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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 水野詩都子さんを悼む

    今朝早起きしてパソコンを開くとショッキングなお知らせが。それは﨑秀五郎さんのフェイスブック。秀五郎さんの相方で民謡歌手の水野詩都子さんご逝去のお知らせだった。一瞬、思わず「エーッ!」と声を出しそうになった。昨日もYouTubeでお元気に歌っておられるお姿を拝見していたのでにわかには信じ難かった。秀五郎さんのお知らせにはご病気だったことが書いてあった。全然存じ上げなかったことが何だか申し訳なかったような気がした。水野さんとは一度もお会いしたことはない。公演で何度も熊本に来られて存じ上げていた秀五郎さんと「東海風流プロジェクト」というグループを結成されて初めてそのお名前を知った。以来、水野さんがテレビ出演された時の話題などをフェイスブックを通じてやり取りさせていただくようになった。なかでも2年ほど前、僕が個人...水野詩都子さんを悼む

  • 夏!三景

    こう暑くてはなんにも考えたくない。思考停止の状態だ。ブログネタもいくつかあるのだが、文章を打つ気になれず、今日はとりあえず、夏から秋にかけて楽しみなイベントを三つあげてみた。特にコロナの影響で2019年を最後に途切れていた「熊本復興ねぶた」が復活するらしいので楽しみだ。2014.8.2水前寺成趣園能楽殿出水神社薪能2012.8.15大宮神社奉納灯籠踊り山鹿灯籠踊り保存会2017.9.2熊本城二の丸公園熊本復興ねぶた夏!三景

  • 蝙蝠と小鍛冶

    連日の猛暑でしばらく散歩もしていなかったので今日は日が暮れてからわが家の近くを歩いてみた。新坂を下り、中坂を上っていると薄闇の中に鳥のような物体が音も立てずに飛んできた。頭上2㍍くらいを通過する瞬間に「蝙蝠(こうもり)」だとわかった。飛び去る姿を目で追いながら、ふと漱石の句を思い出した。「蝙蝠(かわほり)に近し小鍛冶が槌の音」これは謡曲をお題とした漱石の句の一つで、謡曲「小鍛冶」も習っていたのだろう。「蝙蝠」は「かわほり」とも読み、夏の季語で、こうもりが飛んでくるような夏の夕暮れに、鍛冶屋の槌音が響き渡っているという夏の風情を詠んだものだろう。昨年の正月、Eテレで喜多流の「能小鍛冶」が放送された。録画して2回見たのでまだ印象深い。今日は謡曲「小鍛冶」をもとに作られた長唄「小鍛冶」を聴いてみた。曲中何度か大...蝙蝠と小鍛冶

  • 和泉式部の登場

    大河ドラマ「光る君へ」に和泉式部はいつ登場するのだろうと思っていたら、先日NHKから追加出演者のアナウンスがあり、和泉式部を泉里香が演じるとあった。この女優さんは名前を聞いたことがあるくらいでほとんど存じ上げないが、平安中期の有名な歌人で恋多き女ともいわれたという和泉式部をどう演じるのか見ものである。一条天皇の中宮彰子に仕えていたこともさることながら、個人的には肥後国司を務めた藤原保昌と後に再婚することでも興味がある人物である。藤原保昌は武勇に秀で、道長四天王と称されているので今後登場してもおかしくない。また和泉式部への恋を成就するため、紫宸殿の紅梅を手折って北面武士に射かけられるという武勇伝も残っている。和泉式部の歌としては百人一首のなかに次の歌がある。あらざらむこの世のほかの思ひ出に今一度の逢ふことも...和泉式部の登場

  • 藤間紫さんの舞踊

    朝ドラ「ブギウギ」にヒロイン・スズ子の幼なじみタイ子を演じていたのが藤間爽子(さわこ)、日本舞踊家としての名前は三代目藤間紫。日本舞踊紫派藤間流の家元である。女優として大活躍されたお祖母様の初代藤間紫さんとは異なるたおやかなイメージの女優さんである。お名前だけはだいぶ前から存じ上げていたが、これまで出演されたドラマなどもほとんど見ていないので「ブギウギ」が初見に近かった。昨年10月に「藤娘」の舞台映像をブログにアップしていたが、公開期限が切れたので「ブギウギ」の中での映像で再アップした。▼画像クリックしますと動画を再生します藤間紫さんの舞踊

  • オクラのはなし。

    こう暑い日が続くと食欲も低下しがち。そんな時は「冷や汁」というわけで、先日、妻が「オクラ」や大葉入りの「冷や汁」を作ってくれた。「オクラ」はふだん煮物や揚げ物でよく食べる。しかし、「冷や汁」の具材で食べたのは記憶がない。料理本にも「冷や汁」の具材として「オクラ」を使うレシピが結構載っている。たしかに美味かったのだが、食べているうちにだんだん「とろみ」が気になりだした。翌日からおなかの具合が微妙に変わった。「オクラ」には整腸作用があると料理本にも書いてある。ちなみに「オクラ」といえば、ラフカディオ・ハーンがアメリカ南部ニューオーリンズで過ごした経験をもとに「クレオール料理読本」なるレシピ本を出版している。このクレオール料理の代表的なものが「ガンボ(Gumbo)」だという。ガンボはフランス語の「Gombo」が...オクラのはなし。

  • 今年の頓写会

    昨夜は加藤清正公の菩提を弔う本妙寺頓写会(とんしゃえ)。日中のあまりの暑さに行くか行くまいかだいぶためらったのだが、日没後に出かければなんとか・・・と思って出かけた。これが甘かった。日中の熱気が冷めやらぬ参道と、出店が立て込んだ桜馬場の混雑の人熱れで息苦しいほど。出かけるのが遅かったので既に大本堂から写経を浄池廟に納める行列は出発した後。これは熱中症で倒れでもしたら大変だなと思い、大本堂前と胸突雁木の下で遥拝して失礼した。仁王門下大本堂胸突雁木今年の頓写会

  • 米原長者口説き歌

    山鹿灯籠まつりの時季が近づいて来た。かつては毎年見に行ったものだが、熊本地震以降すっかり足が遠のいた。今年は久しぶりに見に行こうかと思っている。このまつりの呼び物は何といっても、頭上に灯籠を載せた女性たちが「よへほ節」の調べに合わせ、優雅に舞い踊る「山鹿灯籠踊り」。しかし、このまつりで踊られる曲は「よへほ節」だけではない。「山鹿盆踊り」と「米原長者口説き歌(よなばるちょうじゃくどきうた)」を合わせた3曲が踊られる。このうち「米原長者口説き歌」は歌自体は現代に作られたものだが、歌われているのは1300年前、ヤマト政権によって築かれた鞠智城(きくちじょう)がある米原地区に当時から言い伝えられている「米原長者伝説」をもとにしたもの。「口説き」というのは、長い物語を同じ旋律の繰り返しにのせて歌うもののことをいう。...米原長者口説き歌

  • パリ五輪とジャンヌ・ダルク

    「2024パリ五輪」の開幕がいよいよ今週末に迫った。テレビなどではフランスを紹介する番組が目立つようになったが、フランスを象徴する人物として「ジャンヌ・ダルク」の名前がよく登場する。日本でも世界史の授業で必ず教わる「ジャンヌ・ダルク」はフランス人にとって国家的ヒロインである。「パリ五輪」開幕にちなみ「ジャンヌ・ダルク」に関する話題を二つ。サザンとジャンヌ・ダルクサザンオールスターズの新曲「ジャンヌ・ダルクによろしく」がTBS系スポーツ2024テーマ曲に決定!この楽曲は、7月26日(金)に開幕する「2024パリ五輪」のTBSでの中継を始め、さまざまな場面で使用されるという。能楽とジャンヌ・ダルク喜多流能楽師「狩野琇鵬(丹秀)」さん(2016年没)は80年代初めから、能を通じたフランスとの文化交流を続けて来ら...パリ五輪とジャンヌ・ダルク

  • 熊本と長崎

    先日、久しぶりに熊本県立図書館へ出かけた。ついでに電車通りをはさんだ向かい側の「ジェーンズ邸」を見て、図書館へ戻ろうと横断歩道の信号待ちしていると、公務員風の中年男性が横に並んだ。「暑いですね~」と声をかけた。男性はうなづきながら僕の方をじっと見て「お元気そうですね~、散歩ですか」と言った。一瞬「ん?」と思ったが、おそらく男性には僕がかなりの高齢に見えたのだろう。後期高齢者には違いないが、他人からそういう風に見られているのだと認識を新たにした。男性は続けて「熊本はこの辺にも名所旧跡が多いのでいいですね」と言う。熊本の人じゃないのかと思って「どちらのご出身ですか?」とたずねると「長崎です」。さらに僕が「長崎のどちらですか?」と聞くと「長与です。ご存じですか?」と言うので「知ってますよ!」と答えると、嬉しそう...熊本と長崎

  • 今日も暑かった!!!

    今夜の月今日、熊本は気温が34℃まで上がったとテレビで言っていたが、街中のアスファルトの上の体感温度はそれをはるかに超えていたと思う。熱中症にでもなったらいけないので散歩もしばらく控えている。日が暮れてから恐る恐る歩いてみた。道路の熱気が冷めていないのですぐにやめた。美しい月が東の空に上っていた。明日が満月らしい。新坂の「漱石ポイント」から見た月明治29年4月13日、第五高等学校の英語教授として熊本へやってきた夏目漱石は池田停車場(現JR上熊本駅)に降り立ち、人力車に乗って薬園町の菅虎雄宅へ向かう途中、新坂のこの辺りで、眼下に広がる熊本市街を見下ろして「森の都だなぁ!」と言ったと伝えられる。清涼感涼しげな音楽を聞きたくなって選んだのがこれ。一昨年4月、熊本市で開催された「第4回アジア・太平洋水サミット」の...今日も暑かった!!!

  • 真夏の風景寸描

    今日は午前中かかりつけ医に定期的な受診に行った。この医院でも新型コロナの感染者が急増しているらしい。コロナが5類になって医療費の公費負担がなくなったが、自己負担診療ではたして感染拡大を食い止められるだろうか。明日から熊本市内の小中学校は夏休み。今日は終業式が行われたらしく、家路につく子供たちの顔はいつもより生き生きとしている。宿題もたくさんあると思うが、夏休みは成長のチャンス!自分のことを言うのもなんだが、小学3年だったと思うが、母の実家に長期滞在し、近くの菊池川の砂浜で日がな一日を過ごしていた。ある日、川の流れに乗って泳げるようになっている自分に気付いた。それがきっかけとなって水泳にハマり、人生の大きなターニングポイントとなった。今日は世界的なシステム障害のニュースが飛び交っていた。ファーストフードチェ...真夏の風景寸描

  • 学生時代のお気に入り音楽

    2008年7月のブログを見ていたら、「学生時代のフェイバリッド・ソング」と題して下の3曲をあげていた。この3曲が大好きだったことはよく憶えているが、学生時代から60年が経ち、後期高齢者となった今でもその気持ちは変わっていないのだろうかと聴いてみた。最近のポップスで感動したことのない僕には、1周廻って新しく聴こえる。聴いている間は学生時代の街の風景や友の顔などが浮かんできて、ひとときの学生気分にひたっていた。①愛なき世界(1964年)ピーターとゴードンピーターとゴードンはいわゆるリバプールサウンドの一員。この曲はレノン&マッカートニーが作った。ピーターの妹とマッカートニーが恋仲だったため提供したといわれる。②マジック(1965年)ラビン・スプーンフル当時はイギリスのリバプールサウンドが世界を席捲しつつあった...学生時代のお気に入り音楽

  • 最近のトピックス

    最近の個人的トピックスといえば、一つはYouTubeマイチャンネルの登録者数がいつの間にか1万人を超えていたことです。2008年12月に初めて投稿してから16年。始めた時はこんなに多くの方に登録していただけるとは想像もしませんでした。登録していただいた皆様に深く感謝申し上げます。二つ目は昨年12月にYouTubeに投稿した「お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)」が、投稿後7ヶ月にして視聴回数11万回を数えたことです。この動画は12年前に投稿していたものですが、昨年暮れに見直して画質の悪さが気になり、幸いオリジナル映像が残っていたので画質の精度を上げて再投稿したものです。まさか再投稿版がこんなに多くの方に見ていただけるとは驚きでした。また、多くの方からコメントもいただきました。好評価が多いのですが、中には...最近のトピックス

  • 八丈島の歴史と民俗

    NHK-BS「英雄たちの選択」は「島々の歴史を探る旅シリーズ」第一回の今夜は八丈島。関ヶ原の戦いに敗れた宇喜多秀家が徳川家康により島流しにされてから流刑地になった八丈島。江戸時代におよそ1,900人が八丈島へ流刑になったという。流人たちは島でどんな人生を歩んだのか。最初の流人・宇喜多秀家と最後の流人・近藤富蔵の生き様を通して、流刑の実像と八丈島の歴史を検証していた。僕が八丈島に行ったのは36年ほど前の東京勤務の頃に一度きり。会社の水泳仲間とダイビングをするのが目的、往復飛行機で一泊二日の旅だった。日中はほとんど海の中でろくに観光もしていない。したがってそんな八丈島の歴史を知る由もなかった。八丈島はその昔、「女護ヶ島」ともいわれ、美しい女性ばかりが住み、男性が足を踏み入れると二度と島を出られないという伝説も...八丈島の歴史と民俗

  • 百人一首の絵札

    大河ドラマ「光る君へ」を見ながら、ふと梅林天満宮(玉名市津留)のことを思い出した。梅林天満宮は承平6年(936)太宰府天満宮より、没後33年目の菅原道真公の御分霊社をいただいたことがその起源とされている。紫式部や清少納言が登場する「光る君へ」は今、11世紀に入る前後、つまり梅林天満宮の創建から60~70年が経過した頃の物語だと思われる。毎年秋、11月25日に行われる梅林天満宮例大祭はほぼ毎年見に行っているが、参拝した後に必ず見るのが拝殿の長押に貼られた百人一首の絵札である。そしていつも一番注目するのが紫式部と清少納言の歌(下図)。百人一首に選ばれるという事は二人の代表作なのだろう。これらの歌が選ばれた理由などを調べてみたい。梅林天満宮例大祭において太宰府天満宮より派遣の巫女舞。向こうの拝殿の長押に百人一首...百人一首の絵札

  • 忘れ得ぬ大先輩

    社会人時代にお世話になった方は数多いが、中でも僕たち夫婦が結婚式を挙げる時、実質的な仲立ちの労をとっていただいたNさんは特に忘れられない。Nさんはもともと労働省系のお役人だったのだがワケあって退職し、創業したばかりのブリヂストン熊本工場に人事労務担当として転職して来られた方だった。社員は入社仕立ての僕ら若手ばかりで、総務部門のリーダー的存在だった。特に僕は人事労務担当に配置されたので公私にわたってお世話になった。仕事の面でもちろんいろいろ教えていただいたが、アフター5も仕事以上にみっちり仕込んでいただいた。週末の夜はNさんが僕ら若手を数人ひきつれて熊本の街へ繰り出すのがお決まりになっていた。下通あたりを歩いているといつも何人もの人がNさんに頭を下げた。わけを聞くとNさんは「戦後間もない頃、職安で仕事を世話...忘れ得ぬ大先輩

  • 暑中お見舞い申し上げます!

    暑中お見舞い申しあげます。各地で続く猛暑の一方、豪雨災害のニュースもありますが皆さまいかがお過ごしでしょうか。激しい気候の変化に既に夏バテ気味の方もいらっしゃるかと思いますがどうぞご自愛くださいますよう願いあげます。筆者敬白今日はお盆の墓参りを済ませてきました。わが家の墓地は三方を放置された無縁墓に囲まれ、笹や葛が侵食してきて除去に大変な手間がかかってしまいました。無縁墓の増加は社会問題になりつつあると聞きますが今のところ手の出しようがありません。それはさておき、「暑中お見舞い申しあげます」と聞きますと、われわれの世代はすぐにキャンディーズのヒット曲を思い出します。今から16年前、妻とともに薄命の少女詩人・海達公子のルーツを探して徳島県美波町を訪ねた時、温かく迎えていただいた郷土史家の真南先生のお話で、公...暑中お見舞い申し上げます!

  • 宇土の雨乞い大太鼓

    先日、近場の親戚にお盆の挨拶回りをした。とにかく暑い日で車内はがんがんクーラーを効かせて走った。松尾町の坪井川河口辺りで車窓から百貫港が見えた。ふとラフカディオ・ハーンが明治26年7月20日、ここから長崎を目指したことを思い出した。クーラーもない人力車や船を乗り継いで、さぞや暑かったことだろう。長崎のベルビューホテルの暑さに耐えかね早々に熊本へ戻る途中、三角の浦島屋で甘美なひと時を過ごした後、美しい女将が手配した人力車で宇土半島の海岸沿いを一路熊本へ向かうのだが、その途上の村々で行われていた「雨乞い太鼓」を目撃したことが「夏の日の夢」に書かれている。—―車輪が回転する鋭い音も、ドーン、ドーンと腹に響くような音にかき消されるようになった。ある村のはずれにさしかかったとき、私は開けっ放しの納屋の中で裸の男たち...宇土の雨乞い大太鼓

  • 久々の「能 田村」

    8月の第一土曜日(8/3)は毎年恒例、水前寺成趣園の夏の風物詩「出水神社薪能」が開かれる。そして今年のメイン演目は「能田村」だそうだ。この「田村」は先々月、二十五回忌を行なった亡父が幼い頃、立田山麓の長岡邸(現細川家立田別邸)の謡のお稽古で聴き覚えた思い出の謡曲でもある。二十五回忌の供養にはちょうどよかった。今から100年も前、謡のお稽古の末席に侍し、門前の小僧よろしく「ひとたび放せば千の矢先・・・」という一節を聞いていた幼い父の追体験をするつもりである。「出水神社薪能」ではこれまで何度も「田村」が演じられてきたそうだが、僕は8年ぶりに見ることになる。2016.8.6水前寺成趣園能楽殿第57回出水神社薪能における金春流能「田村」久々の「能田村」

  • 古歌・古謡の道

    今日は玉名市大浜町の母の生家へ行った帰り、河内川沿いの道(県道101号)を通って山越えした。途中の天ヶ庄には鮎帰の滝があり、鮎帰橋のそばに「だいら水車」と呼ばれる水車がポツンと1基。昔は河内川沿いに80基ほどの水車があり、米や雑穀をつく動力としていたらしい。このあたりの地区を平(だいら)地区と呼ぶ。南北朝時代にはこの辺りを菊池氏の家来、天乃氏が治めていたので「天ヶ庄」と呼んでいたという。この地区には古くから子守歌が歌い継がれていて「天ヶ庄の子守歌」と呼んでいた。天乃氏が菊池家の幼君を預かっていた頃の名残りだという。今日では歌う人もなく、歌詞の一部が残るのみでメロディは失われている。歌詞の内容を読むと、昔はこの辺りまで船がのぼって来ていたようだ。「天ヶ庄の子守歌」と同じく、天ヶ庄で歌われていたという古謡が、...古歌・古謡の道

  • 茶室仰松軒

    「仰松軒(こうしょうけん)」は細川家菩提寺の泰勝寺跡である立田自然公園内にある茶室。もと京都の天龍寺塔頭真乗院に建てられていた細川三斎(忠興)設計の茶室を大正12年(1923)に復元したもの。内部を見られる機会は滅多にないが、茶事などが行われている日にあたると内部をじっくり見ることが出来る。わが家の本籍地となっている父の生家が泰勝寺境内に隣接していたこともあって、泰勝寺跡には度々訪れるが、仰松軒の内部を見ることができたのはまだ4、5回ほどしかない。ちょうど5年前にこんなことがあった。お盆前の墓参りを済ませて泰勝寺跡に立ち寄り、いつものように仰松軒をしばらく眺めていると、一匹のハクビシンが姿を現わした。こちらに気付いても驚く様子もなくじっと見ている。しばらく見合っていたがやがて竹林の方へと歩き去った。四つ御...茶室仰松軒

  • 七夕に

    天の川紅葉を橋にわたせばやたなばたつめの秋をしも待つ(古今和歌集・詠み人しらず)▼訳天の川に紅葉の葉が散ったのを水に浮かべて、橋のように渡すからなのだろうか、おり姫は恋人の訪れるという秋をひとしお待っていることよ。(古語辞典より)明日は「七夕」。これから猛暑のピークが来るというのに「七夕」は秋の季語。これはもともと旧暦7月7日の節句だった名残り。今年に読み替えると8月10日だそうである。つまり立秋を過ぎているので秋の季語というわけ。下の端唄「もみじの橋」は上述の和歌をモチーフに織姫と彦星の天の川での七夕の逢瀬を唄ったもの。歌詞には深まりゆく秋の情景が唄われており、今日的には違和感も・・・七夕に

  • つなぐ伝統 ~山鹿灯籠おどり~

    5月30日に熊本市の中心街で行われた高校総文祭パレードに常連の鹿本農高郷土芸能伝承部の姿がなかった。毎年、郷土芸能部門の一校として「山鹿灯籠踊り」を披露していた。部員が揃わなかったのだろうかと気になったので、以前、メールでやり取りしたことのある顧問の中川先生におたずねのメールを送ってみた。するとすぐに返事をいただいた。それによると、全校生徒がかつての4分の1ほどになるなど部員確保には苦労しておられるようだが、現在なんとか10名の部員がいるとのこと。だが、今年総文祭に参加しなかったのは別の事情があったようだ。コロナ明けした一昨年から以前と同じように県内外で活動しているそうで安心した。活動状況がわかる映像の紹介もあったので下に添付した。彼らの郷土芸能伝承活動が次世代、次々世代へと繋がって行くことを願ってやまな...つなぐ伝統~山鹿灯籠おどり~

  • 九州相良の一日も早い復興を!

    令和2年7月に発生した熊本豪雨は、球磨川流域を中心に熊本県内で1万2千人超が被災し、67人(災害関連死2人含む)が死亡した。7千棟超の家屋が被害を受け、今年6月末時点で217戸412人が仮設住宅に入居しているという。あれから4年となった今日、住民らが追悼の祈りをささげた。人吉市をはじめとする被災6市町村はまだ復興半ば。新しい建物が次々と建つ一方、夏草が伸び放題の空き地も目立ってきているという。まだまだ多くの課題を抱えているが一つ一つクリアしながら、一人も取り残されることのない復興を願いたい。犠牲者の鎮魂を祈りつつ、一日も早い相良の地の復興を願って民謡「球磨川新調」を聞いてみた。九州相良の一日も早い復興を!

  • 茄子とかぼちゃ

    花童サポーター友のNさんから今年も獲れたての茄子をたくさんいただいた。ありがたい。今夜の夕食には茄子の味噌よごしとかぼちゃの煮物が並んだ。夏野菜の代表格「茄子とかぼちゃ」が揃うと必ず思い出すのが俗曲「茄子とかぼちゃ」。夏の畑で、茄子とかぼちゃが喧嘩をするというコミカルな曲。幕末より唄い出され、お座敷や寄席でも踊られた。その後、天才女流音曲師の立花家橘之助(1866~1935年)がこの歌詞の最後に「奥州街道・・・」という甚句形式の文句を付け加えて寄席で賑やかに唄い人気を博し、「浮世節」と呼ばれる三味線音楽の一派をなした。国文学者であり作詞家でもあった高野辰之の著書「日本民謡の研究」(大正13年)によれば、日本人は古来より「好笑」という性情があり、風刺とか皮肉を込めた滑稽味を歌にすることを好んだという。この「...茄子とかぼちゃ

  • 2024年上半期動画視聴ベスト10

    YouTubeマイチャンネルの2024年上半期視聴ベスト10は次のとおりでした。この期間の総視聴回数は457,143回。前年同期の約1.5倍という伸びでした。これは、昨年暮アップしました「お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)」がバズり、それによって12年前にアップした初期版にも再びアクセスが急増し、さらにその他のほぼ同時期にアップした動画にも飛び火したような状況になりました。これは一過性の現象だと思われますので、新作のアップとともにリマスターで再評価される動画が他にもありはしないか検索してみたいと思っています。サムネイル画像をクリックしていただきますと動画を視聴いただけます。1.お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)(65,931回)2.こわらべ~お座敷小唄/芸者ワルツ~(45,630回)3.こわらべ~...2024年上半期動画視聴ベスト10

  • 文月朔日詣りは大雨の中・・・

    今日は朝から断続的に降り続く強い雨の中、文月朔日詣りに行った。「文月(ふみづき・ふづき)」の名の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝したりする風習があったからといわれている。また今日は「童謡の日」でもある。今から106年前の大正7年(1918)7月1日、児童文芸誌「赤い鳥」が、鈴木三重吉によって創刊されたことにちなんで制定されたもの。夏目漱石門下の小説家だった三重吉は、当時活躍していた作家や画家らに協力を依頼、創刊号には芥川龍之介、有島武郎、泉鏡花、北原白秋、高浜虚子、徳田秋声ら時の文化人がこぞって賛同の意を表明し、表紙絵を清水良雄が描いた。この創刊号には芥川龍之介が初めての童話「蜘蛛の糸」を発表した。三重吉らによる「赤い鳥」を通じた文化活動は「赤い鳥運動」と呼ばれ、日本の近代児童文学と...文月朔日詣りは大雨の中・・・

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