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降りていくブログ https://kurahate22.hatenablog.com/

生きづらいものが生きていくために。回復とサバイバルについて考えていきます。

生きづらさは重い負荷ですが、それにより自分が生きるために必要なものへの意識や関心が深くなります。生きづらい人は誰のためでもなく、自分が生きていくために世間にまだ存在しないものを創りださなければいけない切実さを抱えています。生き抜くことは全く保証されていない。それにも関わらず生き残ろうとする人たちの創造は、通じる課題を持つ人たちの力となり、そして自身だけでなく、周囲の世界も回復させる力を持ちます。

ヨネ
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北区
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新居浜市
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2014/09/24

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  • ジャンル難民発表会 発表原稿 生きることの当事者研究

    <プレ発表で以前に投稿したものに加筆したものです。>◇なぜ「生きることの当事者研究」か? 「苦労の社会化」が環境を新生させる 当事者研究は、べてるの家からはじまったもので、専門家に解決を委ねていた自分の「苦労」の仕組みを自分自身で「研究」し、それを周りにシェアするものです。そこでは個人のものとして閉ざされていた「苦労」が周りの人たちに伝わり、発表者は周りの人にとって異質で理解不能な存在であり、わたしの世界の外にいた存在だったところから、わたしの世界の一員、わたしの隣人になっていきます。当事者研究では、そのような「苦労の社会化」のプロセスを通して、個人とその周囲の人の認識が共に更新され、有機的な…

  • 2回目のプリズン・サークル 機械と震え

    京都シネマでの最終日。 prison-circle.com 平日の4時開始だったけれど、受付近くではこのために半休をとって来たというような話しをしている声も聞こえた。 2回目のプリズン・サークルは体感としてはあれよあれよと進んだ。あれ、もうこのシーン、このセリフが来たかという感じ。そこから比較すると、1回目は自分にとってジリジリとした時間だった。 性暴力の語りはもう一度聞くまですっかり記憶から抜け落ちていた。ただ、いじめによる堪え難い屈辱を与えられる話しをしていたとだけ覚えていた。キツい話しだったからだろうか。小学校6年だったかのいじめで性器を咥えさせられた、殺してやると思ったという部分。 自…

  • 閉じた監獄を破綻させていくために

    実際のところは知らないけれど、SNSなどで日系のホテル・ニューオータニではなく外資系のANAホテルが自律性を保てたという指摘が興味深かった。日系だと現秩序が全てになっているわけだけれど、圧力がかかったとしても外資系だと政権が沈むのに自分も付き合うわけにはいかないし、実際国内の圧力のはねのけができるということ。 閉じた場所というのは、監獄であり、そこでは権力が絶対化する。それが家であっても、学校であっても、地域であっても、国であっても。そして権力は時間を止める。今強いものがそのまま、あるいは今まで以上に幅を利かせる秩序で止めたままにしようとする。 そういう場所では人は自分自身を無力に感じ、その無…

  • プリズン・サークル 忘れられた楔(くさび)

    友人たちと「プリズン・サークル」を観てきました。島根にある官民共同の刑務所で行われているTC(回復共同体)の取り組み。感情を乖離させ生き延びてきた受刑者が自分を、そして他者を、痛みを感じる人間として取り戻していく様子が描かれていました。 映画の冒頭で、世界ではTCの取り組みは1960年代に生まれていると紹介されました。それが60年たってようやく日本で一箇所だけ行われるようになったということです。この60年という時間は何なのか。そしていまだに一箇所だけしか行われていないという現実こそ、一番問われないといけないことではないかとまず思いました。 おきさやかさんが、日本で生活と一体となっている保守思考…

  • 直接性と感覚(主観)が奪われる社会から逸脱していくために

    縁あって資本論のゆるい読書会へ。境毅さんに難しいところなどはサポートしていただいてみんなで一段落ずつ声を出して読んで、わからないところを話していく。 自分なりにとても印象に残ったのは、資本家は自然と(搾取的だけど。)関わることができる(自然から自分の必要なものを取り出して持ってくることができる)のに、労働者は自然との応答関係から疎外されているので、自分で必要なものを自然からとってこれず、資本家に依存しなければならないという指摘。 「労働者」とは、自然との応答関係を持つことができなくなった、疎外された存在。一方資本家は自然と独占的に関わることができる。資本家は「労働者」になる前の人の自然との応答…

  • 2/2 南区DIY読書会 プレ発表:生きることの当事者研究 原稿

    ◇なぜ「生きることの当事者研究」か? 「苦労の社会化」が環境を新生させる 当事者研究は、べてるの家からはじまったもので、専門家に解決を委ねていた自分の「苦労」の仕組みを自分自身で「研究」し、それを周りにシェアするものです。そこでは個人のものとして閉ざされていた「苦労」が周りの人たちに伝わり、発表者は周りの人にとって異質で理解不能な存在であり、わたしの世界の外にいた存在だったところから、わたしの世界の一員、わたしの隣人になっていきます。当事者研究では、そのような「苦労の社会化」のプロセスを通して、個人とその周囲の人の認識が共に更新され、有機的な新しい関係性が派生していきます。当事者研究は当初は精…

  • やりとりの一部から 応答について

    最近は、人間は良くも悪くも応答的存在でしかありえないなと感じています。 フランクルは、人生に意味を問うのではなく、自分が人生に問われていることに答えなければならないというようなことをいったそうですが、降りていくブログは生きるなかで僕と同じ問いにさらされている人に対して書いていたなあと思います。 それを自分と同じような、「人のために」というとそれは違って、やはりあくまで自分のために書いていましたが、(生から自分と同じ問いを向けられている)相手を想定しない限り、書くことや思いついたり考えたりする動機は生まれなかっただろうと思います。 それはつまり応答としてしか書けなかったということだと思います。同…

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