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しろみ茂平の話 https://blog.goo.ne.jp/mobira

「まちづくり協議会」が郷土史を作ることになり、その資料の一部になればと開設しました。2014年9月末

しろみ茂平の話
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2014/12/11

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  • 「継ぎ獅子」今治市野間神社 尾道みなと祭(広島県尾道市)

    日時・2025年4月26日尾道みなと祭「姉妹都市郷土芸能披露」四国の今治地方には世にも珍しい郷土芸能がある。天の神に願いを聞き届けてもらうため、天へ天へ高く高く獅子がニ継ぎ、三継ぎ、四継きと高みを目指す。5月の春祭りに現在でも20~30社で継ぎ獅子が行われている。各神社の日程表は、今治市のホームページに載っている。「尾道みなと祭」には今治が姉妹都市の縁で、毎年「継ぎ獅子」を披露している。管理人は今年、天気がよければ5月第三日曜日の「大西の船上継ぎ獅子」を観に行く計画。数年前から楽しみにしている。今年こそ行けるかな?「継ぎ獅子」今治市野間神社尾道みなと祭(広島県尾道市)

  • 尾道みなと祭 (広島県尾道市)

    日時・2025年4月26日祭を見る前に、「ネモフィラの丘」に行った。(花夢の里)海を渡って「尾道」に行った。次に「千光寺公園」に登って、藤とツツジを見た。そして「尾道みなと祭」ステージに行った。お祭りのメインは海岸通りの「ええじゃんSANSA・がり」。快晴だったが、汗が出るほどでなく、気持ちよく春の祭を楽しめた。尾道みなと祭(広島県尾道市)

  • 毛利松平

    場所・愛媛県大洲市大洲「大洲城」大洲城の石垣の麓に大洲市民会館があり、その市民会館の駐車場の片隅に銅像が建っている。台座に「毛利松平像」と刻まれている。そういえば、そういう政治家がいたなと、家に帰ってネットで調べると↓下記のような経歴の人だった。・・・データベース『えひめの記憶』毛利松平(1913~1985)衆議院議員、第二次田中内閣環境庁長官。大正2年7月16日、西宇和郡三机村大江(旧瀬戸町)で生まれた。大洲中学校から慶応義塾大学法学部政治学科に進み、昭和13年に卒業した。南満州鉄道に入社して撫順炭鉱に赴任、労務課長として大学時代からの夢であった〝大陸日本の建設〟に取り組んだが敗戦で挫折した。帰国後、政治を志し27年10月の衆議院議員選挙に第2区から改進党公認で立候補して落選、以後28年4月、30年2月...毛利松平

  • 中江藤樹先生

    場所・愛媛県大洲市大洲「大洲城」大洲城にある「中江藤樹像」。像は、大洲城天守閣を見つめている。・・・像の台座前に石碑があり、先生の人物・功績が刻まれている。それを書き写す。近江聖人中江藤樹先生(1608-1648)先生の名は原、通称は与右衛門、生家は近江の小川村(滋賀県)屋敷内に大きな藤の木が生い茂り、その下で学問を積み、敬い集まる人々を導いたので、藤樹先生と呼ばれ、後の世の人々からは近江聖人と敬慕されてきた。大洲は、先生が10歳から27歳まで過ごされた立志・感恩・勉学の地である。大洲の人々は、先生ゆかりの地として、その学徳を追慕し藤樹先生の心をいつまでも継承しようと、この城山に銅像を建立した。*教え「孝」「致良知」「慎独」「知行合一」など*著書-「翁問答」「鑑草」「春風」「捷径医筌」など平成9年11月吉...中江藤樹先生

  • 中江藤樹

    場所・愛媛県大洲市大洲「大洲小学校」近江聖人・中江藤樹は近江の人であるが、伊予大洲の人でもある。大洲市内には多くの立像や胸像等が建っていて、大洲市民が郷土の偉人として大切に思っていることがよくわかる。・・・Web【愛媛県生涯学習センター】中江藤樹(1608~1648)儒学者我が国の陽明学の始祖。近江国高島郡小川村(現、滋賀県高島市)出身。通称は与右衛門。9歳のとき、米子藩主・加藤貞康の家臣であった祖父の養子となり、その翌年、藩主の領地替えに伴い喜多郡大津(現、大洲市)へ移住した。祖父の死により家督を相続して15歳で大洲藩家臣となり、独学で朱子学(人を敬うことを忘れず行いを慎んで人格完成しようとする実践道徳)を学んだ。27歳のとき、郷里に住む母への孝養と自身の持病とを理由に、藩士辞職を願い出るが許可されず、...中江藤樹

  • 檜垣俊幸

    場所・愛媛県今治市通町「今治城吹揚公園」日本の造船は「戦艦大和」などの造船技術があり、戦後は巨大タンカーや貨物船で世界一の造船国家になった。海軍とともに歩んだ三菱や石川島や川崎が日本と世界を代表していた。その後、巨大船を大手会社が造る事よりも、大型船を中堅企業が造る方に移行し、小説でも、来島ドックを柴田錬三郎(シバレン)が「大将」で面白く描いた。その後、造船大国ではなくなったが瀬戸内海地方では基幹産業として頑張っている。特に「しまなみ」沿いには造船所のクレーンがいたるところで見える。それらの代表が「今治造船」。今治造船は、いまや日本最大の造船メーカー。その今治造船の社長を長く勤め、業界発展や、地域貢献の人が「檜垣俊幸」氏。氏は小学校を卒業してすぐ、稼業の造船所で働き始め日本一の造船会社に育てた。氏の銅像は...檜垣俊幸

  • 兵馬俑

    場所・岡山県倉敷市真備町櫛田・エヴァホールまび真備の櫛田の国道486号線(旧山陽道)を歩いていると、「兵馬俑」が見えた。葬儀場の駐車場の国道側に立っている。今から20年ほど前、観光旅行で西安に行き本物の「兵馬俑」を見たことがある。秦帝国や秦始皇帝の巨大さをまざまざとみせつけられ、それを実感したのをよく覚えている。当時、兵馬俑を見つけた井戸掘り翁がお元気で(・・・今もかな?)兵馬俑の入り口のイスに座り、ニコニコ笑って観光客を歓迎していた。翁は本を買った人にはサインして握手しながら手渡ししていた。でもなぜ真備の葬儀場に兵馬俑があるのだろう?兵馬俑

  • 竹のまち真備船穂商工まつり (岡山県倉敷市真備町・マービーふれあいセンター)

    日時・2025年4月20日マービーふれあいセンターに行った。今日の午前9時15分から、「竹のまち真備船穂商工まつり」がある。商工祭を春に開催と言えば、「桜」か「GW」がほぼ決まりだが、なぜ4月の第三日曜日かといえば「タケノコ」がいちばん旬の頃だから。真備(まび)町はタケノコの産地として近隣に知られている。タコノコの”大特売”以外にも地元の物産展や飲食店でにぎやか。ステージでは踊ったり演奏したり歌ったり、のんびりで、適当な空間があり楽しめたお祭りだった。尚、この祭りに行ったのは初めてだった。竹のまち真備船穂商工まつり(岡山県倉敷市真備町・マービーふれあいセンター)

  • 今年最後の花見に行く (がいせん桜~美甘宿場桜) 2025.4.17

    まず、大山(だいせん)と桜。次に、新庄村の「がいせん桜」。満開。その次に、「美甘(みかも)宿場桜」。満開の散り始め。最後に、「湯原温泉砂湯」に入ってから笠岡に帰った。いい桜、いい湯だった。満足!今年最後の花見に行く(がいせん桜~美甘宿場桜)2025.4.17

  • 松尾芭蕉

    場所・福島県西白河郡西郷村字道南東(新白河駅前)奥州には奥州三関があったが、芭蕉が目ざしたのは「白河の関」。奥州へ入り、白河の関を踏んだ芭蕉は感激したが、その場で一句浮かばなかった。曾良の句が【奥の細道】に記されている。卯の花をかざしに関の晴着かな曾良芭蕉翁が須賀川で発句したのが、風流の初やおくの田植歌曾良の句も、芭蕉の句も、情景がいきいきと(自分勝手な風景ではあるが)想い浮かぶ。訪問日・2025年4月8日松尾芭蕉

  • 志賀潔

    場所・宮城県仙台市青葉区本町「勾当台公園」管理人が小学生になるか、ならないかの頃のこと。いっしょに畑で遊んでいた同い年の女の子が、遊んだ3日後くらいに赤痢で死んだ。こんなことがあるのかと驚いた。小学一年生の時、同級生の女の子が死んで、一年生全員で葬儀に行った。その子の母がみんなの前で、「腹が痛いと言うので、ふとんで寝ておれ」と話したら間もなく亡くなった。あれは赤痢か疫痢だったと、あとから思った。本家に住む小学5.6年生だった娘が、赤痢で突然死んだ。その母は戦争未亡人で、村の人々の手伝いをしながら二人の娘を育てていた。その後、一人娘となった次女が結婚後は同居し親子は幸せに暮らした。赤痢は怖かった。夏になると心配した。日本人ならだれもが怖かった。その赤痢菌を発見したのが志賀潔博士。赤痢は1965年から激減した...志賀潔

  • 第二東映「故郷は緑なりき」

    佐久間良子は本人を目の前で見たことがある。沢口靖子と二人で、加藤六月さんの後援会研修会で見た。沢口靖子はNHK「澪つくし」に出演して2~3年後の頃だった。自分の前を歩く佐久間良子は、50代くらいだったが、それはそれはきれいな女性だった。・・・少年の頃は東映チャンバラ映画を観ることが、年に何度かあり、それがなによりの楽しみだった。映画全盛期、そのチャンバラ映画のお姫さまである大川恵子が現代劇に出る第二東映に出るので、映画の題名はよく覚えている。主演は佐久間良子と水木穣。映画に出演したいきさつを、週刊文春の対談で話している。・・・週刊文春2025年4月17日号阿川佐和子のこの人に会いたい阿川佐久間さんは東映で女優さん主演の映画をつくった先駆けなんですよね。佐久間はい。『故郷は緑なりき』という作品。阿川それは佐...第二東映「故郷は緑なりき」

  • 二本松城の桜 (福島県二本松市)

    登城日・2025年4月9日「菊人形」や「二本松少年隊」で有名な二本松城。「霞ヶ城」とも呼ばれるが、近県の山形城も似た名称で「霞城」。戊辰戦争での、二本松少年隊は会津若松白虎隊に悲劇のイスを奪わている。しかし、二本松には若松に負けない魅力がある。「ほんとの空」があり、「光る阿武隈川」がある。今日の二本松は、ほんとの空が見えた。お城には水芭蕉も咲いていた。二本松城の桜(福島県二本松市)

  • 会津若松城の桜 (福島県会津若松市)

    登城日・2025年4月10日会津若松鶴ヶ城。桜を見に来たが、残念ながら蕾だった。お城は桜の名所だが、それだけの本数があっても、花開いた木も枝も全く無かった。今はスマホ等で、桜だよりで事前にわかるから、まあ仕方ないといった気持だった。・・・(ふろく)士中白虎隊二番隊の20人が自刃した飯盛山。自刃地から鶴ヶ城を望む。会津若松城の桜(福島県会津若松市)

  • 船岡城の桜 (宮城県柴田郡柴田町)

    登城日・2025年4月9日前方に見える小山。はんぶん桜の山で、「船岡城」。船岡城の本丸は無理でも、せめて船岡城三の丸までは登城したいと願っていたが。「白石川堤一目千本桜」の観光時間は40分間。観光バスはJR大河原駅前の観光駐車場で、そこから40分間で船岡城へ行って帰ることは到底不可能だった。残念。全国的に有名な「白石川堤一目千本桜」。↓お城には行けなかったけど、桜があり、青空があり、蔵王の山が見え、いい花見ができた。船岡城の桜(宮城県柴田郡柴田町)

  • 松島城の桜 (宮城県宮城郡松島町)

    登城日・2025年4月9日日本三景・松島の観光で、五大堂の駐車所に停めると必ず目に入るのが松島城。どこにでもある展望台風の疑似城。このお城は名称を「松島城」から「日本三景展望台」と名を変えている。たしかに疑似”城”よりは”展望”を最大の売りにしているのだからその方がいい。高台に立ち三階から展望する価値はじゅうぶんあり、と思えるが残念ながら扉に鍵がかかり、登城はできない。休業中のようだ。松島城の桜(宮城県宮城郡松島町)

  • 小峰城の桜 (福島県白河市)

    登城日・2025年4月8日小峰城に登城したかったけど、ボスツアーのコースに入っていない。それで、せめて、車窓からでも、と新白河駅を出たバスの中から小峰城を写した。桜は咲き始めのようだった。小峰城の桜(福島県白河市)

  • 仙台城の桜 (宮城県仙台市)

    登城日・2025年4月9日早朝、青葉城を訪れた。大手門隅櫓の前に桜が咲いていた。石垣を見ながら本丸を目指す。「伊達政宗公騎馬像」が見えてきた。・・・仙台城奥州の覇者独眼竜伊達政宗が、仙台城を築き始めたのが1600年のこと。天険の牙城として完成した。現在城跡に現存する建物はなく、石垣や土塁、空堀のみ残る。17mの高さを誇る本丸北面の石垣は、一部修復してあるが見事な出来である。隅の算木積は、稜線を美しく見せている。「日本の名城」山川出版社監修・五味文彦2016年発行・・・伊達政宗公騎馬像の前に立つと、桜・仙台市街地・広瀬川・太平洋が見渡せ、天下取りや支倉常長を欧州に向かわせた正宗の気概がわかるような気がした。仙台城の桜(宮城県仙台市)

  • 相方城の桜 (広島県福山市)

    登城日・2025年4月3日駅家を過ぎるころから、左前方に聳える相方城が見えてくる。その険しさを感じながら登城するのも相方城の魅力。城跡に立てば、真下に芦田川の流れ。府中・新市・駅家・神辺の町並みがすばらしい景観で展望できる。桜は城跡の麓から、つづらおりの道に咲き、曲輪の石垣のうえにも咲いている。芦田川向きの石垣には、落下防止というより、転落防止を促す意味でのトラロープが設けてあるが、そのロープに近ずくのさえ怖いぐらい険しい山頂に築城されている。ほぼ直角の石垣。お城は関ケ原の戦いで、毛利方が敗れた時から廃城になったそうだ。相方城の桜(広島県福山市)

  • 今治城の桜 (愛媛県今治市)

    登城日・2025年3月31日・・・今治藩は江戸時代に3~4万石の小藩で、とてもじゃあないが五層の天守閣をもてるような大名ではなかった。築城時がたまたま20万石の大大名だったので、壮大な城郭になるはずだったが、工事中に転封により堀と石垣が残った。今治城天守閣に歴史的な価値はまったくないが、多くのお城ファンが日本中にいるので、存在する価値は大いにある・・・ように思う。・・・笠岡から四国の松山に車で行く場合、道は二つ「しまなみ」か「瀬戸大橋」。時間は・・・ほぼ同じ。料金は・・・「しまなみ」が、ちょっとだけ安い。景観は・・・「しまなみ」が勝る。運転は・・・「しまなみ」が劣る。(片側1車線区間が多いので)たまに新聞に載るが、「しまなみ」には構造的な欠陥がある。本土と途切れてつながること。例えば、大阪から松山に行く場...今治城の桜(愛媛県今治市)

  • 大洲城の桜 (愛媛県大洲市)

    登城日・2025年3月31日今年の1月に、大洲には来なかったが大洲市長浜町に「肱川あらし」を見に来た。それがあり、珍しくも遠路はるばる本年2度目の大洲市訪問となった。大洲の街は、NHKの連続テレビ小説「おはなはん」で広く知られるようになった。映画ではアラカンが殿様の末裔になって出演した「フーテンの寅さん」。「寅次郎と殿様」、題名からしてアラカンが主役の一人なのが嬉しい。管理人が初めて大洲城に来たのは、もう半世紀も前のことで、当時は小さな櫓が建つだけだった。(芋錦櫓)その後、天守閣を木造で再建することでマスコミにも大いに話題になった。今は観光都市も一面もあり、お城や市役所の周辺には観光施設が整っている。街の中央ふきんは町並みも歩道もきれいだが、街を少し離れた通りも旧街道の要所であり、繁栄した面影がよく残って...大洲城の桜(愛媛県大洲市)

  • 宇和島城の桜 (愛媛県宇和島市)

    登城日・2025年3月31日南予・宇和島は今年、日本気象協会が「桜前線は3月16日に宇和島から」と発表されるほど、開花が早かった。(実際の開花は高知、熊本に次いだ)愛媛県西予市の「野福峠」の桜を第一目的に花見に行った。愛媛ついでに、宇和島城・大洲城・松山城・海山城・今治城に行くつもりだったが、南予までは遠かった。疲れて松山城と海山城は行くのを省略した。宇和島城の桜は満開を過ぎて、散る桜の直前といった感じだった。・・・「天赦園」から見る宇和島城天守閣。宇和島城の桜(愛媛県宇和島市)

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