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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • ブログ開設から7000日

    ブログ編集画面の左上の隅に「ブログ開設から7001日」と表示されていることに気付いた。昨日が7000日だったわけだ。2005年2月にブログを立ち上げて20年目に入った。この間にはいろんな思い出深いブログネタがあったが、その中から今回は2つを取り上げてみた。▼馬頭琴コンサート開催2007年3月、熊本市国際交流会館ホールで馬頭琴のコンサートを開いた。中国・内モンゴル自治区の緑化事業に取り組んでいるNPO法人どんぐりモンゴリの主催で、同自治区出身の馬頭琴奏者リポーさんを招き、内モンゴルの民俗芸能を熊本市民に紹介し、緑化事業への協力をお願いする目的で企画されたもの。実質的な主催者である同法人熊本支部代表の梅林強さんから依頼を受けた僕が総合プロデュースの役割を務めさせていただいた。会社員時代に何度かブリヂストン吹奏...ブログ開設から7000日

  • 山路を登りながら、こう考えた。~草枕の世界~

    「山路を登りながら、こう考えた。」これは漱石の「草枕」冒頭の有名な一節である。そしてこの山路というのは鎌研坂(かまとぎざか)のことといわれている。熊本市島崎の岳林寺辺りから金峰山に登る最初の険しい山道でもある。先月末日に行われた本妙寺桜灯籠を見に行った時、参道の一角で米屋を営む中学時代の親友の家を訪ねた。と言っても親友は11年前に既に他界している。僕がまだ「草枕」のことなど何も知らなかった中学時代、その親友と毎週のように登った山道だ。今日では自動車道が並行しているが、当時は「けもの道」のような山道が一本あるだけ。お互いに母親が作ってくれた弁当をリュックに詰め、一路金峰山を目指した。二人とも大の映画好き。道中は互いに知っている限りのまめ知識を披露し合うのである。当時は西部劇の全盛期で、話題は見た西部劇のスト...山路を登りながら、こう考えた。~草枕の世界~

  • 慶長十二年 丁未(ひのとひつじ)の條

    今日4月15日は出雲阿国の忌日である「阿国忌」(生没年不詳)とされている。慶長15年(1610)春、加藤清正は八幡の國(出雲阿国)を肥後に招き、鹽屋町三丁目(現中央区新町2丁目)の武者溜りで歌舞伎を興行したことが「續撰清正記」」に書かれている。しかしこれ以外の史料がなく詳細は分からない。何か未知のことでも書かれていないかと思い、「国立国会図書館デジタルコレクション」の中の「江戸年代記(明治42年出版)」を調べてみた。すると「慶長十二年・丁未(ひのとひつじ)」の2月に面白い記述を発見した。そこには次の2項目が並記されていたのである。二月細川幽斎室町家の儀式三巻を上る同月観世金春勧進能興行出雲阿国歌舞伎興行まず最初の項目は肥後細川家の礎である細川幽斎が徳川家康に重用されていたことを示すもの。この時には既に家康...慶長十二年丁未(ひのとひつじ)の條

  • 熊本地震から8年

    今日で熊本地震の前震からちょうど8年。2日後の本震ももちろん凄かったが、前震もほとんど同程度の揺れで生まれて初めて経験する激震だったのでより印象深い。本震時はある程度の覚悟ができていたように思う。前震は夜9時を過ぎていたので翌朝になって初めて被災状況を知ることになったが、わが家から最初に目に入った惨状が下の写真。瀬戸坂を挟んで向かい側に建つF氏宅。西南戦争時の弾痕が残るというこの家は、この辺りでは珍しい「むくり屋根の家」として地元で知られた旧家である。南側が崖になっていて見事な石垣が積み上げてあったのだが、地震によって無残に崩落してしまった。8年経った現在の状況と写真を2枚並べてみた。熊本地震直後のF氏宅(むくり屋根の家)8年経った今日現在のF氏宅自分自身の中でも熊本地震の記憶が風化しつつあることは否めな...熊本地震から8年

  • 金栗記念陸上2024

    今日は「金栗記念選抜陸上中長距離大会2024」を見に行った。いよいよオリンピックイヤーの陸上シーズンが始まった。何と言っても注目は女子中長距離の日本記録保持者である田中希実選手。今日は800mと1500mの2種目に出場した。しかしまだ調整段階のようで2種目とも2位に終わった。これから7月下旬のパリ五輪に照準を合わせ、徐々に仕上げて行くのだろう。いつもながら陸上界のスターが登場するとあって、彼女の出場種目の時間が近づくと、スタート招集所前には多くのメディアが集結し注目度の高さをうかがわせた。今年の彼女の活躍に期待したい。先頭を走る田中希実選手(800m)田中希実選手の出番が近づくと多くのメディアが集結(1500m)金栗記念陸上2024

  • 御衣黄桜と気象予報士

    熊本城三の丸の御衣黄桜が咲き始めたのを確認してから10日経つので、その後の開き具合を見に行った。ほぼ満開となった御衣黄桜を眺めていると僕以外誰もいないその木の下へ若い男性が歩いて近づいて来た。にこやかな表情で「よく見に来られるんですか?」と声をかけられたので、「えゝよく来ますよ」と答えた。御衣黄桜と鬱金(ウコン)桜は紛らわしいですねなどと、しばらく桜談義をしながら、桜の写真を撮っていると、本人の方から「私はKAB(熊本朝日放送)の夕方のニュースで天気予報をやっています」とおっしゃる。そういえば時々見るKABの夕方ニュースで見たことがあるような気がした。「季節情報の取材ですか?」とたずねると、「そうなんです。今日の夕方に使う予定です」帰ってからKABのサイトで確認したら、KAB夕方のニュース情報番組「くまも...御衣黄桜と気象予報士

  • 土手券 ~町芸者の歴史~

    「土手券」と呼ばれた町芸者のことをこれまで何度か記事にしてきたが、きちんと残しておかないと歴史の彼方に消えてしまうように思えたので加筆修正をしてまとめてみた。坪井川・庚申橋付近父が小学六年生の頃、祖母と二人で街を歩いていると向う側からやってきた七十歳前後と思しき老女が急に立ち止まり、「お人違いかもしれませんが阿部さんのお嬢さんではありませんか?」。祖母も一瞬驚いたが、それからなんと1時間にもおよぶ立ち話が続いたという。酒盛りのこと、火事のことなど話題は尽きない様子だったが、その老女は阿部家の酒宴の時によく呼んだ町芸者で「土手券」と呼ばれていたそうである。祖母がまだ娘だった頃、曽祖父が大江村の村長をやっていて、酒宴を開くことも多かったらしく、その時によく呼んだ町芸者が「土手券」と呼ばれて人気があったという。...土手券~町芸者の歴史~

  • 花も花なれ 人も人なれ

    不適切発言で辞任に追い込まれた静岡県の川勝平太知事が、辞める心境を問われて「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」という細川ガラシャの辞世の句を引用したと報道された。川勝知事の言葉選びの感覚には首をかしげたくなる。職業差別とも受け取れる発言はもちろんのこと、自己都合退職で巨額の退職金をもらう人が、ガラシャ辞世の句を引用してもらいたくない。先日、泰勝寺跡(立田自然公園)に立ち寄って細川ガラシャ廟にもお参りしたばかりだが、あらためて細川ガラシャについて。泰勝寺跡の細川ガラシャ廟には次のように説明されている。------------------------------------------------------------------------------------------------...花も花なれ人も人なれ

  • 艶やかな踊り ~藤間紫~

    朝ドラ「ブギウギ」でヒロイン「スズ子」の幼なじみ「タイ子」が母を継いで芸者となり、お座敷で踊りを披露する場面があった。演じた藤間爽子(ふじまさわこ)さんは日本舞踊家としては「三代目藤間紫」として活動している。この場面は放送ではわずか数秒だったように記憶しているが、そのフルバージョンがNHKのYouTubeチャンネルで公開されていたのでさっそく視聴した。放送の時はあまりに短かったので気が付かなかったが、曲目は「秋の色種(あきのいろくさ)」だった。だが、フルバージョンと言っても曲の終結部分の一部「うつし心に花の春月の秋風ほととぎす」というフレーズのみ。できることなら本当のフルバージョンを見てみたかった。この終結部分の直前が、下に添付した「琴の合方」。「合方」というのは唄は唄わず三味線などの楽器だけで演奏するこ...艶やかな踊り~藤間紫~

  • チェリーセージと「スカーボロー・フェア」

    庭のチェリーセージの花が咲きそろってきた。いつものことながら「Parsley,sage,rosemaryandthyme」という「スカーボロー・フェア」のフレーズが頭に浮かぶ。セージと言ってもあの歌は食用のハーブを並べたフレーズで、観賞用のチェリーセージとは別物らしい。この歌は映画「卒業」の中で使われたサイモン&ガーファンクルバージョンが一躍有名になったが、実は17世紀頃からスコットランドあたりで歌われていた民謡がもとになったものらしい。映画「卒業」と言えば、僕が大学を卒業して故郷熊本のカーディーラーに就職し、三菱自動車水島製作所で新人研修を受けていた時、岡山駅近くの映画館で見た。ダスティン・ホフマン演じる主人公ベンジャミンが大学を卒業して故郷に帰ってきたという設定が自分と重なって、主人公に感情移入して見...チェリーセージと「スカーボロー・フェア」

  • 旅の風/卑弥呼の舞

    2010年から撮り始めた舞踊団花童(旧少女舞踊団ザ・わらべ)の写真や動画がとんでもない数になっているので少し整理しようと思い、一つ一つ確認しながらの整理作業を進めている。だが、何せ数が多すぎて作業がなかなかはかどっていない。写真には撮影した年月日・場所および曲名などをテキストデータとして付けておきたいと思っているが、日時・場所はだいたいわかるのだが曲名がどうしても思い出せないのもある。下の写真もその一つで、2013年11月2日に山鹿さくら湯・池の間で行われた公演だということはわかっているのだが、動画は撮っていないし、何という曲名だったのかわからなかった。そこで写っているご本人(当時:花童くるみさん)にお尋ねしてみた。ご本人も記憶が曖昧だが、「卑弥呼の舞」ではないかというご返事をいただいた。そう言われてみる...旅の風/卑弥呼の舞

  • 若草色と萌黄色

    3日前の記事に熊本城三の丸の御衣黄桜が咲き始めたことを書いた。その名の由来は記事に書いたとおりだが、それとは別に僕はこの桜を見ると必ず思い出すのが巫女神楽の「浦安の舞」のこと。この舞は比較的新しく、昭和15年に行われた「紀元二千六百年記念行事」の際に作られた舞曲だそうだ。YouTubeには各地の神社で奉納される「浦安の舞」の映像がアップされている。そして大社クラスの「浦安の舞」はだいたい巫女は淡い緑系の装束を纏っている。調べてみると「浦安の舞」の装束は「衵(あこめ)」と呼ばれる中間着が、清浄の色とされる「若草色」を基調としていて、その上に着る「小忌衣(おみごろも)」は白布で透けて見えるので淡い緑に見えるらしい。カラーコードで調べてみると「若草色」と御衣黄桜の色と言われる「萌黄」は一見区別がつかないほど似て...若草色と萌黄色

  • 石仏と五高

    今日は子飼のガソリンスタンドに給油に行ったが、県立劇場が熊本大学の入学式だそうで大渋滞。普段は通らない抜け道を使った。帰りも子飼橋から浄行寺にかけて渋滞していたので熊大の脇から立田山を越える道を選んだ。途中、小峰墓地に立ち寄った。ラフカディオ・ハーンが愛した石仏(鼻欠け地蔵)は相変わらず五高(現熊大黒髪キャンパス)を見下ろしていたが、今はもう木々が繁り、民家も立ち並んでいて彼の眼には五高は見えていないだろう。ハーンの「石仏」の中に、五高の教育についてふれた一節がある。近代的な五高の学舎を見下ろしながら「最新の科学は教えても、信仰のことなど誰も教えられないだろう」とでも言いたげな石仏のシニカルな微笑を感じ取り、ハーンは、おそらく漢文の秋月悌次郎先生以外は誰も答えられないだろうと思うのである。そんな一節を思い...石仏と五高

  • 金栗記念大会で陸上競技シーズンイン!

    今年も熊本は「金栗記念選抜中長距離大会」で陸上競技の2024シーズンが始まる。今年もこの大会の目玉は女子中長距離のエース田中希実選手。女子1000m、1500m、3000m、5000mの日本記録保持者である。今大会は800mと1500mの2種目にエントリーしているが、はたしてどの程度仕上がっているだろうか。日本陸上界のスターとあっていつも彼女のレース前になるとスタート地点に多くのメディアが集結する。昨年は1500mだけ出場したが、本調子には程遠かった。今年の夏はパリ五輪が控えている。大舞台での活躍を占うレースとなることを期待して観戦したい。昨年大会の1500mレース前、選手紹介で挨拶する田中希実選手金栗記念大会で陸上競技シーズンイン!

  • 御衣黄桜の季節

    明日は「桜流しの雨」が降るらしいので、花見は今日がピークだったかもしれない。熊本城内の桜を見て回った後、三の丸漆畑の御衣黄桜(ぎょいこうざくら)の様子を見に行った。なんと花がもう開き始めているではないか。開花がおくれたソメイヨシノを待っている間に、御衣黄桜はじっと出番を待っていたのだろう。僕はこの御衣黄桜がソメイヨシノ以上に好きだ。あの萌黄色がたまらない。御衣黄桜といえば、夏目漱石の「虞美人草」に登場する「浅葱桜(あさぎざくら)」は御衣黄桜のことだという(諸説あり)。「浅葱桜」はヒロイン藤尾のイメージとして描かれているが、才色兼備だが傲慢で虚栄心が強い藤尾と御衣黄桜のイメージが僕は合わないと思う。それはさておき、もう1週間もすれば御衣黄桜が彩なす萌黄の世界が楽しみである。咲き始めた御衣黄桜御衣黄の名の由来...御衣黄桜の季節

  • 2024年1~3月動画視聴ベスト10

    YouTubeマイチャンネルの2024年1~3月視聴ベスト10は次のとおりでした。昨年暮、「お座敷小唄/芸者ワルツ」のリマスター版をアップしましたところ、12年前にアップした初期版も再び注目していただき、初期版、リマスター版とで視聴回数のトップを競うという今までにない様相を呈しています。サムネイル画像をクリックしていただきますと動画を視聴いただけます。1.こわらべ~お座敷小唄/芸者ワルツ~(16,939回)2.お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)(12,685回)3.伊勢音頭(歌詞付)(9,531回)4.おてもやん(歌詞付)(6,874回)5.南部俵積み唄(5,904回)6.花童~肥後のタンタン節~(5,447回)7.こわらべ~江津湖音頭~(4,607回)8.ひえつき節(4,454回)9.花童~絵日傘/...2024年1~3月動画視聴ベスト10

  • 桜灯籠2024

    本妙寺春の名物行事「桜灯籠(はなとうろう)」も今年で20回を数えた。3日前に来た時、はたして当日満開になるだろうかと心配したソメイヨシノもまるでタイミングを見計らったかのように見事に咲いた。熊本地震や新型コロナ感染拡大などで中止や縮小開催などが続いたが、やっと通常開催に戻ったようだ。出店も立ち並び、夕方6時のまつり開始の頃には仁王門から胸突雁木への桜馬場は絶え間なく人波が続いた。大本堂前や各塔頭では様々なイベントが行われ、コロナ前の風景が戻った。賑わう桜馬場日が暮れると桜と灯籠が幻想的な雰囲気を醸す大本堂前も竹灯籠とライティングで幻想的な雰囲気子どもたちも楽しい一夜となったようだ法皇閣前でライブを行うゴスペルチーム熊本coolchoir(クマモトクールクワイヤー)桜灯籠2024

  • 「御馬下の角小屋」番頭の話

    2008年に放送されたNHK大河ドラマ「篤姫」が今、NHK-BSで再放送されている。現在、篤姫が将軍家定へお輿入れするあたりまで進んでいる。先月、「津々堂のたわごと日録」さんが触れておられたように、このドラマではお輿入れのルートを船旅として描かれているが、実際は陸路ルートだったことがわかっている。薩摩藩の参勤ルートは江戸前期には日向細島港から船出する東ルートや川内川河口あたりから船出する西ルートなどの海路もあったようだが、江戸後期にはほとんど陸路を使っていたらしい。薩摩街道を北上すると当然熊本藩を通過することになり、しかも薩摩街道(豊前街道)は熊本城二の丸を通ることになるので、熊本藩士との間で一触即発ということもあり、街道を避けて脇道を使うこともあったようだ。もちろん篤姫のお輿入れの時は熊本藩も最大限の配...「御馬下の角小屋」番頭の話

  • 酒井先生の思い出

    先日まで行われた「春のくまもとお城まつり」などで熊本城二の丸広場に行くことが多いが、西大手門への通路の脇にある「歩兵第十三連隊の跡」記念碑を見る度に9年前に94歳で他界された酒井恭次先生のことを思い出す。酒井先生は僕がブリヂストン時代に最もお世話になった横浜工場の産業医で、亡くなられるまで年賀状のやり取りが続いた。亡くなられる数年前から、年賀状には必ず、戦時中熊本の「西部第十六部隊」に従軍された頃の思い出が書かれていた。「西部第十六部隊」というのは、この記念碑の「歩兵第十三連隊」の後身の部隊のことである。よほど懐かしい想い出だったのだろう。久留米ご出身の先生は横浜工場勤務が永かった。僕が東京勤務だった30数年前、横浜工場の酒井先生のところへ新医療システムの相談で度々お伺いした。お伺いすると必ず、終業後は横...酒井先生の思い出

  • さくらさくら

    今日は快晴だったので桜の咲き具合を確かめようと本妙寺周辺へ。桜開花宣言はあったものの、まだソメイヨシノはパラパラといった具合だった。今週末には本妙寺参道一帯のまつり「桜灯籠」が行われるがはたしてどの程度開くだろうか。微妙なところだ。本妙寺大本堂前の桜の木が大胆に枝落とししてあった。枯死を避けるためか、落枝による事故防止のためか、やむを得ない処置とは思うが、開花を前に残念なことだ。昨年までの美しい光景は望むべくもない。柿原桃畑の桃の花はだいぶ咲いた。今週末には満開になるだろう。本妙寺塔頭・東光院のしだれ桜は今が見ごろ本妙寺大本堂のしだれ桜も満開柿原桃畑の桃の花は今週末には満開か花園中尾地区の四季花壇から阿蘇のけむりを望む過年度の本妙寺大本堂前参道の桜2015.3.27熊本城二の丸広場「春のくまもとお城まつり...さくらさくら

  • 女子アナの転勤

    熊本は今日、桜開花宣言があった。春は転勤の季節でもある。NHK熊本放送局のアナウンサー佐藤茉那(さとうまな)さんが広島局に転勤となったそうだ。彼女が熊本に初任配置されたのはたしか2020年6月だったと思う。僕が熊本に帰って以降、熊本局に初任配置された新人女子アナは、渡邊佐和子さん、池田伸子さん、近江友里恵さん、石橋亜紗さん、畠山衣美さんに続いて6人目だった。先輩方よりも1年ほど長い熊本勤務だったと思う。コロナ騒動などが影響したのかもしれない。彼女は着任早々のニュース読みなどもしっかりできていた。例えて大変失礼だが、今、お昼のNHKニュースなどを堂々と担当している池田伸子さんなどは、最初はとても危なっかしくて見ているこちらがハラハラしていた憶えがある。それに比べると佐藤さんは最初から落ち着いていて、物おじし...女子アナの転勤

  • 九州がっ祭2024

    昨夜は3月とは思えない大雨と強烈な雷鳴で何度も目が覚めた。明け方には小降りとなったので午前中に熊本県知事選挙の投票に京陵中学校へ出かけた。漱石記念緑道の早咲きの桜も雨に打たれてうなだれていた。午後はいったん雨が止んだので、今日が最終日となった「春のくまもとお城まつり」を見に行った。最終日のプログラムは「九州がっ祭2024」。九州を中心とした各地のYOSAKOIまつりなどが集合したイベントである。YOSAKOI系のまつりは正直あまり興味はなかったのだが、少女たちによる「美勝女隊」(福岡)などはエンタテイメントとして完成度の高いパフォーマンスを見せていた。雨のしずくを湛えた早咲きの桜美勝女隊(福岡)YOSAFUL連合(山口・宇部)九州がっ祭2024

  • SL人吉 ラストラン

    人で言えば「再雇用」のような形で「SLあそBOY」として、また「SL人吉」として頑張ってきたが、機関車の老朽化、部品調達や技術者の確保が難しくなった等の理由により、明日3月24日を以て「SL人吉」は101年の現役を終えることになり、今日ラストランが行われた。釜尾町の井芹川に架かる鶴野橋の上から見送ったが、汽笛を鳴らしながら去って行くSLを見ていると、僕の生きた時代が遠い彼方へ去って行くようで万感胸に迫るものがあった。SLの思い出で最も忘れられない一つが、高校1年(1961年)の夏、東京合宿で初めて上京した時、熊本―東京間を「急行阿蘇」で丸1日かかったこと。東京に着いた時はクタクタで顔は煤で真っ黒だった。下の映像は、その東京合宿の後のインターハイで、わが済々黌水球部が連覇し、熊本駅に凱旋した時のもの。(映像...SL人吉ラストラン

  • 式子内親王と藤原定家

    先日、学習院大文学部を卒業された天皇、皇后両陛下の長女愛子様は、卒業論文に「式子(しょくし)内親王」を取り上げられたとニュースで報じられた。式子内親王とは、後白河天皇の第三皇女で、平安時代末期から鎌倉時代初期に生きた「新古今和歌集」の女性歌人の代表といわれる。不勉強で式子内親王が詠まれた歌を知らないので「新古今和歌集」をパラパラとめくってみた。春の歌の中に次の式子内親王の歌があった。いま桜咲きぬと見えてうすぐもり春に霞める世のけしきかな愛子様卒業のニュースを聞いて僕がまず連想したのは「定家葛(テイカカズラ)」(下の写真参照)のこと。「定家葛」の名は、式子内親王を愛した藤原定家(ふじわらのていか)が、死後も彼女を忘れられず、ついにテイカカズラに生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説に基づく能「定家」...式子内親王と藤原定家

  • 桜は まだかいな!

    昨夜は楽しみにしていた「熊本城薪能」が行われたが、尋常じゃない寒さに直前になって見に行くのを断念した。予定どおり行われたらしいが観客の皆さんはさぞや寒かったろう。今日は風もおさまって寒さも幾分和らいだので熊本城周辺を歩いた。当初の桜開花予想では今日あたりが開花のはずだったが、一部の早咲きの桜以外はまだ蕾の状態。2、3日後あたりに開花と思われる。毎年3月末土曜日に行われる本妙寺の「桜灯籠(はなとうろう)」は今年は30日に当たるので絶好の夜桜見物になるかもしれない。監物台樹木園前の道路から大小天守を望むKKRホテル熊本玄関前から大小天守を望む過年度の桜灯籠より〽端唄夜桜桜はまだかいな!

  • 高浜虚子と祇園の舞妓

    高浜虚子の「漱石氏と私」には、明治40年の春、京都で夏目漱石と一緒に過ごした祇園の夜などが書かれている。この時、漱石は、第三高等学校の校長を務めていた狩野亨吉宅に逗留し、職業作家として初の作品「虞美人草」を執筆中だった。ちょうどこの頃、漱石を第五高等学校に招いた菅虎雄も狩野宅に逗留していた。狩野は漱石が五高へ招いた人でもあり、五高ゆかりの人物が揃っていたわけだ。虚子は漱石を誘って、都踊りを見に行ったり、祇園の茶屋「一力」で舞妓たちと雑魚寝の一夜を過したりしている。ここに登場する二人の舞妓、十三歳の千賀菊と玉喜久は虚子の「風流懺法(ふうりゅうせんぽう)」にも登場する。千賀菊はなぜか、三千歳という名で登場する。「風流懺法」には舞妓たちが「京の四季」や「相生獅子」などを踊る様子が描かれている。この三千歳という舞...高浜虚子と祇園の舞妓

  • 黒鍬衆とあらしこ

    日頃ブログを通じてご好誼を賜っている「津々堂のたわごと日録」さんが昨日「黒鍬衆は隠密にては非ず」という記事を掲載された。黒鍬衆と言うのは戦国時代から江戸時代にかけて、専ら土木などの力仕事や汚れ仕事などで武士をサポートしていた軽輩のことだそうである。熊本にもそんな黒鍬衆が住んでいた「黒鍬町」という町があった(下地図参照)。現在は「黒鍬通り」という通り名だけが残っている。僕の祖母の生家はこの「黒鍬町」のとなり街で「一番被分(わかされ)町」といった(下地図の赤い点線の辺り)。生前、祖母の口から「黒鍬町」という言葉を何度か聞いたことを憶えている。津々堂さんの記事で「黒鍬町」という町名の由来を初めて知った。祖母が嫁いだ先が立田山麓の黒髪村下立田、泰勝寺の隣接地である。わが父が幼い頃、この泰勝寺に住んでいた長岡氏(細...黒鍬衆とあらしこ

  • 城彩苑13周年誕生記念祭

    桜の馬場・城彩苑は開業後13周年を迎え、誕生記念祭が昨夜来の雨の中、今日行われた。東日本大震災直後の開業に当初は先行きを不安視されていたものだが、徐々に来場者を増やし、熊本城観光になくてはならない人気スポットとなった。特に開業後5年の2016年に起きた熊本地震では熊本城内のほとんどが立入規制となる中、城彩苑が熊本城観光を支えた。今後もその存在価値はますます高くなると思われる。降り続く雨の中、観光客で賑わう城彩苑親水空間ステージでは各種イベントが。「ONEPIECEウィーアー」を踊る舞踊団花童必由館高校吹奏楽部による演奏2011年3月5日城彩苑オープンの日の様子城彩苑13周年誕生記念祭

  • 中村花誠先生と舞踊団花童

    今朝の熊日新聞・熊本ローカルのページに「舞踊団花童」を主宰する中村花誠先生がクローズアップされていました。これまでも度々メディアに紹介されたことがありますが、花誠先生が熊本で舞踊団を結成されて来年で25年、ご自身の還暦も重なり来年は特別の記念公演を計画されていると聞きます。来年が楽しみです。舞踊団花童の前身である「ザ・わらべ」の頃から応援を始めて14年。このブログでも何度か紹介させていただきましたが、10年前の紹介記事へのリンクを下に張りましたのでご参考まで。※ザ・わらべのこと。(2014.11.12)中村花誠先生と舞踊団花童

  • 門出の春

    今日は日中20℃にも迫ろうという陽気で、桜のシーズンもすぐそこまで来ていることを感じさせた。熊本城二の丸広場周辺では振袖に袴という和装に着飾った若い女性のグループを何組も見かけた。どこかの大学か専門学校の卒業式帰りのようだ。すれ違う時、よっぽど「卒業おめでとう!」と声をかけようと思ったが、ヘンなオジサンと思われそうで自重した。彼女たちがどんな道へ進んで行くのかわからないが、それぞれの人生に幸多かれと祈りたい。毎年卒業式のシーズンになると聴きたくなる「仰げば尊し(原曲)」を今年も聴いてみた。仲間で記念撮影をするグループ護国神社の早咲きの桜柿原桃畑の花も開き始めた♪Songforthecloseofschool(仰げば尊し)門出の春

  • 一期一会

    京町の熊本地方裁判所に併設されていた京町拘置所は大江に移転し、建物は解体撤去され、更地となっている。ここの前を通る度に思い出すことがある。あれは10年前の秋のことだった。僕は京陵中学校での熊本市長選挙の投票を終えて帰る途中、一人の高齢の婦人に出逢った。京陵中学校のテニスコートのフェンス沿いに「すみれ程の小さき人に生まれたし」という夏目漱石の句碑が立っている。その婦人はその句碑を撮影しようとカメラを構えていた。背中のリュックが旅行者を思わせた。通り過ぎて京町本丁の四つ角で信号待ちをしていると、追いついて来たその婦人に「壷川小学校はどちらの方向になりますか?」とたずねられた。僕は婦人の年恰好から壷川小学校まで歩くのは大変かなと思い、「バスで行かれたらどうですか」と答えた。しかし、婦人は「壷川小学校は幼い頃通学...一期一会

  • 山崎貴監督を祝して

    山崎貴監督の「ゴジラ-1.0」がアメリカ映画アカデミー賞で「視覚効果賞」を受賞したことは大変喜ばしい。16年前、山崎監督の作品「BALLAD名もなき恋のうた」熊本ロケにボランティアスタッフとして参加させていただいた一人として心からお祝い申し上げたい。当時僕は「くまもとフィルムコミッション」に登録していたので、エキストラやスタッフとして3本ほど参加したが、エンドクレジットに名前を載せてもらったのは山崎監督の「BALLAD」だけ。そういう意味でも忘れられない映画となった。阿蘇を中心とした熊本ロケは2週間ほど続いたが、僕の仕事は毎日のエキストラの員数を確保すること。他のスタッフとともに、あらかじめ登録されているエキストラ希望者に電話をかけまくった。阿蘇では合戦シーンが撮影されたのでエキストラの集まりが悪い日は撮...山崎貴監督を祝して

  • 柳暗花明又一村

    今日は子飼へガソリンの給油に行ったが、浄行寺交差点のあたりが渋滞していたので、熊大脇から立田山の山裾を抜けて帰ることにした。途中、泰勝寺跡の前を通るのでちょっと立ち寄った。ひとつは昨年秋から干上がっていた池がどうなったか気になっていた。満水とはいかないがかつての池の半分くらい水が戻っていた。入門受付の方に聞くと2月に降り続いた雨によってだいぶ回復したという。マガモも戻ってきているのでさらに今後の雨に期待したい。泰勝寺山門跡茶室仰松軒水がだいぶ回復した池で泳ぐマガモわが父はこの泰勝寺境内に隣接するわが家の本籍地で生まれ育った。父が書き遺した備忘録には「この辺り一帯は数百㍍隔てて、彼処に一戸、此処に二戸と人家の点在する寂しい山里だったが、自然の眺めは四季を通じて素晴らしく、ことに春の風情はこの地を訪れる人に『...柳暗花明又一村

  • 花二題 ~菜の花と木瓜~

    菜の花まつだまみさんのFBに素敵な写真が掲載されていた。場所は菊池川玉名橋の少し上流左岸の河川敷。ちょうど今頃は菜の花が咲き乱れる映えポイントである。実はここは妻の実家から近く、毎年写真を撮ろうと出かけるのだがいつも天気が悪く良い写真が撮れない。今回はまみさんにお願いして写真を貸していただいた。また、この写真の奥の方の川べりは川の映像を撮るのに絶好の撮影ポイント(下の写真参照)である。上流にカメラを向けると建物や構築物など一切入らないので「滔々と流れる川」のイメージを撮るため今まで何度も足を運んだ。菊池川河川敷の菜の花畑菊池川の川べり木瓜(ぼけ)の花今日散歩していたらある民家の庭に「木瓜の花」が鮮やかな赤い花びらを開いていた。しばらく眺めた後、写真におさめて帰ろうと思ってカメラを覗くとそのお宅の部屋が写っ...花二題~菜の花と木瓜~

  • 助産師と舞踊家

    先々週、かつて舞踊団花童のリーダーを務めたくるみさんからFBのメッセージをいただいた。近況を知らせるお便りだった。もうだいぶ前になるが彼女のお母様から結婚されたことは伺っていた。今は子育てに大わらわだが、やがて育児休暇から助産師の仕事に復帰する予定であることが書かれていた。おそらく今まで以上にお忙しい毎日になることだろう。舞踊家としての復帰を期待している僕らくるみファンにとってはいずれ必ず復帰の日がやって来ることを信じて待つしかない。ただ、個人的には、かつて産業医や保健師、看護師などと一緒にプロジェクトチームを組んで仕事をしていたことがあり、彼ら医療専門職の献身的な働きを目の当たりにした経験から、助産師として活躍していただきたいという気持も一方ではあり、ちょっと複雑な思いが交錯する。2015.4.25熊本...助産師と舞踊家

  • 「瀬戸」のはなし。(2)

    昨日、大浜町の母の生家近くの通りを車窓から眺めながら、「そういえば、この通りも“瀬戸”と呼んでいたっけ」とふと思い出した。着いてから甥との会話の中で確かめると、「昔から瀬戸丁と呼ばれている」と言う。「瀬戸」という地名や町名は日本国中至るところにあり、昨年10月には、わが家の近くの「瀬戸坂」の由来についてブログ記事にした。そもそも「瀬戸」とは何ぞやという話を繰り返すと「瀬戸(せと・せど)」とは「狭門 ・迫門 」とも表記され、海あるいは川の幅が狭くなっているところのこと。と辞書には説明されている。ということは大浜町は菊池川左岸の町だから、その辺りで菊池川の川幅が狭まっていたのだろう。現在の地図を見ると確かにわずかに狭まっているように見える。もともと大浜というのは菊池川河口湾に浮かぶ砂洲の一つで、加藤清正の時代...「瀬戸」のはなし。(2)

  • 岩戸の里で出逢った旅人

    今日は所用で玉名市大浜町の母の生家へ出かけた。帰りは久しぶりに河内町から山越えの道を選んだ。雲厳禅寺だけ立ち寄った。本堂の前に僕と同じ年配と思しき男性が立派なカメラを提げて立っていた。お参りを済ませて岩戸の里を展望するベンチの方へ歩いていくと、その男性が声を掛けてきた。「ここから下に降りる近道は知りませんか?」「車ですか?そしたらいったん上の農道(パイロット道路)に上がって道なりに行けば下の海沿いの道に出られますよ」と答えた。「どこから来られたんですか?」とたずねてみた。「千葉県です」「ヘェ~千葉県ですか!」と言うと「ここら辺はみかん畑が凄いですね!」「えぇ、このあたりは漱石の時代からみかん栽培が盛んですよ」と言ってみたが無反応だった。夏目漱石の「草枕」にこの地域のみかん畑の話が出てくるのだが、読んでおら...岩戸の里で出逢った旅人

  • 漱石の熊本観

    散歩で新坂を下りながら遠く阿蘇山を望んでいると必ず思い出すのが、明治29年4月、第五高等学校に赴任するためここを人力車で通りかかった夏目漱石のこと。熊本市街を見おろしながら「森の都」と言ったと伝えられるが真相はさだかではない。もし漱石先生が、ビルが林立した今日の風景を眺めたらいったい何と表現されるだろうか。漱石は明治33年(1900)7月、英国留学のため4年3ヶ月を過ごした熊本を去るが、その8年後の明治41年(1908)2月、九州日日新聞(現在の熊本日日新聞)のインタビューに答えて熊本の印象を次のように語っている。----------------------------初めて熊本に行った時の所感、それならお話いたしましょう。私は7、8年前松山の中学から熊本の五高に転任する際に汽車で上熊本の停車場に着いて下...漱石の熊本観

  • ハモる邦楽「大和楽」

    昨夜、Eテレで放送された「先人たちの底力知恵泉」は大倉喜八郎を取り上げていた。大倉喜八郎とは、明治維新から大正に至る激動の時代、政府、軍部の物資調達を始め様々な事業で商才を発揮し、一代で大倉財閥を築き上げた稀代の実業家である。大倉財閥といえばホテルオークラや大成建設などの企業群や札幌の大倉山ジャンプ競技場などを思い出すが、僕が大倉喜八郎の名前を知ったのは、実は二代目の大倉喜七郎を知ってからである。喜七郎はつとにその名を知られた趣味人で、新邦楽「大和楽(やまとがく)」の創設者。自ら楽器を開発したり、作詞作曲も手がけたという。「大和楽」についてはYouTubeマイチャンネルにアップした舞踊団花童の演目の中に「大和楽」が数多く含まれていたことから知った。そもそも「大和楽」とはどういう音楽かというと、「大和楽公式...ハモる邦楽「大和楽」

  • 伝説のビート

    水前寺成趣園能楽殿で行われた「翁プロジェクト熊本公演」を観てからやがて3年経つ。能楽の頂点といわれる「翁」をナマの舞台で観たのは初めてだったのでいまだに感動冷めやらない。熊本ゆかりの友枝昭世師(人間国宝)による「翁」もさることながら、主役とも言える「三番叟」の「揉みの段」「鈴の段」は農耕儀礼に始まる日本の芸能の原点を感じさせて印象深かった。「翁プロジェクト熊本公演」における三番叟(山本則重さん)その三番叟の舞を見ていると、鼓が刻むリズムの中にどうしても思い出すリズムがある。下の映像の1分40秒あたりから注目して聞いていただきたい。野村萬斎さんの三番叟5年前に世を去ったアメリカの名ドラマー、ハル・ブレインがザ・ロネッツの「BeMyBaby」のイントロで刻むビート「thump-thump-thump-crac...伝説のビート

  • 桃の節供

    今日は「ひな祭り(桃の節供)」。わが家もささやかなお祝いをしました。この「桃の節供」もともとは女の子のお祭りではなく、春を寿ぎ、無病息災を願う厄祓い行事だったそうです。古代中国の「上巳の節句」が日本に伝わったものだそうですが、「端午の節供」を男子、「桃の節供」を女子のお祭りとしたのは日本的といえば日本的といえるかも。旧暦の3月3日は、桃の花が咲く頃なので「桃の節供」となったわけですが、今年は4月11日にあたりますので、桃の開花は過ぎているかもしれません。「新熊本市史」には熊本市における「ひな祭り」の民俗について次のように書かれています。雛祭り旧暦の3月3日は、桃の節供ともいわれた。3月1日ごろから坪井、広丁、唐人町あたりに雛市が立っていた。一般的に長女の初節供のときには特別のお祝いをするが(嫁の実家から雛...桃の節供

  • 清原元輔と立田山

    藤崎八旛宮に弥生の朔日詣りをした後、ふと境内の清原元輔(清少納言の父)の歌碑のことを思い出した。大河ドラマに元輔が登場したことが頭の片隅にあったからだろう。何度も見ているのだが、あらためてじっくり見てみようと歌碑のところへ向かった。ちょうど神職の方が付近を高帚で掃いておられた。「コンニチワ」と声を掛けると「元輔の歌碑を見に来られたのですか?」とたずねられ、それからひとしきり元輔談義が続いた。元輔が肥後国司として赴任した時、濃い緑に覆われ「黒髪山」と呼ばれていた山を見て、ふるさと大和の龍田山を偲んで「龍田山」と名を改めたと伝えられる。「黒髪山から龍田山」への改名については諸説あるが、熊本出身の民俗学者・谷川健一も「列島縦断地名逍遥」においてその説を紹介している。ところで前々から抱いていた疑問だが、山の改名が...清原元輔と立田山

  • 宇土櫓の復旧に向けて

    現在、解体保存工事が行われている熊本城宇土櫓は、400年以上前の築城当時の姿を今に伝える「国指定重要文化財」です。現状の姿は素屋根に覆われて見ることはできませんが、近々、一般観光客も素屋根の中に入って工事の様子を間近で見ることができるようになるそうです。おそらく復旧工事が終わったらこんな近くで見ることはできないでしょうからぜひ見に行きたいものです。なお、復旧工事の完了予定は2032年です。素屋根を覆うシートには熊本地震前の宇土櫓の写真が印刷されています。熊本地震前の宇土櫓(加藤神社鳥居前から)熊本地震前の宇土櫓(西出丸広場から)川瀬巴水が描いた昭和23年頃の宇土櫓昭和2年に行われた解体再建工事前の宇土櫓昭和13年(1938)日独防共協定を結んでいたナチスドイツの青少年組織ヒトラーユーゲントが来日。宇土櫓前...宇土櫓の復旧に向けて

  • 檜垣媼と二本木遊郭

    一昨日の記事「観能記~檜垣~」の関連記事ということで、今日は「檜垣媼と二本木遊郭」の関係について。檜垣が白川のほとりに結んだ草庵が寺歴の始まりという蓮台寺(熊本市西区蓮台寺2)には、檜垣の墓石とも伝えられる「檜垣の塔」がある。この塔は室町時代にはすでに著名であったという。この塔のまわりを取り囲む玉垣の寄進者名が塔の門柱に刻まれている。この玉垣は昭和10年に熊本市の水前寺北郊で開催された「新興熊本大博覧会」の際に造られたものらしい。そしてその寄進者名には二本木遊郭の妓楼名がずらりと並んでいる。なぜ、二本木遊郭がこぞって寄進したかというと、檜垣が遊女たちの守り神として崇敬されていたからである。女流歌人として知られる檜垣は若い頃、都の白拍子(しらびょうし)だったと伝えられる(世阿弥の創作だという説もあるにはある...檜垣媼と二本木遊郭

  • 孫娘の成人

    今月でgooブログを始めて19年。その最初の記事は孫娘が可愛いという、ただの「じじい馬鹿」の内容でした。その時、孫娘はもうすぐ満1歳になるという頃で、僕のパソコンのところへヨチヨチ歩きでやって来て、キーボードをメチャクチャに叩いていたものです。彼女も明後日29日にハタチの誕生日を迎えます。今、大学生です。時の流れはなんと早いことでしょう。これからの彼女の人生をいつまで見届けられるでしょうか。孫娘の成人

  • 観能記 ~檜垣~

    昨夜はEテレの「古典芸能への招待」で能「檜垣」を見た。熊本ゆかりの能なのだが、これまでナマの舞台はもちろんのこと、テレビ放送で見る機会も無かったので全くの初見である。しかし、謡本「謡曲集」で繰り返し読んで展開は分かっていたし、檜垣ゆかりの地めぐりもしていたので現地を思い浮かべながら見ていた。今回は金剛流だったからか、一部文言が違っていたり、最後に付加されたくだりがあったようだ。この能のモチーフとなっているのは「年経ればわが黒髪も白川のみづはくむまで老いにけるかな」という後撰集の檜垣媼の歌また、鹿子木寂心の作という説のある次の一節が誰の作なのか、世阿弥が典拠としたものは何だったのかについても新たな疑問が湧いて来た。「さてもこの岩戸の観世音は霊験殊勝の御事なれば」とワキの修行僧が謡う霊巌洞の岩戸観音。「南西は...観能記~檜垣~

  • 隠れた人気動画

    YouTubeマイチャンネルの投稿動画数は現在、公開・非公開合わせて826本となっている。その中で月次視聴分析でアクセス数の上位にランクされることはほとんどないにもかかわらず、根強い人気を持つ動画がある。そんな動画の一つが「秋田県民謡喜代節」。これは7年前にアップしたものだが、この曲は秋田県仙北市角館あたりでお祝いの席で唄われるお座敷唄である。ゆったりとしたメロディで舞う地味な印象だったので、アップした時はあまり多くの方には視聴していただけないだろうと思っていた。ところが、アップ後しばらくしてから意外と反響が届き始め、それに伴いアクセス数も伸びて行った。先日、ネット上の歌詞検索サービス大手の「歌ネット」で、この動画を紹介していただいていることを発見した。根強い人気の要因の一つは「歌ネット」だったのかもしれ...隠れた人気動画

  • 河津桜よ また来ん春のたねになるべき

    昨日は未明の強い雨と冬に逆戻りしたかのような寒風の中、坪井川遊水地の河津桜は散ってしまうのではと川沿いの道を歩いて見に行った。幸いまだそれほど散ってはいなかったがそろそろ今年の終わりが近いようだ。ところで河津桜の発祥地・河津といえば「伊豆の踊子」の舞台でもある。河津というひびきが僕を青春時代に誘う。川端康成の小説に次のような一節がある。場面は湯ケ野の木賃宿。----------------その次の朝八時が湯ケ野出立の約束だった。私は共同湯の横で買った鳥打ち帽をかぶり、高等学校の制帽をカバンの奥に押し込んでしまって、街道沿いの木賃宿へ行った。二階の戸障子がすっかりあけ放たれているので、なんの気なしに上がって行くと、芸人たちはまだ床の中にいるのだった。私は面くらって廊下に突っ立っていた。私の足もとの寝床で、踊...河津桜よまた来ん春のたねになるべき

  • 清少納言と父 清原元輔

    大河ドラマ「光る君へ」の第6回にいきなり清原元輔が出て来てビックリした。ききょう(清少納言)に関連して名前は出てくるかもしれないがおそらく登場することはないだろうと思っていたからだ。藤原道隆が開いた漢詩の会に講師として招かれ、お題「酒」を出していた。三十六歌仙の一人として名高い歌人である元輔と娘の清少納言の関係を説明するために創られたエピソードなのだろう。「元輔集」(清原元輔個人の和歌集)を読んでいたら前書きに次のような中宮定子との歌のやり取りが紹介されていた。定子が元輔が後といはるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる(歌人として名高い清原元輔の後を継ぐべきあなたなのに、今宵の歌会には参加しないのね)これに応えてその人の後といはれぬ身なりせば今宵の歌をまづぞよままし(その元輔の子だと言われることがない身でし...清少納言と父清原元輔

  • 花のお江戸の文化発信

    大衆文化の発信地が「花のお江戸」になったのは文化・文政期(1804〜1830年)だそうである。それまでの京都中心のいわゆる上方(かみがた)にとって代わった。江戸から離れた地方にもファッション、書物、絵本、食、芸能等々の江戸の文化が伝えられた。もちろん今日のような通信メディアやコミュニケーションツールはないから、専ら地方と江戸間を往来する人々によって伝えられたので時間はかかった。熊本にも江戸の文化が伝わった事情について、「肥後史話」(昭和56年発行卯野木卯一良著)には次のように記されている。お江戸上りの侍や足軽達は参勤交替の長い旅から熊本へ帰ると、いつも得意で、江戸の流行歌を家中の朋輩などの間で歌って聞かせたものである。すると熊本にはまた熊本の芸術家が居って、早速、その悠暢なリズムに一味のユーモアを加えて、...花のお江戸の文化発信

  • 今年の花見は早いかも…?

    昨日、熊本も「春一番」が吹いたと報じられました。そして今日は気持悪いくらいの暖かさ。予報されていた雨もほとんど降らず、日中は気温が22℃にも達し、まるで4月中旬以降のよう。この分で行くと、3月20日という桜開花予想もだいぶ早まるかもしれません。ただ、桜の名所である熊本城は桜の老木の伐採が進められており、今年はちょっぴり寂しい花見になるかもしれません。過年度の桜の風景を並べてみました。▼東都上野花見之図・清水堂(歌川広重)東京在勤中、何度か花見に訪れた上野の山は花見の名所。この絵は上野の山の華やかな花見風景を描いた歌川広重(1797-1858)の「東都上野花見之図」です。下の「長唄元禄花見踊」にも唄い込まれた「清水堂」下あたりの風景が描かれています。▼長唄元禄花見踊この唄が作られたのは明治時代に入ってからで...今年の花見は早いかも…?

  • 熊本城マラソン

    昨日に続く快晴の下、熊本城マラソンが開催され、1万4600人が城下町を駆け抜けた。2012年に熊本市の政令指定都市移行を記念して始まったこの大会は、今年で12年経過したが、2021年、2022年と新型コロナ感染拡大のため中止。今年が第11回となった。11回目ともなるとさすがに初期の頃のワクワク感は薄れてきたが、それだけ定着してきたとも言える。この大会がある朝はわが家の前の道路が大渋滞するのはいつも変わらない。男子マラソン優勝者の古川大晃選手。2年連続4度目の優勝。女子マラソン優勝の加藤みちる選手。加藤選手は3連覇。第1回大会(2012年)のスタート風景熊本城マラソン

  • On The Sunny Side Of The Street

    雲一つない好天に誘われて今日は熊本城二の丸広場から護国神社周辺を歩いた。京町の本通りを歩いていると、日なた側の歩道と建物沿いの日陰の歩道とでは全く気温が違う。慌てて日なたの方へ移動。思わずあの曲のメロディが浮かんできた。二の丸広場は明日に迫った熊本城マラソンのゴール会場設営に大わらわの状態。明日も今日と同じような天気になってくれれば観る側にとってはありがたい。過去何度か雨中のレースがあったが、沿道で傘を差して応援するのも結構つらいものがある。護国神社の梅園に近づくと梅の花の甘い香りがただよい、爽やかな気分になる。明日のマラソンはすぐ下の上り坂を通るので今年もこの梅園から観戦することにしよう。熊本県護国神社・梅園熊本城二の丸広場OnTheSunnySideOfTheStreet

  • ブラタモリが終わるってよ!

    今年度末(3月末)を以てNHKの人気番組「ブラタモリ」が終了するという。2009年10月に始まったこのシリーズは第1シリーズから第4シリーズまで、パイロット版も含めるとこれまで合計317本、そのほとんどを見た。この1年ほどは正直、そろそろいいかなと思っていたが、いざ終わるとなると名残り惜しさが募る。タモリの後継者の話もチラホラあるようだが、同じ役割を担う人材となると簡単には見つからないだろう。これまで見た中から、個人的に印象に残る3本を選んでみた。江戸の盛り場~吉原編~(第3シリーズ2012年1月12日放送アシスタント:久保田祐佳)立教新座中学校・高等学校校長兼立教大学名誉教授の渡辺憲司さんの案内で番組が進行する。「吉原は江戸の流行の発信基地」とかなんとか言いながら、舟で吉原を目指す。柳橋から隅田川を北上...ブラタモリが終わるってよ!

  • 母の誕生日と春めく野辺

    今日は母の102歳の誕生日。姉と妹夫婦だけに声を掛け、一緒に昼食をとりながらささやかなお祝いをした。一昨日はかかりつけ医による退院後2週間の診察も受け、経過は順調のようだ。姉も妹夫婦もわれわれ夫婦も既に高齢者。話題といえば、どこの具合が悪いの、あの病院はどうだのといった話ばかり。これからも老々介護の日々が続く。午後2時から訪問看護師さんが来られたので、僕は寺原田畑の坪井川沿いを散歩した。関東地方だったか春一番が吹いたというニュースが流れていたが、空には雲が広がっていたものの妙に暖かく春本番といってもいいほどだった。1週間前に咲き始めていた坪井川遊水地の河津桜が七、八分咲きくらいになっていた。土手道をジョギングしていた高齢の男性が「だいぶ咲きましたね」と声を掛けて走り去って行った。思わず顔がほころぶ。土手沿...母の誕生日と春めく野辺

  • 上熊本駅界隈

    今日は買物ついでにひさしぶりに上熊本駅界隈を散策した。行く時は新坂を下ったが、帰りは「赤尾口の坂」を上って帰った。漱石先生を無視して通り過ぎるわけにはいかないので一応ご挨拶。相変わらず先生は128年前に上熊本駅に降り立った時のように新坂方向を向いてござる。ここから人力車で新坂を越えて行かれた。熊本電鉄上熊本駅は中華圏の観光客と思しき観光客の団体で賑わっている。相変わらず「くまモン」が人気のようで、ラッピングを背景に記念撮影ラッシュ。前方直進が新坂。赤い車の処から左折が「赤尾口の坂」この坂を上った右の丘の上に、加藤清正公の時代、熊本城の外城「赤尾丸城」が構えていた。清正公が亡くなった時、この丘で荼毘に付された。「赤尾口の坂」を上り切ったところにわが母校・熊大附中があり、その先に古刹往生院がある。境内のしだれ...上熊本駅界隈

  • 平成文化の薫り

    昨日、NHK総合で放送された「民謡魂ふるさとの唄~熊本県芦北町編~」では12曲が演奏され、そのうち8曲が熊本民謡でした。そしてその8曲のうち7曲はYouTubeマイチャンネルにアップしている曲でした。その中から番組の主題となっていた「おてもやん」を始め、「牛深ハイヤ節」「熊本自転車節」「ポンポコニャ」の4曲を聴いてみました。いずれも、地方を務められた邦楽演奏家の先生方の第一級の演奏と舞踊団花童の巧みな踊りとが相俟って素晴しい芸能となっています。あらためて、その文化的価値の高さを再認識させられました。平成文化の薫り

  • 民謡魂 出演者のことなど

    今日はNHK総合で「民謡魂ふるさとの唄~熊本県芦北町編~」が放送され、曲目もさることながら、存じ上げている出演者が多く、いつもとは違う楽しさを味わった。まず舞踊で華やかな雰囲気を醸していた「舞踊団花童&はつ喜」は15年ほど前から応援団の一員となり、メンバーがまだ幼い頃から知っているので彼女たちの成長ぶりをテレビ画面で見ることができて感慨深かった。牛深高校郷土芸能部も初めて見たのが10数年前。もちろんメンバーは年々入れ替わって行くのだが、毎年数回、高校総文祭などで見て先輩から後輩へと受け継がれていくさまを見せていただいている。民謡歌手の梅元遥香さんは彼女が中学生の頃から民謡コンクールやいろんなイベントなどで注目していた。この出演をきっかけに民謡歌手として大成していただきたいと願っている。舞踊団花童&はつ喜の...民謡魂出演者のことなど

  • いったい “能” って?

    ブログをフォローさせていただいているcakeさんが、鶴岡市黒川の春日神社に500年に渡って継承されてきた「黒川能・王祇祭」における神事能をリポートされていた。記事を拝見しながら、演能が行われた公民館はお世辞にも立派な舞台とは言い難いが、本来、能というのはこういうものだったのではないかという思いを強くした。ちなみに鶴岡市は加藤清正公・忠広公の終焉の地という熊本市とゆかりの深い町。平成23年の清正公生誕450年・没後400年行事の際には、黒川能(国指定重要無形民俗文化財)が招かれるなど、これまでも人の往来や文化の交流があった。熊本の能楽関係者にとって公立の能楽堂建設が悲願だと何人もの関係者からお聞きした。現在、熊本市内の常設能舞台はすべて神社の所有。しかも客席は野天。たしかに使いづらいこともあると思う。福岡の...いったい“能”って?

  • 春の調べ

    今日は夏目漱石の誕生日。ちょうど1年前、「夏目漱石内坪井旧居」が7年ぶりに再公開された。それからあっという間に1年が過ぎ、ふたたび訪れた春をたしかめに野辺を散策してみた。吹きわたる風はまだ冷たさが残るものの、木々のそよぐ音や鳥のさえずりは春の訪れを喜ぶ歌のようにも聞こえる。三味線に冴えたる撥の春浅し(夏目漱石大正初期頃)成道寺川のせせらぎ八景水谷の水辺で泳ぐマガモ咲き始めた河津桜を横目に通り過ぎるくまモンラッピング電車2014.4.6水前寺成趣園能楽殿水前寺まつり笛藤舎元生三味線松野孝子筝井上洋子唄杵屋六花登・宇野民子小鼓中村花誠・今井冽・鬼塚美由紀大鼓今村孝明蔭囃子上村文乃立方舞踊団花童春の調べ

  • 民謡魂 ふるさとの唄 熊本県芦北町

    今度の日曜日2月11日にNHK総合で「民謡魂ふるさとの唄~熊本県芦北町編~」が放送されます。熊本県の民謡を中心に熊本ゆかりの出演者たちによって12曲が披露されます。ぜひご覧ください。※放送時間:午後3:05~3:50【司会】城島茂、近藤泰郎【ゲスト】駒井蓮、かなで(3時のヒロイン)【出演】田中祥子、藤永翠珠、松阪ゆうき、平山美里、梅元遥香笹本壽、笹本寿之、米谷和修、荒井ふみ子、堅田喜代実西田美和、西田和菜芦北町相撲甚句会、熊本県立牛深高等学校郷土芸能部西﨑緑祠、西﨑恭千織、はつ喜月桂華、はつ喜月寿々、舞踊団花童&はつ喜【曲目】相撲甚句・・・・・・・・・(柝、唄、合いの手)芦北町相撲甚句会牛深ハイヤ節・・・・・・・(唄、三味線、太鼓、はやし詞)熊本県立牛深高等学校郷土芸能部筑後酒造り唄・・・・・・・(唄)松...民謡魂ふるさとの唄熊本県芦北町

  • 運転免許センターにて

    今日は2度目の運転免許高齢者更新をしに熊本県運転免許センターへ。3年前の更新の時、「これが最後の免許更新になるかもしれない」な~んて思ったりしたものだが、3年経ってみるとトンデモナイ!車への依存度はますます高くなるばかり。自分の運転能力の低下という現実は認識しており、いつかは免許を返納せざるを得ない時が来るのは覚悟しているが、今の生活から車というものが無くなった時のことを考えると空恐ろしい。思えば、昭和42年(1967)に初めて運転免許を取得し、翌年大学卒業と同時に両親にブルーバードの中古車を買ってもらい、その後何台も乗り替えながら今日まで56年。各地を転勤してまわった会社員生活の時も、いつも車は一緒に異動した。そして車と別れなければならない日も近づいている。初代マイカーのブルーバード運転免許センターにて

  • 伊豆の踊子は何を踊った…

    大林宣彦監督が亡くなられてやがて4年。生前、いつか「伊豆の踊子」を自分の手で映画化したいという夢を語っておられた。「伊豆の踊子」はこれまで6回映画化されているが、1974年に山口百恵主演の映画化の際、実は大林監督にオファーがあったそうだ。ところが、当時は百恵ちゃんの人気絶頂期、彼女のスケジュールがタイトで撮影に3日しかとれないとわかり、それでは無理とお断りしたそうだ。しかし、その後も「伊豆の踊子」への思い断ちがたかったらしい。そして作るに当たっては、過去の作品がすべて踊子薫が17、8歳の設定だったが、原作に忠実に13、4歳の幼い美しさを描きたいとも述べておられた。大林宣彦監督版「伊豆の踊子」が見たかった。恋の花咲く伊豆の踊子(1933)田中絹代伊豆の踊子(1954)美空ひばり伊豆の踊子(1960)鰐淵晴子...伊豆の踊子は何を踊った…

  • 初午大祭 ~福迎え御神幸行列~

    今年の初午は明日5日。熊本城稲荷神社では今日、初午大祭のプレ行事「福迎え御神幸行列」が行われた。献弊式に続き、宮司や今年の福男と福娘たちが街中を練り歩き、商店を巡りながら「福拍子」で気勢を上げ、商売繁盛を祈願した。また街行く人々にはお守りや福餅を配布した。稲荷神社の主祭神は、商売繁昌・五穀豊穣の神様である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)という名の女神。そしてその使いが白いキツネ。加藤清正が熊本城築城の際に城の守護として勧請したという熊本城稲荷神社にはもう一つ別のキツネ伝説がある。加藤清正が羽柴秀吉の小姓として仕えていた近江長浜で、侍同士の喧嘩の仲裁に入った清正の見事な振舞いに、二匹の兄弟キツネが感服。将来を見込み、二匹のキツネは霊狐として清正を守護することになった。清正が24歳の時、秀吉から肥後北半国19...初午大祭~福迎え御神幸行列~

  • 厄除け虎くぐり

    今日は節分。加藤神社の節分祭が行われた。神事の後、参拝者は虎口をくぐって厄除けを行なう「厄除け虎くぐり」をし、本殿に参拝し福豆をいただいていた。毎年この日は虎口をくぐることにしている。「虎穴に入らずんば虎子を得ず、か」なんてわけのわからないことを考えながらくぐると、気のせいか年々くぐるのが窮屈になってきたような気がする。参拝した後、家族人数分の福豆をいただいて帰った。体が硬くなった年配者はくぐるのに苦労する方も多いようだ。この行事は朝鮮出兵時の加藤清正公の虎退治伝説にちなんだもの。加藤清正朝鮮国ニテ猛獣ヲ退治スルノ図(珍齋呂雪繪)長唄加藤清正公厄除け虎くぐり

  • 俚奏楽 民謡七福神

    先日行われた「第57回熊本県邦楽協会演奏会」で、本條流直門師範の本條秀美さん率いる「秀美会」の皆さんが演奏した「俚奏楽民謡七福神」。この唄は本條流家元の本條秀太郎さんが創作され、豊漁や五穀豊穣を七福神に祈願する民衆のこころが唄われています。「伊勢音頭」風の軽やかな節に乗って本條秀美さんの透明感のある唄声が魅力です。本條秀太郎さんは自らの著書「三味線語り」のなかで、「俚奏楽」に対する想いを次のように語っておられます。私が創作している三味線音楽は「俚奏楽(りそうがく)」と名づけています。鄙唄(むらうた)である民謡を昔は「俚謡(りよう)」といいました。私は「俚」という字を「人」に「田」と「土」と解しています。田舎を連想するこの文字は、より広い意味で日本人そのものを表しているような気がします。自然とともにその土地...俚奏楽民謡七福神

  • 母の退院

    母が5週間ぶりに退院した。年末から正月をほとんど寝たきりで辛かったろう。あと1週間で102歳を迎える。病院から車に乗せて帰り道、坪井川沿いの八景水谷の脇を通った。ここは母が幼稚園に勤めていた頃、園児を連れて遠足や園遊会で度々訪れた思い出の地。八景水谷は桜の名所でもある。「桜の季節ももうすぐだね」と語りかけると、母は「桜を見られるだろうか」とつぶやいた。3月下旬、八景水谷の桜が満開になったら何としても母を連れて来ようと思った。桜の季節の八景水谷母の退院

  • 旅の衣は篠懸の… ~長唄 勧進帳~

    「勧進帳」というのは、能「安宅」を元にした歌舞伎の演目。僕が「勧進帳」の物語に接したのは、黒澤明監督の映画「虎の尾を踏む男達」が最初だった。テレビで能の「安宅」や歌舞伎の「勧進帳」を観たのは、それよりずっと後のことで、「勧進帳」と聞くとまず思い出すのは映画「虎の尾を踏む男達」のこと。「旅の衣は篠懸の、旅の衣は篠懸の・・・」という有名な謡が、ミュージカル風の男性コーラスで始まるオープニングや「虎の尾を踏み、毒蛇の口を遁れたる心地して・・・」と安宅の関を後にして、強力のエノケンが「飛び六法」で消えて行くエンディングなどが忘れられない。あらすじは、源義経一行が源頼朝の追及を逃れ、山伏姿に身をやつして奥州への逃避行の途中、加賀国の「安宅」の関を通過しようとして関守の富樫との間で繰り広げる攻防を描いたもの。中でも武...旅の衣は篠懸の…~長唄勧進帳~

  • ハーン訳「銚子大漁節」のナゾ(2)

    昨年5月29日のブログに「ハーン訳『銚子大漁節』のナゾ」という記事を書いた。これは以前から疑問に思っていたラフカディオ・ハーン著「日本の古い歌(OldJapaneseSongs)」の中に紹介された「銚子大漁節」に関するものだった。ハーンは銚子を訪れた形跡はないというのにどうやって「銚子大漁節」を採集したのだろうかという疑問だった。問い合わせた銚子市の観光商工課の文化財担当者からの返事には、「ハーンが銚子に滞在した記録はない」というハーンの孫・小泉時氏の談話が残っているので間違いない。それではどうやって採集したかというと、明治33年にハーンが「日本の古い歌」に載せた大漁節は「十とせ」を欠いており、その2年前、明治31年に出版された大和田健樹著「日本歌謡類聚」に収録された大漁節も「十とせ」を欠いていることから...ハーン訳「銚子大漁節」のナゾ(2)

  • 新春邦楽聴き初め

    今日は午後から「第57回熊本県邦楽協会演奏会」に行く。昨年は都合で行けなかったが、今年のプログラムは次のとおりで例年にも増して充実した内容だった。今年初めてのナマ演奏による邦楽を聞いた。やはり音楽はナマで聞くのが一番。映像はとりあえずトリの「長唄花見踊り」をアップした。1.長唄鶴亀・・・・・・・・・・・・・・・蓑里会・うらら会・花と誠の会2.都山流尺八本曲平和の山河・・・・・・・都山流尺八楽会熊本県支部3.俚奏楽民謡七福神(舞踊付)・・・・・・秀美会4.三曲「夕顔」・・・・・・・・・・・・・・琴古流尺八楽若菜会5.肥後琵琶六根清浄祓い・正月祝唄・・・・肥後琵琶の会6.長唄勧進帳・・・・・・・・・・・・・・蓑里会7.三曲茶湯音頭・・・・・・・・・・・・・都山流尺八楽会熊本県支部8.端唄梅は咲いたか・からかさ...新春邦楽聴き初め

  • 徳川宗春のゆめのあと と「伊勢音頭」

    自分がYouTubeにアップした動画が意外なところに貼り付けられているのを発見すると、嬉しさとともに「なんで?」と訝しむ気持が相半ばする。そんな例の一つが「徳川宗春の実像」と題するサイトのブログに貼られた「伊勢音頭」の映像である。このサイトの主宰者はどなたかわからないが、おそらく名古屋の方なのだろう。徳川宗春といえば徳川吉宗のライバルと目された大名ということは「暴れん坊将軍」程度の知識しかない僕でもわかっているが、このサイトを走り読みさせていただくと、徳川御三家筆頭の7代尾張藩主となった宗春が、吉宗の緊縮財政政策に対し、地域活性化のため積極財政政策をとったそうだ。そして、宗春は新地を開いて設置した三つの遊郭(西小路遊廓・富士見原遊廓・葛町遊廓)に公許を与えた。そのうちの西小路遊郭は伊勢古市から来た経営者や...徳川宗春のゆめのあとと「伊勢音頭」

  • フィレ・ガンボってナニ?

    久しく聞いていないカントリーミュージックが聞きたくなって、まずはカントリーといえばこの人、ハンク・ウィリアムズの曲をYouTubeで探しながら聞き始めた。「YourCheatin'Heart」「HeyGoodLookin'」「Jambalaya」etc.学生時代、先輩がよくギターを掻き鳴らしながら歌っていた姿を思い出す。どの曲も歌詞の一部だけを今でも憶えているが、なかでも「Jambalaya」は、曲のタイトルが歌詞の中に出てくる一節が妙に印象に残っている。「Jambalayaandacrawfishpieandfilletgumbo」の部分である。これはアメリカ・ルイジアナ州のケイジャン料理(クレオール料理)の名前を並べたものだそうだ。まず「ジャンバラヤ」というのはスペイン料理のパエリヤがもとになった炊き...フィレ・ガンボってナニ?

  • 菊池川ノスタルジー

    大浜橋から菊池川河口方向を望む。玉名市大浜町の母の生家には年に5,6回は訪れる。玉名駅を過ぎて車を走らせていると小浜で菊池川右岸の道に入る。この道を走っていると高瀬駅(現玉名駅)から母に手を引かれ、てくてく歩いた幼い頃を思い出す。しばらく菊池川を眺めながら走っていると必ず思い出すのが海達公子の「川口」という詩である。この詩に歌われているのが菊池川だとはひと言も書いていない。しかし、公子は高瀬高女時代、親友で同級生の規工川澄さんの岱明町の家に度々遊びに行き、小浜から大浜まで小舟で川下りを楽しんだと書き残している。川口というのはおそらく菊池川河口のことだと思われる。澄さんの甥で海達公子研究の第一人者として永年活躍された規工川佑輔先生も7年前に他界され、今となってはそれを証明する人は誰もいない。かつて玉名市小浜...菊池川ノスタルジー

  • 節季候(せきぞろ)

    しばらくテレビドラマは見ていなかったのだが、最近面白いなと思ったドラマが、NHK-BSの「あきない世傳金と銀」という時代劇である。摂津(今の大阪)の貧しい元武士の家に育った娘・幸が天満の呉服屋「五鈴屋」に女衆として奉公に入る。商売の面白さに目覚めた幸は人一倍努力し、商才を発揮し始める。やがてその商才を認められ、四代目主人の後添として御寮さんとなる。放蕩の限りを尽くし不慮の事故で早世した四代目を継いだ五代目主人にも請われて御寮さんとなる。さて様々な困難を乗り越え、幸が「五鈴屋」の発展にどう腕を振るっていくか、という物語。先日の第6回では、永年の商習慣だった年1回師走の売掛金回収を3月、5月、7月、9月、12月の五節季に変えるというエピソードがあった。見ながら徳島県民謡「節季候(せきぞろ)」のことを思い出した...節季候(せきぞろ)

  • 白梅が咲き始めるころ

    わが家の白梅が咲き始めていたので今年は開花が早いのかなと思い、過年度の写真を調べてみたら、この時期に既に咲き始めている年もあった。平年並みなのかもしれない。昨日から宮崎にいる長男が仕事の合間を縫ってやって来た。今年は正月に帰れなかったし、祖母の見舞いもしたかったのだろう。今日の午後、彼を母の入院している病院へ連れて行った。コロナやインフルエンザが増勢にあるため、面会が再び厳しくなり、病室へ入室できるのは1日に一人だけ、しかも10分限りということで、長男だけが見舞いをして僕はロビーで待っていた。母も僕たち家族もちょっとつらいな。帰宅してから、見に行くことができなかった「大江幸若舞」(毎年1月20日開催)のライブ配信を見て過ごした。全部見ると4時間以上かかるので、とりあえず今日は「高館(たかだち)」だけを見た...白梅が咲き始めるころ

  • 長唄 勧進帳

    母の入院生活は当分続きそうなので、しばらく遠出はあきらめざるをえない。今月は久留米の「久留米座能」やみやまの「大江幸若舞」など楽しみな公演があったのだが今年は断念することにした。そのかわりと言ってはなんだが、近場の熊本市国際交流会館で28日に行われる「第57回熊本県邦楽協会演奏会」はなんとか見たいと思う。10演目のどれも見たいのだが、なかでも蓑里会の「長唄勧進帳」は見ものである。杵屋五司郎さんの立三味線はいつ聞いても絶品。超一流の三味線の響きを楽しみたい。この映像は2016年の「第51回熊本県邦楽協会演奏会」で演奏された蓑里会の「長唄勧進帳~滝流しの合方の部分~」長唄勧進帳

  • 俗説「檜垣のこぼし坂」

    昨日の熊日新聞ローカル版の連載コラム「坂道を上れば」に「桧垣のこぼし坂」が取り上げられていた。内容的には既知のことがほとんどだったが、10数年前の蓮台寺訪問をきっかけに、檜垣媼の功徳の道のことを調べ始め、現地訪問や資料調べなどを通じて得た知識をブログに随時載せてきた。そこで一度これまでの概要をまとめてみることにした。 一昨年、熊本市で行われた「第4回アジア・太平洋水サミット」で、天皇陛下がオンライン講演をされ、平安時代の閨秀歌人である檜垣嫗の歌「年ふれば我が黒髪も白河のみづはくむまで老いにけるかな」を「水の都くまもと」のたとえに引かれた。檜垣媼は白川の畔、今の蓮台寺辺りに結んでいた草庵から、篤く信仰する岩戸観音へ閼伽の水を供えるため、水桶を担いで四里の道を日参したと伝えられている。その道の最大の難所が後世...俗説「檜垣のこぼし坂」

  • 熊本の風景今昔 ~厩橋(うまやばし)~

    かつて熊本城の内堀として、また物流の大動脈として城下の経済や生活を支えた坪井川。この坪井川には多くの橋が架けられていますが、中でも今日最も渡る人や車が多い橋の一つが厩橋(うまやばし)ではないかと思います。熊本藩主の住まい「御花畑屋敷」の馬場や厩(馬小屋)の目の前にあったためこう呼ばれるようになりました。下の2枚の写真の間には150年の時の隔たりがありますが、時代の流れを感じさせます。明治初期に冨重利平が撮影した厩橋現在の厩橋この絵図は熊本大学付属図書館が寄託された永青文庫資料のうちの一つで、明治時代初期に赤星閑意によって描かれた「熊本城東面図」。東側上空からの鳥瞰図となっている。流れている川は、江戸時代に内堀としても使われていた坪井川。二つの橋が架かっているが、左側が厩橋(うまやばし)で手前の廓状になった...熊本の風景今昔~厩橋(うまやばし)~

  • 熊本自転車節がバズった日

    この頃になると必ず思い出すのは、5年前、ブログ記事の「熊本自転車節」がバズった日のこと。記事も埋め込んだ動画も2011年に投稿したもので、その時すでに8年も経っていた。にもかかわらず、このブログにはありえない、見る見るアクセス件数が増える状態が続いた。原因は大河ドラマ「いだてん」でヒロイン役の綾瀬はるかが劇中この唄を歌ったからだった。このドラマの第2回(2019.1.13)に彼女が自転車に乗りこの唄を歌いながら登場。以降数回にわたって歌った。その影響は絶大だった。彼女が演じた春野スヤさんは実際この唄をよく口ずさんでいたらしい。テレビ番組の影響は大きく、視聴者が番組の中の歌などを検索することによって、ブログやYouTube動画へのアクセスが急増することは時々あるが、この「熊本自転車節」の時ほどのバズり方は初...熊本自転車節がバズった日

  • 大江幸若舞

    毎年1月20日は福岡県みやま市瀬高町大江に日本で唯一残る幸若舞「大江幸若舞」が、大江天満神社で行われる日です。幸若舞とは室町時代前期、越前の桃井直詮(幼名幸若丸)によって始められたという中世芸能・曲舞(くせまい)の一種です。いくつかの流派が生まれましたが、明治維新後、そのほとんどが途絶えました。唯一、筑後の大江村に伝わった「大頭流幸若舞」が辛うじて今日まで残っています。大江幸若舞が行われる大江天満神社由緒を記した石碑今年も家庭の事情で見に行けませんが、昨年の映像がYouTubeにアップされていますので、これで雰囲気を味わいたいと思います。毎年5曲ほど演じられ、毎年少しずつ曲目は変わりますが、人気の「敦盛」などは必ず入っているようです。小学生・青年・壮年など幅広い世代が出演しているのも見どころです。▼映像に...大江幸若舞

  • 春隣(はるとなり)

    午後、入院中の母を見舞いに行く。経過は順調のようだ。入院した当初はCCUだったが、その後病室を三度変わり、現在は東側が開けた4人部屋。病窓からは熊本城数寄屋丸や本丸御殿、そして熊本市役所の上層階部分などが見える。病窓の向こうに古城春隣本丸御殿中庭やその右側の熊本市役所ビルを眺めていると、12年前の春、本丸御殿中庭で行われた「桜の宴」の風景が目に浮かんだ。今思えば、あの時の風景は二度と見られないものだったのかもしれない。帰りに護国神社の梅の花を見に行った。早咲きの梅はもう花開いていた。2012.4.7熊本城本丸御殿中庭~桜の宴~ザ・わらべ「肥後の花娘」※右後方に市役所ビル護国神社の早咲きの梅の花春隣(はるとなり)

  • 2024年に行くべき場所 “山口市”と藤野さん

    ニューヨーク・タイムズが世界の旅行先で「今年行くべき52か所」を発表し、「山口市」が3番目に選ばれたというニュースには驚いた。今から46年前、お隣りの防府市に住み、山口市にも行くことが多かった元山口県民としては、どういう基準で選ばれたのかわからないので、選者は山口市の良さを本当にわかっているのだろうかと少々疑問は残りつつも、とても喜ばしいニュースであることに変わりはない。そんなことを思っているとふと山口市在住の藤野さんのことを思い出した。藤野さんとは、コロナが蔓延する前、熊本の城彩苑わくわく座で毎月行われていた舞踊団花童の公演に、毎回山口市から日帰りで観に来られていた方である。僕のブログをご覧いただいていたこともあり、会場で初めてお会いして親しくなり、いつも一緒に公演を観ていた。急に藤野さんのお声を聴きた...2024年に行くべき場所“山口市”と藤野さん

  • 八代亜紀さんを悼む

    歌手の八代亜紀さんが昨年末に亡くなっていたというニュースは彼女の地元である熊本県民および八代市民には衝撃的だった。僕の妻なども年齢的に近いこともありかなりショックを受けたようだ。八代さんは歌手としてだけでなく、画家として、また地震や豪雨災害などの被災者に積極的な支援活動を行ってきた方として広く知られており、あらためてその存在の大きさを認識させられる。彼女の歌で最も好きな歌は「舟唄」だったが、訃報を聞いた時、最初に浮かんだのはなぜか「男はつらいよ」だった。渥美清の歌としておなじみの映画「男はつらいよ」の主題歌を彼女が歌ったのは山田洋次監督「男はつらいよ」シリーズ49作目「男はつらいよ~寅次郎ハイビスカスの花・特別編」だった。この映画は平成9年(1997)に製作されたが、その前年に寅さんを長年演じた渥美清さん...八代亜紀さんを悼む

  • 見どころ聴きどころ ~花見踊り~

    今月28日(日)熊本市の国際交流会館で行われる「第57回熊本県邦楽協会演奏会」でトリを飾るのは「蓑里会・うらら会・花と誠の会」共演による「花見踊り」です。杵屋五司郎先生や杵屋六花登先生を始めとするそうそうたる地方の先生方の演奏に舞踊団花童が舞う舞台は見ものです。「花見踊り」とは正式名称は「長唄元禄花見踊」といい、花見の名所で知られる上野の山の華やかな花見風景を描いた長唄です。作られたのは明治時代に入ってからですが、上野が桜の名所となったのは、三代将軍徳川家光の頃で、元禄時代(1688-1704)には、数ある江戸名所の中でも随一の人気を誇るスポットになっていたそうです。元禄時代といえば、近松門左衛門、井原西鶴、松尾芭蕉といった文化人を生んだ「元禄文化」の花が一挙に開いた時代。この「元禄花見踊」にもそんな豪華...見どころ聴きどころ~花見踊り~

  • どんどや

    今日はわが町壺川校区の正月恒例「どんどや」が京陵中学校のグラウンドで行われた。今年で51回目だそうである。消防団の皆さんが青竹で組み上げた櫓の前で、加藤神社宮司による神事の後、櫓に火が入るとたちまち紅蓮の炎が駆け昇る。門松や注連飾りが燃える炎とともにお迎えした歳神が真っ青な空へと還って行く。毎年繰り返される感動の瞬間だ。【どんどやの由来】どんどやの歴史は古く、今から約1000年前(平安時代)の記録に、三毬杖(さぎちょう)、左義長として知られ、これは宮中に於ける正月の年中行事で、三本の竹や木を組んで三脚にし、その上で、かがり火のように火を燃やした。後年、宮中では正月十五日に清涼殿の東庭で天皇の吉書を焼き、それに扇子や短冊などを添えて焼いたが、その間、童が棒を振ったり、大鼓、鉦鼓を打って歌い囃して舞った。また...どんどや

  • 「光る君へ」を見ながら

    今日から始まった今年の大河ドラマ「光る君へ」を見たが、登場人物が多く、しかも藤原だらけなので、まずは人物を識別するのに精一杯といったところ。それはさておき、見ながら思ったのは、この時代に肥後国司として赴任した人の中にもドラマの登場人物ゆかりの人がいる。まずは清原元輔(きよはらのもとすけ)。「枕草子」でおなじみ清少納言の父である。清少納言は一条天皇の中宮・藤原定子に仕えた。元輔は肥後や周防などの国司を務めて都を離れていた期間が長いのでドラマには登場しないだろう。もう一人は藤原保昌(ふじわらのやすまさ)。この人は武勇に秀で、道長四天王とも称されているので登場してもおかしくない。また和泉式部への恋を成就するため、紫宸殿の紅梅を手折って北面武士に射かけられるという武勇伝も残っている。まだ登場人物リストにはあがって...「光る君へ」を見ながら

  • 名店と女将

    3年ほど前、フォローさせていただいているブログ「水前寺古文書の会」さんの「明治42年頃の熊本の遊びどころ」という記事の「料理屋附待合」の部には、当時の人気店が23店舗ほど紹介されていて、その中になんと、今のわが家の隣りに「一休」という料理屋があったことに驚いたことを書いたことがある。▼「水前寺古文書の会」さんの記事内容一休京町2丁目132番地電話158番女将森しげ子開業日猶浅しと雖も、眺望の絶佳なると、土地の閑静なると、包丁の美なるとを以て次第に盛名を博せり。地は京町の高台に在るを以て望界甚だ広く、居ながらにして遠くはあその噴火より近くは竜田の翠色坪井の万甕を眸裏に収め、眺望の佳なる此の楼に及ぶものなし。女将は西券でならした芸娼お繁といふ女宰相なり。得意料理は木の芽田楽。わが家の旧番地は「京町2丁目131...名店と女将

  • 松囃子と和泉式部

    今日やっとわが家の氏神様である藤崎宮に初詣をした。この日にしたのは正月恒例の松囃子が行われるからでもある。わが家族の息災を願うとともに能登半島地震や航空機事故の犠牲者の鎮魂の想いも込めて参拝した。能楽殿での松囃子で喜多流狩野家四代の祐一さんが舞囃子「東北(とうぼく)」を舞った。松囃子は神事だからアナウンスもないしパンフレットみたいなものもないので本当に「東北」だったかどうか定かではない。ただ地謡に「和泉式部」というフレーズが何度か出てきたので「東北」だったのだろう。見ながらふと今年の大河ドラマ「光る君へ」のことを思い出した。和泉式部は主役の一人藤原道長の娘彰子に仕えていたのでドラマに登場してもおかしくない。しかしいまだに登場人物の中に和泉式部の名はない。エピソードの多い人物だから話がややこしくなるのであえ...松囃子と和泉式部

  • 梅の蕾

    母を病院に見舞った後、久しぶりに二の丸周辺を散歩した。護国神社の前にさしかかり、鳥居の前で一礼して通り過ぎようとしたが、せっかく通りかかったのだから参拝して行こうと思い直した。実は今年はまだわが家の氏神である藤崎宮も地元の加藤神社にも初詣をしていないことが引っ掛かっていたからだ。どうせ後日お詣りするのだから順番は気にしないことにした。お詣りを済ませて境内の早咲きの梅の木を見上げると紅梅の蕾がだいぶ膨らんでいた。春はもうすぐそこまでやって来ていることを実感する。年こゝにあらたなる梅の蕾哉(正岡子規)梅の蕾

  • 三が日の最終日は雨

    年が明けたとたん、大地震や大事故のニュースで正月気分はどこかへ吹っ飛んでしまった。今日も入院している母を見舞いに行くつもりだったが、妹夫婦が替わって行くことになった。それじゃ、ということで桜の馬場城彩苑でやっている「熊本城坪井川園遊会~新春の宴~」が今日最終日だったので見に行った。雨の中、城彩苑は大勢の観光客で賑わっていた。今日出演の舞踊団花童は4曲踊ったが出演者は花童あかりと花童はるかの二人だけ。終演後、主宰者の中村花誠先生に新年のご挨拶に行くと「メンバーがみんなインフルエンザにかかって…」とおっしゃっていた。学校ではインフルエンザが流行っていると、かかりつけ医から聞いてはいたが、こんなところにも影響が出ているとは。さりながら、1時間弱の舞台を二人だけでもたせた成長著しさに感心した。三が日の最終日は雨

  • 2023 年間動画視聴ベスト10

    2023年のYouTubeマイチャンネル総視聴回数は528,993回でした。そして1年間に視聴された動画のベスト10は次のとおりとなりました。昨年、一昨年と連続してトップを占めた「幸若舞敦盛」に替わり、「伊勢音頭」が再び勢いを盛り返しました。「伊勢音頭」は各種文献にも、その発生、発展や伝播の歴史などから民謡の代表曲の一つとされていますので当然の結果ともいえると思います。サムネイル画像をクリックしていただきますと動画を視聴いただけます。1.伊勢音頭(38,492回)2.おてもやん(29,951回)3.南部俵積み唄(23,857回)4.幸若舞「敦盛」(23,793回)5.ひえつき節(18,151回)6.熊本民謡おてもやん(17,888回)7.かっぽれ(15,785回)8.五木の子守唄(11,238回)9.正調...2023年間動画視聴ベスト10

  • 新年のご挨拶

    あけましておめでとうございます本年もどうぞよろしくお願いいたします年末に入院した母を見舞うことがメインの三ヶ日になりそうで、初詣はもうちょっと先になると思われます。湧くからに流るるからに春の水(夏目漱石明治31年)水前寺成趣園を訪れた漱石が、阿蘇の伏流水である清水がこんこんと湧き出て流れて行くさまを詠んだ句です。漱石もきっとこんな風景を眺めたことでしょう。新年のご挨拶

  • 年末のご挨拶

    今年も多くの皆様に、当ブログをご訪問いただきありがとうございました。厚く御礼申しあげます。やっとパンデミックから解放された年越しになりそうですね。しかし、かかりつけ医からコロナが再び増勢にあるので年末年始はくれぐれもご用心との指示がありました。来るべき新年も、気候変動による自然災害や新たな感染症の襲来を予想する専門家もいます。皆様方がご息災でお幸せな一年になりますことを心よりお祈りいたします。来年も当ブログをよろしくお願い申しあげます。筆主敬白水前寺成趣園年末のご挨拶

  • 「今朝の秋」再び…

    昨日深夜、NHK-Gで「山田太一さんをしのんでドラマスペシャル『今朝の秋』」が放送されたた。このドラマは1987年に初回放送されたが、その後の再放送も含め観るのは今回で5回目ではないかと思う。個人的には不動の「オールタイム・ベスト1ドラマ」である。初回放送から36年経った今日でも新鮮な感動がある。原作・脚本が山田太一、演出が深町幸男、音楽が武満徹という超一流のスタッフに加え、笠智衆、杉村春子、杉浦直樹、倍賞美津子、樹木希林、加藤嘉、名古屋章、谷村昌彦ほかのキャスティングは絶妙だ。当時、社会問題となりつつあった家庭の崩壊、老いや病いと人生観、老々介護など今日的な問題が丹念に描かれている。このドラマの中で僕が最も好きなシーンは、年老いた父(笠智衆)が、癌で余命いくばくもない一人息子(杉浦直樹)を入院先の病院か...「今朝の秋」再び…

  • ハーン 謎を解く

    今日、家内を伴って年末の墓掃除とお参りを済ませた。わが家の墓は立田山の西麓にある。父の生家があった本籍地は泰勝寺跡の南側(下立田)なので墓地とは400㍍ほど離れている。父の生家の前を通る泰勝寺参道を挟んだ向かい側は小峰墓地となっている。僕は若い頃、父の生家の目の前に小峰墓地があるのに、なぜわが家の墓はだいぶ離れた立田山西麓にあるのだろうと不思議に思っていた。数年前、その謎はラフカディオ・ハーンの「石仏」を読んで解けた。小峰墓地から立田山南麓を見る(右奥の集合住宅辺りに父の生家があった)ハーンの「石仏」冒頭に次のような一節がある。この文章から、ハーンは小峰墓地から立田山を眺めている様子がうかがえ、ハーンの視界には父の生家も入っていたであろう。父の備忘録には幼い頃(大正初期)、この下立田は11軒の民家が、ここ...ハーン謎を解く

  • フォトジェニック2023

    ただでさえ年齢とともに行動範囲が狭くなっているのに、寒い季節になるとますます限られた範囲でしか行動していません。それに伴いブログネタにも事欠くようになり、このところ、下書きしたままほったらかしにしていた記事や一度はボツにしたネタなどを再び引っ張り出している有様です。今日の「フォトジェニック2023」も数年前からネタ候補ではありましたが、なかなかイメージに合う写真がなく、いつの間にか忘れていました。今回なぜか思い出し、ムリヤリ3点の写真を選んでみました。いずれも初出しの写真です。2023.3.18熊本城二の丸広場「春のくまもとお城まつり」から「チアダンスDAY!」における九州学院ミリアムズ2023.5.4「代継宮曲水の宴」から女性歌人に扮した後生川凜アナ(RKK)2023.10.29夏目漱石内坪井旧居「漱石...フォトジェニック2023

  • 野口雨情と熊本

    一昨日の記事「加勢川と『五足の靴』」に、ブログを通じて交流させていただいている「油屋種吉の独り言」様からコメントをいただいた。記事の中に北原白秋の名前があったので、野口雨情のことを連想されたらしい。お住まいの栃木県や野口雨情の生誕地・北茨城などには雨情ゆかりの施設がある。明治末期から昭和前期にかけて詩人、童謡・民謡作詞家として活躍し、北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人と謳われた野口雨情。昭和初期、「新民謡」づくりが一つのムーブメントになり、雨情も日本全国をまわって数百曲という新民謡を作った。熊本でも県内各地を回って20数曲を残しているが、代表作が下記の三曲と言っていいだろう。野口雨情は熊本県民にとって忘れることのできない作詞家の一人である。▼よへほ節(山鹿灯籠踊り)明治初期からお座敷唄として唄わ...野口雨情と熊本

  • 加勢川と「五足の靴」

    今日は久しぶりに県立図書館で文献探しをした。目的に沿う文献は見つからなかったので、図書館裏の加勢川沿いの道を散策した。水前寺から流れ出て来た水は相変わらず青く澄んで、ただ眺めているだけで時の経つのを忘れてしまう。川面を泳ぐマガモを見ているとふと「五足の靴」を思い出した。「五足の靴」というのは、明治40年7月から8月にかけて、歌人与謝野寛が、まだ学生だった木下杢太郎、北原白秋、平野万里、吉井勇の4人を引き連れ、九州を中心に各地を旅した時の紀行文「五足の靴」のことである。その中で「勢舞水楼(せんすいろう)」という料亭から屋形船に乗り、江津湖の涼を楽しむくだりがある。僕が川面を眺めていた場所がかつて「勢舞水楼」があった辺り。船上には二人の町芸者が呼ばれ、民謡「おてもやん」を披露する。そんな場面を空想しながらひと...加勢川と「五足の靴」

  • 「密着!中村屋ファミリー」を見ながら

    昨夜放送されたフジテレビ系ドキフジテレビ系ドキュメンタリーュメンタリー「密着!中村屋ファミリー」のシリーズ最新作を見ながら思った。もし、2016年の熊本地震なかりせば、熊本城でも「熊本城歌舞伎」が行われていただろうと残念な気持が再び湧いて来た。昨夜の内容は今年5月に世界遺産の姫路城で行われた平成中村座公演を中心に密着取材したものだった。今から10年前の2013年に熊日新聞に発表され、熊本の歌舞伎ファンの期待を集めたのが「熊本城歌舞伎」。熊本地震により実現の可能性が遠のいたものの、実現に向けて再度動き出してほしいものだ。▼2014年2月の熊日新聞記事≫≫≫これまで熊本城で行われた歌舞伎や創作舞台の中から≪≪≪▼坂東玉三郎特別舞踊公演(2008.4.30)熊本城築城400年を記念して復元された本丸御殿落成記念...「密着!中村屋ファミリー」を見ながら

  • 雪の季節に聴く一曲(邦楽編)

    日本各地で大雪に見舞われているらしい。まずは被害が出ている地域の皆様にお見舞いを申し上げたい。熊本も大雪警報が出ていたけれど今のところ粉雪がパラついた程度。これまで住んだことのある地域の中では那須や彦根の冬は雪がよく降った。その時の思いをすれば、熊本で雪が降ってもたいしたことはない。雪にちなんだ音楽は数多あるが今日は邦楽の中から選んでみた。1曲目は﨑秀五郎さんの端唄三味線で「淡雪」。詞章を読むと想像がつくように、新内節の「明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき)」に材をとったいわゆる「明烏もの」。2曲目は三味線音楽の大御所、本條秀太郎さんが「山中節(石川県民謡)」をモチーフに創作された「俚奏楽雪の山中」。いずれも雪の季節に聴くと一層味わい深い。〽淡雪と消ゆるこの身の思ひ寝に浮名を厭ふ恋の仲乱れしままの鬢付き...雪の季節に聴く一曲(邦楽編)

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