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yamatoさんのプロフィール

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門真市
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こんにちは もう今年も2ヶ月ですね。初めてブログ村の村民になります。たわいのない日常事を書いております。 気ままに遊びに来てくださいね。

ブログタイトル
ヤマトトトヒモモソヒメ徒然記
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/hiro40334033
ブログ紹介文
きままに旅行や神社仏閣、古道などを楽しんでおります。
ブログ村参加
2013/11/07
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yamatoさんの新着記事

1件〜100件

  • 初詣

    三連休の初日に上之太子駅の西北にある飛鳥戸神社へ行ってきました。道しるべには東城王と武寧王の父琨支王を祀る神社と書かれていました。二人は兄弟でしたか?村社であったこの神社の歴史は古く、安宿部郡は古来百済の渡来人が住んだところでもあり、推古朝に敷設された大道の近辺にあります。夕暮れ時でしたが、古来の百済の渡来人がはるか日本に移り住み、苦労して開いた土地を思いました。初詣はこの小さなお社でしたが、悠久のはるかな歴史を感じました。このあたりは渡来系が多く大和の東漢氏、河内の西文氏など渡来系氏族が多くおりました。近つ飛鳥のあたりもその群衆墓からも渡来系の墓という特徴を示しているそうです。古代大和や河内はかなりの国際都市だったのですね。初詣

  • 新年おめでとうございます

    寿春今年も皆さまが幸せでありますように世界の人が戦争のない平和な1年を過ごせますように年末は奈良の葛城にある国見神社に行ってきました。ついでに裏にある国見山も登ってきました。年末の山道を一人で歩くのは勇気がいりましたが、上りきったところでとってもさわやかな気持ちになりました。山道ですれ違う人も山頂にも人はいませんでしたが、ほほ間の丘で休憩して帰途へやや小さな冒険でした。今年はコロナが落ち着いて日常の生活が戻ってきたらいいですね。新年おめでとうございます

  • 今年も無事終えることができました

    今年も無事過ごすことができました。今日、ちょっと嫌なことがありましたが、今年のことは今年のうちに始末するようにいたしました。仕事の面でもなんとかやりこなすこともできました。会社自体は今後どうなるのかわかりませんが・・・解散なのか、一部の人を残して、存続するのか・・・いずれにしても全力投球するだけです。2018年に通信大学の3年に編入し、仕事の忙しさもあって1年で休学していまいしたが、今年復学しました。結果2年休学したことになります。休学すると1年毎に1万円必要となりましたが・・・2018年の取得単位が22単位ですので、休学の2年間ですこしづつ勉強してきたつもりです。東洋史学、西洋史学、特殊講義、史学概論などなど、シルクロード、民俗学、などなど試験などは自宅で試験をこなすような日々でしした。奈良文化論、考古学特殊...今年も無事終えることができました

  • 秋の吉野を歩く  蔵王権現

    金峯山寺の蔵王権現御開帳されるので、初めて行ってきました。何回か吉野には来ていますが、御開帳と重ならないことがあり、今回あの青いとても大きい仏像を初めて見ました。まだ紅葉といえる風景ではありませんでした。外観も写真の通り工事中ではありましたが、佛様はこころよく迎えてくれました。このお寺の前の写真の桜がある一帯はは大塔宮護良親王が鎌倉方からの敵陣に備え陣を張ったところだそうです。また、もう一度今度は吉野水分神社にゆっくり行ってみます。この日はここ1件だけでしたが、ロープウェイと歩きになるので、今度は1日がかりで訪れてみます。秋の吉野を歩く蔵王権現

  • 六道参り  六道珍皇寺へ参る 六道が辻  六波羅蜜寺

    10月の晴れた日に六道珍皇寺へ行ってきました。不思議なものがたくさんありました。もらった案内書には8月7日から8月10日には精霊迎え六道まいりなど記載がありました。平安朝の昔寺のあるあたりは京洛の都人が野辺の送りをしたところであり、往生人に引導を渡し、亡骸を鳥辺山へ送ったことから、この地を冥土への入り口(六道の辻、つまり冥界との境の辻)と考えたことと、小野篁が閻魔庁における第二の冥官であったとする伝説があり、篁がこのお寺の「六道の辻の井戸」から現世へと冥界を往還したという伝説とあいまって「六道まいり」の信仰が生まれた。お庭には不思議がいっぱいでした。このあたりは、死体の山であったと何かの本で読んだこともある。現代でもひんやりとした辻でもある。辻とは和製漢字なので、六道の辻は人や死体または冥土の人が行き交う交通路...六道参り六道珍皇寺へ参る六道が辻六波羅蜜寺

  • 健康診断 その帰り

    10月に健康診断があり、その帰りに以前近つ飛鳥博物館のハイキングツアーで行ったことのある四条畷の忍岡神社の看板が目に留まりました。意外に病院から近い場所にありました。会社からも歩いて行ける距離です。もう一度行ってみたかったので、長い階段を上ってみました。ここは古墳の上にある神社です。奈良の古墳の中でも頂上に神社が立っているのを数件見たこともあります。古墳=神社祭祀の対象であったのかどうなのか。今は屋根がついていて中にある棺がまもられています。レンガの積み重ねられたようなお墓になっています。このあたりの名士、族長のお墓でしょうか。4世紀って書いていたのか(裏覚え)で覚えていませんが・・・ここを少し行くと寝屋川ですが、ハイキングツアーで寝屋川の古墳も数々見て回りました。このあたりの高台に上るとあべのハルカスがはるか...健康診断その帰り

  • 竹内街道を歩く

    10月30日は近鉄ハイキングに参加した。一部竹内街道が入っているコースとなる。河内松原から上の太子までのコースとなり、久しぶりに14キロを歩くと大変疲れました。反正天皇の宮があった柴籬神社から出発となりました。野中寺ではお染久松のお墓があり、お参りいたしました。渡来系氏族船氏の氏寺のようです。渡来系の新興勢力のお寺が竹内街道沿いには多くあります。古市の白鳥古墳を回り、ブドウ畑を抜けて叡福寺へ参りました。聖徳太子にちなんだ没後1400年の記念行事の一つであるハイキングツアーとなっていました。ボランティアガイドさんがあちらこちらに立っており、太子の三骨一廟のお墓について説明されていました。久しぶりに10キロを超えて歩いたので、足が痛かったです。コロナが今のところ拡散していないので、開催することができたようです。また...竹内街道を歩く

  • 古代難波宮をめぐる

    難波宮跡に行ってきました。大阪歴史博物館の前に大極殿があります。その前は朝堂になっていたのか、いくつかの建物が建っていたと思われるあとがありました。大極殿の左右には八角形の楼閣があったとか、贅をつくしたきらびやかな難波宮を創造いたしました。写真は八角形楼閣があった場所の写真。今も八角形の形状を残す。孝徳天皇はこの大極殿前の庭園でもがりを2カ月間行い、竹内街道添いにある河内側の磯長陵へ祀られたことになっている。大阪城も小さくみえました。ここは今も昔も大阪の一等地といえる。大極殿の後方には後宮があったようですが、大阪城のお堀や大阪城築造時に削平されたかと思われる。難波宮があった当時は大阪城や玉造あたりはまだ内海であったのか、ここに難波宮や横には古代最大級の倉が立っていた。16個以上の倉で、武器庫であったとも言われる...古代難波宮をめぐる

  • お肉を食べる

    久しぶりに親睦会がありました。コロナも下火になりつつあり、久しぶりにアルコールを飲みました。オードブルとイセエビから始まりました。お肉も素晴らしいステーキです。この日はお肉を堪能しました。アルコールも久しぶりに🍸を2杯飲みました。少しはガス抜きが必要です。ありがとうありがとうお肉を食べる

  • 奈良のお寺

    近鉄奈良駅からJR奈良駅へ向かう道にひっそりとしたお寺のお堂があります。こちらは最近触れることの多い岸俊男さんの菩提寺で、ご本人もまたこのお寺を設計した父上である熊吉さんが眠る墓所となっている。大和の古道や宮都、都城についてやたくさんの歴史の本をだされ、今なお読み継がれている。「古代日本宮都の研究」など素晴らしいご本の著者です。私など遠目に失礼ではありますが、手を合わさせていただきました。奈良のお寺

  • 奈良散策

    奈良に行ってきました。奈良公園を歩いていましたら、調度前日新聞を賑わせていた発掘現場に出くわしました。興福寺東金堂前に門があったようでその発掘現場です。治下を歩いているとこんなところにも鹿がいました。興福寺の南円堂前の言葉です。正倉院展も月末からあるようですが、こちらはローソンチケットから購入のようです。奈良散策

  • 日本最初の官道(大道) 竹内街道を歩く

    10月2日はとても晴れていて気持ちのいい日となりました。奈良県葛城市から大阪河南町にかけての竹内街道(日本最初の官道)を歩いてきました。ちょうど緊急事態宣言も解除されたばかりでした。近鉄磐城の駅をおりてまず、長尾神社を詣でました。こちらは横大路と交差する場所となります。芭蕉も弟子のいるこのあたりでしばらく過ごしたこともあるといわれている綿引の塚をすぎると、表示がありました。交通量もあり、車道を抜けると竹内峠を越える道となります。さみしい道ではありましたが、すれ違う男女、単独の男性など6組ほどすれ違いました。昔は舗装がなくもっときつかっただろうと思われます。今はこんなに舗装された道ですから歩きやすく、きつく感じませんでした。こちらは右は奈良、逆をいけば大阪河南町になります。河南町へ向かって歩き始めると、本当、車道...日本最初の官道(大道)竹内街道を歩く

  • コロナ

    ようやくコロナ感染も減少傾向になってきている。来月は緊急事態宣言も取り下げとなるので、少し遠出ができそうです。奈良にも行ってみたいです。中耳炎もようやく4年目で水が9割ぬけてきました。こんなにかかるものですか。聴力がようやく通常に近くなってきています。コロナ

  • ワクチン

    この前1回目のワクチン接種に行きました。当日はひりひりしましたが、2日目は何もなく普段通り過ごしました。来週2回目の接種です。大阪も東京を追っかける形で感染者が多くなってきています。この前のように入院施設が切迫すると死者が増えますので、何とかできるだけのことはしていかないと・・・難波の宮と難波津・・・復学した学校の卒業レポートに取り掛かっています。竹内街道をしたかったのだけど、難波の宮だって・・・本を読んでみるととても興味をひきました。難波の繁栄があってこその官道の設置だったのですね。夏休みは古代難波津を駆け巡る予定です。ワクチン

  • 大阪歴史博物館

    先週の土曜日に大阪歴史博物館に行ってきました。大阪らしい派手さがあり、楽しめました。江戸時代の街並みは圧巻でした。難波の宮の風景を実物大で作っている展示場も、よくできていました。都市型博物館で意匠をこらして、飽きさせることがなかったです。10階から見る難波の宮ははるか1300年前を彷彿とさせました。ただ、天皇の後宮があった場所は多分大阪城をつくるときに壊されているのだろう。朝殿の両横にきらびやかな楼閣があったらしく、それらしい建物跡が浮き上がって見えました。歴史博物館の前には16棟見つかっている倉庫群の1つを復元していました。国家が管理したものですから、葛城氏が作った鳴滝遺跡よりもはるかに大きいそうです。また、コロナが大坂で流行しつつあります。2日前にワクチン接種に行ってきました。夜中中腕が痛かったですが、通り...大阪歴史博物館

  • コロナ渦

    コロナ渦で会社も危なくなってきました。直接コロナとは関係のない会社ですが、売り上げなど伸びがなく・・・集約化と言っていますわ・・・景気は悪くなる一方・・・最近は遠出がないせいかブログを更新していませんでした。来月非常事態宣言が解除されたら、ゆっくり奈良を歩きたいです。コロナ渦

  • 奈良の鹿  久しぶりの外出

    奈良公園に行ってきました。横断歩道を渡ろうとしている鹿。よく見る風景です。鹿が渡りきる迄待っているドライバーが多いです。親子で橋を渡っています。新薬師寺と鏡神社へ新薬師寺の門に貼り出されている、鹿が入るので閉めているという注意書きです。通用門から入ってくださいです。新薬師寺に久しぶりに入りました。私の他は2組位しかいませんでした。御朱印をいただきました。お隣の鏡神社へ。遣唐使がお参りして、当時出発した神社です。薬師寺のお隣にあります。奈良の鹿久しぶりの外出

  • 久しぶりの奈良   竹ノ内街道・横大路を通って運ばれたモノ

    昨日は、大和八木の礼の辻で行われた「竹ノ内街道・横大路を通って運ばれたモノ」の講座を聞きに行ってきました。早く着いたので、大和八木の構内になる喫茶店でランチを食べて、いざ礼の辻へ・・・奈良はコロナが日々数件程度のところですので、密集については安心です。本当横大路と下ツ道の交差するところにありました。運ばれたモノの中には、新沢126号墳のあのガラス製品があったのではという話でした。ロマンがありました。ペルシャ等を通って、日本の都にたどり着いた品々でもあります。天皇陵でも同一品が発見されていたのでは?もちろんあちらの方の保存状況はいいのですが・・ラクダも運ばれたとか・・・本当シルクロードの最終地点が大和だったのかもしれません。久しぶりの奈良竹ノ内街道・横大路を通って運ばれたモノ

  • 聖林寺  定恵が見た風景

    談山神社の帰り、バスで櫻井に向かっていると聖林寺前バス停があったので下車。聖林寺へ寄ってみることにしました。十一面観音菩薩様で有名なお寺です。元は大神神神社の神宮寺である大御輪寺にあったと言われている仏像で、廃仏毀釈の際、道に捨てられていたという逸話がある。聖林寺の僧が捨てられた仏像をお寺に持ってきて、祀ったと奈良検定の教科書に書いてあったような・・・記憶がありますが・・・実際は昔より親交のあった聖林寺へ預けたそうですが・・・海外に流出しなくて本当よかった。とてもきれいな仏像でした。お堂に安置されていて、私一人で仏像を独占状態で見ることができました。帰るには去りがたい思いでした。長い年月、たくさんの物や時代の変遷を見てきた仏様の横顔は秀麗にして厳格で、また優美な曲線を描いた体躯や流れるような指のささいな部分まで...聖林寺定恵が見た風景

  • 談山神社

    年末は談山神社へ行ってきました。櫻井からバスで30分くらいか人もおらずゆっくりできました。聖林寺にも帰りしな寄りました。次回アップします。かたらいの山ということで、中臣鎌足と中大兄皇子がこの山で、入鹿追討の密談をしたそうな・・・古くて落ち着けるお寺でした。談山神社

  • 迷子猫? 白黒

    迷子猫なのか?人懐こい猫です。アップしときます。なぜか坂様に写る。左足は表が白です。迷子猫?白黒

  • 昼食

    11月ごろ、半休をとったので駅の近くのイタリアンにはいったところ、客が0でした。私だけですが、ここはとってもおいしいレストランなので、1080円のランチをいただきました。スープの写真が撮れませんでしたが、そのあとサラダパンメインの豚肉のステーキでした。市内なら1680円はするランチでした。器もかわいく、コロナに負けず続けてほしいものです。昼食

  • この子はだあれ

    気づいたのは去年の8月初め頃でした。駐車場にいる猫.もっと前からいるのかもしれませんが・・・飼い猫かと思っていましたが、耳はただれているし、血がでている日もありました。人が来るとついていく猫です。人恋しいのでしょうね。可愛がられて飼われていた猫とすぐわかります。男の人に遊んでもらったり、後ろをついていくことが多いので男の人に飼われていたのでしょうか。1月はいってもまだ駐車場から離れません。いろんな人からキャットフードをもらっています。競争心がないのかよく野良ネコに横取りされていましたが冬になって人通りも少なくなったので、強気で野良猫と戦って餌を確保しているのを見かけます。写真をとってアップします。迷子なのかはたまた捨てられてしまったのかわかりませんが、ブログに掲載してみます。写真は人が来るとうれしくて離れないし...この子はだあれ

  • インフルエンザワクチン

    本日はインフルエンザワクチンを接種してきました。高齢の母がいるので、インフルにかかると大変。一応世情も影響して、中学校依頼初めてのワクチン接種となりました。奈良でも今秋行ってこようかと思いましたが、3週間が山場ということですので、自粛生活となります。談山神社に行きたかったです。他に御朱印を戴に新薬師寺にも行きたかったです。また来年です。インフルエンザワクチン

  • 志貴山  朝護孫子寺

    10月末でしたが、朝護孫子寺の近くのホテルで泊まりました。2人で33000円のところgototravelで22000円となりました。ガラケーだったのでポイントはもらえないというお話でしたが、ゆこゆこで申し込んでいたので、ホテルから地域クーポン券がいただけるようでした。(5000円です。お土産はここのホテルですべて購入しました。他使えるところがわからないので・・・)夜はカニを申し込んでいたのですごく豪華でした。8時からの案内ツアーに参加しました。本堂から見える、奈良市内の夜景です。御土産売り場の人が案内人となって、いろいろ歴史を教えてくれました。朝護孫子寺のある頂上に志貴山城があるそうです。女子一人旅の人は対外お城女子だそうで、このお城を目指して登るそうです。翌日は橿原神宮に詣でました。菊の展示会がされていました...志貴山朝護孫子寺

  • 馬見公園  ダリア園

    10月末に馬見公園に行き、志貴山の朝護孫子寺に行ってきました。コロナも今ほどひどくなく、母とゆっくり歩いてきました。馬見公園のダリア園です。きれいでした。巣山古墳まで足を延ばし、登ってきました。この日はたくさんの人が来ていて、コロナ渦でなかなか家族サービスができなかった人たちなのか、家族連れが多かったです。王寺駅ついて、聖徳太子の愛犬雪丸に合うことができました。馬見公園ダリア園

  • 奈良漫遊 2

    法句経です。いつも中国人で満席だった天ぷらやでご飯を食べました。がらがらで注文しやすかったです。奈良は今がおすすめかも・・・奈良漫遊2

  • 奈良漫遊

    6月と8月に奈良に行っているので写真をアップ。観光客も戻ってきておりました。小鹿がいました。中国人がいない奈良でしたが、早く外国からの旅行者を受け入れられたらいいですね。コロナが心配なので京都経由で奈良に向かいました。奈良漫遊

  • 「ジェイン・エア」 映画

    「ジェイン・エア」の映画をアマゾンでみました。シャーロッテブロンテの本からです。この本を発表した当時は女性からの結婚の申し込みや自立した女性などの姿に多くの反響を呼んだそうです。当時はタブーだったのでしょうか。強い女性ジェインのお話でした。相手の男性も、病気の妻や愛人の女性が生んだ娘をお世話していて、悪い人ではないようでした。ジェインが心を許すのもわかるような・・・ジェインも男性もそれほど財産欲もなく、最終的に収まる所に収まるお話でした。「ジェイン・エア」映画

  • 大草原の小さな家

    自粛期間にアマゾンプレミアムで「大草原の小さな家」を全巻みました。子供の頃に確か放送していた作品でした。長い時間を経て見返し、改めてまたいい作品だとおもいました。ただ、最終回のウォルナットグローブの人たちが自分が住んでいた家を破壊して村から出ていくシーンはどうしたものか思い出まで破壊してしまい、自分たちの素敵な思い出までが思い出として蘇らなくなってしまうのではやや納得いかなかったけど、完全にシリーズはおしまいという意味なのだろうか。大草原の小さな家

  • 奈良を歩く

    6月20日の土曜日に久しぶりに奈良公園へ行ってきました。本当何カ月ぶりでしょう。テレビで見ている奈良の鹿は中国人から鹿せんべいももらえず、なにか寂しげにみえました。人影もまばらで・・・ところが、この日から他府県の移動制限がなくなり、国内観光客も増えつつあり、寂しげな閑散としている奈良ではありませんでした。タイ人、白人などちらほらおられました。鹿せんべいをあげると鹿がよってくると思っていましたが、栄養状態がいいのか、それほどがっついていませんでした。中国人がたくさん鹿せんべいを買って食べさせていたころには考えられないほど鹿の健康状況はいいそうです。観光客もまばらとなっていたので、鹿の管理団体が保護していたでしょうし、おからを朝あげているテレビを見たこともあるので、特に中国人からのせんべいをもらっていなくても鹿は元...奈良を歩く

  • 後宮の涙

    それほど身分の高くない商家の出の女性と皇帝との純愛でした。強い強い女性のキャリアウーマンとしてのお話です。トライアングルな恋愛を皇帝と皇后、いとこの王とからまった愛から、王は商人の娘と出会うことで、心を解き放たれ、二人の純愛がはじまります。いいお話でした。後宮の涙

  • 皇貴妃の宮廷

    純愛の物語でした。最後皇帝が死にゆくとき、貴妃も一緒に逝かれた様はとても二人の結びつきが強いと思われました。漢人の貴妃は満州人がなる皇后の座につくことはありませんでした。また子供が生まれない薬を飲まされ、漢人の子供を産めないという宮中にあって、皇帝との愛を貫かれた。宮中の女のすごい諍いもあり、妊娠した妃を幾人も流産させられていました。大奥よりも中国の宮中の方が怖いです。皇貴妃の宮廷

  • 法句経 先月の言葉

    3月末にどうしても天王寺のお寺へ行く用事があり、これが最近遠出した最後のものとなりました。桜もちらほら咲き始めていました。法句経が書かれていました。ちらほらお寺にも人はいましたが、用事を済ませるとすぐ帰途へ・・・これから数日後に緊急事態宣言でした。はやくコロナが解決して、あちらこちらと行きたいものです。この流行は1,2年では済まないといわれる人もいて、いったいつ終息を迎えるのか・・・法句経先月の言葉

  • 在宅勤務

    本日から1日おきに在宅勤務となりました。1,2年波があって、収まってくれるのでしょうか。70パーセントの人が感染すると・・・去年は肺炎ブドウ球菌の予防接種をしましたが、これはコロナウィルスには効かないらしい。未知で大変なウィルスのようで・・・早くワクチンができたらいいのに・・・母が老齢だから心配です・・・早く普通に奈良に遊びに行けるようになるといいですが・・・葛城や榛原の桜がみたかったなあ・・・秋になって宇治川の紅葉を見に行きたいものです。このコロナ騒動が収まっていますように・・・在宅勤務

  • 武則天  強い女性のお話

    則天武后の生涯を描いたお話でした。唐の皇帝とその息子に愛され、唐における権力を掌握した女性の話です。出身門閥はそれほど高くなく、下の官僚を巧みに取り込むことで、貴族たちの権力を崩してゆき、最後は既得権益をむさぼる貴族たちを壊滅。自分たちの政治を取り戻していました。宋の科挙制度によって実力で宮中の要人にあがる時代よりもやや古く、実力があっても高い地位につけない人が多い時代でした。才人として入宮し、宮中の女性たちの愛憎に満ちた惨劇を目の当たりにし、皇帝の愛を得ようと悲しいほどに人を蹴落とす宮中にあって、身の危険や掖庭においやられることもありましたが、見事に返り咲く運命をつかむ幸運については、持っているものが違うなと思った次第でした。選ばれた人なのだと実感。皇帝が亡くなると、皇帝の息子が一方的に求愛、その愛を受け入れ...武則天強い女性のお話

  • 「王は愛する」 悲しいドラマでした

    内容はわかったようなわからんドラマでした。突然話が回顧録になって、前の話とつながっているようなつながっていないような・・・それでも、人間の心理や内面をとらえていて、このドラマの監督は今後期待できる人では?なんておもったりして最後王様は再び一人になりますが・・・孤独よりも友を優先した王でもあったのか・・・いい王様のお話でした「王は愛する」悲しいドラマでした

  • 「宮中の諍い女」 こわい女の世界でした

    「ミーユエ」の主人公をした女優が「ミーユエ」の前に同じ監督で「宮中の諍い女」にも出演主演をしていたドラマです。こちらは日本の大奥にも通じる怖いお話でした。時代は下って清の時代のお話で、紫禁城などが広く、大きいことに驚かされました。満州族の衣装も立派でとてもきれいでした。王妃になれるのは満州族からでないとなれかったようです。主演のエンエイは漢民族出身で副皇后、であり貴妃の位まで上り詰めました。最後は皇帝にうらみをもつ女たちがみんなで皇帝を死へと導く怖いお話です。あの皇帝では女たちはそうなってしまうかななんて、変な同情もおこりました。怖い怖いお話でした。「宮中の諍い女」こわい女の世界でした

  • 「麗王別姫」  終わり方がよかった

    唐の時代、安禄山の変を中心にしてドラマは展開されました。王と王妃の何とも純な恋物語です。玄宗皇帝と楊貴妃がでてきました。こちらも宮中ではどろどろの大奥の世界でした。日本の着物の生地を大量に買って、衣装は作られているそうで、どこかで見た柄の着物の生地が楽しめました。曲の一部も日本の作曲家の手によるもので、別の意味でも楽しめました。冬郎と王妃の別れは、悲しいものでしたが、最後まで王妃を大事に思う王の気持ちが伝わってきました。終わり方がとてもよく胸が締め付けられました。「麗王別姫」終わり方がよかった

  • 広瀬神社の砂かけ祭りの風景

    広瀬神社です。旧官幣大社で由緒あり神社です。御朱印をいただきました。祭りが始まる前に屋台で腹ごしらえです。古代米おこわとトン汁で各150えんでした。そのあと回転焼きなど食べて回り、いよいよ祭りは始まります。「一度は砂をあびなあかん」など父親に連れられて子供が参加していました。この地域では、砂を浴びて健康や五穀豊穣を祈念しているのですね。素朴ないいお祭りでした。広瀬神社の砂かけ祭りの風景

  • 広瀬神社の砂かけ祭り

    広瀬神社の砂かけ祭りに行ってきました。よくNHKのニュースでしている祭りです。トン汁と古代米ごはんが各150円で売られていて古代米ごはんをいただきました。「一度は砂をかけられなあかん」と嫌がる子供を連れてくる父親の姿もありました。2時にいよいよスタートしました。砂が激しい年ほどいい年となるようで・・・五穀豊穣を願う、珍しいお祭りです。この日はお綱祭りがある日です。あちらも素朴なお祭りで村の子供も参加する奉納相撲もあり、素朴に村をあげて健全な教育をしていると思われます。大塚古墳にも行ってきました。大きな古墳です。197メートルもあり、明治天皇がここで陸軍の訓練を見守った石碑がありました。また写真を掲載いたします。広瀬神社の砂かけ祭り

  • 歴史講座へ

    昨日歴史講座へ行ってきました。炭素年代法で興味ある講座を聞いたことのある先生でした。応神天皇陵が実は允恭天皇の陵ではないかというお話でした。允恭天皇は継体天皇ともつながりの強い天皇でもありますが・・・継体天皇以前は神聖王と執政王の2人にわかれて日本を治めていた?允恭墓(現在の応神天皇陵)から一尺23センチから1尺25センチへ6尺1歩の歩数(1歩1.38m)などで陵墓を計算するとぴったりくるそうです。神聖王墓仲津山古墳→大仙古墳→土師ニサンザイ古墳→軽里大塚古墳→ボケ古墳執政王墓津堂城山古墳→上石津ミサンザイ古墳→誉田御廟山古墳→市野山古墳→岡ミサンザイ古墳→断絶いろいろ興味深いお話でした。歴史講座へ

  • ハイキングツアー   當麻寺と相撲会館を見てきました

    ハイキングツアーに参加しました。一人参加でしたが、今回はなぜか70歳を超えた男性と一緒に同行することに・・・迷い迷って道の駅まで一緒に歩きました。こういう旅もいいものです。石光寺、當麻寺などを回り、最後は相撲会館でちゃんこをいただきました。おいしく、あったかいちゃんこでした。10キロ位あるいたのでしょうか12月に足を痛めたので、ちょうどよいリハビリとなりました。ハイキングツアー當麻寺と相撲会館を見てきました

  • 「ミーユエ」  中国ドラマ

    中国の「ミーユエ」という歴史ドラマを見ました。細かいところはさておき物語の本筋をうまく描いた作品でした。黄あつ役の人には好感が持てました。誠実そうで・・・でも幼い恋を成就する機会はいくらでもあったのに、二人は結ばれることなく別の人生を歩むことに・・・ミーユエは楚の公主でありました。また身分の低い女性から生まれたこともあり、かなり虐げられ、野育ちのように育った娘・・・黄あつとの結婚が決まっていたのに、王后に邪魔をされ、娘が正室として秦に嫁ぐので侍妾として付随していくことに・・黄あつと落ち合うことを約束して嫁入りの旅路の途中で黄あつは亡くなることに(実は生きている)波乱万丈の人生でしたが、女性として強く生き、母として、また秦のために戦う人生に身を置く話でした。中国ドラマは喜怒哀楽が日本と違うのかと思いましたが、共通...「ミーユエ」中国ドラマ

  • 「酔麗花」 面白かったです。  中国時代ドラマ

    今年の正月は中国ドラマ「酔麗花」を見ました。意外と楽しめるドラマでした。中国人の見方が変わりました。美男美女ばかりの出演の上に上品な身のこなしなど、言葉も静かで、私の中国観が変わりました。ドラマだから美女ばかり集めているのでしょうが、隅々の女官にいたるまでが美女でした。香港の暴動など見ているとなりふり構わない、身なりを気にしない、主張を通しているのか、言葉も乱暴に聞こえてくるのですが・・・ドラマは魏王朝の優雅な世界でした。ウィリアムチャンさんがとっても男前で、ドラマを見るのがとても楽しかったです。3Dを駆使して、少しやりすぎな面もありましたし、話のつじつまが?という場面もありましたが、全体的にファンタジーの世界ですが、ストーリーの中の聖巫女が自分はどうなろうと愛する人のために時代をさかのぼっても彼のためによりよ...「酔麗花」面白かったです。中国時代ドラマ

  • 令和二年 新年を迎えて

    あけましておめでとうございます。本年が皆さまにとってよりよい年でありますようにお祈りいたします今年も旅の徒然や奈良を歩いて数々の名所旧跡古墳など書いていきたいと思っております、新年早々、阪急や京阪の百貨店に行ってきました、人人でたいへんでした、今年は飛躍の年となるよう、頑張ってまいります令和二年新年を迎えて

  • 男坂を行く

    本日仕事納めでした。明日から年末年始休暇となります。「神武東征伝説の道を行く」というハイキングがあり、参加しました。榛原~桜井までを歩くツアーです。男坂と女坂があり、男坂を上りました。古事記には男兵、女兵がいたとあるそうですが、急な坂が男坂、ゆるやかな坂が女坂であったのであろうという事でした。大学の先生の解説付きでしたので、とても参考になりました。男坂を超えると、赤坂天王山古墳が見えました、倉橋のバス停の近くでした。今度はゆっくり訪ねてみたいです。舒明天皇の墓の前も通りました。忍坂のあたりとなります。允恭天皇の皇后忍坂中津姫は忍坂にいたという伝説がありますが・・・継体天皇とも関係ある女性でもあり、また滋賀県をルーツとする人がここ忍坂に住んでいたのはどうして?忍坂は歴史の不思議宝庫でした。石位寺も寄りました。今度...男坂を行く

  • ケーキを食べに行ってきました。

    梅田のグランヴィアにある、喫茶店で、ケーキを食べました。クーポンを使いポイントも使って1590円のコースとなりました。最初はスコーン等オードブル風盛り合わせが出てきました次は三段重ね2段目はワインのつまみのようなものが・・・最後はショートケーキです。紅茶を選んだので、3,4杯分入っていました。リッチな気分になりました。ケーキを食べに行ってきました。

  • 空海を旅する 奈良市内における空海の生きた時代

    ボランティアガイドと行く、奈良市内での空海の足取りを探るハイキングツアーに参加しました。まずは、元興寺へ。極楽坊で寝泊まりをしていた時期があったようで、外観を拝みました。唐の僧侶が戒壇院にいた時期があり、その僧侶と一緒にこちら極楽坊にいた時期があったというお話でした。次は空海とは関係ありませんが、塔頭を見ました。道なりにあったためなのか?大乗院庭園でおトイレ休憩。最近再建されたものですが・・・きれいなお庭です。興福寺の住職は京都の公家の出がなることが多く、ここ大乗院や一条院にいる公家出身僧侶の方が選ばれたというお話です。十輪院は川島英吾さんのお墓があることで知られていますが、いつも行こうと思っていても迷ってしまうので、行けずじまいのところでした。今回はボランティアガイドさんが一緒ですので、迷わず行くことができま...空海を旅する奈良市内における空海の生きた時代

  • 中宮寺  尼寺らしい優雅なお庭でした

    鋼封蔵などもありました。正倉院のつくりと同じです。ここで天寿国繍帳が見つかったそうです。今は奈良国立博物館に行ってしまい、実物を見ることはできません。京都で何年か前に国宝展をしていましたが、そこで本物を見ています。夢殿も行きました。救世観音は開扉の時期ではなかったようですが、以前何度も見ました。とっても聖徳太子の1万円(旧)の絵に似ている、太子等身大の像でした。中宮寺にも久しぶりに行きました。天寿国繍帳のレプリカを見ました。亀の甲羅に文字があることを初めて知りました。橘大郎女が太子がなくなってから、作ったものだそうですが・・・・1400年以上もよく残るものだと感心しました。本物は京都で数年前にしていた国宝展で見ています。ボランティアガイドさんの話を聞きながら、奈良は本当に奥行きが深いと考える次第でした。歌碑があ...中宮寺尼寺らしい優雅なお庭でした

  • 法隆寺に行ってきました。御朱印帳には和を以て貴しとなすと書かれていました。

    最近法隆寺界隈をハイキングするツアーに2回も参加しました。まず藤ノ木古墳を見ました。この発掘調査をした先生の講座を聞きに行ったこともありましたことを思い出しました。橿原考古学研究所に発掘された数々の品が展示されています。門の前には魚の鯛の形をした石があり、左で踏むといいとボランティアガイドさんが言っていました。久しぶりに、法隆寺のお寺も拝観しました。金堂釈迦三尊像など見ごたえがありました。塔にささる避雷針の斧もあり、ガイドさんが熱心にご案内されていました。ここから中宮寺へ行ってきます。中宮寺も20年ぶりくらいでしょうか・・・つづく法隆寺に行ってきました。御朱印帳には和を以て貴しとなすと書かれていました。

  • 栄山寺へ  五條を歩く  柿の御土産をいただきました

    五條の栄山寺を行くハイキングに参加。五條の駅はまだ人やお店があふれて活気がありました。奈良の駅では駅前にも人気もなくお店もあってもシャッター街のところを多くみかけます。(特に吉野まで行く線)ここは明治頃は5,6千人が乗り降りする益だったそうです。旅館もたくさん立っていたそうで、まだ当時の面影を忍ばせていました。栄山寺に行きました。ここは奈良検定にもよく出るところでもあります。藤原武智麻呂のお墓があるところです。五條の駅からも遠かったですが、六角のお堂は見ごたえがありました。最後は五條市は柿の生産全国1位の市だそうです。柿工場を見学しました。御土産に柿を5つづ頂きました。おいしい柿でした。栄山寺へ五條を歩く柿の御土産をいただきました

  • 季節外れのホトトギス

    家に咲いているホトトギスです。毎年花を咲かせますが、今年は11月5日でこの通りです。やや終わりかけですが、十分楽しめます。いつもは9月末から10月くらいにかけて咲いていたのでは?今年は遅いようです。今日も一輪咲いていました。季節外れのホトトギス

  • 私の韓国ドラマ評  11月2日

    ここ数年韓国ドラマにはまって、感激したドラマ、そうでなかったドラマもありましたが、つたない感想など書いてみたいと思います。最近「帝王の娘シュベックヒャン」を再度見ましたが、内容がとっても深いと気が付きました。評価を上げてみました。ここ3年で見たドラマを上げてみますと善徳女王朱蒙太祖王建インス大妃チェオクの剣女人天下商道萬江トンイ名家の娘ソヒ海神イルジメ帝王の娘スベクヒャンソドンヨホ・ジュン明成皇后イジェマ光宗大王輝くか狂うかイ・ジェマテジョヨン金尚宮大望奇皇后太陽に抱かれた月大王の夢太祖仁祖宮廷女官チャングムの誓い風の絵師千秋大后馬医ハンミョンヘ天命シンドンイルジメ伝済衆院キムスロチャクペ風の国クンチャゴワンホンギルドンペクドンス根の深い木秘密の扉武人時代王の女王女の男イニョクの道王と私六龍が飛ぶケベク大風水九...私の韓国ドラマ評11月2日

  • 豊芦原瑞穂国  豊秋津洲 日本の国名

    この前即位礼聖殿の儀で、賢所の儀に天皇が参った折のお告げ文に豊芦原瑞穂国という日本国の古名がつかわれていました。9月も終わりですが、葛城を歩いていると、秋津という地名も残っていました。古国名には豊秋津洲と言われたこともあり、日本の古代はとんぼが飛び交う豊かで素敵な国土だったのかなと思う次第でした。秋津のあたりでとったトンボですが、小さすぎて写っていません。あれだけのトンボをみたのは、子供の時以来です。トンボがいるということは池や水が豊かにあふれていたということでしょうか。実りの秋の、栗が落ちていました。豊芦原瑞穂国豊秋津洲日本の国名

  • 金剛寺へ  川上村の風景  

    上皇、上皇后が以前来られたときに休憩に使われたという宿で昼食をとりました。村ではこの辺りがまだ活気があるのか?大峰山も近いらしく、行者の恰好をした人を見かけました。昼食を終え、バスで金剛寺へと向かいました。宿から、20分ほどで到着となりました。ひなびた田舎で、民家を見かけません。もちろん金剛寺には家がありましたが、人が住んでいるのかどうか・・・もちろん御朱印も受付はありませんでした。本堂です。脇道に自天皇の御陵がありました。宮内庁管轄です。横には神社の鳥居がありました。こんな山深いところにおられたのたと感慨無量でした。奈良は開発されているところといないところとかなりの開きがあり、ここ川上村も車がなければ住むのも難しそうなところです。ガイドさんは奈良は大阪や京都と違い半日遊んで帰るところといわれていました。和歌山...金剛寺へ川上村の風景

  • 川上村へ 丹生川上神社と金剛寺など 丹生って水銀朱のことなんですって

    9月半ばに丹生川上神社と金剛寺など行ってきました。なかなか行けないところなので、楽しんできました。つい先日行ってきた洞川温泉と方向的には一緒になるのか・・・旧官幣大社です。旧社はダムに沈んだそうで、今は新しくきれいな建物になっています。天皇が来られると、天皇の宿などに旧官幣大社は呼ばれるそうです。ダムに沈んだことをいたんで幣帛料などをいただくこともあるとか・・・いろいろ聞いたこともないお話をしてもらいました。近くの宿で昼食をとり、金剛寺へ自天皇の歴史を知りました続く川上村へ丹生川上神社と金剛寺など丹生って水銀朱のことなんですって

  • 洞川温泉を行く とてもいい天気でした。

    古い旅館「角甚」をあとにして翌日は、あたりをハイキングしました。こんなすいかもなっていました。行者の関係するお寺、龍泉寺で御朱印をいただきました。もうこんな山奥にくることがあるのかないのか・・・理厳和尚がこもっていたという岩屋がありました。写真をとったら、ここでは写真は禁止だそうで、削除しました。ころころ水というおいしいお水をペットボトルに詰めて帰途へ前日の台風とは裏腹に気持ちのいい1日となりました。洞川温泉を行くとてもいい天気でした。

  • 洞川温泉  つづき

    洞川温泉の「角甚」という旅館が私たちの泊まった旅館でした。夕食はとても豪華でした。山の中ですので、いわなの造りがついていました。食べきれない量でした。ステーキもこのあとついていて、ごちそうでした。デザートに洞川いちごがでました。数日前、新聞にのっていたので驚きです。東北や北海道がこれから出荷だそうですが、関西ではここで栽培されているようです。夏場の9月からのいちごでめずらしいものでした。甘酸っぱく、昔のイチゴというものでした。旅館を出て業者の道を歩くことにしました。つづく洞川温泉つづき

  • 行者の間に泊まる  洞川温泉

    123行者の間に泊まる洞川温泉

  • 竹ノ内街道を行く  歴史博物館に行ってきました

    竹ノ内街道の資料館にいってきました。いろいろと詳しい図録など買ってまいりました。推古天皇の宮を起点にして、堺の方まで伸びているのが竹ノ内街道古代の大道ですが、流通の中心を担ったのでしょうか。回りにはたくさんの歴史の人物の陵がありました。聖徳太子のお墓のある叡福寺前を通りました。歴史の宝庫です。竹ノ内街道を行く歴史博物館に行ってきました

  • 伊勢参り

    伊勢参りに行った折、バスツアーでよったアジサイ園です。きれいなアジサイがたくさんありました。伊勢名物赤福餅です。お伊勢さんでも御朱印していただきました。3980円の安いバスツアーでしたが、1日満喫できました。伊勢参り

  • 「名家の娘ソヒ」 2回目視聴

    ほとんど韓国時代ドラマを見てしまったので、私が一番心に残った名作「名家の娘ソヒ」を再度見ることに・・・平行して「太祖王建」と「王と妃」を見ています。夏休みは洞川温泉へ行ってきました。初めて行くところと思っていましたが、小学校のとき、男子は大峰登山、女子は女人結界の山に入れなく、近くの山に登った記憶がよみがえりました。男子だけ行者に山からつる下げられる修行をしたとか・・・当時は女子は登れない山でした。今はどうなんでしょうか。ジェンダー問題になりそうな・・・私の時代だからこういうこともあったのかとしみじみ思いだしていました。かりがね橋を通り、大原山を降りてきました。龍泉寺に行き、御朱印をいただきました。最近は御朱印帳を持ち歩いています。「名家の娘ソヒ」2回目視聴

  • 光宗大王 韓国ドラマ

    ほとんど韓国ドラマの時代物をみてしまい、2回目ですが「光宗大王」をみました。高麗国2代目~4代目の国王は兄弟同士で受け継いだようで、血なまぐさい皇位継承争いの連続でした。最後「光宗大王」が即位し、何とか既成勢力を打ち払い、王の権威を取り戻しておりました。独裁とも思われがちな孤独な国王でしたが、そうでもしないと、既得権を牛耳る特権勢力は衰えないでしょうね。歴史に残る国王として権力を掌握を一手に握っておりました。光宗大王韓国ドラマ

  • ムギ

    久ぶりに、大好きな「茶トラとはちわれブログ」をみると、ムギが亡くなったと・・・残念。邪悪な顔だけどよく見るとかわいい猫でした。ご冥福をいのります。近所にも軒下で子猫が泣いていた。お母さんねこがいつもごろごろと泣いているのが聞こえてくる。猫の寿命は11年位だそうで、野良は4年。厳しいです。ムギ

  • 「北の零年」 「わが母の記」 邦画もいいですね。

    韓国ドラマをほとんど見つくしたので、邦画を借りてきた。「北の零年」「わが母の記」の2本を借りた。特によかったのは「北の零年」でした。北海道開拓時代の厳しい自然を写し、また、稲田藩の人々が淡路島での騒動後に移住を強制され、厳しい自然に立ち向かう姿。新しい国を作ろうと廃藩置県後でも、国に対しての援助を受けず自活を続けた。悪い商人がこの状況を利用し、ただでさえも厳しい暮らしをより悪化させた。みなが理想だけでは生きていけないことを悟り、食べるために国に服従していく。おきれいごとの多い映画は多いですが、人間の弱さも見せてくれる映画でした。大自然の厳しさに加え、理想論を展開した首長が脱落、みな食べていくために、意に添わぬこともしなくてはいけない。最後、吉永小百合が豊川悦治扮するアイヌの男性との純愛はとてもよかった。結ばれて...「北の零年」「わが母の記」邦画もいいですね。

  • 昼食

    6月のとある日曜日に弥生で定食を食べました。さば定食。思っていた以上に美味でした。葛城の歴史講座は榛原の古墳についてでした。先月亡くなられた榛原出身の前橿考研の所長についても触れていました。古墳製作に使用されている榛原石の名づけ親だったそうです。私も、奈良市内で講演されたとき、空席待ちをしていたことがあり、最後に控室に入られる所長さんが目の前を通り、講演する会館の横の喫茶店に古墳ケーキがあることを知り、司会の女性買ってきてもらっていいかなといわれながら通っているのを聞いたことがあります。あそこの古墳ケーキは私もその後購入いたしました。講演での話は、佐紀楯列古墳群がGHQの占領下につぶされ、基地にされるお話でした。天皇陵かもしれないと、必死でつぶされる古墳から鉄の延べ板を電車で研究所まで運んだ先輩のお話をされてい...昼食

  • 日本人のすばらしさ

    この前は春日大社の講座に行ってきました。「日本人のすばらしさ」というタイトル。半分寝ていましたが、春日大社本殿内の見学付でした。摂関家の女官が奉仕する控えの間などみせてもらいました。なかなか入れないところを見せてもらいました。以前もこの講座では工事中であった、4宮の祀る社殿を見せてもらったこともあります。また写真もアップしました。日本人のすばらしさ

  • 葛城のを歩く

    123葛城のを歩く

  • 今に残る竹ノ内街道沿いを歩く

    6月最後の日曜日に仁徳天皇陵をめぐるハイキングに参加しました。竹ノ内街道を通るということでいたので、参加しました。今は面影もないですが、昔は官道だったようです。文化を伝達する大道最後は大泉公園というところでお弁当です。きれいな公園でした。レクリエーション会というところに参加したので、ゲームタイムがあったのは驚きでした。おっちゃん、おばちゃんがこののっぱらでゲームです。仁徳天皇陵と、竹ノ内街道を満喫の旅となりました。今に残る竹ノ内街道沿いを歩く

  • 令和最初 橿原神宮を行く

    5月のとある日曜日に御朱印をもらいに橿原神宮へ行きました。畝傍山を前にして、橿原神宮があります。裏手には神武天皇御陵があります。人影もまばらでした。御朱印は若い巫女さんが書いて下さいました。こちらは京都御所からの移築した建物だそうです。ちょっと足を延ばして、皇極天皇のころに築いた巨大ため池跡に行ってみました。今はこの一角しか面影は残っていません。ため池があったところの堤あとです。この堤の前に大伴氏が神武から賜ったといわれる築坂邑ではないかといわれている、碑がありました。堤前の公園で20個ほどよつばクローバー、五葉クローバーを摘むことができました。この年でよつばのクローバーを見つけたのは初めてでした。令和に良いスタートとなりました。令和最初橿原神宮を行く

  • 続き 鶯塚古墳

    石碑もたってました。下に降りてソフトクリームを買うと、店先で扉を頭で開けて入ってくる鹿をみました。驚いていると、店の人は慣れたもので、鹿に対応していました。いつものことなのでしょうね。若草山の中腹でもたくさんの言語がとびかっておりました。中国語、韓国語、東南アジア?本当インターナショナルでした。続き鶯塚古墳

  • 若草山からみた奈良の風景

    ゴールデンウィークに若草山に登りました。母が毎年わらびを取りに来ているので、今年は仲間が年齢的にしんどいらしく、私が誘われました。わらびも最後の方でしたが、まばらにちらほらありました。若草山から見た東大寺と奈良の市街地驚いたことに山の上にも鹿がいました。こんなところにまでくるのかと・・登ってみて結構しんどいです・鶯塚古墳です。若草山山頂にある、だれの墓かはわかりませんが、こんなすてきな景色の中にあるなんて・・・奈良が大好きな人だったのでは・・・しばらく、わらび料理が続きました。若草山からみた奈良の風景

  • 「王と妃」2回目

    韓国時代ドラマも一巡してしまい、「王と妃」は2回目ですが、現在視聴中。幼い王から王座を奪いながらも、自分の息子は報いからか、短命に終わり、弟の方に王座がいくところまでを見ています。幼帝から王座を奪いとるという、その上に毒薬ではなく絞首刑で幼帝の命を奪うというすごいお話となっています。韓国の歴史がよくわかる展開となっています。幼い王は大臣たちに利用されやすいことはありますが、私が思うに、キムジョンソンという忠臣がいなくなったことで、幼帝の運命も決まってしまったような・・・キムジョンソンを生かしていれば、彼は玉座は狙えないので、20歳になる成人まで彼の権勢を我慢して、大人になってから王としてのの政治を行えばよかったのでは・・・あまりにおじさんである首陽大君を信じすぎていて、裏切りがひどすぎました。身内同士の裏切りな...「王と妃」2回目

  • 海龍王寺 隅寺を行く

    法華寺のあとは海龍王寺へ歩いてすぐのところにありました。バスでは通ったことがありましたが、ここの壁がはがれて、古寺の印象が強かったのですが、壁が修復されていて以前のひなびた風情の方が味はありました。ここの西金堂が創建当時からあるもので、五重小塔は国宝のようです。こちらが本堂御朱印をしていただきました。妙智力とかかれていました。雪柳のお寺だったか?まだ季節ではなくこでまりが迎えてくれました。ここが土師氏が最初住まいとしていた家当たりで、藤原不比等がその後住んだとされています。海龍王寺隅寺を行く

  • 法華寺の庭  カキツバタがきれいでした

    お庭は広く、日本庭園には木々の緑でにぎわっていました。カキツバタが満開奈良検定では法華寺はカキツバタの寺だった?御朱印をいただきました。以前来たときはカキツバタの時期でなっく、庭園が開いていませんでしたが、今回は花の寺(カキツバタ)を満喫でした。光明子の家の敷地であったというこのお寺は当時はもっと広大だったようで、正門前の駐車場あと地などもっとあったようです。藤原不比等の家ですから、長屋王と並ぶぐらいの一等地であり、広大な敷地だったのでしょうか。法華寺の庭カキツバタがきれいでした

  • 法華滅罪寺 「法華寺」のカキツバタがきれいでした。

    ゴールデンウィークークは法華寺に行ってきました。令和に改元され、初めての御朱印も書いてもらいました。門が毅然としていました。光明子が天然痘患者の体をふいてあげた、唐風呂があまだあります。お庭が解放されていましたので、足を延ばしてみることにしました。続く法華滅罪寺「法華寺」のカキツバタがきれいでした。

  • 逆賊 ホンギルドン

    痛快で面白かったです。ギルドンの父であるアモゲ役の存在感がすごかったです。奴婢から、主人を殺すまでの、さげすまれた生活や人間としての誇りとの葛藤、妻を亡くしてからとうとう、主人を殺し、奴婢の証書を燃やし、たどり着いた町である程度の地位と生活を築く・・・子供ギルドンが大きくなり、それからがまた、波乱万丈でした。1つ前のホンギルドンは最後が悲劇でしたが、こちらはそうでもなく、楽しめました。逆賊ホンギルドン

  • アフタヌーンティー  北浜

    北浜のアフタヌーンティーにゴールデンウィークに行ってきました。すごい人で、ようやくテーブルについたのは3時間15分も待ってからでした。それでもケーキはさすがにおいしかったです。紅茶はエリザベスガーデンをチョイスしました。英国人の散歩道という紅茶も気になりましたが・・・生クリームにあうとかいていたのでエリザベスガーデンにしました。三段重ねの英国風プレートで食べるのは初めてでした。サンドイッチはこぶりに切っていましたが、ケーキ、スコーンも食べるのでちょうどいいか多い位でした。スコーンは種類があり、2種を選択できます。かぼちゃとオレンジを選びました。ケーキ、タルトから好きなケーキを選べます。木の実のケーキにしました。おいしいソースがたっぷりかかり、大きなケーキでした。アフタヌーンティー北浜

  • 「イ・サン」 見ごたえありました。

    韓国ドラマ「イ・サン」を見ました。母が名君のお話で大好きだそうですが、私は見るのは初めてでした。長いストーリーでしたが、楽しめました。絵描きの娘と、王さんとの子供時代からの結びつきは、固く、離れていた期間も長い二人でしたが、最後は王様の愛にこたえられて、身分の隔たりは厳しい二人でしたが、彼のひたむきな愛にこたえて強くなっていくソンヨンでした。いいお話でした私の韓国ドラマでは20位以内に入ります。令和になり、さまざまな儀式を見るにつけ、日本の歴史は古く、伝統を引き継いでいる皇室があることを誇らしく感じました。「三種の神器」の八咫鏡は内行花文鏡だとか・・・私の好きな鏡でした。。。それにしても、さまざまな博物館にある一般的な鏡ですが、神器に選ばれた鏡はその中でも格別のものなのですか?誰も見たことがないそうですから、憶...「イ・サン」見ごたえありました。

  • 榛原の桜

    榛原に行った時の桜の写真がまだありました。さくらさくらさくら八分先位でしたが、つぼみの桜のほのかなピンク色もいいものです。榛原の桜

  • 「猟奇的な彼女」

    「麗」と共通するミルクっぽいドラマでした。見ていると楽しくなり、若向けどらまでしたが、はまっていました。主役の男性のりりしいこと・・・男前でした。最近の韓国ドラマは男前が多いです。「猟奇的な彼女」

  • 阿紀神社へ H31.4.7

    又兵衛桜を見に行った折、阿紀神社にもよってみました。式内郷社という由緒ある神社です。奈良検定にも何度か登場しています。天武天皇が吉野に行く際、立ち寄った場所の近くにある神社です。落ち着く場所にありました。本来はもっとこちらの高天原の方にあったそうですが、場所を移しているようです。近くにある高天原の由緒書きです晴れ渡ったよい春の日でした。阿紀神社へH31.4.7

  • 又兵衛桜  H31.4.7

    榛原の駅前から出発して、又兵衛桜を見に行きました。まだ7分咲だそうですが、きれいでした。10日の雨と風でどうなったでしょうか。今を盛りの🌸でした。クラブツーリズムやそのほかのツアーの人でたくさんにぎわっていました。以前行ったときはもう終わりかけで残念でしたが、今回は松山地区の西口関門や阿騎神社など回り、最後は又兵衛桜の桜を楽しみました。晴れ渡った空で気持ちのいい一日でした。又兵衛桜H31.4.7

  • 御所市へハイキング3

    ヤマトタケルの墓といわれている墓を通り、このハイキングで一番行きたかったのは掖上カンス塚古墳です。葛城氏の一族玉田氏関係の墓ではないかということです。水鳥などのめずらしい埴輪もでている古墳です。大きな古墳でした。周りは田舎の風景を残すところでした。1000年以上をこのまま変わらずの姿なのかと考えると、よく奈良の人は古墳を大事に守っていることがわかります。つくしなどを摘んで田舎の風景を楽しみながら国見神社へここでもぜんざいの接待をうけました。神社からは国見神社の歴史などを宮司さんから説明をうけました。粟餅をいただきました。あぶって、しょうが醤油でたべました。以前国見神社の背後にある神武が登り、この御所市を見下ろしたという国見山があります。以前登ったので今回は省略です。こののちは掖上の水平社を通り、御所市へと帰途に...御所市へハイキング3

  • 今城歴史博物館 久々に行ってきました

    今城歴史博物館に行ってきました。橿原文化財研究所博物館は最近工事中で講座もしていないようです。(橿原市のハイキングガイドのボランティアの人が新沢千塚古墳の耳飾りなど東京方面に行ってしまった貴重な文化財の返却をしてもらうため2億円をかけて博物館を改装したが、文化財は帰ってこないようだと言っていたことがありましたが、今回の改修工事のことだったのか?)大阪にも古代史講座をしている博物館はあるのです。「古代史から見た紀氏と倭王権」でした。紀氏というのは国造となった一族、奈良時代貴族となった一族、紀角宿祢からはじまる一族などある。宿祢と名がつくのは国造一族、後の奈良貴族の紀氏とはどちらなのか不明なものを宿祢という名前にあてているのでは?ということだったか?氏というのは必ずしも血族的な集団を表すものでもないそうです。その点...今城歴史博物館久々に行ってきました

  • 「令和」という新元号

    律令の令なのできりりとお堅い印象を持ちましたが、万葉集の内容をよんで、しっくりとしていていい元号だと思いました。長い冬があけて、待ちわびた初春の穏やかな春の宴の風景や、和やかな歌会の風景が連想される元号なんですね。当時、梅が中国から入ったばかりで、梅花のもとでの酒宴って新しいものだったそうなので、未来に託したこれからの世代に希望を持ったいい元号となるのでしょう。今の天皇は平成天皇になるのでしょうか?「令和」という新元号

  • 御所市へハイキング2

    ぜんざいもいただきました。時間を決めて市の職員から宮山古墳について説明がありました。私も質問などして、いつもは奥手なのに古墳の話になると聞きたいことがいっぱいでてきました。宮山古墳からしばらく歩くと、巨勢古墳群に到着しました。入れる古墳があり、入ってみました。人が1,2人は入れるほどの広さでした。まだまだ奥は600基の古墳があるそうです。しばらくするとジョウウル古墳です。ここからヤマトタケルといわれている陵墓を通り、掖上カンスヅカ古墳の道へ・・・一番行きたかった古墳です。奈良の田舎道はとても懐かしさを感じました。御所市へハイキング2

  • 御所市へハイキング  たくさんの接待をうけました。

    御所市市制60周年の記念ハイキングに参加。たくさんのご接待を受けました。ハイキングコースは、野口神社、宮山古墳、巨勢古墳群、ヤマトタケルの陵、掖上カンス塚古墳、国見神社などなどとなります。野口神社では祭りでしかみれない珍しいものを飾っていました。汁かけ祭りのある神社です。宮山古墳の近くで焼きそばやぜんざい、写真のような巾着のおかずなど振る舞われ、餅つきもしていました。もちつき巾着のおかず(中はたくさんの具でできていました)クッキーもいただき、たくさんのご接待でした。宮山古墳についての、解説などもあり、いたれりつくせりでした。宮山古墳は何度も行って、上れる古墳でもあります。石棺が丸見えで、あのような形で見れる古墳は珍しいのですが、葛城の首長墓クラスの墓ということでした。もちろん断定はできないので、推定されるという...御所市へハイキングたくさんの接待をうけました。

  • 奈良ぶらり

    ようやく春の陽気になってきたので、奈良の興福寺界隈を歩いてみました。相変わらずの観光客の数。中国人が圧倒的でした。電車の中もほとんど外国の人で満員で、日本人が立っている光景をよくみます。私も鶴橋まで3,40分の間電車で立つことが何度もありました。結構しんどいですが、観光客が来てくれるのはうれしいことです。興福寺南円堂の横の売店で御朱印帳を買いました。今回は牡丹唐草模様?の赤色です。南円堂前の法句経です。奈良ぶらり

  • ケーキバイキング  イチゴフェア

    昨日はホテルニューオータニ大阪にあるケーキバイキングへと行ってきました。いちごフェアの期間で、あまおう、さがほのか、等の種類のいちごをおなかいっぱいい食べました。🍰も当分は必要ないぐらい糖分を吸収しました。ケーキの種類も多く、生クリームは濃いミルク味です。サンドイッチや唐揚げもあり、男子の姿も多かったです。この皿で2杯いけました。いちごは2皿もりましたが、1皿半たいらげ、食べるのを手伝ってもらいました。ケーキバイキングイチゴフェア

  • 「麗」 王子様8人を取り囲む恋愛物語

    若い子向けのドラマとして作られているようですが、楽しめたドラマでした。過去の光宗王の高麗時代にタイムスリップした女の子が、8人の王子との間に繰り広げる恋の話でした。女の子は一人の王子「ソ」を愛したのですが・・・イジュンギさんがとても男前でWikiを見ると、日本でバイトしていたこともあったとか親しみを持ちました。いいドラマでした。「麗」王子様8人を取り囲む恋愛物語

  • 推奴

    愛憎まみれた大人の恋愛事情でした。女性のヒロインがすごく美人でした。私の韓国ドラマランクは上位に来るドラマでした。ただ日本で放送されなかったのはそれなりの事情があったのかなと・・・描写が・・・ヒロイン女性(奴婢)と若いころ大恋愛をした両班の男性二人は引き裂かれ、男は顔に傷を持つ身に・・・女性に対して愛憎まみえる感情をいだきつつも、奴婢の逃亡者を追いかける仕事をしながら愛憎まみえた女性を追いかけるはなしでした。でもすごい愛情をもって彼女をさがしていたのだと、後で知りました。まだ最終回までいっていないのですが、すてきな男女のお話です。推奴

  • チョコレート

    チョコレートをいただきましたかわいいのでアップします。ケーキの形をしたものです。飾っておきたいくらいのかわいらしさすぐ食べてしまいましたが・・・チョコレート

  • 葛城の麓を行く H31.2.9

    4世紀後半以降、高句麗の南下にともない、動乱の時代となる。昔河内湖があったところは塩田で耕すのには難しい場所であったのではないか?農産物は塩害でやられてしまうのでは?既成の伝統的豪族がいなかったこともあって、古市や百舌鳥古墳群のあたりは朝鮮半島出身の技術集団などがいたのでは?百済に戦の援軍を送ったのは、日本が百済の配下であったような講座も多くあったのですが、この講座では、朝鮮半島の高度な技術(特に鉄)の技術の見返りに軍隊として援軍を送っていたとされていました。葛城王権の権力者である、葛城王の墓、宮室山古墳は国の力がないと200メートル級の古墳は個人の力では築造は困難ではないか?葛城王権の王は大和王権からの派遣された人であったのか?最古の国道である竹ノ内街道はその初期の形は縄文時代からあったそうである。推古天皇の...葛城の麓を行くH31.2.9

  • 「チャンシビン」

    前に見たチャンオクチョンと同一人物のお話でしたが人物描写に雲泥の差がありました三大悪女らしいのですが、「チャンオクチョン」は愛に生きた女性でしたが、今回の「チャンシビン」は悪女中の悪女ですくい用がありません。最後毒を賜るときでも、息子と一緒に死ぬことに執着息子は世子なので、まさか死なせはしないが、最後助かるのぞみで言っているのだ。呆れ果てる・・・押さえつけられて毒を飲ませられるいうみじめさ・・・一度は王妃になった人なのだから威厳のある死を選ぶべきものを・・・何ともあわれで滑稽でした。「チャンシビン」

  • 飛鳥寺へ  冬空が寒い

    飛鳥寺へ到着前にバス停があったので、ここから橿原神宮駅まで帰ることに。時間があったので飛鳥寺周辺を散策長い歴史のあるお寺です。寒い冬空で冷え切っていました。飛鳥寺から見た、裏の風景。安倍文殊院から4キロくらいです。なんとか駅に無事到着。遅くなりましたが、無事帰途へ飛鳥寺へ冬空が寒い

  • 飛鳥を歩く  安部文殊院~山田寺跡~飛鳥寺

    安倍文殊院を行ってきたついでに山田寺跡に足を延ばそうとハイキングしてきました。山田寺跡は以前も吉野口から桜井を歩くコースで歩いていますが、とっても印象に残ったお寺の跡地だったのでついでによってみました。金堂、塔、回廊があったであろう跡もありました。悲劇の大臣蘇我倉山田石川麻呂の思いに感慨無量でした。乙巳の変では中大兄皇子とともにクーデターを起こし、政権奪回をしましたが、天智天皇と何があったのでしょうか。自刃に追い込まれた宰相でした。大きな氏寺でした。ここには元明、元正天皇ももちろん来ていたのでしょうね。飛鳥を歩く安部文殊院~山田寺跡~飛鳥寺

  • 葛城山の麓を行く  H31年1月19日 

    土曜日に「ワカタケル大王と葛城」という題の講座を聞きに行ってきました。楽しい話でした。葛城山はワカタケル大王の狩場であったことは古代の資料でもわかっています。葛城でワカタケル(雄略)は同じ格好の一行に逢い、高取川まで送られて帰った話などいろいろ葛城との関係性があった話が伝わっています。大王家と葛城氏は葛城そつひこがヤマト王権の対外交渉を担った。その娘岩の姫が仁徳の皇后になった。継続して天皇家の外戚としてその地位を維持した。大王と葛城氏の大王政権である。紀氏との連携で、朝鮮半島からの人とモノ(鉄の原材料など)を独自に受け入れるために、吉野川ルートが整備されたらしい。葛城王権の初代(そつひこか?)の次の世代には掖上地域と葛城山麓に王墓を移した。100メートル級に縮小している河内平野ルート(橿原市大県からの鉄素材の供...葛城山の麓を行くH31年1月19日

  • おめでとうございます

    新年おめでとうございます。本年も食べ歩き、ハイキングなどたくさん写真を載せていきたいと思っています。4日の日は夕日が浦までかにを食べに行きました。2杯分いただきました。天橋立も久しぶりにいってきました。端まで歩く時間はなかったけど、途中まで歩いてリターンしてきました。寒い日でしたが、無事戻ってきています。本年は5月に10連休あるので、またあちらこちらと彷徨してみたいとおもっております。おめでとうございます

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