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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 藤間紫さんの舞踊

    朝ドラ「ブギウギ」にヒロイン・スズ子の幼なじみタイ子を演じていたのが藤間爽子(さわこ)、日本舞踊家としての名前は三代目藤間紫。日本舞踊紫派藤間流の家元である。女優として大活躍されたお祖母様の初代藤間紫さんとは異なるたおやかなイメージの女優さんである。お名前だけはだいぶ前から存じ上げていたが、これまで出演されたドラマなどもほとんど見ていないので「ブギウギ」が初見に近かった。昨年10月に「藤娘」の舞台映像をブログにアップしていたが、公開期限が切れたので「ブギウギ」の中での映像で再アップした。▼画像クリックしますと動画を再生します藤間紫さんの舞踊

  • オクラのはなし。

    こう暑い日が続くと食欲も低下しがち。そんな時は「冷や汁」というわけで、先日、妻が「オクラ」や大葉入りの「冷や汁」を作ってくれた。「オクラ」はふだん煮物や揚げ物でよく食べる。しかし、「冷や汁」の具材で食べたのは記憶がない。料理本にも「冷や汁」の具材として「オクラ」を使うレシピが結構載っている。たしかに美味かったのだが、食べているうちにだんだん「とろみ」が気になりだした。翌日からおなかの具合が微妙に変わった。「オクラ」には整腸作用があると料理本にも書いてある。ちなみに「オクラ」といえば、ラフカディオ・ハーンがアメリカ南部ニューオーリンズで過ごした経験をもとに「クレオール料理読本」なるレシピ本を出版している。このクレオール料理の代表的なものが「ガンボ(Gumbo)」だという。ガンボはフランス語の「Gombo」が...オクラのはなし。

  • 今年の頓写会

    昨夜は加藤清正公の菩提を弔う本妙寺頓写会(とんしゃえ)。日中のあまりの暑さに行くか行くまいかだいぶためらったのだが、日没後に出かければなんとか・・・と思って出かけた。これが甘かった。日中の熱気が冷めやらぬ参道と、出店が立て込んだ桜馬場の混雑の人熱れで息苦しいほど。出かけるのが遅かったので既に大本堂から写経を浄池廟に納める行列は出発した後。これは熱中症で倒れでもしたら大変だなと思い、大本堂前と胸突雁木の下で遥拝して失礼した。仁王門下大本堂胸突雁木今年の頓写会

  • 米原長者口説き歌

    山鹿灯籠まつりの時季が近づいて来た。かつては毎年見に行ったものだが、熊本地震以降すっかり足が遠のいた。今年は久しぶりに見に行こうかと思っている。このまつりの呼び物は何といっても、頭上に灯籠を載せた女性たちが「よへほ節」の調べに合わせ、優雅に舞い踊る「山鹿灯籠踊り」。しかし、このまつりで踊られる曲は「よへほ節」だけではない。「山鹿盆踊り」と「米原長者口説き歌(よなばるちょうじゃくどきうた)」を合わせた3曲が踊られる。このうち「米原長者口説き歌」は歌自体は現代に作られたものだが、歌われているのは1300年前、ヤマト政権によって築かれた鞠智城(きくちじょう)がある米原地区に当時から言い伝えられている「米原長者伝説」をもとにしたもの。「口説き」というのは、長い物語を同じ旋律の繰り返しにのせて歌うもののことをいう。...米原長者口説き歌

  • パリ五輪とジャンヌ・ダルク

    「2024パリ五輪」の開幕がいよいよ今週末に迫った。テレビなどではフランスを紹介する番組が目立つようになったが、フランスを象徴する人物として「ジャンヌ・ダルク」の名前がよく登場する。日本でも世界史の授業で必ず教わる「ジャンヌ・ダルク」はフランス人にとって国家的ヒロインである。「パリ五輪」開幕にちなみ「ジャンヌ・ダルク」に関する話題を二つ。サザンとジャンヌ・ダルクサザンオールスターズの新曲「ジャンヌ・ダルクによろしく」がTBS系スポーツ2024テーマ曲に決定!この楽曲は、7月26日(金)に開幕する「2024パリ五輪」のTBSでの中継を始め、さまざまな場面で使用されるという。能楽とジャンヌ・ダルク喜多流能楽師「狩野琇鵬(丹秀)」さん(2016年没)は80年代初めから、能を通じたフランスとの文化交流を続けて来ら...パリ五輪とジャンヌ・ダルク

  • 熊本と長崎

    先日、久しぶりに熊本県立図書館へ出かけた。ついでに電車通りをはさんだ向かい側の「ジェーンズ邸」を見て、図書館へ戻ろうと横断歩道の信号待ちしていると、公務員風の中年男性が横に並んだ。「暑いですね~」と声をかけた。男性はうなづきながら僕の方をじっと見て「お元気そうですね~、散歩ですか」と言った。一瞬「ん?」と思ったが、おそらく男性には僕がかなりの高齢に見えたのだろう。後期高齢者には違いないが、他人からそういう風に見られているのだと認識を新たにした。男性は続けて「熊本はこの辺にも名所旧跡が多いのでいいですね」と言う。熊本の人じゃないのかと思って「どちらのご出身ですか?」とたずねると「長崎です」。さらに僕が「長崎のどちらですか?」と聞くと「長与です。ご存じですか?」と言うので「知ってますよ!」と答えると、嬉しそう...熊本と長崎

  • 今日も暑かった!!!

    今夜の月今日、熊本は気温が34℃まで上がったとテレビで言っていたが、街中のアスファルトの上の体感温度はそれをはるかに超えていたと思う。熱中症にでもなったらいけないので散歩もしばらく控えている。日が暮れてから恐る恐る歩いてみた。道路の熱気が冷めていないのですぐにやめた。美しい月が東の空に上っていた。明日が満月らしい。新坂の「漱石ポイント」から見た月明治29年4月13日、第五高等学校の英語教授として熊本へやってきた夏目漱石は池田停車場(現JR上熊本駅)に降り立ち、人力車に乗って薬園町の菅虎雄宅へ向かう途中、新坂のこの辺りで、眼下に広がる熊本市街を見下ろして「森の都だなぁ!」と言ったと伝えられる。清涼感涼しげな音楽を聞きたくなって選んだのがこれ。一昨年4月、熊本市で開催された「第4回アジア・太平洋水サミット」の...今日も暑かった!!!

  • 真夏の風景寸描

    今日は午前中かかりつけ医に定期的な受診に行った。この医院でも新型コロナの感染者が急増しているらしい。コロナが5類になって医療費の公費負担がなくなったが、自己負担診療ではたして感染拡大を食い止められるだろうか。明日から熊本市内の小中学校は夏休み。今日は終業式が行われたらしく、家路につく子供たちの顔はいつもより生き生きとしている。宿題もたくさんあると思うが、夏休みは成長のチャンス!自分のことを言うのもなんだが、小学3年だったと思うが、母の実家に長期滞在し、近くの菊池川の砂浜で日がな一日を過ごしていた。ある日、川の流れに乗って泳げるようになっている自分に気付いた。それがきっかけとなって水泳にハマり、人生の大きなターニングポイントとなった。今日は世界的なシステム障害のニュースが飛び交っていた。ファーストフードチェ...真夏の風景寸描

  • 学生時代のお気に入り音楽

    2008年7月のブログを見ていたら、「学生時代のフェイバリッド・ソング」と題して下の3曲をあげていた。この3曲が大好きだったことはよく憶えているが、学生時代から60年が経ち、後期高齢者となった今でもその気持ちは変わっていないのだろうかと聴いてみた。最近のポップスで感動したことのない僕には、1周廻って新しく聴こえる。聴いている間は学生時代の街の風景や友の顔などが浮かんできて、ひとときの学生気分にひたっていた。①愛なき世界(1964年)ピーターとゴードンピーターとゴードンはいわゆるリバプールサウンドの一員。この曲はレノン&マッカートニーが作った。ピーターの妹とマッカートニーが恋仲だったため提供したといわれる。②マジック(1965年)ラビン・スプーンフル当時はイギリスのリバプールサウンドが世界を席捲しつつあった...学生時代のお気に入り音楽

  • 最近のトピックス

    最近の個人的トピックスといえば、一つはYouTubeマイチャンネルの登録者数がいつの間にか1万人を超えていたことです。2008年12月に初めて投稿してから16年。始めた時はこんなに多くの方に登録していただけるとは想像もしませんでした。登録していただいた皆様に深く感謝申し上げます。二つ目は昨年12月にYouTubeに投稿した「お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)」が、投稿後7ヶ月にして視聴回数11万回を数えたことです。この動画は12年前に投稿していたものですが、昨年暮れに見直して画質の悪さが気になり、幸いオリジナル映像が残っていたので画質の精度を上げて再投稿したものです。まさか再投稿版がこんなに多くの方に見ていただけるとは驚きでした。また、多くの方からコメントもいただきました。好評価が多いのですが、中には...最近のトピックス

  • 八丈島の歴史と民俗

    NHK-BS「英雄たちの選択」は「島々の歴史を探る旅シリーズ」第一回の今夜は八丈島。関ヶ原の戦いに敗れた宇喜多秀家が徳川家康により島流しにされてから流刑地になった八丈島。江戸時代におよそ1,900人が八丈島へ流刑になったという。流人たちは島でどんな人生を歩んだのか。最初の流人・宇喜多秀家と最後の流人・近藤富蔵の生き様を通して、流刑の実像と八丈島の歴史を検証していた。僕が八丈島に行ったのは36年ほど前の東京勤務の頃に一度きり。会社の水泳仲間とダイビングをするのが目的、往復飛行機で一泊二日の旅だった。日中はほとんど海の中でろくに観光もしていない。したがってそんな八丈島の歴史を知る由もなかった。八丈島はその昔、「女護ヶ島」ともいわれ、美しい女性ばかりが住み、男性が足を踏み入れると二度と島を出られないという伝説も...八丈島の歴史と民俗

  • 百人一首の絵札

    大河ドラマ「光る君へ」を見ながら、ふと梅林天満宮(玉名市津留)のことを思い出した。梅林天満宮は承平6年(936)太宰府天満宮より、没後33年目の菅原道真公の御分霊社をいただいたことがその起源とされている。紫式部や清少納言が登場する「光る君へ」は今、11世紀に入る前後、つまり梅林天満宮の創建から60~70年が経過した頃の物語だと思われる。毎年秋、11月25日に行われる梅林天満宮例大祭はほぼ毎年見に行っているが、参拝した後に必ず見るのが拝殿の長押に貼られた百人一首の絵札である。そしていつも一番注目するのが紫式部と清少納言の歌(下図)。百人一首に選ばれるという事は二人の代表作なのだろう。これらの歌が選ばれた理由などを調べてみたい。梅林天満宮例大祭において太宰府天満宮より派遣の巫女舞。向こうの拝殿の長押に百人一首...百人一首の絵札

  • 忘れ得ぬ大先輩

    社会人時代にお世話になった方は数多いが、中でも僕たち夫婦が結婚式を挙げる時、実質的な仲立ちの労をとっていただいたNさんは特に忘れられない。Nさんはもともと労働省系のお役人だったのだがワケあって退職し、創業したばかりのブリヂストン熊本工場に人事労務担当として転職して来られた方だった。社員は入社仕立ての僕ら若手ばかりで、総務部門のリーダー的存在だった。特に僕は人事労務担当に配置されたので公私にわたってお世話になった。仕事の面でもちろんいろいろ教えていただいたが、アフター5も仕事以上にみっちり仕込んでいただいた。週末の夜はNさんが僕ら若手を数人ひきつれて熊本の街へ繰り出すのがお決まりになっていた。下通あたりを歩いているといつも何人もの人がNさんに頭を下げた。わけを聞くとNさんは「戦後間もない頃、職安で仕事を世話...忘れ得ぬ大先輩

  • 暑中お見舞い申し上げます!

    暑中お見舞い申しあげます。各地で続く猛暑の一方、豪雨災害のニュースもありますが皆さまいかがお過ごしでしょうか。激しい気候の変化に既に夏バテ気味の方もいらっしゃるかと思いますがどうぞご自愛くださいますよう願いあげます。筆者敬白今日はお盆の墓参りを済ませてきました。わが家の墓地は三方を放置された無縁墓に囲まれ、笹や葛が侵食してきて除去に大変な手間がかかってしまいました。無縁墓の増加は社会問題になりつつあると聞きますが今のところ手の出しようがありません。それはさておき、「暑中お見舞い申しあげます」と聞きますと、われわれの世代はすぐにキャンディーズのヒット曲を思い出します。今から16年前、妻とともに薄命の少女詩人・海達公子のルーツを探して徳島県美波町を訪ねた時、温かく迎えていただいた郷土史家の真南先生のお話で、公...暑中お見舞い申し上げます!

  • 宇土の雨乞い大太鼓

    先日、近場の親戚にお盆の挨拶回りをした。とにかく暑い日で車内はがんがんクーラーを効かせて走った。松尾町の坪井川河口辺りで車窓から百貫港が見えた。ふとラフカディオ・ハーンが明治26年7月20日、ここから長崎を目指したことを思い出した。クーラーもない人力車や船を乗り継いで、さぞや暑かったことだろう。長崎のベルビューホテルの暑さに耐えかね早々に熊本へ戻る途中、三角の浦島屋で甘美なひと時を過ごした後、美しい女将が手配した人力車で宇土半島の海岸沿いを一路熊本へ向かうのだが、その途上の村々で行われていた「雨乞い太鼓」を目撃したことが「夏の日の夢」に書かれている。—―車輪が回転する鋭い音も、ドーン、ドーンと腹に響くような音にかき消されるようになった。ある村のはずれにさしかかったとき、私は開けっ放しの納屋の中で裸の男たち...宇土の雨乞い大太鼓

  • 久々の「能 田村」

    8月の第一土曜日(8/3)は毎年恒例、水前寺成趣園の夏の風物詩「出水神社薪能」が開かれる。そして今年のメイン演目は「能田村」だそうだ。この「田村」は先々月、二十五回忌を行なった亡父が幼い頃、立田山麓の長岡邸(現細川家立田別邸)の謡のお稽古で聴き覚えた思い出の謡曲でもある。二十五回忌の供養にはちょうどよかった。今から100年も前、謡のお稽古の末席に侍し、門前の小僧よろしく「ひとたび放せば千の矢先・・・」という一節を聞いていた幼い父の追体験をするつもりである。「出水神社薪能」ではこれまで何度も「田村」が演じられてきたそうだが、僕は8年ぶりに見ることになる。2016.8.6水前寺成趣園能楽殿第57回出水神社薪能における金春流能「田村」久々の「能田村」

  • 古歌・古謡の道

    今日は玉名市大浜町の母の生家へ行った帰り、河内川沿いの道(県道101号)を通って山越えした。途中の天ヶ庄には鮎帰の滝があり、鮎帰橋のそばに「だいら水車」と呼ばれる水車がポツンと1基。昔は河内川沿いに80基ほどの水車があり、米や雑穀をつく動力としていたらしい。このあたりの地区を平(だいら)地区と呼ぶ。南北朝時代にはこの辺りを菊池氏の家来、天乃氏が治めていたので「天ヶ庄」と呼んでいたという。この地区には古くから子守歌が歌い継がれていて「天ヶ庄の子守歌」と呼んでいた。天乃氏が菊池家の幼君を預かっていた頃の名残りだという。今日では歌う人もなく、歌詞の一部が残るのみでメロディは失われている。歌詞の内容を読むと、昔はこの辺りまで船がのぼって来ていたようだ。「天ヶ庄の子守歌」と同じく、天ヶ庄で歌われていたという古謡が、...古歌・古謡の道

  • 茶室仰松軒

    「仰松軒(こうしょうけん)」は細川家菩提寺の泰勝寺跡である立田自然公園内にある茶室。もと京都の天龍寺塔頭真乗院に建てられていた細川三斎(忠興)設計の茶室を大正12年(1923)に復元したもの。内部を見られる機会は滅多にないが、茶事などが行われている日にあたると内部をじっくり見ることが出来る。わが家の本籍地となっている父の生家が泰勝寺境内に隣接していたこともあって、泰勝寺跡には度々訪れるが、仰松軒の内部を見ることができたのはまだ4、5回ほどしかない。ちょうど5年前にこんなことがあった。お盆前の墓参りを済ませて泰勝寺跡に立ち寄り、いつものように仰松軒をしばらく眺めていると、一匹のハクビシンが姿を現わした。こちらに気付いても驚く様子もなくじっと見ている。しばらく見合っていたがやがて竹林の方へと歩き去った。四つ御...茶室仰松軒

  • 七夕に

    天の川紅葉を橋にわたせばやたなばたつめの秋をしも待つ(古今和歌集・詠み人しらず)▼訳天の川に紅葉の葉が散ったのを水に浮かべて、橋のように渡すからなのだろうか、おり姫は恋人の訪れるという秋をひとしお待っていることよ。(古語辞典より)明日は「七夕」。これから猛暑のピークが来るというのに「七夕」は秋の季語。これはもともと旧暦7月7日の節句だった名残り。今年に読み替えると8月10日だそうである。つまり立秋を過ぎているので秋の季語というわけ。下の端唄「もみじの橋」は上述の和歌をモチーフに織姫と彦星の天の川での七夕の逢瀬を唄ったもの。歌詞には深まりゆく秋の情景が唄われており、今日的には違和感も・・・七夕に

  • つなぐ伝統 ~山鹿灯籠おどり~

    5月30日に熊本市の中心街で行われた高校総文祭パレードに常連の鹿本農高郷土芸能伝承部の姿がなかった。毎年、郷土芸能部門の一校として「山鹿灯籠踊り」を披露していた。部員が揃わなかったのだろうかと気になったので、以前、メールでやり取りしたことのある顧問の中川先生におたずねのメールを送ってみた。するとすぐに返事をいただいた。それによると、全校生徒がかつての4分の1ほどになるなど部員確保には苦労しておられるようだが、現在なんとか10名の部員がいるとのこと。だが、今年総文祭に参加しなかったのは別の事情があったようだ。コロナ明けした一昨年から以前と同じように県内外で活動しているそうで安心した。活動状況がわかる映像の紹介もあったので下に添付した。彼らの郷土芸能伝承活動が次世代、次々世代へと繋がって行くことを願ってやまな...つなぐ伝統~山鹿灯籠おどり~

  • 九州相良の一日も早い復興を!

    令和2年7月に発生した熊本豪雨は、球磨川流域を中心に熊本県内で1万2千人超が被災し、67人(災害関連死2人含む)が死亡した。7千棟超の家屋が被害を受け、今年6月末時点で217戸412人が仮設住宅に入居しているという。あれから4年となった今日、住民らが追悼の祈りをささげた。人吉市をはじめとする被災6市町村はまだ復興半ば。新しい建物が次々と建つ一方、夏草が伸び放題の空き地も目立ってきているという。まだまだ多くの課題を抱えているが一つ一つクリアしながら、一人も取り残されることのない復興を願いたい。犠牲者の鎮魂を祈りつつ、一日も早い相良の地の復興を願って民謡「球磨川新調」を聞いてみた。九州相良の一日も早い復興を!

  • 茄子とかぼちゃ

    花童サポーター友のNさんから今年も獲れたての茄子をたくさんいただいた。ありがたい。今夜の夕食には茄子の味噌よごしとかぼちゃの煮物が並んだ。夏野菜の代表格「茄子とかぼちゃ」が揃うと必ず思い出すのが俗曲「茄子とかぼちゃ」。夏の畑で、茄子とかぼちゃが喧嘩をするというコミカルな曲。幕末より唄い出され、お座敷や寄席でも踊られた。その後、天才女流音曲師の立花家橘之助(1866~1935年)がこの歌詞の最後に「奥州街道・・・」という甚句形式の文句を付け加えて寄席で賑やかに唄い人気を博し、「浮世節」と呼ばれる三味線音楽の一派をなした。国文学者であり作詞家でもあった高野辰之の著書「日本民謡の研究」(大正13年)によれば、日本人は古来より「好笑」という性情があり、風刺とか皮肉を込めた滑稽味を歌にすることを好んだという。この「...茄子とかぼちゃ

  • 2024年上半期動画視聴ベスト10

    YouTubeマイチャンネルの2024年上半期視聴ベスト10は次のとおりでした。この期間の総視聴回数は457,143回。前年同期の約1.5倍という伸びでした。これは、昨年暮アップしました「お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)」がバズり、それによって12年前にアップした初期版にも再びアクセスが急増し、さらにその他のほぼ同時期にアップした動画にも飛び火したような状況になりました。これは一過性の現象だと思われますので、新作のアップとともにリマスターで再評価される動画が他にもありはしないか検索してみたいと思っています。サムネイル画像をクリックしていただきますと動画を視聴いただけます。1.お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)(65,931回)2.こわらべ~お座敷小唄/芸者ワルツ~(45,630回)3.こわらべ~...2024年上半期動画視聴ベスト10

  • 文月朔日詣りは大雨の中・・・

    今日は朝から断続的に降り続く強い雨の中、文月朔日詣りに行った。「文月(ふみづき・ふづき)」の名の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝したりする風習があったからといわれている。また今日は「童謡の日」でもある。今から106年前の大正7年(1918)7月1日、児童文芸誌「赤い鳥」が、鈴木三重吉によって創刊されたことにちなんで制定されたもの。夏目漱石門下の小説家だった三重吉は、当時活躍していた作家や画家らに協力を依頼、創刊号には芥川龍之介、有島武郎、泉鏡花、北原白秋、高浜虚子、徳田秋声ら時の文化人がこぞって賛同の意を表明し、表紙絵を清水良雄が描いた。この創刊号には芥川龍之介が初めての童話「蜘蛛の糸」を発表した。三重吉らによる「赤い鳥」を通じた文化活動は「赤い鳥運動」と呼ばれ、日本の近代児童文学と...文月朔日詣りは大雨の中・・・

  • 「JIN -仁-」の時代の蘭方医(特別編)

    破傷風の治療法を開発した細菌学者の北里柴三郎をデザインした新千円札の発行が4日後に迫った。そこであらためて4年前のブログ記事「JIN-仁-の時代の蘭方医(その2)」を読み直してみた。これは大阪大学名誉教授の芝哲夫氏が著した文章「北里柴三郎の生涯と適塾門下生」の中から抜粋したものである。—―オランダ人医学者マンスフェルトが明治4年(1871)に熊本に来て、古城医学校が出発します。柴三郎は親の奨めで、語学を勉強するつもりでこの学校に入りました。実はマンスフェルトは日本語が全然喋れなかったのです。ここにマンスフェルトのオランダ語を通訳し、翻訳して生徒に伝える助教が二人いました。一人は阿蘇の西の日向町出身の高橋正直で、もう一人は山鹿出身の奥山静叔でした。奥山静叔の墓は熊本市内の池田町の往生院にあります。実はこの奥...「JIN-仁-」の時代の蘭方医(特別編)

  • 小泉八雲熊本旧居

    来年秋から放送のNHK朝ドラがラフカディオ・ハーンと妻セツをモデルにした「ばけばけ」に決まったということで、今日のNHK熊本のローカル情報番組「クマロク!」では、熊本市中央区安政町の「小泉八雲熊本旧居」からの中継が放送された。旧居内の調度品やハーン夫妻の暮らしぶりなどがリポートされたが、朝ドラ「ばけばけ」のプロデューサーもロケハン(?)で来熊して番組内で紹介されていたので、熊本ロケが行われるのは間違いないようだ。この家に僕は4、5回訪問していると思うが、今日の放送内容は、最後に訪問した昨年3月に館長からご説明いただいた内容とほぼ同じだった。その中から主なものを下記してみた。この旧居はもともと現在の鶴屋百貨店敷地にあり、昭和35年に解体の予定だったが、有志による保存運動のおかげで、一部を現在位置の安政町に移...小泉八雲熊本旧居

  • 水無月の夏越の祓する人は・・・

    水無月の夏越の祓する人は千年の命延ぶといふなり(拾遺和歌集詠人知らず)今日は一日降りやまぬ雨の中、藤崎八旛宮段山御旅所での「新町大祓」に行った。新町はかつて藤崎宮の門前町だった町。毎年ここの大祓は参拝者が少ないのだが、今日は段々雨が強くなるという予報が出ていたこともあってか、神事が始まった時は僕のほかには男性が一人だけだった。いつものように能舞台(仮拝殿)での神事の間は舞台前に立ったまま、神職や新町の関係者に合わせて低頭をする。神事の後、神職から小さな紙包みをもらう。中には紙を切って作った人形(ひとがた)と紙吹雪のような切麻(きりぬさ)それに茅の輪に使ったチガヤの切れ端のようなものが入っている。おそらく清めの塩の替わりなのだろう。まず神職から作法を教えてもらう。人形で体のいろんな部分を擦った後、その人形に...水無月の夏越の祓する人は・・・

  • 熊本市役所移転

    熊本市役所庁舎の建て替え場所が、桜町のNTT西日本熊本跡地に決まりそうだという。そもそも建て替えの話は熊本地震を経験して耐震性能不足の恐れがあるとの専門家の指摘から始まったようだが、耐震性能不足については反論する専門家もいてイマイチ釈然としないものがある。何の判断材料ももたないわれわれ一般市民はただ成り行きを見守るしかないのだろう。建て替え問題が浮上した時、最初に感じたのは「エ!もう建て替え?」ということ。というのは建て替えられた1980年前後、旧庁舎にも所用でよく行ったし、新庁舎に替わった時の印象が強く残っていたからである。本当に耐震性能不足ならば致し方ないと思うが、新庁舎を立てる時にも耐震性能は設計に組み込まれていたはずであり、熊本地震が想定を超える強さだったと言われると、東日本大震災の時の福島第一原...熊本市役所移転

  • 四国 花遍路

    今夜のNHK‐BS新日本風土記は「四国花遍路」。お大師様(弘法大師空海)ゆかりの四国八十八ケ所の霊場を巡る遍路。春はお遍路さんにとって、各札所の境内や遍路道も花であふれる。そんな花々に彩られた遍路道を歩くお遍路さんたちや迎えるお接待の人々。それぞれの人生が交錯する春の遍路を描く。番組中に童謡・唱歌の「花の街」が流れた時、胸にぐっと来るものがあった。歌:倍賞千恵子作詞:江間章子作曲:團伊玖磨四国花遍路

  • SHOGUN 将軍

    フェイスブックやブログをフォローさせていただいている江戸端唄・俗曲師範の笹木美きえ師匠。三味線指導をされた女優さんが話題のドラマ「SHOGUN将軍」に出演していることはフェイスブックを拝見して知っていたのだが、師匠ご自身もこのドラマに少し関わっておられたと知りビックリした。このドラマ自体は40数年前、リチャード・チェンバレン主演版を見ていたのであらすじは大体わかっているが、今回は家康をモデルとした主役を真田広之さんが演じているので観てみたいなと思っていた。熊本ゆかりの細川藤孝、忠興それにガラシャ夫人をモデルとした人物も登場するのも興味深い。SHOGUN将軍

  • 2024年上半期フォトジェニック

    ついこの間、年が改まったと思っていたら、あと1週間で2024年上半期が終わろうとしています。そこで、この半年間に撮影した写真の中から、特に印象的な「映える」写真を選んでみました。とりあえず今回は次の4枚です。2024.1.28第57回熊本県邦楽協会演奏会「長唄花見踊り」はつ喜流月太郎&はつ喜流月寿々2024.3.24九州がっ祭2024美勝女隊(福岡)2024.5.4代継宮~曲水の宴~女性歌人役のRKK上岡梨紗アナ2024.6.2日本舞踊藤間流藤間きみ藤芸歴五十周年記念公演藤村紫皇&藤間きみ奈「常磐津京人形」2024年上半期フォトジェニック

  • おしろい花

    夕方、雨がやんだので散歩に出た。新坂の道沿いにおしろい花が開き始めていた。もうおしろい花の季節かと、しばらく立ち止まり眺めた。たしか昨年、市の道路清掃で根こそぎ除去されたと思っていたが今年早くも再生している。野生の逞しさを感じる。そう言えば、竹久夢二の「おしろい花」という詩があったなぁと思い出し、帰ってから調べてみた。読んだら端唄の一つも聴きたくなった。「端唄夕暮」﨑秀五郎おしろい花

  • ♪ 揃うた揃たよ 踊り子が揃た

    来年後期のNHK朝ドラはラフカディオ・ハーンと妻のセツをモデルにしたドラマ「ばけばけ」に決まった。このニュースを聞いて、昨年11月に書いたブログ記事「ハーンが見た盆踊り」のことを再び思い出した。ハーンが五高教師時代に書いた「知られぬ日本の面影」の中に、明治23年(1890)ハーンが来日して初めて松江へ向かう途中、伯耆上市で見た盆踊りのことである。ハーンはその盆踊りで唄われる歌詞を次のように記している。(原文)Sorotaswoimashitaodorikogasorota,Soroikite,Kitahareyukata.(和訳)揃ふた、揃ひました、踊り子が揃ふた、揃ひ着て来た、晴れ浴衣。この歌詞は明らかに「潮来音頭」や「潮来甚句」などで唄われる「♪揃うた揃うたよ踊り子が揃た秋の出穂よりよく揃うた」の変形...♪揃うた揃たよ踊り子が揃た

  • インバウンドそしてオーバーツーリズム

    このところ、聞かない日はないワード。それは「インバウンド」そして「オーバーツーリズム」。今日もテレビやネットで目にし、気になったニュースを2題。祇園はゴミだらけ!毎日観光客が押しかける京都祇園の街は、毎朝至るところでこの写真のようにゴミが散乱した状態になるという。すべてがインバウンドのせいというわけではないが、日本人観光客も含め、マナーが酷い状況にあるようだ。僕は週に3、4回は熊本城周辺を散歩するのだが、祇園のような酷い状態はまだ見たことがないが、以前よりも道端に捨てられたペットボトルや紙パックなどを見かけることが増えた気がする。次々とやって来る外国人観光客とすれ違う。彼らがすべてマナーに欠けているとは思わないが、インバウンドの増加とともに日本人のマナーも劣化しているような気がしてならない。舞妓さんは台湾...インバウンドそしてオーバーツーリズム

  • もう一度歩きたい!この道

    僕が熊大附属幼稚園に通ったのは戦後間もない昭和25・26年だった。朝の登園は幼稚園の職員だった母と一緒に、家から新坂を下り、内坪井を通って坪井川沿いに行く最短コースで登園した。しかし、帰りは基本的に一人だったので、その日の気分でコースを選んた。中でも一番楽しかった思い出が残るコースが下記の図(赤いライン)である。幼稚園児が一人でこんなコースを歩いて帰るなど、今の時代にはあまり考えられないが、随分と大様な時代だったのだろう。熊大附属幼稚園(現城東町)を出ると千葉城橋を渡って旧国道3号線(現県道303号線)に出る。左折して厩橋のところまで下り、須戸口門から熊本城に入る(当時の熊本城は出入りフリー)。平御櫓から一気に十八間櫓を目指す。十八間櫓の前で左折して石段を登り、本丸の広場に出る。当時は大天守も小天守も、も...もう一度歩きたい!この道

  • ハーンの「夏の日の夢」

    来年秋に始まるNHK朝ドラはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と妻のセツをモデルにした『ばけばけ』と発表された。ハーンが五高に勤務した熊本時代のエピソードも描かれるようなので楽しみだ。なかでもハーンの「夏の日の夢(THEDREAMOFASUMMERDAY)」に描かれている真夏の長崎行は映像化を期待したい。1893年7月、ハーンは坪井川河口の百貫港から小舟で沖へ出、散々待たされた蒸気船に乗り換えて長崎へ渡る。ところが長崎のあまりの暑さにほうほうの体で帰ってくるのだが、途中、三角港のホテルでの体験が「夏の日の夢」の題材となった。この時の経緯を友人の東京帝大教授バジル・ホール・チェンバレン宛の手紙で次のように書き送っている。三角には、西洋式に建築され、内装された浦島屋というホテルがありますが、――太陽が蝋燭よりも...ハーンの「夏の日の夢」

  • 山形愛羽 圧倒的な強さを発揮!

    今春、熊本中央高校から福岡大学に進学した陸上女子短距離の山形愛羽選手が「2024日本学生陸上競技個人選手権大会」において女子100mおよび200mの2冠を制し、100mではU20日本新記録と大会新記録。200mでは大会新記録と圧倒的な強さを発揮した。100mの11秒41は自己新記録。なお、準決勝では追風参考ながら11秒36を記録した。6月27日から新潟・デンカビッグスワンスタジアムで始まる「第108回日本陸上競技選手権大会」が益々楽しみになってきた。▼女子100m決勝▼女子200m決勝山形愛羽圧倒的な強さを発揮!

  • 南阿蘇・高森ノスタルジー

    今日は月イチ放送の「くりぃむしちゅーの熊本どぎゃん!?」3回目。今回は上田晋也が南阿蘇・高森地区を巡るというので興味深かった。南阿蘇・高森地区は僕にとってトラックディ-ラーの営業社員として社会人のスタートを切った思い出深い地域。しかし、何しろ56年も昔のことなので、今回上田クンが巡った場所は初めて見るところばかり。ただ、背景に見える街並みの微かな記憶が懐かしさを覚える。今年は何とか昔の思い出を辿りながら南阿蘇・高森地区を巡ってみたいと思っている。南阿蘇の田園の向こうに阿蘇の山々南阿蘇・高森ノスタルジー

  • 暑さしのぎ

    今日熊本は33℃という真夏日。まだ暑さに慣れていない体にはこたえた。あまり考え事はしたくないので「涼」を感じる映像と音楽で半日を過ごした。明日も同じような天気が続くらしいので熱中症には要警戒だ。加勢川(上江津湖)の風景▼GIFアニメーション17年前の映画「Life天国で君に逢えたら」の主題歌11年前、本條秀美さんが「牛深ハイヤ節大会」に向けて創作された曲2年前、熊本市で開催された「第4回アジア・太平洋水サミット」の記念ソング「水と花と夢と」より暑さしのぎ

  • 熊本城の平櫓台石垣の積み直し

    昨日、熊本城の平櫓(ひらやぐら)台石垣の積み直し工事が始まったとローカルニュースが伝えていた。熊本地震で櫓も石垣も大きく損壊し、5年ほど前から櫓と石垣の解体が行われた。今年3月中旬には石垣の復旧工事に入ったかと思ったら中断していたので、いったいいつから始まるのだろうと思っていた。昨日、たまたま下を車で通ったら工事を再開した様子が見えたので、やっと始まったかと思いながら通過した。平櫓は本丸の北東に位置する平屋の櫓(国重要文化財)で、石垣は加藤時代に築かれたと伝えられている。復旧に当たってはモルタル吹き付けや鉄筋の挿入など現代工法を使って石垣内部の耐震補強を行うという。ニュースによれば1日に石5個積むのが精一杯だという。今日と違って重機もなかった清正公の時代、城づくりに携わった先人たちの苦労が偲ばれる。今年の...熊本城の平櫓台石垣の積み直し

  • 熊本県スポーツ界は女性優位!?

    このところ、熊本県勢女性選手の活躍が目立つ。女性プロゴルフではプロ3年目の竹田麗央が今シーズン既にツアー3勝し、21歳になったばかりというのにプレースタイルには風格すら感じさせる。叔母さんにあたる平瀬真由美さんのように一時代を築くかもしれない。(右の写真は竹田麗央選手)その竹田選手の国府高校の先輩にあたるのが大里桃子選手。先日の「宮里藍サントリーレディス」で3年ぶりのツアー3勝目を挙げ復活を果たした。大柄で伸びやかなスイングにはポテンシャルを感じさせる。これから竹田選手と競い合って大いに活躍していただきたい。目を陸上界に転じると、今春、熊本中央高校から福岡大学に進んだ短距離種目の山形愛羽選手がインターハイを制した高校3年時の好調をキープしている。親元を離れ生活環境の変化にも影響はないようだ。先週鳥取で行わ...熊本県スポーツ界は女性優位!?

  • メグスリノキ

    どうも白内障が進行しているようなので今日生まれて初めて眼科病院に行った。熊本では最大の眼科専門病院である出田眼科病院。先日予約だけはしていたので指定された朝8:30に行ってみると、70~80名は収容できそうな待合ロビーは受診者で既に一杯。いろんな検査を受けて結局、会計を終えたのはもう午後1時に近かった。エントランスを抜けて外に出ると前庭に「メグスリノキ」があった。この病院のシンボルなのだろう。説明書のプレートを読みながら、ふと随分前にブログに書いた「メグスリノキ」にまつわる話を思い出した。▼向台寺目薬のはなし(2012.5.25.)わが家からも近い京町1丁目に向台寺という古いお寺がある。京町台の西南端に位置するが、上熊本方面に降りる坂には向台寺坂という名前が残っている。この向台寺、実は「向台寺目薬」と言っ...メグスリノキ

  • くまもと全国邦楽コンクール

    今日は朝から熊本市民会館へ「くまもと全国邦楽コンクール」を見に行く。今年で29回目を数えるそうだ。僕は2011年の第17回から見ているのだが、コロナで中止や無観客開催の年もあったので今回でたしか11回目の鑑賞となる。毎回思うのは「邦楽って何だろう?」ということ。熊本出身の地歌三絃の名手・長谷幸輝検校の名を冠したコンクールなのだが、江戸前期に肥後藩士・山崎半彌が残した「歳序雑話」には祇園社(現北岡神社)の祇園会の様子を表した「倡瞽者は淫楽の器を鳴らし、淫風の歌を謳ふ」という一文がある。これは6月14日(旧暦)に行われる祇園会は盛大で賑やかなもので、北岡の麓を流れる坪井川には遊舟が浮かべられ、舟上では酒食とともに音曲を楽しんでいたという、そんな風景を表現したもので、「倡瞽者(しょうこしゃ)つまり盲人音楽家がみ...くまもと全国邦楽コンクール

  • 祇王寺祇女桜

    監物台樹木園が3年ぶりに開園したが、開園日が4月25日だったので、残念ながら今年の桜開花時季は過ぎていた。何種類かの桜の中でも残念だったのは「祇王寺祇女桜(ぎおうじぎじょざくら)」の花が見られなかったことだ。この「祇王寺祇女桜」という桜の種類があることを知ったのは、10数年前、あるブログ記事で見つけた京都市右京区嵯峨の祇王寺の写真が、立田山麓にあった父の生家のイメージとそっくりだったことがきっかけだった。「祇王寺祇女桜」は祇王寺に植栽されていた桜で「平家物語」に登場する白拍子、祇王・祇女の姉妹がその名の由来である。▼『平家物語』巻一「祇王」のあらすじ祇王は容姿にすぐれた白拍子(しらびょうし=「今様」という当時の流行歌謡を歌い、舞を舞う男装の遊女)の名手として、京の町中に知れ渡っていた。祇王は平清盛の寵愛を...祇王寺祇女桜

  • ラインの仮橋

    昨日、ゲール・フォン(GaëlFons)さんのフェイスブックに、6月6日は「D-Day」で、フランス人にとってとても重要な日であることが書かれていた。これを読みながら、僕は「史上最大の作戦」とともにもう1本、別の映画のことを思い浮かべていた。それはフランスの社会派監督アンドレ・カイヤットの「ラインの仮橋(1960)」である。僕が高校生の頃で「史上最大の作戦」とほとんど同じ頃に見た覚えがあるが、今でも心に残る名作だと思っている。▼あらすじ第二次大戦、ドイツ軍の捕虜となったフランス人のパン職人ロジェと新聞記者のジャン。二人はライン河にかかった軍用仮橋の上で出会い、一緒に労役に服するため、あるドイツの村へと送られる。ここから二人の男の人生観と生き様が、際立った対照を見せながら、物語は進行する。村長の娘ヘルガを誘...ラインの仮橋

  • D-Day

    今日は日本では令和6年6月6日と「6」が並ぶので、メディアでもいろんな意味付けが話題になっていたようだ。一度だけ熊本城城彩苑でお会いしたことのあるフランス人のゲール・フォン(GaëlFons)さんがご自身のフェイスブックに、ヴェルレーヌの有名な詩の冒頭”Lessanglotslongsdesviolonsdel’automneBlessentmoncoeurd’unelangueurmonotone”【和訳】秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲しとともに、1962年の映画「史上最大の作戦」(TheLongestDay)の1場面の動画が貼り付けてあった。それを見て思い出した。そうか80年前の今日、「D-Day」つまり「ノルマンディー上陸作戦」が開始された日であったことを。動画にはドイツ人...D-Day

  • 観客のマナーのはなし。

    先日、熊本市民会館での日本舞踊公演をビデオ撮影していて一番困ったのは、上演中に平気で前を横切って行くオバちゃんたち。上演中は「動かない・しゃべらない」くらいは常識だと思っていたが、この日の客はそんなことは全くお構いなし。1階のいい席を取っていただいていたのだが、これじゃ満足に撮れないなと思い、2階席に移動した。2階は空席も多かったのでここなら大丈夫かなと思っていたら、何のことはない、2部の歌謡ショーが目的と思われるオバちゃんの団体がやって来て、上演中というのに大声で会話はするわ、カメラの前を平気で行き来するわでやりたい放題。こんなにマナーの悪い客と遭遇したことは今までにない。マナーといえばいつも困るのが能。拍手をしていいもんだかどうかわからない。能楽通に言わせれば、もともと神事として始まった能に拍手はいら...観客のマナーのはなし。

  • くまモン15周年に向けて!

    来年3月にデビューから15周年を迎える熊本県のキャラクター「くまモン」。今、それを記念するロゴ募集や選考が進められている。7月上旬には記念ロゴが決まる予定だという。九州新幹線鹿児島ルートの開業による地域振興効果を上げるため、2005年に「新幹線くまもと創りプロジェクト」が立ち上った。その一環として、2010年には熊本出身の脚本家・小山薫堂さんの企画で「くまもとサプライズ」が始まり、そのキャラクターとして創造されたのが「くまモン」。それからやがて15年が経とうとしている。振り返れば、この15年は熊本にとっていろんな意味でサプライズの連続だった。2011年、新幹線開業の前日に発生した東日本大震災。予定されていた開業記念のイベントはすべて中止あるいは延期に。それから1年ほど続いたイベント等の自粛。前途多難を覚悟...くまモン15周年に向けて!

  • 歌舞伎舞踊「京人形」を観ながら

    今日は舞踊公演のビデオ撮影を頼まれていたので市民会館に観に行った。日本舞踊藤間流師範、藤間きみ藤さんの芸歴五十年を記念する特別公演だった。お弟子さんや藤間流系の舞踊家など30名ほどの方が次々と舞踊を披露された。なかでも、藤村紫皇さんと藤間きみ奈さんが踊った歌舞伎舞踊「京人形」は出色。藤村紫皇さんは藤村流の家元で、先月、別の舞踊会で、その巧みな表現と滑稽味を見ていた。藤間きみ奈さんは若手舞踊家の期待の星だと、彼女が高校生の頃から聞いていた。この二人の共演だから当然の出来栄えだと思う。今日演じられたのは、京人形の精が踊り出す次のようなくだり。――名工・左甚五郎が廓の太夫に思いを寄せ、その姿を等身大の人形として彫り上げる。人形を愛でながら晩酌をしていると、不思議にも人形が動き出す。甚五郎が魂を込めて彫ったため、...歌舞伎舞踊「京人形」を観ながら

  • 六月朔日詣り

    今日は藤崎八旛宮へ六月の朔日詣りに行った。いつもの朔日より駐車や参詣者が多いなと思ったら、六月一日恒例の「開運長寿祭」だった。熊本では「6.1」にちなんで、この日に今年還暦を迎える人を祝う風習がある。今日も拝殿でお参りした後、境内の各末社もお詣りして回った。そして清原元輔の歌碑「藤崎の軒の巌に生ふる松今幾千代か子(ね)の日過ぐさむ」をあらためて読んだ。この歌は、藤崎宮が今の藤崎台にあった頃、元輔が「子の日の松」の行事を行ったときに詠んだものと伝えられる。古より不老長寿の象徴とされてきた「松」のめでたさを詠んだ歌。今日という日にはピッタリだなと思う。一方、娘の清少納言は「枕草子」の「めでたきもの」の條には「色あひふかく花房ながく咲きたる藤の花の松にかかりたる」という一節がある。「藤の花」はたおやかな女性のイ...六月朔日詣り

  • 旧坪井川河道の跡

    壺川小学校裏の民家(下の地図の赤〇)が解体され更地になっていた。この家は旧坪井川河道(地図の黒いライン)が湾曲している場所にあたる。既に整地が始まっていたのでわからないが、旧河道の土手の痕跡があったのではないかと思う。10年ほど前、黒ラインの上端辺りの家の長老に会ってお話を聴いた時、家の裏に古い土手の跡があるとおっしゃっていた。普通の民家なので調査などは行わずに工事を行ったものだろうが、坪井川の歴史を確かめるいい機会ではなかったかとちょっと残念な気がした。解体前の民家(正面突き当り)家の位置と旧坪井川河道解体され整地が進む更地旧坪井川河道の跡

  • 郷土芸能の伝承に励む高校生にエール!

    天草伝統の唄と踊り「牛深ハイヤ」を守る牛深高校郷土芸能部は、全国高校総文祭に25回出場し、日本一に輝いたこともある名門。しかし、少子化の影響で生徒数が減少、2年前の春には3年生が卒業し部員ゼロという存続の危機に立たされたこともあったという。その年の熊本県高校総文祭パレードでは郷土芸能部門の常連である牛深高が数名の部員で参加し、とても寂しかったことを覚えている。今年の1月だったか、NHK九州・沖縄で放送された「キミだけ応援団」や5月に放送されたNHKの「ひむバス!」などでその活動が紹介され、復活の兆しを感じてはいたが、今日、今年の熊本県高校総文祭パレードをナマで見ることができ、踊り手、地方ともに10名以上のメンバーが揃っていることを確認して安心した。郷土芸能は伝統を繋いでいくことが大変だと聞く。何とか頑張っ...郷土芸能の伝承に励む高校生にエール!

  • 大相撲と熊本

    大相撲五月場所は、初土俵から7場所目という、まだ大銀杏も結えない大の里の優勝で幕を閉じた。評論家が口を揃えて「横綱の器」だという大の里はおそらく大関昇進までそれほど時間はかからないだろう。最近、やたらと多い短命大関にならないことを願うばかりだ。かつて熊本は相撲の聖地だった。それは相撲の宗家である吉田司家があったからである。僕らが子どもだった頃、新横綱が誕生すると藤崎八旛宮の参道沿いにあった吉田司家で免許状の授与が行われていた。吉田司家はもともと越前国の武家。後鳥羽天皇(平安末期-鎌倉初期)の時代、初代の吉田家次が節会相撲の行司官に任ぜられ、以後、相撲の宗家として代々「追風」の号を名乗った。肥後細川3代の細川綱利公の時、招かれて熊本藩に仕えた。寛政元年(1789)19代吉田追風が「横綱」を考案し、谷風梶之助...大相撲と熊本

  • ジェット・ストリーム(再編集版)

    20代の頃、会社の担当者会議でよく東京に出張した。1日で会議が終わる時は熊本ー東京間を飛行機で日帰りした。ある時の出張の帰り、熊本へ向かうJAL最終便の離陸を待つ機内でラジオを聴いていた。少し遅れて搭乗してきたダンディな紳士が隣りに座った。この紳士、他の乗客と様子が違っていた。離陸する時、頭を傾げてじっと聞き耳を立てていた。僕は気にしない素振りをしていた。飛行機が上空に上がって安定飛行に入った時、その紳士が突然話しかけてきた。「いや、私もね、この飛行機を操縦するもんですからね、離陸と着陸は気になるんですよ」。そうですかと答えた僕に「今日の機長は上手いですよ」と続けた。それからしばらく、お互いの身の上などを語り合った。紳士が「どこにお住まいですか」とたずねたので、「京町です」と答えた。すると紳士は「それじゃ...ジェット・ストリーム(再編集版)

  • 「光る君へ」と藤原保昌

    大河ドラマ「光る君へ」には肥後国司を務めた清原元輔(清少納言の父)が登場しましたが、もう一人、同じく肥後国司を務めた藤原保昌(ふじわらのやすまさ)は武勇の誉れ高く「道長四天王」の一人とも呼ばれた人物ですので登場してもおかしくありません。熊本県観光連盟のウェブサイト「ふるさと寺子屋」には肥後の名国司の一人として保昌のことが次のように紹介されています。▼強盗の親玉も恐れる国司藤原保昌(ふじわらのやすまさ)昭和の初めまで藤原保昌が肥後の国司であったことは、伝承でしかありませんでしたが、『御堂関白記(みどうかんぱくき)』と称される藤原道長の日記に「藤原保昌を肥後守にした」と記されてあります。保昌は有名な武士で、強盗の親玉が恐れる程の人物でした。寛弘二年(1005)に肥後の国司が殺される事件があり、強剛な保昌が任命...「光る君へ」と藤原保昌

  • VRおじさんの初恋

    最近はテレビドラマといえば、大河や朝ドラをつまみ食い的に見るくらいだが、1回15分という気楽さもあって、珍しくズーっと見たのが「VRおじさんの初恋」(NHK)。最初はVR(バーチャル・リアリティ)の中の物語というので、ちょっとメンドくさいドラマかなと半歩ほど引き気味に見ていた。しかし、見始めると妙に心に響くものがあった。ドラマの中のVRはおそらく近未来のものと思われるのだが、そこに描かれているのは時代を問わない人間臭いドラマ。80の坂が見えて来た僕にとって、人生を振り返り、自分を見つめ直すこともあり、そこには「生き直し願望」のようなものが生まれる。仮想空間上のアバターに託して別の世界を生きてみたいという主人公たちの願望が痛いほどわかる。そしてアバターが自分自身のリアルワールドにおけるふるまいにも影響を与え...VRおじさんの初恋

  • まぼろしの銘菓「さおしか」(その後)

    先日、25回忌を営んだ亡父が幼い頃(大正時代初期)日参した泰勝寺の長岡家でふるまわれた銘菓「さおしか」。その「さおしか」を製造販売していた老舗菓子舗・福栄堂さんが、味噌天神近くで火曜日だけ営業しているという「肥後ジャーナル」の記事を発見し、直接福栄堂さんに電話をかけて確かめたのが昨年11月のことだった。わが父の思い出の菓子だったことや今でもどこかで作っていないか探していたことなどを女将さんに説明した。その折、今は「さおしか」は作っていないが、復刻を検討していることや合志市須屋の大盛堂さんが同じような作り方で「さおしか」を作っておられることをご紹介いただいた。しかし、ひょっとして25回忌までに福栄堂さんが「さおしか」を復刻されるかもしれないという微かな期待があり、大盛堂さんを訪れることはなかった。その後の経...まぼろしの銘菓「さおしか」(その後)

  • 高瀬裏川花しょうぶ

    今日は所用で玉名に行ったついでに高瀬裏川の花しょうぶを見に行った。思えば玉名に初めて勤務した昭和46年(1971)裏川沿いの、かつて米問屋だった町家を工場立上げ要員の仮住まいとして借りていた頃から53年という歳月が流れた。高瀬裏川というのは、現在の玉名市中心部が肥後高瀬藩だった頃、菊池川流域でとれた米を積んだ平田舟が行き交った運河で、河岸には町屋や蔵が軒を連ねていた。今も往時の風情を感じる町屋が残っている。肥後米の積出し港として栄えた高瀬町は、菊池川とその支流の繁根木川の中州にできた商業の町。古代から菊池川河口に開けた港町でもあった。古くから関西、関門、博多方面と交流があったと伝えられる。江戸時代には高瀬藩の御蔵が置かれ、肥後米最大の積出し港となっていた。この港から積み出し大坂堂島へ運ばれた米は「高瀬米」...高瀬裏川花しょうぶ

  • 伊勢へ七度 熊野へ三度(考察)

    「伊勢へ七度熊野へ三度」という俚諺がある。国語辞書には「伊勢神宮や熊野三社へたびたび参ること。信心の深いこと、また、信心はどんなに深くしても限りはないことのたとえ。」とある。そして、多くの場合、あとに、「愛宕様(山)へは月参り」と続けていう。いったいいつ頃からいわれ始めたのだろうかと調べてみると、コトバンクに「伊勢へ七度熊野へ三度」の初出の実例として「浮世草子・風流比翼鳥(1707)」が挙げられていた。江戸中期ということになる。しかし、それよりさかのぼること100年、江戸初期の阿國歌舞伎歌の中に「茶屋のおかかに末代添はば伊勢へ七度熊野へ十三度愛宕様へは月参り」という詞章が既にある。阿國歌舞伎は中世から近世にかけて流行した小歌などを取り込んでいるそうなので、この詞章も巷で歌われていたと考えられる。そこでオヤ...伊勢へ七度熊野へ三度(考察)

  • ポケットコンピュータとエイティーズ(80's)

    ブログ友の「小父さんから」さんが、電機メーカーのシャープが大阪のテレビ向け液晶パネル工場を生産停止したニュースを取り上げておられた。日本の電機メーカーが市場を切り開いてきたテレビ用の液晶パネル産業は、最後に残されたシャープの生産終了によって、事実上、幕を下ろすことになるという。日本の家電メーカーの凋落には「諸行無常」の思いを感じざるを得ない。中でも僕にとってシャープには特別な想いがある。1980年代の初め、僕は東京で勤務していたが、ちょうどその頃、パソコンが普及し始め、間接部門のOA(オフィス・オートメーション)化が始まった。その頃のパソコンというのは今から見れば、やっかいなシロモノで、「パソコンを使う」ということは「プログラム言語を使ってプログラミングする」ということだった。社員のほとんどがおよそコンピ...ポケットコンピュータとエイティーズ(80's)

  • 第29回くまもと全国邦楽コンクール

    邦楽の祭典「~長谷検校記念~第29回くまもと全国邦楽コンクール」が熊本市民会館で行われます。熊本市鍛冶屋町に生まれ、九州系地歌を全国に普及させた長谷幸輝(ながたにゆきてる)を記念して平成5年から始まったこのコンクールも今年で29回を数え、若手邦楽家の登龍門となっています。今年はどんな若手が飛び出すか楽しみです。本選出場者のメンバーが下記のとおり発表されました。日時:2024年6月9日(日)10:00〜会場:市民会館シアーズホーム夢ホール(熊本市民会館)入場無料今年の出場者で個人的に注目しているのは、筝曲部門の安嶋三保子さん、尺八・笛音楽部門の出会ユキさん、三味線音楽・胡弓部門の今藤政優さんなどです。第29回くまもと全国邦楽コンクール

  • 父の二十五回忌と「受け念仏」の話

    今日は父の二十五回忌。自宅に近親者のみ集まってささやかな法要を営んだ。最後に菩提寺ご住職の法話があり、浄土真宗の「受け念仏」についての話があった。大要は次のとおり。――私の恩師がアメリカのシアトルに招かれて広島県出身の信徒に法話をされたことがある。その時、今日、日本ではほとんど行われなくなった「受け念仏」が300人以上の信徒によって行われ、異常なほど盛り上がった。「受け念仏」とは、説教者のお話の中で、聴き手がいいお話をいただいたと感じた時はその都度手を合わせ「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と唱えること。その信徒たちは広島県からアメリカに移民として渡った人たちの三世・四世の人たちで、父母や祖父母などからそうするように教わって育ったという。日本では既に廃れてしまった宗教的風習が遠く離れたアメリカの地に残っていて感...父の二十五回忌と「受け念仏」の話

  • 「草枕 鏡が池」のモデル

    昨日、子飼へ車の給油に行った帰り、泰勝寺跡の前を通ったのでちょっと立ち寄った。昨年、一時干上がった池の現状が気になっていたからだ。満水まではいかないが4分の3くらいまで水位が戻っていて安心した。2016~2017年に開催された夏目漱石記念年事業の一環として出版された「漱石の記憶」(熊日出版)の中に、中村青史先生(元熊大教授、2023年8月没)の「草枕鏡が池のモデル」という小論が掲載されていて、漱石の「草枕」に登場する「鏡が池」は泰勝寺の池がモデルではないかと推論されている。「草枕」の「鏡が池」のくだりでは、画工と那美さんのやりとりの後、「鏡が池」の描写がある。--------------------------------------------------------------------------...「草枕鏡が池」のモデル

  • ビートルズ60年

    ザ・ビートルズが「ラブ・ミー・ドゥ」でメジャーデビューしたのは1962年10月のこと。しかし、日本では1964年2月に発売された「IWantToHoldYourHand(抱きしめたい)」がビートルズの日本デビュー曲となった。この1964年がいわば日本のビートルズ元年といえる。僕は当時も今も特別なビートルズファンというわけではないが、彼らが世に出た頃が一番音楽を聴いていた時期なので、その時代の空気感みたいなものはよく憶えている。この1964年、僕は高校を卒業して上京した。この年は東京オリンピックの年で、大学の水泳部もシーズンインがいつもの年より早く、まだ卒業式前の2月に入ると早くも大学水泳部の寮に入った。慣れない寮生活で楽しみと言えば、高校時代からのラジオでヒットポップスを聴くことだった。なかでも熊本では聞...ビートルズ60年

  • 清少納言と清原元輔そして檜垣媼

    昨夜のNHK「歴史探偵」のテーマは「清少納言と枕草子」だった。大河ドラマ「光る君へ」を放送中なので番宣の意味もあったのだろう。「清少納言と枕草子」についてはこれまでも「100分de名著」などいろんな番組で取り上げられてきたので、あらためて内容については触れない。そこで、清少納言の父親、三十六歌仙の一人で肥後国司を務めた清原元輔との関係について気になっていることを記しておきたい。清少納言は生没年不詳とされているが最近では康保3年(966年)生まれとする説が有力のようだ。ということは、元輔が59歳頃に生まれたことになる。現代でも70歳前後で子を生す人はいるので不思議ではないが、平均寿命が50歳くらいだった平安時代に随分お元気だったのだなぁと思う。元輔が天延2年(974年)周防国司として赴任した時、清少納言はま...清少納言と清原元輔そして檜垣媼

  • 60年の歳月を隔てて

    今日ネットニュースで嬉しい写真を見つけた。ドジャースの専属カメラマン、ジョン・スーフーさんが今日、自身のインスタグラムに公開した、大谷翔平選手と日本人初のメジャーリーガー、村上雅則さんのツーショット写真だ。60年前、それまで日本人にとっては遠い夢の世界だったメジャーリーグに先鞭をつけた村上さんと、今やメジャーリーグのトップスターとなった大谷選手。60年の歳月を隔てて二人が並び立つ姿を見て感慨もひとしおである。MasseyMurakami(村上雅則)メジャーリーグ初の日本人選手、村上雅則さんがSFジャイアンツのリリーバーとして活躍したのは1964年と1965年。当時の日本ではMLBのテレビ放送などはなく、毎朝、新聞のスポーツ欄で確かめ、たまに数日遅れの映像をテレビで見るのが楽しみだった。さらにその3年ほど前...60年の歳月を隔てて

  • 伝説の起り

    先月、NHK「歴史探偵」で平安時代の名僧・空海を取り上げていた。日本各地およそ3,000ヶ所に空海伝説が伝わるという。それは、「高野聖(こうやひじり)」と呼ばれた下級僧たちが全国各地に赴き、勧進をし空海の教えを説いたからだという。それはいつの頃からか空海本人が訪れたという話に変わっていった。見ながら僕は「小野小町」のことを連想した。小野小町も全国いたるところに生誕地や墓などゆかりの地が存在する。柳田國男は著書「妹の力」の中で、「小野小町の遺跡が全国に(西は九州の熊本付近から、一方は奥州羽州にかけて)充満している事実に対しては、(中略)わたしはこれを小町の物語をもってあるく女性が、もとはおおよそ一つの中心から、発足したからではないかと想像している。(中略)小野小町の物語をしてあるく者を、直接にその小町が来た...伝説の起り

  • 「そうじゃおまへんか節」の系譜

    ブログ友の「無題・休題-ハバネロ風味-」さんが地元である山形県酒田市の趣のある料亭街などを紹介されていました。その中に街中の路面にはめ込まれた「酒田甚句」のプレートが印象的で、同じ系統といわれるわが熊本の「おてもやん」のことを思い出しました。5年ほど前、熊日新聞の連載企画「肥後にわか~笑いの来た道~」に、東海風流プロジェクト(水野詩都子・﨑秀五郎)さんが「おてもやん」の音楽的系譜について寄稿されました。その要点は――明治20年頃「きんらい節」という曲が流行りました。上方の噺家・初代芝楽が京都から江戸に移り、「きんらい節」を披露し花柳界から瞬く間に全国に届くほど大流行しました。蓄音機ができる10年前ですから、広範囲で流行したというのは凄い事だと思います。曲のおしまいに呪文のような囃子言葉があります。「キンム...「そうじゃおまへんか節」の系譜

  • 「母の日」に想いだすこと

    今日は「母の日」。僕は「母の日」に必ず想いだすことがある。今年102歳となった母はもう炊事をすることはないが、まだ元気に炊事をしていた頃、時々作ってくれたのが「炊き込みご飯」だった。といっても、にんじんと揚げとゴマメを入れ、醤油で味付けしただけの質素な「炊き込みご飯」である。実はこれ、昭和15、6年頃、母が勤めていた島崎尋常高等小学校で、待労院(慈恵病院の前身)から登校していた孤児たちに給食として食べさせていた一品らしい。おかずはない。孤児たちはこれが大好きで喜んで食べていたそうだ。2006年だったか、慈恵病院が「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」を立ち上げた時、メディアなどでは売名行為などと批判する声もあった。時の某首相など、この件を記者から尋ねられると、あからさまに不快な表情を隠さなかった。孤児...「母の日」に想いだすこと

  • シーボルトのかっぽれ

    この映像に付けられた音楽は、江戸後期、長崎のオランダ商館の医師として日本へやって来たシーボルトが採譜し、ドイツの作曲家ヨーゼフ・キュフナーによってピアノ曲に編曲されたた「日本の旋律」という楽曲である。全7曲のうち2曲目に収められているのが、俗にいう「シーボルトのかっぽれ」という曲で「Pocolento(かっぽれ)」という題名が付けられている。「Pocolento」とはイタリア語で「少しゆっくり」という意味だそうで、0:47から2:20までが「Pocolento(かっぽれ)」である。この映像を視聴すると、誰しも「かっぽれ」とは似ても似つかぬと思うだろう。いったいなぜこんな曲になったのだろうか。まず、シーボルトはいつ、どこで、どのような状況で「かっぽれ」に接したのだろうか。この時代、彼がいた長崎出島周辺に「か...シーボルトのかっぽれ

  • 中将湯と中将姫

    ブログをフォローさせていただいている「りぼんの部屋」さんが、朝ドラ「虎に翼」に違和感を感じるという記事をアップされていた。りぼんさんは「昭和初期の家庭内で女性の生理について大っぴらに会話するなどあっただろうか」という主旨だった。実は僕も見ていて同じことを感じていたのでさっそくコメントを入れさせていただいた。同意を伝えると、りぼんさんからリプライがあり、その中に「ドラマでは、生理痛の時に、三陰交のツボ押しの話は出てくるが、「中将湯」の話が出て来ないのはなぜ…」という疑問を抱かれたようだ。「中将湯」というのは生理痛など女性特有の症状に幅広く用いられる生薬のこと。女性ならではの気付きだと思うが、たしかに「中将湯」は明治26年に発売されたとあり、昭和初期にはかなり普及していたはず。僕らが子どもの頃、あちこちで「中...中将湯と中将姫

  • 父が生きた時代

    来る5月19日はわが父の祥月命日である。今年は没後24年になり、コロナで23回忌を見送ったかわりに、今年25回忌を行なうことを菩提寺のご住職と相談して決めた。これまで父の祥月命日には父が書き残した備忘録の中から選んで記事を投稿してきたが、今回は戦前の3題をあらためて再掲することにした。昭和11年3月、天草上村で・・・(2011.5.19)今日は父の11回目の祥月命日。先日、母を連れて、かつて父が赴任していた上天草市の上小学校を訪問したが、その後、父の古いアルバムの中に、その当時の写真があるのを発見した。当時の上村尋常高等小学校の教職員の集合写真だった。昭和11年3月撮影と記されていた。ということは父が24歳、教員になってから既に5年ほど経った頃のようだが、真ん中で腕組みをしているところを見ると、結構生意気...父が生きた時代

  • 来春の愉しみな公演

    先日「城彩苑」で行われた「春の熊本城坪井川園遊会」の「舞踊団花童&はつ喜」の公演を見に行き、終演後、舞踊団主宰の中村花誠先生にご挨拶した際、別れ際に先生が「来年はよろしく!」とおっしゃった。一瞬何のことかと思ったが、すぐに来春計画されている特別公演のことだなと気付いた。舞踊団結成25周年と先生の還暦を合わせて祝う公演の計画は何度か伺っていた。どんな公演になるのか楽しみだが、2018年・2019年に行われ、その後、新型コロナの影響もあって途絶えている八千代座での「山鹿をどり」をしのぐ公演になることを期待している。2019.5.12山鹿八千代座第二回山鹿をどり作詞・作曲:本條秀太郎作調:中村寿誠・中村花誠笛作調:藤舎元生振付:藤間珠寿恵【立方】:藤間誠申・はつ喜月若・花童きみか・花童じゅの・麻生朱里【地方】三...来春の愉しみな公演

  • 今日の散歩 ~寺原・坪井・内坪井界隈~

    今日は瀬戸坂を下り、眞光寺の前で右折し、かつて家鴨丁(あひるちょう)と呼ばれた小路に入った。家鴨丁を抜けると左折し坪井川に架かる庚申橋に向かう。流長院の裏手の民家の脇で初夏の花「スイカズラ(忍冬)」の花を見つけた。最近、スイカズラの花を見なくなったなぁと思っていたのでちょっと嬉しい発見だった。ジョン・フォードの「荒野の決闘」を思い出して花の香りを嗅いでみたが、あまり匂いはしなかった。「荒野の決闘とスイカズラ」スイカズラの花庚申橋を渡って右折し、坪井川に沿ってひとつ下流の空壷橋で県道を横切り、坪井1丁目公園でひと休みした。ついでに近くの小泉八雲・坪井西堀端旧居(熊本第二旧居)跡の記念碑を見に行った。今は邸の痕跡もなく道路を挟んだ向かいにあった八雲ゆかりの東岸寺跡地蔵堂も数年前に撤去された。公園近くの民家の庭...今日の散歩~寺原・坪井・内坪井界隈~

  • 代継宮 ~曲水の宴~

    今日5月4日は代継宮(熊本市北区龍田)で毎年恒例の「曲水の宴」が行われ、会場を取り巻く観客は雅な平安絵巻を楽しんでいた。代継宮の「曲水の宴」は今年で12回目。色鮮やかな十二単など平安時代の衣装を身に纏った歌人たちが庭園内の「遣水(やりみず)」沿いに座り、酒杯が目の前を通過するまでに与えられた歌題の和歌を詠んだ。今回の歌題は「うぐいす」と「あやめ」。歌人に扮した熊本の民放テレビ各局から選ばれた女性アナウンサーらが思い思いの歌を詠んでいた。歌人に扮した女性アナウンサーたち巫女による祭祀舞「豊栄の舞」榊を手に舞う。「天の浮橋」を渡ってそれぞれの歌詠みの席へ向かう歌人たちまさに平安絵巻を思わせる「曲水の宴」代継宮~曲水の宴~

  • 熊本城坪井川園遊会 ~花魁三分二朱~

    現在、熊本城の観光施設「城彩苑」では「春の熊本城坪井川園遊会」が連日開かれており、今日は「舞踊団花童&はつ喜」6名の出演。「元禄花見踊」など4曲を披露したが、花魁、振袖新造、禿の衣装で踊り、雰囲気を盛り上げた。公演が終わった後、舞踊団主宰の中村花誠先生にご挨拶したが、「今日は春の園遊会なので花魁づくしでやりました」とおっしゃっていた。以前は春の園遊会でも花魁道中が行われていたが、近年は秋の園遊会だけになった。今日の演目の中から「花魁三分二朱(おいらんさんぶにしゅ)」をアップしてみた。この曲はお馴染みの江戸端唄「奴さん」である。端唄「奴さん」には多くの替え歌があり、この「花魁三分二朱」はいわば「奴さん」の花魁バージョンといったところ。「花魁三分二朱」とは花魁の揚げ代が三分二朱かかるという意味だが、今日の金額...熊本城坪井川園遊会~花魁三分二朱~

  • 城彩苑の賑わい

    今日は少し距離を伸ばして熊本市民会館辺りまで歩いた。帰りは熊本城の観光施設「城彩苑」を通り抜けて二の丸広場へ上って帰った。城彩苑は大型連休中とあって大勢の観光客で賑わっている。そして聞こえてくる会話は中国語がほとんどだった。帰ってから夕方のRKKテレビのニュース情報番組「夕方Liveゲツキン!」を見ていると、さっき通ったばかりの城彩苑の話題が取り上げられていた。それによると、城彩苑の来場客数が過去最多になったという。昨年3月から1年間の売り上げが、前年比では155%、コロナ前の2019年よりも140%だという。来場者数は前年から68万人ほど増え、過去最多の226万2000人、店舗の販売高は去年の1.5倍以上と過去最高を記録したそうだ。好調の要因は、台湾からの観光客の増加だそうで、TSMCの進出効果もあるの...城彩苑の賑わい

  • 今日聴きたいと思った音楽

    ♪あなたの思い出(MemoriesofYou)今年に入ってから、送られてくるブリヂストンのOB会報に知人の訃報が多くなった。かつての上司や同僚など、お一人お一人の在りし日のお姿を思い出し、その人と接した場面の思い出に浸っている。肥薩おれんじ鉄道♪銚子大漁節先日、熊本県と鹿児島県の間で運行している第三セクターの「肥薩おれんじ鉄道」と千葉県の「銚子電鉄」との間で事業連携の協定を結んだというニュースが流れた。一瞬「?」と首をかしげたが、きっと何かメリットがあるのだろう。いや是非メリットを生み出してほしい。今日聴きたいと思った音楽

  • ブリヂストン吹奏楽団 with 玉名女子高吹奏楽部

    6月15日、玉名市民会館で「ブリヂストン吹奏楽団久留米玉名チャリティコンサート2024」が行われる。11年前のこのコンサート以来、この楽団の演奏をナマで聴いていない。久しぶりに聴きに行ってみようかと思っている。思えばこの楽団の防府市公会堂でのコンサートの企画運営を担当してから47年の月日が流れた。そしてこの楽団のメインテーマ曲は昔も今も「どこまでも行こう」。ブリヂストンのCMソングとしてお馴染みの曲である。11年前の玉名公演と同様、今回も玉名女子高校吹奏楽部との共演となった。全日本吹奏楽コンクールにおいて金賞常連の二つの楽団の共演は見もの聴きものである。開催日:6月15日(土)会場:玉名市民会館大ホール▼ブリヂストン吹奏楽団久留米▼玉名女子高等学校吹奏楽部ブリヂストン吹奏楽団with玉名女子高吹奏楽部

  • 清正公(セイショコ)さんと木遣

    昨日、加藤神社で行われた「清正公まつり」で「木遣」と「梯子乗り」が奉納された。このまつりで「木遣」を見たのは初めてだったので「オヤ?」と思ったのだが、考えてみれば清正公と「木遣」は縁が深い。なるほどなと思った。慶長15年(1610)、徳川家康による名古屋城の天下普請の際、加藤清正は最も難工事といわれた本丸の石垣工事を担当した。この名古屋城築城時の清正公の働きぶりについては江戸時代に書かれた古文書「続撰清正記」に詳しい。これを「肥後史話」(卯野木卯一良著・昭和56年)では次のように解説されている。この時の清正の工事の活動振りは目ざましいものであった。かつて熊本大築城の経験もあり、慶長11年には江戸城の築城にも参加していたので、今度の工事は知れたものである。自ら進んで天守閣の築造を引き受け、寵臣である飯田覚兵...清正公(セイショコ)さんと木遣

  • 清正公まつり

    今日は加藤神社の「清正公まつり」が行われたので、参拝後、御神幸の宮出しを見てきた。長く途絶えていたこの祭を昭和50年(1975)に復活させ、今年が50回目だという。1975年と言えば、仕事が最も忙しかった頃で、翌年には転勤で熊本を離れたので、実はこの祭のことは知らなかった。それから約20年後熊本に帰ってからこの祭を知った。子供の頃、加藤神社は京町台の新堀にあり、境内は遊び場の一つでもあったが、戦後30年経ってから復活したこの祭には縁がなかったのである。今日は気温が27℃まで上がり、御神幸の参加者、特に子供たちは厳しい道行となっただろう。一昨年まで7月下旬に行われていたこの祭を暑さ対策もあって4月開催に変更した効果もあまり感じられないほどだった。木遣唄と梯子乗り巫女たちも御神幸へ神輿の宮出し(一の宮)神輿の...清正公まつり

  • 叔母の旅立ち

    御殿場の叔母が旅立った。いつ見てもニコニコしている叔母だった。まだ80を過ぎたばかりと思っていたのにあっけない最期だった。叔父(母の弟)は若い頃からずっと御殿場の自衛隊にいたので御殿場で知り合って結婚した。もう60年近くも前になるが、僕は大学生で川崎に住んでいたので、唯一の花婿側親族として結婚式に出席した。初めて叔母を見た時、玉名の叔母(叔父の姉)の若い頃にそっくりだなと思った。叔父にそのことを言ったら、「そうかなぁ」と首をひねっていたが、叔父は無意識に姉上に似た人を選んでいたのかもしれない。僕は学生時代や東京勤務時代に何度も御殿場の叔父の家を訪れた。東京を離れてからは行く機会がなくなった。叔母が健在なうちにもう一度行きたかった。今頃叔母は早世した長女と再会していることだろう。今でも時々、叔父の結婚式で初...叔母の旅立ち

  • 庭の山椒の木

    家内と庭の山椒の木の実を摘んだ。葉の中にうっかり手を突っ込むとトゲが刺さるので用心には用心を重ねて実を摘もうとするのだが、やっぱり時々刺さって痛い。古い山椒の木はトゲがなくなるとも聞くが(人間と同じか)、やはりトゲがあったほうが若々しい感じがする。家内が作る「ちりめん山椒」が楽しみだ。「庭の山椒の木・・・」と聞くと、必ず思い出すのが宮崎県民謡「ひえつき節」の歌詞問題だ。下の動画を公開してしばらく経った頃、冒頭の歌詞「庭の山椒の木」というのは間違いで、「山茱恪(さんしゅゆ)の木」が正しいというご指摘を数件いただいた。これは一種のフェイク情報で、この唄の発祥地・椎葉村の担当課が「さんしゅうと唄うのは地元の方言で山椒が正しい」というメッセージを発信されてから鎮静化したが、一時は舞踊の指導的立場の方まで「山茱恪」...庭の山椒の木

  • 自己表現欲求とパソコン

    長嶺でパソコン教室を開いていた頃、習いに来ていたMさんが久しぶりにやって来た。いつものように西原村産のさつまいもを抱えていた。全国の品評会でも上位にランクされるというさつまいもで、甘くて美味、本当にありがたい。今日の来意は、しばらく離れていたパソコンを再開したい。ついては新しいパソコンを購入したいのでアドバイスをということであった。彼が初めて習いに来たのは2000年頃で、ちょうど国を挙げて「IT革命」などと喧伝している最中だった。彼は当時1級建築士として多忙な頃だったが、CADなど新しい技術には少々乗り遅れ気味だった。パソコンを基礎から学びたいということでExcelやWordなどを教えたと記憶している。それから10数年後、体を悪くして彼は仕事から退いた。そして70歳を過ぎた今、もう一度パソコンで何かやれな...自己表現欲求とパソコン

  • 山形愛羽選手 今シーズンも快調!

    日本グランプリシリーズ2024第2戦「吉岡隆徳記念出雲陸上競技大会」が4月13・14日、島根県出雲市で行われた。今春、熊本中央高校を卒業し、福岡大学に進学した女子短距離のホープ山形愛羽選手が期待通りの走りを見せ、100mのA決勝で3位と活躍した。予選では11秒46の自己新を記録、彼女の念願だった11秒4台に突入した。予選決勝を通じ、兒玉芽生や君嶋愛梨沙らのトップランナーに一歩も引けをとらなかった。これからさらに彼女の特長であるピッチ走法と後半の加速を磨いて行けばパリ五輪のリレーメンバーも夢ではないと思う。今年の山形選手から目が離せない。山形愛羽選手今シーズンも快調!

  • 鏡子夫人の証言

    漱石夫人の夏目鏡子さんが口述し、娘婿の松岡譲さんが筆録した「漱石の思い出」を読んでいると、関係者しか知り得ない漱石作品の「behindthescenes」を見るようでなかなか興味深い。その中の一つ、「草枕」の一節、画工が「那古井の宿」の浴場に入っている時、湯煙の中に「那美さん」が手拭いを下げて湯壺へ降りてくる場面についての鏡子夫人の証言が面白い。小説の登場人物は画工と那美さんの二人だけだが、実際には漱石と同行した山川信次郎の二人が浴槽に入っているところへ裸で入って来た前田の姉さん(那美さんのモデル)がびっくりしてあわてて逃げ出したが、実は別の女中さんも裸になりかけていたというのが真相のようだ。また、漱石と山川信次郎は、名士を迎えるために造られたというこの前田家別邸で一番上等の「三番の部屋」に逗留したが、家...鏡子夫人の証言

  • 雨に濡れたカキツバタ

    そろそろ時季かなと思い、小雨の中、立田山湿性植物苑のカキツバタを見に行った。今年もきれいな本紫(ほんむらさき)の花を咲かせていた。カキツバタは「燕子花」と「杜若」の二つの漢字表記があるが、「燕子花」はカキツバタが、ツバメが翼を広げた形に似ていることが由来だという。たしかに今日、花びらに雨粒を湛えたカキツバタを見ていて「なるほどな」と思った。一方の「杜若」はもともと別の植物でカキツバタに似ていたため混同されたものだという。カキツバタの語源については諸説あるようで、それはまた別の機会のネタにしたい。カキツバタと言えば古今和歌集に収められた在原業平の折句の歌が有名だが、業平は平安前期9世紀の人。その時代には既にカキツバタという呼び名が一般化していたと思われる。から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびを...雨に濡れたカキツバタ

  • テイカカズラとアメノウズメ

    新坂を歩いて下って行くと、テイカカズラの甘い香りが漂ってくる。季節はもはや初夏。「定家葛(テイカカズラ)」の名は、式子内親王を愛した藤原定家(ふじわらのていか)が、死後も彼女を忘れられず、ついにテイカカズラに生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説に基づく能「定家」から付けられたという。そのテイカカズラの古名が「真拆の葛(マサキノカヅラ)」。2023年度前期の朝ドラ、植物学者の牧野富太郎をモデルにした「らんまん」はまだ記憶に新しいが、牧野博士の自叙伝には次のような一節がある。――かの『古今集』の歌の「深山には霰降るらし外山なるまさきのかづら色づきにけり」にあるマサキノカズラも、今日八丈島等に昔ながらのその方言が残っていたればこそそれがテイカカズラである事が判った。それ迄はこのマサキノカズラをツルマサ...テイカカズラとアメノウズメ

  • ブログ開設から7000日

    ブログ編集画面の左上の隅に「ブログ開設から7001日」と表示されていることに気付いた。昨日が7000日だったわけだ。2005年2月にブログを立ち上げて20年目に入った。この間にはいろんな思い出深いブログネタがあったが、その中から今回は2つを取り上げてみた。▼馬頭琴コンサート開催2007年3月、熊本市国際交流会館ホールで馬頭琴のコンサートを開いた。中国・内モンゴル自治区の緑化事業に取り組んでいるNPO法人どんぐりモンゴリの主催で、同自治区出身の馬頭琴奏者リポーさんを招き、内モンゴルの民俗芸能を熊本市民に紹介し、緑化事業への協力をお願いする目的で企画されたもの。実質的な主催者である同法人熊本支部代表の梅林強さんから依頼を受けた僕が総合プロデュースの役割を務めさせていただいた。会社員時代に何度かブリヂストン吹奏...ブログ開設から7000日

  • 山路を登りながら、こう考えた。~草枕の世界~

    「山路を登りながら、こう考えた。」これは漱石の「草枕」冒頭の有名な一節である。そしてこの山路というのは鎌研坂(かまとぎざか)のことといわれている。熊本市島崎の岳林寺辺りから金峰山に登る最初の険しい山道でもある。先月末日に行われた本妙寺桜灯籠を見に行った時、参道の一角で米屋を営む中学時代の親友の家を訪ねた。と言っても親友は11年前に既に他界している。僕がまだ「草枕」のことなど何も知らなかった中学時代、その親友と毎週のように登った山道だ。今日では自動車道が並行しているが、当時は「けもの道」のような山道が一本あるだけ。お互いに母親が作ってくれた弁当をリュックに詰め、一路金峰山を目指した。二人とも大の映画好き。道中は互いに知っている限りのまめ知識を披露し合うのである。当時は西部劇の全盛期で、話題は見た西部劇のスト...山路を登りながら、こう考えた。~草枕の世界~

  • 慶長十二年 丁未(ひのとひつじ)の條

    今日4月15日は出雲阿国の忌日である「阿国忌」(生没年不詳)とされている。慶長15年(1610)春、加藤清正は八幡の國(出雲阿国)を肥後に招き、鹽屋町三丁目(現中央区新町2丁目)の武者溜りで歌舞伎を興行したことが「續撰清正記」」に書かれている。しかしこれ以外の史料がなく詳細は分からない。何か未知のことでも書かれていないかと思い、「国立国会図書館デジタルコレクション」の中の「江戸年代記(明治42年出版)」を調べてみた。すると「慶長十二年・丁未(ひのとひつじ)」の2月に面白い記述を発見した。そこには次の2項目が並記されていたのである。二月細川幽斎室町家の儀式三巻を上る同月観世金春勧進能興行出雲阿国歌舞伎興行まず最初の項目は肥後細川家の礎である細川幽斎が徳川家康に重用されていたことを示すもの。この時には既に家康...慶長十二年丁未(ひのとひつじ)の條

  • 熊本地震から8年

    今日で熊本地震の前震からちょうど8年。2日後の本震ももちろん凄かったが、前震もほとんど同程度の揺れで生まれて初めて経験する激震だったのでより印象深い。本震時はある程度の覚悟ができていたように思う。前震は夜9時を過ぎていたので翌朝になって初めて被災状況を知ることになったが、わが家から最初に目に入った惨状が下の写真。瀬戸坂を挟んで向かい側に建つF氏宅。西南戦争時の弾痕が残るというこの家は、この辺りでは珍しい「むくり屋根の家」として地元で知られた旧家である。南側が崖になっていて見事な石垣が積み上げてあったのだが、地震によって無残に崩落してしまった。8年経った現在の状況と写真を2枚並べてみた。熊本地震直後のF氏宅(むくり屋根の家)8年経った今日現在のF氏宅自分自身の中でも熊本地震の記憶が風化しつつあることは否めな...熊本地震から8年

  • 金栗記念陸上2024

    今日は「金栗記念選抜陸上中長距離大会2024」を見に行った。いよいよオリンピックイヤーの陸上シーズンが始まった。何と言っても注目は女子中長距離の日本記録保持者である田中希実選手。今日は800mと1500mの2種目に出場した。しかしまだ調整段階のようで2種目とも2位に終わった。これから7月下旬のパリ五輪に照準を合わせ、徐々に仕上げて行くのだろう。いつもながら陸上界のスターが登場するとあって、彼女の出場種目の時間が近づくと、スタート招集所前には多くのメディアが集結し注目度の高さをうかがわせた。今年の彼女の活躍に期待したい。先頭を走る田中希実選手(800m)田中希実選手の出番が近づくと多くのメディアが集結(1500m)金栗記念陸上2024

  • 御衣黄桜と気象予報士

    熊本城三の丸の御衣黄桜が咲き始めたのを確認してから10日経つので、その後の開き具合を見に行った。ほぼ満開となった御衣黄桜を眺めていると僕以外誰もいないその木の下へ若い男性が歩いて近づいて来た。にこやかな表情で「よく見に来られるんですか?」と声をかけられたので、「えゝよく来ますよ」と答えた。御衣黄桜と鬱金(ウコン)桜は紛らわしいですねなどと、しばらく桜談義をしながら、桜の写真を撮っていると、本人の方から「私はKAB(熊本朝日放送)の夕方のニュースで天気予報をやっています」とおっしゃる。そういえば時々見るKABの夕方ニュースで見たことがあるような気がした。「季節情報の取材ですか?」とたずねると、「そうなんです。今日の夕方に使う予定です」帰ってからKABのサイトで確認したら、KAB夕方のニュース情報番組「くまも...御衣黄桜と気象予報士

  • 土手券 ~町芸者の歴史~

    「土手券」と呼ばれた町芸者のことをこれまで何度か記事にしてきたが、きちんと残しておかないと歴史の彼方に消えてしまうように思えたので加筆修正をしてまとめてみた。坪井川・庚申橋付近父が小学六年生の頃、祖母と二人で街を歩いていると向う側からやってきた七十歳前後と思しき老女が急に立ち止まり、「お人違いかもしれませんが阿部さんのお嬢さんではありませんか?」。祖母も一瞬驚いたが、それからなんと1時間にもおよぶ立ち話が続いたという。酒盛りのこと、火事のことなど話題は尽きない様子だったが、その老女は阿部家の酒宴の時によく呼んだ町芸者で「土手券」と呼ばれていたそうである。祖母がまだ娘だった頃、曽祖父が大江村の村長をやっていて、酒宴を開くことも多かったらしく、その時によく呼んだ町芸者が「土手券」と呼ばれて人気があったという。...土手券~町芸者の歴史~

  • 花も花なれ 人も人なれ

    不適切発言で辞任に追い込まれた静岡県の川勝平太知事が、辞める心境を問われて「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」という細川ガラシャの辞世の句を引用したと報道された。川勝知事の言葉選びの感覚には首をかしげたくなる。職業差別とも受け取れる発言はもちろんのこと、自己都合退職で巨額の退職金をもらう人が、ガラシャ辞世の句を引用してもらいたくない。先日、泰勝寺跡(立田自然公園)に立ち寄って細川ガラシャ廟にもお参りしたばかりだが、あらためて細川ガラシャについて。泰勝寺跡の細川ガラシャ廟には次のように説明されている。------------------------------------------------------------------------------------------------...花も花なれ人も人なれ

  • 艶やかな踊り ~藤間紫~

    朝ドラ「ブギウギ」でヒロイン「スズ子」の幼なじみ「タイ子」が母を継いで芸者となり、お座敷で踊りを披露する場面があった。演じた藤間爽子(ふじまさわこ)さんは日本舞踊家としては「三代目藤間紫」として活動している。この場面は放送ではわずか数秒だったように記憶しているが、そのフルバージョンがNHKのYouTubeチャンネルで公開されていたのでさっそく視聴した。放送の時はあまりに短かったので気が付かなかったが、曲目は「秋の色種(あきのいろくさ)」だった。だが、フルバージョンと言っても曲の終結部分の一部「うつし心に花の春月の秋風ほととぎす」というフレーズのみ。できることなら本当のフルバージョンを見てみたかった。この終結部分の直前が、下に添付した「琴の合方」。「合方」というのは唄は唄わず三味線などの楽器だけで演奏するこ...艶やかな踊り~藤間紫~

  • チェリーセージと「スカーボロー・フェア」

    庭のチェリーセージの花が咲きそろってきた。いつものことながら「Parsley,sage,rosemaryandthyme」という「スカーボロー・フェア」のフレーズが頭に浮かぶ。セージと言ってもあの歌は食用のハーブを並べたフレーズで、観賞用のチェリーセージとは別物らしい。この歌は映画「卒業」の中で使われたサイモン&ガーファンクルバージョンが一躍有名になったが、実は17世紀頃からスコットランドあたりで歌われていた民謡がもとになったものらしい。映画「卒業」と言えば、僕が大学を卒業して故郷熊本のカーディーラーに就職し、三菱自動車水島製作所で新人研修を受けていた時、岡山駅近くの映画館で見た。ダスティン・ホフマン演じる主人公ベンジャミンが大学を卒業して故郷に帰ってきたという設定が自分と重なって、主人公に感情移入して見...チェリーセージと「スカーボロー・フェア」

  • 旅の風/卑弥呼の舞

    2010年から撮り始めた舞踊団花童(旧少女舞踊団ザ・わらべ)の写真や動画がとんでもない数になっているので少し整理しようと思い、一つ一つ確認しながらの整理作業を進めている。だが、何せ数が多すぎて作業がなかなかはかどっていない。写真には撮影した年月日・場所および曲名などをテキストデータとして付けておきたいと思っているが、日時・場所はだいたいわかるのだが曲名がどうしても思い出せないのもある。下の写真もその一つで、2013年11月2日に山鹿さくら湯・池の間で行われた公演だということはわかっているのだが、動画は撮っていないし、何という曲名だったのかわからなかった。そこで写っているご本人(当時:花童くるみさん)にお尋ねしてみた。ご本人も記憶が曖昧だが、「卑弥呼の舞」ではないかというご返事をいただいた。そう言われてみる...旅の風/卑弥呼の舞

  • 若草色と萌黄色

    3日前の記事に熊本城三の丸の御衣黄桜が咲き始めたことを書いた。その名の由来は記事に書いたとおりだが、それとは別に僕はこの桜を見ると必ず思い出すのが巫女神楽の「浦安の舞」のこと。この舞は比較的新しく、昭和15年に行われた「紀元二千六百年記念行事」の際に作られた舞曲だそうだ。YouTubeには各地の神社で奉納される「浦安の舞」の映像がアップされている。そして大社クラスの「浦安の舞」はだいたい巫女は淡い緑系の装束を纏っている。調べてみると「浦安の舞」の装束は「衵(あこめ)」と呼ばれる中間着が、清浄の色とされる「若草色」を基調としていて、その上に着る「小忌衣(おみごろも)」は白布で透けて見えるので淡い緑に見えるらしい。カラーコードで調べてみると「若草色」と御衣黄桜の色と言われる「萌黄」は一見区別がつかないほど似て...若草色と萌黄色

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