日南線 大堂津 2025年6月名勝七つ岩を眼下に。今はマリンスポーツのメッカと知る。南九州梅雨入りは何処へやら、蒼い夏が満ちている。オーシャンビューでリゾートはリゾートだがビジネスホテル然とした安宿は、広島カープの毎年のキャンプの定宿と知る。その質素はさすが市民球団! しかしどうも貧弱なレストランでプロ野球選手の腹は持つのかと心配になる。まあヨソの球団の心配をしている場合でもないが。Copyright...
昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。
1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。
大糸線 南小谷 2018年切り立った峻岳が作る谷間を走るような線路に、光が回る時間は短い。翳が大きく落ちる、その前に。風太郎も一枚出展しています。お時間がありましたらどうぞ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
五能線 駅名不詳 1989年好きな写真なのだが残念ながら撮影年が1989年、しかもピンが甘く構図もなんだかなあ。トドメは何処の駅か分からないこと。 驫木と思い込んでいたが窓の位置が違う。風合瀬の可能性がある。そんなことで拙写真集からは落選した。利用客も疎らな無人駅にも、しばしの暖を採るストーブが燃えていた。小春日の日差しが、小さな駅舎を柔らかく照らしている。© 2011 風太郎のPな日々 All rights re...
ストーブを囲む待合室、皆で汽車のダイヤを確認する。 廣田尚敬 「フォト・ドキュメント 終曲」 (鉄道ジャーナル1976年4月号増刊) より( 前回からの続き )ある人は言う。 「SLブームとは男のDISCOVER JAPANだったのさ」。1970年代前半の国鉄キャンペーン「DISCOVER JAPAN」は、その広告ヴィジュアルが何より雄弁に語る通り、「アンノン族」を中核としたファッショナブルな「女性」こそがターゲットだったの...
廣田尚敬 「フォト・ドキュメント 終曲」 (鉄道ジャーナル1976年4月号増刊) より噂を聞いて、是非全編を見たくなった。「鉄道ジャーナル1976年4月増刊号」に掲載された、廣田尚敬さんによるフォト・ドキュメント「終曲」である。幸いネット古本屋に適価で出ているのを見て、これもご縁と入手したもの。1975年12月。 国鉄線上から蒸気機関車牽引の客車列車・貨物列車が相次いで消えた冬。 終焉の数日間を追ったドキュメン...
津軽鉄道 金木 2014年この写真も10年前になろうとしているか。東奥日報に掲載してもらった1984年の写真とほぼ同じ場所で撮っている。 それから数えれば30年後。景色はあまり変わらない。 変わったのは誰も乗らない、誰も降りないことだ。もともと横位置の写真だったけれど、Facebookに出したら随分評判が良く、受け答えしているうちにトリミングを変えたくなった。 ごめんねFacebookの皆さん。一瞬迷ったけど駅長にピ...
只見線 入広瀬 2018年前夜までの湿度の蓄積、夜明けの冷え込み、無風 etc.多分来る、きっと来るという、祈り以前に勝負は付いている。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
函館本線 小沢 2015年北海道新幹線の開通と同時に廃止が既成事実になっていた、函館本線長万部~小樽間(山線)の今後が混迷を深めているらしい。さっさと廃止にして、生活の足云々を言うならバスが代行するからねと、沿線自治体もシャンシャン手拍子で進めていたらしいが、代行バス会社として名指しされていた「北海道中央バス」が、「聞いていないし何の承諾もしていない」と。バス運転士の高齢化による人手不足は地...
花輪線 横間 2019年狂乱猛暑の夏も気付けば嘘のように去っていった。静寂の山懐は、人知れず秋の装いを始めているのだろう。青森の地方紙「東奥日報」が書評を書いてくれた。 文中にもあるように「青森」は拙写真集がだいぶ偏重している場所だから、その地元の人々の目に触れるなら別の感慨もある。 共同通信の配信と併せ既に全国20紙以上に書評が載っているようだ。かつて旅した日本の隅々に本が行き渡りますように。...
山陰本線 宇田郷 2022年一両きりの気動車の車窓から、この落陽を見詰める人はどれほどいるのだろうか。先般「軽便鉄道模型祭」でよく見ないまま衝動買いした「女子高生の行列」が、皆ミニスカートでけしからんと憤慨したのは既報の通りだが、意地になったスカートの延長工事が完成した。ポリパテを盛ったが、大相撲の化粧まわしみたいになったり苦戦したものの、造形自体は動きがあって悪くないんだな。問題はスカート...
上田電鉄 別所温泉 モハ5252 (静態保存) 2023年9月「大正ロマン」のように言われるがこの電車は昭和2年製である。40年前に来たときはコレが運用に入っていなかった。 多分上田原の車庫で昼寝していたのだろう。1/80模型はほぼ完成している。 しかし最後のフイニッシュに至っていないのは、チャームポイントである「丸窓」の奥にある3本の真鍮ガードをどうしても再現したいから。0.3mm線でも太過ぎるのだ。 初め...
上田電鉄 別所温泉 2023年9月宿からゆるい坂道を下りてゆくと別所温泉駅。かつては屋号を染め抜いた法被姿の番頭さんが、幟を手に駅前を埋めて温泉客を出迎えたのだろうか。その昔国鉄線から見放された温泉場が、しからばと出資を募り敷いた「温泉電車」は、日本中津々浦々を走っていた。その残り香を伝える数少ない場所だろう。旅館の図書室で読んだ別所線物語に出て来る、勤続40年のベテラン駅長が面白い。ここの...
別所温泉 2023年9月言わずと知れた上田交通、いや上田電鉄の終着にやって来ました。40年前に撮りに来たときは日帰りのいい加減なもの、温泉旅館に泊まるなんて夢でも想像出来なかったなあ。時を経て忘れ物を取りに戻った感じ。大正時代に建てられ、今や文化財というこの旅館は、広い敷地に木造2階建ての客室棟が散在し、キュッキュッと鳴る飴色の渡り廊下が縦横に結ぶ。駅から徒歩5分の場所にこんな別世界があったとは...
旧軽井沢 2023年9月カミさんの接待旅行に出発。基本的に風太郎は「食」に関して何の趣味も無い。というより食の趣味なんぞにかまけていたらマトモな写真が撮れるかとは確信を持っている。写真を撮るとはつとに忙しいものなのだ。 ぼっちキャンプ張りの自炊も、ものぐさだし無理。だからセブンイレブンの弁当はほぼ網羅しているが。いつもと違うにゃ。軽井沢はさすがに涼しいの。 万座温泉かつての「草軽」の道を通...
軽便鉄道模型祭 2023年10月人形町の軽便鉄道模型祭に今年も。出展者も来場者も、どっちでもいいから拙写真集を買った人、手を挙げて! 1,2,3,4・・・と数えられるのは、この一日に趣味界の重鎮が集結しているのは確か。書評を書いて頂いた「鉄道模型趣味」の名取編集長にご挨拶できたのも良かった。最近は1/48のナローがじわじわ浸透しているんだね。 大スケールな分、「鉄道を巡る空気感」の緻密な再現力が...
只見線 越後広瀬 2023年9月下り列車はパラパラと高校生を下ろすと、軽い轍を響かせて遠ざかる。夕闇が迫る叢から虫の声が沸き上がる。( 初秋流れ雲 おわり )© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村風太郎初の写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 発売中写真集「旅のたまゆら 1981-1988」 SPECIAL WEB SITEはこちらB4変型判 256mm×256mm×20mm収録写真153点 本文184ページオールモ...
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日南線 大堂津 2025年6月名勝七つ岩を眼下に。今はマリンスポーツのメッカと知る。南九州梅雨入りは何処へやら、蒼い夏が満ちている。オーシャンビューでリゾートはリゾートだがビジネスホテル然とした安宿は、広島カープの毎年のキャンプの定宿と知る。その質素はさすが市民球団! しかしどうも貧弱なレストランでプロ野球選手の腹は持つのかと心配になる。まあヨソの球団の心配をしている場合でもないが。Copyright...
日南線 大堂津 2025年5月薩摩半島に居過ぎた感もあるので宮崎・日南海岸に移動。ひと月って随分長いようだけれど、広い九州を細かく巡るには短か過ぎるよなあと言うのが実感だ。 贅沢と言えば贅沢過ぎる話だけど。日南線沿線も細かく見ればいいところはあるのだろうけど、駆け足で先を急げばやっぱり此処に行き着く。南国の海は早や真夏の光。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
知覧特攻平和会館 2025年5月 再び九州。 加世田から程近いところに「知覧」がある。武家屋敷のお庭は綺麗だし、住人がそこで普通に暮らしているというのが良い。問題はもうひとつの「名所」、知覧特攻平和会館だ。内容を見聞きするたびに一言も二言も申し上げたいところがあって今回も敬遠していたのだが、見もしないでものを言うのもどうかと思って。まあ想像した通りだ。「特攻隊員の手紙」は全て軍による検閲済みの...
2021年のクーデターから事実上の内戦状態にある同国。 追い打ちをかけるように今年3月に発生したマグニチュード7.7の大地震により、多数の犠牲が報じられますが、紛争地故、正確な犠牲者数すら判明しないという惨状です。また国軍は避難民の頭上に爆弾の雨を降らすという非道も伝えられます。国連によれば戦災と併せ避難民は600万人に及ぶとされ、早急な人道支援が必要とされています。 一般社団法人 日本ビルマ救援センター 提供...
長良川鉄道 深戸 2025年4月「九州」はまだまだ終わりませんが、この辺で閑話休題。話題のChatGPT、「ジブリっぽくして。」 やってみた。何というか、物凄くそれらしい出来。ホームが消されちゃって、女が男に代わったりしてるけど、それこそが絵として相応しいというAI様のさじ加減なのだろう。著作権がどうなんだという議論があるようだが、「ジブリ化」というボタンがサイト上に設置されているわけでもなく、あくま...
鹿児島交通 枕崎線 干河駅跡 2025年5月干河駅跡はただの草原に変わっていた。 一筋の道がホーム擁壁のラインだったらしい。写真集を拡げて確認する。撮影位置はここで間違いなかろう。 タイムトラベルではないが、「その現場」に立つたびに不思議な気持ちになる。 その時ここで何を考えてたのだろう、とか。隣地に住むご婦人が通りかかって、駅の跡を見に来たのかね、と言う。 そういう連中は珍しくないらしい。い...
鹿児島交通 枕崎線 加世田駅跡 2025年5月一大ターミナルだった加世田駅跡は広大なバスターミナルに変わっている。蒸気機関車にディーゼル機関車、かつて鉄道ありきのモニュメントが並ぶ。この瓦屋根はどこか見覚えがあると思ったが、多分ビンゴだろう。 セーラー服の、上。 鹿児島交通 枕崎線 加世田 1982年あの猛暑の日の、喉の渇きがリアルに蘇る。 白く乾いた構内通路と、微かに漂う機械油の匂い。「...
昨日発売の「旅と鉄道」8月号、フォト&エッセイ「旅のたまゆら1981-1988」連載第6回は「蝉時雨の駅」です。真夏を迎えた蒲原鉄道七谷駅。 駅まで歩くのが当たり前だった時代、そして大勢の人々が炎天下に駅を目指したあの頃。開け放たれた待合室に降って来るのは、夏草の匂いと騒がしい蝉時雨。上下列車がやって来て、ひととき賑わう駅の情景を、写真が呼び起こす記憶の糸を手繰って描きました。夜行って何の夜行よというご時世...
鹿児島交通 枕崎線 永吉駅跡 2025年5月廃線跡は一部がサイクリングコースになっていた。 そして吉利駅や永吉駅はホームが保存されている。最末期の此処はホームも線路も夏草が伸び放題、駅舎はボロボロに朽ち果て、既に打ち捨てられた空気に満ちていたから、楚々と芝生が貼られ、公園的に整備されたそこはどこか白々しさも覚える。それもまた、あの生きていた鉄道が手の届かぬ遠い過去になったという証なのだろう。あ...
鹿児島交通枕崎線廃線跡 永吉 2025年5月路線が長い割に意外に「決め」になる場所がなかった鹿児島交通。吉利~永吉間の永吉川に架かるプレートガーターは数少ないそれだったかもしれない。いや、だから誰でも撮る場所だった。 アングルに苦しむ。手前の石橋も渋く、これを前景とするのもあったろうが、それでは石橋の写真になってしまいそうで。 しかも完全逆光。南九州の炎天下、クラクラしながらの逡巡が昨日の事の...
鹿児島県 吹上浜 2025年5月薩摩半島と言えば、鹿児島交通鉄道線だろう。 いや現地では最後まで「南薩線」と呼んでいたという。鹿児島本線伊集院から指宿枕崎線枕崎まで49.6kmは決して短くはないローカル私鉄だった。いい時代もあったはず。 しかし高度成長期を迎え、「北海道の産炭地並みの」沿線人口急減に見舞われ、廃止が取り沙汰される。しかし鹿児島の名門企業、岩崎財閥の経営が災いしたか、その度に沿線の廃止反...
吹上温泉 中島温泉旅館 2025年5月旅の時間を鹿児島に巻き戻しましょう。予約するときから「ウチは普通の旅館じゃなくて古い自炊湯治宿ですから。」「仕切りは障子1枚ですから。」云々の注釈多し。値段も値段だし、これは剛の者とは思ったが、なんだかんだでこのご時世である、それなりのソーシャライズがあるものと思ったが。薩摩半島は東シナ海に面した、吹上浜に程近い古い温泉場である。これは来ましたね。物凄い...
日南線 大堂津 2025年6月この天気のくせにトップライトに近い光線のせいか、モノトーンの感じになっているのが逆に面白いかと思っている。既に真夏の光のなかで。 此処に走ってたかと、タラコの白日夢。南九州梅雨入り宣言は何処へ行ったかと快晴。 更に北上すればまた快晴。フロントガラス越し、健康的に日焼けして帰って来ました。 後を追いかけるように九州は大荒れ、本物の梅雨入りを迎えたようですね。30泊31日、う...
指宿枕崎線 松ヶ浦 2025年5月銭湯に富士山、指宿枕崎に開聞岳。借景と言うには主張が強すぎて。このカーブは誰かが謀ったか。 松ヶ浦そして駅がある。やってくるのは「ネコバス」ではありません。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
指宿枕崎線 頴娃 2025年5月この旅が始まったばかりの5月半ば、南九州に例年より半月も早い梅雨入り宣言は、そんなに行いが悪かったかと頭を抱えたものだが、まあ何とか宣言なんて水物だからね。 いやそれでもなかなかスッキリ抜けがいい空にならない。今日ばかりは奇跡のように夏空が広がった。言うのも面倒臭いけど、ホーム端にある踏切からですよ。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほん...
指宿枕崎線 西大山 2025年5月 此処まで来たら此処で撮りますわね。どんなに映えようと、大型観光バスが到着しようと、日本語が聞こえなくとも、彼らの普段通りはこうして存在しているのです。映え狙いがホテルで朝飯食ってる頃がシャッターチャンス。 あっ一人いたか。今日はまた、これ以上ない開聞日和だ。 西大山遅々と進まぬ記事はやっと此処に到達しましたが、東京を出てから28日目の現在は別府。 いよいよ九...
桜島島内 黒神町 奈良原一高さんの「人間の土地」に黒神村として収録されているのを見て以来、一度足を運んでみたかった場所。桜島の島内、もちろん火口から至近の距離にある。 常時大量の火山灰が降り、時に火山弾が飛ぶ。井戸の掘りようがないのか、飲み水さえ天水に頼るしかない。 奈良原さんが捉えた「人間が生きる極限の土地」の記録は異様な迫力を持って忘れ難かった。今も残る鳥居を埋めた火山灰は約2mの深さがあると...
肥薩線 大隅横川 2025年5月「用の美」。駅とは使われてこそじゃないのか。観光客に媚びないから、特別に扱われていないから、その土地の日々と共にある。地元成人式の集合写真が20年分位掲げられている。 20年前と比べ1~2割は減っていようか。でもその程度だ。故郷も、駅も、まだ呼吸を続けている。暮れなずむ駅前でカメラを構えていると、「どっから来たの?」とゆらゆらやって来たおじさん。東京からと言うと、ひえ...
肥薩線 大隅横川 2025年5月ご近所の嘉例川がチヤホヤされ過ぎて、という判官贔屓でもないが、「大隅横川」を強く推さずにはいられない。駅がほぼ原形を留めているという意味では嘉例川と同等、その堂々たる佇まいも同等、しかし何より地域のおらが駅として立派に機能しているという点で比較にならない程、響く。バックグラウンドとしての駅の立地が、嘉例川より遥かに賑わいを保っているのが大きいのだろう。利用客は高...
肥薩線 中福良 2025年5月ここらでバリ鉄。別に嫌いじゃあないんですよ。 ゆったりと弧を描く線路に、風景に奥行きを出す光線があって、ひたすら奇をてらうことを目標にしたような車両、風景を汚す奇天烈ラッピングが無ければ。川線があって山線があって、ここは何線と言うんだろ。山線の続き?いずれにしても壊滅した肥薩線、唯一の生き残り区間は日陰者にここで光を当てたのかもしれない。土地勘ゼロ、あてどなく車を走...
大井川鐡道 家山 2021年床下のコンプレッサーも止まった発車前、ホームを打つ雨音に耳を澄ます。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
前にも書いたが風太郎は一匹狼というか、自分勝手な人間なので、折角の和を乱すような気がして、グループの一員になって皆で写真を撮りに行ったり、合同写真展とかに関わることは基本的に無い。いきおいその界隈における知人はかなり少ない。それでも目立つ形で前に出ると、思わぬ方まで情報が届くものだ。受付でカードに記されるご芳名を見ていて、ああっと驚くことが結構ある。只見線写真の名著「望郷只見線」の中心メンバーの一...
大井川鐡道 崎平 2018年 そぼ降る雨中のタチアオイ。茎の下の方から開花して、上まで咲き登ると梅雨の終りと聞く。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
退院の朝手術室というところが、あれほど冷え冷えと室温を落としている場所とは思わなかった。手術着1枚しか着ていない風のナースは冷え性にならないのかしらと思ったり、他人事状態のうちに皆でエイヤと幅50cm位しかないのではという手術台に載せ替えられる。真上にいわゆる手術室のライト、両側から見下ろすドクター達。これはいい絵だねえ。縦位置ウルトラワイドで決まりだな。スマホカメラでいいから腹の上に置かせてくれ...
とんだ不注意で外傷事故にあい、1ヶ月ほど入院加療になってしまいました。復活の日をどうかお待ち頂ければ幸せです。風太郎 拝...
只見線 入広瀬 2018年この駅で下車する高校生たちが、ほぼ全部の乗客だった。道筋に残っているのは、あとひと駅。たった一人の為に、列車は闇に沈む山峡へ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
ご来展者から素敵なフォトブックを頂いた。タイトルは「PORT RAIL」。 車内に駅に線路際に、人々の素敵なポートレートを集めている。作者は川井聡さん。風太郎の3歳先輩で、多岐にわたるジャンルで活躍されているプロ作家だ。見れば見る程、コレどうやって撮ったんですかと驚くばかりなのだが、全て声掛けし、許可を得て撮っているという。それでも意識させない自然な表情の捉え方は素晴らしい。 無論相手と対峙する作者の人柄の為...
もう40年前に全盛を極めた鉄道趣味サークル「日本レイルファンクラブ」というのがあって、風太郎も誘われて末席を汚していた。関東・関西に二拠点があったと言えば大規模集団のように見えるが、会員数は100名に達することは無かったと思う。更にコアな集団に限れば30名以下に絞られ、写真展に合宿、各種イベント等々、関東・関西仲良く交流していた。学生、社会人、属性は様々で、ほとんどが20代前半、30代などジジイと呼ばれてい...
今般の写真展においては鉄道写真はもちろん、ジャンルを超えたプロ作家をはじめ、伝説的なアマチュア作家、そして無名の写真愛好家に至るまで、心に響く交流を持つことが出来た。 そこで感じたことを「余聞」として適宜書き綴っていきたいと思う。1976年創刊、以来1983年春号をもって休刊の告知があるから7年の命だったことになる。「鉄道グラフ雑誌」の触れ込みで、「蒸気機関車を失ったあとの鉄道写真」のクオリティを、孤軍奮闘...
島原鉄道 大三東 2016年天狗が通ったあと、実は長い長い歳月が流れていたのです。いろいろなものが変わりました。 変わらないのは、この空と海。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
「こういう大空間に自分の写真を置いて眺める機会は人生に何度も無いぞ。」とは成程と頷いてきたけれど、今回は「自分の写真を眺める」時間はおよそ無かったなー、というのが実感。正味10日間のご来展者は延べ1000人というところ。 それが多いか少ないか以前に、ご来展者とのコミュニケーションがこれまでの個展と比べ異次元に多く、深かった。他人の写真展を見に行った時に、作者在廊なら何らかの感想を述べて帰るのが、タダで見...
日中線 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)現代に生き残っているローカル線よりよほど乗っているのは皮肉と言う他ない。「葬式鉄」は一人もいなかった。廃止の日まであと二か月。 GWを挟んで長きに及んだ展示は、13日(月)でいよいよ千秋楽を迎えます。 15時まで。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木)...
島原鉄道 大三東 1982年ご来展者によれば。この時代を象徴する一枚なのだそうだ。まず「足だけ」も含め子供が3人も写っていること。地方に子供達が目立った1980年代を人口構成に鑑みれば、戦後日本に巨大なマスを形成した「団塊世代」(1947~49年生まれと定義づければ)が33歳から40歳だったということだ。「団塊二世」である。そして第一次産業専従とは言わずとも、団塊世代が地方に定住した「三世代同居」が当然の...
蒲原鉄道 大蒲原 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)降って、止んで、また降って。越後の長い冬に伸びる、ひと筋の道。今回の写真展の開催告知において、「写真系紙メディア」は冷たかったなーと思う。現在の「二大誌」と思っている「CAPA」はたった一行、タイトルと期間のみ。「フォトコン」に至っては完全スルー。「銀塩フイルムの」ときた時点でお呼びじゃないのかな。かつて写真誌の権威と言えば...
五能線 大戸瀬 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)「この写真のピントはわざと雪に合わせたのか。」と聞かれれば、そんなことは言いっこなしと写真に書いてあるだろう、と開き直るしかない。「こういう写真を見るとさ、ここに写っている人たちは今何処でどうしているんだろうと思うんだよな。」と述懐されれば、撮影技術を越えたところにある意図は伝わったかと思う。女子高生風が持った茶封筒...
宗谷本線 音威子府 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)上りの利尻は0時前に音威子府に着く。ここで降りた目的は下りの利尻を撮ることと、その後4:20発の天北線の始発で浜頓別、興浜北線に向かうこと。怪訝そうに待合室を覗き込んだ駅員が、何を了解したか無言で引っ込むのは、決して珍しくはないお客だったからかもしれない。それからの長い時間をどう過ごしたのか、今となっては思い出...
磐越西線 豊美 1985年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)「たまゆら」って何?とはよく聞かれるが、古代の「勾玉」同士が触れ合う微かな響き、ひいては音が出るその「瞬間」のイメージ。仏教用語でいうところの「刹那」(指をひとはじきする間を65刹那とする、「極めて短い時間」の念。1/75秒に相当するとも。)に近いかもしれない。(旅先での)魂の揺らぎでもあろうという解釈も付...
「人間とは何か。写真に聞いてみよう。」か。GWのギャラリーは皆写真撮りに行っちゃうから枯れると、OMさんも閉めちゃうわけだが、富士フイルムさんはまた凄いのをぷっこんできたな。人物ポートレート20世紀の遺産だそうだ。 隣ではアンセル・アダムスかあ。「ポートレート」はチャーチルからアインシュタイン、ヘミングウェイから市井の名もなき人まで。機材は現代とは比べようもないはずなのに、そのライティングの妙以前に...
風間克美さんは風太郎より20歳近く年上の大先輩なのだが、写真に関して共感するところ多く、先日も拙写真展にご来展、お会いしたばかりだ。その風間さんの新刊が出た。 1960年代の地方私鉄の情景を捉えた珠玉の写真集。風太郎はその頃、やっと生まれてせいぜい幼稚園児という時代だから、もはや口惜しさも感じない異次元のワールドである。これは氏の独特なカメラアイなのだが、ほば全部の写真が標準レンズクラスで撮られている。...
同和鉱業 小坂鉄道 雪沢温泉 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)フルサイズVSハイレゾフォーサーズの勝敗は、両者を並べている訳ではないし勝負はつきそうにない。しかし破綻しているという評は聞かれないし、むしろ35mmトライXからここまで伸びるのかという驚きをよく聞くから、ハイレゾフォーサーズのチャレンジ、まずは成功と思っている。時代の栄華を秘めた「小坂鉱山」から、...