古めかしい窓と扉を撮って歩いていたことがあった。群馬県の市町村(一部埼玉北部)は、8割は回ったかな。撮ったあとで、かんがえる。その場でかんがえていたら、移動できなくなるからね。この扉はすごい、重量級。アルミとか鉄とかじゃなく、鋳物かもしれない。外壁は分厚いレンガ。耐火建築かな。緑青がふいているぞ!窓と扉
古めかしい窓と扉を撮って歩いていたことがあった。群馬県の市町村(一部埼玉北部)は、8割は回ったかな。撮ったあとで、かんがえる。その場でかんがえていたら、移動できなくなるからね。この扉はすごい、重量級。アルミとか鉄とかじゃなく、鋳物かもしれない。外壁は分厚いレンガ。耐火建築かな。緑青がふいているぞ!窓と扉
「婚約したらダイヤモンド」だって。小さなものでもいいのかな。眼鏡・宝石・時計。これが3点セットだった。いまでもそうかなあ?ふるさとぐんまには上信電鉄というローカルな私鉄があるけど、そのどこか駅前で撮った。SEIKOは立派なブランドだったぜシチズンも。篠原時計店、この建物はいまもあるのかな。上信電鉄の或る駅前
これも伊香保の石段街で撮った一枚(^^♪ちょっと失礼だったかしら。焼きたてだね、女性の表情が熱そう。右にメニューが見えるし、店員さんの下半身もちらり。食べているのは「玉こんにゃく」かなあ?石段を下りてきたら、このカップルがドンピシャのシャッターチャンス。その節はありがとうございました。お似合いの二人♡
伊香保の石段街にパネルで飾られた古写真。「ほほう」と思ったので、よく憶えています。わたし推測では、角兵衛獅子ではないかしら?越後からやってくる女性の芸能集団。江戸時代に旧西蒲原郡月潟村からやってきたそうです。旅館街にもやってきたんでしょうね。それが大正・昭和のある時期まで存続したのです、たぶん。石段街の古写真
ここは伊香保の旅館街の一隅。二つの道が交差する角なので、いろんなものが置いてある、というか集まってくる。郵便ポストや選挙のポスター、丸本旅館、脚立、プラスチックの樽その他。そこに陽光が注いでいる。甲羅干しをしているのかな?ものたちが。KIRINふきのとう。ネーミングはいいけどね(ノω`*)いろいろなものが甲羅干しをしている
「いつか、いつか・・・」とかんがえているうち、こんな年になってしまった。それも、角川のソフィア文庫で。何だか恥ずかしい気がする(^^;;)どちらも200ページ前後、手取り足取り、よちよちと。「万葉集」も、ソフィア文庫で読んだ。新潮の古典集成その他で20冊ばかり揃えていたのに、結局読まず仕舞となりそう。頭脳の衰えには逆らえない。茂吉の「万葉秀歌」上巻・下巻が、いまのわたしには、正直いってむずかしいのだ。若いころにはバカにしていたよ、ソフィア文庫。アルツハイマーかなトホホ超初心者向けソフィア文庫(角川文庫)
秩父へいったその帰途、たまたま目についたボンネットトラック。このショットを撮ったときのことは、なぜかよく憶えているんですね。埃まみれの黄色いトラック(;^ω^)通過しかけあわてて振り返っているのです。特殊ポンプ車かな?秩父の文字がありますよね。働く自動車シリーズのごく初期のもの。埃まみれのボンネットトラック(秩父)
このころまで、こんな個人商店があったのです。15年か、それ以上たっているでしょう。秩父はのんびりした山峡の町に見えました。8×10が飾ってあったので、ついパチリ!カメラ店が時計・宝石の店をかねていたのです、昔はね。パンダの置物があるな、ほかにもいろいろ陳列してあった(*^。^*)カメラ・宝飾のお店(秩父)
深紅のヘルメットが、バックミラーに何気なく懸けてあった。しかも傷だらけ。見た瞬間網膜に突き刺さった。背景のブルーシートが存在を強調していた・・・と思う。こんなシチュエーション、あるもんじゃねえぞ(゚д゚)どこで撮ったのかな。撮影のため秩父へいったときか。シュルレアリズム、いやダダイズムだね。深紅のヘルメット
斎藤茂吉の「万葉秀歌」(岩波新書初版は1938年上下巻)を買おうとかんがえて本屋へいったけど、立ち読みした結果、角川ソフィア文庫(ビギナーズクラッシック)の「万葉集」に後退。昔読んだとき、かなり高度な評釈でよくわからなかった。“足慣らしが”必要じゃな(笑)。芭蕉・蕪村の俳句をスラスラ読むのとはわけが違うから。でもやっぱり「万葉秀歌」を買おう、持っていたはずの本がみあたらない。茂吉自身の短歌より読まれている・・・と思うので典型的なロングセラーとはこういう著作のことをいう。斎藤茂吉「万葉秀歌」を買おう♬
高崎市の旧卸売青果市場・・・だと思います(間違っていたらご免なさい)。一時期街中を、カメラ片手にぐるぐる回っていたのです。斜光線があたって、影が映って、黄昏ゆく風情がありました。大型トラックが横付け。下大類町の新市場に引っ越す前の、街中の市場。現在はこのあたり、マンション林立ですね。旧卸売青果市場
愛機をぶらさげ下町(高崎の南町あたり)をふらふら。そうしたら、この自動車を発見。おやおやパン屋さんの移動販売車かな。外装色、気に入りました。ドイツの車両かな?ところがその後見直していたら“RUNRUNICE”と書いてあるんですね。アイスクリームの販売車かも知れません。そのとき、その場で確認すればよかったのですが。移動販売車
チヤコの家・・・だってさ♬街角散歩中「これはいただき」と、立ち止まってパチリ。10枚くらい撮ったな。気の弱そうな、いつもシッポをだらんとたらしているようなワンコ。よかったねぇ、愛されているんだね。立派な小屋まで造ってもらって。玄関を犬がふさぎ、家のあるじは廊下から出入りしていた、かも。チヤコの家
消えている文字は「東」の字で、関東牧場と入るのでしょう。ホルスタインをたくさん飼育していたようです。牧草はあちらこちらにありました。ここは標高0に近い、わが家と同じ平地です。山麓じゃなくてね(ˊᗜˋ*)前橋市街地より15-20キロ離れた調整区域。異臭の問題はどうなのかなあ。関東牧場
これがわたしがイメージする“わが町TAKASAKI”でした。貴族の婦人をあしらったアンティークCaféのこの看板。広角レンズでスナップしています。去年からは税金(相続税・固定資産税その他)で苦しめられているから「ちくしょうめ(T_T)」と苛立っていますが。店の方ではなくストリートを撮っています。TAKASAKIのイメージ
高崎市の下町にある造り酒屋、というかお醤油さんです。その名は「ヒキソーイチ」。薄暗かったですが、看板をずばりと撮影させていただきました。おじいちゃんは施設に入所したとのことで、孫にあたる女の子が、実質家業を継いでいます。下町散歩で立ち寄ってパチリ、そして醤油を1本お買い上げ。その節はわがままを聞いていただき、ありがとうございました。高崎の醤油屋さん(ヒキソーイチ)
これも古いころ、20年ほど昔、足利市の駐車場の小景だったと思います。この植物・・・棕櫚は箒として、現在でも使われていますよね。こんなに背が伸びるんですね。斜光線ねらいで撮影しています。コンクリートの外壁がキャンバスになってくれました(^ε^)光と影のドラマ!棕櫚~光と影のドラマ!
娘と息子。いかにも「過去からの手紙」にふさわしいシーンといえるでしょう。娘は1年生か2年生。息子はそれより3歳下。フィルムカメラからスキャンしています(^^;;)時間がたつのは早いものですよね。後ろはいま解体撤去を検討中の“東物置”。ガレージ兼用です。300万はかかるかな?タハハ頭が痛い。幸せだった時代がリアルに蘇ってきます。幸せだった時代(娘と息子)
わがままをいわせていただくと、右手に手塚治虫、左手に幸田露伴が昨日のわたしめでありました。ところで露伴はなぜ露伴というのでしょうか(´?ω?)ご存じの方、いらっしゃいますか。夕べは「太郎坊」を読んでいました。ちくま文学全集は、文庫本サイズなので、携帯に便利。鴎外からはじまって、全50巻もあるし。30巻くらいは持っていた・・・かなあ。「突貫紀行」「観画談」幻談」「望樹樹」など、評価の高いものが収録されています♬運がよければ、BOOKOFFで121円です。はたして目論見通り読みすすめられるかしら?左手に幸田露伴
過去からの手紙シリーズです。これは住宅屋さんのイベント会場ではなかったかしら、よく憶えていません。ニコンFM2と45ミリF2.8で撮ったのは記憶にあります。会社の行き帰りにあっちこっち引っかかっていました。万国旗のようですが、風があると忙し気にくるくる回るグッズが空を横切っていました。建物が拵えたように対照的。何てことない日常的なスナップですが。2014年に撮影とコメントがあります(´ω`*)何かがくるくると回っていた
手塚治虫(1928-1989)は43年間に、15万枚700作品を描いたのだそうである。マンガ・アニメを描くために生まれてきたような人だなあ。本は売るのみでもう買わないと思っていたのに、お近くのBOOKOFFにいったら秋田書店の短編集を見かけてしまったよん。またしてもこの4冊ゲット♪ふん(゚o゚;トホホ手塚治虫の短編集4冊
寺田寅彦って、いま読まれているのかなあ(´・ω・)?これまで寺田寅彦の愛読者って、友人の中にいなかった・・・ような。「寺田寅彦は忘れた頃にやって来る」(集英社新書2002年刊松本哉)を数日前に中古で買ったら、ちょっと気になって蔵書をひっくり返し、2冊が出てきた。「天災は忘れた頃にやってくる」ですよ。これって名言中の名言ですよね。随筆家といえば、大昔から寺田寅彦は科学者として超有名だった。その割には読まれていないんじゃないかなあ、おれだけか(ノω`*)タハハ寺田寅彦を読もうぜ♬
富士フォトコンテストというのが、その昔あったのはご存じですか(いまでもやっているようです)。フィルム部門別に分かれていましたが、カラープリントを「自由写真部門」に応募したのが、30代の半ばごろ。ほかに「ネイチャーフォト部門」「組み写真部門」等がありました。それがこれ。娘が4歳のころだったと思います。特等の100万円はムリにせよ、佳作の10万円でも・・・と期待していましたが、むろん落選(^^;;)このころはキヤノンA-1を使用し、レンズは200ミリF4だったと憶えています。新潟のチューリップ園までいって撮っています。このころは、娘が専属モデルでした。コンテストに応募したのは、このとき1回だけ。フィルムからカラースキャンしています。チューリップと娘
これを撮影しに利根川左岸に通っていたころ、平成が終わりに達する最後の2-3年。わたしは仕事をやめる準備をしようとしながら、ここへきて、オリンパスE-M5を使って対岸・・・つまり右岸の夕景を眺めていました。塒へ帰るカラスどもが、ゴマ粒のように点々と南に向かっています。オートにしておくと夕陽はより夕陽らしく撮れました。塒へ帰るカラスども
ふるさと群馬には海がありません。北も東も、おおよそ海まで100キロ。お隣の栃木、埼玉、長野も海のない県。さてこちらは利根川左岸の夕暮れです。広角の24ミリか28ミリを使い、効果を確かめたうえでパチリ!です(゚ω、゚)向かって左は糸杉、右は何だったろう?ドラマチックな逆光の雲。ドラマチックな逆光の雲
これもデジカメを使いはじめて初期のころ、20年ほど前。場所は栃木市です。すれ違いざまに、ウエストレベルに構えてパチリ!ありがとう、思い通りにスナップが撮れました。ピンクヘルメットの女の子と、「小倉アイス」の幟旗。後ろにいるのは東武が送り込んだ観光客です。はて、この子がカゴに入れているのはなんだろうなあ。ショルダーバッグのように見える・・・。栃木市でピンクヘルメットの女の子にすれ違う
先日古本屋へ手塚治虫を探しにいったとき、手塚さんほか虚子の文庫本を2冊買ってきた。そのうちの1冊が「虚子五句集」。「六百五十句」「七百五十句」とともに、「慶弔贈答句集」126句が収められていた。これがおもしろい♬そうか、虚子の神髄がこういうところにあったのだ。編集・解説は大岡信。初句索引、季題索引が付録で付いている。「行春やおもちやに交じる黄楊(つげ)の櫛」には前書きにつぎのようにある。「わすれ筐(がたみ)をのこして、妻に死なれし人に。」ほんの一例だけど、おぬし使い手じゃのう・・・といってみたくなった。感動させられた。俳句には“慶弔贈答句”というのがあるのだ、忘れてたよん!「慶弔贈答句集」高濱虚子
過去からの手紙シリーズに戻ります。さて、自転車連作のひとこま♪ここは馬場川(ばばっかわ)という幅2.5mほどの放水路に面した、半プロムナードです。前橋の盛り場を西から東へと貫流しています。そこに止まっている一台の白っぽい自転車。イルミネーションはクリスマスのものではなかったはず?友達と飯を食いにいって、目についたものを、単純にパチリとやったのだと思います。青い豆球がダイヤモンドみたいにいっぱい輝いています。今回再レタッチしています。でもおもしろがっているのはわたしだけか(;^ω^)キラキラ輝いている自転車
これは集英社の手塚治虫名作集②「雨降り小僧」(1995年刊)で「雨降り小僧」「るんは風の中」「モモンガのムサ」など短篇6篇が収録されている。こうった短篇においても、手塚さんの力量は存分に発揮。2つ読んだだけだけど、ストーリーにひねりがあり、エンディングに小技が効いいている。こーゆーの読んでいる人いるかなあ♪いたらうれしいのですが(*^。^*)手塚治虫の短編集「雨降り小僧」
いい年こいて、手塚治虫に夢中(^^)/なんてこったい。BOOKOFFに通っているうち「ふんにゃ?」と手塚さんの「アドルフに告ぐ」1~3巻(文春ビジュアル版)を買ってきたらこれが通俗的で、誇張ばかりで、いやはやおもしれえ♪講談社漫画賞を受賞しているし。うまくいえないけど、若いころそれとは違うなあ。「またかい?」「うん、まただよん。本はこころのご飯だから」手塚治虫って、総発行部数2000万部は超えているかな、それ以上か。「アドルフに告ぐ」に夢中
このショットは違いますが、クジャクチョウにはじめて遭ったときのこと、よく覚えています。榛名湖畔の周遊道路からはずれて、アクセス道路を少しいくと、100m四方ほどのお花畑あり。わたしは図鑑で見たことのある真黒い、コールタールのようなチョウに気がつきました。おおっ、開翅ショットは、目視できただけ。でもいつか撮ってやるぞ。」ピエロのような派手ない衣装。目が釘付け!近づいてくる敵などを驚かすための衣装ですから、目が点になるのも当たり前。それにしてもこってりしすぎてるなあ(◍•ᴗ•◍)どぎつさでは、日本産の随一でしょうね。派手な衣装クジャクチョウ
「過去からの手紙」へ戻ります。これはたぶん、キアゲハ♬ナミアゲハではなく・・・てね。偶然撮れた一枚ですが、キアゲハへの褒めことばなのです。こういう写真が撮りたくて、仕事のあいまをぬって、フィールドを歩きまわっていていたのですね。ボケをあしらった背景の処理がうまくいきました。キアゲハへの褒めことば
手塚治虫少年は、たいへんな昆虫少年であったのだ。本書「昆虫つれづれ草」(小学館文庫2001年刊323ページ)は買ったのを完全に忘れていた(ノω`*)蔵書を半分に減らそうと、先日からがたがたやっていたら出てきた。コミック「ゼフィルス」「インセクター」が2本入っている。期待感もりもり盛り上がるなあ。いまさらだけど、手塚治虫はコミック・マンガ界の大スターだった。絵のうまさは、つげ義春とは別次元(;^ω^)「昆虫つれづれ草」手塚治虫(小学館文庫)
ええと、さらに数枚昆虫というか、チョウの写真がつづきます。これはだれもがご存じのモンシロチョウ♪白い花は何だったかな(´?ω?)春風があったかなかったか、画面が爽やかなので、気に入っています。この2頭、このあと結婚飛行へと飛び立っていきました。うわあ、いいなあ♡モンシロチョウの飛行
デジタルで昆虫写真をはじめた、ごく初期に撮ったもの。だから、20年ほどたっています。フィルムだと、色褪せが心配になる時期ですよね(;^ω^)これはツチイナゴの幼虫。「いい湯だな、いー湯だな」とドリフのように歌っています。・・・なこたあないか(^O^)ガハハハオレンジの湯に入れたらいいな、この子みたいに。オレンジの湯
池内紀はドイツ文学者で、カフカその他の翻訳でお世話になった。エッセイストとしても独特なユーモア、ペーソスを持ち味とする。岩波新書「文学フシギ帖―日本の文学百年を読む」こんな本を読みだしたらやめられなくて、お仕舞まですべて読んだ。「子規と明治の女」「久保田万太郎と湯豆腐」「堀辰雄とステッキ」「金子光晴の『鮫』」「尾崎放哉の孤独」など、短いページの中に彫金師みたいな、これまで「だれもいわなかったこと」がきちきちつまっている。“読者力を鍛える”かあ。うまいこと評したものだね。池内さん、あと一冊読んでみたいな(-ω-)「文学フシギ帖―日本の文学百年を読む」池内紀の芸
犬小屋のある片隅にふと目が止まりました。犬は長生きしたとしても11-12年。犬小屋を遺し、ご本尊は消えてしまいます。大型犬など、最期を看取るのはたいへんですよね(´Д`)街中を歩きながら、この一隅へきて、何かを感じたのです。庇の黒と、背景の緑。去ってしまった“過去”の思い出沁みついていますね。犬小屋の黒い庇
これはなんでしょう?トビ(鳶)かなとも思いましたが、カラスでしょうね。利根川河畔に、カラスたちの塒があるのです。望遠ズームを着けていたので、それを撮影した記憶あり、ぼんやりと。そのころ、右岸にはびっしり柳などが生えていました。カラスにはリーダーも参謀もいるなあ・・・と余計なこと考えたりしながら。カラスの群れ
過去からの手紙シリーズではありません。1千冊ほど、本を売り飛ばすつもりでガタガタやっていたら、手塚治虫の「人間昆虫記」が顔を出しました。持っていたのを忘れていました(;^ω^)何とか読めるレベルではありますが、文庫版なので文字が小さいなあ。それだけ老眼がすすんだということじゃ、まいった。手塚治虫「人間昆虫記」を少し読んだ
過去からの手紙、たぶんNO.11です。あえていろいろな傾向のスナップを取り上げています。これはこのころよく撮っていた仕事帰りのスナップ♬コンデジを右手にかまえてバシバシいい加減にシャッターを押していました。雨が降りはじめていました。スバルの軽ですが、この車種が好き・・・でした♡ところで、GOOがBlogのサービスを、11月に終了することになったんですね。残念至極!お引越ししようかなあ。雨の夜のスバル(自動車)
さて、つぎはフィルムカメラの一枚。ニコンFM2+ニッコール45ミリF2.8で撮影。防火水そうという標識の赤、トタンや空の水いろに空気感がただよっているのを感じます(。-ω-)自分でいうのもなんですが、大好きなショット。撮った場所は大間々郊外です。朝顔か昼顔がまきついて、花が咲いています♫フィルムは何だったかしら?フジのネガカラ100からフィルムスキャンしたと思います。街角ショット~ニコンFM2+45ミリF2.8
過去からの手紙に戻ります。ここは前橋の大渡橋の下。暑い夏、現役時代はときおり昼寝しにいっていました。大渡橋というと、地元では朔太郎の詩で有名で、詩碑のたぐいが2つか3つあります。このショット、自転車で通過するお兄さんが、うまくブレてくれました。コンデジでカメラ任せだった・・・と思います。ブレた自転車
2-3時間探しまわってようやく発見(;´д`)タハハつげ義春のマンガ、エッセイのことです。あちこちにバラバラに置いてあったので。本って、関心が変わるたび、入れ替えが必要になるんだよね、めんどくさいけど。「流れ雲旅」は北井一夫その他と組んで「アサヒカメラ」「アサヒグラフ」等に連載したのだね。当時、雑誌を購読していたけど、その後捨ててしまったなあ。うっすら記憶にあるだけ。ところが朝日新聞が2023年1月にリメイクしたのです。読んでみると、つげさん、まず当時の国産カメラで風景を撮影し、それからプリントを参考に、周辺の環境を仕上げてマンガを完成させるのですよね♬“失われゆく日本の風景への旅”。50年後のリメイクなので、皆さんすっかりお年を召しておられる。ひなびた温泉をめぐる旅。日本がいまより貧しかった時代の貴重な...つげ義春ワールドへ♪
伐り倒されたサクラの古木。樹齢100年くらいかな?すぐ近所の、六地蔵がある公民館の庭に、3本あったのが、3本ともやられた(゚o゚;知っているものではチェーホフ「桜の園」、安吾の「桜の森の満開の下」、梶井の「桜の木の下には」は、サクラをあつかった名編といっていいだろう。だれが伐ったのだろう!わたしは毎年、この古木に遭うのを愉しみにしていたのに。無残やな。伐り倒されたサクラ
ちくま文庫につげ義春コレクションがある。「紅い花・やなぎ家主人」を途中まで読み返したけど、いやはやす、すんばらしい(笑)。紅い花、長八の宿、ほんやら洞のべんさん、もっきり屋の少女、やなぎ屋主人に、以前読んだときのマークがつけてある。全巻揃えたはず。ただ年寄りには文字が小さいのが難点(;´д`)つげ義春コレクション(ちくま書房)
ここは原宿の神宮橋の上。明治神宮や代々木公園には、この橋をわたって行くのが普通でしょう。1990年代には数千人の若者がどこからともなく集まってきて賑やかでした。リーダーはいないし、仕掛け人もいない路上パフォーマンス♬彼ら彼女を追い回すカメラマン。ご覧の通り、これも集合写真です。夏は暑いので、主に春と秋。わたしは群馬から新宿の地下駐車場にクルマを入れ、原宿まで、何回となく通いました(^ε^)「おじさん撮って!」と呼ばれたのかも。きれいな女の子より“ブスい”子の方が威張っていたと思います。神宮橋の上。モノクロームの写真集を、後につくっています。なつかしいなあ。彼らが占拠ていたのです、路上をね。路上パフォーマンスのあとで
さてこれは「過去からの手紙」シリーズではありません。「働く自動車」を撮ろうと思って、ある店舗の駐車場へいってカメラを構えていたところ、「おやっ」と一瞬眼の端をよぎるものが。生垣に今年はじめてのアゲハチョウ(ナミアゲハ)が止まっていました(゚ω、゚)春型なので夏型の2/3ですが、鱗粉はとてもフレッシュ!ただ惜しいことに、向かって左の尾状突起が失われていました。何があったのでしょうね、生まれて間もないこんな子に。昨日は自宅の庭で、はじめてのヤマトシジミにもお遭いました♬今年はじめてのアゲハチョウにお遭いする
この小学生が走り出して、わたしの横を眼にも止まらぬようなスピードで走り抜けていった午後のことはよく憶えています。携帯の着歴音が鳴ってすぐだったと思います。うれしくて全力疾走。お母さんのクルマがサッカー場のPに止めてあったのです。わたしはニコンに50ミリを着けてスタンバイしていました。いったいどういった事情があるのかは、もちろん知りませんでした。めったに遭えない親子なのかなあ。全力疾走
サクラ、サクラの季節。日本人はこの花が好きですよね、あきれるくらいに。はてさて、ここは前橋公園のサクラ。市民の憩いの場所です。そこにやってきたS高校の生徒たち。記念撮影をはじめたので、わたしも撮影の仲間入り。ハッスルて「ハイチーズ!」とか声をかけたのだったかしら?前橋S公園の集合写真
つまらないフォトで恐縮です。散ったサクラの花が、暗い池の表に浮かんでいる。それだけ(笑)。ただクローズアップしてみたら、蜘蛛の糸に引っかかった花びらのこまかな葉脈がすかし紋様のように浮かんできた・・・デリケートなのか、ただの顕微鏡的写真なのか、拾い上げてみたものの、ことばにつまり気味。池の淵に浮かぶ花びら
退屈な部屋、魚石、日の戯れ、散歩の日々、池袋百点会、隣りの女。どれも皆おもしろい♬そして傑作「無能の人」。吉本隆明の解説+書誌をふくめ398ページ。新潮文庫から平成10年刊行されていた。このところ、BOOKOFFに5-600冊叩き売った。売れる本をさらに物色中(;^ω^)「無能の人・日の戯れ」新潮文庫(つげ義春)
見ればおわかりのように、ナンテンが散り敷くスナップです。ナンテンって木としては弱く、圧雪によって、たちまち撓んでしまいます。散り敷いた葉を眺めているうち、パレットの絵具をぶちまけてしまったように見えきて、ついパチリ!色や形に反応しています。わが家の通り道、雪の日の道端(^^♪ナンテンの葉の彩り
「過去からの手紙」のNO.3はこちら♬あれこれとスナップショットを取り混ぜてすすみますので、ご容赦。女の子3人組です。その日、サクラがほぼ満開だったと記憶しています。後ろは群馬県人にはお馴染みグリーンドームと噴水。春のわくわくするような開放感。ポーズはわたしが指示しています。もう10年はたっているなあ
たいした写真はありませんが、申すまでもなくすべてわたしが撮影しています。これを機会にあらためてレタッチしてリファインしたつもり、です(*´ω`)タハハ前をアニメを描いたクルマが走ってたので、つい運転席からパチリ!危険運転ですねぇ。こういうクルマを痛車(いたしゃ)というらしいですね。痛車
先日、ちょっと古めかしいUSBメモリのバックアップを見ていたら、15-6年前にまとめた写真がいろいろ出てきました。そこから30枚あまりを「過去からの手紙」と題してUPしてみます♪はじめはアゲハチョウの仲間でも個人的に大好きなアオスジアゲハ。赤い花との対比が眼に痛いほど強烈ですよね。アオスジアゲハ過去からの手紙(1)
「河童」や「歯車」の世界へと遠ざかってゆく人へ (4) ~芥川の通奏低音
(「芥川龍之介」ちくま日本文学全集1991年刊「戯れに」が収録されている文庫本はこれだけ)たしか吉本隆明さんにうながされてだったと思うけど、芥川の“通奏低音”に耳をましたことがあった。《戯れに(1)汝(な)と住むべくは下町の水(み)どろは青き溝(みぞ)づたい汝が洗湯の往き来には昼も泣きつる蚊を聞かん》《戯れに(2)汝と住むべくは下町の昼は寂しき路地の奥古簾(ふるす)垂れたる窓の上(へ)に鉢の雁皮も花さかむ》芥川がこんな詩を書いていたのは、そのときまで知らなかった。ファンであってもなくても、これが彼の生活の底をずうっと流れづけた“通奏低音”であったことは一目瞭然だろう。渾身の力をふり絞って、帝国ホテルで原稿と取り組む芥川は、かなり難解な小説家といわざるをえない。太宰もそうだが、自ら死を目前にひかえているので...「河童」や「歯車」の世界へと遠ざかってゆく人へ(4)~芥川の通奏低音
(こんなアンソロジーが宝島社から刊行れている)名作短篇と見なされているものを列挙してみよう。・羅生門・鼻・芋粥・藪の中・地獄変・蜘蛛の糸・杜子春・戯作三昧・玄鶴山房・枯野抄・河童・歯車・侏儒の言葉ざっと数えても短篇に限ってこれだけあるのは、他の作家を圧倒している。つまり純文学作家、作品として。大正時代は、芥川龍之介の時代であったのだ。「第四次新思潮」の発刊が大正5年、芥川の自殺が昭和2年のこと。(よく知られた友人ちと記念写真。上のは親友井川恭と。下のは右より成瀬正一、龍之介、松岡譲、久米正雄)(第3短篇集なる「傀儡師」のリメイク版、頂点へ上りつめる)この「傀儡師」には、「奉教人の死」から「地獄変」まで11篇の作品がならんでいる。ほかに「枯野抄」「蜘蛛の糸」「袈裟と盛遠」「ある日の大石内蔵助」「毛利先生」「...評伝で大正期へと迫る(3)~輝かしき芥川の出発
行方不明になっている内田百閒の文庫本をさがしていたら、この2冊が出てきた。近ごろ毎週のようにこの種のぼけかましがづづくなあ。われながら嫌になる。井伏さんの対談は深沢七郎、河上徹太郎を読んでどこかにもぐり込んでまった。紀野さんのは明恵、沢庵のを読もうとしていた。していた・・・だけだけど(´Д`;)井伏鱒二対談集ほか
“歴史”というフィクション (2)~人気NO.1の人気作家芥川龍之介
(豪華版日本文学全集16芥川龍之介66.12.11のゴム印が押してある)どこの書店へいっても、彼の本は必ず棚の在庫がある。それだけ現役作家のごとき人気作家なのである。オビ広告から引用させてもらう。《知性と懐疑の芸術。豪華版日本文学全集第4回配本定価480円。理知派とか新技巧派とよばれた芥川の文学の本質は、その豊かな教養と知的な技巧の冴えにある。特に新鮮な短篇小説に芸術至上主義の輝かしい姿勢を確立した。しかも人生の苦悩と絶望を時代の中に抱き、その鬼気迫る章句に知識人の不安と懐疑を赤裸々に示している。》「理知派とか新技巧派とよばれた芥川の文学の本質」そういうことは漠然と理解きるが、このコピー、後半は何を意図して書いているのかよくわからない(^ε^)皆さんには関係ないことながら、西暦1966年12月11日が、高...“歴史”というフィクション(2)~人気NO.1の人気作家芥川龍之介
評伝「芥川龍之介」を読む (1) ~近代文学NO.1の人気作家
■「芥川龍之介」関口安義(岩波新書1995年刊その後アンコール復刊2007年)オビ広告に《ご要望にお応えしてアンコール復刊》とある。また、《清新作家像を描く必携の本格的評伝》とも。評伝はいたってまじめで、古色をおびているが、おもしろくないわけではない(-ω-)いままで関口安義さんのお名前は存じあげなかった。都留文科大学の名誉教授で芥川とその周辺人物の評伝をずいぶん書いておられる。(2022年没)。実直な研究家とみえて、「芥川龍之介」(小学館1991年刊)に、「芥川龍之介研究史大概」「芥川龍之介年譜」をまとめている。新潮社の文学アルバムも、この人が編集。うかつにも、意識してこなかったというだけである。わたしは以前、大正時代の文学作品のファンと書いたことがあった。その中心人物こそ、芥川龍之介である。このところ...評伝「芥川龍之介」を読む(1)~近代文学NO.1の人気作家
以前一度UPしたことがあるので再度の投稿となります。ツルバラの自転車と名づけることにしました、この光景。最近乗った形跡がありますよね?乗っていなければ、サドル(かなり傷んでいますが)は埃まみれでしょう。茶色のカゴがあります。ツルバラ、花を咲かせるはまださきとなりそうですね♬ツルバラの自転車
遠くからの声、近くからの声。高崎球場そばの公園に子どもたちが4人。その向うにも3-4人の姿が見える(゚д゚)ここいらは下町の雰囲気をたっぷり残している。カードをならべてゲームに興じているのだ。3-4年生かな?赤とグレーの子ども用自転車。どこかそのへんで大人の眼が光っていたかも。子どもたちが公園にいる♬
「悲劇と喜劇に両またかけて」と、オビ広告は謳っている。池内紀解説“ちくま文学の森13旅ゆけば物語”。表紙は安野光雅。そこに高浜虚子「斑鳩物語」が収録されていた。これ40年の大昔から懸案だった本。秀作とはいえないが、そこそこおもしろかった。上・中・下に分かれ、小説とも長めの写生文とも読める。旅館のスタッフお道サン、お髪サンの方言が巧みでリアル。法起寺の塔に内部からこわごわ登るあたりも読ませる。「斑鳩物語」は本書で約20ページ。決着のつけ方がうまくいっていたら、秀作といわれたかもしれない。国内・海外ふくめ二十数編の紀行文・エッセイ・小説が収めてある。「斑鳩物語」高浜虚子~旅ゆけば物語より
ヨーロッパ風の両開きドアとスポーティな白い自転車(´・ω・)?何じゃなんじゃと思いつつ、運転席からカメラを構えました。単なるピクチャーでしたが、多少立体的に見えるよう陰があるのかなあ。イタリアンレストランの広告です。スポーツ自転車は「さわやかな心地よい風」の暗喩なのかしら(^o^)ニャハハ壁の絵
医院の駐輪場に止めてある一台の自転車。サドルの後ろにビニールの透明傘が差してある。荷物かごには手帖らしきものが。どこか“わざとらしさ”を感じるのはわたしだけかな(^ε^)○○クリニックといって、父が通院していた。わたしは歩けなくなって1回診療してもらった。はっきりいわせていたくなら“やぶ!”ですよ。駐輪場の1台
文豪といえば鷗外であり漱石である。その中から一番気に入っているものを一冊ずつ選ぶとすればこの二冊。「山椒大夫・高瀬・他四篇」とあるが、この四篇がぜんぶすごい。斎藤茂吉の“解説”も普通の学者の域をはるかに抜いている。あとは「雁」かな(。-ω-)「雁」を読んで、その年に東大構内を横切り、無縁坂を友人と下ったものだ。すでに17-8年の昔となるが。ことばを節約したため、短篇は鷗外の手腕によってさらに短くなった。どの一篇も傑作であり秀作である。これまで新版が出るたびに買い直している、とても大切な二冊じゃ♬もう一度全編を読めるといいなタハハ傑作群「山椒大夫・高瀬・他四篇」
防具じゃなく、防寒グッズ。まるで戦車みたいだねぇ(゚o゚;これをはじめて見たときは驚いた。皆さんの中にも「どひゃ!」と反応する方いるでしょうね。子育て中のママの顔や腕を守る、子どもをすっぽり守る。それにしても重装備。こんな自転車がわたしがよくいくスーパーの出入口付近に止まっていました。通販で買ってしまったものの、いくらも使わないうちに防寒グッズは廃版にした・・・とか(笑)。重たいよ、ふつうの主婦は持て余すはず。それとも電動自転車かな。防寒仕様の自転車
自転車のショットを、もう少しならべてみましょう♬アルバムを振り返ってみると、枚数はかなり多いけど、被写体としては人物を主体としたものが中心となってしまうな。自転車だけのショットは予想したより少ないかも(;´д`)運転しながら、ポストがあるのに気がつきました。ジョークがお好きでしょ。ポストと自転車
3月5日につづいてまた雪が降った。写真は階段室の踊り場から北側の納屋を見下ろしたところ。そのときより5㎝くらい少ないかな?淡雪小雪レベルというには少々積雪がある。餌をさがす野鳥は(慣れない年少組)はたいへんだなあ。きいーっ、きい!と激しく、ムクドリやオナガドリが啼いている。今年2度目の雪
このショットの主役は小型自転車というより、干すため拡げられたベージュの傘かもしれない。たしか桐生の無鄰館というところで撮影したのだ。桐生市には6-7年、連休のたび写真を撮りに出かけた。昭和の雰囲気を一番たたえた商店街が気に入ったのだ。無鄰館のご夫婦には特別な紅茶をいただき、親切にしていただいた(*゚ω゚*)奥の長い帯のような敷地には、いろんな施設があった。美術館といえるようなアートシアター(レンタルギャラリー)もあった。ご主人夫妻がおしゃれして、喫茶店をやっておられた。元来は機屋さんで無鄰館は旧北川織物工場跡地。傘を干した無鄰館の小型自転車
このショットの主役は小型自転車というより、ベージュの傘かもしれない。たしか桐生の無鄰菴というところで撮影したのだ。桐生市には6-7年、連休のたび写真を撮りに出かけた。昭和の雰囲気を一番たたえた商店街が気に入ったのだ。無鄰菴のご夫婦には特別な紅茶をいただき、親切にしていただいた(*゚ω゚*)奥の長い帯のような敷地には、いろんな施設があった。レンタルギャラリーなども併設されていた、と思う。ご主人夫妻が、喫茶店をやっておられた。桐生の無鄰菴にて
つい数日前「武田百合子対談集」中公文庫(2024年刊)を買ってきて、さっそく読ませてもらった。はじめに置かれた深沢七郎との対談「武田泰淳の存在」は80ページ以上もの分量があり、読ませる。深沢七郎は「楢山節考」しか知らなかったが、関心は強く本は着々と集まっている。このユニークな人物のある一面を、赤裸々に露呈しているのは予想通りだった。この長篇対談が、他の著作には書かれていない、亡くなった前後の武田泰淳と百合子夫妻のことを述べていて、興味深い。武田百合子、全然インテリじゃない。でも普通を超えたおばさん(-ω-)タハハそこがいいのだ。「武田百合子対談集」に引きずり込まれた
宇野浩二の著作は何作か持ってはいる。だけど唯一読んだといえるのはこの「獨断的作家論」にとどめを刺す。葛西善蔵論、川崎長太郎論等・・・持ち前の粘着気質でしつこく食い下がっていて、じつにおもしろい♬とある古書店で見つけた“拾いもの”なのだ。そろそろ宇野浩二の小説(講談社学芸文庫)にもとりかからないと、目がだめになってしまうぞ(^^;;)「獨断的作家論」に舌なめずり
こちらも自転車スナップ(ˊᗜˋ*)俗にいうママチャリでしょうね。お疲れ気味のカゴがついているよ、生活感滲んでいるなあ。ん?サドルには何やら覆いがかかってますね。ペンキ色の真っ赤な門扉、右の竹が古いのと新しいのと、意味ありげだにゃ。どこで撮ったんだろう、まったく憶えておりません。自転車のある光景(2)
予告したように、つぎは街角スナップでいってみようかな。道端に止めてある自転車を見ると、スナップしてしまう。ネットの友人葉流さんなどもときどき、風情ただよう“街角自転車”を撮っておられる。自転車は「はずれにある光景」なのだね。端っこにあるものに、人は何かを感じるのだ。その人の香りというか、フォトジェニックなものを強く。自転車のある光景(1)
時は疾風(はやて)の如く ~泰淳・百合子・花みんないってしまった
■『「富士日記」を読む』中公文庫(中央公論新社【編】2019年刊索引をふくめ301ページ)《九月二十一日、泰淳氏の死の二週間前に「富士日記」は終わっている。泰淳氏は去ったが、後に「富士日記」と、それによって紛れもない言葉の表現者としての武田百合子が残された。「富士日記」ほど、作者の全人格の表現である日記は稀であろう。その十六年半後の一九九三年五月二十七日、武田百合子氏も六十七歳の生涯を閉じた。》(黒井千次『「富士日記」を読む』190ページより)黒井千次さんが、エッセイの終わりをそう結んのは1996年のこと。そしてわたしはつい先だって、一人娘の花(武田花)さんが、2024年4月30日に亡くなったということも知ってしまった。時は疾風のように、またたくまに過ぎさっていく。泰淳さん64歳、百合子さん67歳、花さん...時は疾風(はやて)の如く~泰淳・百合子・花みんないってしまった
北から南へ、まったく同じスピードで走っていた。しっかり食いついて離れない、まるでコバンザメ₍(小判鮫)のように。あれれ、かなり距離があったけど、ずっとコバンザメでいくか(゚o゚;運転手どうしお知り合いとか・・・意図的なものがありそう♪コバンザメはさらにユンボという子供をつれていた。意図したように並走するクルマ
「遊覧日記」(ちくま文庫)には秀作がいくつもふくまれている♬母と娘の合作というのも得点が高い。まあしかし、武田百合子さんといえばまず「富士日記」ということになろう。3巻本だが、上巻がみつからないため買い直した。彼女の“天然ボケ”が花さんにつたわっているのはおもしろいことだな(。-ω-)武田百合子・花が書き残したもの
一瞬クルマのホイールを展示してると思えた。何だろう、これは。蛇の目傘じゃないし・・・唐傘か?6m道路に面した普通の木造民家。外からのぞけないよう「目隠し」にしてるのかな(´ω`*)奥様か娘さんか日本舞踊やってるのかも。わたしは9月の末に、偶然見かけてクルマの運転席からパチリ!唐傘?
さあて、つぎはどうしよう。街角スナップでもいってみようかな(*´σー`)ちょっとネタ切れかしら。その前に一つ。これ♬葉っぱにこんなおもしろい孔をあけた虫さんはどなたでしょう。「おれだよ」「あたしです」と名乗り出てくれればいいけど、聞いたことないねぇ。さてはおまえさんか!葉脈だけ食べ残すヤツは。葉っぱにへんな孔をあけたヤツ
ええと、きのこに深入りすると混乱してくるので、これを最後にします。・・・ナメコのように見えますが、イヌセンボンタケかもしれません。それも違うかな(^^;;)よく似たきのこが数種あります。結局、きのこは2シーズンだけで撤退。“同定”のあらし。図鑑と首っ引きのため、高齢者は疲れます。ご協力いただいた皆さんに感謝です。すごすごときのこから撤退です
2月から3月にかけて、北関東では必ず2-3回は雪がふる。見慣れた光景。わが家の玄関ドアを開けると、こんな光景が待っている(´Д`)外流し、そして東の物置き(駐車場)。いずれ解体撤去しなければなあ、お金がかかるにゃ、参ったまいった。雪の日
発売されたばかりのOM-3がやってきた。記念の一枚でありありまする。ボディは1㎝ほど横長、OMSESTEMのロゴにも多少違和感があるけど、すぐに馴れるでしょう。EOS5D(初代)&24-70㎜ズームを下取りに出して約20万円。レンズは従来のままであります。オリンパス何といっても小型軽量なのが一番♪。OM-3がやってきた
関川夏央編「鉄道文学傑作選」(中公文庫2024年刊)をぱらぱら読んでいて、上林暁「鄙の長路」という短篇を興味深く読ませてもらった。上林さんは、B級短篇ばかり読まされてきた。ところがこれは房総半島のローカル線(汽車旅)のことを、おもしろおかしく、綿々とつづっていて印象深く、感心した。いわゆる「病妻もの」は知られているが、それ以外の小説は知らないものがほとんど。代表作が1つ2つ書けないと、文学史のはざまにうもれ、忘れられた作家になってしまう(;^ω^)夏目漱石「三四郎」、志賀直哉の「網走まで」等と肩をならべている。危ういところ、関川さんがひろいあげてくれたのだ。「鄙の長路」(上林暁)を興味深く読んだ
アミガサタケというきのこでしょう。普段は野鳥の撮影のため歩いている、水辺の公園です。わおっ、と小さな叫びをあげてしまいました。こんなのが“にょきっ”と顔を出していたのですから。長さは12-13センチ。奇妙なきのこが土中に潜んでいたのです。生で食べると有害だといいますから、食べない方が無難だなあ。アミガサダケ
おっ、そうか写真家の武田花さんが、2024年4月30日に、甲状腺疾患のため72歳でお亡くなりになっていた!う~ん可哀想だな、ショック(゚o゚;「眠そうな町」で90年に第15回木村伊兵衛賞をとって以来、ファンだったし、母の百合子さんの「富士日記」もちょびちょび読んでいる。「遊覧日記」(1993年刊ちくま文庫)は母がエッセイを、娘がフォトを掲載している記念の一冊。それを、たまたま昨日からを読みはじめたのだ。花さんのフォトエッセイは、「煙突やニワトリ」「カラスも猫も」など5-6冊は持っている。母親ゆずりの“天然ぼけ”が何ともいえない味を出している。むろん写真もいいな。ライカM2&50㎜遣いじゃなかったかしら。そっかー、お亡くなりになっていたか。ショック、わたしより1歳年上だった。もう彼女の写真は見られない。追悼武田花~百合子さんの「遊覧日記」を読む
野鳥を探しにいったのだと憶えています。達磨さんで有名な少林山。ここは北斜面に本堂や鐘楼が展開している珍しいお寺、まあ緩やかではありますが。そこで発見!これは何だ(´ω`*)調べましたよ、図鑑を2-3種類買って。ツチグリ。まさに名称にぴったり。大きさは2-3センチで、湿った土壌を好むようです。ツチグリ発見
要するに肝心なのはこちら。「人間臨終図鑑」(徳間文庫)。改版され何回も版を重ねているが、わたしの手許にあるのは3巻本4巻本が入り混じっている。こちらは傑作の名に値すると思う。こんなユニークな本はこれまでみたことがなかった。死にぎわの人間に焦点をあてているが、冷酷で皮肉な表現だけには終わっていない。年齢順に923人分・・・人間の死をこんなふうに見つめてきた物書きがほかにいるだろうか!?変格ドキュメンタリーですね。山田さんは79歳でお亡くなりになっている。うむむ、ずいぶんと教えられました、な(^^♪ウィキペディアに一覧表があり、参照できます。山田風太郎の傑作「人間臨終図鑑」を読む
ベッドの脇にいくつかの積読の山が聳えている。いずれ片づけないと拙いなと思っているが、なかなか進まない。そこから「戦中派天才老人・山田風太郎」(関川夏央ちくま文庫1998年刊)が出てきた。「人間臨終図鑑」を、いま盛んに読んでいる(-ω-)500人を超える各界の有名人の末期が書いてある。正宗白鳥の6ページが一番長いのかな?あとは平均2ページくらい。第Ⅲ巻と4⃣が同一なものとは知らなかった。このように人生観を述べた著作はほかに存在しない。じつにユニークで、“サビ”が効いている、名著といっていいだろ。ただし、この関川さんの著書はたいして面白くない。戦中派天才老人・山田風太郎
植物つながりでつぎはきのこ。すいませぬ、気まぐれで。これは以前もUPしたものと同じです。一見すればおわかりの通り、タマゴダケ(*^。^*)前橋の嶺公園(広大な霊園)を歩いていたとき、この子にお遭いしてびっくり!それから2シーズンきのこを探して歩きました。食べないから撮影するだけですが。タマゴダケ
ええと、昆虫図鑑を検索するのに、少々疲れました(´Д`)やれやれ、蛾がまだまだ10頭はいるのに、「だれか助けて」があまりにつづいたので。そこで思い出したのが草花。まずは在来種のスミレ♪深紫がきれいですよね。ここは前橋市の有名な遊水地周辺。それを取り囲むようにロータリーがぐるり廻っています。その一隅にある年、びっしりスミレが生えてきたのです。クルマを路肩に止めて、さてさて・・・と撮影。カメラに24ミリが付いていたか28ミリだったか。腰を据えてローアングルからパシャパシャ!!その中の一枚です。スミレは好きな花。だれかが蒔いたのでしょうね。スミレの群落
名作「網走まで」と「灰色の月」を読み返す ~調和型の私小説の神髄
「網走まで」「灰色の月」は志賀直哉の代表作として、ご存じの方が多いだろう。これまで3-4回は読んでいる。そしてまた、読み返した。“読み返すことができる”というのが、名作の条件であるものは、当然だと思える。以前、こうに書いたことがあった。《たとえば、堀辰雄の「辛夷の花」(「大和路・信濃路」の一編)と「網走まで」を、以前読み比べたとき「ああ、そうか。踏み込みの鋭さがまるで違う」と思ったものだ。どちらも列車の中の情景を題材としているが、「辛夷の花」がものを見ているのではなく、雰囲気描写に終始しているのと違い、「網走まで」のまなざしは現実に突き刺さっていく。こういう人に見られるのは、ある意味恐ろしいことである。視線がものの、あるいは人間の本質を衝き、ヴェールの内を暴いてしまうからだ。》「一つの到達点としての「焚火...名作「網走まで」と「灰色の月」を読み返す~調和型の私小説の神髄
金のイナゴ銀のイナゴといいたいけど、図鑑で調べるとどうもナキイナゴという種類のようです。上に乗っているのがオス、下がメスで一回り大きいですね(*・д・)ぐんま昆虫の森でお見かけしたとき、きれいだったので、童話を作ろうかなと思いました。こんな金と銀のイナゴがいたら、あなたもそうしますか?金のイナゴ銀のイナゴ
高齢者ごみ出しSOSだってさ♪こういう便利なクルマが町を走っているんだね。これまでも数回見たことがあった、自治体も大変^ωヽ*冷淡に眺めていたけど、このさき、2-3年でこのクルマのご厄介になるかもしれない。元気な人もいるだろうが、わたしの場合そうもいってられない・・・かもねタハハ対策を講じないと“ごみ屋敷”になって、近隣の苦情がもちこまれるのだろう。高齢者ごみ出しSOS
スカシユリだったかな?この黄色いユリを見ていたら、先客がいました。指のさきみたいな小さなカマキリ。こんなのが、花粉をもとめてやってくる昆虫を待ちかまえて潜んでいたのです。しかも臨戦態勢(゚o゚;カマキリにも6-7種あるらしいけど、ヒメカマキリは茶色なのかなあ。単に子どもなだけか。どこからでもかかってこい(T_T)
ヒゲナがオトシブミのオスだと思われます。首長竜みたいに、とにかく首が長いなが~い(´ω`*)これで翅があるんですよね、甲虫の一人ですから。さぞ、飛びにくいことでしょう。めずらしい種かとおもったら、榛名山の道端にいっぱいいました。小さいので、目に入らなかっただけ。それにしてもこの首の長いこと↑ヒゲナがオトシブミ
よいしょよいしょ!よいしょ!頑張れアマガエル(^O^)うちの敷地にはトノサマガエルもいますが、アマガエルの方が断然、数は多いです。やんちゃだから、ときおり観察をば♬このペンキの派手な赤。もちろん、ご本人は自分がこんな壁を攀じ登っているなんてわからないと思います、ファハハハ(^O^)赤い壁攀じ登るアマガエル
うむむ、あなたはどなたですか!?はあて、さてだれでしたか、わからなくなってしまいました。ハチだったかアブだったか、ハエのお仲間だったか・・・・。これじゃ勝手に悩んでろ!といわれそうです(´Д`)指につまんでクローズアップし過ぎたら、し過ぎてわからない。二十数年も昔のことなので、むふう。ところで、小生意気な王子様の風貌がありはしませんか?少年剣士(^^?)
■高濱虚子「高濱虚子集」現代俳句の世界1深川正一郎選(朝日文庫昭和59年刊)ほかの俳句の文庫本といっしょに、書棚からこぼれてきた。何気なく手にとって、澁澤龍彦の「物の世界にあそぶ」という序文を読みはじめたら、これにいささか圧倒された。何だって?高濱虚子に澁澤龍彦をぶつけただけで、不甲斐ないが「おっ♪」と唸ってしまった。略年譜を齋藤愼爾さんが編集しておられるので、齋藤さんが仕掛けたのかも知れない。読みはじめたら、中身も凄かった。それほど売れたとは思われないが(^ε^)澁澤さん、一番“のり”がよかった時代ではなかったか?めちゃくちゃ西洋派の論客として評論をお書きになっている人物を、「客観写生」「花鳥諷詠」によって主導した「ホトトギス」の領袖にぶつける。そうして、結果として、それが成功を収めているのだ。いままで...「物の世界にあそぶ」~澁澤龍彦が暴く虚子の実像
べっこう色をしたトンボ。わたしはトンボには、チョウと比べあまり関心がありません。何でかな、アルバムには100枚とはいわないけれど、それに近い数がある・・・と思うけど。榛名山麓の湿地で見かけたこのべっこう色のトンボは他の仲間のうちで目立っていた。下に板が渡してあり、足を踏み外すと池ポチャ。二ホンカワトンボ、ミヤマカワトンボ、アサヒカワトンボ・・・はて(´?ω?)上品なカワトンボ
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古めかしい窓と扉を撮って歩いていたことがあった。群馬県の市町村(一部埼玉北部)は、8割は回ったかな。撮ったあとで、かんがえる。その場でかんがえていたら、移動できなくなるからね。この扉はすごい、重量級。アルミとか鉄とかじゃなく、鋳物かもしれない。外壁は分厚いレンガ。耐火建築かな。緑青がふいているぞ!窓と扉
「婚約したらダイヤモンド」だって。小さなものでもいいのかな。眼鏡・宝石・時計。これが3点セットだった。いまでもそうかなあ?ふるさとぐんまには上信電鉄というローカルな私鉄があるけど、そのどこか駅前で撮った。SEIKOは立派なブランドだったぜシチズンも。篠原時計店、この建物はいまもあるのかな。上信電鉄の或る駅前
これも伊香保の石段街で撮った一枚(^^♪ちょっと失礼だったかしら。焼きたてだね、女性の表情が熱そう。右にメニューが見えるし、店員さんの下半身もちらり。食べているのは「玉こんにゃく」かなあ?石段を下りてきたら、このカップルがドンピシャのシャッターチャンス。その節はありがとうございました。お似合いの二人♡
伊香保の石段街にパネルで飾られた古写真。「ほほう」と思ったので、よく憶えています。わたし推測では、角兵衛獅子ではないかしら?越後からやってくる女性の芸能集団。江戸時代に旧西蒲原郡月潟村からやってきたそうです。旅館街にもやってきたんでしょうね。それが大正・昭和のある時期まで存続したのです、たぶん。石段街の古写真
ここは伊香保の旅館街の一隅。二つの道が交差する角なので、いろんなものが置いてある、というか集まってくる。郵便ポストや選挙のポスター、丸本旅館、脚立、プラスチックの樽その他。そこに陽光が注いでいる。甲羅干しをしているのかな?ものたちが。KIRINふきのとう。ネーミングはいいけどね(ノω`*)いろいろなものが甲羅干しをしている
「いつか、いつか・・・」とかんがえているうち、こんな年になってしまった。それも、角川のソフィア文庫で。何だか恥ずかしい気がする(^^;;)どちらも200ページ前後、手取り足取り、よちよちと。「万葉集」も、ソフィア文庫で読んだ。新潮の古典集成その他で20冊ばかり揃えていたのに、結局読まず仕舞となりそう。頭脳の衰えには逆らえない。茂吉の「万葉秀歌」上巻・下巻が、いまのわたしには、正直いってむずかしいのだ。若いころにはバカにしていたよ、ソフィア文庫。アルツハイマーかなトホホ超初心者向けソフィア文庫(角川文庫)
秩父へいったその帰途、たまたま目についたボンネットトラック。このショットを撮ったときのことは、なぜかよく憶えているんですね。埃まみれの黄色いトラック(;^ω^)通過しかけあわてて振り返っているのです。特殊ポンプ車かな?秩父の文字がありますよね。働く自動車シリーズのごく初期のもの。埃まみれのボンネットトラック(秩父)
このころまで、こんな個人商店があったのです。15年か、それ以上たっているでしょう。秩父はのんびりした山峡の町に見えました。8×10が飾ってあったので、ついパチリ!カメラ店が時計・宝石の店をかねていたのです、昔はね。パンダの置物があるな、ほかにもいろいろ陳列してあった(*^。^*)カメラ・宝飾のお店(秩父)
深紅のヘルメットが、バックミラーに何気なく懸けてあった。しかも傷だらけ。見た瞬間網膜に突き刺さった。背景のブルーシートが存在を強調していた・・・と思う。こんなシチュエーション、あるもんじゃねえぞ(゚д゚)どこで撮ったのかな。撮影のため秩父へいったときか。シュルレアリズム、いやダダイズムだね。深紅のヘルメット
斎藤茂吉の「万葉秀歌」(岩波新書初版は1938年上下巻)を買おうとかんがえて本屋へいったけど、立ち読みした結果、角川ソフィア文庫(ビギナーズクラッシック)の「万葉集」に後退。昔読んだとき、かなり高度な評釈でよくわからなかった。“足慣らしが”必要じゃな(笑)。芭蕉・蕪村の俳句をスラスラ読むのとはわけが違うから。でもやっぱり「万葉秀歌」を買おう、持っていたはずの本がみあたらない。茂吉自身の短歌より読まれている・・・と思うので典型的なロングセラーとはこういう著作のことをいう。斎藤茂吉「万葉秀歌」を買おう♬
高崎市の旧卸売青果市場・・・だと思います(間違っていたらご免なさい)。一時期街中を、カメラ片手にぐるぐる回っていたのです。斜光線があたって、影が映って、黄昏ゆく風情がありました。大型トラックが横付け。下大類町の新市場に引っ越す前の、街中の市場。現在はこのあたり、マンション林立ですね。旧卸売青果市場
愛機をぶらさげ下町(高崎の南町あたり)をふらふら。そうしたら、この自動車を発見。おやおやパン屋さんの移動販売車かな。外装色、気に入りました。ドイツの車両かな?ところがその後見直していたら“RUNRUNICE”と書いてあるんですね。アイスクリームの販売車かも知れません。そのとき、その場で確認すればよかったのですが。移動販売車
チヤコの家・・・だってさ♬街角散歩中「これはいただき」と、立ち止まってパチリ。10枚くらい撮ったな。気の弱そうな、いつもシッポをだらんとたらしているようなワンコ。よかったねぇ、愛されているんだね。立派な小屋まで造ってもらって。玄関を犬がふさぎ、家のあるじは廊下から出入りしていた、かも。チヤコの家
消えている文字は「東」の字で、関東牧場と入るのでしょう。ホルスタインをたくさん飼育していたようです。牧草はあちらこちらにありました。ここは標高0に近い、わが家と同じ平地です。山麓じゃなくてね(ˊᗜˋ*)前橋市街地より15-20キロ離れた調整区域。異臭の問題はどうなのかなあ。関東牧場
これがわたしがイメージする“わが町TAKASAKI”でした。貴族の婦人をあしらったアンティークCaféのこの看板。広角レンズでスナップしています。去年からは税金(相続税・固定資産税その他)で苦しめられているから「ちくしょうめ(T_T)」と苛立っていますが。店の方ではなくストリートを撮っています。TAKASAKIのイメージ
高崎市の下町にある造り酒屋、というかお醤油さんです。その名は「ヒキソーイチ」。薄暗かったですが、看板をずばりと撮影させていただきました。おじいちゃんは施設に入所したとのことで、孫にあたる女の子が、実質家業を継いでいます。下町散歩で立ち寄ってパチリ、そして醤油を1本お買い上げ。その節はわがままを聞いていただき、ありがとうございました。高崎の醤油屋さん(ヒキソーイチ)
これも古いころ、20年ほど昔、足利市の駐車場の小景だったと思います。この植物・・・棕櫚は箒として、現在でも使われていますよね。こんなに背が伸びるんですね。斜光線ねらいで撮影しています。コンクリートの外壁がキャンバスになってくれました(^ε^)光と影のドラマ!棕櫚~光と影のドラマ!
娘と息子。いかにも「過去からの手紙」にふさわしいシーンといえるでしょう。娘は1年生か2年生。息子はそれより3歳下。フィルムカメラからスキャンしています(^^;;)時間がたつのは早いものですよね。後ろはいま解体撤去を検討中の“東物置”。ガレージ兼用です。300万はかかるかな?タハハ頭が痛い。幸せだった時代がリアルに蘇ってきます。幸せだった時代(娘と息子)
わがままをいわせていただくと、右手に手塚治虫、左手に幸田露伴が昨日のわたしめでありました。ところで露伴はなぜ露伴というのでしょうか(´?ω?)ご存じの方、いらっしゃいますか。夕べは「太郎坊」を読んでいました。ちくま文学全集は、文庫本サイズなので、携帯に便利。鴎外からはじまって、全50巻もあるし。30巻くらいは持っていた・・・かなあ。「突貫紀行」「観画談」幻談」「望樹樹」など、評価の高いものが収録されています♬運がよければ、BOOKOFFで121円です。はたして目論見通り読みすすめられるかしら?左手に幸田露伴
過去からの手紙シリーズです。これは住宅屋さんのイベント会場ではなかったかしら、よく憶えていません。ニコンFM2と45ミリF2.8で撮ったのは記憶にあります。会社の行き帰りにあっちこっち引っかかっていました。万国旗のようですが、風があると忙し気にくるくる回るグッズが空を横切っていました。建物が拵えたように対照的。何てことない日常的なスナップですが。2014年に撮影とコメントがあります(´ω`*)何かがくるくると回っていた
(「宇野浩二・葛西善蔵・嘉村礒多」日本の文学33昭和45年刊)(「哀しき父・椎の若葉」講談社文芸文庫水上勉解説1994年刊)(「贋物・父の葬式」講談社文芸文庫鎌田慧解説2012年刊)本編「血を吐く」は、「日本の文学」(中央公論社の文学全集)にも、講談社文芸文庫の2冊にも収録されていない。岩波文庫の旧版を探すか、Kindle版(電子書籍)を探すしかないかとかんがえていたら、「青空文庫」に収められてあったのはうれしかった(*^。^*)この機会に「湖畔手記」も読み返した。だけど、これが最高傑作とは、どうも思えなかった。代表作の「子をつれて」は出だしが苦み走っていていいし、「椎の若葉」は、ラストがすばらしい(^ε^)葛西善蔵1887年(明治20)~1928年(昭和3)とは、何者であったのだろう(´?ω?)ちなみに...破滅型私小説の極北その2
(「子をつれて他八篇」谷崎精二解説1952年刊)上の岩波文庫(旧版)の表紙裏に、こういうコピーがある。《貧窮と病苦の人間破産状況のなかに漂う詩情と飄逸味》よくある葛西善蔵評といえる。ついこのあいだ、「湖畔手記」の続編とみられている「血を吐く」を何気なく読んでいたら、つぎのような場面と遭遇し、あっけにとられ、心の底が冷えびえと疼いた。400字詰めで20ページ前後のごく短い短篇である。まず、つぎの冒頭が出色の出来。葛西善蔵の真の才能がキラキラ輝いている。《おせいが、山へ來たのは、十月二十一日だつた。中禪寺からの、夕方の馬車で着いたのだつた。その日も自分は朝から酒を飮んで、午前と午後の二囘の中禪寺からの郵便の配達を待つたが、當てにしてゐる電報爲替が來ないので、氣を腐らしては、醉ひつぶれて蒲團にもぐつてゐたのだつ...破滅型私小説の極北その1~葛西善蔵「血を吐く」をめぐって
替刃式竹挽鋸(たけひきのこ)と、剪定鋏を買ったけれど、それがこの2種。併せて7千円ほどですから、お安いといえばいえまする。こういうものがないと立木には立ち向かえません。竹挽鋸はこれまで使用していたのより長いなあ。270mm?200~230㎜あたりが小回りがきいて使い易いと思いまするが(*´ω`)手入れを怠っていると、1年少々で錆に食われてしまいます。鉄器ですよ、鉄器。飛躍するようですが、戦争も鉄器の勝負。鉄を手に入れたことで人類はよくも悪くも、進化を遂げましたから。竹挽鋸と剪定鋏
今年は木々の伐採に力を入れている。ぼんやりしていると、どんどん伸びる。写真は梧桐(アオギリ)だと思うが、現在で約5~5.5mの高さ(゚ω、゚)この屋敷で一番の背高のっぽ↑最大で20mにもなるというのだから油断できない。カインズホームで、新しい道具2種類も買ってきたよん。一本はもう伐った。大物が2本ある松もはやいとこやっちまわないとなあ(ノω`*)もう手に負えないかも。わが家で一番の背高のっぽ
いうまでもないけど、昭和が終わったのは昭和64年(1989)のこと。昭和1年は1926となる。どなたもいうことだろうが、長いながい昭和は、20年8月で、二つに折れ曲がっている。わが国の元号を長い順に挙げると、昭和(62年14日間)※昭和は最初の1年と最後の64年はそれぞれ数日しかない明治(44年187日間)応永(約35年間)となる。2つに分断されているとはいえ、昭和がいかに長かったか!?これを“昭和”というだけで一括りにするのは乱暴かもしれないが、「昭和文学」ということばがあるので、それに倣うことにする(^^;昨夜「私小説の二律背反」を読んでいたが、若いころに読んだのとは違って、著者の気持ちが手に取るようにわかって、じつにおもしろい。(平野謙「芸術と実生活」と、中村光夫「風俗小説論」)平野謙はわたしが物心...絶やすな。昭和文学の火を。<その2>
この標語は小学館P+DBOOKSのコピーである。「絶やすな。昭和文学の火を。」かあ、苦笑いせずにはいられんけど(笑)。P+Dがなんのことかというと、ペーパーバック+デジタル・・・とのこと。わたしのように、昭和20年代に生まれのじいさんには、たしかに愉しみの多い昭和文学である。https://pdbooks.jp/index.htmlP+DBOOKSは以前から知っていたし、うち何冊かは手に入れたのを書庫に置いてある。明治の文学大正の文学昭和の文学明治の文学は、特殊なものになりつつある。最近の若い世代には、古文といってもいいくらいで、わたしも注釈なしで読むのはいささかつらい(´?ω?)そうはいいつつ、鷗外、漱石はたまに手に取る。ほかには、徳田秋声田山花袋岩野泡鳴近松秋江・・・あたり。こんなところかなあ(^^♪...絶やすな。昭和文学の火を。<その1>
黒猫は妹の家の猫かと勘違いしていたけど、そうではなかった(;^ω^)たぶんどこかご近所のメス猫で、けん太がもっさりしていると、居間に忍び込んで餌を食べてしまう。“盗人猫”なので、こらあ!と怒鳴ってやった。効き目はないなあ(T_T)金網をかぶせた大型の釜の中にいるのは金魚。猫ばかりでなく鳥も狙っている。金魚を狙うやつ!
玄関わきの植え込みで、アゲハチョウ=ナミアゲハの4齢幼虫を発見!!今年はわたしが立木の伐採を大々的にやっているので、ナミアゲハの数が少なくいささか心配はしていた。5齢となると皆さんがよく知っている“アオムシ”となるが、それ以前は半分くらいの大きさ。ミカンって美味しいよね、だそーです(*^。^*)ナミアゲハの4齢幼虫
家族の滅亡をこの目で見届けたという気がする。わたしが生まれたとき、7人の家族がいたのだ。私小説とはいえ、川崎長太郎と西村賢太では大きな隔たりがある。「いつか読む日がやってくるだろう」と思って、川崎長太郎は5冊、講談社文芸文庫で買って手が届く範囲に置いてある。私小説とはいえほぼ“作文”。だから見方を変えるとドキュメンタリーになる。抹香町は当時の赤線地帯として、いまもそのおもかげを探訪する粋人が絶えない。昭和の臭いがむんむんする。83歳まで生きて、最後は小説家として成功をおさめたから、幸せな一生だったといえる。たった2畳の掘立小屋で暮らし、ひたすら小説を書いた。川崎長太郎を思い出すとき、ほぼ同時につげ義春を思い出す。つげさんは便所を改造したような家に住んでいたのだ。つげさんには、“私小説”と途方もない幻想が共...老残・死に近く~川崎長太郎
この花、今年は庭の西側にたくさん咲いている。例年になく個体数が多いので、金魚に餌をやるとき、多少は気にならないこともない^ωヽ*わたしは雑草の仲間かと思っていたけど、お知り合いが「赤色夕化粧」だと教えて下さった。以前どなたかに教わった気が・・・。忘れっぽくなったのは黄色の点滅信号だな。庭に赤色夕化粧がいっぱい
■織田作之助「放浪・雪の夜織田作之助傑作集」(新潮文庫令和6年刊)西村賢太の本を物色するため戸田書店をうろついていたら、こんなのが目についた。「おや、新潮文庫の新刊だな?」そうかんがえながら手にしてみると、新たに編集されたおださく(織田作之助)だった。織田作之助については、以前短く書いたことがある。■二草庵摘録:2019年3月https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/0e2b053733c0f9636bfa4ac6e955eef7そこから、まず「四月馬鹿」という短篇を読みはじめたら、これが傑作、文句なし(^o^)いやはや、5年ぶりの再会は、印象の深い武田麟太郎を取りあげた短編であった。《武田さんのことを書く。――というこの書出しは、実は武田さんの真似である。》引用は青空文庫から《武...スロットル全開、織田作之助の世界~「放浪・雪の夜」の周辺
こんな本があったのは知らなかった。吉行淳之介「懐かしい人たち」(ちくま文庫2007年刊)。吉行さんは安岡章太郎ほどではないけど、いずれまとめ読みしようと、見かけるとぽつぽつ“最新刊”のものを買っている。これもその一つ。中でも「川崎長太郎さんのこと」はすばらしい出来映え。なかなか腰をわらない、達人芸のエッセイといっていいだろう。川崎長太郎と吉行淳之介は関りがないと思っていた。そこで話題となっているのが、永井荷風と徳田秋声の比較論。評論家や大学教授ではなく、小説家の小説論がおもしろい(´ω`*)読みながら笑ってしまうエッセイも多い。「内田百閒氏のこと」なども、超絶のエンディング♪久々に吉行淳之介を読む
麦が色づいてきた。麦秋というやつで、5月末~6月はじめには刈入れが行われる。子どものころ1年中で一番いやな仕事だった。ノゲ(麦の穂)が背中に入ってしまうと、痛痒いし、なかなか取れないから始末が悪い(ノω`*)後ろは関越自動車道。若いご夫婦の散歩かしらね♬麦秋
令和4年2月、私小説作家の西村賢太が急死した。54歳没。ご自分が書いてきた小説のごとく、遺体の引き取り手がだれもいなかった(-ω-)愛読したというほどではないけど、わたしも多少は彼に馴染んでいた。襟を正しその作品のいくつかをもう一度読み返してみようかな・・・と思って、作品の一部を買い直ししている。探したが見つからないものがある。藤澤清造の墓の隣に生前建てた、西光寺の自らの墓に納骨埋葬されたのだと、ごく最近知った。引き取り手のない遺体が6万柱、その中の1件に加わったわけだ。無縁社会が加速している(´Д`;)SNSをやっている人は危険度大、皆さん方ご近所とは縁が薄いからね。無縁社会が西村賢太を呑み込んだ
つくづく田舎だなあと思いますなあ(´Д`)何かくるのかといえば、エンジン音を響かせ、小型テーラーが信号を渡ってくる。ふ~ん。そうか・・・まあ、農業県で知られた群馬ですからねぇ。大都市には程遠い。顎にぶら下げているのは何ですか?手拭なのか、マスクなのか紛らわしいですね、お父さん。テーラーが横断歩道を・・・
先日取り上げた荒川洋治さんの「文庫の読書」(中公文庫)がなかなかおもしろく、愉しめる(´ω`*)ひとくちでいうと書評を集めた本なのだ。そこに「散文作家の軌跡」がある。とりあげているのは葛西善蔵「贋物・父の葬式」(講談社文芸文庫)。じつに丁寧に一冊一冊と取り組んでおられるが、これは紛れもなく“藝”である。いまどき、私小説の作家がさほど読まれるとは思えないが、荒川さんは正面切って葛西善蔵を擁護し褒めたたえている。以前第一短篇集というべき「哀しき父・椎の若葉」を読んだとき、そのおよそ半分は秀作であろうと、わたしもかんがえた。「贋物・父の葬式」も近々読んでみようっと♬葛西善蔵を擁護する♬
ケヤキの新緑!どんどん緑が濃くなる。10mはあるかな?わたしはシンボルツリーだと思っていた(*^。^*)広い敷地は、年内に老人介護施設等の工事がはじまるらしい。それにしてもよく生き残ったなあ、おまえさん。いったいどれほどの水を吸い上げるのか?落ち葉の片づけも半端じゃないが。ケヤキの新緑!
荒川洋治さんの「文庫の読書」が100円の棚にあったので買ってきた(ノω`*)数週間前には詩集「心理」が200円(税別)。1万部刷る2万部刷るといっても、400部500部は余分に刷るのが常識だから、そういったものがBOOKOFFに回ってくるのだろう。読まれた形跡はない。出版業界の裏事情を知ると、定価で買うのは少々馬鹿げておるな。ニャハハ「文庫の読書」って、おれのことか!?その生態、ズバリじゃよん。この中公文庫の本、何年か以前に新刊書店でチェックしたことがあった。そのものズバリ「文庫の読書」
驚いたな、またしても分蜂が行われた。わが家へ飛来したのは、今季これで3回目。門の脇に松があるが、そこの枝にぶら下がったのを、息子が発見(゚o゚;そのまま静止しているように見えるけど、個々の個体は動き回っている。免許証の更新が終わって帰ってきたら、ふんにゃ・・・影も形もないぜ!ミツバチの分蜂
友人二人にさそわれて久しぶりにランチ、それもフランス料理の(^^♪土日は混み合うようだけど、平日はすいているとのこと。コロナ騒ぎでこの数年くすぶっていたから、まあおフランスもいいか(´◡`)グラスワインがついて約1700円(税込み)。頼もしいことに友人の一人は片言ながらフランス語が話せる。「スタンダリアンだという噂を聞いたことがあるけど」とBさんに水を向けると、「学生時代の話でね」といくらか顔を赤くした。男というか、老人三人でいただくやや甘口ポートワインは多少場違いな雰囲気が。つぎは中華のうまい店で腹いっぱい食べようぜ、とAさん。わたしも思わず笑ってしまった。おフランスでランチ