2021年のクーデターから事実上の内戦状態にある同国。 追い打ちをかけるように今年3月に発生したマグニチュード7.7の大地震により、多数の犠牲が報じられますが、紛争地故、正確な犠牲者数すら判明しないという惨状です。また国軍は避難民の頭上に爆弾の雨を降らすという非道も伝えられます。国連によれば戦災と併せ避難民は600万人に及ぶとされ、早急な人道支援が必要とされています。 一般社団法人 日本ビルマ救援センター 提供...
昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。
1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。
只見線 早戸 2024年1月細雪が降っては止み、止んでは降る一日だ。それでも木々が白く化粧するのは、この地方の重く粘り気のある雪故だろう。無彩色の冬景色にステンレスの地肌は様にならない。適度な彩りが加わった車両が時折顔を見せるのは有難い。 会津中川© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
只見線 会津塩沢 2024年1月雪晴れの朝。 蒲生岳も微笑むようだ。防雪林の木立からは絶え間なく雪が落ちる。静寂の中に光のシャワー。 只見蒲生岳は見る方向からで随分山容が変わる。一番奇特な佇まいはここ只見側からだろう。午前の列車が終わったら夕方近くまで無いのだから、微睡に任せてのんびり。 只見© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
只見線 会津柳津 2024年1月時計の針を30分巻き戻す。 今夜はサイノカミのハシゴというウルトラC。柳津は一王町集落のサイノカミは事前に話が出来ていて、背後の431D通過に合わせて点火という芸をお願いしてある。いや、どうやらそれとは関係ないところで「18時点火」が決まっていたようなのだが、会津柳津駅発車は17:58。郷戸に向かう列車が月光寺奥の鉄橋を渡り、背後の鉄橋上でビンゴな邂逅のタイミングか。柳津近辺...
只見線 郷戸 2024年1月ここでは通過列車とのコラボは関係ない。 30分近く前に通り過ぎた後に火が入った。終日天気が良かったので稲藁も適度に乾燥していたのだろう。 炎は高く上がって壮観な眺めだ。炎に紅く照らされた人々を見れば、今立っている場所を大勢の降車客が家路を辿る、半世紀前の写真に繋がる。「小正月」とは本来1月15日。 曜日は関係ない。厳格にその日付を守る集落もあるが、人が集まり易いからという...
只見線 郷戸 2024年1月2020年はもっと少なかったというが、記録的少雪である。もっともキレイな雪景色が見たいというのは雪国の現実を知らない者のエゴでもある。 雪下ろしなどの重労働から解放されるなら少ないに越したことも無いのだ。しかし正月のしめ飾りなどを焚き上げる、無病息災の神事を執り行うとなるとそれはそれで困るらしい。サイノカミの「櫓」は、竹を使って円錐形になるよう骨組みを作り、そらに稲藁を...
只見線 会津横田 2024年1月会津横田駅近くの大振りな農家が気になっている。特徴的なのは二階に引き戸があることだろう。 窓なら分かる。 しかし「戸」とは。本来豪雪の地である。 一階が雪に埋まった場合に、ここが出入り口になるのではないか。家の構えからして大家族が暮らしていたのだろう。 そしてここは雪と共生するための砦だったのもしれない。降り続く雪がようやく止んだ朝。 すっかり玄関になった引き戸を...
日中線 熱塩 1984年昨年末開催した吉祥寺の書店での写真展で、生まれて初めて自分の写真を売るという体験をした。もともと展示中のパネルを売ってみたらという店主の提案もあって、まさか売れるものとも思えず冗談半分のつもりで値段を付けたもの。あにはからんや売れた。写真集にも掲載されている写真のうち3枚。 どれというのはご想像にお任せするが、うち1枚はこの熱塩の夜の写真である。もっとも展示パネルそのも...
飯山線 信濃平 2019年こういうのを新手のデコボコ編成と言うのだろうか。まあいいか。 Don't say 4&5.信濃平はこんなにお天気なんだから。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
弘南鉄道 松木平 1982年家路につく人々を乗せて、雪原に響く吊り掛けモーター。当時の弘南鉄道は国鉄・私鉄取り交ぜて旧型電車の宝庫だった。小洒落たCIロゴとは別に今も生き残っているらしい、いかめしい社章が良く似合う。夕焼け空に小さくなれば、岩木山麓に夜の帳が降りて来る。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
のと鉄道 西岸 2022年「ただもう本当に・・鉄道の復興もできればいいなとは思うんですけど、思った以上の被害なんです。被害状況も僕らが目に見えるあたりしかわからないんです。これから全部見回して、うちは上下分離方式でやってるんで、持ち主の会社さんがまずやるかやらないかという話になってくると思うし、それで仮にやるって言っても、今度そこに自治体がGOを出すか出さないか、という話にもなって出てくると思...
三菱石炭鉱業鉄道線 南大夕張 スハニ6車内 1984年ヤマからマチへ、今日最後に向かう列車は白熱灯を灯して発車を待っていた。妻面には「通学生に次ぐ。座席シートを破ったり切り裂いたりした場合、刑法第261条、鉄道法36条その他に則り厳重に処分・・・」なる、宮脇俊三さんをして「ちかごろ珍しい高姿勢な」と述懐せしめた掲示が貼ってある。ヤマの荒っぽい気風なのか男子高校生のガン飛ばしにあって、女子高校生の...
只見線 入広瀬 2018年変わらぬ往来を、山は無言で見下ろしている。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
のと鉄道 能登中島 2022年朝は驚くほど多い高校生がホームを埋め、夕べは鏡のように凪いだ海を落陽が染めた。穏やかに繰り返されていた日常。七尾、穴水、珠洲、輪島。 初夏の1日をもってしても能登半島は長い道のりだった。次に来る時はゆったりと。 車窓に見送るばかりだった素朴な家並みがテレビの映像と重なる。 輪島市 白米の千枚田 2022年山海の神が鎮まらんことを。 天の神は雨雪をその懐に留めるよ...
今月末にもOMSYSTEMさんから、写真展開催に向けたパブリシティ用の写真やらコメントやらを求められると思うし、本気を出して展示の構想と準備を始めなければならない。昨年は12月の声を聞くまで写真集絡みで走り詰めだったし、12月一杯はリフレッシュ期間としてボーと過ごそうと決めていた。年末の新潟に福島に、しんしんと降る雪と聞いても動じなかった!そのぐうたら生活の折に手に取ったのが、沢木耕太郎さんの「深夜特急ノート...
昭和の人間としては(いや平成に入ったって普通に流れていたが)正月に何かが足りぬとふと思うのは、「お正月を写そう! フジカラーで写そう!」の富士フイルムCMだろう。 「キレイな晴れ着を写そう!」は、仕事始めのオフィスにOLが競って振袖でやって来た、80年代の牧歌的な会社慣行を連想する。1枚の写真を残すにもフイルムに現像に少なくないコストを要した時代、記念写真を撮るは庶民にとって正にハレの行事だったし、お...
大洗海岸 神磯明けましておめでとうございます。皆様にとって実り多き年になりますよう。思い切りトラディショナルな絵柄にしてみました。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
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2021年のクーデターから事実上の内戦状態にある同国。 追い打ちをかけるように今年3月に発生したマグニチュード7.7の大地震により、多数の犠牲が報じられますが、紛争地故、正確な犠牲者数すら判明しないという惨状です。また国軍は避難民の頭上に爆弾の雨を降らすという非道も伝えられます。国連によれば戦災と併せ避難民は600万人に及ぶとされ、早急な人道支援が必要とされています。 一般社団法人 日本ビルマ救援センター 提供...
長良川鉄道 深戸 2025年4月「九州」はまだまだ終わりませんが、この辺で閑話休題。話題のChatGPT、「ジブリっぽくして。」 やってみた。何というか、物凄くそれらしい出来。ホームが消されちゃって、女が男に代わったりしてるけど、それこそが絵として相応しいというAI様のさじ加減なのだろう。著作権がどうなんだという議論があるようだが、「ジブリ化」というボタンがサイト上に設置されているわけでもなく、あくま...
鹿児島交通 枕崎線 干河駅跡 2025年5月干河駅跡はただの草原に変わっていた。 一筋の道がホーム擁壁のラインだったらしい。写真集を拡げて確認する。撮影位置はここで間違いなかろう。 タイムトラベルではないが、「その現場」に立つたびに不思議な気持ちになる。 その時ここで何を考えてたのだろう、とか。隣地に住むご婦人が通りかかって、駅の跡を見に来たのかね、と言う。 そういう連中は珍しくないらしい。い...
鹿児島交通 枕崎線 加世田駅跡 2025年5月一大ターミナルだった加世田駅跡は広大なバスターミナルに変わっている。蒸気機関車にディーゼル機関車、かつて鉄道ありきのモニュメントが並ぶ。この瓦屋根はどこか見覚えがあると思ったが、多分ビンゴだろう。 セーラー服の、上。 鹿児島交通 枕崎線 加世田 1982年あの猛暑の日の、喉の渇きがリアルに蘇る。 白く乾いた構内通路と、微かに漂う機械油の匂い。「...
昨日発売の「旅と鉄道」8月号、フォト&エッセイ「旅のたまゆら1981-1988」連載第6回は「蝉時雨の駅」です。真夏を迎えた蒲原鉄道七谷駅。 駅まで歩くのが当たり前だった時代、そして大勢の人々が炎天下に駅を目指したあの頃。開け放たれた待合室に降って来るのは、夏草の匂いと騒がしい蝉時雨。上下列車がやって来て、ひととき賑わう駅の情景を、写真が呼び起こす記憶の糸を手繰って描きました。夜行って何の夜行よというご時世...
鹿児島交通 枕崎線 永吉駅跡 2025年5月廃線跡は一部がサイクリングコースになっていた。 そして吉利駅や永吉駅はホームが保存されている。最末期の此処はホームも線路も夏草が伸び放題、駅舎はボロボロに朽ち果て、既に打ち捨てられた空気に満ちていたから、楚々と芝生が貼られ、公園的に整備されたそこはどこか白々しさも覚える。それもまた、あの生きていた鉄道が手の届かぬ遠い過去になったという証なのだろう。あ...
鹿児島交通枕崎線廃線跡 永吉 2025年5月路線が長い割に意外に「決め」になる場所がなかった鹿児島交通。吉利~永吉間の永吉川に架かるプレートガーターは数少ないそれだったかもしれない。いや、だから誰でも撮る場所だった。 アングルに苦しむ。手前の石橋も渋く、これを前景とするのもあったろうが、それでは石橋の写真になってしまいそうで。 しかも完全逆光。南九州の炎天下、クラクラしながらの逡巡が昨日の事の...
鹿児島県 吹上浜 2025年5月薩摩半島と言えば、鹿児島交通鉄道線だろう。 いや現地では最後まで「南薩線」と呼んでいたという。鹿児島本線伊集院から指宿枕崎線枕崎まで49.6kmは決して短くはないローカル私鉄だった。いい時代もあったはず。 しかし高度成長期を迎え、「北海道の産炭地並みの」沿線人口急減に見舞われ、廃止が取り沙汰される。しかし鹿児島の名門企業、岩崎財閥の経営が災いしたか、その度に沿線の廃止反...
吹上温泉 中島温泉旅館 2025年5月旅の時間を鹿児島に巻き戻しましょう。予約するときから「ウチは普通の旅館じゃなくて古い自炊湯治宿ですから。」「仕切りは障子1枚ですから。」云々の注釈多し。値段も値段だし、これは剛の者とは思ったが、なんだかんだでこのご時世である、それなりのソーシャライズがあるものと思ったが。薩摩半島は東シナ海に面した、吹上浜に程近い古い温泉場である。これは来ましたね。物凄い...
日南線 大堂津 2025年6月この天気のくせにトップライトに近い光線のせいか、モノトーンの感じになっているのが逆に面白いかと思っている。既に真夏の光のなかで。 此処に走ってたかと、タラコの白日夢。南九州梅雨入り宣言は何処へ行ったかと快晴。 更に北上すればまた快晴。フロントガラス越し、健康的に日焼けして帰って来ました。 後を追いかけるように九州は大荒れ、本物の梅雨入りを迎えたようですね。30泊31日、う...
指宿枕崎線 松ヶ浦 2025年5月銭湯に富士山、指宿枕崎に開聞岳。借景と言うには主張が強すぎて。このカーブは誰かが謀ったか。 松ヶ浦そして駅がある。やってくるのは「ネコバス」ではありません。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
指宿枕崎線 頴娃 2025年5月この旅が始まったばかりの5月半ば、南九州に例年より半月も早い梅雨入り宣言は、そんなに行いが悪かったかと頭を抱えたものだが、まあ何とか宣言なんて水物だからね。 いやそれでもなかなかスッキリ抜けがいい空にならない。今日ばかりは奇跡のように夏空が広がった。言うのも面倒臭いけど、ホーム端にある踏切からですよ。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほん...
指宿枕崎線 西大山 2025年5月 此処まで来たら此処で撮りますわね。どんなに映えようと、大型観光バスが到着しようと、日本語が聞こえなくとも、彼らの普段通りはこうして存在しているのです。映え狙いがホテルで朝飯食ってる頃がシャッターチャンス。 あっ一人いたか。今日はまた、これ以上ない開聞日和だ。 西大山遅々と進まぬ記事はやっと此処に到達しましたが、東京を出てから28日目の現在は別府。 いよいよ九...
桜島島内 黒神町 奈良原一高さんの「人間の土地」に黒神村として収録されているのを見て以来、一度足を運んでみたかった場所。桜島の島内、もちろん火口から至近の距離にある。 常時大量の火山灰が降り、時に火山弾が飛ぶ。井戸の掘りようがないのか、飲み水さえ天水に頼るしかない。 奈良原さんが捉えた「人間が生きる極限の土地」の記録は異様な迫力を持って忘れ難かった。今も残る鳥居を埋めた火山灰は約2mの深さがあると...
肥薩線 大隅横川 2025年5月「用の美」。駅とは使われてこそじゃないのか。観光客に媚びないから、特別に扱われていないから、その土地の日々と共にある。地元成人式の集合写真が20年分位掲げられている。 20年前と比べ1~2割は減っていようか。でもその程度だ。故郷も、駅も、まだ呼吸を続けている。暮れなずむ駅前でカメラを構えていると、「どっから来たの?」とゆらゆらやって来たおじさん。東京からと言うと、ひえ...
肥薩線 大隅横川 2025年5月ご近所の嘉例川がチヤホヤされ過ぎて、という判官贔屓でもないが、「大隅横川」を強く推さずにはいられない。駅がほぼ原形を留めているという意味では嘉例川と同等、その堂々たる佇まいも同等、しかし何より地域のおらが駅として立派に機能しているという点で比較にならない程、響く。バックグラウンドとしての駅の立地が、嘉例川より遥かに賑わいを保っているのが大きいのだろう。利用客は高...
肥薩線 中福良 2025年5月ここらでバリ鉄。別に嫌いじゃあないんですよ。 ゆったりと弧を描く線路に、風景に奥行きを出す光線があって、ひたすら奇をてらうことを目標にしたような車両、風景を汚す奇天烈ラッピングが無ければ。川線があって山線があって、ここは何線と言うんだろ。山線の続き?いずれにしても壊滅した肥薩線、唯一の生き残り区間は日陰者にここで光を当てたのかもしれない。土地勘ゼロ、あてどなく車を走...
肥薩線 嘉例川 2025年5月木造駅舎西の横綱と讃えられる「嘉例川駅」、実は「竹林の湯」から至近にある。湯上りに拝みに行く。堂々たる大ぶりの駅舎は見事なものだと思う。 いい駅には違いない。 しかし。何処か「愛され過ぎて」いるんだな。待合室の中は駅の由縁やら応援イベントやら、鉦太鼓の張り紙だらけである。その点、東の横綱の「上神梅駅」が掲示物等を最低限に抑え、あくまでさりげない佇まいを残しているのと...
竹林の湯 2025年5月これは野趣! 人知れず山中にこんこんと湧いている「野良湯」である。霧島温泉郷は塩浸温泉から至近の山中。「竹林の湯」は周囲を鬱蒼とした竹林に囲まれているから。河原に源泉があり、こんこんと湧きだすそれが流れ下り、多分誰かが穿った穴二つに溜まっている。源泉の温度は高く、50℃近くはあるのではと思うが、まず上段の湯舟に行きつくところで40℃台前半、下段に至って40℃を切るか。これが本当の...
肥薩線 坂本 2025年5月 「人吉? 川線アレでしょ、山線もアレでしょ、今更行って何撮るのよ。」と言われたものだが。そこは人差し指を振って、ちっ、ちっ、ちっな訳で。 「壊れた線路」を撮りに来たのです。カメラをデジタルに替えてからかれこれ10年以上鉄道を撮ってきたし、相応のストックも出来たなかで、そろそろひとつ「纏め」をしたいと思っている。「旅のたまゆら NOW!」の構想はいくつかあって迷いもあ...
前にも書いたが風太郎は一匹狼というか、自分勝手な人間なので、折角の和を乱すような気がして、グループの一員になって皆で写真を撮りに行ったり、合同写真展とかに関わることは基本的に無い。いきおいその界隈における知人はかなり少ない。それでも目立つ形で前に出ると、思わぬ方まで情報が届くものだ。受付でカードに記されるご芳名を見ていて、ああっと驚くことが結構ある。只見線写真の名著「望郷只見線」の中心メンバーの一...
大井川鐡道 崎平 2018年 そぼ降る雨中のタチアオイ。茎の下の方から開花して、上まで咲き登ると梅雨の終りと聞く。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
退院の朝手術室というところが、あれほど冷え冷えと室温を落としている場所とは思わなかった。手術着1枚しか着ていない風のナースは冷え性にならないのかしらと思ったり、他人事状態のうちに皆でエイヤと幅50cm位しかないのではという手術台に載せ替えられる。真上にいわゆる手術室のライト、両側から見下ろすドクター達。これはいい絵だねえ。縦位置ウルトラワイドで決まりだな。スマホカメラでいいから腹の上に置かせてくれ...
とんだ不注意で外傷事故にあい、1ヶ月ほど入院加療になってしまいました。復活の日をどうかお待ち頂ければ幸せです。風太郎 拝...
只見線 入広瀬 2018年この駅で下車する高校生たちが、ほぼ全部の乗客だった。道筋に残っているのは、あとひと駅。たった一人の為に、列車は闇に沈む山峡へ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
ご来展者から素敵なフォトブックを頂いた。タイトルは「PORT RAIL」。 車内に駅に線路際に、人々の素敵なポートレートを集めている。作者は川井聡さん。風太郎の3歳先輩で、多岐にわたるジャンルで活躍されているプロ作家だ。見れば見る程、コレどうやって撮ったんですかと驚くばかりなのだが、全て声掛けし、許可を得て撮っているという。それでも意識させない自然な表情の捉え方は素晴らしい。 無論相手と対峙する作者の人柄の為...
もう40年前に全盛を極めた鉄道趣味サークル「日本レイルファンクラブ」というのがあって、風太郎も誘われて末席を汚していた。関東・関西に二拠点があったと言えば大規模集団のように見えるが、会員数は100名に達することは無かったと思う。更にコアな集団に限れば30名以下に絞られ、写真展に合宿、各種イベント等々、関東・関西仲良く交流していた。学生、社会人、属性は様々で、ほとんどが20代前半、30代などジジイと呼ばれてい...
今般の写真展においては鉄道写真はもちろん、ジャンルを超えたプロ作家をはじめ、伝説的なアマチュア作家、そして無名の写真愛好家に至るまで、心に響く交流を持つことが出来た。 そこで感じたことを「余聞」として適宜書き綴っていきたいと思う。1976年創刊、以来1983年春号をもって休刊の告知があるから7年の命だったことになる。「鉄道グラフ雑誌」の触れ込みで、「蒸気機関車を失ったあとの鉄道写真」のクオリティを、孤軍奮闘...
島原鉄道 大三東 2016年天狗が通ったあと、実は長い長い歳月が流れていたのです。いろいろなものが変わりました。 変わらないのは、この空と海。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
「こういう大空間に自分の写真を置いて眺める機会は人生に何度も無いぞ。」とは成程と頷いてきたけれど、今回は「自分の写真を眺める」時間はおよそ無かったなー、というのが実感。正味10日間のご来展者は延べ1000人というところ。 それが多いか少ないか以前に、ご来展者とのコミュニケーションがこれまでの個展と比べ異次元に多く、深かった。他人の写真展を見に行った時に、作者在廊なら何らかの感想を述べて帰るのが、タダで見...
日中線 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)現代に生き残っているローカル線よりよほど乗っているのは皮肉と言う他ない。「葬式鉄」は一人もいなかった。廃止の日まであと二か月。 GWを挟んで長きに及んだ展示は、13日(月)でいよいよ千秋楽を迎えます。 15時まで。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木)...
島原鉄道 大三東 1982年ご来展者によれば。この時代を象徴する一枚なのだそうだ。まず「足だけ」も含め子供が3人も写っていること。地方に子供達が目立った1980年代を人口構成に鑑みれば、戦後日本に巨大なマスを形成した「団塊世代」(1947~49年生まれと定義づければ)が33歳から40歳だったということだ。「団塊二世」である。そして第一次産業専従とは言わずとも、団塊世代が地方に定住した「三世代同居」が当然の...
蒲原鉄道 大蒲原 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)降って、止んで、また降って。越後の長い冬に伸びる、ひと筋の道。今回の写真展の開催告知において、「写真系紙メディア」は冷たかったなーと思う。現在の「二大誌」と思っている「CAPA」はたった一行、タイトルと期間のみ。「フォトコン」に至っては完全スルー。「銀塩フイルムの」ときた時点でお呼びじゃないのかな。かつて写真誌の権威と言えば...
五能線 大戸瀬 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)「この写真のピントはわざと雪に合わせたのか。」と聞かれれば、そんなことは言いっこなしと写真に書いてあるだろう、と開き直るしかない。「こういう写真を見るとさ、ここに写っている人たちは今何処でどうしているんだろうと思うんだよな。」と述懐されれば、撮影技術を越えたところにある意図は伝わったかと思う。女子高生風が持った茶封筒...
宗谷本線 音威子府 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)上りの利尻は0時前に音威子府に着く。ここで降りた目的は下りの利尻を撮ることと、その後4:20発の天北線の始発で浜頓別、興浜北線に向かうこと。怪訝そうに待合室を覗き込んだ駅員が、何を了解したか無言で引っ込むのは、決して珍しくはないお客だったからかもしれない。それからの長い時間をどう過ごしたのか、今となっては思い出...
磐越西線 豊美 1985年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)「たまゆら」って何?とはよく聞かれるが、古代の「勾玉」同士が触れ合う微かな響き、ひいては音が出るその「瞬間」のイメージ。仏教用語でいうところの「刹那」(指をひとはじきする間を65刹那とする、「極めて短い時間」の念。1/75秒に相当するとも。)に近いかもしれない。(旅先での)魂の揺らぎでもあろうという解釈も付...
「人間とは何か。写真に聞いてみよう。」か。GWのギャラリーは皆写真撮りに行っちゃうから枯れると、OMさんも閉めちゃうわけだが、富士フイルムさんはまた凄いのをぷっこんできたな。人物ポートレート20世紀の遺産だそうだ。 隣ではアンセル・アダムスかあ。「ポートレート」はチャーチルからアインシュタイン、ヘミングウェイから市井の名もなき人まで。機材は現代とは比べようもないはずなのに、そのライティングの妙以前に...
風間克美さんは風太郎より20歳近く年上の大先輩なのだが、写真に関して共感するところ多く、先日も拙写真展にご来展、お会いしたばかりだ。その風間さんの新刊が出た。 1960年代の地方私鉄の情景を捉えた珠玉の写真集。風太郎はその頃、やっと生まれてせいぜい幼稚園児という時代だから、もはや口惜しさも感じない異次元のワールドである。これは氏の独特なカメラアイなのだが、ほば全部の写真が標準レンズクラスで撮られている。...
同和鉱業 小坂鉄道 雪沢温泉 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)フルサイズVSハイレゾフォーサーズの勝敗は、両者を並べている訳ではないし勝負はつきそうにない。しかし破綻しているという評は聞かれないし、むしろ35mmトライXからここまで伸びるのかという驚きをよく聞くから、ハイレゾフォーサーズのチャレンジ、まずは成功と思っている。時代の栄華を秘めた「小坂鉱山」から、...
磐越西線 日出谷 1982年中学時代の恩師がご来展。国文学専攻、まだ20代の女性国語教師は、夏休みの宿題に「小説を一本書け」とかいうのは仰天したが、読むこと、書くことの楽しさを教えてくれたと思う。中学2年の時に「今一番楽しいと思うことを作文に書け」というので、しからばと「国鉄相模線西寒川支線探訪記」というのを書いた。ご存じだろうか、西寒川支線。 寒川から分岐する支線で、僅か1.5km、1984年まで存在...