chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

FUSA
フォロー
住所
中央区
出身
中央区
ブログ村参加

2009/09/19

arrow_drop_down
  • 心象風景 ~くまもと~

    15年前に投稿したYouTube動画「旅のはじめに~ウォン・ウィンツァン~」に米国在住のE・T様から次のようなコメントをいただきました。――米国滞在者です、これ熊本ですよね素晴らしいメロディーと懐かしさに言葉がなくなります、ありがとうございます。――海外でこれを視聴いただいている日本人の方もいらっしゃるんだと、あらためて気付かされ、感慨深いものがありました。2018年頃までNHKで不定期に放送されていた「にっぽん紀行」のテーマ曲(ウォン・ウィンツァン作曲・演奏)が大好きで、この曲を聴くために番組を見ていたような気もします。この動画は2008年頃から2010年頃までの熊本の心象風景みたいな映像を当ててみたものです。あらためて撮影地を下記します。草枕ハイキングコース・石畳の道熊本城竹の丸「秋のくまもとお城まつ...心象風景~くまもと~

  • 「護摩の灰」のはなし。

    今日夕方、テレビ熊本(TKU)を見ていたら「川島明の辞書で呑む」という番組をやっていた。辞書を繰っていて気になる言葉を見つけたら、その言葉について調べ、語り合い、それをサカナに呑むという趣旨の番組のようだ。今日は頭文字「こ」を繰っていたが、その中に「護摩の灰(ごまのはい)」という言葉が出てきた。昔、時代劇でよく聞いていたような気がする。「護摩の灰」とは仏教の護摩祈祷で焚き上げられた護摩木を燃やした灰のことだが、この「ありがたい灰」と称して、ただの灰塵を売りさばく詐欺が横行したことから、詐欺師のことを「護摩の灰」と呼ぶようになり、それがお伊勢参りなどの旅人の金品を狙う窃盗犯のことも「護摩の灰」と呼ぶようになったという。よく知られているのは十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の三島宿の段である。村の子供が捕まえたス...「護摩の灰」のはなし。

  • ブライアン・ウィルソン ~ザ・ビーチ・ボーイズ~

    ブライアン・ウィルソンさんが亡くなったそうだ。ウィルソンさんといえば、僕が学生だった60年代のミュージック・シーンを代表する「ザ・ビーチ・ボーイズ」のリーダーとして活躍したレジェンドである。今でも「ザ・ビーチ・ボーイズ」サウンドが聞こえると学生時代の様々な場面が鮮明によみがえる。一緒に活動していた弟さんお二人も先に亡くなっているので、これで僕の青春時代の思い出がまた一つ遠くへ去ってしまったような寂しさを覚える。心からの感謝と哀悼の意を捧げたい。今日は多くの大好きな曲の中から「カリフォルニア・ガールズ」と「サーファー・ガール」を選んでウィルソンさんを偲んだ。ブライアン・ウィルソン~ザ・ビーチ・ボーイズ~

  • 松尾町の灯台

    NHKアーカイブスをチェックしていたら、昨年11月に亡くなった火野正平さんの「にっぽん縦断こころ旅」の「松尾町の灯台(熊本市)」(2011年放送)というのがあった。福岡の高校を卒業し熊本の会社に就職した若い頃、日頃のストレス解消にバイクで有明海沿岸を走り、松尾町近津の灯台辺りから有明海に沈む夕日と雲仙岳のシルエットの写真を撮りまくっていたという思い出を綴った投稿だった。たまたまこの回は未見だったのでとても興味深かった。というのは、僕も所用で玉名に行った帰りは有明海沿いの国道501号線を帰ることが多く、この百貫港灯台の近くに車を停めボンヤリと海を眺めながらひと休みするのが愉しみの一つだったからである。この百貫港は、明治26年(1893)の7月、ラフカディオ・ハーンがここから船で長崎を目指した港で、ハーンは百...松尾町の灯台

  • おしろい花の句

    昨日夕方、京町界隈を散歩した。路傍に早くも「おしろい花」が咲き始めている。「おしろい花」は仲秋の季語になっているくらいだから秋の草花なのだが、もう今頃から咲き始め10月頃まで咲く。日頃、季節の俳句を楽しませていただいているブログ「ころころの毎日が俳句・ハイク」さんが過去掲載された「おしろい花」を季語とした俳句の中から、僕の好みで三句選ばせていただいた。選んだポイントは映像がすぐに浮かんだ句である。おしろい花の島原の廓跡伊藤旅遊京都島原の廓跡は見たことがないが、熊本の二本木遊郭跡は20年ほど前までその痕跡を見ることができた。取り壊された妓楼跡に草が生い茂っていたが、その中におしろい花も咲いていたかもしれない。本郷に残る下宿屋白粉花瀧春一学生時代、お茶の水駅から東大のプールまでよく歩いて行った。昭和30年代、...おしろい花の句

  • 「雨の日」という詩

    庭の片隅のガクアジサイが、降り続く雨に打たれながら薄紫のガクを徐々に色濃くしていくさまに健気さを感じる。梅雨時に必ず想い出すのがこの輿田準一(よだじゅんいち)の「雨の日」という詩。輿田準一とは福岡県瀬高町出身の児童文学者・詩人で、若い頃、北原白秋家の書生だったという人物。輿田準一は、児童文芸誌「赤い鳥」への投稿を通じて荒尾の海達松一と懇意になった。松一は、北原白秋からその詩才を激賞された少女詩人海達公子の父である。この「雨の日」という詩が「赤い鳥」誌上に掲載された大正15年頃は與田準一が荒尾の海達家に足繁く訪れていた時期。詩に描かれた幼い姉妹は歳格好が一致していることから海達公子・通子の姉妹であることはほぼ間違いない。輿田は公子にも大きな影響を与え、また北原白秋との橋渡しもした。※「評伝海達公子」の著者、...「雨の日」という詩

  • 肥後花しょうぶの歴史

    熊本城竹の丸にある肥後名花園で栽培された肥後花菖蒲(はなしょうぶ)が見ごろを迎え、天守閣前広場、城彩苑、二の丸お休み処などで展示されています。「肥後六花」と呼ばれる花々のひとつである「肥後花しょうぶ」の歴史について、昭和56年(1981)に放送されたNHK「新日本紀行肥後秘花」という番組で紹介され、その後、何度か再放送されました。その番組のナレーション(一部)を文字起こししたものを下記しました。杜の都、肥後細川藩五十四万石の城下町熊本。江戸時代、この熊本を治めた細川家は、江戸や上方とも違った文化の薫り高い政治を敷きました。そして今も、かつて細川藩の侍たちが武家屋敷の中で育て門外不出としてきた花が、子孫の人たちによって守られています。かつて細川公のお側用人を務めてきた杉山家の庭。阿蘇の湧水がせせらぎとなって...肥後花しょうぶの歴史

  • 米価問題の今後

    昨年後半から今日までニュースで「米(コメ)」の文字を見ない日はない。昨年9月2日のブログ記事にこんなことを書いていた。――大阪府知事が備蓄米の放出を政府に要求したようだが、坂本農林大臣(当時)はこれに否定的。その理由として、市場価格に人為的な影響を与えること避けたいらしい。そんなことを言ったって既に米価は高騰しているわけでなんらかの手を打つのが当たり前と思うのだが。――備蓄米を安価で市場にどんどん投入する小泉農林大臣の施策が正解かどうかは僕にはわからない。しかし、政府が手をこまねいていたら米価高騰が続いていたことだけは確かだ。民謡「米節」で「我らの親じゃもの」と唄う「米」が高級食材となり、主食の座から退くようなことは絶対に避けるよう政府は腰を据えて米価の構造改革に取り組んでいただきたいものだ。米価問題の今後

  • 第30回くまもと全国邦楽コンクール(結果)

    このコンクールを見る度に感心するのは、本選出場者の演奏技術の高さである。これは14年前、このコンクールを初めて見た時から変わらない。まず出場された皆さん全員に敬意を表したい。毎回、最優秀賞に誰が選ばれるのか予想するのだが、今回は予想が難しかった。最優秀賞に選ばれた長谷由香さん(写真)の演奏「甦る五つの歌」も印象には残っているが、飛びぬけているという感じは正直しなかった。審査員の先生方はきっと彼女のポテンシャルを見抜かれたのだろう。個人的には琵琶楽や三味線などで本選に進む演奏者がもっと増えてほしい。第30回くまもと全国邦楽コンクール(結果)

  • 杖立甚句(つえたてじんく)

    先日、端唄三味線の﨑秀五郎さんのYouTubeチャンネルで、端唄や民謡を楽しんでいたところ、そんな中に「杖立甚句」という唄があることに気が付いた。一瞬「熊本の杖立のこと?」と思って唄を聞いてみると、歌詞の中に「阿蘇の山」が出てくるので熊本民謡であることは間違いないらしいことがわかった。初耳の唄だったのでちょっと調べてみようとネット検索してみたが情報らしいものは何も見出せない。そこで、Facebookを通じて秀五郎さんに歌詞を教えていただきたいとメッセージを送った。同時に杖立温泉観光協会のサイトにも同じ趣旨のメールを送った。いずれもすぐに反応があり、秀五郎さんからはFacebookを通じて歌詞カードを送っていただいた。一方、杖立温泉観光協会からは歌詞は見つからないが、古いカセットテープが残っているのでそれを...杖立甚句(つえたてじんく)

  • 大和楽 ひともじ舞踊

    「大和楽」と聞くと古式ゆかしい伝統芸能のように聞こえるが、実は大倉財閥の二代目大倉喜七郎によって昭和8年に生まれた新しい「三味線音楽」の楽派である。喜七郎はつとにその名を知られた趣味人で、自ら楽器を開発したり、作詞作曲も手がけたという。「大和楽」はどういう特徴を持つかというと、「三味線音楽」の中でも「語り物」にも「唄い物」にも分けられないことや伝統的な邦楽に西洋音楽的な音色をまとわせて、人々により親しまれる楽曲を創りだそうというコンセプトであること。洋楽の発声法やハーモニー、輪唱、ハミングなどの演奏法も採り入れ、女性主体の楽派であることなども特徴のようだ。舞踊団花童の演目の中に「大和楽」が数多く含まれていたことから親しむようになった。今日は「大和楽」の中でも「ひともじ舞踊」と呼ばれる題名が漢字ひともじであ...大和楽ひともじ舞踊

  • ~長谷検校記念~ 第30回くまもと全国邦楽コンクール

    第30回くまもと全国邦楽コンクールが今度の日曜日(6月8日)に行われます。今年の本選出場者は下表のとおりです。このコンクールを見始めたのは2011年の第17回で、以来毎回見ていますが、コロナで中止や無観客開催の年もあったので今年で12回目の鑑賞になります。初めて見た時の最優秀賞受賞者、筝曲の佐藤亜美さんの演奏に感動し、毎回見続けることになりました。今回の出場者の中には過去のコンクールで何度か拝見した方もおられ、最優秀賞を受賞してもおかしくなかった方も何名か含まれています。皆さんが実力を存分に発揮されることを願っています。これまでの最優秀賞受賞者はもちろんのこと、強く印象に残る演奏者が何名かおられますが、その中から第20回(2014年)のコンクールで最優秀賞を受賞され、今注目の筝奏者・今野玲央さんの演奏を視...~長谷検校記念~第30回くまもと全国邦楽コンクール

  • 島酒と呑み鉄

    昨日の午後はNHK-BSの「酒」にまつわる2本のドキュメント番組を楽しんだ。いずれも再放送なのだが、1本目が「新日本風土記」で伊豆諸島に暮らす人々の生活には欠かせない「東京島酒」の話。新日本風土記「東京島酒、もう一杯」伊豆諸島はどの島にも自慢の島酒があり、日々の暮らしや人生の節目を彩ってきた。始まりは江戸時代、流刑地だった八丈島に薩摩の流人が伝えた芋焼酎。情け島、八丈島では今日もどこかで宴会が。女子会の後は亡くなった夫を思うひとり酒。絶海の孤島青ヶ島にかえり住んだものたちの歌と酒。成人式で新島の若者が受け取るのは自分で育てた芋で作られた「祝いの島酒」。島を愛し、酒を愛し、人を愛し…“島酒のある風景”を見つめる。(NHKのシノプシスより)おばぁたちの女子会にはこの唄が付き物「八丈ショメ節」2011.10.2...島酒と呑み鉄

  • 六月朔日 ~心豊かに~

    五月があっという間に過ぎ去り、今日から六月。毎月恒例の朔日詣りに藤崎八旛宮へ。まだ楼門修復工事が行われていて何となくせわしない。参拝を済ませたあと、先月、明午橋のたもとに完成したという夏目漱石の熊本四番目の井川淵の家跡の記念碑を見に行った。実際に家があった辺りを探してみたが見つからない。ウロウロ探し回った挙句、明午橋の下流側の土手にあった。旧居跡からはだいぶ離れている。何だかなぁと思いながら記念碑を眺める。漱石がこの家に住んでいた時に詠んだという句春の夜のしば笛を吹く書生哉が彫られていた。記念碑明午橋下流の白川その後、案内を受けていた展覧会を二つ見に行った。一つは華道草心流の「野の花いけばな展」。上通大宝堂の地下アートスペースで行われていた。写真撮影可だったのだが、ブログ掲載は控えた。二つ目は、熊本県立美...六月朔日~心豊かに~

  • 坂本先輩のこと

    今日、所用で玉名の親戚を訪ねたついでに「高瀬裏川花しょうぶまつり」を見に行った。会場に入ると、すぐそばで5,6人の観客に説明をしている案内係の人が目に入った。僕のブリヂストン時代の大先輩、坂本正詮さんだった。説明が終わった頃を見計らって挨拶に行った。坂本さんにお会いするのは9年前の熊本地震直後、わが家の近くの京陵中学校で薬草料理の炊き出しボランティアに来られた時におさそいを受けて以来である。僕が坂本さんに初めて出会ったのは55年前のこと。僕は横浜工場で新人研修を受けていたが、8月の初めだったか、社内水泳大会が行われた。当時従業員2500名くらいの工場だったので結構盛大な大会だった。当時僕はほとんど泳いでいなかったが、50㍍自由形ならなんとかなるだろうと出場し優勝した。そして、そのしばらく後に栃木県の那須工...坂本先輩のこと

  • 栗田さん撮影の動画から

    一昨日他界された栗田弘一さんはYouTubeの自らのチャンネルに470本の動画を遺されました。実はYouTubeへの投稿を始めたのは僕の方が少し早かったので、最初の頃、栗田さんが撮影された動画のYouTubeへの投稿を僕に委ねられていた時期がありました。今日はそんな動画の中から3本選んで掲載してみました。この3本だけでも、栗田さんの活動ぶりがよくわかります。◇本場鶴崎踊大会2014旧藩時代、熊本藩の飛地であった鶴崎(現大分市)をこよなく愛しておられた栗田さんは「NPO法人鶴崎文化研究会」のメンバーの一人でもありました。メンバー揃って熊本研修旅行にお見えになったこともあり、僕も「泰勝寺跡・小峰墓地」だけアテンドさせていただきました。そんな栗田さんがとりわけお好きだったのが「鶴崎踊り」。400年以上の歴史を有...栗田さん撮影の動画から

  • 友の死を悼む

    昨日、花童のサポーター友でありFB友でもあった栗田弘一さんが旅立たれました。娘さんのFB告知で知りましたが、僕と同世代なのでショックでした。昨日は彼と初めて出逢った時の思い出に浸りました。あれは2013年4月27日のことでした。「くまもと城下まつり2013in桜町」のステージに“ザ・わらべ”が出演するというので見に行きました。カメラを構えたとなりの中年男性に声をかけると“わらべ”の大ファンだとおっしゃる。朝早く大分から出て来られたらしい。熱心なファンもいるものだと思いながら会話をしていると、ファンになったきっかけが、どうも僕のYouTube動画らしい。「あなたがご覧になっている動画はほとんど私が投稿したものだと思います」と明かすと、一瞬僕の顔をまじまじと見て「まさかあの動画の投稿者に逢うとは!」と驚いてお...友の死を悼む

  • MLB選手の入場曲

    先日、MLBのドジャースvsメッツの放送を見ていたら、メッツの本拠地シティ・フィールド球場内に「Ain'tNoMountainHighEnough」の曲が響き渡り、観客が一斉に歌い出した。メッツの中心選手フランシスコ・リンドーアが打席に向かうところだったようだ。学生時代、僕が大好きだった曲で、マーヴィン・ゲイとタミー・テレルのデュエットがFEN(FarEastNetwork)放送で聞こえてくるとゴキゲンになったものだ。この曲のリリースからしばらく経った頃、病を得たタミーは3年後あっけなくこの世を去る。マーヴィン・ゲイも84年に他界し今はない。当時の若者にとって永遠の恋人となったタミー・テレルというステージネーム「テレル」は世界ヘビー級チャンピオンになったこともあるボクサーのアーニー・テレルからもらったもの...MLB選手の入場曲

  • 隅田の流れ(すだのながれ)

    先週土曜日に城彩苑わくわく座で行われた「伝統芸能鑑賞会」の中から「俚奏楽隅田の流れ(すだのながれ)」をご紹介します。隅田(すだ)というのは東京を流れる隅田川のことです。「すだ」とは隅田(すみだ)の旧名の一つです。この「隅田の流れ」の原曲は「六段くずし」。江戸前期の音楽家・八橋検校(やつはしけんぎょう)が作曲した筝曲の古典として知られる「六段の調」を江戸好みの端唄にアレンジしたのが「六段くずし」です。立方:はつ喜月寿々地方:本條秀美社中・中村花誠・中村弌誠はつ喜月寿々さんの先輩二人による「六段くずし」をご覧ください。隅田の流れ(すだのながれ)

  • ブログ引っ越し

    gooブログから引っ越す人が日に日に増え、なんだか寂しくなってきた。最近はもっぱら引っ越された方の経験談のブログ記事を探して読み、自分の判断材料にしたいと思っている。しかし、いまだにどこに引っ越すか決めきれない。こんな状態がもうしばらくは続きそうだ。先日のブログにも書いたが、20年前「NIFTY-Serve」がパソコン通信サービスを終了するという経験をしていたわけで、インターネットのブログサービスもいつかは終了することは覚悟しておくべきだったと思う。どこに引っ越すかはまだ決めていないが、引っ越し先がどこであっても、またサービス終了なんてことがあり得るのは覚悟しておかなければならないだろう。ブログ引っ越し

  • 伝統芸能鑑賞会

    今日は城彩苑わくわく座で行われた「伝統芸能鑑賞会」を観に行く。今日のプログラムは次のとおり。大和楽「城」立方:藤間誠申俚奏楽「隅田の流れ」立方:はつ喜月寿々地方:本條秀美社中・中村花誠・中村弌誠俚奏楽「島めぐり」立方:はつ喜月寿々・花童ももか地方:本條秀美社中・中村花誠・中村弌誠熊本賛歌立方:藤間誠申・はつ喜月寿々・花童ももか地方:本條秀美社中・中村花誠・中村弌誠今日の立方はつ喜月寿々・花童ももか・藤間誠申のお三方▼今日の演目より俚奏楽「島めぐり」伝統芸能鑑賞会

  • 浮世絵

    先日、久しぶりに散歩がてらに熊本市現代美術館まで歩いて行った。ホームギャラリーでは朝ドラ「あんぱん」にちなんだのか、「やなせたかし展」をやっていたが、漫画を見て育っていない僕にはあまり興味がなく、いつものように美術図鑑でも眺めて過ごそうと思った。いくつかの図鑑を手に取ってみたが、中でも一番興味があったのは別冊太陽の「浮世絵師列伝」だった。大河ドラマ「べらぼう」やそれにリンクした「浮世絵EDO-LIFE」などの番組で、今、浮世絵に注目が集まっている。多くの浮世絵師たちの作品を見ていったが、僕の好みはやはり「鈴木春信」だ。町娘などをすっきりと可愛らしく描いている。左から柳屋お藤、女形歌舞伎役者二代目瀬川菊之丞、笠森お仙そういえば、長澤まさみが葛飾北斎の娘の葛飾応為を演じる映画が秋に公開されるというネットニュー...浮世絵

  • gooブログ初期

    gooブログからの引っ越し準備をしなければならないと思いながら、なかなか気が進まない。引っ越しに当たっては少し整理した方がいいかなと思い、開設当初の古い記事のチェックを始めた。20年前の記事に目を通してみると、今日のいろんな問題はこの頃既に始まっていたことがよくわかる。そんな記事のいくつかをピックアップしてみた。◇「NIFTY-Serve」よ、ありがとう!(2005.2.16)ニフティがついにパソコン通信サービスを終了するそうです。18年前、サービス開始と同時に加入しましたが、当時は今日のようなインターネット時代が来るとは予想だにしませんでした。最初はなかなかつながらなかったり、コンテンツも限られていましたが、電話線を通じてホストコンピュータや他人のパソコンとつながっているという新鮮な感動がありました。思...gooブログ初期

  • 「ひえつき節」のはなし。

    わが家の山椒の木の実も充実してきてそろそろ摘み時になって来ました。山椒の木といえば「ひえつき節」。ちょうど10年ほど前にYouTubeにアップした「ひえつき節」に今日、興味深いコメントが寄せられました。'taroukuma7125'さんという方で次のような内容でした。人吉の東小学校運動会の昼食時にこの曲が流れていました。宮崎の民謡がなぜ熊本/人吉で?と思っていましたが、椎葉は藩政時は人吉藩が幕府から預かっていたんですね。もう70年前、人吉城跡での運動会が懐かしく思い出されます。この方がおっしゃるとおり、椎葉は紆余曲折を経て江戸前期から明治に至るまで人吉藩の管理下に置かれていたそうです。この九州を代表する民謡の一つである椎葉村の民謡「ひえつき節」は人吉ゆかりの民謡ということもできるのでしょうね。2015.5...「ひえつき節」のはなし。

  • 父の没後25年

    今日で父が他界して25年。この25年は早かった。自分自身の高齢化とも相俟って、若い頃の4倍くらいのスピードで時間が流れたような気がする。祥月命日になると毎年、父がまだ四つか五つの頃、立田山麓の泰勝寺跡に住んでおられた長岡家に日参していた頃の備忘録を思い出す。父は長岡家のお坊ちゃまの遊び相手として日参していた。広い邸内での様々な思い出の中でも、お座敷で時々行われた謡曲のお稽古は特に忘れられなかったらしい。幼い父も末席に侍らせられ、長時間にわたって謡を聴かせられたが、中でも父は謡曲「田村」の「ひとたび放せば千の矢先・・・」という一節を終生忘れなかった。幼い子どもがどんな気持で聴いていたのかと思うと可笑しくなってしまう。▼謡曲「田村」結末の地謡あれを見よ不思議やな。味方の軍兵の旗の上に。千手観音の。光を放って虚...父の没後25年

  • 漱石四番目の家と俳句

    今朝の熊日新聞に、夏目漱石の熊本四番目の井川淵の家跡の記念碑が明午橋のたもとに完成し、昨日、記念式典が行われたという記事が載っていた。今度、藤崎宮にお参りに行く時にでも見に行ってみようと思いながら、午後、上熊本駅周辺に散歩に行った。駅前で信号待ちしていて目の前の車道と歩道との間に並んで立てられている石の車止めに何げなく視線をやると、漱石の俳句が彫られていることに気が付いた。ここは普段もよく通るのだが、車止めに注目したことはない。他の車止めにも漱石の句や小説の一部が彫られているようだ。目の前に漱石像が立つ三角公園があるので、その関連で車止めも立てられたのかもしれない。最初に目にとまったの漱石の俳句が「颯と打つ夜網の音や春の川」なんと、明治31年、井川淵の家に居た頃に詠んだ句である。井川淵の家では鏡子夫人の入...漱石四番目の家と俳句

  • 高瀬裏川花しょうぶまつり

    来週末から玉名市の「高瀬裏川花しょうぶまつり」が始まります。高瀬裏川というのは、現在の玉名市中心部が肥後高瀬藩だった頃、菊池川流域でとれた米を積んだ平田舟が行き交った運河で、河岸には町屋や蔵が軒を連ねていました。今も往時の風情を感じる町屋が残っています。かつて、肥後米の積出し港として栄えた高瀬町は、菊池川とその支流の繁根木川の中州にできた商業の町。古代から菊池川河口右岸に開けた港町でした。古くから関西、関門、博多方面と交流があったと伝えられます。また高瀬町の人々は菊池川のことを「高瀬川」と呼んでいたそうです。江戸時代には高瀬藩の御蔵が置かれ、肥後米最大の積出し港となっていました。そのためこの港から積み出した米は「高瀬米」とも呼ばれました。明治初期まで高瀬には菊池川を渡る橋がなく対岸の向津留から「向津留渡し...高瀬裏川花しょうぶまつり

  • 玄宅寺とからし蓮根と日本舞踊

    長男が大分県の中津に転勤した。中津は通過したことはあるが立ち寄ったことはない。今度は目的が出来たのでぜひ行ってみたい。中津といえば思い出すのは玄宅寺(水前寺)。開山の玄宅禅師は中津の羅漢寺からやってきた禅師。寛永9年(1632)に肥後細川藩初代藩主、細川忠利公が肥後に入府された時、前任地の豊後から伴って来られたのが中津の古刹・羅漢寺の住職だった玄宅禅師。忠利公はこの水郷の地に「水前寺禅寺」を創建し、玄宅禅師を初代住持とされた水前寺発祥のお寺である。また、玄宅禅師は今日、熊本名物の一つとなっている「からし蓮根」の考案者でもある。病弱だった忠利公の滋養強壮に心を配り、考案したのが「からし蓮根」。そしてそれを忠利公の食事に供したのが細川家の賄方だった森平五郎。森家は現在も新町に老舗の「森からし蓮根」として続いて...玄宅寺とからし蓮根と日本舞踊

  • 柳川抒情

    フォローさせていただいているブログ「田園都市の風景から」さんの直近記事に、福岡県柳川市の「沖端水天宮・春の大祭」をリポートされていました。柳川にはもう数えきれないほど訪れていますが、この祭りはまだ見たことがありません。一度は見ておきたいと思っています。記事中の写真の転載をご承諾いただきましたので、そのうちの2枚を掲載してみました。堀に浮かべた舫い船の上に乗せた舟舞台で演じられる様々な芸能。邦楽演奏や地歌舞伎などが披露される。沖端水天宮のすぐ近くに生家がある北原白秋は、少年時代を過ごしたふるさとを描いた随筆「水郷柳河」の中でわが町を、廃市(廃れた町)と言い、街を掘り巡らした水路やたった一つ残った遊女屋懐月楼や古い白壁など、故郷の水郷の町の廃れゆく姿とそこで暮らす人々の哀感を、愛を込めた眼差しで描き出していま...柳川抒情

  • 今日のOldies

    たまに若い頃流行った歌を無性に聴きたくなる。今日聴きたくなったのは下の2曲。いずれも僕が中高生の頃に流行った歌だ。1曲目はジミー・ジョーンズというアメリカの歌手が歌った「GoodTimin'」(邦題「グッド・タイミング」)。最近、何かのCMに使われていて思い出した。当時は欧米のヒットポップスを日本の歌手が盛んにカバーしていた日本のポップス草創期。この歌も坂本九がカバーしてヒットした。シンプルながら耳にここちよい曲だ。2曲目はイタリア系フランス人のカテリーナ・ヴァレンテが歌った「ToutL'amour」(邦題「情熱の花」)。ベートーヴェンの「エリーゼのために」をポップス化した曲として有名だが、日本ではザ・ピーナッツのカバーがヒットした。さらに20年後、日本のポップスバンド、ザ・ヴィーナスが「キッスは目にして...今日のOldies

  • 歌麿の紫

    大河ドラマ「べらぼう」に、やっと喜多川歌麿が登場した。彼にまつわるサイドストーリーはさておき、絵を描く歌麿の姿を見たいものだ。NHKスペシャル「歌麿紫の謎」という番組が2007年に放送された。歌麿の浮世絵を400枚も所蔵するアメリカ・ボストン美術館のスポルディング・コレクションを高精細デジタル画像で映し出した。極めて保存状態がよく、変色や退色を免れた江戸時代の色彩が鮮やかに甦った。特に女性の着物に鮮やかな紫色が惜しげもなく使われていたことがわかった。退色が激しいという紫色を多用し「紫屋」とも呼ばれた歌麿。番組ではこれらの浮世絵の中に使われている紫色をどうやって表現したのかについて迫っていた。そしてこの紫の原料には露草が使われたらしいという。紫色の着物を着ることは江戸の女性にとって憧れだったそうだが、現代に...歌麿の紫

  • 「本丸御殿 春の宴」の夜

    今から13年前の今日、2012年5月12日の夜に熊本城本丸御殿で行われた「春の宴」のことをよく思い出す。2010年から始まった本丸御殿の芸能イベントは毎春秋開催される「春の宴」と「秋夜の宴」が多くの観客を集めていた。この夜も本丸御殿大広間をぎっしり埋めた観客の前で、少女舞踊団「ザ・わらべ&こわらべ」による舞台が繰り広げられた。この夜は「春の宴阿蘇をどり」と題して、ぶっ通し1時間半、長唄、端唄、民謡など10数曲が披露された。その中で3曲選んで録画した映像をその夜のうちにアップした。それが下の3曲である。▼藤音頭歌舞伎舞踊の代表的な演目の一つである「長唄藤娘」は、2008年の熊本城本丸御殿落成記念イベントの一つとして熊本城二の丸公園で行われた「坂東玉三郎特別舞踊公演」でも演じられた。ザ・わらべの中村くるみさん...「本丸御殿春の宴」の夜

  • ブラタモリ伊勢路編・最終夜

    「ブラタモリ伊勢路編」は今夜が最終回。桑名を出発点とする「伊勢路」は伊勢神宮までの90㌔の旅を終えた。5回の放送を通じての感想は後日まとめたいと思うが、今日は斎王関連の話題を一つ。斎王が斎宮に入る前に禊(みそぎ)をした秡川(はらいがわ)の話があった。熊本には、明治10年の西南戦争で焼失するまで、今の藤崎台球場のところにあった藤崎八旛宮のすぐ下を流れていた井芹川(いせりがわ)のことを「祓川(しめかわ)」と呼んだ。「祓川」では藤崎八旛宮への参拝者がみそぎを行なったり、放生会(ほうじょうえ)が行われたりしていたという。「秡川」と「祓川」は部首が異なるもののどちらも「みそぎ」をする川のことをいうそうだが、その違いを一度調べてみたい。それはさておき、やはり30分番組というのは短い。こま切れの印象が強く、全体の流れが...ブラタモリ伊勢路編・最終夜

  • 創作劇「青柳」

    今秋スタートの朝ドラ「ばけばけ」関連イベントとして、先々月「小泉八雲を変えたKUMAMOTO」が熊本城ホールで開催されましたが、小泉八雲とゆかりの深い熊本では、これからもいろんなイベントが行われそうです。八雲の来熊120年となった2011年には熊本では様々な記念行事が行われました。その中のひとつが創作劇「青柳」公演でした。八雲「怪談」の中から「青柳の話」「十六桜」「乳母桜」などをもとに、木々にも霊魂が宿るという考え方をテーマとした物語です。八雲について数々の著書がある平川祐弘東大名誉教授が書かれたオリジナルの「夢幻能青柳」をもとに、能、日舞、演劇による創作舞台が繰り広げられました。公演の資料から創作劇「青柳」のあらすじを下記してみました。【あらすじ】熊本の五高教師として赴任してきた小泉八雲ことヘルンは、学...創作劇「青柳」

  • ふるさと遥か 民謡の旅(3)

    「キンニョムニョ」は江戸時代後期から明治初期あたりにかけて熊本の花柳界で唄われていた端唄・俗曲の一つといわれています。歌詞は「七七七五」の口説きに「キンニョムニョ」とか「キクラカチャカポコ」など意味のない囃子詞を間に挟んでいますが、内容は肥後に関係のある歌舞伎・浄瑠璃・講談などの題材から口調の良い文句を羅列しただけで、歌詞として全体の意味がまとまっているわけではありません。明治10年の西南戦争で官軍兵士として日本各地から応召し戦地熊本に赴いた人々が、野営地などでこの唄を聞き覚え、各々の地元に持ち帰ったといわれています。しかし、それぞれの土地でアレンジが加えられ、とても同源とは思えないように姿を変えたものもあります。島根県在住の竹下博文さんから次のようなコメントをいただいたことがあります。――分家民謡のご紹...ふるさと遥か民謡の旅(3)

  • 禿(かむろ)のはなし。

    ※10年前の記事を再編集して再掲しました。現在放送中のNHK大河ドラマ「べらぼう」には多くの「禿」が登場する。「禿」というのは遊女の小間使いをする童女のことだが、この「禿」という字は「かむろ」または「かぶろ」とも読むし「はげ」とも読む。なんでそうなのか、以前から不思議に思っていたが、ネット上でも時々話題になっているようだ。「禿」という字を分解してみると上半分の「禾(のぎ)」という部首。これは「禾部(かぶ)」といって、イネ科のアワの穂が垂れる様子を象ったものだという。そして下半分は「儿(にんにょう・ひとあし)」だから、合わせると髪の垂れ下がった人を表すと考えたらよいだろう。つまり、「はげ」を表す意味はどこにもない。それではなぜ「はげ」とも読むようになったのか。そもそも「かむろ・かぶろ」という文字が文献に表れ...禿(かむろ)のはなし。

  • 水郷めぐり

    今日は生憎、霧雨がずっと降り続いていたが、昨日までは初夏らしい日差しの中で若葉が輝いて見えた。そんな風景を見ると必ず思い出すのは若山牧水のこの短歌である。あたりみな鏡のごとき明るさに青葉はいまし揺れそめにけり(若山牧水)旅を愛し、酒を愛した若山牧水は日本各地に歌碑が残っている。僕は牧水の短歌や俳句もいいけれど、彼の紀行文も大好きだ。大正8年6月、若山牧水は友人に誘われ、茨城県から千葉県に広がる霞ヶ浦辺りを旅した。その紀行文「水郷めぐり」には旅情をそそられる。特に後半の「あやめ踊り」が出てくるくだりは何度読んでもワクワクさせられる。「あやめ踊り」というのは「潮来音頭」や「潮来甚句」を踊るものらしい。水郷めぐり

  • 小淵ってドコ?

    大先輩のFさんから宿題を与えられている。それはかつて古式泳法の水連場として使われていた白川の淵のことである。以前、僕自身興味があったので、天神淵、八幡淵、傘淵については現地にも行ってこのブログ上にリポートした。今回、Fさんはそれ以外に「小淵」というのがあったと聞いていると仰る。「小淵」は初耳だったが、たしかにその名が見える文献もあるようだ。ネット検索や図書館に出向いて調べてみたが全然手がかりが見出せない。さらには国土省の白川出張所や熊本市の歴史文書資料室にも問い合わせてみたが、いずれも「小淵」についての資料が見つからないという返事だった。今日ふと思いついて、以前、天神淵を調べに訪れたことのある渡鹿の菅原神社に行ってみた。間がいいことに宮司さんの奥様が境内におられたのでおたずねしてみた。奥様も聞いたことがな...小淵ってドコ?

  • ♪ ほーらんえんや、えんやさのさっさ

    玉名市大浜町の外嶋(としま)住吉神社(延久元年=1069年創建)で15年ぶりに開催中の「年紀祭」(市指定重要無形民俗文化財)を見に行った。今日はこの祭り最大の見せ場「船渡御(ふなとぎょ)」が行われた。外嶋住吉神社の縁起は平安時代後期の1069年、後三条天皇が作らせた住吉大神の神像を乗せた舟が大浜に漂着し、村人が神像を引き上げて祭ったのが始まりと伝えられる。この故事を氏子総出で再現するのが「船渡御」と呼ばれる水上神事だ。豊漁や五穀豊穣を祈願する神事として行われてきたが、江戸時代中後期、大浜町が大坂へ肥後米を積みだす高瀬港の外港として栄えたことにより、この祭りがさらに発展した。かつて菊池川左岸に広がっていた松原辺りのお旅所でご神霊が鎮座する御神輿を3隻の舟に載せ、櫂伝馬船9隻で上流の大浜橋近くまで遡る。大漁旗...♪ほーらんえんや、えんやさのさっさ

  • コロナ禍と 能「沖宮」

    5年前の今頃のブログを見ていると、当時コロナ禍が広がり始めていたことがよくわかる。あゝそうだったなぁと思いながら、もう5年も経ってしまったのかと時の流れの速さを実感する。世の中がコロナ禍に戦々恐々とする中、「アマビエ」という妖怪が多くのメディアで急にクローズアップされていた。アマビエとは江戸時代後期の肥後国の海中から現れた疫病退散のご利益があるという伝説の妖怪のことだが、アマビエを象ったお守りや様々な商品が販売されるという便乗商法まで登場した。アマビエの絵を見て、僕が直感的に思い浮かべたのは「これは人身御供になった人の変わり果てた姿ではないのか」ということだった。実際、江戸時代などには疫病退散を目的とした人身御供が行われていたことは、江戸時代後期の旅行家、菅江真澄の紀行文にも見える。そう考えると、2018...コロナ禍と能「沖宮」

  • 花浜匙(ハナハマサジ)と橘(タチバナ)と

    今日は皐月朔日(さつきついたち)。例月のように藤崎八旛宮へ朔日詣りに行った。藤崎宮は楼門の屋根葺き替え工事中のため、拝殿前まで行くには脇の通用口からしか入れない。お詣りは普通に済ませたものの「なんだかなぁ」といった気分。いったん帰った後、歩いて京町本丁郵便局へ郵便物を出しに行った。ついでに近くの往生院にも寄ってお参りした。百体目の放牛地蔵の方に視線をやると、居並ぶ七体のお地蔵さんそれぞれの前に紫色の花が供えてあるのが見えた。近づいてお参りしながら確認すると、見たことのない美しい花だったので家で花名を調べてみようとデジカメで撮影した。帰り道、宇土小路を歩いていると、とある民家の庭に大きめのミカンのような実がいっぱい生った木に白い花が咲いていた。直感的に一昨日ブログに書いた「新古今和歌集」の式子内親王の歌に出...花浜匙(ハナハマサジ)と橘(タチバナ)と

  • 橋本愛の大河ドラマ歴

    俳優の橋本愛さんは熊本市出身ということもあり出演作品は注目して観ている。現在放送中の「べらぼう」にもなんと蔦重の妻役で出演するそうで楽しみだ。大河ドラマはこれで4本目となるが不思議な存在感と魅力を持った俳優さんだ。これまで大河ドラマ以外でも映画「リトル・フォレスト」、「長閑の庭」(NHK-BS)、「ハードナッツ!〜数学girlの恋する事件簿〜」(NHK)、映画「うつくしいひと」など印象的な役柄が多い。まだまだポテンシャルを秘めていると思うので、これからがますます楽しみだ。「うつくしいひと」の試写会の時、彼女の中学校時代の恩師が嬉しそうに彼女について語っておられたことを思い出す。▼大河ドラマ歴(上から順に)西郷どん(2018)西郷吉之助の最初の妻須賀いだてん(2019)浅草の遊女小梅青天を衝け(2021)渋...橋本愛の大河ドラマ歴

  • テイカカズラの香り

    わが家の裏の法面に繁茂するテイカカズラの花が甘い芳香を漂よわせている。「定家葛(テイカカズラ)」の名は、式子(しょくし)内親王(1149-1201)を愛した藤原定家(ふじわらのていか)が、死後も彼女を忘れられず、ついにテイカカズラに生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説に基づく能「定家」から付けられたという。式子内親王は、後白河天皇の第三皇女で、「新古今和歌集」の代表的な女性歌人として知られる。昨年、学習院大文学部を卒業された天皇、皇后両陛下の長女愛子様は、卒業論文に「式子内親王」を取り上げられたというニュースを思い出した。「新古今和歌集」の式子内親王の歌を読んでいたら、夏の歌の中に次の歌があった。かへりこぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほふ橘【通釈】再び戻って来ない昔を、今のことのように思いながら寝...テイカカズラの香り

  • わたしの“水俣日記” アナウンサー佐藤茉那

    一昨年、NHK熊本放送局制作の番組「くまもとの風」枠で放送されたドキュメント「わたしの“水俣日記”〜アナウンサー佐藤茉那対話の旅〜」が今日のローカル情報番組「クマロク!」で再放送された。現在、「ブラタモリ」でタモリさんのパートナーとして活躍している佐藤茉那アナが熊本局時代、水俣病の現地で1年以上取材した手記である。ナレーションも佐藤アナが担当。NHKの番組案内には次のように解説されている。私はアナウンサーの佐藤茉那。「なぜまだ水俣病を伝えるの?」同世代の友人の問いに応える為、1年以上にわたって水俣で取材と対話を続けてきた。語り部を続けてきた杉本肇さんは、「水俣から逃げた」若き日の葛藤を教えてくれた。同世代の若者は、水俣出身を揶揄する声に真正面から向き合った経験を教えてくれた。福島で震災を伝える木村紀夫さん...わたしの“水俣日記”アナウンサー佐藤茉那

  • 清正公まつりを見ながら

    今日は加藤神社の「清正公まつり」。例年のとおり、宮出しを見に行った。「一之宮」の加藤清正公の神輿が境内から出て行く様子を見ながら、ふと昨日の熊日新聞に、熊本市と山形県鶴岡市が友好促進の協定を結んだというニュースを思い出した。鶴岡市は改易となった加藤忠広公が配流された加藤家終焉の地。清正公、忠広公の縁でこれまでも民間の交流はあったが、これをもう一段上のレベルに引き上げようということなのだろう。もう10数年前になるが、一昨年他界した僕の知人が東北地方を旅行し、鶴岡の清正公ゆかりの場所を巡ったことがあった。熊本へ帰ってからの第一声が、鶴岡の人々の清正公尊崇の念の厚さに頭が下がったという話だった。日頃、セイショコさん、セイショコさんと親しみを込めて呼んでいるが、われわれにはいったいどれほどの尊崇の念があるのだろう...清正公まつりを見ながら

  • 加藤清正の天井画

    加藤神社の天井画が完成したというローカルニュースが流れていたので、今日、参拝を兼ねて見に行った。片鎌槍を構えた清正が虎を従えて睨みをきかせている図柄で、両脇には白と黒のトラが天空を飛ぶ様子が描かれている。全体のサイズは縦5メートル、横15メートルだそうである。今日はこの天井画を見る目的の参拝者が多かったようだ。明日は今年の「清正公まつり」。今夜放送された「ブラタモリ伊勢路編第四夜」では、三重県の県庁所在地である津を通った。清正のライバルであり戦友でもあった戦国武将・藤堂高虎が築いた城や城下町である。加藤清正が慶長16年(1611)に死去し、跡を継いだ加藤忠広がまだ11歳だったため、藤堂高虎が後見人となり、江戸にいた忠広に付き添って熊本に入府したという。熊本にも縁少なからぬ人物なのである。しかし、その20年...加藤清正の天井画

  • カキツバタ色の唐衣

    そろそろ立田山湿性植物苑のカキツバタが咲く頃だなぁと思い行ってみた。今年も綺麗な紫色の花を咲かせ始めていた。思わず、「伊勢物語」の在原業平の歌が浮かぶ。からころもきつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞおもふ(唐衣着つつ馴れにし妻しあれば遥々来ぬる旅をしぞ思ふ)「伊勢物語」九段「東下り」に語られるエピソードだが、「ウィキブックス」によれば次のように解説されている。――昔、京に住んでいた男が、いろいろあって、京から出て行く気になったので、東国に移り住もうと旅をした。古くからの友人の一人か二人とともに旅に出た。三河の国の八橋で、かきつばたの花が咲いていたので、折句(おりく、技法の一つ)で「か・き・つ・ば・た」を句頭に読み込んだ和歌を主人公の男が詠んだ。和歌の内容は、都に残してきた妻を恋しく思う和歌で...カキツバタ色の唐衣

  • 伊豆の踊子が踊る曲

    今日、NHK-BSのプレミアムシネマで吉永小百合版「伊豆の踊子」が放送されました。映画化された戦後の「伊豆の踊子」5本すべて見ていますが、この小百合版だけでも既に5、6回は見ています。しかし、今日も見逃すわけにはいきません。この映画が公開されたのは僕が高校3年の時。小百合さんは1級上なので既に18か19歳、原作の14歳の踊子・薫が17、8歳の設定に変えられていました。「踊子」という役柄上、踊るシーンは欠かせませんが、「伊豆の踊子」全5作の中で、この小百合版が一番、踊るシーンが多かったと思います。お座敷で踊ったのは「ノーエ節」、「串本節」そして「ハイカラ節(自転車節)」の3曲。温泉町を流している時に踊っていたのは「ストトン節」ではなかったかと思います。いずれも原作者の川端康成が伊豆の旅をした大正7年頃流行っ...伊豆の踊子が踊る曲

  • gooブログのしまい方

    4月14日にgooブログサービスの終了がアナウンスされて以来、ブログに対するモチベーションも下がり気味ですが、今後どうするか決めなくてはなりません。早々にgooブログからの引っ越しを終えたという連絡も目にすることが多くなりましたが、自分も引っ越しするにしても引っ越し先をどこにするかはもうしばらくじっくり考えてみたいと思います。引っ越し先はさておき、gooブログをきちんとしまうに当たって、20年に及ぶgooブログ歴の中で、最も思い出深い記事は何だったのか考えてみました。様々な記事が思い浮かびますが、中でも特筆すべきは2010年から、2016年の熊本地震まで約6年間続いた熊本城本丸御殿での「春の宴」や「秋夜の宴」などの伝統芸能イベントではなかったかと思います。そのイベントの多くでメインキャストを務めた舞踊団花...gooブログのしまい方

  • コメ高騰と大浜外嶋住吉神社年紀祭

    昨年から続くコメの価格高騰は政府による備蓄米の放出後も鎮静化は見られないようだ。農水省は、その背景には投機的な買い占めがあると説明していたが、どうもそれだけではなく、いろんな要因が複合していることがわかってきた。政府にはさらなる米価高騰対策を望む。「米はわれらの親じゃもの」と唄う民謡「米節」に喩えるまでもなく、米は日本人にとって単なる食糧ではない。米は日本文化と深く結びついている。アメリカの関税措置をめぐる日米交渉でも「米」の輸入が取り上げられそうだが、日本人が決して譲れない一線であることを主張してもらいたい。ところで、5月3・4日「大浜外嶋住吉神社年紀祭」が15年ぶりに開かれる。玉名市大浜町は母のふる里でもあるので見に行くことにしているが、大浜町は江戸時代中後期、大坂へ肥後米(高瀬米)を積みだす高瀬港の...コメ高騰と大浜外嶋住吉神社年紀祭

  • ふるさと遥か 民謡の旅(2)

    今年の「牛深ハイヤ祭り」は今日の総踊りで閉幕しました。3月2日の記事「民謡の旅(1)」に続き、今日はその続き「ふるさと遥か民謡の旅(2)」をアップしてみました。前編では九州の西海岸や日本海沿岸を北上する北前船に乗って、寄港地伝いに伝播していった「牛深ハイヤ節」が、ついには1600㌔も離れた津軽地方に到達し「津軽あいや節」と姿を変えて唄い継がれていることを紹介しましたが、旅はこれで終わりではなかったのです。牛深高校郷土芸能部による「牛深ハイヤ節」津軽海峡を回った「ハイヤ節」は東廻海運に乗って太平洋側の南部地方・八戸辺りの港に伝わり「南部アイヤ節」となります。江戸時代の南部地方は現在の青森県と岩手県にまたがっており、岩手県の宮古辺りにも青森県とはちょっと異なる趣の「南部あいや節」が伝わっています。◇南部アイヤ...ふるさと遥か民謡の旅(2)

  • やつしろ舟出浮き

    先日、ローカルニュースで今年の「やつしろ舟出浮き(ふなでうき)」が始まったというニュースが流れていた。これは八代伝統の海のレジャーで、漁船に10人前後の客が乗り込み、漁師の伝統漁法を目の前で見物するとともに、獲れた季節ごとの海の幸を、八代海に浮かぶ無人島に上陸して漁師さんがさばいて料理してくれるというもの。江戸時代、八代城主だった松井家が球磨川河口で楽しんでいた船遊びに由来するという。僕が小学2年生の時、父が八代の太田郷小学校に勤務していて、教職員慰安行事の「舟出浮き」に僕も連れて行ってもらった。その日の舟は八代海でのイカ釣り舟だった。海に沈めてあった籠を次々に引き上げると中にイカが入っていて、船上へ上がる瞬間に真っ黒いスミを吐く。みんなでキャーキャー言いながらスミをよけた。漁が一段落すると無人島に上陸し...やつしろ舟出浮き

  • 藤の季節

    早くも藤の季節。一昨日行われた藤崎八旛宮の藤祭には所用のため参拝できませんでしたが、日を改めて藤棚の甘い香りを嗅ぎに行きたいと思っています。藤崎八旛宮の藤棚藤といえば「藤娘」。昨年11月に放送された「ブラタモリ東海道五十七次の旅」編でも紹介された大津絵の代表的な画題の一つです。この大津絵をモチーフにした長唄であり歌舞伎舞踊の演目でもある「藤娘」。先日の「中村花誠六十周年記念公演」における「藤娘」の中から、「近江八景」を織り込んだ聴かせどころをダイジェストにしてみました。彦根在勤の頃、現地を訪れたことのある地名が歌われていて懐かしくなりました。◇近江八景比良暮雪(ひらのぼせつ)堅田落雁(かたたのらくがん)矢橋帰帆(やばせのきはん)粟津晴嵐(あわづのせいらん)唐崎夜雨(からさきのやう)三井晩鐘(みいのばんしょ...藤の季節

  • gooブログ最後の桜便り

    今日は今春最後の花見をしようと熊本城二の丸・三の丸周辺を見て回った。ソメイヨシノはほとんど葉桜になってしまったけれど、まだまだ遅咲きの桜花たちが目を楽しませてくれた。おそらくgooブログに投稿する最後の桜便りになるだろう。ホウミョウジザクラ(監物台樹木園)祇王寺妓女桜(監物台樹木園)八重桜(護国神社)御衣黄桜(三の丸漆畑)最後は賑やかにボカロ・初音ミクの「千本桜」で締めくくるとしよう。gooブログ最後の桜便り

  • 今日のマイミックスリスト

    一昨日アップした記事「ブラタモリ伊勢路編・第二夜」に貼り付けた「俚奏楽伊勢土産」をYouTubeで視聴していたら、サイドバーに「マイミックスリスト」が表示されたので久しぶりにクリックしてみた。50曲に近い動画がリストアップされたが全部見るわけにもいかないので、その中から下記の3曲を選んで視聴した。◇長唄「五條橋」弁慶と義経の出会いを描いた謡曲「橋弁慶」をもとにした長唄「橋弁慶」のうち五條橋の対決シーンに焦点を当てた長唄です。杵屋五司郎さん率いる蓑里会の三味線、杵屋六花登さん率いるうらら会の唄、中村花誠さん率いる花と誠の会の囃子、藤舎仁鳳さんの笛という名手が揃った演奏です。◇バディ・ボールデンズ・ブルース(BuddyBolden'sBlues)19世紀末期のニューオリンズはジャズの揺籃期。ニューオリンズジャ...今日のマイミックスリスト

  • 「gooブログ終了」と「熊本地震9年」と

    今日の昼前、ブログ友の油屋種吉さんからのコメントでショッキングな情報を知った。2025年11月18日をもってgooブログサービスが終了するというのだ。2005年2月にgooブログを開設して以来20年。別のブログサービスへ引っ越すのか、それともこのタイミングでブログをやめるのか決めかねている。今日は奇しくも熊本地震前震から9年の日。gooブログ歴の中でも最大の出来事だったが、あの記憶を風化させてはならない。熊本地震に関するgooブログ記事は、形はどうあれ残していきたい。本震の翌日に投稿したブログ記事を再掲してみた。◆余震のまにまに(2016.4.17)二晩を車中で明かしたが、昨夜は雨の予報もあり、94歳の母にとってこれ以上は無理と判断し、僕らもさすがに疲れたので、姉婿の親族が経営する保育園の一室に泊めてもら...「gooブログ終了」と「熊本地震9年」と

  • ブラタモリ伊勢路編・第二夜

    昨夜の「ブラタモリ伊勢路編・第二夜」は神戸宿(鈴鹿市)から。前回「日永の追分」(四日市)で東海道と分かれたが、ここ神戸宿で再び三差路に出会す。その三差路に立つ意味ありげな老舗旅館「あぶい旅館」。街道に面した部屋は格子構え、かつては女性を侍らせた「見世」状態で旅人の足を止めた。これを聞いたタモリは「伊勢路が見たい」と唄う伊勢路の魅力がわかってきたと言う。さらに神戸宿の「餅屋」の看板の多さに気付く。「餅街道」ともいわれた伊勢路の老舗「もち久」で名物「立石餅」を味わう。伊勢路の街道筋でなぜ餅屋が盛んになったのか、その秘密を探りになんと鈴鹿サーキットへ向かう。鈴鹿サーキットの複雑な地形を利用したコースを回ってみると餅が生まれた理由がわかるということで、タモリ自らアトラクションカートを運転し、佐藤茉那アナを乗せてサ...ブラタモリ伊勢路編・第二夜

  • 春の終わりの御衣黄桜

    どうやら明日からまた雨になりそうだというので、熊本城三の丸の「御衣黄桜」を見に行った。そろそろ満開になると思われる。「御衣黄桜」は桜の季節が終わりかける頃に咲くので、毎年「御衣黄桜」を見て春の終わりを認識する。これまで三の丸で「御衣黄桜」を観察していて他の方と出会ったことはほとんど無かった。ところが、今年は何人かの方から「御衣黄桜はどれですか?」とか「御衣黄桜を見に来ました!」などとお声をかけていただいた。この桜への注目度が高くなりつつあるようで「御衣黄桜」ファンとしては喜ばしい。例年より長く見られたソメイヨシノもすっかり葉桜になりつつある中、「御衣黄桜」が気高く清いその姿で春を締め括ろうとしている。そこで拙句を一句往く春を惜しむ御衣黄桜かないつ見ても清々しい色合いの御衣黄桜御衣黄:平安歌人の纏う唐衣の下...春の終わりの御衣黄桜

  • 朝ドラ「ばけばけ」と祖母

    今朝の熊日新聞に、今秋放送される朝ドラ「ばけばけ」がクランクインしたというニュースが載っていた。熊本は小泉八雲が五高教師を務めたゆかりの地なので、いずれ熊本ロケもあるかもしれないということだが、このドラマには注目していることがある。それは、ヒロインのモデルである八雲の妻セツと、48年前に他界した僕の祖母が同じような前半生を送ったのではないかということである。祖母はセツさんより15年遅れて、セツさんと同じように士族の家に生まれた。娘時代までは資産もあり、わりと裕福な家庭環境だったらしい。曽祖父は大江村の村長をやっていたが、その頃が一番羽振りが良く、屋敷では度々盛大な宴会が行われていたという。しかし、水道町一帯の持ち家十数軒が大火で烏有に帰してしまい、その後没落へと向かう。セツさんも実家や養家がいずれも没落し...朝ドラ「ばけばけ」と祖母

  • 夕顔とかんぴょう

    ブログをフォローさせていただいている油屋種吉さんの直近の記事に、栃木県下野市の「ゆうがおパーク」のことが紹介されていました。この記事の最後に「下野市は、元首相の小泉さんのもとで実施された広域合併で、それまでの石橋町、国分寺町それに南河内町が合併してつくられました。夕顔はかんぴょうの花で、大きめの白い花だとご存じの方はおられましたでしょうか」という一文が付け加えられていました。不肖私も一応、元栃木県民ですので、栃木名産品かんぴょうはウリ科の植物で美しい夕顔の花を咲かせることは聞いていましたが、「半蔀(はじとみ)」や「夕顔」など、源氏物語の「夕顔の君」をモチーフとした能を見たことがありますが、妖艶な「夕顔の君」と栃木名物のかんぴょうを結び付けて考えたことはありません。種吉さんのひと言でハッと気づかされました。...夕顔とかんぴょう

  • 2025春 寸描

    桜吹雪が舞い、今年の春もやがて過去の思い出になろうとしている。今年の春、ちょっと気になった風景を挙げてみた。熊本城三の丸の北側法面に並んだ見事な桜並木。毎年思うことだが、ここの桜は上からも下からも近寄れないのが残念だ。今年ほど花見に多くの外国人が来ているのを見たことがない。熊本城二の丸住江門で見たイスラム系のファミリー。熊本市北区の「高平・坪井川遊水地花公園」の桜と菜の花の向こうに見える浄国寺。1年以上、谷汲観音様のご尊顔を拝していないので近いうち参拝しよう。先日、わが家の墓参りに行ったら、隣の墓の解体工事が行われていた。石材業者の話では、最近は墓を建てるより「墓じまい」で解体することが多いのだそうだ。わが家も他人事ではない気がした。2025春寸描

  • 伝統芸能の夜

    昨日は熊本市民会館で行われた「中村花誠六十周年記念公演」を観に行きました。第一部の古典では蓑田司郎(杵屋五司郎)さんを始めとする東音の皆様、第二部では本條秀太郎さんを始め本條流の皆様など、普段熊本ではなかなか観ることができない豪華な地方が揃い、立方の花童&はつ喜の面々も積み重ねた稽古の成果を存分に発揮していました。当日の番組は次のとおり【第一部】古典の世界一、長唄鶴亀一、長唄藤娘一、長唄俄獅子【第二部】熊本お座敷つづれ集一、肥後の殿様一、つくしんぼ一、肥後じまん(オテモチャン・くまもんちゃん)一、雨の郡上一、とうろう一、阿蘇空節一、阿波のうずしお一、熊本賛歌さわぎ一、熊本賛歌そのうち2演目をご紹介します。動画を撮りたかったのですが、指定された席からの撮影が難しかったため、「藤娘」の一部だけであきらめました...伝統芸能の夜

  • 2025年1~3月 動画視聴ベスト10

    今年に入ってから3ヶ月のYouTubeマイチャンネルの視聴分析結果が判明しました。1~3月期のチャンネル総視聴回数は308,206回。ベストテンは下記のとおりですが、相変わらず「お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)」がダントツで93,035回を数えました。以下、上位はほとんど入れ替わりがなく、そろそろ上位に入るような新ネタをリリースしたいと思っているところです。1.お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)(93,035回)2.こわらべ~江津湖音頭~(17,232回)3.花童~肥後のタンタン節~(12,301回)4.こわらべ~お座敷小唄/芸者ワルツ~(11,785回)5.南部俵積み唄(11,078回)6.伊勢音頭(歌詞付)(9,591回)7.ひえつき節(7,725回)8.花童~絵日傘/数え唄~(7,128回...2025年1~3月動画視聴ベスト10

  • ブラタモリ伊勢路編・第一夜

    ブラタモリ新シリーズが、タモリさん自身が言うように「何もなかったかのように」始まった。伊勢路編第一夜は、タモリが行きたいと願っていた自ら持っている広重の「桑名」の現地に立ち、感動する。その桑名で船着場に立つ鳥居の意味を知る。伝統の焼きハマグリに舌鼓を打った後、「日永の追分」(四日市)へ向かう。そこで見つけたタモリ大好物の三差路で東海道と分かれ、「神戸の見附」(鈴鹿)を目指す。神戸宿には門限があり、かつて大木戸があった痕跡を見つける。といった内容。やっぱり30分は短い。不満足感が残った。タモリ念願の桑名を目指すかつて伊勢湾が内陸へ入り込んでおり、熱田神宮から桑名へ「七里の渡し」で渡るのが東海道の正式ルートだった。「日永の追分」の鳥居は、ここから東海道へ進む旅人が遥拝するため。江戸時代、年間500万人もの人が...ブラタモリ伊勢路編・第一夜

  • 桜春想

    今日は快晴で温暖、風もなく、折しも桜は満開、この春最高の花見日和となった。今日が一年のうちで最も彩り華やかな日になりそうな気がして熊本城へ向かった。新堀橋から金峰山を望む。熊本城三の丸北面の桜並木が美しい。監物台側から大小天守を望む。老樹の伐採でかつての桜の賑わいこそないが、次の世代に期待しよう。護国神社前の桜。スマホで桜の撮影に興じる人たち。一昨日、まだ1週間以上先だろうと思っていた三の丸の御衣黄桜がほころび始めた。熊本城には「桜の馬場」や「桜橋」そして城下に「桜町」など、歴史的に桜とのゆかりを感じさせる。2016.3.21益城町文化会館筝:蓑田由美子尺八:佐藤翔山小鼓:中村花誠大鼓:今村孝明舞踊:花童&はつ喜桜春想

  • 大浜外嶋住吉神社年紀祭が15年ぶりに!

    5年前、母のふる里である玉名市大浜町に伝わる10年に一度の祭り「外嶋住吉神社年紀祭」が、新型コロナウイルス禍で延期された。そして5年経った来月、15年ぶりに開かれる。外嶋住吉神社は、延久元年(1069)創建といわれ、航海を守護する三神(表筒男命、中筒男命、底筒男命)に阿蘇の健磐龍命を合せ祀り、約千年の間、大浜町の産土神として人々の尊崇を集めてきた。この神社の年紀祭は、五穀豊穣のほか、年貢米や農産物を大坂へ運ぶ船の航海安全と豊漁を祈願するためのものといわれる。江戸時代中後期、大浜町は大坂へ肥後米を積みだす高瀬港の外港として栄えた。往時の繁栄をしのばせる大規模な祭りで、玉名市重要無形民俗文化財に指定され、また菊池川流域日本遺産の構成文化財にもなっている。大浜外嶋住吉神社年紀祭が15年ぶりに!

  • 御衣黄桜はまだか!

    昨年の今頃は、熊本城三の丸漆畑の「御衣黄(ぎょいこう)桜」が咲き始めていたので、様子を見に行ってみたが、今年はまだまだあと1週間以上先と思われる状態だった。「萌黄(もえぎ)」と呼ばれる御衣黄の色合いはいつ見ても爽やかで心が洗われる思いがする。開花が待ち遠しい。昨年、咲き始めの頃の「御衣黄桜」御衣黄の名前の由来は、平安時代の貴族の着物の色「萌黄(もえぎ)」に似ているからだという。「萌黄」を辞書で調べると「襲 (かさね) の色目の名」とある。十二単(じゅうにひとえ)の構成は、「唐衣(からぎぬ)・表着(うはぎ)・打衣(うちぎぬ)・五衣(いつつぎぬ)・単衣(ひとえ)・長袴(ながばかま)・裳(も)からなる」といい、そのうち「表着」に「萌黄」色を使うという。紫色の唐衣の下に萌黄色の表着が見える。(2023年5月の代継...御衣黄桜はまだか!

  • 水汲む女

    今日は中央区土木センターへ家の前の道路補修の申請に行った。場所が蓮台寺なので、久しぶりに蓮台寺に立ち寄って檜垣の塔に参拝した。この蓮台寺は、平安時代の閨秀歌人・檜垣が白川のほとりに草庵を結んだのが寺歴の始まりといい、別名「檜垣寺」とも呼ばれる。実はつい最近、大正・昭和時代の詩人・小説家である室生犀星の著書「狩衣」の中に、「大和物語百二十六」を脚色した「檜垣の御」という章を見つけたこともあって蓮台寺に立ち寄ってみたかった。檜垣の墓ともいわれる「檜垣の塔」檜垣が閼伽の水を汲んで岩戸観音に日参し供えたという「檜垣の井戸」跡◇大和物語百二十六「水汲む女」◇現代語訳筑紫の国にいたという檜垣の御(ご)という女性は、とても気の利く人で、風流に年月を重ねていた人だった。藤原純友の乱の巻き添えを食って、家も焼け、財産もすべ...水汲む女

  • あの日のこと ~平成24年3月31日~

    毎年、3月31日を迎えると必ず思い出すことがある。それは「平成24年3月31日」のことである。この日はおそらく熊本城の歴史の中でも最も華やかで賑やかだった日かもしれない。それは1年前、九州新幹線全線開業を祝う予定だったイベントが、東日本大震災のためすべて中止となり、1年間思い沈んできた市民の喜びが爆発した日でもあったのだろう。当日のブログ記事でその様子を回想したい。◇今日は一日熊本さわぎ!~城下町くまもと時代絵巻~(2012.3.31)熊本は昨夜の激しい雨も嘘のようにカラリと晴れ上がり、今日は1年待たされた「城下町くまもと時代絵巻」が行なわれた。俳優の藤岡弘さん扮する加藤清正公に率いられた甲冑武者隊が熊本駅で出陣の儀を行う頃、メインステージの熊本城二の丸広場では様々な熊本の伝統芸能を華やかに披露する「城下...あの日のこと~平成24年3月31日~

  • 祇王寺祇女桜

    昨年春、復旧工事閉鎖中で見ることができなかった監物台樹木園の「祇王寺祇女桜」の開花を今日見ることができた。実は、昨年10月、異常な暑さが続いたので季節を勘違いしたのか、3輪の花を開いているところを偶然目撃していた。そして今回は春本番、満開の花を咲かせてくれた。日本花の会の「桜図鑑」によれば、「桜守として名高い佐野藤右衛門が京都市右京区・嵯峨の中院に自生していたものを発見し、祇王寺の庭に移植したもので祇王の妹・祇女に因み佐野が名付けた。」とある。平清盛の寵愛を受けた姉の祇王がその後、暇を出され、母娘三人草庵で悲哀をかこつたという伝説がもとになっている。白拍子だったという祇王・祇女の姉妹がその名の由来である。白拍子の起源について「平家物語」には次のように書かれている。――そもそもわが朝に白拍子の始まりける事は...祇王寺祇女桜

  • 夜桜見物 ~本妙寺・桜灯籠~

    今日は本妙寺の「桜灯籠(はなとうろう)」の日。ここ数日とは打って変わって寒が戻ってきた。夜桜見物も防寒に万全を期す。寒さのせいか観客も例年より少な目のようだ。イベントの関係者によれば、桜馬場の桜並木も樹齢の老齢化が進んでおり、落枝防止のための枝落としや場合によっては伐採も行っているとのこと。かつての桜のトンネルのような風景が懐かしい。これは全国的な問題だとテレビ番組でも言っていた。熊本城なども老齢化した桜の伐採が進んでおり、すっかり寂しくなった。かつてのように桜花爛漫という風景が戻るのはいつの日。本妙寺仁王門下桜馬場〽夜桜花童あかね・花童ゆりあ夜桜見物~本妙寺・桜灯籠~

  • ラフカディオ・ハーンと民俗芸能

    先々週、熊本城ホールで行われたNHK朝ドラ「ばけばけ」関連イベント「小泉八雲を変えたKUMAMOTO」を見に行ったが、昨夜その時の録画映像がNHK総合で放送された。さすがによくまとまっていてよい復習となった。ラフカディオ・ハーンは、民俗学的研究の中で、民族芸能も数多く収集しているが、今日はそれらの中で代表的な三つの芸能を掲載してみた。♪ライザ・ジェーン1876年、ハーンはアメリカのシンシナティでジャーナリストとして新聞記事を書いていたが、ミシシッピー川やその支流の港湾労働者が歌っていた「ライザ・ジェーン(LizaJane)」を採集した。この歌は南北戦争前から南部の黒人奴隷たちが歌っていた一節のフォークソングだった。他にも多くのフォークソングを収集している。ハリー・ベラフォンテとグロリア・リンのデュエット♪...ラフカディオ・ハーンと民俗芸能

  • 本妙寺つれづれ

    昨日は花園公民館図書室へ行ったついでに本妙寺の桜開花状況を見に行った。明後日(29日)夕刻より桜の季節の恒例イベント「桜灯籠(はなとうろう)」が開催されるが、午後1時からはステージイベント「本妙寺さくら祭り」(夏目漱石来熊130周年プレイベント)も行われる予定。もうすっかり準備万端という感じの桜馬場を歩いていると、犬の散歩中、リードを離してしまい、逃げ出した犬を追いかけて若い女性が必死に走って行った。塔頭の一つ、妙心院の入口にあった「役者寺」の標柱が無くなっているのが気になった。明後日(29日)の桜馬場はこんな風景が見られるだろう。塔頭東光院のしだれ桜は満開までもうひと息といった感じ。本妙寺大本堂前のしだれ桜はもう満開。本妙寺つれづれ

  • 吉原俄(よしわらにわか)

    大河ドラマ「べらぼう」第12回では「俄なる『明月余情』」と題して、吉原の三景物といわれた「夜桜」「灯籠」「俄」のうちの「吉原俄」が繰り広げられた。蔦重が出版したガイドブック「明月余情」に勝川春章が描いた「すずめ踊り」などが再現されていた。歌川広重「新吉原仁和歌之図」※右側に「俄獅子」が見える。すずめ踊り俄のゲスト出演として浄瑠璃語りの富本節・富本豊前太夫が登場する。豊前太夫に扮しているのは寛一郎という役者さん。父・祖父とも名優のサラブレッドではあるが、ここは劇中でも女性に人気の艶っぽい声と紹介されるので、浄瑠璃語りのホンモノを起用してほしかった。例えば歌舞伎の尾上右近さんなどは清元節の清元栄寿太夫との二刀流だからピッタリだったような。富本と清元は当時は一緒だったはず。蔦重の時代から少し後、4代目杵屋六三郎...吉原俄(よしわらにわか)

  • 能の「クセ」って いったい?

    2週間ほど前、YouTubeのマイチャンネルに興味深いコメントをいただいた。J様という方からだったが、7年前にYouTubeにアップした「能羽衣(クセ)」についてのコメントだった。J様>>>私クセというのがどのようなことを指すのか、素人には具体的に知りたいと思いました。囃しに混じって天女が歌うのが物語のセリフのように感じたのですが、舞の中に芝居の要素が入っているということなのでしょうか。私>>>J様私も専門家ではありませんが、通の方に教えていただいた範囲でお答えしますと、そもそも「クセ」というのは「曲舞(クセマイ)」から来ています。「曲舞」というのは、中世に始まった節と伴奏をともなう歌舞のことです。能を大成させた観阿弥はこの「曲舞」を見どころ、聴きどころとして能の中に取り入れました。「羽衣」で言いますと、...能の「クセ」っていったい?

  • サクラ開花の熱い一日

    今日、熊本地方気象台から熊本市のサクラ開花発表がありました。高知市と並んで今年全国で最も早いサクラ開花だそうです。去年より3日早いということです。今日は日中の気温がどんどん上がり、25℃くらいまであがりました。街中のソメイヨシノが5,6輪以上開いているのが確認できましたので、おそらく開花発表があるだろうと思っていましたが、そのとおりになりました。あと1週間から10日ほどで満開になる見込みだそうです。そんな暑いくらいの気候の中、熊本城二の丸広場では「九州がっ祭2025・第19回火の国YOSAKOIまつり」が行われていました。全国から109団体、約3,000人が参加し、熱い演技を繰り広げていました。二の丸広場に全国からYOSAKOI系の団体が勢ぞろい本番前の練習を繰り返す団体大会本会場へ向かう参加者たち二の丸...サクラ開花の熱い一日

  • 桜花散るを惜しまぬ人しなければ

    昨年より2週間以上遅れて咲いた坪井川遊水地の河津桜は今週いっぱいで見ごろは終り、今年の役割を終える。替わってやがてソメイヨシノの開花が始まるだろう。だが、葉桜になりつつある河津桜を眺めていると愛おしさで離れがたい想いが募る。なぜか平安時代の歌人・大伴黒主が詠んだ歌春雨の降るは涙か桜花散るを惜しまぬ人しなければが思い出される。漱石の「吾輩は猫である」の中で、「平の宗盛にて候」と謡曲「熊野」の一節を後架先生が度々呻るように、漱石自身が好んだという「熊野」は、前述の大伴黒主の歌がモチーフとなっている。この「熊野」をもとに創られた長唄「桜月夜」は、平宗盛のもとを去る熊野が別れの舞を舞う場面である。桜花散るを惜しまぬ人しなければ

  • 木瓜咲くや

    散歩していると、もう随分前に空き家となった民家の庭に「木瓜(ぼけ)」が真っ赤な花を咲かせていた。主はいないのに律儀なことだ。漱石の「草枕」の十二に次のような一節がある。――木瓜(ぼけ)は面白い花である。枝は頑固で、かつて曲った事がない。そんなら真直かと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜に構えつつ全体が出来上っている。そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。柔かい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守ると云う人がある。この人が来世に生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。――木瓜咲くや漱石拙を守るべく要するに、木瓜のように頑固で実直で拙い人生を歩みたいということなのだろう。漱石は...木瓜咲くや

  • 能「船弁慶」を観ながら

    今夜は「春のくまもとお城まつり」のプログラムの一つ「熊本城薪能」を観に行った。今回のメインは金春流による能「船弁慶」。この演目をナマの舞台で観るのは6年前に久留米座能で喜多流の「船弁慶」を観て以来。Eテレの「古典芸能への招待」でも観たことがあるし、映画やドラマでもよく「船弁慶」の義経と静御前の別れの場面が登場する。今回「おや?」と思ったのは子方のはずの義経を成人(?)の役者さんが演じておられたこと。そもそも、静御前は義経の妾なので義経を子方が演じることには若干違和感があった。久留米座能の時の喜多流の大島輝久さんの解説では、前シテは静御前なので、義経が大人だとシテの存在感が薄れるからだという。今まで観た「船弁慶」では義経はいつも小学生くらいの少年が演じていたので、観ながらはたしてどっちがいいのだろうと考え込...能「船弁慶」を観ながら

  • 石は釣って持つ 釣って持つ石は・・・

    昨夜放送された「解体キングダム」(NHK総合)では、現在解体工事が進む熊本城宇土櫓を取り上げた。中でも櫓を支える石垣の解体では、最も大きな隅石(すみいし)の撤去に当って、他の石を傷つけないようクレーンから下ろしたワイヤーを一本だけ掛ける「一本吊り」という技術が見られた。石の重心を読みとるまさに匠の技だ。現代ではクレーンなどの重機を使うことができるが、重機などなかった加藤清正が熊本城を築城した400年前、大きな石はどうやって運搬し、どうやって石積みをしたのだろうか。下の「城びと」サイトの絵図でおおよそのことはわかるが、基本的に人力で石を引っ張り、人力で吊り上げていたのである。先人たちの苦労は並大抵ではなかったに違いない。あらためて敬意を表したい。ちなみに「伊勢音頭」の「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ」というお...石は釣って持つ釣って持つ石は・・・

  • いしだあゆみさんを悼む

    歌手・俳優のいしだあゆみさんの訃報がネットで報じられていた。僕にとって最も忘れられない歌手であり俳優だった。僕が転職活動をしていた1969年に大ヒットしたのが彼女が歌う「ブルー・ライト・ヨコハマ」だった。そして1970年に転職後、最初の勤務地が横浜。「ブルー・ライト・ヨコハマ」はこの年も変わらぬ人気を博していた。そんなわけで僕にとって、人生のターニングポイントに重なる思い出の歌となった。俳優として多くの映画やTVドラマにも出演されたが、なかでも珠玉の一本だと思っているのが「男はつらいよ」シリーズの第29作「寅次郎あじさいの恋」である。マドンナ“かがり”の役を当時34歳のいしだあゆみさんが演じた。マドンナ役は、浅丘ルリ子のリリーを始め、松坂慶子や太地喜和子など、カラッとしたキャラクターが多い中、この"かがり...いしだあゆみさんを悼む

  • 城彩苑 開業14年!

    熊本城観光の総合案内および交流施設として「桜の馬場城彩苑」が2011年3月5日に開業して今年で14年になります。今日、開業14年を記念し、「城彩苑14周年誕生記念祭」が行われ、一時雨に見舞われましたが、場内は多くのお客様で賑わいました。九州新幹線全線開業に合わせた開業でしたが、直後に東日本大震災が発生し、前途多難を思わせるスタートでしたが、年々その存在価値を高め、今や熊本城観光になくてはならない施設となりました。開業当初と比べ明らかに状況が異なるのは外国からのお客様が激増したことです。これから城彩苑の存在価値は益々高まって行くものと思われます。場内の「親水空間ステージ」では様々な芸能が披露されましたが、その中から牛深高校郷土芸能部による「牛深ハイヤ節」をご覧ください。城彩苑開業14年!

  • 小泉八雲を変えたKUMAMOTO

    今日は熊本城ホール(シビックホール)で行われた熊本城ホール開館5周年事業として行われた連続テレビ小説「ばけばけ」関連イベント「小泉八雲を変えたKUMAMOTO」を見に行った。松江出身で八雲に造詣の深い俳優・佐野史郎さんと熊本出身の俳優・宮崎美子さんによる「むじな」や「幽霊滝の伝説」の朗読。さらに二人による小泉セツ「思い出の記」の朗読劇が行われた。なお、朗読の演奏は門田和峻さん(作曲・ピアノ)と広田勇樹さん(チェロ)。また、小泉八雲のひ孫である小泉凡さん(小泉八雲記念館館長、民俗学者)、熊本大学名誉教授で八雲の研究者として知られる西川盛雄さんらも登壇、八雲と熊本の関係について語った。なかでも興味深かったのは、西川盛雄さんのお話しで、西南戦争後の復興で急速に近代化が進む熊本を八雲が嫌ったというのは風評の類に過...小泉八雲を変えたKUMAMOTO

  • 春 麗かに

    今日の午後は気温22℃に達する陽気で、昨年より開花がだいぶ遅れていた坪井川遊水地の河津桜も見ごろになってきた。来週にはソメイヨシノの開花もチラホラ聞こえてくるだろう。熊本城周辺のソメイヨシノはもちろんのこと、昨年閉鎖中で見られなかった監物台樹木園の「祇王寺祇女桜」や三の丸漆畑の御衣黄桜など楽しみが多い。二の丸広場では「春のくまもとお城まつり」も始まり、華やいだ雰囲気につつまれている。街中では卒業式帰りと思しき一団もよく見かけるが、彼らのこれからの人生に幸多かれと祈りたい。坪井川遊水地の河津桜(遥か彼方に金峰山)マルディグラで踊る間に(WhileWeDancedAtTheMardiGras)P-timeSelection春麗かに

  • 新ブラタモリは伊勢路から!

    4月から放送開始となる「新ブラタモリ」の内容がリリースされた。4月は伊勢神宮を目指す「伊勢路」にスポットが当てられるようだ。9年前に放送された「ブラタモリお伊勢参り編」は「人はなぜ伊勢を目指す?」と題して、「伊勢神宮」や「門前町」についてその魅力が紹介されたが、今回はお伊勢さんを目指す街道筋の宿場町を紹介する内容になるようだ。前回とはまた違った視点で新たな魅力を発見できるだろう。パートナーの佐藤茉那アナウンサー(熊本放送局時代)「伊勢の土産は荷物にならない伊勢音頭」新ブラタモリは伊勢路から!

  • ラフカディオ・ハーンの功績は・・・

    今秋から放送されるNHK朝ドラ「ばけばけ」のPR情報を読んでいると、枕詞のように「怪談」の文字が付く。たしかにラフカディオ・ハーンは多くの民話の再話文学が最も知られているのだが、広く日本文化を欧米へ紹介した功績を忘れてはいけないと思う。今日はその中から民俗芸能のエピソードを二つ取り上げてみた。ラフカディオ・ハーンが松江で最も信頼を寄せた西田千太郎とともに松江市南郊の「山の者」の部落(被差別部落)を訪ねた時、「大黒舞」を見て、その詞章「俊德丸」「小栗判官」「八百長お七」を採集する。その民俗芸能としての価値とともに部落問題を認識した。ハーンの民俗学者としての成果の中でも重要な意味を持つのがこの「大黒舞」である。「大黒舞」は室町時代から江戸時代にかけて旅芸人たちが大黒天の祝舞として各地を門付けして巡り、その名残...ラフカディオ・ハーンの功績は・・・

  • 東日本大震災14年

    東日本大震災の発生から今日で14年。この14年の間の様々な思い出の中でも特に忘れられないものがある。大震災から5年経った2016年3月11日、多くの犠牲者と甚大な被害を被った宮城県名取市閖上地区で追悼イベントが行われた。そのイベントで、熊本県の鹿本農業高校郷土芸能伝承部の生徒たちが、鎮魂と復興の願いを込めた山鹿灯籠踊りを奉納した。現地メディアでは報道されたようだが遠く離れた熊本へは情報は届かない。すると、前日にこのイベントに鹿本農業高校郷土芸能伝承部が参加することを紹介した僕のブログをたまたま読んでいただいた名取市在住のミント様という方が、当日のイベントに参加され、その様子がよくわかる次のようなコメントをいただいた。ミント様の温かいお気持が胸に沁みた。はじめまして。名取市に住む者です。踊り会場の向かいの護...東日本大震災14年

  • お地蔵さん巡り

    今年二度目の風邪も治まって来たので今日は京町台を歩いた。今日の趣向は「お地蔵さん巡り」。最初はわが家に最も近い中坂の登り口にあるこのお地蔵さん。かつてはこの地に民謡「ポンポコニャ」にも唄われた金剛寺(現在は新屋敷1丁目)があった。この石仏、いつ誰がここに安置したのか誰も知らない。金剛寺といえば中将姫を祀った寺として知られる。僕はこのお地蔵さんは、かつてこの地に祀られていた中将姫の身代わりではないかと思って手を合わせている。次は中坂中腹の浄土宗専念寺の山門脇に鎮座するお地蔵さん。専念寺は、江戸前期の細川綱利公時代の「京町之絵図」に見えるので相当古いお寺であることは間違いない。お地蔵さんの台座に「天保」の文字が見えており江戸後期に彫られたものか。ただ、京町の古手の住民で、昔は中坂頂上辺りにお地蔵さんがあったと...お地蔵さん巡り

  • 熊本城本丸御殿の復旧計画

    今朝の熊日新聞に熊本城本丸御殿の復旧計画についての記事が掲載された。熊本市の発表によると熊本地震で被災した熊本城本丸御殿について建物の一部を解体して復旧すること。御殿を支える石垣が部分的に沈下しており、積み直すために建物の一部を解体すること。2027年度に着工し、32年度の復旧完了を目指すこと。という。熊本地震直後にも「昭君之間」の床が傾いたり、御殿を支える西側の石垣が沈み込んだというニュースが流れていたが、その後、具体的な復旧計画の情報がなかったので気になっていた。復旧完了まであと7年ほどあるが、それまでは何とか待てそうだ。熊本地震前の本丸御殿(熊本市役所14階展望ロビーより)加藤清正が豊臣秀頼を熊本城に迎え入れるために用意したという熊本城本丸御殿「昭君之間」平成25年(2013)10月、「全国豊かな海...熊本城本丸御殿の復旧計画

  • 100年後に見た人は・・・

    Facebookの「思い出」をチェックしてみたら、2013年3月7日の日付で下の動画がリストされていた。この動画は別の日付で2回ほど使っているが、なぜこれが2013年3月7日の日付になっているのか不明。それはさておき、アメリカの旅行家、写真家であるバートン・ホームズが1920年代に日本を訪れ、撮影した若い芸妓たちの演奏と舞踊の映像である。つまり、おおよそ100年前の日本の民間芸能の記録ということができる。あらためてこの映像を見ながら、今まで、僕自身が撮ってきた映像は100年後(2125年頃)もYouTubeが残っているとすれば、どんな人たちがどんな見方をするのだろうと思うとちょっと怖くなった。▼YouTubeにアップした映像の中から100年後に見た人は・・・

  • 熊本放送局の歴史

    今年は放送が開始されて100年ということで、NHKアーカイブスでは「NHK放送100年史」と題したサイトを設け、放送の歴史を振り返っています。1925年(大正14年)3月22日、「ああ、あー、聴こえますか。ああ、あー、聴こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。……」という第一声が東京・芝浦より発せられ、放送の歴史が始まりました。その3年後の1928年(昭和3年)6月16日、九州で最初の放送局、熊本放送局(JOGK)が放送を開始しました。下に歴代の放送局の写真を掲載しましたが、僕の思い出は幼稚園の頃、現在、熊本市役所の駐車場ビルの辺りに初代の熊本放送局がありましたが、千葉城町の熊大附属幼稚園から先生や数名の園児たちと一緒に歩いて来て、スタジオで童謡を歌いました。当時はナマ放送でしたので...熊本放送局の歴史

  • 五高記念館で来し方を思う

    先月27日、熊本大学黒髪キャンパスの五高記念館を訪れた。漱石関連の展示を見るためだったが、残念ながら五高記念館は臨時休館。ここを訪れたのは久しぶりだったので、しばらく煉瓦造り二階建ての校舎を眺めて過ごした。ここに来ると決まってある想いが湧いてくる。それは自分自身の来し方のこと。自分の進路を考え始めたのは中学に入って、同級生が進路の話をするのを聞くようになってからである。僕は両親が教職だったので、何となく将来は教職の道へ進むのだろうなぁと漠然と考えていた。おそらく両親もそれを望んでいただろう。その流れで行くと、多分、熊本高校に進学して熊本大学の教育学部を目指したのだろう。一方で、僕は中学入学と同時に水泳部に入っていたので高校でも続けたいという気持もあった。中学3年の時、ローマ五輪の水球に参加した中学の先輩、...五高記念館で来し方を思う

  • ひな祭り

    今日は「桃の節句=ひな祭り」の日です。もともと旧暦の3月3日の節句で、今年の暦では3月31日にあたるそうです。その頃は桃の花が咲く頃なので「桃の節句」となったわけです。今はまだ桃の花は咲いていませんが、3月31日には綺麗に咲いていると思われます。そこで、「ひな祭り」を詠んだ句を三句選んでみました。雛祭る節供になりて春の雪(正岡子規)まさに、今年は東日本がこんな状況になっています。風雅を感じますが、降雪地方の方はそんな悠長なことは言っていられないでしょう。或夜夢に雛娶りけり白い酒(夏目漱石)春の夜にうたた寝をして「雛」を娶る夢を見たのは飲んだ甘酒のせい?何やら怪しく幻想的な句。漱石熊本時代の一句。白酒の紐の如くにつがれけり(高浜虚子)つがれている白酒がまるで瓶から垂れている紐のようにみえるという虚子さん少し...ひな祭り

  • 民謡の遷移(1)

    まだ今日のような通信手段がなかった時代、ある地方の民謡が海路、陸路を往来する人々によって遠く離れた地方に伝わる。そんな例は枚挙にいとまがないほどだが、いくつかの代表的な例をあげてみたい。今日はその第1回として「ハイヤ節」を取り上げてみた。天草の「牛深ハイヤ節」は全国ハイヤ系民謡の源流だといわれる。牛深は天然の良港として江戸時代から明治初期にかけて海道の要衝であり、行き交う廻船の船乗りたちが聞き覚えた唄や踊りを日本各地に伝えたといわれる。廻船の寄港地は全国何十箇所とあり、それぞれの港にも民謡はあったはずなのになぜか、「牛深ハイヤ節」が船乗りたちによって各地の港に伝えられたのは、各港での酒席において船乗りたちを高揚させるノリ(グルーブ感)が際立っていたのではないかと思われる。牛深を立ち、大坂を経由した廻船は北...民謡の遷移(1)

  • 梅は咲いたが…

    今日は2,3日前の寒さがウソのような暖かさ。朝から藤崎八旛宮に朔日詣りを済ませ、午後は、ほとんど外出できなくなった103歳の母を車に乗せ、見ごろを迎えた護国神社の梅園へ出かけた。妻と姉が同行してくれた。やわらかい日差しの下、母も久しぶりに外の空気を満喫してくれたようだ。今年の梅は紅白混じった花が特徴的。たしか昨年までは真っ白な花を咲かせていた梅の木にほのかにピンク色をにじませたような花を開いている。そんな木が何本も目についた。開花が一ヶ月も遅れたことや気候変動などの影響があるのだろうか。そうなると心配なのが次の「桜」のこと。今月下旬には桜の開花が始まるだろうが、今までと同じような美しい花を見ることができるだろうか。紅白混じった梅の花紅梅は今までどおり〽梅梅は咲いたが…

  • 石仏は朝ドラ「ばけばけ」に登場するか⁉

    昨日は歩いて熊本大学黒髪キャンパスの五高記念館を目指した。漱石関連の展示が行われているとネットで見ていたからである。ところが着いてみると、五高記念館は臨時休館。しかたがないので立田山山麓の父の生家跡(わが家の本籍地)へ向かった。父の生家があった辺りは、立田山南麓の「森林総合研究所九州支所」への通路や民家やアパートが建ち並び、僕が幼い頃に見た面影はどこにもない。その幼い頃に見た父の生家のイメージが2番目の写真である。もっともこれは京都市右京区嵯峨の祇王寺の苔庭から仏殿を撮った写真なのだが、当時の父の生家はまさにこんな感じだった。現在の立田山山麓・泰勝寺の南側祇王寺の苔庭から仏殿を望む今秋から放送されるNHK朝ドラ「ばけばけ」はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻をヒロインとする物語だが、ハーンが五高教師時代...石仏は朝ドラ「ばけばけ」に登場するか⁉

  • 花魁道中のはなし。

    大河ドラマ「べらぼう」の中でも目玉シーンのひとつが花魁道中。まずはその撮影シーンをご覧ください。※下の画像をクリックするとInstagramの動画に飛びます。NHK大河ドラマの舞台が吉原遊郭であることについては賛否さまざまなご意見があるようです。熊本でも春秋のお祭りには「花魁道中」が行われていますが、遊女を主役とするイベントには苦情も多かったようで、運営スタッフの方の悩みをお聞きしたこともあります。最近は各地のお祭りで行われているようですが、華やかなムードを盛り上げるのには格好のイベントになっているようです。熊本では、昭和10年(1935)の「新興熊本大博覧会」の際に、二本木遊郭で実際に花魁道中が行われた記録が残っていますが、まもなく戦時体制に入ろうかという時期なので、これが熊本最後のホンモノの花魁道中だ...花魁道中のはなし。

  • 今日の「マイ ミックスリスト」から

    YouTubeの「マイミックスリスト」はしばらくチェックしていなかったが、今日はたまたま目にとまったので一覧してみた。相変わらず26曲がリストされていたが、やはり中には「ナゼこれが?」という曲も含まれていた。リストされた曲の中から、今日聴きたいと思った次の2曲を選んで聴いてみた。1曲目は、NHK総合で放送されている紀行番組「小さな旅」のオープニング&エンディングテーマ曲「光と風の四季」を中島愛実さんのフリューゲルホルンで。2曲目は、田村麻紀子さんのクラリネット&ヴォーカルと後藤沙紀さんのピアノのユニット「紀々音」で「懐かしのニューオリンズ(DoYouKnowWhatItMeanstoMissNewOrleans?)」♪小さな旅~光と風の四季~♪懐かしのニューオリンズ(DoYouKnowWhatItMean...今日の「マイミックスリスト」から

  • 鐘ヶ淵のはなし。

    今日の午後、近場の梅の咲き具合でも見に行こうと歩いて出たのだが、あまりの風の冷たさに心が折れ、車で回ることにした。最近あまり行っていない横手の寺巡りでもするかと妙永寺に車を停めた。その時、ふと「鐘ヶ淵(かねがふち)」のことを思い出した。先日、古地図でその名を見つけた。たしか、妙永寺の裏あたりだったなと歩いていくと旧河道の畔に案内板がすぐに見つかった。その昔、ここら辺は井芹川が流れていて大きな淵があり、船着場にもなっていたらしいが、雨乞いの儀式のひとつで鐘を淵に沈める慣わしがあったことから「鐘ヶ淵」と呼ばれるようになったらしい。(詳しくは下の案内板を参照)余談だが「鐘ヶ淵」と聞くとテレビ時代劇「剣客商売」を思い出す。主人公・秋山小兵衛の住まいが江戸の「鐘ヶ淵」という設定になっている。「鐘ヶ淵」は隅田川と荒川...鐘ヶ淵のはなし。

  • 日曜日の徒ばなし

    今日は久しぶりに散歩がてら熊本市現代美術館まで行った。途中、夏目漱石内坪井旧居に立ち寄って、新年度のイベント計画をたずねたが、館長のお話しでは、予算取得の問題もあり未定であるとのこと。上通を歩いていくと「元祖熊本ラーメンこむらさき」の前を通る。この店にも随分来ていないなぁと思いながら、ふと店名の由来にもなったという江戸吉原随一と謳われ、「小紫・権八」の悲恋話でも知られる花魁小紫のことが頭に浮かんだ。「そういえば大河ドラマ『べらぼう』には・・・」と思いかけたが、小紫はたしか、蔦重よりずっと前の時代だったことを思い出した。現代美術館に着くと、美術図鑑でも眺めてゆっくりしようと思っていたホームギャラリーはイベント会場になっていた。客席は既に満席となっていたが、立ち見はできそうだったので、イベントを見ていくことに...日曜日の徒ばなし

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、FUSAさんをフォローしませんか?

ハンドル名
FUSAさん
ブログタイトル
徒然なか話
フォロー
徒然なか話

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用