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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

1件〜100件

  • だらりの帯の家紋

    今年も鶴屋百貨店で現在行われている「大京都展」で京都の舞妓さんの舞披露を見た。祇園東の満彩尚(まさなお)さんが「もみじの橋」「萩桔梗」「祇園小唄」の三曲を舞った。司会者とのトークでは、振袖の肩上げと袖上げの由来、髪型のおふくと割れしのぶの使い分け、だらりの帯に入った家紋の話などが披露された。だらりの帯の家紋は、かつて12,3歳の舞妓さんがいた頃、お座敷で眠ってしまうことがよくあったため、連れて帰る先がわかるようにと置屋の家紋を入れる慣習が始まったという。その話を聞きながら、高浜虚子の随筆「漱石氏と私」の中の「京都で会った漱石氏」という一節を思い出した。漱石が明治40年(1907)に職業作家として初めて朝日新聞に連載した「虞美人草」を執筆するため京都に滞在していた頃、虚子に誘われ、祇園の一力で舞妓さんたちと...だらりの帯の家紋

  • 今日のアングル

    アングル1新町電停水戸岡鋭治氏のデザインによる新型超低床電車「COCORO」が新町電停に入って来た。洗馬橋電停から新町電停の区間は熊本市電唯一の専用軌道区間となっている。その間、二ヶ所の踏切がある。新町電停の西側にはかつての新町繁栄の名残を感じさせる長崎次郎書店や吉田松花堂などの建物が見える。そして洗馬橋電停の辺りは慶長年間に加藤清正が阿国歌舞伎を招いて興行をした場所でもある。アングル2京町拘置支所今年6月に渡鹿の熊本刑務所構内に移転した京町拘置支所は、大正元年(1912)に「熊本監獄京町出張所」として開設。昭和38年(1963)に建替えられた。われわれ地区住民は「京町刑務所」という通称で馴染んでいたが、110年におよんだ京町での歴史を終えた。8年前、戦前の小学生時代に「京町刑務所」脇を下って(観音坂)壺...今日のアングル

  • 幻の熊本民謡 ~火の国小唄~

    昭和10年に水前寺北郊で開催された「新興熊本大博覧会」の公式ガイドブックに、熊本の民謡として次の8曲が歌詞付きで紹介されている。火の国小唄/五十四万石/田原坂/おてもやんキンキラキン/東雲節/新興熊本博覧会会歌/新興熊本小唄その筆頭に挙げられているのが「火の国小唄」。最後の2曲は博覧会用に特別に作られた歌なのでさておき、他の5曲と比べ今日では「火の国小唄」の影は薄い。というよりこの歌を知っている熊本県民はほとんどいないといってもいい。この歌について、昭和から平成にかけて発刊された「新熊本市史」の編纂過程で発行されていた「市史編さんだより」第16号(1998年3月発行)に、瑞鷹酒造専務(当時)吉村圭四郎氏の「戦前の熊本の歌あれこれ」という一文の中で次のように紹介されている。この時代は一方で民謡調流行歌(新民...幻の熊本民謡~火の国小唄~

  • gooブログの仕様変更

    最近、gooブログの仕様が変わったらしい。YouTube動画を埋め込んだ記事を見ていて気付いた。動画と直下に書き込んだキャプションの間が妙に開いているのだ。試しに新規投稿ページにYouTube動画のコードを貼り付けてプレビューしてみた。なんと既に動画のアラインがセンターになっている。これまではコードを貼り付け、1行改行してキャプションを書き込んだ後、動画のコードとキャプションを括ってセンタリングしていた。これまでの1行改行が余計になったことに気付き、動画のコードとキャプションが続いたままプレビューしてみると前の状態に戻った。修正方法はわかったがこれまでの同様の投稿記事を探し出し修正するとなるといったい何10件、何100件になるのだろう。気が重い。仕様変更後の状態修正後(仕様変更前の状態に戻したもの)gooブログの仕様変更

  • 今日のちょっとした話題

    ◇娘ジントヨーこの数日、5月2日に投稿したブログ記事「娘ジントヨー」へのアクセスが急増したので不思議に思っていたが、どうやら22日放送の朝ドラ「ちむどんどん」で上白石萌歌さん扮する三女歌子がプロポーズされ、彼女が「娘ジントヨー」を歌うシーンがあったかららしい。ここしばらく朝ドラは失礼していたので気が付かなかった。このドラマの中では一番気になっていたキャラクターだったので彼女の想いが通じて、まずはめでたしめでたしといったところか。◇嗚呼「一太郎」今日、BSテレ東の「私の履歴書」というドキュメンタリー番組で、かつてワープロソフト「一太郎」で名を馳せた浮川和宣さんご夫妻が取り上げられた。「一太郎」には80年代半ばから90年代半ばまで随分お世話になった。ウィンドウズ95が登場して会社のパソコンが「ワード」に統一さ...今日のちょっとした話題

  • 熊本城宇土櫓石垣の修復

    昨日投稿したばかりの「宇土櫓が再び雄姿を見せるその日まで」の中で、宇土櫓石垣の修復方法についても触れた。記事には会話の要点のみ記載したのだが、実は結構な時間を費やしてこれについて語り合っていた。そして、今日の熊日朝刊にまるでそれに対する解説のような記事が載った。それが下の記事なのだが、昨年10月に投稿した「熊本城修復のあり方」と合せて掲載してみた。◇熊本城修復のあり方(2021.10.26)今朝の熊日新聞に「熊本城を歩く」と題した特集記事に城郭考古学者として有名な千田嘉博先生の熊本城復旧についてのインタビュー記事が掲載された。千田先生は熊本城文化財修復検討委員会の委員も務めておられるのでとても興味深く読ませてもらった。なかでも極めて注目すべきは、国重文である宇土櫓周辺の石垣の復旧に関する話だ。石垣に大きな...熊本城宇土櫓石垣の修復

  • 宇土櫓が再び雄姿を見せるその日まで

    昨日は散歩の途中、宇土櫓の前でしばらくその姿に見入った。来月から解体保存工事が始まるそうなのでひょっとしたら見納めになるかもしれない。現在、解体保存工事中の戌亥櫓ゾーンの警備員のおじさん(と言っても僕よりだいぶ年下だが)がすぐそばに立っていたので話しかけてみた。「戌亥櫓の解体保存工事もまだ続いていますが、宇土櫓の方はもっと大変でしょうね」「戌亥櫓は来年3月までかかると聞きますが、おそらく宇土櫓は戌亥櫓の何倍もかかるでしょうね」続けて「宇土櫓の内部に入ったことがありますが、柱が折れたり曲がったりとそれは酷いものでした。解体しても新しい木材を相当多く使わざるを得ないでしょうね」「そうなんですか。解体保存が終わったとしても国重文ですから再組立ては大変でしょうね」「となりの西出丸の倉庫に保管することになると思いま...宇土櫓が再び雄姿を見せるその日まで

  • くまもと 秋のまつり

    朝方は布団が恋しい季節になりましたね。熊本はやがて秋のまつりのシーズンに入ります。何かご興味をお持ちのイベントがありましたらどうぞお運びください。熊本市政令指定都市移行10周年記念秋のくまもとお城まつり熊本城流鏑馬10/30(日)10:30~12:00熊本城二の丸広場(無料)熊本城ライトアップ(城あかり)11/18(金)~12/4(日)9:00~21:00(最終入場20:30)熊本城特別公開エリア(有料)旧細川刑部邸特別公開と紅葉ライトアップ(城あかり)11/18(金)~12/4(日)9:00~21:00旧細川刑部邸(無料)二の丸竹あかり(城あかり)11/18(金)~12/4(日)点灯は日没後熊本城二の丸広場周辺(無料)市街地イベント熊本暮らし人まつりみずあかり10/8(土)~9(日)18:00~22:0...くまもと秋のまつり

  • 和菓子 LOVE!

    ブログ友の「くりまんじゅう」さんが、先日BSプレミアム「美の壺」で放送された「黒の風格羊羹(ようかん)」にちなんで「羊羹」をブログで取り上げておられた。これを読ませていただきながら、7年ほど前に「漱石と羊羹」というブログ記事を投稿したことを思い出し、さっそく「くりまんじゅう」さんの記事にコメントさせていただいた。コメントを書き込みながら、自分のブログに羊羹に限らず、和菓子の記事を書いていることを思い出し、主なものをピックアップしてみた。こうして並べてみると自分の和菓子好きにあらためて気付いた。◇時を超える菓子「かせいた」(2022.5.29)◇綾子舞ものがたり(2022.4.6)◇長谷幸輝検校没後百年記念の和菓子(2020.3.2)◇細川家立田別邸~父の幼時を追体験~(2017.4.16)◇いきなり団子の...和菓子LOVE!

  • なごり風

    昨夜は風の音でなかなか寝付かれなかった。日付が変わった午前1時頃、急に風がやみ雨音に変わった。テレビを点けてみると、台風はもう熊本県と福岡県の県境を越え大牟田付近にあった。今回は「経験したことの無い超大型台風」と散々おどかされたが、これまで経験した多くの台風と特に変わったところもなくちょっぴり肩すかし感も。今日の日中は台風のなごり風や時折小雨もパラついたが、夕方それもおさまってきたので少し散歩した。道端のオシロイバナが開き始めていた。昨夜は強い風や雨の中で咲いていたのだろうか。開花時期も終わりに近い。野分去りけなげに咲くや夕化粧※夕化粧:オシロイバナのことなごり風

  • しずごろう民謡わがままチャンネル

    東海風流チャンネルでおなじみの民謡歌手「水野詩都子」さんと三味線演奏家「﨑秀五郎」さんのお二人が、東海・中部の枠にはこだわらず、お二人が演奏したい曲を「しずごろう」というコンビ名で発信して行かれるそうです。新たにスタートした「しずごろう民謡わがままチャンネル」の発信第1弾は「鹿児島三下り」です。この唄は江戸後期から幕末にかけて流行った「三下り端唄」の一つで、七・七・七・五を基本に、五字冠りと呼ばれる五・七・七・七・五という音数律で唄われます。〽唐傘の糸は切れても紙ゃ破れても通わせ給(たも)るがわしゃ嬉しこの唄は江戸後期に京都から薩摩に伝わった唄といわれています。「しずごろう」の第2弾、第3弾が楽しみです。※三下りとは(goo辞書より)三味線の調弦法の一。本調子の第3弦を1全音(長2度)下げたもの。粋 (い...しずごろう民謡わがままチャンネル

  • 御旅所御能奉納・御能組

    もし台風14号なかりせば明日の御旅所奉納能で演じられるはずだった御能組(プログラム)は下表のとおり。10月に延期されることになったが、役者さんたちのスケジュールもあってこのままの演目になるとは限らない。この中で未見は「六浦」のみだが、いずれも見ごたえ十分の演目ばかり。特に「枕慈童」は個人的にも思い出の曲。2014年の熊本城薪能でも演じられたが、今回同様台風の襲来で二の丸広場の特設舞台から手狭な本丸御殿大広間へと急遽会場変更となった。この時シテを務めたのは喜多流の女性能楽師・大島衣恵さん。女性がシテを務める能を見たのはこの時が初めてだった。不老不死の霊水で700年を生き続けねばならなかった童子の話。御旅所御能奉納・御能組

  • 三年ぶりの鉦太鼓

    14号台風の襲来が予想されるため、明後日(18日)の藤崎八旛宮例大祭の神幸式は延期が決まりましたが、今日は朝9時からの「神馬飾卸」と10時からの「飾馬飾卸」が予定どおり実施されました。3年ぶりに鉦太鼓やラッパの音が熊本の街に響き渡りました。なお、延期の日程は後日発表の予定だそうです。神馬飾卸飾馬飾卸三年ぶりの鉦太鼓

  • 桃太郎からの~

    昨夜のNHK「歴史探偵」では「桃太郎」がテーマだった。3年ほど前に放送されたブラタモリ「岡山・桃太郎編」の内容に加え、口承文芸として各地に伝わりながら少しずつ変化していった物語や日本帝国主義の時代に桃太郎伝説が利用されていった経緯などが解説された。番組内容については別の機会に譲るとして、番組を見ながらふと思い出したのが端唄「桃太郎」。そして「桃太郎」の元唄とも言える「奴さん」。そしてそのまたバリエーションの「花魁三分二朱」と続けて三曲聴いてみた。端唄「桃太郎」(立方:ザ・わらべ地方:藤本喜代則社中ほか)端唄「奴さん」(唄・三味線﨑秀五郎)端唄「花魁三分二朱」(立方:花童音源は本條秀太郎師)桃太郎からの~

  • 御旅所能舞台の鏡板

    今朝の熊日新聞に下の記事が載った。藤崎八旛宮例大祭で御能奉納が行われる御旅所能舞台(熊本市中央区新町)の鏡板を崇城大美術学科の学生らが新たに描いたという。百年以上の歴史を有するこの能舞台は老朽化が進んだため、熊本市が昨年から改修工事を進め、檜をふんだんに使って見違えるほど美しくなっているのを6月末の新町大祓の時に見ていた。今回新調された鏡板は例大祭の「神幸行列」がある18日に〝こけら落とし〟が行われるという。神事として始まった原始の能は、野外に土を盛り上げただけの簡素な舞台で、神社の境内などの大きな老松の下などで行われた。まずこの自然木の老松に神を降ろすことから始まった。この神が宿った松の木を「影向の松(ようごうのまつ)」と呼ぶ。つまり、もともと舞台のそばにあった天然の松の木を模して描かれたのが能舞台の「...御旅所能舞台の鏡板

  • 火に身を投げたうさぎ

    昨夜は中秋の名月。一応撮影に挑んでみたものの満足できる写真は撮れませんでした。中秋の名月をブログのネタにする方も多かろうと思い、昨日はあえて名月をネタにするのはやめました。ところで、子供の頃、大人たちによく聞かされたのは「月ではうさぎが餅をついている」という話。そう言われると満月の暗い部分がうさぎが餅をついている影絵のように見えたものです。この言い伝えが日本で始まったのは、平安時代に書かれた「今昔物語集」の巻五第十三話に「月の兎が生まれた話」という一節があり、それがもとになったようです。もっともこの話には原典があり、インドの仏教説話からきているといわれています。それはこんな話です。昔、天竺(インドの旧名)にうさぎときつねとさるがいました。三匹は菩薩の修行をしていましたが、これを見た帝釈天(仏教の守護神)は...火に身を投げたうさぎ

  • 喜多流能楽師一行の南仏公演

    現在、南フランス能公演ツアー中の喜多流能楽師・大島衣恵さんがFacebookに中間報告を投稿されていた。その中で一行がエクサンプロヴァンス市長への表敬訪問が地元新聞に掲載されたことを紹介されていた。記事にはジョワサン市長とレイナル副市長が、交流都市である熊本市の大西一史市長と約1時間にわたってオンライン会議を行い、来年、交流都市10周年を迎える両市をつなぐプロジェクトやパートナーシップについて話し合った。その後、市庁舎で狩野了一さんを団長とする能楽師一行の表敬訪問を受けたことなどが書かれていた。熊本市とエクサンプロヴァンスとの交流は1984年の熊本日仏協会のエクサンプロヴァンス市訪問に始まるが、80年代初めからフランスでの能公演を行なっていた喜多流能楽師の狩野琇鵬さん(2016年没)が1992年、エクサン...喜多流能楽師一行の南仏公演

  • 宇土櫓の傾き

    熊本城宇土櫓の解体・復旧工事がいよいよ来月から始まります。宇土櫓というと通常は五階櫓の部分を指してそう呼んでいますが、熊本地震で倒壊した二階の隅櫓と平櫓からなる続櫓を合わせた総称が宇土櫓です。隅櫓と平櫓は既に解体保存されていますが、熊本地震前の平櫓をご覧になった方は、五階櫓に向かってやや下がって行く構造だったことを憶えておられるでしょうか。これは何か損壊があったというわけではなく、櫓を支える石垣そのものに傾斜があるためその上に建てられた平櫓も傾斜がついたというわけです。下の熊本地震前の2枚の写真を見ますと傾斜の度合いがよくわかると思います。まだだいぶ先になりますが、復旧された時はこの傾斜も再現されると思います。宇土櫓の傾き

  • 病院の待合室で

    今日は姉を国立病院に連れて行って診察が終わるまで待合室でテレビを見ながら待った。一番印象強かったのは昨日96歳で亡くなったイギリスのエリザベス女王の話題。昭和28年、僕が小学2年生の時、学校の映画見学会があった。当時、通町筋にあった大劇で見た肝心の映画は何だったか思い出せないが、その前に上映された映画ニュースで見たエリザベス女王の戴冠式の様子は鮮明に憶えている。約70年の長きにわたり女王に君臨したエリザベス2世の死は、第二次大戦後世界の一つの時代が完全に終わったという感慨とともに寂しさを禁じ得ない。外国の元首の死でこれほど寂しさを感じたことはかつてない。夕方だったので、NHKで朝ドラの再放送をやっていた。今放送しているのは1996年に放送された「ひまわり」。2話続けて放送していたが、近年の朝ドラとは何かが...病院の待合室で

  • 阿蘇 ~青春の1ページ~

    1968年、僕が大学を卒業して最初に就いた仕事はM社のトラックやバスを販売するディーラーだった。ここには1年余りしかいなかったのだが、このわずか1年余りの経験が、後にいろんな場面で生きることになった。顧客は運送業や土木建設業などに限られるので、新入社員の僕の仕事と言えば、定期的な顧客への挨拶回りとご用聞きだった。そして僕の担当テリトリーは、阿蘇五岳を挟んだ南郷谷と阿蘇谷を中心とする阿蘇地方一円。地域特性もあっていろんな体験をし、多くの人々に出会った。中でも特に忘れられない思い出をあげてみた。ヒッチハイク当時はモータリゼーションのさなかにあったが、阿蘇ではまだマイカーはそれほど普及しておらず、乗用車で行くと羨ましがられたものだ。顧客回りをしているとその家の娘さんなどから「ついでに〇〇まで乗せてって」などと頼...阿蘇~青春の1ページ~

  • 本條秀咲さんのホームページ

    本條流三味線の奏者として10年以上前から存じ上げている本條秀咲(ひでさき)さんがこのほど自らのホームページを立ち上げられた。秀咲さんを初めて拝見したのはたしか2011年の春だったと思う。当時、ザ・わらべ&こわらべ(現舞踊団花童)の熊本城本丸御殿などでの公演では、本條秀美社中と藤本喜代則社中が交互に地方を務めていたが、本條秀美社中の時は立三味線の本條秀美さんの脇のワキ三味線がいつも秀咲さんだった。当時はまだ本條流の名取りは許されていない頃で本名で出演されていた。今日、本條秀美さんに確認したところ、その年の10月に家元の本條秀太郎さんから名取りを許されたそうである。その後もずっと本條秀美さんについて修行を重ねられ、今では家庭を持ちながら自分の三味線教室も開設して日々奮闘中とのことである。秀咲さんが三味線を始め...本條秀咲さんのホームページ

  • 海舟・龍馬の歩いた道

    先週の「明治天皇行幸150年・120年記念年」の記事をご覧になったFB友の大分の栗田さんが、明治天皇の行在所となった新町の会輔堂には長崎行途上の勝海舟と坂本龍馬も泊ったということに強く興味を抱かれたようだ。栗田さんが所属しておられる鶴崎文化研究会の研究テーマの一つにもなっているようで、いずれ機会があれば海舟・龍馬の歩いた道を追体験するのも面白いかなと思う。毎年8月には、小中学生を対象とした「大分~熊本125km参勤交代徒歩の旅」なる催しが行われている。海舟・龍馬の歩いた道もほとんど同じなのだが、高齢者には125kmというのは過酷なので、その一部分を歩いてみるというのはどうだろうか。例えば、後半の次のような行程が考えられる。大津宿―二里木―一里木―立田口(立町構え)―坪井番所―観音坂―新堀御門―百間石垣―二...海舟・龍馬の歩いた道

  • 初めはみんな創作舞

    先日、FB友のNさんから「天麻那舞(あまなまい)ってご存じですか?」というメッセージが届いた。初耳だったが、添付資料を見ると神社などで奉納舞をするグループらしい。また全国各地で舞レッスンの活動もやっているようだ。昨年12月、加藤神社へ参拝に行った時、たまたま「太宰府まほろば衆」というグループの奉納舞を見た。こちらは和踊りと称しているようだが、飛鳥時代をイメージした衣装や音楽を現代風にアレンジした舞踊集団だった。この二つはモチーフとする時代背景は違えど宗教性をもった創作舞踊であることに変わりはない。創作舞あるいは創作舞踊というのは古典があるからそう呼ぶのであって、芸能の始祖といわれるアメノウズメの天岩戸伝説における神がかりした舞も創作舞だったわけである。舞と踊りの違いについては、以前、折口信夫の「舞ひと踊り...初めはみんな創作舞

  • 熊本城櫓群解体保存および復旧工事進む

    現在、熊本城は監物櫓(国指定重要文化財)、戌亥櫓、馬具櫓など櫓群の解体保存および復旧工事が進行中だ。このうち監物櫓と戌亥櫓は散歩の時に見るので工事の進捗状況は概ねわかる。2018年に解体保存された監物櫓は今年前半に石垣補修も終わり、復旧工事が進行中で組まれた足場の中に姿が見えてきた。来年末には完成の予定だそうだ。一方、戌亥櫓、馬具櫓は解体保存工事が進行中。馬具櫓は今年10月下旬には解体完了、戌亥櫓は来年3月下旬に解体完了するという。だが、その後の復旧工事はまだだいぶ先になりそうだ。そして、来月からは最重要の宇土櫓(国指定重要文化財)の解体保存工事が始まる。僕は生まれてこの方、宇土櫓のない熊本城を見たことがない。いずれ復旧されるとはいえ寂しさを感じられてならない。解体保存工事が進む戌亥櫓熊本地震前の監物櫓(...熊本城櫓群解体保存および復旧工事進む

  • 二百十日も過ぎて

    暑い日が続くとつい億劫になって日課の散歩をサボるようになった。台風が近づいたこともあってか、今日は時々雨がぱらついたりして強い日差しもなかったので夕方散歩に出かけた。京陵中学校前の漱石記念緑道に立てられている「すみれ程の小さき人に生れたし」という漱石の句碑のそばのベンチに腰を掛けてひと休みした。句碑はいつの間にかコスモスに覆われている。そうか、二百十日も過ぎて季節はすっかり秋だなという感慨にふける。漱石の小説には阿蘇を舞台にした「二百十日」というのもあるし、今まさに11号台風がやってこようという時だが「野分」(台風の古称)というのもあった。熊本時代の秋の句には「傘(からかさ)を菊にさしたる新屋敷」なんてのもあったなと思い出しながらひと時を過ごした。長唄「秋の色種(いろくさ)」より二百十日も過ぎて

  • 阿蘇神社楼門の上棟式

    熊本のテレビ各局は今夜のニュースで阿蘇神社楼門(国指定重要文化財)の上棟式を報じた。熊本地震で楼門が倒壊して6年4ヶ月。再建工事が始まって3年。来年末の竣工が待ち遠しい。阿蘇神社のある一の宮町は僕自身にとってカーディ-ラー時代の懐かしい街であり、楼門再建の暁には必ず訪れて参拝するとともに、当時お世話になった方に長い間のご無礼を詫びに行きたいと思っている。楼門の上棟式を伝えるニュース2016.4.17ショッキングな阿蘇神社楼門倒壊のニュース熊本地震で倒壊する前の阿蘇神社楼門阿蘇神社神主友成が登場する能「高砂」阿蘇神社楼門の上棟式

  • 明治天皇行幸150年・120年記念年

    今朝、所用で新町の方へ車を走らせていると、一新地域コミュニティセンターの前を通り過ぎようとすると、「明治天皇行幸150年・120年記念年」の幟が目に入った。帰ってから確認してみると、たしかに明治天皇の熊本行幸は明治5年(1872)と明治35年(1902)の2回なのでそうなる。何か記念行事をやるのだろうか。これまでこのブログにも明治天皇の熊本行幸について何度か記事を書いたことがあるのでちょっと整理してみた。最初の行幸は明治5年6月のこと。西国・九州巡幸の折、6月18日長崎から、熊本藩が明治新政府に献上した軍艦「龍驤艦」で熊本小島沖に到着された。1日目の行在所となったのは旧藩時代、細川家の御旅所となっていた米村家(現存)。明治天皇が父のように慕っていた西郷隆盛が随行していた。そのわずか5年後、西郷は西南戦争で...明治天皇行幸150年・120年記念年

  • 今年は能が見られるか

    8月も明日で終わり、9月は例年なら秋のイベントが目白押しとなるシーズン。しかし、コロナ感染が高止まりの状態では開催を見送るイベントも多いだろう。ところで今年は能の公演をまだ一度も見ていない。コロナ禍が始まった2020年こそ観能ゼロだったが、昨年は予想外に4つの舞台を見ることができた。今年は3年ぶりの開催がアナウンスされていた「出水神社薪能」が感染拡大のため急遽中止となり、9月には「藤崎八旛宮例大祭・新町御旅所御能奉納」が予定されているがどうなるか予断は許さない。また例年10月の「熊本城薪能」も未だ開催のアナウンスはなく、模様眺めをしているのだろう。せめて1回でも見ることができたらラッキーなのだが。2021年3月水前寺成趣園能楽殿で行われた「翁プロジェクト」熊本公演より「三番叟・揉ノ段」今年は能が見られるか

  • 牛縊坂のはなし。

    今日は新型コロナワクチンの4回目接種を受けた。これまでの3回はかかりつけ医で受けたが、今回は接種券が届いた時点で既にかかりつけ医の方は空きがなかったので、昨年4月に開業した近所のクリニックで接種を受けた。接種の後、経過観察で30分間、院内の一室に待機させられた。何もせず30分というのは結構長い。ぼんやりしているとふと、このクリニックの前を通る道が「牛縊坂(うしくびりざか)」であることを思い出した。道端には「牛縊坂」と書かれた石標も立っている。僕が子供だった戦後間もない頃のこの坂の風景を思い浮かべた。当時は旧国道3号線(豊前街道)と牛縊坂が交差していて、加藤清正の時代に豊前街道は上り下りとも牛縊坂で直角に曲がる桝形道路(クランク)になっていた。荷馬車はよく見かけたが、牛が引く荷車はもう見かけなかった。今石標...牛縊坂のはなし。

  • 残念な風景

    今年の夏も過ぎ去ろうとしているが、毎夏、残念な思いをするのが熊本市西区花園町の成道寺。室町時代に創建され、やがて600年の歴史を有する古刹である。かつて夏目漱石ら文人も訪れたというこの寺は熊本の名所の一つとして観光案内にも掲載されていた。しかし今は閉鎖状態。荒寺の惨状を晒している。僕らが子供の頃は近場の絶好の避暑地だった。園内の池には湧水が流れ込み涼を求めて訪れる人々は整備が行き届いた木陰の遊歩道の散策を楽しんだものだ。母が幼稚園勤務の頃、研修会場として使っていたという本堂も今は雨戸が閉められたまま。ここは個人所有資産で所有者ご本人は再興するつもりはないらしい。また、市も個人資産である以上手が出せないという。熊本西環状道路のバイパスが通り、周辺の環境も激変しつつある。しかし、環境省選定の平成の名水百選にも...残念な風景

  • 二人三番叟にアクセス集中!

    昨夜、8年前に投稿した「二人三番叟」の記事に一時的にアクセスが集中した。そういえば「にっぽんの芸能」で「二人三番叟」をやるとかいってたなと思い出し番組表を確認すると、花柳寿々彦と藤間直三による「二人三番叟」が放送されたあとだった。その番組を見た視聴者が検索したのだろう。8年前の6月、某社の祝賀会で舞踊団花童のくるみ・あやのコンビが「二人三番叟」を披露することを知り、特別の許可をいただいて潜入し、見せていただいた時の映像をブログで紹介したのだった。ナマの義太夫節はその1年前、県立劇場で人形浄瑠璃「八陣守護城」を見て以来二度目だった。実はこの日、リハーサルから見ていたが、くるみ・あやのコンビによる初めての「二人三番叟」にもかかわらず、なかなか見ごたえのある舞だった。この動画は限定公開にしていたが、これを機会に...二人三番叟にアクセス集中!

  • 金剛寺とポンポコニャ

    このところほぼ巣ごもり状態なので、今日は遠出にならない範囲を車で回ってみようと思い、父が若い頃勤務していた五町小学校(今の西里小学校)の校区を回ってみた。たまにフードパル熊本に買い物に行くぐらいでめったに行かない地区。井芹川沿いに田畑があり、住宅は段丘上にある。しばらく走っていると「金剛寺」の入口を示す看板が目に入った。道幅の狭い急坂を登って行くと寺らしい建物が見えてきた。そこでハッと気づいた。「これが和泉町の金剛寺か!」。実は10年ほど前、民謡「ポンポコニャ」に登場する金剛寺が現在どこにあるのかを調べたことがある。歌詞では京町から中坂を下ったところにあると唄っているが、現在はないので移転したことはわかっていた。金剛寺と名の付くお寺を調べ、そのいくつかに電話でおたずねしたが、その一つが今日偶然見つけた金剛...金剛寺とポンポコニャ

  • 梅花藻(バイカモ)余談

    フォローさせていただいているブログ「折にふれて」さんの昨日の記事に、中山道醒井宿の地蔵川に咲く水中花「梅花藻」が紹介されていた。彦根在勤の頃、この醒井宿(さめがいしゅく)を通り、さらに北東へ車で10分ほど行った辺りの「泉神社湧水」へよく水汲みに行ったのでなじみのある地区である。しかし、「梅花藻」を見たことは一度もない。地蔵川の水源である「居醒の清水(いさめのしみず)」も「泉神社湧水」も同じく伊吹山を源とする名水。一度くらい「梅花藻」が咲く頃に「居醒の清水」へも行っておけばよかったとくやまれる。(写真:産経新聞より)さて、「梅花藻=水中花」とくれば、われわれの年代は「愛の水中花」を連想してしまう。「愛の水中花」とは1979年に放送されたテレビドラマ「水中花」の主題歌で主演の松坂慶子さんが歌い大ヒットした。な...梅花藻(バイカモ)余談

  • 女子アナの面影

    今から45年も前に出逢った忘れられない一人の女子アナがいる。といっても当時は女子アナなどという名称を使った覚えはない。いわゆる女子アナブームが始まるのはそれから10年くらい後だったと思う。それは1977年のことだった。その年、ブリヂストン防府工場の第一期工事が竣工し、防府市民に対してのお披露目となる「開所式」を行うことになった。工場内でのセレモニーなどのほか、ブリヂストン久留米吹奏楽団を招き防府市公会堂において「防府市民に贈る吹奏楽の夕べ」を開くことになった。その担当を命じられ、様々な準備事項があったのだが、それはともかく、当日のMCをどうするかということになり、交渉上手の僕の上司がテレビ山口(tys)と掛け合い、女子アナをノーギャラで派遣してもらうことになった。当日やって来たのは入社後2、3年といった感...女子アナの面影

  • 晩夏のメランコリー

    今日は「二十四節気」のうちの「処暑」。本来は暑さもおさまってくる頃だが、しばらくは真夏日が続きそうだ。それはさておき、会社を辞めてもう25年も経つというのに、よく仕事上でミスをする夢を見る。それも実際には経験したこともない、そんなわけないだろ!というようなミスだ。時には大汗をかいて目を覚まし、あぁ夢でよかったと胸をなでおろすこともある。これって何なんだろう。しかも、朝、目覚めた時までは覚えているが、時間が経つとどんな内容だったかも思い出せない。一度専門家に聞いてみたいものだ。この季節になるとおきまりの聴きたくなる曲がユーミンの「晩夏」。メランコリックな詩とメロディがたまらない。晩夏のメランコリー

  • 坂の町 長崎

    あれほどうるさかった蝉の声もあまり聞こえなくなり、学校の夏休みも終わりに近づいてきた。会社員の頃、高校や高専の夏休みが明けると本格的なリクルーティングが始まる。彦根の時は関西一円だけでは心もとないので九州もテリトリーに入っていた。特に長崎を重点的に廻っていたが、どの学校も坂を登ったところにあり、レンタカーでの訪問ではあったが、まだナビなどもない頃で、地図を片手に慣れない街を登ったり降りたりの連続は結構大変だった。聞きしに勝る坂の町を味わったものだ。そういえば、2015年4月に始まったブラタモリ第4シリーズも第1回は長崎で「"坂の町・長崎"の始まりとは?」というテーマだったことを思い出した。高低差が大好物のタモリだけに楽しげに歩き回っていたが、僕が学校訪問で回った時は高低差は障害としか思えなかったものだ。新...坂の町長崎

  • 第27回くまもと全国邦楽コンクール ~映像を見ながら~

    6月12日、熊本市民会館で行われた「長谷検校記念第27回くまもと全国邦楽コンクール」の映像がYouTubeで公開されたので、当日のことを思い出しながらじっくり鑑賞した。最優秀賞・優秀賞・奨励賞の受賞者の演奏を再見できたのは嬉しいのだが、受賞できなかった出場者の中にもう一度聴いてみたい方もおられたのでそれが残念だったが、映像編集の都合もあると思うのでやむを得ない。審査員を代表して講評された藤本草さん(伝統音楽プロデューサー)のお話の中で、27回目にして初めて熊本県から最優秀賞を受賞された箏曲の清原晏(きよはらはる)さんについて触れておられた。「清原さんが選ばれたのはけっして地元へ配慮したわけではなく、永い間、熊本の邦楽関係者が全国コンクールを開催し、邦楽の発展に尽くしてこられた努力が清原さんという形で結実し...第27回くまもと全国邦楽コンクール~映像を見ながら~

  • 題名のない音楽会と1964年

    テレビ朝日「題名のない音楽会」は先週・今週とショパン国際ピアノコンクールで同じ第2位となった二人、反田恭平とアレクサンダー・ガジェヴ(イタリア)によるショパンを中心とした素晴らしい演奏を堪能した。ところでこの「題名のない音楽会」の放送が始まったのは1964年、僕が上京して大学へ入った年だったので印象深い。初代の司会者はクラシック音楽の作曲家黛敏郎さんだった。それから50年後の2014年、50周年を記念する番組が放送され、1964年を語るにふさわしい曲が取り上げられたが、いずれも懐かしい思い出の曲ばかりだった。その中から次の3曲を選んでみた。この年に行われた東京オリピックの記録映画(市川崑監督)の音楽を担当したのが黛敏郎さん。交響組曲「東京オリンピック」より第1楽章「聖火リレー」この年公開されたジェームズ・...題名のない音楽会と1964年

  • 廃れ行く?祭り・郷土芸能

    昨夜のNHK「時論公論」は「コロナ禍の夏祭り伝統を絶やさないために」と題して高橋俊雄解説委員が解説した。過去2年間の中止、「ことしこそは」の思いのなか、第7波襲来、行動制限も行われず、各地では感染状況を踏まえながら難しい個別判断を迫られた。各地では簡素化、規模を小さくする、参加人員を減らすなどの対策が取られた。コロナ禍の終わりが見通せない中、これが定着化すると祭りや郷土芸能の姿が変わってしまう。従来より過疎化や少子高齢化により担い手がいなくなるという深刻な課題を抱えていた。コロナ禍によってこの流れが一層進み、無くなったり姿を大きく変えてしまうことが現実味を帯びてきている。祭りや行事、郷土芸能を残すには「経験の継承」と「技術技能の継承」が重要。コロナ禍が始まって今年で3年。3年というのは継承の岐路である。祭...廃れ行く?祭り・郷土芸能

  • キツネの嫁入り

    先日、外出する時、車のドアを開けようとすると空は晴れているのに雨がパラパラっと落ちてきた。思わず「あ、キツネの嫁入り」と口走ったのだが、車を運転しながら「どうして晴れた日の雨のことをキツネの嫁入りと言うんだろう」と今さらながら疑問が湧いてきた。帰ってからネット検索で「キツネの嫁入り」を調べてみた。この言葉には二通りの意味があり、夜、山野で狐火が連なっているのを、狐の嫁入りする行列の提灯と見ていったもの。日が照っているのに、小雨の降ること。日照り雨のこと。とあった。熊本では後者の意味で使い、虹が出たときに言うのが熊本の特徴であるという。そこで、そもそもの由来を調べてみると、キツネは稲荷神の神使として崇められる一方、人を化かすという民間伝承もあり、日照りの日に雨を降らすという超常現象を起こせるのはおキツネ様の...キツネの嫁入り

  • 叔父と野球

    連日熱戦が続く全国高校野球選手権大会は今日は3回戦。熊本県代表の九州学院が国学院栃木を破り12年ぶり3度目の8強入りを決めた。九学OBの叔父も空の上のどこかで見て喜んでいるに違いない。今日の夕方、散歩をしに熊本城二の丸広場の方へ向かった。藤崎台球場の方から気合の入った声が聞こえるので廻ってみた。プロ野球独立リーグの九州リーグ、火の国サマランダーズと北九州フェニックスの試合が行われていた。今度ゆっくり観戦に来るか、と思いながら帰途についた。九州学院でキャッチャーとして活躍した僕の叔父は、昭和6年に卒業し、当時、有望な若手を集めていた熊本のノンプロチーム「オール熊本」の一員として熊本市役所に勤務した。その後、先輩に誘われて鳥栖鉄道管理局に移籍し、まだプロ野球が誕生前の頃、最強と言われた門司鉄道管理局の一員とし...叔父と野球

  • 77回目の終戦記念日

    今日は77回目の終戦記念日。昼前に熊本県護国神社(熊本市中央区宮内3-1)に参拝し、わが祖国の礎となられた方々への追悼と感謝の誠を捧げた。この神社はだいたい月一度はお参りしている。いつも拝殿の前でお参りした後、「従軍看護婦慰霊碑」にも手を合わせることにしているが、今日はあらためて石碑に刻まれた碑文を読み直してみた。次のように書かれている。昭和12年に勃発した日華事変から大東亜戦争の終結までに日本赤十字社が派遣した救護班は960班、延べ人員33,156人もの「戦時救護看護婦」を戦地に派遣し、戦地に於ける敵襲・病院船への魚雷攻撃・内地の病院勤務中の空襲・原爆による殉職救護員は1,143名、負傷者は4,689人に達したと云われている。しかし従軍したのは日赤の看護婦だけではなく、陸軍・海軍の応召看護婦、「ひめゆり...77回目の終戦記念日

  • 郡上おどり ~かわさき~

    先週木曜日(11日)、BSプレミアムで新日本風土記「郡上八幡」を放送していた。初回放送は10年前だそうだが、たしか見るのは今回が2回目だ。岐阜県郡上市八幡町。毎年、三十三夜にわたり盆踊りが開催され、なかでもお盆の4日間は、朝4時まで徹夜で踊り明かすことで知られている。参加者のエネルギーには感心させられるが、その徹夜おどりのクライマックスで踊られる曲の一つが「かわさき」。「かわさき」というのは、三重県伊勢市の勢田川に沿った商人町河崎で江戸中期の頃から謡われていた俚謡。全国各地からやって来るお伊勢参りの人々によって各地に伝えられた。郡上八幡にも伝わり、題名もそのまま「かわさき」として謡い継がれているという。そしてこの「かわさき」がもとになって「伊勢音頭」が出来上がったという。さて、その徹夜おどりが昨日から始ま...郡上おどり~かわさき~

  • アイドル

    一昨日、NHKで特集ドラマ「アイドル」という番組を放送していた。昭和初期から戦後間もない頃までの20年弱、新宿角筈に存在し、軽演劇やレビューで一世を風靡した「ムーランルージュ新宿座」のトップアイドルとして活躍した明日待子の半生を描いたドラマだった。見ながら僕は11年前の思い出を振り返っていた。それは2017年に他界された「評伝海達公子」の著者規工川祐輔先生に、公子物語の映像化を提案し、いろいろアドバイスをいただきながらスライドムービー化したことがある。脚本作成に当たっては規工川先生の著書のほかいろんな資料を調べたり関係者に聴き取りしたりした。特に興味を持ったのは、著書の中に、公子が昭和7年に、大牟田に巡業に来たムーランルージュの舞台を観に行ったという記述があり、ムーランルージュの舞台を見たことが公子に少な...アイドル

  • 上江津湖散策

    県立図書館の貸出カードが期限切れになっていたのでその更新と、図書館の裏を流れる加勢川(上江津湖)の映像を撮りたいと思い、午後から4年ぶりに県立図書館を訪れた。映像は昨日アップした「水と花と夢と」がインストバージョンだったので、今日はボーカル入りバージョンを作るためその背景にしようと思いついたものだ。夏休み真っ最中の子どもたちが泳いでいた。こんなきれいな川で泳げる子どもは幸せだなぁと思う。帰宅してから断片的に撮った映像をつなげてみたが、音源に対してとても尺が足りない。そこで今回もNHKクリエイティブ・ライブラリーの中から「白川水源」の映像をお借りすることにした。出来上がった映像がこれだ。上江津湖散策

  • 水と花と夢と

    今年の4月23・24日、熊本市で開催された「第4回アジア・太平洋水サミット」の記念ソング「水と花と夢と」は、玉名女子高3年の古賀鈴さん作詞、天水中2年の麻生朱里さん作曲の歌が選ばれ、サミット当日やプレイベントなどで使われました。麻生朱里さんは舞踊団花童で花童あかりとしても活躍しています。下の映像は5月21日に城彩苑わくわく座で行われた舞踊団花童の「わくわく座春の特別舞台」で披露されたものですが、熊本の豊かな水の流れを布晒舞で表現しています。▼水と花と夢と(インストバージョン)2022.5.21城彩苑わくわく座作詞:古賀鈴作曲:麻生朱里編曲:藤川いずみ・志娥慶香振付:はつ喜流月花舞踊:はつ喜流月蘇女・花童かな・花童あい・花童あかり花童あおば・花童はるか・花童ことね・花童もえ水と花と夢と

  • お盆と五木の子守唄

    旧暦では今日10日から12日がお盆だそうだ。(2022年の場合)お盆と聞くとなぜか「おどま盆ぎり盆ぎり盆から先ゃおらんと」という「五木の子守唄」の歌詞が頭に浮かぶ。父が天草の大矢野島(現在の上天草市)の上村小学校に赴任した昭和10年頃、天草は大小100余りの島々に20数万人の人が暮らす貧しい地方だった。家が貧しいために「口減らし」として子守奉公に出された少女たちの中には遠く五木村まで出かけた娘もいるという。自らの不幸な境遇を子供に歌って聴かせ、自らをも慰めていたという「五木の子守唄」は天草の「福連木の子守唄」がもとになったという説もあるらしい。昭和28年(1953)に「五木の子守唄」がレコード化されたことによって全国的に有名となったが、「福連木の子守唄」は熊本県内ですら、まだあまり知られていない。ところで...お盆と五木の子守唄

  • 水前寺球場の思い出

    日曜日の熊日新聞に、日本野球機構(NPB)は全国各地の「日本野球聖地・名所150選」を選定し、熊本県内からは藤崎台球場と水前寺野球場が選ばれたというニュースが載っていた。僕にとって1回目の熊本国体があった昭和35年(1960)にできた藤崎台球場よりも、水前寺野球場の方が断然愛着が強い。現在は硬式野球の規格を満たしていないので軟式野球の球場として使われているが、かつては熊本の野球のメッカだった。水前寺野球場は昭和3年(1928)に開場し、94年の歴史を有する。わが父が高校野球の審判員として、叔父は九州学院および社会人野球の選手として活躍した思い出の球場でもある。僕は小・中学生の頃、母が作った弁当を持って上熊本から電車を乗り継ぎ水前寺球場までよく高校野球を見に行った。当時の熊本の高校野球は強かった。昭和33年...水前寺球場の思い出

  • 小京都って!?

    Yahoo!ニュースに京都新聞の「“小京都”を名乗る自治体が減り続けている」という興味深いニュースが載っていた。京都に似た街並みや文化を持つ市町が集う「全国京都会議」という組織があり、ここに加盟すると公的に「小京都」を名乗ることができるそうだが、かつて最盛期には60を超えた加盟市町が激減しているのだそうだ。熊本県の「小京都」といえば、まず人吉市を思い浮かべたものだが、実は2020年の豪雨災害を機に退会したという。全然知らなかった。甚大な被害からの復興を最優先することが理由だという。他の退会した市町は「小京都」と称するメリットがあまりなかったり、町の成り立ちが京都とは異なり独自性を出したいといった理由が主のようである。というわけで、熊本県の残る「小京都」は山鹿市だけとなった。1960年代後半、仕事で山鹿の町...小京都って!?

  • わが父と謡曲「田村」

    相次ぐ夏イベントの中止のなかでも、僕が最も残念だったのは今夜行われる予定だった「出水神社薪能」の中止。3年ぶりということもあったが、事前に発表されていた今回の演能が「田村」だったからである。今年は2000年に他界した父の二十三回忌の年。その父の思い出の謡曲が「田村」だったので供養にはちょうどよかったのだが。父はまだ四つか五つの頃、立田山麓の泰勝寺に住んでおられた長岡家に日参していた。お坊ちゃまの遊び相手としてだったが、お屋敷で謡曲のお稽古が行われる日は、幼い父も末席に侍らせられていたという。父は謡曲「田村」の「ひとたび放せば千の矢先・・・」という一節だけは終生忘れなかった。▼「田村」あらすじ東国の僧が都に上り、春のある日、清水寺を訪れました。そこで箒を持った少年と出会い、聞けば、地主権現に仕える者であると...わが父と謡曲「田村」

  • 夏イベントの中止相次ぐ

    このところ熊本は新型コロナ感染者が4000名のレベルで推移している。ひと月ほど前と比べて1ケタ違い。3年ぶり開催の文字が踊っていた夏イベントも中止が相次いでいる。未だかつてない感染数だから無理もない。今年の夏こそは、と期待が大きかっただけに余計残念感が強い。特に個人的には「出水神社薪能」は6年ぶりにわが父思い出の曲「田村」が演能される予定だったのでなおさらだ。また来年の夏を期待して待とう。▼中止になった主なイベント出水神社薪能山鹿灯籠まつり火の国まつり夏イベントの中止相次ぐ

  • 徳島インターハイを見ながら

    今日の午後はEテレで放送された徳島インターハイの陸上競技を見て過ごした。注目は熊本期待の女子100㍍山形愛羽選手(熊本中央)。午前中の予選は第4組1位で難なく通過。準決勝では第2組で3位と無条件通過の2位以内に入れず、+2のタイムで拾われ決勝へ進出した。決勝では番狂わせの上位進出を期待したがスタートの出遅れを挽回できず7位でゴール。それでもファイナリストに残り入賞できたことが素晴しい。健闘に拍手!思えば、野林祐実さん(九州学院)が新潟インターハイで100㍍・200㍍を制覇してからちょうど10年。今回優勝した藏重みう選手(中京大中京)のタイムが奇しくも野林さんが優勝した時のタイムと同じ11秒85。このタイムは山形選手も十分出せるタイム。明後日の200㍍はもっとチャンスがあるかもしれない。また、今2年生の山形...徳島インターハイを見ながら

  • 僕の夏うた ~Mr.サマータイム~

    僕にとっての「夏うた」ナンバーワンはコーラスグループ「サーカス」が歌う「Mr.サマータイム」である。そうなった出来事があった。あれは44年も前の夏だった。当時僕は新工場を建設したばかりの防府に勤務していた。毎年、防府市では夏に「防府まつり」があり、市民総踊りなどのイベントが行われる。会社として、地域社会にとけ込み、市民に認知してもらうため、「防府まつり」の多くのイベントに参加することが工場方針だった。その推進担当の役割を担っていた僕は、総踊りへの参加準備に大わらわだったが、もう一つ頭を悩ませたのが「職場対抗のど自慢大会」への参加だった。防府市内の多くの企業から3人ずつ出場し、その合計得点で順位を決めるというものだが、わが工場は立ち上がったばかりで人数も少なく、参加を募っても出場してくれる人がいなかった。多...僕の夏うた~Mr.サマータイム~

  • サマー・イン・ザ・シティ

    今日は、先日受けた大腸内視鏡検査時に切除したポリープの生検の結果を聞きに新町の病院へ。バスで行ったが、バス待ちやバス停と病院間の歩きの暑さには参った。テレビで盛んに「今日は命に危険を及ぼす猛暑」と言っていたことを実感する。ふと、学生時代に流行ったラビン・スプーンフルの「サマー・イン・ザ・シティ」のメロディが頭の中でグルグル回り始めた。行き交う人々も暑さにゲンナリという感じ。まさに歌詞の中の「allaroundpeoplelookinghalfdead」だなと苦笑。新町バス停TheLovin'Spoonful-SummerInTheCity(1966)HottownsummerinthecitybackofmyneckgettingdirtyandgrittyIbeendownisn'titapitydoe...サマー・イン・ザ・シティ

  • 八朔祭のはなし。

    今日は「八朔(はっさく)」。八朔とは「八月朔日(さくじつ/ついたち)」の略で、旧暦の8月1日のことです。明治6年(1873)以降、新暦に変わりましたが、「八朔」の行事は新暦の8月1日に行われる地方と旧暦の8月1日に近い9月上旬に行われる地方とに分かれているようです。旧暦の8月1日にあたる9月上旬頃は、ちょうど稲穂が実り始める時期。そこで収穫を前にした予祝儀礼として豊作祈願の「八朔祭」を行うようになったといわれます。田の実りを願うので「田の実の節供」と呼ばれるようになりました。農村ではユイ(結い)と呼ばれる協同労働において日ごろ恩恵を受けている人に贈答品を贈る「八朔憑(たのみ)」(田の実⇒頼み)という風習が生まれ、中世の頃から武家や公家の社会にも広がったといわれます。京都祇園では8月1日に芸妓や舞妓が盛装し...八朔祭のはなし。

  • 城下町くまもとゆかた祭

    今日も熊本は新型コロナ感染者が4,000名を超え、一向に勢いが衰えない。さすがにこの状況を見て夏のイベントが次々に中止となっている。そんな中、毎年この時季恒例の「城下町くまもとゆかた祭」が始まった。街中を行き交う人々もマスクを着け、密を避けるような行動が見られる。びぷれす広場で行われていた舞踊団花童の舞台だけを見て早々に帰路についた。花童あかり・花童かな花童もえ・花童はるか・花童あおば俚奏楽とうろう~山鹿とうろう踊りによせて~本條秀太郎作詞・作曲城下町くまもとゆかた祭

  • 郷土芸能の伝承

    今日の熊日電子版に、3年生が卒業し部員ゼロとなった牛深高郷土芸能部に16人が入部。31日に初舞台を迎えるという記事が載っていた。6月2日に行われた熊本県高校総合文化祭パレード・郷土芸能部門の常連である牛深高郷土芸能部と鹿本農高郷土芸能伝承部が妙に寂しかったことが気になっていた。牛深高については今日のニュースで事情がわかってホッとした。一方の鹿本農高も31日から東京で始まる「とうきょう総文2022(第46回全国高等学校総合文化祭)・郷土芸能部門」に出場することが決まっているので部員も揃ったのだろう。郷土芸能は伝統を繋いでいくことが大変だと聞く。両校とも頑張ってまた次の世代に繋いでいってほしい。2014年の熊本県高校総文祭パレードにおける両校の様子を振り返ってみた。郷土芸能の伝承

  • 涼を求めて

    猛暑がこうも続くと何にもやる気がしない。何か涼しげな映像でも眺めて気分だけでもリフレッシュしようと、YouTube動画の中から選んだのが下の2本。1本目は夏の定番避暑地、菊池渓谷の映像。阿蘇の伏流水を水源とする菊池川上流の清流とその音だけの映像だが、ただじっと眺めているだけで十分に涼しさを感じる。2本目は本條秀美さんの新作民謡に乗せて、海を走る船上からの映像。遠い昔、父に連れられてどこかへ船で行った思い出が甦るようなノスタルジックな映像。涼を求めて

  • 朝のチャレンジ

    今日は、先日、熊本市の新型コロナワクチンコールセンターに問い合わせてわかった追加ワクチンの受付日。朝8時30分から受付開始なので、5分ほど前からパソコンの前に座り、コロナワクチン予約システムのページを開いて接種券番号やパスワードを打ち込み、開始を待ち構えた。8時30分ジャストにログイン。まず過去3回の接種を受けたかかりつけ医を確認したが追加ワクチンの配布がなかったのか、受付していなかった。近場を探すと最近開業した医院が受付していてファイザーも選択可能だったのですぐに予約処理を行なった。8月29日に4回目接種を受けることになりひと安心。赤米と鞠智城朝のチャレンジ

  • 鶴岡の地に眠る清正公

    先週土曜23日は加藤清正公の御逮夜、菩提寺本妙寺では頓写会が行われ、翌24日の御命日には加藤神社で清正公まつりが行われた。残念ながら新型コロナ感染者急増のため御神幸祭は中止となったが、先週末は清正公ゆかりの各地において追悼行事が行われた。その中で、嗣子加藤忠廣公の配流先で、加藤家終焉の地となった山形県鶴岡市では清正公没後411年「天澤寺・令和4年清正公本祭」が3年ぶりに開催されたそうだ。これは山形県酒田市にお住いのブログ友・cake様からの情報である。それによれば同じく酒田市にお住いのRicoさんがこの祭に参加され、ブログに詳しく書いておられるとのことだったのでRicoさんのブログを訪問し、記事をつぶさに読ませていただいた。簡にして要を得た文章と鮮明な写真で実にわかりやすい。もう10年ほど前になるが、僕の...鶴岡の地に眠る清正公

  • 不思議な高浜虚子の句

    昨日のブログ記事「オシロイバナ(白粉花)」で取り上げた高浜虚子の俳句おしろいをつければ湯女や五加木(ウコギ)つむという句は不思議な句で、いくつか「??」となるところがある。まず、「おしろい」は「白粉」そのものなのか「オシロイバナ」のことなのかハッキリしない。例句集などでは「オシロイバナ」を秋の季語とする句に分類されている。ところが下五の「五加木(ウコギ)」は春の山菜であり季語でもある。つまり「季重なり」となるのだが、虚子が自らの俳句論を著した「俳句とはどんなものか」のなかで「季重なり」はあまり気にする必要はない、てなことを述べている。そのことよりも「オシロイバナ」が咲く秋と「ウコギ」をつむ春のどっちの季節の句なのだろうか。謎である。湯女(ゆな)は中世から温泉宿などで始まったらしいが、アカすりや髪すきのサー...不思議な高浜虚子の句

  • オシロイバナ(白粉花)

    夕方、散歩みちの道端に今年もオシロイバナが咲き始めていた。まだ花の数は少ない。オシロイバナは仲秋の季語になっていることを昨年調べたことを思い出した。そういえばあと2週間ほどで立秋。もうそんな時季になっていたのだ。昨年調べたオシロイバナを使った俳句には次のような句があげられていた。白粉の花ぬつてみる娘かな(一茶)おしろいは妹のものよ俗な花(正岡子規)おしろいをつけれは湯女や五加木(ウコギ)つむ(高濱虚子)これらの句からオシロイバナはどうやら素人女性のイメージではないようだ。江戸時代の頃、実際にオシロイバナの種子をつぶして白粉として使っていたことがあるらしい。花びらに鼻を近づけると微かに甘い香りがする。その香りを嗅ぐと花魁道中を思い出すのは、花魁が目の前を通り過ぎて行く時の微かな残り香と似ているのかもしれない...オシロイバナ(白粉花)

  • 甥の結婚 ~いつくしみ深き~

    今日は甥賢太の結婚式。結婚式なんぞに出席するのも10年に一度あるかないかになった。しかも今日はホテル日航熊本でのチャペルウェディング。キリスト教スタイルは何10年ぶりだろう。熊本も新型コロナ感染が爆発的に拡大する中、防止策に最大限の神経を使いながらだから準備や進行も大変だったろう。チャペルでのセレモニーでは、讃美歌もナマのオルガンやトランペットに女声合唱だからさすがに胸に迫るものがある。讃美歌「いつくしみ深き」は文部省唱歌「星の界(ほしのよ)」としてよく知っている歌でもあり感動した。クリスチャンでもないのに思わず「アーメン」と口走っていた。いつくしみ深き森山良子甥の結婚~いつくしみ深き~

  • グレートラン!

    今日、新型コロナワクチンの4回目接種案内が届いた。すぐに熊本市の接種予約サイトから予約を試みるがどの医療機関も空いていない。どうしようもないので市のコールセンターに電話してみた。やっぱりファイザー希望だと8月末まで予約がいっぱいだという。じゃあどうすればいいのかと質すと、モデルナだったら少し空きがありますという。3回目までファイザーだったので今さらモデルナは、と言うと、それじゃ毎週水曜日に数は少ないが8月29日以降分の追加受付をやっているのでそれに挑戦してみたらいかがという。ただし、競争が激しいので受付開始と同時にアクセスしても予約できるかどうかわからないという。それしかないなら来週水曜日に挑戦してみるけれど、「西部開拓時代のグレートラン」かッ!と思った。またしても政府・行政の対応が後手後手にまわっている...グレートラン!

  • あの娘が眠る丘

    こんな夢を見た。これは漱石の「夢十夜」の書き出しだが、そんな不思議な夢を見た。シチュエーションがよくわからないのだが、どうやら僕が防府に勤務していた45、6年前のようだ。当時所属していた課の慰安旅行で木造の洋風建築に宿泊している。まるで学校の一室のようだ。もちろん実際にはそんなところに泊ったことはない。そして気が付くと僕のそばに一人の女性が寄り添っている。彼女は会社で僕と机を並べていたOさんだ。当時、高校卒業したばかりの18歳だった。実は彼女は15年前に48歳で他界している。だが夢の中の彼女は初々しい18歳のままだ。そのうち同僚たちは町へ繰り出していった。そして部屋に残されたのは僕と彼女の二人だけ。この状況はマズいぞ、と思っているうちに目が覚めた。2009年の正月、防府時代の同僚からの年賀状によって彼女の...あの娘が眠る丘

  • 内視鏡検査

    昨日は1年ぶりに大腸・胃内視鏡検査を受けた。昨年の入院加療の経過観察でもあった。幸い特に異常なし。ひと安心だ。大腸内視鏡検査で苦痛なのが、あらかじめ渡されている腸管洗浄液を1.5㍑も飲まなければならないことだ。毎回これがひと苦労。トイレの往復を何度か繰り返し、やっとの思いで水のような排便になったところで病院へ。昨日は大雨の予報だったせいか受診者も少なく、ほとんど待ち時間なしに検査台へ。点滴を挿し鎮静剤が入り始めるとあっという間に前後不覚に。再び気が付いた時はすべてが終わっている。僕はこの鎮静剤がいつも効きすぎるほど効くのでなかなか元の状態に戻らない。家内の送り迎えなのでボーッとしたままでも安心なのだが。生きている間にあと何回かこれを繰り返さなくてはならないのだろう。泰勝寺山門跡内視鏡検査

  • ガラシャ夫人御廟参り

    昨日の忌日に行けなかった泰勝寺跡(立田自然公園)のガラシャ夫人御廟に今日お参りした。今年3月に訪れた時、渇水のため涸れた状態になっていた池も雨水が溜り、元の姿を取り戻していてホッとした。また、3月に見た時は、葺き替えられたばかりの茶室仰松軒の茅葺屋根が妙に浮いた感じがしていたが、4ヶ月過ぎるとだいぶ落ち着いた風合いになってきた。園内には細川家初代および二代のご夫妻を祀った「四つ御廟」のほか細川藩歴代藩主の墓地があるが、これまで園内で出会った来園者に来園目的をたずねた限りでは、ほとんどの方が「ガラシャ夫人御廟」参りが目的だった。そんな来園者に気を配ってか園内の案内板もガラシャ人気対応になっている。満々と水を湛える泰勝寺の池の姿を取り戻す今年3月の泰勝寺の池は渇水のため涸れた状態になっていた葺き替えられて新し...ガラシャ夫人御廟参り

  • 細川ガラシャ夫人没後422年

    今日は細川ガラシャ夫人が慶長5年(1600)7月17日に亡くなられて422年の日。泰勝寺跡(立田自然公園)のガラシャ夫人御廟には3月にお参りしたきりなので近々またお参りするつもりだ。夫人が詠まれた歌三首をあらためて読み直しお人柄を偲んだ。▼味土野の山中に幽閉時の歌二首逢うと見てかさぬる袖の移り香の残らぬにこそ夢と知りぬる身をかくす里は吉野の奥ながら花なき峰に呼子鳥鳴く▼辞世の歌散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ幽閉された味土野2016年に放送された大河ドラマ「真田丸」では、細川忠興公の留守宅で、ガラシャ夫人がミサをやっている場面があった。歌われていた讃美歌はグレゴリオ聖歌の一つ「TantumErgo/この大いなる秘蹟を前に」。この「TantumErgo」が織り込まれている合唱曲「どちりなき...細川ガラシャ夫人没後422年

  • 「なすとかぼちゃ」のエトセトラ

    今日の日テレ「満天☆青空レストラン」はかぼちゃが主役だった。なすやかぼちゃなどの夏野菜が美味しい季節だ。今年百寿を迎えた母はかぼちゃが大好物でつい食べ過ぎるのでわれわれ家族が注意しないといけない。かぼちゃは水分を持ってかれるので喉に詰まらせたら大変だ。それはさておき、なすやかぼちゃと聞くとどうしても端唄「なすとかぼちゃ」を思い出す。江戸端唄・俗曲の笹木美きえ師匠によれば――この唄は幕末より唄い出され、お座敷や寄席でも踊られた。大正まで流行が続き、立花家橘之助が「奥州街道で…」から甚句形式を加えた賑やかな「浮世節」で唄うようになった。――という。立花家橘之助(たちばなやきつのすけ)というのは明治から昭和前期まで活躍した女流音曲師で、色物(いろもん)でありながら寄席のトリを務めていたという。5年前に女性三味線...「なすとかぼちゃ」のエトセトラ

  • お盆の挨拶回り

    今日はお盆の親戚挨拶回り。午後から雨が降り出すとの予報だったので早めの昼飯を済ませて出発。玉名の妻の実家に向かう時いつも景色を眺めるポイントに立つ。玉名平野から遠くに二ノ岳・三ノ岳を望むこの景色が大好きだ。田んぼは田植えが終わったばかりのようだ。これが3ヶ月後には下の写真のような風景になる。天気はますますあやしくなってきた。先を急ごう。玉名からの帰り道、とうとう雨が降り出した。ニュースでは今夜から明日にかけて熊本を含む九州北部は線状降水帯に入ることが予想されるという。熊本市内の挨拶回りは先延ばしして帰宅することにする。帰り着いた頃、雨は激しさを増す。今日の田んぼの様子とはるか遠くの二ノ岳・三ノ岳秋にはこんな景色に変わるお盆の挨拶回り

  • 漱石俳句と琴

    夏目漱石の俳句には琴(の音)がよく登場する。全部調べたわけではないが、熊本時代に詠んだ琴の句のうち好きな三句を選び漱石の熊本時代をなぞってみた。紅梅にあはれ琴ひく妹もがな(明治29年)明治29年は熊本に来て間もない頃で、新妻の鏡子さんが気味悪がってすぐに引っ越したという光琳寺の家にいた頃か、移り住んだ合羽町にいた頃に詠んだことになる。光琳寺の家はあまりに短いので、合羽町に移ってからと考えた方が自然か。早春にしみじみとした趣の琴の音が聞こえてきて、それを奏でているのが愛しい人であればなぁと思ったのだろうか。漱石夫妻は合羽町の家で初めての正月を迎えるが、五高の同僚や学生が大挙して押しかけ散々な目にあう。そしてこの合羽町の家は家賃が高すぎたため1年で、白川を渡った大江村の家に移り住む。正月の騒動にこりて、この年...漱石俳句と琴

  • 玄宅寺舞踊会の復活は?

    毎月一度の愉しみだった玄宅寺舞踊会。2013年に始まったこの舞踊会も、新型コロナが熊本でも広がり始めた2020年春に中止されてもう2年半が過ぎた。この舞踊会は舞踊団花童の子たちにとって腕だめしの場でもあり、われわれ花童ファンにとっては普段あまり見ることができない演目を間近で見られる貴重な舞踊会だった。コロナ感染が再び増勢に転じた今、再開のメドは立っていないようだが、一日も早いコロナの終息と玄宅寺舞踊会の復活を願ってやまない。今日、今までの舞踊会の写真や映像を見直していたら、当日の演目や衣装、小道具等を指示したノートの写真(右)が出てきた。おそらくお師匠さんの中村花誠先生が書かれたノートと思われるが、2014年7月24日の舞踊会について記載されている。例えば寿:黒留、ござ袴、狩衣、烏帽子松づくし:黒留、扇子...玄宅寺舞踊会の復活は?

  • 暑中お見舞い申し上げます

    7月に入ってまだ1週間過ぎたばかり、まだ学校の夏休みにも入っていないのにこの連日の暑さは何なんでしょう。既に夏バテ気味でこれから先が思いやられます。そんなわけで、涼しげな写真を集めてみました。少しでも涼を感じていただければ幸いです。熊本は今日のコロナ感染者が2,000名を超え、過去最高を記録しました。どうか皆さまにおかれては暑さ対策とコロナ対策におさおさお怠りなきよう切にお願い申し上げます。菊池渓谷菊池渓谷鼓ヶ滝(河内町)水前寺成趣園水前寺成趣園▼GIFアニメーションから暑中お見舞い申し上げます

  • 無縁墓と「卒都婆小町」

    今日は早朝から家内と盆の墓掃除とお参りに行った。立田山西麓のわが家の墓は三方を無縁墓に囲まれている。それらの墓石には6年前の熊本地震で倒れたままのものやあらぬ方向を向いてしまったままのものもある。掃除はほとんどがその無縁墓からわが家の墓地に侵入してくる雑草の刈り取りだ。特に葛は繁茂力が強いので始末が悪い。おそらくこれからこのように放置された無縁墓が増えて行くのだろう。そんな無縁墓を眺めていたら、ふと能「卒都婆小町」を思い出した。これまで2回、NHKの「古典芸能への招待」で見た。一度は友枝昭世さん、もう一度は観世清和さんがシテだった。そのあらすじは――高野山での修行を終えた二人の僧が摂津国で一人の老女に出会う。その老女はあろうことか、卒塔婆(墓標)に腰掛けて休んでいた。僧はこれを見とがめ、立退かせようと説教...無縁墓と「卒都婆小町」

  • 熊本の風景今昔 ~藤崎宮前~

    熊本市内の公共交通機関の始まりは、明治40年に営業を開始した熊本軽便鉄道の蒸気軌道、安巳橋~水前寺の区間が最初。当時、熊本市内には菊池軌道の路線もあり、明44年に上熊本~千反畑(廣町)間の営業を開始した。この写真は菊池軌道の軽便鉄道が千反畑(廣町)で停車している風景。前方に藤崎八旛宮の大鳥居が見える。それから100有余年、軽便鉄道も、大正末期から昭和初期にかけて敷設された熊本市電も姿を消し、藤崎宮大鳥居の前を国道3号線が走る。千反畑に停車している菊池軌道の軽便鉄道毎年9月に行われる藤崎八旛宮秋季例大祭の奉納飾馬の馬追いがで大鳥居をくぐって出発する。熊本の風景今昔~藤崎宮前~

  • 山鹿盆踊唄

    3年ぶりの復活が発表された「山鹿灯籠まつり」のメインイベント「千人灯籠踊り」。浴衣姿の女性たちが和紙でできた灯籠を頭にのせて踊る幽玄の世界が広く知られているが、今年は規模を縮小して行われる。「山鹿灯籠まつり」で踊られる曲は3曲。主に踊られるのがこのまつりを象徴する「よへほ節」。明治初期から湯の町山鹿のお座敷唄として歌われていたが、昭和9年に山鹿の旦那衆が大作詞家・野口雨情を招き、温泉町再興のためのご当地ソングとして改作したもの。2曲目は「山鹿盆踊唄」。戦後、古墳時代の景行天皇九州巡幸に由来をもつ灯籠まつりを、それとは別に行われていた盆踊りと合体させ、今日のような灯籠まつりの形に再構成した功労者の一人、民俗学者で放送作家の木村祐章によって作られた。3曲目は「米原長者口説き歌」。1300年前、大和朝廷によって...山鹿盆踊唄

  • 娘ジントヨー と 安倍氏銃撃事件

    今朝は朝ドラ「ちむどんどん」を見なかった。ところが、放送後のネット情報によると今日の回で歌子に扮する上白石萌歌が三線を弾きながら「娘ジントヨー」を歌ったらしいことがわかった。「しまった!」5月初めからこのシーンをいつか、いつかと待っていたのにと思いながら、さっそくNHK+で視聴することができた。お昼の再放送でもう一度見てみようと思っていると、突然、安倍元総理が銃撃されたという緊急ニュースが飛び込んできた。このあおりを受けて「ちむどんどん」の再放送は中止になった。何という世の中だろうか。ウクライナでは多くの一般市民が毎日虫けらのように殺され、アメリカでは銃乱射事件が頻発し、多くの犠牲者が出ている。世界の中で安全な国と言われていた日本もそんな世界のニュースを毎日見聞きして感覚が麻痺して行くのではないかという危...娘ジントヨーと安倍氏銃撃事件

  • 熊本の花街(六・下)

    「熊本の花街」シリーズ最終回は今までの流れとは打って変わって、一人の少女の哀話。一見華やかな花街の非人道的な影の部分を最後にもってきた鈴木喬先生、さすがというほかない。可憐少女石井コトの墓碑(妙永寺)熊本の花街(六・下)

  • 今日の詩を聴かせて

    今朝は轟く雷鳴と激しい雨音で目が覚めた。だがそれもそれほど長くは続かず、風も思ったほど強くなかった。今日は予約していたエコー検査と診察の日。10時の予約だったが30分ほど早く病院に着く。待合室には20人ほどの男女、中高年がほとんどだ。早めに呼び出され、まずエコー検査を受ける。エコー検査は初めてではないが、前回はいつ受けたのか思い出せない。しばらく後に担当医の診察を受け、エコー検査の結果は特に異常なし。ホッとする。2週間後の大腸内視鏡検査について準備事項などについて説明を受ける。朝飯抜きだったので帰宅した後、食事を済ませテレビを見ながら横になる。しばらくウトウトしていて目が覚めると、何か今の季節に合う音楽が聴きたくなった。そして選んだのが下の2曲。1曲目は10数年前に見た映画「Life天国で君に逢えたら」の...今日の詩を聴かせて

  • 思い出の町 ~美祢市~

    今夜のNHK「鶴瓶の家族に乾杯」は美祢市から。番組を見ながら59年前の思い出が甦った。僕が高校3年だったこの年の国体夏季大会は山口県で行われ、僕が参加した水球競技は美祢市の大嶺高校プールが会場となった。高校時代最後の公式大会であり想い出深い。宿舎となった旅館では到着したその日に歓迎の夕べが開かれ、地元のご婦人たちの唄と踊りにより民謡「男なら」などが披露された。大会の方は優勝を目指していたが残念ながら準決勝で敗れ、3位決定戦で勝って3位となった。試合終了後、黌歌が流されると、まるで自分の青春が終わったかのようで涙したことを憶えている。また、個人的には父が観戦に来た最初で最後の大会となった。国体恒例観光バスツアーでは秋芳洞と秋吉台を巡った。▼山口県民謡「男なら」市民の歓迎を受ける大会会場となった大嶺高校プール...思い出の町~美祢市~

  • 3年ぶりの出水神社薪能

    ここ2年、コロナ禍のため開催されなかった「出水神社薪能」が、2019年の第60回記念大会以来3年ぶりに行われます。水前寺成趣園の真夏の宵を彩る「出水神社薪能」は、全国各地の神社仏閣などで行われる薪能の中でも五番目の古い歴史を持つといわれています。水前寺成趣園能楽殿は、もともと八代の松井家の能舞台で、昭和61年(1986)に、昭和天皇御在位60年を記念して松井家より移築奉納されたものです。今回の番組は未発表ですが、久しぶりの成趣園での薪能が楽しみです。とき:令和4年8月6日(土)午後6時よりところ:水前寺成趣園内出水神社能楽殿観覧料:無料前回の第60回記念大会では熊本市出身の金春流能楽師・本田光洋師が「替ノ型羽衣」を務める3年ぶりの出水神社薪能

  • 2022年上半期 動画視聴ベスト10

    YouTubeマイチャンネルの「2022年上半期(2022.1.1~2022.6.30)動画視聴ベスト10」は次のとおりでした。やはり幸若舞「敦盛」は強かった。2015年1月に初期バージョン(字幕なし)をアップして数年の間、視聴回数は毎月数回にとどまっていた頃がウソのようです。上位の固定化傾向が強くなり、このままでは当然、全体の視聴回数は減少していきますので、新しい強力なコンテンツをアップできるよう努力したいと思っています。サムネイル画像をクリックしていただきますと動画を視聴いただけます。1.幸若舞「敦盛」(17,029回)2.伊勢音頭(14,416回)3.おてもやん(12,746回)4.かっぽれ(11,810回)5.熊本民謡おてもやん(11,459回)6.南部俵積み唄(10,243回)7.ひえつき節(9...2022年上半期動画視聴ベスト10

  • 童謡の日と赤い鳥のはなし。

    今朝の車のエンジン起動時のメッセージは「今日は童謡の日」。漱石門下でもあった鈴木三重吉が児童文芸誌「赤い鳥」を創刊したのが大正7年の7月1日だったことにちなんでいる。「赤い鳥」は日本の近代児童文学・児童音楽の発展に多大な貢献をした。ちなみに子供のために作られた歌を童謡といい、曲付けされているとはかぎらない。というわけで今日は童謡についてのよもやま話。童謡といえばまず思い出すのは北原白秋。柳川市沖端の白秋生家には何度か訪れた。しかし、白秋が生まれたのは母親の実家である熊本の南関町関外目の石井家。白秋の代表作である「この道」は前半は晩年に訪れた北海道の風景が描かれているが、後半は幼い頃、母に連れられ馬車で南関町の母の実家への道(旧豊前街道?)で見た風景だといわれている。昭和3年6月16日、九州初の放送局として...童謡の日と赤い鳥のはなし。

  • 古りし写真が語るもの

    ゆうべ不思議な夢を見た。加藤神社へと登る子供たちの群れ。といっても現在の城内に鎮座する加藤神社ではなく、まだ新堀町にあった頃の加藤神社だ。そして彼らが登るのは錦坂。もちろん今のような舗装された階段ではなく、草木に覆われた斜面を削って取り付けられた細い急坂。ところどころ雁木が敷いてある。小さな子供たちも健気に登ってゆく。目が覚めてから「あゝあの写真だな」と気付いた。あの写真とは、母が熊本師範女子部附属国民学校(現在の熊大附小)に勤務していた戦時中の写真である。戦勝祈願でもしたのだろうか全校生徒と全職員が加藤神社の階段で記念撮影したものだ。幼い頃から何度も見た写真だが、いつも、このあどけない子らが、今の城東小学校のところにあった校舎から整列して行進し、加藤神社までもう一息の錦坂を登る姿が目に浮かぶ。彼らはどん...古りし写真が語るもの

  • 熊本の花街(六・上)

    西南戦争後、新たに設けられた二本木遊郭を取り巻く厳しい経済環境と楼主たちの経営努力、そして娼妓達を襲う花柳病など、苦難の道をたどる花街。「熊本の花街」シリーズ第6回。熊本の花街(六・上)

  • 夏越の大祓

    今日は藤崎八旛宮段山御旅所での新町大祓。今年の上半期はお祓いしたいことがいろいろあるので猛暑の中出かけて行った。まず驚いたのは御旅所の能舞台が改修されて綺麗になっていたことだ。老朽化が酷く、9月の藤崎宮例大祭での御能奉納には人間国宝の友枝昭世さんなども来られるのにお気の毒な感じがしていたものだ。舞台だけではなく鏡之間や御役者之間なども檜をふんだんに使って見違えるほど美しくなった。今日のお祓いで世の中の風向きが変わってくれればいいのだが。今年は9月の例大祭の御能奉納も行われるようなので楽しみだ。改修なった能舞台。太鼓と笛の風雅な音色を聞きながら、巫女さんに御幣と鈴でお祓いを受ける。神職から八の字回りで茅の輪をくぐる。熊本の文化財の一つとして次世代へ受け継がれて行くだろう。夏越の大祓

  • 1年ぶりの再会

    昨年、検査入院して大腸ポリープ除去術を受けてからちょうど1年。退院時、女性の担当医から「また1年後にお会いしましょう」と言われていたので、今日は朝から受診、1年ぶりの再会となった。診察を受ける間、先生の優しいお顔を見ながら、まるで阿弥陀如来のよう、と思い描いたが、待てよ、阿弥陀如来はお迎えの時だから、と慌てて打ち消す。再検査の予約を済ませ、なぜかひと安心。昨年、入院時に病室から日がな一日眺めていた風景1年ぶりの再会

  • 創作舞踊 「花七変化 肥後六花」

    5月21日に城彩苑わくわく座で行われた「わくわく座春の特別舞台~肥後六花」のメイン演目「花七変化肥後六花」の映像編集がやっと終わり、YouTubeへ仮アップロードしました。いくつかチェックしたい点がありましたので、まだ限定公開としています。修正すべき点があれば修正後、公開バージョンをアップロードしたいと思います。全編、邦楽の第一線で活躍しておられる先生方によるオリジナルの楽曲と演奏で綴られており、4月、高校を卒業したばかりのはつ喜流月蘇女さん振付による花童たちの華麗な踊りや花童のリーダー、かなさんの作調など見どころ聴きどころ満載の映像です。創作舞踊「花七変化肥後六花」

  • マカフィーを装う偽のポップアップ

    先日、突然パソコン画面にウィルス感染を知らせるアラートのポップアップが表示され始めた。閉じるボタンを押しても押しても次々と現れる。「コンピューターが感染しています」だの「コンピューターが疑わしいプログラムによって破損しています」だの。現れては閉じる、現れては閉じるを繰り返していると、終いには「マカフィーアンチウィルス」のインストールを督促するようなポップアップが現れる。数分置いて再び同じことの繰り返し。そういえば1年以上前にも同じようなことがあったことを思い出し、その時はどうしたのだろうと記憶の糸を手繰った。そして、永年取引のあるパソコン関連会社のスタッフに問い合わせてメールで指導いただいたことを思い出した。過去のメールを探し出した結果、この問題への対応サイトを教えていただいていた。それが次のサイトである...マカフィーを装う偽のポップアップ

  • 二つの民謡「田原坂」

    「世界の民謡・童謡」というサイトがあります。日頃よく利用させていただいていますが、先日、このサイトで熊本県民謡の「田原坂」を見ますと、以前見た時に試聴動画として掲載されていた島津亜矢さんの「田原坂」が再生不可となっていました。そこで、本條秀美さんが唄っておられる「正調田原坂」を掲載していただきたいと、サイトへお願いをしておりましたところ、本條秀美さん唄う「正調田原坂」と歌謡曲調の「田原坂」の2本が掲載されました。それが下記のページですが世界の民謡・童謡~田原坂~紹介していただいたことはありがたいのですが、この2曲の違いが気になり始めました。以前から「田原坂」には熊本節と鹿児島節があるという話は聞いていましたが、細かいことは知りませんでしたので、本條流民謡三味線の本條秀美さんにおたずねしてみました。本條さん...二つの民謡「田原坂」

  • 緊急地震速報で「民謡魂」は中断!

    緊急地震速報で「民謡魂」は中断!

  • 今日の気になるニュース3題

    熊本県の今日の新型コロナウイルス感染者数は472人と発表された。前週の土曜日から4割弱増え、5日連続で前週の同じ曜日を上回っている。全国的には減少傾向が続いているが、熊本県は横這いの状態であると県も認めている。他府県と何か異なる要素があるのだろうか。気になるところだ。今日の全国感染者数世界遺産の法隆寺(奈良県)が、維持管理費などに充てるためクラウドファンディングを6月15日に開始したところ、わずか1日で目標金額の2000万円を達成。現在、6500万円に達したという。自然災害やコロナ禍などが続き、クラウドファンディングに対する認識や気運が高まったことや法隆寺の知名度が高いことなどが背景にあるというが、一方では子供の貧困問題に苦労して取り組んでいる人たちもいるという現実を考えると複雑な思いを禁じ得ない。ブラタ...今日の気になるニュース3題

  • 住吉大神とふるさとの祭り

    先日、FB友のNさんから「住吉大社御田植神事」のLIVE配信がある旨、お知らせいただいた。当日(14日)は見ることができなかったが、翌日にYouTubeで見た。何しろ2時間弱の長尺なので、ところどころ再生速度を上げて見たが、さすがに国の重要無形民俗文化財だけのことはある。歴史と伝統を感じさせる見ごたえのある映像だった。神職より早苗が植女に授けられる母のふるさと、玉名市大浜町の「大浜外嶋住吉神社」は、住吉大社の祭神、住吉大神(すみのえのおおかみ)を祀って約千年の歴史を有する。2020年は「年紀祭」が行われる年だったのだがコロナ禍のため延期され、未だいつ開催されるか未定の状態。この祭の由来は次のようだ。平安時代後期、延久元年(1069)、後三条天皇が住吉大神の御神像をつくらせ、小舟に乗せて浪速の浦に流したとこ...住吉大神とふるさとの祭り

  • オリンピックと水球

    久しぶりに海外の水球専門サイト「WaterPoloLegend」を見ていたら、懐かしい映像を見つけた。それは1964年の東京オリンピックにおける水球の決勝ラウンド「ハンガリーvsソ連」戦の映像だった。当時僕は大学生で、会場となった代々木オリンピックプールで補助役員をやっていたのでプールサイドで観戦した。事実上の決勝戦となったこの試合は、ハンガリーが5対2でソ連を破って優勝を決めた。この試合に出場したハンガリー水球チームの選手は次のとおり。アムブルッシュ(31)ボドナール(22)ボロシュ(35)ドモトル(29)フェルカイ(23)ジャルマティ(36)カニジャ(31)カルパティ(29)コンラード(23)マイエル(30)ポ-チク(24)ルショラ-ン(24)ベテランが多いが、実はこのうち、ボロシュ、ジャルマティ、カ...オリンピックと水球

  • 「野崎小唄」と大村能章

    昨日、笹木美きえ師匠のフェイスブックに昭和歌謡「野崎小唄」の譜面起こしをされた話を投稿されていた。久しぶりにこの題名を聞いた。この歌を歌った昭和歌謡の大御所・東海林太郎さんが亡くなってもう50年くらい経つので、さすがにこの懐かしのメロディも聞かなくなって久しい。僕は幼稚園から小学校へ上がる頃まで祖母によく歌謡公演を見に連れて行ってもらった。当時は歌手名の認識はなかったので明確には思い出せないが、東海林太郎さんも見たような気がする。「野崎小唄」は祖母が大好きだったし、この歌で会場の熊本市公会堂が大いに盛り上がったような微かな記憶がある。祖母も45年前に他界しているので確かめようがない。それはさておき、この「野崎小唄」を作曲した大村能章さんは昭和歌謡を代表する作曲家の一人。「同期の桜」や「麦と兵隊」などが有名...「野崎小唄」と大村能章

  • 「くまもと全国邦楽コンクール」を観ながら思ったこと

    昨日「くまもと全国邦楽コンクール」を観ながら感じたことを何の脈絡もなく書き連ねてみた。このコンクールは新型コロナ感染拡大防止のため、一昨年が延期となり、昨年は無観客で行われたため、観るのは3年ぶり。﨑秀五郎(当時は本條秀五郎)さんがわずか3分強という端唄「綱は上意」で最優秀賞に選ばれたのはついこの前だったような気がする。2011年から見始めて今年で11年になるが、いつも思うのは観客の少なさ。全国のトップレベルの邦楽演奏家たちが集うコンクールなのにもったいないなと思う。しかし、昨日は終わる頃には結構入っていて少し安心した。今回、熊本出身の筝曲の清原晏(きよはらはる)さんが最優秀賞を受賞したことは県民として喜ばしい。清原さんは昨年も出場しているのだが無観客だったので観ていない。後日公開された映像では、お仲間と...「くまもと全国邦楽コンクール」を観ながら思ったこと

  • 第27回くまもと全国邦楽コンクール(結果)

    今日、「第27回くまもと全国邦楽コンクール」が熊本市市民会館大ホールで行われ、熊本県内在住・出身者としては初めて箏曲の清原晏(きよはらはる)さんが最優秀賞に輝いた。清原さんは東京芸術大音楽学部邦楽科卒業後、熊本を拠点に演奏活動を続けている。今回は箏曲、尺八・笛音楽、三味線音楽、三曲等合奏の4部門に予選を通過した20個人・組が出場した。感想はまた日を改めて投稿したい。第27回くまもと全国邦楽コンクール(結果)

  • Shall We Gather at the River

    映画の中で聴いたあの歌この歌。いつまでも忘れられない歌の1曲や2曲は誰にでもあるものだ。僕にとってそんな歌の一つがジョン・フォード監督作品の中で聴いたこの「まもなくかなたの(ShallWeGatherattheRiver)」。日本では「たんたんたぬきの金時計」などと替え歌が作られているが、もともとはアメリカの讃美歌。詳しい説明は次の「世界の民謡・童謡」サイトを参照。♪まもなくかなたの(ShallWeGatherattheRiver)下の動画には次の7本のフォード作品の中で歌われた場面が収録されているが、僕が小学校から大学までに見た映画ばかりで懐かしい思い出が甦る。タバコ・ロード(1941)荒野の決闘(1946)幌馬車(1950)荒野の女たち(1966)駅馬車(1939)捜索者(1956)三人の名付親(19...ShallWeGatherattheRiver

  • 日本陸上選手権

    日本陸上選手権は2日目。今日の最注目は最速ランナーを決める男女の100㍍決勝。男子はサニブラウン・ハキームが10秒08で3年ぶり3度目の優勝。同女子は君嶋愛梨沙が日本歴代4位に並ぶ11秒36で初優勝した。また、もう一つ注目していた、女子1500m決勝は東京五輪8位の田中希実が4分11秒83で3連覇を果たした。小池や桐生ら実力者と台頭してきた若手を抑えて優勝したサニブラウン3連覇を狙った児玉とデッドヒートを繰り広げ僅差で初優勝した君嶋日本陸上選手権

  • 消えゆく京町の面影

    わが家の真ん前、京町2丁目東端の段丘の上には、戦前、群馬の製糸業で財を成した細谷家の広大な邸宅があった。大きな築山があって、僕らが子供の頃の格好の遊び場だった。威厳に満ちた老人がおられたが、そのお孫さんが僕の1級上の方で、後に「りそなホールディングス」会長などを務めた細谷英二さん(2012年没)。邸内は鬱蒼と茂った木々に囲まれていた。戦後の一時期、その邸内の一角に、小さな平屋が建った。今風に言えば、2DKほどだったろうか。そしてそこに米兵とオンリーさんが入居した。米兵の姿を見かけることは稀だったが、オンリーさんとはよく顔を合わせた。彼女は子供の僕らに笑いかけることもなく、いつも悲しげな表情を浮かべていた。その米兵も昭和30年に引き揚げて行った。オンリーさんがその後どうなったかは知らない。この敷地内には、明...消えゆく京町の面影

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