日本国有鉄道にこだわったblogです。 国鉄の歴史その他鉄道の話題で盛りだくさんです。
国鉄というかって存在した組織を徹底的に多方面の角度から検討するサイトです。 姉妹サイトとして、「国鉄があった時代」というサイトも運営しております。 http://freett.com/blackcat_kat/index.html
10系寝台車とその仲間達 昭和のビジネスマンを支えた立役者達
10系寝台車とその仲間達昭和のビジネスマンを支えた立役者達国鉄時代にあって、現在にないものの一つに、夜行列車がありました。現在は、定期的に走る列車とすればサンライズくらいしかありませんが、当時は夜間の非有効時間帯を活用できる列車として、最大限活用されていました。その影の役者と言えるものが、ナハネ10形寝台をはじめとする10系寝台がその基礎を作ったと言えそうです。10系寝台車とその仲間達昭和のビジネスマンを支えた立役者達
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DF50形電気式ディーゼル機関車の話電気式ディーゼル機関車DF50形、第1次5カ年計画の無煙化の一環として投入された機関車で、昭和28年の製造されたDD50の改良版として誕生しました。過給器を設置して20%出力をアップしたほか、0番台が誕生したほぼ同時期に川崎重工が試作したDF40形が採用したMAN形エンジンを正式に採用されることとなり、500番台として0番台と並行して製造されることとなりました。本来なら、別形式でも良かったと思うのですが、その辺の理由は不明です。山陰地区などのように500番台で統一されていたほか、紀勢本線では伝統的にズルザー形が集められていました。紀勢本線全通時からDF50が活躍していましたので、個人的には思い入れが深い機関車の一つです。サムネの画像は、宮前駅付近を通過するDF50で、右...DF50形電気式ディーゼル機関車の話
覚えていますか?有田鉄道の話覚えていますか?有田鉄道の話
覚えていますか?野上鉄道の話かつて、和歌山県の海南市から野上町までを結ぶ地方鉄道がありました。一時期は地元の反対運動もあり廃止は免れたものの、その後は積極的な合理化などが行われないまま、補填金の中止を受けて会社を解散してしまったという鉄道会社があったことを晩年は、かなり会社としても統制が取れていなかったようです。#和歌山#海南市#鉄道#歴史#電車#railway#railwayhistory#昭和#鉄道#交通#地方私鉄#野上電鉄覚えていますか?野上鉄道の話
戦後に製造された一等寝台車達昭和23年にマイネ40形が運用を開始しますが、元々国鉄が計画した車両ではなく、GHQが絡んでいて事でややこしくなってしまいました。最終的に国鉄が購入することとなりますが。その時の理由は外国人観光客向けの専用車両としてと言うことでした。その後製作されるマイネ41はマイネ40の後継のような車両で、区分室はなく開放式寝台が6組設置された定員24名の座席でした。記事では、二等寝台車に統合格下げされるまでも含めてアップしています。#国鉄#歴史#昭和レトロ#railroadhistory#railway#歴史#鉄道#train戦後に製造された一等寝台車達
10系食堂車軽量食堂車オシ17は特急あさかぜ用に計画された?かつては長距離急行列車等に連結されていた、オシ17・オシ16食堂車、いずれも少数の製造に留まるとして、新製では無く改造でまかなわれることになりました。北陸トンネル事故などの話は今回は振れていません、あくまでも誕生時のお話しを中心にさせて貰いました。10系食堂車軽量食堂車オシ17は特急あさかぜ用に計画された?
10系寝台車とその仲間達昭和のビジネスマンを支えた立役者達国鉄時代にあって、現在にないものの一つに、夜行列車がありました。現在は、定期的に走る列車とすればサンライズくらいしかありませんが、当時は夜間の非有効時間帯を活用できる列車として、最大限活用されていました。その影の役者と言えるものが、ナハネ10形寝台をはじめとする10系寝台がその基礎を作ったと言えそうです。10系寝台車とその仲間達昭和のビジネスマンを支えた立役者達
久々に更新させていただきます。はじめに今回も、後藤委員から、一人乗務に関する質問がなされています。動労は一貫して、一人の目よりも二人の目ということで、二人乗務が必要であることを訴えており、後藤委員も同様の趣旨を発言しています。ただし、この二人乗務が必要だと言っている矢先に、機関士の居眠り運転による脱線事故を膳所駅で起こしてしまいます。事故は、昭和43年6月27日の夜に起こったものですが、この事故で特急白鳥が小浜線経由で運転されたという内容(当時の特急白鳥は80系気動車で運転されていた)でした。概要は、事故の詳細は詳細を後で記述します。そして、この時の事故を起こした当事者の弁明もあるのですが、正直ちょっとこれではと思わせる内容ではあります。併せて、別途記述してみたいと思います。とある脱線事故の影響で小浜線を...第59回国会衆議院社会労働委員会第3号昭和43年9月9日第二話
知鉄話スハ43形の話昭和26年から昭和30年までに製造された、戦後に新製されたスハ43、後年製造の車輌は「オ」級に収まったことから、スハ43→オハ46に改番されているほか、オハネ17を製造した際には、種車のTR23とスハ43の台車を振り替えることとなり、自らはオハ47に形式変更されました。スハ43で採用された1470mmのシートピッチは、12系客車が誕生するまでは長らく長距離列車の2等車(普通車)に採用されることとなりました。なお、特急用客車である、スハ44は改めて紹介させていただきます。知鉄話スハ43形の話
どうしてこうなった?国鉄、生産性運動の顛末生産性運動・・・今となっては50年以上前の事と仰るかもしれませんが、現在のSNSによる煽動という世論構築、インターネットのない時代同じ役割をマスコミが担い、その結果として国鉄解体に到るトリガーを引くこととなりました。我々は歴史を正面から見直して正すべき所は正と言うことを実践していかないと言えるのではないでしょうか。生産性運動では、トップのあり方、更にはトップがぶれないこと(胆力の必要性)と言った点、考えさせられる部分は多々有ります。如何せん、私の能力不足故にそこまで踏み込めていませんが、現在の政治を考える上での参考になれば幸いです。どうしてこうなった?国鉄、生産性運動の顛末
新鉄道講座国会審議録にみる、国鉄と国会議事録に見る国鉄と政治について後編新鉄道講座国会審議録にみる、国鉄と国会議事録に見る国鉄と政治について後編
新鉄道講座国会審議録にみる、国鉄と国会議事録に見る国鉄と政治について以前、作成した公園用の記事を基に再編集しました。国会審議議事録を参照しながら、当時の国鉄と政府について言及して行きます。今回は、戦前から昭和35年頃(第一次長期計画前後)までの話を中心に国会審議議事録などの証言を交えながらお話をさせていただきます。新鉄道講座国会審議録にみる、国鉄と国会議事録に見る国鉄と政治について
整備新幹線とは何か?新鉄道歴史講座第4回国鉄再建法と新幹線建設中止整備新幹線とは何か?新鉄道歴史講座第4回国鉄再建法と新幹線建設中止
はじめに、当時の国労と動労の関係を整理しておくと本日から、衆議院社会労働委員会の議事録を参照していきます。社会労働委員会は主に労働運動など社会事象に対する委員会であり、国労・動労の共同歩調によるストライキについて質問がなされることとなります。国労自身は、機関助士反対闘争に関してはどちらかと言えば静観しており、むしろこれを機会に国労に引き込もうとしていた時期でもありました。実際、電車運転士は国労が伝統的に多かったこともあり、機関車から転換教育で電車運転士になった組員に対して、その浸透を図っていた可能性は考えられます。また、動労が革マル幹部であった松崎明氏を中心とした、青年部が力を付け、元々左派的傾向の強かった、政研派は、反戦青年良い会のメンバーで有り、革マル派幹部である松崎氏と近づくこととなりました。政研派...第59回国会衆議院社会労働委員会第3号昭和43年9月9日第一話
1973年3月に起こった、上尾事件とはどんな事件だったのか?上尾事件について、書かせていただこうと思います。ご覧いただければ幸いです。1973年3月に起こった、上尾事件とはどんな事件だったのか?
本日から、生産性運動前に動労を中心に行われた機関助士反対闘争に関する国会審議について見ていこうと思います。機関助士反対闘争が起こった背景には何があったのか、簡単に説明をしていきたいと思います。機関助士反対闘争が起こった背景には、蒸気機関車の廃止も大きく関連してきます。蒸気機関車時代であれば必須であった機関助士ですが、電機機関車となると機関助士の仕事は主に信号確認業務のみとなり、それまでの火夫〈ボイラーマン〉としての業務が無くなるわけで、電機機関車にも機関助士は乗務していたものの、当局としても合理化を図りたいと考えるようになります。国鉄としては1967(昭和42〉年3月31日に各組合に5万人合理化として提案するのが最初であり、ここから動労の機関助士反対闘争がスタートするのでした。当時の流れを弊サイト、国鉄が...第59回国会衆議院社会労働委員会第3号昭和43年9月9日プロローグ
日本国有鉄道史第49話生産性運動と国鉄①生産性運動導入から発展生産性運動とはどういったものだったのか?今改めて考えてみたいと思います。現在の労働運動に足りないものは何か。社会が低迷している理由は何か?色々な要素が有るかと思うのですが・・・・改めて社会問題という視点で深掘りしていきたいと思っています。日本国有鉄道史第49話生産性運動と国鉄①生産性運動導入から発展
今回が新潟闘争後の、不当労働行為に関する質問の最終回になります。詳細は本文を読んでいただくとして、内容を要約すれば。今回の質問は別の議員からも質問書が提出されていることもあり、又労働大臣も出席しての尋問と言うこともあることから、国鉄に対してこうした質問に対してさらなる調査ときちんとした答弁をすることを求めるという異例の苦言が以下のようになされています。このような委員会の大きな問題となり、しかも労働大臣に質問をされた事項については、今後さらに国鉄当局においては事前調査をして、準備周到にして出席をし、議員の質問に的確に答弁されるよう委員長として要求いたします。更に、新潟鉄道管理局長の発言に関しても新潟日報の記事を引き合いに、管理局長が国労を潰すと言った発言を新聞記者の前で発言したことに対しての厳重注意と取れる...昭和33年10月7日第30回国会衆議院社会労働委員会第3号から抜粋第16話
長らく間が開いてしまいましたが、改めてアップさせていただきます。小林議員がかなりお怒りのようで、新潟鉄道管理局の体制を厳しく指摘しています。この状況だけからは、一概に国鉄当局に問題があるように見えるのですが、実際波動であったのでしょうか。この件に関しては、新潟国労の労働運動史料(新潟国労・不屈の30年)もありますので、併せて探求していく予定としています。ただ、新潟闘争以後に組合員が新潟地方労組が結成され、その多くが国労を脱退して、多くの組合員が第二組合である、新潟地方労組に移籍したとされているわけであるが、これに対して小林委員以外にも、石田宥全衆議院議員が、衆議院議長宛に、昭和33年3月24日に「国鉄労働組合新潟地方本部管内の不当労働行為の実態に関する質問主意書」として質問をしていることから、当時のこの問...昭和33年10月7日第30回国会衆議院社会労働委員会第3号から抜粋第15話
長らく空けてしまいましたが、再開したいと思います。今回も小林委員の当局攻撃は収まりません、今回は国労組合員とそうでない組合員に対する露骨な依怙贔屓があるとして、質問をしています。趣旨としては、助役が意図的に、転轍機を反位(本来の方向と異なった方向にすること)にしたり、一部の車輌の連結器を意図的に外していたというもので、勤務評価を下げるために行っていたという指摘です。以下に、該当部分を引用してみたいと思います。それからこれは労働者側の情報なんですよ。いいですか、読み上げますよ。これは二十五日です。これは八月二十五日でしょうな。「朝七時三十分頃、酒田駅構内裏一番コマポイントが列車進入寸前にもかかわらず反対の方向にかえっているのを操車掛が事故発生前に発見ことなきを得た。これは陸羽西線の六三列車着ガマが機関区に入...昭和33年10月7日第30回国会衆議院社会労働委員会第3号から抜粋第14話
本日も、新潟闘争後の組合に対する当局の不当労働行為についての質問が十河総裁に対して行われており、その9話目となります。国労組合員は昇級できない?本件では、昇級の問題が組合で差別されているのでは無いかと言う視点で質問が続けられています。この質問では、第二組合〔新潟地方鉄道労組)に加入したものは全員昇給しているのにも関わらず、国労組合員は昇給の資格を持っているにも関わらず見送られたとして、6名が国労であったので昇給を止められたと発言しています。次になおお伺いいたしたいと思うのでございますが、特に労働者が一番自分の身にこたえてつらいのは、昇給の問題です。給料のストップや停止の問題です。これはこの人たちの終生を支配する重大問題でございますが、こういうようなことが新潟地本において公然と行われておるのでございまして、...昭和33年10月7日第30回国会衆議院社会労働委員会第3号から抜粋第9話
日本国有鉄道史第42話国鉄は日本輸送公社に脱皮せよ国鉄時代のお話ばかりと言われそうですが、単に懐かしんでいるわけでは無く。国鉄時代のお話を通じて、将来の日本のあり方などを検討していくと言うことを考えております。日本国有鉄道史第42話国鉄は日本輸送公社に脱皮せよ
知鉄話関西線の話関西線電化前後の話大阪環状線に関西線が乗り入れ開始知鉄話関西線の話関西線電化前後の話大阪環状線に関西線が乗り入れ開始
久々に更新させていただきます。今回も、社会党の小林進議員の質問となります。小林議員は新潟選出の社会党議員と言うこともあり、新潟闘争と当時の管理局長による職制に対する不当労働行為について厳しく糾弾しています。当時の河村勝局長は、本社の労務畑出身であり、新潟は伝統的に革新系の土地柄ということもあり、特に国労新潟地本は、革同の拠点の一つでもあったことも有るかと思いますが、新潟地本所属の役員を懲戒免職にしたことからこの闘争が始まったことは既に何度か記述してきたところですが、新潟闘争後に管理局長が初級管理者と言える班長に対して、不当労働行為と言えるような、組合への勧誘というのが行われたのかという点が質問されているのですが、可能性は全くなかったのではないかというのが個人としての見解です。組織としては異なりますが、私も...昭和33年10月7日第30回国会衆議院社会労働委員会第3号から抜粋第8話
本日も、衆議院社会労働委員会の記事から抜粋させていただきます。飛び飛びになってしまって読みにくいことこの上ないのですが、ある時期にまとめて電子書籍化などできればとと考えております。さて、今回も十河総裁に対しての質問は続くのですが、小林委員は、十河総裁の国鉄一家主義的発想である、「部下を子供のように愛する」という発言に対して、多少意地悪とも取れる質問をしています。すなわち、「その子供というのは、局長でございますか、働いている末端の組合労働者全般のことでありますか」と言う質問なのですが、こうした質問をされて、局長はかわいいが、現場の従業員は使い捨てだとは言える訳ではないわけですから、中々意地悪な質問のように見えますし、実際にそうであったのであろうと思うわけです。○小林(進)委員わが部下を子供のように愛するとお...昭和33年10月7日第30回国会衆議院社会労働委員会第3号から抜粋第7話
知鉄話日本国有鉄道史第40話みどりの窓口誕生知鉄話日本国有鉄道史第40話みどりの窓口誕生
知鉄話関西線の話関西線に本格的に気動車が導入されたのは何時?知鉄話関西線の話関西線に本格的に気動車が導入されたのは何時?
昨年の8月17日以来の更新になりますのでいささか間が開きすぎてしまったのですが、改めてご覧いただきたいと思います。小林議員からの質問に対して、十河総裁が以下のように質問の内容に相違があるとして返答しているわけですが。どのような内容であったのか改めてここにアップさせていただきます。内容としては、当時の新潟管理局長が新しく管理職に任命をされた分区長に対して、国労新潟地本を潰したいので第2組合を作れと発言した。第2組合を結成できない管理者は降格して貰うと発言しており、新任管理者も困惑したと言った内容でした。国鉄労働組合新潟地方本部の執行委員長相田一男氏が、新潟鉄道管理局長河村勝殿あてに公開質問状を発しておりますので、それを一つ具体的な説明の内容にかえて私は読み上げたいと思う。これによりますと「一、局長としては第...昭和33年10月7日第30回国会衆議院社会労働委員会第3号から抜粋第6話
知鉄話日本国有鉄道史第39話東海道新幹線開業後1ヶ月後の動向国鉄があった時代というサイトと連動しながら、作成しているblogの記事などを動画で紹介するほか、オリジナルの記事、動画なども随時アップしていきますので、よろしくお願い致します。今回は、新幹線開業1ヶ月後の状況として、当時の資料から振り返ります。新幹線開業前は、予約が少なくやきもきした反面、後半からはそのスピ-ドが人気を博し、利用が大幅に伸びました。当時の運賃等も当時の時刻表を確認しながら追記しています。知鉄話日本国有鉄道史第39話東海道新幹線開業後1ヶ月後の動向
「知鉄話」80系電車の後継として計画された。153系準急電車当時の東海道本線は、当時の陸上輸送のほぼ全てを受け持っていて、80系10両編成でも輸送力が不足するとして、新たに増備することが画策されて、101系の足回りに80系電車の室内設備を採用した車両を開発することとなり、153系(設計・導入当初は91系)が誕生しました。ただし、151系の製造時期とも被っていたことから、落成は10月中旬に10両1編成、その後下旬に3両が完成して12両1編成が完成、(1両は予備車)11月1日から東海2号(東京15:05発)にこっそり充当したのが最初だったそうで、151系の華やかな出発式などと比べると非常に地味で、そのまま西下して大垣電車区に到着ということだったようです。新車を受け取ってそのまま、旅客を乗せてタクシーが営業所に...「知鉄話」80系電車の後継として計画された。153系準急電車
国鉄時代の代表ランナー165系電車の話165系電車は昭和38年3月から。上越線・信越本線で運転を開始しました。当初は、山陽本線向けに163系が計画されましたが、将来の転用などの問題もあり、ひとまず増備が急がれていたサロ152に代えてサロ163だけが先行して製造されたものの、最終的には163系電動車ならびに制御車は誕生することはありませんでした。165系は、信越線も11両編成で通過させる予定でしたが、実際には粘着運転時の問題から碓氷峠の通過には旅客は360tの制約が課せられ、電車は8両編成となりました。これが解消するのは、協調運転用の169系が誕生まで待たねばなりませんでした。165系の話、少し長いですが、是非ご覧ください。直流電車#加藤好啓#railwayhistory国鉄時代の代表ランナー165系電車の話
日本国有鉄道研究家加藤好啓が主催する動画チャンネルです。今回も、交通権学会で発表した内容を元に、内容を修正したものをアップしています。国鉄は赤字決算を受けて、行動を開始します。国鉄の中でも最も大きな負担となっていた、地方納付金の減免を自治省に申請しますが、既得権益であるとして減免は認められず。文部省にも同様に、通学定期割引に対する補助を働きかけますがこれも拒否、こうした背景を受けて国鉄は赤字83線として、今後も利用の増加が見込まれない路線の廃止に取り組みますが、引き続き鉄道建設公団への出資という名の建設資金を拠出していました。道路や港湾が国の予算で行われるのであれば、国鉄の地方開発線木にが責任を負うべきだったと思うのですが、こちらも昭和47年度まで拠出しています。さらに、CD線と呼ばれた幹線・都市路線など...日本国有鉄道研究家加藤好啓が主催する動画チャンネルです。
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