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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 坂本先輩のこと

    今日、所用で玉名の親戚を訪ねたついでに「高瀬裏川花しょうぶまつり」を見に行った。会場に入ると、すぐそばで5,6人の観客に説明をしている案内係の人が目に入った。僕のブリヂストン時代の大先輩、坂本正詮さんだった。説明が終わった頃を見計らって挨拶に行った。坂本さんにお会いするのは9年前の熊本地震直後、わが家の近くの京陵中学校で薬草料理の炊き出しボランティアに来られた時におさそいを受けて以来である。僕が坂本さんに初めて出会ったのは55年前のこと。僕は横浜工場で新人研修を受けていたが、8月の初めだったか、社内水泳大会が行われた。当時従業員2500名くらいの工場だったので結構盛大な大会だった。当時僕はほとんど泳いでいなかったが、50㍍自由形ならなんとかなるだろうと出場し優勝した。そして、そのしばらく後に栃木県の那須工...坂本先輩のこと

  • 栗田さん撮影の動画から

    一昨日他界された栗田弘一さんはYouTubeの自らのチャンネルに470本の動画を遺されました。実はYouTubeへの投稿を始めたのは僕の方が少し早かったので、最初の頃、栗田さんが撮影された動画のYouTubeへの投稿を僕に委ねられていた時期がありました。今日はそんな動画の中から3本選んで掲載してみました。この3本だけでも、栗田さんの活動ぶりがよくわかります。◇本場鶴崎踊大会2014旧藩時代、熊本藩の飛地であった鶴崎(現大分市)をこよなく愛しておられた栗田さんは「NPO法人鶴崎文化研究会」のメンバーの一人でもありました。メンバー揃って熊本研修旅行にお見えになったこともあり、僕も「泰勝寺跡・小峰墓地」だけアテンドさせていただきました。そんな栗田さんがとりわけお好きだったのが「鶴崎踊り」。400年以上の歴史を有...栗田さん撮影の動画から

  • 友の死を悼む

    昨日、花童のサポーター友でありFB友でもあった栗田弘一さんが旅立たれました。娘さんのFB告知で知りましたが、僕と同世代なのでショックでした。昨日は彼と初めて出逢った時の思い出に浸りました。あれは2013年4月27日のことでした。「くまもと城下まつり2013in桜町」のステージに“ザ・わらべ”が出演するというので見に行きました。カメラを構えたとなりの中年男性に声をかけると“わらべ”の大ファンだとおっしゃる。朝早く大分から出て来られたらしい。熱心なファンもいるものだと思いながら会話をしていると、ファンになったきっかけが、どうも僕のYouTube動画らしい。「あなたがご覧になっている動画はほとんど私が投稿したものだと思います」と明かすと、一瞬僕の顔をまじまじと見て「まさかあの動画の投稿者に逢うとは!」と驚いてお...友の死を悼む

  • MLB選手の入場曲

    先日、MLBのドジャースvsメッツの放送を見ていたら、メッツの本拠地シティ・フィールド球場内に「Ain'tNoMountainHighEnough」の曲が響き渡り、観客が一斉に歌い出した。メッツの中心選手フランシスコ・リンドーアが打席に向かうところだったようだ。学生時代、僕が大好きだった曲で、マーヴィン・ゲイとタミー・テレルのデュエットがFEN(FarEastNetwork)放送で聞こえてくるとゴキゲンになったものだ。この曲のリリースからしばらく経った頃、病を得たタミーは3年後あっけなくこの世を去る。マーヴィン・ゲイも84年に他界し今はない。当時の若者にとって永遠の恋人となったタミー・テレルというステージネーム「テレル」は世界ヘビー級チャンピオンになったこともあるボクサーのアーニー・テレルからもらったもの...MLB選手の入場曲

  • 隅田の流れ(すだのながれ)

    先週土曜日に城彩苑わくわく座で行われた「伝統芸能鑑賞会」の中から「俚奏楽隅田の流れ(すだのながれ)」をご紹介します。隅田(すだ)というのは東京を流れる隅田川のことです。「すだ」とは隅田(すみだ)の旧名の一つです。この「隅田の流れ」の原曲は「六段くずし」。江戸前期の音楽家・八橋検校(やつはしけんぎょう)が作曲した筝曲の古典として知られる「六段の調」を江戸好みの端唄にアレンジしたのが「六段くずし」です。立方:はつ喜月寿々地方:本條秀美社中・中村花誠・中村弌誠はつ喜月寿々さんの先輩二人による「六段くずし」をご覧ください。隅田の流れ(すだのながれ)

  • ブログ引っ越し

    gooブログから引っ越す人が日に日に増え、なんだか寂しくなってきた。最近はもっぱら引っ越された方の経験談のブログ記事を探して読み、自分の判断材料にしたいと思っている。しかし、いまだにどこに引っ越すか決めきれない。こんな状態がもうしばらくは続きそうだ。先日のブログにも書いたが、20年前「NIFTY-Serve」がパソコン通信サービスを終了するという経験をしていたわけで、インターネットのブログサービスもいつかは終了することは覚悟しておくべきだったと思う。どこに引っ越すかはまだ決めていないが、引っ越し先がどこであっても、またサービス終了なんてことがあり得るのは覚悟しておかなければならないだろう。ブログ引っ越し

  • 伝統芸能鑑賞会

    今日は城彩苑わくわく座で行われた「伝統芸能鑑賞会」を観に行く。今日のプログラムは次のとおり。大和楽「城」立方:藤間誠申俚奏楽「隅田の流れ」立方:はつ喜月寿々地方:本條秀美社中・中村花誠・中村弌誠俚奏楽「島めぐり」立方:はつ喜月寿々・花童ももか地方:本條秀美社中・中村花誠・中村弌誠熊本賛歌立方:藤間誠申・はつ喜月寿々・花童ももか地方:本條秀美社中・中村花誠・中村弌誠今日の立方はつ喜月寿々・花童ももか・藤間誠申のお三方▼今日の演目より俚奏楽「島めぐり」伝統芸能鑑賞会

  • 浮世絵

    先日、久しぶりに散歩がてらに熊本市現代美術館まで歩いて行った。ホームギャラリーでは朝ドラ「あんぱん」にちなんだのか、「やなせたかし展」をやっていたが、漫画を見て育っていない僕にはあまり興味がなく、いつものように美術図鑑でも眺めて過ごそうと思った。いくつかの図鑑を手に取ってみたが、中でも一番興味があったのは別冊太陽の「浮世絵師列伝」だった。大河ドラマ「べらぼう」やそれにリンクした「浮世絵EDO-LIFE」などの番組で、今、浮世絵に注目が集まっている。多くの浮世絵師たちの作品を見ていったが、僕の好みはやはり「鈴木春信」だ。町娘などをすっきりと可愛らしく描いている。左から柳屋お藤、女形歌舞伎役者二代目瀬川菊之丞、笠森お仙そういえば、長澤まさみが葛飾北斎の娘の葛飾応為を演じる映画が秋に公開されるというネットニュー...浮世絵

  • gooブログ初期

    gooブログからの引っ越し準備をしなければならないと思いながら、なかなか気が進まない。引っ越しに当たっては少し整理した方がいいかなと思い、開設当初の古い記事のチェックを始めた。20年前の記事に目を通してみると、今日のいろんな問題はこの頃既に始まっていたことがよくわかる。そんな記事のいくつかをピックアップしてみた。◇「NIFTY-Serve」よ、ありがとう!(2005.2.16)ニフティがついにパソコン通信サービスを終了するそうです。18年前、サービス開始と同時に加入しましたが、当時は今日のようなインターネット時代が来るとは予想だにしませんでした。最初はなかなかつながらなかったり、コンテンツも限られていましたが、電話線を通じてホストコンピュータや他人のパソコンとつながっているという新鮮な感動がありました。思...gooブログ初期

  • 「ひえつき節」のはなし。

    わが家の山椒の木の実も充実してきてそろそろ摘み時になって来ました。山椒の木といえば「ひえつき節」。ちょうど10年ほど前にYouTubeにアップした「ひえつき節」に今日、興味深いコメントが寄せられました。'taroukuma7125'さんという方で次のような内容でした。人吉の東小学校運動会の昼食時にこの曲が流れていました。宮崎の民謡がなぜ熊本/人吉で?と思っていましたが、椎葉は藩政時は人吉藩が幕府から預かっていたんですね。もう70年前、人吉城跡での運動会が懐かしく思い出されます。この方がおっしゃるとおり、椎葉は紆余曲折を経て江戸前期から明治に至るまで人吉藩の管理下に置かれていたそうです。この九州を代表する民謡の一つである椎葉村の民謡「ひえつき節」は人吉ゆかりの民謡ということもできるのでしょうね。2015.5...「ひえつき節」のはなし。

  • 父の没後25年

    今日で父が他界して25年。この25年は早かった。自分自身の高齢化とも相俟って、若い頃の4倍くらいのスピードで時間が流れたような気がする。祥月命日になると毎年、父がまだ四つか五つの頃、立田山麓の泰勝寺跡に住んでおられた長岡家に日参していた頃の備忘録を思い出す。父は長岡家のお坊ちゃまの遊び相手として日参していた。広い邸内での様々な思い出の中でも、お座敷で時々行われた謡曲のお稽古は特に忘れられなかったらしい。幼い父も末席に侍らせられ、長時間にわたって謡を聴かせられたが、中でも父は謡曲「田村」の「ひとたび放せば千の矢先・・・」という一節を終生忘れなかった。幼い子どもがどんな気持で聴いていたのかと思うと可笑しくなってしまう。▼謡曲「田村」結末の地謡あれを見よ不思議やな。味方の軍兵の旗の上に。千手観音の。光を放って虚...父の没後25年

  • 漱石四番目の家と俳句

    今朝の熊日新聞に、夏目漱石の熊本四番目の井川淵の家跡の記念碑が明午橋のたもとに完成し、昨日、記念式典が行われたという記事が載っていた。今度、藤崎宮にお参りに行く時にでも見に行ってみようと思いながら、午後、上熊本駅周辺に散歩に行った。駅前で信号待ちしていて目の前の車道と歩道との間に並んで立てられている石の車止めに何げなく視線をやると、漱石の俳句が彫られていることに気が付いた。ここは普段もよく通るのだが、車止めに注目したことはない。他の車止めにも漱石の句や小説の一部が彫られているようだ。目の前に漱石像が立つ三角公園があるので、その関連で車止めも立てられたのかもしれない。最初に目にとまったの漱石の俳句が「颯と打つ夜網の音や春の川」なんと、明治31年、井川淵の家に居た頃に詠んだ句である。井川淵の家では鏡子夫人の入...漱石四番目の家と俳句

  • 高瀬裏川花しょうぶまつり

    来週末から玉名市の「高瀬裏川花しょうぶまつり」が始まります。高瀬裏川というのは、現在の玉名市中心部が肥後高瀬藩だった頃、菊池川流域でとれた米を積んだ平田舟が行き交った運河で、河岸には町屋や蔵が軒を連ねていました。今も往時の風情を感じる町屋が残っています。かつて、肥後米の積出し港として栄えた高瀬町は、菊池川とその支流の繁根木川の中州にできた商業の町。古代から菊池川河口右岸に開けた港町でした。古くから関西、関門、博多方面と交流があったと伝えられます。また高瀬町の人々は菊池川のことを「高瀬川」と呼んでいたそうです。江戸時代には高瀬藩の御蔵が置かれ、肥後米最大の積出し港となっていました。そのためこの港から積み出した米は「高瀬米」とも呼ばれました。明治初期まで高瀬には菊池川を渡る橋がなく対岸の向津留から「向津留渡し...高瀬裏川花しょうぶまつり

  • 玄宅寺とからし蓮根と日本舞踊

    長男が大分県の中津に転勤した。中津は通過したことはあるが立ち寄ったことはない。今度は目的が出来たのでぜひ行ってみたい。中津といえば思い出すのは玄宅寺(水前寺)。開山の玄宅禅師は中津の羅漢寺からやってきた禅師。寛永9年(1632)に肥後細川藩初代藩主、細川忠利公が肥後に入府された時、前任地の豊後から伴って来られたのが中津の古刹・羅漢寺の住職だった玄宅禅師。忠利公はこの水郷の地に「水前寺禅寺」を創建し、玄宅禅師を初代住持とされた水前寺発祥のお寺である。また、玄宅禅師は今日、熊本名物の一つとなっている「からし蓮根」の考案者でもある。病弱だった忠利公の滋養強壮に心を配り、考案したのが「からし蓮根」。そしてそれを忠利公の食事に供したのが細川家の賄方だった森平五郎。森家は現在も新町に老舗の「森からし蓮根」として続いて...玄宅寺とからし蓮根と日本舞踊

  • 柳川抒情

    フォローさせていただいているブログ「田園都市の風景から」さんの直近記事に、福岡県柳川市の「沖端水天宮・春の大祭」をリポートされていました。柳川にはもう数えきれないほど訪れていますが、この祭りはまだ見たことがありません。一度は見ておきたいと思っています。記事中の写真の転載をご承諾いただきましたので、そのうちの2枚を掲載してみました。堀に浮かべた舫い船の上に乗せた舟舞台で演じられる様々な芸能。邦楽演奏や地歌舞伎などが披露される。沖端水天宮のすぐ近くに生家がある北原白秋は、少年時代を過ごしたふるさとを描いた随筆「水郷柳河」の中でわが町を、廃市(廃れた町)と言い、街を掘り巡らした水路やたった一つ残った遊女屋懐月楼や古い白壁など、故郷の水郷の町の廃れゆく姿とそこで暮らす人々の哀感を、愛を込めた眼差しで描き出していま...柳川抒情

  • 今日のOldies

    たまに若い頃流行った歌を無性に聴きたくなる。今日聴きたくなったのは下の2曲。いずれも僕が中高生の頃に流行った歌だ。1曲目はジミー・ジョーンズというアメリカの歌手が歌った「GoodTimin'」(邦題「グッド・タイミング」)。最近、何かのCMに使われていて思い出した。当時は欧米のヒットポップスを日本の歌手が盛んにカバーしていた日本のポップス草創期。この歌も坂本九がカバーしてヒットした。シンプルながら耳にここちよい曲だ。2曲目はイタリア系フランス人のカテリーナ・ヴァレンテが歌った「ToutL'amour」(邦題「情熱の花」)。ベートーヴェンの「エリーゼのために」をポップス化した曲として有名だが、日本ではザ・ピーナッツのカバーがヒットした。さらに20年後、日本のポップスバンド、ザ・ヴィーナスが「キッスは目にして...今日のOldies

  • 歌麿の紫

    大河ドラマ「べらぼう」に、やっと喜多川歌麿が登場した。彼にまつわるサイドストーリーはさておき、絵を描く歌麿の姿を見たいものだ。NHKスペシャル「歌麿紫の謎」という番組が2007年に放送された。歌麿の浮世絵を400枚も所蔵するアメリカ・ボストン美術館のスポルディング・コレクションを高精細デジタル画像で映し出した。極めて保存状態がよく、変色や退色を免れた江戸時代の色彩が鮮やかに甦った。特に女性の着物に鮮やかな紫色が惜しげもなく使われていたことがわかった。退色が激しいという紫色を多用し「紫屋」とも呼ばれた歌麿。番組ではこれらの浮世絵の中に使われている紫色をどうやって表現したのかについて迫っていた。そしてこの紫の原料には露草が使われたらしいという。紫色の着物を着ることは江戸の女性にとって憧れだったそうだが、現代に...歌麿の紫

  • 「本丸御殿 春の宴」の夜

    今から13年前の今日、2012年5月12日の夜に熊本城本丸御殿で行われた「春の宴」のことをよく思い出す。2010年から始まった本丸御殿の芸能イベントは毎春秋開催される「春の宴」と「秋夜の宴」が多くの観客を集めていた。この夜も本丸御殿大広間をぎっしり埋めた観客の前で、少女舞踊団「ザ・わらべ&こわらべ」による舞台が繰り広げられた。この夜は「春の宴阿蘇をどり」と題して、ぶっ通し1時間半、長唄、端唄、民謡など10数曲が披露された。その中で3曲選んで録画した映像をその夜のうちにアップした。それが下の3曲である。▼藤音頭歌舞伎舞踊の代表的な演目の一つである「長唄藤娘」は、2008年の熊本城本丸御殿落成記念イベントの一つとして熊本城二の丸公園で行われた「坂東玉三郎特別舞踊公演」でも演じられた。ザ・わらべの中村くるみさん...「本丸御殿春の宴」の夜

  • ブラタモリ伊勢路編・最終夜

    「ブラタモリ伊勢路編」は今夜が最終回。桑名を出発点とする「伊勢路」は伊勢神宮までの90㌔の旅を終えた。5回の放送を通じての感想は後日まとめたいと思うが、今日は斎王関連の話題を一つ。斎王が斎宮に入る前に禊(みそぎ)をした秡川(はらいがわ)の話があった。熊本には、明治10年の西南戦争で焼失するまで、今の藤崎台球場のところにあった藤崎八旛宮のすぐ下を流れていた井芹川(いせりがわ)のことを「祓川(しめかわ)」と呼んだ。「祓川」では藤崎八旛宮への参拝者がみそぎを行なったり、放生会(ほうじょうえ)が行われたりしていたという。「秡川」と「祓川」は部首が異なるもののどちらも「みそぎ」をする川のことをいうそうだが、その違いを一度調べてみたい。それはさておき、やはり30分番組というのは短い。こま切れの印象が強く、全体の流れが...ブラタモリ伊勢路編・最終夜

  • 創作劇「青柳」

    今秋スタートの朝ドラ「ばけばけ」関連イベントとして、先々月「小泉八雲を変えたKUMAMOTO」が熊本城ホールで開催されましたが、小泉八雲とゆかりの深い熊本では、これからもいろんなイベントが行われそうです。八雲の来熊120年となった2011年には熊本では様々な記念行事が行われました。その中のひとつが創作劇「青柳」公演でした。八雲「怪談」の中から「青柳の話」「十六桜」「乳母桜」などをもとに、木々にも霊魂が宿るという考え方をテーマとした物語です。八雲について数々の著書がある平川祐弘東大名誉教授が書かれたオリジナルの「夢幻能青柳」をもとに、能、日舞、演劇による創作舞台が繰り広げられました。公演の資料から創作劇「青柳」のあらすじを下記してみました。【あらすじ】熊本の五高教師として赴任してきた小泉八雲ことヘルンは、学...創作劇「青柳」

  • ふるさと遥か 民謡の旅(3)

    「キンニョムニョ」は江戸時代後期から明治初期あたりにかけて熊本の花柳界で唄われていた端唄・俗曲の一つといわれています。歌詞は「七七七五」の口説きに「キンニョムニョ」とか「キクラカチャカポコ」など意味のない囃子詞を間に挟んでいますが、内容は肥後に関係のある歌舞伎・浄瑠璃・講談などの題材から口調の良い文句を羅列しただけで、歌詞として全体の意味がまとまっているわけではありません。明治10年の西南戦争で官軍兵士として日本各地から応召し戦地熊本に赴いた人々が、野営地などでこの唄を聞き覚え、各々の地元に持ち帰ったといわれています。しかし、それぞれの土地でアレンジが加えられ、とても同源とは思えないように姿を変えたものもあります。島根県在住の竹下博文さんから次のようなコメントをいただいたことがあります。――分家民謡のご紹...ふるさと遥か民謡の旅(3)

  • 禿(かむろ)のはなし。

    ※10年前の記事を再編集して再掲しました。現在放送中のNHK大河ドラマ「べらぼう」には多くの「禿」が登場する。「禿」というのは遊女の小間使いをする童女のことだが、この「禿」という字は「かむろ」または「かぶろ」とも読むし「はげ」とも読む。なんでそうなのか、以前から不思議に思っていたが、ネット上でも時々話題になっているようだ。「禿」という字を分解してみると上半分の「禾(のぎ)」という部首。これは「禾部(かぶ)」といって、イネ科のアワの穂が垂れる様子を象ったものだという。そして下半分は「儿(にんにょう・ひとあし)」だから、合わせると髪の垂れ下がった人を表すと考えたらよいだろう。つまり、「はげ」を表す意味はどこにもない。それではなぜ「はげ」とも読むようになったのか。そもそも「かむろ・かぶろ」という文字が文献に表れ...禿(かむろ)のはなし。

  • 水郷めぐり

    今日は生憎、霧雨がずっと降り続いていたが、昨日までは初夏らしい日差しの中で若葉が輝いて見えた。そんな風景を見ると必ず思い出すのは若山牧水のこの短歌である。あたりみな鏡のごとき明るさに青葉はいまし揺れそめにけり(若山牧水)旅を愛し、酒を愛した若山牧水は日本各地に歌碑が残っている。僕は牧水の短歌や俳句もいいけれど、彼の紀行文も大好きだ。大正8年6月、若山牧水は友人に誘われ、茨城県から千葉県に広がる霞ヶ浦辺りを旅した。その紀行文「水郷めぐり」には旅情をそそられる。特に後半の「あやめ踊り」が出てくるくだりは何度読んでもワクワクさせられる。「あやめ踊り」というのは「潮来音頭」や「潮来甚句」を踊るものらしい。水郷めぐり

  • 小淵ってドコ?

    大先輩のFさんから宿題を与えられている。それはかつて古式泳法の水連場として使われていた白川の淵のことである。以前、僕自身興味があったので、天神淵、八幡淵、傘淵については現地にも行ってこのブログ上にリポートした。今回、Fさんはそれ以外に「小淵」というのがあったと聞いていると仰る。「小淵」は初耳だったが、たしかにその名が見える文献もあるようだ。ネット検索や図書館に出向いて調べてみたが全然手がかりが見出せない。さらには国土省の白川出張所や熊本市の歴史文書資料室にも問い合わせてみたが、いずれも「小淵」についての資料が見つからないという返事だった。今日ふと思いついて、以前、天神淵を調べに訪れたことのある渡鹿の菅原神社に行ってみた。間がいいことに宮司さんの奥様が境内におられたのでおたずねしてみた。奥様も聞いたことがな...小淵ってドコ?

  • ♪ ほーらんえんや、えんやさのさっさ

    玉名市大浜町の外嶋(としま)住吉神社(延久元年=1069年創建)で15年ぶりに開催中の「年紀祭」(市指定重要無形民俗文化財)を見に行った。今日はこの祭り最大の見せ場「船渡御(ふなとぎょ)」が行われた。外嶋住吉神社の縁起は平安時代後期の1069年、後三条天皇が作らせた住吉大神の神像を乗せた舟が大浜に漂着し、村人が神像を引き上げて祭ったのが始まりと伝えられる。この故事を氏子総出で再現するのが「船渡御」と呼ばれる水上神事だ。豊漁や五穀豊穣を祈願する神事として行われてきたが、江戸時代中後期、大浜町が大坂へ肥後米を積みだす高瀬港の外港として栄えたことにより、この祭りがさらに発展した。かつて菊池川左岸に広がっていた松原辺りのお旅所でご神霊が鎮座する御神輿を3隻の舟に載せ、櫂伝馬船9隻で上流の大浜橋近くまで遡る。大漁旗...♪ほーらんえんや、えんやさのさっさ

  • コロナ禍と 能「沖宮」

    5年前の今頃のブログを見ていると、当時コロナ禍が広がり始めていたことがよくわかる。あゝそうだったなぁと思いながら、もう5年も経ってしまったのかと時の流れの速さを実感する。世の中がコロナ禍に戦々恐々とする中、「アマビエ」という妖怪が多くのメディアで急にクローズアップされていた。アマビエとは江戸時代後期の肥後国の海中から現れた疫病退散のご利益があるという伝説の妖怪のことだが、アマビエを象ったお守りや様々な商品が販売されるという便乗商法まで登場した。アマビエの絵を見て、僕が直感的に思い浮かべたのは「これは人身御供になった人の変わり果てた姿ではないのか」ということだった。実際、江戸時代などには疫病退散を目的とした人身御供が行われていたことは、江戸時代後期の旅行家、菅江真澄の紀行文にも見える。そう考えると、2018...コロナ禍と能「沖宮」

  • 花浜匙(ハナハマサジ)と橘(タチバナ)と

    今日は皐月朔日(さつきついたち)。例月のように藤崎八旛宮へ朔日詣りに行った。藤崎宮は楼門の屋根葺き替え工事中のため、拝殿前まで行くには脇の通用口からしか入れない。お詣りは普通に済ませたものの「なんだかなぁ」といった気分。いったん帰った後、歩いて京町本丁郵便局へ郵便物を出しに行った。ついでに近くの往生院にも寄ってお参りした。百体目の放牛地蔵の方に視線をやると、居並ぶ七体のお地蔵さんそれぞれの前に紫色の花が供えてあるのが見えた。近づいてお参りしながら確認すると、見たことのない美しい花だったので家で花名を調べてみようとデジカメで撮影した。帰り道、宇土小路を歩いていると、とある民家の庭に大きめのミカンのような実がいっぱい生った木に白い花が咲いていた。直感的に一昨日ブログに書いた「新古今和歌集」の式子内親王の歌に出...花浜匙(ハナハマサジ)と橘(タチバナ)と

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