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今、出発の刻(たびだちのとき)
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車中泊によるきままな旅 <名所旧跡を訪ねる>
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241回 / 365日(平均4.6回/週)

ブログ村参加:2014/11/20

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今、出発の刻(たびだちのとき)さんの新着記事

1件〜30件

  • 弘前城(青森県弘前市下白銀町)

    訪問日令和3年6月10日弘前城<別名:鷹岡城、高岡城>この日の朝に決めた予定では、弘前城は入っていなかったが、市内を走っているうちに気持ちが変わった前回は「津軽藩ねぷた村」の駐車所を利用、今回は弘前工業高校周辺の駐車場を利用した工業高校口の「埋門(うずみもん)跡」から入る(現在位置)弘前公園内で絵を描いている女性長閑な風景だ蓮池濠の風景も美しい二の丸南門(重要文化財)築城時の姿で現存する5棟ある門の一つ「埋門跡」から目指す天守は近いと聞いていたが、その姿は見えないまたまた方向音痴の本領発揮伯爵津軽義孝篆額弘前市立博物館辰巳櫓(重要文化財)二の丸の現存櫓3棟のうちの一つ三の丸追手門(重要文化財)弘前城植物園杉の大橋南内門外の大橋。名称は杉材を用いた橋ということから付けられた未申櫓(重要文化財)迷ってここまで来たが...弘前城(青森県弘前市下白銀町)

  • 弘前八幡宮(青森県弘前市大字八幡町)

    訪問日令和3年6月10日弘前八幡宮二の鳥居塗って間もない鮮やかな朱色の鳥居振り返ると遠くに一の鳥居が見える道路の延長線上にあり、駐車場は鳥居の下を進んだ所にある由緒によると、草創は平安初期坂上田村麻呂が蝦夷征伐で苦戦を続けたとき八幡村に小祠を建て、宇佐八幡宮を遙拝し武運を祈願したことに始まる境内にある祠法喜神社神社田代大神右側には社務所がある拝殿扁額には社号の「八幡宮」目的の唐門・本殿の姿が見えずがっかりしていたが、その入口を見つけた本殿へは左手の赤い格子戸を潜り抜けて行くのだが、社務所の許可が必要だ重文の社殿があるということで訪れた本殿・唐門ともに地方色を示しながら全体の形はよく整っており、桃山時代の巧みな建築手法を示す建築物この神社は始め大浦城(現岩木町)の鎮守として大浦城下にあったそれを津軽藩主二代信枚が...弘前八幡宮(青森県弘前市大字八幡町)

  • 田沢湖(秋田県仙北市)

    訪問日令和3年6月9日田沢湖私の旅では好んで湖を訪れるということはほとんどない初めて訪れる田沢湖の知識といえば日本一深い湖という程度だ漢槎宮(浮木神社)漢槎宮(かんさぐう)は浮木神社(うききじんじゃ)とも言い、田沢湖畔の潟尻に立つ社殿流れついた浮木(大木が湖面から2メートルぐらい顔を出し、斜めに水底に深く消えている流木)を祭ったものといわれている若い女性が楽しそうに魚に餌を投げスマホで撮影している湖面を見るとウグイが餌を求めて集まってくる辰子像(舟越保武作)知人からラインで1枚の画像が送られて「何処にある、何という像か」と質問された見たこともない像で答えることができなかったそれが、田沢湖にある、この辰子像だった質問者が大学の後輩ということもあり悔しい思いが倍増普段の私なら目的地にならない湖だが、その像を確かめた...田沢湖(秋田県仙北市)

  • 角館武家屋敷 その2(秋田県仙北市角館町)

    訪問日令和3年6月9日角館武家屋敷その2角館歴史村青柳家(秋田県指定史跡)<前回の続き>秋田郷土館雪国ならではの頑丈な造りの旧家を移築1階は素朴な農村の暮らしぶりを伝える農具などを展示2階では音の世界・戦乱の歴史について展示している指揮者・演奏者の直筆サイン入りというから凄い若い頃、オーディオ機器に興味を持ち集めていたが、今回の旅の前に全て処分し旅の資金にあてたジャズを中心にLPレコードも夢中になって集めていたクラシックも良く聴いたが、さすがに、この時代のジャケットは観たことがない若い頃のカラヤンカラヤンはジャケットの写真にこだわりをもち、横顔の写真が多い昔のジャケットはデザインが秀逸ジャケ買いしてしまいそうな1枚だ興味ある分野だけに時間を忘れてしまった外には「消防組」書かれている消防ポンプ車が置かれているポン...角館武家屋敷その2(秋田県仙北市角館町)

  • 角館武家屋敷 その1(秋田県仙北市角館町)

    訪問日令和3年6月9日角館武家屋敷その1象潟の道の駅から100km程走り武家屋敷周辺の桜並木駐車場に着く受付所で武家屋敷は初めてだと告げると簡単な地図を渡された公開武家屋敷は有料3軒、無料3軒の6軒旧松本家住宅主屋(秋田県指定文化財)松本家は、佐竹家の重臣今宮家の組下で佐竹氏の国替により主家に従って常陸から角館に移った屋敷は万延元年(1860年)作製による屋敷割絵図に表6間裏15間とある建物は茅葺の簡素な造りで下屋をおろした入口を入って居間、その右に座敷兼仏間が配されている裏側は水屋に続いて広縁があり、その奥に寝室が配されている旧藩時代は、殖産事業の原料となる植物や食用植物が植え込まれていた松本家を出て周辺を歩いていると方向音痴の本領発揮、迷子ではなく迷爺になってしまった(笑)近くを歩いていた女性に道を尋ねると...角館武家屋敷その1(秋田県仙北市角館町)

  • 角館武家屋敷 その1(秋田県仙北市角館町)

    訪問日令和3年6月9日角館武家屋敷その1象潟の道の駅から100km程走り武家屋敷周辺の桜並木駐車場に着く受付所で武家屋敷は初めてだと告げると簡単な地図を渡された公開武家屋敷は有料3軒、無料3軒の6軒旧松本家住宅主屋(秋田県指定文化財)松本家は、佐竹家の重臣今宮家の組下で佐竹氏の国替により主家に従って常陸から角館に移った屋敷は万延元年(1860年)作製による屋敷割絵図に表6間裏15間とある建物は茅葺の簡素な造りで下屋をおろした入口を入って居間、その右に座敷兼仏間が配されている裏側は水屋に続いて広縁があり、その奥に寝室が配されている旧藩時代は、殖産事業の原料となる植物や食用植物が植え込まれていた松本家を出て周辺を歩いていると方向音痴の本領発揮、迷子ではなく迷爺になってしまった(笑)近くを歩いていた女性に道を尋ねると...角館武家屋敷その1(秋田県仙北市角館町)

  • 皇宮山 蚶満寺(秋田県にかほ市象潟町象潟島)

    訪問日令和3年6月8日皇宮山蚶満寺この寺はこれまで三度訪れているが、受付の方やガイドさんが親切でついつい足が向いてしまう途中、予定になかった「十六羅漢岩・大物忌神社」に立ち寄ったため到着が遅れた松尾芭蕉像元禄2年(1689年)に松尾芭蕉が訪れた『奥の細道』最北の地である私が旅先で訪れる所、かなりの高い確率で芭蕉が訪れていることが多い(笑)芭蕉は西行を追いかけこの地を訪れたが、芭蕉の足跡を辿る旅も面白そうだ芭蕉歌碑芭蕉が象潟(きさかた)を訪れた日は生憎の雨で、芭蕉は、中国の悲劇の美女西施(せいし)を思い浮かべ「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠んでいる西施像三國志・孫子など中国の歴史ドラマをよく視るが紀元前から権力者は美女に弱い現在も中国訪問から急に変節し、親中派となった政治家などは怪しいワナ歴史を変えた悲劇の美女西...皇宮山蚶満寺(秋田県にかほ市象潟町象潟島)

  • 鳥海山大物忌神社(山形県飽海郡遊佐町大字吹浦字布倉)

    訪問日令和3年6月8日鳥海山大物忌神社「十六羅漢岩」で地元の男性に声を掛けた際に、自己紹介として寺社巡りをしていると話したその時に由緒あるという、この神社を紹介された一の鳥居額には「正一位大物忌神社鳥海山出羽國一宮」と読める正一位は、神社における神階の最高位で、紹介された理由が良く分かった手水舎由緒創祀は欽明天皇25年(1400余年前)の御代と伝えられている歴代天皇の崇敬篤く、八幡太郎義家の戦勝祈願、北畠顕信の土地寄進、鎌倉幕府や庄内藩主の社殿の造修など時々の武将にも篤く崇敬されてきた山頂の本殿は伊勢野神宮と同じく20年毎に建て替える式年造営の制となっている現在の本殿は平成9年に造営されたもの上記「境内案内図」を拡大紹介された男性によると、階段を上り三ノ鳥居からの拝殿・本殿が素晴らしいと……二ノ鳥居鳥居の奥が駐...鳥海山大物忌神社(山形県飽海郡遊佐町大字吹浦字布倉)

  • 十六羅漢岩(山形県飽海郡遊佐町)

    訪問日令和3年6月8日十六羅漢岩ある目的地を目指し日本海側を北上中「十六羅漢岩」の案内標識があり寄り道をした以前から気になって場所でもある地元の男性の話しでは22体の磨崖仏があるそうだ展望台からの眺望この周辺に約10体の磨崖仏があるが判別できないので近くに寄ってみる早速、違った方向に歩き出したようで、地元の男性に指摘され、正しい方向を指で示されたその方向に磨崖仏があるらしいが判別できなかった1観音菩薩(かんのんぼさつ、アヴァローキテーシュヴァラ)2注荼半託迦(ちゅだはんたか、チューダパンタカ)岩の上に上らなければ観ることができないと聞いていた穏やかな表情の磨崖仏だ次の場所に移動するここには8体の磨崖仏が確認できた岩の左側部分(5体)右側部分(3体)獅子岩もあると聞いていたが既に忘れていた3舎利佛(しゃりほつ、サ...十六羅漢岩(山形県飽海郡遊佐町)

  • 山居倉庫(山形県酒田市山居町)

    訪問日令和3年6月8日山居(さんきょ)倉庫(国史跡)数年前に土門拳記念館の写真を撮っていたとき「私と同じレンズですね」と声を掛けられたその同世代の男性から、いい被写体あると紹介されたのがこの山居倉庫であるこの場所に案内された時に、探していた場所だと思った当時「さんきょ」とは読めず「やまい」でナビ検索をしていた明治26年(1893年)に建造された米の保管倉庫現在、12棟からなる倉庫が残り、9棟は現役の米蔵として使用されている残り1棟は1985年に「庄内米歴史資料館」2棟が2004年に「酒田市観光物産館酒田夢の倶楽(くら)」として改装されている背後を囲む「欅並木」は日よけ・風よけの役目を果たし、自然を利用した低温管理が行われている三居稲荷神社歩いてきた道を振り返る二重屋根倉庫内を覗いてみる山居倉庫正面魅力的な黒色の...山居倉庫(山形県酒田市山居町)

  • 土門拳記念館(山形県酒田市飯森山)

    訪問日令和3年6月8日土門拳記念館写真家・土門拳の写真作品を所蔵・研究・展示するための酒田市立の美術館日本初の写真専門の美術館として、7万点におよぶ土門作品のすべてを所蔵している入館料が以前に訪れた時に比べると、倍近く値上がりしていたコロナの影響かと思い尋ねると、酒田市の条例改正でこのようになったとのことこの日の最初の入館者だった亀倉雄策と土門拳~時代を創った二人の仕事~1964年の東京オリンピックのポスターをこの二人が担当していたということを初めて知ったオリンピックのポスターに写真を用いたのは東京五輪が最初のようだ1964年東京オリンピックのポスターをはじめ日本万国博覧会のポスターなど数々の傑作が知られている亀倉雄策と土門拳古寺巡礼私の旅で寺社の写真が中心になっているが元々興味があったわけではなかったこの記念...土門拳記念館(山形県酒田市飯森山)

  • 宮城峡蒸溜所(宮城県仙台市青葉区ニッカ1番地)

    訪問日令和3年6月6日宮城峡蒸溜所山形県と宮城県の県境付近(住所は宮城県)にある山中にある蒸溜所コロナの影響で臨時休業していたが、一部営業が再開したことを知った問題なのが緊急事態宣言地域からの入場は認めないということ(困った)そこで、前日に蒸溜所に電話した現在、旅行中だが出発前北海道は緊急事態宣言はしていなかったので入場させて欲しいと(懇願)数分後に連絡があり「お待ちしています」との内容であった(嬉)駐車場に着くと札幌ナンバーのため係の人が寄ってきた昨日連絡したことを告げると「失礼しました。○○様ですね。お待ちしていました」と丁寧に対応されたこの日は、ギフトショップとビジターセンターのみ開放されていると説明された目的は売店で限定ウイスキーを購入することなので周囲の建物を見ながら売店へ向かうレンガ建ての大きな建物...宮城峡蒸溜所(宮城県仙台市青葉区ニッカ1番地)

  • 鈴立山 若松寺<別称:若松観音>(山形県天童市大字山元)

    訪問日令和3年6月7日鈴立山若松寺(じゃくしょうじ)<別称:若松観音>重要文化財の観音堂があるということで訪れた山の上にあるとは知らず狭くてカーブの多い道に悩まされた花笠音頭歌碑「めでためでたの若松さまよ枝も栄えて葉も茂る」歌詞の「若松さま」がこの若松寺を指していることを、後で調べて分かったそれまでは会津の若松だと思っていたが、花笠音頭は山形県の民謡だった(恥)地蔵堂(子育て地蔵)通称「お地蔵さま」若松寺の地蔵は子育てがテーマ若松寺縁起本坊「天台宗祈願道場」の札と「祈願所」の扁額観音像子育て地蔵福満稲荷社石仏福聚観音(福が聚まる観音様)水屋香炉堂この日も朝早く駐車場に着き、車中で待機写真左の住職が境内の清掃、拝観の準備をしていた観音堂(重要文化財)寺伝によれば、和銅元年(708年)元明天皇の勅命によって行基菩薩...鈴立山若松寺<別称:若松観音>(山形県天童市大字山元)

  • 瑞宝山 本山慈恩寺(山形県寒河江市大字慈恩寺)

    訪問日令和3年6月6日瑞宝山本山慈恩寺慈恩寺には拝観できる仏像も多く、魅力的な三重塔もあり、今回が三度目の訪問になる駐車場横にはお洒落なカフェもでき、雰囲気が変わっていた山門(山形県指定文化財)元文元年(1736年)築造3間1戸の楼門造で、入母屋造、八脚門で銅板葺仁王像本堂(重要文化財)神亀1年(724年)行基が慈恩寺を景勝であるのを見て京に帰り、聖武天皇に奏上天平18年(746年)聖武天皇の勅命でインドの婆羅門僧正が開山開山約1300年江戸時代には東北随一の御朱印地を有し、院坊の数は3ヵ院48坊に達した現在は3ヵ院17坊法相宗に始まり、天台宗・真言宗・修験の外時宗、禅宗等多様な宗派が入り混じっていた昭和27年(1952年)「天台真言両宗慈恩寺派」となり、昭和47年(1972年)「慈恩宗大本山慈恩寺」として独立...瑞宝山本山慈恩寺(山形県寒河江市大字慈恩寺)

  • 鶴布山 珍蔵寺(山形県南陽市漆山)

    訪問日令和3年6月6日鶴布山珍蔵寺山形県南陽市の漆山地区には、古くから鶴の恩返し伝説があるという珍蔵寺には鶴の羽で織った織物を寺の宝物としたと伝えられている緑のトンネルを上っていく五輪塔地・水・火・風・空の五大をそれぞれ方形・円形・三角形・半月形・宝珠形に石などでかたどり、順に積み上げている手水舎山門彫刻扁額の文字が読めない虚空蔵菩薩堂虚空蔵菩薩仏足石・仏足石歌碑(南陽市指定文化財)鐘楼梵鐘には鶴の恩返し伝説が描かれている本堂寛正元年(1460年)極堂宗三和尚によって開山この地に古くから伝えられる「鶴の恩返し」を縁起とし、鶴女房の夫だった金蔵が仏門に帰依したのが開基としている初めは金蔵寺という名であったが、後に現在の名となった<日本伝承大鑑より>正直者の金蔵という男が、ある時、1羽の鶴が縛られているところに出く...鶴布山珍蔵寺(山形県南陽市漆山)

  • 鶴布山 珍蔵寺(山形県南陽市漆山)

    訪問日令和3年6月6日鶴布山珍蔵寺山形県南陽市の漆山地区には、古くから鶴の恩返し伝説があるという珍蔵寺には鶴の羽で織った織物を寺の宝物としたと伝えられている緑のトンネルを上っていく五輪塔地・水・火・風・空の五大をそれぞれ方形・円形・三角形・半月形・宝珠形に石などでかたどり、順に積み上げている手水舎山門彫刻扁額の文字が読めない虚空蔵菩薩堂虚空蔵菩薩仏足石・仏足石歌碑(南陽市指定文化財)鐘楼梵鐘には鶴の恩返し伝説が描かれている本堂寛正元年(1460年)極堂宗三和尚によって開山この地に古くから伝えられる「鶴の恩返し」を縁起とし、鶴女房の夫だった金蔵が仏門に帰依したのが開基としている初めは金蔵寺という名であったが、後に現在の名となった<日本伝承大鑑より>正直者の金蔵という男が、ある時、1羽の鶴が縛られているところに出く...鶴布山珍蔵寺(山形県南陽市漆山)

  • 如意山 乙宝寺(新潟県胎内市乙)

    訪問日令和3年6月6日如意山乙宝寺(おっぽうじ)令和元年10月に一度訪れ、今回が二度目になる楽しみにしていたということもあり、駐車場には6持45分に着いた金毘羅堂弁天堂(新潟県指定文化財)仁王門仁王像鎌倉期に制作された仁王像の修復作業中ということで今回は一体のみ総工費2,500万円完成年度令和8年5年後には放浪の旅は無理だろうと思いながら仁王像を眺めていた三重大塔(重要文化財)前回訪れた時は曇天の午後でうまく撮れなかった朝の光ではどうかと思い早くに訪れたのだが同じような感じであった塔の周囲は高い木に囲まれ、自動設定ではで撮ると黒くつぶれてしまう鐘楼手水舎金堂(大日堂)インド僧婆羅門僧正は、当寺に釈迦の左眼を納めて「乙寺」と名づけたといわれている右眼は中国に納められ「甲寺」と呼ばれた平安時代後白河天皇は、左眼を納...如意山乙宝寺(新潟県胎内市乙)

  • 如意山 乙宝寺(新潟県胎内市乙)

    訪問日令和3年6月6日如意山乙宝寺(おっぽうじ)令和元年10月に一度訪れ、今回が二度目になる楽しみにしていたということもあり、駐車場には6持45分に着いた金毘羅堂弁天堂(新潟県指定文化財)仁王門仁王像鎌倉期に制作された仁王像の修復作業中ということで今回は一体のみ総工費2,500万円完成年度令和8年5年後には放浪の旅は無理だろうと思いながら仁王像を眺めていた三重大塔(重要文化財)前回訪れた時は曇天の午後でうまく撮れなかった朝の光ではどうかと思い早くに訪れたのだが同じような感じであった塔の周囲は高い木に囲まれ、自動設定ではで撮ると黒くつぶれてしまう鐘楼手水舎金堂(大日堂)インド僧婆羅門僧正は、当寺に釈迦の左眼を納めて「乙寺」と名づけたといわれている右眼は中国に納められ「甲寺」と呼ばれた平安時代後白河天皇は、左眼を納...如意山乙宝寺(新潟県胎内市乙)

  • 如意山 乙宝寺(新潟県胎内市乙)

    訪問日令和3年6月6日如意山乙宝寺(おっぽうじ)令和元年10月に一度訪れ、今回が二度目になる楽しみにしていたということもあり、駐車場には6持45分に着いた金毘羅堂弁天堂(新潟県指定文化財)仁王門仁王像鎌倉期に制作された仁王像の修復作業中ということで今回は一体のみ総工費2,500万円完成年度令和8年5年後には放浪の旅は無理だろうと思いながら仁王像を眺めていた三重大塔(重要文化財)前回訪れた時は曇天の午後でうまく撮れなかった朝の光ではどうかと思い早くに訪れたのだが同じような感じであった塔の周囲は高い木に囲まれ、自動設定ではで撮ると黒くつぶれてしまう鐘楼手水舎金堂(大日堂)インド僧婆羅門僧正は、当寺に釈迦の左眼を納めて「乙寺」と名づけたといわれている右眼は中国に納められ「甲寺」と呼ばれた平安時代後白河天皇は、左眼を納...如意山乙宝寺(新潟県胎内市乙)

  • 新発田城(新潟県新発田市大手町)

    訪問日令和3年6月5日新発田城新発田市は、学生時代に寮生活で同室だった朋友の出身地でもあり往時を思い出す別名、菖蒲城(あやめじょう)初代新発田藩主溝口秀勝が慶長3年(1598年)に築城し、3代宣直のときに完成した旧二の丸隅櫓(重要文化財)駐車場から歩いてくると最初に目に入ってくるのが「旧二の丸隅櫓」石垣がすき間なくかみ合うようにきちんと積まれる「切込はぎ」と呼ばれる技法白と黒が美しい海鼠(なまこ)壁で仕上げられている新発田城は山城と違い、政治・経済の中心として交通の便利さを考え、平地につくった平城堀部安兵衛武庸(たけつね)像高田馬場の決闘で名を馳せた、赤穂浪士四十七士の一人が何故と思った調べてみると、寛文10年(1670年)越後国新発田藩溝口家家臣の中山弥次右衛門(200石)の長男として誕生している武庸が13歳...新発田城(新潟県新発田市大手町)

  • 福地山 種月寺(新潟県新潟市西蒲区石瀬)

    訪問日令和3年6月5日福地山種月寺(しゅげつじ)週末で好天ということもあり車も多い田園風景を眺めながら重文のお堂のある種月寺を目指す六地蔵山門山門の前に立ったとき、このような特色ある山門を見たことがあっただろうかとしばらく考えていた記憶にはないが素晴らしい屋根の形の山門だ石に刻まれた「禅窟」は禅寺の意味観音像だと思うが、美しい石仏だこの石仏にお参りをしていた初老の女性がいたので声をかけた山門の屋根の形について尋ねたのだが、話しはいつの間にか世間話にかわっていたこの土地に生まれ、青春時代を過ごし結婚し子供が生まれ、現在は孫の学校の送り迎えをしているとのこと手を合わせる習慣が子供の頃から日常になっているようだ山門について聞くことはできなかったが、桜と紅葉の季節は美しいと話してくれた山門の彫刻門扉に「丸に十字」の寺紋...福地山種月寺(新潟県新潟市西蒲区石瀬)

  • 法華宗陣門流総本山 長久山 本成寺(新潟県三条市西本成寺)

    訪問日令和3年6月5日法華宗陣門流総本山長久山本成寺永仁5年(1297年)日印聖人によって開かれた法華宗総本山である三門<赤門>(新潟県指定文化財)天文年間(1532~54年)の戦乱で焼失日修聖人が再建を発起、棟札によると天明6年(1786年)竣工朱塗りのため「赤門」と呼ばれている三手先詰組で全体に禅宗様でまとめられている扁額には山号の「長久山」仁王像一眼レフのレンズでは撮れず、スマホのカメラを使用大毘沙門天王大持国天王参道両脇には、十カ寺の塔頭寺院宝物殿水門寺務所鐘楼(三条市指定文化財)宝暦8年(1758年)の火災後、明和7年(1770年)の建築先代の梵鐘は、第二次世界大戦で供出された現在の梵鐘は、昭和27年(1952年)に鋳造された多宝塔(三条市指定文化財)多宝塔は本来、下層部が方形で上層部が円形になってい...法華宗陣門流総本山長久山本成寺(新潟県三条市西本成寺)

  • 新潟県立歴史博物館(新潟県長岡市関原町1丁目字権現堂)

    訪問日令和3年6月4日新潟県立歴史博物館旅行中の雨対策として近くの博物館に立ち寄る震災復興モニュメント「大地の女神(ビーナス)」新潟県立歴史博物館入口常設展示室に入る新潟県の歴史展示を中心に縄文時代の文化や新潟県の歴史・民衆生活に関する資料などを展示している入室して驚いたのは展示の仕方である他の博物館でも縄文土器を観てきたがこのような展示は初めてで驚いた照明の使い方やデザインなど立ち止まって観てしまうほど秀逸だ「威奈大村骨蔵器」「柿崎古墳」「源頼朝による地頭補任状」建久3年(1192年)「奥山荘波月条絵図」鎌倉時代地頭の遺産相続争いの際に、証拠資料として作成されたもの「長尾景虎書状」(上)「上杉輝虎署判覚」(下)「上杉景虎感状」(左)「上杉政虎感状」(右)「上杉謙信画像」江戸後期「川中島合戦図屏風」「北征将軍仁...新潟県立歴史博物館(新潟県長岡市関原町1丁目字権現堂)

  • 良寛記念館 その2(新潟県三島郡出雲崎町米田)

    訪問日令和3年6月4日良寛記念館その2「風竹粛疎月一痕」山岡鉄舟書「伝老中土井利勝宛」伊達政宗書「村主蒼生有功大人」上杉篤興画・賛「貞操嫁家鏡夫子」上杉篤興画・賛「永保蒼創家」朴泳孝書「正蔵大権現」扁額「山以鎭静容」朴泳孝書「双鯉如夢撫枕吟」都知多眞彦書「男兒至比是豪雄」渡邊國武書「良寛立像」「桜花敬鳥」「心如花酔」長三州書「大丈夫象意」勝海舟書「大賢緯變不倒崩」勝海舟書「雪中山水図」洞雲(狩野益信)画「中華仙人図」長谷川等益画「冷倣瀑布の図」皆川和堂画⑫沙門良寛書「あさづくし」⑬良寛書「十字街頭乞」「普賢菩薩警世偈」黄檗悦山書⑭良寛書「今日乞食逢驟雨」「竹の図」天民(大窪詩仏)画⑮良寛書「袖裏毬子直千金」「小堀遠州政一図画詞書」小堀遠州政一画展示されていた作品を観て、撮った良寛に関する書籍良寛座像旅立ちの丘佐...良寛記念館その2(新潟県三島郡出雲崎町米田)

  • 良寛記念館 その1(新潟県三島郡出雲崎町米田)

    訪問日令和3年6月4日良寛記念館その1朝から断続的に強い雨が降り、予報も終日雨道の駅で美術館や博物館などを検索してみると近くに良寛記念館があった出雲崎は、元和2年(1616年)佐渡からの金銀の陸揚げ港として、代官所が置かれた直轄地「天領」となった良寛記念館は、良寛の遺墨と芸術を顕彰するため、生誕200年の記念事業として昭和40年(1965年)に開館筆塚の詩碑耐雪庵耐雪とは、記念館生みの親・佐藤吉太郎氏の号庵は良寛が仏道修行につとめ、独自の芸術を大成させた「五合庵」を模したもの世界一の巨大硅化木二千万年前に青森地方に生育していたオランダスギに近い樹種が硅化したもの亀田鵬斎書釧雲泉の碑一部を拡大してみる釧雲泉の墓開館時間午前9時から午後5時まで受付にて写真撮影の手続きをする(住所・氏名の確認)長い回廊の奥に展示館が...良寛記念館その1(新潟県三島郡出雲崎町米田)

  • 瑞応山 東福院(新潟県刈羽郡刈羽村大字赤田北方)

    訪問日令和3年6月3日瑞応山東福院この寺には宝物が多数あるとの情報があり訪れた山門天保年間以前の造営山門前の石仏扁額の文字が読めない案内板多数の宝物というのは刈羽村指定文化財だと云うことが分かった調べてもこの寺の情報がほとんどないここに記載されている由緒が貴重な情報となる参道を歩くと正面に本堂が見えてくる初めて訪れる寺なので左側の方から回ってみる祠境内は緑に囲まれ美しい経蔵(刈羽村指定文化財)慶応3年(1867年)建立明治17年(1884年)出火の際に本堂他伽藍を焼失したが、経蔵は焼失を免れた彫刻堂内の様子鐘楼梵鐘(刈羽村指定文化財)天保2年(1831年)再々鋳各所に観音像が浮彫されている西国三十三カ所石仏本堂寛正2年(1461年)上杉謙信の4家老の1人である赤田城主斎藤下野守によって開基された本尊は聖観音菩薩...瑞応山東福院(新潟県刈羽郡刈羽村大字赤田北方)

  • 東山 延命院 大泉寺(新潟県柏崎市大清水)

    訪問日令和3年6月3日東山延命院大泉寺重要文化財の観音堂があるということで訪れた幹線道路から狭く曲がりくねった山道の上りを車を走らせる途中、最近はほとんど目にしない「警笛」鳴らせの標識も数カ所ある文化財案内板駐車場に着いたときには精神的に疲れてしまい、車内から案内板をぼんやり眺めていた初めて訪れる寺のため、この内容は後々役にたつ案内では「木喰上人木額(市指定文化財)」となっていた木喰上人が詠った詩を自ら刻んだ木額らしい「小安地蔵尊」が文化財だと勘違いしていた納経所・庫裡本堂真言宗豊山派の寺院本尊:阿弥陀如来彫刻参道を進む観音堂(重要文化財)朱鳥元年(686年)泰澄禅師によって創建されたと伝えられている戦国時代には、越後守護上杉房能、越後国主上杉謙信・景勝等が参詣し、武運の長久を祈ったとも伝えられている永禄2年(...東山延命院大泉寺(新潟県柏崎市大清水)

  • 大佛山 楞厳寺(新潟県上越市柿崎区芋島)

    訪問日令和3年6月3日大佛山楞厳寺(りょうごんじ)国登録有形文化財があるということで訪れた案内板初めての寺院の場合は説明文を読むようにしている10数m歩くと8割は忘れてしまうのが残念なところだが……(笑)階段を上る山門(国登録有形文化財)山門は柿崎城の搦手門を移築したと伝わる切妻、茅葺、四脚門、間口3.5m扁額には山号の「大佛山」雑草にも優しい茅葺きの屋根六地蔵石仏群この仏像だけが覆われ護られている名のある仏像なのか……これまで全国各地で多くの仏像を拝観してきているがこの印相は見たことがない調べてみても全く分からないお手上げ状態という意味なのか(笑)こちらは「考える石仏」か……(横道に逸れた)本堂(国登録有形文化財)曹洞宗の寺院創建は天文13年(1534年)に上杉謙信の四天王の一人柿崎和泉守景家が開基となり林泉...大佛山楞厳寺(新潟県上越市柿崎区芋島)

  • 医王山 米山寺 密蔵院(新潟県上越市柿崎区米山寺)

    訪問日令和3年6月3日医王山米山寺密蔵院道の駅に置かれていた資料を参考に訪れた寺号標はあるが周辺に寺らしきものが見当たらない道路脇に車を駐め、石仏を撮りながら、誰かが来たら尋ねようと思っていた人の気配もなく、周辺を歩くと農作業をしている人がいたので声を掛けた石段を上がったら寺があると作業の手を止め教えていただいた石段を上がると広い場所にでたが建物はなかった更に先に進むと、奥に建物が見えてきた左手には石仏も見えてくる穏やかな顔をした石仏だ庫裡境内にある大きな建物は2つのようだ護摩堂真言宗豊山派の寺院密蔵院の創建は和銅5年(712年)泰澄大師(白山を開山した修験道の高僧)が開山したと伝えられている江戸時代後期の御堂建築で、入母屋、銅板葺、平入、桁行4間、正面1間向拝付米山薬師は越後富士の異名がある米山(標高:993...医王山米山寺密蔵院(新潟県上越市柿崎区米山寺)

  • 歓喜踊躍山 浄土真宗興行寺<浄興寺>(新潟県上越市寺町2丁目)

    訪問日令和3年6月2日歓喜踊躍山浄土真宗興行寺<浄興寺>初めてと思ってきたが、駐車場に駐めた瞬間、訪れた事のある寺院だと気付いた山号は歓喜踊躍山(かんぎゆやくざん)正式寺号を浄土真宗興行寺という山門山門は駐車場の反対側にあり、近道もあるが遠回りしてみた真宗浄興寺派本山の寺院で、山門に「本山浄興寺」の額山門から本堂へ向かう境内の左右に9か寺の末寺が並んでいる最盛期には越後・信濃・出羽の三国に約90か寺の末寺を従えたという山門の正面に本堂が見えてくる親鸞聖人像浄興寺の開山は浄土真宗の開祖親鸞である鐘楼聖徳太子堂堂内の聖徳太子像は親鸞が常陸の国稲田郷にいた時から日夜奉仕していたもの経蔵本堂(重要文化財)延宝7年(1679年)頃建立正面に三間の向拝を付けた一重、入母屋造り杮葺き間口28.2m、奥行27.8mの大規模仏堂...歓喜踊躍山浄土真宗興行寺<浄興寺>(新潟県上越市寺町2丁目)

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