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  • 2024年春 放浪の旅(11日目)岡山県

    訪問日令和6年5月23日2024年春放浪の旅(11日目)岡山県道の駅「彩菜茶屋」(岡山県美作市明見167)初めて訪れる道の駅でスーパーなどが併設されている暑い夜で初めて持参した扇風機を使用したいつもは孤独な日々を過ごしているのだが、昨日はLINEによる連絡が数件入った嬉しい連絡もあったが、お世話になった人が廃業するという悲しい話もあった1真木山長福寺(岡山県美作市真神414)今日は塔巡りでもしてみようと朝食後に決めた近くに数カ所重要文化財に指定されている塔がある三重塔(重要文化財)ここは二度目になる「いい写真撮れましたか」と地元の男性に声を掛けられたこの塔は夕方が一番きれいに撮れると教えてくれたこの男性の曾祖父が山の上にあったこの塔をこの場所まで荷車で運んだという話を聞かせてくれたいつもは無言でシャッター...2024年春放浪の旅(11日目)岡山県

  • 2024年春 放浪の旅(10日目)島根県・岡山県

    訪問日令和6年5月22日2024年春放浪の旅(10日目)島根県・岡山県道の駅「あらエッサ」(島根県安来市中海町118)人気の道の駅で早朝から車の出入りが激しい安来といえば「どじょうすくい踊り」で有名だが、道の駅でどじょう料理も食べることができる今回の旅では「砂の美術館と神魂神社」の二つは必ず行くという目標を立てていた昨日で早くも目標を達成してしまい、何処に行くか悩み岡山県に向かうことにした約100kmの道のりを走っていると、途中にある道の駅でガンダムの姿が目に入った鉄人28号、鉄腕アトムの世代ではあるが、やはりロボットには夢がある1津山城(岡山県津山市山下135)数年前になるがこの近くを走っていたときに城の姿を見かけ、気になって調べてみると津山城ではないかと思われた森忠政が慶長9年(1604年)に築城にか...2024年春放浪の旅(10日目)島根県・岡山県

  • 2024年春 放浪の旅(9日目)島根県

    訪問日令和6年5月21日2024年春放浪の旅(9日目)島根県道の駅「本庄」(島根県松江市野原町401-8)弁慶生誕の地にある道の駅コロナ前に一度訪れたことがあるが、あまりの暑さにダウンした記憶がある今日は朝から日差しが強く、6時過ぎからサブバッテリーに蓄電している音が聞こえている朝に気づいたのだが隣に若い女性の車中泊が駐まっていた(最近時々見かける)旅先でアルバイトをしながら車中泊の旅行をしているという20代の女性も過去にいた1松江城(島根県松江市殿町1-5)昨年、駐車場に入れず断念、今回は8時30分に到着したこともあり余裕で駐めることができた石垣に詳しい大学の大先輩のために必ず撮るようにしている普段、目にしている美しい石垣は、危険を伴う地道な作業によって保たれているこのような現場を初めて見た(衝撃的)松...2024年春放浪の旅(9日目)島根県

  • 2024年春 放浪の旅(8日目)鳥取県・島根県

    訪問日令和6年5月20日2024年春放浪の旅(8日目)鳥取県・島根県道の駅「ポート赤碕」(鳥取県東伯郡琴浦町別所255)国道9号線沿いに道の駅が点在しているが交通量が多く、静かな道の駅を選択したかなり前に一度利用しているが、その時の記憶と随分違っている(単なるボケか)朝から曇天で寒い疲れてはいないがやる気が起こらず車内でしばらく待機していたスタートして間もなくコインランドリーがあったので洗濯をすることに5kmほど先に温泉があったので入浴、気軽な旅だ(元気が出てきた)1名和神社(鳥取県西伯郡大山町名和556)この神社も走っていて案内板を見てハンドルを切った一度訪れたことがあり、この後、予定している寺院とも関係があるのでちょうど良かった隠岐の島に流されていた後醍醐天皇を助け、鎌倉幕府を倒した「名和一族」を祀る...2024年春放浪の旅(8日目)鳥取県・島根県

  • 2024年春 放浪の旅(7日目)兵庫県・鳥取県

    訪問日令和6年5月20日2024年春放浪の旅(7日目)兵庫県・鳥取県道の駅「山陰ジオパーク浜坂の郷」(兵庫県美方郡新温泉町栃谷57)この道の駅も毎年のように利用している静かな場所に加え、近くに温泉もあり車中泊には便利な場所だ1砂の美術館(鳥取県鳥取市福部町湯山2083-17)今回の旅で唯一行く場所を決めていたのが、鳥取砂丘にある「砂の美術館」開館30分前から車を駐め、一番乗りで会場に向かった今年のテーマは、砂で世界旅行「フランス編」だオリンピック開催国ということでテーマが設定された世界の一流砂像彫刻家が約3ヶ月を要して作品を制作4月19日~翌年1月5日まで展示され、その後、作品を崩し元の砂に戻される「一期一会のアート」といえる鳥取砂丘の砂と水だけで固められている全作品の中でも印象に残っている作品「フランス...2024年春放浪の旅(7日目)兵庫県・鳥取県

  • 2024年春 放浪の旅(6日目)京都府

    訪問日令和6年5月19日2024年春放浪の旅(6日目)京都府道の駅「てんきてんき丹後」(京都府京丹後市丹後町竹野313-1)道の駅の名の通り到着したときは「てんきてんき」で猛烈な暑さだった翌朝は曇天で半袖では肌寒い感じだここは二度目の利用になるが施設が新しく快適であった明け方に左足がつり、その痛みで目が覚めた何と戦っていたのか、首にも痛みがあり、運転していて左右の確認に苦労したこの地域は古墳などが発掘されているようだ1発信貴山縁城寺(京都府京丹後市橋木873)道路地図に載っていた寺で立ち寄ってみた宝篋印塔(重要文化財)堂内外陣には仁王像が安置いつもは苦労して撮るのだが、これはこれで難しいものだ内陣の様子本尊の千手観音菩薩なら重要文化財になる(確信なし)本堂裏にある願かけ不動2霊鴫山本願寺(京都府京丹後市久...2024年春放浪の旅(6日目)京都府

  • 2024年春 放浪の旅(5日目)福井県・京都府

    訪問日令和6年5月18日2024年春放浪の旅(5日目)福井県・京都府道の駅「シーサイド高浜」(福井県大飯郡高浜町下車持46-10)入浴施設が併設しているため一番利用している道の駅である昨年同時期にも利用し、頭から浴槽に突っ込んでいったという苦く痛い思い出もある昨夜は現職の時の仲間の飲み会が札幌市内の中華料理店で開催入浴後、LINEでの参加になったが便利な時代になったものだ1舞鶴赤れんがパーク(京都府舞鶴市北吸1039-2)この周辺は何度も通っているのだが、立ち寄ったのは今回が初めてだ日本遺産にも認定された歴史的価値のある赤れんが倉庫群倉庫内では、蚤の市が開催されていたが、一番気になったのが東郷平八郎の人形舞鶴港はフェリーでよく利用するが、かつては軍港であった現在も海上自衛隊の艦船が数隻配置されている赤れん...2024年春放浪の旅(5日目)福井県・京都府

  • 2024年春 放浪の旅(4日目)滋賀県・福井県

    訪問日令和6年5月17日2024年春放浪の旅(4日目)滋賀県・福井県道の駅「塩津海道あぢかまの里」(滋賀県長浜市西浅井町塩津浜1765)昨夜の激しい雨から気温が下がり、朝は寒さで目が覚めた一日の寒暖差で体が「ワォ~」と悲鳴をあげている風は強いが天気は良さそうだこの道の駅は初めてだが、この地域は何度も訪れているため行く場所が思いつかない琵琶湖の水運「丸子船」が展示されていた琵琶湖特有の木造船とのこと1棡山明通寺(福井県小浜市門前5-22)私にとって、居酒屋で「とりあえずビール」的な存在なのが明通寺になる行く場所に困ったら(失礼な話で申し訳ないが)明通寺を訪ねることが多い手水鉢の花(このような寺社が多くなった)本堂(国宝)堂内の仏像も必見日本に4体しかない重要文化財の木造深沙大将立像がある三重塔(国宝)福井県...2024年春放浪の旅(4日目)滋賀県・福井県

  • 2024年春 放浪の旅(3日目)岐阜県・滋賀県

    2024年春放浪の旅(3日目)岐阜県・滋賀県道の駅「パレットピアおおの」(岐阜県揖斐郡大野町下磯313-2)岐阜県最大級の道の駅で駐車台数も250台以上つい買い物をしたくなるような雰囲気の店が並ぶ昨日の夕方から小雨が降り、朝も雨音で目が覚めた予報を見ると午前中は70%の範囲で雨、午後からは晴れるようなのでゆっくり本日の訪問地を考えることにしたこの地域がバラの産地とは知らなかった旅で新しい知識を得た(すぐ忘れるのだが)旅先でいろいろなものを食べることが出来ていいねとよく言われる道の駅で30~50%offで購入したものが、食事となる(現実は厳しい)これは朝食だがいつもより豪華な内容だ(笑)1伊富岐神社(岐阜県不破郡垂井町岩手字伊吹1484-1)尾張国二宮ということで訪れた口コミによるとかなり道が狭いという私の...2024年春放浪の旅(3日目)岐阜県・滋賀県

  • 2024年春 放浪の旅(2日目)岐阜県

    訪問日令和6年5月15日2024年春放浪の旅(2日目)岐阜県道の駅「クレール平田」岐阜県海津市平田町野寺2357-2この旅では車中泊初日となる比較的交通量も多く隣に大型トラックと騒音で寝不足が心配されたが、熟睡し快適な朝を迎えた何処に行こうか車内で考えていると、大阪に住む大学時代の友人から電話があった私の旅行ブログを見てくれていて、いつも「いいね」を押してくれる(感謝)数年前、大阪の道の駅に滞在していたときに突然訪ねてくれたこともあった1千代保稲荷神社(岐阜県海津市平田町三郷1980)道の駅近くに年間200万人の参拝者があるという、人気の稲荷神社の存在を知った1日平均5,500人になる商売繁盛の稲荷神社だけに活気溢れる雰囲気がある拝殿神社の規模は驚くほど小さい賽銭箱の前に油揚げの置き場が用意されている(初...2024年春放浪の旅(2日目)岐阜県

  • 2024年春 放浪の旅(1日目)愛知県

    訪問日令和6年5月14日2024年春放浪の旅(1日目)愛知県令和6年5月12日午前11時車に荷物を積み込み出発苫小牧市に住む友人より好物の行者ニンニクをいただく同日19時苫小牧港を出港乗船前に波が3.5mあるとの事で同意書を提出予想通りの揺れであったが、経由先の仙台港に定刻で着岸名古屋港に近づくにつれ波も収まり快晴の天気に1徳興山建中寺(愛知県名古屋市東区筒井1丁目7-57)尾張徳川家代々の菩提寺である建中寺を旅のスタートとした大都市名古屋の街中にある寺院だけに駐車場が心配であったが境内に無料駐車場があった総門(名古屋市指定文化財)キャンピングカーもカメラも昨年の10月から久し振りの操作になる数枚写真を撮ったあと画像を確認すると画像が真っ白でパニックになった操作をすっかり忘れてしまい、ネットで調べて何とか...2024年春放浪の旅(1日目)愛知県

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その15<最終回>

    2023年放浪の旅思い出の情景その15<最終回>71土門拳記念館(山形県酒田市飯森山二丁目13)訪問日令和5年10月18日昭和49年(1974年)酒田市名誉市民第1号となった土門拳は、自分の全作品を郷里酒田市に贈りたいと語った酒田市はそれに応え、昭和58年(1983年)写真専門の美術館「土門拳記念館」を開館した記念館には、土門拳の写真を約13万5千点を収蔵しているライフワークであった「古寺巡礼」をはじめ、「室生寺」「ヒロシマ」「筑豊のこどもたち」「文楽」「風貌」などの作品を順次公開している記念館で観た写真に感動し訪れた寺院の写真展示している作品を撮っているのだが、立体感が凄い実物の前に立つと動けなくなるほど美しく感動する思わずカメラを向けて注意された十一面観音像毎年のように訪れている、一番美しいといわれて...2023年放浪の旅思い出の情景その15<最終回>

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その14

    2023年放浪の旅思い出の情景その1466瑠璃光山医王寺(福島県福島市飯坂町平野字寺前45)訪問日令和5年10月16日「おくのほそ道」で芭蕉が感涙をおさえきれなかったという寺である佐藤継信の妻「若桜」奥州藤原氏の一門であり信夫(しのぶ:現在の福島)の地をおさめていた佐藤基治公の息子継信、忠信兄弟は源義経に付き従った継信、忠信兄弟は義経の身代わりとなり壮絶な最後を遂げた佐藤忠信の妻「楓」二人の息子を失い悲しみにくれる老母「乙和」の姿を見ていた継信の妻「若桜」と忠信の妻「楓」は、乙和の悲しみを慰めようと夫の武者姿に扮したという悲しくも美しい物語であるこの美しい人形はこの物語をより感動的にさせる芭蕉句碑芭蕉が医王寺を訪れたのは、元禄2年(1689年)5月「おくのほそ道」の途中である佐藤兄弟を偲び「笈も太刀もさつ...2023年放浪の旅思い出の情景その14

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その13

    2023年放浪の旅思い出の情景その1361石都々古和気神社(福島県石川郡石川町下泉269)訪問日令和5年10月13日狛犬(石川町指定文化財)「飛翔獅子」と呼ばれる構図の作品で「高遠石工」の技術を受け継いだ作品高遠石工とは、高遠藩領内(現在の長野県伊那市)出身の石材加工の職人集団古くから山岳信仰の場として山そのもの、点在する磐境(巨石)が信仰の対象として、土着の人々に崇敬されていたという石門(鳥居)勾玉岩全国的にも数少ない祭祀遺跡の跡地として、考古学的にも大変重要な遺跡といわれている多くの「磐境(いわさか)」が山々に点在しているが、更には三種の神器と言われる「剣、玉(勾玉)、鏡」もある拝殿社殿は八幡山の頂上にある創建の年代は不詳であるが、八幡山には磐境が多数あり、古代から祭祀の地とされていた本殿近寄って観る...2023年放浪の旅思い出の情景その13

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その12

    2023年放浪の旅思い出の情景その1256守國山吉祥院(山形県山形市大字千手堂509)訪問日令和5年10月11日重要文化財の「木造千手観世音菩薩立像」を拝観したいと思い訪れた石柱には「國寶千手観世音菩薩」とあるカメラを縦にして少し離れてやっと高い木が画角に収まった観音堂(山形市指定文化財)奈良時代の天平9年(737年)出羽国にひどい悪病が流行蔓延し万民塗炭の苦しみに喘いでいた聖武天皇は「行基」を遣わしてその悪役の消除と庶民の救済にあたらせた折、開山したと伝えられている堂内に入ると外観の様子とは一変するこのような額は初めて観た(拡大)明治時代で宮川鐵太郎の銘があるこれまで、たくさんの奉納額を観てきたが、感性も理解力も乏しい私にも、この絵は理解できる(ような気がする)本堂の天井を飾る巨大な画若い頃は何も感じな...2023年放浪の旅思い出の情景その12

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その11

    2023年放浪の旅思い出の情景その1151丹内山神社(岩手県花巻市東和町谷内2-303)訪問日令和5年10月6日地元の方に勧められ訪れた神社である観音堂丹内山神社は、かつて「大聖寺」と呼ばれていたが、明治維新のときに神社となり現在の名に改めたこの建物はその名残をとどめている感じがする本殿(岩手県指定文化財)丹内山神社の草創は今から1200年前この地を開拓した神である多邇知比古神(たにちひこのかみ)を祀ったと伝えられている地元の方から「美しい社殿」と聞いて訪れたのだが、その言葉通りだった外壁は和・漢の故事、物語を主題とした彫刻で飾られているアラハバキ大神の巨石(胎内石)古事記や日本書紀に登場しない謎の神アラハバキ神が祀られているところには必ず磐座があるというこの巨石は1300年前から御神体として祀られてきた...2023年放浪の旅思い出の情景その11

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その10

    2023年放浪の旅思い出の情景その1046尻屋埼灯台と寒立馬(青森県下北郡東通村尻屋字尻屋崎1-1)訪問日令和5年10月2日尻屋埼灯台(重要文化財)尻屋埼灯台は、工事期間3年4ヶ月を費やし明治9年(1876年)10月20日に点灯開始した「日本の灯台の父」と称されるブラントンによって設計された、二重のレンガ壁による複層構造の灯台となっている高さ30mを誇る日本一高いレンガ灯台であるのぼれる灯台16のうちの一つで、日本の灯台50選に選ばれている参観期間は、令和6年4月6日(土)~令和6年11月10日(日)参観寄付金300円(中学生以上)文化庁の資料によると重要文化財に指定されている灯台は13基①尻屋崎②犬吠埼③清水④御前崎⑤菅島⑥経ヶ岬⑦江崎⑧美保関⑨出雲日御碕⑩角島⑪六連島⑫鍋島⑬部崎*釣島灯台(答申中)寒...2023年放浪の旅思い出の情景その10

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その9

    2023年放浪の旅思い出の情景その941吉備津彦神社(岡山県岡山市北区一宮1043)訪問日令和5年6月4日平成2年に車で岡山県を走っていたときに国宝の社殿を有する「吉備津神社」を優先し、当社を通過してしまった今回は「備前国一宮」ということで訪れた別称:朝日の宮立派な社殿で歴史ある神社なのに文化財に指定されていないことに疑問を持っていたが……昭和5年(1930年)12月、失火により本殿と随神門以外の社殿・回廊を焼失現在の社殿は昭和11年(1936年)に完成したものだという祭文殿(さいもんでん)横に移動すると社殿の並びに新たな疑問が湧いてきた一般的には「拝殿・幣殿・本殿」という並びだが、当社は「拝殿・祭文殿・渡殿・本殿」になっている夏至の日に正面鳥居から日が差し込んで「祭文殿の鏡」に当たる造りになっている渡殿...2023年放浪の旅思い出の情景その9

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その8

    2023年放浪の旅思い出の情景その836清涼山月輪寺(山口県山口市徳地上村字蔵場572番地)訪問日令和5年5月31日瑠璃光寺・洞春寺を巡り走っていると、入浴料がなんと100円という温泉の案内看板を発見九州で200円という温泉も経験し、これが最安値と思っていただけに驚き、立ち寄った「宮野温泉山口ふれあい館」で駐車場も80台旅行中、昼風呂の経験はないが、これが最高に気持ちがいいことも知った湯上がりのルンルン気分で初めて訪れる「月輪寺(がちりんじ)」へ薬師堂(重要文化財)周防国佐波郡德地庄の串村に、聖徳太子作の観音を本尊とした「清涼寺」という寺があったが朽ち果てた寺にあった観音菩薩像と十二神将像のみ上徳地の上村に移されたが、それもまた朽ちていた焼失した東大寺の再建用材の調達のために当地を訪れた重源がこれを聞きつ...2023年放浪の旅思い出の情景その8

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その7

    2023年放浪の旅思い出の情景その731霧島神宮(鹿児島県霧島市霧島田口2608番地5号)予備知識もなく地図上で鹿児島神宮の近くにあるということで訪れた坂本龍馬・おりょう新婚旅行記念坂本龍馬が日本最初といわれる新婚旅行で霧島連峰を訪れた龍馬が妻のお龍と高千穂峰を訪れた際、何を思ったか「天逆鉾」を引き抜いて見せたというこのことは龍馬自身が手紙で姉に伝えており、手紙も桂浜の龍馬記念館に現存している参道は木々に覆われ薄暗く、その先に社殿が明るく見える(幻想的)その先に人が多く集まっている近寄ってみると参拝の順番を待っている人だった人気に驚きスマホで検索してみると何と社殿が国宝に指定されていた寺社の国宝建築物は資料を作成して持参しているが漏れていたようである拝殿(国宝)登廊下(重要文化財)の先には拝殿令和4年に本...2023年放浪の旅思い出の情景その7

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その6

    2023年放浪の旅思い出の情景その626島原城(長崎県島原市城内1丁目1183-1)訪問日令和5年5月26日島原城は元和4年(1618年)から、松倉豊後守重政が約7年の歳月をかけて築いた五層天守閣を中核に、大小の櫓を要所に配置した、安土桃山期の築城様式を取り入れた壮麗な城だった寛永14年~15年(1637年~1638年)初代松倉重政、2代勝家の圧政により島原の乱が起こる初めて訪れる城で、周辺を歩きながら撮る彫刻家北村西望作品長崎市の平和公園にそびえる「平和祈念像」の作者でもある昭和39年(1964年)に天守が復元され、キリシタン資料・藩政時代の資料を展示する歴史資料館になっている入館料:550円写真撮影ができることを確認し入館するキリスト教が島原へ伝わるフランシスコ・ザビエルによって日本にもたらされたキリ...2023年放浪の旅思い出の情景その6

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その5

    2023年放浪の旅思い出の情景その521平戸城・亀岡神社(長崎県平戸市岩の上町)訪問日令和5年5月24日平戸城(別名:亀岡城)初めて訪れる場所は駐車場探しに苦労する困っていると、地元の親切な女性が城に一番近い場所を教えてくれた天守閣慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの頃、徳川家康からの嫌疑を晴らすため、城の一部を破却したと伝わる豊臣氏と親交が厚かったことによる江戸幕府の嫌疑から逃れるためともいわれている元禄15年(1702年)松浦鎮信(隠居により改名)は幕府に平戸城の再築城を願い出て、翌元禄16年(1703年)に許可されたこれは徳川家との姻戚関係と、東シナ海警備の必要性によるものといわれている城からの景色が美しい遠くに見える朱色の「平戸大橋」を渡り平戸城へやってきた橋からの眺めは高所恐怖症ということも忘...2023年放浪の旅思い出の情景その5

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その4

    2023年放浪の旅思い出の情景その416筥崎宮(福岡県福岡市東区箱崎1丁目22番地1号)訪問日令和5年5月22日筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられている大都市福岡市にあることから駐車場の有無を確認してからの出発となった石造一ノ鳥居(重要文化財)鳥居の柱は三段に切れ、下肥りに台石に続いている笠木と島木は1つの石材で造られている貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居であり「筥崎鳥居」と呼ばれている楼門(重要文化財)文禄3年(1594年)筑前領主小早川隆景が建立元寇の際に亀山上皇が「敵国降伏」を祈願し、神門に「敵国降伏」の扁額が掲げられた以来、海上交通・海外防護の神として信仰されている亀山上皇御尊像(福岡県指定文化財)鎌倉時代中期の元寇(蒙古襲来)に際し「我が身を以て国難にかわ...2023年放浪の旅思い出の情景その4

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その3

    2023年放浪の旅思い出の情景その311元乃隅神社(山口県長門市油谷津黄498)訪問日令和5年5月20日外国人観光客が日本に凄い神社があるとインスタで紹介し外国で話題になった神社であるそのことが日本でも紹介され人気となり、訪れてみたいと思っていたその頃、地元の方からは渋滞で3~4時間はかかる、道が狭くUターンもできないハイエースでは離合困難であるなど云われ決断できないでいた前日、道の駅の案内所で確認すると最近はそれほど混雑していないと話してくれた確かに拍子抜けするほど順調で駐車場に着いたアメリカのCNNが平成27年(2015年)3月に発表した日本の最も美しい場所31選の一つとして選ばれた昭和30年(1955年)地元の網元であった岡村斉の枕元に白狐が現れた「吾をこの地に鎮祭せよ」というお告げがあり「元乃隅稲...2023年放浪の旅思い出の情景その3

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その2

    2023年放浪の旅思い出の情景その206八重垣神社(島根県松江市佐草町227)訪問日令和5年6月17日日本神話に登場する「ヤマタノオロチ」を退治した素戔嗚尊とその妻になった櫛稲田姫縁の神社である訪れてみたい神社の一つでもあり、楽しみにしていた素戔嗚尊は天より降って出雲の國の簸の川上に到った。その時、川上で泣き声が聞こえた素戔嗚尊は泣いていた理由を尋ねた老夫婦にはもともと八人の娘がいたが、毎年一人ずつ八岐大蛇という怪物に食べられてしまい、末娘の奇稲田姫だけになってしまった素戔嗚尊は、「八岐大蛇を退治する代わりに奇稲田姫を嫁に欲しい」と申し出た素戔嗚尊は八回醸した酒を作らせ、八面に塀を立て、各々一つずつ樽を置き、酒を盛らして待った大蛇が現れ酒を飲もうとして、頭を各1つの樽に入れて飲み、酔って眠ってしまったそこ...2023年放浪の旅思い出の情景その2

  • 2023年放浪の旅 思い出の情景 その1

    2023年放浪の旅思い出の情景その101国宝犬山城(愛知県犬山市犬山北古券65-2)訪問日令和4年5月12日この年の春、あと2年、車中泊による放浪の旅を継続しようと決めた時、最初に頭に浮かんだのが犬山城であった全国唯一の個人所有の城として保存されてきたが、平成16年(2004年)「財団法人犬山城白帝文庫」の所有となって現在にいたっている若い女性が所有している国宝の城というのを雑誌か何かで知って訪れたのが最初である調べてみると6年ぶり4回目の訪問になる自分の意思で訪れた最初の城ということもあり思いいれが深い犬山駅から木曽川沿いを城を眺めながら徒歩で訪れた時の記憶が今でも鮮明に残っている成瀬家12代城主「成瀬正俊」周囲のものとは違う写真写真家篠山紀信氏が撮影したというこの写真を選んだのが13代城主「成瀬淳子(...2023年放浪の旅思い出の情景その1

  • 萬固山 天徳寺(秋田県秋田市泉三嶽根10-1)

    訪問日令和5年10月19日萬固山天徳寺曹洞宗の寺院寛正3年(1462年)当時の佐竹家当主佐竹義人が夫人を弔うため、常陸国久慈郡太田村(茨城県常陸太田市)に創建佐竹氏の秋田への国替えに伴って秋田に移された寛永元年(1624年)総門を残して全焼したため、翌年、現在地である秋田郡泉村の泉山に移されたその後、延宝4年(1676年)に再び火災が起こり、総門と山門を残して全焼9年の月日をかけて再建され、現在に至る総門(重要文化財)切妻造瓦葺きの四脚門延宝4年(1676年)の火災をまぬがれ、現在地に移築された扁額には山号の「萬固山(まんごさん)」参道には古い石畳が敷かれ、その両脇には約120本もの松が生い茂っている天徳寺に向かう途中、予報通り雨が降り出し駐車場で小雨になるまで待機していた総門には一番楽しみにしていた茅葺...萬固山天徳寺(秋田県秋田市泉三嶽根10-1)

  • 太平山三吉神社(秋田県秋田市広面字赤沼3-2)

    訪問日令和5年10月19日太平山三吉神社(たいへいざんみよしじんじゃ)天武天皇の白鳳2年(673年)5月、役の行者小角の創建と伝えられている桓武天皇の延暦20年(801年)征夷大将軍坂上田村麻呂東夷征討の際、戦勝を祈願して堂宇を建立したと伝えられている社号標狛犬1鳥居古くからある神社正参道額には社号の「太平山三吉神社」拡大してみると「元帥伯爵東郷平八郎謹書」「天気晴朗なれども波高し」当時無敵のバルチック艦隊に連合艦隊司令長官東郷平八郎が勝利東郷の名を見ると、高校時代日本史の授業で熱く語ってくれた元特攻隊員だった恩師のことを思い出す狛犬2案内板説明文を読むと「奥宮」と「里宮」があるかつて女人禁制だった太平山は、非常に険しい山であり、また11月から5月にかけては雪に覆われ登拝が出来なかったそこで年間を通して老...太平山三吉神社(秋田県秋田市広面字赤沼3-2)

  • 皇宮山 蚶満寺・九十九島(秋田県にかほ市象潟町象潟島)

    訪問日令和5年10月19日皇宮山蚶満寺近くに道の駅「象潟」があり、展望温泉も併設されていることからよく利用している坩満寺もその都度訪れているので、今回はやめようかと思ったがやはり足が向いた「象潟」九十九島の案内を見て、今日はここからスタートすることにした春に訪れた長崎県の「九十九島」は、平戸藩主松浦静山が、出羽国(秋田県)の「象潟九十九島」に倣い名づけたという松尾芭蕉像元禄2年(1689年)俳人・松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅で訪れた最北の地として広く知られている芭蕉は、西行ゆかりの桜の老木、神功皇后のお墓などを訪ねている西施像西施(せいし)は、古代中国の四大美女の一人(他の3人は王昭君・貂蝉・楊貴妃)越王勾践が、呉王夫差に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施がいた策略は見事にはまり、夫差...皇宮山蚶満寺・九十九島(秋田県にかほ市象潟町象潟島)

  • 鳥海山大物忌神社(山形県飽海郡遊佐町吹浦布倉1)

    訪問日令和5年10月18日鳥海山大物忌神社(史跡)出羽国一宮創祀は欽明天皇25年(564年)の御代と伝えられている本社は山頂に鎮座し、麓に「口の宮」と呼ばれる里宮が「吹浦と蕨岡」の二ヶ所に鎮座している社号標と一の鳥居以前、同じ遊佐町にある「十六羅漢岩」で写真を撮っていると、地元の方から声をかけられた寺社巡りをしていると話すと、地元では有名な神社だとここを強く勧められた二の鳥居岩の上を歩いた後なのでかなり疲れていたが、地元の方の熱意に応えて訪れたのが最初で、今回が再訪となる境内図下拝殿由緒(略誌)前回訪れた時には、疲れもあったこともあり、この石段を見て直ぐに「諦めてしまった」その事が頭の片隅にあり、ずっと気になっていた狛犬顔面部分が欠損している遅くなったが、ここは、麓にある「口の宮」と呼ばれる2カ所の里宮の...鳥海山大物忌神社(山形県飽海郡遊佐町吹浦布倉1)

  • 遊佐蒸溜所(山形県飽海郡遊佐町吉出字 カクジ田20番地)

    訪問日令和5年10月18日遊佐蒸溜所2018年10月に「世界が憧れる酒を、ここ山形から」を目標に設立された蒸溜所「コストや手間ひまを厭わず、あくまでも品質を追求して高みを目指す」という基本姿勢を貫いているBSフジの「ウイスキペディア」で放映されたことで、その存在を知った残念ながら、蒸溜所の一般見学はされていないので、道路から建物を眺めその雰囲気を感じていたTV番組で興味を持ったのは、素人の理系女子2人がウイスキー造りをしているということだったその後、3年の熟成を経た記念すべきボトルYUZAシングルモルトジャパニーズウイスキーファーストエディション2022が「インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ(ISC)2022」テイスティングアワードで「GOLD」を受賞した私の住む北海道では数量限定のボトルは入手困...遊佐蒸溜所(山形県飽海郡遊佐町吉出字カクジ田20番地)

  • 山居倉庫(山形県酒田市山居町1丁目)

    訪問日令和5年10月18日山居倉庫(国指定史跡)明治26年(1893年)旧藩主酒井家によって建てられた米保管倉庫NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケーション舞台にもなった今回は倉庫の正面から回ってみた小鵜飼船倉庫から舟までは、女丁持(おんなちょうもち)と呼ばれる女性によって運ばれた一俵60kgの米俵を5つ(300kg)背中に担いだという記録(写真)が残っている平成30年(2018年)時点で12棟が残り、このうち9棟は現役の米蔵として使用されていた山居倉庫は令和3年(2021年)国の史跡に指定され、米倉庫としての使用は2022年度末で終えた倉庫の中央に通路があり、その先に神社が見える東宮殿下行啓記念館東宮(後の昭和天皇)の山居倉庫行啓を記念して建てられた昭和元年(1926年)に建てられた米穀貯蔵の研究施...山居倉庫(山形県酒田市山居町1丁目)

  • 土門拳記念館(山形県酒田市飯森山二丁目13)

    訪問日令和5年10月18日土門拳記念館昭和49年(1974年)酒田市名誉市民第1号となった土門拳は、自分の全作品を郷里酒田市に贈りたいと語った酒田市はそれに応え、昭和58年(1983年)写真専門の美術館「土門拳記念館」を開館した20年ほど前に最初に訪れた時には400円だった入館料も現在は1,200円になっている(昨年は800円)入館者も1時間ほど滞在したが、ほんの数人程度でかなり減っているような感じがしている昔は、旅の始めに土門拳の写真を観て、感動した写真の寺や仏像を巡る旅をしていた近頃は足が遠のいていたが、久し振りに寄ってみたいと思った入館料は高騰したが、いつの間にか「写真撮影可」になっていたこれは、土門拳ファンとしては大変嬉しい出来事だ記念館には、土門拳の写真を約13万5千点を収蔵しているライフワーク...土門拳記念館(山形県酒田市飯森山二丁目13)

  • 鳥越八幡神社(山形県新庄市鳥越1224)

    訪問日令和5年10月18日鳥越八幡神社正式名称は「八幡神社」「鳥越八幡宮」とも称す社伝によれば、寛喜元年(1229年)に鳥越義宣が相模国から鶴岡八幡宮を勧請、これを「新八幡宮」と称したことに始まるという鳥居社殿が重要文化財に指定されているということで訪れた初めて訪れる神社である案内板社務所社務所周辺で清掃をしている女性に元気な声で挨拶をされた朝からとてもいい気持ちになった手水舎御神木「夫婦杉」新庄のパワースポットらしい参道を歩く(左側の胸像については後述)鳥居額には社号の「八幡宮」拝殿(重要文化財)新庄藩2代藩主戸沢正誠による元禄4年(1691年)の建立桁行3間梁間2間、入母屋造平入、銅板葺で、正面に1間の向拝背面からは幣殿を突出させて本殿に接続している総素木(しらき)造で江戸時代中期の堅実な特色を示す拝...鳥越八幡神社(山形県新庄市鳥越1224)

  • 居合神社(山形県村山市林崎85)

    訪問日令和5年10月17日この神社を訪れる前夜、車中でパソコンを開きながらダラダラしていたその時、高校時代に部活動でご指導頂いた恩師から突然Facebookの友達申請の連絡があった反射的に背筋が伸び両手は膝の上にのっていた(一瞬高校生に戻っていた)居合神社その恩師が現在、居合道の師範をされていると高校時代の友人から聞いていた翌朝になり、居合道について気になったため、調べていくうちに「居合神社」があることを知ったこの日は宮城県の道の駅にいたが、仙台市を経由して向かうことにした鳥居の額には「熊野居合両神社」古くは熊野明神、林崎明神とも呼ばれていた社号標社号標には「日本一社居合神社」と刻まれている居合道発祥の地として全国で唯一の「居合神社」である狛犬手水舎由緒・沿革拝殿額には「林崎大明神」いつものように、隙間か...居合神社(山形県村山市林崎85)

  • 仙台東照宮(宮城県仙台市青葉区東照宮一丁目6-1)

    訪問日令和5年10月17日仙台東照宮正式名称は「東照宮」だが、他の東照宮と区別するために仙台東照宮と呼ばれている承応3年(1654年)仙台藩の2代藩主「伊達忠宗」によって創建された石鳥居(重要文化財)明神鳥居形式の美しい白色の鳥居で、宮城県最古の石鳥居である主な部材である花崗岩は伊達忠宗夫人振姫の郷里である岡山県犬島から海路で運んだもの実は、東照宮を訪れようと1週間ほど前に、仙台市内にいたのだが雨天のため参拝を諦めていた前日に「相馬中村神社」で声を掛けられた男性から「仙台にもいい神社がありますよ」と言われたことも気になっていた悔いを残すのも嫌なので、道の駅から車を走らせた狛犬境内図石段(仙台市登録文化財)参道の石段にも工夫があるという説明によると、緩やかな勾配で、階段と踊り場が交互に配置されている階段も4...仙台東照宮(宮城県仙台市青葉区東照宮一丁目6-1)

  • 勝楽山 高蔵寺(宮城県角田市高倉字寺前49)

    訪問日令和5年10月16日勝楽山高蔵寺嵯峨天皇の弘仁10年(819年)に「徳一(とくいつ)」が開創したと伝わる真言宗智山派の寺寺号標山門石碑には「高蔵寺阿弥陀堂」と刻まれている参道横の細身の「観音様」手水舎阿弥陀堂(重要文化財)高蔵寺阿弥陀堂は平泉文化の流れを汲んでおり、奥州藤原氏3代目藤原秀衡の妻により治承元年(1177年)に創建された現存する宮城県最古の木造建築である阿弥陀堂は飛騨工の手よるもので鎖釘を全く使用していないという茅葺き屋根から植物が垂れ下がっている平安時代の建造物は全国でも26箇所しか残っておらず、阿弥陀堂としては7箇所だけ岩手県平泉町の「中尊寺金色堂」、福島県いわき市の「白水阿弥陀堂」と並ぶ東北三大阿弥陀堂の一つとなっている高蔵寺の大杉(宮城県指定天然記念物)推定樹齢800年樹高35m...勝楽山高蔵寺(宮城県角田市高倉字寺前49)

  • 相馬中村神社(福島県相馬市中村字北町140)

    訪問日令和5年10月16日相馬中村神社<別名:妙見中村神社>相馬氏の始祖である「平将門」が承平年間(931年-937年)に下総国猿島郡に妙見社を建立したことに始まるといわれる別名「妙見中村神社」と呼ばれ、南相馬市の「相馬太田神社」「相馬小高神社」とともに「相馬三妙見社」の一つとして知られている社号標神馬狛犬神橋から境内に入る鳥居額には社号の「相馬中村神社」皇大神宮遥拝所この遙か先に伊勢神宮がある神楽殿北野天満宮社務所相馬野馬追(国の重要無形民俗文化財)平将門公ゆかりの伝統的な神事「相馬野馬追」では、出陣式の舞台となっている伝説によれば、相馬野馬追は今から一千年以上もの昔、相馬氏の遠祖とされる平将門が下総国小金ヶ原(現在の千葉県北西部)に放した野馬を敵兵に見立てて軍事演習に応用したことにはじまったと伝えられ...相馬中村神社(福島県相馬市中村字北町140)

  • 瑠璃光山 医王寺(福島県福島市飯坂町平野字寺前45)

    訪問日令和5年10月16日瑠璃光山医王寺東北地方を巡る旅のなかで、芭蕉ゆかりの地を訪れてみたいと考えていた滞在していた場所の近くにその寺があった「おくのほそ道」で芭蕉が感涙をおさえきれなかったという寺である寺号標「醫王密寺」と刻まれている薬師如来の別称「医王」を寺号としている平安時代の天長3年(826年)「空海」による開山とされている貴船神社奥州藤原氏の一門であり飯坂をおさめていた「佐藤一族」の菩提寺である宝篋印塔初めて訪れる寺で案内標示に従って歩く始めに「本堂・芭蕉句碑」正面に本堂慈母観世音菩薩親子地蔵南無大師遍照金剛(弘法大師空海)本堂入口入り口前の階段には「眠り猫」が扁額には山号の「瑠璃光山」堂内に入ると「佐藤一族位牌殿」と書かれた文字が目に入ってくる義経に関する小説は読んだことがあるが、このときは...瑠璃光山医王寺(福島県福島市飯坂町平野字寺前45)

  • 中野不動尊<中野山 大正寺>(福島県福島市飯坂町中野字堰坂28)

    訪問日令和5年10月16日中野不動尊(中野山大正寺)前日からの雨が朝方まで降っていたが、急に天気が良くなった道の駅「ふくしま」の車中で「最寄りの有名寺社」で検索したところ近くにこの寺があった寺号標寺号標には「中野不動尊」とあるが、正式名称は「中野山大正寺」である明治36年(1903年)に永平寺64世貫首の森田悟由が、中野不動尊本堂の「大正寺」を建立した曹洞宗の寺院狛犬祈祷殿総欅造りのお堂祈祷殿周囲の彫刻「眼守不動明王」が祀られている眼にかかわる霊験あらたかとのこと初めて訪れるため案内に従って歩く納札堂総ステンレスで造られたお堂注連飾りや松飾りなどを納める場所「毘沙門天」が祀られているアニメに出てくるようなユーモラスな像だ先に進むと朱色のお堂が見えてくる眼下のお堂は「寂光門」大日堂昭和54年(1976年)に...中野不動尊<中野山大正寺>(福島県福島市飯坂町中野字堰坂28)

  • 堂山王子神社(福島県田村市船引町門沢東ノ前)

    訪問日令和5年10月15日堂山王子神社堂山王子神社は大同2年(807年)に坂上田村麻呂が創建したと伝わる神社朝からの強い雨が降り止まず、駐車場にて待機する終日雨予報ということもあり、あきらめて目の前にある石段を駆け上がる坂上田村麻呂伝説東北の寺社巡りをしていて気付くことだが「坂上田村麻呂」という名をよく目にする各寺社の創建に係わり、大同2年(807年)が共通する年号になる平安時代この一帯には修験僧が宿泊する施設が13カ所あった本殿はそれらをまとめる大きな寺院、「龍頭山堂山寺」の観音堂として建てられたものと伝えられている鐘楼明治初期に全国で起こった神仏分離による廃仏毀釈運動から逃れるために「堂山王子神社」と改称した山門(旧仁王門)旧仁王門と思われる神社山門文化2年(1805年)に再建した棟札あり内部には青色...堂山王子神社(福島県田村市船引町門沢東ノ前)

  • 梅福山 報恩院 専称寺(福島県いわき市平山崎字梅福山5)

    訪問日令和5年10月14日梅福山報恩院専称寺浄土宗の寺院応永2年(1395年)に良就十聲(りょうしゅうじゅっしょう)が開創した寺院東北地方を中心とした浄土宗名越派総本山的寺院であった細い坂道を上り、カーナビの案内する駐車場らしき場所に着いただが、駐車スペースもなく幹から伸びた小枝が車体を擦りUターンもできない状況であった鐘楼堂(いわき市指定文化財)とりあえず車を置き、急いで階段を上がり記録用の写真を撮りに行くことにした階段の途中にあったのが鐘楼堂だった階段の途中から撮るとこのようになっている上に上がると、かなり低い位置に、鐘を撞く棒(撞木<しゅもく>)がある本堂(重要文化財)寛文8年(1668年)の焼失後、寛文11年(1671年)に再建されたと伝える入母屋造、瓦形鉄板葺き本尊:阿弥陀如来2011年の東日本...梅福山報恩院専称寺(福島県いわき市平山崎字梅福山5)

  • 飯野八幡宮(福島県いわき市平字八幡小路84)

    訪問日令和5年10月14日飯野八幡宮(いいのはちまんぐう)平安時代の康平6年(1063年)源頼義が奥州討伐の際、源家が崇敬している石清水八幡を磐城の地に勧請し、戦勝を祈願したのが始まりと伝えられている9月15日の例大祭直前の土・日曜日に400年も続いている古式大祭及び流鏑馬神事が執り行われている鳥居額には「八幡宮」楼門(重要文化財)楼門の建立は、二階柱墨書より万治元年(1658年)である一階は、柱は八角造柱で礎石建ち桁行三間、梁間二間で、両側面前端間に随身像を安置している二階は、円柱で、中央間二本の柱は一階からの通し柱とし八角造桁行三間、梁間二問、内部は一室で、仲哀天皇社を安置している扁額を拡大してみると「八幡宮」と書かれているその額を、前面がガラスのような額で覆っているところから貴重なものと想像できる随...飯野八幡宮(福島県いわき市平字八幡小路84)

  • 白水阿弥陀堂(福島県いわき市内郷白水町広畑221)

    訪問日令和5年10月14日白水阿弥陀堂東北6県を巡る旅が今回が最後と決めていたので、訪れたことのない場所を選んできたこの旅に出る前、9月の台風13号から変わった熱帯低気圧による大雨で阿弥陀堂が被害に遭ったということをニュースで知ったどのような状態になっているのか、気になっての再訪である福島民報YouTube「ドローンによる空撮いわき豪雨」<下記をクリック>白水阿弥陀堂+台風による被害-Google検索公園駐車場には車は駐まっていたが、参拝者は私一人であったこれは、豪雨から一ヶ月後の様子である鯉が元気よく泳ぎ口を開けて餌をまっていた池もこのような状態である真言宗智山派の寺院・願成寺が「阿弥陀堂」を所有する受付所から阿弥陀堂への道は以前と変わらないと思っていたが、汚泥を除去し砂利を敷き詰めたそうだ橋の床板がく...白水阿弥陀堂(福島県いわき市内郷白水町広畑221)

  • 八槻都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町八槻大宮 224)

    訪問日令和5年10月13日八槻都々古別神社(やつきつつこわけじんじゃ)「陸奥国一宮」ということで訪れた社号標「国幣中社都都古別神社」と刻まれている鳥居第12代景行天皇の時に皇子の日本武尊が奥羽に至り八溝山の東夷を討った日本武尊を守護した3神が建鉾山に隠れたので、尊は東方に箭(や)を放ち箭の着いた地(箭津幾:やつき)に神社を創建したという「境内図」参道の正面に随身門が見えてくる社務所狛犬個性的な風貌をしている手水舎随身門(福島県指定文化財)正徳元年(1711年)に焼失した後、享保年間(1716~36年)に再建されたとみられている八脚門形式で、彫刻や彩色などの装飾も細部までまとまっている扁額には「奥州一宮」「陸奥国一宮」ということで訪れたが、境内図と随身門には「奥州一宮」と調べていくと陸奥国の別称で奥州と陸州...八槻都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町八槻大宮224)

  • 馬場都々古別神社(東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39)

    訪問日令和5年10月13日馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ)陸奥国一宮ということで訪れた江戸時代から、久慈川沿いに並んで鎮座する「八槻都々古別神社・近津神社(茨城県久慈郡大子町」と合わせて「近津三社」と呼ばれているこの馬場都々古別神社は、そのうちの上之宮にあたる二の鳥居先に訪れた「石都々古和気神社」、現在訪れている「馬場都々古別神社」、次に訪れる「八槻都々古別神社」いずれも陸奥国一宮であり、社号も似ている参道の正面に随神門らしき建物が見えてくる手水舎社務所随神門額には「陸奥國一宮」随神像更に先に進むと社殿が見えてくる参道や社殿は高い木に囲まれている始めて訪れる神社なので周辺の社などを確認しながら参道を進む寅卯神社三の鳥居社殿前の鳥居周辺は塀によって囲まれている甲山天満宮神明社拝殿その昔、日本武尊が...馬場都々古別神社(東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39)

  • 石都々古和気神社(福島県石川郡石川町下泉269)

    訪問日令和5年10月13日石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)社号標陸奥国一宮ということで訪れた駐車場の傍に社号標と社務所はあるが社殿の姿が見えない(嫌な予感がする)狛犬(石川町指定文化財)「飛翔獅子」と呼ばれる構図の作品で「高遠石工」の技術を受け継いだ作品高遠石工とは、高遠藩領内(現在の長野県伊那市)出身の石材加工の職人集団昭和の時代の作品であるが、高遠藩の石工文化の伝承による貴重な作品「境内図」神社まで250mはいいが、(徒歩9分)っていうのは……嫌な予感というものは高確率で当たるもので、目の前には先の見えない階段が待っていた胡桃下意成神社(くるみしたいなりじんじゃ)立派な案内板があるここで神に祈ると近いうちに願い事が叶うという「いなり」といえば、稲荷・稲成だが「意成」なら確かに願いが叶いそうだ...石都々古和気神社(福島県石川郡石川町下泉269)

  • 文殊院 清龍寺(福島県大沼郡会津美里町字文殊西3611)

    訪問日令和5年10月13日文殊院清龍寺清龍寺はもとは伊佐須美神社境内だった寛文年間(1661~73)に、社地から分離し、伊佐須美神社奥の院別当を司っていた寺号標寺号標には「文殊院」文殊院清龍寺の文殊菩薩は「筆の文殊」として信仰を集めている「紙の文殊」(天の橋立て)、「硯墨の文殊」(大和桜井)と並び日本三文殊に数えられている仁王門仁王像東北地方にはユニークな仁王像が多いと感じている縄と藁を用いている像は珍しい過去に撮ったなかでも記憶に残っている像の一つだ文殊堂清龍寺は暦応2年(1339年年、円済法師がこの地に立ち、独鈷等(仏具の一種)を投げたところ光を放ったので、土を盛り、堂を建てたことから始まる天海大僧正はこのお堂に祈願して授かったといわれている「天海大僧正とは」戦国時代の末期から江戸初期にかけて活躍した...文殊院清龍寺(福島県大沼郡会津美里町字文殊西3611)

  • 伊佐須美神社(福島県大沼郡会津美里町字宮林甲4377)

    訪問日令和5年10月13日伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)岩代国一之宮(福島県西半部)会津総鎮守2000年を越える歴史を誇り、「会津」地名発祥の由来を伝える神社鳥居末社菅原神社祭神:菅原道真学問成就・出世開運の守護神参道の先に楼門が見える手水舎末社道主命神社(みちぬしのみことじんじゃ)祭神:道主命交通安全の祈願所楼門楼門は平成元年(1989年)の造営、高さは約14m神像獅子像仮社殿主要社殿は平成20年(2008年)の火災で焼失したため、現在は拝殿跡に建てられた仮社殿をして祀られている火災後、新社殿として、古代の出雲大社を連想させる高さ32㍍の「天空にそびえ立つ神殿」を計画していたが頓挫拝殿内部数年前に一度訪れたことがあるが、本格的な再建が進んでいないようだ拝殿前に供えられた花がやけに目に入ってくる祭神:伊...伊佐須美神社(福島県大沼郡会津美里町字宮林甲4377)

  • 新宮熊野神社(福島県喜多方市慶徳町新宮字熊野2258)

    訪問日令和5年10月12日新宮熊野神社平安時代後期の永承6年(1051年)、前九年合戦の折り源頼義、義家父子が紀州にある熊野権現に武運を祈願し見事勝利した神意に感謝し、天喜3年(1055年)熊野堂村(福島県会津若松市)に分霊を勧請したのが始まり鳥居案内板額には社号の「熊野神社」鳥居の注連縄としてはかなり大きい神社で拝観料:大人300円は珍しいが宝物殿入館料と思えば納得できる初めて訪れる場所で周囲を確認しながら参道を進む手水舎御神木「大イチョウ」(喜多方市指定天然記念物)樹高37m樹齢800年以上晩秋になると落ち葉が黄色い絨毯のように境内を美しく彩る11月中旬~下旬の見頃の時期にはライトアップが行われ、大イチョウが幻想的な雰囲気を醸し出す狛犬熊野神社長床(重要文化財)「大イチョウ」と巨大な長床寄棟造、茅葺、...新宮熊野神社(福島県喜多方市慶徳町新宮字熊野2258)

  • 叶山 三宝院 願成寺(福島県喜多方市上三宮町上三宮字籬山833)

    訪問日令和5年10月12日叶山三宝院願成寺浄土宗の寺院嘉禄3年(1227年)法然上人の高弟隆寛律師の開山、開基はその弟子實成房上人表門願成寺縁起山門(福島県指定文化財)元禄11年(1698年)に竣工した楼門造りで、禅宗様と和様を混ぜた建築扁額には山号の「叶山」鐘楼鐘楼から本堂を眺める本堂(福島県指定文化財)慶長16年(1611年)慶長三陸地震による震災で現在の場所に移転会津藩主初代保科正之、正経、正容(正信)三代を通じて大施主となったもの時代が流れ明治初年(1868年)以降、廃佛のことあって寺勢衰え、無住の時代もあった昭和の時代になり、63世映譽上人は、大戦後の混乱の中で幼児教育園を興し、寺域の整備につとめた本堂、庫裡及び大佛殿の屋根大修理さらに三門、鐘楼の銅板ふき替え、新阿弥陀堂を建立した扁額には社号の...叶山三宝院願成寺(福島県喜多方市上三宮町上三宮字籬山833)

  • 長命山 幸徳院 笹野寺<笹野観音堂>(山形県米沢市笹野本町5686-5)

    訪問日令和5年10月12日長命山幸徳院笹野寺<笹野観音堂>真言宗豊山派の寺院坂上田村麿呂が国家鎮護を願って観音菩薩を勧請弘仁元年(810年)、現在の地に観音堂が落成し観音菩薩と羽黒権現を祀り、会津の高僧「徳一上人」により入仏供養が行われた仁王門天保11年(1840年)に民家より出火して仁王門が焼失明治6年(1873年)、米沢の豪商が南原の「常慶院」より金10両で買い受け移築して再建健康や足が丈夫になるようにと願って、下駄やわらじなどの履き物が奉納されている仁王像仁王像の前には格子か柵状の木材、または金網などにより像が護られているここの仁王像は、格子の奥にさらに金網があり二重に護られている境内一面に植えられたあじさいは七月中咲き誇るという紫陽花の名所として別名「あじさい寺」と呼ばれている千体地蔵堂嘉永3年(...長命山幸徳院笹野寺<笹野観音堂>(山形県米沢市笹野本町5686-5)

  • 松心山 善光寺<堂森善光寺>(山形県米沢市万世町堂森山下375)

    訪問日令和5年10月12日松心山善光寺(堂森善光寺)道の駅「米沢」の屋内にある大きな看板である前田慶次は趣味だったパチンコ台「花の慶次」で随分愉しませてもらったその後、NHKの歴史ドラマでも扱われ、毎週、視聴していた道の駅近くに「天下の傾奇者(かぶきもの)」と称された前田慶次の供養塔が建立されているということを知った上杉家には謙信を筆頭に直江兼続など魅力的な武将がいるが前田慶次もその一人だ駐車場に車を駐め、周辺を散策する案内板には寺の歴史が記されている真言宗豊山派の寺院伝承によると善光寺阿弥陀堂の別当として大同2年(807年)に開山されたとある仁王門仁王像仁王像の前には細かな金網があり鳥類などの侵入を防いでいる写真を撮る側としてはこれが難敵でいつも苦労している手水鉢仁王門の正面に見えるのが阿弥陀堂阿弥陀堂...松心山善光寺<堂森善光寺>(山形県米沢市万世町堂森山下375)

  • 松高山 大聖寺<亀岡文殊>(山形県東置賜郡高畠町亀岡41)

    訪問日令和5年10月11日松高山大聖寺<通称:亀岡文殊>真言宗智山派の寺院「亀岡文殊」は、奈良県桜井市の「安倍文殊院」、京都府宮津市の「切戸の文殊」とともに、日本三文殊の一つに数えられる関ヶ原の戦い後、上杉家は米沢30万石の大名として会津から米沢へ移転した慶長7年(1602年)上杉家執政「直江兼続」が主催者として亀岡文殊堂で詩歌の会が開催された直江兼続の漢詩をはじめ前田慶次、大国実頼ら有名な武将の詩歌「亀岡文殊堂奉納詩歌百首(高畠町指定文化財)」が残されている石中に彫られた石仏独国和尚宮城県女川町出身の僧亀岡文殊で修業を積み、女川町や福島市、いわき市を拠点に布教活動をしていたこの石像は、独国和尚を慕う高畠の人々の寄進筏舟(がっしゅう)和尚越後・草水観音寺の住職で、ここから続く十六羅漢は自身の顔に似せ造立し...松高山大聖寺<亀岡文殊>(山形県東置賜郡高畠町亀岡41)

  • 熊野大社(山形県南陽市宮内3476-1)

    訪問日令和5年10月11日熊野大社熊野大社は、大同元年(806年)平城天皇の勅命により再建されたと伝えられている実際にはそれより前の国分寺建立(741年)のときに創建されたものと推定されている手水舎熊野大社境内とその周辺で「南陽菊まつり」が開催されていたため、手水舎周辺は作品で飾られていた手水鉢にも菊が浮かんでいて美しいお御坂(おみさか)46段の石段馬に乗り参拝する方がいたことから通常の石段よりも大きな造りとなっている狛犬1幸神社(さいわいじんじゃ)大社神社(おおやしろじんじゃ)湯殿山神社(右)、月山神社(左)狛犬2顔面部分が欠損している鐘楼洪鐘(南陽市指定文化財)寛永3年(1626年)阿部右馬助から寄進された第二次世界大戦中に金属の回収を命じられたが、文化的な価値から免除されたおみくじ掛け(花結び)階段...熊野大社(山形県南陽市宮内3476-1)

  • 南陽菊まつり(山形県南陽市宮内3476-1)

    訪問日令和5年10月11日第111回南陽菊まつり熊野大社境内とその周辺で「南陽菊まつり」が開催されていた南陽の菊づくりの歴史は上杉藩時代から始まった菊人形を飾る「菊まつり」としては全国一の歴史を誇る作品1「菊華屏風絵図」斎藤哲裕「南陽菊まつり」は宮内会場(10/6-10/16)と花公園会場(10/17-11/5)の2カ所で約1ヶ月間の開催幸運にもこの期間に訪れることとなった作品2「メルヘンの森」野口俊明例年、この時期に神社などを訪れると「菊花展」に巡り合うことがあるここ南陽市は、菊以外の要素も加わり、作品を黒色の箱に入れるなどして芸術性を高めている作品3「枯山水と菊の出会い」大沼尚嗣作品の横には制作者名と経歴等が記載されている作品4「梅欄竹菊」鈴木悠介「全国一の歴史と技と文化を誇る南陽の菊まつり」のタイト...南陽菊まつり(山形県南陽市宮内3476-1)

  • 守國山 吉祥院(山形県山形市大字千手堂509)

    訪問日令和5年10月11日守國山(しゅこくざん)吉祥院(きちじょういん)前夜は土砂降りの中、道の駅「寒河江」に到着、朝まで雨が降り続いていた近くの慈恩寺は何度も訪れているので、この日は一度も訪れたことのない場所を選んでみた重要文化財の「木造千手観世音菩薩立像」を拝観したいと思い訪れた石柱には「國寶千手観世音菩薩」とある境内では落ち葉などの清掃作業をしている男女の老人がいた地域の檀家さんと思い「お疲れさまです」と挨拶をしたが、後に住職だということがわかったカメラを縦にして少し離れてやっと高い木が画角に収まった参道の正面に観音堂創建から1280有余年の歴史を刻む天台宗寺院である延命曼荼羅塔復元建立趣旨門の額には「抜苦殿」五輪塔抜苦(ばっく)」は、仏教の用語で、衆生の苦しみを除くことを意味する観音堂(山形市指定...守國山吉祥院(山形県山形市大字千手堂509)

  • ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所(宮城県仙台市青葉区ニッカ1番地)

    訪問日令和5年10月10日ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所NHKの「マッサン」視聴後から、ウイスキー蒸溜所巡りも旅の目的の一つに加わった春の旅では、鹿児島県の「嘉之助と津貫蒸溜所」、広島県の「桜尾蒸留所」を巡りウイスキーを購入してきたこの秋の旅の最初の訪問地は「余市蒸溜所」の売店であったが、望むものを入手することができなかったこの日、宮城峡蒸溜所を訪れる予定ではなかったが、大崎八幡宮拝観後に雨が強くなり予定していた寺社を諦めた仙台市内から20km程度で雨でも大丈夫な場所で、思い浮かんできたのがこの蒸溜所であった旅に出る前から宮城県でなければ購入できない「伊達」というウイスキー入手が目的である蒸溜所到着後、雨が止み青空が見えてきたので蒸溜所見学を申し込む9時から30分毎にツアーがあるためとても便利だ(無料)時間...ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所(宮城県仙台市青葉区ニッカ1番地)

  • 大崎八幡宮(宮城県仙台市青葉区八幡四丁目6番1号)

    訪問日令和5年10月10日大崎八幡宮国宝の社殿があるということで訪れたカーナビが案内した国道46号線沿いには鳥居は見えたが車の入る場所がない駐車場の検索してみると社殿の裏側にあることが分かった北参道鳥居御鎮座400年奉祝事業の一環として平成17年に建造された木材には樹齢250~300年の青森ヒバ、袴石には茨城県産の御影石を使用駐車場からは緩やかな坂の北参道を進んで行くことになる長床(重要文化財)長床(ながとこ)とは、神社の本殿の前方の細長い建物拝殿のみならず、修験者の宿泊、参籠場所としても使われることがあった額には社号の「大崎八幡宮」拝殿・石の間・本殿(国宝)東夷征伐に際して坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく武門の守護神である「宇佐八幡宮」を現在の岩手県水沢市に勧請、「鎮守府八幡宮」を創祀その後、室町時...大崎八幡宮(宮城県仙台市青葉区八幡四丁目6番1号)

  • 鹽竈神社・志波彦神社(宮城県塩竈市一森山1番1号)

    訪問日令和5年10月10日陸奥国一宮鹽竈神社(しおがまじんじゃ)鹽竈神社は、全国にある鹽竈(鹽竃・塩竈・塩竃・塩釜・塩釡)神社の総本社正式名称は「志波彦神社・鹽竈神社」鳥居(重要文化財)初めて訪れる場所なのでこの境内図を頭に入れる普通は表参道を目指すのであるが事情があって止めた額には寺号の「鹽竈神社」「しおがま」という地名は「塩竈」「塩釜」「鹽竈」「鹽釜」と表記されてきた市は1941年の市制施行より表記を「塩竈(塩釜可)」に統一している狛犬1女川の道の駅から鹽竈神社までずっと強い雨が降っていた到着後、雨は止んだが階段の昇降には注意が必要だった社号標境内図奉納額「唐獅子(昭和5年)」「騎馬武者(文久2年)」「尾長鶏と太鼓(弘化5年)」「騎馬武者(慶応5年)」舞殿仙台藩主伊達綱村公顕彰碑「塩竈の礎を築いた恩人...鹽竈神社・志波彦神社(宮城県塩竈市一森山1番1号)

  • 大金山 陽山寺(宮城県石巻市十八成浜寺山31)

    訪問日令和5年10月8日大金山陽山寺重要文化財の「十一面観音立像」があるということで訪れたが、調べて見ると予約制であることを後に知った近くのコンビニから電話にて拝観できるかと確認すると、2時間後に予約があり、その時間帯なら可能だと……普段なら、すぐ諦めるのだが大好きな「十一面観音」の為なら待とうと、拝観をお願いした待ち時間を使い比較的近くにある「おしか御番所公園」で美しい景色を楽しんだ山門30分ほど前に寺に着き、時間がくるまで写真を撮っていた観光寺院でないのか、案内板が設置されていなかった山門の額には山号の「大金山」本堂本堂の額には寺号の「陽山寺」この本堂に「十一面観音」があるものと、この時は思っていた……10分程前に住職らしき人が車で出ていき5分前になっても予約らしき人の姿もない(不安になる)時間になっ...大金山陽山寺(宮城県石巻市十八成浜寺山31)

  • おしか御番所公園(宮城県石巻市鮎川浜黒崎1番地)

    訪問日令和5年10月8日おしか御番所公園南三陸金華山国定公園の中にあったが、2015年3月31日、南三陸金華山国定公園が「三陸復興国立公園」に編入された宮城県道220号牡鹿半島公園線(牡鹿コバルトライン)の南端にあるこの橋を渡ろうと近寄ってみると、老朽化の為なのか通行禁止になっていた公園中央の一番高い位置には、六角形の「展望棟」があり、360度パノラマの眺望が楽しめるようだ周辺には高い木がないため陸前高田市の「奇跡の一本松」のことを思い出した金華山今回の東北6県を巡る旅では「函館ー大間」のフェリーを利用したが、利用回数では「苫小牧ー名古屋」が圧倒的に多い利用する太平洋フェリーでは「金華山沖を航行」との船内放送が入り、いつも船内から眺めていた今回は牡鹿半島からの眺望になる金華山は、島全域が山であり、最高点は...おしか御番所公園(宮城県石巻市鮎川浜黒崎1番地)

  • 無夷山 箟峯寺(宮城県遠田郡涌谷町箟岳字神楽岡1)

    訪問日令和5年10月7日無夷山(むいさん)箟峯寺(こんぽうじ)天台宗の寺院宝亀元年(770年)鎮守府将軍大伴駿河麻呂の草創大同2年(807年)坂上田村麻呂の創建と伝えられる案内板によると、箟峯寺とは観音堂、白山社などを中心に24坊からなる一山寺院(総称)当初、「霧岳山正福寺」と称していたが、嘉祥2年(849年)に円仁が中興し、「無夷山箟峯寺」と改称したこの寺を選択したのは武光誠著「地図でめぐる神社とお寺」に「笑みを浮かべたように見える仁王像がある」の記載があったからだこれまで訪れた寺院の仁王像を地域別に発信した際に「笑顔の仁王像はないのか」とコメントを頂いたことがある仁王像なので「ありませんよ」と応えただけに確かめたいと思った仁王門長い階段を上がっていくと、仁王門が見えてみた仁王像の事ばかり頭にあり、狛犬...無夷山箟峯寺(宮城県遠田郡涌谷町箟岳字神楽岡1)

  • 竹峰山 華足寺(宮城県登米市東和町米川字小山下2)

    訪問日令和5年10月7日竹峰山華足寺(けそくじ)真言宗智山派の寺院大同2年(807年)坂上田村麻呂が蝦夷征討で当地を訪れた際、戦没者の霊と戦死した愛馬を慰める為に馬頭観音(馬頭明王)を勧請愛馬を埋めた塚の上に堂を造営したのが始まりとされる山門(宮城県指定文化財)寛政11年(1799年)に仙台藩9代藩主伊達周宗から寄進された屋根は、過去数回修理され更に吹き替えられたが、その他は創建時(225年前)のままの姿2階には十二支の守り「本尊八神像」を安置案内板二天像「増長天」南方を護る守護神青い顔で宝剣を持った姿で表される「多聞天」北方を護る守護神二天像のピントが合っていない格子の中央に(高い場所にある)空間があるが、そこにレンズを突っ込み、背伸びして腕を伸ばして震えながら撮っている堂内は暗く、目視できない状態でシ...竹峰山華足寺(宮城県登米市東和町米川字小山下2)

  • 妙見山 黒石寺(岩手県奥州市水沢黒石町字山内17)

    訪問日令和5年10月6日妙見山黒石寺(こくせきじ)強風警報が発令されていたようで、途中、倒木により道路の半分が塞がれていた場所もあった平成28年(2016年)5月に重要文化財の仏像拝観を目的に一度訪れたことがある寺号標その時は残念ながら受付が開いていなくて拝観することができなかった東北6県を巡る旅は今回が最後になると思い再訪することにした黒石寺蘇民祭今回、投稿するためにホームページを検索していたところ千年以上続くとされる奇祭「黒石寺蘇民祭」は、2月17日黒石寺で開かれ、惜しまれながら歴史に幕を下ろすことになったその理由は、現在祭りの中心を担っている人の高齢化と、担い手不足により、祭りを維持していくことが困難な状況となったためとのこと御供所・鐘楼1階は御供所(ごくしょ)といって、本尊に供える供物を準備すると...妙見山黒石寺(岩手県奥州市水沢黒石町字山内17)

  • 駒形神社(岩手県奥州市水沢中上野町1-83)

    訪問日令和5年10月6日駒形神社あてのない放浪旅といえども、いくつかの目的を持って各地を訪れている昨年春の旅から、全国の「一宮神社」を巡る旅も追加してみた駒形神社は「陸中一宮」ということで訪れた大鳥居鳥居の奥に駐車場があり入ってみたが満車状態、特に長い車体の車には厳しいものがあった狛犬手水舎神門女の子は3歳と7歳、男の子は5歳を迎えた年に神社にお参りする「七五三」の時期だった5・6組の家族と言っても、最近ではカメラマンを含めると狭い境内では賑やかな状態になっている絵馬掛け拝殿特に拝殿前は撮影スポットになるため混雑し、この写真を撮るのに20分程度待った駒形神社は、約1500年前に駒ケ岳山頂に奉斎された山頂への参詣が厳しかった為、北上市、金ヶ崎町に各里宮を造営した明治36年(1903年)山頂より現鎮座地(旧鹽...駒形神社(岩手県奥州市水沢中上野町1-83)

  • 日高神社(岩手県奥州市水沢字日高小路13)

    訪問日令和5年10月6日日高神社本殿が重要文化財に指定されているということで訪れた社号標創建は弘仁元年(810年)に第52代嵯峨天皇の勅命によりこの地に勧請した事が始まりとされる征夷大将軍源頼義・義家父子が前九年と後三年両度の役で戦勝祈願に訪れた嘉応2年(1170年)に藤原秀衡が再造させている慶長年間(16世紀末)には伊達政宗が再興させ、社領の寄進と社殿の造営を行い、参拝の記録も残る狛犬1姥杉(奥州市指定文化財)別名「義家杉」前九年の役で安倍一族を征討した事を祝す宴が開かれた際に、源義家が使った杉の箸を地面に刺したものが根付いて巨木になったという伝説留守宗利公留守宗利(るすむねとし)は、陸奥国仙台藩一門第三席・水沢伊達家2代(留守氏19代)当主父・政景は小田原征伐に参陣しなかったため領地を没収され、以降は...日高神社(岩手県奥州市水沢字日高小路13)

  • 丹内山神社(岩手県花巻市東和町谷内2-303)

    訪問日令和5年10月6日丹内山神社(たんないさんじんじゃ)最初に訪れた「三熊野神社」で、会話を交わした地元の方に、社殿が美しいと強く勧められた神社である毎朝、その日の訪問場所の候補を4~7程検索しているのだが、この神社は入っていなかった参拝案内図参拝順路が記されているが、他に参拝者もいなく自分の歩いた順に写真を掲載した案内板駒形神社爺杉の根(花巻市指定文化財)観音堂案内板では「相殿・祖霊社・観音堂」となっている丹内山神社は、かつて「大聖寺」と呼ばれていたが、明治維新のときに神社となり現在の名に改めたこの建物はその名残をとどめている感じがする木造十一面観音菩薩立像(岩手県指定文化財)平安時代、平泉藤原氏から寄進されたもの丹内山神社仏像<不動明王立像>(花巻市指定文化財)廃仏毀釈により「凌雲寺」に移されていた...丹内山神社(岩手県花巻市東和町谷内2-303)

  • 三熊野神社・成島毘沙門堂(岩手県花巻市東和町北成島5区1)

    訪問日令和5年10月6日三熊野神社三熊野(みくまの)神社の正式名称は「熊野神社」鳥居前の二つの石柱には「熊野神社」「毘沙門堂」とある鳥居の近くに駐車場があるが、一般道路から徒歩により参拝する場合は長い階段を上がらなければならない鳥居の額には「毘沙門天」「熊野神社」と並記されているこの写真付きの参拝順路はとても分かりやすい鳥居鳥居の前には社務所、総合案内がある手水舎手水舎の先に「拝殿」が見える幼児成長祈願石像神社といえば狛犬だが、ここには一対の幼児の石像がある拝殿社伝によれば、坂上田村麻呂が対蝦夷戦争に際して、征矢立の森に登って紀伊の熊野三山に戦勝を祈願戦勝後の延暦21年(802年)にこの地に熊野三山の神を勧請して創祀したという康平5年(1062年)に源義家が前九年の役で安倍貞任を追撃した際には鏑矢を奉納し...三熊野神社・成島毘沙門堂(岩手県花巻市東和町北成島5区1)

  • 盛岡八幡宮(岩手県盛岡市八幡町13-1)

    訪問日令和5年10月5日盛岡八幡宮康平5年(1062年)源頼義が安倍氏討伐の際に、戦勝を祈願して石清水八幡を勧請したのに始まる社号標「盛岡鎮守」皇后陛下の曾祖父にあたる、盛岡出身の海軍大将山屋他人の揮毫鳥居額には社号の「盛岡八幡宮」南部家第四十六代当主南部利文謹書とある青銅燈籠二基(盛岡市指定文化財)手水舎この手水石は、滝壺のなかにあり、流水により自然にくぼみができた「水掘石」神馬舎社殿側から鳥居を眺める正面の階段を上がるごとに社殿の姿が見えてくる狛犬1拝殿現在の社殿は平成9年(1997年)12月に新八幡宮として建て直されたもの美しい拝殿の前では若い女性グループが個性的なポーズで写真を撮っていた撮り方も撮られ方も良く知っている若者の写真は爺の記録写真とは異なり面白い正面扉の上には旧拝殿から引き継がれた「八...盛岡八幡宮(岩手県盛岡市八幡町13-1)

  • 不動の滝・桜松神社(岩手県八幡平市高畑)

    訪問日令和5年10月5日不動の滝八幡平安代地区にあるのどかな桜松公園駐車場に車を駐め「不動の滝」を目指す歩いて10分程の距離というが、雨予報ということもあり急ぎ足で向かった高さ15mの滝三段からなる名滝・不動の滝は「日本の滝百選」の一つに数えられている「岩手の名水二十選」にも認定されている滝では若いカップルに気持ちのよい挨拶をされた女性が滝の写真を撮り、その女性を男性が撮っているこの男女と少し会話をしたが、言葉遣いを含め礼儀作法が素晴らしく、印象に残ったこちらから声をかけ、橋の上で滝を背景に二人の写真を撮ってあげたかつて修験道僧の修行の場だった不動の滝修験道というのは、神道と仏教が習合した山岳信仰の伝統のひとつ不動は知恵の王である5五大明王の中心となる尊格で、その猛々しさで怒りを救済へと変えるさて、不動の...不動の滝・桜松神社(岩手県八幡平市高畑)

  • 大日霊貴神社(秋田県鹿角市八幡平堂の上16)

    訪問日令和5年10月5日大日霊貴神社(おおひるめむちじんじゃ)その日の訪問地を決める際、スマホに「最寄りの観光地」「最寄りの有名寺社」と囁き決めることが多い車中泊した道の駅に近い場所にあり向かった鳥居鳥居横の社号標から「おおひるめむち」神社とは読めなかった由緒継体天皇(26代)の御代を調べて見ると507~531年になる1500年の歴史を持つ古社ということになる「姥杉ノ柵奉納」と刻まれている神門神仏混交の名残を見せる神社山門板碑(鹿角市指定文化財)鎌倉後期の記年銘をもつ、秋田県内では最古に属する高さ80cmの五角柱の自然石の板碑江戸時代にはその梵字が「阿弥陀三尊」であることから「三尊石」と呼ばれていた手水舎石柱には「鹿角厄除大日堂」「大日堂」とも称されている牛のようにも見えるが、参道両脇に置かれている昭和2...大日霊貴神社(秋田県鹿角市八幡平堂の上16)

  • 十和田神社(青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋486)

    訪問日令和5年10月4日十和田神社乙女の像に至る道程、「開運の小径」と名付けられた分岐に入ると「十和田神社」の参道につながる明治初年の神仏分離以前は「額田嶽熊野山十灣寺」を号する十和田湖畔に建つ神仏習合の寺院であった鳥居鳥居の額には、社号の「十和田神社」かつては、熊野や日光に比すべき北東北最大の山岳霊場であった僧侶や修験者の山岳修行の場であり、民衆の信仰登山、山岳修行の山であった正面に手水舎、右手の石鳥居の階段を上がると社殿が見えてくる手水舎石鳥居狛犬1石鳥居前の狛犬拝殿前の狛犬との比較も面白い階段の途中から木々に囲まれた社殿が目に入ってくる拝殿神仏分離以前は、十和田青龍権現を祀っていた現在の拝殿の場所に観音を本地仏として安置する仏堂「十和田御堂」が建っていた明治維新後に、十和田信仰は神仏分離と廃仏毀釈の...十和田神社(青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋486)

  • 乙女の像(青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋)

    訪問日令和5年10月4日乙女の像<高村光太郎>20年ほど前に一度訪れたことがある数年前、福島県二本松市で「智恵子の生家・智恵子記念館」を訪れたことがきっかけとななり、再び訪れようと思った駐車場から「乙女の像」まで少し歩くことになるが、木道が設置されていてとても歩きやすい「智恵子の生家・智恵子記念館」は下記で発信済智恵子の生家・智恵子記念館(福島県二本松市油井字漆原町)-今、出発の刻(たびだちのとき)訪問日令和元年11月6日走行中「智恵子の生家」の案内板が突然目に入ってきた「高村光太郎」との関係に興味をもっていたので立ち寄ることにした智恵子の生家・智恵子記念館明...gooblog 「智恵子の生家・智恵子記念館」では智恵子本人よりも高村光太郎の方に興味を持った昨夜、記念館で購入した「智恵子抄」を読み直してみ...乙女の像(青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋)

  • 奥入瀬渓流(青森県十和田市奥瀬)

    訪問日令和5年10月4日奥入瀬渓流(特別名勝、天然記念物)十和田湖東岸の子ノ口(ねのくち)から北東に、焼山までの約14kmにわたる奥入瀬川の渓流十和田八幡平国立公園に属する渓流に沿って流れとほぼ同じ高さに車道と歩道がつくられている銚子大滝奥入瀬渓流本流にかかる随一の滝、銚子大滝は高さ7m、幅20m十和田湖への魚の遡上を妨げ、魚止の滝とも呼ばれている長い間、十和田湖には魚が住めないといわれてきた奥入瀬渓流はミシュラン・グリーンガイドで二つ星に選ばれた観光名所約14km続く渓流は絶景の連続私は駐車スペースのある場所に車を駐め周辺を巡ったが、多くの人は歩いていた雲井の滝森林にかこまれた断崖から、三段になって落下するこの雲井の滝の高さは20mこの滝は、岩を少しずつ浸食しながら上流に向かって後退し、いつかは消える運...奥入瀬渓流(青森県十和田市奥瀬)

  • 櫛引八幡宮(青森県八戸市八幡字八幡丁3-2)

    訪問日令和5年10月3日櫛引八幡宮本殿など5棟の社殿が重要文化財に指定されているということで訪れた一の鳥居社号標社務所二の鳥居手水舎コロナ対策と思われるが柄杓(ひしゃく)がない参拝前に手や口を清める場所であるが美しい花で心も清らかになる由緒由緒等が大きな石に刻まれている八幡馬(やわたうま)「御神馬」と刻まれた台座の上に、注連縄をまとった花崗岩の八幡馬が置かれている八幡馬は、八戸市を中心とする南部地方で古くから作られている、子供や家族の幸せを願う愛情溢れる木彫り馬の郷土玩具・民芸品これまで多くの「御神馬」を観てきているが、この形は初めてである太鼓橋正門<南門>(重要文化財)慶安元年(1648年)盛岡藩2代藩主(南部氏28代)南部重直の命で造営された平屋の門のなかで最も格式の高い形式の切妻造銅板葺の四脚門狛犬...櫛引八幡宮(青森県八戸市八幡字八幡丁3-2)

  • 楞巌山 清水寺(青森県八戸市 是川字中居18-2)

    訪問日令和5年10月3日楞巌山清水寺青森県八戸市にある清水寺であるが「きよみずでら」ではなく「せいすいじ」と読む山号は楞巌山(りょうごんざん)真宗大谷派の寺院であるこの寺を訪れた目的は、重要文化財の観音堂の拝観である寺社巡りを中心に車旅をしているが、訪れた地域にある国宝や重要文化財の建築物や仏像を可能な限り観たいと思っている山門「真宗大谷派」の札があるが、明治2年(1869年)天台宗から改宗した山門を進むと正面に本堂が見えてくる鐘楼本堂扁額には寺号の「清水寺(せいすいじ)」観音堂(重要文化財)本堂裏の高い木々に囲まれた場所に観音堂は建っていたカメラを構え、ゆっくり前に進みながら写真を撮っていった茅葺屋根というのも嬉しい案内板堂内に残されている棟札から、天正9年(1581年)に建立されたことが分かっている靑...楞巌山清水寺(青森県八戸市是川字中居18-2)

  • 龗神社(青森県八戸市内丸2丁目1-51)

    訪問日令和5年10月3日法霊山龗神社社号標には、法霊山龗神社(ほうりょうさんおがみじんじゃ)と刻まれている旧陸奥國八戸藩総鎮守にして、八戸市内最古と言われる神社鳥居訪れるきっかけとなったのは、この案内板の内容を旅行雑誌か何かで知ったからだ頼朝に追われた義経は平泉「高館」にて、文治5年(1189年)閏4月頼朝の圧迫に耐えかねた泰衡の急襲にあい、この地で妻子とともに自害したと伝えられている平成28年(2016年)5月に平泉の「高館義経堂」を訪れた時、面白い案内板(下記写真)があったことを覚えていた「平泉を脱し北へ向かった」とあり、龗神社の案内板と結びついたのだ若い頃、高木彬光の推理小説「成吉思汗の秘密」を夢中になって読んだことがあり、今でも義経の名が出てくると興味を持ってしまう手水舎お御籤掛け社務所義経に関係...龗神社(青森県八戸市内丸2丁目1-51)

  • 尻屋埼灯台と寒立馬(青森県下北郡東通村尻屋字尻屋崎1-1)

    訪問日令和5年10月2日尻屋埼灯台(しりやざきとうだい)と寒立馬(かんだちめ)尻屋埼灯台の周辺に寒立馬が放牧されている観光雑誌の写真に興味を持ち訪れた灯台に向かう道路には門があり、滞在時間が決められている(9:00-16:00)尻屋埼灯台(重要文化財)尻屋埼灯台は、工事期間3年4ヶ月を費やし明治9年(1876年)10月20日に点灯開始した「日本の灯台の父」と称されるブラントンによって設計された、二重のレンガ壁による複層構造の灯台となっている高さ30mを誇る日本一高いレンガ灯台である日本最初の霧笛が設置された灯台でもあるのぼれる灯台16のうちの一つで、日本の灯台50選に選ばれている参観期間は、令和6年4月6日(土)から令和6年11月10日(日)まで参観寄付金300円(中学生以上)訪れた日は風が強く、体重があ...尻屋埼灯台と寒立馬(青森県下北郡東通村尻屋字尻屋崎1-1)

  • 恐山 菩提寺(青森県むつ市田名部字宇曽利山3-2)

    訪問日令和5年10月2日恐山菩提寺高校時代から霊感が強かったのか、本来なら見えないものが見えるし、話しかけてもくる就職して間もない頃、大学の先輩と旅先である小樽市の焼鳥屋に入った時の話しだが、若くて美人の女将がいたところが、目と目が合うと妙な感じになり全身に鳥肌がたつしばらくして、また視線が合うと同じ感じになる不思議に感じていたが、先輩が席を外したときにその女将から「霊感が強いですね」と言われた店に入ったときから向こうも感じていたらしく、話しをしたいと思っていたそうだその女将は夕張出身で幼い頃から炭鉱事故で亡くなった人がよく出てきて一緒に遊んでもらったという経験をたくさん持つというその女将から言われたのは「恐山に行きなさい。あなたの人生が変わるかもしれない」とこの言葉は常に頭から離れず、その時から30年後...恐山菩提寺(青森県むつ市田名部字宇曽利山3-2)

  • 2023年秋 放浪の旅(20日目・最終日)秋田県

    訪問日令和5年10月20日2023年秋放浪の旅(20日目・最終日)秋田県道の駅「てんのう」早朝から豪雨が車の屋根を叩きつける音で目が覚めた今日の天気は100%の降雨予想、しかも2・3日あまり天気が良くないそこで、本日をもって「秋の放浪旅」を終えることにした秋田犬博物室(秋田県大館市三ノ丸13-1)前夜、三重県に住む学生時代の秋田犬を所有する友人から、大館市によってくれないかとの話があった彼の所有する秋田犬の写真が掲載されているという三重県を観光した際に彼の家にお邪魔し、2頭の秋田犬に歓迎されたこともあり興味を持った大館市が秋田犬で有名だったとは全く知らなかった今年が「ハチ公生誕100年」になるということも初めて知った「マサル君」が玄関で迎えてくれるロシアの美人フィギュアスケートのザギトワ選手に贈られたマス...2023年秋放浪の旅(20日目・最終日)秋田県

  • 2023年秋 放浪の旅(19日目)秋田県

    訪問日令和5年10月19日2023年秋放浪の旅(19日目)秋田県道の駅「象潟」この道の駅は、日本海に沈む夕陽を眺めながら優雅に入浴できる施設が併設されている芭蕉縁の地でもある坩満寺・九十九島(秋田県にかほ市象潟町象潟島2)元禄2年(1689年)に、松尾芭蕉が訪れている「おくのほそ道」のなかで「九十九島(つくもじま)」と呼ばれた当時の象潟(きさかた)の景観を絶賛している芭蕉は、中国の悲劇の美女西施(せいし)を思い浮かべ「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠んでいる「九十九島」巡りは過去に2.3kmコースを歩いたことがある今はこのような景観だが、芭蕉が訪れたときは無数の小島が浮かぶ入り江だった文化元年(1804年)の大地震(象潟地震)で干潟に変わった1.6kmの近道コースというのもあるが、私の場合は200mほど歩い...2023年秋放浪の旅(19日目)秋田県

  • 2023年秋 放浪の旅(18日目)山形県

    訪問日令和5年10月18日2023年秋放浪の旅(18日目)山形県道の駅「尾花沢」芭蕉に関連する資料でもあるかと思っていたがなかった深夜から朝方はかなり冷える、車内でも10℃以下になる早朝は霧で視界が悪かったが、7時過ぎころから青空が見えてきた鳥越八幡神社(山形県新庄市鳥越1224)社殿が国の重要文化財に指定されているということで訪れた拝殿(重要文化財)新庄藩2代藩主戸沢正誠による元禄4年(1691年)の建立拝殿内部拝殿・幣殿・本殿へと続く本殿(重要文化財)大瓶束(たいへいづか)の結綿に鬼面の彫刻を施し、また虹梁を支える力士像が彫刻されている土門拳記念館(山形県酒田市飯森山2丁目13)久し振りだと思っていたら、グーグルから2年前に訪れているとの書き込みがあった私が旅先に寺を選択しているのは、写真家土門拳氏の...2023年秋放浪の旅(18日目)山形県

  • 2023年秋 放浪の旅(17日目)宮城県・山形県

    訪問日令和5年10月17日道の駅「村田」前夜、よほど疲れていたのか9時過ぎには目が開かなくなり布団に潜り込んだ朝にはすっきり目が覚めたが、睡眠中何かと格闘していたのか、毛布と髪の毛が酷いことになっていた資料館のようなものが敷地内にあり近寄ってみると、重量挙げのモニュメントと胸像があった元重量挙げの三宅義信選手で、1964年開催の東京五輪の金メダリストだ(メキシコ五輪も「金」)宮城県柴田郡村田町出身で名誉町民にもなっている駐車場にて面白いものを見つけた自作のキャンピングカーだと思われる車に「ヘンテナ(変なアンテナの略)」が付いているアルミホイルで作成するのだがこれだけで地デジ放送を視聴することができるのだ実は私も自作し車の中に置いている仙台東照宮(宮城県仙台市青葉区東照宮1丁目6-1)数日前に仙台市内を観光...2023年秋放浪の旅(17日目)宮城県・山形県

  • 2023年秋 放浪の旅(16日目)福島県・宮城県

    訪問日令和5年10月16日2023年秋放浪の旅(16日目)福島県・宮城県道の駅「ふくしま」300台規模の駐車場があるが、昨日夕方に訪れた時は空車待ちの状態であった売店も福島復興支援の気持ちであふれている観光客で賑わっている私も福島に旅に出かけなければ購入できないという「旅酒」というウイスキーを購入したパラッと雨が降った後に虹がかかった良い日になりそうな感じがする中野不動尊(福島県福島市飯坂町中野字堰坂28)道の駅から3km程の所にある曹洞宗寺院日本三大不動尊のひとつに数えられる「祈祷殿」「大日堂」大日堂内部「寂光門」「不動の滝」医王寺(福島県福島市飯坂町平野字寺前45)天長3年(826年)の創建中世初期に信夫郡を支配した佐藤氏の菩提寺「本堂」額には山号の「瑠璃光山」「佐藤一族位牌殿」佐藤継信・忠信兄弟は平...2023年秋放浪の旅(16日目)福島県・宮城県

  • 2023年秋 放浪の旅(15日目)福島県

    訪問日令和5年10月15日2023年秋放浪の旅(15日目)福島県道の駅「ひらた」福島県東部地区は道の駅が少ない感じがするここは、山村にある道の駅だが到着した夕方にはほぼ満車状態で賑わっていたこの数日、快晴の天気が続いていたため、雨音で目が覚めた時には驚いた天気予報をみると広範囲で80%の降水確率だった何かイベントがあるのか早朝から係の人たちが準備、誘導員も待機していた強い雨で今日は休養日と移動日にしようと決めただが、どうしても気になる神社が比較的近くにあったので寄ってみることにした堂山王子神社(福島県田村市船引町大字門沢字堂山)階段を上がると神社なのに「鐘」があった「仁王門」扁額には社号の「堂山王子神社」神馬はわかるが横に仁王像が安置されている実は、以前は「堂山寺」だったが廃仏毀釈で神社になったという歴史...2023年秋放浪の旅(15日目)福島県

  • 2023年秋 放浪の旅(14日目)福島県

    訪問日令和5年10月14日2023年秋放浪の旅(14日目)福島県道の駅「はなわ」以前、東北旅行をしたときに利用したことがあることを思い出した早朝からボランティアの清掃活動があるようで20人ほどの男女が集まっていた茨城県の「袋田の滝」にいくためにこの道の駅を選択したのだが、滝周辺の駐車場は週末に混むとの情報があったのでやめることにした白水阿弥陀堂(福島県いわき市内郷白水町広畑221)福島県内唯一の国宝建造物である「白水阿弥陀堂」が台風13号の被害に遭ったとの情報を新聞で読み気になっていた阿弥陀堂(国宝)寺の人に尋ねてみると、境内ばかりではなく、国宝の阿弥陀堂内にある仏像の須弥壇まで水に浸かったという堂内に入って仏像を拝観しているときにはまったく感じていなかったが、多くの人たちの手で元の姿に戻したのだろうこれ...2023年秋放浪の旅(14日目)福島県

  • 2023年秋 放浪の旅(13日目)福島県

    訪問日令和5年10月13日2023年秋放浪の旅(13日目)福島県道の駅「喜多の郷」車中泊者の朝は早い、6時頃から洗顔等で動き出す音がする各方面から「くしゃみ」の音が一番聞こえる真っ青な空だが、外は10度以下の気温でかなり冷えているこの道の駅はラーメンで有名な喜多方市の離れた場所にある入浴施設(300円)も併設されていて車中泊の数も多い(車中泊OKの道の駅でもある)残念なことは電波の状態が悪く、ブログを発信するのに苦労したことである今年の春の旅から「一宮神社」を巡る旅も目的の一つに加えた今日は4つの一宮神社を回る予定だ伊佐須美神社(大沼郡会津美里町宮林甲4377)伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)初めて訪れると思っていたが、数年前に来たことがあった「岩代国一之宮」会津の総鎮守として2000年を超える歴史を誇り...2023年秋放浪の旅(13日目)福島県

  • 2023年秋 放浪の旅(12日目)山形県・福島県

    訪問日令和5年10月12日2023年秋放浪の旅(12日目)山形県・福島県道の駅「米沢」大手コンビニなどが併設されていてとても便利な道の駅比較的近くには、朝6時から営業している温泉もある(300円)米沢といえば上杉謙信とその家来たち自販機もそれらを後押ししている道の駅内の看板漫画は読まないが、前田慶次は人気パチンコ台の一つでお世話になったNHKの時代劇にも登場し、その人物に興味を持っていた堂森善光寺(山形県米沢市万世町堂森375)その前田慶次が晩年過ごした縁の地が道の駅の近くにあるということで向かった「阿弥陀堂」阿弥陀堂内部「前田慶次供養塔」前田慶次が万世堂森に居を構え余生を過ごしたとの説もあり、慶次の供養塔が建立されている笹野観音堂(山形県米沢市笹野本町5686-5)国家安泰を願って坂上田村麻呂が建立した...2023年秋放浪の旅(12日目)山形県・福島県

  • 2023年秋 放浪の旅(11日目)山形県

    訪問日令和5年10月11日2023年秋放浪の旅(11日目)山形県道の駅「寒河江」昨夜は土砂降りの中、道の駅に着いた東北最大規模を誇る道の駅で普通車で1000台駐車できるこの道の駅の比較的近くに山形県ではウイスキーの種類でいうと1・2を誇る酒屋があるため利用している今回は経済的に困窮しているため1本で我慢した吉祥院(山形県山形市大字千手堂509)重要文化財の「木造千手観世音菩薩立像」を拝観したいと思い訪れた参道の正面に「観音堂」境内では落ち葉など清掃作業をしている男女の老人がいたその老人が後に袈裟を着て現れ住職だと分かった額にある「出羽一佛」の「出」に字がなぜ山が二つなのか等説明して頂いた堂内の様子まるで彼方の世界が現世より素晴らしいかのような感じがした本尊の「千手観音菩薩(重要文化財)」は収蔵庫に安置され...2023年秋放浪の旅(11日目)山形県

  • 2023年秋 放浪の旅(9・10日目)宮城県・山形県

    訪問日令和5年10月9・10日2023年秋放浪の旅(9・10日目)宮城県・山形県道の駅「おながわ」<連泊>道の駅に隣接している、JR女川駅舎と入浴施設が同じ建物内にある平成23年(2011年)東日本大震災時には、最大14.8mの高さの津波に襲われた人口約1万人のうち、死者・行方不明者は827名にのぼり、町の住宅の約9割にあたる約3,900棟が被害を受けた駅舎の反対側にある仮設住宅港からまっすぐ伸びたレンガ道(駅舎へと続く)両側には29店舗が並ぶ「シーパルピア女川」背面には海が見える雨天ではあったが観光客で賑わっていた魚の自動販売機を初めて見た鹽竈神社(宮城県塩竈市一森山1番1号)鹽竈神社(しおがまじんじゃ)は「陸奥国一宮」である道の駅から神社までの約40kmはかなり強い雨で拝観は無理かなと思っていた表参道...2023年秋放浪の旅(9・10日目)宮城県・山形県

  • 2023年秋 放浪の旅(8日目)宮城県

    訪問日令和5年10月8日2023年秋放浪の旅(8日目)宮城県道の駅「上品の郷」一般的に道の駅側では車中泊を嫌っているが、ここは「車中泊OK」という数少ない道の駅である3連休の初日ということもあり240台ある駐車場は満車状態であった朝6時頃から少しずつ車が目的地に向かって動きはじめた仙台方面に行きたいのだが、市内では30万人規模の「よさこい祭り」が開催されると聞いた宮城県慶長使節船ミュージアム「サン・ファン館」(宮城県石巻市渡波大森30-2)疲れもあったので観光客があまり訪れない場所を選んでみた約400年前に慶長使節一行を乗せて太平洋を往復したガレオン船の復元船があるらしいウオーキンググループのご婦人方の声は聞こえるが、観光客らしき姿は見えない看板を見るとリニューアル中だという観光客があまり訪れない場所とい...2023年秋放浪の旅(8日目)宮城県

  • 2023年秋 放浪の旅(7日目)岩手県・宮城県

    訪問日令和5年10月7日2023年秋放浪の旅(7日目)岩手県・宮城県道の駅「平泉」昨夜も寒かったので予備の毛布を引っ張り出し使用した前夜のように「寒くて眠ることができないという夢も見ず」熟睡した観光地の道の駅ということもあり、早朝から車や人の動きがある朝、6時から朝定食(600円)の食堂が営業していた店内を覗くと、4・5組の人が利用していた私はいつものように車内でコーヒーを入れて菓子パンが朝食になる食後に天気を確認して訪問地を決めるのだが、疲れもあってかなかなか決めることができない華足寺(宮城県登米市東和町米川小山下2)最初に選んだのは、近くにある中尊寺や毛越寺ではなく、宮城県の華足寺(けそくじ)寺伝によると大同2年(807年)坂上田村麻呂が開基という古刹江戸時代に再建された堂宇がそのまま残っているという...2023年秋放浪の旅(7日目)岩手県・宮城県

  • 2023年秋 放浪の旅(6日目)岩手県

    訪問日令和5年10月6日2023年秋放浪の旅(6日目)岩手県道の駅「石鳥谷」強い雨や風に加え、気温が低く体に応えるほど寒い昨夜は寒くて本当に寝たのか、寒くて眠れない夢を見たのか分からないまま朝を迎えたこの建物がトイレだとは思わないだろう(驚くほど綺麗)木目で落ち着いた内装の休憩所にもなっている地酒が並んでいる売店で思わず手を伸ばしそうになった今日も90%の確率の雨予報、さらに「暴風警報」のおまけ付き風が強いため雨雲と青空が交互にやってくる三熊野神社<成島毘沙門堂>(岩手県花巻市東和町北成島5-1)神仏習合だった頃の痕跡が石柱に刻まれているこの急で長い階段を上がってくるのは本当に大変だと思い、鳥居近くまで車で来た本殿(岩手県指定文化財)参拝しているご夫婦から情報提供を受ける「十二番角力式」は幼児による泣き相...2023年秋放浪の旅(6日目)岩手県

  • 2023年秋 放浪の旅(5日目)秋田県・岩手県

    訪問日令和5年10月5日2023年秋放浪の旅(5日目)秋田県・岩手県道の駅「かづの」前日の夕方、道の駅駐車場で沖縄ナンバーの男性に声をかけられた年齢も同じで体型もよく似ているのでよく話しが合った(笑)前日まで北海道に5ヶ月半も滞在し、車中泊で過ごしたというから驚く現在は引退したが古文書などの修復を生業としていたというなかには重要文化財に指定されているものもあったそうだこれまで、いろいろな人との出会いがあったがこのような職業の人の話は貴重だ今日は降水確率90%観光は無理かも知れないが予定は立てた大日靈貴神社(秋田県鹿角市八幡平堂の上16)道の駅から数キロの場所にある由緒ある神社だが字が読めないネットで調べると、大日靈貴神社(おおひるめむちじんじゃ)と読むようだ社伝によれば継体天皇の御代に大日示現社を創建元正...2023年秋放浪の旅(5日目)秋田県・岩手県

  • 2023年秋 放浪の旅(4日目)青森県・秋田県

    訪問日令和5年10月4日2023年秋放浪の旅(4日目)青森県・秋田県道の駅「とわだ」道の駅を選ぶ条件の一つに入浴施設が併設されているか、近隣にあるかがある当初予定していた道の駅の近くにある入浴施設が閉業になっていたためここに変更した朝の6時過ぎに電話の着信音で目が覚めた早朝や深夜の電話はいいことがないが、家族が落としたスマホを拾ったという人からであったとても親切で対応のよい紳士であった場外馬券場が敷地内にある道の駅は初めてだ(三重県では隣接していた)奥入瀬渓流まったく、らしくないが、奥入瀬渓流を巡ることにした歩くと5時間ほどかかるらしので、路上駐車をしながら写真を撮ることにしたこれが一番横幅がある「銚子大滝」川の水の流れる音、特に滝の音を聞くと尿意を催すのは年のせいか(笑)「雲井の滝」途中絵を描いている人...2023年秋放浪の旅(4日目)青森県・秋田県

  • 2023年秋 放浪の旅(2日目)青森県

    訪問日令和5年10月3日2023年秋放浪の旅(2日目)青森県道の駅「よこはま」前夜から早朝にかけて、叩きつけるような雨と、車を揺らすような突風が吹いていた観光は無理かなと思っていたが7時過ぎ頃から雨も止み天気が回復した前夜に考えていた候補地から一度も訪れたことのない場所を4・5カ所ナビに入れた龗神社(青森県八戸市内丸2丁目1−5)最初に選択したのは「龗神社(おがみじんじゃ)」道の駅から70kmの距離がある起源は諸説あり、現在記録上判明しているものは約900年前あたりだという「義経北行伝説」に興味を持った源義経が平泉で自害した場所でも説明書きに北へ向かったと記載があったそしてここが「義経北行伝説ゆかりの場所」だという江戸期にこの地方に伝わる義経北行に関する口伝を書き留めた「類家稲荷大明神縁起」という古文書が...2023年秋放浪の旅(2日目)青森県

  • 2023年秋 放浪の旅(2日目)北海道・青森県

    訪問日令和5年10月2日2023年秋放浪の旅(2日目)北海道・青森県道の駅「なないろ・ななえ」スマホのアラームで熟睡から目が覚めたフェリーの時間があるので万一のためにと前夜にセットしていたのだが良かったここは全国にある「道の駅」のなかで4番目の人気だという日曜日の夜の車中泊は極端に少なくなるのだが、70台以上は駐まっていた確かに店の内容も充実しているし、夜は静か、トイレも綺麗だ説明によると「男爵いも」の発祥地だという津軽海峡フェリー函館港から大間行きのフェリーを利用したのは今回で2回目だが、いつの間にか近代的な建物になっていた初回利用は20年前はこのような感じではなかった(思考が化石)港を行き交う船を眺める「大函丸」が着岸準備に入った折り返し、このフェリーに乗り大間に向かう所要時間90分と運賃が安いのが最...2023年秋放浪の旅(2日目)北海道・青森県

  • 2023年秋 放浪の旅(1日目)北海道

    訪問日令和5年10月1日(日)2023年秋放浪の旅(1日目)北海道突然だが、秋の放浪旅が始まったいつもなら1ヶ月以上前に早割のフェリーを予約するのだが、台風や豪雨災害が各地で発生していたため躊躇していたそういった事もあり今回は函館からフェリーで本州に渡ることにした最初の訪問地は自宅から50km程の距離にある余市へニッカウヰスキー余市蒸溜所何度も訪れている場所で目的はショップでのウイスキー購入ここがショップになるが、棚には予想通り主要なウイスキーがほとんど無いこちらはレストランになる工場見学を予約すると、この場所で3種類の無料試飲ができる手ぶらで帰るのも嫌なので、リニューアルしたミュージアムへ(無料)新旧の竹鶴新ボトルも入手困難で最近酒屋で目にすることもなくなった右側の「カフェモルト」はお気に入りのボトル有...2023年秋放浪の旅(1日目)北海道

  • シリーズ塔(九州・沖縄地方)7<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(九州・沖縄地方)7<三重塔・五重塔・多宝塔他>長崎県(西教寺<新規>)42長崎県42-01高野山最教寺(長崎県平戸市岩の上町1206番地1)三重大塔三重大塔は、最教寺が弘法大師の1150年御遠忌を記念して、奥の院本殿横に建立した相輪までの高さは33.5mシリーズ塔(九州・沖縄地方)7<三重塔・五重塔・多宝塔他>

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