初なつの 小径に咲くは 山紫陽花 清く可憐な少女のように
初なつの 小径に咲くは 山紫陽花 清く可憐な少女のように
新しい ノートに記す 第一首 やや肌寒き五月の朝に
ほめるより 認めることが 大切と 知った教職四十五年
わたしには マイナスだった ふるさとが プラスにに転じる七十過ぎて
またいつか 歩いてみたい 梅雨時の 墨田の花火咲く公園を※墨田の花火・・・紫陽花
野辺に咲く 名も無き花も いいものだ すべての花に上下は無くて
つまらない 歌と言われた こともある それでも詠う生きてる証
体調が 良好ならば またいつか ランチしようよ仲間四人で
体調が 良好ならば またいつか 旅に出ようよ仲間四人で
ヒメジオンの 白き花咲く バス停で しばし待ちます風に吹かれて
小田急は われにとっての 青春か 相模大野も下北沢も
それとなく 浮かんできます 次々と ふるさとの山ふるさとの川
窓からの 青き秩父の 山を観て 高鳴る胸をおさえしずめる
ギター手に 友と歌った アパートで「遠い世界に♪旅に出ようか♪」
さて昼は 生姜焼きかな ハムエッグ 自由気ままに献立立てる
緑陰の ベンチにすわる 日曜は ほのかに染まるアジサイ色に
埋め込んだ ペースメーカー 刻々と 生かしてくれる今のわたしを
喫茶での エスプレッソの 一杯は 砂糖たっぷりかき混ぜかき混ぜ
日曜の 雨降るあとの 草取りは 団地の皆とちからを合わせ
ポジティブに 歌を詠もうと 思います 五月の風を部屋に呼びこみ
自由なる 日々を夢見て 上京し 上野の駅に立ったわたしは※50年前
紫陽花に 音無き雨が 降りしきり 目にてあざやか白やピンクが
このところ 自炊はじめて 早十日 オチャノコサイサイ目玉焼きなら
夏近し 前を見つめて 歩きます 一歩一歩に力をこめて
ストローで アイスカフェ・オ・レ 吸いながら 一首浮かべばノートに記す
ふるさとの ことを語りし このわれに うなづく友のありがたきかな
ウグイスの 初鳴きを聴く 木道の 雪まだのこる玉原湿原・群馬県玉原湿原
飛び出して 自由自在に 旅をする スペイン・イタリア・ポルトガルまで※願望として
まっすぐに 前を見ていた それだけで しあわせだった十八の春
はめもせず けなしもせずに もくもくと 育ててくれた亡き両親は*課題の分離を貫く
十年を かけて二万と 四千首 毎日詠う自由気ままに
無理をして 詠むことは無く ノート閉じ ただぼんやりと秩父を望む
起き抜けに 麦茶一杯 飲み干せば 今日がはじまるはつ夏の朝
わが胸に 雨を知らせる 紫陽花の 白き花咲く並木通りは
曇天の 週末それも いいものだ 沈思黙考ひとりの時間
ふるさとは ひかりと影の 中にあり それでも浮かぶひかりのかけら
青春は ひかりと影の 中にあり それでもつかむひかりのかけら
コーヒーと ベーコンエッグに トーストと いつも変わらぬわがモーニング
とき号に 乗って上京 十八の われは上野の駅に降り立つ*50年前
あじさいの 花の芽紅く 色づいて 雨を待ちますはつ夏の雨
われ思う ゆえにわれあり デカルトの ごとき思索の午後のリビング^_^
紫陽花の 小道をあゆむ 野良ネコの プーの面影胸にしまいて
柏葉の 紫陽花白く 色づいて 初夏を知らせる五月の二十日
友からの 返信LINE とどき来て ホッと安心初夏の空見る
咲き初むる 山あじさいは パチパチと 天に向かって花火のように
あらためて ジェノサイド知る 信長の 一向一揆殲滅作戦※NHK BS 英雄たちの選択 長島一向一揆を観て
ふるさとの メロディー流れ 嗚呼今日も 平穏なりしひと日を終える
コーヒーの 最後のひとくち 飲み干すと こころが晴れる曇天なれど
めずらしく 十首浮かんだ 曇天の 月曜午後のリビングひとり
校長に 口頭注意 受けました 職員室でのカップラーメン※1970年代
やわらかな 木々のみどりが 目にしみる 玉原湿原木道あゆめば※群馬県玉原湿原
家事こなす ひとつひとつに 意味がある 禅宗僧侶の気持ちになれば
ありがとう きみらと出会って 人生の 春がはじまる豊かな春が※教職の新任着任を振り返る
家事こなす ひとつひとつに まごころと 愛情込めるしあわせな時
ランチにて たまには行こう 街中華 レバニラ、餃子、スープも添えて
玉原の 湿原抜ければ ブナ林 淡いみどりがひとみにしみる※群馬県玉原湿原
水芭蕉 咲いているのか ハイキング 仲間とともにあの湿原へ*群馬県玉原湿原
つまらない 歌と言えども 読者あり わたしは詠うブログに載せて
雨の日は 胸にしみいる 音楽を ポールモーリア「恋は水色」
雨の日は 静かに本を 読みながら かならず添えるホットコーヒー
立ち止まり シャッターを切る 三色の しあわせ運ぶ矢車の花
三色の 矢車菊の 咲く庭を 散策します午前六時に
熊谷に 大温度計 夏の陣 猛暑売り込む地方の都市は※埼玉県熊谷市
手際よく 朝食つくる トーストと ベーコンエッグにサラダを添えて
静かなる 個室でひとり 新聞を 朝の楽しみコーヒー添えて
わが友は その後どうして いるでしょう 教えてほしい五月の風よ
さわやかな みどりの風が 吹きぬけて われは目覚める二十歳の頃に
水芭蕉 咲いているかな 週末は 仲間とともに湿原あるく
新しい 世界が見える キャンパスの 螺旋階段登り終えると
カサカサな こころを癒やす ハイドンの 皇帝を聴く曇天の午後
もう一度 行ってみたいな 欧州に 五月の空を仰ぎみながら
システィーナ 礼拝堂に 描ききる 芸術バカのミケランジェロは※天地創造と最後の審判
ふるさとの 小学校歌が よみがえる「みどりはひろやか♪のぞみはおおらか♪」
穏やかに ギガンテウムの 花の咲く 五月八日の公園隅で
薔薇の咲く 駅前通りに わたりくる あまくすがしき五月の風が
検診を 終えて玄関 出てみれば ネモフィラの咲く風に吹かれて
さて今日は 心臓定期 検査の日 しっかり動けペースメーカー
世の無常 感じてなおも 生きていけ 今日の運勢巳年のわれは
運勢と 四コマ漫画に 目を通す 朝刊裏面いのいちばんに
トーストに ハムやサラダを 乗せて食う もちろん淹れたてコーヒー添えて
雨上がり 五月の風を 呼びこめば コーヒーかおる朝のリビング
オンライン カジノの規制 するならば どうするのかな?大阪カジノは
ポジティブに 歌を詠えば ポジティブに こころの揺れる五月の空に
向日葵の つぼみのように 伸びていく 今も青春気持ちはいつも
ありあまる 髪をバッサリ バリカンで 刈り上げ刈り上げスポーツ刈りに
しょうぶ湯に 浸かりて邪気を 追いはらう 五月五日の前日夜に
ドリップに お湯を注げば かおり立つ 春のブレンドモーニングカフェ
ふるさとの 実家の庭の すずらんを 想い浮かべる五月になると
どことなく シャンゼリゼのごと 風が吹く 五月の銀座ぶらぶらあゆめば
今朝もまた 真白き富士を ながめ見る さやかな風の五月の三日
優しさを あつめてかおる ジャスミンの 白き花咲く雨降る五月
おしゃべりが とても上手な ネコでした 薔薇を手向けるプーの遺影に※5月2日 愛猫の命日
雨降れど 薔薇の花咲く 野良ネコの「プー」の命日五月の二日
上野駅 降りてわたしは 飛び立った 未知の世界へ夢の世界へ※50年前
このところ 検査結果の 良好で じっと見つめる五月の空を
あまりにも さやかなみどり 美しく 散歩に出ます五月一日
教職の なり手無きこと 分かります それでも続けた四十五年
空青き 五月一日 カフェに入り ぐっと飲み干すアイスコーヒー
このところ 快調なりて 草取りを 小さな庭の隅から隅まで
劣悪な 労働だった 教職は 五月一日メーデーにつき
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初なつの 小径に咲くは 山紫陽花 清く可憐な少女のように
新しい ノートに記す 第一首 やや肌寒き五月の朝に
ほめるより 認めることが 大切と 知った教職四十五年
わたしには マイナスだった ふるさとが プラスにに転じる七十過ぎて
またいつか 歩いてみたい 梅雨時の 墨田の花火咲く公園を※墨田の花火・・・紫陽花
野辺に咲く 名も無き花も いいものだ すべての花に上下は無くて
つまらない 歌と言われた こともある それでも詠う生きてる証
体調が 良好ならば またいつか ランチしようよ仲間四人で
体調が 良好ならば またいつか 旅に出ようよ仲間四人で
ヒメジオンの 白き花咲く バス停で しばし待ちます風に吹かれて
小田急は われにとっての 青春か 相模大野も下北沢も
それとなく 浮かんできます 次々と ふるさとの山ふるさとの川
窓からの 青き秩父の 山を観て 高鳴る胸をおさえしずめる
ギター手に 友と歌った アパートで「遠い世界に♪旅に出ようか♪」
さて昼は 生姜焼きかな ハムエッグ 自由気ままに献立立てる
緑陰の ベンチにすわる 日曜は ほのかに染まるアジサイ色に
埋め込んだ ペースメーカー 刻々と 生かしてくれる今のわたしを
喫茶での エスプレッソの 一杯は 砂糖たっぷりかき混ぜかき混ぜ
日曜の 雨降るあとの 草取りは 団地の皆とちからを合わせ
ポジティブに 歌を詠もうと 思います 五月の風を部屋に呼びこみ
あたたかな 返歌のありて それだけで こころ満ちたる五月の夜に
キャンパスの 芝に寝ころび 無邪気にも 未来をたくす5月の空に・二十歳の頃
デカルトも カントもルソーも 哲学が ただの鉄学わたしにとって
あの頃は ただひたすらに 働いた ブラックなんて考えもせず
この朝は 詠う意欲が 湧いてくる ブログコメント返歌のありて
縄文か 弥生かわれは 何人か ルーツを探るかがみを眺め
お話が とても上手な 愛猫の「プー」の遺影に薔薇一輪を
肯定も 否定も無くて 定例の 職員会議約一時間現役の頃
半熟の ベーコンエッグと トーストに コーヒー添える5月の朝は
曇天の 淡いピンクの 紫陽花に ひと声かける「素敵ですね」と
読み解くは 世界歴史の メカニズム 喫茶の隅でコーヒー添えて
忘れない 一度読んだら 絶対に そんな思いで歴史書を読む
呼びかける 今日もいちにち 穏やかに 咲いて恥じらうガクアジサイが
新たなる 気分で記す 歌一首 買ったばかりの白きノートに
しあわせは とてもシンプル 友からの「いいよ!そうだよ!だいじょうぶだよ!」
ブラームスの 小径抜ければ カフェがある「フランソワーズ・サガン」のカフェが・東京新聞のコラムより
モーツァルトの 五月の空が 広がって 深く息吐く午前五時半
安らぎを 与えてくれる かしわばの 白き紫陽花道行くわれに
紫陽花の 花の芽さらに 色づいて 扉を開けるはつなつの風
義務として 参加していた 宴会の 締めはひとりのコーヒータイム