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しろみ茂平の話 https://blog.goo.ne.jp/mobira

「まちづくり協議会」が郷土史を作ることになり、その資料の一部になればと開設しました。2014年9月末

しろみ茂平の話
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2014/12/11

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  • 銭形平次捕物控 (東京都神田明神)

    ”捕物帳”はどんな話もジャンルとしておもしろかった。最初は映画。明神下の銭形平次(長谷川一夫)や、黒門町の伝七(高田浩吉)。次にラジオ。松島トモ子の捕物帳。大人になって小説。平次、半七、佐七、伝七、その他。テレビでも、番組名に平次、半七、佐七、伝七の親分名が付いた。なかでも、テレビの長寿番組としても知られのが、「銭形平次」主役は大川橋蔵。舟木一夫の主題歌もよかった。東映の時代劇スターだった橋蔵の代表作となった。・・・旅の場所・東京都千代田区外神田神田明神旅の日・2022年7月10日書名・「銭形平次捕物控」著者・野村胡堂文春文庫2014年発行・・・BS12チャンネル2024.3.2金色の処女「平次、折入っての頼みだ。引受けてくれるか」銭形の平次は、相手の真意を測り兼ねて、そっと顔を上げました。二十四、五の苦...銭形平次捕物控(東京都神田明神)

  • 「平家物語」扇の的 (香川県屋島)

    屋島はかつて、四国を代表する観光名所だったが、近年は陰りがある。台地状の半島は源平時代は島で、現在もその名残りを容易に想像できる。屋島の展望台「談古嶺」から源平古戦場を望む。正面が五剣山(八栗寺)で、談古嶺と五剣山の間が古戦場。屋島の標高は、約300m。では、山を下って古戦場へ下りて行きます。・・・旅の場所・高松市屋島中町旅の日・2013年9月6日書名・平家物語原作者・不明現代訳・「平家物語」長野常一現代教養文庫1969年発行・・・屋島古戦場に着いた。早春の日はすでに傾いて、屋島の第一日目はあとわずかで暮れようとしている。源平両軍とも、負傷者の治療や戦死者の死骸のあとかたづけにいそがしい。沖の平家の船からも、陸の源氏の陣からも、細い数条の煙がゆるやかに立ち登っている。これは夕食のしたくをする煙と見える。そ...「平家物語」扇の的(香川県屋島)

  • 「太平記」児島高徳      (岡山県院庄) 

    ”ご当地ソング”というのがある。北島さぶちゃんやデューク・エイセスが多く歌った。戦前には大正・昭和初期に”新民謡”が流行した。他にも、童謡の「赤い靴」や「鞠と殿様」も、ご当地ソングにはいる。作州・院庄を舞台にした「忠義桜」は戦前、岡山県を代表する歌の一つだったが、敗戦によって、日本が神の国でなくなると、神を歌った「忠義桜」も唱和される事が無くなった。今はかすかに、記念碑的な歌として残っている。戦前の全国の女学校で人気、それも岡山県では特に人気の歌であった、というような事を母は話していたが、レコードが発売されたのは昭和16年。既に母は女学校を卒業している。忠義桜〽桜ほろ散る院庄遠き昔を偲ぶれば幹を削りて高徳が書いた至誠の詩(うた)がたみ天莫空勾践時非無茫蠡(~天勾践を空しゅうする莫れ時に茫蠡無きにしも非ず~...「太平記」児島高徳   (岡山県院庄) 

  • かぐや姫 (広島県竹原市)

    おとぎ話の人物は、自称を含め縁の地は多い。桃太郎さんは岡山・広島・香川に特に多い。浦島太郎さんは日本全国、北から南まで数え切れず。「かぐや姫」もまた、日本中に縁の地が多い。広島県竹原市は「かぐや姫」の縁の町の一つ。では、「竹原」と「かぐや姫」が何の関係があるのか?といえば、それがよく分からない。どうも”竹”原と、”竹から生れた”姫をこじつけたに過ぎないようだ。旅の場所・広島県竹原市本町(竹原重伝建保存地区)旅の日・2014.5.4「たけ祭」書名・竹取物語原作者・不明現代訳・「日本の古典3・竹取物語・伊勢物語」世界文化社1974年発行・・・かぐや姫と竹取の翁いまではもう遠い昔のこと。竹取の翁とよばれる人があった。野や山にはいって竹を取っては、さまざまなことに使っていた。竹取の翁のいつも取りにゆく竹の中に、根...かぐや姫(広島県竹原市)

  • エデンの海     (広島県忠海町)

    忠海高校出身の友人Kくんには、忠海の決まった自慢話があった。一つは学校のOB自慢、池田勇人首相とNHK政治討論会の司会者・唐島基智三さん。二つは「エデンの海」があり、鶴田浩二が映画ロケで来て馬で走った。たしかに首相を輩出した学校は、滅多にあるものではない。鶴田浩二が馬に乗って街を走るロケがあったことも、大いに自慢できる。忠海の街は、前に瀬戸内海、後ろに白滝山・黒滝山がそびえ、風光明媚な呉線沿いの湊町。市役所のある竹原も、重伝建の町並み、洋酒のニッカ、塩田跡など見どころが多い。・・・「エデンの海」は、小説の内容や時代背景が「青い山脈」と似ていている。何度も映画化されるのも、また似ている。女学生たちが敗戦によって「学徒動員」や「竹槍訓練」から解放され、次にマッカサーによって「女性が開放」された。その時代を非常...エデンの海  (広島県忠海町)

  • 野菊の墓 (東京都矢切の渡し)

    中学生の頃、”学習雑誌”があった。旺文社の「中学〇年生コース」小学館の「中学〇年生の友」女性用にはさらに「女学生の友」。そういう学習誌に「野菊の墓」はよく載っていた。「まさおさん」と「おたみさん」の話は、中学生の年代にぴったりのお話だった。金浦中学校では、各教室にラジオが置いてあり「名作」をラジオ放送する時、教室で全員聴いていた。そのなかに、もちろん「野菊の墓」もあった。悲しい純愛の物語だった。旅の場所・東京都葛飾区柴又旅の日・2018年8月7日作品名・野菊の墓作者・伊藤佐千夫発行・「名作文学6・野菊の墓ほか」学習研究社昭和53年発行映画「野菊の如き君なりき」後の月という時分が来ると、どうも思わずにはいられない。幼いわけとは思うが何分にも忘れることができない。もう十年余も過ぎ去った昔のことであるから、こま...野菊の墓(東京都矢切の渡し)

  • 「平家物語」一の谷 (兵庫県神戸市)

    「鵯越の逆落とし」は、平家物語を知る以前小学校にあがる前後ごろから知っていた。近所の年上の子が話すのを何度も聞いていた。その後、パッチンや絵本や漫画にも鵯越の勇ましい義経の姿が出てきた。「鵯越」といえば義経。「逆落とし」といえば義経。ついでに言えば当時、「脳天逆落とし」といえば鉄人ルーテーズだった。平家打倒の若き英雄、源義経を代表するものは一の谷の”鵯越の逆落とし”、壇ノ浦での”八艘飛び”少年たちの話題になるのは、この二つの義経だった。旅の場所・兵庫県神戸市中央区下山手通生田神社旅の日・2021年11月4日書名・平家物語原作者・不明現代訳・「平家物語」長野常一現代教養文庫1969年発行義経は武蔵坊弁慶に命じて、この山の案内者を探しに行かせた。まもなく弁慶はひとりの老人をつれてきた。聞けばこの山の狩人だとい...「平家物語」一の谷(兵庫県神戸市)

  • 砂の器 (島根県亀嵩)

    松下電器の松下幸之助さんが毎年、日本の納税額NO1を続けていた頃、作家部門のそれは松本清張さんだった。清張さんが書く推理小説はどれも皆、売れに売れ、読まれ、映画化もされた。清張さんは何かの本の中で、「小説よりも、映画の方が出来がいい作品が二つある」と語っていた。二つは覚えてないが、一つの方は「砂の器」だった。「砂の器」は本も売れ、映画も日本中の話題になるほど大ヒットした。奥出雲のズーズー弁も全国に知られるようになった。街角に立つ、「砂の器」映画ポスターが物悲しく、人々の興味をそそった。亀嵩駅(かめだけ)今西栄太郎は、「出雲のこんなところに、東北と同じズーズー弁が使われていようとは思われませんでした」今西はうれしさを押さえて言った。今度は、出雲から「亀」の字を探すのである。…すると、途中で、思わず息をのんだ...砂の器(島根県亀嵩)

  • 二十四の瞳 (香川県小豆島)

    小説「二十四の瞳」は、文学作品として有名だが、それよりも日本映画史上を代表する名画として「映画史」にも残る作品。映画の脚本は、ほぼ原作通り。小説を映画のために変えてなく、映画でも原作を味わえる。小豆島や瀬戸内海の風景が美しい。小石先生十年をひと昔というならば、この物語の発端は今からふた昔半もまえのことになる。昭和三年四月四日、農山漁村の名が全部あてはまるような、瀬戸内海べりの一寒村へ、若い女の先生が赴任してきた。百戸あまりの小さなその村は、入り江の海を湖のような形にみせる役をしている細長い岬の、そのとっぱなにあったので、対岸の町や村へゆくには小舟で渡ったり、うねうねとまがりながらつづく岬の山道をてくてく歩いたりせねばならない。小学校の生徒は四年までが村の分教場にゆき、五年になってはじめて、片道五キロの本村...二十四の瞳(香川県小豆島)

  • 「ふくやま大道芸」を見に「福山ばら祭2024」に行く 2024.5.18

    名称・第57回福山ばら祭2024場所・広島県福山市中心部行った日・2024.5.18今年の「ばら祭」は5/18・5/19で、天気のいい方の5/18に見に行った。目的は「2024ふくやま大道芸」で、福山市街地中心部の17~18ヶ所が会場。そのうち15ヶ所を見て回った。今年も楽しいパフォーマンスを見ることが出来た。天気が良すぎて、真夏日となった。熱中症にならないよう、予定を変えて、早めに笠岡に帰った。そのため予定していた「ばら公園」と「緑町公園」には行かなかった。「ふくやま大道芸」を見に「福山ばら祭2024」に行く2024.5.18

  • 「平家物語」敦盛最期 (兵庫県神戸市)

    平家物語には、いくつもの”花”があるが、「敦盛の最期」も古くから多くの人の心に残る話となった。近代では歌に映画にドラマに、美少年が歌ったり演じたりした。古くは織田信長の幸若舞”敦盛”も有名。神戸の須磨寺にはたいそう立派な二人の銅像が建っている。旅の場所・兵庫県神戸市須磨区須磨寺町・須磨寺旅の日・2021年11月4日書名・平家物語原作者・不明現代訳・「平家物語」長野常一現代教養文庫1969年発行・・・「平家物語」熊谷熊谷次郎直実は、なんとかして平家方の大将に組みたいものと、波打ち際に馬を進めた。その熊谷の目の中に、大将とおぼしきひとりの武者の姿が映った。萌黄匂い(黄緑色)の鎧を着て、形打った甲の緒をしめ、黄金作りの太刀をはき、連銭葦毛の馬に乗って、沖の船へ泳ぎ着こうと、海へざっと打ち入れた武者の様子は、あっ...「平家物語」敦盛最期(兵庫県神戸市)

  • 「徒然草」仁和寺にある法師 (京都府・石清水八幡宮)

    数年前に旅行で、北海道の神威岬に行ったことがある。駐車場から岬まで、歩いて前に進むほどに景観に感動が増してきた。ついに岬まで行き満足感にひたりながらUターンして来た道を戻った。行きも帰りも見事な眺めに北海道に来たよかった。神威岬に来てよかった。そう思った。旅行から家に帰り復習をしていると、ガイド本と、景観が一致しない。神威岬の肝心な場所を見物していなかった。カメラで動画を残していたで見てみると、約半数以上の人が、同じように、肝心な場所を眺めないまま岬を去っていた。徒然草の有名な話、「仁和寺にある法師」は、たぶん誰でも二~三回は、同じような体験があるように思う。(仁和寺にある法師が見た八幡宮)旅の場所・京都府八幡市男山石清水八幡宮旅の日・2015年2月18日書名・徒然草原作者・吉田兼好現代訳・「徒然草・方丈...「徒然草」仁和寺にある法師(京都府・石清水八幡宮)

  • 「義経記」 弁慶義経に君臣の契約申す事  (京都市五条大橋)

    童謡「牛若丸」で有名な五条大橋。〽京の五条の橋の上大のおとこの弁慶は長い薙刀ふりあげて牛若めがけて切りかかる歌の他にも児童図書・絵本・漫画・紙芝居・映画・歌舞伎・絵画等、日本人なら知らぬ人はいないほど有名なお話し。「義経記」では、当日、弁慶は「五条」を出て、「堀河通」で牛若丸と出会い、「清水寺」で対決した。当時、五条に「五条大橋」は架かってなかったそうだ。・・・・旅の場所・京都市東山区五条通鴨川旅の日・2016年12月2日書名・「義経記」原作者・不詳現代訳・「義経記曽我物ほか」世界文化社1976年発行・・・訳者・井口樹生弁慶義経に君臣の契約申す事弁慶が考えたのには、およそ人の重宝は数を千揃えて持つものだ。奥州の秀衡は名馬を千疋、鎧を千領揃え持ち、肥前の国の松浦の太夫は胡籬千腰、弓千張揃え持っているという。...「義経記」弁慶義経に君臣の契約申す事 (京都市五条大橋)

  • 「好色五人女」お夏清十郎物語 (兵庫県室津港)

    お夏清十郎の舞台は姫路城下だが、清十郎の放蕩の始まりが室津港。お夏は「お夏狂乱」後は子細が不明だが、備前市片上にお墓がある。物語りは、歌舞伎に映画に舞台に今も大スターが演じつづけられている。主な役者に、水谷八重子、田中絹代、美空ひばり、大原麗子、大地喜和子、長谷川一夫、市川雷蔵などがいる。旅の場所・兵庫県たつの市御津町室津旅の日・2009年9月6日書名・「好色五人女」原作者・井原西鶴現代訳・「好色五人女」世界文化社1975年発行・・・・・・「好色五人女」世界文化社1975年発行お夏清十郎物語天下泰平の春の海に、財宝を積んだ船が碇をおろし、播磨の国室津は活気のある豊かな港町である。この町の造り酒屋で、和泉清左衛門という人物がいた。家業繁昌で、なんの不足もない身の上である。その上、清十郎というその息子は、生れ...「好色五人女」お夏清十郎物語(兵庫県室津港)

  • 五・一五事件(昭和7年5月15日)

    大統領や首相が暗殺されることは、世界でもたまにある。しかし国の首相が暗殺され、その犯人にたいして助命嘆願とか、求婚をする国民がいただろうか?残念ながら、それが昭和7年の日本であり、しかも一等国を自認する国民であった。いったい昭和7年とは、どんな時代だったのだろう。・・・「1億人の昭和史」毎日新聞1975年発行少壮軍人が前年に計画したクーデター「三月事件」と「十月事件」はともに未然に発覚したがこの年2月に井上準之助3月に團琢磨が”一人一殺”を唱える血盟団員の手で暗殺され5月15日陸海軍人が首相官邸を襲い犬養首相を殺害した・・・2023年4月1日岡山市北区吉備津・吉備津神社・・・とどめを刺された政党内閣血盟団事件の記憶もなまなましい五月一五日の白昼、四班にわかれた海将兵の一隊が、首相官邸、牧野内大臣邸、警視庁...五・一五事件(昭和7年5月15日)

  • 「芸北神楽」を見に『2024JFE西日本フェスタinふくやま』に行く 2024.5.12

    場所・広島県福山市大門町津之下名称・2024JFE西日本フェスタinふくやま日時・2024.5.129:30~16:00子どもの頃から、神楽(かぐら)=備中神楽だった。九州や出雲の神楽は、ひとまず置いといても、近くの広島県の「芸北神楽」は是非一度見てみたいものだと思っていた。毎年恒例の『JFE西日本フェスタinふくやま』で、芸北神楽の上演があり、見に行った。今日は雨予報だったが、一時の小雨ですんだ。神楽は午前10:10~10:50で、琴庄神楽団「八岐大蛇」。神楽の筋は神話の素戔嗚尊の大蛇退治で、備中神楽と同じだが演じ方はまったく別ものだった。芸北神楽は踊りが派手で、芝居よりも見栄えを重視しているように感じた。見て楽しい神楽。絵になる神楽。・・・「JFEフェスタ」は、以前の「鋼管祭り」の時より、毎年豪華なゲ...「芸北神楽」を見に『2024JFE西日本フェスタinふくやま』に行く2024.5.12

  • 「下天は夢か」桶狭間 (愛知県桶狭間)

    新聞小説は、たまに面白いのがある。津本陽の「下天は夢か」は、その代表小説。おもしろかった。毎朝、出勤する前に読んだ。ゆっくり読んだ。毎晩、帰宅後に二度目を読んだ。吞みながら読んだ。作者の津本陽は作家になる前、「神島化学」に勤めていた。それで、笠岡や神島のことを本や新聞によく書いていた。そういう親近感もあった。・・・「桶狭間の戦い」の場所は、伝えられている場所が二ヶ所ある。そのどちらもが市街地化していて、戦国時代の面影はまったくない、という事も知っている。知っていても、一度は訪ねてみたいと豊明市の「桶狭間」に行った。行ってみると、雨中に今川義元が討たれたのはここか。という満足を強く感じた。・・・旅の場所・愛知県豊明市栄町桶狭間古戦場伝説地旅の日・2014年10月11日書名・「下天は夢か」Ⅰ巻著者・津本陽発行...「下天は夢か」桶狭間(愛知県桶狭間)

  • 「宇治拾遺物語」中納言師時が法師の男根をあらためた事 (京都府宇治市)

    「宇治拾遺物語」は、日本やインドや中国の面白い話を編纂している。目的が「面白い話」なので、現代でも通用する面白い話が多い。古典であるが、童話の方で知られる「こぶとりじいさん」や、芥川龍之介の小説、「芋粥」の原典になっている。今は死語になりつつある”わいだん”(猥談・Y談)も多く、この”中納言師時が法師の男根をあらためた事”もソレで、少年少女にはちょっと話しにくいお話。旅の場所・京都府宇治市旅の日・2010.4.8書名・「宇治拾遺物語」原作者・不明現代訳・「今昔物語・宇治拾遺物語」世界文化社1975年発行訳者・野坂昭如中納言師時が法師の男根をあらためた事これも今は昔の話だが、中納言師時という方がいらした。その方のもとへ、ある時、しっ黒の墨染めの衣、丈みじかくまとい、山伏の用いる袈裟をかけ、大きな木練子の数珠...「宇治拾遺物語」中納言師時が法師の男根をあらためた事(京都府宇治市)

  • 「平家物語」祇王妓女 (京都市祇王寺 )

    白拍子(しらびょうし)は室町時代に消えた職種だが、静御前や祇王、祇女、仏御前によって時代を彩ったことが知られている。この有名な4人は、権力者に愛されたが、正妻でなく愛妾だったこと。しかも、わずか1~2年で棄てられたこと。そして年端もいかない年齢で人生を終えたように表舞台から消えて仏門に入ったこと。”春の夜の夢の如し”の「平家物語」を、一つに小さくまとめたような女性たちだ。旅の場所・京都府京都市右京区嵯峨鳥居本「祇王寺」旅の日・2014年11月21日書名・平家物語原作者・不明現代訳・「平家物語」長野常一現代教養文庫1969年発行・・・「平家物語」長野常一現代教養文庫1969年発行祇王妓女「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ......」この世に希望を失った三人の女は、ひたすら死んでからゆくという来世の幸福を祈る...「平家物語」祇王妓女(京都市祇王寺)

  • 自衛隊が学校のグラウンド拡張工事をする

    昭和30年代は、自衛隊が多くの学校の、校庭の拡張造成工事に従事した。昭和30年代は、自衛隊が国を護る緊急度が少なかった。時代は東西冷戦。日本が国境を接する国で、日本に攻め込む可能性がある国は、せいぜいソ連くらいだったが、そのソ連ともカニの漁獲量を競う程度の問題しかなかった。つまり、自衛隊は、国家を護る点では、ヒマだった。いっぽう学校は、生徒数も増え、学校も増え、校舎・校庭も拡大・拡張、プールも新設という時代だった。そこで自衛隊が出動した。・・・これは岡山県小田郡美星町の自衛隊の学校工事。どこの学校とは書かれてないが、同じ美星町で三校が、自衛隊にお世話になった。2024年4月28日・「芳井歴史民俗資料館」『美星町&芳井町写真で振り返る我が町の70年』自衛隊による学校運動場の拡張工事昭和37年(1962)7月...自衛隊が学校のグラウンド拡張工事をする

  • 笠岡工業高校がなくなる?

    一学年で100人未満の生徒数の高校が、毎年、統廃合の対象校として新聞に載る。今年はついに「笠岡工業高校」が載った。笠岡工高は、昭和30年代末に笠岡商工から分離し、笠工となった。笠岡商工は、昭和20年代に笠岡高と同一校だったことがある。ということは、再び「笠岡商工」となり、その次は、大「笠岡」高校に戻っていくのだろうか?人が減る(生まない・出る・死ぬ)、学校が無くなる、市町村が消滅していく・・・この風景はさみしい。・・・【2024年5月2日・山陽新聞記事】ここポイント!岡山県教委による県立高校の再編は、歯止めのかからない少子化が最大の要因だ。「一定の教育水準を保つには再編整備は避けられない」との考えも一理ある。ただ、地域では統廃合による活力衰退への懸念が強い。エリアを支える人材の輩出という役割を担う高校は「...笠岡工業高校がなくなる?

  • 阪谷朗廬(さかたに ろうろ)

    場所・岡山県井原市芳井町吉井井原市を代表する偉人の一人、阪谷朗廬。井原市の歴史に欠かせない人物。今も多くの井原市民に敬愛されている。・・・【井原の文化財】井原市教育委員会平成12年発行阪谷朗廬(さかたにろうろ)1822年12月29日~1881年1月15日。阪谷朗廬は、現在の美星町に生まれた漢学者で、江戸で学び、現在の芳井町で塾を開いていた。その後、興譲館に招かれ、領内の子弟の教育を行った朗廬の名声は各地に広がり、遠くは九州地方からの入門者もあった。その後、広島藩、明治政府に招かれ要職を務めるとともに、森有礼、福沢諭吉の主催する明六社に漢学者としては唯一参加した。・・・【桜渓塾】の看板桜渓塾嘉永4年(1851)、阪谷朗廬が簗瀬の桜谷に漢学塾(桜渓塾)を開き、青少年の人材育成のため大いに尽くしました。桜渓塾の...阪谷朗廬(さかたにろうろ)

  • 「宇治拾遺物語」信貴山の縁起にまつわる事 (奈良県信貴山)

    一度、奈良県の生駒山にある信貴山に行ってみたいものだと思っていた。大阪から電車とバスに乗り継ぎ、やっとのことで信貴山の「朝護孫子寺」に着いた。広大な境内は山頂に「信貴山城跡」、山門との間には、「本堂」をはじめ「千手院」「本坊」「成福院」「玉蔵院」他の伽藍が並んでいた。しかし圧倒的な印象を残したのは小さな建物「霊宝館」で、そこに展示された国宝「信貴山縁起絵巻」だった。鉢が空を飛び、米俵が舞い上がる、童子が大空を駆けめぐる。摩訶不思議なストーリーと躍動感。信貴山に来てよかった、そう思った。旅の場所・奈良県生駒郡平群町”信貴山”朝護孫子寺旅の日・2021年12月1日原作・宇治拾遺物語原作者・不明現代訳・「今昔物語宇治拾遺物語」世界文化社1975年発行信貴山の縁起にまつわる事これも昔の話だが、信濃の国に住む法師、...「宇治拾遺物語」信貴山の縁起にまつわる事(奈良県信貴山)

  • 土佐日記 (高知県南国市)

    現在、高知市から京都市に行くとしたら、何時間かかるか?飛行機で約4時間。自動車で約5時間。電車で約4時間。ところが、平安時代の偉い人の場合でさえ、航路を利用して、約2ヶ月かかっている。しかも、破天荒よる遭難、沈没。海賊による略奪。命からがらの旅である。これでも、これが、1000年前は一番安全な行程だったのだろう。高知県南国市には紀貫之が国司当時の跡が公園となっていて、古代「まほろば」の雰囲気がよく漂よっている。旅の場所・高知県南国市市比江国府史跡跡・紀貫之邸跡旅の日・2018年3月24日書名・土佐日記原作者・紀貫之現代訳・「義経記曽我物語ほか」世界文化社1976年発行(高知県南国市・国府跡)土佐日記西村亨男も書くという日記というものを、女のわたしも書いてみよう、というわけで筆をとったのです。ある年の十二月...土佐日記(高知県南国市)

  • 「お伽草子」一寸法師 (大阪市住吉大社)

    一寸法師は、親に半ば棄てられ、家出同然で京都に行った。三条の宰相に雇われ、背丈は小さいが姫に恋した。姫を手に入れるため謀をし、まんまと流浪の身に落とさせた。なかなか煮ても焼いても食えない「小男」で、自己の欲求のためには臆面もない行動をして結婚。そして昇進を果たし、家は末長く栄えた。それもこれも住吉大明神のご加護によるところ、だそうだ。旅の場所・大阪府大阪市住吉区住吉「住吉大社」旅の日・2021年12月1日書名・「お伽草子」著者・作者未詳現代訳・「日本の古典・お伽草子」世界文化社1976年発行「日本の古典・お伽草子」世界文化社1976年発行今を去ること、ほど遠からぬ頃、摂津の国は難波の里に、老人夫婦が住んでいた。この夫婦は四十の年まで子供に恵まれないのを、大そう悲しんで、住吉の大明神に参詣、「なにとぞ子供を...「お伽草子」一寸法師(大阪市住吉大社)

  • 「潮待ちの宿」追跡者 ( 岡山県笠岡市)

    人気作家の伊東潤先生が、笠岡を舞台にして小説を書いてくださった。それが「オール読物」に連載された”潮待ちの宿”。山奥の村から、湊町の小さな旅館に奉公に出された少女が主人公。少女の成長と、それを見守る笠岡の人々の日常風景の中の出来事を物語にしている。少女が歩いた湊、路地、坂道、神社、遊廓、寺小屋。そのすべてが管理人の想い出と重なり、自分で想像を膨らませながら楽しみに読んだ。伊東先生、ありがとうございました。旅の場所・岡山県笠岡市笠岡旅の日・2017年5月28日書名・「潮待ちの宿」追跡者著者・伊東潤発行・文芸春秋「オール読物」2017年6月号「潮待ちの宿」追跡者笠岡の春は、瀬戸内海の潮風と共にやってくる。潮の香りが街中まで漂ってくると、はるか沖合に真鯛の群れが到来する。それを狙って「鯛しばり網漁」の漁船が漕ぎ...「潮待ちの宿」追跡者(岡山県笠岡市)

  • 哲西の”太鼓田植”を観に行く 2024.5.3

    中国地方の、中国山地の麓の村々に伝わる囃し田植え。広島県は「花田植え」、岡山県では「太鼓田植え」と呼ばれる。天気がよければ見に行こうと思っていたら、最高の天気の日となった。新緑のドライブを兼ねて、往路は成羽川沿いを上り、復路は東城川(成羽川の広島県での名称)沿いを下って帰った。車窓風景が行程のすべてきれいだった。【新見市役所HP】哲西の太鼓田植〜よいとこまつり〜の開催哲西で太鼓田植を披露する新イベントが開催されます。太鼓田植は、岡山県指定重要無形民俗文化財に指定されており、「さげ」と呼ばれる男性が打つ太鼓に合わせて、田植歌が歌われ、「植え子」と呼ばれる花笠姿の早乙女が苗を植えていきます。能率を上げ、楽しく田植えを行うとともに、田の神を称え、五穀豊穣を願う共同作業の慣習として長く伝承され、当日は哲西町はやし...哲西の”太鼓田植”を観に行く2024.5.3

  • ~幾山河越え去り行かば~ (岡山県広島県・二本松の国境)

    若山牧水は中国山地の麓、備後と備中の国境の宿で、この歌を詠んだ。その宿も街道に沿った公園に再建されている。牧水二本松公園は岡山県側になるが、備後の東城から、国道182号線で約10分の距離。国道の北側を旧道が通り、今に往年を感じる町並みが残っている。公園を訪れる人は、文化教室で短歌を習う人の聖地になっているようで、老先生と老生徒が散策する姿を見ることがある。高校生の頃、カール・ブッセの「山のあなたの空とおく」の日本版のように感じていたが、今はブッセはブッセ、牧水は牧水と思えるようになった。「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」旅の場所・岡山県新見市哲西町大竹「牧水二本松公園」旅の日・2022年5月18日書名・「海の声」作者・若山牧水参考本・「若山牧水と哲西町」哲西町平成12年発行(広島県東...~幾山河越え去り行かば~(岡山県広島県・二本松の国境)

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