chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

FUSA
フォロー
住所
中央区
出身
中央区
ブログ村参加

2009/09/19

arrow_drop_down
  • 橋本愛の大河ドラマ歴

    俳優の橋本愛さんは熊本市出身ということもあり出演作品は注目して観ている。現在放送中の「べらぼう」にもなんと蔦重の妻役で出演するそうで楽しみだ。大河ドラマはこれで4本目となるが不思議な存在感と魅力を持った俳優さんだ。これまで大河ドラマ以外でも映画「リトル・フォレスト」、「長閑の庭」(NHK-BS)、「ハードナッツ!〜数学girlの恋する事件簿〜」(NHK)、映画「うつくしいひと」など印象的な役柄が多い。まだまだポテンシャルを秘めていると思うので、これからがますます楽しみだ。「うつくしいひと」の試写会の時、彼女の中学校時代の恩師が嬉しそうに彼女について語っておられたことを思い出す。▼大河ドラマ歴(上から順に)西郷どん(2018)西郷吉之助の最初の妻須賀いだてん(2019)浅草の遊女小梅青天を衝け(2021)渋...橋本愛の大河ドラマ歴

  • テイカカズラの香り

    わが家の裏の法面に繁茂するテイカカズラの花が甘い芳香を漂よわせている。「定家葛(テイカカズラ)」の名は、式子(しょくし)内親王(1149-1201)を愛した藤原定家(ふじわらのていか)が、死後も彼女を忘れられず、ついにテイカカズラに生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説に基づく能「定家」から付けられたという。式子内親王は、後白河天皇の第三皇女で、「新古今和歌集」の代表的な女性歌人として知られる。昨年、学習院大文学部を卒業された天皇、皇后両陛下の長女愛子様は、卒業論文に「式子内親王」を取り上げられたというニュースを思い出した。「新古今和歌集」の式子内親王の歌を読んでいたら、夏の歌の中に次の歌があった。かへりこぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほふ橘【通釈】再び戻って来ない昔を、今のことのように思いながら寝...テイカカズラの香り

  • わたしの“水俣日記” アナウンサー佐藤茉那

    一昨年、NHK熊本放送局制作の番組「くまもとの風」枠で放送されたドキュメント「わたしの“水俣日記”〜アナウンサー佐藤茉那対話の旅〜」が今日のローカル情報番組「クマロク!」で再放送された。現在、「ブラタモリ」でタモリさんのパートナーとして活躍している佐藤茉那アナが熊本局時代、水俣病の現地で1年以上取材した手記である。ナレーションも佐藤アナが担当。NHKの番組案内には次のように解説されている。私はアナウンサーの佐藤茉那。「なぜまだ水俣病を伝えるの?」同世代の友人の問いに応える為、1年以上にわたって水俣で取材と対話を続けてきた。語り部を続けてきた杉本肇さんは、「水俣から逃げた」若き日の葛藤を教えてくれた。同世代の若者は、水俣出身を揶揄する声に真正面から向き合った経験を教えてくれた。福島で震災を伝える木村紀夫さん...わたしの“水俣日記”アナウンサー佐藤茉那

  • 清正公まつりを見ながら

    今日は加藤神社の「清正公まつり」。例年のとおり、宮出しを見に行った。「一之宮」の加藤清正公の神輿が境内から出て行く様子を見ながら、ふと昨日の熊日新聞に、熊本市と山形県鶴岡市が友好促進の協定を結んだというニュースを思い出した。鶴岡市は改易となった加藤忠広公が配流された加藤家終焉の地。清正公、忠広公の縁でこれまでも民間の交流はあったが、これをもう一段上のレベルに引き上げようということなのだろう。もう10数年前になるが、一昨年他界した僕の知人が東北地方を旅行し、鶴岡の清正公ゆかりの場所を巡ったことがあった。熊本へ帰ってからの第一声が、鶴岡の人々の清正公尊崇の念の厚さに頭が下がったという話だった。日頃、セイショコさん、セイショコさんと親しみを込めて呼んでいるが、われわれにはいったいどれほどの尊崇の念があるのだろう...清正公まつりを見ながら

  • 加藤清正の天井画

    加藤神社の天井画が完成したというローカルニュースが流れていたので、今日、参拝を兼ねて見に行った。片鎌槍を構えた清正が虎を従えて睨みをきかせている図柄で、両脇には白と黒のトラが天空を飛ぶ様子が描かれている。全体のサイズは縦5メートル、横15メートルだそうである。今日はこの天井画を見る目的の参拝者が多かったようだ。明日は今年の「清正公まつり」。今夜放送された「ブラタモリ伊勢路編第四夜」では、三重県の県庁所在地である津を通った。清正のライバルであり戦友でもあった戦国武将・藤堂高虎が築いた城や城下町である。加藤清正が慶長16年(1611)に死去し、跡を継いだ加藤忠広がまだ11歳だったため、藤堂高虎が後見人となり、江戸にいた忠広に付き添って熊本に入府したという。熊本にも縁少なからぬ人物なのである。しかし、その20年...加藤清正の天井画

  • カキツバタ色の唐衣

    そろそろ立田山湿性植物苑のカキツバタが咲く頃だなぁと思い行ってみた。今年も綺麗な紫色の花を咲かせ始めていた。思わず、「伊勢物語」の在原業平の歌が浮かぶ。からころもきつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞおもふ(唐衣着つつ馴れにし妻しあれば遥々来ぬる旅をしぞ思ふ)「伊勢物語」九段「東下り」に語られるエピソードだが、「ウィキブックス」によれば次のように解説されている。――昔、京に住んでいた男が、いろいろあって、京から出て行く気になったので、東国に移り住もうと旅をした。古くからの友人の一人か二人とともに旅に出た。三河の国の八橋で、かきつばたの花が咲いていたので、折句(おりく、技法の一つ)で「か・き・つ・ば・た」を句頭に読み込んだ和歌を主人公の男が詠んだ。和歌の内容は、都に残してきた妻を恋しく思う和歌で...カキツバタ色の唐衣

  • 伊豆の踊子が踊る曲

    今日、NHK-BSのプレミアムシネマで吉永小百合版「伊豆の踊子」が放送されました。映画化された戦後の「伊豆の踊子」5本すべて見ていますが、この小百合版だけでも既に5、6回は見ています。しかし、今日も見逃すわけにはいきません。この映画が公開されたのは僕が高校3年の時。小百合さんは1級上なので既に18か19歳、原作の14歳の踊子・薫が17、8歳の設定に変えられていました。「踊子」という役柄上、踊るシーンは欠かせませんが、「伊豆の踊子」全5作の中で、この小百合版が一番、踊るシーンが多かったと思います。お座敷で踊ったのは「ノーエ節」、「串本節」そして「ハイカラ節(自転車節)」の3曲。温泉町を流している時に踊っていたのは「ストトン節」ではなかったかと思います。いずれも原作者の川端康成が伊豆の旅をした大正7年頃流行っ...伊豆の踊子が踊る曲

  • gooブログのしまい方

    4月14日にgooブログサービスの終了がアナウンスされて以来、ブログに対するモチベーションも下がり気味ですが、今後どうするか決めなくてはなりません。早々にgooブログからの引っ越しを終えたという連絡も目にすることが多くなりましたが、自分も引っ越しするにしても引っ越し先をどこにするかはもうしばらくじっくり考えてみたいと思います。引っ越し先はさておき、gooブログをきちんとしまうに当たって、20年に及ぶgooブログ歴の中で、最も思い出深い記事は何だったのか考えてみました。様々な記事が思い浮かびますが、中でも特筆すべきは2010年から、2016年の熊本地震まで約6年間続いた熊本城本丸御殿での「春の宴」や「秋夜の宴」などの伝統芸能イベントではなかったかと思います。そのイベントの多くでメインキャストを務めた舞踊団花...gooブログのしまい方

  • コメ高騰と大浜外嶋住吉神社年紀祭

    昨年から続くコメの価格高騰は政府による備蓄米の放出後も鎮静化は見られないようだ。農水省は、その背景には投機的な買い占めがあると説明していたが、どうもそれだけではなく、いろんな要因が複合していることがわかってきた。政府にはさらなる米価高騰対策を望む。「米はわれらの親じゃもの」と唄う民謡「米節」に喩えるまでもなく、米は日本人にとって単なる食糧ではない。米は日本文化と深く結びついている。アメリカの関税措置をめぐる日米交渉でも「米」の輸入が取り上げられそうだが、日本人が決して譲れない一線であることを主張してもらいたい。ところで、5月3・4日「大浜外嶋住吉神社年紀祭」が15年ぶりに開かれる。玉名市大浜町は母のふる里でもあるので見に行くことにしているが、大浜町は江戸時代中後期、大坂へ肥後米(高瀬米)を積みだす高瀬港の...コメ高騰と大浜外嶋住吉神社年紀祭

  • ふるさと遥か 民謡の旅(2)

    今年の「牛深ハイヤ祭り」は今日の総踊りで閉幕しました。3月2日の記事「民謡の旅(1)」に続き、今日はその続き「ふるさと遥か民謡の旅(2)」をアップしてみました。前編では九州の西海岸や日本海沿岸を北上する北前船に乗って、寄港地伝いに伝播していった「牛深ハイヤ節」が、ついには1600㌔も離れた津軽地方に到達し「津軽あいや節」と姿を変えて唄い継がれていることを紹介しましたが、旅はこれで終わりではなかったのです。牛深高校郷土芸能部による「牛深ハイヤ節」津軽海峡を回った「ハイヤ節」は東廻海運に乗って太平洋側の南部地方・八戸辺りの港に伝わり「南部アイヤ節」となります。江戸時代の南部地方は現在の青森県と岩手県にまたがっており、岩手県の宮古辺りにも青森県とはちょっと異なる趣の「南部あいや節」が伝わっています。◇南部アイヤ...ふるさと遥か民謡の旅(2)

  • やつしろ舟出浮き

    先日、ローカルニュースで今年の「やつしろ舟出浮き(ふなでうき)」が始まったというニュースが流れていた。これは八代伝統の海のレジャーで、漁船に10人前後の客が乗り込み、漁師の伝統漁法を目の前で見物するとともに、獲れた季節ごとの海の幸を、八代海に浮かぶ無人島に上陸して漁師さんがさばいて料理してくれるというもの。江戸時代、八代城主だった松井家が球磨川河口で楽しんでいた船遊びに由来するという。僕が小学2年生の時、父が八代の太田郷小学校に勤務していて、教職員慰安行事の「舟出浮き」に僕も連れて行ってもらった。その日の舟は八代海でのイカ釣り舟だった。海に沈めてあった籠を次々に引き上げると中にイカが入っていて、船上へ上がる瞬間に真っ黒いスミを吐く。みんなでキャーキャー言いながらスミをよけた。漁が一段落すると無人島に上陸し...やつしろ舟出浮き

  • 藤の季節

    早くも藤の季節。一昨日行われた藤崎八旛宮の藤祭には所用のため参拝できませんでしたが、日を改めて藤棚の甘い香りを嗅ぎに行きたいと思っています。藤崎八旛宮の藤棚藤といえば「藤娘」。昨年11月に放送された「ブラタモリ東海道五十七次の旅」編でも紹介された大津絵の代表的な画題の一つです。この大津絵をモチーフにした長唄であり歌舞伎舞踊の演目でもある「藤娘」。先日の「中村花誠六十周年記念公演」における「藤娘」の中から、「近江八景」を織り込んだ聴かせどころをダイジェストにしてみました。彦根在勤の頃、現地を訪れたことのある地名が歌われていて懐かしくなりました。◇近江八景比良暮雪(ひらのぼせつ)堅田落雁(かたたのらくがん)矢橋帰帆(やばせのきはん)粟津晴嵐(あわづのせいらん)唐崎夜雨(からさきのやう)三井晩鐘(みいのばんしょ...藤の季節

  • gooブログ最後の桜便り

    今日は今春最後の花見をしようと熊本城二の丸・三の丸周辺を見て回った。ソメイヨシノはほとんど葉桜になってしまったけれど、まだまだ遅咲きの桜花たちが目を楽しませてくれた。おそらくgooブログに投稿する最後の桜便りになるだろう。ホウミョウジザクラ(監物台樹木園)祇王寺妓女桜(監物台樹木園)八重桜(護国神社)御衣黄桜(三の丸漆畑)最後は賑やかにボカロ・初音ミクの「千本桜」で締めくくるとしよう。gooブログ最後の桜便り

  • 今日のマイミックスリスト

    一昨日アップした記事「ブラタモリ伊勢路編・第二夜」に貼り付けた「俚奏楽伊勢土産」をYouTubeで視聴していたら、サイドバーに「マイミックスリスト」が表示されたので久しぶりにクリックしてみた。50曲に近い動画がリストアップされたが全部見るわけにもいかないので、その中から下記の3曲を選んで視聴した。◇長唄「五條橋」弁慶と義経の出会いを描いた謡曲「橋弁慶」をもとにした長唄「橋弁慶」のうち五條橋の対決シーンに焦点を当てた長唄です。杵屋五司郎さん率いる蓑里会の三味線、杵屋六花登さん率いるうらら会の唄、中村花誠さん率いる花と誠の会の囃子、藤舎仁鳳さんの笛という名手が揃った演奏です。◇バディ・ボールデンズ・ブルース(BuddyBolden'sBlues)19世紀末期のニューオリンズはジャズの揺籃期。ニューオリンズジャ...今日のマイミックスリスト

  • 「gooブログ終了」と「熊本地震9年」と

    今日の昼前、ブログ友の油屋種吉さんからのコメントでショッキングな情報を知った。2025年11月18日をもってgooブログサービスが終了するというのだ。2005年2月にgooブログを開設して以来20年。別のブログサービスへ引っ越すのか、それともこのタイミングでブログをやめるのか決めかねている。今日は奇しくも熊本地震前震から9年の日。gooブログ歴の中でも最大の出来事だったが、あの記憶を風化させてはならない。熊本地震に関するgooブログ記事は、形はどうあれ残していきたい。本震の翌日に投稿したブログ記事を再掲してみた。◆余震のまにまに(2016.4.17)二晩を車中で明かしたが、昨夜は雨の予報もあり、94歳の母にとってこれ以上は無理と判断し、僕らもさすがに疲れたので、姉婿の親族が経営する保育園の一室に泊めてもら...「gooブログ終了」と「熊本地震9年」と

  • ブラタモリ伊勢路編・第二夜

    昨夜の「ブラタモリ伊勢路編・第二夜」は神戸宿(鈴鹿市)から。前回「日永の追分」(四日市)で東海道と分かれたが、ここ神戸宿で再び三差路に出会す。その三差路に立つ意味ありげな老舗旅館「あぶい旅館」。街道に面した部屋は格子構え、かつては女性を侍らせた「見世」状態で旅人の足を止めた。これを聞いたタモリは「伊勢路が見たい」と唄う伊勢路の魅力がわかってきたと言う。さらに神戸宿の「餅屋」の看板の多さに気付く。「餅街道」ともいわれた伊勢路の老舗「もち久」で名物「立石餅」を味わう。伊勢路の街道筋でなぜ餅屋が盛んになったのか、その秘密を探りになんと鈴鹿サーキットへ向かう。鈴鹿サーキットの複雑な地形を利用したコースを回ってみると餅が生まれた理由がわかるということで、タモリ自らアトラクションカートを運転し、佐藤茉那アナを乗せてサ...ブラタモリ伊勢路編・第二夜

  • 春の終わりの御衣黄桜

    どうやら明日からまた雨になりそうだというので、熊本城三の丸の「御衣黄桜」を見に行った。そろそろ満開になると思われる。「御衣黄桜」は桜の季節が終わりかける頃に咲くので、毎年「御衣黄桜」を見て春の終わりを認識する。これまで三の丸で「御衣黄桜」を観察していて他の方と出会ったことはほとんど無かった。ところが、今年は何人かの方から「御衣黄桜はどれですか?」とか「御衣黄桜を見に来ました!」などとお声をかけていただいた。この桜への注目度が高くなりつつあるようで「御衣黄桜」ファンとしては喜ばしい。例年より長く見られたソメイヨシノもすっかり葉桜になりつつある中、「御衣黄桜」が気高く清いその姿で春を締め括ろうとしている。そこで拙句を一句往く春を惜しむ御衣黄桜かないつ見ても清々しい色合いの御衣黄桜御衣黄:平安歌人の纏う唐衣の下...春の終わりの御衣黄桜

  • 朝ドラ「ばけばけ」と祖母

    今朝の熊日新聞に、今秋放送される朝ドラ「ばけばけ」がクランクインしたというニュースが載っていた。熊本は小泉八雲が五高教師を務めたゆかりの地なので、いずれ熊本ロケもあるかもしれないということだが、このドラマには注目していることがある。それは、ヒロインのモデルである八雲の妻セツと、48年前に他界した僕の祖母が同じような前半生を送ったのではないかということである。祖母はセツさんより15年遅れて、セツさんと同じように士族の家に生まれた。娘時代までは資産もあり、わりと裕福な家庭環境だったらしい。曽祖父は大江村の村長をやっていたが、その頃が一番羽振りが良く、屋敷では度々盛大な宴会が行われていたという。しかし、水道町一帯の持ち家十数軒が大火で烏有に帰してしまい、その後没落へと向かう。セツさんも実家や養家がいずれも没落し...朝ドラ「ばけばけ」と祖母

  • 夕顔とかんぴょう

    ブログをフォローさせていただいている油屋種吉さんの直近の記事に、栃木県下野市の「ゆうがおパーク」のことが紹介されていました。この記事の最後に「下野市は、元首相の小泉さんのもとで実施された広域合併で、それまでの石橋町、国分寺町それに南河内町が合併してつくられました。夕顔はかんぴょうの花で、大きめの白い花だとご存じの方はおられましたでしょうか」という一文が付け加えられていました。不肖私も一応、元栃木県民ですので、栃木名産品かんぴょうはウリ科の植物で美しい夕顔の花を咲かせることは聞いていましたが、「半蔀(はじとみ)」や「夕顔」など、源氏物語の「夕顔の君」をモチーフとした能を見たことがありますが、妖艶な「夕顔の君」と栃木名物のかんぴょうを結び付けて考えたことはありません。種吉さんのひと言でハッと気づかされました。...夕顔とかんぴょう

  • 2025春 寸描

    桜吹雪が舞い、今年の春もやがて過去の思い出になろうとしている。今年の春、ちょっと気になった風景を挙げてみた。熊本城三の丸の北側法面に並んだ見事な桜並木。毎年思うことだが、ここの桜は上からも下からも近寄れないのが残念だ。今年ほど花見に多くの外国人が来ているのを見たことがない。熊本城二の丸住江門で見たイスラム系のファミリー。熊本市北区の「高平・坪井川遊水地花公園」の桜と菜の花の向こうに見える浄国寺。1年以上、谷汲観音様のご尊顔を拝していないので近いうち参拝しよう。先日、わが家の墓参りに行ったら、隣の墓の解体工事が行われていた。石材業者の話では、最近は墓を建てるより「墓じまい」で解体することが多いのだそうだ。わが家も他人事ではない気がした。2025春寸描

  • 伝統芸能の夜

    昨日は熊本市民会館で行われた「中村花誠六十周年記念公演」を観に行きました。第一部の古典では蓑田司郎(杵屋五司郎)さんを始めとする東音の皆様、第二部では本條秀太郎さんを始め本條流の皆様など、普段熊本ではなかなか観ることができない豪華な地方が揃い、立方の花童&はつ喜の面々も積み重ねた稽古の成果を存分に発揮していました。当日の番組は次のとおり【第一部】古典の世界一、長唄鶴亀一、長唄藤娘一、長唄俄獅子【第二部】熊本お座敷つづれ集一、肥後の殿様一、つくしんぼ一、肥後じまん(オテモチャン・くまもんちゃん)一、雨の郡上一、とうろう一、阿蘇空節一、阿波のうずしお一、熊本賛歌さわぎ一、熊本賛歌そのうち2演目をご紹介します。動画を撮りたかったのですが、指定された席からの撮影が難しかったため、「藤娘」の一部だけであきらめました...伝統芸能の夜

  • 2025年1~3月 動画視聴ベスト10

    今年に入ってから3ヶ月のYouTubeマイチャンネルの視聴分析結果が判明しました。1~3月期のチャンネル総視聴回数は308,206回。ベストテンは下記のとおりですが、相変わらず「お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)」がダントツで93,035回を数えました。以下、上位はほとんど入れ替わりがなく、そろそろ上位に入るような新ネタをリリースしたいと思っているところです。1.お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)(93,035回)2.こわらべ~江津湖音頭~(17,232回)3.花童~肥後のタンタン節~(12,301回)4.こわらべ~お座敷小唄/芸者ワルツ~(11,785回)5.南部俵積み唄(11,078回)6.伊勢音頭(歌詞付)(9,591回)7.ひえつき節(7,725回)8.花童~絵日傘/数え唄~(7,128回...2025年1~3月動画視聴ベスト10

  • ブラタモリ伊勢路編・第一夜

    ブラタモリ新シリーズが、タモリさん自身が言うように「何もなかったかのように」始まった。伊勢路編第一夜は、タモリが行きたいと願っていた自ら持っている広重の「桑名」の現地に立ち、感動する。その桑名で船着場に立つ鳥居の意味を知る。伝統の焼きハマグリに舌鼓を打った後、「日永の追分」(四日市)へ向かう。そこで見つけたタモリ大好物の三差路で東海道と分かれ、「神戸の見附」(鈴鹿)を目指す。神戸宿には門限があり、かつて大木戸があった痕跡を見つける。といった内容。やっぱり30分は短い。不満足感が残った。タモリ念願の桑名を目指すかつて伊勢湾が内陸へ入り込んでおり、熱田神宮から桑名へ「七里の渡し」で渡るのが東海道の正式ルートだった。「日永の追分」の鳥居は、ここから東海道へ進む旅人が遥拝するため。江戸時代、年間500万人もの人が...ブラタモリ伊勢路編・第一夜

  • 桜春想

    今日は快晴で温暖、風もなく、折しも桜は満開、この春最高の花見日和となった。今日が一年のうちで最も彩り華やかな日になりそうな気がして熊本城へ向かった。新堀橋から金峰山を望む。熊本城三の丸北面の桜並木が美しい。監物台側から大小天守を望む。老樹の伐採でかつての桜の賑わいこそないが、次の世代に期待しよう。護国神社前の桜。スマホで桜の撮影に興じる人たち。一昨日、まだ1週間以上先だろうと思っていた三の丸の御衣黄桜がほころび始めた。熊本城には「桜の馬場」や「桜橋」そして城下に「桜町」など、歴史的に桜とのゆかりを感じさせる。2016.3.21益城町文化会館筝:蓑田由美子尺八:佐藤翔山小鼓:中村花誠大鼓:今村孝明舞踊:花童&はつ喜桜春想

  • 大浜外嶋住吉神社年紀祭が15年ぶりに!

    5年前、母のふる里である玉名市大浜町に伝わる10年に一度の祭り「外嶋住吉神社年紀祭」が、新型コロナウイルス禍で延期された。そして5年経った来月、15年ぶりに開かれる。外嶋住吉神社は、延久元年(1069)創建といわれ、航海を守護する三神(表筒男命、中筒男命、底筒男命)に阿蘇の健磐龍命を合せ祀り、約千年の間、大浜町の産土神として人々の尊崇を集めてきた。この神社の年紀祭は、五穀豊穣のほか、年貢米や農産物を大坂へ運ぶ船の航海安全と豊漁を祈願するためのものといわれる。江戸時代中後期、大浜町は大坂へ肥後米を積みだす高瀬港の外港として栄えた。往時の繁栄をしのばせる大規模な祭りで、玉名市重要無形民俗文化財に指定され、また菊池川流域日本遺産の構成文化財にもなっている。大浜外嶋住吉神社年紀祭が15年ぶりに!

  • 御衣黄桜はまだか!

    昨年の今頃は、熊本城三の丸漆畑の「御衣黄(ぎょいこう)桜」が咲き始めていたので、様子を見に行ってみたが、今年はまだまだあと1週間以上先と思われる状態だった。「萌黄(もえぎ)」と呼ばれる御衣黄の色合いはいつ見ても爽やかで心が洗われる思いがする。開花が待ち遠しい。昨年、咲き始めの頃の「御衣黄桜」御衣黄の名前の由来は、平安時代の貴族の着物の色「萌黄(もえぎ)」に似ているからだという。「萌黄」を辞書で調べると「襲 (かさね) の色目の名」とある。十二単(じゅうにひとえ)の構成は、「唐衣(からぎぬ)・表着(うはぎ)・打衣(うちぎぬ)・五衣(いつつぎぬ)・単衣(ひとえ)・長袴(ながばかま)・裳(も)からなる」といい、そのうち「表着」に「萌黄」色を使うという。紫色の唐衣の下に萌黄色の表着が見える。(2023年5月の代継...御衣黄桜はまだか!

  • 水汲む女

    今日は中央区土木センターへ家の前の道路補修の申請に行った。場所が蓮台寺なので、久しぶりに蓮台寺に立ち寄って檜垣の塔に参拝した。この蓮台寺は、平安時代の閨秀歌人・檜垣が白川のほとりに草庵を結んだのが寺歴の始まりといい、別名「檜垣寺」とも呼ばれる。実はつい最近、大正・昭和時代の詩人・小説家である室生犀星の著書「狩衣」の中に、「大和物語百二十六」を脚色した「檜垣の御」という章を見つけたこともあって蓮台寺に立ち寄ってみたかった。檜垣の墓ともいわれる「檜垣の塔」檜垣が閼伽の水を汲んで岩戸観音に日参し供えたという「檜垣の井戸」跡◇大和物語百二十六「水汲む女」◇現代語訳筑紫の国にいたという檜垣の御(ご)という女性は、とても気の利く人で、風流に年月を重ねていた人だった。藤原純友の乱の巻き添えを食って、家も焼け、財産もすべ...水汲む女

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、FUSAさんをフォローしませんか?

ハンドル名
FUSAさん
ブログタイトル
徒然なか話
フォロー
徒然なか話

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用