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降りていくブログ https://kurahate22.hatenablog.com/

生きづらいものが生きていくために。回復とサバイバルについて考えていきます。

生きづらさは重い負荷ですが、それにより自分が生きるために必要なものへの意識や関心が深くなります。生きづらい人は誰のためでもなく、自分が生きていくために世間にまだ存在しないものを創りださなければいけない切実さを抱えています。生き抜くことは全く保証されていない。それにも関わらず生き残ろうとする人たちの創造は、通じる課題を持つ人たちの力となり、そして自身だけでなく、周囲の世界も回復させる力を持ちます。

ヨネ
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住所
北区
出身
新居浜市
ブログ村参加

2014/09/24

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  • 当事者が自分で自分を回復させていくときに

    治療者側の視点からの、現時点でわかっている回復のあり方、もちろん貴重な知見だと思います。 しかし、当事者側は、治療者の眼差しを自分のなかにいれて、ああ安全感を十分に持ててないなとか、他人に対する信頼感が不足している、肯定感が高まってないな、それだと次にいけないのだとか、現状を踏まえれているなら、うだうだと考えなくていいと僕は思っています。 傷つく前の人はそれまで作り上げてきた殻に守られています。しかしその殻は安定を重視するため、自分の底にある傷や痛みに対して、人が本来的にもつ痛みを感じないようにできています。そして殻は本来的な自分の痛み、つまり本来的な自分の求めより、安定を選び、閉じて出ていか…

  • 動いていくこと 展覧会 山本麻紀子 いつかの話しあの人の風へ

    いつも第二水曜日参加している西川勝さんに紹介していただいた展覧会「いつかの話あの人の風」のトークイベントへ。 あなたのいつかの物語。それは、むかしも今も未来も同時に踏んづける生命の足跡。今日もそこに風がたつ。 京都市の「文化芸術による共生社会実現のための基盤づくり事業」の一環として実施する、アーティストの山本麻紀子による「ノガミッツ プロジェクト」は、総合福祉施設東九条のぞみの園の利用者・入居者、職員との対話から構想・展開されています。 note.mu 山本さんのことを覚えていなかったのだけれど、以前ある催しで巨人伝説のプレゼンをしていた人だと気づきました。 今回、西川さんから教えていただけな…

  • 2/22ジャンル難民の集まりの報告と、意思と「時間」の関係

    ジャンル難民の集まりを行いました。それぞれの探究のテーマは、「時間」、整え、揺らぎ、世を捨てる方法(?!)などでした。 www.facebook.com それぞれのテーマの経過状況、あるいは行き詰まり具合をシェアしました。何となくの状態より、はっきりした行き詰まりに行ったほうが進展であるという認識ですので、行き詰まった探究も遠慮なく持ち込みシェアいただければと思っています。 6/15日(土)、6/16(日)はこれまで探究してきたテーマをまとめ、発表するジャンル難民学会です。エントリーも絶賛募集中です。 僕の発表は、実践的な運用を目的とした意思と「時間」の関係でした。 ここ1年ほど通っている整体…

  • 「治療的」であるもの=「倫理的」なもの

    オープンダイアローグ界隈で倫理的であることは、治癒的であるという言葉があります。 倫理という言葉は誰かが決めた細かい正しさを全部守らなければいけないような、堅苦しいものというイメージがあるように思いますが、そもそも倫理とは何であるのかと問うことが抜きになっていないかなと思います。 治療の場、回復の場など、何が人間の状態を変化させるのかというところにおいて、妥協を許さない探究によって見えてきたことが従来のものの考え方を更新していくことがあると思います。 人間に対して、ある場面に対して、このように振舞わなければならないということは一律に決められるものでしょうか。例えば三好春樹さんは、介護する相手の…

  • 世界の受容器 100年もつぬか床と心のひだ

    伊藤亜紗さんとドミニクチェンさん、橋田朋子さんの対談の記事を読みました。 unleashmag.com 伊藤亜紗さんが米国で参加したシンポジウムにおいて、障害当事者に対して、義足や人間の能力を超えるような目覚ましいデバイスを提供することは、その人の蓄積してきた「時間の厚み」を否定してしまうことになるのではないかという指摘がでていたそうです。 ここで伊藤さんの対談者であるドミニクさんも、自分の吃音を完全になおす薬ができても飲まないんじゃないか、といいます。 ぬか床のたとえがでました。ぬか床は単によい菌をキープすればいいのではなく、100年もつようなぬか床では、よい菌が優勢になった後、また悪い菌が…

  • 第3回 狭山事件の再審を実現しよう市民のつどい in 関西へ。

    阿倍野区民センターで開催された狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西へ。 第一部に釜ヶ崎で活動されている本田哲郎神父の記念講演があり、本田神父のお話しを実際に聞いてみたいというのが動機でした。本田神父は、優しく落ち着いたテンポでお話しされる人でした。 釜ケ崎と福音――神は貧しく小さくされた者と共に (岩波現代文庫) 作者: 本田哲郎 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 2015/02/18 メディア: 文庫 この商品を含むブログ (4件) を見る 釜ヶ崎の労働者と同じ立場になろうと思って、日雇いをやっていた時、家族の住所と電話番号をしっかりと覚えていながら勇気が出ず、何十年も連絡が…

  • 応答する他者

    持てるようなものを何もかも奪われた人でも、救われることはあるのか。 どのような報われないみじめな生であっても、それを受けとめるまなざしはあるのか。 そういうことを探してきたと思う。 放り出された場所で、どうしていいのかわからなかった。 ここにいることを見つけてくれる人がいるのか知らなかった。 闇のなかで、隣に差し出されているはずの手は無くて、寄るべなく、心細かった。 一歩先がそのまま奈落になっているような恐怖ですくみあがり、身動きできなかった。 この自分が救いを探していたと思っていた。 だがそうではないようだった。 救いを探すものは、ここから動けなくなった僕に対する応答だったのだ。 応答は、そ…

  • 最近は割と散歩をしはじめた。 自転車で行っていたところでも歩いていいかなと思う。「時間」という言葉をもって、感じ方が変わってきている。四国遍路をやって高知ぐらいまで行ったとき、歩くのは飽きたと思った。そのせいなのかどうかわからないが、四国遍路後はそんなに散歩をしなくなっていた。 自転車に乗ることが、自分の状態を一気に緊張を高めた状態にもっていく感じがある。といっても、ほんのわずかな感覚の違いなのだけれど。しかし、それが重要なのだということだろう。 てれてれと歩く。それで「時間」がめざましく進んでいるという感覚があるわけではないが、自転車にのって、用事を済まし、帰ったときと比べるならば、自転車の…

  • 勝ちをゆずること

    沖縄の話しを聞きにココルームへ。 www.facebook.com 実際に辺野古や高江に行き、そこで感じたことや心の揺れを語ってもらった話しが一番心に残りました。 以前永橋爲介さんのゼミに参加させてもらっていたとき、永橋さんは、運動movementとは心の動きmoveが伝わっていくことだと言われていて、今日もまたその言葉を思い出しました。 僕は以前沖縄の鈴木雅子さんのお世話になって、辺野古や高江に連れていってもらいました。鈴木さんは、座り込みという手段からジュゴンの調査という方法によって、自らの「運動」を続けられていました。 鈴木さんから聞いた忘れられない話しは、自らの活動のなかで、運動の「目…

  • その人を超えるもの

    松本大洋「ZERO」では主人公のボクサーが自分の相手に出会えないまま30歳をむかえたときに、自分と同じ狂気をもつ若きボクサートラビスと出会い、闘います。 主人公の「時間」はそのトラビスと出会うまでは止まっていました。どのボクサーも彼にとっては彼を解放してくれる相手ではなかったのです。 僕はジャンル難民ミーティングでは、その人のさしおけない問題意識やテーマを聞いてみたいと思っています。 なぜなら、たとえそれが趣味のようなものであっても、それはその人が妥協を許さない一点だからです。その人が別に右でも左でもいいとしているようなことは興味がないのです。 その人の妥協のない一点は、その人をも超えているも…

  • 本当の納得を得るために 西川勝さんからの提案

    西川勝さんから第二水曜日の星の王子さま読書会の前の時間、14時〜16時あたりに何か場を持ちたいとのお話しをいただき、平日昼間ですがぜひやりたい思いです。 僕がこれまで西川さんの場に惹きつけられてきたのは、西川さんの当事者性、生きるなかで直面したこと、直面していることがまず軸としてあり、生きることがどういうことなのかを問う姿勢からだったのかなと思います。 30年近く前、自分を圧倒する苦しみがやってきて、そこからは将来的に裕福になることとか、家庭を持って「幸せ」になることなどは、何も意味を持たなくなりました。生きていく動機はそんなところからは少しも湧いてきませんでした。ただ回復を求め、自分の体が動…

  • 「時間」に応答する責任としての倫理 ピーター・シンガー『動物の解放』

    ピーター・シンガー『動物の解放』を読む会へ。 davitrice.hatenadiary.jp 薄々知っていてもあらためて狭い場所での異常な過密監禁(過密が原因で死んだり病気になってもなお詰め込む方が儲かる)による畜産や実験動物を取り巻いた状況は、自分の購買状況を変えようと思うぐらいにはえげつなかったです。 人間の奴隷、日本では技能実習生や入管に収監されている人に対してするようなことに加え、豚が出産する子どもの数を自然なら16頭のところを45頭産めるようにするとか、癌の研究をするために遺伝子操作して癌になりやすい体質の動物を作って特許をとるとか、体の中身の仕組みまで平気でかく乱させることに対し…

  • 人との接点

    臨床心理学科に入ってもあまりカウンセラーとかになる気は無かった。 治療者や支援者にはなりきれないし、なるつもりもないけれど、自分と相手がいて、お互いが何か生きるなかで探っていることがあると思う。 次に会うときがあれば、何を確かめ、何が見えたのかは聞いてみたいと思う。 自分は治療や支援でない関わりをしたい。 ジャンル難民の集まりや「時間」のワークショップは、自分が自分としてありながら人と出会う接点をつくったのだと思う。 自分が面白いと思わないあり方で、人と出会うことはできないと思う。これが多くのことに関心がない自分が、相手に関心を持って関われる接点。化学反応がおこる接点だ。

  • 薬指に名前をつけない意味 意思と「時間」の相容れなさ

    「時間」が動くことは、自分の感じる世界が新しくなっていくプロセスであるといえるでしょう。ただ、感じかたを新しくするのは、プロセス自体です。 状態が変わったことを自意識としての私の手柄にしていると一時的には高揚するでしょうが、やがてプロセスは停滞するでしょう。謙虚な人は、人受けがいいとか、謙虚にすべきだから謙虚にしているのではなく、最も停滞なくスムーズに状態を移行させていくあり方を調整しようとしていて、変化は自意識であるわたしの直接の操作にはよらないというリアリティを持っているからあんな感じなのだろうなと思います。 自意識はつまるところ過去であり記憶であるので、それは止まった「時間」であると思い…

  • カフェコモンズでのジャンル難民ミーティング

    大阪は富田のカフェコモンズでのジャンル難民ミーティング終了しました。 先の見えない時間を生き延びてきた人には「時間」が止まること、「時間」が動くことという言葉は直感的に把握され、そのまま自分の言葉として使われていました。僕がむしろ自分が発表した「時間」という言葉の意味を教えてもらっていました。 相田みつをは、「瞳の色が深くなる」と表現していましたが、どうしようもない苦しさを自分なりに引き受け、経過させた人は、社会適応とかいう文脈には乗らなくても、世界の感じ方が深くなるのだと感じます。しわのない紙がくしゃくしゃにされてまた広がったとき、紙に残ったそのしわは誰かを受けとめる感受性のひだになるのだと…

  • 奥野克己『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』三章まで 南区DIY研究室 発表原稿

    今日の南区DIY読書会で表題の本を3章まで要約して発表しました。 ブログを書いてきて5年目、最も長いタイトルになった気がします。 概要:ボルネオの狩猟採集民プナン(西プナン)はマレーシア・サラクワ州政府に属し、自動車などの近代的な道具に触れながらも、狩猟採集をベースとした自分たちの文化を維持していた。彼らの子どもは学校も行きたくなければ行かない。結婚はパートナーがいる状態をさすだけで、次々と別のパートナーに変わることも珍しくない。子どもは実子と養子が入り混じる場合が多い。プナンでは、ありがとうに該当する言葉はなく、また反省するという概念がない。 筆者:奥野克己 文化人類学者。立教大学異文化コミ…

  • 「時間」のイメージ4つと動きだした種

    2/10日曜日、14時からちいさな学校鞍馬口で「自分の「時間」を知る」ワークショップを行います。10日は正式募集が今日からなので鋭意募集中です。8日は大阪富田のカフェコモンズでも「時間」の短い発表とジャンル難民ミーティングを行います。 発表に先立ち、「時間」というプロセスの捉え方をどう説明するか考えていて、昨日はオンライン当事者研究などでもその相談をしていました。 「時間」を把握し、実用的に利用するための4つのイメージがあります。まずは、1秒、1分、1時間というような実際の時間です。ここでは、全ての物事を変化させていくもの、変化のプロセスとしてのイメージをかりています。そもそも「時間」と表現す…

  • 止まった「時間」を動かすために 安田純平さんと捕虜体験者の方から

    同じ施設に捕まっていたカナダ人ショーンは帰国後、自宅にあるトイレを自分専用にして家族には使わせないという。鍵をかけたくないし、自分以外の人が入れたり閉じたりできるのも嫌なのだと。いまでも、睡眠から覚めると両手を広げ、あの棺のような独房にいないことを確認して安心するそうだ。我々にしか理解し合えないだろう感覚的な共感があって、いっしょにいて妙な安心感があった。 止まった「時間」。精神に強烈に食い込む環境に遭遇すると、そこから解放された後もその感覚は精神に残ったままになるようです。 時間がたっても繰り返しみるあの夢。自分は今でもあの場所、あの空間にいる。 よく「あの日からわたしの「時間」が止まってい…

  • 「回復」や「自己実現」をこえて

    緊急的な状態が過ぎても日常は続きます。緩慢な危機、その後の不自由はそのまま続きます。 レールとずれた人は、どこに向かって生きればいいのでしょうか。ある程度回復したとき、放り出されたような気になります。次にどこに行こうとすればいいのでしょうか。 「順調」なステータス獲得のレールから外れた人は、その後の充実も二番手、三番手のもの、あるいはさらに劣ったもので我慢するしかないのでしょうか。 パウロ・フレイレによれば、被抑圧者は抑圧者の価値観を内在化させています。抑圧されている人が憧れるものは、抑圧している人が憧れるものと同じになってしまうということです。 それは富裕層でもない人が、非正規雇用の労働者の…

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