老境になると若い人々が元気に遊んでいる光景を見ると自分も楽しくなります。特に大自然の中で家族連れが幸せそうに遊んでいる風景は実に良いものです。家族連れの幸せそうな光景を見ると、しみじみ嗚呼、平和は良いものだと感じます。数年前にそんな写真を摂りました。場所は多摩川上流のJR御岳駅から2Km位さかのぼった川原です。写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。それはそれとして今日も皆様の幸福と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘「川遊びで幸せそうな人々の写真」
何処までも広く碧い海を巡航する客船の旅に行きました。デッキの上で缶ビールを飲みながら心地良い潮風に吹かれながら考えました。地球の70%は海と言います。陸地の方が少ないのです。地球は青い水の惑星なのです。人間の小さな、小さな存在をしみじみと想います。何故、人間は戦争を果てしなく繰り返すのでしょうか。夕方に横浜の大桟橋を出て、翌朝に鳥羽の沖に投錨します。伊勢神宮や二見ケ浦などを巡り、夕方帰船します。そして今度は夜を徹して横浜に帰ります。午前10時30分に着岸します。2泊3日の小さな旅ですが気持ちが爽やかになります。それでは写真に従って旅日記をお送り致します。1番目の写真は横浜の大桟橋に横着けしてあるパシフィック・ビーナス号を後方から撮った写真です。総トン数、26000トン、乗客定員、696名、全長、183mの...「三重県の鳥羽への客船の旅」
客船、さるびあ丸は排水量約5000トン、1000馬力エンジン2基の貨客船です。船の旅が好きで時々いろいろな客船に乗りました。いつも特等室に乗ります。船だけは貯金してでも絶対に良い部屋に乗ることが重要です。窓の無い船倉の部屋には乗らないようにします。そこで今日も皆様を特等船室へご案内いたします。竹芝桟橋から夜10時20分に出航して八丈島まで約11時間です。下の大きな写真の最上階前部にある操舵室の真下の手前に暗いデッキの窓が2つ見えます。右のデッキは特等A室2人部屋の外側についたプライベートデッキです。その左の少し大きいデッキは特等4人部屋のプライベートデッキです。このさるびあ丸には右舷に2つ、左舷に2つ、合計4つのプライベートデッキ付きの特等客室があります。1番目の写真は客船、さるびあ丸の前半分で、2009...「客船、さるびあ丸のご紹介と八丈島への航海」
数年前のイタリア豪華客船の座礁、横転事故で、約4200人もの乗客と乗員が救命ボートで助け出されました。幸いにも港が近かった上、完全に横転するまでにかなり時間があり救命ボートにほぼ全員が乗り移れたのです。しかし11人の死者と21人の行方不明者が出てしまいました。「救命ボート」を検索すると大小さまざまな種類のボートが写真付きで紹介してあります。そこで大型客船の両側の舷側に吊り下げてある救命ボートの写真を下に示します。上は日本の豪華客船、「飛鳥」の写真です。そして下は北欧の豪華客船の写真です。救命ボートの操作は船員がします。しかしその船員が操作方法を知らない場合もあります。今回もあるボートではそんな事態があり、乗客が操作したという報告もありました。乗客は自分の部屋番号によって乗る救命ボートが決まっています。避難...「客船の救命ボートの構造と扱いかたを憶える」
日本の豪華客船の飛鳥などの写真をお送り致します。1番目の写真は日本の豪華客船の飛鳥II,50146トンです。2番目の写真はアメリカのサン・プリンセス号、77000トンです。3番目の写真は世界最大の豪華客船の、オアシスオブザシーズ号、225,282トンの外観です。4番目の写真はオアシスオブザシーズ号内部の様子です。数年前に横浜の大桟橋の左右に日本の飛鳥IIとアメリカのサン・プリンセス号が並んで停泊していました。見るとアメリカの船のほうが随分と大きいのです。戦前生まれの私はすぐにサン・プリンセス号は7万トン余の戦艦武蔵や大和よりも大きいのではないかと考えてしまったのです。帰宅後、いろいろ調べてみました。そうしたらアメリカのオアシスオブザシーズ号は22万トン以上の船なのです。ついでに海外の国々の豪華客船の数とそ...「日本の豪華客船の飛鳥などの写真」
1番目の写真は日本の豪華客船の飛鳥II,50146トンです。2番目の写真はアメリカのサン・プリンセス号、77000トンです。3番目の写真は世界最大の豪華客船の、オアシスオブザシーズ号、225,282トンの外観です。4番目の写真はオアシスオブザシーズ号内部の様子です。数年前に横浜の大桟橋の左右に日本の飛鳥IIとアメリカのサン・プリンセス号が並んで停泊していました。見るとアメリカの船のほうが随分と大きいのです。戦前生まれの私はすぐにサン・プリンセス号は7万トン余の戦艦武蔵や大和よりも大きいのではないかと考えてしまったのです。帰宅後、いろいろ調べてみました。そうしたらアメリカのオアシスオブザシーズ号は22万トン以上の船なのです。ついでに海外の国々の豪華客船の数とその大きさを調べてみました。落胆してしまいた。日本...「日本の豪華客船の飛鳥などの写真」
戦前の日本では洋行が憧れでした。南米や北米に渡り成功して故郷に錦を飾人もいました。飛行機が普及していなかったので船で海を渡って行来したのです。そんな時代に氷川丸は太平洋航路の花形として輝いていました。洋行しない人でも氷川丸に憧れていました。氷川丸は日本郵船が1930年(昭和5年)に竣工させた12,000t級の貨客船です。1961年から横浜の山下公園に係留され一般公開されています。私は2013年のある日、横浜に行って、氷川丸の船内を見て回りました。今日はまずその時私が撮った写真を示します。1番目の写真は横浜に係留されている氷川丸を船尾から撮った写真です。2013年に撮りました。2番目の写真は氷川丸の舷側です。舷側から船に登り船内を見学しました。3番目の写真は操舵室から見下ろした船首部分です。4番目の写真は一...「太平洋航路の花形だった氷川丸の輝きと残照」
仙台の中学、高校時代に水元君という友人がいました。伊達政宗の霊廟のある山の下のお霊屋下という名前の町に住んでいました。父は戦死して母と二人で暮らしていました。色白の優しい中学生でした。何度も彼の家に遊びに行きましたが母は働いていて会ったことはありません。水元君の傍に居ると平和な気分になるのです。中学を卒業すると仙台の繁華街にある相沢眼鏡店で働き始めました。私は高校生になりましたが水元君に会う為に相沢眼鏡店へ何度も遊びに行きました。優しい彼を他の店員も大切にしていたらしく私が遊びに行ってもそれとなく歓迎してくれたのです。ある時何時ものように店に遊びに行った私に、水元君は母と一緒に南米へ移民することにしたと告げたのです。平静な話しぶりに決心の固さが判りました。彼は悲しそうにもう会えないが元気でねと言います。翌...「南米移民に行っ友人の思い出とアルゼンチナ丸と氷川丸」
小金井公園の梅林は毎年12月に咲き出して1月には満開にになります。ところが今年は全然咲く気配もありません。今日も見に行きましたが咲く気配がありません。1番目の写真は今日の梅林です。2番目の写真から5番目の写真は去年の1月の小金井公園の梅林の写真です。今年は特に寒いわけでありません。不思議ですな。それはそれとして今日の小金井公園の梅林の写真と去年の写真を示します。「小金井公園の梅林の開花について」
「今日は主の公現の祭日、イグナチオ教会のミサにあずかりました」
主の公現の祭日のミサはイグナチオ教会のミサにあずかりました。インターネットを通してあずかりました。ミサの様子を写真でお送り致します。「今日は主の公現の祭日、イグナチオ教会のミサにあずかりました」
運転免許を去年の1月に返上しました。事故も無く車の運転を卒業しました。一昨年前までは毎年写真を撮りに行っていた府中市の郷土の森博物館のロウバイの花畑が懐かしいです。そこで3年前の写真をいろいろ見ました。気温が低く寒くても咲くロウバイの花が「光の春」の到来を告げています。そのロウバイの花畑で写した写真をお送りいたします。ロウバイは中国語「蝋梅」の音読みで日本には江戸時代初期に渡来しました。ロウバイは唐梅〔カラウメ〕とも呼ばれました。中国原産の落葉樹で12月頃に咲き始めます。梅も寒い時期に開花しますが植物としては遠縁にあたります。蝋梅の名は半透明でにぶいツヤのある花びらがまるで蝋細工のようで、臘月(旧暦12月)に咲くことにちなんでいます。日本においては小寒〔1月6日頃〕から立春の前日〔2月3日頃〕までの間の「...「光の春を告げるロウバイの花」
弥生時代から平安時代の初期まで日本人は桜の花より梅の花を愛し尊重していたそうです。「令和」の元号は万葉集の梅花の宴での前書きの言葉から取ったのです。その後、平安朝中期からは山桜の花の美しさ、散りぎわの潔さがもてはやされるようになりました。特に江戸時代には桜の品種改良が盛んになり様々な桜の花が持てはやされるようになります。時代によって日本人の好きな花が変ったのです。ところで私はは若い間は華やかな桜の花の方が好きでした。それが老境になると桜花より梅の花が好きになったのです。そんなことはさておき梅の花の写真をお楽しみ下さい。1番目の写真は、https://www.pinterest.jp/pin/773704410956902313/からお借りいたしました。2番目の写真は、http://mimimin.com/...「梅の花の美しさと元時代の高啓の漢詩」
第101回箱根駅伝は青山学院大が優勝しました、。箱根駅伝の3日の復路でも、青学大の優位は揺るがなかったのです。結局、青山学院大が総合優勝しました。第101回東京箱根間往復大学駅伝競走の総合記録①青学大10時間41分19秒◎②駒大10時間44分07秒③國學院大10時間50分47秒④早大10時間50分57秒⑤中大10時間52分49秒⑥城西大10時間53分09秒⑦創価大10時間53分35秒⑧東国大10時間54分55秒⑨東洋大10時間54分56秒⑩帝京大10時間54分58秒⑪順大10時間55分05秒⑫日体大10時間56分22秒⑬立大10時間58分21秒⑭中央学大11時間00分13秒⑮法大11時間03分16秒⑯神奈川大11時間07分28秒⑰専大11時間08分53秒⑱山梨学大11時間09分40秒⑲大東大11時間10分...「第101回箱根駅伝は青山学院大が優勝」
お正月の風物詩と言えば「初詣」でず。お正月三が日には、たくさんの方が神社・お寺に行って、昨年の感謝を捧げるつつ、新年の無病息災や平安無事、新年の幸福などを祈願し、清々しい気分で新年を迎えます。【神社】や【お寺】は歴史も古く長いため、「初詣」の風習も同じぐらいの歴史がありそうですが、実は「初詣」が誕生したのは明治時代以降と、近代に誕生した風習なのです。しかし現在は「初詣」は日本の伝統行事としてすっかり定着しています。私は初めて知りました。写真は亀戸天神の本殿です。「初詣は明治時代から始まった新しい習慣です」
農村の風景は何故か懐かしいものです。近所にそんな風景の所があり時々散歩に行きます。今日は快晴です。写真を撮って来ました。そんな写真をお送り致しま「農村の風景のある所へ散歩」
風も無く穏やかな元日です。近所の小金井の稲穂神社へ家内と初詣に行ってきました。稲穂神社の今日の写真をお送り致します。「近所の稲穂神社へ初詣に行きました」
新年あけましておめでとうございます。新年なのですがすがしい樹氷と白鳥の写真をお送りいたします。毎年冬になると思い出す美しい風景があります。蔵王山の樹氷の風景と猪苗代湖の岸辺に遊ぶ白鳥のいる風景です。猪苗代湖のうしろには雪に覆われた磐梯山が輝いています。皆様の新年のご多幸をお祈り致します。「新年にあたり清々しい樹氷と白鳥の写真をお送りいたします」
生中継は、https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250101/k10014683651000.htmlにあります。新年を迎え、富士山上空からは「初日の出」が見られました。午前6時43分すぎ、水平線から鮮やかなオレンジ色の太陽が姿を現しました。太陽は徐々に空高く昇り、富士山と並ぶと、幻想的な風景を見せていました。2025年1月1日7時59分「2025年初日の出富士山上空から動画配信」
新年あけましておめでとうございます。新年なのですがすがしい甲斐駒岳の写真をお送りいたします。毎年冬になると思い出す美しい甲斐駒岳の風景です。この麓に私の小さな山小屋があります。若い頃は冬でも行きましたが年老いてからは遥かに想うだけです。皆様の新年のご多幸をお祈り致します。後藤和弘(藤山杜人)「新年あけましておめでとうございます」
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老境になると若い人々が元気に遊んでいる光景を見ると自分も楽しくなります。特に大自然の中で家族連れが幸せそうに遊んでいる風景は実に良いものです。家族連れの幸せそうな光景を見ると、しみじみ嗚呼、平和は良いものだと感じます。数年前にそんな写真を摂りました。場所は多摩川上流のJR御岳駅から2Km位さかのぼった川原です。写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。それはそれとして今日も皆様の幸福と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘「川遊びで幸せそうな人々の写真」
妻が生まれ育った場所は鎌倉でした。昭和12年でした。そんな訳で鎌倉へは何度も遊びに行きました。懐かしい町なので写真をお送り致します。写真は順々に、鎌倉海岸、江ノ電、文学館、御成小学校、長谷寺です。写真はインターネットからお借りしました。「妻が生まれ育った鎌倉の風景」
私は仙台で生まれ育って24歳まで住んでいました。青葉城跡へは何十回も登り眺望を楽しみました。天気の良い時は太平洋まで見えるのです。そして『荒城の月』という歌を口ずさみました。春高楼の花の宴めぐる盃さかずきかげさして千代の松が枝わけいでしむかしの光いまいずこ秋陣営の霜の色鳴きゆく雁かりの数見せて植るつるぎに照りそいしむかしの光いまいずこいま荒城のよわの月替わらぬ光たがためぞ垣に残るはただかづら松に歌うはただあらし天上影は替わらねど栄枯えいこは移る世の姿写さんとてか今もなお嗚呼荒城のよわの月(土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲)懐かしい青葉城跡にある伊達政宗の写真をお送り致します。「故郷の仙台の青葉城跡と『荒城の月』」
年老いると故郷は懐かしいものです、生まれ育った仙台の風景をよく思い出します。特に鹿落坂(ししおちざか)の風景は印象深いのです。思い出の坂道です。私は鹿落坂の上の向山に24歳迄住んでいました。その鹿落坂の写真を示します。1番目の写真は鹿落坂の遠景です。後ろの山は経ケ峰で伊達政宗の霊廟がある山です。2番目の写真は鹿落坂の上から見た仙台の中心街です。3番目の写真は下から見上げた鹿落坂です。4番目の写真は昭和12年の鹿落坂です。鹿落坂は昔は車道が狭くて、左側に広い歩道がついていて人間が下の広瀬川の景色を見ながら登れたのです。車道にはバスだけがたまにしか通りません。私が5歳の頃、ある月夜の夜にカジカカエルの鳴き声を聞きながら叔父さんに肩車をして貰って登ったことを鮮明に憶えています。昭和16年のある夏の夜でした。その...「故郷、仙台の鹿落坂の思い出」
2003年の北海道への旅で水芭蕉が一面に咲いている湿地帯に偶然迷い込みました。それは網走湖の湿地帯で鮮やかな緑の葉の中に真っ白い水芭蕉の花(苞)が一面に開いていていたのです。国道から呼人半島の付け根の方向へ少し入った雑木林の下に広がる湿地帯に一面に咲いていました。家内が喜んで湿地帯に中を歩きながら水芭蕉の白い花を眺めていた姿を思い出します。そんな網走湖の湿地帯と水芭蕉の花の写真をお送り致します。「北海道の水芭蕉の思い出」
北海道は多くの日本人が憧れている土地です。西洋の文化が少し混じったロマン溢れる所です。そんな北海道に憧れて私は何度も旅しました。今日はロマン溢れる北海道を写真でご紹介いたします。札幌の大通り公園、ポプラ並木、植物園、開拓村などの写真です。札幌もロマン溢れる都市です。まず中心にある大通り公園が四季を通じて楽しい場所なのです。その広大な大通り公園のそばには北海道大学の植物園がありますその近くには明治を偲ばせるレンガ建ての道庁があります。北海道大学の有名なポプラ並木もロマンチックです。郊外には手稲山ジャンプ台があり眺望絶佳です。さらに札幌の郊外には開拓村があります。北海道の開拓の歴史を展示しています。それでは大通り公園、北大ポプラ並木、植物園、開拓村の写真を順に示しましょう。大分部は私どもが撮った写真です。1番...「北海道の大通り公園、ポプラ並木、植物園、開拓村などの写真」
夏の北海道の風景です。北海道は夏が良いと言います。丁度良い気温で快適です。そんな夏の北海道の風景の写真をお送り致します。写真の出典は、https://stock.adobe.com/jp/search?k=%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%81%AE%E6%99%AF%E8%89%B2&asset_id=662640311です。「夏の北海道の風景」
北海道は夏でも涼しいのです。北海道へは何度も行きました。ロマン溢れる所です。北海道の魅力はいろいろありますが何と言っても美しい湖があちこちにあることです。今日は北海道の美しい湖をご紹介したいと思います。実際にたずねた摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖、網走湖、能取湖、風蓮湖、シラルトロ湖、塘路湖、達古武湖などをご紹介致します。これらの湖の間には広大な大地が広がり、牧場がえんえんと続いています。遥かに見える牧舎や家々も何故か本州と違い欧州風です。ここには奈良時代の律令国家も鎌倉、室町時代もありませんでした。道南の松前藩以外は江戸文化も存在していませんでした。アイヌ民族の部落が散在していただけでした。明治時代になって欧米風の開拓農業が広がったのです。北海道を巡る旅は何度もしたものです。それでは北海道の湖の写真をご紹介し...「夏でも涼しい北海道、摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖などの風景」
古代蓮の里のハスの見頃は、例年6月下旬から8月上旬頃です。古代蓮とは花弁の数が少ない原始的な形態を持つ蓮です。行田蓮とも呼ばれています。約1400〜3000年前の蓮です。写真の出典は、https://iwalkedblog.com/?p=31292です。「行田の『古代蓮の里公園』の蓮の花」
古代蓮の里のハスの見頃は、例年6月下旬から8月上旬頃です。ここに示す写真は以前の花の写真です。お楽しみ下さい。写真の出典は、https://iwalkedblog.com/?p=31292です。「行田の『古代蓮の里公園』の蓮の花」
今日の東京は青空で太陽がまぶしく射しています。嗚呼、夏が来たのだなあと感じます。そんな時には幼少の頃の楽しかった海水浴の光景を懐かしく思い出します。もうあの時は返ってこないのです。当時は戦後の貧しい時代だったので夏の娯楽と言えば海水浴しかなかったのです。一番懐かしいのは荒浜や菖蒲田や桂島の、そして野蒜海岸や宮戸島での少年の頃の海水浴の思い出です。インターネットで検索して桂島と宮戸島の風景写真を探しました。1番目の写真は現在の桂島の海水浴場の風景です。2番目の写真は海開き後の宮戸島の海水浴場の風景写真です。色とりどりのパラソルやテントが写っていますが、昔の海水浴場には無かった光景です。3番目の写真は海開き前の茅ケ崎の海水浴場の写真です。4番目の写真は昔から有名な大磯の海水浴場です。海開き後は人で溢れる海水浴...「夏が来れば思い出す昔の海水浴の光景」
今日の東京は本当に暑いです。本格的な夏が来たようです。夏の風物詩と言えば花火、浴衣、かき氷、蝉、風鈴などです。夏の風物詩の写真をお送り致します。(https://www.studyjapan.jp/topics/culture/symbols-of-summer.html)「日本の夏の風物詩、花火、浴衣、かき氷、蝉、風鈴など」
夏から秋にかけローテンブルグに住んだことがありました。ほんの数回だけ晴天の日がありました。そんな日はローテンブルグは美しく耀きます。そんな風景写真です。写真は「夏のローテンブルグの風景」を検索して出て来た数多くの写真から選びました。「夏のローテンブルグの風景」
故郷、仙台では夏に盛大な七夕飾りをします。仙台を出て東京に住むようになってからも七夕飾りの頃は毎年仙台に帰ったものです。今日は我が故郷の仙台をご紹介いたします。仙台は伊達政宗が1600年前後に築いた城下町です。青葉城の大手門から真っ直ぐ東へ伸びる通りは広瀬川の大橋を渡ったところから、東端の現在の仙台駅までを大町通りと言います。その大町通りの途中を直角に奥州街道が横切っていて、その四つ角を「芭蕉の辻」といいます。江戸時代は有名な繁華街で、豪商の店が集まっていました。その奥州街道の部分を国分町といって賑やかな商店街でした。明治維新で仙台藩が解体された後も「芭蕉の辻」や国分町の賑わいは続きました。しかし、大正、昭和と時が流れるに従って、国分町はしだいに寂れ、それと並行して南北に走る「東一番丁」が繁華街となったの...「夏になると思い出す故郷、仙台」
夏になると懐かしいのは最初のアメリカ留学です。1960年の夏に初めてアメリカへ留学しました。オハイオ州立大学に留学したのです。そのアメリカのオハイオの暑さにはびっくりしました。大陸の夏の暑さは尋常でありません。海に囲まれている日本は温暖なのです。アメリカ大陸の暑さに驚愕する体験をしたのです。またオハイオ州立大学の規模があまりにも壮大なので驚き感動しました。大学専用の飛行場を持っているのです。そして学生が格安で使える18ホールのコースを2つ揃えたゴルフ場を持っていることです。示した4枚の写真は、https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyamaに掲載されています。1番目の写真は校地の中央にある芝生の広場とそれを囲む建物群の写真です。このような広い芝生の広場がもう一つありました。2...「夏になると思い出す最初のアメリカ留学」
夏になるとよく行ったのは北海道への旅でした。北海道の夏は涼しくて快適なのです。北海道へ旅では大型リゾート・ホテルのトマムにも泊りました。その雄大な自然に囲まれた高層ホテル棟と重厚ながら洒落たショッピング・レストラン街には、正直言って非常に驚きました。巨大なトマムのホテルをご紹介いたします。トマムは札幌から東へ140Kmの所にあります。北海道勇払郡占冠村です。私どもが泊まった時はトマムは満員でした。修学旅行の学生が大勢泊まっていました。そして地元の若い人々が多数働いています。北海道を出なくても働き口がこんなにあるのです。地域経済にとっても大成功です。しかしトマムには挫折の悲劇があったのです。そして後をついだ会社の血と汗のにじむような営業努力で再生しているのです。トマムは平日でも776部屋もある高層ホテルが満...「夏になると思い出す北海道の旅」
今日は朝から太陽が照りつけて真夏のようです。夏になると思い出すのは上高地とそこから見上げた穂高連峰の風景です。上高地でよく泊ったホテルは上高地帝国ホテルです。その懐かしい上高地帝国ホテルの写真と残雪のある穂高連峰の写真をお送り致します。上高地帝国ホテルは1933年(昭和8年)わが国初の本格的高級山岳リゾートホテルとして開業しました。スイスの山小屋をイメージした赤い三角屋根と吹き抜けのロビーの巨大な暖炉が特徴のクラシックホテルです。残雪のある穂高連峰が眼前に迫る眺望は上高地帝国ホテルの大きな魅力です。上高地は標高1500mで冬期は雪に覆われて通行ができなくなるので毎年4月下旬から11月上旬の約半年間だけ営業しています。上高地帝国ホテルと残雪のある穂高連峰の写真をお送り致します。帝国ホテルの写真は家内が撮りま...「夏になると思い出す上高地と穂高連峰」
6月の花、睡蓮の花の写真をお楽しみ下さい。写真の出典は、「睡蓮の花の写真」を検索して、出て来た多数の写真から美しい写真を選びました。「6月の花、睡蓮の花の写真」
中國の江西省広昌県に連なる蓮池は、緑の葉でぎっしり覆われ、美しく咲いた蓮の花が風に吹かれると、さわやかな香りがほんのり漂い、多くの観光客で賑わっています。その写真をお送り致します。出典は、https://j.people.com.cn/n3/2024/0723/c94475-20196831.htmlです。「中國の江西省広昌県に連なる蓮池」
今日の散歩は都立武蔵野公園まででした。曇り日ですが乾いた風が吹いていました。気分爽快でした。「今日の散歩、都立武蔵野公園まで」
戦後に日本全国津々浦々にテレビが普及するまでの約30年間は映画全盛の時代でした。当時は邦画や洋画の看板が映画館にはなやかに飾ってあったものです。戦前に仙台で生まれ、戦後育ちの私は映画が大好きでした。今日はテレビが普及する前の懐かしい戦後の日本映画のポスターの写真と、それぞれの「あらすじ」をお送りいたします。私の記憶に鮮明に残っている感銘深い映画を七つ選びました。まず7枚のポスターの写真だけをご覧ください。興味深い映画を選んで「あらすじ」をお読み下さい。次に原作の文学作品の全文を読みたくなったら「青空文庫」を検索すれば全文を読むことが出来ます。「青空文庫」の総合インデックス、https://www.aozora.gr.jp/index_pages/index_top.htmlの作家別か作品別に希望の名前をク...「テレビが普及する前の懐かしい戦後の日本映画」
仙台は私が生まれた故郷です。1936年に生まれ1960年にアメリカへ留学するまで24年間住んでいた懐かしい故郷です。今日はこの仙台の近世の歴史、郷土史をご紹介致します.(1)伊達政宗が青葉山に仙台城を作り城下町を作った。近世になるまでの仙台市域の大部分は国分氏の支配下にありました。国分氏は現在の多賀城市や仙台市岩切などを拠点とする留守氏と激しく対立していたのです。しかし戦国時代に入ると両氏とも戦国大名として台頭してきた伊達氏の軍門に下り伊達氏に隷属してしまいます。当時は仙台は「千代(せんだい)」と呼ばれていました。慶長5年(1601年1月28日)に伊達政宗が青葉山に仙台城を作り城下町を整備します。そして名前を「仙臺(仙台)」と改称したのです。これが仙台の都市としての始まりでした。62万石の仙台藩は、加賀藩...「遥かなる我が故郷、仙台の近世の歴史」
4月4日は家内が鎌倉で生まれた日です。数年前に車を走らせて、鎌倉の海を見て鉢の木という和食処で妻の誕生日の食事をしました。写真は海の風景1枚と続いて鉢の木での写真3枚です。鎌倉は何時行ってものどかな昔の日本の風情があって良いものです。「鎌倉の和食処の『鉢の木』の思い出」
鎌倉は妻が生まれ育った町です。妻が懐かしいと言うで何度も行きました。そのうち私の故郷のように感じるようになりました。今日はそんな鎌倉をご紹介致したいと思います。鎌倉の古刹めぐりの魅力を書きたいと思います。鎌倉のお寺は円覚寺と建長寺の二つ以外のお寺は規模が小さくて質素なたたずまいです。京都の寺のように華やかでありません。静かな小さいお寺が沢山あるのです。私はもう50年くらい前の中年になってからその魅力にとりつかれ何度も訪れました。円覚寺と建長寺をはじめ瑞泉寺、明月院、寿福寺、杉本寺、海蔵寺、報国寺、光明寺、などなど20位のお寺には何度も行きました。ある時は鎌倉や逗子や江の島の宿に泊まり、まだ人のいない朝早くから、読経の声が響く境内を散歩したものでした。そして鎌倉のお寺から禅の精神を感じたのです。そんな鎌倉の...「古都、鎌倉の古刹めぐりの魅力ーその静寂の世界」
ビガン歴史都市などフィリピン国内には、文化遺産・自然遺産あわせて6つの世界遺産があります。写真を示します。1番目の写真はバロック様式教会群です。2番目の写真はフィリピン・コルディリェーラの棚田群です。3番目の写真はビガン歴史都市です。ビガンは、ルソン島の北部にある港町です。16世紀後半にスペインの植民都市として、中国やメキシコとの交易で繁栄しました。ここはスペインの伝統的な都市設計と同じく碁盤の目のようになっていて、2つの広場や大司教の宮殿、市庁舎、議事堂なども配置され、合計で233の歴史的建造物が残り、現在もスペインの植民地時代の名残が見られます。ビガンは太平洋戦争中に一度、崩壊の危機を迎えたことがあります。当時、この街に日本軍が籠城したことでアメリカ軍によって破壊される寸前でしたが、日本軍の中には現地...「フィリピンの世界遺産」
今日は以前ドイツに住んでいた頃に訪問した美しいバンベルクの町をご紹介致します。1000年以上古い町です。その町バンベルクはレグニッツ川の中洲にあります。古都です。神聖ローマ皇帝のハインリヒ2世が1007年に司教座を置いてキリスト教の町として発展しました。石畳の路地に軒を連ねる家々が中世の町並みのままです。第二次世界大戦の戦禍を免れたバンベルク旧市街は1993年に世界遺産に登録されました。写真をご紹介致します。1番目の写真はンベルクの司教は市庁舎です。レグニッツ川の中州に建っています。2番目の写真はレグニッツ川の中洲の庶民の街インゼルシュタットです。3番目の写真も川の中洲の庶民の街インゼルシュタットです。4番目の写真はバンベルクの町です。人口8万人ほどの小さい町で中世の趣が感じられる古い町です。2度の世界大...「美しい世界遺産のバンベルクの町」
縄文時代は日本人が好きな時代のようです。試しに「縄文まつり」を検索すると、全国のあちこちでOO縄文まつりの情報が沢山出てきます。縄文人は日本人の祖先です。弥生時代や古墳時代にアジア各地から移住して来た人々と混血して日本人になりました。一方、北海道の縄文人は擦文土器時代を経てアイヌ文化を作ったのです。ですから縄文時代に限ってみると北海道と北東北は共通の縄文文化が栄えたのです。勿論、縄文土器は八ヶ岳山麓を含めて全国から出土しますが、北海道と北東北は間違いなく縄文文化の栄えた一つの地域でした。そんな理由から、北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群が、ユネスコの世界文化遺産になっているのです。北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群は北海道・青森県・岩手県・秋田県の1道3県に点在しています。構成資産一覧を示します。北海...「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群は世界遺産」
昆明湖の北岸に沿って伸びる長い長い回廊が懐かしいです。1980年に家内と歩きました。「長廊」は長さ728メートルの道です。その梁には、花鳥画、風景画、歴史画など14000枚もの絵が描かれているのです。写真の出典は、https://www.travel.co.jp/guide/article/9771/です。「それにしても懐かしい世界遺産の頤和園の長い廊下」
中国は57の世界遺産があり世界の第二位です。その幾つかの写真を示します。出典は、https://www.travel.co.jp/guide/matome/1599/です。1番目の写真は中国の湖南省に位置する世界遺産「武陵源(ぶりょうげん)」です。2番目の写真は4世紀から約1000年に渡り造られた石窟が集まる仏教遺跡「莫高窟」です。3番目の写真は田んぼのど真ん中にある世界遺産「開平の望楼群と村落」です。4番目の写真は明と清の時代に歴代皇帝が五穀豊穣を願って祭祀を行った祈りの場所「天壇」です。5番目の写真は清朝第6代皇帝の乾隆帝が、母親の還暦を祝って造営した北京最大の皇族庭園「頤和園」です。「中国の世界遺産の写真」
日本にある世界遺産は全部25です。それに対してイタリーには世界最多の58もあります。中国は57で世界の第二位です。今日は日本とイタリーの世界遺産をご紹介したとおもいます。まず日本の世界遺産一覧をご紹介致します。1法隆寺地域の仏教建造物奈良県平成5年文化2姫路城兵庫県平成5年文化3屋久島鹿児島県平成5年自然4白神山地青森県・秋田県平成5年自然5古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)京都府・滋賀県平成6年文化6白川郷・五箇山の合掌造り集落岐阜県・富山県平成7年文化7原爆ドーム広島県平成8年文化8厳島神社広島県平成8年文化9古都奈良の文化財奈良県平成10年文化10日光の社寺栃木県平成11年文化11琉球王国のグスク及び関連遺産群沖縄県平成12年文化12紀伊山地の霊場と参詣道三重県・奈良県・和歌山県平成16年文...「日本にある世界遺産とイタリーの世界遺産」
今日は武蔵野公園まで行って来ました。真夏のように暑い日でした。「今日の散歩」
今日はグナチオ教会のミサにインターンットを通してあずかりました。イグナチオ教会の今日のミサの風景の写真をお送り致します。「東京のイグナチオ教会の今日のミサの風景」
大浦天主堂は、幕末の開国にともなって造成された長崎居留地に、在留外国人のために建設された中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の教会で、現存するものでは国内最古となります。聖堂内を飾るステンドグラスの中には、約100年前のものもあります。また、建立直前の1862年に聖人に列せられた日本二十六聖人に捧げられた教会であり、天主堂の正面は殉教の地である西坂に向けて建てられています。設計指導者はフランス人宣教師のフューレとプティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)です。1864年末に竣工し、翌年2月に祝別されました。「国宝の大浦天主堂の写真」
6月16日https://www.youtube.com/live/acVQoM00Tcc【本日の聖書朗読箇所】第1朗読エゼキエルの預言(エゼキエル17:22-24)第2朗読使徒パウロのコリントの教会への手紙(2コリント5:6-10)福音朗読マルコによる福音(マルコ4:26-34)カトリック麹町聖イグナチオ教会https://www.ignatius.gr.jp/index_j.html「東京のイグナチオ教会の今日のミサの動画配信」
何故かこんな風景が美しく見えます。写真はインターネットからお借りしました。「托鉢僧の写真です」
平成29年3月10日、国の文化審議会が文部科学大臣の諮問に対し、深大寺の銅造釈迦如来倚像(飛鳥時代)を国宝に指定することを答申しました。深大寺釈迦如来倚像は博物館や美術館を除いて、関東の寺院所蔵の国宝仏では、鎌倉大仏に次ぐ二例目、制作年数は鎌倉大仏より約500年古く、東日本最古の国宝仏となります。深大寺開創の天保5年(733)より前に文化の中心であった畿内地域において、作られたと考えられます。白鳳時代(飛鳥後期645-710)同時期の傑作である奈良県新薬師寺薬師如来立像(香薬師)、奈良県法隆寺観音菩薩立像(夢違観音)と深大寺釈迦如来倚像は銅の成分が極めて近似するなど共通する部分が多く認められ、同一の工房又は同系統の工人によって作られたと考えられます。「深大寺の銅造、釈迦如来倚像(飛鳥時代)は国宝」
今日は少し有名な深大寺をご紹介します。国宝の飛鳥時代の銅造釈迦如来像(白鳳仏)もあります。深大寺は733年に創建され、浅草寺と並んで東京では最も古いお寺の一つです。天台宗別格本山の寺です。武蔵国の国分寺は760年代始め頃に完成していますので、それより20年も古いお寺です。以前に撮った門前の店と山門などの写真をお送りします。1番目の写真は山門の左にある店です。門前には名物の「深大寺ソバ」の蕎麦屋や土産物屋が沢山並んでいます。深大寺ソバは家内と何度も食べました。この土産物屋だけ特に示した理由は店の右に坂道があり、そこを登ると神代植物公園の東口があるからです。2番目の写真は深大寺の山門です。3番目の写真は本堂です。阿弥陀如来が本尊の本堂です。4番目の写真は本堂の左にある元三大師堂です。天台座主、元三慈恵大師の像...「東京で最古の寺、深大寺の写真」
私は1936年に仙台で生まれ24歳まで仙台に住んでいました。その間に何度も蔵王山に登りました。蔵王山は故郷の山なのです。その蔵王山に咲く花をインターネットで調べ幾つかみつけました。その写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1493です。1番目の写真はハクサンイチゲです。2番目の写真はシラネアオイです。3番目の写真はユキワリコザクラです。4番目の写真はミヤマオダマキです。「我が故郷、懐かしい蔵王山に咲く花の写真をお楽しみ下さい」
松島は故郷の仙台から仙石線の電車で1時間くらいです。仙台に住んでいた頃はよく行った曾遊の地です。そこで四季折々の美しい松島の写真をお送り致します。写真は、「松島の景色の写真」を検索して、出て来た多くの写真から美しいものを選びました。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。1番目の写真は松島湾を一望出来る大仰寺の庭からの眺めです。大仰寺は標高116メートルの山頂にあります。山を背に東、南、西の三方向が開けていて、島々が湾内に連なる様子が見えます。2番目の写真は松島湾の東側、宮戸島の大高森の山頂からの風景です。何度も登った山頂です。松島湾の向こうには遠く奥羽山脈の山々も望めます。3番目の写真は寒い冬が終わり桜が満開になっている松島の夕暮れ風景です。「西行戻しの松公園」という公園からの風景です。写真は、https://...「我が故郷、松島の四季折々の写真をお楽しみ下さい」