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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 年末のご挨拶

    今年も多くの皆様に、当ブログをご訪問いただきありがとうございました。厚く御礼申しあげます。今年は元日から「能登半島地震」の報が飛び込み、8年前の「熊本地震」を思い出し、暗澹たる1年の始まりを感じさせました。来るべき新年も何が待ち構えているのか油断はできません。ともあれ、皆様方がご息災でお幸せな1年になりますよう心よりお祈りいたします。新年も当ブログをよろしくお願い申しあげます。筆主敬白阿蘇中岳の噴煙年末のご挨拶

  • フォトジェニック 2024

    2024.3.24九州がっ祭2024美勝女隊(福岡)「九州がっ祭」は2016年熊本地震からの復興を願って始まった「よさこい」系のまつり。九州各県および全国から100を超える団体が参加、演舞を繰り広げ優劣を競う。各団体ともオリジナル性を追求し完成度が高い。全団体を見たわけではないが、熊本城二の丸広場会場で僕が見たなかでは最も「見映え」がしたのがこの「美勝女隊」。2024.5.4代継宮~曲水の宴~巫女による祭祀舞「豊栄の舞」毎年5月、代継宮(熊本市北区龍田3)の境内では平安絵巻さながらの「曲水の宴」が開かれる。宴の開始にあたって神事が執り行われ、巫女による祭祀舞「豊栄の舞」が舞われる。平安装束に身を纏った男女が歌人に扮しているが、白衣に緋袴の巫女の姿は厳かで神聖さを感じる。2024.6.2藤間流藤間きみ藤芸歴...フォトジェニック2024

  • 年末お礼参り

    このところの寒さで外歩きは控えていたが、そろそろ運動不足が気になりだしたので、神社への年末お礼参りを兼ねて久しぶりに散歩した。加藤神社はお礼参りの参拝者で賑わっていた。かかりつけ医からインフルエンザが流行しているので人混みは避けるよう言われていたことを思い出し、今日は鳥居の下から遥拝するにとどめた。二の丸広場を通り抜け、護国神社へ行くとこちらは数人しか見えなかったので拝殿前まで進んで参拝した。すっかり正月の装いが整っていた。鳥居下の「終戦より八十年」の看板が目についた。終戦は昭和20年8月。僕はこの年度の生まれなので感慨深いものがある。正月の装いが整った熊本県護国神社新年は終戦から80年護国神社から二の丸広場へ戻る途中、住江門跡を通りながら、ふと住江金之(すみのえきんし)博士のことを思い出した。住江博士と...年末お礼参り

  • 八景園の赤い椿

    この時季の花といえばすぐに頭に浮かぶのは「椿の花」。僕が子どもの頃、わが家の2軒先にあった「八景園」の庭に咲く赤い椿である。「八景園」と言ってもわが家の大家Y氏宅なのだが、かつて「八景園」という名の茶屋を開いていたので近所の人たちはみなこの家のことを「八景園」と呼んでいた。普通の民家には見られない屋根の付いた棟門が茶屋の名残りを思わせた。その門をくぐるとすぐ脇に一本の椿の木があり、晩秋になると赤い花を咲かせた。茶屋を開いていたのは戦前までだったらしいが、この店の前を通る道「新坂」は戦後の車社会になるまでは、熊本市内と上熊本駅の間を歩いて行き来する行商人や荷馬車を引く馬方などが行き交う道だった。うどんが売りだったらしいが「八景園」は格好の「峠の茶屋」的な存在だったという。3年ほど前、フォローさせていただいて...八景園の赤い椿

  • 手古舞木遣り

    今年も残すところ4日となった。今日はYouTubeマイチャンネルの今年度状況を概観した。動画をアップした時はできるだけこのブログでも紹介したいと思っているが、紹介した覚えがないものが結構あることに気付いた。記事にするタイミングが合わなかったのかもしれない。そこで、まだブログで紹介できていない動画を少しづつ紹介していきたい。今日紹介するのは「手古舞木遣り」。「木遣りくずし」のあんこ入りで江戸の祭りの粋でいなせな様子を唄った端唄。昭和48年に作られているので歌謡曲と言った方がいいのかもしれない。「手古舞」というのは江戸時代には神田明神祭の余興の舞のことだったらしいが、今日では男髷にたっつけ袴の女性が金棒を持って山車に付き添う姿をそう呼ぶようになったそうだ。作詞:たなかゆきを作曲:初代藤本琇丈2015.5.2水...手古舞木遣り

  • 八雲とアニミズム

    来年秋から放送の朝ドラが小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻セツをヒロインとする「ばけばけ」に決まったことを受けて、NHK熊本局でも八雲に関する話題を取り上げた番組が多くなった。小泉八雲が五高教師として熊本へやって来たのは明治24年(1891)11月、41歳の時のこと。その前年に日本へやって来て、横浜港に降り立ち、咲き乱れる日本の桜を初めて目の当たりにした時の思い出を次のように書いている。――この神々の国では樹木は人間から大切に育てられかわいがられてきたので、木にも魂が宿り愛される女のように、樹木はさらに美しさを増して人間への感謝を示そうとするのであろうか――9年前、NHK-Eテレの「100分de名著」で八雲の「日本の面影」を取り上げた時、この回の指南役である早稲田大学教授、池田雅之氏は、八雲はアイルラン...八雲とアニミズム

  • 今年の観能記 2024

    毎年、年末にその年に見た能楽を総括することにしている。ここ数年、コロナ禍もあってほとんど見られない年もあったが、かつては年に4、5回は能舞台を見て来た。今年は正月の藤崎八旛宮松囃子に始まり、秋の藤崎八旛宮例大祭御旅所奉納能まで3回だった。3月の熊本城薪能は都合で見逃がしたのは残念。藤崎八旛宮松囃子喜多流舞囃子「東北」(2024.1.5)「東北」は和泉式部(霊)が登場する能で、今年は大河ドラマ「光る君へ」に和泉式部も登場したので、今度は舞囃子ではなく能で見たい。出水神社薪能金春流能「田村」(2024.8.3)わが父の思い出の曲だが、過去に見た「田村」と比べると明らかに不出来。楽しみにしていただけに残念だった。次回の演能を楽しみにしたい。藤崎八旛宮例大祭御旅所奉納能喜多流半能「敦盛」(2024.9.16)半能...今年の観能記2024

  • 伝説の「クリスマスの約束 2009」

    今夜、「クリスマスの約束」最終回(23:56~)が放送されるが、それに先立ち、過去の放送の中で今や伝説となっている2009年「クリスマスの約束」で歌われた22曲メドレー(22分50秒)が再放送される。これは見逃せない。(放送は22:00よりTBS系)当時このブログに書いた記事を再掲してみた。▼圧巻だった!「クリスマスの約束2009」(2009.12.26)クリスマス恒例、「クリスマスの約束」(TBS)は毎年必ず見ることにしているが、今年のライブの目玉、21組のトップアーティストが、各々のヒット曲をメドレーでつないだ"22分50秒"は、今まで見た中で一番凄かった。ただメドレーで歌うというのではなく、小田和正が編曲し、メインヴォーカル以外は全員がバック・コーラスにまわるという壮大な一つの組曲として成立していた...伝説の「クリスマスの約束2009」

  • ラスト「クリスマスの約束」

    毎年、クリスマスの楽しみだった音楽番組「クリスマスの約束」(TBS)。今年は3年ぶりに行われる。しかし、今回が最終回で24年続いた番組の歴史に終止符を打つという。この番組の特長は小田和正さんのリーダーシップによる音楽性の高さ。「紅白」は見なくてもこの番組は見逃さなかったので、もう見られなくなるのは寂しい。この番組で歌われた歌のなかで僕のベストソングは「Today」。「昨日の栄光や明日への約束でなく、今日この瞬間、笑って泣いてそして歌う今日こそが自分のストーリーなのだ!」と歌う。これは「今を生きる」というメッセージなのだと思う。僕が大学に入学した1964年、アメリカのフォークミュージックグループ、ザ・ニュー・クリスティー・ミンストレルズがリリースした曲で、寮のラジオでよく聴いていた懐かしい曲だ。出演者全員で...ラスト「クリスマスの約束」

  • ブラタモリのレギュラー復活

    ブラタモリが再びレギュラー番組に復活するそうだ。NHKの看板番組だったわけで、このコンテンツを手放すのが惜しくなったのだろうか。内容的に見直して再出発するらしいが、2015年に第4シリーズが始まって以来、徐々に内容がアカデミックに偏り過ぎていった感もあり、バラエティ的な要素とのバランスを見直していただきたい。かつての教養バラエティの色彩が強かった一例として、第3シリーズの「江戸の盛り場~吉原編~」(2012年1月12日放送)の概要を再掲してみた。▼江戸の盛り場~吉原編~案内人は立教新座中学校・高等学校校長兼立教大学名誉教授の渡辺憲司さん。「吉原は江戸の流行の発信基地」とかなんとか言いながら、舟で吉原を目指す。柳橋から隅田川を北上、浅草を通過して吉原へと向かう。そこで一句「船宿へ家の律儀は置いてゆき」つまり...ブラタモリのレギュラー復活

  • 忘れ得ぬCMソング

    現在、熊本市中央区桜町の商業施設「サクラマチクマモト」のところには2015年3月まで「熊本交通センター」とともに商業施設「熊本センタープラザ」があった。その「センタープラザ」のCM曲は多くの熊本県民が今も忘れていないだろう。CM曲にも歌われる「泉の広場」1976年5月、僕は家族を帯同して熊本から山口県防府市に転勤した。防府に着いて一番最初に耳に飛び込んできたのが、黒沢明とロス・プリモスが歌う水中翼船の歌「夢のオレンジライン」だった。その後も車を運転していると必ず聞こえてきて、すっかり耳馴染みとなった。当時まだ3歳だった長男も口ずさんでいた。その水中翼船も1988年には廃止されたらしい。今でも防府を思い出すと必ずこの曲が頭に浮かぶ。残念ながら音源が見つからなかったが、次のような歌詞だった。海へゆきましょう瀬...忘れ得ぬCMソング

  • 師走の平凡な一日

    朝のニュースで「熊本にも初雪・・・」と言っていた。未明に降ったらしい。阿蘇山を眺めてみた(下写真)が、雪だまりのようなものは見えるが、まだ冠雪というほどではない。今日は父の月命日で菩提寺のご住職が来られる日。師走でお忙しいのか、坊守さん(奥様)がやって来られた。坊守さんはこれまでも何度か来られたが、ご住職には失礼ながら僕は坊守さんの読誦が好きだ。女性らしい柔らかい声でよどみなく進んで行く。少し節がついていて、まるで声明(しょうみょう)のような美しい読誦が続く。読まれるのはお経ではなく正信偈(しょうしんげ)という親鸞聖人が残した詩歌のようなもの。102歳の母が唱和する。母は女学校時代に習得し今でも丸暗記している。帰命無量寿如来南無不可思議光法蔵菩薩因位時在世自在王佛所・・・今年もあと2週間。午後出かけた時に...師走の平凡な一日

  • 今日のピックアップ曲

    日頃、テレビを見ながら流れる音楽にアンテナを張っているが、昨日・今日のNHK-BSの番組で「これは!」と思った曲は下の2曲。◇貝殻節「夢千代日記」再放送は今日が最終回。年が明けてから「続夢千代日記」「新夢千代日記」も再放送されるらしいが、やはり一番心に残っているのは最初のシリーズ。そして「夢千代日記」といえば「貝殻節」。物語の舞台は兵庫県の湯里温泉という架空の温泉場となっているが、「貝殻節」は鳥取県発祥の民謡。かつて山陰の日本海沿岸に「イタヤ貝」が数十年おきに大量発生したという。この貝の捕獲に従事した漁師たちが歌い始めた労働歌が「貝殻節」の元唄だという。今日歌われている「貝殻節」は昭和初期に新民謡として改作されたものらしい。夢千代らが「貝殻節」を踊る場面は数多のドラマの中でも屈指の名場面だと思う。芸者置屋...今日のピックアップ曲

  • 平原綾香スペシャルジャズライブ

    昨日、NHK総合で放送された「平原綾香スペシャルジャズライブ~私の原点~」は見ごたえがあった。もっとも首都圏のみ放送の「首都圏いちオシ!」という番組だったので本放送では見られず、NHKプラスの見逃し配信で見た。次のようなプログラムだったが、見ものは3年前に亡くなったレジェンドサックス奏者の父親譲りのアルトサックス演奏。彼女のヴォーカルはまるでサックスを演奏しているかのような発声だと思う。「GeorgiaOnMyMind」をヴォーカルとサックス演奏で魅せてくれた。彼女のサックス演奏を見るのは15年前の熊本公演以来である。OnTheSunnySideOfTheStreetアランフェス協奏曲〜SpainJOYFUL,JOYFULGeorgiaOnMyMindJupiterWhataWonderfulWorld▼...平原綾香スペシャルジャズライブ

  • 焼酎「田原坂」

    熊本市北区植木町で民謡教室を開いておられる本條秀美さんは、植木町ゆかりの民謡「田原坂」の普及と継承に力を尽しておられる。また、「民謡田原坂全国大会」の実行委員長も長く務めて来られた。そんな本條さんから「地元産の焼酎『田原坂』」が出来たので試飲してみて」とわざわざ焼酎を持ってきていただいた。焼酎はもう何年も口にしていないが、味見させていただいた。焼酎通というわけでもないが、スッキリした口あたりと米特有の甘みと香りがほのかに感じられた。ラベルを見ると手書きの「田原坂」の文字に少年兵と梅の枝の絵があしらってある。ラベルの右上隅に「本格焼酎」と記されている。気になってちょっと調べてみた。酒税法では焼酎は甲類と乙類とに分かれている。簡単に言うと新しい蒸留法が甲類で伝統的な蒸留法が乙類とされているが、「乙類」というの...焼酎「田原坂」

  • 今年忘れられない話(2) ~農兵節~

    7月24日に他界された民謡歌手の水野詩都子さんは、日々の出来事や思いなどを「詩暦(うたごよみ)」というタイトルのブログで語っておられました。そのブログの最後の記事が静岡県の民謡「農兵節」についてでした。YouTubeの東海風流チャンネルvol.68にアップされている「農兵節」を聞きながら、民謡歌手としての心構えを述べておられるブログを読み直しました。水野さんの表現者としての姿勢や人となりがしみじみと伝わってきます。あらためて民謡を通じて私たちに音楽の愉しみを届けていただいたことに心から感謝を申し上げます。▼水野詩都子さんのブログ「詩暦(うたごよみ)」(2024.7.11)より――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――今月の「東海風流チャ...今年忘れられない話(2)~農兵節~

  • 今年忘れられない話(1) ~受け念仏~

    今年聞いた話の中で最も印象深かった話はなんだろうと考えたとき、まず頭に浮かんだのは「受け念仏」の話だった。今年、父の二十五回忌を迎えた。命日の5月19日にはわが家に近親者のみ集まってささやかな法要を営んだ。最後に菩提寺ご住職から次のような法話があった。――私の恩師がアメリカのシアトルに招かれて広島県出身の信徒に法話をされたことがあります。その時、今日、日本ではほとんど行われなくなった「受け念仏」が300人以上の信徒によって行われ、感動的だったそうです。「受け念仏」とは、説教者のお話の中で、聴き手が「いいお話をいただいた」と感じた時はその都度手を合わせ「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と唱えることです。その信徒たちは広島県からアメリカに移民として渡った人たちの三世・四世の人たちで、父母や祖父母などからそうするよう...今年忘れられない話(1)~受け念仏~

  • 明日は正月事始め

    明日12月13日は早くも正月事始め。毎年正月を迎えるための準備を始める日です。すす払い、松迎え(まつむかえ)、餅つきなどの準備を行い、年神様をお迎えする準備をします。松迎えとは縁起ものである正月用の飾松や門松を切りに行くことをいいます。松は常緑樹で樹齢も長いことから、古くから「不老長寿」の象徴として縁起の良い木といわれており、また年神様の依代(よりしろ)とも考えられています。正月の門松・松飾りを立てておく期間のことを「松の内」ともいいます。京都ではこの日、芸舞妓が芸事の師匠やなじみの店を回って、この1年のお礼や新年を迎える挨拶をする「事始め」の行事が年末の風物詩となっています。さまざまな松を謡い込んだ端唄「松づくし」で舞妓さんの舞はいかが。明日は正月事始め

  • 婦人像(紫調べ)

    東京駅から八重洲通りを5分ほど歩くと「アーティゾン美術館」がある。かつての「ブリヂストン美術館」である。もっとも僕が東京勤務の頃は、このビルにはブリヂストン本社が入っていたので「ブリヂストン美術館」はその中の一部を使っていた。2020年に本社部門の移転に伴い、このビルが改修され「ミュージアムタワー京橋」の中の「アーティゾン美術館」として再スタートした。この地は江戸時代には中橋広小路と呼ばれたところで、江戸初期まで今の八重洲通りは紅葉川という川だったそうである。東海道(今の中央通り)は紅葉川に架かった中橋を渡って日本橋の方に向かっていた。紅葉川が埋められ、中橋の名前だけが残って中橋広小路となった。この中橋界隈は、江戸歌舞伎の発祥の地でもある。京から江戸に下った初代猿若(中村)勘三郎が寛永元年(1624)に「...婦人像(紫調べ)

  • Life is very short and there’s no time

    昨日は師走恒例の親戚挨拶回りをした。今年は親戚の不幸も多く、人生の儚さを感じることが多かった。同じ時代を生きて来た親戚も同じように高齢化していたことを今さら思い知らされた。僕が大学3年の頃、ビートルズの「WeCanWorkItOut」という歌をラジオでよく聞いた。今でもビートルズナンバーの中では最も好きな曲なのだが、それはジョン・レノンが作ったというサビの部分の歌詞"Lifeisveryshortandthere'snotimeforfussingandfightingmyfriend."が強く心に残ったからだと思う。「人生はとても短い。騒ぎや喧嘩をしているひまなんてない、友よ!」というような意味だと思う。そしてこのフレーズの終わりかけに、ワルツに転調するところが人生の流転を感じさせて印象深い。この曲を初...Lifeisveryshortandthere’snotime

  • 今年忘れられない風景(2)

    8月6日、白内障の手術を受けた。右眼を覆っていた眼帯が取れ、術後10日ほど経ってから、久しぶりに立田自然公園を訪れた。これまで数えきれない程訪れているのに、まるで初めて見たかのような新鮮な感動があった。夏の青い空と白い雲、新緑の輝きなど目に映る風景の鮮やかな色彩に感動した。子供の頃、初めて総天然色の映画を見た時のような感動があった。長い間、よほど色彩感覚が鈍っていたのだろう。あらためてわれわれが住む地球の色彩の見事さとそれを感じ取る人間の視覚の凄さを再認識した。立田自然公園・茶室仰松軒♪この素晴らしき世界(ルイ・アームストロング)Iseetreesofgreen,redroses,too,Iseethembloomformeandyou.AndIthinktomyselfwhatawonderfulwor...今年忘れられない風景(2)

  • 今年忘れられない風景(1)

    SL人吉の引退1922年に製造された蒸気機関車「8620形58654号機」愛称「ハチロク」は「SLあそBOY」として、また「SL人吉」として101年の永い間頑張ってきたが、機関車の老朽化、部品調達や技術者の確保が難しくなった等の理由により、今年3月23日のラストランを以て引退した。釜尾町の井芹川に架かる鶴野橋の上から見送ったが、汽笛を鳴らしながら去って行く「ハチロク」を見ていると、僕の生きた時代が遠い彼方へ過ぎ去って行くようで万感胸に迫るものがあった。「別れの汽笛」が胸に響く大河ドラマ「いだてん」(2019)では綾瀬はるかが「ハチロク」を追って爆走した今年忘れられない風景(1)

  • 音楽の力

    ちょうど3年前の今頃、放送されていた朝ドラ「カムカムエブリバディ」がお昼に再放送されている。歴代の朝ドラの中でも高い評価を受けているが、その大きな要因は「音楽の力」ではないかと思う。まず物語のテーマでもある「OnTheSunnySideOfTheStreet」は音楽史上に燦然と輝く名曲である。加えてAIが歌うこのドラマの主題歌「アルデバラン」(森山直太朗作詞作曲)は朝ドラ主題歌の中でも傑作中の傑作。この二つの「音楽の力」は圧倒的である。映画もテレビドラマも音楽についての考え方は基本的に同じだと思うが、2013年1月にNHKEテレで3回にわたって放送された「スコラ坂本龍一音楽の学校~映画音楽編~」では映画音楽の技法をアカデミックに説明してくれた。映画音楽というのは、記憶の中の映画を具体的にイメージする媒体と...音楽の力

  • Write Myself A Letter

    郵便局の年賀状プリントサービスのポスターを見て、あゝもうそんな時季かと思う今日この頃、喪中はがきも届き始めた。高齢化社会の表れか、「年賀状じまい」の年賀状テンプレートまであるようだ。今はほとんどパソコンで年賀状作成しており、あまり負担にも感じないので体がゆうことを聞く間は年賀状は続けようと思う。年賀状が届かなくなった正月はそれは随分寂しいに違いない。年賀状の季節になると聞きたくなるのがジャズのスタンダードナンバー「手紙でも書こう」(I'mGonnaSitRightDownandWriteMyselfaLetter)という曲である。愛しい人から自分あての手紙を自分で書こうという切ない曲なのだが♪腰をかけて自分宛に手紙でも書こうそして君からその手紙が来たつもりになろう▼ペリー・コモ(I'mGonnaSitRi...WriteMyselfALetter

  • 石垣復旧の現場

    散歩で週3回は通る熊本城監物櫓(国の重要文化財)を支える石垣の復旧工事が行われている。通る度にしばらく立ち止まって見物するのだが、ここはおそらく熊本地震で崩落した熊本城石垣の中でも最も近くからその復旧工事を見ることができる場所じゃないかと思う。石垣の復旧方法については城内各所に説明板が設置されているのでだいたいのことは理解しているのだが、実際の現場ではそんな簡単にはいかないと思う。いったん解体した後、土の部分を整え、栗石を敷く。今回は樹脂系の補強材を間に何層か敷いていくらしい。築石はナンバリングされているとは言っても元の位置にうまく収まるのだろうか。1日にせいぜい5,6個しか積めないと聞くのでまさに根気のいる工事だ。だが、そんな工事を見ることができるのは今しかないわけで、できるだけ足を運んで見ておきたい。...石垣復旧の現場

  • サツマイモ & いも焼酎

    長嶺でパソコン教室を開いていた頃、習いに来ていたMさんにはいまだにお歳暮として阿蘇西原村産のサツマイモをいただく。ありがたいことだ。今では多くの自治体などで品種改良を重ねたブランドサツマイモが生産されているが、かつてはサツマイモが日本人の命を支えてきた。サツマイモとそれを原料とするいも焼酎のエピソードを二つ。父が天草の大矢野島(現在の上天草市)の上村小学校に赴任した昭和10年頃の様子を記した備忘録によれば、父が受け持ったクラスには40名ほどの生徒がいたが、その4分の3が、弁当に「かんちょ(上天草の言葉でさつま芋のこと)」を持ってきていたと記されている。当時の天草は貧しい地域で、「口減らし」として子守奉公に出されたり、「からゆきさん」として売られていく少女たちもいたという。「かんちょ」は貧しく哀しい当時の人...サツマイモ&いも焼酎

  • 師走の朔日

    今日から師走。ということで朝食にお赤飯をいただいて朔日のお詣りに行った。藤崎八旛宮は摂社・末社の祭事もあり、例月の朔日よりも参拝者で賑わっていた。師走と聞くと、次の芭蕉の句を思い出す。節季候の来れば風雅も師走哉(せきぞろのくればふうがもしはすかな)かつては師走になると「節季で候(せっきでそうろう)めでたいなめでたいな」と囃しながら、家々を回って歩く「門付芸人(かどづけげいにん)」がいたという。明治の半ばには姿を消してしまった門付芸の名残が俗謡「節季候(せきぞろ)」として阿波徳島に残っている。芭蕉の俳句から江戸中期には「せきぞろ」を唄う門付芸人たちがいたということがわかる。そしてその「せきぞろ」が門付芸人たちによって江戸に伝わり、花柳界で洗練されて「せつほんかいな」へと変わっていった。唄の中で囃子詞(はやし...師走の朔日

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