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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 伊豆の踊子が踊る曲

    今日、NHK-BSのプレミアムシネマで吉永小百合版「伊豆の踊子」が放送されました。映画化された戦後の「伊豆の踊子」5本すべて見ていますが、この小百合版だけでも既に5、6回は見ています。しかし、今日も見逃すわけにはいきません。この映画が公開されたのは僕が高校3年の時。小百合さんは1級上なので既に18か19歳、原作の14歳の踊子・薫が17、8歳の設定に変えられていました。「踊子」という役柄上、踊るシーンは欠かせませんが、「伊豆の踊子」全5作の中で、この小百合版が一番、踊るシーンが多かったと思います。お座敷で踊ったのは「ノーエ節」、「串本節」そして「ハイカラ節(自転車節)」の3曲。温泉町を流している時に踊っていたのは「ストトン節」ではなかったかと思います。いずれも原作者の川端康成が伊豆の旅をした大正7年頃流行っ...伊豆の踊子が踊る曲

  • gooブログのしまい方

    4月14日にgooブログサービスの終了がアナウンスされて以来、ブログに対するモチベーションも下がり気味ですが、今後どうするか決めなくてはなりません。早々にgooブログからの引っ越しを終えたという連絡も目にすることが多くなりましたが、自分も引っ越しするにしても引っ越し先をどこにするかはもうしばらくじっくり考えてみたいと思います。引っ越し先はさておき、gooブログをきちんとしまうに当たって、20年に及ぶgooブログ歴の中で、最も思い出深い記事は何だったのか考えてみました。様々な記事が思い浮かびますが、中でも特筆すべきは2010年から、2016年の熊本地震まで約6年間続いた熊本城本丸御殿での「春の宴」や「秋夜の宴」などの伝統芸能イベントではなかったかと思います。そのイベントの多くでメインキャストを務めた舞踊団花...gooブログのしまい方

  • コメ高騰と大浜外嶋住吉神社年紀祭

    昨年から続くコメの価格高騰は政府による備蓄米の放出後も鎮静化は見られないようだ。農水省は、その背景には投機的な買い占めがあると説明していたが、どうもそれだけではなく、いろんな要因が複合していることがわかってきた。政府にはさらなる米価高騰対策を望む。「米はわれらの親じゃもの」と唄う民謡「米節」に喩えるまでもなく、米は日本人にとって単なる食糧ではない。米は日本文化と深く結びついている。アメリカの関税措置をめぐる日米交渉でも「米」の輸入が取り上げられそうだが、日本人が決して譲れない一線であることを主張してもらいたい。ところで、5月3・4日「大浜外嶋住吉神社年紀祭」が15年ぶりに開かれる。玉名市大浜町は母のふる里でもあるので見に行くことにしているが、大浜町は江戸時代中後期、大坂へ肥後米(高瀬米)を積みだす高瀬港の...コメ高騰と大浜外嶋住吉神社年紀祭

  • ふるさと遥か 民謡の旅(2)

    今年の「牛深ハイヤ祭り」は今日の総踊りで閉幕しました。3月2日の記事「民謡の旅(1)」に続き、今日はその続き「ふるさと遥か民謡の旅(2)」をアップしてみました。前編では九州の西海岸や日本海沿岸を北上する北前船に乗って、寄港地伝いに伝播していった「牛深ハイヤ節」が、ついには1600㌔も離れた津軽地方に到達し「津軽あいや節」と姿を変えて唄い継がれていることを紹介しましたが、旅はこれで終わりではなかったのです。牛深高校郷土芸能部による「牛深ハイヤ節」津軽海峡を回った「ハイヤ節」は東廻海運に乗って太平洋側の南部地方・八戸辺りの港に伝わり「南部アイヤ節」となります。江戸時代の南部地方は現在の青森県と岩手県にまたがっており、岩手県の宮古辺りにも青森県とはちょっと異なる趣の「南部あいや節」が伝わっています。◇南部アイヤ...ふるさと遥か民謡の旅(2)

  • やつしろ舟出浮き

    先日、ローカルニュースで今年の「やつしろ舟出浮き(ふなでうき)」が始まったというニュースが流れていた。これは八代伝統の海のレジャーで、漁船に10人前後の客が乗り込み、漁師の伝統漁法を目の前で見物するとともに、獲れた季節ごとの海の幸を、八代海に浮かぶ無人島に上陸して漁師さんがさばいて料理してくれるというもの。江戸時代、八代城主だった松井家が球磨川河口で楽しんでいた船遊びに由来するという。僕が小学2年生の時、父が八代の太田郷小学校に勤務していて、教職員慰安行事の「舟出浮き」に僕も連れて行ってもらった。その日の舟は八代海でのイカ釣り舟だった。海に沈めてあった籠を次々に引き上げると中にイカが入っていて、船上へ上がる瞬間に真っ黒いスミを吐く。みんなでキャーキャー言いながらスミをよけた。漁が一段落すると無人島に上陸し...やつしろ舟出浮き

  • 藤の季節

    早くも藤の季節。一昨日行われた藤崎八旛宮の藤祭には所用のため参拝できませんでしたが、日を改めて藤棚の甘い香りを嗅ぎに行きたいと思っています。藤崎八旛宮の藤棚藤といえば「藤娘」。昨年11月に放送された「ブラタモリ東海道五十七次の旅」編でも紹介された大津絵の代表的な画題の一つです。この大津絵をモチーフにした長唄であり歌舞伎舞踊の演目でもある「藤娘」。先日の「中村花誠六十周年記念公演」における「藤娘」の中から、「近江八景」を織り込んだ聴かせどころをダイジェストにしてみました。彦根在勤の頃、現地を訪れたことのある地名が歌われていて懐かしくなりました。◇近江八景比良暮雪(ひらのぼせつ)堅田落雁(かたたのらくがん)矢橋帰帆(やばせのきはん)粟津晴嵐(あわづのせいらん)唐崎夜雨(からさきのやう)三井晩鐘(みいのばんしょ...藤の季節

  • gooブログ最後の桜便り

    今日は今春最後の花見をしようと熊本城二の丸・三の丸周辺を見て回った。ソメイヨシノはほとんど葉桜になってしまったけれど、まだまだ遅咲きの桜花たちが目を楽しませてくれた。おそらくgooブログに投稿する最後の桜便りになるだろう。ホウミョウジザクラ(監物台樹木園)祇王寺妓女桜(監物台樹木園)八重桜(護国神社)御衣黄桜(三の丸漆畑)最後は賑やかにボカロ・初音ミクの「千本桜」で締めくくるとしよう。gooブログ最後の桜便り

  • 今日のマイミックスリスト

    一昨日アップした記事「ブラタモリ伊勢路編・第二夜」に貼り付けた「俚奏楽伊勢土産」をYouTubeで視聴していたら、サイドバーに「マイミックスリスト」が表示されたので久しぶりにクリックしてみた。50曲に近い動画がリストアップされたが全部見るわけにもいかないので、その中から下記の3曲を選んで視聴した。◇長唄「五條橋」弁慶と義経の出会いを描いた謡曲「橋弁慶」をもとにした長唄「橋弁慶」のうち五條橋の対決シーンに焦点を当てた長唄です。杵屋五司郎さん率いる蓑里会の三味線、杵屋六花登さん率いるうらら会の唄、中村花誠さん率いる花と誠の会の囃子、藤舎仁鳳さんの笛という名手が揃った演奏です。◇バディ・ボールデンズ・ブルース(BuddyBolden'sBlues)19世紀末期のニューオリンズはジャズの揺籃期。ニューオリンズジャ...今日のマイミックスリスト

  • 「gooブログ終了」と「熊本地震9年」と

    今日の昼前、ブログ友の油屋種吉さんからのコメントでショッキングな情報を知った。2025年11月18日をもってgooブログサービスが終了するというのだ。2005年2月にgooブログを開設して以来20年。別のブログサービスへ引っ越すのか、それともこのタイミングでブログをやめるのか決めかねている。今日は奇しくも熊本地震前震から9年の日。gooブログ歴の中でも最大の出来事だったが、あの記憶を風化させてはならない。熊本地震に関するgooブログ記事は、形はどうあれ残していきたい。本震の翌日に投稿したブログ記事を再掲してみた。◆余震のまにまに(2016.4.17)二晩を車中で明かしたが、昨夜は雨の予報もあり、94歳の母にとってこれ以上は無理と判断し、僕らもさすがに疲れたので、姉婿の親族が経営する保育園の一室に泊めてもら...「gooブログ終了」と「熊本地震9年」と

  • ブラタモリ伊勢路編・第二夜

    昨夜の「ブラタモリ伊勢路編・第二夜」は神戸宿(鈴鹿市)から。前回「日永の追分」(四日市)で東海道と分かれたが、ここ神戸宿で再び三差路に出会す。その三差路に立つ意味ありげな老舗旅館「あぶい旅館」。街道に面した部屋は格子構え、かつては女性を侍らせた「見世」状態で旅人の足を止めた。これを聞いたタモリは「伊勢路が見たい」と唄う伊勢路の魅力がわかってきたと言う。さらに神戸宿の「餅屋」の看板の多さに気付く。「餅街道」ともいわれた伊勢路の老舗「もち久」で名物「立石餅」を味わう。伊勢路の街道筋でなぜ餅屋が盛んになったのか、その秘密を探りになんと鈴鹿サーキットへ向かう。鈴鹿サーキットの複雑な地形を利用したコースを回ってみると餅が生まれた理由がわかるということで、タモリ自らアトラクションカートを運転し、佐藤茉那アナを乗せてサ...ブラタモリ伊勢路編・第二夜

  • 春の終わりの御衣黄桜

    どうやら明日からまた雨になりそうだというので、熊本城三の丸の「御衣黄桜」を見に行った。そろそろ満開になると思われる。「御衣黄桜」は桜の季節が終わりかける頃に咲くので、毎年「御衣黄桜」を見て春の終わりを認識する。これまで三の丸で「御衣黄桜」を観察していて他の方と出会ったことはほとんど無かった。ところが、今年は何人かの方から「御衣黄桜はどれですか?」とか「御衣黄桜を見に来ました!」などとお声をかけていただいた。この桜への注目度が高くなりつつあるようで「御衣黄桜」ファンとしては喜ばしい。例年より長く見られたソメイヨシノもすっかり葉桜になりつつある中、「御衣黄桜」が気高く清いその姿で春を締め括ろうとしている。そこで拙句を一句往く春を惜しむ御衣黄桜かないつ見ても清々しい色合いの御衣黄桜御衣黄:平安歌人の纏う唐衣の下...春の終わりの御衣黄桜

  • 朝ドラ「ばけばけ」と祖母

    今朝の熊日新聞に、今秋放送される朝ドラ「ばけばけ」がクランクインしたというニュースが載っていた。熊本は小泉八雲が五高教師を務めたゆかりの地なので、いずれ熊本ロケもあるかもしれないということだが、このドラマには注目していることがある。それは、ヒロインのモデルである八雲の妻セツと、48年前に他界した僕の祖母が同じような前半生を送ったのではないかということである。祖母はセツさんより15年遅れて、セツさんと同じように士族の家に生まれた。娘時代までは資産もあり、わりと裕福な家庭環境だったらしい。曽祖父は大江村の村長をやっていたが、その頃が一番羽振りが良く、屋敷では度々盛大な宴会が行われていたという。しかし、水道町一帯の持ち家十数軒が大火で烏有に帰してしまい、その後没落へと向かう。セツさんも実家や養家がいずれも没落し...朝ドラ「ばけばけ」と祖母

  • 夕顔とかんぴょう

    ブログをフォローさせていただいている油屋種吉さんの直近の記事に、栃木県下野市の「ゆうがおパーク」のことが紹介されていました。この記事の最後に「下野市は、元首相の小泉さんのもとで実施された広域合併で、それまでの石橋町、国分寺町それに南河内町が合併してつくられました。夕顔はかんぴょうの花で、大きめの白い花だとご存じの方はおられましたでしょうか」という一文が付け加えられていました。不肖私も一応、元栃木県民ですので、栃木名産品かんぴょうはウリ科の植物で美しい夕顔の花を咲かせることは聞いていましたが、「半蔀(はじとみ)」や「夕顔」など、源氏物語の「夕顔の君」をモチーフとした能を見たことがありますが、妖艶な「夕顔の君」と栃木名物のかんぴょうを結び付けて考えたことはありません。種吉さんのひと言でハッと気づかされました。...夕顔とかんぴょう

  • 2025春 寸描

    桜吹雪が舞い、今年の春もやがて過去の思い出になろうとしている。今年の春、ちょっと気になった風景を挙げてみた。熊本城三の丸の北側法面に並んだ見事な桜並木。毎年思うことだが、ここの桜は上からも下からも近寄れないのが残念だ。今年ほど花見に多くの外国人が来ているのを見たことがない。熊本城二の丸住江門で見たイスラム系のファミリー。熊本市北区の「高平・坪井川遊水地花公園」の桜と菜の花の向こうに見える浄国寺。1年以上、谷汲観音様のご尊顔を拝していないので近いうち参拝しよう。先日、わが家の墓参りに行ったら、隣の墓の解体工事が行われていた。石材業者の話では、最近は墓を建てるより「墓じまい」で解体することが多いのだそうだ。わが家も他人事ではない気がした。2025春寸描

  • 伝統芸能の夜

    昨日は熊本市民会館で行われた「中村花誠六十周年記念公演」を観に行きました。第一部の古典では蓑田司郎(杵屋五司郎)さんを始めとする東音の皆様、第二部では本條秀太郎さんを始め本條流の皆様など、普段熊本ではなかなか観ることができない豪華な地方が揃い、立方の花童&はつ喜の面々も積み重ねた稽古の成果を存分に発揮していました。当日の番組は次のとおり【第一部】古典の世界一、長唄鶴亀一、長唄藤娘一、長唄俄獅子【第二部】熊本お座敷つづれ集一、肥後の殿様一、つくしんぼ一、肥後じまん(オテモチャン・くまもんちゃん)一、雨の郡上一、とうろう一、阿蘇空節一、阿波のうずしお一、熊本賛歌さわぎ一、熊本賛歌そのうち2演目をご紹介します。動画を撮りたかったのですが、指定された席からの撮影が難しかったため、「藤娘」の一部だけであきらめました...伝統芸能の夜

  • 2025年1~3月 動画視聴ベスト10

    今年に入ってから3ヶ月のYouTubeマイチャンネルの視聴分析結果が判明しました。1~3月期のチャンネル総視聴回数は308,206回。ベストテンは下記のとおりですが、相変わらず「お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)」がダントツで93,035回を数えました。以下、上位はほとんど入れ替わりがなく、そろそろ上位に入るような新ネタをリリースしたいと思っているところです。1.お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)(93,035回)2.こわらべ~江津湖音頭~(17,232回)3.花童~肥後のタンタン節~(12,301回)4.こわらべ~お座敷小唄/芸者ワルツ~(11,785回)5.南部俵積み唄(11,078回)6.伊勢音頭(歌詞付)(9,591回)7.ひえつき節(7,725回)8.花童~絵日傘/数え唄~(7,128回...2025年1~3月動画視聴ベスト10

  • ブラタモリ伊勢路編・第一夜

    ブラタモリ新シリーズが、タモリさん自身が言うように「何もなかったかのように」始まった。伊勢路編第一夜は、タモリが行きたいと願っていた自ら持っている広重の「桑名」の現地に立ち、感動する。その桑名で船着場に立つ鳥居の意味を知る。伝統の焼きハマグリに舌鼓を打った後、「日永の追分」(四日市)へ向かう。そこで見つけたタモリ大好物の三差路で東海道と分かれ、「神戸の見附」(鈴鹿)を目指す。神戸宿には門限があり、かつて大木戸があった痕跡を見つける。といった内容。やっぱり30分は短い。不満足感が残った。タモリ念願の桑名を目指すかつて伊勢湾が内陸へ入り込んでおり、熱田神宮から桑名へ「七里の渡し」で渡るのが東海道の正式ルートだった。「日永の追分」の鳥居は、ここから東海道へ進む旅人が遥拝するため。江戸時代、年間500万人もの人が...ブラタモリ伊勢路編・第一夜

  • 桜春想

    今日は快晴で温暖、風もなく、折しも桜は満開、この春最高の花見日和となった。今日が一年のうちで最も彩り華やかな日になりそうな気がして熊本城へ向かった。新堀橋から金峰山を望む。熊本城三の丸北面の桜並木が美しい。監物台側から大小天守を望む。老樹の伐採でかつての桜の賑わいこそないが、次の世代に期待しよう。護国神社前の桜。スマホで桜の撮影に興じる人たち。一昨日、まだ1週間以上先だろうと思っていた三の丸の御衣黄桜がほころび始めた。熊本城には「桜の馬場」や「桜橋」そして城下に「桜町」など、歴史的に桜とのゆかりを感じさせる。2016.3.21益城町文化会館筝:蓑田由美子尺八:佐藤翔山小鼓:中村花誠大鼓:今村孝明舞踊:花童&はつ喜桜春想

  • 大浜外嶋住吉神社年紀祭が15年ぶりに!

    5年前、母のふる里である玉名市大浜町に伝わる10年に一度の祭り「外嶋住吉神社年紀祭」が、新型コロナウイルス禍で延期された。そして5年経った来月、15年ぶりに開かれる。外嶋住吉神社は、延久元年(1069)創建といわれ、航海を守護する三神(表筒男命、中筒男命、底筒男命)に阿蘇の健磐龍命を合せ祀り、約千年の間、大浜町の産土神として人々の尊崇を集めてきた。この神社の年紀祭は、五穀豊穣のほか、年貢米や農産物を大坂へ運ぶ船の航海安全と豊漁を祈願するためのものといわれる。江戸時代中後期、大浜町は大坂へ肥後米を積みだす高瀬港の外港として栄えた。往時の繁栄をしのばせる大規模な祭りで、玉名市重要無形民俗文化財に指定され、また菊池川流域日本遺産の構成文化財にもなっている。大浜外嶋住吉神社年紀祭が15年ぶりに!

  • 御衣黄桜はまだか!

    昨年の今頃は、熊本城三の丸漆畑の「御衣黄(ぎょいこう)桜」が咲き始めていたので、様子を見に行ってみたが、今年はまだまだあと1週間以上先と思われる状態だった。「萌黄(もえぎ)」と呼ばれる御衣黄の色合いはいつ見ても爽やかで心が洗われる思いがする。開花が待ち遠しい。昨年、咲き始めの頃の「御衣黄桜」御衣黄の名前の由来は、平安時代の貴族の着物の色「萌黄(もえぎ)」に似ているからだという。「萌黄」を辞書で調べると「襲 (かさね) の色目の名」とある。十二単(じゅうにひとえ)の構成は、「唐衣(からぎぬ)・表着(うはぎ)・打衣(うちぎぬ)・五衣(いつつぎぬ)・単衣(ひとえ)・長袴(ながばかま)・裳(も)からなる」といい、そのうち「表着」に「萌黄」色を使うという。紫色の唐衣の下に萌黄色の表着が見える。(2023年5月の代継...御衣黄桜はまだか!

  • 水汲む女

    今日は中央区土木センターへ家の前の道路補修の申請に行った。場所が蓮台寺なので、久しぶりに蓮台寺に立ち寄って檜垣の塔に参拝した。この蓮台寺は、平安時代の閨秀歌人・檜垣が白川のほとりに草庵を結んだのが寺歴の始まりといい、別名「檜垣寺」とも呼ばれる。実はつい最近、大正・昭和時代の詩人・小説家である室生犀星の著書「狩衣」の中に、「大和物語百二十六」を脚色した「檜垣の御」という章を見つけたこともあって蓮台寺に立ち寄ってみたかった。檜垣の墓ともいわれる「檜垣の塔」檜垣が閼伽の水を汲んで岩戸観音に日参し供えたという「檜垣の井戸」跡◇大和物語百二十六「水汲む女」◇現代語訳筑紫の国にいたという檜垣の御(ご)という女性は、とても気の利く人で、風流に年月を重ねていた人だった。藤原純友の乱の巻き添えを食って、家も焼け、財産もすべ...水汲む女

  • あの日のこと ~平成24年3月31日~

    毎年、3月31日を迎えると必ず思い出すことがある。それは「平成24年3月31日」のことである。この日はおそらく熊本城の歴史の中でも最も華やかで賑やかだった日かもしれない。それは1年前、九州新幹線全線開業を祝う予定だったイベントが、東日本大震災のためすべて中止となり、1年間思い沈んできた市民の喜びが爆発した日でもあったのだろう。当日のブログ記事でその様子を回想したい。◇今日は一日熊本さわぎ!~城下町くまもと時代絵巻~(2012.3.31)熊本は昨夜の激しい雨も嘘のようにカラリと晴れ上がり、今日は1年待たされた「城下町くまもと時代絵巻」が行なわれた。俳優の藤岡弘さん扮する加藤清正公に率いられた甲冑武者隊が熊本駅で出陣の儀を行う頃、メインステージの熊本城二の丸広場では様々な熊本の伝統芸能を華やかに披露する「城下...あの日のこと~平成24年3月31日~

  • 祇王寺祇女桜

    昨年春、復旧工事閉鎖中で見ることができなかった監物台樹木園の「祇王寺祇女桜」の開花を今日見ることができた。実は、昨年10月、異常な暑さが続いたので季節を勘違いしたのか、3輪の花を開いているところを偶然目撃していた。そして今回は春本番、満開の花を咲かせてくれた。日本花の会の「桜図鑑」によれば、「桜守として名高い佐野藤右衛門が京都市右京区・嵯峨の中院に自生していたものを発見し、祇王寺の庭に移植したもので祇王の妹・祇女に因み佐野が名付けた。」とある。平清盛の寵愛を受けた姉の祇王がその後、暇を出され、母娘三人草庵で悲哀をかこつたという伝説がもとになっている。白拍子だったという祇王・祇女の姉妹がその名の由来である。白拍子の起源について「平家物語」には次のように書かれている。――そもそもわが朝に白拍子の始まりける事は...祇王寺祇女桜

  • 夜桜見物 ~本妙寺・桜灯籠~

    今日は本妙寺の「桜灯籠(はなとうろう)」の日。ここ数日とは打って変わって寒が戻ってきた。夜桜見物も防寒に万全を期す。寒さのせいか観客も例年より少な目のようだ。イベントの関係者によれば、桜馬場の桜並木も樹齢の老齢化が進んでおり、落枝防止のための枝落としや場合によっては伐採も行っているとのこと。かつての桜のトンネルのような風景が懐かしい。これは全国的な問題だとテレビ番組でも言っていた。熊本城なども老齢化した桜の伐採が進んでおり、すっかり寂しくなった。かつてのように桜花爛漫という風景が戻るのはいつの日。本妙寺仁王門下桜馬場〽夜桜花童あかね・花童ゆりあ夜桜見物~本妙寺・桜灯籠~

  • ラフカディオ・ハーンと民俗芸能

    先々週、熊本城ホールで行われたNHK朝ドラ「ばけばけ」関連イベント「小泉八雲を変えたKUMAMOTO」を見に行ったが、昨夜その時の録画映像がNHK総合で放送された。さすがによくまとまっていてよい復習となった。ラフカディオ・ハーンは、民俗学的研究の中で、民族芸能も数多く収集しているが、今日はそれらの中で代表的な三つの芸能を掲載してみた。♪ライザ・ジェーン1876年、ハーンはアメリカのシンシナティでジャーナリストとして新聞記事を書いていたが、ミシシッピー川やその支流の港湾労働者が歌っていた「ライザ・ジェーン(LizaJane)」を採集した。この歌は南北戦争前から南部の黒人奴隷たちが歌っていた一節のフォークソングだった。他にも多くのフォークソングを収集している。ハリー・ベラフォンテとグロリア・リンのデュエット♪...ラフカディオ・ハーンと民俗芸能

  • 本妙寺つれづれ

    昨日は花園公民館図書室へ行ったついでに本妙寺の桜開花状況を見に行った。明後日(29日)夕刻より桜の季節の恒例イベント「桜灯籠(はなとうろう)」が開催されるが、午後1時からはステージイベント「本妙寺さくら祭り」(夏目漱石来熊130周年プレイベント)も行われる予定。もうすっかり準備万端という感じの桜馬場を歩いていると、犬の散歩中、リードを離してしまい、逃げ出した犬を追いかけて若い女性が必死に走って行った。塔頭の一つ、妙心院の入口にあった「役者寺」の標柱が無くなっているのが気になった。明後日(29日)の桜馬場はこんな風景が見られるだろう。塔頭東光院のしだれ桜は満開までもうひと息といった感じ。本妙寺大本堂前のしだれ桜はもう満開。本妙寺つれづれ

  • 吉原俄(よしわらにわか)

    大河ドラマ「べらぼう」第12回では「俄なる『明月余情』」と題して、吉原の三景物といわれた「夜桜」「灯籠」「俄」のうちの「吉原俄」が繰り広げられた。蔦重が出版したガイドブック「明月余情」に勝川春章が描いた「すずめ踊り」などが再現されていた。歌川広重「新吉原仁和歌之図」※右側に「俄獅子」が見える。すずめ踊り俄のゲスト出演として浄瑠璃語りの富本節・富本豊前太夫が登場する。豊前太夫に扮しているのは寛一郎という役者さん。父・祖父とも名優のサラブレッドではあるが、ここは劇中でも女性に人気の艶っぽい声と紹介されるので、浄瑠璃語りのホンモノを起用してほしかった。例えば歌舞伎の尾上右近さんなどは清元節の清元栄寿太夫との二刀流だからピッタリだったような。富本と清元は当時は一緒だったはず。蔦重の時代から少し後、4代目杵屋六三郎...吉原俄(よしわらにわか)

  • 能の「クセ」って いったい?

    2週間ほど前、YouTubeのマイチャンネルに興味深いコメントをいただいた。J様という方からだったが、7年前にYouTubeにアップした「能羽衣(クセ)」についてのコメントだった。J様>>>私クセというのがどのようなことを指すのか、素人には具体的に知りたいと思いました。囃しに混じって天女が歌うのが物語のセリフのように感じたのですが、舞の中に芝居の要素が入っているということなのでしょうか。私>>>J様私も専門家ではありませんが、通の方に教えていただいた範囲でお答えしますと、そもそも「クセ」というのは「曲舞(クセマイ)」から来ています。「曲舞」というのは、中世に始まった節と伴奏をともなう歌舞のことです。能を大成させた観阿弥はこの「曲舞」を見どころ、聴きどころとして能の中に取り入れました。「羽衣」で言いますと、...能の「クセ」っていったい?

  • サクラ開花の熱い一日

    今日、熊本地方気象台から熊本市のサクラ開花発表がありました。高知市と並んで今年全国で最も早いサクラ開花だそうです。去年より3日早いということです。今日は日中の気温がどんどん上がり、25℃くらいまであがりました。街中のソメイヨシノが5,6輪以上開いているのが確認できましたので、おそらく開花発表があるだろうと思っていましたが、そのとおりになりました。あと1週間から10日ほどで満開になる見込みだそうです。そんな暑いくらいの気候の中、熊本城二の丸広場では「九州がっ祭2025・第19回火の国YOSAKOIまつり」が行われていました。全国から109団体、約3,000人が参加し、熱い演技を繰り広げていました。二の丸広場に全国からYOSAKOI系の団体が勢ぞろい本番前の練習を繰り返す団体大会本会場へ向かう参加者たち二の丸...サクラ開花の熱い一日

  • 桜花散るを惜しまぬ人しなければ

    昨年より2週間以上遅れて咲いた坪井川遊水地の河津桜は今週いっぱいで見ごろは終り、今年の役割を終える。替わってやがてソメイヨシノの開花が始まるだろう。だが、葉桜になりつつある河津桜を眺めていると愛おしさで離れがたい想いが募る。なぜか平安時代の歌人・大伴黒主が詠んだ歌春雨の降るは涙か桜花散るを惜しまぬ人しなければが思い出される。漱石の「吾輩は猫である」の中で、「平の宗盛にて候」と謡曲「熊野」の一節を後架先生が度々呻るように、漱石自身が好んだという「熊野」は、前述の大伴黒主の歌がモチーフとなっている。この「熊野」をもとに創られた長唄「桜月夜」は、平宗盛のもとを去る熊野が別れの舞を舞う場面である。桜花散るを惜しまぬ人しなければ

  • 木瓜咲くや

    散歩していると、もう随分前に空き家となった民家の庭に「木瓜(ぼけ)」が真っ赤な花を咲かせていた。主はいないのに律儀なことだ。漱石の「草枕」の十二に次のような一節がある。――木瓜(ぼけ)は面白い花である。枝は頑固で、かつて曲った事がない。そんなら真直かと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜に構えつつ全体が出来上っている。そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。柔かい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守ると云う人がある。この人が来世に生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。――木瓜咲くや漱石拙を守るべく要するに、木瓜のように頑固で実直で拙い人生を歩みたいということなのだろう。漱石は...木瓜咲くや

  • 能「船弁慶」を観ながら

    今夜は「春のくまもとお城まつり」のプログラムの一つ「熊本城薪能」を観に行った。今回のメインは金春流による能「船弁慶」。この演目をナマの舞台で観るのは6年前に久留米座能で喜多流の「船弁慶」を観て以来。Eテレの「古典芸能への招待」でも観たことがあるし、映画やドラマでもよく「船弁慶」の義経と静御前の別れの場面が登場する。今回「おや?」と思ったのは子方のはずの義経を成人(?)の役者さんが演じておられたこと。そもそも、静御前は義経の妾なので義経を子方が演じることには若干違和感があった。久留米座能の時の喜多流の大島輝久さんの解説では、前シテは静御前なので、義経が大人だとシテの存在感が薄れるからだという。今まで観た「船弁慶」では義経はいつも小学生くらいの少年が演じていたので、観ながらはたしてどっちがいいのだろうと考え込...能「船弁慶」を観ながら

  • 石は釣って持つ 釣って持つ石は・・・

    昨夜放送された「解体キングダム」(NHK総合)では、現在解体工事が進む熊本城宇土櫓を取り上げた。中でも櫓を支える石垣の解体では、最も大きな隅石(すみいし)の撤去に当って、他の石を傷つけないようクレーンから下ろしたワイヤーを一本だけ掛ける「一本吊り」という技術が見られた。石の重心を読みとるまさに匠の技だ。現代ではクレーンなどの重機を使うことができるが、重機などなかった加藤清正が熊本城を築城した400年前、大きな石はどうやって運搬し、どうやって石積みをしたのだろうか。下の「城びと」サイトの絵図でおおよそのことはわかるが、基本的に人力で石を引っ張り、人力で吊り上げていたのである。先人たちの苦労は並大抵ではなかったに違いない。あらためて敬意を表したい。ちなみに「伊勢音頭」の「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ」というお...石は釣って持つ釣って持つ石は・・・

  • いしだあゆみさんを悼む

    歌手・俳優のいしだあゆみさんの訃報がネットで報じられていた。僕にとって最も忘れられない歌手であり俳優だった。僕が転職活動をしていた1969年に大ヒットしたのが彼女が歌う「ブルー・ライト・ヨコハマ」だった。そして1970年に転職後、最初の勤務地が横浜。「ブルー・ライト・ヨコハマ」はこの年も変わらぬ人気を博していた。そんなわけで僕にとって、人生のターニングポイントに重なる思い出の歌となった。俳優として多くの映画やTVドラマにも出演されたが、なかでも珠玉の一本だと思っているのが「男はつらいよ」シリーズの第29作「寅次郎あじさいの恋」である。マドンナ“かがり”の役を当時34歳のいしだあゆみさんが演じた。マドンナ役は、浅丘ルリ子のリリーを始め、松坂慶子や太地喜和子など、カラッとしたキャラクターが多い中、この"かがり...いしだあゆみさんを悼む

  • 城彩苑 開業14年!

    熊本城観光の総合案内および交流施設として「桜の馬場城彩苑」が2011年3月5日に開業して今年で14年になります。今日、開業14年を記念し、「城彩苑14周年誕生記念祭」が行われ、一時雨に見舞われましたが、場内は多くのお客様で賑わいました。九州新幹線全線開業に合わせた開業でしたが、直後に東日本大震災が発生し、前途多難を思わせるスタートでしたが、年々その存在価値を高め、今や熊本城観光になくてはならない施設となりました。開業当初と比べ明らかに状況が異なるのは外国からのお客様が激増したことです。これから城彩苑の存在価値は益々高まって行くものと思われます。場内の「親水空間ステージ」では様々な芸能が披露されましたが、その中から牛深高校郷土芸能部による「牛深ハイヤ節」をご覧ください。城彩苑開業14年!

  • 小泉八雲を変えたKUMAMOTO

    今日は熊本城ホール(シビックホール)で行われた熊本城ホール開館5周年事業として行われた連続テレビ小説「ばけばけ」関連イベント「小泉八雲を変えたKUMAMOTO」を見に行った。松江出身で八雲に造詣の深い俳優・佐野史郎さんと熊本出身の俳優・宮崎美子さんによる「むじな」や「幽霊滝の伝説」の朗読。さらに二人による小泉セツ「思い出の記」の朗読劇が行われた。なお、朗読の演奏は門田和峻さん(作曲・ピアノ)と広田勇樹さん(チェロ)。また、小泉八雲のひ孫である小泉凡さん(小泉八雲記念館館長、民俗学者)、熊本大学名誉教授で八雲の研究者として知られる西川盛雄さんらも登壇、八雲と熊本の関係について語った。なかでも興味深かったのは、西川盛雄さんのお話しで、西南戦争後の復興で急速に近代化が進む熊本を八雲が嫌ったというのは風評の類に過...小泉八雲を変えたKUMAMOTO

  • 春 麗かに

    今日の午後は気温22℃に達する陽気で、昨年より開花がだいぶ遅れていた坪井川遊水地の河津桜も見ごろになってきた。来週にはソメイヨシノの開花もチラホラ聞こえてくるだろう。熊本城周辺のソメイヨシノはもちろんのこと、昨年閉鎖中で見られなかった監物台樹木園の「祇王寺祇女桜」や三の丸漆畑の御衣黄桜など楽しみが多い。二の丸広場では「春のくまもとお城まつり」も始まり、華やいだ雰囲気につつまれている。街中では卒業式帰りと思しき一団もよく見かけるが、彼らのこれからの人生に幸多かれと祈りたい。坪井川遊水地の河津桜(遥か彼方に金峰山)マルディグラで踊る間に(WhileWeDancedAtTheMardiGras)P-timeSelection春麗かに

  • 新ブラタモリは伊勢路から!

    4月から放送開始となる「新ブラタモリ」の内容がリリースされた。4月は伊勢神宮を目指す「伊勢路」にスポットが当てられるようだ。9年前に放送された「ブラタモリお伊勢参り編」は「人はなぜ伊勢を目指す?」と題して、「伊勢神宮」や「門前町」についてその魅力が紹介されたが、今回はお伊勢さんを目指す街道筋の宿場町を紹介する内容になるようだ。前回とはまた違った視点で新たな魅力を発見できるだろう。パートナーの佐藤茉那アナウンサー(熊本放送局時代)「伊勢の土産は荷物にならない伊勢音頭」新ブラタモリは伊勢路から!

  • ラフカディオ・ハーンの功績は・・・

    今秋から放送されるNHK朝ドラ「ばけばけ」のPR情報を読んでいると、枕詞のように「怪談」の文字が付く。たしかにラフカディオ・ハーンは多くの民話の再話文学が最も知られているのだが、広く日本文化を欧米へ紹介した功績を忘れてはいけないと思う。今日はその中から民俗芸能のエピソードを二つ取り上げてみた。ラフカディオ・ハーンが松江で最も信頼を寄せた西田千太郎とともに松江市南郊の「山の者」の部落(被差別部落)を訪ねた時、「大黒舞」を見て、その詞章「俊德丸」「小栗判官」「八百長お七」を採集する。その民俗芸能としての価値とともに部落問題を認識した。ハーンの民俗学者としての成果の中でも重要な意味を持つのがこの「大黒舞」である。「大黒舞」は室町時代から江戸時代にかけて旅芸人たちが大黒天の祝舞として各地を門付けして巡り、その名残...ラフカディオ・ハーンの功績は・・・

  • 東日本大震災14年

    東日本大震災の発生から今日で14年。この14年の間の様々な思い出の中でも特に忘れられないものがある。大震災から5年経った2016年3月11日、多くの犠牲者と甚大な被害を被った宮城県名取市閖上地区で追悼イベントが行われた。そのイベントで、熊本県の鹿本農業高校郷土芸能伝承部の生徒たちが、鎮魂と復興の願いを込めた山鹿灯籠踊りを奉納した。現地メディアでは報道されたようだが遠く離れた熊本へは情報は届かない。すると、前日にこのイベントに鹿本農業高校郷土芸能伝承部が参加することを紹介した僕のブログをたまたま読んでいただいた名取市在住のミント様という方が、当日のイベントに参加され、その様子がよくわかる次のようなコメントをいただいた。ミント様の温かいお気持が胸に沁みた。はじめまして。名取市に住む者です。踊り会場の向かいの護...東日本大震災14年

  • お地蔵さん巡り

    今年二度目の風邪も治まって来たので今日は京町台を歩いた。今日の趣向は「お地蔵さん巡り」。最初はわが家に最も近い中坂の登り口にあるこのお地蔵さん。かつてはこの地に民謡「ポンポコニャ」にも唄われた金剛寺(現在は新屋敷1丁目)があった。この石仏、いつ誰がここに安置したのか誰も知らない。金剛寺といえば中将姫を祀った寺として知られる。僕はこのお地蔵さんは、かつてこの地に祀られていた中将姫の身代わりではないかと思って手を合わせている。次は中坂中腹の浄土宗専念寺の山門脇に鎮座するお地蔵さん。専念寺は、江戸前期の細川綱利公時代の「京町之絵図」に見えるので相当古いお寺であることは間違いない。お地蔵さんの台座に「天保」の文字が見えており江戸後期に彫られたものか。ただ、京町の古手の住民で、昔は中坂頂上辺りにお地蔵さんがあったと...お地蔵さん巡り

  • 熊本城本丸御殿の復旧計画

    今朝の熊日新聞に熊本城本丸御殿の復旧計画についての記事が掲載された。熊本市の発表によると熊本地震で被災した熊本城本丸御殿について建物の一部を解体して復旧すること。御殿を支える石垣が部分的に沈下しており、積み直すために建物の一部を解体すること。2027年度に着工し、32年度の復旧完了を目指すこと。という。熊本地震直後にも「昭君之間」の床が傾いたり、御殿を支える西側の石垣が沈み込んだというニュースが流れていたが、その後、具体的な復旧計画の情報がなかったので気になっていた。復旧完了まであと7年ほどあるが、それまでは何とか待てそうだ。熊本地震前の本丸御殿(熊本市役所14階展望ロビーより)加藤清正が豊臣秀頼を熊本城に迎え入れるために用意したという熊本城本丸御殿「昭君之間」平成25年(2013)10月、「全国豊かな海...熊本城本丸御殿の復旧計画

  • 100年後に見た人は・・・

    Facebookの「思い出」をチェックしてみたら、2013年3月7日の日付で下の動画がリストされていた。この動画は別の日付で2回ほど使っているが、なぜこれが2013年3月7日の日付になっているのか不明。それはさておき、アメリカの旅行家、写真家であるバートン・ホームズが1920年代に日本を訪れ、撮影した若い芸妓たちの演奏と舞踊の映像である。つまり、おおよそ100年前の日本の民間芸能の記録ということができる。あらためてこの映像を見ながら、今まで、僕自身が撮ってきた映像は100年後(2125年頃)もYouTubeが残っているとすれば、どんな人たちがどんな見方をするのだろうと思うとちょっと怖くなった。▼YouTubeにアップした映像の中から100年後に見た人は・・・

  • 熊本放送局の歴史

    今年は放送が開始されて100年ということで、NHKアーカイブスでは「NHK放送100年史」と題したサイトを設け、放送の歴史を振り返っています。1925年(大正14年)3月22日、「ああ、あー、聴こえますか。ああ、あー、聴こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。……」という第一声が東京・芝浦より発せられ、放送の歴史が始まりました。その3年後の1928年(昭和3年)6月16日、九州で最初の放送局、熊本放送局(JOGK)が放送を開始しました。下に歴代の放送局の写真を掲載しましたが、僕の思い出は幼稚園の頃、現在、熊本市役所の駐車場ビルの辺りに初代の熊本放送局がありましたが、千葉城町の熊大附属幼稚園から先生や数名の園児たちと一緒に歩いて来て、スタジオで童謡を歌いました。当時はナマ放送でしたので...熊本放送局の歴史

  • 五高記念館で来し方を思う

    先月27日、熊本大学黒髪キャンパスの五高記念館を訪れた。漱石関連の展示を見るためだったが、残念ながら五高記念館は臨時休館。ここを訪れたのは久しぶりだったので、しばらく煉瓦造り二階建ての校舎を眺めて過ごした。ここに来ると決まってある想いが湧いてくる。それは自分自身の来し方のこと。自分の進路を考え始めたのは中学に入って、同級生が進路の話をするのを聞くようになってからである。僕は両親が教職だったので、何となく将来は教職の道へ進むのだろうなぁと漠然と考えていた。おそらく両親もそれを望んでいただろう。その流れで行くと、多分、熊本高校に進学して熊本大学の教育学部を目指したのだろう。一方で、僕は中学入学と同時に水泳部に入っていたので高校でも続けたいという気持もあった。中学3年の時、ローマ五輪の水球に参加した中学の先輩、...五高記念館で来し方を思う

  • ひな祭り

    今日は「桃の節句=ひな祭り」の日です。もともと旧暦の3月3日の節句で、今年の暦では3月31日にあたるそうです。その頃は桃の花が咲く頃なので「桃の節句」となったわけです。今はまだ桃の花は咲いていませんが、3月31日には綺麗に咲いていると思われます。そこで、「ひな祭り」を詠んだ句を三句選んでみました。雛祭る節供になりて春の雪(正岡子規)まさに、今年は東日本がこんな状況になっています。風雅を感じますが、降雪地方の方はそんな悠長なことは言っていられないでしょう。或夜夢に雛娶りけり白い酒(夏目漱石)春の夜にうたた寝をして「雛」を娶る夢を見たのは飲んだ甘酒のせい?何やら怪しく幻想的な句。漱石熊本時代の一句。白酒の紐の如くにつがれけり(高浜虚子)つがれている白酒がまるで瓶から垂れている紐のようにみえるという虚子さん少し...ひな祭り

  • 民謡の遷移(1)

    まだ今日のような通信手段がなかった時代、ある地方の民謡が海路、陸路を往来する人々によって遠く離れた地方に伝わる。そんな例は枚挙にいとまがないほどだが、いくつかの代表的な例をあげてみたい。今日はその第1回として「ハイヤ節」を取り上げてみた。天草の「牛深ハイヤ節」は全国ハイヤ系民謡の源流だといわれる。牛深は天然の良港として江戸時代から明治初期にかけて海道の要衝であり、行き交う廻船の船乗りたちが聞き覚えた唄や踊りを日本各地に伝えたといわれる。廻船の寄港地は全国何十箇所とあり、それぞれの港にも民謡はあったはずなのになぜか、「牛深ハイヤ節」が船乗りたちによって各地の港に伝えられたのは、各港での酒席において船乗りたちを高揚させるノリ(グルーブ感)が際立っていたのではないかと思われる。牛深を立ち、大坂を経由した廻船は北...民謡の遷移(1)

  • 梅は咲いたが…

    今日は2,3日前の寒さがウソのような暖かさ。朝から藤崎八旛宮に朔日詣りを済ませ、午後は、ほとんど外出できなくなった103歳の母を車に乗せ、見ごろを迎えた護国神社の梅園へ出かけた。妻と姉が同行してくれた。やわらかい日差しの下、母も久しぶりに外の空気を満喫してくれたようだ。今年の梅は紅白混じった花が特徴的。たしか昨年までは真っ白な花を咲かせていた梅の木にほのかにピンク色をにじませたような花を開いている。そんな木が何本も目についた。開花が一ヶ月も遅れたことや気候変動などの影響があるのだろうか。そうなると心配なのが次の「桜」のこと。今月下旬には桜の開花が始まるだろうが、今までと同じような美しい花を見ることができるだろうか。紅白混じった梅の花紅梅は今までどおり〽梅梅は咲いたが…

  • 石仏は朝ドラ「ばけばけ」に登場するか⁉

    昨日は歩いて熊本大学黒髪キャンパスの五高記念館を目指した。漱石関連の展示が行われているとネットで見ていたからである。ところが着いてみると、五高記念館は臨時休館。しかたがないので立田山山麓の父の生家跡(わが家の本籍地)へ向かった。父の生家があった辺りは、立田山南麓の「森林総合研究所九州支所」への通路や民家やアパートが建ち並び、僕が幼い頃に見た面影はどこにもない。その幼い頃に見た父の生家のイメージが2番目の写真である。もっともこれは京都市右京区嵯峨の祇王寺の苔庭から仏殿を撮った写真なのだが、当時の父の生家はまさにこんな感じだった。現在の立田山山麓・泰勝寺の南側祇王寺の苔庭から仏殿を望む今秋から放送されるNHK朝ドラ「ばけばけ」はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻をヒロインとする物語だが、ハーンが五高教師時代...石仏は朝ドラ「ばけばけ」に登場するか⁉

  • 花魁道中のはなし。

    大河ドラマ「べらぼう」の中でも目玉シーンのひとつが花魁道中。まずはその撮影シーンをご覧ください。※下の画像をクリックするとInstagramの動画に飛びます。NHK大河ドラマの舞台が吉原遊郭であることについては賛否さまざまなご意見があるようです。熊本でも春秋のお祭りには「花魁道中」が行われていますが、遊女を主役とするイベントには苦情も多かったようで、運営スタッフの方の悩みをお聞きしたこともあります。最近は各地のお祭りで行われているようですが、華やかなムードを盛り上げるのには格好のイベントになっているようです。熊本では、昭和10年(1935)の「新興熊本大博覧会」の際に、二本木遊郭で実際に花魁道中が行われた記録が残っていますが、まもなく戦時体制に入ろうかという時期なので、これが熊本最後のホンモノの花魁道中だ...花魁道中のはなし。

  • 今日の「マイ ミックスリスト」から

    YouTubeの「マイミックスリスト」はしばらくチェックしていなかったが、今日はたまたま目にとまったので一覧してみた。相変わらず26曲がリストされていたが、やはり中には「ナゼこれが?」という曲も含まれていた。リストされた曲の中から、今日聴きたいと思った次の2曲を選んで聴いてみた。1曲目は、NHK総合で放送されている紀行番組「小さな旅」のオープニング&エンディングテーマ曲「光と風の四季」を中島愛実さんのフリューゲルホルンで。2曲目は、田村麻紀子さんのクラリネット&ヴォーカルと後藤沙紀さんのピアノのユニット「紀々音」で「懐かしのニューオリンズ(DoYouKnowWhatItMeanstoMissNewOrleans?)」♪小さな旅~光と風の四季~♪懐かしのニューオリンズ(DoYouKnowWhatItMean...今日の「マイミックスリスト」から

  • 鐘ヶ淵のはなし。

    今日の午後、近場の梅の咲き具合でも見に行こうと歩いて出たのだが、あまりの風の冷たさに心が折れ、車で回ることにした。最近あまり行っていない横手の寺巡りでもするかと妙永寺に車を停めた。その時、ふと「鐘ヶ淵(かねがふち)」のことを思い出した。先日、古地図でその名を見つけた。たしか、妙永寺の裏あたりだったなと歩いていくと旧河道の畔に案内板がすぐに見つかった。その昔、ここら辺は井芹川が流れていて大きな淵があり、船着場にもなっていたらしいが、雨乞いの儀式のひとつで鐘を淵に沈める慣わしがあったことから「鐘ヶ淵」と呼ばれるようになったらしい。(詳しくは下の案内板を参照)余談だが「鐘ヶ淵」と聞くとテレビ時代劇「剣客商売」を思い出す。主人公・秋山小兵衛の住まいが江戸の「鐘ヶ淵」という設定になっている。「鐘ヶ淵」は隅田川と荒川...鐘ヶ淵のはなし。

  • 日曜日の徒ばなし

    今日は久しぶりに散歩がてら熊本市現代美術館まで行った。途中、夏目漱石内坪井旧居に立ち寄って、新年度のイベント計画をたずねたが、館長のお話しでは、予算取得の問題もあり未定であるとのこと。上通を歩いていくと「元祖熊本ラーメンこむらさき」の前を通る。この店にも随分来ていないなぁと思いながら、ふと店名の由来にもなったという江戸吉原随一と謳われ、「小紫・権八」の悲恋話でも知られる花魁小紫のことが頭に浮かんだ。「そういえば大河ドラマ『べらぼう』には・・・」と思いかけたが、小紫はたしか、蔦重よりずっと前の時代だったことを思い出した。現代美術館に着くと、美術図鑑でも眺めてゆっくりしようと思っていたホームギャラリーはイベント会場になっていた。客席は既に満席となっていたが、立ち見はできそうだったので、イベントを見ていくことに...日曜日の徒ばなし

  • 草の芽の便りきいたか

    わが家の白梅もやっとほころび始め、護国神社の梅園の紅梅は開き始めた。寒波が襲来する中、春はたしかにその歩みを進めている。昨年の今頃は、坪井川遊水地の河津桜もだいぶ咲いていたので行ってみた。しかし、まだ蕾は固く開く気配も感じられない。樹下をふと見ると、小さなピンクの花をつけた野草がビッシリ。踏むのが可哀想で足の踏み場を探しながら土手道へ移動した。何という花なのか帰ってからネットで検索してみた。雑草の一種で「ホトケノザ」という名のようだ。と言っても「春の七草」のひとつである「ほとけのざ」とは別種らしい。丸い葉とその上に咲く花の形状を蓮華座と仏像に見立てた名前だという。ここにも春を迎えて新しい小さな命が芽生えているのである。護国神社の梅園の紅梅もやっと花開き始めた。坪井川遊水地の河津桜の樹下に自生する「ホトケノ...草の芽の便りきいたか

  • お国かぶき お江戸デビューの日!

    江戸時代初期に書かれた史書「当代記」によれば、慶長12年(1607)の2月20日に、お国かぶきは江戸に招かれ、江戸城本丸・西の丸で勧進かぶきを行なった。慶長8年(1603)、京の都で、出雲の巫女であった国と名のる女芸能者により始まったかぶき踊りは大評判となり、その4年後、ついに能・狂言に次ぐ位の芸能として認知されたのである。この1週間前の2月13日からは、同じ場所で観世・金春の勧進能が行われており、お国は能役者とほとんど同格の扱いを受けたという。ところで、出雲大社の巫女出身であるという「出雲のお国」の呼び名が一般に定着したのは、なんと明治時代になってからのようで、また、「出雲のお国」というのは舞台での名乗りにすぎず、彼女の出自が本当にそうであったかどうか疑わしいとする説もある。お国が諸国に下った時はその場...お国かぶきお江戸デビューの日!

  • 瞳を閉じて

    昨日のブログ記事「マラソン大会を支える医療救護体制」に、かつて五島列島でお医者様をされていた方にコメントをいただいた。その中に、奈留島にいた頃、「五島長崎国際トライアスロン」の救護班として会場の福江島に渡ったエピソードが書かれていた。奈留島や福江島など五島列島には行ったこともないのに、何だか懐かしい気がした。それはきっと荒井由実時代のユーミンが作った歌「瞳を閉じて」のせいだろう。この歌が作られて既に50年ほど経っているが、ユーミンがこの歌を作ったのは、当時ユーミンがDJをしていた番組に送られたリスナー(奈留島に住む女子高生)からの依頼に応えて作った高校の愛唱歌だったのだが、そのエピソードを紹介したドキュメントを何度か見て以来、この歌を聞くと、行ったこともない奈留島が頭に浮かんでくるようになった。この歌は今...瞳を閉じて

  • マラソン大会を支える医療救護体制

    14,200人が参加した今年の「熊本城マラソン2025」も一応無事に終わった。毎回、力走する選手たちを沿道で応援しながら、気になるのは心肺停止などの事故が起きていないかということ。過去の大会でもランナーの心停止等の事例が発生している。NHKニュースWEBの情報では、ランナー8人と沿道にいた2人の合せて10人が、脱水症状や低体温症などの症状を訴え病院に搬送され、このうち40代のランナー1人が一時、心停止の状態に陥ったものの、その後回復し、命に別状はないという。体力の極限を試すマラソン競技に事故はつきもの。より完全な医療救護体制を追求して行ってほしいものだ。激しいトップ争いをする阿部飛雄馬選手と古川大晃選手(細川刑部邸前)リタイアしたランナーたちを収容して救護施設へ搬送するバス。マラソンコース上を自転車でAE...マラソン大会を支える医療救護体制

  • ひえつき節

    今日、NHK総合で放送された「民謡魂ふるさとの唄」は宮崎県延岡市から。大分や熊本、福岡など九州各県の唄も披露されたが、最も印象深かったのは有田伊津美さんが唄った「正調ひえつき節」。宮崎の代表的な民謡である。実は「ひえつき節」が初めて電波に乗ったのは、昭和3年6月16日に九州初の放送局として開局した熊本放送局(現NHK熊本放送局)の特別番組で九州各県の民謡が紹介され、椎葉村の男性らが披露したのが最初だという。当時はすべてナマ放送なのでさぞや緊張したことだろう。その後、昭和8年に宮崎の観光振興の一環として民謡レコード1号として吹き込みが行われたそうである。「ひえつき節」は、壇の浦の合戦で敗れた平氏が、今の宮崎県椎葉村に落ちのびて隠れ住んでいたところ、平氏追討にやってきた那須大八郎と集落の鶴富姫との悲恋を歌った...ひえつき節

  • 米価高騰が続く中で…

    米価の高騰が続く中、農林水産省は政府の備蓄米21万トンを放出する方針を固めたと報道されています。今後の価格の動向が注目されます。これまでの米価の高騰に対し、農林水産省は「無策」だったと言わざるを得ません。判断の遅れは今後も尾を引きそうな気がします。YouTubeマイチャンネルに2年前に投稿した「米節(宮城県民謡)」にある視聴者の方から下記のようなコメントをいただきました。胸に迫るものがありました。🎶(動画)アップをして下さり有り難う御座います。数年前に他界した母が大好きだった歌です。よく口ずさんでいた姿を思い出します。昨年の悪天候の影響で今年は米価格が高騰しておりますね。この歌がより一層心に染みます。全国各地の生産者さんの皆様の御苦労がどれ程有り難いことか…若者達の心にも響いていることでしょう。今年こそは...米価高騰が続く中で…

  • 梅は咲いたか 熊本どぎゃん⁉

    昨日今日と好天が続いたので、そろそろ梅の花も開き始めたのではないかと期待しつつ散歩に出かけた。とりあえず、護国神社を目指し熊本城二の丸広場へ着くと、明後日の「熊本城マラソン2025」大会本会場としての準備がすっかり整っていた。もちろん当日は観戦に来るつもりだが、天候が心配だ。護国神社に着くとさっそく梅園を一本一本見て回る。しかし、蕾はだいぶ膨らんだものの開花は見られない。境内に入ってみると、一本だけ開花し始めていた。例年早咲きの木なのだが、開花が早かった年に比べると、ちょうどひと月遅れか。夜はKKT熊本県民テレビの「くりぃむしちゅーの熊本どぎゃん⁉」を見る。上田晋也が世界に自慢したい熊本のスゴイ企業を訪問する企画で、今回は熊本市西区の熊本製粉へ。県内最大級の製粉工場を見学した後、粉のスペシャリストたちと上...梅は咲いたか熊本どぎゃん⁉

  • 稲葉内記の配流屋敷

    ブログ「津々堂のたわごと日録」さんの昨日の記事「春日局の息・稲葉内記の配流屋敷」には強い興味を抱いた。大まかに言うとこんな内容だった。徳川3代将軍家光の乳母であり、大奥を任せられて権勢をふるった春日局(かすがのつぼね)。その実子・稲葉内記正利は仕えていた徳川忠長(家光の弟)の素行不良による改易に連座して罪を負った。春日局と親しかった細川忠利が藩主を務める肥後熊本へ配流となった。最終的に配流屋敷となったのが京町の赤尾丸城跡付近の屋敷。ここは西に金峰山を始め西山の山並みを望む小高い丘の上。すぐそばには加藤清正の殯の丘もある。津々堂さんは以前から配流屋敷の位置を調べておられたらしいのだが、最近、江戸前期の「京町之絵図」でその位置を確認されたという。記事に貼られた「京町之絵図」を拝見し、赤枠で示された「稲葉内記の...稲葉内記の配流屋敷

  • 春は嬉しや

    今日の雨で今冬の寒さも峠を越したのかもしれない。わが家の近辺はいまだ梅も花開かないし、昨年は今頃既に開き始めていた河津桜もまだ蕾が硬いようだ。今週末には熊本城マラソン2025も控えている。せめてランナーたちに開き始めた梅の花を見て心和ませてもらいたいものだ。この季節になると決まって聞きたくなるのが端唄「春は嬉しや」。と言ってもこの唄は春夏秋冬の恋模様を唄っている。春が出だしなので春の唄のイメージが強い。「話を菊の花」や「気を紅葉(もみじ)」などの掛詞(かけことば)を使ったり、「花見、鳴海、月見、雪見」と韻を踏む歌詞があったりして洒落ている。この動画は今から15年前の映像で、立方の「ザ・わらべ」はまだ中学生と小学生だった。注目は地方のメンバー、熊本を代表する邦楽演奏家が揃っている。仮設の舞台が設えられている...春は嬉しや

  • 菫(すみれ)の俳句

    フォローさせていただいているブログ「ころころの毎日が俳句・ハイク」さんは、いろんな方が詠まれた俳句を季節季節に応じてまとめて紹介されるので楽しみに拝見している。今日掲載されたのは春の季語「すみれ」を使った俳句21句。そのなかで僕が好きな句を二つ選んだ。野すみれの咲くや馬籠の石だたみ白鳥光江神宿る小さき棚田や花すみれ栗田やすしいずれもハッキリと映像が目に浮かぶところが選んだポイント。「すみれ」を季語とした俳句で有名な作品のひとつに夏目漱石が熊本時代に詠んだ菫程な小さき人に生まれたしがある。2016年の「漱石生誕150年、来熊120年」に当り、熊日新聞に掲載された「熊本の漱石」と題する著名人のコラムの中に、テレビの俳句番組で著名な夏井いつきさんのコラムがあった。夏井さんは次のように述べている。--漱石の俳句で...菫(すみれ)の俳句

  • 「かむろ坂」のはなし。

    昨年秋、約10年ぶりに新市街の松本外科内科医院へ母を連れて行った。この医院はかつて「かむろ坂」と呼ばれた道に面していた。ところが医院が北の方に移動したため、今では「かむろ坂」には面していない。以前、このブログで話題にしたことがあったのだが、その昔、鷹匠町と呼ばれていた一角にあった「かむろ坂」(下図参照)は、今日ではどう見ても平坦な道で「坂」ではない。これは日頃ご指導いただいている「津々堂のたわごと日録」さんによれば、藩政時代、藩主のお屋敷「花畑邸」の南側には馬の調練のための「追廻(おいまわし)」という馬場があり、その横の窪地を「追廻田畑」と呼んでいた。「追廻田畑」は旧坪井川の流路に沿った低地だったため、「追廻」と「追廻田畑」には高低差があり、その間をつなぐ道は当然坂道だったということのようだ。また、「追廻...「かむろ坂」のはなし。

  • 「はやす」と言う語

    先日放送された「鶴瓶の家族に乾杯」は山梨県丹波山村編。この村に移住していた芸人・俳優のマキタスポーツの妻に偶然出逢うというサプライズがあり、後日、マキタスポーツ夫妻が村を案内するという追加シーンも放送された。この追加シーンの中で紹介されたのが丹波山村の「お松引き」という年始の祭り。丹波山村の「お松引き」の風景を見ながら、だいぶ前に読んだ折口信夫の「万葉集研究」を思い出した。この中の「魂はやす行事」という條に次のような一節がある。--私ははやすと言ふ語について、別に言うて居る。祇園林(ギヲンバヤシ)・松囃子・林田楽(ハヤシデンガク)などのはやしが、皆山の木を伐つて、其を中心にした、祭礼・神事の牽き物であつた。山(ヤマ)・山車(ダシ)の様な姿である。此牽き物に随ふ人々のする楽舞がすべてはやしと言はれたのだ。「...「はやす」と言う語

  • 初午と「はかま踊り」

    昨日は熊本城稲荷神社の初午大祭が行われ多くの参拝者で賑わっていた。稲荷神の神使はきつねだが、この神社にはそれとは別にきつね伝説がある。加藤清正が24歳の時、太閤秀吉から肥後北半国十九万五千石を与えられ、肥後国に入った時、近江長浜から付き随った二匹の兄弟きつね(霊狐)のうち弟の「緋衣大明神」が祀られている。そんなことを考えながら参拝していると、大河ドラマ「べらぼう」に登場した九郎助稲荷の神使であるきつねの化身、花魁姿の綾瀬はるかが頭に浮かんだ。きつねの化身が女性なのは、稲荷神社の主祭神であるウカノミタマが女神だからなのかななどと思いながら、7年ほど前に城彩苑わくわく座で行われた舞踊団花童の初午おどりのことを思い出した。たしか、はつ喜流月若さんがきつねの舞を披露した。あれは何という舞だったのかが気になり、帰っ...初午と「はかま踊り」

  • ブログ開設20年!

    2005年2月にブログを開設して今月でちょうど20年。始めた時はこんなに続けるとは思ってもみなかった。20年の歴史を振り返ってみると、ブログの趣旨もだいぶ変化してきている。あと何年続けられるかわからないが、これからも変化し続けるのかもしれない。個人的な記事、ローカルな記事がほとんどなので投稿記事がバズるなんてことは今まで数えるほどしかない。今日はそんな中で、自分自身が驚くほど急にアクセスが集中した2例をあげてみた。一つ目は、2019年1月13日のケース。この日はNHK大河ドラマ「いだてん」第2回が放送された日。放送直後からこのブログにはありえない、見る見るアクセス件数が増える状態が続いた。原因はヒロイン役の綾瀬はるかが劇中で「熊本自転車節」を歌ったからだった。「熊本自転車節」を取り上げた記事も埋め込んだ動...ブログ開設20年!

  • ライドシェア

    今日、お昼のNHK熊本ローカルで「高森町で県内初タクシー型のライドシェアの実証実験始まる」というニュースが流れていた。運転手不足などで地域の公共交通の確保が大きな課題となっており、高森町では県内の自治体としては初めて自家用車を使ったタクシー型のライドシェアの実証実験が始まった、という話題だった。ライドシェアとは、一般ドライバーが自家用車を使って有償で人を運ぶ配車サービスのこと。タクシー事業者が運営主体となり、研修や運行管理を行うらしい。はたしてこれが問題解決の決め手になるだろうか。ニュースを見ながら、僕は遥か昔の高森町や南阿蘇村のことを思い出していた。56、7年前、僕はトラックディーラーのセールスとして担当エリアの南阿蘇村・高森町を連日のように訪れていた。もっともその頃は、現在のように南阿蘇村ではなく、長...ライドシェア

  • 九郎助稲荷(くろすけいなり)と檜垣(ひがき)

    大河ドラマ「べらぼう」の物語の舞台は吉原遊郭。苦界に身を沈めた遊女たちにとって心の拠りどころとなっていたのが、廓内にあった四つの神社、九郎助稲荷、開運稲荷、榎本稲荷、明石稲荷だったといわれる。明治維新後、これらの神社は合祀され現在は吉原神社となっている。とりわけ崇敬を集めていたのが九郎助稲荷だったそうだ。「べらぼう」には九郎助稲荷の神使であるおキツネ様の化身として花魁姿の綾瀬はるかが登場する。彼女はナレーションも担当しているので「狂言回し」的な役がらなのだろう。一方、熊本では、明治前期から昭和中期にかけて存在した二本木遊郭で遊女たちの心の拠りどころとなっていたのは平安時代の閨秀歌人・檜垣であった。檜垣が白川のほとりに結んだ草庵が寺歴の始まりという蓮台寺(熊本市西区蓮台寺2)には、檜垣の墓石とも伝えられる「...九郎助稲荷(くろすけいなり)と檜垣(ひがき)

  • 節分

    今日は節分。加藤神社の節分祭が行われ、恒例の虎口をくぐって厄除けを行なう「厄除け虎くぐり」を行なった。その後、本殿に参拝し家族の息災を祈ったあと福豆をいただいた。虎口は年々くぐるのが窮屈になってきているが、体の柔軟性が徐々に失われていることが如実に現れる。その後、護国神社にまわって梅園の紅梅を見に行ったのだが、未だ開花は見られない。今年の開花の遅れは特別なようだ。「熊本城マラソン2025」が行われる16日あたりには何とか見ごろになってほしいものだ。厄除けの虎口をくぐる参拝者たち開花にはもう数日かかるか、護国神社梅園の紅梅節分

  • オフィーリア

    昨日、マリアンヌ・フェイスフルさんの訃報のことを書きながら、かつて彼女がトニー・リチャードソン監督の映画「ハムレット」でオフィーリアを演じたことをふと思い出した。その数日前、NHK-Eテレで妙なミュージックビデオを見た。「オフィーリア、まだまだ」というタイトルで、NHKの紹介記事にはこう書かれている。--シェークスピアの戯曲の一場面を描いた「オフィーリア」(ミレイ画)。川に流され溺死を待つばかりの主人公が「背泳ぎは得意」と思い出して力強く泳ぎ出す様子を想像して曲を作った。「♪まだまだ溺れちゃいられないのよ」という歌詞は、ブルーな気持ちになっているすべての人に贈る応援歌!--※絵をクリックするとYouTubeの映像が再生されます。そういえば随分前、ミレーの「オフィーリア」を図鑑か何かで見た時、僕自身がかつて...オフィーリア

  • 英国女性ポップス歌手華やかなりし時代

    今日、ネットニュースで英国の女性ポップス歌手マリアンヌ・フェイスフルさんの訃報を見た。僕と同年齢で学生時代のアイドルのひとりでもあった。波乱の多い人生だったようだ。60年代の前半、英国ではビートルズを始めとするリバプールサウンドが台頭してきた頃だが、女性ポップス歌手も多士済々だった。中でもよく聴いていたのが、マリアンヌ・フェイスフル、ダスティ・スプリングフィールド、ペトゥラ・クラークの3人だ。ダスティ・スプリングフィールドさんはだいぶ前に亡くなったので、ご健在はペトゥラ・クラークさんだけだが、ご高齢で隠遁生活のようだ。わが青春の思い出を彩る女性ポップス歌手の時代も遠い昔のこととなり寂しい限りである。今日は3人の代表曲を聴きながら学生時代の思い出に浸った。マリアンヌ・フェイスフル「涙あふれて(AsTears...英国女性ポップス歌手華やかなりし時代

  • 自力本願・他力本願

    毎月、父の月命日にはわが家の檀那寺からご住職にお経をあげに来ていただいています。わが家は先祖代々、浄土真宗ですが、ある時、ご住職に前から抱いていた疑問を質したことがあります。それは「浄土真宗ではなぜ、般若心経を唱えられないのか」ということです。それに対しご住職は「大乗仏教」から説明を始められましたが、正直よくわかりませんでした。その後、各種文献などで調べたところ、どうやら「自力本願」、「他力本願」がキーワードらしいということが分かりました。一般的に使われる「自力本願」、「他力本願」の意味とは異なり、次のような意味があるようです。●自力本願自ら修行によって悟りを開くことを求める宗派、真言宗や曹洞宗などでは「般若心経」を唱えます。これに対し●他力本願浄土真宗などでは他力すなわち、仏の力、阿弥陀仏の本願によって...自力本願・他力本願

  • 「芸どころ熊本」とあやこ姐さん

    このところ眼科や胃腸科など、新町・古町の病院へ行くことが多くなり、必ず新町の福田病院あたりを通る。現在、福田病院の寿心亭があるところは、かつて老舗料亭・新茶屋があった。通る度に昔の趣のある風景を思い出す。僕が初めて料亭と名のつく場所に行ったのは、もう50数年も前の大学を出たばかりの頃。父がまだ教員現役で、同勤の先生たちとの宴に連れて行ってもらった。どういう趣旨の宴だったのか思い出せない。熊本に帰って間もなかったので行った料亭もどこだったのか憶えていない。ただ、父があやこ姐さんという芸妓さんを呼んだことだけは憶えている。どうも学校関係の宴会にはあやこ姐さんを呼ぶのがお決まりになっていたようだ。僕があやこ姐さんにお会いしたのは、後にも先にもその時だけで、どんな芸を披露されたのかも憶えていない。後に「熊本最後の...「芸どころ熊本」とあやこ姐さん

  • 吉原遊郭と音楽

    大河ドラマ「べらぼう」は4回まで放送されたが、音楽文化の発信基地でもあった吉原遊郭の中にいまだそれらしいシーンが見られない。このドラマの音楽は「麒麟がくる」も担当したアメリカの作曲家ジョン・グラムが再び担当している。しかし、彼はドラマの本筋を彩る音楽を担当しており、歌舞伎の下座音楽に当たる部分は日本人が受け持つと思われる。スタッフの中に「芸能指導」として薩摩琵琶演奏家の友吉鶴心氏がクレジットされているが、吉原遊郭の音楽を主に担っていたのは三味線。今後、吉原遊郭の三味線音楽が見られるだろうか。江戸末期、吉原固有の唄だった「さわぎ唄」。正式名「吉原さわぎ」は、他所の遊里などで唄う場合は吉原の許可を必要としたという。各地に広まっていくと遊里や酒宴の席などで、座を盛り上げるために三味線や太鼓に合わせてにぎやかに唄...吉原遊郭と音楽

  • 福参(ふくまいり)と和楽

    2月6日に斎行される「熊本城稲荷神社初午大祭」を前に、今日1月26日は恒例の「福迎え御神幸行列」が斎行された。献弊式に続き、宮司や今年の福男と福娘たちが「発輦(はつれん)!」の掛声も高らかに神社を出発、熊本市の中心街を練り歩き、商店を巡りながら「福拍子」で気勢を上げ、商売繁盛を祈願した。熊本城稲荷神社から「福迎え御神幸行列」のご発輦「福迎え御神幸行列」のご発輦を見送った後、熊本市民会館へ移動し、筝演奏家の小路永和奈さんからご案内を受けていた「人づくり基金コンサートvol.6」を見に行く。小路永さんはお母様のこずえ様や自ら主宰のお箏教室の生徒さんたち、それに普段から交流のある演奏者の皆さんとのセッションで計6曲を演奏された。完成度の高い素晴らしい演奏会だったと思う。演奏仲間とともに福参(ふくまいり)と和楽

  • 草枕と民謡「田原坂」

    僕の愛読書は夏目漱石の「草枕」と言っていいだろう。と言っても何度読んでもよくわからないところが多いので読み直す回数が多いと言った方が正しいかもしれない。それはともかく、「草枕」の魅力の一つは随所に長唄や民謡や謡曲などが散りばめられていることがあげられる。第二章にこんな一節がある。--やがて長閑な馬子唄が、春に更けた空山一路の夢を破る。憐れの底に気楽な響がこもって、どう考えても画にかいた声だ。馬子唄の鈴鹿越ゆるや春の雨と、今度は斜に書きつけたが、書いて見て、これは自分の句でないと気がついた。--この句自体はどうやら正岡子規の句をもじったものらしいが、「鈴鹿馬子唄」が聞こえてきた情景を描いている。ただ、馬子が本当に唄っていたのかどうかはわからない。第七章の「那古井の宿」の浴場で、子供の頃、酒屋の娘が「旅の衣は...草枕と民謡「田原坂」

  • 君が代松竹梅 ~梅のパート~

    今から17年前、平成20年4月30日(水)の夜。熊本城二の丸広場特設ステージでは、「熊本城築城400年祭」のエピローグとして「坂東玉三郎特別舞踊公演」が行われた。昼過ぎには1時間ほど並んで入場整理券を確保し、舞台から10列目ほどの席に母と家内と僕と三人並んで座っていた。何気なく後ろを振り返ると圧倒されそうな大観衆。翌日の新聞記事に観衆12,000人と書いてあった。舞台の向こうにはライトアップされた熊本城天守閣が浮かび上がっている。やがて舞台が暗転、地方の演奏が始まる。そしていよいよ坂東玉三郎さんの登場だ。場内の空気が一変する。あちこちで「ほ~ッ」というため息が漏れる。1曲目の「君が代松竹梅」を踊り始める。それから2曲目の「藤娘」が終り、玉三郎さんが退場するまでの間、僕は異次元空間にいるような気がした。先日...君が代松竹梅~梅のパート~

  • マイミックスリスト

    YouTubeの「マイミックスリスト」機能によりリストアップされたタイトルを時々チェックしている。ネット上には個人のお気に入りをまとめたものというような説明もあるが、自分でお気に入りに選んだ覚えはない。中には一度も再生したことがないものも含まれており、再生歴からAIで僕が好みそうなものを選んでいるのだろう。先日リストされていた下記の26タイトルの中から3タイトルを選んで視聴した。喜代節熊本民謡おてもやん鹿児島三下り~田助ハイヤAfterYou'veGone-PTimeSelection東海風流チャンネル「下田節」ひえつき節(宮崎県民謡)ザ・わらべ~さのさ~熊本自転車節(歌詞付)花童~肥後のタンタン節~花童~キンキラキン~ザ・わらべ~津軽あいや節~伊勢音頭(歌詞付)こわらべ~江津湖音頭~長崎浜節/長崎ぶらぶ...マイミックスリスト

  • にっぽん縦断 こころ旅

    「にっぽん縦断こころ旅2024秋熊本編」2日目は玉名市から長洲町の「長洲港」を目指す。旅人は火野正平さんのピンチヒッター坂上忍さん。今から16年前、3歳の孫にカモメを見せようと夏休みに長洲港に連れて行ったものの、季節外れで渡り鳥のカモメはいなかったという女性の願いを叶えるため長洲港をめざす坂上さん。出発地点は玉名市小浜の菊池川右岸。菊池川堤防の道を下流方向へ自転車を走らせるのだが、この道は僕にとって思い出深い道。僕が幼い頃、高瀬駅(現玉名駅)から大浜町の母の生家までの約3kmを母に手を引かれてくてく歩いた道である。道沿いに木蝋生産の名残であるハゼ並木が続く。寛文年間から熊本藩ではハゼが特産品奨励として植栽されて木蝋生産が盛んに行われ、藩の財政を支えた。現在は木蝋生産は行われていないが、秋には美しく紅葉する...にっぽん縦断こころ旅

  • 懐かしい風景

    テレビ番組の中で好きなジャンルが旅番組。見ていて行ったことがある町や風景が出てくるとなんだか嬉しくなる。今日見たのはNHK-BS「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」選と、BSテレ東「ローカル路線バス乗り継ぎの旅W」の2本。「六角精児の呑み鉄本線」は冬の野岩鉄道&会津鉄道だったが、ゴール地点の西会津に近づくと車窓から冠雪した会津磐梯山が美しい姿を見せる。磐梯山を初めて目にしたのは高校1年の会津若松国体の時だから、もう64年も前になる。その後、那須在勤の頃、会津若松を二度訪れていつも変わらぬ磐梯山の姿を拝んだものである。会津磐梯山一方の「ローカル路線バスの旅」は女性3名で挑む新シリーズ。赤江珠緒・高城れに・三船美佳の3人が日光・中禅寺湖をスタートし3泊4日で千葉県房総半島最南端の野島埼灯台を目指す。僕は彼女らが通...懐かしい風景

  • 第58回熊本県邦楽協会演奏会

    今日、国際交流会館で行われた「第58回熊本県邦楽協会演奏会」では毎回出演の蓑里会で立三味線を務められる杵屋五司郎さんが、初めて自らの出自や経歴について話をされ、杵屋をリードして行く立場となった現在の心境を語られた。また、寛永年間に杵屋勘五郎が兄の初代中村勘三郎とともに江戸に下り、杵屋宗家の始祖として江戸歌舞伎の発展に尽くした話など、とても興味深い話をされた。【今日の演目】三曲「越後獅子」・・・・・・・琴古流尺八楽若菜会俚奏楽「蛍茶屋」・・・・・・・・・秀美会筝曲「千鳥の曲」・・・・・・・・・都山流尺八楽会長唄「連獅子」・・・・・・・・・・蓑里会琴古流尺八本曲「下り葉の曲」・・・琴古流尺八楽若菜会肥後琵琶「餅酒合戦」・・・・・・・肥後琵琶の会端唄「松づくし・春雨・寄りを戻して・品川甚句」・・・椿会都山流尺八...第58回熊本県邦楽協会演奏会

  • 昨夜の夢 ~エルヴィス~

    昨夜、不思議な夢を見た。僕はどこかのホールで行われているライブコンサートを観に行っている。ステージでは一人の歌手が1本のギターを爪弾きながら歌っている。顔がハッキリとはわからないが、風体から見てエルヴィス・プレスリーのようだ。バラードなのだが不思議なことに日本語で歌っている。そして観客が彼の歌に合わせて合唱しているのだ。今まで聞いたことのないその歌を、あとで曲名を調べてみようと必死に耳コピーした。しかし、朝起きてみるとそのメロディは儚く消えていた。何でこんな夢を見たのだろうとしばらく布団の中で考えた。思い当たるのは先日、NHK-BSのプレミアムシネマでエルヴィス・プレスリーの伝記ドラマ「エルヴィス」をやっていた。僕が中高生の頃、エルヴィス主演の映画をよく観に行ったものだが、そのエルヴィスのイメージと、この...昨夜の夢~エルヴィス~

  • 梅の開花時期

    今日はもう1月17日。わが家の梅も護国神社の梅園の梅も、いまだに蕾の膨らむ気配すらない。今年は開花が遅いという話は聞いていたが、気になったので過年度のブログ記事を確認してみた。なんと昨年は護国神社の紅梅が1月13日にはほぼ開花と言っていい状態である。2015年のわが家の梅は1月14日にはだいぶ開いている。今年の状態はというと蕾が膨らみ始めるのはまだ1週間以上先と思われる。その年々の気候条件によって開花時期は左右されることはわかっているが、やはり梅の開花は「春のたより」。待ち遠しいものだ。そこで梅を季語とした漱石の句を二つ。いずれも漱石お得意の邦楽にちなんだ句。紅梅にあはれ琴ひく妹もがな(明治29年)紅梅や舞の地を弾く金之助(大正4年)2015.1.142016.1.162019.1.202020.1.23...梅の開花時期

  • 春のたより

    今日は朝から国立熊本病院へ。先日受けた消化器検査の結果を聞くためだったが、だいぶ待たされた挙句、結果が届いていないので来週再来院の指示。憮然たる思いで帰路につく。二の丸広場を通って帰ろうと「二の丸休み処」の前に差しかかると、中のモニターに、一昨年他界した同級生の顔がアップで映っていてビックリした。勇知之君といって、郷土史家で「西南の役」研究家として知られていた。誘われるように中に入りバンコに座って見た。西南戦争で証明された熊本城の堅固さを紹介するビデオ映像だった。勇君はその解説役として登場していた。しかし、「休み処」の客はほとんど外国人。ビデオには無関心のようだったが、勇君もきっとこの様子を見て苦笑していることだろう。頬が凍てつくような空気を感じながら二の丸広場を歩いたが、もう1,2週間も経てば護国神社の...春のたより

  • 幸若舞

    1月20日は福岡県みやま市の国指定重要無形民俗文化財「大江幸若舞」が行われる日。現地に見に行ってから早くも10年が過ぎた。毎年行きたいと思いながら所用があったり、自身の体調が悪かったりで結局その後行けないでいる。室町時代初期に始まり、中世から近世にかけて、能と並んで武家に愛好された芸能といわれるが、今では、みやま市瀬高町の大江でしか見ることができない。10年前に行った時も、僕も含め、みやま市外から見に来た観客が多かった。おそらく今ではもっと多くの観客が市外から来られているだろう。幸若舞というものの、この古典芸能は語り物で、小鼓方の鼓と独特な囃子に合わせ、前傾姿勢で両手を広げ、反閇と禹歩を繰り返しながら朗吟する。おなじみ「敦盛」で言えば「人間五十年げてんのうちをくらぶれば」という詞章を聞くと観客は待ってまし...幸若舞

  • どんどや

    今日は、わが町の正月恒例行事「第52回壺川校区どんどや」が京陵中学校のグラウンドで行われた。消防団の皆さんが伐り取り組み上げた青竹の櫓の前で、加藤神社宮司による神事の後、櫓に火が入れられた。たちまち櫓は燃え上がり、松飾りや注連飾りが燃える炎とともにお迎えした歳神様が天空へと昇って行く。毎年のことながら感動を覚える一瞬だ。加藤神社宮司により神事がとり行われる。壺川小学校の生徒による玉串奉奠組まれた櫓に火入れが始まるあっという間に櫓が燃え上がるどんどや

  • 「べらぼう」と傀儡子の三番叟

    今夜の大河ドラマ「べらぼう」は蔦重(横浜流星)が吉原再興のガイドブック「吉原細見」を作り、平賀源内に序文を書いてもらおうと奔走する話が中心だった。一方、江戸城内では徳川三卿のひとつである一橋家の当主・一橋治済(生田斗真)の嫡男・豊千代(後の十一代将軍家斉)の誕生を祝う盛大な宴が行われていた。能舞台では治済と田沼意次(渡辺謙)による傀儡子「寿二人三番叟」が演じられていた。実際にそんなことがあったのかどうかはわからないが、やがては将軍の実父として絶大な権力を握ることになる治済の田沼意次に対する信頼ぶりと意次の後ろ盾としての存在感が表れていた。「べらぼう」と傀儡子の三番叟

  • つぐない

    年賀状じまいをご連絡いただく方も多くなり、僕の出状数もかつての半数以下になってしまった。いまだに年賀状のやり取りを続けている方のなかに、那須塩原市の栃木工場勤務時代の同僚Kさんがおられる。Kさんからの賀状の中に「昨年6月に定年退職」した旨、書き添えてあった。僕が東京へ転勤になった後、彼女は一度退職し、結婚・出産などを経て再雇用されたことは知っていた。いわゆる仕事のできるタイプで、特に当時進められていた業務OA化の尖兵となっていたので再雇用と聞いた時は「さもありなん」と思ったものだ。「定年退職」と聞いて「もうそんな歳になっていたか!」と驚いたが、考えてみれば僕が栃木工場に勤務したのはもう40年も前。彼女は高校時代バレーボールの選手で歌もうまかった。時々、週末には職場の仲間で行きつけのカラオケスナックに行くこ...つぐない

  • 「べらぼう」と「山名屋浦里」

    1月3日にNHK総合「タモリと鶴瓶の新春特番」の中で「山名屋浦里」が話題になって以来、このブログの「山名屋浦里」関連のページへのアクセスが集中していたが、やっと今日は鎮静化したようだ。今年の大河ドラマ「べらぼう」は初回から、命を落とした遊女の全裸遺体が折り重なるという投込寺のショッキングな映像が物議を醸しているようだ。花柳病にかかっても治療も受けられなかったり、食事もろくに与えられず栄養失調で命を落とす遊女なども多かったようで、「吉原」はけっして夢の国ではないことを端的に表現したものだろう。ところで、「亡八」の中に扇屋宇右衛門という楼主が登場する。この男がくだんの「山名屋浦里」の原話である「扇屋花扇」の楼主である。なかなかの文化人で、遊女たちの教育にも熱心だったらしいが、「花扇」というのは「扇屋」の代々の...「べらぼう」と「山名屋浦里」

  • 早坂暁の世界

    今日からNHK-BSで「続夢千代日記」の再放送が始まった。「夢千代日記」シリーズといえば、脚本家・早坂暁(はやさかあきら2017年没)さんの代表作である。早坂さんは50年代から90年代まで、主にテレビで数々の名作ドラマを生み出したレジェンドの一人である。僕が見た早坂作品は数え切れないほどあるが、その中から特に好きな3本を選んでみた。(2017.12.18の記事を再編集したものです。)◆夢千代日記(NHK1981年)日本のテレビ史上、伝説的な存在となったこのドラマシリーズは、吉永小百合さんが出演した映画・ドラマの中で僕が最も好きな作品だ。このドラマが始まった時、小百合さん35歳、匂いたつばかりの美しさ。胎内被爆者である夢千代は余命3年と宣告されている芸者置屋の女将。当時は裏日本と呼ばれた日本海の暗い冬の景色...早坂暁の世界

  • ローカル路線バスの旅

    今夜の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z」(BSテレ東)は、岐阜城をスタートし、鳥取砂丘がゴールという過酷なコース。旅人は、俳優・田中要次と芥川賞作家・羽田圭介および女優&タレントの村井美樹という顔ぶれ。結果はゴールへ向かう最後のバスに乗り遅れ失敗した。今日のコースで興味深かったのは琵琶湖を反時計回りする部分。その昔、僕が彦根在勤の頃、リクルートで高校巡りしていた時とほぼ同じコースを回っていた。もちろん僕の場合は車運転だから、バス旅のような制約はなかったのだが、何度も同じコースを回ったので、今日のバス旅を見ながら、いつか見たことのある風景だなぁと思いながら番組を見ていた。下に思い出の風景写真を掲載してみた。関ヶ原方面から米原へやって来る途中の醒井宿は地蔵川の梅花藻(ばいかも)が人気スポット。北国街道木之本宿...ローカル路線バスの旅

  • 上村松園の世界と藤間爽子

    今日は京町から県道303号(四方寄熊本線)を通り、県立美術館別館から千葉城橋を渡り、上通へ回る散歩をした。上通では舒文堂河島書店で久しぶりに古書でも眺めてみようと立ち寄った。しばらく経ってから壁に額に納められた上村松園の「鼓の音」の版画が掲げられていることに気付いた。価格は66,000円(!)と書かれていた。そこで昨夜のEテレ「日曜美術館」を思い出した。「SPハッピーニューアーツ!」と題して注目の展覧会をいくつか紹介していたが、その中のひとつが「私は我が道を行きます藤間爽子×上村松園」だった。俳優として日本舞踊家として活躍している藤間爽子が日頃から大好きな上村松園の作品を観に奈良県の松伯美術館を訪れる。展示された多くの名作の中でも彼女の心をとらえて放さないのが「花がたみ」。能「花筐」を題材とし、恋する相手...上村松園の世界と藤間爽子

  • 初詣と松囃子

    今日5日は例年どおり、藤崎八旛宮に初詣に行った。毎年5日と決めているのはこの日「松囃子」が行われるから。参拝と「松囃子」を合わせて初詣と自分で決めている。拝殿に詣でた後、武内社を始め摂社・末社すべてをお詣りした。「松囃子」では金春流と喜多流によって舞囃子などが演じられたが、喜多流の狩野了一さんによる「東北(とうぼく)」が一番印象深かった。昨年の松囃子でもたしか狩野祐一さんが「東北」を舞われたが、藤崎八旛宮での松囃子では喜多流は「東北」を舞うことになっているのだそうな。「東北」は昨年の大河ドラマ「光る君へ」にも登場した和泉式部の霊が登場する能。わが家の氏神藤崎八旛宮への初詣例年三が日を過ぎると参拝客は少なくなったが、今日は日曜日とあって賑わっていた。松囃子「舞囃子東北」喜多流能楽師狩野了一さん初詣と松囃子

  • 「山名屋浦里」 の話題

    1月2日の朝からgooブログがシステムトラブルで全く繋がらなくなり、そのせいか2日のブログアクセス数は半減。昨日3日はどうなっただろうとアクセス解析を開いてみると、なんと前日の倍増という結果に。滞っていた分の加算でも行われたのかなと思ったが、アクセスされたページを見て「ハハーン!」と気付いた。それはこれまで度々アップした「山名屋浦里」に関する記事がズラリ。昨夜放送されたNHK総合「タモリと鶴瓶の新春特番」の中で「山名屋浦里」が話題になった。2023年の「タモリと鶴瓶の新春特番」でも話題になり、この時もブログへのアクセスが急増したことがあった。ブラタモリの「江戸の盛り場~吉原編~」のロケの時、タモリが現地で聞いた話をもとにした鶴瓶の新作落語「山名屋浦里」が話題となったのはもう10年前。さらにその翌年には新作...「山名屋浦里」の話題

  • 2024 年間動画視聴ベスト10

    YouTubeマイチャンネルの2024年動画視聴ベスト10は次のとおりでした。この期間の総視聴回数は1,511,670回。前年の約2.8倍という伸びでした。これは、一昨年の年末にアップしました「お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)」がバズり、それによって12年前の初期版を始め、旧作群にも飛び火したような状況になったものです。この現象も落ち着きつつありますが、新作アップもなかなか厳しい現状の折、旧作で再評価されそうな動画を発掘したいと思っています。サムネイル画像をクリックしていただきますと動画を視聴いただけます。1.お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)(470,032回)2.こわらべ~お座敷小唄/芸者ワルツ~(90,879回)3.花童~肥後のタンタン節~(83,025回)4.こわらべ~江津湖音頭~(82...2024年間動画視聴ベスト10

  • 春隣

    あけましておめでとうございます本年もどうぞよろしくお願いいたします好天に恵まれた元日、暖かい日差しを浴びるとまさに「春隣」を思わせます。思えば昨年は前年暮から母が入院し、正月は連日見舞いの日々でした。それに比べれば今年は母の体調も落ち着いており、心穏やかな正月となりました。あと10日もすれば、わが家の梅の木の蕾も白い花を咲かせ始めることでしょう。2015年元日、水前寺成趣園特設ステージでは小雪舞い散る悪天候のなか舞踊団花童の舞初めが行われました。いまだに忘れられない思い出です。春隣

  • 年末のご挨拶

    今年も多くの皆様に、当ブログをご訪問いただきありがとうございました。厚く御礼申しあげます。今年は元日から「能登半島地震」の報が飛び込み、8年前の「熊本地震」を思い出し、暗澹たる1年の始まりを感じさせました。来るべき新年も何が待ち構えているのか油断はできません。ともあれ、皆様方がご息災でお幸せな1年になりますよう心よりお祈りいたします。新年も当ブログをよろしくお願い申しあげます。筆主敬白阿蘇中岳の噴煙年末のご挨拶

  • フォトジェニック 2024

    2024.3.24九州がっ祭2024美勝女隊(福岡)「九州がっ祭」は2016年熊本地震からの復興を願って始まった「よさこい」系のまつり。九州各県および全国から100を超える団体が参加、演舞を繰り広げ優劣を競う。各団体ともオリジナル性を追求し完成度が高い。全団体を見たわけではないが、熊本城二の丸広場会場で僕が見たなかでは最も「見映え」がしたのがこの「美勝女隊」。2024.5.4代継宮~曲水の宴~巫女による祭祀舞「豊栄の舞」毎年5月、代継宮(熊本市北区龍田3)の境内では平安絵巻さながらの「曲水の宴」が開かれる。宴の開始にあたって神事が執り行われ、巫女による祭祀舞「豊栄の舞」が舞われる。平安装束に身を纏った男女が歌人に扮しているが、白衣に緋袴の巫女の姿は厳かで神聖さを感じる。2024.6.2藤間流藤間きみ藤芸歴...フォトジェニック2024

  • 年末お礼参り

    このところの寒さで外歩きは控えていたが、そろそろ運動不足が気になりだしたので、神社への年末お礼参りを兼ねて久しぶりに散歩した。加藤神社はお礼参りの参拝者で賑わっていた。かかりつけ医からインフルエンザが流行しているので人混みは避けるよう言われていたことを思い出し、今日は鳥居の下から遥拝するにとどめた。二の丸広場を通り抜け、護国神社へ行くとこちらは数人しか見えなかったので拝殿前まで進んで参拝した。すっかり正月の装いが整っていた。鳥居下の「終戦より八十年」の看板が目についた。終戦は昭和20年8月。僕はこの年度の生まれなので感慨深いものがある。正月の装いが整った熊本県護国神社新年は終戦から80年護国神社から二の丸広場へ戻る途中、住江門跡を通りながら、ふと住江金之(すみのえきんし)博士のことを思い出した。住江博士と...年末お礼参り

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