chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
美術の旅人 Voyageur sur l'art  
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2014/11/19

arrow_drop_down
  • 馬渡裕子新作絵画展 夢の森へと。2024 12/11Wed.まで開催 杜の未来舎ぎゃらりい

    たとえば縫いぐるみじみた動物キャラが控えめな仕草で演じる無言の芸。子どもの遊びに見る祝祭感に深層から滲む何かの予兆が加わり、見る者に謎解きを迫る。シンプルな色彩と独特な形態の緊張感に満ちたコンポジションが幻の出現を支える。さて今年は、何が‥‥。ほぼ隔月で描き続けているデ・スティルコーフィーの宣伝用ポストカードの最新シリーズも展示します。馬渡裕子新作絵画展夢の森へと。202412/11Wed.まで開催杜の未来舎ぎゃらりい

  • 色とかたちの協奏  野中光正&村山耕二展 2024/11/22Fri.~30Sat. 11:00~18:00 杜の未来舎ぎゃらりい

    思いながら生きている。この「思う」を外しては私は生きられない。なぜなら思うことは「私」だからだ。しかしこの思うばかりだと企みだらけになって鬱陶しいことこの上ない。できれば、向こうからやってくるものを相手にしたい。そんなとき野中氏の絵を眺める。野中氏の絵は思うことの延長で成り立つ絵ではない。だから、もの思しげな形態は避けられている。そして、絵には名前がない。そっけなく制作した日付が書かれているだけだ。しかし、ものが現れるためには最低限の土俵となるかたちが必要とされる。それが盤面を分ける四角いセクション。野中氏にとって向こうからやってくるものは色である。色は感覚的世界のおそらく起源にあるもので、唯一この世界に感覚で捉えられる純粋なものとして現れる。それがどこに通じているのかは分からない。しかし、七色の虹のよう...色とかたちの協奏 野中光正&村山耕二展2024/11/22Fri.~30Sat.11:00~18:00杜の未来舎ぎゃらりい

  • 野中光正&村山耕二展 2023/11/20Mon.~26Sun. 11:00~18:00 ●野中光正在廊日 11/23(木)~24(金)

    静寂と躍動。抽象画の登場によって、絵画は対象やテーマの呪縛から解き放たれて音楽と同じ力を持つようになった。野中氏の個人史においては、20代終わり、60年になんなんとする画業の初期にこの転換は起こった。幼年期にすでにカラーチップで飽かず遊んでいるような子供であったそうだから、それは遅すぎる発露だったのかもしれない。楽器で心の赴くまま即興的に音を鳴らすように、抽象画にはまったく自由に色彩とフォルムを置いて、コンポジションを形づくる喜びがある。水平と垂直の矩形が交差する画家の作品に特徴的なシンプルなフォルムは、物思わしげな形がつくってしまうお定まりの具象風景や俗な物語世界に流れ、抽象画の基準線から逸脱してしまうことを拒んでいる。自作の絵の具によるオリジナルな色とその物質感、和紙特有の色彩の重なりが生み出す絶妙な...野中光正&村山耕二展2023/11/20Mon.~26Sun.11:00~18:00●野中光正在廊日11/23(木)~24(金)

  • 馬渡裕子新作絵画展 「蟹座のスペクタクル」 6/29(木)〜7/9(日) 杜の未来舎ぎゃらりい

    時代の兆しを鋭い感性で読み取ってきた馬渡作品、さて次の展開は。独特の幻の世界が、細部にわたって習熟した技術によって物質的リアリティを持って迫ってきます。*先の1年、デ・スティル・コーフィーのポストカードに掲載された作品、そしてこれまで20年間に亘り、隔月で同ポストカードに描いてきた作品120枚のうち今画家の手元にある36枚も展示しています。蟹座キャンバス油彩45.5×45.5120,000円(額装なし)馬渡さんの絵を見ているうちに、いわゆる日本の伝統的なミニマリズム演劇、能の世界を思い浮かべた。初期の頃からそういう気配はあったのだが、近年の作品は習熟した能役者によって演じられた演目に近いものがある。能役者の磨かれ切り詰められた仕草と口上が、見るものの想像力を刺激して、心に鋭く迫る広大な幻の世界を作り出す。...馬渡裕子新作絵画展「蟹座のスペクタクル」6/29(木)〜7/9(日)杜の未来舎ぎゃらりい

  • フェルメールと17世紀オランダ絵画 10/8〜11/27 宮城県美術館

    修復後のヨハネス・フェルメール「窓辺で手紙を読む女」が見れるとあって、いつもはガラガラの美術館は平日の火曜日にも関わらず人で溢れていた。絵の前に張り付いてぞろぞろと人の列が続くが、自分はゆっくり見る時間がなかったので、後方から見渡してこれぞと思う絵だけに絞って見ることにした。17世紀オランダの経済的繁栄とそれがもたらした文化遺産の豊かさが十分感じられる展示会となっていた。肖像画、人物画、風景画、静物画と、お馴染みの典型的な西洋絵画のジャンルが総登場している。宗教的主題であっても、カトリック国のような三位一体の厳密なイコノグラフィーによる縛りはない。むしろ超越的な神にかたちを与えることを偶像礼拝として忌避するプロテスタントの信仰が、多様な世俗的な生活の様を見つめることへと絵画を解放したのだろう。ヤンステーン...フェルメールと17世紀オランダ絵画10/8〜11/27宮城県美術館

  • 野中光正&村山耕二展 2022/11/21Mon.~27Sun. 杜の未来舎ぎゃらりい

    白という光の色。なぜ世界に光とともに色彩があるのだろうか。そんなことを考えるのは、野中氏の作品を覆っている色彩は、絵画理論の構成要素である「色」とはまったく別のものと感じたからだ。それを「純粋色彩」とでも呼ぼうか。野中氏が顔料を既製品ではなく自作し続けてるのも、この色彩への強いこだわりがあるからだろう。色彩は、最も鮮明な知覚である「視覚」を通して魂に直接呼びかけてくる力を持つ。最新作でも、野中氏の生活の記憶庫から呼び寄せられた色彩が重なり合い、独特な奥行きのある世界を形づくる。彼の作品の特徴的骨格である矩形の「形」はもはや自然にそこにあり、真ん中には太い柱のような白色の光の帯があって天から降り注いでいる。誕生前の赤ん坊が目で見た、あるいは来世で見るかもしれない、純粋な色の世界へと誘うかのように。MITSU...野中光正&村山耕二展2022/11/21Mon.~27Sun.杜の未来舎ぎゃらりい

  • 尾崎行彦・田村晴樹 木版画二人展 5月10日(火)~15日(日)

    晩翠画廊に次の展示の案内カードをお気に入ったら旧知の二人の展示をやっていた。最初は田村氏の版画の方に目が行った。前より尾崎行彦・田村晴樹木版画二人展5月10日(火)~15日(日)

  • 開拓移民の家を再生 Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

    →https://www.youtube.com/watch?v=Tub5vWLKB1o&t=1s夜遅く自転車を漕いで家路を急いでいると、街角の暗闇に突然女性の人影が現れた。思わず、急ブレーキを踏む。光に照らし出された青白い顔が暗闇に浮かびあがってスマフォをいじっているのが分かった。なぜ、こんなところで、今の時間にと思うが、最近はとみにこういう老若男女たちが増えた。スマフォが彼らの唯一の生命維持装置になっている。さて、何年か前からKirstenDirksenのyoutube取材映像をアップロードされるごとに見逃さずに見ている。ここには、スマフォを手放せない人や漫然とラーメン屋に長い列を作っている人は決して登場しない。皆、世の通勢に流されず、また既存組織などに依存せずに、自分で生き方や暮らしを考え選んで、たくまし...開拓移民の家を再生KirstenDirksenのユーチューブ映像から

  • 野中光正新作展 2021年 10月16日(土)〜22日(金)10月16日(土)〜22日(金) 杜の未来舎ぎゃらりい

    野中氏の「抽象」(ミックストメディア)は、俗に思われている観念的な産物ではまったくない、彼の身体に蓄積された五感の経験が、生活の座という制約された時のフラスコの中で、化学変化を遂げて、魂の直接的変容である作品を生む、そのようなものだ。むろん、そこに色彩の選択と濃淡、ブラシタッチの強弱、コンポジションの差異など、技術的営為は関わっているが、時に鍛えられた名演奏家の演奏さながら、楽曲に仕えて調和を崩さない。異様さが際立つ世相を忘れて、永遠と向き合って変わらぬ世界を今回も楽しみたい。●同時展示村山耕二ガラス作品野中光正新作展2021年10月16日(土)〜22日(金)10月16日(土)〜22日(金)杜の未来舎ぎゃらりい

  • 予告「祝祭と予兆ー馬渡裕子の世界」 9月21日(火)〜30日(木) ギャラリーアビアント 東京浅草・吾妻橋駅より徒歩5分

    「祝祭と予兆ー馬渡裕子の世界」馬渡裕子の「絵」の世界に登場するヌイグルミじみた生きものたちや無表情な人間たち。それら半ば記号化されたキャラたちは、ミニマムな舞台に立つ能役者でもあるかのように、うっかりすると見逃してしまいそうな細やかな仕草や日常的道具立を伴って、私たちに謎解きを迫る。そこには子どもの遊びに見る祝祭感と同時に、どこか深層から滲む何かの兆しもほの見えて、それらがミステリアスな混合的魅力を醸す。緻密な抽象画のような色彩と形態の緊張感に満ちたコンポジションが技術的効果をもたらしてることも指摘しておきたい。浅草に初お目見えの馬渡世界をお楽しみください。1976仙台市生まれ1998東北生活文化大学卒業仙台をホームグラウンドに個展多数東京では、個展「Dummy」(Gallery銀座フォレスト)、個展「惑星」(...予告「祝祭と予兆ー馬渡裕子の世界」9月21日(火)〜30日(木)ギャラリーアビアント東京浅草・吾妻橋駅より徒歩5分

  • 香月泰男展 7月3日〜9月5日 宮城県美術館

    久しぶりに訪れた宮城県美術館。マスクに検温、ソーシャルデスタンスを促す放送と、絵をじっくり見る気を削がれること著しいが、コロナパニックの最中仕方がない。しかし、そのせいかどうかは分からないが期待したような感興が起こらない。香月のシベリアシリーズは6年前に同美術館の展示で見ている。針生一郎という、ある世代にはメジャーな地元出身の美術評論家と関わりの深い絵を選んだ展覧会(針生一郎と戦後美術20151/31~3/22)の中であった。その時書いた感想を以下に再掲しよう。「シベリアの大地に追いやられ人間性を剥ぎ取られて、丸太のように無造作に埋められた者たちが唯一見たものは、圧倒的な星の瞬きであっただろう。創世記のアブラハムがふり仰いだ星空は、神の約束のしるしであったが、無残な大量の死に対置して、画家香月泰夫が出会った星空...香月泰男展7月3日〜9月5日宮城県美術館

  • 馬渡裕子絵画展 続き

    続き。さて、馬渡さんには予見的才覚があるとあえて言おう。東日本大震災の時もそうだが前年の2010年に展示会をしたとき、それまでの作品には見られない奇妙なものが現れた。画面を横断する「子どもお化けたち」である。それらがタコ糸の切れた凧のように画面を百鬼夜行のように横断していく姿である。それらはだんだんと行動をエスカレートさせ、疾走するクラシックカーと箱乗りする暴走族のように絡み始め、何処へやらとガヤガヤと去っていく。見たときにはこれは何だろうと思った。しかし、それから数ヶ月たってあの未曾有の災害である。波に飲まれた無数の車、そしてそこで命を失ったたくさんの人たち。さらにこのときには、不思議なチロリアンハットの男性が浮遊するお化けたちと一緒に現れた。(面白いタイトル「頭だけ使うから寝不足になるのだ、目を閉じても思考...馬渡裕子絵画展続き

  • 馬渡裕子絵画展 2021.1.11~17 杜の未来舎ぎゃらりい

    もうそろそろ終盤にかかった馬渡裕子展。今回は深読みを恐れず彼女の絵について突っ込んだところを書いておこう。彼女の今回の作品に「折り返し点」というタイトルの作品があったが、ここに至って初めて見えて来たこともあるからだ。まあ、そんな思い巡らしに誘導してくれる作家はきょうびあまりない。その意味で10年以上前に出会って毎年うちのギャラリーで開催し続けられたことを幸せな邂逅と言わずして何と言おうか。さて、今回メインの展示となったのが「南から風が吹いている」との作品だ。5匹の犬が後ろ足で立ち上がって何かを待ってる。ここでも彼女の描く動物、この場合は見かけはプードルなのだが、ヌイグルミなのか、血の通った存在なのか、判断停止の中間状態に置かれている。メルヘンやファンタジーの記号的存在にはない。しっかりリアルな感触があるのだ。同...馬渡裕子絵画展2021.1.11~17杜の未来舎ぎゃらりい

  • 野中光正&村山耕二展 2020年11月17日(火)~24日(火)11時〜18時

    蘇生する記憶絵画を美術史と言う名の、西洋の線形モデルの中で考えると、近代のタブロー絵画の歴史は、抽象画でピリオドを打ってしまう。このピリオドの中には、私たちを魅了してきた無数の絵の記憶が層となって蓄蔵されている。野中氏の「抽象画」(メディアミックス)もまさしくそうで、色彩やタッチやコンポジションから、西洋画であればヴァトー、ロートレック、そしてモランディやロスコなど、浮世絵であれば鈴木春信、広重まで、そこに表現された自然の動態が多重露光のように浮かび上がって来ることがある。作家の生まれ育った場所、江戸、東京と続くモダン文化の中心点、浅草という環境が、西洋近代の文化的精華とも通底する普遍的な目と身体を画家のうちに育んだのであろうか。膨大な記憶の層から引き出した美を今の時のうちに蘇生させる変奏の技術は、抽象というと...野中光正&村山耕二展2020年11月17日(火)~24日(火)11時〜18時

  • セコイヤの森に自給自足で暮らす50年 Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

    →セコイヤの森に自給自足で暮らす50年チャールズ・ベローと妻ヴァンナは、52年前、北カルフォルニアのセコイアの森に、自給自足のシンプル生活に憧れて移ってきた。240エーカーの土地を買うために預金をほとんど使い果たしたので、家は彼ら自身で建てなければならなかった。最初の家は、パネル構造のAフレームキャビンで、2~3の家族の協力も得ておよそ5日で建てた。トータルコストは2,800ドル(今のレートで30万円というところ)だった。彼らの土地は30分ほど未舗装の道を降ったところの裸地だったので、家に通じる橋や道やインフラも自分たちで整備しなければならなかった。冷蔵庫も電話もない生活が電話のケーブルを引き太陽光パネルを整備するまで数10年続いた。Aフレームキャビンでの生活が15年続いた後、森の中に、また家を建て、周りの木々...セコイヤの森に自給自足で暮らす50年KirstenDirksenのユーチューブ映像から

  • 小さいけどより美しく快適になった普及版Earth Ships Living in Tiny Houseから

    →より美しく快適になった普及版EarthShips←センターのガラスの開口部を大きくとった斬新なデザインに、ギリシャや中近東にでもありそうな白い家のイメージをセットしたおしゃれな外観。それを見ただけで憧れる人が多いのではないか。これはKirstenの映像で先に紹介した、EarthShipsをダウンサイズした良くできた普及版と言える。オリジンのSF映画を思わせる異次元の印象と、ちょっと過激なサバイバルを啓蒙しようという意図はなく、新鮮なスタイル&仕組みの、お金がかからないタイニーハウスで、サスティナブルなオフグリッド生活を、より快適に心地よく楽しもうという一般向けの提案がある。何しろ周りは荒涼とした砂漠ではなく、緑に覆われた南オーストラリアのリゾートである。この環境に合わせて、デモニッシュなものを漂白し、Eart...小さいけどより美しく快適になった普及版EarthShipsLivinginTinyHouseから

  • フランス南西部、森の中の若い大工たちのコミュニティ Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

    →フランス南西部、森の中の若い大工たちのコミュニティ←さて、ここはフランス南西部の若い大工たちのギルドによるコミュニティ。昔ながらの工法を使って、様々な住宅を2年前から森の中に作り始めた。製材も古風な斧(これら道具もここで自作している)を使って行なっている。新しいテクノロジーだ、我々の発明だと見せてくれたのが、自転車で動く製材機械。思わず目が点になった。棟上が終わった大きな建物もあるが、曲がった木がそのまま使われている。伝統的なフランスの田舎家の建築様式なのだろう。独特の手づくりのあったか味と美観があって心惹かれる。しかし、仕事ばかりしているわけではない。なんか一見ぶらぶらしている人の方が多いように思う。三々五々、弓で狩猟の練習をする人もいれば、木にぶら下がった廃物のソファに座って新聞を読んでいる人もいる。彼は...フランス南西部、森の中の若い大工たちのコミュニティKirstenDirksenのユーチューブ映像から

  • イタリア・アルプス麓、中世の村の再生に取り組む Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

    →中世の村の再生に取り組む←ヨーロッパの農村部、山岳地帯など僻遠の地も含めて、中世あるいはもっと古い時代にオリジンを持つ歴史的集落が無数にあるが、それらは大抵石造りで外形を保っていても誰も住むものがなくなって石の廃墟に変わりつつある。Kirstenは、それら打ち捨てられた建物に特別な思いがあるのだろう、それらを再生しようとしている試みを数多くレポートしている。ここではそれらのうち、ゴーストタウン化したイタリアの中世の村に家族ともども住み着き、他にも誘いかけて往時の集落の姿を取り戻そうとしている建築家の試みを紹介しよう。こうした試みの多くは建築家によって行われていて、古い石造りの小屋を外観はそのままだったが、中は建築家のプライドを投影させて、まったくのモダンデザインに変えてしまった例(朽ち果てるままより良いが、正...イタリア・アルプス麓、中世の村の再生に取り組むKirstenDirksenのユーチューブ映像から

  • アースシップス、過酷な世界を生き延びるための住まい Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

    →アースシップス、過酷な世界を生き延びるための住まい←ちょっと古い映像になるが、面白い取り組みなので紹介しておこう。ニューメキシコの荒涼とした砂漠を走ると、スターウォーズのシェルターのような多様なユニークな形の建物が忽然と現れる。核戦争後のような過酷な条件を生き延びるサバイバルモデル、633エーカーの土地に建てられたアースシップス(EarthShips)と呼ばれる、70近くの建物群(TheGreaterWorldEarthshipCommunity)である。建築家マイク・レイノルズの発案によるこれらの建物は、土とゴミ(カン、ガラス瓶、古タイヤ)でつくられている。1997年のスタート当初、これらの建物群は、不法分譲を理由に閉鎖を余儀なくされたが、7年の後には適法を勝ち取った。現在、州は、2エーカーの土地を与え、上...アースシップス、過酷な世界を生き延びるための住まいKirstenDirksenのユーチューブ映像から

  • 廃品をユニーク住宅に変えるテキサス魂 Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

    →廃品をユニーク住宅に変えるテキサス魂←全米でもプアな人が多いとされるテキサス州には、おシャレで、乙に済ました東海岸のエリート&セレブたちには見られない、テキサス魂と言われる自由独立の精神に富んだ人物が多いようだ。前にプアな人々向けに廃材で作った住宅を実際に提供する、気持ちのいっぱい入った事業を展開している、見た目エキセントリックなテキサス爺さんを紹介したが、この爺さんも、やはり同じテキサス人で小柄で痩せているが、同じような事業を展開している会社の社長である。負けず劣らずエネルギッシュなうえに、テキサス人の真骨頂を発揮して発想がぶっ飛んでいて、すぐに尊敬してしまった。最初に出てくるのは木の上に建てられた家だ。と言っても、こぎれいに収まった家ではなくて、縦横に広がった枝は家を突き抜けているし、入り口や内部の階段に...廃品をユニーク住宅に変えるテキサス魂KirstenDirksenのユーチューブ映像から

  • 廃棄された客車を素晴らしいオフグリッドの家に変えた Living Big in Tiny House から (セントラル・オタゴ、ニュージーランド南島)

    大きな空と遠く山々が連なる、広々とした放牧地のパノラマ風景の中に、ポツンと置かれたダークレッドの古風な2つの車体。マンデーの手に渡るまで、この2つの客車は、長い間、ここに打ち捨てられ、カビと蜘蛛の巣と鳥の死骸だらけで、雨もりのする壊れた、誰も見向きもしないジャンクと化していた。しかし、マンデーは再生の夢を諦めなかった。元夫とともに、8年もの歳月と情熱を傾け、台車部分も含めて歴史的な往時の美しい姿を少しづつ取り戻して行った。今、ここに見るユニークで素晴らしいタイニーハウスに変わった客車は、彼女の言うように、誇張ではなくまさしく「血と汗と涙」の結晶なのである。それぞれの客車は、おおよそ12×2.5メートル。メインの車体は、キッチン、ラウンジ、ベッドルーム、バスルームを備えた、機能的で快適なタイニーハウスに変えられた...廃棄された客車を素晴らしいオフグリッドの家に変えたLivingBiginTinyHouseから(セントラル・オタゴ、ニュージーランド南島)

  • ありきたりのキャラバンを「指輪物語」の世界に改造 ユーチューブLiving Big in Tiny House から

    離婚の後、17年間の警官生活をやめ、木彫家となったグレン(イギリス)は、ソフトヤンキーがしそうなステレオタイプの改造ではなくて、DIYと木彫の腕をフルに使って、どこにでもあるような白いキャラバンを大好きな「ロード・オブ・ザ・リング」と「ホビットシリーズ」の世界で塗り込められた独創的なタイニーハウスに変えてしまった。キャラバンのシャッターを開けると、ドラゴンが稠密に彫り込まれた木彫のドアが現れる。さあ中に入ろう。そこは大好きなイメージで埋め尽くされた世界。キッチンデスク、ライト、チェア、ディスクなど、木彫の腕を生かした木製家具が置かれている。重量を考慮してすべて木を使うのではなく、お気に入りの模様の壁紙も使っているが、これがバンの中だとはとても信じられない。しかも、コンパクトなスペースに、シンク、薪ストーブ、トイ...ありきたりのキャラバンを「指輪物語」の世界に改造ユーチューブLivingBiginTinyHouseから

  • ウェールズの森の中での超シンプル生活 ユーチューブLiving in Tiny Houseから

    →ウェールズの森の中での超シンプル生活←山の国ウェールズのスノードン山を望む野生の森の中に、1000ポンドで建てた小さい家。雑草で屋根を覆い、泥壁で囲ったきりの、EarthBuildingと言えばかっこいいが、方丈記に出てきそうな「草の庵(いおり)」を思い浮かべればいい。当然電気なし、電話なし、もちろんインターネットなぞ、あるわけない。水は近くの小川からボトルで汲んでくる。ストーブには、切りそろえた薪などではない、森で拾い集めた小枝を燃やす。野生飼している山羊や鶏や小さな栽培ベッドに植えたハーブで食事を賄う。ドアがわりに幾重にも垂れ下がった布をくぐると、そこは敷物を敷いた丸い空間が一部屋あるばかり。二つの窓は嵌めきりで、光が絶えず入ってくるが、夜ふと目覚めると、煌々とした星の光があたりを照らし出すファンタジーを...ウェールズの森の中での超シンプル生活ユーチューブLivinginTinyHouseから

  • ニュージーランドの老夫婦が作った靴の家 ユーチューブLiving Big in Tiny Houseから

    →ニュージーランドの靴の家←「靴の家に住んでるおばあさんがいました」。そういえば、子供の時、そんな童話を読んだことがあるような気がするが、外観を見れば特徴は一目瞭然、まさしくユニークなブーツの形の家である。ご丁寧に紐通しの穴やステッチまでしっかり再現している。子供なら童話の世界は現実にあるもの(そんなコメントがあったが)と錯覚するに違いない。このブーツの家は、ニュージーランドの南島、モトゥイーカの郊外、カフェとレストラン(1991~)、そしてそれを取り囲むガーデンパラダイス、その名もジェスターハウスに建てられている。他にも何棟かの不思議な家が庭の中に建てられている。オーナーであるスティーブとジュディのポリシーは「ユーモアがなければ、する価値がない」というもの。確かにここには疑いようのない楽しさと軽妙さが同居して...ニュージーランドの老夫婦が作った靴の家ユーチューブLivingBiginTinyHouseから

  • 森の中に妖精の家を作り続ける ユーチューブLiving Big in Tiny Houseから。

    →森の中に妖精の家を作り続ける←深い森の中に、子供時代に誰でもが頭に浮かぶビジョンを、一人実現し続けている。こうなるとアート作品、ジェーコブ(JacobW.H.)自身の言葉によると「住まうことができる彫刻」と言った方が良いかもしれない。日々アーテストが作品づくりに取り組むように、太平洋に面したワシントン州オリンピアの奥深い森の中、魅惑的なスモールキャビンを作り続けている。現代にも、コツコツと拾い集めた石で理想宮を作り上げた郵便配達員シュヴアルのような、夢につかれた人がいる。→郵便配達員シュヴァル←最初に紹介しているスモールキャビンの外観は、周りのアメリカ杉に覆われた森の景観ともマッチして、ファンタジーノベルにでも出てきそうな雰囲気。上からの映像を見ると分かるが、全体の構造は十字架状をしており、鋭い傾斜角の屋根と...森の中に妖精の家を作り続けるユーチューブLivingBiginTinyHouseから。

  • カリフォルニアの砂漠に土の家で暮らす。 ユーチューブLiving Big in Tiny Houseから。

    →カリフォルニアの砂漠に土の家で暮らす。←アースビルディング(EarthBuilding)という言葉をご存知だろうか。私も、この映像を通して初めて知った。建築関係のWikiを見ると、耐火性があり、未加工の原土を用いた建築を実践することとある。11,000年以上前から存在し、特別な道具を用いずに作れることから、今日でも世界の半数の人々がこの手法で作った土の家に生活している。日本の農家の藁すさを粘土質の土に混ぜ合わせた土壁の建物もこのカテゴリーに入るのだろう。サーシャとジョンのカップルが住まう、寒暖の差が激しい、カリフォルニアの砂漠、異星人の惑星のような厳しい環境こそ、アースビルディングに適していると言える。アースビルダー(EarthBuilder)の二人は、パーマカルチャー(Permaculture)と呼ぶエコロ...カリフォルニアの砂漠に土の家で暮らす。ユーチューブLivingBiginTinyHouseから。

  • 尾崎 森平 個展 「1942020」 2/18~3/1 ターンアラウンド

    一見して建築パースの世界である。大抵はこの類の建築パースは高度なドローイングソフトで描かれている。しかし、ご苦労なことだが、作家は手書きの筆でこれを描いているのである。そこが建築パースではなく、そしてデザインでもなく、この絵を、絵画ジャンルにかろうじて、止めている重要な要素であることを画家は誰よりもよく知っているのかもしれない。かといって、リアリティを追う写実主義からたどる西洋近代美術史の上に成立した、空気感まで描かれたハイパーリアリズムの世界ではない。建築パースのように描かれた彼の絵は、その種の絵画の様式を借りたシュミラクルなのである。それは西洋の流行に常に晒され、様式の意味を深化させる間もない日本の画家の誰もが必然的に陥る錯覚なので致し方ないことではあるが。だから、我々は、むしろここではここに描かれた「記号...尾崎森平個展「1942020」2/18~3/1ターンアラウンド

  • ブラジルのサーファーがパリに住んだら Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

    →ブラジルのサーファーがパリに住んだら←幼い時からブラジルの海でサーフィンを楽しんできたElisioTiúbaは、プロのサーファーになることを夢見ていて、競技会にも参加したが自分にはトッププレーヤになる力量がないことを知った。リオデジャネイロでは、前から好きで描いていた絵の感覚と技術を生かしてサーフボードに絵を描き、自分だけのサーフボードをつくることに情熱を燃やし、サーフボードアーティストとして暮らしていた。人生のページをめくるときが来る。パリに移り住んでからも彼のマインドセットは創造力を発揮する方に向けられた。移動する車に乗って、あるいは歩きながら紙からペンを離さずパリの街を描き続けるパフォーマンスをしたりしていたが、なんと小さな子供部屋をスケートボードなどエクササイズができる部屋に自分自身の手で改造を始めた...ブラジルのサーファーがパリに住んだらKirstenDirksenのユーチューブ映像から

  • アイヌの美しき手仕事 柳宗悦と芹沢銈介のコレクションから 1/25〜3/15 宮城県美術館

    柳宗悦と芹沢銈介のまなざしの違いは、各々の収集品を見れば一目瞭然だった。最初の部屋には柳の目と心が集めた品々、日本民藝館所蔵の収集品が陳列されていた。そこには副題として柳の言葉「それは啻(ただ)に美しいのみならず」が冠せられていた。柳は人々を捉える美の力が一体どこから生まれるのかを探求する中で、民藝の世界に出会い、信仰の道を深めていった人だった。だからこの言葉の背景には、柳がつかんだ信の世界がある。それは柳にとっては、端的にいえば、人間の側から極めてゆくものではなく、向こうから来るもの、啓示に基づくものであった。それが美の思索と結びついたところに、柳の独自性がある。晩年の著作「南無阿弥陀仏」に明らかだが、彼の言う美の道は、分岐するばかりの宗派教派が説く特定の教義に結びつく道ではなく、「ひとつ」の神が内心に美とい...アイヌの美しき手仕事柳宗悦と芹沢銈介のコレクションから1/25〜3/15宮城県美術館

  • コートールド美術館展 魅惑の印象派 9/10~12/12 東京都美術館

    東京の友人から突然の電話があった。上野の都美術館で開催中の「コートルード美術館展」がとても素晴らしかったので絶対見に来るべきだという、強いお薦めだった。すぐに行きたかったところだが、他の東京での仕事の予定とも兼ね合わせて、当の展覧会に赴いたのは終幕の2日前となってしまった。11時過ぎ、上野駅を出て都美術館に向かう。久しぶりに上京した田舎者には、日曜祭日でもないのに異様に思えるこの人の多さ。それも自分も含めてほとんど老人たち。朝早くの列車にすべきだったと一瞬悔やんだ。案の定、切符売り場には列が出来ていて、荷物を入れるロッカーには空きがない。それでも、旅行鞄を手に持たざる得ないとしても、15分ほどで入れたからましな方なのだろう。見学者はみなかぶりつき席が好みのようだ。絵にギリギリまで近づいてカニの横歩きさながらにジ...コートールド美術館展魅惑の印象派9/10~12/12東京都美術館

  • 馬渡裕子新作展 after dark 12/3~8 杜の未来舎ぎゃらりい

    今年5月、リアス・アーク美術館で東北で活躍する若手作家を紹介するシリーズで展示され、高い評価を得た「VS」をはじめ、馬渡裕子の最新作を展示します。関連してこの時書いた文章を再掲載いたします。等ギャラリーでは、毎年年末のこの時期に馬渡展を開催していますが、今度はどんな新作が見られるのかワクワクさせられる東北でも数少ない作家の一人です。日常に異世界とのささやかな通路を拓き、見慣れた世界のスリリングな楽しみ方を教えてくれる馬渡ワールドの魅力を、もっと多くの方に知ってもらいたいと思います。昼間に我々が経験したことや見たことは無意識層の中に積み上げられ、夢の中で唐突に予想外のイメージとなって蘇ることがある。馬渡さんの絵は、この夢のイメージをスナップショットのように、キャンバスに定着させたもののように見える。しかし、夢の形...馬渡裕子新作展afterdark12/3~8杜の未来舎ぎゃらりい

  • 究極のミニマリストライフモデルか? Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

    →究極のミニマリストライフモデルか?←真贋の判定は難しい。しかし、これはフェークであろう。どうしてkirstenがこんな異質なモチーフを撮影することになったか、その経緯は分からない。力量のある取材者であればいろいろ問い詰めるであろうが、編集者の判断を最初の取材対象の選択に限定することで、あとはコメントを交えず登場人物に好きなように語らせ、リアリティーをそのまま発信する、このシリーズの制作スタイルでは、それも叶わない。だから視聴者が全く自分で判断するしかないが、そこがテレビと違うYouTubeの面白さかもしれない。さてフェークだと思う理由はこんなところにある。この森の中での生活の映像は、静かで美しい。ソローの生活の理想をまさに体現している奇特な方がいるもんだ、と最初は思った。しかし、見続けるうちにどこか怪しいとこ...究極のミニマリストライフモデルか?KirstenDirksenのユーチューブ映像から

  • 青野文昭 ものの、ねむり、越路山、こえ 11/2~1/12 メディアテーク

    2011年3月11日、巨大な何かが、たくさんの生命を呑み込んで通り抜けていった。記憶という名の霊となって物質に張り付いているそれらの痕跡を青野さんは掘り起こし再生し視覚化している。あの出来事への美術家からの初めての深く内的な反応だと思う。古くから霊が超える場所だった八木山越路(こえじ)から、今も見えざるものたちは、ついにはクルマとスマフォだけが残った、プラスチック都市の未明の暗闇にも吹き下ろしてきている。いや、常人を超えた力仕事にびっくり。今年二番目の収穫。一番目はウチでやった野中&村山展😅青野文昭ものの、ねむり、越路山、こえ11/2~1/12メディアテーク

  • ストラスブール美術館展 9/13~11/4 宮城県美術館

    40年以上前、学生時代に譲られて、パラパラと写真を見てつまみ食い的には読んでいたが、ほとんど積ん読になっていた美術本を、ここ3、4日で今度は付箋を付けつつ読了した。その本の名前は「中心の喪失」(ハンス・ゼドルマイヤー)。ここでゼドルマイヤーは、近代絵画から現代絵画への歴史を、絵画が様式を通して神への信仰を表していた時代が解体された後に出現した、ネガテイブな中心の喪失過程として著述し、そこで生み出された作品を、いわば病気の症例として提示している。読了後間をおかず行ったせいもあるが、ストラスブール美術館展の印象は、この本が説くところをより説得的に感じさせるものであった。多くは流行に乗り遅れまいとしつつ、オリジナリティーを狙った自己顕示的表現になっていく。そういう作品は、他と表層的に違っていたり、技術的に習熟はしても...ストラスブール美術館展9/13~11/4宮城県美術館

  • 野中光正氏の最近作を展示して。

    おそらく15年近くになるのでしょうが、野中さんは、日記を書くように毎日朝の9時から12時までの3時間の間に1枚の作品を仕上げるのを日課にしています。今回の展示会では、その膨大な数の作品の中から私がピックしたものを時系列に従って並べて見ましたが、彼の内部で生起する出来事および事実がより一層鮮明に感じられるようになりました。過去から現在まで、一作家の濃密な「今」の連続を一気に眺めわたすことができる、企画者であり鑑賞者であるがゆえの特権を味わうことができました。彼にはシュルレアリストのように内奥の自我を探ろうという、あるいは、西洋の抽象画のように概念的な思考のレベル、形而上的な世界へと探求を進めようという意図もありません。むしろ、最初にそういう意図があることを、創作の喜びを疎外するものとして、彼は嫌うのです。日々移り...野中光正氏の最近作を展示して。

  • 野中光正&村山耕二展 9/20(金)〜28(土)

    この二人のコンビでの展示は、今年で何回目になるだろうか。野中さんの展示はもっと長く10年以上になると思う。野中さんの展示を続けているのは、具体的な作品を通して、「抽象とは何か」ということを、今まで観念的に展開されてきた知識や既成の理論の受け売りに基づかず、自分で感じ考え続けて行くためである。言葉を変えれば、画家にはある必然性を持ってなされている行為の意味を画家ではない私が知りたいという願望に基づく。その自分の側の勝手な要求に、野中さんは作品を持って応答してくださる力量を十分にお持ちの作家であった。自分自身の覚書の意味もあって、以下にこれまでの自分が関わった展示に際してのコメントをまとめてみた。まずは身近に迫った展示会の案内から●野中光正&村山耕二展2019.9.20~28確かに確かにモノと心がぶつかり合い、作家...野中光正&村山耕二展9/20(金)〜28(土)

  • タイニーハウス界のウィリー・ワンカ Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

     →タイニーハウス界のウィリー・ワンカ←カーボウイハットにロン毛結び、ランニングシャツ、短パンで筋骨隆々の日焼けした肌を露出させ、モーゼのように杖を片手に、しかも「裸足」で、テキサス郊外のロードサイドのだだっ広い敷地をエネルギッシュに歩き回って始めから終わりまで、マシンガンのようにしゃべりぱなし。こういうエキセントリックなキャラの爺さん・・正直、大好きだ。この爺さん、こんなバカなこと誰もしないような、しかしエコロジーの時代にすごくいいことをしているのだ。それは何かというと、アメリカでも次々古い住宅が壊されゴミにされているのだと思うが、その古材を大量にかき集めて来て、タイニーハウス、それもアーリーアメリカの伝統的な様式の家を作り上げ、ホームレスを始めプアな層に破格値で建売として供給しているのだ。理不尽な法律をクリ...タイニーハウス界のウィリー・ワンカKirstenDirksenのユーチューブ映像から

  • 橋の下の隠れ家 Kirsten Dirksenのyoutube映像から

    →橋の下の隠れ家←高速道路の橋の下にはたっぷりした空間がある。しかし、スペインの配管工FernandoAbellanas以外に、これを利用してこんな遊び場を作っちゃおうなんてことは考えもつかないし、まして実現した人なんていなかったに違いない。手回しのゴンドラを動かして橋梁に押し付けると、誰にも邪魔されずに本を読んだり、絵を描いたり、ビデオを見たり、夜はマットを引いて寝ることさえできるインビジブルなプライベートルーム(まるで子供の隠れ家のようだ)が出現する。彼が住むペイポルタはスペインのバレンシア市近郊の小さなベッドタウンだが、彼のリアルな生活空間である自宅もこれまたユニーク。通りに面したアパートメントの裏に接合してたてられていた粗末な建物を解体し、3年かかって構造体以外はすべて自分で少しづつデザインし立て直した...橋の下の隠れ家KirstenDirksenのyoutube映像から

  • 忘れられた巨人シリーズ Kirsten Dirksenのyoutube映像から

    https://www.youtube.com/watch?v=g73esx9z37sトップ映像の野原や森林のあちこちに置かれたいろんなポーズの巨人像にまずびっくりした。登ったり、滑り台にしたり、くぐり抜けたりして、夢中になって遊んでいる子供たちの姿が見られる。もっと驚くのは、これら6つの魅力的な巨人像がすべてコンテナなど廃材のみで作られていることだろう。デンマークのトマス・ダンボ(と二人の従業員)は、通勤途中はもちろん、ビッグシティ、コペンハーゲンの街中のゴミ集積場所や大きなゴミ箱や建築現場、マーケット、フェスティバル会場などを漁ってあらゆる使えるゴミを集めてくる。運転免許をとる時間もトラックを買う金もないので、それらを運ぶのはもっぱらリアカー付きの自転車である。ワークショップのための倉庫には、それらありとあ...忘れられた巨人シリーズKirstenDirksenのyoutube映像から

  • 縄文の炎・藤沢野焼祭2019 8/10(土)〜11(日) 一関市

    44回を迎える藤澤野焼祭りに今年も参加した。これに参加しないと夏は終わらない。しかし、例年ほど熱くなれなかったのは、比較的涼しかった天候のせいばかりではない。いつもの窯焚きメンバーであり古くから付き合いのあるW氏や90歳(たぶん)のK氏が体の不調ゆえに参加しなかったのが大きかった。しかし、W氏から預かった作品は窯に入れた。そこで翌朝5時過ぎにはいそいそと起き出して、鎮火した窯へ作品取り出しのため向かった。そこにはすでに窯から取り出した作品を眺めているH氏がいた。H氏は毎年縄文土器のレプリカを作り続けている。その力あふれる作品を見て並みの情熱ではないなあ、と思っていた。しばし、その彼と話す機会を得た。彼は各地に赴いて実にたくさんの縄文の出土物を見ている。縄文街道と言われる群馬では、見事な火焔土器に触れさせてもらっ...縄文の炎・藤沢野焼祭20198/10(土)〜11(日)一関市

  • 平福百穂展 7月13日(土)〜9月1日(日) 宮城県美術館

    突然目の前に出現した「もの」に驚いた。タイトルには「七面鳥」とある。それが今まさに六曲一双の屏風の上を、体を膨らませたりデフォルメさせながらコロコロと動いているようで、見る者もその動きとともに余白のうちに巻き込んでしまいそうだ。一般の絵の概念、それも流派に分かれ、チマチマとした約束事に縛られた日本画という狭量なカテゴリーなど、吹っ飛んでしまうような、命あるもの実相をまさに写し取ってダイナミックな存在感がある。これを見られただけでこの展示会に来た甲斐があったと思った。平福百穂というと、どのような作品を描いた作家なのか皆目知らなかった。角館にありながら中央画壇でも大家として業績を残した経緯から、地元を中心に過大評価されているのではとも思っていた。展示会の案内チラシの代表作とされる小さな作品写真からは、やはり表面的な...平福百穂展7月13日(土)〜9月1日(日)宮城県美術館

  • 馬渡裕子展 5/3~6/16 リアス・アーク美術館(気仙沼市)

    昼間に我々が経験したことや見たことは無意識層の中に積み上げられ、夢の中で唐突に予想外のイメージとなって蘇ることがある。馬渡さんの絵は、この夢のイメージをスナップショットのように、キャンバスに定着させたもののように見える。しかし、夢の形や色をそのまま写実することは難しい。なぜなら夢は眠っているときの脳の働きによって生まれる極めて主観的な閉じた体験だからである。目が覚めて我々は夢の片鱗を元にそれを再構築しようとするが、それはすでに意識の世界の出来事であり、「そのような夢を見た」と言ってるに過ぎないのかもしれない。まして、色や形を正確にとなると‥‥さて馬渡さんの絵についてである。そう言うことだから、その一見夢のように見える世界は、精神分析の対象になるような夢の報告ではなくて、画家が意識的に作り出した世界ということにな...馬渡裕子展5/3~6/16リアス・アーク美術館(気仙沼市)

  • 佐立るり子「デジタルと感覚」5/28~6/9 Gallery TURNAROUND

    コンピュータのデジタル環境で作られたものであっても、モノとして出現するときにはアナログとして存在し始めなければならない。佐立氏がトライしているように、コンピューターソフトで作られたものでも、出力時点では紙や布といったアナログ素材を抜きにしては存在できないからである。故に「純粋デジタル」というのがあるとしたら、我々の脳内にしかあり得ないし、それは純粋には取り出し得ないし、我々が五感で触れて見れるものは「デジタル的なもの」でしかない。だから問題があるとしたら、目の前の驚くべき現実を忌避して、別の現実(バーチャルリアリティ)を創り出せると思っている、本質的にイデオロギーの発生装置である脳に実装された宿命的な指向性の問題なのであろう。しかも、そのような「脳化」の方向は、世の権力を後ろ盾としている。そういう指向性の強い人...佐立るり子「デジタルと感覚」5/28~6/9GalleryTURNAROUND

  • 第6回とうほく陶芸家展inせんだい開催にあたって 東北の地から、暮らしに美と潤いを与える器をこれからも。

    東日本大震災の2年後、2013年、当展示会は、窯の倒壊など被災した陶芸家を支援する取り組み(東北炎の作家復興支援プロジェクト)の一つとして開催されました。展示機会を失った陶芸家たちに展示場を提供し、そこでの作品の展示販売が、作り続ける気持ちを応援し、復興に必要な経済的支援につながればとの思いがありました当初は、伝統窯、個人窯の作品の展示販売だけでなく、ネットを通して取り組みを知った英国の陶芸家グループ(Kamataki-Aid)から寄せられた作品をオークション販売したり、結局は厳しい状況の中廃業せざる得なくなりましたが、江戸初期から続く相馬駒焼(東北最古の登窯は、整備され、相馬市によって現在一般公開中)の支援をアピールしたり、啓発的な企画を加えておりました。現在はシンプルに作家との交流を図りながら、作品を選んで...第6回とうほく陶芸家展inせんだい開催にあたって東北の地から、暮らしに美と潤いを与える器をこれからも。

  • 横山崋山 4/20~6/23 宮城県美術館

    入り口を入ったところに墨画の蝦蟇仙人図が2幅かかっていた。右が横山崋山、左が曽我蕭白である。曾我蕭白は横山家と交流があった画家で、父の横山喜兵衛宛の書簡も展示されていた。これが何とも不思議な魅力を持ったいい字なのである。さて、蝦蟇仙人図は一目瞭然、曽我蕭白の方がいい。迫力に歴然とした違いを感じる。崋山の蝦蟇仙人図は蕭白のこの絵の本歌どりのわけだが、雷神図において光琳が宗達に叶わない以上に見劣りがする。足や衣の位置を変えたりして崋山独自の蝦蟇仙人にしようと努力しているのだが、また技巧を凝らして丁寧に描いているのだが全体的にちんまりまとまっていて弱々しい。それでもこれは若い時の作なのでだんだん面白くなって行くのかなと思い期待しつつ見ていったが、そして橋本雅邦風の濃淡画法にこの作家独自の魅力を次第に濃厚に開花させて行...横山崋山4/20~6/23宮城県美術館

  • いつだって猫展 4/19~6/9 仙台市博物館

    帰ってきていつになく疲れを感じた。一緒に行った私の娘も同じことを言っていたから、必ずしも年のせいだけではあるまい。ゴールデンウィークが始まったばかりで、天気が良くて、思いのほか博物館が混んでいたせい?しかも、左右に振り分けられた狭い展示場にこれでもかと詰め込まれた作品を、うねうねとした列に連なりながら見たせいか?それもあるかもしれないが、主たる原因はそうではないと思う。絵自体に疲れたのだ。何しろこれでもかこれでもかと猫の図像を見せられた。それもパターン化された大量の猫キャラの図像である。連続で猫のアニメーションを見せられたようなものだ。または猫をアイキャチにした広告チラシを次々と見せられたようだ、と言うのは言い過ぎだろうか。しかし、まあ、猫だけに限ってもこれだけの量の図像を生産し続けた江戸時代とは何だったのだろ...いつだって猫展4/19~6/9仙台市博物館

  • 古田愛美 『私がいなくなる時』 4/23〜28 ギャラリーTURNAROUND

    ギャラリーターンアラウンドのそばを自転車で通りかかった。窓際にオーナーの奥さんが立っていてなんとなく目があってしまい、立ち寄ることになった。白い手で呼び入れられた訳ではないが、「アミナダブ」の主人公よろしく、こういう時は素直に従うことにしている。展示していたのは、美術大学を卒業して2年という若い女性木彫家の作品である。入り口には船越桂風に部分着色された彫刻がある。ポストモダニズムを経過した若い世代には船越保武より、やはり息子の桂の方が圧倒的な影響力を持っているのだろう。しかし、神なき時代、ブリューゲル親子のような、アノニマスな継承は受け入れがたい。個性的であることが芸術の至上命題である時代であるから、作家は当然別の個性の発露を欲望する。はじめはおずおずと控えめに、聖者とは違う、普通の人間の装いをまとわせ現代を生...古田愛美『私がいなくなる時』4/23〜28ギャラリーTURNAROUND

  • 野中光正 昭和45年東京下町素描集II 序文

    1971年、当時西新宿に超高層ビル群を次々出現させつつあった、急激な社会変化の波は、戦後の強烈な生活の匂いが漂よう下町の風景をも、かろうじて余命を保っていた江戸の面影もろともに、一気に消し去ろうとしていた。同じ頃、野中が描いた東京下町の姿は、まるで幻の生き物のようで、建物は喘ぎ揺らいで見える。ためらいのない筆の運びで、大胆に省略が施された風景描写は、一瞬の若い魂のエッセンスと陰影を映しつつ、誰もが逃れ得ない無常の真実を浮き上がらせている。これらの風景が、包装紙やレコードの宣伝帯、薬の袋、書店の注文票など、生活の中で出会う雑紙の切れっ端に描かれているのに驚きつつ、一層の興味を引かれる。現場にそれら多様な肌合い、色合いの紙を持参して、その場で風景にふさわしい材料を選んで描く。その独特な手法に心に働きかけてくるものに...野中光正昭和45年東京下町素描集II序文

  • 充ち来るもの Loving Vincent を見て

    鳥のさえずりは彼らを充たしているものが何であるかを問わず語りに物語っている。それらは、暗闇に出会っては沈黙をし続けるもの。私のうちには哀しみをもってしか未だ存在しえぬものだが、見えない風や光の兆しに幽かに感じても指の先からたちまち零れ落ちてしまう。あえかに思われて幼子の眼差しと笑顔のうちにここに満ち充ちて確かに存在していると感じられるもの。繰り返し押し寄せては詩を孕ます追憶の波頭を越えて決して歌ではない!心の奥に秘せられたシンバルよ、高らかに鳴り響け!智恵においては知り得ぬ満ち充ちて来るものを迎えるとき。LovingVincentは、世界中から100人以上の画家が集い、フィンセント・ファン・ゴッホのアルルでの最期の日々を、1コマ1コマ、ゴッホの油絵タッチで描いた長編アニメーション映画である。最新の研究からゴッホ...充ち来るものLovingVincentを見て

  • 野中光正&村山耕二展 生成と変容 9月21日〜26日 東北工業大学ロビー 企画/杜の未来舎ぎゃらりい

    少しでも多くの方に見てもらいたい、との思いで、今回は皆さんにも立ち寄りやすい一番町の東北工業大学ギャラリーで以下展示を企画いたしました。野中さんについては人物と画家としての生き方も含めて惚れ込んで10年近く毎年のように展示会を開いています。少しでも流行や西洋の借り物ではない彼独自の抽象を理解し評価してくれる人が増えてほしいと願っています。村山さんとも付き合いが長いですが、そのオリジナルを作り出す勇気とユニークな才能にはいつも感服させられています。1970年、20歳前後、野中は東京下町の風景を憑かれたように描いた時期があった。この今なお見る者に迫ってくるリアリティの質は、30歳前後から手がける版画の技法を駆使した「抽象」(ミクストメディア)においても変わらない。野中が自分にとって「具象」と「抽象」の区別はない、と...野中光正&村山耕二展生成と変容9月21日〜26日東北工業大学ロビー企画/杜の未来舎ぎゃらりい

  • 古代アンデス文明展 7/29~9/30 仙台市博物館

    娘がいささか興奮気味に帰って来た。「おとうさん、すぐ見に行って。美術なんてものがぜ〜んぶぶっとんでしまうよ」。というわけで翌々日には世界中を覆う殺人的なヒートウェーブの最中、自転車をこいで3つ橋を渡り博物館に行ってきた。そこで展開されているのは、人類の夢の世界であった。しかし、それは女性が思い描くようなアワアワとしたメルヘンの世界ではない。動物と人間が接続し、生首が飛び、恐ろしい神が幼児の捧げ物を所望するような想像を絶する悪夢の世界であった。先週見たばかりの「ディズニー展」とはえらい違いだ。しかし、この「蒼古的な」(この言葉久しぶりに使う。大学の学部時代ユング派の心理学者の講義で聞いて以来のこと。)夢は、人類に通底する原初にあった夢なのであり、怖い世界であるがどこか脳神経系が発達しすぎて窒息しそうな頭を、曇天の...古代アンデス文明展7/29~9/30仙台市博物館

  • ディズニーアート展 6/16-9/13 宮城県美術館

    地方の美術館は特別の企画がない平日にいくと、どこもガラガラでゆったりじっくり作品を見れる至福を味わうことができる。もともと集客なんて自分たち研究者の仕事とは毛頭考えていない学芸員にとっては天国であろう。だが、そうはいかなくなっている最近の厳しい財政事情がある。美術のことなんてまったく興味のない納税者にすれば、なぜこんなところ(とりわけチンプンカンプンで説明抜きでは成り立たない現代美術、説明すらできない抽象画など)に税金を投入するの、ということになる。だからすべて出展交渉等お膳立てをして、協賛協力企業もはりつけて、マスコミ各社も両手をあげて応援します、何しろあの膨大な既存マーケットを持つディズニーアニメの世界ですから、子供たちはもちろん家族ともども熱心なファンが夏休みのこの時期に大挙押し寄せ成功間違いなしですよと...ディズニーアート展6/16-9/13宮城県美術館

  • 第5回とうほく陶芸家展inせんだい開催にあたって 手の人が作る小さな器が巻き起こす生活の微風

    昔ながらの器がなかなか売れないのは、和の生活が消えてしまったことにあると誰もがいう。確かにめったに膝を折って食事をすることはなくなった。しかし、だからといってそこで長い間積み上げてきた器のかたちや厚みや重さや色彩の感覚を捨てていいということにはならないと思う。伝統の窯を交えて、この展示会を続けて行く意味のひとつは、そこにある。これまでの器に受け継がれてきた蓄積を大事にしつつ、流行に流される器でなくて、現代の生活に根ざした「使える器」を作り続けて行く、その道筋と環境がこの展示会でのお客様との対面、そして作家同士の交流の中から生まれて来てほしいと願っている。ここに集まっている作家は、いずれも器を作って売ることを生業として、またそうありたい(正直厳しい世の中だから必ずしもそういかない現実がある)と思っている作家たちで...第5回とうほく陶芸家展inせんだい開催にあたって手の人が作る小さな器が巻き起こす生活の微風

  • 予告 野中光正&村山耕二展 2018 6月14日(木)〜23日(土)杜の未来舎ぎゃらりい

    創るもの、生まれるもの。このふたつがうまくミックスされ、バランスされたところに作品が生まれる。創り込みすぎてもだめ、生まれたままでもだめ。作品として成り立つには、分かたれないひとつのもの=美として成立していなければならない。このふたつを絶妙にバランスさせるものは何か。神というか、自然というか、それは人間の知恵においては、永遠の謎なのだが、作家のモチベーションの大元にあるのものに違いない。個性も年齢も出自もすべてが違うふたりが年に一度の展示会で出会い続けられるとしたら、この共通点においてだと思っている。村山の作品は、日本からモロッコまで、世界を巡る幅広い行動力から生まれてきている。無辺の大地から抽出されたエキスが感界で捉えられ、美とつながる野生の思考に育まれ、手の内でいのちあるかたちとなって吹き出している姿を見る...予告野中光正&村山耕二展20186月14日(木)〜23日(土)杜の未来舎ぎゃらりい

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、美術の旅人 Voyageur sur l'art  さんをフォローしませんか?

ハンドル名
美術の旅人 Voyageur sur l'art  さん
ブログタイトル
美術の旅人 Voyageur sur l'art  
フォロー
美術の旅人 Voyageur sur l'art   

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用