chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

FUSA
フォロー
住所
中央区
出身
中央区
ブログ村参加

2009/09/19

arrow_drop_down
  • 熊本城鏑流馬

    今日は「秋のくまもとお城まつり」恒例の「武田流騎射流鏑馬」が熊本城二の丸広場で行われた。当初は11月2日の予定が悪天候で、今日に延期されていたもの。そんな影響もあってか例年よりも観衆は少なかった。古武道である騎射流鏑馬は約1100年の歴史を有し、「武田流騎射流鏑馬」は熊本県重要無形文化財でもある。徐々に女性入門者が増えてきたと見え、射手や諸役にも女性を見ることが多くなった。次代へ歴史をつなぐ役割を女性たちが担っていくのかもしれない。小春日を切り裂く鏑矢ばせ馬射手のほか奉行や諸役など全員が揃って神事に向かう天長地久式射手は馬場元から馬を馳せ1番・2番・3番の的を射て行く。正式な装束の射手1回目の騎射を終え馬場元へ戻る射手たち熊本城鏑流馬

  • 山中節と「虚空遍歴」

    今日、RKK熊本放送で放送された「水戸黄門第23部第12話」の舞台は温泉で知られた山中(現石川県加賀市)。劇中、村娘によって地元の民謡「山中節」が唄われる。去り行く黄門主従を送る「山中節」の唄声を聴きながら、だいぶ前に読んだ山本周五郎の代表作ともいわれる「虚空遍歴」を思い出した。この物語は、武士の身分を捨て端唄で人気を得た中藤冲也が、浄瑠璃作家として成功しようと苦闘し、ついには客死する半生を描いた作品。沖也のあてどもない浄瑠璃行脚の旅の中に山中温泉の場面がある。三味線音楽の大御所・本條秀太郎さんは50年ほど前に「山中節」をモチーフとして俚奏楽「雪の山中」を創作された。さらに本條秀太郎さんは、自らが創った「雪の山中」と、山本周五郎の「虚空遍歴」の世界観に共通するものを感じとり、「虚空遍歴」に登場する冲也を献...山中節と「虚空遍歴」

  • 「ばけばけ」夫役は美丈夫!

    小泉八雲の妻セツをモデルとしたヒロインを高石あかりが務める来年秋朝ドラ「ばけばけ」。その夫ヘブン(モデルは八雲)を英国人俳優トミー・バストウが演じることが決まり、昨日、NHK熊本局のニュース情報番組「クマロク!」の中でも発表された。八雲のイメージとは程遠い?美丈夫の登場にちょっとビックリ!基本的にはフィクションなのではたしてどんな夫役のイメージを創造するのか楽しみでもある。来年年初から撮影に入るようで、熊本もそのロケ地の一つになる予定だという。ロケ地を予想しながら八雲ゆかりのスポットを並べてみた。来熊後、最初の1年を過ごした家。現在、小泉八雲熊本旧居(熊本市中央区安政町)熊本での第1作「家庭の祭壇」の題材となった最初の家の神棚坪井西堀端町にあった熊本二番目の家(現在はない)熊本二番目の家の跡はA社の社宅と...「ばけばけ」夫役は美丈夫!

  • 水都 新潟

    今夜NHK-BSで放送された「新日本風土記~水都新潟~」は思い出のある地でもあり、興味深く見た。おおむね次のようなキーワードがあったと思うが、それぞれの感想はまた別の機会に述べたい。大河河口の湿地帯新潟港と中古車ビジネスのパキスタン人信濃川に架かる萬代橋老舗料亭の「古町」と「古町芸妓」横田めぐみさん北朝鮮帰国事業下駄踊り鳥屋野潟鎧潟(よろいがた)etc.◇番組内でも紹介された「新潟小唄」◇番組中、度々アンダースコアとして使われていた「TheStreetsofLaredo」水都新潟

  • 嗚呼!北の富士さん

    元横綱北の富士さんが亡くなった。テレビで訃報を聞いてまず思い出したのは、若手の頃の屈託ない笑顔だった。あれは昭和40年1月、明治神宮でのことだった。その日、大学1年だった僕は、新横綱佐田の山の奉納土俵入りが行われることを知って、電車通学の途中、原宿で下車し明治神宮へ向かった。本殿前で待っていると、横綱佐田の山、太刀持ち北の富士、露払い金乃花が行司とともにやって来た。皆緊張の面持ちだったが、贔屓筋からの声でもかかったのか、北の富士だけが破顔一笑、大物ぶりを感じさせた。柏鵬時代が終盤にさしかかった頃だったが、彼の相撲人生は順風満帆ではなかった。所属する出羽の海部屋は佐田の山が親方である出羽海の娘と結婚して婿養子となり、出羽海部屋を継承することが決まっていたが、先代出羽海親方が生前、後継者に指名していた九重(元...嗚呼!北の富士さん

  • 長岡家

    長岡家

  • 谷川俊太郎さんの訃報

    久しぶりに風邪で寝込んでテレビを見ていたら、谷川俊太郎さんの訃報が流れた。いろいろ書きたいこともあるが、今日はとりあえず、これまでブログに書き込んだ谷川俊太郎さんに関する話題を再掲することにした。心よりお悔やみ申し上げますどうか安らかにお眠りください◇43年目の真実「東京オリンピック」(2007.6.19)17年前、ネットで東京オリンピック1964について調べていたら、南都上緒さんという方のサイト「なんとかかんとか」に迷い込んだ。そこには、映画「東京オリンピック」の製作裏話が詳細に記述されていた。その中に次の記述があった。以下、原文のまま「脚本を見ると、『水球。決勝。水中撮影で選手たちの下半身の激しい動作、それに伴う水の乱れを捉えたい。』・・・公開された映画にはこんなシーンはない。しかし、僕は60年前のオ...谷川俊太郎さんの訃報

  • 熊本城下町・菓子祭り

    今日は熊本県護国神社の「熊本城下町・菓子祭り」の日。かつて菓子職人の町として栄えた中職人町(現新町4丁目)にあった菓子の神様を祀る祠を、平成27年に護国神社境内に遷座。以来、毎年11月中旬に「菓子祭り」が開かれてきた。コロナで中止された年もあったが今年で7回目。境内には菓子を始めいろんな出店が立ち並び、詰めかけた多くの人々が食べながらイベントを楽しんでいた。菓祖新宮神社。お菓子の神様「田道間守(たじまもり)」を祀る。慶誠高校吹奏楽部(本殿前石舞台)けんぶん少年少女合唱団(特設ステージ)二の丸広場も秋色が濃くなってきた。♪「上中下の職人町は九州一の菓子の町」と唄う「肥後の通り名」熊本城下町・菓子祭り

  • いまに生きるハーン

    今日は「小泉八雲没後120年記念事業」としてホテル熊本テルサで行われた小泉凡さん(八雲の曽孫)の講演を聴きに行った。汎さんは島根県立大学などで教鞭をとっておられるのでどんな講話になるのか楽しみだった。すると汎さんはパワーポイントを使ったビジネス・プレゼンテーションのようなスタイルで進行された。お話を聴きながら曽祖父・ハーン先生の五高時代の授業の話を思い出した。五高の教え子である村川堅固氏は五高の「龍南会雑誌第二百号)の中で「母校に於ける小泉八雲先生」と題してハーン先生の教授法を次のように語っておられる。――先生の教授法は一種独特のものであった。例えば文法を教えらるるにも教科書を用いらるるでなし、また口授筆記をさるるでなし、教場に入られて、出訣(欠)をつけらるる。それからクルリと振り返って、黒板に向い、チョ...いまに生きるハーン

  • 比丘尼橋のはなし。

    今日は磐根橋を渡った先から坪井の方へ降りる道を散歩した。曲がりくねった坂を下りながら、3年前、熊本博物館学芸員の中原幹彦先生からお誘いいただき、考古学講座の皆さんと熊本県伝統工芸館の裏にかつてあった坪井川船着場の現地調査に参加させていただいた時のことを思い出した。旧坪井川の船着場跡のほか棒庵坂から下る「あずき坂」や旧坪井川に架かる「折栴檀橋」の痕跡をと思ったのだが、残念ながら生い茂った草木で前に進めず断念した。その「折栴檀橋」について以前、津々堂さんが「明治初期の熊本の町名にある比丘尼橋は折栴檀橋の誤りである」と書かれたブログ記事があった。たしかに「折栴檀橋」が正しい呼び名なのだろう。しかし、仮にも熊本県(当時は白川県)が明治6年に発行した町名図の表記を間違うだろうかとずっと疑問に思っていた。ひょっとした...比丘尼橋のはなし。

  • 映像に字幕を付けよう!

    現在、YouTubeマイチャンネルには公開・非公開合わせて837本の動画をアップしている。自分の歳を考えると、これからそう多くの動画をアップできるわけではない。僕が生きた時代(特に平成)の文化の記録として残すため、既存の映像を可能な限りブラッシュアップしたいと考えている。具体的には字幕がない映像に字幕を付けたり、可能ならば解像度も上げたい。字幕なしの映像もまだまだ多いが、字幕を付けて再アップするとアクセス数が劇的に変わることもあり、それを楽しみに頑張ってやってみたい。◇字幕を付けた映像◇字幕を付けていない映像映像に字幕を付けよう!

  • 黄門さまと民謡

    よく見るテレビ番組といえば「水戸黄門シリーズ」。地元のRKK熊本放送とBS-TBSで月―金放送するので、毎日だいたいどちらかを必ず見ている。黄門さま主従が諸国を漫遊する中で、各地の民謡が登場する。民謡好きにとってこれが楽しみの一つでもある。たまたま今日見たRKK放送の話は水戸黄門第9部最終話「三国一の嫁騒動」(水戸)黄門さまの地元が舞台で、旅籠に泊った一行が宴をやっていて、八兵衛が「磯節」を唄いながら踊る場面があった。僕の大好きな民謡の一つだが、今日の八兵衛の「磯節」はどちらかというと天草の牛深に伝わった「牛深磯節」のような陽気な曲調が印象的。▼藤本二三吉が唄う「磯節」もう一つ黄門さまの地元の話では水戸黄門第6部第31話「人情潮来節」(潮来)江戸中期に茨城県潮来に始まったといわれる「潮来節」の発展型が「潮...黄門さまと民謡

  • 講演会「細川家と熊本のお茶」

    昨夜は、福榮堂さんからおさそいを受けていた細川護光氏(細川護熙氏の長男)の講演会「細川家と熊本のお茶」を聴きに行った。会場は上通の菓舗まるいわ。1階の茶室でまるいわ名物の「あんさんどら」とお抹茶をいただいた後、3階に上がって講演会に臨んだ。細川護光氏は現在、陶芸家のほか永青文庫(東京都文京区)の理事長や水前寺成趣園の出水神社宮司を務めるなど多忙な日々を送っておられるという。講演の概要は鎌倉時代に足利氏の孫である足利義季が下野国から三河国細川郷に移り住み細川姓を名のったことに始まる細川家の歴史。文武に秀で近世細川氏の祖となった細川幽斎。千利休に傾倒し「利休七哲」の一人に数えられた細川三斎。そして三斎や細川忠利に請われ利休の教えを守る「肥後古流」の祖となった茶頭・古市宗庵の話などが語られた。講演後、福榮堂さん...講演会「細川家と熊本のお茶」

  • ドラマ「小吉の女房(2)」を観ながら

    現在、NHK-BSでドラマ「小吉の女房(2)」が再放送されている。本放送時ほとんど見ていなかったので見始めた。このドラマは勝海舟を育てた破天荒な夫婦を描いた物語である。今日の回では、麟太郎(後の勝海舟)が父小吉の実家の親戚で奥女中を務める阿茶の局のツテで将軍の孫の遊び相手として江戸城に召し出されるという話があった。これを見ながら、わが父の幼少時のことを思い出してつい笑ってしまった。父は4~6歳の頃、泰勝寺に住まわれていた長岡家(細川刑部家)の若様の遊び相手として泰勝寺へ日参した。父が書き残した備忘録には次のような一節がある。――長岡家は細川家の遠戚に当り、旧藩時代は家老職を務めた格式ある家柄。従って旧来の因習も多分に残る家庭であった。長岡家には二男一女があったが、その遊び相手選びにも厳しいものがあった。近...ドラマ「小吉の女房(2)」を観ながら

  • 不思議なご縁

    今日はベスト電器清水店に行った後、立田山麓の立田自然公園(泰勝寺跡)へ足を伸ばしてみた。茶室仰松軒での月イチ生け花指導に来られるU先生とお話しするのが楽しいので、今度いつ来られるのか公園入口の受付でたずねてみると、なんと今月は今日と明日来られる予定だという。10時には来られるというので、それまでにお詣りをしておこうと四つ御廟に向かった。四つ御廟の入口で二人のご婦人が園内清掃のおじさんに何か尋ねておられた。どうやらお二人は初めての来園で、ガラシャ夫人のつくばいを探しておられたようだ。僕もちょうどガラシャ廟の方へ行こうとしていたので、「つくばいは御廟の脇にありますよ」と言ってお二人をご案内した。それからしばらくお二人とガラシャ夫人のことや忠興公のことなどを立ち話した。なんとお二人も生け花の先生に会うのが目的だ...不思議なご縁

  • 八幡のはなし。

    先日の「ブラタモリ~東海道五十七次編~」第2夜は五十四番目の伏見宿からわずか4㌔の五十五番目の淀宿だった。なぜここに?というタモリの疑問も、ここから少し街道を進んだところが徳川にとって極めて重要な要衝であったことがわかってくる。二つの山に挟まれた地形は、徳川に反旗を翻し江戸へ攻めのぼる西国大名の関門のようになっており、その山の上に鎮座するのが平安時代から崇敬され京を鎮護する石清水八幡宮。わが家は先祖代々藤崎八旛宮を氏神としている。藤崎八旛宮は、承平5年(935)に朱雀天皇が平将門の乱平定を祈願され、石清水八幡大神を国家鎮護の神として、茶臼山(今の藤崎台球場)に勧請されたのに始まる。明治16年生まれのわが祖母は藤崎八旛宮のことを「お八幡さん」と呼んでいたが、昔の人々の尊崇の念はとても強かったと聞く。そこで思...八幡のはなし。

  • 漱石くまもとの句 ~秋~

    1週間ほど前、市立図書館へ行った時、郷土関連図書のコーナーで「くまもとの漱石:俳句の世界」という本が目に入った。これはまだ読んでなかったなと思い借りて来た。夏目漱石来熊120年記念の年に出版されたもので、漱石が熊本時代に詠んだ俳句をまとめたものらしい。今日は秋の句の中から三句選んでみた。▼合羽町の家「病妻の閨(ねや)に灯ともし暮るゝ秋」明治29年秋、光琳寺の家から引っ越してすぐ鏡子夫人が病の床に伏したことがあり、漱石は寝ずの看病をしたそうだ。その時の心境を詠んだものだろう。何とやさしい旦那様と思われる向きもあろうが、エリート官僚の舅やお手伝いの老女まで一緒に付いて来た箱入り娘と結婚式を挙げてまだ3ヶ月。そりゃあそうなるでしょう。漱石まだ29歳である。この合羽町の家もその年が暮れて初めて迎えた正月にお客や生...漱石くまもとの句~秋~

  • 伏見 橦木町・笹屋

    ブラタモリで「京街道」を見た後、あらためてルートを地図で確認してみた。すると京都伏見橦木町を通っていることに気が付いた。さらに「京街道」を紹介するサイトを見てみると街道沿いに橦木町遊郭入口の記念碑が立っているという。そこで大河ドラマ「元禄繚乱」を思い出した。あれは十八代中村勘三郎さん(当時は勘九郎)扮する大石内蔵助が伏見橦木町の笹屋で遊興する場面だった。そしてその場面では数人の芸妓が音曲を演奏していた。このドラマの邦楽指導を担当したのは本條秀太郎さんだったので一門の方が何人か出演されていて本條秀美さんもその一人だった。何を演奏されていたのか知りたくて秀美さんにおたずねしたことがある。秀美さんによれば、演奏したのは既成の曲ではなく、本條秀太郎先生が番組のために創られた曲だったという。そして、その時の音源は「...伏見橦木町・笹屋

  • ブラタモリ ~東海道五十七次編~ 雑感

    8ヶ月ぶりに復活した「ブラタモリ~東海道五十七次編~」を3日連続で見た。今回のテーマである東海道の別ルートに込めた徳川の思惑もよく理解できた。五十三番目の大津で分岐させ、五十四次:伏見、五十五次:淀、五十六次:枚方、五十七次:守口の四宿を経て大坂高麗橋のゴール地点まで約54kmの旅。旅の様子はNHKプラスで1週間は配信されるのでまた後日ということにして、全体を通じた感想を記してみた。まず今回は3日連続の放送だったが、初日のみ45分で、2日目と3日目は28分だったので、できれば2日間にまとめて放送してもらいたかった。オープニングは井上陽水の「女神」をつい待ってしまう。あのラテンブラスとパーカッションのノリの良さが懐かしい。ナレーターのあいみょんは初めてだから無理もないが、まだ存在感を示すところまでは行かなか...ブラタモリ~東海道五十七次編~雑感

  • くまもとの秋もまもなく・・・

    暦の上では今は晩秋。あと3日もすれば「立冬」。もう冬である。「秋は夕暮・・・」などと枕草子気分になることもなく、慌ただしく秋は去ってゆくのだろうか。そんななか、昔と変わらぬ人々の営みに懐かしさと愛おしさを覚える今日この頃である。「七五三詣り」加藤神社「肥後のつりてまり」下通商店街くまもとの秋もまもなく・・・

  • 復活ブラタモリ第1夜 ~大津絵節~

    今夜は復活ブラタモリの第1回。徳川幕府が開いた東海道大津宿から五十三次と別れて大坂へ向かう五十七次の伏見宿まで。旅の内容は2・3回と合せて後日まとめたいと思うが、今日はタモリさんもチャレンジした「鬼の絵」、大津宿名物・大津絵にまつわるはなし。大津絵とは、江戸初期に、東海道五十三次の大津宿(大津の追分、大谷)で軒を並べ、街道を行き交う旅人等に縁起物として神仏画を描き売ったのがその始まりといわれる。そもそも大津絵は、「大津絵の筆の始は何仏」という芭蕉の句が残っているように、旅人のお守りとして作られた仏画が始まりだという。旅の土産として人気が出ると「藤娘」のような風俗画も描くようになり益々人気を博して行った。江戸中期になると、これら人気の大津絵を題材とした「大津絵節」を大津の遊女たちが歌い始め、これが街道を往来...復活ブラタモリ第1夜~大津絵節~

  • あいみょんが「ブラタモリ」のナレーションを!

    明日から三夜連続で放送される「ブラタモリ」のナレーションを若手シンガーソングライターのあいみょんが担当するらしい。草彅剛のナレーションが長かったので唐突な感じがしないでもないが、いろんな事情があるのだろう。「ブラタモリ」のイメージから、はたしてあいみょんはどうなの?という反応もあるらしいが、タモリとあいみょんは以前から相性がいい。5年前の「タモリ倶楽部」(テレ朝)では、作詞する際に官能小説からインスパイアされることが多いというあいみょんが出演して官能小説について語っていたし、4年前の「タモリ倶楽部」でも春画通だというあいみょんが出演して「第1回春画脇役大賞」なる企画で通ぶりを発揮していた。また、3年前の正月「ブラタモリ」と「鶴瓶の家族に乾杯」のコラボ番組にも出演し、おじさんからの愛されキャラぶりを見せてい...あいみょんが「ブラタモリ」のナレーションを!

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、FUSAさんをフォローしませんか?

ハンドル名
FUSAさん
ブログタイトル
徒然なか話
フォロー
徒然なか話

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用