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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 玉名女子高校吹奏楽部コンサート

    今日は午後から熊本県立劇場へ「玉名女子高校吹奏楽部コンサート」を見に行った。彼らの演奏をホールで聞くのは随分久しぶりのような気がする。思えば彼らの先輩の演奏を初めて見た時からちょうど50年経ち、今や全国的にトップレベルの吹奏楽部となった。演奏を聞きながら、その圧倒的な音楽性にひたっていた。今年も座奏、マーチングともに金賞を目指す季節がやって来た。今日のコンサートで演奏した「勇気の旗を掲げて」が全日本吹奏楽コンクールの課題曲、「カタリナの神秘の結婚」が自由曲になる予定らしい。結果はともあれ玉女らしい演奏をやってほしい。【第1部】♪コンサートの幕開けを演出で飾るPrologueCircus♪行進曲「勇気の旗を掲げて」♪カタリナの神秘の結婚2023年版♪UTA-HIME~美空ひばりメドレー~2021年版【第2部...玉名女子高校吹奏楽部コンサート

  • 瀬戸坂とその周辺のはなし。

    先日放送されたRKK熊本放送「水曜だけど土曜の番組」で「第1回KINGOFドウロ」というちょっとワケのわからない企画をやっていた。熊本県内の個性的な道路をピックアップして№1を決めようというものだが、6つ選ばれたうちの一つになぜか「瀬戸坂」が選ばれていた。坂の街である京町の中でもわが家から最も近く幼い頃から慣れ親しんだ坂である。僕も高校時代はこの坂を通学路としていたが、自転車通学の友人には難所だったという。番組ではこの約300㍍、傾斜角度9.6度の坂をノーギア自転車で一気に登り切れるか番組MCのローカルタレントまさやんがチャレンジし、なんとか成功した。瀬戸坂その話はさておき、「瀬戸坂」、古い文書では「迫門坂」とも書かれているが、その名の由来は、坂を下りきったところに坪井川が流れており、川幅が狭まっていた、...瀬戸坂とその周辺のはなし。

  • 秋の色種(あきのいろくさ)に言寄せて

    史上最強といわれ、各地で猛威をふるっている台風10号ですが、直撃を覚悟していたわが町では一時激しい雨は降ったものの暴風らしいものもなく、やや拍子抜けの感がありました。まずは被災された皆様へお見舞い申し上げるとともに、これからの台風進路にお住いの皆様のご安全を心よりお祈りいたします。まだ台風もいくつか来襲するとは思いますが、8月も終わりに近づき、いよいよ秋色濃い時季になっていくものと思われます。猛暑続きだった今年の夏。「夏バテ」の症状が出てくる頃かもしれません。皆さまどうかご自愛くださいますようお祈り申し上げます。秋の色種(あきのいろくさ)に言寄せて

  • ここ見て! ~新町シャッターアート~

    熊本中央郵便局(熊本市中央区新町2丁目)の前を通られる方はご覧になったことがあるかもしれない。道路を挟んで向かい側の博栄堂印房さんのシャッターには舞台の上の女性らしき絵と「清正舞わせり出雲阿国」という文字が書かれている。しかし、シャッターが降りているのは営業終了後か休業日なので意外と見たことがないという方が多いようだ。これは新町のシャッターアート・プロジェクトの一つとして描かれたもので、江戸時代前期に書かれた加藤清正の伝記である「続撰清正記」の中に記された「塩屋町三丁目の武者溜りで八幡の国という女歌舞伎が興行をした」という故事に基づいたものである。この「八幡の国」なる女歌舞伎は後世の人々に「出雲阿国」と呼ばれたその人なのである。そして「続撰清正記」に書かれた「塩屋町三丁目の武者溜り」があった場所がまさにこ...ここ見て!~新町シャッターアート~

  • 舞踊「与一の段」余談

    昨夜のEテレ「古典芸能への招待」は「古典芸能を未来へ」と題して、講談をメインに華やかな日本舞踊が繰り広げられた。中でも平家物語「扇の的」をモチーフとした舞踊「与一の段」はいろんな意味で興味深く、楽しんだ20分だった。出演は尾上菊之丞、市川染五郎、藤間紫、長須与佳(琵琶)ほかの皆さん。まず僕の興味の1点目は、かつて那須に在勤していた頃、度々訪れた那須温泉神社(なすゆぜんじんじゃ)は、那須与一ゆかりの神社であり、与一と源義経が初めて出会った場所でもあること。屋島の戦いにおいて勇名を馳せた弓の名手与一は、那須岳で弓の稽古をしていた時、那須温泉神社に必勝祈願に来た源義経に出会い、父の資隆が兄の十郎為隆と与一を源氏方に従軍させる約束を交わしたという伝説が残されている。また与一が扇の的を射る際唱えた「南無八幡大菩薩、...舞踊「与一の段」余談

  • 「おわら風の盆」に見る祭と民謡の関係

    今夕、NHK-BSで「決定版!おわら風の盆スペシャルライブ」が2時間にわたって放送された。今年の「風の盆」は9月1日からなので、昨年の中継映像を編集したものらしい。僕がこの「おわら風の盆」という祭の存在を初めて知ったのは48年前、1976年9月27日に放送されたNHK「新日本紀行」の「おわら風の盆」。哀調を帯びた音曲と目深な編笠スタイルの妖艶で優雅な踊りはミステリアスでさえあった。その不思議な魅力に強く惹きつけられた。この放送後、全国的に有名になっていったようである。この「おわら風の盆」の重要な要素が「越中おわら節」。これが実は「牛深ハイヤ節」をルーツとする、全国に40以上存在するといわれるハイヤ系民謡の一つなのである。海運が盛んだった江戸時代、北前船などの廻船によって、牛深の港から全国各地の港へと伝わっ...「おわら風の盆」に見る祭と民謡の関係

  • 農兵節(ノーエ節)

    先月24日に他界された民謡歌手の水野詩都子さんは、日々の出来事や思いなどを「詩暦(うたごよみ)」というタイトルのブログで語っておられました。そのブログの最後の記事が静岡県の民謡「農兵節」についてでした。YouTubeの東海風流チャンネルvol.68にアップされている「農兵節」を聞きながら、民謡歌手としての心構えを述べておられるブログを読み直しました。水野さんの表現者としての姿勢や人となりがしみじみと伝わってきます。あらためて、民謡を通じて私たちに音楽の愉しみを届けていただいたことに心から感謝を申し上げます。農兵節(ノーエ節)

  • 琴平神社と善光寺

    今日、所用で琴平通りを通ったので、琴平神社に初めて参拝した。この通りは若い頃勤めていた会社が白山町にあって琴平神社の前をよく通ったのだが参拝したことは一度もない。赤鳥居の扁額には「別所琴平神社」とある。「別所」というからには「本所」があったはずで、これが何かというと「善光寺」なのである。鎌倉時代には信州長野の善光寺が勧請され「瑞応山善光寺」としてここに創建されたという。明治政府による「廃仏毀釈」で「善光寺」は廃寺となり、琴平神社だけが残った。参拝した後、境内を見て回っていると参集殿の前で何やら作業をしているカジュアルな装いの男性が目に入った。神社の関係者かと思って聞いてみた。実はこの方は熊本大神宮の権禰宜さんで時々手伝いに来られていることが後でわかるのだが。「何か善光寺の痕跡は残っていますか?」「石仁王像...琴平神社と善光寺

  • ジーナ・ローランズさんを悼む

    ブログ「ミューズの声聞こゆ」さんの昨日の記事で、アメリカの女優ジーナ・ローランズさんの訃報を知った。もう94歳になっておられたそうだ。訃報を知ってまず思い出したのは、カーク・ダグラスさんと共演した「脱獄(LonelyAretheBrave)」(1962)という映画だった。ダグラスさんが演じる脱獄した男は時代遅れの孤高のカウボーイ。その元恋人の役がジーナ・ローランズさん。今は男の親友の妻となっている彼女はかつて愛した男との再会にも嬉しさを抑えている。昔を懐かしむかのように遠くに視線をやる彼女の表情が胸を打つ。この映画を最初に観たのが高校生の頃だからもう60年も前だが、この映画を観たという人に出会ったことがない。ところが20数年前、この作品がアメリカでは高い評価を受けているということを知って驚いた。60年代に...ジーナ・ローランズさんを悼む

  • 玄宅寺舞踊会の復活を!

    毎月一度の愉しみだった舞踊団花童の玄宅寺舞踊会は、新型コロナが熊本でも感染拡大し始めた2020年春に中止されてもう4年が過ぎた。この舞踊会は花童の子たちにとっておさらいでもあり観客の前で腕だめしの場でもあった。われわれ花童ファンにとっては舞台ではあまり見ることができない演目を間近で見られる貴重な機会だった。先日、玄宅寺の永野さんにお電話でお聞きしてみたが、まだ再開の計画はないようだが、玄宅寺は舞踊団の稽古場の一つでもあり、来るべき日への準備は怠りないようである。舞踊会の復活を願ってやまない。2013年から7年間続いた玄宅寺舞踊会は、様々な思い出が残っているが、中でも2013年9月20日のことは忘れられない。この日は観月会と花童舞踊会とが重なり、加えて新曲「水前寺成趣園」の初披露も行われたため、通常の観客の...玄宅寺舞踊会の復活を!

  • 「京町台から見た金峰山」と晩夏

    今日、日が暮れかかってから、先日の「夏目漱石『草枕』の風景」の記事で話題にした甲斐青萍が描いた「京町台から見た金峰山」の絵を検証すべく、京町台のかつて金峰山町と呼ばれた辺りからの眺めを確かめに行った。青萍が描いてから既に100年以上が経ち、ビルが立ち並ぶ風景には青萍が見た田園風景はどこにもない。しかし、金峰山を始めとする西山の山並みはおおまかには青萍の絵と一致する。写真の左端に見える鉄塔の右側辺りが件の石神山と思われる。薄暮が迫る西の空と山々をじっと眺めているとさすがに「晩夏」を感じる。今日の「京町台から見た金峰山」甲斐青萍が描いた「京町台から見た金峰山」早く過ぎ去ってほしいと願った猛暑が衰え夏の終わりが近づく。一年のうちで最もメランコリックな季節である「晩夏」。四季に恵まれ、その移ろいの中で育まれた日本...「京町台から見た金峰山」と晩夏

  • 長崎浜節とキリスト教音楽

    昨日は所用のついでに立田山のわが家の墓に寄ってお参りした。7月に盆参りは済ませていたのだが、帰省者のお墓参りの映像がテレビでさかんに流されるので気になっていた。香華は持って行かなかったがお彼岸もすぐにやって来るしその時でいいかと…。せっかくなので近くの立田自然公園の四つ御廟にもお参りしに行った。特にガラシャ廟は新暦での命日(8月25日)も近いのと、先月亡くなられた民謡歌手の水野詩都子さんのご冥福も合せて祈った。すると水野さんの相方である﨑秀五郎さんがYouTubeにアップされている曲「長崎浜節(切支丹風)」が頭に浮かんだ。秀五郎さんはおそらく長崎民謡「長崎浜節」と長崎のキリシタンの歴史が関連しあうイメージが湧いたのだろう。聴いていると中世ヨーロッパ風のキリスト教音楽を背景に秀五郎さんの端唄が不思議に融合し...長崎浜節とキリスト教音楽

  • 千人灯籠おどり ~山鹿灯籠まつり~

    今夜は「山鹿灯籠まつり」のクライマックス「千人灯籠おどり」が行われる。見に行きたかったのだが、白内障術後の経過観察期間ということで断念した。幸い「ライブ配信」が行われるのでそれでガマンすることにしよう。ところで「山鹿灯籠まつり」と聞くと、今日では頭上に金灯籠を戴く女性たちが踊る「山鹿灯籠踊り」をイメージする方が多いと思うが、実はそうなったのは昭和29年に「山鹿灯籠踊り」が生まれて以降のこと。それまでは、山鹿の町の衆が作った「寺社仏閣」「城郭」「屋敷」その他さまざまな物を模した紙細工の灯籠を「ハーイ、トウロウ」の掛け声とともに運び、大宮神社に奉納する「上がり灯籠」が目玉の行事だった。現在はすべて灯籠師と呼ばれる職人たちによって作られているが、昔は奉納する町の衆自らの手で作っていたという。灯籠を奉納する「山鹿...千人灯籠おどり~山鹿灯籠まつり~

  • 夏目漱石「草枕」の風景

    だいぶ前から見たいと思ってはいたが、何分にも長尺なのでついつい先延ばしにしていた動画を今日やっと見た。それは令和4年度五高記念館文化講座における五高記念館の村田由美客員准教授による講座「夏目漱石『草枕』を読み解く」の録画映像である。「山路を登りながら、こう考えた。」この有名な冒頭からはじまる「草枕」は、いつからどのようにして小天温泉(現在の熊本県玉名市)が舞台と言われることになったのか。その漱石の旅の背景や、漱石にとってこの小説がどんな位置付けだったのかなどについて語っておられる。「草枕」の題材となった熊本市内から小天温泉までの通称「草枕の道」約16kmを家内と二人で歩いてからもう15年の歳月が流れた。その後も区間を限って歩いたことも何度かある。「草枕の道」を進みながら思うのは、見える風景が小説のどこかに...夏目漱石「草枕」の風景

  • 雨 3曲

    今日夕方、久しぶりにまとまった雨が降った。小降りになってから外へ出てみると、地表の熱気がだいぶ下がったように感じた。今夜は少しは寝心地がよくなるかもしれない。そこで「雨といえばこの歌」というわけで選んでみたのがこの3曲。映画史上に残る傑作ミュージカル「雨に唄えば」はいまさらいうまでもないが、ジーン・ケリーの雨中の歌とタップダンスは伝説的な名シーン。「雨にぬれても」は実在の銀行強盗ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの逃亡劇「明日に向って撃て!」の主題歌。そしてクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルは60年代終わり頃から70年代前半に活躍したロックバンドで「雨を見たかい」は彼らの代表作の一つ。「雨に唄えば」(Singin'intheRain)1952年のミュージカル映画より。(歌/踊:ジーン・ケリー)...雨3曲

  • なにをくよくよ川端柳

    先日、車で明午橋通りを味噌天神方面へ向かって走っていた時、新屋敷の大井手をわたるところで信号停車した。ふと大井手の方に目をやると川端柳が見えた。近頃、川端柳を見る機会が減った。昔はもっと川や井手沿いに多くの川端柳が植わっていたものだが。この大井手沿いには辛うじて昔の風情が残っている。そんなことを考えているとつい「東雲節」の一節が口をついて出る。「♪なにをくよくよ川端柳こがるるなんとしょ」これは坂本龍馬の作とも高杉晋作の作ともいわれる都々逸である。「柳に風」なんていうことわざもあるが、要するに「しなやかにおだやかに生きましょう」ということを言っているのだろうと勝手に解釈している。この歳になると妙にその言葉が胸に染みるのである。この都々逸は、熊本ゆかりの俗謡「東雲節(ストライキ節)」にも歌い込まれていてなじみ...なにをくよくよ川端柳

  • 「俚奏楽 島めぐり」のはなし。

    三味線音楽の大御所・本條秀太郎さんが創始された俚奏楽のなかで、僕が一番好きな曲、それが「島めぐり」である。大まかに言うと伊豆諸島や小笠原諸島に古くから残る唄つづりとでも言ってよかろう。しかし、何度も聞いていると実に巧みに構成されていることに気付く。随分前に本條秀美さんにいただいた歌詞(下記)を見てみると、赤い角括弧でくくられた部分が、ト書きでもあり曲のメインストリームにもなっていて、そこに各島唄を入れ子とした構造になっている。実はこの赤い角括弧部分もどこかの島の古謡を使ってあるのかと思っていたが、どうやらそうではないことが段々わかって来て、先般、東京での稽古に行かれた本條秀美さんに確認してきていただいた。やはり本條秀太郎さん自ら作られた歌詞なのだそうだ。こうした工夫が俚奏楽の本旨である、失われそうな鄙唄の...「俚奏楽島めぐり」のはなし。

  • まぼろしの銘菓「さおしか」復刻!

    味噌天神の福栄堂さんから電話があり「さおしか復刻版の試作品が出来上がりました!」とのこと。今年5月、25回忌を営んだ亡父が幼い頃(大正初期)日参した泰勝寺の長岡家(細川刑部家)でふるまわれた銘菓「さおしか」を製造販売していた老舗菓子舗・福栄堂さんが、味噌天神近くで火曜日だけ営業されているという情報を得たのは昨年11月のことだった。すぐに福栄堂さんに電話をかけて確かめたのだが、今は「さおしか」は作っていないが、復刻を検討しているとのことだった。父の思い出の「さおしか」の復刻を切望していることをお伝えした。その後の経過を知りたくて、福栄堂さんのインスタグラムにメッセージを入れてみたりもした。お返事の中に「さおしか」の特長である「皮むき餡」(小豆の芯の部分だけを使った餡)の入手が何とかメドがつきそうなので、近々...まぼろしの銘菓「さおしか」復刻!

  • 熊本市の姉妹都市~福井市~

    先日、熊本市役所の前を車で通りかかったら、庁舎に「福井市・熊本市姉妹都市提携30周年」の横断幕が掲げられていた。そうか、もうあれから10年経つのかと思った。あれからというのは、2014年10月に熊本城二の丸広場で開催された「熊本市・福井市姉妹都市締結20周年記念イベント」のことである。福井市は熊本市の国内唯一の姉妹都市である。姉妹都市となったのは、経済や産業面での共通点もさることながら、1840年に肥後熊本藩10代藩主・細川斉護公の三女である勇(いさ)姫が、越前福井藩主・松平春嶽公へ輿入れし、姻戚関係になったことや、熊本藩士で儒学者の横井小楠が福井藩に招聘されて藩政改革にあたるなど深い歴史的関係があったことが大きな要因となっている。1994年に熊本市・福井市両市の間で姉妹都市が締結され、2014年10月に...熊本市の姉妹都市~福井市~

  • 適地適作

    九州東海大学の片野学先生が亡くなられて今年でもう10年になる。自然農法や有機農業の権威だった先生とは、僕は15年前、一度だけお会いしたことがある。僕の知人で洋菓子店経営をされている方が、阿蘇で無農薬の果樹栽培をしたいので専門家の指導を受けたいという相談を受けた。たまたま僕の知人に片野先生の奥様と親しい方がおられたので、僕が間を取り持つ形で先生の指導を受けることになった。会食しながらということで、僕も同席することになったが、とてもざっくばらんな先生で、面白い話が次から次に出て、時の経つのも忘れるほどだった。その席で先生が言われた言葉で一番印象深かったのは「適地適作」ということだった。阿蘇は火山灰地だから作物は限られる。とりあえずブルーベリーを始められたらいかが、というような話だった。先生とは機会があればもう...適地適作

  • 色彩感覚の回復

    一昨日、白内障の手術を受けた。術後、何に驚いたかというと、目に映る夏の空や木々や花々など風景の鮮やかな色彩だった。まるで子供の頃、初めて総天然色の映画を見た時のような新鮮な感動があった。長い間、余程ぼやけた目で見ていたのだろう。あらためてわれわれが住む地球の色彩の見事さとそれを感じ取る人間の視覚の凄さを再認識した。退院後、帰宅してパソコンを起動し、マイブログを開いてみるとこれまで投稿した写真がやけに綺麗に見える。やはり術前は色彩感覚が鈍っていたのだろう。2023.5.4「代継宮~曲水の宴」で女性歌人に扮したRKK後生川凜アナの十二単姿色彩感覚の回復

  • 山鹿灯籠まつり と 木村祐章

    今年の山鹿灯籠まつりもいよいよ来週に迫った。久しぶりに見に行こうと思っていたのだが、白内障の術後1ヶ月ほどは人混みを避けるようにとの医師の指示で残念ながら断念することにした。さて、この祭りが全国区の祭りとなり、今日の隆盛を見るに至った裏に、「影のプロデューサー」の存在があったことはあまり知られていない。その人の名は「木村祐章(きむらゆうしょう)」。戦後昭和に民俗学研究家として、また放送作家として活躍した人である。木村は、山鹿灯籠祭りを民俗学的な側面から、単に灯籠奉納行事としてだけでなく、盆踊りの一形式としてプロデュースし復活させる役割を果した。また、NHK番組等を通じた山鹿灯籠踊りの全国への宣伝でも与って力があった。大正8年、山鹿の商家に生まれた木村は、昭和12年に鹿本中学を卒業後、東京の國學院大学に進ん...山鹿灯籠まつりと木村祐章

  • 清原元輔と清少納言

    先日、藤崎八旛宮に八朔詣りをした時、境内の末社詣りをしながら清原元輔の歌碑「藤崎の軒の巌に生ふる松今幾千代か子の日過ぐさむ」をあらためて読みながら、大河ドラマ「光る君へ」に登場する元輔の娘・清少納言のことを考えていた。元輔が周防国司として赴任した時は清少納言がまだ8歳だったので帯同しているが、肥後国司として赴任した時、清少納言は20歳くらいになっていて、既に15歳の時に橘則光と結婚しており、帯同しなかった。というよりできなかった。元輔が任地肥後で死去したのが83歳、時に清少納言24歳。その3年後くらいから中宮定子に出仕するようになり、その5年後に離婚している。中宮出仕してしばらくしてから「枕草子」を書き始め、中宮定子が亡くなった1年後くらいに完成したと伝えられる。肥後とは縁がなかった清少納言だが、「枕草子...清原元輔と清少納言

  • 今年の出水神社薪能

    今日は楽しみにしていた「出水神社薪能」が水前寺成趣園能楽殿で行われるので夕方から見に出かけた。日は暮れたものの能楽殿の芝生席は昼間の熱気が滞留している感じで蒸し暑さには閉口した。野天だから過去には土砂降りの雨に見舞われたこともあり、自然環境の中で行われるのが本来の能。気候も舞台の設定と思えば我慢できないことはない。(つよがりか)しかし、今日の演目「田村」は亡父の思い出の曲。8年前に同じ「出水神社薪能」で見た「田村」の印象が強く残っていたので、それと比べると明らかに不出来。何のアナウンスもなかったが予定のシテ役者が替わったのではないだろうか。楽しみにしていただけに残念だった。日が暮れても夕凪の状態で能楽殿の芝生席はとにかく暑かった。火入れの式が行われる頃になってやっと微風が。能「田村」は期待していただけにち...今年の出水神社薪能

  • 八朔と猛暑

    昨日は八月朔日。藤崎八旛宮に八朔詣りに行った。節供なので拝殿でお詣りした後、境内の末社をお詣りして廻った。その間の暑さといったら…。八朔というのはもともと旧暦での節供で、新暦では今年の場合、9月3日になるようだ。その頃になると、稲穂が頭を垂れ始める頃で、摘んだ御初穂を神に供える習わしがあったので、八月朔日を「ほづみ(穂摘)」ともいうようになったそうだ。各末社の神前には神饌が置かれていたが、右の写真のように「酒・塩・オクラ」だった。オクラは季節野菜の代表として供えられたのか、本来ならばこれに御初穂が供えられていたのだろう。家に帰り着いてホッとしていると、テレビでは京都祇園の八朔の習わし、芸舞妓さんたちの関係先へのお礼参りの様子がニュースで流れていた。下の写真はちょうど10年前、京都祇園の八朔の様子を報じるT...八朔と猛暑

  • 大谷翔平と「舞踊団花童&はつ喜」

    一昨日、テレビ熊本(TKU)夕方のニュース情報番組「TKULiveNews」で大谷翔平選手と寝具メーカー西川の共同企画「大きな夢を見よう!プロジェクト」が紹介された。これは全国の子どもたちへ約2500枚のマットレスをプレゼントするというもので、全国の小学生から大学生までの若い世代を対象に「叶えたい大きな夢」について作文を募集。多くの応募が集まった中、熊本からは3つの団体が選ばれ、その中の一つが「舞踊団花童&はつ喜」だった。現在「花童&はつ喜」には3歳から高校3年生の12人が所属している。なお、「舞踊団花童&はつ喜」とともに「専修大学熊本玉名高校吹奏楽部」が選ばれた。詳しい内容は下のニュース映像をご覧ください。▼放送されたニュース映像▼舞踊団花童&はつ喜による「長唄花見踊り」▼専修大学熊本玉名高校吹奏楽部に...大谷翔平と「舞踊団花童&はつ喜」

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