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後藤和弘のブログ https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。 反対のご意見やコメントも歓迎しま

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2014/10/30

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  • 「梅の花とロウバイの花の競演」

    今年は梅の咲くのが非常に遅く小金井公園の100本の梅林の一本だけ咲きだしました。これで梅の花とロウバイの花の競演が始まります。撮って来ました写真をお送り致します。「梅の花とロウバイの花の競演」

  • 『雪の降るまちを思い出だけが 通りすぎてゆく』

    私が東北地方に住んでいた頃、「雪の降るまちを」という歌謡曲が流行っていました。ですから雪景色の写真を見ると「雪の降るまちを」という歌を必ず思い出すのです。「雪の降るまちを」は1952年にヒットした内村直也作詞、中田喜直作曲の歌でした。この曲は1951年にNHKラジオで放送された連続劇「えり子とともに」と一緒に放送されていました。「雪の降る町を」の歌詞です。雪の降る町を雪の降る町を思い出だけが通りすぎてゆく雪の降る町を遠い国から落ちてくるこの思い出をこの思い出をいつの日にか包まんあたたかきしあわせのほほえみ雪の降る町を雪の降る町を足音だけが追いかけてゆく雪の降る町をひとり心に満ちてくるこの悲しみをこの悲しみをいつの日かほぐさん緑なす春の日のそよかぜ雪の降る町を雪の降る町を息吹きと共にこみあげてくる雪の降る町...『雪の降るまちを思い出だけが通りすぎてゆく』

  • 「蔵王山の樹氷と霧氷の懐かしい思い出」

    仙台で昭和11年に生まれ、24歳まで住んでいました。冬の蔵王山には何度もスキーに行きました。スキーで滑り下りた懺悔坂の樹氷は幻想的な美しいものでした。樹木の枝に凍る霧氷は冬の花です。太平コースの霧氷の林の中を夕日を浴びながら滑り下りたことがあります。茫々60年前の思い出です。樹氷の写真2枚と霧氷の写真2枚をお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「蔵王山の樹氷と霧氷の懐かしい思い出」

  • 「クロード・モネの描いた雪景色」

    印象派のクロード・モネ、ClaudeMonet(1840-1926)は雪の情景を他の画家に比べて数多く描きました。写真をお送り致します。出典は、http://bluediary2.jugem.jp/?eid=3517です。1番目の写真は、「TheCart,AlleyundertheSnowatHonfleur」1865です。2番目の写真は、「SnowatArgenteuil」1875です。3番目の写真は、「LavacourtunderSnow」1878-1881です。4番目の写真は、「TrainintheSnow」1875です。「クロード・モネの描いた雪景色」

  • 「心を震わせる雪景色と雪女の恐ろしい物語」

    冬は寒いから嫌と言う人が多いと思います。しかしそんな冬でも美しいものがあります。それは心を震わせるように美し雪景色です。今日はまず雪景色の写真をお送り致します。この3枚の写真はインターネットにある多数の雪景色の写真から特に心震わせるような3枚を選びました。雪景色は美しいのですがその寒さは怖ろしいものです。私は東北地方に生まれ育ったので雪の夜の凍えるような寝床の冷めたさを知っています。吹雪の夜は雪片が家の中まで舞い込んできたものです。そして怖い雪女の話をよく聞いていました。東北地方の話では必ず最後に雪女が男へ冷たい息を吹きかけて凍らせ、殺すのです。雪女の伝承は日本各地にあります。村がが雪女に会ういきさつは地方、地方で違いますが、最後は息を吹きかけられ殺されます。この写真は鳥取県境港市の水木しげるロードに設置...「心を震わせる雪景色と雪女の恐ろしい物語」

  • 「今日の散歩道の写真」

    今日は武蔵野公園まで行ってきました。散歩道の風景の写真をお送り致します。「今日の散歩道の写真」

  • 「今日の散歩道の写真」

    今日は武蔵野公園まで行ってきました。散歩道の風景の写真をお送り致します。「今日の散歩道の写真」

  • 「福岡の櫛田神社の豆まきの風景」

    福岡の櫛田神社の豆まきの風景の写真をお送り致します。福岡の櫛田神社は毎年2月3日に豆まきをします。節分です。福岡の櫛田神社では神社の行者にお菓子も投げつけます。いいね!コメントする送信シェア「福岡の櫛田神社の豆まきの風景」

  • 「節分で豆をまく風習の歴史」

    日本の伝統的な行事はほとんど全てが中国から伝承されたものです。豆まきや七夕も中国の道教から伝えてられ、初めは宮中での行事でした。節分や豆まきは中国の宮中の風習でした。日本では江戸時代になると将軍家や一般庶民も節分行事をやりはじめたのです。豆まきは邪気を追い払うために、古くから行われていたのです、文献に現れる最も古い記録は、室町時代の応永32年(1425年)正月8日(節分)を記した文書があるそうです。宮中の『看聞日記』には鬼を打ち払う為に豆をまいたと書かれているそうです。このことから室町時代には既に都の公家や武家で豆まきが習わしになっていたことがわかります。その20年後に編纂された辞典『壒嚢鈔』(1445年または1446年成立)巻一の八十三には、宇多天皇の時代(867年-931年)、鞍馬山の僧正が鬼が出て来...「節分で豆をまく風習の歴史」

  • 「2月2日は恵方巻きを食べる日」

    恵方の方角は年によって変わります。今年は「西南西」で西から少し南に傾いた方向です。恵方とは、その年の福徳を司る歳徳神がいる方角です。その方角に向かって願い事をしながら太巻き寿司を食べると一年の福を呼び寄せられるのです。15年以上まえにコンビニと海苔業界が組んで、「恵方巻き」を売り出して全国に広がったそうです。家内は万事を良く知っていて、いささか得意げに説明します。そして節分です。この節分の日に恵方巻きを丸かぶりして恵方の方角を見て黙って食べます。食べている間に家族の健康や幸福を祈るそうです。あるいは今年こそ結婚できますように祈る人がいるかも知れません。安産を祈る人もいます。祈るという行為は美しいものです。そして恵方という方角が重要な様子なので陰陽道に関係があると思いました。いろいろ調べました。その前にまず...「2月2日は恵方巻きを食べる日」

  • 「すっかり落葉した樹々の美しいシルエット」

    すっかり落葉した樹々の林はシーンと静まり美しいものです。私はそんな風景も大好きです。先ほど小金井公園で撮った写真をお送り致します。「すっかり落葉した樹々の美しいシルエット」

  • 「今年もロウバイが咲ました」

    春一番に咲くロウバイが今年も咲ました。梅林の梅は一本だけ咲き出していました。小金井公園で先程撮って来ました写真をお送り致します。「今年もロウバイが咲ました」

  • 「月山などの出羽三山の写真」

    寒い日々が続いています。特に夜はひどく冷え込みます。そんんな夜には森敦の「月山」という小説をを思い出します。1974年に第70回芥川賞を受賞した小説です。東北地方に生まれ育った私は「月山」に描かれた冬の寒さが身にしみてわかるのです。冬を迎えると月山は吹雪や霧により下界と遮断されてしまう異世界なのです。写真は出羽三山の雪景色の写真です。一番目の写真の中央の峯が月山です。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)「月山などの出羽三山の写真」

  • 「今年もロウバイが咲ました」

    春一番に咲くロウバイが今年も咲ました。梅林の梅は一本だけ咲き出していました。小金井公園で先程撮って来ました写真をお送り致します。「今年もロウバイが咲ました」

  • 「森敦の月山」

    森敦の「月山」は今も読み継がれる、芥川賞の名高い小説です。出羽の霊山・月山の山ふところにある破れ寺に、ひとりの男がたどりつく。炉ばたでひたすら割り箸を作り続ける寺の男、女たちによる念仏のあつまり、庭を見せようと豪雪にもかかわらず雪かきにはげむ老人……。雪に閉ざされた山間のむらで、不思議な村人たちと暮しをともにするこの男が知った此の世ならぬ幽明の世界を描いています。さて、この作品を私なりに解釈すると、これは森敦が自ら生まれ変わろうとするその姿を描いた作品である。この作品では、月山を「死者の行くあの世の山」として描いている。即ち、現世とは隔離された異世界として、月山を、そして「山ふところ」にある七五三掛(しめかけ)というを捉えているのである。実際冬を迎えることで、この山中の地は雪や吹雪や霧により、下界と遮断さ...「森敦の月山」

  • 「私の大好きな富士山と清貧の思想」

    日本に生まれ育った人々は日本人として誇りに思っていることが沢山あります。富士山もその一つです。それから「清貧の思想」も日本人は好きです。憧れています。新春にあたり富士山の風景をご紹介して、続けて「清貧の思想」について小文を書いてみたいと思います。この2つは清らかさという点で深いところで関連があります。さて富士山は世界文化遺産に認定されているのです。それは2013年のことでした。認定された「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」には、それを証明する構成資産が全部で25箇所もあるのです。それらは富士山、富士五湖、忍野八海、北口富士浅間神社などです。私も家内も富士山が好きなので何度も写真を撮りに行きました。そこで世界文化遺産の富士山の写真と北口富士浅間神社の写をお送りします。北口富士浅間神社は数年前に撮ったものです。...「私の大好きな富士山と清貧の思想」

  • 「小金井公園の梅の花の写真」

    小金井公園の梅林が2023年01月23日にも咲きましたので写真をお送り致します。梅は咲いていましたが風は真冬の寒風でした。凍える手でシャッターを押しました。梅を詠んだ歌です。万葉集では萩に次いで多く、119首に詠まれています。雪といっしょに詠んだ歌が目立ちます。また、鶯(うぐいす)が登場する歌も多いです。なお、万葉集に詠まれている梅は、すべて白梅と考えられています。0815:正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ0841:鴬の音聞くなへに梅の花我家の園に咲きて散る見ゆ1820:梅の花咲ける岡辺に家居れば乏しくもあらず鴬の声などなどですが、以下省略します。「小金井公園の梅の花の写真」

  • 「岡山の後楽園の梅の花の写真」

    岡山の後楽園の園内では2月上旬から3月上旬にかけ、紅梅白梅合わせて約100本の梅が楽しめます。「春の和のおもてなし」と題して和文化体験なども催されます。詳しくは、https://www.okayama-kanko.jp/okatabi/187/pageをご覧ください。「岡山の後楽園の梅の花の写真」

  • 「金沢の兼六園の梅の花の写真」

    金沢の兼六園の梅林を是非ご覧下さい。様々な梅の木が咲き誇るのは3月中旬からです。この梅林は、昭和44年に明治百年記念事業として約3000平方メートルの広大な場所に全国から約20種200本にも及ぶ名梅の苗木を兼六園観光協会が作りました。詳しくは、https://kenrokuen.or.jp/seasons/march/をご覧ください。「金沢の兼六園の梅の花の写真」

  • 「春の風物詩、水戸の偕楽園の梅の満開の風景」

    春の風物詩の一つに水戸の偕楽園の梅の花があります。私は何度も行った美しい梅の花が広い傾斜地に満開になるのです。梅林の下の千波湖も美しい湖です。偕楽園では120年以上の歴史をもつ「水戸の梅まつり」が毎年行われます。偕楽園は金沢の兼六園・岡山の後楽園とともに日本三名園のひとつに数えられており、江戸時代天保13年(1842年)7月、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により、領民の休養の場所として開園されました。園内には約100品種3,000本もの梅が、春の訪れを告げるかのように可憐に咲き競います。様々な品種があるため、「早咲き」「中咲き」「遅咲き」と長期間にわたり観梅を楽しむことができるのも魅力写真の出典は、https://www.ibarakiguide.jp/seasons/umeiro/mito_ume.html...「春の風物詩、水戸の偕楽園の梅の満開の風景」

  • 「水が静かに流れる風景を見ると平和な気分になる」

    私は水が静かに流れる風景が好きです。見ると平和な気分になるのです。今日もそんな風景を眺めて来ました。撮って来ました写真をお送り致します。「水が静かに流れる風景を見ると平和な気分になる」

  • 「モクレンとコブシなどの写真」

    春になると近所の園芸農家の白モクレンと紅モクレンが咲きます。その写真を撮ってから足を伸ばし府中市の郷土の森博物館公園に行ってコブシとモモとユキヤナギの写真を撮って来ました。数年前のことでした。その写真をお送り致します。お楽しみ頂ければ幸いです。1番目の写真は近所の園芸農家の白モクレンの梢です。2番目の写真は白モクレンの全体の写真です。3番目の写真は園芸農家の紅モクレンの写真です。4番目の写真は府中市の郷土の森博物館公園のコブシの写真です。5番目の写真はコブシの梢の写真です。6番目の写真は郷土の森博物館公園の桃の花です。7番目の写真は郷土の森博物館公園のユキヤナギの写真です。「モクレンとコブシなどの写真」

  • 「春の瀬戸内海のイカナゴの釘煮の思い出と文学作品」

    早春の瀬戸内海の風物詩、イカナゴの釘煮を以前に頂きました。イカナゴの釘煮を懐かしく思い出します。旧友の鈴木裕さんの母上が精魂込めて煮たものを送って下さいました。山椒入りのものとショウガ入りのものと2種類がハランの葉で分けてパックに丁寧に詰めてありました。漁の解禁早々のまだ幼魚の高級なイカナゴのクギ煮でした。懐かしく思い出します。これを食べると、「ああ、今年も春が来た」という温かい気持ちになり、春の陽に輝く瀬戸内の海の風景が眼前に広がったものです。早春の季節の風物詩でした。瀬戸内海でしかとれない美味しいイカナゴという小魚を大量に丁寧に仕上げて、遠方に住む家族、親類、知人、友人へ送る風習は日本の美しいローカル文化です。瀬戸内海地方の伝統的な輝かしい『地方文化』です。今日は美味しいイカナゴのあれやこれやを書いて...「春の瀬戸内海のイカナゴの釘煮の思い出と文学作品」

  • 「燃え立つように見える樹木」

    樹々が好きでいろいろ探しては眺めています。今日は燃え立つように見える樹木を、見つけました。その写真をお送り致します。「燃え立つように見える樹木」

  • 「畑の写真を撮りに行った」

    小金井の数少ない農地は貴重な風景です。今日はその貴重な風景の写真を撮りに行きました。撮って来ました写真をお送り致します。「畑の写真を撮りに行った」

  • 「茫々60年、あのアメリカ留学は一朝邯鄲の夢」

    1961年に私どもはオハイオ州のコロンバス市で結婚しました。その時、親身になってお世話をしてくれた大学の先生たち、そしてアメリカの友たち、みんな消えてしまいました。茫々60年です。その思い出は一朝邯鄲の夢の一場面だったのです。しかし間もなくあの世で会えるのです。われわれ人間の本当の家は天国なのです。わたしも其処へ帰る日がまもなくやって来ます。お世話になったアメリカ人たちへ感謝するために60年前の写真を掲載します。1番目の写真はオハイオ州立大学の学生会館のオハイオ・ユニオンの礼拝室での結婚式に出席してくれた先生方と同級生の友人たちです。2番目の写真は結婚式に続いてダウンタウンにあるディッシュラー・ヒルトン・ホテルで開いたレセプション風景です。右端が私の恩師のセント・ピエール教授でその左が物理を教えてくれたラ...「茫々60年、あのアメリカ留学は一朝邯鄲の夢」

  • 「戦後の焼野原と現在の全国にある花園の風景」

    これは戦後の焼野原をこの目で見た私の感慨です。現在の全国の花園の風景を見て隔世の感です。日本がこんなにも変わったことに驚いています。この驚きは若い人には理解出来ないかも知れませんが書いて置きたいと思います。写真に従って説明いたします。1番目の写真はB29の編隊が焼夷弾で東京を焼きつくしている光景です。当時住んでいた仙台でも同じような光景を私は見ました。1945年7月10日の午前0時から仙台は123機のB29によって焼きつくされました。当時9歳であった私は、向山の高台から市街地が一面の火の海になっているのを立ち尽くして見ていました。2番目の写真は空襲があった翌日の東京の風景です。仙台の空襲の翌日、私は鹿落坂をくだって中心街の焼け跡を見に行きました。この写真のような光景が広がり、まだ彼方此方から煙が立ち昇って...「戦後の焼野原と現在の全国にある花園の風景」

  • 「今日は東京のカトリック松原教会のミサにあずかりました」

    今日はインターネットを通して東京のカトリック松原教会のミサにあずかりました。カトリック松原教会のミサの動画配信は下記にあります。https://matsubara-cath.chu.jp/ja/online-mass/写真はカトリック松原教会のミサの風景です。カトリック松原教会東京都世田谷区松原2丁目28番5号TEL.03-3321-0941FAX.03-3321-0009matsubara-church@gray.plala.or.jp「今日は東京のカトリック松原教会のミサにあずかりました」

  • 懐かしいイギリスのスポーツカー

    1960年にオハイオ州立大学に留学したのですが、そこで多くの学生たちがイギリスの華麗なスポーツカーを乗り回していたことに驚きました。博士課程のアメリカ人の同級生のジョージ・オートンさんも下の写真のイギリス製のスポーツカーを持っていました。彼は空軍大佐でにB29に乗って数十回も日本の街々の焼夷弾攻撃に来た人でした。とても親切で、下の赤いイギリス製のスポーツカーに私を乗せて何度も彼の家に招待してくれました。彼とは終生の親友でしたが数年前に亡くなってしまいました。このスポーカーは神経質な車で運転が難しそうでした。気難しい貴婦人のような雰囲気のある車でした。先月の8月28日に河口湖自動車博物館に行きましたら、この懐かしい車が展示してありました。そしてオハイオで学生がよく乗っていた同年代のイギリスのスポーツカーも数...懐かしいイギリスのスポーツカー

  • 「遥かなオハイオ、友人たちの思い出」

    個人的な思い出を書くのは恐縮ですが、今日は懐かしい遥かなオハイオの思い出を書きます。そしてオハイオの友人たちのことも懐かしく思い出しています。1960年にオハイオの大学へ留学しました。24歳の時でした。茫々あれから63年です。遥かなオハイオは時々思い出します。私のアメリカはオハイオ州コロンバスの思い出です。感動したことは先生方と同級生がとても親切だったことです。老人になった私は今更ながらアメリカ留学の影響の深さを感じています。私は無意識のうちに留学の体験が自分の判断を左右しているのです。もう少し正確に書くと、フルブライト留学生として1960年から1962年までオハイオ州立大学の金属工学科に留学しました。1番目の写真はオハイイオ州立大学です。2番目の写真もオハイオ州立大学の写真です。キャンパスには広大な芝生...「遥かなオハイオ、友人たちの思い出」

  • 「超大国アメリカの人々の宗教観」

    アメリカは今や世界の超大国として君臨しています。航空空母艦を10隻以上も保有し軍事力では中国、ロシアを圧倒しています。世界中に軍事基地を保有しています。こんな超大国は人類史の中で初めてのことです。アメリカは軍事的に全世界を占領しようとすれば可能な勢いです。戦後75年間にわたって日本はこのアメリカを手本にして来ました。アメリカの民主主義を理想として導入してきたのです。アメリカは日本にとって理想社会でした。しかしここで深く考えてみると日米間の文化、特に宗教観はあまりにも違い過ぎます。ですからアメリカと日本が宗教に関して共通の価値感を持つことは難しいのです。今日はアメリカ人の考え方や宗教観が日本人と違う点を強調して書いてみたいと思います。この日米の違いはペリー提督による日米修好条約以来続いている事実なのです。ま...「超大国アメリカの人々の宗教観」

  • 「今日の散歩道の風景」

    今日は晴天で風も無く穏やかな日でした。武蔵野公園を散歩して来ました。撮って来ました写真をお送り致します。「今日の散歩道の風景」

  • 「高山植物の花々の写真」

    高山植物の花々の写をお送り致します。写真の出典は、https://yamahack.com/1785です。1番目の写真はシナノキンバイです。北海道から中部地方より北の高山地帯の湿った場所に生える高山植物で、黄色が特徴の花は比較的大きく直径3~4cmあります。名前の由来は、信濃地方に多く咲き、黄金色で梅のような花を咲かせることから「信濃金梅」と名付けられています。<シナノキンバイが見られる主な山>木曽駒ヶ岳、北岳、表銀座コース、仙丈ケ岳、白馬岳など2番目の写真はコマクサです。コマクサは「高山植物の女王」の呼び名で広く知られ、高山植物の中でも代表的かつとても人気のあるピンクと白の花びらが可愛らしい高山植物です。群生地は主に日当たりがよく、砂や小石で覆われた場所に自生しています。5月から7月に高山に咲き、岩場に...「高山植物の花々の写真」

  • 「日本に咲き誇る花の大部分は外国から渡って来た花々」

    1番目の写真は奈良県宇陀市室生滝谷にある「花の郷滝谷」の春の風景です。(http://www.kintetsu.co.jp/spot/spot_info/spot0000022.html)。私は昔から歴史に興味がありました。特に地方、地方の歴史や少数民族の歴史を調べて、独りで楽しんでいます。その延長で動物や植物の進化にも興味があります。そして日本で現在見られる花々の歴史、渡来の歴史にも興味があります。調べてみると、慶応大学、磯野直秀名誉教授の発表している「明治前園芸植物渡来年表」を見つけました。それは、http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=13125です。これは信用出来る内容です。下のにその一部をご...「日本に咲き誇る花の大部分は外国から渡って来た花々」

  • 「今日の小金井公園の風景」

    すっかり落葉した樹々の梢が蒼穹に伸びています。美し冬の風景です。しかし花園は色あざやかな花々が咲き春の近いことを告げていました。撮ってきた写真をお送り致します。「今日の小金井公園の風景」

  • 「都井岬の野生馬、そして日本の馬の歴史」

    馬という動物に特に興味がある人はそう多くないと思います。私は馬が怖いでし。しかし結婚したら妻がさかんに馬の話をします。大学時代に馬術クラブに入っていたのです。馬と友人になるにはその馬の小屋の掃除を毎日すると良いという話が印象深かったのです。観光旅行に行けば妻は乗馬クラブを見つけては馬に乗っています。私は外から眺めるだけです。北海道や八ヶ岳の麓には乗馬クラブがたくさんあるのです。その上、九州の都井岬の野生馬や木曽の木曽馬を見たいと言うので見に行ったものです。今日は現在の西洋系の馬とは違う日本独特の在来種の馬の話をしようと思います。日本の馬の歴史を書いてみようと思います。まず日本の古来の馬の話です。弥生時代に稲作が始まり、その末期から馬が飼われていたのです。農耕や産物の運搬に人々に役にたっていたのです。次の古...「都井岬の野生馬、そして日本の馬の歴史」

  • 「イギリス乗馬倶楽部のご案内」

    イギリス乗馬倶楽部のご案内です。イギリス乗馬倶楽部は、英国をメインにヨーロッパ各地の馬旅行のご提案及び手配代行サービスを行う会社です。お客様の騎乗レベルに合わせ乗馬学校や外乗施設を紹介しています。海外での馬体験がより充実したものになるよう努力しています。https://www.igirisujobaclub.co.uk/「イギリス乗馬倶楽部のご案内」

  • 「木曽馬、トカラ馬の写真」

    以前の夏に、木曾馬の牧場を御嶽山の麓開田高原に訪ねました。一泊してゆっくり木曽馬を長い時間見ていました。長い歴史を背負った小型の馬の走り回る姿、草をはむ姿、そして何よりも人が馬を愛し、馬が世話をする人に馴れ、愛している姿を見ると自分までが幸せになるのです。木曾馬の写真をお送りします。1番目の写真は遊んでいる木曽馬をジッと見ている私の後ろ姿です。2番目の写真は世話をしている若い女性が馬と何やら話し込んでいる光景です。3番目の写真は若い女性と馬が仲良く馬小屋に帰って行く光景です。そして木曽馬の草を食んでいる姿の動画は、https://www.youtube.com/watch?v=rwhhM9XDVUEにあります。また木曽馬が列をなして走っている場面の動画は、https://www.youtube.com/w...「木曽馬、トカラ馬の写真」

  • 「今日の散歩は都立武蔵野公園まで」

    今日の散歩は都立武蔵野公園まででした。武蔵野は自宅から3Kmくらいあり少し遠いのですが晴天に誘われ行きました。爽快な散歩dれした。写真をお送り致します。「今日の散歩は都立武蔵野公園まで」

  • 「私が初めてヨットの訓練を受けた葉山マリーナの写真」

    私が初めてヨットの訓練を受けた葉山マリーナの写真です。私は50歳で江の島のヨットスクールと葉山マリーナでヨットの訓練を受けました。懐かしい葉山マリーナの写真をお送り致します。「私が初めてヨットの訓練を受けた葉山マリーナの写真」

  • 「25年間のヨットの趣味を振り返って」

    私は50歳で江の島の小型ヨットスクールへ通い、53歳の時、琵琶湖へ行ってヤマハ19という中古のクルーザーを初めて購入しました。そのヨットを水郷汽船(株)経営の霞ヶ浦マリーナへ陸送しました。ヨットをクレーンで吊って水に入れてくれたのがマリーナの佐藤敏郎さんです。佐藤さんは優しい性格でいつも笑顔を絶やさずヨットの修理の仕方や扱い方を根気よく教えてくれました。「あけび号」を手放してから今度は大きな「ルナ3世」号を買いました。長さ26フィートです。13年乗りました。この他にもいろいろなヨットにも乗りました。印象深かったのは「ハンスクリスチャン41号」と「ババリア39号」でした。「ババリア39号」の写真を示します。ババリア39号のヨットのオーナーのOkumaさんに乗せて貰ったのです。2009年の5月のことでした。私...「25年間のヨットの趣味を振り返って」

  • 「趣味は人間の視野を広げ幸せにする」

    昨日の記事は、「南アルプス連山、甲斐駒岳、そして私の趣味の小川」でした。その中で、山林の中の小屋に通う趣味をご紹介しました。ところで私は他にもう一つの趣味を持っていました。ヨットの趣味です。山林の中の小屋に通う趣味とヨットの趣味は私の生涯の二つの重要な趣味でした。今日は私のヨットの趣味をご紹介したいと思います。私は50歳の時に趣味として霞ヶ浦でヨットを始めました。写真をご紹介いたします。1番目の写真は霞ヶ浦に浮かべた「あけび号」の姿です。50歳の頃琵琶湖から霞ヶ浦へ陸送して来た中古のYAMAHA19です。10年間乗りました。長い舵とヤマハ5馬力の船外機がついていました。2番目の写真はYAMAHA19を陸揚げした姿です。ヨットの構造で一番重要なのは船底から下へ伸びているキールです。厚い鉄製で船体の重さの40...「趣味は人間の視野を広げ幸せにする」

  • 「パリの香りがする山里の小さな白樺美術館」

    それは本当に小さな美術館です。南には白い花崗岩が輝く甲斐駒岳が美しく見え、北には八ヶ岳連峰が見える高台にあります。その高台は少しだけ平地になっていて、一歩足を踏み入れると急にパリの芸術的な香りが漂ってくるのです。エッフェルが設計した画家たちの集合アトリエのラ・ルーシュがパリの雰囲気をかもしだしているのです。そしてエッフェル塔の階段が庭に展示してあります。その奥にはジョルジュ・ルオーの油彩画や白樺派の作家達の作品を多数展示してある美術館があるのです。谷口吉生設計の小さいけれども美術館らしい雰囲気の漂う清楚な建物です。白樺林の中にはルオー礼拝堂もあります。ステンドグラスは彼が作りました。十字架像は17世紀のものをルオーが彩色しました。敷地の奥にはパリでルノアールに師事していた梅原龍三郎のアトリエが移築され展示...「パリの香りがする山里の小さな白樺美術館」

  • 「南アルプス連山、八ヶ岳、甲斐駒岳、そして私の趣味の小川」

    甲府盆地の西の端に私の山小屋があります。甲州街道の笹子トンネルの向うの甲府盆地は私が足繁く通った懐かしいところです。昨年運転免許免許を返上してからは行っていません。遥かに想うだけです。今日は懐かしい南アルプス連山、八ヶ岳、甲斐駒岳、そして私の趣味の小川の写真をお送りし思い出を少し書きたいと思います。まず南アルプス連山、甲斐駒岳、そして私の趣味の小川の写真をお送りします。小川が綺麗になったところで外のテーブルの上の卓上コンロでお茶を沸かし、オニギリの昼食を食べました。食後は庭の落ち葉を掃除し、落ち葉や小枝で焚火をして、小屋の周囲を少し綺麗にしました。帰りがけに山荘に独り暮らしている木内正夫さんの所に寄りました。草花の好きな方で、今日はクロッカスの花と福寿草と梅の花を見せてくれました。カタクリの芽も沢山出てい...「南アルプス連山、八ヶ岳、甲斐駒岳、そして私の趣味の小川」

  • 「午後の散歩は都立武蔵野公園まで」

    午後の散歩は都立武蔵野公園まででした。春のような陽気に誘われて武蔵野公園まで行きました。カメラを忘れたので冬の都立武蔵野公園の写真をインターネットからお借りしてお送り致します。「午後の散歩は都立武蔵野公園まで」

  • 「国立西洋美術館にある松方コレクション」

    松方コレクションは川崎造船所の社長を務めた実業家の松方幸次郎(1865-1950)が1916年頃からの10年余に、イギリス、フランス、ドイツ等で収集した美術コレクションです。西洋近代の絵画・彫刻と日本の浮世絵が主体ですが、中世ヨーロッパの板絵やタペストリーも含んでいます。西洋美術コレクション約3000点については散逸・焼失した作品も多いが、このうち、フランス政府から返還された近代フランス絵画・彫刻等370点を基礎として、1959年に東京・上野に国立西洋美術館が開設されました。特にロダンの「地獄の門」、「考える人」、ルノアールのアルジュの女、4枚、合計6枚をお送り致します。「国立西洋美術館にある松方コレクション」

  • 「芸術は爆発だ!と叫んだ岡本太郎の美術館」

    岡本太郎は日本が世界に誇れる実に独創的な芸術家です。私は彼の絵や造形が大好きです。好きな人の作品をブログでご紹介することは楽しい作業です。岡本太郎美術館は川崎の西端にあって近いので何度も訪れました。まずその美術館に展示してある彼の作品の写真をご覧下さい。岡本太郎は1911年に生まれ、1996年に85歳で亡くなりました。19歳でパリに行き、10年間フランス生活していました。しかし第二次世界大戦勃発で帰国し、召集され4年間中国戦線へ行きます。捕虜になり1年の捕虜生活のあと帰国しました。その後、縄文土器に感銘し、そのルーツを求めて日本各地や沖縄、韓国を訪問しました。ユーラシア大陸、シベリヤ、韓国、沖縄、日本と脈々と続く民族文化の根底を検証しました。それで私は彼のことを「縄文芸術家」と思っているのです。1996年...「芸術は爆発だ!と叫んだ岡本太郎の美術館」

  • 「ポール・セザンヌの油彩画」

    ポール・セザンヌ(1839年-1906)は、フランスの画家で当初はクロード・モネやルノワールらとともに印象派のグループの一員として活動していたが、1880年代からグループを離れ、伝統的な絵画の約束事にとらわれない独自の絵画様式を探求します。ポスト印象派の画家として紹介されることが多く20世紀の美術に多大な影響を与えました。しばしば「近代絵画の父」と言れています。さて私はセザンヌの絵を200枚位幾つかの部屋の壁一面に飾ってある館を訪ねたことがあります。それはニューヨークから列車で1時間くらい行った田園地帯にあった昔の金持ちの館でした。セザンヌ美術館として公開していました。その壁一面の絵画を見ると明らかに未完成の絵が半分以上あったのです。それどころか描きかけの絵さえ数十枚あったのです。それには吃驚しました。そ...「ポール・セザンヌの油彩画」

  • 「独創性に感動するゴッホの油彩画、7点」

    ゴッホの油彩画は何度眺めても感動します。その独創性に感動するのです。そこでゴッホの油彩画、7点をご紹介したいと思います。フィンセント・ファン・ゴッホ(VincentvanGogh/1853-1890)は、オランダに生まれ、主にフランスで活動した後期印象派の代表的画家です。37歳で夭折した天才でした。ゴッホが画家を志したのは、27歳になった1880年のことです。ブリュッセルでデッサンの勉強を始め、1881年、28歳の時にに実家の自宅に画室を作ったのです。それまでは職を転々としていたのでした。ですからゴッホの画家としての活動はたった約10年間と短いものでした。その10年間で描いた油彩は900点であると言われています。しかし生前に売れた絵はたった1枚、『赤い葡萄畑』だけでした。現在でこそ極めて高い評価を得ていま...「独創性に感動するゴッホの油彩画、7点」

  • 「日本の藝術に何故独創性が無いか?フランスとイギリスと比較して」

    今日は「何故日本の藝術に独創性が無いのか?」という問題を考えてみます。その原因はいろいろですが、今日は特に小学校の教育が日本人の独創性を殺してしまうということを具体的に書いてみたいと思います。記述を分かり易く個条書きにしますのでお気軽にお読み下さい。(1)運動会のような集団行動が子供の独創性を弱くするまず小学校では国語、算数、理科、歴史、地理以外の科目は教えない方が良いという提案です。そして学芸会や修学旅行や運動会などといった集団で行う学校行事は一切止めるべきだという問題提起なのです。日本の学校は協調主義を強要するあまり発達障害を持つ子供の人権を踏みにじっている恐れがあるのです。発達障害を持つ子供だけではありません。いろいろな意味でのマイノリティの人権が軽視されているのです。学校が地獄になっているのです。...「日本の藝術に何故独創性が無いか?フランスとイギリスと比較して」

  • 「カトリックとプロテスタントの違い、マリア信仰の有無」

    今日は日曜日なのでカトリックとプロテスタントの違いの一つのマリア信仰の有無について気軽に書いてみます。気軽にご覧下さい。キリスト教はカトリックとプロテスタントとに別れます。1517年のルターの宗教改革の後で生まれたキリスト教のいろいろな宗派をプロテスタントと言います。そしてその以前から連綿と続くのがカトリックです。この2つの分類は大まか過ぎます。この2分類の他に私が好きな宗派のロシア正教や日本正教もあります。これらもカトリックに非常に近いものです。イギリスの聖公会はカトリック的な典礼を用いますが信仰の内容はプロテスタント的です。ようするに中間的です。それではカトリックとプロテスタントの違いは何でしょうか?神学的には難しい説明がありますが、カトリックの一信者として簡単に言えば、カトリックではマリア様への信仰...「カトリックとプロテスタントの違い、マリア信仰の有無」

  • 「今日の東京のカトリック麴町教会のミサの写真」

    今日はインターネットを通して東京のカトリック麴町教会のミサにあずかりました。その写真をお送り致します。「今日の東京のカトリック麴町教会のミサの写真」

  • 「日本の神道、仏教、キリスト教の混淆の風景」

    私は日本という国を愛しています。かなり熱烈な愛国者です。さてキリスト教と神道と仏教の混淆の様子を示す写真を掲載いたします。これらの写真は五島列島生まれの写真家、峰脇英樹さんがFaceBookに掲載したものです。1番目の写真は長崎市下黒崎町枯松頭にある枯松神社です。枯松神社は禁教時代に外海地方で活動した日本人伝道士バスチャンの師であるサン・ジワン神父を祀っています。この珍しいキリシタン神社は外海のかくれキリシタンの聖地のひとつです。神社といっても鳥居はなく、小さな社殿がひっそりとあるだけです。厳しい弾圧の中、信仰がばれないように神社としてカムフラージュしたなごりなのです。2番目の写真はこの神社での合同慰霊祭の写真です。この合同慰霊祭では、2000年より毎年11月3日に行われています。サン・ジワンとその信仰を...「日本の神道、仏教、キリスト教の混淆の風景」

  • 「今日の東京のカトリック麴町教会のミサ」

    カトリック麹町教会の年間第2主日のミサの動画配信は下記にあります。https://www.youtube.com/live/DjO1TsE5vQ8カトリック麹町教会〒102-0083東京都千代田区麹町6-5-1「今日の東京のカトリック麴町教会のミサ」

  • 「今日の散歩道の風景」

    水が静かに流れています。梢が蒼穹へ聳えています。武蔵野公園まで散歩しました。「今日の散歩道の風景」

  • 「ドイツの菜の花畑の写真」

    あれはもう随分の昔になりましたが、ある年の春先に仕事でドイツに行ったことがありました。列車に乗り、暗いコンパートメントの座席から、まだ枯木のままの森を何故か憂鬱な気分で眺めていました。暗い冬のままの森が切れて突然明るい菜の花畑が広がったのです。それは一瞬息を飲むような光景でした。忘れられない風景です。それを思い出し、「ドイツの菜の花畑の写真集」を検索しましたところ私の思い出の風景写真が幾つも出てきました。そこで4枚を選んでお送りします。私の思い出の菜の花畑の風景は2枚目の写真のように暗い空の下に浮かびあがるように広がっていました。1番目は、ドイツ、ブレーメンの菜の花畑です。出典は、「ドイツの菜の花畑の写真集」を検索すると出ています。2番目の写真は、ドイツ、テューリンゲン州の菜の花畑です。出典は、「ドイツの...「ドイツの菜の花畑の写真」

  • 「海とある孤独な男の姿」

    海が好きな人は多いようです。海釣りを楽しんだり、シーカヤックを楽しむ人もいます。あるいはヨットの単独航海を続け南極まで行く人もいます。広く深い海には巨大なクジラが棲んでいます。マグロやカツオの群れが回遊しています。サンマやイワシやニシンも沢山獲れます。しかしある時は怒り狂ったように大津波で家々を流し去ります。人間と海は大古から深い関係があります。気持ちが高揚している時に海を見ると心が落ち着きます。そして悲しい時に海を眺めていると慰められます。海は人間にとって親しい友人のようです。そんなことを考えさせる光景を鎌倉の七里ガ浜で見ました。堤防に独り座った男がうなだれて海を眺めていました。いつまでも眺めていました。初めは悲しそうにしていました。涙をそっと拭いていました。でも海に慰められて次第に明るい顔になってきま...「海とある孤独な男の姿」

  • 「碧く輝くオホーツク海の風景をお楽しみ下さい」

    以前に何度も北海道の観光旅行に行きました。ある時はウトロ港からオホーツク海に沿って海岸の道路を走りました。斜里を過ぎて小清水の廃駅そして網走までバスで行きました。右手にはえんえんと深い蒼色のオホーツク海が広がっていました。左手には藻琴湖が横たわっています。北海道の北岸はオホーツク海に面していますが東京に住んでいる我々はめったにオホーツク海を見ることが出来ません。それが眼前に広がっているので感激します。何枚も写真を撮りました。その写真をお送り致します。冬になると流氷が押し寄せ北海道の北岸はこのような風景になるのです。碧く輝くオホーツク海の風景をお楽しみ頂けたら嬉しく存じます。1番目の写真はオホーツク海です。2番目の写真は小清水の廃駅の傍から見たオホーツク海です。3番目の写真は流氷館の展示室に示してあった北キ...「碧く輝くオホーツク海の風景をお楽しみ下さい」

  • 「農家の復元展示と太平洋戦争下の小作争議」

    小金井公園の中にある「江戸東京たてもの園」にある江戸時代の農家の復元、展示の写真を5枚ご覧下さい。1番目の写真は三鷹市の野崎村の名主の吉野家の江戸時代後期の家です。2番目の写真は東京都世田谷区岡本三丁目にあった江戸時代中期の綱島家の農家です。3番目のの写真は綱島家の農家の入り口です。余談ながら恐しそうに、中をうかがっている人は私の妻です。4番目の写真は綱島家の囲炉裏のそばで「昔語り」を聞くイベントの様子を示しています。このような江戸時代の農家を復元し展示しているところは全国に沢山あると思います。しかしそれらの裕福な農家の作りから、江戸時代から昭和20年までの農村の様子を想像したら大きな間違いをすることになります。あるいは自給自足に憧れて昔の農村を美化して夢見るとしたら、それは実態とはあまりにもかけ離れてい...「農家の復元展示と太平洋戦争下の小作争議」

  • 「秘境の苦しい生活と離れ島の生活」

    人間は偶然生まれた場所により、その後の人生が大きく変わるものです。この世の不条理です。老境にいる私はいろいろな所に旅をして楽しんでいます。しかし訪問先の地方地方の生活があまりにも違うことに驚かされます。場所によって自然が与えてくれる食べ物にあまりにも大きな差があるのです。常に飢えを心配している山奥と、海に出れば四季折々、必ず漁のある小島の生活とはあまりにも違いがあるのです。今日はその一例として山奥の秘境、秋山郷と熱海の沖にある初島の生活を比較してみます。2012年の秋に長野と新潟の県境の、「秘境、秋山郷」の旅に行きました。1番目の写真にあるような小型バスがやっと通れるような山道を根気よく分け入ると益々紅葉が綺麗になっていきました。そして山の奥には昔、13もの村落が存在していたのです。バスのガイドさんが、「...「秘境の苦しい生活と離れ島の生活」

  • 「復活祭に関連した絵画や写真そして復活祭のパンや卵」

    復活祭とはどんな祭りなの簡略にご説明したいと思います。そして復活祭に関連した絵画や写真をお送り致します。復活祭の意味を知れば欧米人の考え方が分かります。西洋の文学や絵画、彫刻や音楽がもっと深く理解出来ます。ですから多くの日本人は教養としてキリスト教のことをかなり詳しく知っています。さてこの祭のことを簡単に書けば、復活祭はキリストが十字架にかけられ処刑され、3日後に生き返ったことをお祝いするお祭りです。クリスマスはヨーロッパの原始宗教の冬至祭を踏襲しました。復活祭は春の到来を祝うお祭りを踏襲しています。キリスト教徒にとっては復活祭は一番重要な祭日です。クリスマスよりも非常に大切な祭日です。その理由はキリスト教信仰の中心をなすのが、キリストが生き返り、その後、天に登って神の右の座に着いたということを事実として...「復活祭に関連した絵画や写真そして復活祭のパンや卵」

  • 「 40回目の 2025年、浅草サンバカーニバル」

    毎年、約50万人が参加する「浅草サンバカーニバル」は、浅草の夏の風物詩として定着し、北半球最大と呼ばれるまでに成長いたしました。2025年は、コロナ禍を乗り越え、第40回目の節目を迎えます。浅草サンバカーニバルは、本場ブラジルのサンバカーニバルを目標にして参りました。ブラジルと日本は、国交樹立130周年という記念すべき年でもあり、様々な企画を予定しております。2025年8月30(土)に開催。写真は去年の浅草サンバカーニバルです。「40回目の2025年、浅草サンバカーニバル」

  • 「お正月が過ぎれば節分、雛祭、そして復活祭が来て咲く桜」

    人間は歳を取れば取るほど季節の流れが速くなるのでしょうか?クリスマスとお正月が過ぎたと思ったらもうすぐ節分と雛祭がやって来ます。そして復活祭が来て桜も満開になります。春には美しい花々が咲き出します。梅、コブシ、ハクモクレン、ユキヤナギ、サクラ、レンギョウなどが一斉に咲きます。年々花は同じように咲きますが、人は過ぎ去って行き同じではありません。今日は節分、雛祭、復活祭、白いモクレンの花の写真をお送りします。1番目の写真は京都の伏見稲荷の節分の豆まき風景です出典は、http://pupa.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_51ea.htmlです。2番目の写真は雛祭の風景です。滋賀県の日野町の町なかの通りに面した家々や商店街のウィンドウ、近江日野商人が残した屋敷や町家など、...「お正月が過ぎれば節分、雛祭、そして復活祭が来て咲く桜」

  • 「日比谷花壇の写真」

    日比谷公園本店は、“戦後復興計画の一環として、市民の憩いの場である公園に、海外の例に習ってフラワーショップを”という当時の東京都知事からの要請を受け、1950年に出店しました。その時に東京都から指定された店名が日比谷花壇でした。そして同年12月、社名を『株式会社日比谷花壇』へと変更し、日比谷花壇の歴史が始まりました。https://hibiyakadan-honten.jp/about/「日比谷花壇の写真」

  • 「近所に広々とひろがる畑の風景」

    近所に広々とひろがる畑の風景です。昔ここは小金井村という畑作農村でした。まだ近所には所々に畑が広がっています。広い畑を見ると心が平和になります。そんな風景の写真を撮って来ましたのでお送り致します。最後の写真は農業の素人の市民の畑です。一人一坪ずつ市役所から借りて思い思いの野菜を作っています。「近所に広々とひろがる畑の風景」

  • 「花の思い出のあれこれ」

    花の写真を撮っている間は楽しいものです。その自然で、繊細な美しい姿に魅了されて夢心地になります。至福の時間です。自分で写真を撮るだけでなく他の方々の撮った写真を眺めて楽しみます。そうしてその美しい写真を撮った方へメッセージを送り転載するお許しを頂きます。皆さん、喜んで、どうぞお使い下さいと言ってくれます。花のお陰で暖かいものが流れます。趣味人倶楽部の「大チャンさん」(https://smcb.jp/users/434777)へお願いしましたところ、どうぞご自由にお使い下さいという返事を頂きました。「大チャンさん」は神奈川県にお住まいの男性の方で、いろいろな趣味をお持ちです。そのうち3つだけ転載しますと、水泳・マリンスポーツと写真・芸術とボランティア・社会貢献となります。豊かな心の持ち主のようです。それでは...「花の思い出のあれこれ」

  • 「昔から日本にあった花々と外国から来た花々」

    花々が咲く風景を単純に愛せば幸せになれると私は信じています。私は花々が咲く風景を愛しています。花々が咲く風景をじっと眺めます。花のお好きな方は多いと思います。今日は昔から日本にあった花々と外国から来た花々のことを書きたいと思います。日本原産の花か,海外から渡来してきた花かを正確にご存じの方は少ないと思います。私は日本原産の花に興味があったので調べてみました。そうしたら本格的な文献を発見しました。慶応大学、磯野直秀名誉教授の発表している「明治前園芸植物渡来年表」です。(http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=13125)これは感動的な研究論文です。信用出来る内容です。下のにその一部をご紹介いたしますが、...「昔から日本にあった花々と外国から来た花々」

  • 「アメリカから来たハナミズキの写真」

    アメリカから来たハナミズキの写真をお送り致します。米国ワシントン・ポトマック川の桜並木が、日本から113年前に贈られた”日米親善”の象徴であることはよく知られている。しかし、その返礼にちょうど110年前、米国から「ハナミズキ」60本が贈られたことはあまり知られていません。実は、60本の原木のうち、日本国内に残っているのはもうたったの1本でしかない。その場所は、東京都世田谷区深沢にある「都立園芸高校」内なのです。詳しくは、https://www.nippon.com/ja/column/g00270/にあります。「アメリカから来たハナミズキの写真」

  • 「アメリカから来たハナミズキの写真」

    アメリカから来たハナミズキの写真をお送り致します。米国ワシントン・ポトマック川の桜並木が、日本から113年前に贈られた”日米親善”の象徴であることはよく知られている。しかし、その返礼にちょうど110年前、米国から「ハナミズキ」60本が贈られたことはあまり知られていません。実は、60本の原木のうち、日本国内に残っているのはもうたったの1本でしかない。その場所は、東京都世田谷区深沢にある「都立園芸高校」内なのです。詳しくは、https://www.nippon.com/ja/column/g00270/にあります。「アメリカから来たハナミズキの写真」

  • 「埼玉県の雑木林の中のお寺の写真」

    観光客の来ない静かなお寺を訪ねるのが好きです。埼玉県まで足を伸ばし田園と雑木林の中にあるお寺の写真を撮って来ました。畑と雑木林の写真に続いて、東福寺の本堂、戦没者供養塔の碑、戦没者供養の観音様の像、そして鐘楼の5枚の写真をお送りします。戦前生まれの私は観音さまへ戦没者の供養をお祈りして来ました。真言宗豊山派、観音院、東福寺は埼玉県所沢市本郷764にあります。東福寺の創建年代等は不詳ですが、天平勝寶元年、749年(聖武天皇)に行基菩薩が創建し、聖寶尊師(延喜9年909年寂)が開祖となったと伝えられています。明治時代には應和(961-964)・康保・安和・永祚年間まどの古碑が現存していたので西暦900年頃には創建されたようです。749年は別にして兎に角、平安時代には存在していたようです。真言宗なので弘法大師さ...「埼玉県の雑木林の中のお寺の写真」

  • 「冬の北海道の風景をお楽しみ下さい」

    寒い冬に自然の美しさを見るため出かけることは大変です。そこで私はインターネットで美しい自然の風景写真を探して何時間も眺めています。今日は冬の北海道の風景を眺めました。お送りする写真をお楽しみ下されば嬉しく存じます。1番目の写真は北海道によく見られる白樺林です。白樺林の向こうから陽が射しこんで美しい光景になっています。写真の出典は、https://pxhere.com/ja/photo/1631634です。2番目の写真では農場の境に1列に植えたに樹々に霧がかかり夢幻の風景になっています。写真の出典は、https://pxhere.com/ja/photo/1631634です。3番目の写真は美瑛町にある「青い池」です。絵の具を水に溶かしたようなその美しいコバルトブルーは純白な雪と絶妙にマッチします。まさに北海...「冬の北海道の風景をお楽しみ下さい」

  • 「悲しみの満ちた地球、しかし季節がめぐりればハナミズキが満開になります」

    数年前にネパールで大地震が起き4000人以上の犠牲者が出ました。救助隊が夜を徹して困難な作業を続行していました。一方、中東ではシリアやイスラム国やサウジアラビアやイランやイラクが支離滅裂な戦争を続けています。アメリカにはどうすることも出来ません。ただ見守るだけです。この中東の戦争では何百万人という避難民が苦しい流浪の生活をしています。そうしてアフリカではポコハムラなどの過激派が残虐なことをしています。この地球という惑星には大災害や戦乱が絶えません。人々の悲しみの涙があふれています。どうして人間はいつまでたっても不幸がつきまとうのでしょうか。悲しみは人間の宿命なのでしょうか。それに引き替え自然だけは変わらず美しい花々を人間へ贈ってくれます。季節がめぐればつぎつぎと花が人間を慰めてくれるのです。そして今年もハ...「悲しみの満ちた地球、しかし季節がめぐりればハナミズキが満開になります」

  • 「『木々は光を浴びて』、そんな風景を求めて」

    『木々は光を浴びて』、そんな風景を求めて武蔵野公園まで行きました。広々した風景をがあるだけで木々は光を浴びていません。困ったものです。でも気分は爽快でした。撮って来ました写真をお送り致します。「『木々は光を浴びて』、そんな風景を求めて」

  • 「小金井市の成人の日の風景」

    小金井市の成人の日の風景の写真をお送り致します。駅前の公会堂で成人式があったようです。通りかかったら美しい和服姿が公会堂から出てきて写真を撮ってました。私も写真を撮って来ました。そんな写真をお送り致します。「小金井市の成人の日の風景」

  • 「美しいブナ林の写真」

    美しいブナ林の写真をお送り致します。新潟県の十日市町の近くに美しいブナ林があります。松之山美人林といいます。写真をお送りいたします。樹林がお好きな方らなら、きっとお喜び頂けと思います。1番目の写真の出典は、https://www.tokamachishikankou.jp/spot/bijinbayashi/です。2番目から4番目の写真は以前に私が撮った写真です。「美しいブナ林の写真」

  • 「美しいブナ林の写真」

    新潟県の十日市町の近くに美しいブナ林があります。松之山美人林といいます。以前に撮った写真をお送りいたします。樹林がお好きな方らなら、きっとお喜び頂けと思います。「美しいブナ林の写真」

  • 「ニレの木にはヨーロッパ文化の香りするがする」

    ニレの木にはヨーロッパ文化の香りがします。私の思い込みかも知れません。その理由はヨーロッパではニレ(楡)とブドウ(葡萄)は良縁の象徴とされているそうです。この風習は元々はイタリア由来で、以下のような話があります。古代ローマ時代からイタリアではブドウを仕立てる支柱としてニレを使うために、ブドウ畑でニレも一緒に栽培していました。ニレは横方向に仕立ててぶどうの蔓を絡ませたのです。古代ローマの詩人オウィディウス(Ovidius、紀元前43-紀元前26年)はこれを見ていたく感動し、ulmusamatvitem,vitisnondeseritulmum(意訳:楡はブドウを愛している。ブドウも傷ついた楡を見捨てない)という詩を読んだそうです。この話はヨーロッパでは有名です。ルネサンス時代には絵画の題材としてもよく描かれ...「ニレの木にはヨーロッパ文化の香りするがする」

  • 「北海道大学付属植物園のハルニレの写真」

    北海道大学付属植物園のハルニレの写真をお送り致します。北海道大学付属植物園のハルニレの写真の出典は、https://good-hokkaido.info/botanic-garden-hokkaido.../です。「北海道大学付属植物園のハルニレの写真」

  • 「森有正の随筆、『木々は光を浴びて』」

    以前によく清瀬市の金山緑地に散歩に行きました。金山緑地では木々が光を浴びて、水面は陽に輝いているのです。そんなに大きな公園ではありませんが自然がいっぱいで数多くの水鳥がいます。金山緑地は多摩湖から流れ下る柳瀬ケ川の岸辺の湿地に広がる公園です。公園の向こうは埼玉県です。今日はまずその風景写真をお送りいたします。さて今日の表題の「木々は光を浴びて」は森有正という哲学者が書いた随筆集の題目なのです。この本は昭和47年に筑摩書房から出版されています。若い頃から森や林の風景が好きだった私の愛読書でした。この本の一文をご紹介したいと思います。『札幌では思うように散歩の出来なかったが、それでも植物園には数回出かけてみた。私は年を経た大樹を見るのが大好きである。その前に立っていると、感動で半日でも動かないでいられるかと思...「森有正の随筆、『木々は光を浴びて』」

  • 「冬の槍ヶ岳の写真」

    冬の槍ヶ岳の写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.yarigatake.co.jp/yarigatake/blog/details/12733/です。「冬の槍ヶ岳の写真」

  • 「このブログの記事の内容についての反省」

    このブログは2007年の11月5日に書き始めました。それ以来、18年間毎日書き続けてきました。同じ日に3、4件の記事も書いた日もあります。初めの数年は毎日違う話題の記事でしたが10年位続けていると新しい話題が無くなりました。仕方なく数年前の記事を少しだけ書きなおして再掲載してきました。読む人にとっては同じような記事なので面白くありません。しかし自分にとっては楽しいのです。繰り返し楽しかった昔の体験の思い出が蘇って来るのです。楽しかった体験の数はそんなに多くありません。ですから新しい話題が無くなるのです。仕方がありません。反省しています。しかしその一方、繰り返しでも自分が楽しければ良いのではないかとも思います。これからも繰り返しの記事になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。そこで今日はこのブログを始め...「このブログの記事の内容についての反省」

  • 「今日は東京のカトリック松原教会のミサにあずかりました」

    カトリック松原教会のミサの動画配信は下記です。https://matsubara-cath.chu.jp/ja/online-mass/ミサの写真をお送り致します。「今日は東京のカトリック松原教会のミサにあずかりました」

  • 「広々とした風景と花壇の写真」

    今日も広い風景を見たくなり小金井公園へ散歩しました。広々とした風景と花壇の写真をお送り致します。「広々とした風景と花壇の写真」

  • 「嗚呼、過ぎ去りし日々よ」続き

    今日の前の記事で山林の中の小さな小屋の話を書きました。我が人生に深い影響を与えた体験です。ところがもう一つ我が人生に深い影響を与えた体験があったのです。それはヨットの趣味でした。そのことを書きたいと思います。私は50歳で江の島の小型ヨットスクールへ通い、53歳の時、琵琶湖へ行ってヤマハ19という中古のクルーザーを初めて購入しました。長さが5m90cmの小さなクルーザーで操船が簡単そうでした。そのヨットを水郷汽船(株)経営の霞ヶ浦マリーナへ陸送しました。ヨットをクレーンで吊って水に入れてくれたのがマリーナの佐藤敏郎さんです。それ以来、23年間、2012年の秋にヨットを止めるまで佐藤さんにお世話になったのです。優しい性格でいつも笑顔を絶やさずヨットの修理の仕方や扱い方を根気よく教えてくれました。ヨットをあけび...「嗚呼、過ぎ去りし日々よ」続き

  • 「嗚呼、過ぎ去りし日々よ」

    過ぎ去りし日々を振り返って人生のいろいろを思い出しています。老境にある人は皆同じように自分の人生を時々思い返していると思います。我が人生で最大の思い出は良き妻を得たことです。66年間一緒に幸せに暮らしてきました。妻の自慢話を書いたら長くなります。そこで今日は私が建てた山林の中の小さな小屋の話を書こうと思います。我が人生に深い影響を与えた体験です。その小屋は八ヶ岳の見える甲斐駒岳の麓の山林の中にあります。1番目の写真は甲斐駒岳です。この山を見上げると夏に学生君たちと登ったことを思い出します。息子と2人だけで登ったことも思い出します。そしてスウェーデンやドイツから来た学生のことも思い出すのです。この山を見る度に登高の情熱と山頂に立った時の高揚感を思い出します。熱い血潮が老境にある私の体にも流れるように感じるの...「嗚呼、過ぎ去りし日々よ」

  • 「遥かなる西伊豆の戸田と三津浜の美しい海の風景」

    私は駿河湾の向こうに富士山の見える風景が好きです。そんな風景の見える所は西伊豆の沼津から伊豆半島の三津浜から戸田にかけての西浦地方の海岸です。東京からは遥か遠方なので観光客がめったには行かない地域です。その戸田には昔、家内と泊まった楽しい思い出があります。それから駿河湾では北欧風のヨットで2009年に帆走した思い出もあるのです。ある晴れた日に家内と一緒に車で西伊豆の海岸の風景を楽しむ旅に出ました。西伊豆の旅の後は宇佐美に出て湯河原温泉に泊まりました。それでは伊豆半島の三津浜から戸田にかけての西浦地方の海岸の風景写真を示します。1番目の写真は内浦湾の重須ヨット係留地の風景です。ヨットのマストの上に富士山がぼんやり写っています。晴天でしたが富士山には薄い雲がかかっていて鮮明には見えませんでした。2番目の写真は...「遥かなる西伊豆の戸田と三津浜の美しい海の風景」

  • 「今日の散歩は貫井弁天神社まで」

    ここ小金井市は江戸時代の貫井村と小金井村が合併して出来ました。今日は昔の貫井村の貫井弁天神社まで散歩しました。往復5Kmくらいです。撮って来ました貫井弁天神社の写真をお送り致します。「今日の散歩は貫井弁天神社まで」

  • 「ヨットの趣味のおかげで視野が広くなった!」

    私は50歳で小型ヨットスクールへ通い、53歳の時、琵琶湖へ行ってヤマハ19という中古のクルーザーを初めて購入しました。長さが5m90cmの小さなクルーザーで操船が簡単そうでした。そのヨットを水郷汽船(株)経営の霞ヶ浦マリーナへ陸送しました。ヨットをクレーンで吊って水に入れてくれたのがマリーナの佐藤敏郎さんです。それ以来、23年間、2012年の秋にヨットを止めるまで佐藤さんにお世話になったのです。優しい性格でいつも笑顔を絶やさずヨットの修理の仕方や扱い方を根気よく教えてくれました。ヨットを山小屋の名と同じあけび号と命名しました。家内とよくセイリングしたものです。1番目の写真はその時の様子です。1番目の写真は家内と一緒に帆走中のあけび号です。霞ヶ浦で元気に活躍していました。2番目の写真は群馬県のカヤシマさんに...「ヨットの趣味のおかげで視野が広くなった!」

  • 「帆船シナーラ号の日本における修復の記録」

    美しい木造帆船の『シナーラ』は世界が私たちに与えてくれた素晴らしい宝物です。この約100年前のイギリスの帆船は日本で修復され富士山を望む美しい相模湾にもう一度2020年に進水されました。今日はこのシナーラ号のの日本における修復作業の様子を写真に従ってお送り致します。文献、https://cynara.jp/ja/restoration-2/に従ってお送り致します。1番目の写真は2020年に修復を完成したシナーラ号が相模湾を帆走している光景です。修復は1926年にシナーラにはじめて取り付けられたオリジナルの帆を製作した製帆所への依頼しました。2番目の写真は日本のシーボニアマリーナで修復のため吊り上げられたシナーラ号です。シナーラ号は約90年という歳月のうちの半分にあたる45年を、日本の三浦半島周辺で過ごして...「帆船シナーラ号の日本における修復の記録」

  • 「今日の武蔵野公園までの散歩」 寒い風が吹いていました。でも空気が新鮮で爽快でした。撮って来ました写真をお送り致します。

    今日は武蔵野公園まで散歩しました。寒い風が吹いていました。でも空気が新鮮で爽快でした。撮って来ました写真をお送り致します。「今日の武蔵野公園までの散歩」寒い風が吹いていました。でも空気が新鮮で爽快でした。撮って来ました写真をお送り致します。

  • 「にっぽん丸で瀬戸内海を経て岩国への航海」

    岩国往復の航海は太平洋岸から瀬戸内海に入り岩国への航海でした。2011年の3月末でした。にっぽん丸は商船三井クルーズが運航する外航クルーズ客船です。総トン数は10,770トンで全長は145mです。現在のにっぽん丸は2代目にっぽん丸に代わる客船として、1990年に三菱重工業神戸造船所で建造されまし。1990年3月に三菱重工業神戸造船所で進水式が執り行われ、1990年9月27日に竣工しました。2011年の3月末の岩国往復の航海の写真をお送り致します。以上、にっぽん丸で瀬戸内海を経て岩国への航海した時の写真をお送り致しました。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)「にっぽん丸で瀬戸内海を経て岩国への航海」

  • 「豪華客船、「ふじ丸」での初島へ航海の思い出」

    以前に大型客船「ふじ丸」で熱海の沖にある離島の初島へ東京から行きました。今日は初島へ航海の思い出をお送り致します。客船が初島に到着しまた。ところが「ふじ丸」が大き過ぎて初島の小さな港へ入れません。いったいどのようにして初島観光をするのか不思議でした。そうしたら客船に搭載して行った大きい救助艇を高い舷側から海へ降ろすのです。1番目の写真は搭載して行った救助艇です。100人乗れるそうです。右舷と左舷に積んで行った「さざなみ号」と「そよかぜ号」を海面に降ろしたら、どこからともなく大きな台船を引っ張った船がやって来ました。その台船を大型客船の一階の出入り口の下に繋いで、その外側に救難艇を係留します。お客が救助艇に無事乗り移れれば、初島の港へ着けます。2番目の写真は初島に着岸したところです。お客が周囲4kmの島を散...「豪華客船、「ふじ丸」での初島へ航海の思い出」

  • 「豪華客船、「ふじ丸」での初島へ航海の思い出」

    以前に大型客船「ふじ丸」で熱海の沖にある離島の初島へ東京から行きました。今日は初島へ航海の思い出をお送り致します。客船が初島に到着しまた。ところが「ふじ丸」が大き過ぎて初島の小さな港へ入れません。いったいどのようにして初島観光をするのか不思議でした。そうしたら客船に搭載して行った大きい救助艇を高い舷側から海へ降ろすのです。1番目の写真は搭載して行った救助艇です。100人乗れるそうです。右舷と左舷に積んで行った「さざなみ号」と「そよかぜ号」を海面に降ろしたら、どこからともなく大きな台船を引っ張った船がやって来ました。その台船を大型客船の一階の出入り口の下に繋いで、その外側に救難艇を係留します。お客が救助艇に無事乗り移れれば、初島の港へ着けます。2番目の写真は初島に着岸したところです。お客が周囲4kmの島を散...「豪華客船、「ふじ丸」での初島へ航海の思い出」

  • 「美しい雲の写真を撮りました」

    今日は特に空の雲が綺麗です。午後から小金井公園へ散歩しながら雲の写真を撮りました。「美しい雲の写真を撮りました」

  • 「離れ島への憧れ(3)伊豆大島、波浮の港への旅」

    戦後すぐの少年の頃、「磯の鵜の鳥ゃ、日暮れにゃかえる、波浮の港は夕焼け小焼け、、、」という歌がラジヲから流れていました。歌の意味は、出稼ぎに行く島の娘が波浮からの船の艫綱を泣いて解く、、、船出する人と見送りに来た人が別れを悲しんでいます。鵜の鳥は日暮れに帰るがその人は帰らない、、、。そんな悲しい歌なので忘れられません。老境になり仕事を一切止めて、彼方此方へ旅をすることにしました。そうだ!大島の波浮の港へ独り旅をしてみようと思い立ちます。少年の頃から長い長い間、歌だけで知っていた波浮の港へ行く事にしました。ある年の、まだ寒い3月5日の朝、竹橋桟橋から船に乗ると、高速船なので昼前に大島に着きます。観光客で騒がしい岡田港の交通案内所で波浮の港へ行って一泊したいと相談します。対応してくれた若い女が。「あそこは観光...「離れ島への憧れ(3)伊豆大島、波浮の港への旅」

  • 「離れ島への憧れ(2)神津島と美少女の恐怖の秘密」

    絶海の孤島への独り旅。憧れでした。男のロマンです。ある時、絶海の孤島、神津島へ旅しました。東京都の島です。そこで聞いた美少女の話です。韓国の美少女、おたあジュリアにまつわる恐怖の秘密の話です。私は2006年に神津島へ独り旅をしました。おたあジュリアは今でも島の人々に大切にされ尊敬されていることを知りました。1番目の写真は神津島の写真です。写真の出典は、http://runo345.btblog.jp/です。2番目の写真は2006年に私が撮った神津島の荒波です。神津島は太平洋の波頭に浮かぶ小さな孤島なのです。おたあジュリアは秀吉の朝鮮出兵の時、捕まって、韓国から日本へ連行されて来ました。日本に来てからキリスト教の信者になりました。しかし一方、キリシタン弾圧が厳しくなっていたのです。キリスト教の信者のおたあジ...「離れ島への憧れ(2)神津島と美少女の恐怖の秘密」

  • 「離れ島への憧れ(1)冬の波荒れる八丈島」

    生来軽率な私は若い頃から離れ島への独り旅に憧れていました。はっきりした理由もなく離れ島はロマンティックな別世界のように憧れていたのです。しかし若い頃は忙しくて旅に出る余裕もありません。しかも離れ島は数多くあるのです。東京都の離れ島を列挙すると次のようになります。大島(伊豆諸島|大島町)利島(伊豆諸島|利島村)新島(伊豆諸島|新島村)式根島(伊豆諸島|新島村)神津島(伊豆諸島|神津島村)三宅島(伊豆諸島|三宅村)御蔵島(伊豆諸島|御蔵島村)八丈島(伊豆諸島|八丈町)青ケ島(伊豆諸島|青ケ島村)父島(小笠原諸島|小笠原村)母島(小笠原諸島|小笠原村)硫黄島(小笠原諸島|小笠原村)南鳥島(小笠原諸島|小笠原村)(有人離島一覧、https://ritokei.com/shima)上の島のなかで私が訪れた島は、大島...「離れ島への憧れ(1)冬の波荒れる八丈島」

  • 「帆船日本丸と豪華客船にっぽん丸の写真」

    帆船日本丸と豪華客船にっぽん丸の写真を示します。1番目の写真は帆船日本丸です。この船は2代目で先代の日本丸は横浜に係留され一般公開されています。2008年4月に帆を上げている光景の写真を撮りましたので下に示します。2番目の写真も帆船日本丸です。4本のマストに29枚の帆の全てを展開しています。斜め後ろから見た写真を下に示します。3番目の写真も帆船日本丸です。この船で太平洋横断の帆走訓練を戦前、戦後と実施し、日本の船乗りを育てたのです。同型の海王丸は富山県に係留され公開されています。まぎらわしいのですがにっぽん丸という豪華客船もあります。下は2011年3月に横浜の大桟橋で撮った写真です。この名の3代目のふねです。4番目の写真は豪華客船にっぽん丸です。5番目の写真は出港直後に上部デッキから横浜のベイブリッジを撮...「帆船日本丸と豪華客船にっぽん丸の写真」

  • 「懐かしい残雪の山並みと桃の花の風景」

    車の免許を返上したので遠方には行けなくなりました。しかし以前に見た美しい風景は鮮明に心に残っています。特に山林の中の自分の小屋の周辺の風景は忘れられません。山梨県の甲斐駒岳の麓に広がる風景は忘れられません。その中から残雪の山並みと桃の花の風景の写真をお送り致します。山梨県の西部にある七里ケ岩の台地の上にある新府は桃の栽培地なのです。丁度花が咲く時期には残雪を戴いた鳳凰三山、甲斐駒岳、八ヶ岳が取り囲んでいて、桃の花の背景になって良い写真が撮れます。毎年行っては写真を撮ってきたものです。そんな懐かしい風景の写真をお送り致します。「懐かしい残雪の山並みと桃の花の風景」

  • 「紅梅、白梅、蝋梅の写真」

    以前に府中郷土の森博物館の庭の梅林と蝋梅の林へ写真を撮りに行きました。撮った紅梅、白梅、蝋梅の写真をお送りいたします。写真は家内が撮りました。「紅梅、白梅、蝋梅の写真」

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