物の春の応援団♬」じゃな。街角のママチャリ
数日前にBOOKOFFへいったら、こんな本が置いてあった。「宮沢賢治の真実修羅を生きた詩人」今野勉(新潮文庫)なるほど、そうでしたか、知らなかったけど、文庫になったのが令和2年。中古好きのわたしが知らなくてあたりまえだなあ(笑)。どちらかといえば、童話より詩の方が好きである。大学時代に「夜行列車」という詩の同人誌をやっていたころ、友人たちはほとんど全員宮沢賢治を、緻密によく読んでいた。萩原朔太郎のファンは、わたしだけだった・・・と思う。宮沢賢治は10年ほどのサイクルのあいだに、2回か3回、読みたいという波がやってくる。つまり約3年のサイクルがある。彼は“あの世”があることを、強く願っていたし、またほとんど信じていた。それが気になって、ときおり取り出しては読み返す。数週間まえから、また“読みたい波”がやって...いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで~宮沢賢治の世界を読み返す
おやじが作ったままになっている菊小屋にヒヨドリが来ていた。こちらがクルマの中にいると、近くまで寄ってもよくは認識できないのだね、野鳥は(゚д゚)7~8カット撮った中の一枚をレタッチし、少し明るくした。数としてはスズメやムクドリの方がはるかに多いけど、ヒヨドリもときおりやってくる。庭のヒヨドリ
ぶじかえるかえるくん(^ε^)仕事で運転しているお父ちゃんのご帰還を、奥様も子どもも待っています・・・という交通安全シールが一時流行りましたよね。この子が傘がわりに手にしているのは“しめじ”でしょうかねぇ。横を走りながら気になりましたよ~~ん、カエルくん(^^♪ぶじかえる♪
写真にしたとき、“さび”(鉄錆)の美しさは格別だよね。ワビサビの“さび”(ノω`*)日が当たっていると、質感の細やかさ、時間に鍛えられた風格がとても鮮やか!以前もこのスポット撮ったことがあった。しばらくすると文字が剥落するな。コーヒー、スパゲティがおいしいあぜみちというお店があったのだ。コーヒー、スパゲティがおいしいあぜみち
国道17号を走っていたら、こんな光景が目を惹いた。小型消火器だよね。蓄圧式の液体タイプ、粉末タイプがあって、外の枠はアルミ缶じゃなかったかしら。これもリサイクルするのだろうにゃあ(´?ω?)こんな光景が
確定申告がおわり、いよいよ花、花のシーズンがはじまったにゃ(´◡`)両親は介護施設へ入所したので、わが家は息子とけん太とわたしの三人。下の妹がほぼ毎週掃除にきてくれる。義弟が裏の畑を耕しているので、軽トラが物置に入れてある。趣味の園芸というヤツですね。トマトとナス、キュウリ、カボチャ、スイカ、トウモロコシ、ゴーヤなど丹精して稔らせています。この屋敷の維持管理はなかなかたいへん。昨日、一昨日と、植え込みの手入れをしたが、今日はあちこち筋肉痛(^^;;)父が棘のあるミカンの木を2~3本植えたため、その枝が茂りに茂ってしまい、枝おろしに一汗かいた。木はなくてもいいのだから、コテンコテンに傷めつけてやったけどね!3月中には除草剤だの、草刈り機だの、雑草との戦いがはじまる。“花の季節、はじまりはじまり”と喜んでばか...花の季節~2024年のはじまり
今年は“ボケ”の当たり年かもね。2か所(新宅の庭と、物置前の鉢植え)とも、花が驚くほどいっぱい着いている。ボケはこの深みのある色が好き(^^♪ただし、バラ科なので、とげがあるから気をつけないとね。すぐに巨木化するハクモクレンもきれいだろうなあ、出かけてみるか。“ボケ”の深い赤
隠れている構図。つまりスクエアであります。赤、青、黒が大きく自分を主張し、ほかの要素を食べてしまった。こういう街角を“発見”し、まなざしがそれに反応する。そしてシャッターを押す・・・行為につながり、ええと、えっと・・・(笑)。スクエア