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  • 弱者男性論、その一歩手前 ―― 6/6

    弱者男性、とは何のためのカテゴリーだろう。ざっくり、経済弱者と恋愛弱者の側面があって、往々にして、それらの両面を備えていて、経済弱者といっても、生活保護を要するほどでもなく、恋愛弱者の面からは、制度設計による救済にはなじまない。その救済は、救済が不要/不能なカテゴリーの救済、問題は、問題とされないクラスターの問題である。...

  • 弱者男性論、その一歩手前 ―― 5/x

    事実判断ぽい書き方をすると、なぜか、自動的に、弱者への共感に欠ける人、つまりは、想像力がない人、冷たい人、ひいては、悪い人って価値判断がついてくる。自動的に、強者の言い分になってくる。...

  • 弱者男性論、その一歩手前 ―― 4/x

    奇妙なことに、弱者男性の敵は、なぜか女性になる。強者男性を敵とみなせば、ただの競争なのに。敵対させるのは、社会の性差別によって被害を受けてきた女性と、性差別が是正されることによって被害を受けることになった男性。なぜか対立する敵からの好意を欲しがっている男性の奇妙さ。...

  • 弱者男性論、その一歩手前 ―― 3/x

    >高度経済成長期から昭和の終わり頃までは、男女の賃金格差は今よりも顕著で、女性の収入は不当に低く抑えられ、その分、男性に振り向けられていた。>この国では、男であるだけで性別ガチャ当たり。皆婚は、女性が男性に依存しなければ、生きて行くことが難しかった時代の現象で、今となってはそっちのほうが異常だったと思える。もっと早くに是正されるべきだったと思える。...

  • 弱者男性論、その一歩手前 ―― 2/x

    国ガチャ、なんて言い方をするのなら、高度経済成長期から昭和の終わり頃までは、日本人であるだけで国ガチャ当たり。性別ガチャ、なんて言い方をするのなら、この国では、男であるだけで性別ガチャ当たり。日本人で男性ならシード権が得られた。たとえそれ以外に誇れるものが何もなくても。...

  • 弱者男性論、その一歩手前 ―― 1/x

    もしかしたら、生まれつき努力ができない人がいる、そう仮定するのなら、努力できるもできないもガチャ。努力が可能な努力族は、運命論的に成功を収めやすく、対して、非努力族は、失敗が運命づけられている。努力族は、努力するな、と禁じられても努力を止めないし、非努力族は、努力しろ、と命じられても努力ができない。自らコントロールができるものごとについては、自己責任論的に、自分で責任を負うことになるけれど、さて、...

  • 日常 ―― 15/15

    小説でも、映画でも、日常は捨象されている。主人公は、小銭を数えたり、コンビニに行ったり、洗濯ものを干したり、ときにはうんちを漏らすとしても、日常=つまらないから、物語からは省かれる。日常=つまらないのは必然だから、おもしろい=物語から省かれるのは自然だ。どちらも、必ず然(しか)る、自ずから然ると言える。...

  • 日常 ―― 14/15

    美味しかった、おもしろかった、楽しかった、なんて感想には、日常に戻される寂しさが混じっている。日常=つまらない、ってのとトレードオフにはなるけれど、でも、少し離れたら、日常もまた悪くないと思えてくるから不思議。結局、僕たちは、何をしても、いつかは楽しくなくなるんだ。...

  • 日常 ―― 13/15

    身をもって知っている、そう言い合っている、日常=つまらない、このテーゼは事実らしい。つまらないから、僕たちは旅に出る、レストランを予約する、人に会いに行く。対価を支払って、期待通りにものごとを受け取って、それだけでも非日常ではあるけれど、さらには、もっと予期しない展開で、思いもかけない景色や味や思考と出会うときには、稀有な僥倖、軽々と僕たちの日常を超えてくる。 ...

  • 日常 ―― 12/xx

    所謂(いわゆる)、つまらない日常。つまらない、を日常の枕詞のようにして、おおよそ、日常はつまらない。所謂、同じことの繰り返し。繰り返されるから同じことになり、同じことでないのなら、即(すなわ)ち、非日常である。つまらなくないのなら、即ち、非日常である。...

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