訪問日令和5年10月11日松高山大聖寺<通称:亀岡文殊>真言宗智山派の寺院「亀岡文殊」は、奈良県桜井市の「安倍文殊院」、京都府宮津市の「切戸の文殊」とともに、日本三文殊の一つに数えられる関ヶ原の戦い後、上杉家は米沢30万石の大名として会津から米沢へ移転した慶長7年(1602年)上杉家執政「直江兼続」が主催者として亀岡文殊堂で詩歌の会が開催された直江兼続の漢詩をはじめ前田慶次、大国実頼ら有名な武将の詩歌「亀岡文殊堂奉納詩歌百首(高畠町指定文化財)」が残されている石中に彫られた石仏独国和尚宮城県女川町出身の僧亀岡文殊で修業を積み、女川町や福島市、いわき市を拠点に布教活動をしていたこの石像は、独国和尚を慕う高畠の人々の寄進筏舟(がっしゅう)和尚越後・草水観音寺の住職で、ここから続く十六羅漢は自身の顔に似せ造立し...松高山大聖寺<亀岡文殊>(山形県東置賜郡高畠町亀岡41)