長良川鉄道 深戸 2025年4月また朝が来た。97歳を迎えようとする駅に、幾万回の朝の物語を聞いてみるか。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。
1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。
只見線 大白川 2018年只見線の全線開通があと2ヶ月後に迫り、試運転列車が走り始めたようだ。 「縁結び」なる全通祈願ラッピングもあったけど、10年以上の眠りか、長かったな。実は風太郎がデジタル化の後、再び鉄道を撮り始めたのは2012年頃より後で、不通区間の撮影は皆無なのだ。そこを通るたびに此処に列車が走ったらと思っていただけに、一日三往復とはいえ食指は動く。まあ写真集の目途がつくまで遠出は...
大村線 千綿 2016年駅舎を利用した喫茶店の類は、諸般の事情や出店者の心意気は理解すれど、あまり好きではない。でもこれ以上ない程のロケーションとなれば、営業していないのが勿体ないなあと思うところもある。いや、こうして暮れゆく時間を一人で独占すればこそか。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村底抜けに明るく、優しい国だった。ミャンマーの軍事クーデターに抗議します。...
一畑電鉄 秋鹿町 1982年さざ波寄せる宍道湖の畔に立つ駅。何処に登って撮ったのかもとんと思い出せないが、どこか模型のレイアウトを思わせるストラクチャーの密度は、やはり私鉄ならではだろう。この当時もちろん駅員が居て、改札口に次の電車の行き先札を掛けていた。駅舎の左側は寝室になっていて、煙突が立っているのは風呂にも浸かれたか、吹きさらしになる冬のホームはさぞや寒かろうとか、一枚の写真からいろい...
いすみ鉄道 西畑 2019年写真集用のレタッチ作業で家に缶詰めです。気付かぬうちに夏が終わりそうだ。いや、「幸多かりし 暑きわが夏」にしなければ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村底抜けに明るく、優しい国だった。ミャンマーの軍事クーデターに抗議します。...
五能線 驫木 2020年精工舎の社名だけではまだ足りないのか、PRECISION (正確・精密)とさらに念を押した鉄道懐中時計。15秒単位で決められたダイヤ。 廻る秒針は幾十年、その刻みを伝えたか。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村底抜けに明るく、優しい国だった。ミャンマーの軍事クーデターに抗議します。...
Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 80’s
Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 メイキング続報です。ジャパン・アズ・ナンバーワン、一億総中流、国鉄再建法、なんとなくクリスタル、アイドル全盛、プラザ合意、国鉄分割民営化、そして昭和の終焉、バブルの黄昏。写真集の主役は1980年代という時代そのものだろー、という大上段な声もスタッフからは上がったのですが、いや写真の内容とあまり乖離してもと、こういう企画は入り口がややこしかったりしま...
只見線 会津水沼 2015年たまにはヒネリのない素直な鉄道の写真でもいかが。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村底抜けに明るく、優しい国だった。ミャンマーの軍事クーデターに抗議します。...
富山地方鉄道 本線 西魚津 2022年6月夏至も間近な夕方、沈みそうで沈まない太陽はだらだらと空にある。帰りの長い道中もあるからここはガツガツせず、その緩やかな時の流れに付き合おうかと。高校生もサラリーマンも駅に帰って来る。いつの間にか夕陽が待合室に忍び込む。中学生は電車に乗らないけれど、駅前は夕映えの通学路。 博物館になってしまった保存駅ではなく、長い長い時の流れを閉じ込めて、それを声高...
富山地方鉄道 立山線 有峰口 2022年6月そろそろ帰路につかねばならないので富山地鉄にとって返す。しかし・・有峰口の駅前に立って啞然呆然である。 キレイになってる・・・。頑固に駅舎に金を掛けない富山地鉄が一体どうした事かと不思議だが、行政か地元自治会辺りから金が出た匂いもするな。老朽が顕著だったから補修自体はもちろん良い。しかしこの歴史的建造物の価値に対して、もう少しデリカシーのある補...
のと鉄道 能登中島 2022年6月せっかくの平日だし通学時間の駅に行くといるわいるわ、この人数には驚いた。それだけ残存区間は人口が多く社会活動も旺盛という事なんだろうな。ローカル線の通学時間を撮っていていつも思うのは、女子比率の異様な高さ。 感覚的に7~8割が女子と思う。何故かな、ひとつ考えられるのは男子は高校から下宿というパターンが多いのかと。 さて真相は。駅名標だけ撮ってもつまらんのお。せっ...
七尾湾 2022年6月 お早うございます。 波穏やかな七尾湾の朝です。再びのと鉄道沿いに帰って来たものの、撮るとこねえょと煮詰まっております。七尾~穴水間の全線にわたり線路と海との間に道路が走り、建物が建て込んでいるので、この海景との組み合わせは至難。萌えキャラ列車の占有率は意外に少なかったのが救いといえば救いだが。国鉄能登線の廃止を待たずに第三セクターの名乗りを上げたのは余程の自信があっ...
珠洲市 見附島 2022年6月有名観光地です。 最近の地震で頂上部が一部崩れたというニュースがあったけど。軍艦島の別名は言い得て妙。 潜水艦の艦橋だな。昔は左側の奥に頂上まで登る道が付いていたというが凄い話。一旦のと鉄道と別れて半島突端の禄剛崎を回り夕刻までに西海岸の輪島近くに達するとは、陽が長いとはいえ欲張り過ぎか。途中に点在する旧国鉄能登線沿いの鄙びた漁村をひとつひとつ訪ねたらさぞや癒さ...
Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 15時間労働です。
Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 続報です。写真のレタッチ作業が地獄のようです。当初よりページ増もあって写真点数は160枚近くになる見通しで、それらを後戻り不可の完璧なレタッチに仕上げる必要があり。デジタルの撮って出しとは違い、銀塩ネガのデジタイズから始まり、ネガポジ反転の上、何の指標も無い絵作りをしなければならないので容易では無いのです。それもまたちゃんとしたネガなら良いのですが、...
のと鉄道 西岸 2022年6月痛車ならぬ痛列車と言いたいところだが、いまや別にコレをイタイとは言わないんだろうな。ネタ元を調べたら「花咲くいろは」という能登半島の老舗旅館を舞台にした話で、いわゆるご当地アニメだな。主人公は東京の女子高生だったのだが、諸般の事情で祖母が経営する旅館の仲居見習いになり、いろいろ揉まれた末の成長物語という事らしい。しかし同じ仲居や板前見習いといった同僚が皆女子高...
のと鉄道 西岸 2022年6月毒を喰らわば皿まで。青い海と空を見ているうちに夏の明るい能登半島を見たくなった。 いくらでも行き先が変わるのがフリーな旅の良さ。国鉄能登線時代は乗った事があるが、「のと鉄道」は初見参。 例によって派手なラッピング、それも萌えキャラ系の物凄い奴が跋扈していると聞いていたので敬遠していたのだが。ファーストショットは湧き立つ夏雲に惹かれる。しかし邪魔な電線をかわすにはレ...
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長良川鉄道 深戸 2025年4月また朝が来た。97歳を迎えようとする駅に、幾万回の朝の物語を聞いてみるか。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
深戸駅桜ドキュメントはまだまだ終わりませんが、新規取材は刻々と進行しております。只今東名岡崎SAです。午後に東京を出発してから300km走りました。「矢場とん」ではまた野球見に来たのかと言われてしまいますね。違います。 西へ西へと向かっております。 途中のSAで車中泊をしつつ、ほとんど昼間に走ってるのに、高速を降りなければ走行全区間について「深夜割引」が適用されるのはご存知の通り。昔の一筆書き切符を連想しま...
長良川鉄道 深戸 2025年4月俄かに暗雲が広がって、落ち始めた雨粒は次第に激しく。篠突く雨に煙る駅。夕立ちは長引き、光は夜まで戻らなかった。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
只見線 入広瀬 2025年4月深戸駅桜ドキュメントはまだまだ続きますが、岐阜を斬ってから返す刀も含め延べ11日間に及んだ桜巡りの旅が終了しました。長良川鉄道・飯山線・只見線、特に雪国では残雪の影響かあるのか、殊の外遅い花の盛りでした。いや、今年の桜は例年より遥かに花芽が多く、数年に一度の大豊作と聞けば、しつこく追いかけた甲斐もあったかもしれません。しかし只見線魚沼口の朝方の気温は薄着に身震いする...
長良川鉄道 深戸 2025年4月駅舎に隣接して井戸跡と、それに掛かる屋根が残されている。息抜きが施された井戸からは、長良川の伏流水が今もこんこん湧き続けているのだろうか。宿直から目覚めた駅員が井戸を汲み、顔を洗った後に雑巾を浸して拭き掃除を始める、朝の日課がそこに静止している。擦り減って丸みを帯びたベンチにはどれ程多くの人が腰掛けたのだろう。何とも珍しい三角形の改札ラッチはどう使ったのだろう。...
長良川鉄道 深戸 2025年4月ホームの端を花が埋める。待合室に陽が伸びる。古い駅に春が満ちてくる。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
長良川鉄道 深戸 2025年4月駅に朝が来た。ホームは東西に延びて、背後の山から昇る朝日が次第に光の帯を伸ばしてくる。花の盛りの大樹が目覚る。 いのち短し、恋せよ乙女。 だから輝く。 この桜はいつからここに立っているのか。1928年に鉄道省越美南線の暫定終着駅として開駅とあるから、その時に記念植樹されたと考えるのが自然だろう。ようやくここまでやって来た汽車、おらが駅のモニュメントとして。小さかった苗木...
長良川鉄道 深戸 2025年4月「キミの鉄道の写真はドキュメンタリーなんだな。 瞬間を生きてる鉄道が写っている。 他ではあまり見ないキミの個性。」と有難い評も頂ければ、我が意が伝わったかと嬉しいところがある。深戸駅の上り方にある駅桜は、その大きさといい、枝振りといい、一本立ちとしては今まで各地で見て来たなかでも確実に五指に入る。郡上八幡以北がほぼ壊滅に近いなかで、そこからさして離れていないこの駅...
長良川鉄道 美並苅安 2025年4月東京辺りでは例年3月末には満開になり、葉桜の入学式に始業式は普通だが、もともと遅いのか、今年は遅れ気味なのか、花の盛りが始まりを告げる。今日最初の乗客が早朝のホームに立つ。多分、本日始業式。 美並苅安Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
長良川鉄道 赤池 2025年4月初夏を思わせる日差しが水面を蒼く染める。日本三大清流にも数えられる長良川。今年は積雪も多かったろう、水源白山の雪解け水は冷たく透き通る。眼前でカヌーが転覆して、濡れた髪から飛沫が散る。逆巻く急流を眼下にして。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
長良川鉄道 大矢 2025年4月咲いてないわと言っても、総延長70km以上、第三セクターでも指折りの長さのこの鉄道、しかも南北に長いとなれば、どこかに花の盛りはあるものだ。本当のピークは一日だけしかないとはよく言われるが、爽やかな青空の下、本日はピークと認定したい。此処に作らなくてもという自転車置き場は無粋と言えば無粋だが、駅まで自家用車送迎が普通の昨今、ガチャガチャ自転車を引き出すのも、いにしえ...
長良川鉄道 自然園前 2025年4月単独行としては実に15ヶ月振りに鉄道を撮る。長良川鉄道は2年前の初夏に名古屋のドラゴンズ観戦がてら顔を出したことがあるが、土地勘も無くいい加減に流した感がある。しかし国鉄時代から歴史を重ねた駅々にある大樹は確かめれば見事な桜の木であり、花の時期になったらさぞやと、沿線要所のフラグ立てはちゃんとやっていた。立てたフラグは回収に行かなければならない。しかし今年の桜...
昨春の大怪我から間もなく一年。セルフ快気祝いに海外でもブチかまそうかと思ったけれど、東南アジアの辺境など、現地の兄ちゃんの原付バイクのケツにぶら下がる覚悟と筋力が必要で、さすがにまだ自重。いやそれでも4月5月はあんまり東京にいません。 日本の何処かを旅しています。 探さないで下さい。大量のストック画像をヤワな車載ノートパソコンに詰め込むのも厳しいし、更新は不定期?生存確認用に現地発信があるかもしれま...
わたらせ渓谷鐡道 大間々 2017年「製版技術者が先入観でピンク色に振ったりする。桜は白いだろ!」と憤る風景写真家がいたが、樹種の問題は別にしても、白だと言われればその方が自然なような気はする。しかし白ならばそれだけ環境光の影響を受け易いということだ。 朝方なら蒼く、夕方なら紅色に。七変化の変わり身もまた、人を惑わせる妖花なのかもしれない。北関東に傾いた春の陽が、最後の光を注いでいる。Copyrig...
筑波鉄道 常陸小田 1982年草枕 旅の憂へを慰もることもありやと 筑波嶺に (万葉集)春爛漫の世の中に合わせて、先日入稿したフォト&エッセイ「旅のたまゆら 1981-1988」も、43年前の春物語。しかし万葉歌人と大分違うのは、そこに近づく程に旅の憂いが深まったことだ。うららかな筑波の麓は、撮りようがなくて四苦八苦がネガの並びに表われていて気の毒な程で、半ば投げやりに居座った小駅の、平凡過ぎる一日。いや、...
ミャンマー マンダレー近郊 2019年ミャンマー中部でM7.7の大地震発生と。中部と言えばこのマンダレー周辺だ。クーデター以降、実質内戦状態の同国ながら、日々を生き抜かなければならない民は逞しく、普段通りの日々を守っていると信じたかったが。同じ地震国ながら、日本とは社会のインフラもセーフティネットも全てが違うのだ。熱中症寸前の風太郎に椅子を出して木陰の休憩を進めてくれたおばさん。 お茶と食事を差し...
小湊鉄道 月崎 2016年アクアライン経由で我が家から小湊鉄道中心部まで車で1時間丁度というお手軽さ故、どうもご近所で撮ってる感があって、遠いところにやって来たという感覚に乏しい。しかし車の免許を持たない地元生活者の目線に立てば、そこには日に数本の鉄道に頼った移動手段しかない。「故郷」という独立した生活のコミュニティはそこに確かに在って、帰る場所でもあれば、出発の場所でもあるはずだ。駅は故郷...
大井川鐡道 家山 2018年欧米の学校で一般的な「秋始まり」に対して、日本の「春始まり」はいずこから根付いたのか、その訳に興味がある。桜花に始動のエネルギーを感じてその時期を特別なものとしたのか、それとも後追いのモニュメントとして、象徴的な植物に人集う場所、学校を、駅を飾らせたのか。新たな始まりは忙しなくもある。軽やかな急ぎ足が改札口に響く。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights re...
因美線 美作滝尾 2022年日の出前。朝露を崩して三脚を据える。 香る春草。一夜にして開花は更に進んだか。通過列車が静寂を破って。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
宗谷本線 雄信内 1987年3月14日付で北海道内において5つの駅が消えた。今更に驚かない出来事になってしまったが、雄信内、抜海と多少なりとも縁のあった駅となれば。雄信内駅については拙著「旅のたまゆら 1981-1988」のなかでも一文をしたためている。38年前の待合室に置かれた「駅ノート」の、故郷を後にした二十歳の地元女性の書き込みについて。「今度帰って来る時まで」と記された駅は無くなってしまった。 宗...
日中線 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)現代に生き残っているローカル線よりよほど乗っているのは皮肉と言う他ない。「葬式鉄」は一人もいなかった。廃止の日まであと二か月。 GWを挟んで長きに及んだ展示は、13日(月)でいよいよ千秋楽を迎えます。 15時まで。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木)...
島原鉄道 大三東 1982年ご来展者によれば。この時代を象徴する一枚なのだそうだ。まず「足だけ」も含め子供が3人も写っていること。地方に子供達が目立った1980年代を人口構成に鑑みれば、戦後日本に巨大なマスを形成した「団塊世代」(1947~49年生まれと定義づければ)が33歳から40歳だったということだ。「団塊二世」である。そして第一次産業専従とは言わずとも、団塊世代が地方に定住した「三世代同居」が当然の...
蒲原鉄道 大蒲原 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)降って、止んで、また降って。越後の長い冬に伸びる、ひと筋の道。今回の写真展の開催告知において、「写真系紙メディア」は冷たかったなーと思う。現在の「二大誌」と思っている「CAPA」はたった一行、タイトルと期間のみ。「フォトコン」に至っては完全スルー。「銀塩フイルムの」ときた時点でお呼びじゃないのかな。かつて写真誌の権威と言えば...
五能線 大戸瀬 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)「この写真のピントはわざと雪に合わせたのか。」と聞かれれば、そんなことは言いっこなしと写真に書いてあるだろう、と開き直るしかない。「こういう写真を見るとさ、ここに写っている人たちは今何処でどうしているんだろうと思うんだよな。」と述懐されれば、撮影技術を越えたところにある意図は伝わったかと思う。女子高生風が持った茶封筒...
宗谷本線 音威子府 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)上りの利尻は0時前に音威子府に着く。ここで降りた目的は下りの利尻を撮ることと、その後4:20発の天北線の始発で浜頓別、興浜北線に向かうこと。怪訝そうに待合室を覗き込んだ駅員が、何を了解したか無言で引っ込むのは、決して珍しくはないお客だったからかもしれない。それからの長い時間をどう過ごしたのか、今となっては思い出...
磐越西線 豊美 1985年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)「たまゆら」って何?とはよく聞かれるが、古代の「勾玉」同士が触れ合う微かな響き、ひいては音が出るその「瞬間」のイメージ。仏教用語でいうところの「刹那」(指をひとはじきする間を65刹那とする、「極めて短い時間」の念。1/75秒に相当するとも。)に近いかもしれない。(旅先での)魂の揺らぎでもあろうという解釈も付...
「人間とは何か。写真に聞いてみよう。」か。GWのギャラリーは皆写真撮りに行っちゃうから枯れると、OMさんも閉めちゃうわけだが、富士フイルムさんはまた凄いのをぷっこんできたな。人物ポートレート20世紀の遺産だそうだ。 隣ではアンセル・アダムスかあ。「ポートレート」はチャーチルからアインシュタイン、ヘミングウェイから市井の名もなき人まで。機材は現代とは比べようもないはずなのに、そのライティングの妙以前に...
風間克美さんは風太郎より20歳近く年上の大先輩なのだが、写真に関して共感するところ多く、先日も拙写真展にご来展、お会いしたばかりだ。その風間さんの新刊が出た。 1960年代の地方私鉄の情景を捉えた珠玉の写真集。風太郎はその頃、やっと生まれてせいぜい幼稚園児という時代だから、もはや口惜しさも感じない異次元のワールドである。これは氏の独特なカメラアイなのだが、ほば全部の写真が標準レンズクラスで撮られている。...
同和鉱業 小坂鉄道 雪沢温泉 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)フルサイズVSハイレゾフォーサーズの勝敗は、両者を並べている訳ではないし勝負はつきそうにない。しかし破綻しているという評は聞かれないし、むしろ35mmトライXからここまで伸びるのかという驚きをよく聞くから、ハイレゾフォーサーズのチャレンジ、まずは成功と思っている。時代の栄華を秘めた「小坂鉱山」から、...
磐越西線 日出谷 1982年中学時代の恩師がご来展。国文学専攻、まだ20代の女性国語教師は、夏休みの宿題に「小説を一本書け」とかいうのは仰天したが、読むこと、書くことの楽しさを教えてくれたと思う。中学2年の時に「今一番楽しいと思うことを作文に書け」というので、しからばと「国鉄相模線西寒川支線探訪記」というのを書いた。ご存じだろうか、西寒川支線。 寒川から分岐する支線で、僅か1.5km、1984年まで存在...
著名鉄道写真作家様も次々ご来展は嬉しいやら怖いやら。風太郎と同世代のお一人の評によれば、「この壁にやられた」とのこと。展示に際していくつか設けた「章」のうち、「旅の途上に列車は走る」の章。A0~A2の縦横の組み合わせとスクエアの2枚、同じくスクエアのキャプションの配列が美しいそうだ。もともとこの壁は四つあるうち一番小さく、ここにひとつの「章」を押し込むにあたり、スペースの捻出に一番苦労したところ。ある...
津軽鉄道 金木 1982年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)スカーフは当時の津軽女性の伝統的正装だった。高い秋晴れも、風が冷たさを増してきた晩秋の日。4日間で500人位のご来展者をお迎え出来ているのは嬉しい限り。広島、大阪、GWの新幹線で次々ご来京は、JRから感謝状を貰いたい位だ。 いや有難いことです。前半戦のヤマ場と思われた「作品解説トーク」も無事終了。放言に引...
無事に初日を迎えました。平日にも関わらず100名余りのご来展者をお迎えできたのは上々の滑り出しでありましょう。この趣味界の大御所の皆様も早速のご来展は光栄の至りです。まあ一人二人は現れる「気難し系街の写真家」も、「面白いな、しっかりやれ。」とのお褒めは一番嬉しいかも。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最...
山陰本線 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録) 「こったら何もねえとこ。」に、何もなくはない今日があるのだろう。4年前の「ミャンマー」の時はスポットライトに加えて蛍光灯の主照明も点灯、全体に明るく見せたけれど、今回、主照明を全て消してスポットライトだけで浮かび上がらせるよう試した。光と翳は、ともすればシャドゥ部分が見づらいかもしれないけれど、その場でよしと...
前の展示の終了・撤去が済む15時半過ぎをもって設営開始。設営のフレームマンさん、事前情報を受けてか、これは異例の3人体制になりましたね。しかし一旦ペースを掴めばそのスピードには舌を巻く。正味2時間半で仕上げた。 毎度風太郎の写真展ではお手間をお掛けしますね。写真はプリントからパネル制作まで全て自前だからこそ、気前のいいスポンサーがおらずともこの規模の展示ができるのだが、自前ではどうにもならんという1枚...
山陰本線 温泉津 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)例によって撮影・乗車記録なし。 細かいシチュエーションは忘れた。 多分夜明け前から乗っていた旧客各駅停車。 窓ガラスに雨粒が写っているから、それは物憂げな山陰の雨雲の下を走ってきたのだろう。いつの間にか顔を出した朝日の眩しさに、ボックスシートのうたた寝から目覚めたのかもしれない。温泉津だから撮ったのではな...
五能線 岩館 1982年 (1285mm×870mmで展示予定 写真集未収録)この写真を見て映画「砂の器」に出てくるシーンを思い出すという人がいる。ハンセン病で村を追われた父子が各地を彷徨する10分間のクライマックスシーンは、映画史に残る名場面とも言われるからよく覚えている。 渚を歩く父子のシルエット。 切ないシーンではあるけれど、この国の四季の風土の厳しさ、美しさを凝縮した10分間とも思う。かつて鉄道土木...
設営作業まで残り6日。 展示写真は全て完成。 あとは細かなキャプション類の制作を残すのみで工程進捗率は98%というところ。出来上がったパネルを眺めていると、自画自賛ながらモノクロプリントってきれいだなと改めて思う。何故か今、撮り鉄の世界はカラーにあらずは・・・というよりカラー以外ってあるの?という状況だ。巷に溢れる撮り鉄写真展だが、オンリーモノクロームのアンチテーゼをしっかり見せられれば。ともすれば気...
蒲原鉄道 七谷 1982年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示予定)信越本線加茂から続く平野部が尽きて、山間のサミットにかかる直前に交換駅・七谷はあった。ここで24時間一人きりで、閉塞作業をはじめ駅を守る駅長さんは二交代制だから二人いた。一人はちょっと取っつきづらく、怖い感じがして敬遠していた。当時挨拶もお愛想もおぼつかない子供だったから、それは優しく𠮟ってくれていたのかと今は思...
小湊鉄道 上総大久保 2019年春を愛でる1日が、終わろうとしている。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木) 休館10:00~18:00 (最終日15:00まで)オールモノクロ75点展示 (予定)OM SYSTEM GALLERY (旧オリンパスギャラリー東京)新宿西口より都庁方面に徒歩5分4月27日(土) 14:00より 会場にて作品解説トーク開催しま...