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  • 2025年春 放浪の旅(10日目)

    訪問日令和7年5月23日(金)道の駅「きなんせ岩美」(鳥取県岩美郡岩美町新井337-4)前日は真夏日、この日は日中も18℃と寒暖の差に驚いている今日は旅の目的地の一つである「砂の美術館」へ22鳥取砂丘砂の美術館(鳥取県鳥取市福部町湯山2083-1)今日も一番乗りで駐車場に到着、急ぎ足で会場へ鳥取県では一番の人気スポットなので、誰も居ない時にこの写真を撮るために毎年急いでいる今年のテーマは「日本」神話から現代までの歴史の流れを、砂像彫刻家が腕を振るう詳細は後日発信する23渡辺美術館(鳥取県鳥取市覚寺55)鳥取市の医師、渡辺元が、昭和初期から60年余年に亘り収集した古美術品約3万点を収蔵する国内に類を見ない美術館2日連続雨予報でもあるので、その時に一部を発信したい24鳥取県立博物館(鳥取県鳥取市東町二丁目12...2025年春放浪の旅(10日目)

  • 2025年春 放浪の旅(9日目)

    訪問日令和7年5月22日(木)道の駅「シーサイド高浜」(福井県大飯郡高浜町下車持46-10)真夏日の影響か、夜も耐えられない暑さであったこの道の駅は毎年お世話になっているが、休業日だったことは今回が初めてだこの日は雨予報で、移動日にしようと考えていた19佐伎治神社(福井県大飯郡高浜町宮崎字宮内)道の駅に近いということで訪れたのが初めてもちろん、千年の歴史を持つことも知らなかった偶然、宮司と話す機会に恵まれ、神社の奥深さに興味をもった最近、寺よりも神社を巡る回数が増えてきている拝殿祭神:素戔嗚尊、稻田姫命、大己貴命この神社は狛犬の多さでも有名のようだ20大成寺(福井県大飯郡高浜町日置31-3)ここは「口コミ」を読んで、初めて訪れた「住職がやさしく、とても親切」だという写真を撮り、車に戻った時、車のドアをノッ...2025年春放浪の旅(9日目)

  • 2025年春 放浪の旅(8日目)

    訪問日令和7年5月21日(水)道の駅「びわ湖大橋米プラザ」(滋賀県大津市今堅田3丁目1-1)以前はよく利用させてもらっていたが、久し振りに立ち寄ることにした驚いたのは車中泊利用者が少なくなっていたことだ後になって、その理由がわかってきた(不便になっている)隣に駐車してきた男性に挨拶し、何気なく車内を見てみると物で埋め尽くされている話を聞くと10年間車上生活をしているとのこと競艇に嵌まってこのようになってしまったと楽しそうに話してくれた池波正太郎のファンで多くの小説を読んできたが、旅に出かける前に「真田太平記」を読み始めていた残りをブックオフで購入し、昨夜全巻を読み終えた数年後、生きていれば再読すると思うほど面白い17満月寺浮御堂(滋賀県大津市本堅田1丁目16-18)浮御堂にも思い出がある(10年前になる)...2025年春放浪の旅(8日目)

  • 2025年春 放浪の旅(7日目)

    訪問日令和7年5月20日(月)道の駅「なら歴史芸術文化村」(奈良県天理市杣之内町437)居心地の良い道の駅で連泊してしまった大阪の友人からの情報で、道の駅内に「文化財修復施設」があるということを知り現場を見てみたいと思っていた修復現場の地下1階は撮影禁止50cmの仏像(奈良県指定文化財)を2年かけて修復する経過を文字と映像で説明文化財の修復というと年配者を想像するが、若い世代が行っているのには驚いた15酬恩庵一休寺(京都府京田辺市薪里ノ内102)一休和尚が晩年に隠棲した臨済宗大徳寺派の禅寺一休さん縁の寺ということもあり、一度訪れて見たいと思っていた庫裏(重要文化財)「一休禅師使用の輿」襖絵は「狩野探幽」作本堂(重要文化財)一休禅師像鐘楼(重要文化財)16建部大社(滋賀県大津市神領1丁目16-1)こちらも気...2025年春放浪の旅(7日目)

  • 2025年春 放浪の旅(6日目)

    訪問日令和7年5月19日(月)道の駅「なら歴史芸術文化村」(奈良県天理市杣之内町437)最新の道の駅で施設も立派だ今朝、大阪の友人から「文化財修復施設」が併設されているとの情報を得た残念ながら、月曜日が休業日になっていた昨夕、道の駅に到着したときに黒い車の運転手に頭を下げられたその時は気づかなかったが、私の乗っている車の最高級仕様車である噂には聞いていたが、目にしたのは初めてであるおそらく私の車の2倍の価格になっているはずだ目の保養をさせてもらった13長岳寺(奈良県天理市柳本町508)以前から気になっていた寺院で、道の駅からも近く、訪れる機会に恵まれた旧地蔵院(重要文化財)旧地蔵院本堂(重要文化財)楼門(重要文化財)本堂堂内に安置されている、阿弥陀三尊や多聞天・増長天は重要文化財拝堂大石棺佛弘法大師像鐘堂...2025年春放浪の旅(6日目)

  • 2025年春 放浪の旅(5日目)

    訪問日令和7年5月18日(日)道の駅「宇陀路大宇陀」(奈良県宇陀市大宇陀拾生714−1)静かな道の駅で、昨夜も朝まで熟睡した無理のない旅をしているが、年齢のせいか疲れもある足湯のある道の駅だが、利用している人はいなかった11大神神社(奈良県桜井市三輪1422)数年前に、大阪に住む友人から勧められた神社であるが、本人は覚えていなかったようであるその時は、この神社が「酒の神様」とは知らなかった最近、日本酒を購入するようになり、もう一度訪れてみたいと思うようになった手水舎も日本酒の樽から蛇の口を通し水が出てくるようなしくみになっている拝殿(重要文化財)日曜日ということもあり、参拝者は多い(写真に入らないようにしている)椅子に座り休憩しながら参拝者の様子を見ていたが、日本人と神社との結びつきの強さを感じる「巳の神...2025年春放浪の旅(5日目)

  • 2025年春 放浪の旅(4日目)

    訪問日令和7年5月17日(土)道の駅「伊勢志摩」(三重県志摩市磯部町穴川511-5)以前、この道の駅で購入した「鰹のだしの素」が好評だったと話すと、今回、おまけに10袋入れてくれたその時も豪雨であったが、この日の朝も雨の音で目が覚めた道の駅の横には場外馬券場があり、最悪の場合はここで過ごすのもいいかなと考えていた室生寺方面の天気予報を確認すると午後から曇りになるということで目指すことにした09大野寺磨崖仏(奈良県宇陀市室生大野)100km程走ったが途中はほとんど雨で、室生寺入り口の大野寺に立ち寄ることにした雨も降っていたので駐車場横にある東屋に行くと、そこに居た老女に挨拶をされた地元の方で毎日散歩をして最後はここで休憩し自宅に戻るのが日課だという磨崖仏を観に来たというと、昔は顔もはっきりしていたが、今は「...2025年春放浪の旅(4日目)

  • 2025年春 放浪の旅(3日目)

    訪問日令和7年5月16日(金)2025年春放浪の旅(3日目)道の駅「津かわげ」(三重県津市河芸町三行2555−4)道の駅周辺の交通量が多く、その音が耳に入ってきて寝付きが悪かった朝も駐車場の大型車のエンジン音で目が覚め、起きることにした(午前4時)05伊勢神宮内宮(三重県伊勢市宇治館町1)5時半に道の駅を出発、ネットの情報では9時頃には駐車場が満車状態のようで、早めの行動となった7時前に駐車場に到着、鳥居とおかげ横丁に一番近い駐車場を確保できた鳥居いつもは参拝者で賑わっている鳥居も早い時間だとこのような感じだ御手洗場正宮への道正宮朝の参拝は初めてだが心が清められる感じがするおかげ横丁へ続く道参拝時間と同じ朝の5時から開店している「赤福本店」好物の赤福だが、2個入りにした06伊勢神宮外宮(三重県伊勢市豊川町...2025年春放浪の旅(3日目)

  • 2025年春 放浪の旅(2日目)

    訪問日令和7年5月15日(木)2025年春放浪の旅(2日目)道の駅「菰野」(三重県三重郡菰野町菰野2256)昨日は夏日だったようで、寒い北海道から気温の急上昇に老体がついていかない道の駅の店員の方がゴールデンウィークに北海道に行き旭川で雪が降って驚いたと話してくれた車中泊初日は何か寝付けないものだが、疲れていたのか熟睡して快適な朝を迎えた03椿大神社(三重県鈴鹿市山本町1871)伊勢の国の「一の宮」である三重県では人気の神社のようで参拝者の姿も多い拝殿二千年の歴史を持つ日本最古の神社全国でお祀りする猿田彦大神の総本宮として信仰されている本殿「かなえ滝」から社殿を観ることができた別宮椿岸神社祭神は、猿田彦大神の妻神である天之鈿女命(あまのうずめのみこと)「夫婦円満の神」ということもあり、「夫婦輪石」が置かれ...2025年春放浪の旅(2日目)

  • 2025年春 放浪の旅(1日目)

    訪問日令和7年5月14日(水)2025年春放浪の旅(1日目)今年度の放浪の旅も順調に始まったかのように思えたが、出発日を間違えてしまい、途中で引き返してきた大事な忘れ物も何点かあり、間違えたことが良い方向に動いた感じがする12日月曜日の19時苫小牧港を出港仙台港を経由して名古屋港行の太平洋フェリー「きそ」に乗船今回は、仙台港に一時上陸して買い物をしてみたフェリー内ではコンサートなどが開催される船は定刻に着岸、旅の始まりとなる01津島神社(愛知県津島市神明町1)創建が欽明天皇元年(西暦540年)という古社楼門(重要文化財)天正19年(1591年)豊臣秀吉が寄進南門の手水鉢の花南門(愛知県指定文化財)慶長3年(1598年)豊臣秀吉の病気平癒を祈願して秀頼より寄進されたもの拝殿(愛知県指定文化財)本殿(重要文化...2025年春放浪の旅(1日目)

  • 2025年春 放浪の旅(1日目)

    訪問日令和7年5月14日(水)2025年春放浪の旅(1日目)今年度の放浪の旅も順調に始まったかのように思えたが、出発日を間違えてしまい、途中で引き返してきた大事な忘れ物も何点かあり、間違えたことが良い方向に動いた感じがする12日月曜日の19時苫小牧港を出港仙台港を経由して名古屋港行の太平洋フェリー「きそ」に乗船今回は、仙台港に一時上陸して買い物をしてみたフェリー内ではコンサートなどが開催される船は定刻に着岸、旅の始まりとなる01津島神社(愛知県津島市神明町1)創建が欽明天皇元年(西暦540年)という古社楼門(重要文化財)天正19年(1591年)豊臣秀吉が寄進南門の手水鉢の花南門(愛知県指定文化財)慶長3年(1598年)豊臣秀吉の病気平癒を祈願して秀頼より寄進されたもの拝殿(愛知県指定文化財)本殿(重要文化...2025年春放浪の旅(1日目)

  • シリーズ仁王像(中部地方)4

    シリーズ仁王像(中部地方)4山梨県(大善寺、景徳院)長野県(北向観音、中禅寺、釈尊寺)岐阜県(華厳寺、圓鏡寺、国分寺、日龍峰寺、大矢田神社、来振寺)静岡県(修禅寺<新規>)愛知県(龍泉寺、甚目寺、妙厳寺<通称:豊川稲荷>、日泰寺、財賀寺)19山梨県19-01柏尾山大善寺(山梨県甲州市勝沼町勝沼)19-02天童山景徳院(山梨県甲州市大和町田野)20長野県20-01北向山北向観音(長野県上田市別所温泉)20-02独鈷山中禅寺(長野県上田市前山)木造金剛力士立像(長野県宝)12世紀末頃の制作と考えられている20-03布引山釈尊寺<布引観音>(長野県小諸市大久保)20-04洞源山貞祥寺(長野県佐久市前山)茅葺の山門には増長天と持国天の仁王を左右に配している21岐阜県21-01谷汲山華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲...シリーズ仁王像(中部地方)4

  • シリーズ仁王像 1(北海道・東北)

    シリーズ仁王像1(北海道・東北)02青森県(最勝院、法光寺、菩提寺)03岩手県(高館義経堂、常堅寺、福泉寺)04宮城県(華足寺、箟峯寺、輪王寺<新規>)05秋田県(真山神社、天徳寺)06山形県(慈恩寺、堂森善光寺、笹野観音堂)07福島県(勝常寺、青龍寺、堂山王子神社、圓藏禪寺<新規>)02青森県02-01金剛山光明寺最勝院(青森県弘前市大字銅屋町)02-02白華山法光寺(青森県三戸郡南部町)02-03恐山菩提寺(青森県むつ市田名部字宇曽利山3-2)03岩手県03-01高館義経堂(岩手県西磐井郡平泉町平泉柳御所)「北方的な趣がある彫像」との説明書きがある03-02蓮峰山常堅寺(岩手県遠野市土淵町)遠野市指定文化財伝慈覚大師(円仁)作の仁王像(総丈3.5m)03-03法門山福泉寺(岩手県遠野市松崎町駒木)04...シリーズ仁王像1(北海道・東北)

  • シリーズ塔<三重塔・五重塔・多宝塔他>2-1(関東地方)

    シリーズ塔<三重塔・五重塔・多宝塔他>2-1(関東地方)茨城県(来迎院、虚空蔵堂、小山寺、薬王院<追加>、楽法寺)栃木県(西明寺、圓通寺、日光東照宮、長泉寺<新規>)08茨城県08-01箱根山宝塔寺来迎院(茨城県龍ケ崎市馴馬町)多宝塔(重要文化財)室町後期の建築物と思われ、関東以北唯一の古塔三間多宝塔で、屋根は杮葺き初層内部は後方寄りに来迎柱を立て、須弥壇を設ける08-02村松山虚空蔵堂(茨城県那珂郡東海村村松)奥之院(多宝塔)50年に一回の開帳記念として、昭和9年(1934)に建立された三重塔再興百年記念事業として享保4年(1716年)建立の塔を平成10年(1998)に再建した塔の高さが21m、大日如来が安置されている08-03施無畏山宝樹院小山寺<富谷観音>(茨城県桜川市富谷)三重塔(重要文化財)寛正...シリーズ塔<三重塔・五重塔・多宝塔他>2-1(関東地方)

  • シリーズ仁王像 2-1(関東地方)

    シリーズ仁王像2-1(関東地方)茨城県(来迎院、西蓮寺、仏性寺、虚空蔵堂、佐竹寺、小山寺、龍禅寺)栃木県(西明寺、輪王寺、日光東照宮、高宗寺、鑁阿寺<新規>)08茨城県08-01箱根山宝塔寺来迎院(茨城県龍ケ崎市馴馬町)08-02尸羅度山西蓮寺(茨城県行方市西蓮寺)08-03涌石山日院仏性寺(茨城県水戸市栗崎町)石造金剛力士立像(水戸市市指定文化財)08-04村松山虚空蔵堂(茨城県那珂郡東海村村松)仁王尊像には「正和4年(1315)謹刻」「文禄3年(1594)塗りかへ」との記載08-05妙福山明音院佐竹寺(茨城県常陸太田市天神林町)08-06施無畏山宝樹院小山寺<富谷観音>(茨城県桜川市富谷)08-07米井山無量寿院龍禅寺(茨城県取手市米ノ井)09栃木県09-01独鈷山善門院西明寺(栃木県芳賀郡益子町益子...シリーズ仁王像2-1(関東地方)

  • シリーズ塔(関東地方)2-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(関東地方)2-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>群馬県(水澤観世音<新規>)千葉県(新勝寺、福聚院)東京都(浅草寺、本門寺、寛永寺)神奈川県(川崎大師)10群馬県10-01五徳山水澤観世音(群馬県渋川市伊香保町水沢214)<新規>六角二重塔(群馬県指定文化財)元禄年間に建立され銅板瓦棒葺の造りで、我が国における地蔵尊信仰の代表的建築物宝暦5年(1775年)~天明7年(1787年)の間の建造六地蔵と大日如来が安置されている11千葉県11-01成田山新勝寺(千葉県成田市成田)三重塔(重要文化財)<平和の大塔>1984(昭和59)年に建立された平和の大塔は、真言密教の教えを象徴する総高は58mの塔根来寺の大塔の大きさに驚いたことがあったが、さらに20mも高い11-02天応山観音教寺福聚院<芝山仁王尊>(...シリーズ塔(関東地方)2-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ仁王像(関東地方)2-2

    シリーズ仁王像(関東地方)2-2群馬県(妙義神社<追加>、水澤観世音<新規>)千葉県(新勝寺、龍正院)東京都(浅草寺、本門寺)神奈川県(清浄泉寺、總持寺、川崎大師)10群馬県10-01妙義神社(群馬県富岡市妙義町妙義)境内は上部の神域と下部の旧寺域に分かれている総門は、旧白雲山石塔寺の仁王門五徳山水澤観世音(群馬県渋川市伊香保町水沢214)<新規>もともとの仁王像は「釈迦堂」に移設したため、あらたに造像したもの風神雷神像11千葉県11-01成田山新勝寺(千葉県成田市成田)「密迹金剛(みっしゃくこんごう)」「那羅延金剛(ならえんこんごう)」裏には広目天と多聞天の二尊「広目天」「多聞天」11-02滑河山龍正院<滑河観音>(千葉県成田市滑川)13東京都13-01金龍山浅草寺(東京都台東区浅草)<二天門>増長天・...シリーズ仁王像(関東地方)2-2

  • 金剛寳山 輪王寺(宮城県仙台市青葉区北山一丁目14-1)

    訪問日令和6年10月8日金剛寳山輪王寺この秋の旅行、最後の訪問地が輪王寺となった日光の輪王寺のイメージを持っていたが違っていた山門<仁王門>(仙台市指定文化財)本堂に近い駐車場に車を駐めていたため、この山門の存在を知ったのは帰り際であった明治9年(1876年)北山に発した野火のため、仁王門を残し七堂伽藍が全焼した山門の額には「海東禅窟」(東海の国すなわち日本の禅道場の意味)「この額が残っている以上、輪王寺は必ず再興できる」と決意を固め、輪王寺の復興が始まったという仁王像この像は、356年前に制作され、過去2回修復されている老朽化、虫食いなどが進行し、平成21年に修理が完了し、無事山門に納められた胎内の墨跡から、輪王寺開祖像(太菴梵守和尚)を彫った仏師である「雲海、霊夢」と推測されている格子に金網という障害...金剛寳山輪王寺(宮城県仙台市青葉区北山一丁目14-1)

  • 青葉神社(宮城県仙台市青葉区青葉町7番1号)

    訪問日令和6年10月7日青葉神社前日からの雨が、この先3日も続くとの予報もあり、この秋の旅を終わりにして仙台港から帰ることにした前回、仙台を訪れた時も雨で仙台東照宮と大崎八幡宮のみの参拝で終えたこの日、訪れた青葉神社も候補地の一つに入れていた狛犬石灯籠だと思うがあまり見ない形をしている手水舎伊達政宗と手水鉢は美しい花で飾られている旧愛姫社鞘堂(国登録有形文化財)境内社として、政宗の正室・愛姫(めごひめ)を祀る「愛姫神社」があったが、現在は本殿に合祀されている拝殿創建が明治7年(1874年)とは驚いた江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつのようだ神社周辺の北山地区には伊達家に関連する禅寺が集まっており、この地域は「北山五山」とも呼ばれている京都五山や鎌倉五山に倣ったもので、資福寺、覚...青葉神社(宮城県仙台市青葉区青葉町7番1号)

  • 春日山 林泉寺(山形県米沢市林泉寺1-2-3)

    訪問日令和6年10月7日春日山林泉寺曹洞宗の寺院米沢藩「上杉家」の菩提寺であり、また同藩士「直江兼続」の菩提寺でもある元は、上杉家の本拠地があった春日山城(新潟県上越市)の山麓に建立された林泉寺上杉家の転封にともない謙信の遺骸、上杉家関係の文書、重宝の大半が米沢に移された林泉寺もこれに従って移転したとされる本堂内では上杉家についての説明と同時に質問もされるので油断できない以前訪れた時には謙信の幼名からの名前を質問され恥をかいた記憶がある今回は「仙洞院」について質問され困っていたところ、他の参拝者に助けられた堂内は撮影禁止、レンズを通すとなぜか脳にも記憶されるが、すでに何があったのかも思い出せない直江兼続、お船の方夫妻直江兼続の名を知ったのは、「花の慶次」というパチンコ台でこの時代の名だたる戦国武将が登場す...春日山林泉寺(山形県米沢市林泉寺1-2-3)

  • 上杉神社(山形県米沢市丸の内1丁目4-13)

    訪問日令和6年10月7日上杉神社ここを訪れる数日前に、武田信玄を祀る神社に参拝した信玄の好敵手である上杉謙信を祀っている神社を訪れなければ片参りとなる上杉謙信公之像享禄3年(1530年)1月21日、越後守護代・長尾為景の四男(次男、三男説もあり)として、春日山城に生まれる幼名の虎千代は、庚寅年生まれのために名づけられた初名は「長尾景虎」、上杉憲政の養子となり、「上杉政虎」と改名後に室町幕府の将軍・足利義輝より「輝」の字を受けて、最終的には「藤原輝虎」と名乗った「謙信」は、さらに後に称した法号である天地人「上杉景勝公と直江兼続公主従像」米沢藩の初代藩主上田長尾家出身で、同じ長尾家出身の叔父・上杉謙信の養子となり、名を「上杉景勝」と改めた上杉鷹山公之像出羽国米沢藩9代藩主米沢藩政改革を行った江戸時代の名君とし...上杉神社(山形県米沢市丸の内1丁目4-13)

  • 靈巖山 圓藏禪寺(福島県河沼郡柳津町柳津字寺)

    訪問日令和6年10月6日靈巖山圓藏禪寺(別称:柳津虚空蔵、福満虚空蔵)臨済宗妙心寺派の寺院日本三虚空蔵のひとつに数えられる霊宝殿初めて訪れる寺院で、駐車場から歩いた順で写真を掲載していく傷病者慰霊碑国民の義務として従軍し敵弾に傷つき病に倒れたが、障害を克服して生き抜いてきた傷病軍人の碑水子地蔵尊人形塚庫裏箒(ほうき)杉慈母観世音菩薩鐘楼赤べこ発祥の地赤べこ発祥の伝説1611年の大地震で柳津も大被害を受け、虚空藏堂をはじめ僧舎・民家が倒壊し多くの死者が出た本堂再建に使われた大材は、只見川を利用して運ばれたが、ここから巌上に運ぶのに大変困り果てていたところ、どこからともなく力強そうな赤毛の牛の群れが現れた大材運搬に苦労していた黒毛の牛を助け、見事虚空藏堂を建てることができたのだ大撫牛赤毛の牛の群れはなぜか虚空...靈巖山圓藏禪寺(福島県河沼郡柳津町柳津字寺)

  • 会津飯盛山白虎隊士墳墓域(福島県会津若松市一箕町)

    訪問日令和6年10月6日会津飯盛山白虎隊士墳墓域(国の登録記念物)会津若松市には何度か訪れたことはあるが、有名なこの場所には何故か足が向かなかった白虎隊士飯沼貞吉この地で自刃を選んだ白虎隊17名の内、1名は一命を取り留めた名を飯沼貞吉という。彼は死ぬ事ができなかった悔恨の念から二度と会津の地を踏む事はなかったしかし、飯沼貞吉の語りによって、白虎隊の悲劇は後世に伝えられることとなった「会津さざえ堂(重要文化財)」横の階段を上がった所に白虎隊の墓がある白虎隊が敗戦し、鶴ヶ城へ急ぎ向かう道として通ったのが「戸ノ口堰洞穴」会津藩殉難烈婦の碑戊辰戦争(1868年)で自刃または戦死した婦女子230余名の霊を弔うために元白虎隊士で東京帝国大学総長などを務めた山川健次郎らの篤志家によって建てられた白虎隊の墓戊辰戦争(会津...会津飯盛山白虎隊士墳墓域(福島県会津若松市一箕町)

  • 円通三匝堂<会津さざえ堂>(福島県会津若松市一箕町八幡弁天下1404)

    訪問日令和6年10月6日円通三匝堂<通称:会津さざえ堂、さざえ堂>人気YouTuber「あいたの~愛犬と楽しくお出かけ~」の映像で「さざえ堂」の存在を知って訪れた今回の旅では「清津峡渓谷トンネル」も同様に参考にさせてもらったさざえ堂までは階段もあり、少し歩くことになる赤い鳥居が見えてくる初めて訪れる場所なので、目に入るものを撮りながら進んでいく子育地蔵尊戸ノ口堰洞穴猪苗代湖の水を、会津地方に引くため掘られた洞穴戸ノ口原の戦いで破れた白虎隊士ら20名は、鶴ヶ城を目指して、この長さ約150mの洞穴を潜り飯盛山の中腹へと至った飯盛山の中腹に辿り着いた末、彼らは城下の黒煙を目にすることとなる厳島神社かつては宗像神社といい、永徳年間に地元の豪族、石塚、石部、堂家の三家によって建てられた厳島神社の名は明治元年(186...円通三匝堂<会津さざえ堂>(福島県会津若松市一箕町八幡弁天下1404)

  • 白久山 清流院 長泉寺(栃木県那須郡那珂川町白久777)

    訪問日令和6年10月5日この日は朝から激しい雨で、天気予報でも終日続くとのことなので今日は移動日にした走行中に「三重塔」の写真を偶然目にした戻って確認したところ三重塔を有する寺があることが分かった白久山清流院長泉寺延徳3年(1491年)創建の歴史ある曹洞宗寺院で、「花の寺」としても知られているそうだ境内のお花の開花状況などをInstagramで発信されている山門平成18年(2006年)開山500年を記念して建立扁額には山号の「白久山」三重塔(慈光殿)昭和54年(1979年)完成老朽化した観音堂と薬師堂を取り壊し、新たに三重塔を造り「釈迦如来、十一面観音菩薩、薬師如来」を安置した本山永平寺貫首泰慧玉禅師により命名された「慈光殿」の額鐘楼堂から撮る曹洞宗寺院の境内は美しい鐘楼堂(白長楼)昭和56年(1981年...白久山清流院長泉寺(栃木県那須郡那珂川町白久777)

  • 笠間稲荷神社(茨城県笠間市笠間1)

    訪問日令和6年10月4日笠間稲荷神社日本三大稲荷神社の一つで、年間300万人を超える参拝者が訪れるという大鳥居確かに参拝者が多く、鳥居の前に人がいなくなる瞬間を撮るのに10分近く待った三大稲荷と呼ばれている神社をこれまでいくつか訪れている(笑)伏見稲荷、豊川稲荷、祐徳稲荷、千代保稲荷、最上稲荷、草戸稲荷、太鼓谷稲成手水舎楼門「萬世泰平門」と言い、重層入母屋造で昭和36年の竣工随身像拝殿昭和35年10月の竣工拝殿前の賽銭箱の大きさに驚く初詣には80万人以上の参拝者が訪れ、初詣参拝者数で茨城県1位を誇るのも理解できる奉納額おみくじ本殿(重要文化財)本殿が重要文化財ということで訪れたのだが、残念ながら修復中であった狐塚本殿の真後ろにある末社稲荷大神に由縁のある神様が祀られている聖徳殿聖徳太子を祀る藤棚境内の2株...笠間稲荷神社(茨城県笠間市笠間1)

  • 椎尾山 薬王院(茨城県桜川市真壁町椎尾3178)

    訪問日令和6年10月4日椎尾山薬王院桜川市真壁町椎尾にある天台宗の寺院道路脇の駐車スペースに車を駐め仁王門から境内に入る仁王門(桜川市指定文化財)樹木に囲まれた仁王門が見えてくる境内は天然記念物のスダジイ(椎の木)の巨木群生地仁王像は別の場所で拝観料:500円で公開されている手水舎本堂(桜川市指定文化財)寺伝によれば、延暦元年(782年)、法相宗の僧・徳一によって開山延暦2年(783年)、天台宗の開祖・最澄の高弟である最仙上人によって桓武天皇の勅願所として天台宗に改められた<最仙上人が天台宗寺院として開山したとする説もある>建長4年(1252年)忍性が真言律宗にしたが、観応2年(1351年)天台宗に戻ったという天文19年(1550年)の大火で諸堂焼失、寛文6年(1666年)に来山した本孝法印らが約40年の...椎尾山薬王院(茨城県桜川市真壁町椎尾3178)

  • 板倉雷電神社(群馬県邑楽郡板倉町板倉2334)

    訪問日令和6年10月4日板倉雷電神社関東地方に点在する「雷電神社」「雷電社」の総本宮鳥居朝からの雨、その後の降水確率も高かったが、この日の訪問地については調べていた到着時には小雨になり、車内で様子をみていたが傘を片手に車を降りた狛犬雷電神社という名の神社にはこれまで訪れたことはなく「総本宮」ということに気持ちが動いた拝殿(群馬県指定文化財)文政2年(1819年)の建築入母屋造平入り千鳥破風付向拝唐破風付瓦棒銅板葺茨城県水戸市の「別雷皇太神」、つくば市の「金村別雷神社」と並ぶ関東三雷神の1社雷童子「ふっと現れて助けてくれる」という本殿(群馬県指定文化財)二間社流造千鳥破風付瓦棒銅板葺で幣殿とともに天保6年(1835年)の建築創建:推古天皇6年(598年)聖徳太子とされる延暦年間(782年-806年)に坂上田...板倉雷電神社(群馬県邑楽郡板倉町板倉2334)

  • 金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺(栃木県足利市家富町2220)

    訪問日令和6年10月3日足利学校を訪問する途中に「国宝鑁阿寺」の案内矢印があった初めて聞く寺名で「ばんなじ」とも読めなかった近くということもあり立ち寄ることにした征夷大将軍足利尊氏像鑁阿寺に向かう途中にあった「足利尊氏像」恥ずかしい話しだが、この像を観て、足利氏と足利市の関係が結びついた金剛山仁王院法華坊鑁阿寺鑁阿寺はもともとは足利氏の館であり、「足利氏宅跡(鑁阿寺)」として国の史跡に指定されている真言宗大日派の本山楼門<山門・仁王門>(栃木県指定文化財)足利幕府13代将軍足利義輝の再建仁王像仁王像は桃山時代の作太鼓橋(栃木県指定文化財)楼門の正面に見えるのは国宝の本堂弘法大師像御水屋(足利市指定文化財)大銀杏(天然記念物)樹齢約650年、周囲約10m多宝塔(栃木県指定文化財)足利義兼の創建と伝えられるが...金剛山仁王院法華坊鑁阿寺(栃木県足利市家富町2220)

  • 史跡 足利学校(栃木県足利市昌平町2338)

    訪問日令和6年10月3日史跡足利学校日本で最も古い学校として知られ、その遺跡は国の史跡に指定されているこの日の朝までその存在すら知らずにいた道の駅で訪問地を検索していたところ「足利学校」の名がでてきた岡山県の「閑谷学校」の印象が良かったこともあり、興味が湧いた入徳門「入徳」とは「徳に入る」という意味で、道徳心を習得する所、すなわち学校に入るという意味扁額「入徳」は、紀州徳川家第11代藩主徳川斉順(なりゆき)の書参観料:480円を払うと「入学おめでとうございます」と言われた(面白い)休憩所でDVDにより足利学校の概要を把握し移動する休憩所内のジオラマ「恕」の額孔子像道徳心を習得する所だけに、孔子はこの後に何度も出てくる学校門日本で唯一の「学校」の額が掛けられた門寛年8年(1668年)に建てられ、足利学校のシ...史跡足利学校(栃木県足利市昌平町2338)

  • 世良田山 長楽寺(群馬県太田市世良田町3119-7)

    訪問日令和6年10月3日世良田山長楽寺群馬県太田市世良田町にある天台宗の寺院境内は「新田荘遺跡」の一部として国の史跡に指定されている総門額には山号の「世良田山」勅使門(群馬県指定文化財)徳川二代将軍秀忠が日光に建てられた東照社の社殿を長楽寺に移築する際に新しく作り建て替えられたもの勅使または幕府の上使が参向する際、あるいは新住職が入山する時以外は開かれなかったので「あかずの門」とも呼ばれている蓮池と渡月橋「心」の字を型どっていることから、心字池とも呼ばれている池の中央に「渡月橋」擬宝珠の欄干が付く、石造りの太鼓橋三仏堂(群馬県指定文化財)承久3年(1221年)当時の開基徳川義季の建立慶安4年(1651年)三代将軍家光が再造現在の建物は、昭和60年(1984年)に改修されたもの額には「顕密禅」三仏堂の中に安...世良田山長楽寺(群馬県太田市世良田町3119-7)

  • 少林山 達磨寺(群馬県高崎市鼻高町296)

    訪問日令和6年10月3日少林山達磨寺群馬県高崎市にある黄檗宗の寺院本堂が達磨で飾られている写真を見て訪れたのだが「縁起達磨発祥の地」とは知らなかったカーナビに案内されたのは寺務所(瑞雲閣)に近い駐車場「大石段」の下に総門がある鐘楼「招福の鐘」とある指示通り「心静かに2回」撞く達磨大師と思われる鐘楼の真下に大石段があるこの石段の先に見えるのが本堂だるまいし大講堂「無門会坐禅道場」「本尊:達磨大師」とある水屋霊符堂(本堂)達磨寺を訪れる途中、工場内の敷地に沢山の「だるま」が置かれていたのを目にしてきた群馬県指定のふるさと伝統工芸品に指定されていて、全国の張り子だるまの約8割が群馬県で生産されている室町時代末期、鼻高村の高台に行基菩薩が彫ったとされる観音様を祀まつる小さな観音堂があった延宝年間(1673~168...少林山達磨寺(群馬県高崎市鼻高町296)

  • 五徳山 水澤観世音(群馬県渋川市伊香保町水沢214)

    訪問日令和6年10月2日五徳山水澤観世音天台宗の寺院で1300年の歴史をもつ初めて訪れたが駐車場の大きさに驚いた(乗用車400台、バス30台)納札堂鐘楼参道を進むと線香の匂いが漂ってくる大和の鐘は撞くことができる(志納金100円)遠くから見えた霞んだ景色は線香の紫煙だった清昌稲荷お堂の周辺には参拝者が多く、周辺を散策しながら様子をみることに龍王辨財天「此の水は、当水澤観音の霊泉にて、財を成し、病を癒し天寿を全うする事は、龍王辨財天の示す処也」六角二重塔(群馬県指定文化財)元禄年間に建立され銅板瓦棒葺の造りで、我が国における地蔵尊信仰の代表的建築物宝暦5年(1775年)~天明7年(1787年)の間の建造六地蔵と大日如来が安置されている六地蔵を六角輪転の台座に安置「地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人...五徳山水澤観世音(群馬県渋川市伊香保町水沢214)

  • 一之宮貫前神社(群馬県富岡市一ノ宮1535)

    訪問日令和6年10月2日一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)上野国一宮創立は社伝によると、現在の社地に社を定めた安閑天皇の元年(531年)とされている大鳥居今回が2度目の参拝になるが、帰り際に遠くにあるこの鳥居の存在を知った総門(惣門)大鳥居と総門は同じ高さにあるという駐車場から歩いてくると、この場所にでる銅製燈籠(富岡市指定文化財)狛犬くだり参道社殿配置は独特で、本殿が境内入り口よりも低い位置にある正面参道から石段を上がり大鳥居・総門をくぐると、今度は石段を下ってから本殿に参拝することとなるこのような配置の神社は「下り宮」・「下り参りの宮」と呼ばれている末社月読神社楼門への石段の横に鎮座する社殿は寛永12年(1635年)以前の本社の旧拝殿で、牛王堂として使用されていた斎館楼門(重要文化財)江戸幕...一之宮貫前神社(群馬県富岡市一ノ宮1535)

  • 妙義神社(群馬県富岡市妙義町妙義6番地)

    訪問日令和6年10月2日妙義神社妙義山の東麓に鎮座し、妙義山信仰の中心となっている神社今回が2度目の参拝になるが、訪れた2ヶ月後に多くの建造物が重要文化財に追加された境内は上部の神域と下部の旧寺域に分かれている第一鳥居最寄りの道の駅に車を駐め、少し歩くと鳥居が見えてくる本社まで275段の石段がある総門(重要文化財)神仏習合時代、妙義神社には別当として上野寛永寺の末寺である「白雲山高顕院石塔寺」があった現在の妙義神社の総門は、明治の初めに廃寺となった石塔寺の「仁王門」である扁額には院号の「高顕院」仁王像銅鳥居(重要文化財)稲荷神社(右)と和歌三神社波己曾社(重要文化財)現在の社殿は、宝暦年間(1751年-1764年)の大改修によるもの古くは「波己曽(はこそ)神社」といい、『日本三代実録』に記載がある拝殿内部...妙義神社(群馬県富岡市妙義町妙義6番地)

  • 身延山 久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町身延3567)

    訪問日令和6年10月1日身延山妙法華院久遠寺日蓮宗の総本山伽藍は、明治8年(1875年)の大火で焼失し、現在立ち並ぶ堂宇は再建されたものが多い三門(二王門)「空」「無相」「無願」の三解脱をあらわす三門79世日慈上人の筆による「身延山」の扁額仁王像(身延町指定文化財)伝運慶若しくは定朝作で鎌倉期の彫刻菩提梯全287段の石段(菩提=覚り、梯=かけはし)登り切れば涅槃に達するという意味の梯は、南無妙法蓮華経の7字になぞらえ、7区画に分けられている上りきれば満足感を得られると思うが、私は前回と同じように、上にある有料駐車場まで車を走らせたさらに駐車場からも文明の利器を有効に利用した手水舎五重塔現在の五重塔は3代目で平成20年(2008年)竣工初代の塔は元和5年(1619年)加賀前田利家の側室寿福院の建立。文政12...身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町身延3567)

  • 天守君山 願成就院(静岡県伊豆の国市寺家83-1)

    訪問日令和6年9月30日天守君山願成就院(国史跡)高野山真言宗の寺院国宝の仏師運慶の阿弥陀如来坐像など5躯を所有する山門数年前に国宝の仏像を拝観するため、一度訪れたことがある創建は文治5年(1189年)『吾妻鏡』によると、北条政子の父親で鎌倉幕府初代執権であった北条時政が、娘婿の源頼朝の奥州平泉討伐の戦勝祈願のため建立北条時政とその子義時、孫の泰時の代にかけて次々に伽藍は拡大した延徳3年(1491年)に北条早雲による動乱で願成就院はほぼ全焼し僅かに再建された堂宇も後年の豊臣秀吉の「小田原征伐」の際に再び全焼運慶作の7体の仏像は僧侶らの手によって運び出され焼失は免れたが多くの寺宝は灰燼に帰し、願成就院は事実上壊滅した江戸時代に後北条氏の末裔、北条氏貞が再建現在の遺構はほぼその当時のものである現存する茅葺の本...天守君山願成就院(静岡県伊豆の国市寺家83-1)

  • 福地山 修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964番地)

    訪問日令和6年9月30日福地山修禅寺正式名称は「福地山修禅萬安禅寺」で、略して「福地山修禅寺」と呼んでいる数年前、修禅寺を目指して伊豆半島に来たことがあったが、途中強い雨がふり引き返してしまった前日の夕方、温泉に入りに修善寺にきたのだが、道が狭く駐車場を探せなかったりでこの周辺を彷徨っていた筥湯(はこゆ)で入浴し、有料駐車場の場所も確認し翌日に備えた山門大同2年(807年)に空海が創建したと伝えられている奥之院(正覚寺)は、延暦10年(791年)に18歳の空海が修行したところと伝わっている空海は、桂川で年老いた父親の患部に川の水を掛ける親子を見かけた不憫に思い、独鈷(どっこ)で岩を砕いた所、熱湯が湧き出たと伝わっている熱湯が湧き出た場所は、現在でも「独鈷(とっこ)の湯」として修禅寺前の桂川にある仁王像百度...福地山修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964番地)

  • 富士御殿場蒸留所(静岡県御殿場市柴怒田970)

    訪問日令和6年9月28日富士御殿場蒸留所キリングループが所有するジャパニーズウイスキー蒸留所昭和48年(1973年)の操業受付で「蒸溜所ツアー」への参加を申し出ると運良く「1名の空きがある」とのことツアーは有料(500円)で早速申し込んだ私の車のナンバーを見ていたのか、受付の女性が札幌出身だと声を掛けてくれた歓迎されているようでとても嬉しい気持ちになったツアー見学者の待合室展示されていたこのボトルは所有している蒸溜所ツアー開始ツアーは、step1のシアターが終わると、step2の蒸留までの説明に入る最初に結論を言うとこれまで、いくつかの蒸溜所を回ってきたが、映像も担当者の説明も一番分かりやすかったポットスチルや富士御殿場蒸溜所最大の特長である「グレーンウイスキー」製造用の3種類の蒸留器が並ぶ所内を技術者達...富士御殿場蒸留所(静岡県御殿場市柴怒田970)

  • 乾徳山 恵林寺(山梨県甲州市塩山小屋敷2280)

    訪問日令和6年9月29日乾徳山恵林寺臨済宗妙心寺派に属する寺院甲斐武田氏の菩提寺黒門元徳2年(1330年)に、二階堂貞藤(道蘊)が笛吹川上流の所領牧荘を寄進し、五山派の夢窓疎石を招き開山二階堂氏邸を禅院としたのが始まりとされる足利義満により鎌倉禅林十刹に準ずる寺格を与えられた応仁の乱で荒廃するが、甲斐武田氏の菩提寺に定められて復興した永禄7年(1564年)11月に美濃崇福寺から「快川紹喜」が招かれる快川紹喜は恵林寺住職となると、信玄自ら恵林寺を菩提寺と定めた天正4年(1576年)4月、遺言通り三年間の秘喪の後、武田勝頼は快川国師の導師のもと、父信玄の盛大な葬儀を厳修した四脚門<通称・赤門>(重要文化財)織田信長の甲州征伐(1582年)で焼失、その後、徳川家康によって再建(1606年年)された再建時の姿を今...乾徳山恵林寺(山梨県甲州市塩山小屋敷2280)

  • 甲斐善光寺<定額山浄智院善光寺>(山梨県甲府市善光寺3-36-1)

    訪問日令和6年9月28日甲斐善光寺正式名称は、定額山浄智院善光寺浄土宗の寺院各地の善光寺と区別するため「甲斐善光寺」と呼ばれることが多い山門(重要文化財)寺号柱にある「甲州善光寺」とも呼ばれている棟札によれば、明和4年(1767年)の上棟重層の楼門で、桁行16.88m、梁行6.75m、屋根幅22.9m、棟高15m和様と唐様を折衷した本格的な大建造物中央の扁額には山号の「定額山(じょうがくざん)」仁王像立派な仁王像ではあるが撮る側からすると障害物が多くて難しい可能な限り目線が合うように撮っているため、同じアングルになってしまう悩みながら撮っていると3人組の女性から声を掛けられた山門を背景に写真を撮って欲しいとの依頼であった一人旅をしていると会話する機会もなく、数日ぶりに話しをすることができた山門の正面に本堂...甲斐善光寺<定額山浄智院善光寺>(山梨県甲府市善光寺3-36-1)

  • 武田神社(山梨県甲府市古府中町2611)

    訪問日令和6年9月28日甲斐武田神社武田八幡宮の後に訪れたのが「武田神社」今回が2度目の参拝になるが駐車場が少し離れた場所にあるのが難点だ鳥居国史跡躑躅ヶ崎館跡(武田氏館跡)信玄の父信虎が永正16年(1519年)に石和より移した「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡に鎮座」しているこの館には信虎・信玄・勝頼の三代が60年余りにわたって居住した大正4年(1915年)大正天皇の即位記念に武田信玄に従三位が追贈されたのを契機に、大正5年(1916年)に山梨県知事を総裁とする「武田神社奉建会」が設立大正8年(1919年)には社殿が竣工し、信玄の命日にあたる4月12日には初の例祭が行われた右近乃橘・左近乃櫻京都御所の紫宸殿の左右に植えられていた桜と橘に由来する言葉狛犬手水舎拝殿前に参拝者が並んでいたので周辺を散策甲陽...武田神社(山梨県甲府市古府中町2611)

  • 武田八幡宮(山梨県韮崎市神山町北宮地1185)

    訪問日令和6年9月28日武田八幡宮山梨県というと武田信玄の名が頭に浮かぶ社殿が重文に指定されているということで訪れたが1200年の歴史を有するとは知らなかった一石百観音石像(韮崎市指定文化財)宝永6年(1709年)に天下太平・国土安全を願って建立された百観音石像は文字塔が一般的だが、像が彫刻されているものは珍しく貴重だ三ノ鳥居(明神鳥居)と石垣(山梨県指定文化財)石垣の上に立つ石鳥居と正面参道側の石垣と石段、随神門前の石積みは神社の境内の入口にあたる社頭の形態としては珍しい随身門(楼門)天保12年(1841年)に再建されたもの手水舎社務所楼門の先に見えるのが神楽殿神楽殿秋の例大祭では、多数の舞が奉納されている拝殿本殿(重要文化財)弘仁13年(822年)嵯峨天皇の勅命により、武田武大神(日本武尊の御子)を祀...武田八幡宮(山梨県韮崎市神山町北宮地1185)

  • サントリー白州蒸溜所(山梨県北杜市白州町鳥原2913-1)

    訪問日令和6年9月28日サントリー白州蒸溜所前日の夜、道の駅で白州蒸溜所HPを検索してみたところ、ウイスキー博物館・セントラルハウス入場(無料)に1名の空きあったビジターセンター&ショップ予定より早い時間に到着したが、受付をして中に入れてもらえることになったウイスキーブームの前に一度訪れた事があり、それ以来、サントリーでは白州が好きになり購入するようになった以前は、予約なしでも工場見学をすることができたが、現在は状況が変わったリニューアル後では今回が初めてになるこの陸橋も以前にはなかった白州の森緑の木々に囲まれた遊歩道を進むセントラルハウス&ショップ横文字が多くてよく理解できないが中に入ってみるショップにはウイスキーよりもロゴ入りのTシャツやグラスなどが多いスーパーなどで入手できるウイスキーには購入制限は...サントリー白州蒸溜所(山梨県北杜市白州町鳥原2913-1)

  • 大信州酒造(長野県)・七賢 山梨銘醸(山梨県)

    訪問日令和6年9月27・28日松本城を目指していたが、市内の道路は渋滞し雨も落ちてきたので諦めた最近、日本酒にも興味を持ち「酒蔵巡り」も面白いと考えていた大信州酒造(長野県松本市島立2380)ネットで調べていると面白い投稿があったショップに入り誰もいないかと思ったら、急に棚の下から店員が現れると……正式名は「大信州酒造株式会社」日本酒の酒蔵のショップに入るのは初めてということもあり緊張した雨が小降りになるのを待って車を降りたネットの投稿にあったように、ドアを開けても誰もいない棚の下から店員が顔を出し「いらっしゃいませ」とこれもネットの投稿にあったようにとても魅力的な女性だった親切で話しやすく、説明も上手だいつの間にか3本も購入してしまった長野県には魅力的な観光地も多いが、ガソリン代が他県より15~20円も...大信州酒造(長野県)・七賢山梨銘醸(山梨県)

  • 大王わさび農場(長野県安曇野市穂高3640番地)

    訪問日令和6年9月27日大王わさび農場長野県安曇野市にあるわさび農場(山葵の生産・販売)大正6年(1917年)に開場年間約120万人が訪れる安曇野随一の観光スポットここを訪れるのは3度目になるが、一日平均3万人を超える来場者は凄い今回は買い物目的で立ち寄ったため川辺だけで写真は少ない下記は、過去に投稿したもの大王わさび農場(長野県安曇野市穂高)-今、出発の刻(たびだちのとき)大王わさび農場「安曇野ワイナリー」に勤務する複数の女性に勧められた場所であるわさびも美しい風景もそれほど興味はなかったが行ってみることにしたNHK朝ドラ「おひさ...gooblog黒澤明監督の映画『夢』のロケ地収穫は年間通して行われている直射日光に弱い為、4月から9月末まで黒い寒冷紗でわさび田を覆うわさび田に引かれる湧水は一日12万ト...大王わさび農場(長野県安曇野市穂高3640番地)

  • 仁科神明宮(長野県大町市大字社宮本1159)

    訪問日令和6年9月27日仁科神明宮久し振りの再訪となる途中、中央線をはみ出してきた大型車と接触するところだった三本杉(長野県指定天然記念物)周囲5m余、高さ50m余、樹齢推定800年余昭和54年(1979年)3月、突風により「三本杉」の中央の杉の木が倒伏その根元の部分をもとの位置に復元保存手水舎手水鉢二ノ鳥居仁科神明宮の社叢(長野県指定天然記念物)周囲の木の高さに驚く社務所三ノ鳥居神門拝殿拝殿内部には「神明宮」の扁額国宝の社殿(本殿・中門)国宝の社殿を近くで観ることができる平安時代の終わりごろ、伊勢神宮領仁科御厨(伊勢神宮の庄園)を守るために、この地方の支配者である仁科氏により祭られた以来、1000年以上にわたり20年に1度の遷宮(式年造営)が行われてきた本殿(国宝)祭神:天照皇大神屋根檜皮葺、千木高く棟...仁科神明宮(長野県大町市大字社宮本1159)

  • 信濃国分寺(長野県上田市大字国分1049)

    訪問日令和6年9月26日信濃国分寺聖武天皇の詔により天平13年(741年)日本各地に建立された国分寺のうち、信濃国国分寺の後継寺院にあたるこの日は天気にも恵まれ、大法寺と安楽寺の国宝の三重塔を拝観、生島足島神社を参拝し、ここが4カ所目となる重要文化財の三重塔の拝観が主な目的になる観音堂江戸初期の百体観音像を安置するというが、拝観することはできない真田・徳川会見之地慶長5年(1600年)真田昌幸が徳川秀忠と国分寺境内で会見し、和平を結んだと見せて油断させ、徳川軍をやぶるこのため秀忠は関ケ原の合戦に間に合わなくなった現在、池波正太郎著「真田太平記」を読んでいる途中だが、まだ、この場面には至っていない地蔵堂郷土の名彫物師藤川仏師による地蔵尊と閻魔十王を安置する三重塔(重要文化財)三重塔は高さ20.1m源頼朝の発...信濃国分寺(長野県上田市大字国分1049)

  • 生島足島神社(長野県上田市下之郷中池西701)

    訪問日令和9年5月26日生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)2度目の訪問になる「日本中央」とは、日本の中心に鎮座する神社からきている東鳥居境内には二つの鳥居がある夏至の日には東鳥居の真ん中から太陽が昇り、冬至の日には西鳥居の真ん中に太陽が沈むように造られている鳥居の額には社号の「生島足島神社」手水舎神池池心宮園地の神島内に社殿がある参橋を渡る小安社良縁子宝、安産子育、夫婦円満の神御本社(上社)ここを訪れて数ヶ月後にあるYouTubeを視聴した「縄文時代から存在する謎多き9つの神社」の1つに生島足島神社の名があった創建が不詳というのは、日本という国ができる前から存在していたということらしい主祭神:生島大神(いくしまのおおかみ)、足島大神(たるしまのおおかみ)本殿内殿には床板がなく、土間が御神体になってい...生島足島神社(長野県上田市下之郷中池西701)

  • 崇福山 安楽寺(長野県上田市別所温泉2361)

    訪問日令和6年9月26日崇福山安楽寺曹洞宗の寺院開山は樵谷惟仙(しょうこくいせん)*伝承では天平年間(729-749年)「行基」の建立、平安時代の天長年間(824-834年)の創立いうが、鎌倉時代以前の歴史は判然としない境内図山門禅寺の境内は常に整備されていて気持ちがいい鐘楼本堂扁額には寺号の「安楽禅寺」堂内の様子本尊:釈迦如来扁額の文字「護聖(ごしょう)」は大切なものを守るという意味庫裡ここから有料となる拝観料:300円経堂(上田市指定文化財)寛政6年(1794年)宇治の黄檗山萬福寺から購入した鉄眼の一切経を保管するために建てられた「傅大師」によって考案されたといわれる廻転式書棚のような輪蔵輪蔵には古来から必ず傅大師をまつる習慣がある八角輪蔵(上田市指定文化財)天井画も美しい空穂(うつぼ)歌碑「老いの眼...崇福山安楽寺(長野県上田市別所温泉2361)

  • 一乗山 大法寺(長野県小県郡青木村当郷2052)

    訪問日令和6年9月26日一乗山大法寺比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の寺院飛鳥時代の大宝年間(701年~704年)に、藤原鎌足の子の定恵によって開山平安初期の大同年間(806年~810年)に、坂上田村麻呂の祈願から天台宗座主・義真により再興が図られた観音堂拝観料:300円観音堂内部特別拝観:700円(予約)予約をしていないため堂内には入ることできない扁額には「開運大悲閣」大悲閣とは、観世音菩薩の像を安置した仏堂(観音堂)を指す慈悲深いという意味もある本尊:十一面観音菩薩及び脇侍普賢菩薩立像2躯(重要文化財)厨子及び須弥壇(重要文化財)観音堂横にある観音像とても美しい姿である大法寺には「国宝の三重塔」があり、ここを訪れた目的でもある三重塔(国宝)坂を上がっていくと、日本一の美しさという「見返りの塔」が見えて...一乗山大法寺(長野県小県郡青木村当郷2052)

  • 淨瑠璃山 醫王院 淨光寺(長野県上高井郡小布施町雁田676)

    訪問日令和6年9月25日淨瑠璃山醫王院淨光寺真言宗豊山派の寺院別名:雁田薬師、妻恋薬師仁王門久し振りになるが、3度目の訪問になる仁王門横の説明機のスイッチを押すと境内に大音量で流れる仁王像雁田薬師には七不思議というものがある「七不思議其の五」に、土中から掘り出された紅白の仁王像もその一つ二人の仏師によって彫られたためで、色も縁起の良い赤と白に塗られている参道の石段「七不思議其の四」に自然石の石段がある一見雑然としているが、下の方から体を低くして見上げると、石段の鼻先が一直線に揃っている石段横に安置されている石仏薬師堂(重要文化財)室町時代の応永15年(1408年)の建立「七不思議其の一」には、この時代に施薬院が置かれ、薬師堂が建立されたことがそもそも不思議だという「国宝薬師堂」と彫られている昔は国宝に指定...淨瑠璃山醫王院淨光寺(長野県上高井郡小布施町雁田676)

  • 清津峡渓谷トンネル(新潟県十日町市小出癸2119-2)

    訪問日令和6年9月25日前日の夕方、故障したポータブルバッテリーのメーカーとの連絡がやっとついた指示された対策をやってみたが駄目で修理を依頼することになったこの日の朝、ポタ電に向かって罵声を浴びせ、拳で物理的刺激を与えてみたところ復活した清津峡渓谷トンネル「あいたの~愛犬と楽しくお出かけ~」というYouTubeを視聴し訪れた人気の観光地ということで駐車場の心配もあったが、近くの第1駐車場に駐めることができた駐車場から200m程歩くとトンネルの入口が見えてくる清津峡は、「上信越高原国立公園内」にある、信濃川支流の清津川が形成した峡谷である歩行者用の「清津峡渓谷トンネル」が掘られているが仕掛けが面白い少し歩くと受付所がある料金:大人1,000円小中学生400円トンネルの全長は750m緩やかな上り斜面になってい...清津峡渓谷トンネル(新潟県十日町市小出癸2119-2)

  • 山本五十六記念館・生家( 新潟県長岡市呉服町1丁目4−1)

    訪問日令和6年9月24日山本五十六記念館長岡が生んだ偉人「山本五十六」の生涯の足跡をたどり、その「人となり」を紹介する記念館昭和16年(1941年)の真珠湾攻撃を立案した連合艦隊司令長官、山本五十六の私物を展示している記念館前の「唐楓」入館料:500円駐車場:無料館内の撮影は禁止ということで読解力の無い私には辛い昭和18年(1943年)ブーゲンビル島上空で米軍機に撃墜された機体の一部パプアニューギニア政府の厚意により平成元年(1989年)左翼の里帰りが実現した記念館の受付の女性から「山本五十六の生家」が近くにあることを知らさせる駐車場がないので車をここに置いて行ってくださいと言われた(100m程歩く)山本五十六生誕の地明治17年(1884年)4月旧長岡藩士高野貞吉の六男として玉蔵院町(現長岡市坂之上町)で...山本五十六記念館・生家(新潟県長岡市呉服町1丁目4−1)

  • 金峯神社(新潟県長岡市西蔵王2丁目6-19)

    訪問日令和6年9月24日金峯(きんぷ)神社鳥居鳥居横にある駐車スペースに車を駐める鳥居の前に道路があり、車に注意しながら撮った鳥居から少し歩いた所に社殿があり、その近くに駐車場があった手水舎手水鉢には美しい花が飾られている拝殿へと続く参道では風車が迎えてくれるよく見ると金峯神社と書かれた風鈴もあるこの日は30℃を超える高温で風が吹くと涼やかな音が耳に入ってくる振り返ると三色の風車が規則的に置かれている神馬拝殿和銅2年(709年)元明天皇の勅願により北国鎮護のため大和国吉野山の蔵王権現を分霊して古志郡楡原の地に創建秋葉三尺坊は後に信州戸隠を経て遠州に渡り一大修験勢力を築いたが戦に破れ仁治3年(1242年)現在の又倉村の地に遷座信濃川河川交通の重要地であるこの地に門前町を築き、軍事勢力を持ち蔵王堂城を築き長岡...金峯神社(新潟県長岡市西蔵王2丁目6-19)

  • 雲高山 国上寺 その2(新潟県燕市国上1407)

    訪問日令和6年9月24日雲高山国上寺その2<前回の続き>寺号標寺号標には「越後一之寺国上寺」とある風神・雷神像山門前の風神・雷神像は昨年訪れた、新潟県小千谷市の「慈眼寺」にもあったが珍しい*慈眼寺には、河井継之助と新政府軍軍監岩村精一郎との「小千谷談判」に臨んだ「会見の間」が保存されている山門の彫刻大黒天像講堂前の香炉参道の風車講堂前の参道は風車で飾られている文殊菩薩合格突破鳥居と学問向上の文殊菩薩講堂の扁額扁額には山号の「雲高山」元文2年(西暦1737年)に建てられた本尊:木造千手観音菩薩立像(新潟県指定文化財)千手観世音菩薩像は、戦国武将上杉謙信が信心された霊尊と伝えられている幸せ観音観音様の周囲を三回巡ると幸せが授かると説明書きがあった3名の熟女が「遅いかも知れないが」と言いながら楽しそうに歩いてい...雲高山国上寺その2(新潟県燕市国上1407)

  • 雲高山 国上寺 その1(新潟県燕市国上1407)

    訪問日令和6年9月24日車載のサブバッテリーの他にポータブルバッテリー2個を積んできているが、ポタ電の1個が故障メーカーとの連絡が取れず、最悪、旅を中断し北海道に戻る事も考え新潟港付近に留まることにした雲高山国上寺(こくじょうじ)和銅2年(709年)に越後一の宮弥彦大神の託宣により建立された越後最古の古刹今回が2度目の訪問となるぼけ防止・癌防止地蔵他人事とは思えない症状もあるので手を合わせたやすらぎ観音参道途中から右に入ると本堂が見えてくる鐘楼良寛像良寛が玉島より帰国してしばらく転々とした後、文化元年、良寛47歳頃から文化13年までの最盛期を過ごした草庵がある六角堂額には「開運大黒天」本尊:大黒天像文治3年(1187年)源頼朝に追われる身となった義経は、武蔵坊弁慶をはじめ数人の家来と共に奥州へ落ちのびる途...雲高山国上寺その1(新潟県燕市国上1407)

  • 五頭山 華報寺(新潟県阿賀野市出湯794)

    訪問日令和6年9月23日弘法大師空海が開湯したという温泉が周辺にあり、華報寺境内にも共同浴場がある五頭山華報寺新潟県阿賀野市出湯に境内を構えている曹洞宗の寺院地名の「出湯」で想像できるように、温泉街のなかにある寺院という感じがする本堂創建は大同年間(806~810年)この地訪れた空海が五頭山の山頂に五頭権現を勧請し山麓に堂宇を建立したのが始まりとされている一説には天平年間(725~749年)に行基菩薩が五頭山で修行した際、霊木から4躯の優婆尊像を彫刻し一宇を設けて安置したのが始まりとし、現在、華報寺の本堂で安置されている1躯の「優婆尊(うばそん)像」は4躯のうちの1つとも云われている領主である城氏から乙宝寺(新潟県胎内市)、法音寺(新潟県新発田市)と共に領内3カ寺として庇護された五頭山は山岳信仰の拠点の1...五頭山華報寺(新潟県阿賀野市出湯794)

  • 旦飯野神社(新潟県阿賀野市宮下968番地)

    訪問日令和6年9月23日旦飯野神社(あさいいのじんじゃ)日出ずるところ始まりのときを意味する「旦(あさ)」眼下に広がる豊かな越後平野を現す「飯野(いいの)」この郷に稲作を初めて伝えたという鳥居秋分の日の振替休日ということもあり、近くの駐車場は満車で少し離れた場所に駐めた道の駅で得た情報で訪れたが千年以上の歴史を持つ神社だという手水鉢石鉢は、阿賀野市村杉温泉のラジウムを多く含んだ石水は旦飯野神社の清らかな地下水で流水を直接手に取るとのこと「旦飯野神社」と書かれた鳥居を進む神門明治初期に建てられた神門参拝者の多くが神門の彫刻を移動しながら眺めていた彫刻は十一支後に知ったが、十二支のうち何故か一つ彫られていない干支があり、それを探していたようだ狛犬神門の足元にある愛嬌のある「こま犬さん」撫で狛犬のようで、多くの...旦飯野神社(新潟県阿賀野市宮下968番地)

  • 水原代官所(新潟県阿賀野市外城町10)

    訪問日令和6年9月23日令和4年8月5日にオープンした「道の駅あがの」で朝を迎える道の駅の観光案内パンフにより、この日の目的地を設定した水原(すいばら)代官所私は時代劇が好きで、映画やドラマをよく視てきた代官所といえば「お前も悪のよう」という悪代官のイメージが強い江戸幕府は基盤となる年貢、特に米が安定して確保できる地域、交通の要となる地域を「直轄領地(通称:天領)」とした水原代官所は地方の代官所の一つであり、延享3年(1746年)から慶応4年(1868年)まで123年間続いた代官所の主な機能は年貢の徴収や民政だが、水原代官所の場合はこの地方の豊かな生産力を背景にした年貢収納を確保することや、福島潟の開発、および新発田藩・村上藩の監視が主な目的だった代官は江戸幕府を開いた徳川家の低い家格の旗本から任命され勘...水原代官所(新潟県阿賀野市外城町10)

  • 新潟総鎮守 白山神社(新潟県新潟市中央区一番堀通町510番地)

    訪問日令和6年9月22日小樽港発、新日本海フェリーにて新潟港へ向かい、秋の旅が始まった新潟市は予報通りの大雨で、観光をあきらめ道の駅「新潟ふるさと村」にて退避400台という駐車場も満車状態で、道の駅内の日本酒売り場で目の保養をしていた新潟総鎮守白山神社珈琲を飲みながら車内でのんびりと過ごしていると空が少し明るくなり小雨になった気になっていた千有余年の歴史のある神社が近くにあったので車を走らせた古町の赤い鳥居神社には参拝者用の無料駐車場があったが場所が分からず近くの白山公園駐車場へ初めて訪れる神社なので鳥居まで移動し参拝することにした「新潟総鎮守」とは、新潟の総(すべ)てを鎮(しず)め守(まも)る神様、神社という意味神社建立の年代は、永禄(1558年~)と天正(1573年~)の2度の火災により古記録を失って...新潟総鎮守白山神社(新潟県新潟市中央区一番堀通町510番地)

  • 2024秋 放浪の旅(17日目・最終日)山形県・宮城県

    訪問日令和5年10月8日道の駅「天童温泉」(山形県天童市鍬ノ町2丁目3-41)雨予報ということもあり、昨夜、仙台港から苫小牧港行きのフェリーのチケットを予約した昨夕は運転するのが嫌になるような雨が降っていたので仙台に近い道の駅を選んだお土産でも買おうかと道の駅に入ったが、早い時間から多くの買い物客がいたので止めた山形県は果物が安いニッカウヰスキー宮城峡蒸留所(宮城県仙台市青葉区ニッカ1番)宮城県に来たら必ず立ち寄る宮城峡蒸留所これまで何回も訪れ、購入することのできなかった「伊達」というウイスキーを購入することができたビジターセンターに行くと、2分後の蒸溜所見学が空いていますと言われた予定にはなかったが、誘いに乗ってしまった青葉神社(宮城県仙台市青葉区青葉町7-1)名前から歴史のある神社と思い訪れた100年...2024秋放浪の旅(17日目・最終日)山形県・宮城県

  • 2024秋 放浪の旅(16日目)福島県

    訪問日令和5年10月7日道の駅「あいづ湯川・会津坂下」(福島県河沼郡湯川村佐野目五丁ノ目78-1)施設が新しく快適な道の駅だった不安定な天気で午後から雨が降るという予報だったこの地域は昨年秋に訪れていたので、久し振りとなる場所を選んだ上杉神社(山形県米沢市丸の内1丁目4-13)祭神は、天正6年(1578年)3月、越後の春日山城にて49歳で急逝した戦国の名将上杉謙信先日、訪れた武田信玄を祀る武田神社同様、参拝者が多い神社日本人が好きな戦国武将の二人だ上杉神社は元は米沢城跡で明治の時代まで、上杉謙信の遺骸が安置されていた摂社松岬神社(まつがさきじんじゃ)ネットで検索すると、人気の神社になっているが、観光客の多くは通過していく祭神は、上杉鷹山含め6柱米沢藩9代藩主で、江戸時代屈指の名君で知られている米国大統領ジ...2024秋放浪の旅(16日目)福島県

  • 2024秋 放浪の旅(15日目)福島県

    訪問日令和5年10月6日道の駅「ばんだい」(福島県耶麻郡磐梯町磐梯十王堂38−番地)茨城県の道の駅から200kmほど移動してこの道の駅についた朝、隣のキャンピングカーの男性から挨拶された兵庫県在住で、一人旅で美しい自然風景を求めて旅をしている方だった同世代で同じ時代を生きてきているので、話も合い、楽しい時間を過ごさせていただいた早い時間から、道の駅の駐車場には似たようなスポーツカーに乗ったドライバーが集まっていたこの手の集団は静かに集まり、静かにいなくなるマナーの良いグループだ会津さざえ堂<円通三匝堂>(福島県会津若松市一箕町大字八幡弁天下1404)会津若松には何度か訪れているが、「さざえ堂」の存在を知ったのは車中泊で旅をしているYouTuberの映像を見てからだ今回の旅では「清津峡渓谷トンネル」もそのY...2024秋放浪の旅(15日目)福島県

  • 2024秋 放浪の旅(14日目)茨城県・栃木県

    訪問日令和5年10月5日道の駅「かさま」(茨城県笠間市手越22番地1)新しい道の駅のようで、周辺は渋滞が発生していた昨日もそうだったが、今朝も雨の中、開店1時間以上前からこのような状態昨夜からの雨が止まず、訪問先を選ぶのに苦労した水戸市の薬王院は駐車場なし、一度訪れたことのある佐竹寺は(何があったのか)境内の撮影禁止水戸光圀が晩年を過ごした西山荘の拝観料2,500円に驚きキャンセルというわけで、今日は終日雨予報のため移動日とした白久山長泉寺(栃木県那須郡那珂川町白久777)移動途中、赤い三重塔の案内を見かけハンドルを切った調べて見ると、1491年創建の歴史ある曹洞宗寺院(境内が美しい)花の寺としても有名のようだ三重塔昭和54年の建立の塔三重塔と花とのコラボでインスタでの投稿を望んでいるようだ鐘楼自由に撞い...2024秋放浪の旅(14日目)茨城県・栃木県

  • 2024秋 放浪の旅(13日目)栃木県・群馬県・茨城県

    訪問日令和5年10月4日道の駅「どまんなかたぬま」(栃木県佐野市吉水町366-2)昨夜からの雨で今日は何処に行こうかと朝から悩んでいた調べて居るうちにこの地は、「田中正造終焉の地」だということがわかり、博物館に行く計画を立てていた出発時刻になるころ、雨も止み計画が変わった総本宮雷電神社(群馬県邑楽郡板倉町板倉2334)これまで多くの神社を回ってきたが、雷電神社という名は聞いたことがなかった主に関東地方に点在する「雷電神社」「雷電社」の事実上の総本社ということである社殿(群馬県指定文化財)本殿彫刻の美しさには驚く本殿の壁面彫刻は上から下の土台に至るまで、左甚五郎を祖と仰ぐ彫刻師・石原常八主信の手によるもの椎尾山薬王院(茨城県桜川市真壁町椎尾3178)今回の旅の中では一番狭く曲がりくねった山道となった(約2k...2024秋放浪の旅(13日目)栃木県・群馬県・茨城県

  • 2024秋 放浪の旅(12日目)群馬県・栃木県

    訪問日令和5年10月3日道の駅「よしおか温泉」(群馬県北群馬郡吉岡町漆原2004)温泉が併設されている道の駅ということで選んだ体が疲れてきているのかぐっすり眠ることができた少林山達磨寺(群馬県高崎市鼻高町296)達磨大師の教えを受け継ぐ「縁起だるま発祥の寺」ということで訪れた久し振りに、鐘を撞いてからの参拝になる本堂達磨寺の名前通り、本堂周辺はダルマに囲まれているという感じだ本堂前には巨大な奉納ダルマ観音堂当山最古の建物で、創建当時の姿を今に伝える茅葺きのお堂十一面観世音菩薩を祀る世良田東照宮(群馬県太田市世良田町3119-1)到着してがっかり、拝殿・本殿(重要文化財)は修復工事中でシートで覆われていた鉄燈籠(重要文化財)世良田山長楽寺(群馬県太田市世良田町3119-6)世良田東照宮に隣接、境内は「新田荘...2024秋放浪の旅(12日目)群馬県・栃木県

  • 2024秋 放浪の旅(11日目)長野県・群馬県

    訪問日令和5年10月2日道の駅「みまき」(長野県東御市布下35-4)当初は最寄りの布引観音と小諸城跡に立ち寄る予定でいたが、30℃を超える予報だったので止めた結果的には、山梨県から長野県の道の駅を経由して群馬県に向かうことになった妙義神社(群馬県富岡市妙義町妙義6)妙義神社は今回で2回目の訪問になる神仏習合時代、妙義神社には別当として上野寛永寺の末寺である白雲山高顕院石塔寺があった昨日の「久遠寺」と同じように長い階段が見えてくる右には「女坂」があったが、今日は男らしく階段を選択した随神門随神像唐門(重要文化財)唐門天井画拝殿(重要文化財)拝殿内部と天井画本殿(重要文化財)修復作業中なのか足場が組まれていた近くで映像会社の男性二人がドローンで修復の様子を撮影をしていた一之宮貫前神社(群馬県富岡市一ノ宮153...2024秋放浪の旅(11日目)長野県・群馬県

  • 2024秋 放浪の旅(10日目)山梨県

    訪問日令和5年10月1日道の駅「なんぶ」(山梨県南巨摩郡南部町中野3034)途中、いくつかの道の駅に立ち寄ったが、この道の駅が第一印象が抜群によかった南部氏発祥の地ということで、南部三郎光行の像があった朝から快晴の天気に恵まれて、車内の温度は30℃近い旅も10日目で疲れも洗濯物もたまってきたので休養日+移動日にした身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町身延3567)道の駅の比較的近くに、日蓮宗の総本山「久遠寺」があり、久し振りに訪れることにした三門三門の先に急な287段の階段がある上から見るとこのような感じだ如何にも上ってきたという感じだが、実は車で上の駐車場まできたさらに、駐車場からも文明の利器を活用だらしのない体型になっていく訳だ本堂久遠寺の建物は一つ一つが大きい五重塔祖師堂鐘楼鯉も大きい御真骨堂仏殿開基...2024秋放浪の旅(10日目)山梨県

  • 2024秋 放浪の旅(9日目)静岡県

    訪問日令和5年9月30日道の駅「伊豆のへそ」(静岡県伊豆の国市田京195-2)伊豆半島の中央にある道の駅で「へそ」とは、ネーミングが面白い深夜か明け方に雨が降ったのか、地面が濡れていた台風の心配もあったが、いつの間にか予報も良い方に変わっていた朝から訪問予定地選びに悩んだ当初、あの天城峠を越え下田に向かう予定でいたのだが……福地山修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964)修善寺温泉は駐車場を探すのが難しい昨夜は温泉街なのに、風呂はあるが駐車場がなく、グルグル回り1日500円の駐車場と700円の風呂をやっと見つけたその駐車場の近くに目的の「修禅寺」があったガラスで護られている「仁王像」NHK大河ドラマ「北条時宗」視聴後、この時代に興味を持ち、吾妻鏡も読んでみた源頼朝の弟の源範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼...2024秋放浪の旅(9日目)静岡県

  • 2024秋 放浪の旅(8日目)山梨県・静岡県

    訪問日令和5年9月29日道の駅「花かげの郷まきおか」(山梨県山梨市牧丘町室伏2120)昨日、訪れることのできなかった「恵林寺」に近い道の駅でお世話になった車中泊車も少なく静かな夜を過ごした朝、車載冷蔵庫のバッテリー不足の警告音で目が覚めたこのサブバッテリーも私と同じく寿命が近いようださて、この建物は「牧丘郷土文化館(旧室伏学校)」乾徳山恵林寺(山梨県甲州市塩山小屋敷2280)もう一度訪れてみたい寺院の一つだった戦国時代に恵林寺は武田晴信(信玄)により再興される永禄7年(1564年)11月に美濃崇福寺から快川紹喜が招かれる四脚門(重要文化財)レンズが汚れていることを今知った(笑)三門(山梨県指定文化財)天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻(甲州征伐)により武田氏は滅亡織田氏は恵林寺に逃...2024秋放浪の旅(8日目)山梨県・静岡県

  • 2024秋 放浪の旅(7日目)長野県・山梨県

    訪問日令和5年9月28日道の駅「信州蔦木宿」(長野県諏訪郡富士見町落合1984番地)長野県と山梨県の県境近くにある道の駅朝起きて車の周囲を見ると、いつの間にか満車状態になっていたこの道の駅は温泉施設が併設されていて、車中泊を楽しむ者にとってとても便利であるナンバーを見ると全国各地から集まってきている感じがするサントリー白州蒸溜所(山梨県北杜市白州町鳥原2913-1)前日に白州蒸留所のホームページを見ていると1名だけ空きがあり申し込むことができた工場見学は過去に経験もあるので、今回のショップと博物館だけで十分満足している申し込みは11時30分からということもありネットで大谷の活躍を観戦、母校バレー部の試合観戦、JRA馬券購入とゆっくり過ごすことができたリニューアルしたショップや試飲会場も心ときめくという感じ...2024秋放浪の旅(7日目)長野県・山梨県

  • 2024秋 放浪の旅(6日目)長野県

    訪問日令和5年9月27日道の駅「あおき」(長野県小県郡青木村村松25-1)この道の駅も三度ほど利用させてもらっている車中泊車も5台ほどで不安になるほど静かな夜を過ごした朝6時過ぎ、洗顔に向かうと10名ほどの人がベンチに座っている時間経過とともに列が長くなり、道の駅にあるショップの開店を待っていることを知るお目当ての品は「マツタケ」にようで、9時の開店と同時に売り切れた感じであった仁科神明宮(長野県大町市社宮本1159)昨日、訪問候補地に入れていた神社である途中、中央線をはみ出してきた大型車と接触するところだった愛車も入れたここには国宝の社殿がある駐車場のナンバーを見ても遠くから訪れている人も多い感じがする家族や友人知人の健康と旅の安全を祈願本殿(国宝)日本最古の神明造神明造の建築物としては、わが国で唯一の...2024秋放浪の旅(6日目)長野県

  • 2024秋 放浪の旅(5日目)長野県

    訪問日令和5年9月26日道の駅「オアシスおぶせ」(長野県上高井郡小布施町大島601)着いて駐車場から道の駅の建物まで遠かったことを思い出した昨日のことも思い出せないのに、7年前のことなど思い出せるはずもない長野県に入って驚いたのはガソリン価格が高いということ隣の新潟県で1ℓ159円から175円だったのが、長野県では182円から187円になっていた一乗山大法寺(長野県小県郡青木村当郷2052)旅の疲れも出てきているので、訪れたことのある場所を選択した60kmほど走ったが、所々渋滞もあり、思ったより時間がかかったこの寺は3度目になる観音堂内の厨子は重要文化財石造りの観音様が美しい三重塔(国宝)久し振りのこの塔を見たいと思った午後は逆光になるので午前中が綺麗に撮れると、以前、寺の方に教えてもらっていた正慶2年(...2024秋放浪の旅(5日目)長野県

  • 2024秋 放浪の旅(4日目)新潟県・長野県

    訪問日令和5年9月25日道の駅「ながおか花火館」(新潟県長岡市喜多町707)とても過ごしやすい道の駅で何度か利用させてもらっている朝の7時で雲一つ無い青い空訪問先に長岡市にある神社を考えていたが、あまりの天気の良さに考えが変わったYouTubeで見た景色が頭に浮かびそこに向かう計画を立てた一昨日からポータブルバッテリーのトラブルが続き、メーカーとの連絡もつき、現地から送ることになっていた最後の悪あがきで、ボタンを押すと何とACの出力が復活した「馬鹿野郎」と怒鳴ったのが届いたのかも(笑)清津峡渓谷トンネル(新潟県十日町市小出)いつもより早い、8時過ぎに道の駅を出た一般道で80km弱の距離を快適に走る一番近い駐車場に駐めることができた(運が向いてきている)このトンネルは有料で「入坑料1000円」長さは片道75...2024秋放浪の旅(4日目)新潟県・長野県

  • 2024秋 放浪の旅(3日目)新潟県

    訪問日令和5年9月24日道の駅「たがみ」(新潟県南蒲原郡田上町大字原ヶ崎新田)三連休最後の日ということもあり、遅くまで賑わっていた竹でできた巨大なブランコは子供に大人気だったこちらも夜遅くまでカップルの姿があり楽しそうだったそんな中、私の車の中では大きなトラブルが発生していたポータブルバッテリーのAC出力のみが作動しなくなったのだ昼からサポートセンターに連絡をとっているが、混み合っているとのことで、つながらない雲高山国上寺(新潟県燕市国上1407)和銅2年(709年)泰澄によって開山された古刹である堂内の様子ところが、本堂の壁面に描かれた「イケメン官能絵巻」が話題を呼んだいわゆるSNSで炎上したのである方丈講堂前には、風鈴と風車が観音像の周りを3周すると幸運に巡りあえるとの記載があり三人の女性が「まだ、遅...2024秋放浪の旅(3日目)新潟県

  • 2024秋 放浪の旅(2日目)新潟県

    訪問日令和5年9月23日道の駅「あがの」(新潟県阿賀野市窪川原553-2)車中泊初日の昨夜は電力消費を考え、10時に消灯車内も暑くなかなか寝付けなかった朝7時頃から強い雨が降り始めて止む気配がない天気予報を確認すると9時過ぎには晴れてくるということで、本日の訪問予定地を考えることに道の駅に置かれた地元の観光パンフレットを参考に訪問先を選択した12年も一緒に私の足となって走ってくれる愛車のハイエース水原(すいばら)代官所(新潟県阿賀野市外城町10)テレビなどで知る「お代官様」は悪者というイメージがあるが、その仕組みなどを理解していなかったので学ぶ機会を得た水原代官所は、江戸幕府直轄領で123年の歴史をもつ(当時の資料にて復元)時代劇の代官所といえば、罪のない人を陥れ拷問に掛け裁くというイメージだが代官所の仕...2024秋放浪の旅(2日目)新潟県

  • 2024秋 放浪の旅(1日目)新潟県

    訪問日令和5年9月21・22日小樽港フェリーターミナル台風の状況を天気図にて確認しチケットを購入素人の判断とは違い、急に右折し日本列島の日本海側を直撃する大雨になった午後5時発の「新潟港」行きのフェリーに乗船定刻に小樽港を出発、穏やかな波で快適な船旅であった天気が悪くなるとデッキに出ることが出来なくなる乗船の際にもフルート演奏で迎えられたが、午後7時30分から2度目の演奏会が催されたクラシックから歌謡曲まで幅広い層に受け入れられる内容であった清楚で美しい女性で「天は二物を与えた」下船の際も笑顔でお見送りしてもらったこれが予約した一番安価なベッド消灯直前にベッドに潜り込むだけなので、これで十分新潟港に着岸してから1時間近く待たされた通路まで車で一杯になっている光景は久し振りだ船内から出ると予報通りのどしゃ降...2024秋放浪の旅(1日目)新潟県

  • 国宝の城(現存12天守:国宝五城)

    国宝の城(現存12天守:国宝五城)長野県(松本城<烏城>)愛知県(犬山城<白帝城><追加>)滋賀県(彦根城<金亀城>)兵庫県(姫路城<白鷺城>)島根県(松江城<千鳥城><追加>)01松本城(長野県松本市丸の内)永正年間(1504-1520年)に、信濃守護家小笠原氏が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まり後に甲斐の武田氏の侵攻を受け小笠原氏は没落、武田氏は林城を破棄して深志城を拠点として松本平を支配下におく武田氏滅亡後の天正10年(1582年)、徳川家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し「松本城」に改名した天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ当時の松本城主小笠原秀政に代わりに石川数正が入城石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下...国宝の城(現存12天守:国宝五城)

  • シリーズ塔(中国・四国地方)6-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(中国・四国地方)6-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>岡山県(本山寺、国分寺、宝福禅寺、遍照院、長福寺<追加>、西大寺、福生寺<追加>)山口県(瑠璃光寺)徳島県(霊山寺)香川県(志度寺、善通寺)愛媛県(石手寺)高知県(竹林寺)34岡山県34-01岩間山本山寺(岡山県久米郡美咲町定宗)三重塔(重要文化財)江戸時代初期の承応元年(1652年)津山藩主森忠政によって建造された檜皮葺で三重塔としては岡山県下最大34-02日照山国分寺<備中国分寺跡>(岡山県総社市上林)五重塔(重要文化財)岡山県内唯一の五重塔南北朝時代に奈良時代の七重塔(推定高さ50m)を焼失したのち、1821年(文政4年)に位置を変えて再建弘化元年(1844年)ごろに完成、高さは34.32mこの塔は、屋根の上層と下層がほぼ同じ大きさの細長...シリーズ塔(中国・四国地方)6-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ塔(北陸地方)3<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(北陸地方)3<三重塔・五重塔・多宝塔他>新潟県(五智国分寺<追加>乙宝寺、酒呑童子神社、本成寺)富山県(国泰寺、日石寺<追加>)石川県(那谷寺、妙成寺、不動寺)福井県(明通寺<追加>、金前寺)15新潟県<追加>15-01安国山五智国分寺(新潟県上越市五智)三重塔(新潟県指定文化財)寛政6年(1794年)の焼失後の安政3年(1856年)に再建を着工慶応元年(1865年)に棟上がされたが高欄等は未完成である三重塔周辺の木々が生長し塔全体を撮ることが難しくなっている15-02如意山乙宝寺(新潟県胎内市乙)三重塔(重要文化財)塔内安置仏は普賢菩薩で、辰年と巳年生まれの守り本尊というから縁を感じる15-03酒呑童子神社(新潟県燕市国上)<五重塔>平成9年(1997年)分水町の大工が「趣味」で数年の歳月を...シリーズ塔(北陸地方)3<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ塔(中部地方)4-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(中部地方)4-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>岐阜県(横蔵寺、日吉神社、真禅院<追加>、圓鏡寺、新長谷寺、日龍峰寺、飛騨国分寺)愛知県(興正寺、龍泉寺、妙厳寺<通称:豊川稲荷>、日泰寺)21岐阜県21-01両界山横蔵寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原)三重塔(岐阜県指定文化財)<一部追加>21-02日吉神社(岐阜県安八郡神戸町大字神戸)三重塔(重要文化財)現存のこの塔は正世年間1500年の初め、斎藤利綱(春日局の伯父)が再建約70年後の天正13年(1585年)に稲葉一鉄(春日局の叔父)が修造したもの相輪頂上までの高さ24.6m室町時代後期(1467年-1572年)の建立<一部追加>21-03朝倉山真禅院(岐阜県不破郡垂井町宮代)三重塔(重要文化財)寛永19年(1642年)建立明治初年に南宮神社境内...シリーズ塔(中部地方)4-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • 樋口季一郎記念館(北海道石狩市八幡町高岡103-3)

    訪問日令和6年9月13日樋口季一郎記念館北海道に住みながら「北海道を救った恩人、樋口季一郎中将」の存在を知ったのは最近になってからだYouTubeの「真相深入り虎ノ門ニュース」という番組内で、ジャーナリスト井上和彦氏の説明を聴いて驚いたしかも、その記念館が私の住む、北海道石狩市にあるという館長の江崎幹夫氏(北海道古民家再生協会理事長)は「自分の信念を曲げない素晴らしい人道主義者で北海道を救った恩人なのになぜ広く知られていないのか」そんな思いから、ゆかりの地である北海道に記念館を作った「旧山谷家」を宿泊施設「古民家の宿Solii」へと生まれ変え、その「石蔵」に資料を展示しているこちらが、一棟貸し切り宿「古民家の宿Solii」<樋口季一郎年譜より抜粋>1888年(明治21年)淡路島の阿万村に生まれる(旧姓奥浜...樋口季一郎記念館(北海道石狩市八幡町高岡103-3)

  • シリーズ塔(関西地方)5-3<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(関西地方)5-3<三重塔・五重塔・多宝塔他>大阪府(叡福寺、慈眼院)兵庫県(鶴林寺、福祥寺、斑鳩寺、一乗寺<追加>、如意寺、伽耶院、太山寺、石峯寺、温泉寺、朝光寺、柏原八幡宮、高源寺<追加>)27大阪府27-01磯長山叡福寺(大阪府南河内郡太子町太子)宝塔(重要文化財)承応元年(1652年)の再建本尊は東面に釈迦・文殊・普賢の三尊像、西面に金剛界の大日如来を安置27-02大悲山願成就寺慈眼院(大阪府泉佐野市日根野)多宝塔(国宝)6つある国宝の多宝塔の一つ文永8年(1271年)建立高さ約10mで、屋外にある木造多宝塔で国宝・重要文化財に指定されているものの中では日本最小石山寺、金剛三昧院の塔とともに日本の多宝塔の三名塔の一つとされる内部には大日如来坐像(大阪府指定有形文化財)を安置28兵庫県28...シリーズ塔(関西地方)5-3<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ塔(関西地方)5-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔<三重塔・五重塔・多宝塔他>5-2(関西地方)京都府(仁和寺、神護寺、清凉寺、円隆寺<追加>、智恩寺、金剛院、淨瑠璃寺、岩船寺、海住山寺、東寺、醍醐寺、穴太寺)26京都府26-01大内山仁和寺(京都府京都市右京区御室大内)五重塔(重要文化財)寛永21年(1644)建立。塔身32.7m、総高36.18m26-02高雄山神護寺(京都府京都市右京区梅ケ畑高雄町)<多宝塔>26-03五台山清凉寺(京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)<多宝塔><一部追加>26-04慈恵山円隆寺(京都府舞鶴市引土)多宝塔(京都府指定文化財)宝暦元年(1751年)の建立三間多宝塔、本瓦葺地元の大工・林田伝之丞房章などの手によるもの多宝塔の亀腹を瓦葺にするなど独創的な建築として価値が高い以前訪れた時、周囲の木々の枝が伸びすぎ...シリーズ塔(関西地方)5-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ仁王像(関西地方)5-2

    シリーズ仁王像(関西地方)5-2兵庫県(鶴林寺、斑鳩寺、圓教寺、伽耶院、太山寺、温泉寺、朝光寺、石龕寺、播州清水寺<追加>)28兵庫県28-01刀田山鶴林寺(兵庫県加古川市加古川町北在家)28-02斑鳩山斑鳩寺(兵庫県揖保郡太子町鵤)28-03書寫山圓教寺(兵庫県姫路市書写)姫路市指定文化財28-04大谷山伽耶院(兵庫県三木市志染町大谷)「行基菩薩作」と伝えられる金剛力士であるが、天正年間秀吉の三木城攻めに際して、頭部及び脚部が焼失<中門>持国天・多聞天の二天像(慶安年間の作)を安置28-05三身山太山寺(兵庫県神戸市西区伊川谷町前開)28-06末代山温泉寺(兵庫県豊岡市城崎町湯島)仁王像(兵庫県指定文化財)<一部追加>28-07鹿野山朝光寺(兵庫県加東市畑)仁王像28-08岩屋山石龕寺(兵庫県丹波市山南...シリーズ仁王像(関西地方)5-2

  • シリーズ仁王像(関西地方)5-1

    シリーズ仁王像(関西地方)5-1三重県(大宝院、正月堂)滋賀県(西明寺、金剛輪寺、渡岸寺観音堂、浄厳院、櫟野寺、長命寺)京都府(神護寺、仁和寺、清凉寺、出雲寺、桂林寺、如意寺、萬福寺、醍醐寺、穴太寺、観音寺、縁城寺、円隆寺<追加>)大阪府(叡福寺)24三重県24-01恵日山観音寺大宝院(三重県津市大門32番)24-02普門山観菩提寺<正月堂>(三重県伊賀市島ヶ原)金剛力士像(伊賀市指定文化財)楼門の本堂側の像(詳細不明)25滋賀県25-01龍應山西明寺(滋賀県犬上郡甲良町大字池寺)二天像<持国天・増長天>(甲良町指定文化財)25-02松峯山金剛輪寺(滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺)二天像<持国天・増長天>25-03渡岸寺観音堂<向源寺>(長浜市高月町渡岸寺50番地)木造金剛力士像(滋賀県指定文化財)25-04金...シリーズ仁王像(関西地方)5-1

  • 大岩山 日石寺(富山県中新川郡上市町大岩163)

    訪問日令和6年6月4日大岩山日石寺磨崖仏があるということを知り初めて訪れた路上駐車で周囲を散策し参道は見つけたが、駐車場の場所が分からずにいた年齢と体型を考慮されたのか、地元の方から楽に参拝できる駐車場を教えていただいたさざれ石さざれ石の中に「真言密宗大本山大岩山日石寺」と書かれた金属が埋め込まれている手水舎本堂数人の参拝者が堂内に入ったので、後で回ることにした鐘楼干支の額多羅葉文殊八体仏藤水不動明王御霊水大岩の奥山より湧き流れる霊水で、眼病に効くとされ、全国からこの水を汲みに来るという六本瀧元来瀧行は日石寺境内近くの千巌渓にて行っていた行者の安全を確保と、一般参詣者に修行鍛錬を推奨するために、明治元年に境内内に建設した寒修行の場でもあり、毎年大寒には多くの人が参詣し、滝に打たれている六基の龍頭は人間国宝...大岩山日石寺(富山県中新川郡上市町大岩163)

  • 砂の美術館<砂で世界旅行・フランス編>(鳥取県鳥取市福部町湯山2083-17)

    訪問日令和6年5月20日砂の美術館<砂で世界旅行・フランス編>平成18年(2006年)の開館以来、毎年テーマを替えて開催2024年パリオリンピック・パラリンピックが開催されることから、テーマをフランスに選定総合プロジューサー茶圓勝彦砂のプロフェッショナル12カ国20名の砂像彫刻家による作品作品01「ノートルダム大聖堂」「小説<ノートルダム・ド・パリ>」制作者:アンドリウス・ペトクス/リトアニアドナタス・モッカス/リトアニア入口に入ると、大きな砂像が目に入ってくる海外旅行の経験はないが、「ノートルダム大聖堂」の名だけは知っている「我らの貴婦人」を意味し、聖母マリアを讃えるノートルダム大聖堂1163年から約180年かけて完成した荘厳な大聖堂ゴシック建築の最高傑作と称されている18世紀のフランス革命で一部が破壊...砂の美術館<砂で世界旅行・フランス編>(鳥取県鳥取市福部町湯山2083-17)

  • 駒形山 妙高寺(新潟県小千谷市大字川井114)

    訪問日令和6年6月5日駒形山妙高寺創建は正平年間(1346年~1370年)内ヶ巻城主の田中義房が開基となり、天海が開山当初は真言宗だったが、文禄3年(1594年)洞照寺の五世果翁良柵が「曹洞宗に改宗」した大正13年(1924年)火災により本堂、庫裡、山門などが焼失し、現在地に再建したやすらぎ地蔵お参りする人全ての、悩み、苦しみが消え、やすらぎが得られますよう願いをこめて建立(高さ6m)手水舎ここを訪れるのは初めてで、目的は案内板にある「木造愛染明王坐像(重要文化財)」の拝観であったところが、御開帳日が毎月26日との記載があった本堂扁額には「愛染殿」仁王像堂内に入ると仁王像が安置されていた畳の上に置かれた仁王像も初めて見たしかもお神籤が掛けられている(これも初めて)堂内の様子本尊:木造愛染明王坐像(重要文化...駒形山妙高寺(新潟県小千谷市大字川井114)

  • 船岡山 慈眼寺(新潟県小千谷市平成2丁目3-35)

    訪問日令和6年6月5日船岡山慈眼寺(じげんじ)作家司馬遼太郎氏が昭和40年に取材で「慈眼寺」を訪れた時の写真である学生時代「国盗り物語」を読んだのが初めで大ファンに今回の旅に出る前に映画「峠最後のサムライ」を視たのが慈眼寺を訪れるきっかけとなったこれまで持っていた本は全て処分したので、帰宅後に文庫本を購入して読む若い頃には理解できなかった河井継之助の魅力をこの年齢になって得心した小説では慈眼寺の歴史的場面は文庫版の「下」の後半数ページに記載がある河合総督・岩村軍監「会見の間」慶応4年(1868年)5月2日、戦いを避けるために藩主の嘆願書を持った長岡藩家老・河井継之助が小千谷に本陣を構える新政府軍(西軍)の軍監、土佐藩士・岩村精一郎と講話談判をおこなった場所談判は岩村軍監が嘆願書を無視し、長岡藩に降伏を迫っ...船岡山慈眼寺(新潟県小千谷市平成2丁目3-35)

  • 居多神社(新潟県上越市五智6-1-11)

    訪問日令和6年6月5日居多神社(こたじんじゃ)10数年前、五智国分寺を最初に訪れた時、地元の歴史研究家(ボランティアガイド)に案内してもらった場所である社号標南北朝時代以降は、守護上杉家からの崇敬を受けて「越後国一宮」に位置づけられたとされる<越後国の一宮として知られる神社には彌彦神社がある>親鸞聖人越後七不思議「片葉の芦」社号標周辺の芦を確認してみると、片方だけに葉が伸びているアシは別名:ヨシとも呼ばれている「悪(あ)し」に通じるのを忌んで、「善(よ)し」にちなんで呼んだものというさて、越後七不思議の残りは①逆さ竹②焼鮒③八房の梅④珠数掛桜⑤三度栗⑥繋ぎ榧鳥居正面に社殿が見えてくる手水狛犬拝殿額には「居多大明神」拝殿内の様子創建は不詳であるが弘仁4年(813年)に「居多神」の神階が無位から従五位下に昇叙...居多神社(新潟県上越市五智6-1-11)

  • 安国山 華蔵院 五智国分寺(新潟県上越市五智3-20-21)

    訪問日令和6年6月5日安国山華蔵院五智国分寺もう何度目になるのか、上越市付近を走ると本来の目的地ではないのだが、つい立ち寄ってしまう最初に訪れた時の親切なボランティアガイドとの再会を願っているのかも知れない山門(上越市指定文化財)聖武天皇の詔により各地に建立された国分寺のうち、「越後国国分寺」の後継寺院にあたる現在は、天台宗の寺院である額の「安国山」は山号仁王像天保7年(1836年)に名立町出身の長井要壱と弟子2人によって製作平成6年(1994年)に仁王像が倒壊した為、3年をかけて修復した芭蕉句碑元禄2年(1689年)7月8日。『奥の細道』旅中、越後高田の医師細川春庵亭に一泊した折「薬欄にいづれの花を草枕」こんなに沢山の花々に囲まれたらどの花の傍で寝たものやら経蔵(上越市指定文化財)棟札から元禄6年(16...安国山華蔵院五智国分寺(新潟県上越市五智3-20-21)

  • 能生白山神社(新潟県糸魚川市大字能生7239)

    訪問日令和6年6月5日能生白山神社(のうはくさんじんじゃ)令和3年6月に重要文化財の社殿があるということで訪れたことがあるこの茅葺屋根の建物が「重要文化財の社殿」だと思い込み、夢中で写真を撮っていた拝殿(糸魚川市指定文化財)ところが、自宅に戻り写真の整理をしながら歴史などを調べていくうちに間違いに気づいたしかも、重要文化財の本殿の写真が一枚も撮していなかったその事が頭の中でモヤモヤしていて、3年後になったが、再訪してみた歴史を少し崇神天皇の11年11月初午の日に草創されたと伝えられている元正天皇の時代には、泰澄大師が深く崇拝し、仏像を安置し、社号を「白山権現」とした寛弘年間(11世紀初頭)には加賀白山神社より分霊して旧社に合祀した個人的に茅葺屋根が好きで、その美しさに魅了されている額には社号の「白山神社」...能生白山神社(新潟県糸魚川市大字能生7239)

  • 小川山 千光寺(富山県魚津市小川寺2934)

    訪問日令和6年6月4日小川山千光寺初めて訪れる寺は期待が高まるのだが、駐車場に近づいた瞬間(来たことがある)記憶が蘇った最近、このような事が時々ある山門切妻、桟瓦葺き、三間一戸、八脚単層門山門扁額には「大悲殿」大悲殿とは聖観音や千手観音や如意輪観音などの観音菩薩が安置されている建物のこと仁王像階段を上りきった正面に石仏が見えてくる石造千手観世音菩薩立像観音堂創建は奈良時代の天平18年(746年)に行基菩薩により開かれたのが始まりと伝えられている往時は16坊を有したが、天文20年(1551年)長尾景虎(上杉謙信)が魚津城を攻めた際に魚津城城主が千光寺に逃げ込んだところを攻撃し13坊が焼失存続しているのは観音堂のほか、心蓮坊、光学坊、蓮蔵坊の三坊蟇股の彫刻金銅千手観世音菩薩立像(富山県指定文化財・秘仏)大同6...小川山千光寺(富山県魚津市小川寺2934)

  • 大岩山 日石寺 その2(富山県中新川郡上市町大岩163)

    訪問日令和6年6月4日大岩山日石寺その2<前回に続く>本堂の磨崖仏(重要文化財)拝観後、「古仏堂と大日堂」への案内が目に入った古仏堂堂内には50~60cmの仏像が安置されていた自分好みの仏像を選んでみた真言宗と真言密宗との違いは分からないが「不動明王」は重要な仏像の一つこれも魅力的な仏像だ拡大してみた説明文が一切ないが、空海像だろうか「五鈷杵」は密教の重要な法具一般の方も古仏堂に仏像を預けることができるとHPに記載があった大日堂「木造大日如来と真言八祖」が祀られている真言密教には、密教の正統を示す「付法の八祖」と実在の人物として密教を広めた「伝持の八祖」があるこのお堂では、「伝持(でんじ)の八祖」の「龍猛→龍智→金剛智→不空→善無畏→一行→恵果→空海」を祀る大日堂から古仏堂を観る古仏堂で気になった仏像を撮...大岩山日石寺その2(富山県中新川郡上市町大岩163)

  • 大岩山 日石寺 その1(富山県中新川郡上市町大岩163)

    訪問日令和6年6月4日大岩山日石寺磨崖仏があるということを知り初めて訪れた路上駐車で周囲を散策し参道は見つけたが、駐車場の場所が分からずにいた年齢と体型を考慮されたのか、地元の方から楽に参拝できる駐車場を教えていただいたさざれ石さざれ石の中に「真言密宗大本山大岩山日石寺」と書かれた金属が埋め込まれている手水舎本堂数人の参拝者が堂内に入ったので、後で回ることにした鐘楼干支の額多羅葉文殊八体仏藤水不動明王御霊水大岩の奥山より湧き流れる霊水で、眼病に効くとされ、全国からこの水を汲みに来るという六本瀧元来瀧行は日石寺境内近くの千巌渓にて行っていた行者の安全を確保と、一般参詣者に修行鍛錬を推奨するために、明治元年に境内内に建設した寒修行の場でもあり、毎年大寒には多くの人が参詣し、滝に打たれている六基の龍頭は人間国宝...大岩山日石寺その1(富山県中新川郡上市町大岩163)

  • 帆船 海王丸<海王丸パーク>(富山県射水市海王丸町8番地)

    訪問日令和6年6月3日帆船海王丸<海王丸パーク>海王丸パークは、人びとが集い、学び、憩う、素敵なベイエリア海の貴婦人と呼ばれる海王丸進水日が2月14日のバレンタインデーであることから、「恋人の聖地」に選定されている記念モニュメント富山湾が「世界で最も美しい湾クラブ」に加盟した記念帆船海王丸海王丸は、商船学校の練習船として誕生した帆船昭和5年2月14日に進水して以来、59年余の間に106万海里(地球約50周)を航海し、11,190名もの海の若人を育てた2年前に初めて訪れた時には残念ながら休業日で雨この日は事前に営業していることを確認してから訪れたが小雨乗船する(料金:400円)帆船ではあるが総帆展帆は年に10回のみ2024年の今後の予定は、9月16日と10月20日の2回となっている船種:4本マストバーク型帆...帆船海王丸<海王丸パーク>(富山県射水市海王丸町8番地)

  • 真宗大谷派井波別院瑞泉寺(富山県南砺市井波3050)

    訪問日令和6年6月3日真宗大谷派井波別院瑞泉寺浄土真宗の宗派の1つで、阿弥陀如来一佛を本尊とし、親鸞を宗祖とする山号は「杉谷山(さんこくさん)」大谷派の根本道場である東本願寺を本山とする寺号標寺号標には「井波御坊瑞泉寺」その奥の石柱には「井波別院高岡門」と彫られている15世紀末には、「井波城」と称した戦国時代には、越中一向一揆の拠点とされ、伽藍は堅牢な石垣に囲まれている花が咲いている石垣というのは珍しい山門(富山県指定文化財)明徳元年(1390年)本願寺第5代綽如により建立された堂宇であるが天正9年(1581年)織田信長の北陸方面軍佐々成政の軍勢と戦うが焼き討ちに遭い焼失した天明5年(1785年)東本願寺の大工の棟梁であった柴田新八郎貞英により釿始(起工式)が執り行われたが、同8年本山の火災復興のため帰京...真宗大谷派井波別院瑞泉寺(富山県南砺市井波3050)

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