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  • 『ギルティ』

    新宿武蔵野館にて。デンマーク映画。警官のアスガーは、ある事件がきっかけで現場を退くこととなり、緊急通報室のオペレータとして、事故現場に警官を派遣するだとか急病人の緊急搬送を手配するだとかいった、細々した事件に応対する日々を過ごしていた。だが、そんなある日、「いままさに誘拐されており、犯人の目を盗んで電話している」という女性からの通報を受ける。アスガーは、電話からの声と音だけを手がかりに、誘拐事件を解決しようと試みるのだが…!

  • 『センスは知識からはじまる』/水野学

    よく、芸術的なセンスがある、ファッションのセンスがいい、仕事のセンスが優れている、などといった言い方で、「センス」というものが取り沙汰される。大抵の場合、それらの発言には、センスの問題では仕方ない、それは生来のものだから、感覚的なものだから、勉強でどうにかなるものじゃないから…といった諦めのような感情が内包されているものだ。 が、そのようにセンスというものを捉えるのはまったくの誤りである、というのが本書の主張である。まず、水野はセンスを「数値化できない事象のよしあしを判断し、最適化する能力」と定義づける。そして、センスは、生まれ持った才能などといったものではなく、知識量をベースとして自分自身で…

  • 『読書術』/加藤周一

    加藤周一による読書術本。50年ほど前に書かれた本だが、古びていないどころか、最近乱立気味のこの手の本のなかでも、これよりまとまっていたり独創的だったりする本はほとんどないだろう、という印象だった。速く/遅く読む方法、本の選び方、本を読まない方法などなど、読書していると気にかかってくる種々のことについて、一通り取り上げられている。

  • 「狂人日記」/ニコライ・ワシーリエヴィチ・ゴーゴリ

    「狂人日記」は、九等官の中年男、ポプリーシチンという人物の日記という体裁をとっている。一人称の語りのみで、全編が構成されているのだ。ポプリーシチンは、ゴーゴリ作品の主人公らしく、自分(の社会的地位)に自信がないために、卑屈な態度と尊大な態度とが激しく入れ替わってばかりいる、超自意識過剰で不安定な性格の持ち主である。だから、「日記」の文章には、ただの自意識過剰なおっさんが少しずつ「狂人」と化していくさまが描かれていくことになるわけだけれど、彼は、役所の長官令嬢の飼い犬が人語を話し、手紙を書いている、などと妄想するところから始まって、ついには自分は不在のスペイン王、フェルジナンド八世だと信じ込むまでに至ってしまう。

  • 『頭のよさはノートで決まる』/齋藤孝

    頭がよくなりたければノートを書け!と煽りまくる齋藤のノート術本。俺自身、昔からノートやら手帳やらを大量に使ってきたノート大好きマンであるので、なかなかたのしく読めた。齋藤の主張は、「いつでもノートを持ち歩くこと」、「何か物事について思考しようというときには頭のなかではなく、必ずノートに書き出してみること」、「本もノートと同様と考え、書き込みをして3色ボールペンで整理すること」、「要点は3つにまとめること」…などいろいろなのだが、いちばん肝となっているのは、「事実(=「客観」)をノートに記しているだけではダメ。自分の考え方や感じ方、疑問、経験知とのリンクなどといった「主観」についてこそ積極的に書いていくべきだ」、という点だと言えるだろう。

  • 『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』/松尾豊

    「人工知能」という用語は一般に広く用いられているけれど、現時点では、人間の知能の原理を解明し、それを工学的に実現する、というような意味での人工知能は、まだどこにも存在していない。昨今の製品やサービスでよく言われている「人工知能」というのは、あくまでも人間の知的活動のある一面を真似したという技術に過ぎないのだ。 とはいえ、2010年代以降のディープラーニングの研究や、シンギュラリティが間近であるという言説、人工知能に仕事が取られるだの取られないだのといった風評など、ここ数年はこの分野の話題には事欠かない状況が続いている。本書は、そんな人工知能研究の歴史と今後の展望とを簡潔にまとめたもの。2015年の本なのでもうちょっと古いけれど、前提知識ゼロでも読み進められるので、入門書としてちょうどよい一冊だ。

  • 『夜間飛行』/アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ

    訳者の二木麻里は、「解説」中で、サン=テグジュペリの資質を指して、「無言の領域で豊かに語る、本質的に寡黙な詩人」と述べているが、本作でも、まさにその寡黙さが全編を覆い尽くしていると言っていいだろう。リヴィエールをはじめとする登場人物たちは、ほとんど狂気にも近いような渇望や熱情、何としてもこれをやり遂げなくてはならない、という迸るような衝動を抱えているようなのだけれど、それらがはっきりと表立って描写されることは決してないのである。また、人物の書き込みのみならず、各場面の描写も全体的にあっさりとしており、そのせいか、作品世界の全体が、人間の肉々しさ、生々しさから遠く離れているように感じられる。ある種、観念的、神話的な世界観だと言ってみてもいいかもしれない。

  • 『知的トレーニングの技術 [完全独習版]』/花村太郎

    「世界の動きが「読める」ようになりたいし、人生を「意味づける」ことができるようになりたい」人のための、「自分なりに世界の知を獲得するための素朴なカリキュラム」としての知的トレーニング、独習術について語っている一冊。 なので、「自分の全生涯にわたる知的プランをできるかぎり明確にしておきたい」(p.24)とか、かなり無茶なことも書いてあったりするのだけれど、じっさいに本書で花村が行っているのは、南方熊楠や本居宣長や森鴎外、ヴァレリーやシュリーマンやレーニンといったレジェンドたちの学習法をネタに、知的トレーニングに関するさまざまな方法を紹介し、それに関する自らの意見をちょこちょこと開陳していく、という程度のものだ。正直、そこまでおおげさなトレーニング方法が語られているわけではない。まあ、読みものとしてもたのしめる、思考法のカタログ、というくらいに捉えておくのがよいだろうとおもう。

  • 『本は10冊同時に読め!――本を読まない人はサルである!生き方に差がつく「超並列」読書術 』/成毛眞

    お金に支配され続ける「働きアリ」ではなく、自分の頭で考えて行動する「クリエイティブ・クラス」になれと説く、成毛眞の自己啓発/読書術系エッセイ。本を読まない人は人と同じことしかできず、真に成功することはできない、だとか、本を読まない者はサルである、とか、一流の経営者で本を読んでいない人間などいない、とか、とにかく口が悪いというかばっさりやりがちなのが芸風の成毛だけれど、とにかく実績があるということと、物言いが潔いところが魅力的で、本書も(内容は濃くはないけれど)なかなかたのしく読むことができた。 本書で提唱されている読書術というのは、「隙間時間をできるだけ活用し、たくさんの本を平行して読むこと」「なるべく自分の仕事とは離れた分野の本を読むこと」、まあそのくらいだと言っていい。だが、これらをきちんと実行し続けることに大きな意味があるというのは、たしかなことだろう。

  • 『わたしの外国語学習法』/ロンブ・カトー

    5ヶ国語の同時通訳者、10ヶ国語の通訳者、16ヶ国語の翻訳者だったというハンガリー人の著者による、自伝的な外国語学習法エッセイ。これだけの外国語をほとんど自国内で学習したというのだから、さぞかし超人的な勉強法が展開されているのかとおもいきや、好奇心を持ってたくさん読む、羞恥心を捨ててたくさんしゃべる、時間をかけてコツコツやり続ける、自分の専門分野に関する事柄から学習する…などといったわりとオーソドックスなやり方が推奨されている。ハウツーものというよりは、読みものとしてたのしめる感じの一冊だ。 とはいえ、さすがは語学の達人ロンブ、彼女自身が実践してきたものとして、ユニークな方法も紹介してくれている。そのひとつは、外国語学習のごく初期の段階から、小説や文学作品を読もうとする、というもの。作品を読み進めるなかで、語彙を自分なりに把握しながら覚えていき、文法規則についても自らの手で探求していく…という方法で、どうかんがえてもめちゃくちゃ時間がかかりそうではあるのだけれど、教科書で文法事項を丸暗記しようとするよりは、ずっと記憶に残りやすいということは言えるのかもしれない。そして、語学においては、そういう原始的なやり方の方が往々にして近道であったりするのかもしれない。

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