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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

  • ストーリーテリング

    毎日少しづつコースを変えながらの散歩。その道すがらを物語ってみた。わが家を出て京町柳川から瀬戸口へ階段坂を降りる。垣根に絡みついたテイカカズラの甘い香りが鼻腔をくすぐる。坂を降り切り、瀬戸坂を横切ると今度は真っすぐ三年坂を登る。30㍍ほど登ったところの「むくり屋根の家」をしばし眺める。ここはもう住まいとしては使われていないが、江戸時代、知行取りの熊本藩士だった藤掛氏の邸だ。益城町の知行地から移築した建物で床柱には西南戦争時の弾痕が残っているらしい。坂を登り切った後、真っすぐ京町本丁の裏道を通って稗田町に入る。稗田町の公園でひと休みしようと入って行くと高齢の女性が箒で清掃奉仕をしていた。「お疲れ様」と声を掛けベンチに座る。そこへ犬を連れた高齢の女性がやって来て、中腰で清掃作業中の女性に声を掛けた。「奥さんな...ストーリーテリング

  • あやめ咲く頃

    「何れアヤメかカキツバタ」南北朝時代の軍記物語「太平記」の一節に典拠を持つことわざで「どちらも優れていて選び迷うこと」の意である。「から衣きつつなれにしつましあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ」古今和歌集の中の在原業平の歌で、旅先での妻恋しさと旅のつらさを詠んだ歌である。「潮来出島の真菰の中にあやめ咲くとはしおらしや」お馴染み茨城県の水郷潮来の俗謡「潮来節」の一節である。「ショウブ」「アヤメ」「ハナショウブ」「カキツバタ」とちょっと紛らわしいが、実は四つとも別ものだそうである。端午の節句にお風呂に入れる「ショウブ」だけは他の三つと異なる系統だという。残りの三つはいずれもアヤメ科の植物だが、あやめは漢字で「菖蒲」と書き、「しょうぶ」とも読む。ところが「アヤメ」と「ショウブ」は全く別の植物であり、「アヤメ」と...あやめ咲く頃

  • 山頭火出家のナゾ

    今日は坪井繁栄会の「お茶の間交流センター」を訪れ、ここの主である岡崎さんに久しぶりにお会いした。岡崎さんは地域起こし活動とともに「坪井・山頭火の会」の事務局長でもある。4年ほど前、坪井の見性寺で行われた「山頭火の会」に飛び入りで参加させていただいた時のテーマが「山頭火出家のきっかけを作ったのは誰?」だった。「木庭」という姓だけが分かっているその人の最も有力とされているのが、進学予備校の走りとなった壺渓塾を設立した木庭徳治さん。当日は木庭氏の養女澄子さんが出席されて父上から聞いた話を証言された。山頭火は大正13年の暮れに泥酔して市電を止める事件を起こした。その時、「木庭」と名乗る男性に助けられ、報恩寺に預けられたのを機に出家したとされる。ただ、この「木庭」氏には別人説もあり、その日の「山頭火の会」でも断定す...山頭火出家のナゾ

  • 4年ぶりの「せいしょこまつり」

    今日は4年ぶりの加藤神社「清正公(せいしょこ)まつり」。しかも4年前までの7月下旬開催から4月下旬開催へと変更された。毎年猛暑の中での神幸行列は参加する大勢の子供たちにとってハードだったので、この開催時期変更は喜ばしい。もっとも戦前は春に行われていたそうなので、元来の開催時期に戻ったことになる。たまたま参拝に来られていた方から「こんな大きなまつりがあるとは知らなかった」との声が。再開を機にもっと情報発信が必要なのかも。神幸行列の出発鳥居をくぐるあたりから掛け声のボルテージも上る凛々しい子どものせいしょこさんたち可愛い巫女さんたちも行列に加わる馬上の湯田宮司4年ぶりの「せいしょこまつり」

  • 舞楽 ~飛鳥文化~

    今日4月22日は聖徳太子の命日。飛鳥時代に聖徳太子によって創建された大阪市天王寺区の四天王寺では聖徳太子を偲んで恒例の「聖霊会舞楽大法要」が行われた。その様子はYouTubeのライブ配信が行われたので初めて視聴した。といっても半日がかりの行事なので、太子様には申しわけないが、最初から最後まで見るわけにはいかない。今までYouTube動画で見て知っている童舞の「胡蝶(こちょう)」と「迦陵頻(かりょうびん)」に的を絞ることにした。四天王寺聖霊会の舞楽は国の重要無形民俗文化財の指定を受けているそうで、今を去ること千四百年前の豪華絢爛な飛鳥文化を垣間見る思いがした。胡蝶迦陵頻2:34:25頃から「迦陵頻」、2:49:35頃から「胡蝶」が演じられます。舞楽~飛鳥文化~

  • 初夏の香り

    わが家から新坂を歩いて下っていると、どこからか甘い香りが漂ってきた。えッ!これはたしかテイカカズラの花の香だなと思い、山側斜面の藪を見上げると間違いなくテイカカズラの花が咲き始めていた。毎年5月に入る頃から咲き始めていたと思うので今年は開花が早まったのだろう。近年、周辺のテイカカズラ繁茂の勢いが凄い。帰りがけによくよく見て行くと、漱石ゆかりの坂であることを示す案内板の近くにまでテイカカズラが迫っていた。いずれこの案内板にも絡みつくのかもしれない。午後、立田山湿性植物苑のカキツバタを見に行く。今年も本紫の花を咲かせていた。ちょうど1年前、くまもと花博の会場となった時、遊歩道の木柵などが整備されたらしい。もうしばらくすると肥後花菖蒲も咲くと思うのでまた訪れたい。山あいの窪地を薫風が吹き渡っていた。初夏の香り

  • ふるさと

    わがふるさとのランドマークいささか旧聞に属するのだが、今年の2月、YouTubeマイチャンネルの動画「ふるさと」にある方から次のようなコメントをいただいた。「作曲した岡田京子さんとはどいうかたかわかりません。どなたか教えてください。」この動画をアップしたのはもう13年前になるが、作詞が石塚克彦さん、作曲が岡田京子さんというお名前だけは調べた記憶があるのだが、どういう方なのか存じ上げないのであらためて調べてみた。その結果は下記のとおりなのだが、今回おたずねいただいたおかげで随分久しぶりに倍賞千恵子さん歌うこの歌を聞いた。この歌は山田洋次監督の映画「同胞(はらから)」(1975)の主題歌で僕の大好きな歌の一つ。わがふるさと熊本の風景に当てて映像化してみたいと思い、それまで撮りためていた写真をあれこれ引っ張り出...ふるさと

  • ヨイショコショ節 と 淡海節

    「しずごろう民謡わがままチャンネル」(水野詩都子さん&﨑秀五郎さん)に新たにアップされた曲は「ヨイショコショ節」。お二人のもう一つのプロジェクト「東海風流チャンネル」で3年ほど前にアップされた「淡海節」ともとは同じ唄である。簡単に言うと喜劇役者・志賀廼家淡海(しがのやたんかい)が唄った「ヨイショコショ節」のことを後に「淡海節」と呼ぶようになったというわけ。「ヨイショコショ節」は山口県で唄われていた民謡。NHKの「新日本風土記アーカイブス『みちしる』」では山口県周防大島に伝わる民謡として紹介されているが、元治元年(1864)の第二次長州征伐(四境戦争)において大村益次郎率いる長州軍が「石州口の戦い」で幕府軍を破った時、奇兵隊の一員として参戦していた人が陣営で唄われていたこの唄を持ち帰ったものという説がある。...ヨイショコショ節と淡海節

  • 今日の1枚 ~古京町の石材置場~

    このエリアはかつて熊本家庭裁判所があり、その後、熊本市役所古京町別館として使われていた建物があった場所である。建物は熊本地震で損壊し、解体撤去された。今は熊本地震で崩落した飯田丸五階櫓石垣の復旧工事のための石材置場となっている。このエリアに納まりきれない程あった石垣や裏込石が最近急激に減り始めた。それは飯田丸五階櫓石垣の復旧工事が進んでいる証なのだろう。予定では来年2月に石垣の積み直しが終わり、それから櫓建物の復旧に4、5年かかるという。飯田丸五階櫓が地震前の姿に戻るのはまだだいぶ先のことではあるけれど、この石材置場を見て、少しづつ少しづつ復旧が進んでいることを実感するのは楽しい。飯田丸五階櫓石垣復旧工事のための石材置場▼熊本地震前の飯田丸五階櫓▼熊本地震で石垣がV字崩壊した飯田丸五階櫓▼「奇跡の一本石垣...今日の1枚~古京町の石材置場~

  • 地震とハーン

    熊本地震本震からちょうど7年の昨夜、地震があった。7年前の悪夢が甦った。幸い短時間で収まったが、南区辺りが震度3だったようだ。一瞬、明治熊本地震のことが頭をよぎった。明治22年7月28日(1889)に発生した明治熊本地震から5年後の明治27年8月8日(1894)再び熊本は大きな地震に見舞われている。今またそれが再現するのではないかという危惧が常に頭の片隅にある。明治27年の地震の時、五高の教師として熊本にいたラフカディオ・ハーンは熊本二番目の坪井西堀端の家に住んでいた。友人の東京帝大教授バジル・ホール・チェンバレンへの手紙で「阿蘇が爆発して地震が頻発し、庭で夜を明かした…」と書き送っている。この頃は日清戦争が始まったばかりで、ハーンは全国から熊本に結集する若い兵士の姿や錦山神社(加藤神社)や藤崎八旛宮など...地震とハーン

  • 吉岡隆徳記念出雲陸上

    陸上競技日本グランプリシリーズは先週熊本で行われた「金栗記念選抜中長距離大会」に続き、今週は島根県での「吉岡隆徳記念出雲陸上競技大会」。ライブ配信で観戦した。注目したのは女子100mに出場した熊本中央高校の山形愛羽選手。大会は雷雨のため一時中断。予定よりだいぶ遅れたが、女子100mは3組のタイムレース。1組で2位となった山形選手は全体で3位に入賞した。これを足掛かりに高校最後のシーズンの活躍を期待したい。ゼッケン84番が山形愛羽選手▼女子100mタイムレース集計結果▼吉岡隆徳さんについて吉岡隆徳の名を冠したこの大会は、1932年に行われた第10回ロサンゼルス五輪の100mで、東洋人初の6位入賞を果たし「暁の超特急」と呼ばれた出雲出身の伝説のスプリンターを記念する大会です。吉岡さんが東京女子体育大学の教授を...吉岡隆徳記念出雲陸上

  • 藤祭 ~藤崎八旛宮~

    桜の季節が慌ただしく過ぎ、もう藤の花の季節。今日4月15日は藤崎八旛宮藤祭の三日目。五穀豊穣と諸行の繁栄を祈願する祭祀がとり行われた。承平5年(935)、山城国の石清水八幡大神が肥後国の茶臼山西側段丘(今の藤崎台)に勧請された。その鎮座の日、勧請の勅使が藤で作った神馬の鞭を、三つに折って三ヶ所に埋めたところ、その中の一つからやがて芽が出て枝葉が繁茂したので藤崎宮の名称が付いたという伝承がある(異説あり)。この神恩に感謝する祭りとして、毎年、藤の花が咲く4月に行われるのが「藤祭」である。境内の藤棚も見ごろに祭祀をとり仕切る神職の入場氏子会などが式典に参列能楽殿では仕舞が奉納された(喜多流能楽師狩野了一さん)藤祭~藤崎八旛宮~

  • 熊本地震から7年

    今日は熊本地震の前震から7年。あっという間だった気もする。最近は自分自身の中で風化が始まっているような気がして、今日は7年前の地震発生直後から13回にわたってブログに書いた「余震のまにまに」を読みなおしてみた。時々、こういう記憶のリマスター作業が必要なようだ。当時、ブログには掲載しなかった写真を4枚選んでみた。崩落した往生院山門(4月18日)鯱や瓦が落ちた熊本城大小天守(4月19日)崩落した東十八間櫓に押しつぶされた熊本大神宮社務所(6月12日)転落寸前まで動いた鼻欠け地蔵(7月10日)1997年に20数年ぶりに熊本に帰ってあらためてふるさとの美しさを認識した。一日も早くあの頃の熊本に戻ってほしいという願いを込めて。▼火の国旅情熊本地震から7年

  • 牛深ハイヤ節にまつわる話(2)

    3月25日にNHK九州・沖縄で放送された「キミだけ応援団」で紹介された「牛深ハイヤ」を伝承する牛深高校郷土芸能部の活動をこのブログで取り上げた。番組の中で、高校生を指導する牛深ハイヤ保存会のメンバーが歌詞の意味を教える場面があった。それは「お前さんに暇状(ひまじょう)はやいもせんが取いもせん」という長囃子の一部だった。これは「あなたに離縁状をやりもしないし、もらいもしない」という意味だと説明していた。意味はわかるのだが、どういう状況なのかの説明はなかった。この長囃子には「権現山から後ろ飛びゃするとも」という前段がある。天草の久玉町と魚貫町にまたがる権現山という400㍍くらいの山がある。その山の断崖から飛び降りるという意味。「清水の舞台から後ろ飛び」がもとになったと思われるが、重大な決意をもって行動を起こす...牛深ハイヤ節にまつわる話(2)

  • 夏目漱石来熊記念の日

    明日は、今から127年前の明治29年4月13日、第五高等学校の教師として赴任した夏目漱石が上熊本駅(当時は池田停車場)に降り立った日。7年前のこの日、上熊本駅に蒲島熊本県知事や大西熊本市長らも出席して「夏目漱石来熊120年お帰りなさい漱石祭」が盛大に行われた。漱石記念年の華々しいスタート、となるはずだった。しかし、その翌日、震度7という大地震が熊本を襲った(熊本地震前震)。予定されていた漱石記念年行事の中には中止されたり、内容が変更されたりしたものもあった。そして何よりも、われわれ漱石ファンでさえも「それどころじゃない!」という気分になってしまった。僕も当初は参加を予定していた行事にほとんど参加しなかった。漱石顕彰の拠点でもある「漱石内坪井旧居」は地震による損壊で閉鎖された。漱石先生にはお気の毒なことにな...夏目漱石来熊記念の日

  • 旅の衣は篠懸の…

    巨匠黒澤明の没後25年にあたる。先週土曜日、ETV特集「黒澤明が描いた『能の美』」が放送された。撮影を始めたものの未完に終わったドキュメンタリー映画「能の美」が紹介されるとともに、能を取り入れた黒澤映画の中から「蜘蛛巣城」や「乱」などで、メイク、衣装、所作などに能がどのように取り入れられたかが解き明かされた。これまでも黒澤映画と能の関係を紹介するTV番組や文献には触れる機会があり、断片的な知識はあったが今回の番組でだいぶ整理できたような気がする。しかし、僕にとって黒澤映画と能のかかわりを知った最初の作品は能「安宅」をもとにした「虎の尾を踏む男達」である。製作されたのが1945年、終戦の1ヶ月後というから驚きだ。さすがに米軍占領下では公開できず、初公開は7年後の1952年となった。この映画の面白いところは謡...旅の衣は篠懸の…

  • 春麗ら

    青空の下、熊本県の県木でもあるクスノキの若葉が美しい。常緑樹であるクスノキは新しい葉が芽吹くと古い葉は紅葉して落ち、新旧の入れ替わりが行われる。今はまさに交替が終わったばかりで目にも鮮やかな萌黄色を楽しむことができる。藤崎台球場ではここを本拠地とするプロ野球独立リーグ・九州アジアリーグに所属する火の国サラマンダーズの試合日。今日は北九州下関フェニックスとの3戦目。試合前、球場前広場ではチアガールのSallysがファンにパフォーマンスを披露していた。護国神社は毎年春の訪れを告げる境内や鳥居前の梅の季節が終わり、桜もソメイヨシノは葉桜となり、残るはピンク色の八重桜のみとなった。加藤神社の「清正公まつり」は毎年7月に行われていたが、今年から4月に行われることになった。今年は4月23日(日)に行われる。神幸行列が...春麗ら

  • 金栗記念大会で陸上競技新シーズンがスタート!

    今年も熊本は「金栗記念選抜中長距離大会」で陸上競技の2023シーズンが始った。昨年・一昨年に続き、この大会の目玉は女子中長距離のエース田中希実選手。自ら日本記録を持つ1500mに出場した。さすがに日本陸上界のスター。彼女のレース直前になるとスタート地点にメディア各社が集結。観客も彼女を近くで見ようと移動してきた。今日のレースでは彼女は本調子には程遠いように見え、同じチームで競い合ってきた、後藤夢選手に次いで2位に甘んじた。プロ転向など環境の変化にまだ適応できていないのだろう。今後の復調に期待したい。レース前の選手紹介で挨拶する田中希実選手。手前17番が後藤夢選手。レースを引っ張る田中選手と後藤選手。金栗記念大会で陸上競技新シーズンがスタート!

  • 散る花を 惜しむ心やとどまりて

    未明まで降り続いた「桜流しの雨」もやっと止んだ。数日前、花見客で賑わった熊本城周辺を散策してみると、咲き残る花をまばらに残しながらほとんど葉桜に近い状態となっていた。毎年繰り返される風景だが、つい、自分はあと何回桜を見ることが出来るのだろうと思ってしまう。千年昔の人々もきっと同じ思いだったに違いない。春雨の降るは涙か桜花散るを惜しまぬ人しなければ(大友黒主)散る花を惜しむ心やとどまりてまた来ん春のたねになるべき(西行)桜花散るを惜しまぬ人しなければ▼創作舞踊「桜月夜」散る花を惜しむ心やとどまりて

  • 牛深ハイヤ節にまつわる話(1)

    コロナ禍で中止や縮小開催が続いた「牛深ハイヤ祭り」もやっと今年は正常な形での開催に戻りそうだ。その「牛深ハイヤ節」にまつわる話を二つ。今日はその1を書いてみた。江戸時代からの海運などによって全国約40ヶ所に伝わったといわれる「牛深ハイヤ節」はこれまで、奄美大島で古くから歌われてきた「奄美六調」と呼ばれるノリのいい歌がもとになっていると聞いてきた。しかし、鹿児島純心女子短期大学の小川学夫名誉教授による「奄美の島唄研究」によるとこの「六調」というのは、本土に広く伝わる「六調子」がもとになったものであるという。鹿児島本土、宮崎、熊本でも「六調子」は盛んに歌われるが、その一例として熊本の人吉地方で歌われる「球磨六調子」をあげて、奄美の「六調」と曲名、詞形、囃子詞がほとんど一致していて、本土系であることは疑いない、...牛深ハイヤ節にまつわる話(1)

  • 今日の駄話

    桜もソメイヨシノが散り始め、八重桜や御衣黄など遅咲きの桜が主役になりつつあるようだ。街では統一地方選挙の県会議員と市会議員の選挙カーが次から次とやって来てうるさい、うるさい!一方、新年度となり会社や学校など入社式や入学式のニュースが盛んに流される。見ていて気になるのは新入社員や新入生を迎える社長や学長らの講話だ。WBCや大谷選手などの話題を引合いにしながらグローバル化への心構えやマルチな能力開発など、大変立派なお話ばかりなのだが、原稿に目を落としたままだったり、スピーチに力が感じられなかったり。もちろんニュースだから講話のダイジェストではあるのだが、ニュースで流されるのは話の要諦をクリッピングしているはず。はたして新入社員や新入生たちにどの程度伝わっているのだろうかと他人事ながら心配になる。もっとご本人た...今日の駄話

  • あいみょんが「鶴瓶の家族に乾杯」に登場!

    今夜の「鶴瓶の家族に乾杯」秋田県五城目町の旅編に人気シンガーソングライターのあいみょんが登場。2年前の正月「ブラタモリ」と「鶴瓶の家族に乾杯」のコラボ番組以来の鶴瓶との共演となった。これまで鶴瓶の「A-Studio」(TBS)やタモリの「タモリ倶楽部」(テレ朝)にも出演しており両御大の覚えもめでたかった。今回も鶴瓶との息はピッタリ。今夜は前編だったので内容はまた別の機会にするとして、見ながらふと思ったのは彼女が出演した「タモリ倶楽部」のこと。3月末で40年の歴史にピリオドを打ったが、あいみょんが出演したのはなんと「春画脇役大賞」という企画の回。彼女は臆面もなく「春画が趣味」と公言してはばからなかったが、番組でもなかなかの春画通ぶりを見せていた。「タモリ倶楽部」が続けば、期待していた春画企画の第二弾もありえ...あいみょんが「鶴瓶の家族に乾杯」に登場!

  • 2023年1~3月動画視聴ベスト10

    YouTubeマイチャンネルの「2023年1~3月動画視聴ベスト10」は次のとおりでした。今年は年初から「伊勢音頭」が好調で、過去2年、年間最多視聴動画となった「幸若舞敦盛」の牙城に迫るのかどうか今後に注目です。サムネイル画像をクリックしていただきますと動画を視聴いただけます。1.伊勢音頭(8,576回)2.幸若舞「敦盛」(6,847回)3.おてもやん(6,488回)4.南部俵積み唄(6,014回)5.熊本民謡おてもやん(4,699回)6.ひえつき節(4,541回)7.かっぽれ(3,740回)8.こわらべ~京ものがたり~(3,252回)9.花童~たわらはごろごろ/うれしいひなまつり~(2,565回)10.こわらべ~江津湖音頭~(2,501回)2023年1~3月動画視聴ベスト10

  • 四つ御廟とガラシャ夫人のクルス

    一昨日、実は立田山から小峰墓地に向かう途中、泰勝寺跡(立田自然公園)に立ち寄って肥後細川家の初代藤孝夫妻と二代忠興・ガラシャ夫妻の墓「四つ御廟」にお参りした。先月、何者かによって四つ御廟に赤い液体がかけられたというニュースを見ていたので、その後の状況を確認しておきたいということもあった。公園係員の話ではまだ調査中で何も処置は行われていないらしい。ただ、普通にお参りしている分には特に違和感はなかった。接近して見れば分かるのかもしれないが、こちとらが変に疑われても困るので接近するのは控えた。この泰勝寺は明治時代初期に廃寺となるまで臨済宗のお寺だったので、ガラシャ夫人廟といえどキリシタンを表象するものは何もない。いつもお参りする度にそれがお気の毒な気がする。ところで、ガラシャ夫人が最期の時まで肌身離さず持ってい...四つ御廟とガラシャ夫人のクルス

  • 桜と菜の花と芝桜

    熊本市北区の「高平・坪井川遊水地花公園」は今、桜と菜の花と芝桜が咲きそろい、鮮やかなコントラストが観る人を楽しませています。土手道の向こうに見えるのは古刹浄国寺。江戸末期から明治時代に活躍した生人形師・松本喜三郎の傑作「谷汲観音」が鎮座する寺としても知られています。花公園を見物ついでに「谷汲観音」にお参りなどいかがでしょうか。鮮やかな色模様を楽しんでいると時の経つのを忘れる土手の向こうに見えるのが浄国寺谷汲観音様にはいつも「すべてお見通しだ!」と言われそう。桜と菜の花と芝桜

  • 柳暗花明又一村(りゅうあんかめい またいっそん)

    買い替えるプリンタの品定めに北熊本の家電量販店へ行ったついでに桜が見ごろの立田山へ登った。曇り空がちょっと残念だったが今年も美しい桜の風景が展開していた。その後、麓の小峰墓地へ足を伸ばした。ここの桜も美しい。その昔、この下立田に生まれ育った父は、「この辺り一帯は数百㍍隔てて、彼処に一戸、此処に二戸と人家の点在する寂しい山里だったが、自然の眺めは四季を通じて素晴らしく、ことに春の風情はこの地を訪れる人に『柳暗花明又一村』の感懐を抱かせたのでは…」と書き遺している。この「柳暗花明又一村」という表現は南宋時代の中国の詩人陸游の「遊山西村」の中の一節で、「柳が生い茂り、明るく花が咲いている村がまた現れた」という旅人の気持を明るくさせる美しい風景を表現しているらしい。小峰墓地は五高教師時代のラフカディオ・ハーンが度...柳暗花明又一村(りゅうあんかめいまたいっそん)

  • 男なら ~女ながらも武士の妻~

    民謡歌手「水野詩都子」さんと三味線演奏家「﨑秀五郎」さんのコンビ「しずごろう」によるチャンネル「しずごろう民謡わがままチャンネル」の最新アップ曲は山口県民謡「男なら」です。この「男なら」は文久3・4年(1863・1864)に攘夷思想にはやる長州藩と英仏蘭米の列強4国との武力衝突事件、いわゆる「馬関戦争」の際、外国船の攻撃に備え、萩の菊ヶ浜に土塁を築いた武家の妻女たちによって唄われた作業唄だと伝えられています。「おなご台場」とも呼ばれるこの土塁を築いた女たちの唄が「男なら」なのです。ですからこの唄はやっぱり女性に唄っていただきたいと思います。この唄の節は「二上り甚句」系といわれています。NHKの「民謡魂ふるさとの唄」では「二上り甚句」系の民謡として次の5曲が挙げられていました。酒田甚句(山形)名古屋甚...男なら~女ながらも武士の妻~

  • 桜ばな いのち一ぱいに 咲くからに

    熊本城の桜もほぼ満開。桜の花の命は短いけれど美しいその姿のまま散ってゆく。昔から日本人はその儚さと潔さに魅かれてきた。そんな心情を詠んだのが下の歌桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり(岡本かの子)今日、桜を眺めながら行幸坂を下っていると、胸の前に遺影と思しき写真を抱えた老婦人が上ってきた。すれ違いざまに見るとご主人のようだ。最近亡くなったのだろうか。ご主人が熊本城の桜を見たいと願っておられたのだろうか。お二人で来られる予定でもあったのかもしれない。などと想像して胸が熱くなった。奉行丸西南端の未申櫓下の桜も満開。奉行丸西側石垣の復旧が待ち遠しい。奉行丸東側に並んだ桜に目を奪われる。かつてその下で花見客が筵をぎっしりと敷き詰め弁当を開いた光景を思い出す。花見客も以前のように国際色豊かに。ヒジ...桜ばないのち一ぱいに咲くからに

  • 民謡少女

    今日、YouTubeで民謡の検索をしていた。すると思いがけない映像に出逢った。それは東京浅草の民謡酒場「和ノ家追分」のチャンネルの中だった。10数年前から熊本のイベントや民謡コンクールなどでよく見ていた梅元遥香さんだった。「おてもやんコンクール全国大会」で優勝したこともある。民謡竹峰流家元の福島竹峰先生の秘蔵っ子で、たしか彼女が中学に上った頃から、いろんな舞台で唄っている姿を見ていたが、実力派「民謡少女」として印象深かった。大学進学したという話も聞いたことがあるが、おそらくもう20代半ばになっているはずだから卒業したのだろう。最近、熊本では見かけなくなったなぁと思っていたが東京へ出て行っていたとは。新天地で大いに力を発揮してほしい。熊本から応援しています。2009年10月12日熊本城竹の丸くまもと秋のお城...民謡少女

  • 8年ぶりの祭り風景

    昨日は本妙寺で4年ぶりに桜灯籠(はなとうろう)が行われた。そして熊本地震から7年ぶりに仁王門をくぐることができた。熊本地震で被災した仁王門は昨年10月に修復工事が終わっていたが、石段下のバイパストンネル工事が行われていたため通行できない状態が続いていた。トンネル工事もやっと終わり、仁王門前の祭り風景は実に8年ぶりとなる。昨夜は雨も予想されたので、開始時刻の午後6時より1時間も早く着いて、準備真っ最中の参道を見て回った。花園地区で保育園を経営している親戚とバッタリ会った。園児たちが作った和紙灯籠を奉納しに来たそうだ。しばらく立ち話をしたが、本妙寺のイベントも運営メンバーの高齢化などで段々厳しい状況になっているらしい。8年ぶりに見る仁王門前の祭り風景仁王門から門前町を眺めるのも8年ぶり桜馬場にギッシリ置かれた...8年ぶりの祭り風景

  • キミだけ応援団 ~牛深高校郷土芸能部~

    今朝、NHK総合の九州・沖縄で放送された「キミだけ応援団」は郷土の伝統である“牛深ハイヤ”を守る熊本県立牛深高校郷土芸能部の活動にスポットを当てた。天草伝統の唄と踊り“牛深ハイヤ”を守る牛深高校郷土芸能部は、全国高校総合文化祭に25回出場し、日本一に輝いたこともある名門。しかし現在は少子化の影響で生徒数が減少し、存続の危機にある。そんな郷土芸能部は、晴れ舞台である全国高校総合文化祭への出場を目指し猛特訓中。熊本県代表選考会に臨むメンバーを、お笑い芸人しゃかりきの二人が応援に訪れる。(初回放送:2023年1月)この放送を見ながら、昨年7月29日のブログに次のような記事を投稿したことを思い出した。今日の熊日電子版に、3年生が卒業し部員ゼロとなった牛深高郷土芸能部に16人が入部。31日に初舞台を迎えるという記事...キミだけ応援団~牛深高校郷土芸能部~

  • 人力車のはなし。

    最近、加藤神社付近で人力車に乗った観光客をよく見かけるようになった。全国の観光地で人力車は今や欠かせない観光のアイテムになったようだ。熊本では「肥後力俥」さんが頑張っておられる。明治時代中期、熊本で五高教師として暮らしたラフカディオ・ハーンや夏目漱石などのエピソードには人力車が欠かせない。そんな熊本における人力車の歴史を熊本県大百科事典より転載してみた。人力車は明治3年(1870)3月に東京で製造が許可されると、たちまちのうちに全国主要地に普及した。県下の人力車第1号は4~5年、東京から移入された。県当局が熊本洋学校のお雇い外人教師ジェーンズの乗用車として購入したのがはじまり。急激な普及で6年5月には県は早くも取り締まり規則を定め、翌年には賃銭の規程を定めた。9年には「人力車夫営業規則」を定めて、交通事故...人力車のはなし。

  • 役者寺と熊本能楽の行く末

    一昨日、花園公民館図書室へ借りていた本を返しに行ったついでに本妙寺の桜の開花状況を見に行った。ソメイヨシノはまだまだの状態だったが、本妙寺大本堂や塔頭・東光院の枝垂桜は見ごろになっていた。桜馬場を歩いていると塔頭・妙心院の本堂に入って行く人が数人見えた。遅れてきた一人の女性に声をかけてみると「彼岸の法要」があるのだという。数年前、この本堂で金春流中村会の仕舞や連吟を見たことを思い出した。この妙心院は別名「役者寺」と呼ばれている。その由来について入口の標柱には次のように書かれている。――当院は、慶長年間に加藤清正公に伴われて来熊した太閤旧家臣で金春流武家能役者中村靭負(五百石)、嫡子同伊織(細川忠利より千石)、分家同作左衛門(二百石)及び江戸時代初期から共に活躍した友枝家、小早川家の菩提寺である。――墓地に...役者寺と熊本能楽の行く末

  • 桜の開花とWBCと

    今日熊本も桜の開花が発表された。桜の名所「行幸坂」の開花状況を見てみようと歩いて出かけた。満開まではまだ1週間ほどはかかりそうだ。ちょうどWBCの決勝「日本vs米国」が終盤に差し掛かっている時間だったので、スマホで途中経過を確認しながら歩いた。すれ違う観光客もどうやらスマホで野球を気にしながらという人が多いようだ。観光客の中国語と思しき会話の中で「オータニ」という言葉が聞こえた。思わずニヤリとする。家に帰りつく前に決着がついた。今日は村上選手も値千金のホームランを打ったし、九州学院野球部OBの叔父もきっと天国で喜んでいるだろう。行幸坂から熊本城天守閣を望む備前堀と桜号外が発行された桜の開花とWBCと

  • 最後の熊本城島唄コンサート

    2001年に始まった「古謝美佐子・熊本城島唄コンサート」は熊本地震や新型コロナなどで中止された年もあったものの、今回で20回目を数え、ラストコンサートが二の丸広場で行われた。僕は2010年から見始め、たしか今回が10回目となる。その2010年に竹の丸で行われたコンサートも雨が降った記憶があるが今日もとうとう最後まで雨が降り止まなかった。その2010年からゲストとして登場した舞踊団花童(当時は少女舞踊団ザ・わらべ)は今回まで毎回出演した。「熊本節」「春の唄」「花」「童神」などすっかりお馴染みになった曲が次々と演奏され、雨の中詰めかけたファンから盛んな拍手が送られた。花童は「春の唄」「花」で踊りを添え、またフィナーレを華やかに盛り上げた。島唄ファンの一人としてこのコンサートが終わるのはやはり寂しい。フィナーレ...最後の熊本城島唄コンサート

  • ムシロば早よう敷かなんたい

    今日、所用で出かけた帰り、熊本城二の丸の桜の開花状況を確かめてみたくなり、車を停めて見に行った。山桜など数本の早咲きの桜は既に開花しているが、ソメイヨシノはまだ数日かかりそうだ。平日にもかかわらず桜の木の下でお弁当を広げて花見を楽しむグループもいくつか見かけた。明日から雨の予報が出ているが、週末から来週にかけて4年ぶりの花見の人出が見込まれる。熊本地震による熊本城の立入規制エリアも多いので、下の唄「とっとっと」のような場所取りの光景が見られるかも。ここなら花見のちょうどよかムシロば早よう敷かなんたい一杯飲んで待っとこばいとっとっととっとっとホラとっとっと熊本地震前の花見時季の行幸坂「〽とっとっと」(1998)作詞:佐藤幸一作曲:今藤珠美作調:中村寿誠ムシロば早よう敷かなんたい

  • 熊本は賑やかに春のまつり!

    今日は熊本城二の丸広場で行われている「春のくまもとお城まつり」と花畑町の花畑広場で行われている「熊本城下のさくらまつり」をハシゴした。「お城まつり」の今日のプログラムは「チアダンスDAY!」。県内の7つのチアダンス団体が一堂に会し競演した。かたや「さくらまつり」の方は古典芸能や郷土芸能、ダンスパフォーマンス、ロックミュージック他と盛りだくさんのプログラム。少々疲れたが本格的な春到来を感じさせた。二の丸広場「チアダンスDAY!」でチアダンスを披露する九州学院ミリアムズ「熊本城下のさくらまつり」で山鹿灯籠踊りを披露する鹿本農高郷土芸能伝承部熊本は賑やかに春のまつり!

  • 聖パトリックとハーン

    今日は「聖パトリックの日」なんだそうな。そういえば数日前、熊本市の街中を「聖パトリックの日」のパレードが行われたというTVニュースを見た。聖パトリックとはアイルランドにキリスト教を広めた聖人で、命日は「聖パトリックの日」としてアイルランドでは盛大なフェスティバルが行われるらしい。熊本はラフカディオ・ハーンの父の祖国という縁があって、25年ほど前に設立された熊本アイルランド協会という団体が主にパレードを実施しているそうだ。実はハーンの本来のファーストネームは「パトリック」。父が聖パトリックにちなんで付けたものだそうだが、両親の離婚や生い立ちなどからハーンはカトリックに疑問を抱いており、後年、「パトリック」は使わなかったそうだ。アイルランドの代表的な民謡「ロンドンデリーの歌(ダニー・ボーイ)」僕にとってアイル...聖パトリックとハーン

  • さまざまの桜

    熊本城二の丸広場の早咲きの桜も白い花びらを開き、来週前半には熊本も桜開花宣言が聞けそうだ。春の季語「桜」を題材とした名句は数多いが、そんな中から今日三つ選んでみた。▼さまざまの事思ひ出すさくらかな(松尾芭蕉)今、熊本城では「春のくまもとお城まつり」の真っ最中。桜のたよりを聞くと、毎年桜の季節に行われたさまざまなイベントを懐かしく思い出している。▼さくらさくらと唄はれし老木哉(小林一茶)熊本城内の桜も老木が多くなった。ほとんどの桜の幹に「落枝注意」の標識が付けられている。近年、伐採される桜も多くなったようだ。少しづつ代替わりしていけばいいのだが。▼さくら咲いて、なるほど日本の春で(種田山頭火)桜の花に気分が高揚するのは日本人だけなのだろうか。コロナも収まって来て今年は賑やかな花見風景が見られそうだ。熊本城二...さまざまの桜

  • 消えゆく?建仁寺垣(けんにんじがき)

    散歩で通る往生院の建仁寺垣を眺めながら、最近、建仁寺垣を見なくなったなぁと思う。しかしよく見ると材質は合成樹脂系のようだ。建仁寺垣とは、割り竹の表を外側に向けて並べ、縄で結んだ垣のことで京都東山の建仁寺で始まったのでその名が付いたらしい。泰勝寺跡(細川家立田別邸)を囲っていた建仁寺垣も数年前に鉄のフェンスに変わったし、他でも建仁寺垣を見なくなった。寺田寅彦の「夏目漱石先生の追憶」の中に次のような一節がある。漱石熊本五番目の内坪井の家の様子を書いたもので――庭はほとんど何も植わっていない平庭で、前面の建仁寺垣の向こう側には畑地があった。垣にからんだ朝顔のつるが冬になってもやっぱりがらがらになって残っていたようである。――とある。しかし、ここも現在はプラスチックの支柱を立てたサザンカの生垣に変わっている。やは...消えゆく?建仁寺垣(けんにんじがき)

  • 水泳仲間の大江さん

    小説家でノーベル文学賞受賞者でもある大江健三郎さんが亡くなった。特に大江さんの作品のファンというわけでもない僕が、大江さんと出会ったのは今から40年ほど前のこと。実はこの大江さん、僕の東京勤務時代の水泳仲間である。毎日、中央線で通勤していたが、週に2日は帰りに中野のTACというスポーツクラブに立ち寄って泳いでいた。その時、いつも同じ時間に来ていた仲間の一人が大江さんだ。お互いプライベートなことは聞かない暗黙のルールみたいなものがあって、名前を名乗りあうことはなかったが、みんな大江さんのことは知っていた。会話もほとんど水泳に関することしかした記憶がないが、とてもざっくばらんな方で世界的な文学者というイメージは全く感じられなかった。その後僕は転勤で東京を離れたので大江さんとお会いすることもなかったが、昨日のテ...水泳仲間の大江さん

  • 和太鼓と民謡

    必由館高校和太鼓部今、熊本城は「春のくまもとお城まつり」期間中。昨日は二の丸広場で行われた「太鼓響演会」を見に行った。お目当ては必由館高校和太鼓部。全国に知られた実力校で数々の受賞歴やイベント出演も多数。この学校は高等女学校として始まり、戦後、男女共学となったが、今も生徒数は女子が男子の倍以上を占める。そんなわけで和太鼓部も女子が大半。その凛々しい演奏ぶりは観客を惹きつける。民謡「男なら」二の丸広場に行く前に、花園公民館の図書室へ予約していた本を受取りに行った。受け取って帰ろうとすると、どこからか「オーシャーリシャーリ」という民謡「男なら」の一節がかすかに聞こえてきた。この唄は僕にとって懐かしい山口の思い出の曲。何かやっているのかなと公民館入口の行事予定表を見ると、「ホール中山民俗舞踊」と書かれていた。ち...和太鼓と民謡

  • 新幹線が来たバイ!

    昨日、東日本大震災から12年ということは、その翌日から開業した九州新幹線鹿児島ルートは今日12日が開業12年ということになる。何しろ大災害の翌日とあって開業記念イベントはすべて中止、祝賀ムードを自粛し、喜びも極めて抑制された形でのスタートだった。当初は前途多難を危ぶむ声も多かったが、その後利用者は順調に増え、観光やビジネスの足として定着した。近年の新型コロナの影響で利用者の落ち込みはあったものの徐々に回復して行くものと思われる。12年経った今、九州新幹線開業で地域振興を図る「新幹線くまもと創りプロジェクト」はどの程度の成果を上げたのだろうか。通り過ぎる新幹線の疾走音にも慣れた熊本駅新幹線口新幹線到着も初めは熊本の風景とは思えなかった1年後、くまもと森都心プラザのイベント広場で行われた開業1周年イベントでの...新幹線が来たバイ!

  • 東日本大震災から12年

    今から6年前の2017年3月29日、宮城県仙台市の電力ホールで行われた「東日本大震災七回忌追善公演ふるさとの春まつり」に熊本から舞踊団花童が出演した。これは2014年に38歳の若さで夭逝した作詞家おのりく(園田凌士)さんと花童とのご縁で実現したものだった。おのさんは少年時代を熊本で過した方で、十代から音楽活動を始め、作詞家となってからは多くの歌手に歌詞を提供している。この「ふるさとの春まつり」では、おのさんが生前、東日本大震災被災地の復興への願いを込めて贈った歌を花童が踊った。その中の1曲「平泉讃歌」は、奥州平泉で非業の最期を遂げた源義経をモチーフとした叙情歌。この世の未練断ち切りがたい義経の魂が高館の杜を彷徨っていると、どこからか迦陵頻伽の妙なる歌声が幽かに聞こえて来て、やがてひとすじの希望の光が差し、...東日本大震災から12年

  • 「八重洲界隈」閑話

    東京駅前の複合施設「東京ミッドタウン八重洲」が今日グランドオープンしたそうだ。東京を離れて30年、八重洲界隈の風景もすっかり変わったことだろう。僕が二度、合わせて10年勤務したブリヂストン本社ビルは、八重洲通りと中央通りが交差する京橋1丁目にあった。言ってみれば八重洲界隈はホームタウンだった。地下街も含め、昼食のご飯屋さん、夜の飲み屋さん、休憩時間によく利用した八重洲ブックセンター等々。その八重洲ブックセンターも閉店するらしい。現在は、本社ビルは移転し、跡にはアーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)が入る23階建て高層ビル「ミュージアムタワー京橋」が建っている。再開発がどんどん進み、今訪れたらおそらく浦島太郎状態だろう。「ミュージアムタワー京橋」が立つこの地は江戸歌舞伎発祥の地である中橋南地にあたる。江...「八重洲界隈」閑話

  • 女子フットボーラーを悼む

    今週末はまた「3.11」がやってくる。あっという間に12年が過ぎた。当時投稿したブログ記事を再掲し、あらためて犠牲になられた方々に哀悼の意を表したい。▼消えた女子フットボーラーを悼む(2011年8月6日)つい先日まで、東日本大震災による悲劇の中に、遠く離れた熊本にもこんなに悲しい話があるとは知らなかった。それはかつて益城ルネサンス熊本FC女子サッカーチームに所属し、中心メンバーとして活躍していた佐藤恵利子さんが大津波にさらわれて亡くなっていたというのだ。彼女は宮城県の聖和学園高校の出身で、卒業と同時に熊本にやってきたチームの創立メンバーだそうである。2007年まで約10年ほど在籍し、その後、宮城県に帰っていたらしいが熊本への愛着は強かったらしく、その後も度々熊本を訪れていたそうだ。3月11日の大津波の後、...女子フットボーラーを悼む

  • 小泉八雲熊本旧居にて

    今日は上通の熊本市現代美術館を訪れたついでに小泉八雲熊本旧居を訪れた。5,6年ぶりだと思う。展示物は前回訪れた時にほとんど見た覚えがあり、その時いただいた資料も読んでいたので特に目新しいものはなかったが、唯一、神棚を見た記憶がなかったので興味深く見せていただいた。次のような説明書が掲示されていた。▼神棚ハーンがこの家を借りた際、家主の赤星氏に依頼して作ってもらった神棚。彼は毎朝拍手を打ってこれを拝んだ。熊本で執筆した最初の文章は「家庭の祭壇」(TheHouseholdShrine)である。帰ってから調べてみると「知られぬ日本の面影(下)」の中にその項目があった。館長さんとしばらく話し込んだが、わが家の本籍地がハーンの「石仏」の冒頭に書かれた「このあたりの黒髪村の人たちは今ではもっと離れた区域を墓地としてい...小泉八雲熊本旧居にて

  • 地平線はどこだ!

    現在公開中のスティーブン・スピルバーグ監督の最新作「フェイブルマンズ」について、フォローさせていただいているブログ「ミューズの声聞こゆ」さんが紹介しておられる。この映画はスピルバーグ監督の自叙伝的作品だといわれているが、その中のエピソードにスピルバーグ監督が敬愛してやまないジョン・フォード監督と出会った時の「地平線はどこだ!」のくだりが映像化されていると紹介されていた。この「地平線はどこだ!」のくだりとは、10数年前にBS放送で見たピーター・ボグダノヴィッチ監督によるジョン・フォードに関するドキュメンタリー「DirectedbyJohnFord」の中でスピルバーグ監督自身が語っていたエピソードで、この作品の中で最も印象深かった。僕は自叙伝的な映画はあまり好きではないので「フェイブルマンズ」も見ようという気...地平線はどこだ!

  • 河津桜としげさ節

    坪井川遊水地の河津桜の向こうに金峰山を遠望する今日は坪井川の土手道を散歩した。熊本電鉄上熊本―北熊本線の線路に近い坪井川遊水地に植えられた河津桜が見ごろになっていた。遠く西の彼方に金峰山が綺麗に見えていた。坪井川の流れを眺めながら土手道を歩いていると、なぜか昨夜「ナニコレ珍百景」(テレ朝)で見た「しげさ節」が浮かんできて頭の中でリフレインし始めた。お客さんへのサービスに民謡を歌う理容店という客にとってありがたいのか迷惑なのかわからないようなサービスなのだが、店の女将が唄い、息子の理容師が三味線を弾くのが「しげさ節」。隠岐の民謡ということだが、元唄は新潟県の「三階節」だという。その昔、北前船の船乗りによって伝わったものらしい。とにかく妙に心に沁みる唄だった。ちなみに「しげさ」とは「出家さん」が変化したものと...河津桜としげさ節

  • 熊本城で会おう

    毎春恒例の「春のくまもとお城まつり」が始まり、昨日・今日の二日間、熊本城二の丸広場では、熊本城おもてなし武将隊結成十周年を記念して「熊本城で会おう武士の魂2023」と題して全国の武将隊13隊が集うというイベントが開催された。特設ステージでは各武将隊のパフォーマンスが順番に披露され会場は大いに盛り上がっていた。着物レンタルのイベントも併せて開催されたので着物姿の観客も多く、会場は一見コスプレ大会の様相を呈していた。熊本城おもてなし武将隊の八十姫のお出まし推しの武将とファンの交流があちこちであいち戦国姫隊謎のコスプレ?熊本城おもてなし武将隊の清正公やまがた愛の武将隊熊本城で会おう

  • 町興しなるか 企業進出

    一昨日の熊日新聞は「世界的な半導体メーカーTSMCの熊本県菊陽町進出に絡み、関連企業として、半導体の製造工程で生じる排ガスの浄化装置を製造するカンケンテクノ(京都府)の新工場が1日、玉名市安楽寺の梅林小学校跡地で着工した。操業開始は10月を予定で約1万平方㍍の敷地に5年で計5棟を建設する計画。地元から約100人を雇用する予定。」と報じた。実はここは僕の妹夫婦が住む段丘の真下に当たり無関心ではいられない。工場要員の雇用や移入などにより地域の町興しにつながればありがたいことだ。また、この地区の伝統行事であり熊本県指定重要無形民俗文化財でもある「梅林天満宮流鏑馬」は近年、人口の減少や高齢化、少子化などで、祭りの担い手が減少し継承していくことが極めて厳しくなっている。若い人たちがこの地域に移入することによって新し...町興しなるか企業進出

  • 水が出ない「鳴岩の湧水」

    平成の名水百選に選ばれている「金峰山湧水群」の一つ「鳴岩の湧水」(熊本市西区花園町)の湧水が止まってもう2、3ヶ月経っているようだ。昨年暮れ久しぶりに覗いてみたら水が止まっていたので驚いた。そのうちまた出るようになるかなと思っていたが、今日再び訪れてみたら排水溝には落葉がうずたかく積もり長い間水が止まっていることをうかがわせた。熊本地震の前までここによく水を汲みに来た。地震の後、赤水が出たという話を聞いてから汲みに行かなくなった。赤水はその後出なくなったらしい。この湧水は江戸時代から名水として知られていたらしく、肥後国志にも次のように書かれている。柿原村「鳴岩懸巌ノ内ニ常ニ流水激瀬ノ音ノミアリテ巌壁ノ間ヨリ小流ノ清水湧出ス」下を流れる成道寺川は相変わらず清流が流れているが、たしか成道寺川と同じ水系と聞いて...水が出ない「鳴岩の湧水」

  • 文豪の道

    今日から3月。恒例の氏神様への朔日詣りで藤崎八旛宮へ徒歩で行った。実はこの道、僕は勝手に「文豪の道」と名付けている。道々、文豪ゆかりのスポットを通るのである。まずは新坂下り口。明治29年、五高に赴任するため池田ステンショ(現上熊本駅)に降り立った夏目漱石が人力車でここにさしかかり、眼下に広がる熊本の市街地を初めて眺めた地点である。漱石内坪井旧居パンフレットより漱石内坪井旧居(熊本第五の旧居)内坪井旧居で生まれた長女筆子と鏡子夫人(内坪井旧居パンフレットより)壷井橋から広丁通りを真っすぐ進み、藤崎宮の表参道へ入る。楼門をくぐり拝殿で朔日のお詣りをすませる。帰りは表参道の途中で右折、漱石北千段畑旧居(熊本第六旧居)の前を通る。子飼商店街からの道(八雲通り)に出て3号線を渡ったところにある種田山頭火が得度した報...文豪の道

  • 陽光きらめく中

    今日の散歩は昨日より少し距離を伸ばした。暖かい日差しを浴びながら歩いていると自然と背筋が伸びる思いがする。普段見慣れたコースではあるが季節が変わるとまた見え方も違ってくるのが面白い。帰り着く頃にはうっすら汗がにじむほどで心地よかった。護国神社前の梅園は今がまさに満開といった状況メジロが群をなして次から次へと木渡りしていた。宇土櫓の解体工事はいまだ素屋根組立の基礎工事段階。中坂を下りながら遠く阿蘇の山並みが見え、往時の参勤交代御行列の人々の思いはいかばかりか。陽光きらめく中

  • 令和 やがてまる4年

    三日間、風邪で寝たり起きたりを繰り返したが、やっと今日床を上げた。かかりつけ医での検査ではコロナでもインフルエンザでもなかったが、考えてみればコロナは5回ワクチンを打っているし、インフルエンザワクチンも打っているのでそんなに簡単にかかってもらっても困る。すっかり体力が落ちているので今日は近所をゆっくり散歩した。徐々に距離を伸ばしながら体力を回復して行こう。ところで、もうやがて令和になってまる4年となる。この4年間、コロナが蔓延したり、ウクライナ戦争があったりとあまりいいことはなかった。「令和」の意味もすっかり忘れつつあるが「初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す」という...令和やがてまる4年

  • 日本文化のあり方

    新型コロナが発生する前、日本には3千万人を超える外国人が訪れていた。近い将来、コロナが終息すればそれを上回るような訪日ラッシュが始まるとの予測もある。昨日も高野山の仏教文化を訪ねる外国人が増えているというドキュメンタリーが放送されていたが、最近は単なる観光から日本文化に興味を持って来日する外国人が増えていると聞く。単なる物見遊山の「サイトシーイング」から、文化交流へと進化して行くのかもしれない。2016年に他界された喜多流能楽師の狩野琇鵬さんの著書「生死の境を歩む」の中に、とても心に残る一節がある。それは琇鵬さん一行が伝統芸能のフェスティバルに参加するため渡欧された時のこと。琇鵬さんたちの他にもう一つ別の団体が参加していた。琇鵬さんたちは古典をそのまま演能されたそうだが、もう一つの団体は、現代的な新しい解...日本文化のあり方

  • 山中節(石川県民謡)

    今日、名曲アルバム(NHK-G)で石川県民謡の「山中節」が取り上げられていた。全国に数多ある民謡の中でも「磯節」(茨城県)とともに僕が最も好きな民謡である。その由来について番組では山中節をもたらしたのは江戸時代、北前船の船乗りたちだと伝えられる。大阪から北海道への航海を終えた船乗りが、この温泉で疲れをいやし口ずさんだ節を地元の娘たちがまねたのが始まりとされる。と紹介していた。山中温泉といえば石川県でもかなり内陸部の今の加賀市にある。北前船の寄港地である塩屋港から大聖寺川を遡って来たのだろうか。そのことについての説明はなかった。今日の名曲アルバムは3/4(土)午後2:55まで次のURLで見逃し配信が見られます。名曲アルバム「山中節」「山中節」をモチーフとして三味線音楽の大御所本條秀太郎さんが創作されたのが次...山中節(石川県民謡)

  • 篠笛の教室

    今年度は熊本県邦楽協会演奏会が行われないようだ。毎年楽しみにしている演奏会なので残念だ。ところで、民謡三味線の本條秀美さんの教室では、昨年9月から篠笛(しのぶえ)教室を開設しておられるそうだ。毎年、熊本県邦楽協会演奏会で篠笛を演奏され、毎回共演している「藤舎仁鳳」さんにご指導をお願いされているという。仁鳳さんは熊本県邦楽協会演奏会のほか舞踊団花童の公演でも度々笛方として参加されており、10年以上前からお顔は存じ上げているお馴染みの先生。なかなかのイケメンで女性ファンも多いらしい。邦楽器のなかで僕が唯一習ってみたいなぁと思ったのが篠笛だったので、これからチャンスがあれば本條秀美さんの教室で篠笛の指導を受けてみたい。▼本條秀美さんのサイト前列囃子方の右端が藤舎仁鳳さん。篠笛の教室

  • 昭和35年(1960)の思い出

    熊本市西松尾町・小田部さん宅のしだれ梅(2023.2.22の様子)天皇陛下は、今日、63歳の誕生日を迎えられました。陛下がお生まれになった昭和35年(1960)は僕個人にとっても思い出深い年です。この年の出来事を思い出しながら、天皇陛下の誕生日をお祝いし益々のご健勝をお祈りしたいと思います。昭和35年9月、1億8千万円の工事費と1年半の工期を経て復元された熊本城天守閣昭和35年熊本国体が開催され、水前寺陸上競技場がメーン会場となりました。開会式のマスゲームでは細川九曜紋をかたどった形で、婦人会による「五十四万石」が踊られました。熊本城内プール(現城彩苑)で行われた熊本国体水球決勝、濟々黌(熊本)対鴨沂高(京都)の熱戦昭和35年(1960)の思い出

  • おだまきのはなし。

    今夜の夕食で久しぶりに「おだまき」を食べた。簡単に言うと、うどんが入った茶わん蒸しとでも言ったらいいだろうか。「おだまき」という名前の由来は、紡いだ麻糸を巻いて玉にした「苧環(おだまき)」に形が似ているからだという。「小田巻」とも表記されることがある。この「おだまき」は子どもの頃の大好物だった。当時としてはご馳走だったと思う。「苧環(おだまき)」という名の花もあるらしいが見たことはない。子どもの頃の思い出があったからか、長唄「賤の苧環(しずのおだまき)」を初めて聞いた時はその題名が気になって食いついた。義経の愛妾・静御前が舞った当時の流行歌「今様」がもとになった長唄だそうだ。下の映像は鎌倉の鶴岡八幡宮舞殿で行われた「鎌倉祭り」での奉納舞のようだが、江戸後期の三味線音楽である長唄で鎌倉時代の白拍子舞を舞うと...おだまきのはなし。

  • 春の調べ

    熊本は昨日、春一番が2年ぶりに吹いたそうだ。しかし、今日は打って変わって冬に逆戻りしたかのような冷たい風が吹いている。昨日のマラソン見物は春用のジャンパーを着て行ったが今日はまた防寒着を着込んで出かけた。こうして三寒四温を繰り返しながら春本番を迎えていくのだろう。しだれ梅と放牛石仏(往生院)梅の小枝のメジロのさえずりは…迦陵頻伽の妙なる歌声か春の調べ

  • 熊本城マラソン2023

    今日は3年ぶりの熊本城マラソン。3年前の第9回大会は風雨が強い悪コンディションの中での大会だったが、今日は時折小雨がパラつくもののあまり寒さは感じない。選手たちにとってそれほど悪コンディションではないように思われた。テレビ中継で見る通町筋スタート地点の盛り上がりはいつも通りの一方、沿道の応援の盛り上がりがコロナ中断前に比べると今一つと感じられたのは2年間のブランクのせいなのだろうか。ともかく無事に大会が終わり、選手や運営スタッフ(多くのボランティア含む)そして応援の皆様、本当にお疲れさまでした。ゴール地点の二の丸広場に設置されたモニターでフルマラソン残り2㌔のトップ争いを見守る観客護国神社梅園の梅の花が見守る最後の難所を登るランナーたちゴールは目の前。埋門の前で最後の力を振り絞るランナーたち熊本城マラソン2023

  • ドイツのストリートで「春の海」!

    男性筝奏者の大川義秋さんがドイツのストリートで「春の海」を演奏したという映像がYouTubeにアップされていた。和楽器の筝でも、演奏曲が洋楽だったり海外でもよく知られている日本の楽曲なら特別に注目することはないと思うが、いわゆる邦楽を代表する楽曲である「春の海」にドイツの一般市民はどういう反応をするのか興味があった。結果的には大いに受けていたようでちょっと安心した。彼が2017年の第23回くまもと全国邦楽コンクールで最優秀賞を受けた時、キャラ濃いめの彼のステージを見ていたので、その後の活動も注目している。これからもどんどん海外に出て活躍してほしいと願っている。くまもと全国邦楽コンクールにおける大川義秋さんドイツのストリートで「春の海」!

  • 梅あれこれ

    紅梅にあはれ琴ひく妹もがな(漱石明治29年)この年の4月に熊本へ赴任する直前、松山の愚陀仏庵での漱石の作品。漱石の梅の句の中で僕が最も好きな句。早春にしみじみとした趣の琴の音が聞こえてきて、それを奏でているのが愛しい人であればなぁという意か。また、琴も漱石の得意な題材で、実際に琴の音が聞こえてきたのかどうかわからないが、琴の音にまつわる原体験があったのかもしれない。わが家の白梅は例年よりだいぶ遅れたが今年も咲いた。今日は暖かかったので梅の名所の開花状況を見てみようと出かけた。西松尾町の小田部さん宅のしだれ梅はまだ開花が始まったばかりのようだ。例年よりもかなり遅れている。見ごろまでにはまだだいぶ日数がかかりそうだ。谷尾崎梅林公園も全体的には五分までも行っていない印象だった。谷尾崎梅林公園の紅梅梅あれこれ

  • 阿国歌舞伎のお江戸デビュー

    2月20日は慶長12年(1607)のこの日、歌舞伎の祖といわれる出雲阿国が江戸城に招かれ、かぶき踊りを演じたと江戸初期の史書「当代記」に書かれている。しかし、その時の演目など具体的な内容はわかっていない。阿国歌舞伎は様々な文献によれば、大別すると「ややこ踊り」「茶屋遊び」「念仏踊り」の三つが主要な演目だといわれているが、一部の題名や詞章が伝えられているだけで、音楽や舞踊についてはほとんどわかっていない。「ややこ踊り」は初期の演目で若い女性による舞踊。狂言小舞などの中世芸能をもとにしたとみられ、「小原木踊」や「因幡踊」などを演じていたと推測される。「念仏踊り」も初期の頃からやっていた演目で、首から提げた鉦を叩きながら念仏を唱え踊る。もともとは仏教の行を芸能化したもの。「かぶき踊り」はまさに阿国が今日の歌舞伎...阿国歌舞伎のお江戸デビュー

  • エリーゼのために ~ キッスは目にして!

    草彅剛主演のドラマ「罠の戦争」(フジ系)の出演者が見せている「罠ダンス」がTikTokで話題になっている。使われている曲が1981年にザ・ヴィーナスが歌って大ヒットした「キッスは目にして!」のカバー曲。この曲は1810年にベートーヴェンが作曲した「エリーゼのために」を、1957年、アメリカのバニー・ボトキンらがアレンジして「PassionFlower(情熱の花)」としてリリースしたもののアメリカではヒットせず、イタリアに渡って人気が出た。1959年にイタリアのカテリーナ・ヴァレンテが「Toutl'amour」という題名で歌い、これが日本でもヒットした。欧米ポップスの日本語バージョンが流行っていたこの時代、さっそくザ・ピーナッツが「情熱の花」としてリリースして大ヒット。その後、1981年にザ・ヴィーナスが「...エリーゼのために~キッスは目にして!

  • 漱石の句「すみれほどな・・・」のナゾ

    三日前、再開した「夏目漱石内坪井旧居」を7年ぶりに訪れた時、座敷の掛軸の句「菫ほどな小さき人に生まれたし」を眺めながら、京陵中学校の前の漱石記念緑道に立つ句碑は「すみれ程の小さき人に生まれたし」であることを思い出した。この「な」と「の」の違いが気になってだいぶ前に調べたことがある。今回はせっかくの機会なので内坪井旧居の館長さんにお尋ねしてみたがよくわからないとのこと。この句は、下の句碑の側面に書いてあるように、明治30年2月、俳句の師でもあった正岡子規へ送った40句の中の1句だそうだが、子規が「すみれほどな」を嫌ったのだと書いてある文献を読んだこともある。なぜ子規が嫌ったのかがわからない。上句の字余りがよくないのか、「な」という断定の助動詞を嫌ったのか、あるいは散文的と評価したのか。いずれにしろ、子規の評...漱石の句「すみれほどな・・・」のナゾ

  • バート・バカラックさん

    先日、94歳で他界されたバート・バカラックさん。学生時代から20代にかけて映画音楽やポップスで随分楽しませていただいた。特にディオンヌ・ワーウィックとのコンビによるアルバムはわが人生で最も聴いたアルバムだったかもしれない。追悼記事をと思いつつ、バカラック・メドレーのいい動画がないか探したのだがこれがなかなか見つからない。やっと見つけたのがこれ。70年代のTVショーの映像のようだが、バカラックのピアノにディオンヌ・ワーウィックと当時人気絶頂のグレン・キャンベル(2017年没)の共演という夢のような番組。65年にトム・ジョーンズが歌った映画「何かいいことないか子猫チャン」の主題歌のイントロから始まるという洒落たラインアップ。以下、次のような曲目が並ぶが、「GentleonMyMind」などグレン・キャンベルの...バート・バカラックさん

  • 梅は咲いたか ~ しょんがいな

    護国神社の紅梅も早咲きの木はもうだいぶ咲いていた。毎年この季節になると口ずさみたくなるのが「♪梅は咲いたか桜はまだかいな」という一節。この唄は今日では出だしの「梅は咲いたか」という題名で知られているが、もともとは江戸初期頃からずっと唄われ続けている「しょんがいな節」とも「しょんがえ節」とも呼ばれる俗謡。1年ほど前、明治10年の西南戦争のさなか、籠城戦を強いられた熊本鎮台(熊本城)の陣中でも歌われていたということが、鎮台参謀副長・児玉源太郎少佐が残した「熊本籠城談」の中に記されているという話をブログで紹介した。「酒は見てるが煙草はまだかぇな、旅団は植木でトテチリシャン、音ばかり、ションガイナ」この「しょんがいな節」は全国各地でバリエーションを加えながら唄い続けられているが、わが熊本でも親しまれて唄われていた...梅は咲いたか~しょんがいな

  • 7年ぶりに夏目漱石内坪井旧居へ

    昨日から「夏目漱石内坪井旧居」が7年ぶりに公開されたので、さっそくその復旧状況を見に訪れた。熊本地震前、いつ行ったのか調べてみたら2016年1月7日に訪れていた。この年から始まった「漱石記念年」に合わせて熊本市が作成したPRパンフレットをもらうのが目的だった。この年は夏目漱石の没後100年および来熊120年に当たる年で「漱石記念年」として様々なイベントが行われたのだった。さて復旧ぶりだが、小説「道草」(大正4年)の漱石直筆原稿などの展示はあるものの以前に比べるとまだちょっと殺風景な印象。これから徐々に充実して行くのだろう。授業の一環なのか、お隣りの熊本中央高の女子生徒たちがクラス全員で来ていた。座敷から庭を眺める。長女筆子が産湯に使った井戸が見える。庭全体にまだ緑が足りない印象。南に面した縁側。門人たちが...7年ぶりに夏目漱石内坪井旧居へ

  • 鞠智城のはなし。

    NHK熊本のローカル情報番組「クマロク!」の今日の話題の一つは「鞠智城(きくちじょう)」。かつて「久々知の城(くくちのき)」とも呼ばれた古代山城である。山鹿市と菊池市にまたがる標高約90m〜171mの丘の上に約1350年前(飛鳥時代)ヤマト政権が築いた山城。663年の朝鮮半島における白村江の戦いで大敗したヤマト政権は、唐や新羅の侵攻に備えて西日本の守りを固めるため各地に山城を築いた。ここ鞠智城は、九州を統治していた大宰府やそれを守るための大野城、基肄城に武器や食糧を送る基地だったと考えられている。東京ドーム12個分の広大な面積を守ったのが「土塁」。番組ではその土塁を歩いて回り、スケールの大きさと、大宰府と狼煙で通信したという意外な高さをリポートしていた。県の発掘調査の成果に基づき、八角形鼓楼、米倉、兵舎・...鞠智城のはなし。

  • 少女スプリンター

    先日、NHK熊本局のローカル情報番組「クマロク!」で、熊本中央高校の陸上部短距離・山形愛羽選手を紹介した。爆発的なスピードで今シーズンの飛躍が期待される山形選手に密着していた。高校1年の時の国体で4位入賞し、2年生となった昨年のインターハイは、100mは7位、200mは4位と十分立派な成績なのだが本人は不満足な結果だったようだ。放送では走法の改善に取り組む姿を映していた。彼女の特徴はピッチ走法。そのピッチは落とさずストライドを伸ばそうという作戦だ。歩幅を1足分伸ばしたマーカーを置いて矯正している。それともう一つの強化ポイントはスタートダッシュ。身長154cmの小柄な山形選手は出遅れたら挽回するのは難しい。高校最終年の今年、こうした強化がうまくいって念願のインターハイや国体での優勝をつかみ取れることを期待し...少女スプリンター

  • 投稿動画800本へ!

    今日、YouTubeのデータを確認したところ、マイチャンネルの投稿動画本数が、公開・非公開合わせて798本になっていた。投稿を始めて10数年経つので「塵も積もれば山となる」結果なのだろう。800本まであと2本だが、さて新作はといっても差し当たって具体的な予定はないが何か記念になるものを考えてみたい。ビデオ撮影そのものは2008年頃から、ミニDVテープ式の古い型のビデオカメラで撮っていた。ただ、その頃は明確な目的意識もなく、当時の映像はほとんど残っていない。2009年10月に「少女舞踊団ザ・わらべ」に出逢ったことが大きかった。投稿動画の大半は「ザ・わらべ」およびその後身である「舞踊団花童」の動画。彼女たちに出逢わなければこんなに投稿することはなかっただろう。彼女たちの存在を一人でも多くの人たちに知ってもらい...投稿動画800本へ!

  • 民謡魂 ふるさとの唄 ~富山県砺波市より~

    今日の「民謡魂ふるさとの唄」(NHK-G)は富山県砺波市からの放送。富山県を中心に石川県、福井県の北陸地方の民謡が紹介された。全国的に有名な「越中おわら節」や「こきりこ節」「山中節」など、この地方はまさに民謡の宝庫と言えそうだ。今日演奏された曲目は越中おわら節/加賀ハイヤ節/三国節/五箇山追分/チューリップ乙女といちんさ節/能登麦屋節/麦屋節/お小夜節/こきりここきりこ節/月見ル君思フ/山中節/帆柱起こし音頭なかでも全国的に郷土芸能の実力校として知られる南砺平高校郷土芸能部の「こきりこ」などが特に印象に残った。南砺平高校郷土芸能部五箇山民謡民謡魂ふるさとの唄~富山県砺波市より~

  • 熊本の風景今昔 ~ 一日亭の夢の跡 ~

    ここは熊本城二の丸の国立病院機構熊本医療センター附属看護学校である。この地は古城の上段にあり、江戸期には熊本城二の丸重臣屋敷地で、江戸後期、ここには「一日亭」と呼ばれた熊本藩主細川氏の筆頭家老八代松井氏の下屋敷=御茶屋として細川藩主家をもてなす迎賓館としての機能を持っていた。明治4年7月の廃藩置県及び鎮西鎮台設置により八代松井氏の熊本城内屋敷からの退去下城と「一日亭」の解体が行われる。解体された「一日亭」は、坪井立町の三浦栄次という人物に払い下げられ、三浦は「一日亭」を新堀町に移築、「一日亭」の名前のままで営業を続けた。また、この地に設置された鎮西鎮台病院は、その後、衛戍病院、熊本第一陸軍病院を経て終戦を迎える。戦後の昭和20年12月には厚生省に移管され国立熊本病院として発足する。平成16年には国立病院機...熊本の風景今昔~一日亭の夢の跡~

  • 少女と紅梅

    今日は節分。加藤神社の節分祭へ。「厄除け虎くぐり」をした後、本殿に参拝しお祓いを受けて福豆をいただいた。お母さんに連れられて来ていた2歳くらいの小さな女の子が何度も虎くぐりをする姿が可愛らしく癒された。その後、護国神社の紅梅の咲き具合を見に行ったのだが、今年は例年より開花が遅いようだ。毎年最も早く開花する木も開いているのは5~6輪にとどまっている。あと数日で一斉に咲き始めるだろう。熊本城マラソンが行われる19日あたりが見ごろになると思われる。少女と紅梅

  • 宇土櫓石垣復旧 工法見直し

    今日の熊日朝刊の「宇土櫓石垣復旧工法見直し」という記事が目を引いた。そして「やっぱりな…」と思った。昨年9月、熊本市は熊本城宇土櫓石垣の復旧について「はばき状石垣のコンクリート工法」による復旧で検討を進める方針であることを熊日紙が伝えた。それを読んで、「はばき石垣」で修復する方が現実的なのかもしれないが、あの宇土櫓石垣の美しい曲線の美観が損なわれはしないかとブログに書いた。「はばき石垣」というのは地震で膨らみなどの変化が表れた石垣の外側にさらに石垣をかぶせるように築いて安定させる工法のことだ。江戸時代から何度も地震に見舞われた熊本城には「はばき石垣」で修復した石垣が何ヶ所もある。例えば下の「櫨方三階櫓跡(現加藤神社)」の石垣などである。やはり、熊本城修復検討委員会の中でも美観を損なうことを懸念する意見も出...宇土櫓石垣復旧工法見直し

  • 戻りにゃ本土瀬戸徒歩わたり

    今日、NHKのローカルニュースで、天草市の本渡道路(天草未来大橋)が完成間近だと言っていた。FBに「市政だより天草」の紹介があったので最新号を天草市のサイトで見てみたら次のように書かれていた。熊本都市圏と県内主要都市を90分で結ぶ「90分構想」の実現などを目的に進められている熊本天草幹線道路。この区間の一つとして、平成25年に着手した本渡道路(天草未来大橋)と、それにつながる本渡令和橋が2月25日に開通します。天草上島と下島をつなぐ新しい橋として多方面での効果が期待されています。かつて天草市の本渡には仕事で度々、上島と下島を結ぶ天草瀬戸大橋を渡った。熊本天草幹線道路が完成すれば熊本から行きやすくなる。ところで天草と言えば「牛深ハイヤ節」だが、この唄の象徴的な長囃子に〽エーサ牛深三度行きゃ三度裸鍋釜(なべか...戻りにゃ本土瀬戸徒歩わたり

  • 百貫港とハーンの夢

    玉名に行った帰り道は河内から河内川沿いに登って山越えすることが多いのだが、たまに海の景色が見たくて海沿いの国道501号線を帰ることがある。この道を通る愉しみは、百貫港灯台の近くに車を停め、海を眺めながら休憩をすることだ。ボンヤリと景色を眺めているといつも思い出すのはここから船で長崎を目指したラフカディオ・ハーンのことである。1893年7月、ハーンは百貫港から小舟で沖へ出、散々待たされた蒸気船に乗り換えて長崎へ渡る。ところが長崎のあまりの暑さにほうほうの体で帰ってくる途中、三角港のホテルで「夏の日の夢(THEDREAMOFASUMMERDAY)」を見ることになる。この時の経緯を友人の東京帝大教授バジル・ホール・チェンバレン宛の手紙で次のように書き送っている。三角には、西洋式に建築され、内装された浦島屋という...百貫港とハーンの夢

  • 春は名のみの

    今日は久しぶりの快晴。風は冷たかったが日差しに誘われて散歩に出た。目的地は市民会館裏の山崎天神。京町から県道303号(旧国道3号線)を歩く。不開門(あかずのもん)の下あたりへ来た時、石垣下の無粋な補強が目に入った。10数年前、この補強工事に違和感を感じ市当局に問い合わせたことがあった。昭和初期に城壁下部が膨らんできて崩壊の危険性があったため、当時の陸軍が応急的に補強した跡である。熊本地震前はここを通る度に気になって仕方なかったが、熊本地震で不開門が倒壊、一部の石垣も崩れたままの現状では目立たなくなってしまった。市民会館の前には熊本市のシェアサイクルが10台、手持無沙汰に佇んでいた。土・日などにはどのくらい利用されているのだろうか。「イチハラヒロコ恋みくじ」で若い女性に人気のこの神社も月曜日とあって参拝者は...春は名のみの

  • 50回目の結婚記念日

    今日は50回目の結婚記念日。あっという間だったような、長かったような。振り返ればいろんなことがあったが、結果的には妻と歩んだこの50年間は必然だった気がする。今日は、百歳の母が目を離せないこともあって特別なことは何もやらず、いつも通りの妻の手料理でささやかに祝った。結婚した1973年のヒット曲、高橋真梨子の「五番街のマリーへ」を久しぶりに聴いてみた。2009年に熊本市民会館で行なわれた高橋真梨子のコンサートに二人で行ったことを思い出した。50回目の結婚記念日

  • 自転車をめぐるエトセトラ

    今日、BSプレミアムシネマで「明日に向かって撃て!」を放送していた。1969年の公開時、劇場で見て以来もう何度見たことだろう。中でもバート・バカラックの名曲「雨にぬれても(RaindropsKeepFallingOnMyHead)」に乗せてブッチ(ポール・ニューマン)とエッタ(キャサリン・ロス)の自転車乗りのシーンは忘れられない。以前、時代背景がこの映画と近い夏目漱石の「自転車日記」と大河ドラマ「いだてん」の自転車揺籃時代の話題をブログに取り上げたことがあった。今日もそのシーンを見ながらブログ記事のことを思い出したので、時系列に整理してみた。1899年ブッチ&サンダンスがユニオン・パシフィック鉄道を襲撃1899年当時、アメリカも自転車ブームで映画「明日に向かって撃て!」の1エピソードとなる。1900年夏目...自転車をめぐるエトセトラ

  • 雪道の出来事

    テレビ各局では、10年に一度という大寒波の襲来と大雪による国内各地での大混乱の様子を映し出している。そんな映像を見ていると、かつて雪道で遭遇した出来事を思い出す。40年近くも前のある年の冬、那須高原にあった会社保養所へ同僚の建築担当者を伴って改修の打ち合わせに行った。雪道だったが当時はスパイクタイヤ全盛の頃、何の苦も無く那須高原に登った。その帰り道、雪の坂道で車を停め、困り果てている様子の親子4人連れに出会った。父親と大学生か高校生の男の子二人が、車の脇にチェーンを拡げたものの、どうしていいのか全く分からずお手上げの状態だった。聞けば、横浜から那須高原へ観光にやって来たが、夏タイヤのままなので、もうこれ以上登るのは無理だと、チェーンの装着を始めたのだという。それはさぞお困りでしょうと、僕と同僚の二人で代わ...雪道の出来事

  • 犬王の天女舞

    先日、アニメ映画「犬王」をレンタルビデオで見た。今年のゴールデングローブ賞にノミネートされて話題になったあの映画である。古沢日出男さんの原作小説を読んでいたので、それがどのように映像化されているのか興味があった。結論的に、ぼくとしては期待外れだった。僕の最大の興味は、誰も見たことがない失われた芸能である犬王の天女舞をどういう風に再現しているのかだったが、犬王の舞はまるでアクロバットというか器械体操といった感じに表現されていた。また友魚の弾く琵琶楽も70年代か80年代のロックミュージックに変えられていた。近年、若手の能楽師には現代的なセンスを持った方もおられるし、琵琶楽も気鋭の若手奏者が何人もおられるのでそういう人材の発想と能力を引き出すような舞や琵琶楽で物語を創り上げてほしかった。海外向けという意味でもロ...犬王の天女舞

  • 玉名女子吹部卒業生のその後

    昨日、熊本県立劇場コンサートホールで玉名女子高等学校吹奏楽部のニューイヤーコンサートが開かれた。残念ながら今回は会場に行くことが出来なかったが、卒業生たちのバンド「玉名女子ウインドアンサンブル」によるウェルカム演奏のインスタライブ配信を見て雰囲気だけでも味わった。ニューイヤーコンサートは過去2回見に行ったが、3年生にとっては最後の晴舞台。感極まる子たちの涙を見ながらいつも思うのは、彼女らはこれからどんな人生を歩んで行くのだろうかということだ。「玉名女子ウインドアンサンブル」で現役時代と同じように演奏する姿を見るとなぜかホッとする。上の画像をクリックすると「玉名女子ウインドアンサンブル」のインスタグラムへ玉名女子吹部卒業生のその後

  • 名優の微笑ましいエピソード

    今日は冷たい雨が断続的に降るという陰鬱な日曜日、家から一歩も出ずに過ごした。そんな中、TKUテレビ熊本で郷土の偉人シリーズとして名優笠智衆さんの人生を描いたドラマが放送された。笠智衆さんに扮したのは小日向文世さん、その奥様を松下由樹さんが演じた。これからTverなどでご覧になる方にネタバレとなってはいけないので内容については省略する。ドラマを見ながら、12年前、笠智衆さんの生家である玉名市天水町の来照寺へ母を連れて訪問した時のことを思い出した。その時、ご住職の奥様からお聞きした笠智衆さんのエピソードを再掲したい。それは笠智衆さんが亡くなる少し前、「おじいさん笠智衆写真集」の撮影のため、この生家、来照寺へ帰って来られた時の話。余計な気を使わせまいと何の連絡もせず来照寺へ帰って来た笠さん。ところが、たまたまこ...名優の微笑ましいエピソード

  • 神話の里・高千穂

    今日のブラタモリは「神話の里・高千穂」編。僕は隣町の五ヶ瀬町には仕事で何度も行ったが、高千穂町には足を踏み入れたことがない。10年ほど前、懇意にしていただいている松田真美さんが、アメノウズメを祀った荒立宮で奉納舞をされた映像を拝見したりして、ぜひ一度高千穂神社と荒立宮にはお詣りしたいと思っているがいまだ実現しない。今日のブラタモリについてはまとめるには時間が足りなかったので、キーワードを羅列しておき、後日まとめてみたい。天安河原、アマテラス、スサノオ、天の岩戸、岩戸隠れ高千穂峡、柱状節理、エンタブラチュア、真名井の滝、玉垂の滝阿蘇大噴火、火砕流、ASO4、ASO3高千穂大橋、観光地百選、554社の水神、天保の大飢饉、高千穂版お遍路山腹用水路、棚田アメノウズメに始まる岩戸神楽を題材にした創作舞踊神話の里・高千穂

  • 新世界の復活

    昨日、熊日デジタルニュースで次のような記事を目にした。熊本市中央区手取本町の熊本パルコ跡地で進められてきた新ビルの建設工事が20日、完了する。名称は「Shinsekai(シンセカイ)下通GATE(ゲート)」。3~11階は星野リゾート(長野県軽井沢町)の都市型ホテルが入居。地下1階~地上2階にはパルコ(東京)が新業態の商業施設をオープンさせる予定で、春の開業に向けて内装工事を進める。僕が映画少年だった頃、あの場所には洋画の映画館「新世界」があった。下通入口を挟んで市役所側には同じく洋画の「大劇」があり、新作映画の公開で張合っていた。大劇の経営者が僕の母の知り合いだったこともあって大劇に行くことが多かったが、それは当時の洋画配給会社のメジャーどころが大劇がワーナー・ブラザース、パラマウント、MGM、20世紀フ...新世界の復活

  • 夏目漱石内坪井旧居 公開再開

    2016年4月の熊本地震で被災し、以来ずっと閉館が続いていた「夏目漱石内坪井旧居」(熊本市中央区内坪井町)の復旧工事が完了し、いよいよ来月2月9日(夏目漱石の誕生日)に公開が再開される予定です。これまで県内外から訪れる旅行者が館外から覗き見る場面に何度も遭遇することがあり、何か申しわけないような気がしていましたのでホッとしました。庭園から正門から映画「うつくしいひと」の1シーン。漱石内坪井旧居の玄関前で(石田えりと橋本愛)夏目漱石内坪井旧居公開再開

  • 今年の能・狂言は…

    昨年はとうとう能を見る機会がなかった。仕舞や舞囃子は何度か見たのだが、装束を着けた正式な能は見ることができなかった。今年も正月の松囃子は藤崎八旛宮の初詣の時に見たのだがどうなることやら。今月は大江幸若舞や久留米座能など見たい催しが続くのだが、百歳の母が目を離せない状態なので行けそうもない。今思えば、2021年3月に水前寺成趣園能楽殿で行われた「翁プロジェクト」は、コロナ禍の中、よくやってくれたなと思う。「翁」は前から最も見たかった演目で、これまで一度も見たことがなく、生きているうちに見るチャンスはあるだろうかと思っていたので「翁プロジェクト」が予定通り開催されたことは何よりも嬉しかった。コロナ禍もいまだ油断できない状態が続いているし、先の見とおしも予断を許さないが、せめて1年に一番でも能を見ることができれ...今年の能・狂言は…

  • 西の魔女が死んだ-サチ・パーカー(再掲)

    今夜、BSプレミアムで映画「西の魔女が死んだ」が放送された。この映画を見たのは15年前になるが、ブログ記事にした憶えがあった。懐かしくなってその記事を再掲してみた。▼初掲(2008年11月18日)さて今夜は映画「西の魔女が死んだ」の上映会が電気館で行なわれる。数ヶ月前、この映画が公開された時はそれほど興味はなかった。主役のサチ・パーカーという名前に、どこかで聞いた覚えがあるなとは思いながら、それっきり忘れていた。ところが先日、あるサイトで彼女がシャーリー・マクレーンの娘だと書いてあるのを見て一瞬で記憶が甦った。何としても今回の上映会に行きたいと思った。僕が中学生だった1960年頃、ハリウッドの大スターだったママ、シャーリーは映画情報誌「スクリーン」に度々登場した。そして愛娘サチと一緒に写ったスナップも何度...西の魔女が死んだ-サチ・パーカー(再掲)

  • 草の芽の 便りきいたか

    春の便りを聞きに、井芹川沿いへ行ってみた。咲きそろい始めた草花を見ながら、天才少女詩人と謳われた海達公子が幼い頃に詠んだ「すみれ」と題する詩を思い出した。あしもとのすみれふまんでよかつた少女の純真で可愛らしい心情が表現されている。平成29年に他界された規工川佑輔先生は、海達公子を愛し、生涯をかけて顕彰し続け、最後の最後まで公子のことを忘れることはなかった。先生の遺作はまるで公子の詩に応えるかのような歌だった。県道を渡れる脚を持たざれば春野にはこべら踏むこともなし最晩年は自らの足で歩くことが出来なくなった自分を客観視しながら、公子の詩に対するオマージュが込められていると思う。草の芽の便りきいたか

  • 稲穂のかんざし

    日本では古代から神に仕える巫女の冠の巾子(こじ)を止める髻華(うず)は後に簪(かんざし)となって、女性が髪を結う時に使う伝統的な装身具となった。京都の花街では正月に芸舞妓さんたちが稲穂のかんざしで髪を飾る習慣がある。これは関西で松の内とされる15日までの間だそうだ。なぜ正月に稲穂のかんざしを使うかというと、年の初めに当たり、その年の五穀豊穣ひいては商売繁盛を祈る意味と、実るほど頭を垂れる稲穂の謙虚さを失わないという意味もあるという。一般的に舞妓さんが髷の右側、芸妓さんが左側に付けるそうで、こうした風習が全国の花街にも伝わっていったといわれる。舞踊団花童は主宰する中村花誠先生が京都生活が長かったこともあり、基本的に京都方式のようで、花童の子たちは右側に、名取りを許された卒業生は左側に付けているようだ。ちなみ...稲穂のかんざし

  • 国史跡「熊本藩高瀬米蔵跡」

    昨年11月、「熊本藩高瀬米蔵跡」が国史跡として指定された。この史跡は、高瀬御蔵跡・高瀬船着場跡・晒船着場跡の3つの文化財で構成されている。このニュースを聞いてとても残念なことがあった。それは史跡の中に大浜の名前がないことである。菊池川流域で獲れた米は、藩政時代は年貢として平田舟で高瀬に集められた。いったん高瀬御蔵に収められた後、再び船着場から積み出され、菊池川河口で大きな五百石船に積み替えられ大坂へ運ばれた。「高瀬米」とよばれた上質な肥後米は、全国の基準米としてその年の米相場を左右したといわれる。高瀬港は、熊本藩で最大の蔵米積出し港で、取り扱われた米は25万俵にも達した年もあったという。しかし、江戸中期以降、河川の堆積などのため、高瀬は港としての機能を徐々に失い、3キロ下流の大浜がその役割を担うようになっ...国史跡「熊本藩高瀬米蔵跡」

  • 今日は「鏡開き」

    今日1月11日は「鏡開き」。昨日放送されたNHK熊本放送局のローカルニュース情報番組「クマロク!」では「みんなでことば塾」というコーナーで、可愛らしい女学生姿の佐藤茉那アナが「鏡開き」について解説していた。その要点は「鏡開き」とは、正月に飾っていた「鏡餅」を下げること。「鏡餅」は神様に供えるもの。「鏡開き」することで運気や力を体に取り入れ無病息災を願う。なぜ「鏡」餅なのかというと、昔の金属製の鏡と丸く平たい形が似ているから。なぜ鏡「開き」なのかというと、「切る」とか「割る」は忌み言葉だから「開き」という。まとめると「鏡開き」とは「正月に神様が宿っていた鏡餅を食べ一年の無病息災を願う行事。わが家では昔から「鏡開き」のことを「猪の爪鹿の爪(いのつめかのつめ)」と呼ぶ。なぜそう呼ぶかというと、「鏡開き」の「ぜん...今日は「鏡開き」

  • 2022年度動画視聴ベスト10

    YouTubeマイチャンネルの「2022年度動画視聴ベスト10」は次のとおりでした。2021年、2022年と連続して「幸若舞敦盛」が最多試聴動画となりましたが、この勢いが今年も続くのかどうか注目です。また、これらの動画はいずれもアップしてからだいぶ年数が経過しており、年々全体の視聴数が低下傾向にありますので、今年は新作も積極的にアップしていきたいと思っています。サムネイル画像をクリックしていただきますと動画を視聴いただけます。1.幸若舞「敦盛」(34,247回)2.熊本民謡おてもやん(31,024回)3.伊勢音頭(30,109回)4.おてもやん(26,856回)5.かっぽれ(20,428回)6.南部俵積み唄(19,631回)7.ひえつき節(17,929回)8.だいこんの花(10,137回)9.2022藤崎...2022年度動画視聴ベスト10

  • それ青陽の春になれば

    今日は地元壺川校区の恒例行事「どんどや」が京陵中学校のグラウンドで行われた。今年は50回目の節目の回だそうである。青竹で組み上げられた櫓に火が入るとたちまち炎が駆け上り、門松や注連飾りによって出迎えた歳神が炎とともに雲一つない青空へと登って行く様を見送っていると、なぜかこみ上げるものがあった。どんどやからの帰路、青空を眺めながら、ふと「それ青陽の春になれば」という長唄「鶴亀」の冒頭の一節が口をついて出た。2019.1.20熊本市国際交流会館7Fホール第54回熊本県邦楽協会演奏会より三味線:杵屋五司郎・杵屋五司雄・杵屋五司幸・杵屋五司起久・杵屋五司美幸唄:杵屋六花登・宇野民子・木庭順子・今村梨江子・山口嘉子笛:藤舎仁鳳小鼓:上村心寧・花童すず・花童ゆうあ大鼓:花童かな太鼓:今村孝明それ青陽の春になれば

  • 二上り甚句とおてもやん

    昨日放送された「民謡魂ふるさとの唄」(NHK-G)は宮城県名取市から。その中で、江戸の昔から今日まで民謡の普及に活躍した「民謡インフルエンサー」についてクイズ形式で紹介するというコーナーがあった。今回は「江戸の流行歌を民謡として全国に広めたのは?」という問題で、解答は「歌舞伎役者」「火消し」「相撲取り」の三択。正解は「相撲取り」なのだが、その具体例として紹介されたのが江戸で流行った「二上り甚句」が、全国を巡業した相撲取りによって各地に酒田甚句(山形)名古屋甚句(愛知)日高川甚句(和歌山)男なら(山口)おてもやん(熊本)などの民謡となって今日に伝わっているというものだった。これらの民謡が源流を同じくする系統であることは以前から聞いていたが、相撲取りが唄ったのは「相撲甚句」。花柳界で三味線伴奏で唄われて初めて...二上り甚句とおてもやん

  • 熊本城の10年後

    昨年暮れ、熊本地震からの復旧が続く「熊本城」の復旧計画について、熊本市の大西市長は当初予定の2037年度に工事完了を15年延ばし、2052年度とする方針を示した。熊本城には、宇土櫓など築造当時からその姿をとどめ、国がその歴史的価値を認めた重要文化財13棟と天守閣、本丸御殿大広間など、昭和から平成にかけて復元された再建・復元建造物20棟がある。熊本地震ではその全てが被災。現在、復旧工事が完了しているのは天守閣と長塀だけだ。示された計画案では、2027年度までに十四間櫓、源之進櫓などを、2032年度までに飯田丸五階櫓、宇土櫓、本丸御殿大広間などを復旧するという。今からちょうど10年後、元の姿に戻った宇土櫓や本丸御殿を本当に見られるのだろうか。はたして僕はそれまで生きていられるだろうか。10年後、宇土櫓は再びこ...熊本城の10年後

  • 氏神様 藤崎八旛宮

    昨日は藤崎八旛宮へ初詣へ。何といっても藤崎宮はわが家の氏神様。それは46年前に他界した祖母の言い伝え。祖父はさらにその60年も前に他界しているので祖母方、祖父方あるいはその両方とも藤崎宮を氏神と崇めていたのかどうかわからない。祖母の実家は一番被分町(現水道町)にあったので、明治11年に目と鼻の先の井川淵町に遷座してきた藤崎宮を氏神と崇めるのはよくわかる。今でも例大祭の飾馬奉納は鳥居基に次ぎ水道町親和会が二番を務める。一方、祖父方はどうだったのだろうか。わが家の発祥の地である黒髪町下立田は明治時代、長岡(細川刑部)家があった泰勝寺跡を中心として10数軒の集落で、一軒の農家を除いてすべてかつて細川家に仕えていた家だったそうである。おそらく旧藩時代の名残が極めて強かったと考えられ、熊本城の鎮守社、あるいは熊本城...氏神様藤崎八旛宮

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