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  • 2022 秋 放浪の旅(17日目)山形県・宮城県

    2022秋放浪の旅(17日目:最終日)山形県・宮城県道の駅「寒河江」天気予報通り雨の朝を迎えた今回の旅は雨の日が多い(涙)この道の駅は東北地方最大級の大きさを誇る駐車場も一般車だけでも300台ほど駐めることができる宮城峡蒸溜所(宮城県仙台市青葉区ニッカ1番地)昨年春に引き続き、また来てしまった(笑)山形県と宮城県の県境に近い山中にある蒸溜所だ周囲の自然も美しい到着後、予約をしていなかったので、受付にて蒸溜所見学を申し込む前の班はかなりの人数がいたが、10時受付は私含めて2名だったガイド付き見学が始まった前回、訪れた時には入ることのできなかった場所である正面の山は、竹鶴政孝お気に入りの「鎌倉山(地元ではゴジラ山)」山が見えるように蒸溜所を建てたという余市蒸溜所とは形の違うポットスチル余市蒸溜所で実際使われて...2022秋放浪の旅(17日目)山形県・宮城県

  • 2022 秋 放浪の旅(16日目)新潟県・山形県

    2022秋放浪の旅(16日目)新潟県・山形県道の駅「朝日」昨日に引き続いて雲の画像入浴施設が併設されていて、夜の駐車場は満車状態だった新潟県はいまだに「名前と電話番号」の記載が義務付けられている浄念寺(新潟県村上市寺町)道路を隔てて、昔風の商店街と寺院が並んでいる風情のある場所だ「本堂」が土蔵造りになっていて珍しい確かにこれまで多くの寺を回ってきたが土蔵の本堂は初めて見る狭い境内だがこのような置物で目を楽しませてくれる石船神社(新潟県村上市岩船三日市)ここも初めて訪れる神社だ修復作業かと思っていたら2日後の例大祭の準備らしい「石船神社」の額の周辺にも飾り付けえをするようだ少し歩くと、大きな社殿が見えてくる冬期間の雪対策なのか、拝殿が覆われている拝殿の奥の本殿も覆われているように見える更に歩いていくと、坂下...2022秋放浪の旅(16日目)新潟県・山形県

  • 2022 秋 放浪の旅(15日目)新潟県

    2022秋放浪の旅(15日目)新潟県道の駅「ながおか花火館」朝から車の出入りが多く、その音で目が覚めた面白い雲の形で隅間から青空も見える前日、道の駅に着いた時にミュージアムに入った(無料の方に)YouTubeの「おじトラチャンネル」の発信者が、手を上げたり、ジャンプしたししているのを可笑しく見ていた左のスクリーンが人の動きに反応し花火が上がる仕掛けになっている周囲に誰もいないのを確認してから、指示通りにやってみたが反応しないその後に来た、若い女性が同じ動きをすると花火が上がる(どういうことだ)出入り口の扉のデザインも花火諏訪神社(新潟県新発田市諏訪町)柴田駅の近くにある神社で、新発田の総鎮守とされる「随身像」の前のガラスが汚れていて、良い効果?を出している鳥居から拝殿を眺める狛犬と拝殿諏訪神社といえば「御...2022秋放浪の旅(15日目)新潟県

  • 2022 秋 放浪の旅(14日目)新潟県

    2022秋放浪の旅(14日目)新潟県道の駅「よしかわ杜氏の郷」敷地内には、観光酒蔵「よしかわ杜氏の郷」がある昨日、道の駅に到着後、初めて酒蔵の見学に入った残念ながら仕込みは3週間後から始まるとのことだった上越地区だけでこれだけの酒蔵があるここでは瓶詰めとラベル貼りの工程が行われる最後は人間の目で1本1本確認し箱に入れられていた記念に小瓶を2本購入した朝、愛知県に住むキャンピングカーのご夫婦に声を掛けられた外国車のキャンピングカーで北海道なら小さな家が購入できる金額だご主人はメカに強く、エアコンや冷蔵庫、サブバッテリーに至るまで自分で設置しているという話しを聞きながら車を見せてもらったが、とても楽しい時間を過ごした名刺交換をしたがご夫婦の名刺に、「出会いの場所・出会いの日」を記入する余白があった声を掛けて頂...2022秋放浪の旅(14日目)新潟県

  • 2022 秋 放浪の旅(13日目)新潟県

    2022秋放浪の旅(13日目)新潟県道の駅「能生」道の駅で写真の整理をしていると、目の前で夕陽が沈んでいく急いでカメラを持って外に出たが、ほんの数枚撮れただけだったこの場所が公園になっていて、芸術作品が展示されていることがわかった沈んだ夕陽をバックに少し格好をつけてみた(恥ずかしい)公園の片隅に県立海洋高等学校(旧能生水産高等学校)の実習船の「越山丸」が展示されていた生徒達は洋上80日間を実習を北洋・インド洋・ハワイ・タヒチ沖で行っていた*海洋高校といえば相撲部が有名で私の母校にも沢山進学している芸術作品については後日発信する五智国分寺(新潟県上越市五智)天気が良くなると塔が観たくなるまた来てしまった(5度目か)仁王像光の加減がよかったので、仁王像が綺麗に撮れた三重塔(新潟県指定文化財)本堂天気が良かった...2022秋放浪の旅(13日目)新潟県

  • 2022 秋 放浪の旅(12日目)富山県

    2022秋放浪の旅(12日目)富山県道の駅「砺波」天気予報が見事に外れ、今日も朝から雨が降っている。笑うしかない砺波は何度か訪れているので行く場所がない「チューリップのまち」とは知らなかったチューリップ四季彩館(富山県砺波市中村)てな訳で、道の駅の近くにある「チューリップ四季彩館」へ屋内の施設なので雨でも大丈夫なのだが、何故か緊張している老人割引で入館。年をとっていて良かったと思える数少ない瞬間である花の知識は皆無だがチューリップくらいは分かると思っていたが不安になってきた花の飾り方が面白い他の花も美しい狭い空間なので鏡を上手く使っている(白髪の老人が私だ)5,000本のチューリップがこの空間にある通路にも入館者は私一人だったこともあり、楽しめたかなと思う常福寺(富山県砺波市大窪)次に向かったのが初めて訪...2022秋放浪の旅(12日目)富山県

  • 2022 秋 放浪の旅(11日目)石川県・富山県

    2022秋放浪の旅(11日目)石川県・富山県道の駅「倶利伽羅源平の郷」夜中に数回目が覚めたが、その時は雨音はしていなかったところが6時過ぎに起床したタイミングで強い雨が降り出した(オイ)この道の駅は入浴施設が併設されていて入浴料も350円と安い浴室も昔懐かしい雰囲気で湯加減も最高にいい「倶利伽羅峠の戦い」源平盛衰記に、木曽義仲が400~500頭の牛の角に松明をつけて平家軍に突進させ谷底へ落としたという「火牛の計」がある平家軍は、将兵が次々に谷底に転落して壊滅した雨が強弱をつけながら降っていたので、車内の整理整頓と洗濯をすることにした午後には降水確率が30%になる予報だ富山県方面に移動した。途中、雲の合間から青空も見えだした瑞龍寺(富山県高岡市関本町)総門(重要文化財)山門(国宝)瑞龍寺は私のお気に入りの寺...2022秋放浪の旅(11日目)石川県・富山県

  • 2022 秋 放浪の旅(10日目)石川県

    2022秋放浪の旅(10日目)石川県道の駅「めぐみ白山」天気予報通り雨の朝を迎えた今日で本州上陸10日目になるが半分は雨にあたっている今日の予報も終日雨で、今も車を揺らす風と激しい雨が降っている今日は休息日にしようと、午前中に趣味のウイスキーを探しに酒屋巡りをした記念に1本購入したが、これはというものはなかった次に「金沢競馬場」に向かった車から降りようとすると突風が吹いたり、雨が強くなったりで気持ちが萎えてしまった1時間ほど駐車場に滞在し、車中でネットにより馬券を購入したが駄目だった今日は写真がないので、旅の2日前に訪れた「余市蒸溜所」の様子を発信したい<9月27日撮影>ニッカウヰスキー余市蒸溜所(北海道余市町)自宅から比較的近いということもあり、何度も訪れている蒸溜所であるこの建物が重要文化財に指定され...2022秋放浪の旅(10日目)石川県

  • 2022 秋 放浪の旅(9日目)福井県・石川県

    2022秋放浪の旅(9日目)福井県・石川県道の駅「禅の里」入浴施設併設の道の駅で前日に利用する予定であった昨夜は数日ぶりに晴れの夜を迎えた。月明かりが美しいある程度予想はできていたが駐車場は満車状態で隣接する温泉の駐車場にも多くの車があった家族連れの車中泊車が多く、早朝から子供の声が聞こえていた9時過ぎには各方面に車が動き出し、スカスカの状態になった越前竹人形の里(福井県坂井市丸岡町上久米田)水上勉の同名の小説を読んでいたこともあり、何故か気になって最初に訪れてからすでに20年近くになる当時の何もかもが記憶から消えている売店で販売されている竹人形ポケットマネーで購入できるものもある同じデザインでも大きく値段が違うものもあり店員に聞いてみた煤竹製のものが数が少なく貴重だという確かに竹の色が濃い販売されている...2022秋放浪の旅(9日目)福井県・石川県

  • 2022 秋 放浪の旅(8日目)福井県

    2022秋放浪の旅(8日目)福井県道の駅「さかい」酒屋巡りをしているうちに予定外の道の駅に来てしまった新規開拓と思っていたら、この春にも利用していて、宮城県からの旅人にゴミの処理について教わった場所だ(懐かしい)昨日に続いて縁起の悪い夢で目覚めたせいか、血圧が高く頭痛もするもう3日間も雨が続いている。午後から晴れる予報でここまで来たが、この「虹」が流れを変えてくれそうだ福井県立恐竜博物館(福井県勝山市村岡町)雨対策として選んだのは「恐竜博物館」コロナの影響で事前予約が必要で人数制限をしている駐車場は満車状態でナンバーを見ると全国各地から来ているようだ子供連れが圧倒的に多いが、大きなカメラを持っている爺の姿はあまり見かけない館内は土曜日ということもあり、人数制限をしているとは思えないような賑わいだったこの動...2022秋放浪の旅(8日目)福井県

  • 2022 秋 放浪の旅(8日目)福井県

    2022秋放浪の旅(8日目)福井県道の駅「さかい」酒屋巡りをしているうちに予定外の道の駅に来てしまった新規開拓と思っていたら、この春にも利用していて、宮城県からの旅人にゴミの処理について教わった場所だ(懐かしい)昨日に続いて縁起の悪い夢で目覚めたせいか、血圧が高く頭痛もするもう3日間も雨が続いている。午後から晴れる予報でここまで来たが、この「虹」が流れを変えてくれそうだ福井県立恐竜博物館(福井県勝山市村岡町)雨対策として選んだのは「恐竜博物館」コロナの影響で事前予約が必要で人数制限をしている駐車場は満車状態でナンバーを見ると全国各地から来ているようだ子供連れが圧倒的に多いが、大きなカメラを持っている爺の姿はあまり見かけない館内は土曜日ということもあり、人数制限をしているとは思えないような賑わいだったこの動...2022秋放浪の旅(8日目)福井県

  • 2022 秋 放浪の旅(8日目)福井県

    2022秋放浪の旅(8日目)福井県道の駅「さかい」酒屋巡りをしているうちに予定外の道の駅に来てしまった新規開拓と思っていたら、この春にも利用していて、宮城県からの旅人にゴミの処理について教わった場所だ(懐かしい)昨日に続いて縁起の悪い夢で目覚めたせいか、血圧が高く頭痛もするもう3日間も雨が続いている。午後から晴れる予報でここまで来たが、この「虹」が流れを変えてくれそうだ福井県立恐竜博物館(福井県勝山市村岡町)雨対策として選んだのは「恐竜博物館」コロナの影響で事前予約が必要で人数制限をしている駐車場は満車状態でナンバーを見ると全国各地から来ているようだ子供連れが圧倒的に多いが、大きなカメラを持っている爺の姿はあまり見かけない館内は土曜日ということもあり、人数制限をしているとは思えないような賑わいだったこの動...2022秋放浪の旅(8日目)福井県

  • 2022 秋 放浪の旅(7日目)福井県

    2022秋放浪の旅(7日目)福井県道の駅「シーサイド高浜」腰痛が酷く痺れもきているので何時でも北海道に戻ることができるよう鳥取県から戻ってきた今朝、自宅が火事になった夢をみた。消火作業をしなければならないと水を探しあてたところで目が覚めた激しい尿意で目が覚めたのだが、消火作業をしていたら大変なことになっていた(笑)昨夕からの雨が止む気配もない天気予報ではこの周辺は3日間雨予報、雨のない場所を選ばなければならない福井県立若狭歴史博物館(福井県小浜市遠敷)雨の日は、近くにある博物館や美術館に行くようにしているこの博物館は2度目で、今日から特別展「中世若狭のまち」が開催されていた常設展の「若狭のみほとけ」が一番興味があるのだが、残念ながら撮影禁止常設展若狭の祭りと芸能精霊船などの風習と船の大きさに驚いた丸木舟と...2022秋放浪の旅(7日目)福井県

  • 2022 秋 放浪の旅(6日目)兵庫県・鳥取県・京都府

    2022秋放浪の旅(6日目)兵庫県・鳥取県・京都府道の駅「山陰海岸ジオパーク浜坂の郷」砂の美術館へ行く途中にある道の駅で、近くにある温泉も気に入っているところが、この日は月に数度しかない休業日にあたってしまったこの日の夜は急激に気温が下がり北海道のように寒く、厚着をして車内で過ごした砂の美術館(鳥取県鳥取市福部町湯山)今回の旅では「砂の美術館」だけは必ず行くと決めていたコロナの影響で7月から展示が始まった21名の砂像彫刻家今年のテーマは「砂で世界旅行・エジプト編」作品名・彫刻家名は後日詳細に報告屋外の作品摩尼寺(鳥取県鳥取市覚寺)砂の美術館から比較的近い場所にある天台宗寺院今回が2回目の参拝になるが、300段ある階段のことをすっかり忘れていた仁王門(鳥取県指定文化財)仁王像いつものように隙間にレンズを突っ...2022秋放浪の旅(6日目)兵庫県・鳥取県・京都府

  • 2022 秋 放浪の旅(5日目)福井県・兵庫県

    2022秋放浪の旅(5日目)福井県・兵庫県道の駅「シーサイド高浜」入浴施設が併設されている道の駅で、車旅では一番利用させてもらっている大型車と普通車が分かれていて静かなのも嬉しい昨夜、8時過ぎに突然車が揺れ出し「地震」かとネットで検索しても情報がないその後、数度揺れたので、車外に出てみると地震ではなく突風だった春の旅行でもこの道の駅を利用しているが、このオブジェの記憶がない風に雨もついてきたので今日は移動日にしようと決めた養父神社(兵庫県養父市養父市場)途中、兵庫県下でも有数の紅葉の名所という養父神社に立ち寄った大型バス駐車料金8,000円に驚き興味をもったのだ鳥居の階段にも枝葉が垂れてきているこれが紅葉したら美しいだろうなと想像できる鳥居の正面には拝殿説明書きによると2千年以上の歴史を持つ神社のようだ2...2022秋放浪の旅(5日目)福井県・兵庫県

  • 2022 秋 放浪の旅(4日目)滋賀県・福井県

    2022秋放浪の旅(4日目)滋賀県・福井県道の駅「マキノ追坂峠(おっさかとうげ)」入浴施設が併設されている以外の道の駅は、できるだけ新規開拓を志している到着したのが午後7時前、途中のコンビニで夕飯を買いそびれ、チーズとバナナで腹を満たしたこの道の駅大型トラックが多く、エンジン音がうるさく、耐えきれず場所の移動を考えたほどだ夜10時過ぎると急にエンジン音が静かになり27台ある大型車の枠に入りきれなかった車もいなくなっていたいわゆる430休憩(4時間走ったら30分休憩しなければならない)で駐まっていた車が多かったということだその後はゆっくり休むことができ、血圧も脈拍も正常値道の駅からみた風景。遠くに海も見える多田寺(福井県小浜市多田)もう10年も若狭路を走っていると行く場所を探すのに苦慮する苦い思い出のある多...2022秋放浪の旅(4日目)滋賀県・福井県

  • 2022 秋 放浪の旅(3日目)岐阜県・滋賀県

    2022秋放浪の旅(3日目)岐阜県・滋賀県道の駅「織部の里もとす」夜の10時過ぎからトラックが多くなり、エンジン音がカエルの合唱のようにうるさく夜中に何度も目が覚めた寝不足気味ではあったが、血圧と脈拍は正常だったこの地区は富有柿の名産地で道の駅で購入、6個入り500円(安い)好物なので2袋購入した古田織部の生誕地にちなんで名付けられた道の駅「織部展示館(無料)」では古田織部の人物像や織部焼などが見ることができる天目茶碗山門ギャラリーでは、地元の方の作品も展示されている作品は道の駅で販売されている来振寺(きぶりじ)(岐阜県揖斐郡大野町)真言宗智山派の寺院絹本著色五大尊像が国宝ということで訪れたが、公開の気配すらなかった仁王門には「四天王」本堂観音堂扁額の字体に目がいく写真やテレビで見たことがあるが…このよう...2022秋放浪の旅(3日目)岐阜県・滋賀県

  • 2022 秋 放浪の旅(2日目)岐阜県

    2022秋放浪の旅(2日目)岐阜県道の駅「半布里の郷(はにゅうりのさと)とみか」入浴施設が併設されている「みのかも」を目指したが、あまりにも駐車場(2500台)が広く移動してきた「とみか」は一般車34台という小さな道の駅。夜も静かで爆睡した早朝5時半過ぎから車の音が聞こえだした。6時のラジオ体操に参加する老人達が集まってきたのだ7時過ぎにはマナーの大変良いライダー達が集まりだした。20台ほど集まっていたが静かに出発して行った8時には大阪に住む、学生時代の同期から電話があった旅行中にいつも電話で安否確認をしてくれる(孤独な旅なので嬉しい)杉原千畝記念館他(岐阜県加茂郡八百津町)六千人ものユダヤ人の命を救った「杉原千畝」は八百津町の出身ヒッチコックや横溝正史のように私も画面にぼんやり登場する(笑)建物は修復作...2022秋放浪の旅(2日目)岐阜県

  • 2022 秋 放浪の旅(1日目)岐阜県

    2022秋放浪の旅(1日目)岐阜県フェリー内部苫小牧港発-仙台港経由-名古屋港着「きそ号」コロナの影響を全く感じさせない旅行者の数だった今回も自衛隊員が沢山乗っていた(いつもだが実に態度がいい)船内では夢を持って努力している若者と話しをする機会ができた多治見市モザイクタイルミュージアム(岐阜県多治見市)駐車場から歩いて行くと若者が大事そうに抱いていたので撮らせてもらった正直、あまり気持ちのいいものではない(笑)このユニークな建築物を見にきた今回が3回目になるタイルの芸術中国のタイル虎渓山永保寺(岐阜県多治見市)岐阜県で好きな寺院の一つで、今回が確か5度目になる写真家土門拳の作品に魅せられて訪れた寺院だ観音堂(国宝)志野焼の人間国宝荒川豊蔵の弟子だったという老人との出逢いの場所でもあった無際橋開山堂(国宝)...2022秋放浪の旅(1日目)岐阜県

  • シリーズ塔(中国・四国地方)6-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(中国・四国地方)6-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>岡山県(本山寺、国分寺、宝福禅寺、遍照院、長福寺<追加>)山口県(瑠璃光寺)徳島県(霊山寺)香川県(志度寺、善通寺<追加>)愛媛県(石手寺)高知県(竹林寺)34岡山県34-01岩間山本山寺(岡山県久米郡美咲町定宗)三重塔(重要文化財)江戸時代初期の承応元年(1652年)津山藩主森忠政によって建造された檜皮葺で三重塔としては岡山県下最大34-02日照山国分寺<備中国分寺跡>(岡山県総社市上林)五重塔(重要文化財)岡山県内唯一の五重塔南北朝時代に奈良時代の七重塔(推定高さ50m)を焼失したのち、1821年(文政4年)に位置を変えて再建弘化元年(1844年)ごろに完成、高さは34.32mこの塔は、屋根の上層と下層がほぼ同じ大きさの細長い造りで相輪も短...シリーズ塔(中国・四国地方)6-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ塔(中国・四国地方)6-1<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(中国・四国地方)6-1<三重塔・五重塔・多宝塔他>島根県(清水寺)広島県(佛通寺、西國寺、浄土寺、厳島神社、耕三寺、向上寺、明王院<追加>)32島根県32-01瑞光山清水寺(島根県安来市清水町)三重塔(島根県指定文化財)戦国期の城郭を思わせる石垣。高さ33.3m33広島県33-01御許山佛通寺(広島県三原市高坂町許山)多宝塔(登録有形文化財)昭和初期の建築で、軒周辺の材料に反りをもたせせ、整った塔姿が特徴の近代の多宝塔33-02摩尼山西國寺(広島県尾道市西久保町)三重塔(重要文化財)永享元年(1429年)室町幕府6代将軍足利義教の寄進により建立された案内板によると、三間三重塔婆・本瓦葺の記載がある復古式建築の純和様の重量感ある美しい塔33-03転法輪山大乗院浄土寺(広島県尾道市東久保町)多宝塔...シリーズ塔(中国・四国地方)6-1<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ塔(関西地方)5-3<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(関西地方)5-3<三重塔・五重塔・多宝塔他>大阪府(叡福寺、慈眼院)兵庫県(鶴林寺、福祥寺、斑鳩寺<一部追加>、一乗寺、如意寺、伽耶院、太山寺、石峯寺、温泉寺、朝光寺)27大阪府27-01磯長山叡福寺(大阪府南河内郡太子町太子)宝塔(重要文化財)承応元年(1652年)の再建本尊は東面に釈迦・文殊・普賢の三尊像、西面に金剛界の大日如来を安置<追加>大悲山願成就寺慈眼院(大阪府泉佐野市日根野)多宝塔(国宝)6つある国宝の多宝塔の一つ文永8年(1271年)建立高さ約10mで、屋外にある木造多宝塔で国宝・重要文化財に指定されているものの中では日本最小石山寺、金剛三昧院の塔とともに日本の多宝塔の三名塔の一つとされる内部には大日如来坐像(大阪府指定有形文化財)を安置28兵庫県28-01刀田山鶴林寺(兵庫県...シリーズ塔(関西地方)5-3<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ仁王像(中国・四国地方)6-2

    シリーズ仁王像(中国・四国地方)6-2香川県(長尾寺、志度寺、屋島寺、讃岐国分寺、善通寺、観音寺、本山寺<追加>)徳島県(霊山寺)愛媛県(石手寺、太山寺、南光坊<追加>)高知県(岩本寺、竹林寺、国分寺)35香川県<追加>35-01補陀洛山長尾寺(香川県さぬき市長尾西653番地)仁王像<追加>35-02補陀洛山志度寺(香川県さぬき市志度1102番地)木造金剛力士立像(香川県指定文化財)天正11年(1583年)の春、志度寺に攻めこんだ長宗我部元親を走らせたという山門の仁王像は鎌倉時代「運慶」の作<追加>35-03南面山屋島寺(香川県高松市屋島東町字屋島峯)仁王像作者も年代もわからないが、迫力ある仁王像である四天王像持国天像(東)増長天像(南)広目天像(西)多聞天像(北)<追加>35-04白牛山千手院国分寺<讃...シリーズ仁王像(中国・四国地方)6-2

  • シリーズ塔(関西地方)5-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔<三重塔・五重塔・多宝塔他>5-2(関西地方)京都府(仁和寺、神護寺、清凉寺、円隆寺、智恩寺、金剛院、淨瑠璃寺、岩船寺、海住山寺、東寺、醍醐寺、穴太寺<追加>)26京都府26-01大内山仁和寺(京都府京都市右京区御室大内)五重塔(重要文化財)寛永21年(1644)建立。塔身32.7m、総高36.18m26-02高雄山神護寺(京都府京都市右京区梅ケ畑高雄町)<多宝塔>26-03五台山清凉寺(京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)<多宝塔>26-04慈恵山円隆寺(京都府舞鶴市引土)多宝塔(京都府指定文化財)宝暦元年(1751年)の建立26-05天橋山智恩寺(京都府宮津市字文珠)多宝塔(重要文化財)明応9年(1500年)、府中城主延永修理進が自分の病気全快を感謝し、一の宮の別当大聖院の智海に託して建立...シリーズ塔(関西地方)5-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ塔(関西地方)5-1<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(関西地方)5-1<三重塔・五重塔・多宝塔他>三重県(大宝院)滋賀県(西明寺、金剛輪寺、石塔寺<一部追加>、石山寺、常楽寺、園城寺、延暦寺、総見寺、宝厳寺、長命寺<追加>)24三重県24-01恵日山観音寺大宝院(三重県津市大門32番)<五重塔>平成13年(2001年)三重県下初の木造五重塔が完成25滋賀県25-01龍應山西明寺(滋賀県犬上郡甲良町大字池寺)三重塔(国宝)総高23.7m檜皮葺き鎌倉時代後期の建立で釘が使われていない相輪は銅製とすることが多いが、本塔は鉄製である25-02松峯山金剛輪寺(滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺)三重塔(重要文化財)寺伝では鎌倉時代の寛元4年(1246年)の建立塔の扉が開かれ、大日如来が安置され拝観することができた<一部追加>25-03阿育王山石塔寺(滋賀県東近江市石...シリーズ塔(関西地方)5-1<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ仁王像(関西地方)5-1

    シリーズ仁王像(関西地方)5-1三重県(大宝院、正月堂)滋賀県(西明寺、金剛輪寺、渡岸寺観音堂、浄厳院、櫟野寺、長命寺<追加>)京都府(神護寺、仁和寺、清凉寺、出雲寺、桂林寺、如意寺、萬福寺、醍醐寺、穴太寺、観音寺<追加>)大阪府(叡福寺)24三重県24-01恵日山観音寺大宝院(三重県津市大門32番)24-02普門山観菩提寺<正月堂>(三重県伊賀市島ヶ原)金剛力士像(伊賀市指定文化財)楼門の本堂側の像(詳細不明)25滋賀県25-01龍應山西明寺(滋賀県犬上郡甲良町大字池寺)二天像<持国天・増長天>(甲良町指定文化財)25-02松峯山金剛輪寺(滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺)二天像<持国天・増長天>25-03渡岸寺観音堂<向源寺>(長浜市高月町渡岸寺50番地)木造金剛力士像(滋賀県指定文化財)25-04金勝山浄厳...シリーズ仁王像(関西地方)5-1

  • シリーズ塔(北陸地方)3<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(北陸地方)3<三重塔・五重塔・多宝塔他>新潟県(五智国分寺、乙宝寺、酒呑童子神社、本成寺)富山県(国泰寺)石川県(那谷寺、妙成寺、不動寺)福井県(明通寺、金前寺<追加>)15新潟県15-01安国山五智国分寺(新潟県上越市五智)三重塔(新潟県指定文化財)15-02如意山乙宝寺(新潟県胎内市乙)三重塔(重要文化財)塔内安置仏は普賢菩薩で、辰年と巳年生まれの守り本尊というから縁を感じる15-03酒呑童子神社(新潟県燕市国上)<五重塔>平成9年(1997年)分水町の大工が「趣味」で数年の歳月をかけ手作りで完成したという15-04法華宗陣門流総本山長久山本成寺(新潟県三条市西本成寺)多宝塔(三条市指定文化財)多宝塔は本来、下層部が方形で上層部が円形になっているこの建物は上下層ともに方形明和7年(1770...シリーズ塔(北陸地方)3<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ仁王像(北陸地方)3-2

    シリーズ仁王像(北陸地方)3-2石川県(妙成寺、松尾寺、天徳院<追加>、宝円寺、大乗寺、那谷寺)福井県(永平寺、明通寺、神宮寺、多田寺、妙楽寺、中山寺)17石川県17-01金栄山妙成寺(石川県羽咋市滝谷町)<丈六堂(釈迦堂)>17-02海松山松尾寺(石川県羽咋郡志賀町町居力)17-03金龍山天徳院(石川県金沢市小立野)<追加>17-04護国山宝円寺(石川県金沢市宝町)阿形の金剛力士像は、木造寄木造で鎌倉時代13世紀の作と推定されている明治元年火災の時、一躰は焼失、一躰まさに火に包まれんとした時、小立野の力士亀坂の源八が抱え出して助かった元の吽形は焼失したため、新たに阿形の作風に合わせて、高岡の佛師である本保喜作が彫ったもの17-05東香山大乗寺(石川県金沢市長坂町)17-06自生山那谷寺(石川県小松市那谷...シリーズ仁王像(北陸地方)3-2

  • シリーズ仁王像(北陸地方)3-1

    シリーズ仁王像(北陸地方)3-1新潟県(林泉寺、五智国分寺、乙宝寺、国上寺、西福寺、本成寺、大泉寺)富山県(瑞龍寺、大仏寺、国泰寺、法福寺、千光寺、千光寺<追加>)15新潟県15-01春日山林泉寺(新潟県上越市中門前)直江津の彫刻家滝川美堂作の仁王像15-02安国山五智国分寺(新潟県上越市五智)仁王像は天保7年(1836)に製作されたが、平成6年に3年をかけて修復した15-03如意山乙宝寺(新潟県胎内市乙)行基菩薩の作だという15-03くがみ山国上寺(新潟県燕市国上)<風神雷神像>15-04赤城山西福寺(新潟県魚沼市大浦)<仁王門><山門>15-05法華宗陣門流総本山長久山本成寺(新潟県三条市西本成寺)大毘沙門天王大持国天王15-06東山延命院大泉寺(新潟県柏崎市大清水)室町時代(16世紀)の作らしい1体...シリーズ仁王像(北陸地方)3-1

  • シリーズ塔(中部地方)4-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(中部地方)4-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>岐阜県(横蔵寺、日吉神社、真禅院、圓鏡寺、新長谷寺、日龍峰寺、飛騨国分寺<追加>)愛知県(興正寺、龍泉寺、妙厳寺<通称:豊川稲荷>、日泰寺)21岐阜県21-01両界山横蔵寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原)三重塔(岐阜県指定文化財)21-02日吉神社(岐阜県安八郡神戸町大字神戸)三重塔(重要文化財)現存のこの塔は正世年間1500年の初め、斎藤利綱(春日局の伯父)が再建約70年後の天正13年(1585年)に稲葉一鉄(春日局の叔父)が修造したもの21-03朝倉山真禅院(岐阜県不破郡垂井町宮代)三重塔(重要文化財)寛永19年(1642年)建立。明治初年に南宮神社境内から移築<追加>21-04池鏡山圓鏡寺(岐阜県本巣郡北方町北方)三重塔平成1年(1989年)の...シリーズ塔(中部地方)4-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ仁王像(中部地方)4

    シリーズ仁王像(中部地方)4山梨県(大善寺、景徳院)長野県(北向観音、中禅寺、釈尊寺)岐阜県(華厳寺、圓鏡寺、国分寺、日龍峰寺、大矢田神社<追加>)愛知県(龍泉寺、甚目寺、妙厳寺<通称:豊川稲荷>、日泰寺、財賀寺)19山梨県19-01柏尾山大善寺(山梨県甲州市勝沼町勝沼)19-02天童山景徳院(山梨県甲州市大和町田野)20長野県20-01北向山北向観音(長野県上田市別所温泉)20-02独鈷山中禅寺(長野県上田市前山)木造金剛力士立像(長野県宝)12世紀末頃の制作と考えられている20-03布引山釈尊寺<布引観音>(長野県小諸市大久保)20-04洞源山貞祥寺(長野県佐久市前山)茅葺の山門には増長天と持国天の仁王を左右に配している21岐阜県21-01谷汲山華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積)<追加>21-02...シリーズ仁王像(中部地方)4

  • シリーズ仁王像 2-2(関東地方)

    シリーズ仁王像2-2(関東地方)群馬県(妙義神社)千葉県(新勝寺、龍正院)東京都(浅草寺、本門寺)神奈川県(清浄泉寺、總持寺、川崎大師<追加>)10群馬県10-01妙義神社(群馬県富岡市妙義町妙義)境内は上部の神域と下部の旧寺域に分かれている。総門は、旧白雲山石塔寺の仁王門11千葉県11-01成田山新勝寺(千葉県成田市成田)「密迹金剛(みっしゃくこんごう)」「那羅延金剛(ならえんこんごう)」裏には広目天と多聞天の二尊「広目天」「多聞天」11-02滑河山龍正院<滑河観音>(千葉県成田市滑川)13東京都13-01金龍山浅草寺(東京都台東区浅草)<二天門>増長天・持国天(慶安時代作・東京都重宝)増長天持国天13-02長栄山大国院本門寺(池上本門寺)(東京都大田区池上)<本殿内安置>モデルはアントニオ猪木とか14...シリーズ仁王像2-2(関東地方)

  • シリーズ塔<三重塔・五重塔・多宝塔他>2-2(関東地方)

    シリーズ塔<三重塔・五重塔・多宝塔他>2-2(関東地方)千葉県(新勝寺、福聚院)東京都(浅草寺、本門寺、寛永寺)神奈川県(川崎大師<追加>)11千葉県00-01成田山新勝寺(千葉県成田市成田)三重塔(重要文化財)<平和の大塔>1984(昭和59)年に建立された平和の大塔は、真言密教の教えを象徴する総高は58mの塔根来寺の大塔の大きさに驚いたことがあったが、さらに20mも高い11-02天応山観音教寺福聚院<芝山仁王尊>(千葉県山武郡芝山町芝山)三重塔(千葉県指定文化財)12東京都12-01金龍山浅草寺(東京都台東区浅草)<五重塔>12-02長栄山大国院本門寺(池上本門寺)東京都大田区池上)宝塔(重要文化財)日蓮聖人御入滅の折の御荼毘所円筒形の塔身に宝形屋根を載せた宝塔形式の塔で、内部空間を有するものは他にほ...シリーズ塔<三重塔・五重塔・多宝塔他>2-2(関東地方)

  • 城谷山 諦應寺(福井県三方上中郡若狭町安賀里33-1)

    訪問日令和4年6月5日城谷山諦應寺曹洞宗の禅寺永正3年(1506年)の創建開山は順翁慶随和尚道の駅のポスターの写真に衝撃を受け訪れたのが最初で、今回が2回目の訪問になる前回も今回もそうだが、カーナビの案内では何故か辿り着かない周辺を走っていると小さな寺の案内板があり、今回もそれが頼りになった禅宗の寺院の門前に建っている石柱「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」という結界石が多いが「境内」になっている山門と大銀杏左の太い銀杏の木が訪問の大きな目的だが、詳細は後で鐘楼付山門(若狭町指定文化財)高さ7m、幅6m、総欅造二階建、入母屋造、桟瓦葺2階が鐘楼になっている本堂側から本堂本堂に近づくと堂内の清掃していた女性から元気に挨拶された堂内の様子撫で仏も光り輝いている本尊:釈迦如来座像(江戸時代の造...城谷山諦應寺(福井県三方上中郡若狭町安賀里33-1)

  • 若狭姫神社(福井県小浜市遠敷65-41)

    訪問日令和4年6月5日若狭姫神社(下社)若狭国一宮若狭彦神社は、上社・下社の2社からなり、上社を「若狭彦神社」、下社を「若狭姫神社」という別称として郡名から「遠敷明神」とも呼ばれる鳥居木造「明神鳥居」との説明もある手水舎社務所遥拝所上宮・若狭彦神社と鵜ノ瀬・白石神社*鵜の瀬は東大寺二月堂のお水取り縁の場所楼門(福井県指定文化財)寛保3年(1743年)の造営楼門(随神門)の先には神門楼門(随神門)の左右には説明によると「吉祥八人」八躯を祀る方式は全国唯一若狭姫神がこの遠敷(おにゅう)の地に鎮座の時の眷属神祭神豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)の説明文*豊玉姫は初代天皇とされる神武天皇の祖母イザナギとイザナミから生まれた豊玉彦命(綿津見神)の娘とされている「遠敷神社(おにゅう)」の額下社にあたる若狭姫神社は、養...若狭姫神社(福井県小浜市遠敷65-41)

  • 建康山 空印寺(福井県小浜市小浜男山2)

    訪問日令和4年6月5日建康山空印寺曹洞宗寺院境内に八百比丘尼入定の洞穴があることで知られている薬医門(小浜市指定文化財)薬医門のいわれは、一説には矢の攻撃を食い止める「矢食い(やぐい)」からきたといわれているまた、かつて医者の門として使われたことからとも門の脇に木戸をつけ、たとえ扉を閉めても四六時中患者が出入りできるようにしていたもといわれている京極高次が関ヶ原の戦いの論功行賞により若狭国主となったが、高次没後、息子の京極忠高が京極高次の牌所とし「泰雲寺」を建立京極家は寛永11年(1634年)松江へ転封となる後に若狭国小浜藩の初代藩主酒井忠勝により父酒井忠利の霊骨を移して「建康寺」と称す酒井忠勝は、第3代将軍・徳川家光から第4代将軍・徳川家綱時代の老中・大老であった2代藩主酒井忠直が酒井忠勝の七回忌法要を...建康山空印寺(福井県小浜市小浜男山2)

  • 凌霄山 常高寺(福井県小浜市小浜浅間)

    訪問日令和4年6月5日凌霄山常高寺臨済宗妙心寺派の寺院浅井三姉妹の次女「初」、京極高次の正室(常高院)の祈願により建立された山門戦国時代、絶世の美女といわれたお市の方と近江の小谷城主浅井長政の間には三人の娘がいた「戦国悲劇の三姉妹」として有名な、淀殿、お初の方、お江の方だ常高寺は次女「気遣いの人」お初の方(京極高次の正室、後の常高院)の寺三姉妹のなかでは地味な存在ではあるが、以前訪れた時に資料を読み感動し再訪した本堂旧本堂は大正年間に焼失現本堂は平成13年(2001年)に落慶した歴史ある建築物が好きなので、最初観た時にはがっかりしたことを思い出した屋内に入る常高院系図によると京極高次の母と三姉妹の父の浅井長政は姉と弟で、いとこの関係京極高次京極高次の妹京極竜子が秀吉の側室になったことで高次も取り立てられた...凌霄山常高寺(福井県小浜市小浜浅間)

  • 福知山城(京都府福知山市字内記)

    訪問日令和4年6月4日福知山城福知山城は丹波国を平定した明智光秀によって築かれた城(横山城を石垣づくりの城として改修)江戸時代には福知山藩の居城駐車場からはこの橋を通って城内に入る織田信長は、豊臣秀吉と明智光秀に中国攻めを命じた豊臣秀吉は山陽道から進軍したのに対して、明智光秀は山陰道側より入った丹波国を平定した明智光秀が築城し、女婿の明智秀満を城主とした天守は三重三階の大天守と二重二階の小天守が昭和61年(1986年)に復元された石垣の転用石五輪塔・宝篋印塔・石仏・石臼・灯籠などが利用されている美しい石垣だがよく見ると「転用石」が使われていることが分かる銅門(あかがねもん)番所城の周辺を散策する(石垣を注視してしまう)「野面積み」「乱石積み」と呼ばれる未加工の自然石が積み上げられているこの石段を上がり城内...福知山城(京都府福知山市字内記)

  • 補陀洛山 観音寺(京都府福知山市観音寺1067)

    訪問日令和4年6月4日補陀洛山観音寺(あじさい寺)高野山真言宗の寺院寺のHPや案内では「華観音寺」になっている関西花の寺二十五霊場第1番札所(丹波のあじさい寺として知られている)美しい境内図仁王門金剛力士像(京都府暫定登録文化財)日差しがガラスに反射して苦労した参道は一方通行で、紫陽花の季節には早すぎたようだ所々に申し訳なさそうに花が開いている華観音寺の見所庭に放されている「鶏」もこの寺の名物護摩堂七観音めぐりのお寺病気平癒や縁結びなどの諸願成就を祈祷してお参りすると数々の奇跡が起こっているとのこと途中にある石仏(わらべ仏)とその言葉にも癒やされる①千手観音菩薩②馬頭観音菩薩無常橋③十一面観音菩薩④聖観音菩薩所々に紫陽花が咲いている観音様の霊力で眼病が治り、再び光明を得たお礼にと七色に変化する光の花あじさ...補陀洛山観音寺(京都府福知山市観音寺1067)

  • 竹田城(兵庫県朝来市和田山町竹田)

    訪問日令和4年6月4日竹田城(別名:虎臥城)平成25年11月に一度訪れたことがあるGoogleのCMで竹田城跡が取り上げられることにより、観光客が約60万人に激増した時期である当時書いたブログの一部だが朝の7時半頃には竹田城へと続く道にたどりついたが、車が渋滞していてというよりまったく動かないUターンできる場所もなく、反対車線に入り強引に引き返した車中泊した道の駅から近かったこともあり、現在はどのような状況なのか確認したくて立ち寄った駅内にある観光課の女性に話しを聞き、立雲峡(城の南東)を目指すことにした以前は狭い砂利道の山道で危険回避のためタクシーを利用した場所である現在は舗装され道幅も広く快適に走れるようになっている環境整備協力金300円を納め山道を歩く運動不足で直ぐ呼吸が苦しくなるすると、休息するの...竹田城(兵庫県朝来市和田山町竹田)

  • 姫路城(兵庫県姫路市本町)

    訪問日令和4年6月3日世界遺産姫路城(別名:白鷺城)この日の朝には予定していなかったが急遽変更し姫路城を選択した朝にタイヤがバーストしてホイールにも傷が入り応急処置はしてもらったが不安があったので人の多い場所を選んだ2年前に5つある国宝の城廻りを終えたが、最後が姫路城だった国宝に指定された古い順だと、姫路城→松本城→彦根城→犬山城→松江城となる日本最古の天守は丸岡城。日本三大名城となると、名古屋城・熊本城・姫路城のようだ池田輝政が築いた姫路城は、全体がらせん式の縄張りになっていて、内曲輪、中曲輪、外曲輪に分けられているその面積は約233㌶。甲子園球場の約60倍の広さを持つ右側が本丸で左側が西の丸撮影場所を探して歩いていると、多くの小学生が絵を描いている場所があった子供達の感性は鋭い、その場所から撮ってみた...姫路城(兵庫県姫路市本町)

  • 斑鳩寺(兵庫県揖保郡太子町鵤709)

    訪問日令和4年6月3日斑鳩寺聖徳太子開基1400年の歴史をもつ寺院天台宗の寺院旅に出る際、また旅行先では不慮の事故のことは常に考えて行動している今回は残念だが前を走る車が急に停まり右折しようとした車体との接触を避けようと左側に回避タイヤの横の部分が縁石に接触し前後輪ともバーストしてしまった片側1車線の道路で通勤時間ということもあり、不注意から大渋滞を起こしてしまったパトカー3台による交通整理で事なきを得たが、対応していただいた警察官はとても親切で感謝の気持ちでいっぱいだ警察官・レッカー車の運転手・トヨタの整備員など多くの方々の一隅を照らす活躍により半ば諦めていた旅も継続できるようになった(大感謝)仁王門(兵庫県指定文化財)寛文13年(1673年)の再建仁王像今回の仁王像は私の心境を察してか、何時になく寂し...斑鳩寺(兵庫県揖保郡太子町鵤709)

  • 武蔵の里(岡山県美作市宮本)

    訪問日令和4年6月2日武蔵の里宮本武蔵生誕伝承地宮本武蔵ゆかりという伝承があるとされる旧跡、名所、顕彰施設などがある吉川英治文学祈念碑剣聖宮本武蔵は天正12年(1584年)宮本村(現美作市宮本)に生まれた文武両道の達人で郷土の誇りとして語り伝えられてきた昭和に入り、朝日新聞連載小説「宮本武蔵」によって、一躍日本の、いや世界の宮本武蔵になった武蔵の生家父は平田無二斎、祖父平田将監は十手術の達人で、武蔵は幼少の頃から武術にたけていた13歳の時、新当流の有馬喜兵衛に勝利し生家を出て生涯戻ることはなかった昭和17年(1942年)火災にて焼失し現在の家になる大黒柱の位置は昔と変わっていないという奥に見える家は武蔵の姉の嫁ぎ先の西尾家武蔵の幼名は辨助(べんのすけ)大好きな武蔵坊弁慶名前をもらって「武蔵(たけぞう)」と...武蔵の里(岡山県美作市宮本)

  • 真木山 長福寺(岡山県美作市真神414)

    訪問日令和4年6月2日真木山長福寺真言宗御室派の寺院天平宝字元年(757年)に鑑真が孝謙天皇の勅命により開いたという寺は現在の真木山麓ではなく、山上にあった案内板鐘楼門本堂側から宝蔵庫手水鉢本堂弘安8年(1285年)円源が天台宗の寺院として再興した再興後、僧坊は65坊を数え最盛期となった天台宗と真言宗に宗派が頻繁に入れ替わったが、明徳年間(1390年–1393年)に真言宗の寺院になった昭和3年(1928年)に長福寺は山上から現在の地に移転した山上に残されていた三重塔、真木山鎮守堂(山王権現堂)、金比羅大権現なども昭和26年(1951年)に現在地に解体移築された本尊:木造十一面観世音菩薩立像(重要文化財ー伝行基作)境内は綺麗に整備され、花に囲まれている釈迦如来坐像(美作市指定文化財)昭和32年(1957年)...真木山長福寺(岡山県美作市真神414)

  • 中山神社(岡山県津山市一宮695)

    訪問日令和4年6月2日中山神社美作国一宮社伝(『中山神社縁由』)では、慶雲4年(707年)4月3日の創建鳥居<中山鳥居>寛政3年(1791)の建設。高さ8.5m、幅は7m弱、花崗岩製で柱は2分割、笠木は3分割されている角貫に木鼻がなく、笠木と島木に反りをもたせて壮大美を強調しているこのような形は他県にあまり例がなく、特に中山鳥居として一形式をつくっている名木百選ムクノキ樹齢500年だそうだ愛嬌のある神牛、ワンカップがお好きなようだ(笑)案内板鳥居から真っ直ぐ伸びた参道狛犬1手水舎狛犬2こちらの方が時代が古そうだ風雨に曝され、柔和な表情になっているような気がする神門(津山市指定重要文化財)津山城二の丸にあった「四脚薬医門」を明治初頭に移築した社務所神楽殿拝殿前の門拝殿拝殿内部拝殿を横から本殿(重要文化財)天...中山神社(岡山県津山市一宮695)

  • 栃社山 誕生寺 その2(岡山県久米郡久米南町誕生寺里方808)

    訪問日令和4年6月2日栃社山誕生寺その2法然上人生誕地に建立された浄土宗の寺院建久4年(1193年)熊谷直実、法然上人の弟子となり「蓮生」と改める。同年、誕生寺を創建する御影堂(重要文化財)石造五輪塔(岡山県指定文化財)応永32年(1425年)の供養塔両幡の椋無垢橋(登録有形文化財)大正9年(1920年)建造。片目川に架かる石橋。長さ7.3m、幅2.6m片目川勢至堂法然上人の両親の霊廟法然上人産湯の井戸五輪石塔(岡山県指定文化財)津山城主関係者の墓無垢地蔵(山陽花の寺霊場)守護大仏(岡山県指定文化財)延享2年(1745年)鋳造高さ6.42m、重量450kg岡山県下で一番大きな仏像である勢至丸(法然上人)の旅立ち見守る母・秦氏君(はたうじのきみ)その秋、37歳の若き身をもって病没宝物館宝物館の扉が開いていた...栃社山誕生寺その2(岡山県久米郡久米南町誕生寺里方808)

  • 栃社山 誕生寺 その1(岡山県久米郡久米南町誕生寺里方808)

    訪問日令和4年6月2日栃社山(とちこそさん)誕生寺その1法然上人生誕地に建立された浄土宗の寺院浄土宗には総本山・大本山・本山・特別寺院があり誕生寺は特別寺院4寺のうちの1つ山門(重要文化財)正徳5年(1716年)の建造付帯する筋塀は安政4年(1857年)伏見宮家より寄進された今回が2度目の参拝になるが、「熊谷直実」の名に目が止まった毘沙門堂山門右手にあり毘沙門天を祀る公孫樹(岡山県指定天然記念物)久安3年(1147年)15歳の勢至丸(法然上人)が比叡山に旅立つ際に杖とされた銀杏の枝をさしたところ正着繁茂したという公孫樹の先に御影堂が見えてくる御影堂(重要文化財)過去に二度損壊し、現在のものは元禄8年(1695年)の建造この寺の場所は法然上人が長承2年(1133年)4月7日に、父漆間時国、母秦氏の子として生...栃社山誕生寺その1(岡山県久米郡久米南町誕生寺里方808)

  • 最上稲荷山 妙教寺<最上稲荷>(岡山県岡山市北区高松稲荷712)

    訪問日令和4年6月1日最上稲荷山妙教寺<最上稲荷>最上稲荷(さいじょういなり)は、日蓮宗の寺院麓の駐車場を利用すると「最上稲荷参道口」の看板が目に入ってくる参道両側には商店が並んでいるが、この日はほとんどが閉店していた本堂近くにも駐車場がある龍王山の懐に抱かれた最上稲荷は広大な敷地を有し、大きく三段に分かれる本殿の建つ正面中央の台地は「祈祷ゾーン」、旧本殿の建つ右奥の上段部分は「文化財ゾーン」、根本大堂の建つ右下の下段部分は「供養ゾーン」と称される<祈祷ゾーン>御水舎御水舎の龍像は、工芸家・加茂霊峰の手によるもの境内図金色小判絵馬本殿(霊光殿)開山千二百年記念事業として計画され、5か年の歳月を経て昭和54年(1979年)に完成した年間約300万人もの参詣者を迎える巨大な賽銭箱古風な「おみくじ」結界廊<文化...最上稲荷山妙教寺<最上稲荷>(岡山県岡山市北区高松稲荷712)

  • 北海道 道北の旅 その2(道の駅・野寒布岬・朱鞠内湖)

    訪問日令和4年9月5日道の駅「わっかない」国道40号の終点の位置にある日本最北端の道の駅「JR稚内駅」と、再開発ビル「キタカラ(KITAcolor)」などが一体となった建物で「道の駅」としての機能も担っている駅舎の前で記念写真を撮っている人が多かったので近くに寄ってみると……「日本最北端の線路」があった「JR稚内駅」を突き抜けて駅前広場へレールが続いているこのレールの続く先には(痕跡から)……北埠頭へと続く稚内港北防波堤ドーム北埠頭は旧樺太航路の発着場として使われていた北防波堤ドームは、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、昭和6年(1931年)から昭和11年(1936年)にかけ建設された防波堤稚内公園から見える稚内港北防波堤ドーム設計者は、北海道庁の技師として稚内築港事務所に赴任してき...北海道道北の旅その2(道の駅・野寒布岬・朱鞠内湖)

  • 北海道 道北の旅 その1(宗谷岬・稚内公園)

    訪問日令和4年9月4日宗谷岬(北海道稚内市宗谷岬)自宅から国道231号-232号-40号-238号を約360km走る(北海道は広い)先ず驚いたのは地元なのに読めない地名が多いことだ(恥)読めますか(答えは最後に)①花畔②生振③若生④知津狩⑤聚富⑥正利冠⑦望来⑧発足⑨安瀬⑩濃昼第5回日本最北端わっかない平和マラソン2022だったが、影響を受けずに2時過ぎに到着した40数年ぶりの宗谷岬になる間宮林蔵像江戸時代後期の徳川将軍家御庭番樺太(サハリン)が島である事を確認し間宮海峡を発見した文化5年(1808年)4月13日、幕府から命を受けた間宮林蔵(当時29歳)は、松前奉行支配調役・松田伝十郎とともに、第1次樺太探検に出発したこのとき、林蔵は郷里から持ってきた墓石を海岸に建て、探検への覚悟のほどを示したといわれてい...北海道道北の旅その1(宗谷岬・稚内公園)

  • 景光山 観音寺<不洗観音寺>(岡山県倉敷市中帯江820)

    訪問日令和4年6月1日景光山観音寺<不洗(あらわず)観音寺>真言宗の単立寺院寺伝によれば、稽文会・稽主勲父子が刻んだ観音像を天平年間(729年-749年)に行基と菩提僊那が当地に安置し開基したおまいり道山門わらべ地蔵手水舎影向の松(ようごうのまつ)倉敷市指定天然記念物推定樹齢200年。当寺院の義雲和尚が移植したと伝わる黒松枝が円形に張り出しており周囲は約60m薬師堂地蔵堂鐘楼大師堂扁額の文字が読めない「遍照○」遍照窟なのか世の中を平和にするため、幸せの火をあまねく(遍)てらす(照)道場(窟)の意味絵馬の石段唐門の彫刻子宝と安産祈願の参拝者が集まるので「コウノトリ」なのか?良縁祈願と安産祈願の絵馬が並んでいる石段を上がると本堂なのだが熱心にお参りしている人がいたので右側に移動した正面には「十一面観音像」、上...景光山観音寺<不洗観音寺>(岡山県倉敷市中帯江820)

  • 日照山 国分寺<備中国分寺>(岡山県総社市上林1046)

    訪問日令和4年6月1日日照山国分寺<備中国分寺>真言宗御室派の寺院聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、備中国国分寺の後継寺院にあたる初めて訪れた時、五重塔に目を奪われ手前の遊歩道を車で乗り入れ顰蹙を買った(冷汗)山門客殿寺号「國分寺」の額勅使門本堂本尊:薬師如来寺伝では、廃寺となっていた国分寺を天正年間(1573年-1592年)に備中高松城主・清水宗治が再興したが衰微江戸時代中期の宝永年間(1704年-1711年)に再建されたとされる大師堂経堂(岡山県指定文化財)石仏礎石の上に立っている鐘楼五重塔(重要文化財)南北朝時代に奈良時代の七重塔(推定高さ50m塔跡が残る)を焼失1821年(文政4年)に位置を変えて再建を開始弘化年間(1844年-1847年)に完成した高さは34.315m岡山県内唯...日照山国分寺<備中国分寺>(岡山県総社市上林1046)

  • 中道山 円光寺 明王院(広島県福山市草戸町1473番地)

    訪問日令和4年5月31日中道山円光寺明王院(みょうおういん)真言宗大覚寺派の寺院もとは「西光山理智院常福寺」といい、大同2年(807年)弘法大師の開基と伝えられている元和5年(1619年)福山藩主水野勝成が入府してからはその庇護を受ける三代水野勝貞は常福寺に、歴代藩主の祈願寺となっていた明王院を合併し、寺号を明王院と改め今日に至る十王堂閻魔大王以下十王が祀られている石段の奥に山門が見える紫陽花の花霊場と彫られた地蔵が両手を広げて迎えてくれる山陽花の寺二十四か寺第十八番札所となっている手水鉢には不動明王の姿も山門(広島県指定文化財)慶長19年(1614年)の再建現在の山門の建築材は新旧二様に分かれている新様は建物上部の斗供・軒などに、旧様は軸部の柱・腰長押・台輪などに見られ、一部に室町様式の木割を残している...中道山円光寺明王院(広島県福山市草戸町1473番地)

  • 海潮山 磐台寺<阿伏兎観音>(広島県福山市沼隈町能登原阿伏兎1427-1)

    訪問日令和4年5月31日海潮山磐台寺(ばんだいじ)<阿伏兎観音>臨済宗妙心寺派の寺院瀬戸内海に面する阿伏兎(あぶと)岬にあるので「阿伏兎観音」とも呼ばれる正暦3年(992年)花山法皇により石造十一面観音像を本尊に祀り、付近の航海の安全を祈願するために創建山門拝観料の100円は驚く駐車場から山門への道は5分ほどの距離景色を楽しみながら歩くと山門に着く境内図は写真を整理する時に大変役立つ客殿(広島県指定文化財)手水鉢観音堂(重要文化財)ここから石段を上がる更に上がると観音堂が見えてくる観音堂の回廊は土足厳禁になっている本尊:十一面観音永禄13年(1570年)毛利輝元が堂を再建福山藩四代藩主水野勝種により、石垣や鐘楼、回廊を増築し現在に近い姿となる絵馬観音堂の中には,壁一面に奉納された「おっぱい絵馬」が飾られて...海潮山磐台寺<阿伏兎観音>(広島県福山市沼隈町能登原阿伏兎1427-1)

  • 別宮山 光明寺 金剛院 南光坊(愛媛県今治市別宮町3-1)

    訪問日令和4年5月30日別宮山光明寺金剛院南光坊四国八十八カ所第55番札所真言宗御室派の寺院四国霊場のうち「坊」がつく寺院はこの南光坊だけ今治市の中心街にあるが起源は古く、航海の神、総鎮守・伊予一の宮の大山祇神社と深くかかわる歴史を有する推古天皇御代2年甲寅(594年)に勅により大三島に造立その後、越智玉澄公が文武天皇の勅を奉じて、大宝3年(703年)風波のため祭祀がおろそかになるのを憂いて当地に勧請「日本総鎮守三島の地御前」と称して奉祭した山門(四天門)外側と内側に二体づつ四天王を配置し寺を守護する南光坊の別称『日本総鎮守三島地御前』の扁額四天王像四天王は、「天部」に属し、仏教の守護神となる*持国天/増長天/広目天/多聞天の頭文字をとって「持増広多(じぞうこうた=地蔵買うた)」という語呂合わせがある仏教...別宮山光明寺金剛院南光坊(愛媛県今治市別宮町3-1)

  • 金光山 最勝院 国分寺<伊予国分寺>(愛媛県今治市国分4-1-33)

    訪問日令和4年5月30日金光山最勝院国分寺<伊予国分寺>四国八十八カ所第59番札所真言律宗の寺院天平13年、聖武天皇(在位724〜49年)の勅願により行基菩薩が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる参道鐘楼正面に本殿右に大師堂大師堂第3世住職・智法律師のとき、弘法大師が長く滞在して「五大尊明王」の画像一幅を奉納大師の弟子・真如(?〜862年)も2年間留まり、『法華経』の一部を書写して納められている薬壺握手修行大師像手水鉢白皮松(三葉松)現在の日中関係のような感じかな……本堂伊予国分寺は、悲運な災禍の歴史に見舞われる天慶2年(939年)「藤原純友の乱」により灰燼に帰した元暦元年(1184年)源平合戦の戦火による焼失貞治3年(1364年)南北朝時代讃岐・細川頼之の兵火によって焼かれる天正12年...金光山最勝院国分寺<伊予国分寺>(愛媛県今治市国分4-1-33)

  • 石鈇山 金色院 前神寺(愛媛県西条市洲之内甲1426番地)

    訪問日令和4年5月30日石鈇山金色院前神寺(まえがみじ)四国八十八カ所第64番札所真言宗石鈇派総本山の寺院日本七霊山の1つ、霊峰石鎚山(1982m)の麓に位置する*富士山・立山・白山(三霊山)+大峰山・釈迦ヶ岳・大山・石鎚山西日本最高峰石鎚山の7合目標高1400mにあり、発祥より千年法灯を守ってきた山岳寺院であった江戸時代以降の変遷により、麓の西田(標高50m付近)に本拠を移す狛犬惣門駐車場で雨が止むのを待っていたが、目の前を傘もささず、ずぶ濡れになって歩いて行く巡礼者の姿があったその姿は神々しく感動すら覚えた。私も傘とカメラを持って車から出た極楽橋惣門をくぐって参道を進み左に折れて薬師谷川をわたる更に進むと正面に大師堂が見えてくる左手には庫裡・納経所がある鐘楼堂大師堂空海(弘法大師)も2度石鎚山を巡鍚し...石鈇山金色院前神寺(愛媛県西条市洲之内甲1426番地)

  • 七宝山 持宝院 本山寺(香川県三豊市豊中町本山甲1445番地)

    訪問日令和4年5月29日七宝山持宝院本山寺四国八十八カ所第70番札所高野山真言宗の寺院寺伝によれば、大同2年(807年)平城天皇の勅願寺として、空海が自ら刻んだ馬頭観世音菩薩像を本尊、阿弥陀如来と薬師如来を脇侍として開創し長福寺と称したという天保年間(1830年から1844年)に本山寺と改称された境内図仁王門<二王門>(重要文化財)鎌倉時代後期建立三間一戸八脚門の切妻造り*側面の屋根、鬼瓦の表情、仁王門にあるハート形も見所とか木造金剛力士立像(香川県指定文化財)鎮守堂(香川県指定文化財)天文16年(1547年)建立江戸時代、天徳年間、さらに、昭和60年(1985年)に修復檜皮葦屋根五所権現を祀る満蒙開拓団慰霊堂奥殿阿弥陀堂昭和52年から、地元の開拓団遺族の方たちの熱意により慰霊堂として拝まれるようになる当...七宝山持宝院本山寺(香川県三豊市豊中町本山甲1445番地)

  • 七宝山 神恵院(香川県観音寺市八幡町一丁目2番7号)

    訪問日令和4年5月29日七宝山神恵院(じんねいん)四国八十八カ所第68番札所真言宗大覚寺派の寺院開基したのは法相宗の高僧・日証上人といわれている大宝3年(703年)この地で修行中、宇佐八幡宮のお告げを受け、かなたの海上で神船と琴を発見琴弾山に引き上げ、「琴弾八幡宮」を建立して祀った大同2年(807)弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、後に院号を「神恵院」とし、六十八番霊場とした2つの札所が同じ境内に存在する、珍しい霊場大師堂元の本堂(現薬師堂)横にあった神恵院大師堂は台風で失われたため、十王堂の右半分が大師堂になっている本堂入り口コンクリートの建造物で違和感がある本堂平成14年(2002年)の大師堂改修に併せて、現在地に本堂を移築した巡礼者の邪魔にならないように待つ堂内本尊...七宝山神恵院(香川県観音寺市八幡町一丁目2番7号)

  • 七宝山 観音寺(香川県観音寺市八幡町1丁目2番7号)

    訪問日令和4年5月29日七宝山観音寺(かんおんじ)四国八十八カ所第69番札所真言宗大覚寺派の寺院市名は「かんおんじし」であるが、寺名は「かんのんじ」である仁王門境内図68番札所神恵院(じんねいん)と同じ境内にある仁王像仁王門からの眺望閼伽井鐘楼石段を上がる途中に鐘楼内の彫刻が見えてくる四隅に龍を配し、天井一面に渦巻く雲海模様が彫られている扁額の文字は「醒夢」衝撃的な彫刻でカラフルさで驚いた「成田山新勝寺の鐘楼」を思い出した本堂<金堂>(重要文化財)*重要文化財指定名称は「観音寺金堂」伝承によれば、創建は大宝年間(701年-704年)法相宗の日証上人による本堂は、観音寺金堂とも呼ばれ、元あった東・西・中の三金堂の内の中金堂であり、平安時代初期に建立された現在の建物は、大永5年(1525年)12月の再建昭和3...七宝山観音寺(香川県観音寺市八幡町1丁目2番7号)

  • 常徳寺(香川県三豊市仁尾町仁尾丁930)

    訪問日令和4年5月29日常徳寺臨済宗妙心寺派の寺院重要文化財を擁するということで訪れたナビの案内する道路はとても車が通れるような道ではなかったので近くにいた女性に道を尋ねたその女性が近くの家の男性に声をかけ、寺の場所を確認することができた鐘楼この日は朝から天気がよく、鐘楼門の下に車を駐め日差しを避けていたので上部だけ本堂この寺に関する資料がなく、ネットで検索しても境内にある説明文が掲載されているのみこの建物が本堂であるかどうかも定かではない「絹本著色八相涅槃図」についてよく整備された境内の奥に、それらしき建物が見えてくる圓通殿(重要文化財)建立は応永8年(1401年)でその後文明元年、宝永2年、天保12年に修理が行われている桁行三間、梁間三間、入母屋造り、本瓦葺きで軒は二軒繁垂木禅宗様式仏殿として四国唯一...常徳寺(香川県三豊市仁尾町仁尾丁930)

  • 金刀比羅宮 その2(香川県仲多度郡琴平町字川西892番地1)

    訪問日令和4年5月28日金刀比羅宮その2賢木門(さかきもん)「賢木門」(さかきもん)はその昔「逆木門」と書いた長曽我部元親により献納されたが、建築の際に一本の柱が逆さまに取り付けられてしまい、「逆木門」(さかきもん)と名付けられた賢木門から御本宮まであと143段明治12年(1879年)の改築の際に、「逆」の字を嫌い「賢木門」と書くようになった「賢木門」の扁額は、有栖川宮熾仁親王殿下の筆遙拝所遙拝所は、伊勢神宮や皇陵を遙拝する所。神籬殿と拝殿からなる遙拝所から御本宮までまであと132段鳥居をくぐると二つの道に分かれる右に進む階段は一方通行で御本宮へと続く真須賀神社八俣大蛇退治の天叢雲剣の神話に登場する勇武絶倫の神様で、大国主神の御祖神真須賀神社から御本宮まであと133段御前四段坂御前四段坂は、133段の石段...金刀比羅宮その2(香川県仲多度郡琴平町字川西892番地1)

  • 金刀比羅宮 その1(香川県仲多度郡琴平町字川西892番地1)

    訪問日令和4年5月28日金刀比羅宮その1〝こんぴらさん〟の名で親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう)の御本宮は、琴平山(別名「象頭山」)の中腹に鎮まる足腰が大丈夫なうちに訪れてみたいと思っていた駐車場は満車状態、コロナ禍でも参拝者は多い1段目表参道から御本宮までの石段は全785段、片道30分ほど土産物屋、うどん屋、旅館などが並ぶ門前町の通りから石段は始まる狛犬一之坂113段目から大門までは特に急な石段となり「一之坂」と呼ばれる一之坂から御本宮まであと672段灯明堂(重要有形民俗文化財)安政5年(1853年)、備後国因之島浦々講中の寄進により、船の下梁を利用して建てられた灯明堂の中には、夜の参道を照らす多数の「釣燈籠」が吊り下げられている琴陵宥常銅像第19代宮司琴陵宥常(ことおかひろつね)<1840-18...金刀比羅宮その1(香川県仲多度郡琴平町字川西892番地1)

  • 屏風浦五岳山 誕生院 善通寺 その2<西院>(香川県善通寺市善通寺町 3-3-1)

    訪問日令和4年5月28日屏風浦五岳山誕生院善通寺その2<西院>四国八十八カ所第75番札所真言宗善通寺派総本山和歌山県の高野山、京都府の東寺と共に弘法大師三大霊場に数えられる総面積約45,000㎡に及ぶ広大な境内は、「伽藍」と称される東院、「誕生院」と称される西院の東西二院に分かれている金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、創建時以来の寺域御影堂を中心とする「誕生院」は、弘法大師が誕生した佐伯家の邸宅地にあたる仁王門(登録有形文化財)西院(誕生院)の正門現在の建物は明治22年(1889年)の再建「遍照金剛閣」の扁額仁王像(金剛力士像)金剛力士像は南北朝時代・応安3年(1370年)の製作参拝者にとって仁王門は一礼して通過するだけで仁王像に注目する人は少ない仁王像とにらめっこをして写真を撮っている姿が異常に見え...屏風浦五岳山誕生院善通寺その2<西院>(香川県善通寺市善通寺町3-3-1)

  • 屏風浦五岳山 誕生院 善通寺 その1<東院>(香川県善通寺市善通寺町 3-3-1)

    訪問日令和4年5月28日屏風浦五岳山誕生院善通寺その1<東院>四国八十八カ所第75番札所真言宗善通寺派総本山和歌山県の高野山、京都府の東寺と共に弘法大師三大霊場に数えられる総面積約45,000㎡に及ぶ広大な境内は、「伽藍」と称される東院、「誕生院」と称される西院の東西二院に分かれている金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、創建時以来の寺域御影堂を中心とする「誕生院」は、弘法大師が誕生した佐伯家の邸宅地にあたる南大門(登録有形文化財)南大門は、東院(伽藍)の南に位置する善通寺の正門現在の建物は日露戦争戦勝を記念して明治41年(1908年)に再建されたもの高麗門と呼ばれる形式で造られており、高さは9.7m善通寺の山号である「五岳山」の扁額境内図(東院)境内図(西院)五重塔(重要文化財)基壇から相輪までの高さが...屏風浦五岳山誕生院善通寺その1<東院>(香川県善通寺市善通寺町3-3-1)

  • 丸亀城(香川県丸亀市)

    訪問日令和4年5月27日丸亀城(別名:亀山城)現存12天守のうちの一つ<弘前城・松本城・丸岡城・犬山城・彦根城・姫路城・松江城・備中松山城・丸亀城・松山城・宇和島城・高知城>標高約66mの亀山に築かれた平山城で、別名「亀山城」と呼ばれている駐車場に車を駐め3分ほど歩くと、遠くに城の姿が見えてくる丸亀城の石垣は、築城技術が最も発達した時に築かれた大手二の門(重要文化財)正面上には天守、入って右には「一の門」がある二の門の「門扉」大手一の門(重要文化財)「大手枡形(ますがた)」城の出入り口である虎口を石垣や土塁で囲った広場のことを枡形という敵が直進できないように二つの門を直角に配置している丸亀城大手枡形は右折れで、櫓門の上から敵に矢を射ることを想定しているこの石垣は「切り込みハギ」で石を削り精加工した石を用い...丸亀城(香川県丸亀市)

  • 神谷神社(香川県坂出市神谷町621)

    訪問日令和4年5月27日神谷神社(かんだにじんじゃ)本殿が国宝に指定されていると知り訪れた創建について社伝では弘仁3年(812年)に空海の叔父にあたる阿刀大足(あとのおおたり)が社殿を造営し、相殿に春日四神を勧進したと伝える鳥居鳥居も額も石造で社号の「神谷神社」と刻まれている手水舎漱盤と刻まれた鉢(お参りの時に口を漱ぐ水を入れる鉢の意)(写真上部に)境内図があるのを今知った狛犬拝殿昭和2年(1927年)大晦日の夜に、燈明の火が拝殿に引火するという火事が発生した拝殿は焼亡したが、住民が焼け落ちる拝殿を本殿の反対側に引き倒したため、本殿は難を逃れた現在の拝殿は昭和3年(1928年)より昭和5年(1930年)にかけて再建されたものである本殿(国宝)鎌倉時代初期の建保7年(1219年)に荘官の刑部正長により旧本殿...神谷神社(香川県坂出市神谷町621)

  • 白牛山 千手院 国分寺<讃岐国分寺>(香川県高松市国分寺町国分字上所2065番地)

    訪問日令和4年5月27日白牛山千手院国分寺<讃岐国分寺>四国八十八カ所第80番札所真言宗御室派の寺院奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、讃岐国国分寺の後継寺院仁王門創建当時の中門があったと推定される位置に建てられている建立時期は本堂と同じく鎌倉時代と考えられている縁起略記扁額には山号の「白牛山」仁王像寺伝では運慶の子、「湛慶」の作と伝えられている参道を進むミニ四国八十八箇所の石仏千体地蔵堂追善供養のために奉納された地蔵を安置している北向地蔵鐘楼梵鐘(重要文化財)《実説》江戸時代・慶長14年、高松藩主生駒一正公が参詣の折に、この鐘の音の美しさをいたく気に入り、「朝夕の時の鐘に」と城に持ち帰った鐘は少しもならず、城内外に怪異が広まり、疫病が流行、一正公も病床に伏すこととなった毎夜、鐘...白牛山千手院国分寺<讃岐国分寺>(香川県高松市国分寺町国分字上所2065番地)

  • 南面山 屋島寺 その2(香川県高松市屋島東町字屋島峯)

    訪問日令和4年5月27日南面山屋島寺(やしまじ)その2四国八十八カ所第84番札所山門(仁王門)車遍路では駐車場の関係で東大門から入るが、歩き遍路の場合この山門が入口となるこちらが正規の参拝順となる瓦葺入母屋造三間一戸八脚門額には山号の「南面山」仁王像この寺院は初めて訪れるため予備知識も資料もなく、何か物足りなさを感じていた他に何かないのかと周囲を散策して、この山門と仁王像の存在を知った作者も年代もわからないが、迫力ある仁王像である仁王像シリーズの企画をしているので枚数が増えてしまった四天門側から見た山門四天門進むと進むと四天門が見えてくる芭蕉句碑「松に月古き景色を時雨けり」貞享2年(1685年)建立瓦葺入母屋造三間一戸八脚門持国天像(東)増長天像(南)広目天像(西)多聞天像(北)手水舎可正桜本堂(重要文化...南面山屋島寺その2(香川県高松市屋島東町字屋島峯)

  • 南面山 屋島寺 その1(香川県高松市屋島東町字屋島峯)

    訪問日令和4年5月27日南面山屋島寺(やしまじ)その1四国八十八カ所第84番札所律宗の開祖である鑑真が天平勝宝6年(754年)朝廷に招かれ奈良に向かう途中に当地を訪れて開創そののち弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立し精舎を構え、屋島寺と称し初代住職になった那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる東大門車遍路の屋島寺への入口になる(後に知った)瓦葺切妻造三間一戸八脚門初めて訪れる寺院で案内文を読んでから境内に入る東大門から塔が見える石造五重塔塔の左側に3体の石仏が並んでいるそれぞれをアップで撮ってみた十一面観音像水盤の彫刻千体堂瓦葺宝形造本尊:千手観世音菩薩堂内には千体仏が安置されている三体堂瓦葺入母屋造本尊:阿弥陀如来・釈迦如来・鑑真和上鐘楼梵鐘は重要文化財別名「平...南面山屋島寺その1(香川県高松市屋島東町字屋島峯)

  • 補陀洛山 志度寺(香川県さぬき市志度1102番地)

    訪問日令和4年5月26日補陀洛山志度寺四国八十八カ所第86番札所推古天皇33年(626年)の創建寺の縁起によると、志度浦にたどり着いた檜の霊木を凡薗子尼(おおしそのこに)が草庵へ持ち帰り安置しその霊木から本尊:十一面観音を造立し、小さな堂を建て祀ったという天武天皇10年(681年)藤原不比等が堂宇を増築し「死度道場」と名づけたという持統天皇7年(693年)には不比等の子・藤原房前が行基とともに堂宇を建立し、寺名を「志度寺」に改めたその後、巡錫に来た、弘法大師が伽藍の修理にあたったのは弘仁年間仁王門(重要文化財)江戸中期/1670年頃の建立三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺境内図額には山号の「補陀洛山」木造金剛力士立像(香川県指定文化財)天正11年(1583年)の春、志度寺に攻めこんだ長宗我部元親を走らせたとい...補陀洛山志度寺(香川県さぬき市志度1102番地)

  • 補陀洛山 長尾寺(香川県さぬき市長尾西653番地)

    訪問日令和4年5月26日補陀洛山長尾寺(ながおじ)四国八十八カ所第87番札所天平11年(739年)に行基菩薩がこの地を訪れ、霊感を得られ柳の木「楊柳」をもって聖観世音菩薩像を刻み本尊とし、堂宇を建立して安置したのが始まりとされる経幢(きょうどう)2基(重要文化財)元冦の役出征将兵の霊を慰めるために建てられた「経幢」東側のものが弘安9年(1286年)の建立西側のものが弘安6年(1283年)山門日本三大名門の1つという寛文10年(1670年)建立とされ、三つ棟木という珍しい工法で知られる鐘楼門にもなっている額には山号の「補陀洛山」梵鐘人の姿が刻まれているのはこれまで記憶にない門の両側には4mの大草鞋が掛けられている仁王像網目が細かく条件は悪かったが、網にレンズを付け大きく撮って何とかここまでになった手水舎薬師...補陀洛山長尾寺(香川県さぬき市長尾西653番地)

  • 白鳥神社(香川県東かがわ市松原69番地)

    訪問日令和4年5月26日白鳥神社(しろとりじんじゃ)日本武尊が能褒野(三重県)で戦死し葬られたのち、白鳥となって飛び去りその霊が舞い降りた、という伝説に興味をもち訪れた鳥居表参道を進む神馬恵比須神社先に進む狛犬口コミでブサイクな狛犬とあった……高8尺寛文4年(1664年)一の門高麗作り瓦葺き間口11尺8寸奥行6尺8寸寛文4年(1664年)再建梛木(なぎ)の葉風鈴鈴の音は神秘的で清らかな響きにより禍を祓う力があると、古来より巫女舞や神楽・参拝の際に使われている梛木の葉は「梛木(なぎ)=凪(なぎ)」に通ずるところから平穏無事を象徴し、榊と同様に神社に植えられている5月21日から8月15日の期間で開催この日はほぼ無風ではあったが、時折吹く「そよ風」に鳴る音色は心地よかった鶴門(東かがわ市指定文化財)柵内には神鶴...白鳥神社(香川県東かがわ市松原69番地)

  • 護国山 淡路国分寺(兵庫県南あわじ市八木国分331)

    訪問日令和4年5月25日護国山淡路国分寺奈良時代の天平13年(741年)聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺淡路島の国分寺が初めて歴史書に現れたのは約30年後の宝亀6年(775年)6月史跡淡路国分寺塔跡大日堂現在の境内は古代の国分寺跡と重複する境内に入って右手にある一区画が三重塔の塔跡(国史跡)である中央には小さな大日堂があり、大日如来を祀りその下に塔の心礎を安置している菩提樹旧本堂本堂この建物内に丈六の釈迦如来座像(重要文化財)が安置されている受付が不在で庫裏の方へ行くと小さな猛犬に吠えられた(笑)その声を住職の娘さんか奥さんかが聞いて出てきてくれた釈迦如来座像(重要文化財)驚いたのは写真撮影は自由だと紙に書いていること淡路にこのような素晴らしい仏像があることを多くの人に知ってほしいとの住職の考...護国山淡路国分寺(兵庫県南あわじ市八木国分331)

  • 自凝島神社(兵庫県南あわじ市榎列下幡多415)

    訪問日令和4年5月25日自凝島神社(おのころじまじんじゃ)「おのころ島神社」とも表記される「磤馭盧島神社」という表記もある鎮座する丘が両神による国産み・神産みの舞台となった自凝島であると伝えている大鳥居昭和57年(1982年)3月の建立高さ21.7mの大きな鳥居(軽トラと比較するとその大きさが分かる)平安神宮及び厳島神社と並び「日本三大鳥居」の一つに数えられるここでは「磤馭盧島神社」と表記されているが、周辺を走っていると「おのころ島神社」の表記が多い古代の御原入江の中にあって伊弉諾命・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり古くから「おのころ島」と親しまれ崇敬されてきた古事記・日本書紀によれば神代の昔国土創世の時、二神は天の浮橋に立ち、天の沼矛を持って海原をかき回すその矛より滴る潮がおのずと凝り固まって...自凝島神社(兵庫県南あわじ市榎列下幡多415)

  • 自凝島神社(兵庫県南あわじ市榎列下幡多415)

    訪問日令和4年5月25日自凝島神社(おのころじまじんじゃ)「おのころ島神社」とも表記される「磤馭盧島神社」という表記もある鎮座する丘が両神による国産み・神産みの舞台となった自凝島であると伝えている大鳥居昭和57年(1982年)3月の建立高さ21.7mの大きな鳥居(軽トラと比較するとその大きさが分かる)平安神宮及び厳島神社と並び「日本三大鳥居」の一つに数えられるここでは「磤馭盧島神社」と表記されているが、周辺を走っていると「おのころ島神社」の表記が多い古代の御原入江の中にあって伊弉諾命・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり古くから「おのころ島」と親しまれ崇敬されてきた古事記・日本書紀によれば神代の昔国土創世の時、二神は天の浮橋に立ち、天の沼矛を持って海原をかき回すその矛より滴る潮がおのずと凝り固まって...自凝島神社(兵庫県南あわじ市榎列下幡多415)

  • すすきの祭り「花魁道中」(北海道札幌市中央区)

    訪問日令和4年8月4日すすきの祭り「花魁道中」第58回すすきの祭りが4日、札幌・ススキノ地区で開幕した新型コロナの影響で2年間中止したため開催は3年ぶり夢千代太夫役田中美桜さん佳津乃太夫役山根朱里さんHTBNEWSからOnoseYujiさんのYouTubeから撮影日令和4年8月4日すすきの祭り「花魁道中」(北海道札幌市中央区)

  • 伊弉諾神宮(兵庫県淡路市多賀740)

    訪問日令和4年5月25日伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)『日本書紀』・『古事記』には、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が最初に生んだ淡路島多賀の地の幽宮(かくりのみや、終焉の住居)に鎮まったとあり、起源とされる大鳥居高さ8.2m花崗岩製の神明型鳥居としては全国最大級阪神・淡路大震災の激震(震度7)で倒壊したものを氏子篤志家の寄進により平成7年11月に再建狛犬1参道と県道沿いには周景整備の一環として「国生み燈籠」が建立されている二ノ鳥居陽の道しるべ真東に伊勢(皇大神宮・内宮)、真西に海神神社(対馬)、夏至の日出地に諏訪大社(諏訪湖)、日没地に出雲大社・日御碕神社、冬至の日出地に熊野那智大社(那智大瀧)、日没地に高千穂神社(宮崎県)が鎮座する伊弉諾神宮を中心とする太陽の運行と有名神社の関係を現わす円形のモニュメン...伊弉諾神宮(兵庫県淡路市多賀740)

  • 明石海峡大橋・江島(兵庫県神戸市垂水区東舞子町4)

    訪問日令和4年5月25日明石海峡大橋兵庫県神戸市と淡路島の間の明石海峡に架かる、橋長3,911m、中央支間長1,991mの世界最大級のつり橋本州と四国を、道路と鉄道で繋ぐ本州四国連絡架橋事業の一環として建設された昭和63年(1988年)5月に現地工事に着手し、およそ10年の歳月をかけて平成10年(1998年)4月に完成した高所恐怖症に加え横風に弱い車ということもあり、約4kmの運転ではあったが精神的に疲れた淡路サービスエリアに立ち寄り休憩、走ってきた橋を眺める美しい橋だが天気がよすぎて霞んで見える約5000億円(当時)の建設費が投じられたというサービスエリア内には観覧車が設置されている高所恐怖症で乗る乗りたいとも思わなかったが、よく見ると数台に1台は透明のゴンドラになっているサービスエリアは満車状態、淡路...明石海峡大橋・江島(兵庫県神戸市垂水区東舞子町4)

  • 極楽山 浄土寺(兵庫県小野市浄谷町2094)

    訪問日令和4年5月24日極楽山浄土寺高野山真言宗鎌倉時代のはじめ、重源上人が建立した寺院建久8年(1197年)建立浄土堂<阿弥陀堂>(国宝)加古川東岸の一部は、本来大部郷と呼ばれる国衛領であったが、久安3年(1147年)頃、東大寺領大部荘として立荘された平氏の兵火によって焼失した東大寺を再建するため大勧進職となったのが「俊乗房重源」この大部荘を再開発して東大寺再建の経済的拠点とし、ここに播磨別所を開き一寺を建立したこれが浄土寺である浩宮徳仁親王殿下(今上天皇)参拝記念樹板碑堂内に入る快慶作の「阿弥陀三尊像(国宝)」が安置されている阿弥陀如来530cm脇侍観音菩薩370cm勢至菩薩370cmこの寺院を訪れた目的は阿弥陀三尊像の拝観蔀戸から入る西陽に浮かび上がる来迎の姿が美しいとか(観たことがない)鐘楼堂(兵...極楽山浄土寺(兵庫県小野市浄谷町2094)

  • 能勢妙見山 本瀧寺(大阪府豊能郡能勢町野間中718)

    訪問日令和4年5月24日能勢妙見山本瀧寺(ほんたきじ)妙見宗総本山の仏教寺院天台宗系修験道の寺行き先が決まらないときには、道路地図に記載された寺院を選ぶことがある奥深い山道に入り引き返そうかと思うほど不安になるような場所にあった大鳥居参道入口にある鳥居額には「大空殿」とある「案内図」妙見宗総本山とあるが聞いたことがない先に進んでいいものか正直迷ったこのような石垣もある上には本堂らしきものと、社殿らしきものが目に入ってくる手水舎鳥居鳥居の額には「能勢御瀧」とある不動明王像右手に「十三仏塔」がある額には「白蛇大辯才天女」とある末社額には「護法殿」とある大空殿本瀧寺の本堂で、行基菩薩の建てられた「爲楽山大空寺」にちなみ、「大空殿」と名付けられている参道入口の鳥居の額の「大空殿」と結びついた昭和8年(1933年)...能勢妙見山本瀧寺(大阪府豊能郡能勢町野間中718)

  • 菩提山 穴太寺(京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46)

    訪問日令和4年5月24日菩提山穴太寺(あなおうじ)天台宗の寺院慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされる仁王門(京都府登録文化財)3間一戸の八脚門入母屋造、本瓦葺17世紀中期頃の建立と思われる仁王像金網にレンズを近づけてアップで撮ると障害物の金網が消えた初めて訪れる寺院で予備知識もない正面に見えるのが本堂手水舎境内は緑に囲まれ爽快な気持ちになっていく鐘楼(京都府登録文化財)方一間の四脚入母屋造に桟瓦葺宝暦9年(1759年)の建立多宝塔(京都府指定文化財)文化元年(1804年)再建三間の多宝塔で柱は全て円柱軒は下重に二軒繁垂木、上重に二軒扇垂木として変化を持たせている周囲の清掃をしている女性に「素晴らしい塔ですね」と声を掛けると庭園からの風景が人気だと案内された書院と本堂内の拝観...菩提山穴太寺(京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46)

  • 醍醐山 醍醐寺 その2(京都府京都市伏見区醍醐東大路町22)

    訪問日令和4年5月23日世界遺産醍醐山醍醐寺その2京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持つ国宝や重要文化財を含む約15万点の寺宝を所蔵する山裾を「下醍醐」と称し「三宝院・伽藍・霊宝館」エリアに分けられている<伽藍エリア>桜馬場「醍醐の花見」とは、慶長3年(1598年3月)、豊臣秀吉がその最晩年に醍醐寺三宝院裏の山麓において催した花見の宴豊臣秀頼・北政所・淀殿ら近親の者を初めとして、諸大名からその配下の女房女中衆約1300人を召し従えた盛大な催し花見に招かれたのは女性ばかりで、秀吉・秀頼の他には唯一前田利家のみ秀吉自ら下見のために醍醐寺へ通い、殿舎の造営や庭園の改修を指揮し、醍醐山の山腹にいたるまで、伽藍全体に700本の桜を植樹した参加した女性たちには2回の衣装替えが命じられ...醍醐山醍醐寺その2(京都府京都市伏見区醍醐東大路町22)

  • 醍醐山 醍醐寺 その2(京都府京都市伏見区醍醐東大路町22)

    訪問日令和4年5月23日世界遺産醍醐山醍醐寺その2京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持つ国宝や重要文化財を含む約15万点の寺宝を所蔵する山裾を「下醍醐」と称し「三宝院・伽藍・霊宝館」エリアに分けられている<伽藍エリア>桜馬場「醍醐の花見」とは、慶長3年(1598年3月)、豊臣秀吉がその最晩年に醍醐寺三宝院裏の山麓において催した花見の宴豊臣秀頼・北政所・淀殿ら近親の者を初めとして、諸大名からその配下の女房女中衆約1300人を召し従えた盛大な催し花見に招かれたのは女性ばかりで、秀吉・秀頼の他には唯一前田利家のみ秀吉自ら下見のために醍醐寺へ通い、殿舎の造営や庭園の改修を指揮し、醍醐山の山腹にいたるまで、伽藍全体に700本の桜を植樹した参加した女性たちには2回の衣装替えが命じられ...醍醐山醍醐寺その2(京都府京都市伏見区醍醐東大路町22)

  • 醍醐山 醍醐寺 その1(京都府京都市伏見区醍醐東大路町22)

    訪問日令和4年5月23日世界遺産醍醐山醍醐寺その1真言宗醍醐派の総本山の寺院広大な地域に位置し、山頂一帯を「上醍醐」山裾を「下醍醐」と称している下醍醐もパンフレットによると「三宝院・伽藍・霊宝館」エリアに分けられている<三宝院エリア>三宝院唐門(国宝)門跡寺院としての三宝院にあり、朝廷からの使者を迎える時だけに扉を開いたとされる門(勅使門)が唐門門全体が黒の漆塗で菊と桐の四つの大きな紋には金箔が施されている(平成22年7月修復)玄関(重要文化財)受付で初めて訪れる寺院だと告げると、三宝院から拝観することを勧められた堂内に入ると更に受付があり、特別拝観料が必要とのこと(合計1,500円)京都らしい雰囲気のある写経所有料区域に入る葵の間(重要文化財)襖絵は、京都三大祭りの一つ「葵祭の風景」秋草の間(重要文化財...醍醐山醍醐寺その1(京都府京都市伏見区醍醐東大路町22)

  • 姨綺耶山 長命寺 その2(滋賀県近江八幡市長命寺町157)

    訪問日令和4年5月23日姨綺耶山(いきやさん)長命寺その2三仏堂(滋賀県指定文化財)本堂のすぐ西側に建つ本堂からは渡廊下で繋がっているもとは元暦元年(1184年)に佐々木定綱が父秀義の菩提を弔うために建立現在の建物は永禄年間(1558年-1570年)の再建と推定されるが、江戸時代の寛政5年(1793年)に改造されている堂内の様子<仏像部分を拡大>左:薬師如来、中:阿弥陀如来、右:釈迦如来入母屋造、檜皮葺き、丹塗の堂護法権現社拝殿及び渡廊下(滋賀県指定文化財)入母屋造檜皮葺。永禄8年(1565年)頃の建立と推定される本殿一間社流造で江戸時代後期の建立長命寺の草創説話にかかわる武内宿禰を祀る「太郎坊大権現の石柱」階段を上がってみる太郎坊権現社の拝殿なのか眼下には琵琶湖太郎坊権現社長命寺の総鎮守である太郎坊とは...姨綺耶山長命寺その2(滋賀県近江八幡市長命寺町157)

  • 姨綺耶山 長命寺 その1(滋賀県近江八幡市長命寺町157)

    訪問日令和4年5月23日姨綺耶山(いきやさん)長命寺その110年前になるが、キャンピングカーを購入直後にこの場所に来たことがある入口が狭く車体を擦るのも嫌だと思い、その時は諦めたのだが訪れてみたいとずっと思っていた長命寺本堂へは808段の石段の参道を登ることになる。狭いが自動車道も整備されている気力・体力・信仰心もなく恥ずかしながら車で自動車道を走ることにした山上駐車場に到着。ここから本堂まで、約100段の石段がある「聖徳太子礼拝石」聖徳太子の開基と伝わっている山門(冠木門)水屋書院最後と思われる階段の上に朱色のお堂が見えてくる初めて訪れる寺院で目の前に現れる建物を撮っていく背後には重文の三重塔本堂(重要文化財)天台宗の寺院3世紀後半から4世紀初頭の景行天皇の時代、武内宿禰がこの山で長寿を祈ったといい、開...姨綺耶山長命寺その1(滋賀県近江八幡市長命寺町157)

  • 法輪山 正明寺(滋賀県蒲生郡日野町松尾560)

    訪問日令和4年5月22日法輪山正明寺(しょうみょうじ)黄檗宗の寺院宗派を意識して寺巡りをしている訳ではないが、黄檗宗の寺院は崇福寺(長崎)万福寺(宇治)に次いで3ケ寺目と少ない参道の奥に山門が見える無縁塔山門までの途中に墓石や石塔がピラミッドの様に積まれていたこれまで見たことがなかっただけに驚いた黄檗宗独特のものなのかは分からない……山門扁額には山号の「法輪山」山門の奥に本堂が見える本堂(重要文化財)聖徳太子の創建と伝えられ、比叡山延暦寺系の地方大寺として栄えていたが、戦国時代の戦火を受けて消失江戸時代の再興、永源寺の高僧一絲文守大和尚の尽力によって後水尾天皇の勅建寺となった済堂軒先にある「大魚板」室内にある「大魚板」堂内にある仏像庫裏・方丈へと続く玄関本堂(重要文化財)本堂は、後水尾天皇から京都御所の清...法輪山正明寺(滋賀県蒲生郡日野町松尾560)

  • 阿育王山 石塔寺(滋賀県東近江市石塔町860)

    訪問日令和4年5月22日阿育王山(あしょかおうざん)石塔寺(いしどうじ)天台宗の寺院聖徳太子創建の伝承をもつ寺院伝承によれば、聖徳太子は近江に48か寺を建立し、石塔寺は48番目の満願の寺院で、本願成就寺と称したという寺号石柱石塔寺への参拝は、今回で3度目となる年齢とともに長い階段の昇降が膝と心肺に負荷がかかり苦しくなってきた苦しくなると呼吸を整えるため周辺にある魅力的なものを撮るようにしている過去に上ったことのある階段は、精神的には楽だと言っても肉体的には辛い。また、休憩この階段横には多くの石仏があり、休憩時も楽しむことができる五輪塔と石仏が混在している石造三重塔<伝・阿育王塔>(重要文化財)奈良時代前期建立高さ7.6m石材は花崗岩石造層塔としては日本最古であり、石造三重塔としては日本最大長保3年(100...阿育王山石塔寺(滋賀県東近江市石塔町860)

  • 松峯山 金剛輪寺(滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺874)

    訪問日令和4年5月21日松峯山金剛輪寺天台宗の寺院西明寺、百済寺とともに湖東三山の1つ聖武天皇の勅願で行基の開創、創建は天平9年(737年)または天平13年(741年)と伝えられる平安時代前期の850年頃に、天台宗の円仁(慈覚大師)によって再興された源義経が木曾義仲追討武運必勝、北条時宗が佐々木頼綱に命じた元軍降伏などの祈願をしたといわれている総門(黒門)江戸時代初期の建立で、全体的に黒色を施していることから「黒門」とも呼ばれる「わけいりて佛の恵み松の峯嵐も法の聲かとぞきく」境内案内図受付を終え本堂までの「長~い」参道を歩く他の湖東三山(西明寺、百済寺)は複数回訪れているが、金剛輪寺は二度目となる西谷堂江戸時代の建立本尊:阿弥陀如来像赤門白門明寿院(本坊)の入口になる黒門から緩やかな上り坂が続いてきたが、...松峯山金剛輪寺(滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺874)

  • 伊富貴山 観音護国寺<通称:大原観音寺>(滋賀県米原市朝日1342)

    訪問日令和4年5月21日伊富貴山観音護国寺<通称:大原観音寺>最初に訪れたのは、外国人による仏像窃盗事件が関西を中心に発生していた頃である県外の車両と言うことで巡回中の警察官に職質を受けた場所がこの惣門横趣味が歴史という警察官で、戦国時代にこの地域で起こった出来事について語ってくれた惣門(重要文化財)制作年は不明だが、長浜城の裏門を移築したと伝えられている観音寺由緒参道を歩く若い女性が参道沿いで歓迎してくれる(笑)ちょっとした心遣いだが嬉しい階段の奥に本堂が見えてくる本堂(重要文化財)伊吹山にあった観音護国寺が、正元年中(1259~60年)に現在地に移転大原荘の地頭・大原氏の保護を受けながら、弘安年間(1278~88年)までに寺観を整えた現在の本堂は、正徳5年(1715年)に再建された桁行5間・梁間5間・...伊富貴山観音護国寺<通称:大原観音寺>(滋賀県米原市朝日1342)

  • 浅井歴史民俗資料館・五先賢の館(滋賀県長浜市)

    訪問日令和4年5月21日旅先で雨の日は屋内施設である博物館や美術館などを訪れるようにしている道の駅にある「お市の方と浅井三姉妹」の像浅井歴史民俗資料館(滋賀県長浜市大依町528)浅井三姉妹には興味を持っていたこともあり、地元で知識を得ようと資料館を訪れた資料館の門になる入口には「郷土学習館」とある1階は「浅井家三代の間」2階は「市と浅井三姉妹の間」になっている館内は(理由はわからないが)撮影禁止興味はあるが、一度読んだだけでは理解できない(残念)五先賢の館(滋賀県長浜市北野町1386)「担当者の人がとても親切で丁寧に説明してくれる」というネットの口コミで訪れた場所であるその担当者と思われる人が対応してくれたが、地元愛を感じる人で訪れて良かったと思った遠州流庭園編み笠門小雨の中、最初に庭園に案内された各所に...浅井歴史民俗資料館・五先賢の館(滋賀県長浜市)

  • 氣比神宮(福井県敦賀市曙町11-68)

    訪問日令和4年5月20日越前国一宮氣比神宮仲哀天皇(第14代)・神功皇后・応神天皇(第15代)との関連が深く、古代史において重要な役割を担う社殿はほとんどは第二次世界大戦中の空襲で焼失したため、現在の主要社殿は戦後の再建になる大鳥居(重要文化財)寛永年間旧神領地佐渡国鳥居ケ原から伐採奉納した榁樹(むろのき)で、正保2年(1645年)に建立した高さ36尺(10.9m)柱間24尺、木造両部型本朱漆空襲を免れた大鳥居は「日本三大鳥居」にも数えられる扁額は有栖川宮威仁親王の御染筆狛犬中鳥居外拝殿拝殿内部本殿祭神:伊奢沙別命(いざさわけのみこと)-主祭神仲哀天皇-第14代天皇神功皇后-仲哀天皇の皇后九社の宮境内の西方に位置し、本殿を向い九社の神社が鎮座する絵馬奉納所芭蕉像「月清し遊行のもてる砂の上」神門(門扉)撮影...氣比神宮(福井県敦賀市曙町11-68)

  • 大原山 西福寺 (福井県敦賀市原13-7)

    訪問日令和4年5月20日大原山西福寺浄土宗鎮西派の寺院応安元年(1368年)、後光厳天皇の勅願により、良如を開山として創建された総門<大門>(敦賀市指定文化財)寛永年間(1661~1673年)、立石の信徒が寄進したもので、1本の木で建てたと寺誌に記載されている境内に入ると十数人の方々が雑草などの処理をしていた(感謝)三門2・3年前にも訪れた事があるが、「平成大修理」あまり進んでいないように感じる大玄関(敦賀市指定文化財)文政4年(1820年)の再建名勝書院庭園江戸時代中期作庭、面積1400坪、築山林泉式庭園自然の山と泉、石灯篭等の配置にすぐれた書院庭園で、極楽浄土を地上に表現した庭といわれている四修廊下(重要文化財)御影堂から阿弥陀堂へ渡る回廊で、念仏行者が極楽浄土へ往生する姿を再現している廊下の奥に阿弥...大原山西福寺(福井県敦賀市原13-7)

  • 常宮神社(福井県敦賀市常宮13-16)

    訪問日令和4年5月20日常宮神社(じょうぐうじんじゃ)古くは氣比神宮(越前国一宮)の奥宮・摂社で「常宮(つねのみや)」「常宮御前」「常宮大権現」とも称された国宝の「朝鮮鐘」は統一新羅時代の作(文禄の役で朝鮮から持ち帰ったもの)鳥居(参道入口)額には「常宮神社」参道狩衣姿で、右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える七福神の「えびす」様が迎えてくれる鳥居(境内入口)額には「常の宮」手水舎中門(福井県指定文化財)江戸時代の建立、銅板葺、向唐破風の屋根、正面1間、側面2間の四脚門中門の奥に拝所が見える拝所(福井県指定文化財)江戸時代の建立、銅板葺、向唐破風の屋根もとは氣比神宮の中門で寛永14年(1637年)小浜藩主酒井忠勝によって寄進された昭和18年(1943年)に現在地に移築され拝所となった額には「常宮大権現」この...常宮神社(福井県敦賀市常宮13-16)

  • 金崎宮(福井県敦賀市金ヶ崎町1-4)

    訪問日令和4年5月20日金崎宮(かねがさきぐう)明治23年(1890年)の創建祭神:恒良親王・尊良親王史跡金ヶ崎城跡治承・寿永の乱(源平合戦)の時、平通盛が木曾義仲との戦いのためにここに城を築いたのが最初と伝えられる南北朝時代の延元元年(1336年)から翌2年(1337年)3月にかけて、金ヶ崎城に籠城する新田義貞率いる建武政権残党軍(のち南朝方)の軍勢とそれを攻撃する斯波高経率いる室町幕府・北朝方の軍勢との間で行われた戦い尊良親王、新田義顕(義貞嫡男)、城兵300名は城に火を放ち自害、恒良親王は捕縛され、3月6日、落城する恒良親王は、氣比氏治が子息斎晴によって脱出したが、後に捕らえられて京都に幽閉され、延元3年4月毒薬を盛られて亡くなった。御年15歳であった鳥居額には「金崎宮」「金崎宮縁起」当地敦賀の人々...金崎宮(福井県敦賀市金ヶ崎町1-4)

  • 誓法山 金前寺(福井県敦賀市金ケ崎町1-4)

    訪問日令和4年5月20日誓法山金前寺(こんぜんじ)高野山真言宗の寺院本尊:十一面観世音菩薩(袴掛観音)「金崎宮」を訪れたのだが本堂の近い場所に「社号柱」があり間違ってしまった途中で変だと思い気づいたのだが撮った写真は残していた「金前寺寺歴」では歴史上の人物が次々と登場してくる天平8年(736年)聖武天皇の勅願により泰澄が開山弘仁2年(811年)弘法大師空海が訪れる延元2年(1337年)金ヶ崎の戦いで金ヶ崎城が落城……扁額には山号の「誓法山」実はこの寺号札を見るまで「金前寺」とは知らずにいた動揺し「金崎宮」は何処だと周囲を探したことを思い出す本堂金ヶ崎の戦い、織田信長による越前攻め、太平洋戦争敦賀空襲で三度も焼失現在の本堂は平成元年(1989年)の建立平成27年(2015年)『今昔物語集』にも由来が記されて...誓法山金前寺(福井県敦賀市金ケ崎町1-4)

  • 劔神社(福井県丹生郡越前町織田113-1)

    訪問日令和4年5月19日劔神社(別名:織田明神)越前二の宮劔神社(つるぎじんじゃ)織田信長の先祖が当社の神官であったことから氏神と崇めた社北入口側鳥居越前町織田文化歴史館大駐車場に車を駐め北入口から入る鳥居天満宮天満宮といえば神牛菅原道真は乙丑(きのとうし)生まれ、牛と梅を愛したという神牛の頭部を撫でると智恵が付くという庚申宮(こうしんぐう)劔大明神馬場庚申宮は織田七庚申の一つ文武天皇の御代に疫病が流行、護摩祈祷をしたところ青面金剛が現れ疫病を鎮めると約束その年が庚申の年、庚申の月庚申の日だった三猿参道狛犬旧神前院護摩堂(越前町指定文化財)この堂宇は、劔神社の神宮寺である織田寺の護摩堂として延宝3年(1675年)に建立された真言密教の修法により護摩祈祷が行われ、煙のために黒く煤けて当時の面影を残している手...劔神社(福井県丹生郡越前町織田113-1)

  • 大瀧神社・岡太神社(福井県越前市大滝町23-10)

    訪問日令和4年5月19日大瀧神社・岡太神社全国で唯一“紙の神様”をおまつりする神社大徳山という霊山の山上にある「奥の院(上宮)」と、山のふもとにある「下宮」から成り立っている大瀧神社は「大瀧兒権現」という神仏習合の霊場で、白山信仰の本山である平泉寺の末寺として隆盛その別当「大瀧寺」の境内に、「岡太神社」という紙の神様がまつられていたらしい狛犬神門と社殿寺社巡りを中心に旅を楽しんでいるが、この社殿に最も魅力を感じている本殿・拝殿(重要文化財)江戸時代後期の天保14年(1843年)に再建された下宮の社殿入母屋造りに千鳥破風に唐破風、そしてまた入母屋に唐破風が重なっていく屋根は、全国でも類を見ない手掛けたのは曹洞宗本山永平寺の勅使門(重要文化財)を手掛けた名棟梁、大久保勘左衛門彼は、美しさと複雑さを併せもつ唯一...大瀧神社・岡太神社(福井県越前市大滝町23-10)

  • 萬松山 大安禅寺(福井県福井市田ノ谷町21–4)

    訪問日令和4年5月19日萬松山大安禅寺臨済宗妙心寺派の寺院福井藩第4代藩主松平光通が大愚宗築を開山として、越前松平家の永代菩提所として万治元年(1658年)に創建したほぼ全ての建造物が第二次世界大戦や福井地震の影響を受けることなく創建当時のまま残存している大安禅寺令和の大修理重要文化財に指定されている本堂・庫裏・開山堂・開基堂・鐘楼の保存修理工事中であったヘルメットを被って工事中の本堂を見学するかつて姫路城近くを車で通った時に工事中でがっかりして諦めたことがあった道の駅で、その姫路城から来たというプロのカメラマンと話す機会があり、その事を話したこの先、生きている間にこのような光景は二度と見ることはできないと言われ、彼が撮った写真を見せてもらったその事が頭にあり、修復工事中の弘前城の写真を撮りにいったことも...萬松山大安禅寺(福井県福井市田ノ谷町21–4)

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