Closer To Truth:Deepak Chopra - Vers une science de la conscience 意識の研究で最近注目されているのが、インドの思想であるが、これは、西洋の一人称の主観的な視点に対して、二人称の視点を含む形で、新し
自分が日頃思う現代言語学の納得いかない部分を1つ1つ紹介しようと言うサイトです。
言語の謎に興味をもっていろいろ考えていたら、どうしても、今の言語学に疑問がいっぱい出てきてしまいました。自分は、まじめに考えているつもりなのですが、周りは自分とは違う論理で動いているようです。このギャップを解消したいと常々思っています。
Closer To Truth:Deepak Chopra - Toward a science of conscience。。。
Closer To Truth:Deepak Chopra - Vers une science de la conscience 意識の研究で最近注目されているのが、インドの思想であるが、これは、西洋の一人称の主観的な視点に対して、二人称の視点を含む形で、新し
私は、言語学者としてのソシュールを尊敬しているが、本人が執筆していない「ソシュールの一般言語学講義」と言う本の解釈は、完全に間違っていると思っている。 その筆頭が「記号の恣意性」である。 これが、
言語学はソシュールの記号の恣意性の解釈と言う呪いを解かない限り、科学に昇格する事はないと私は考えているが、言語学者は言語学を科学であると認識しているのだろうか。 フランスだと言語学は「人間科学」と言
生物学では、植物も動物も、四種類の塩基で構成される遺伝子構造を持っている同じ生命体である事が分かっている。 これに対して言語学では、手話と音声言語のどちらも同じ自然言語であると言う扱いになっているの
「ソシュールの一般言語学講義」の中に出てくる「記号の恣意性」の解釈に関して私は一つ疑問がある。 「記号の恣意性」が手話には適用できないという事が分かった時点で、何故、この解釈が間違っていると言語学者
私は、闇雲に「記号の恣意性」の批判をしている訳ではない。 全てに具体的な根拠がある。 また、全ての出発点になったのが、ソシュールの「言語には、正の項が無く、差異しか無い」と言う命題である。 「ソ
私のラスボスは「進化する自己記憶の存在論」であるが、現在、私が直面する言語学における最大の敵は「ソシュールの記号の恣意性」の誤った解釈であると考えている。 この解釈の上に成立している現在の言語学は、
私のブログの現在のタイトルは「言語学を越えて」であるが、2009年に始めた時は「言語学の嘘」だった。 ソシュールの「言語には、正の項が無く、差異しか無い」と言う命題を追求する事によって、私には、別の現実
私は、言語学者としてのソシュールを尊敬しているが、本人が執筆していない「ソシュールの一般言語学講義」と言う本の解釈は、完全に間違っていると思っている。 その筆頭が「記号の恣意性」である。 これが、
「ソシュールの記号の恣意性はナンセンスだ」と私が叫んでも、中世ヨーロッパで地動説を提唱したガリレオが宗教裁判にかけられたような弾圧を言語学界から受ける事はないだろう。 只、同じ考えを持つ同士が、殆ど
私が「記号の恣意性」が完全なナンセンスであると考えるのは、其々独立した二層の価値体系である記号の特定の知覚運動チャンネルへの特化と言う過程を考慮せずに、この特化によって成立する二つのタイプの自然言語の
私が考える言語が誕生する過程は、先ず、人類に共通な言語を発明及び習得出来るメカニズムがあり、それが、特定の知覚運動チャンネルに特化して手話と音声言語と言う二つの異なるタイプの自然言語に分化すると言うも
私は、宇宙と言語の誕生は、全く同じメカニズムによると考えている。 それは「混沌からの離散化」であり、どちらも、情報が展開する離散的な空間が確立される。 宇宙の場合の情報は、原子が基本であるし、言語
価値というのは、自己同一性を確立する為に常に自己相似性の更新を行なっている。 だから価値は一定ではなく、どんどん変化して行く。 其々独立した二層の価値体系である記号が胚となって構成されている言語が
ソシュールの一般言語学において、意味とは価値である。 また、音素も同様に価値である。 これら二つの価値がソシュールの記号を構成するのだが、この原型になるのが認知的な記憶の蓄積が形成する混沌である。
私が「三つの人称」が、チョムスキーの探していた普遍文法であると考えるのは、この「相互に交換可能な入れ子構造を持つ三つの文法的カテゴリー」の持つ二つの機能を発見したからである。 一つ目は、ソシュールが
西洋に限らないが、一般的に、科学と宗教を統合出来ないのは、言語のメカニズムを知らないからだと私は思っている。 我々が、神のような存在を考え付くのは、言語のお陰である。 だから、言語の本質が理解でき
人類と生命の他の全ての種を隔てるもの、それは「言語」である。 その生命の誕生も、その前に起きたであろう宇宙の誕生から、全て何かによって仕組まれた宇宙の進化の過程だとしたら、言語が誕生したメカニズムを
ランガージュからパロールが生まれる過程の研究が言語学の王道である。。。
ソシュールの提唱した「ランガージュ/ラング/パロール」という区分だが、私は言語学の研究対象はラングではなくパロールにすべきだと考える。 個々人のパロールが集まって社会的なラングという形で構成されると
ロボマインド:567.『幻覚の脳科学』-見てしまう人びと- オリヴァー・サックス ロボマインドプロジェクトの田方さんと私とは、多分、ずっと平行線のまま行くのだろうと思うのだが、彼の研究の方向性は間違って
私が提唱する「進化する自己記憶の存在論」は、ソシュールの記号の「古くて新しい解釈」が土台になっているのだが、其々独立した二層の価値体系という場合、何故、価値体系は二層になるのか、また価値が体系を進化さ
今「新世紀エヴァンゲリオン」の最後の映画を視聴しているのだが、主人公のシンジと彼の父との確執みたいなものを見せられている。 私はというと、農学部の先生だった父の姿を常に追い求めていたのかも知れない。
唯物論者も唯心論者も、どちらも正しい。 何故なら、どちらも「進化する自己記憶」が確立する「離散的な時空間」の中で議論をしているから。 ところが唯物論と唯心論の間に、実はもう一つの「離散的な時空間」
久しぶりにフレデリック・バックのアニメ「木を植えた男」を見た。 今回、面白かったのが、仏語のナレーションの単純過去の一人称複数形がすんなりと頭に入ってきた事。 単純過去を特定の動詞の活用形の一つ
私が手話の研究をする上で一番重要視したのは、常に研究対象である手話と一定の距離を保つ事だった。 これは、今現在、研究対象としているイタリア語でも実践している。 だからイタリア語での会話練習は全くし
「metaphysics(形而上学)」と言うのは、西洋哲学の伝統である。 私が提唱する「進化する自己記憶の存在論」は、形而上学を超える学問になる可能性があるのだが、私は西洋哲学の素養が無い上に、全く興味を感じ
「進化する自己記憶」というのは、自己同一性を確立し進化させる、つまり自己組織化をしながら自己同一性を維持しようとする自己相似性である。
進化する自己記憶の存在論は、唯物論と唯心論の共通言語となる。。。
現在「Consciousness(意識)」に関する議論が世界中で盛り上がっているが、意識と言語の関係は全く論じられていない。 我々は言語によって、所謂「一人称の視点である主観」を獲得するのだが「動的な入れ子構造
特定の言語の知識や文法を研究する事を、私は否定しているのではない。 先ず、言語に関する知識を深める事は、社会的に重要があると思う。 しかし文法に関しては、今後、外国人の為の学習文法に関して大きく書
私が30年間前に、ソシュールの「言語には、正の項が無く、差異しか無い」という命題の研究を始めて、最終的に辿り着いた結論は、言語学をするのに、ソシュールの「ラング(言語)」を研究対象としてはいけないという
結局の所、言語学が進まないのは、人類の個体であるヒトならば、誰でも、特別な訓練無しに、既存の言語を習得出来ると言う事が最大の原因である。 言語学者の役目は、人類が言語を使える様な技術を開発する事では
「知恵の実の実際の作用を可視化してくれる」ソシュールの命題。。。
今から思うと、ソシュールの「言語には、正の項が無く、差異しか無い」と言う命題は、「知恵の実」だったのだと思う。 私は、これを研究対象とした事で、言語の本質だけでなく、人間の本質を知ったからである。
私は最近、ソシュールの一般言語学の研究対象は、ラングではなくパロールであるという結論に達したのだが、では「ランガージュ」に関してはどうしよう。 今、ウィキを見たら、「ソシュールにおいてランガージュと
私は何度も、自分は言語の本質を知っていると言っているが、人間の本質を知っていると言う方が正しい。 我々は、人類と言う種の個体であるヒトとして生まれ、人間社会の一員として生活しながら認知主体としての意
百年以上もの間、ソシュールの一般言語学の間違った解釈が世界中に拡散されてしまい、今でも、全く修正される事なく、ネット上でも、言語学の基礎として多くの動画が日々拡散されている現状を見ると、絶望感が深くな
少し前に、本来、ソシュールの一般言語学で研究対象とするのは、パロールであってラングではないと言う事に気が付いた。 ランガージュ、ラング、そしてパロールに関して、私は「ソシュールの一般言語学講義」の記
30年前にフランスに来立ての頃、フランスでは認知科学が盛んだった。 その時「Pragmatics(語用論)」という分野を知ったのだが、当時から私は認知科学は心理学から派生した学問であり、言語の本質を理解するのに
TBS CROSS DIG with Bloomberg:【鳥の言葉が分かる“天才”東大准教授】動物言語学者・鈴木俊貴/鳥にも文法がある/シジュウカラの「ジャージャー」はヘビ!?/「言葉は人間だけ」と決めつけない思考法 この場合
英語圏で「Consciousness(意識)」と言うと、別の表現として「Awareness」と言うのが出てくる。 「Consciousness」は、多くの場合、人間の主観を支える自己意識に、「Awareness」の場合は、知覚に支えられた認知
近代言語学が「ソシュールの一般言語学講義」に記述されている「記号の恣意性」の誤解、さらに曲解から始まったと考えると、これを修正する為に、どこから手を付けていいのか分からなくなる。 それに、私が注目し
conscience, awareness and existence。。。
Big Think:The Hard Problem of Consciousness Annaka Harris 多くの意識の科学者は、人間の主観を支える自己意識がデフォルトになるのだが、Harris 氏は外界を知覚的に経験する認知的な意識に絞っているらし
私の提唱する「ソシュールの記号」の定義は、其々独立した二層の価値体系であるシニフィアン(記号の形態の側面)とシニフィエ(記号の概念の側面)の其々の特定の座標同士が一致する所に成立するもので、シニフィア
率直に言って、現在、言語学と言われているものは、基本的に文法学でしかない。 言語の本質を、(多分)全ての言語学者が理解していない。 この為、例えば、言語の起源の考察は完全に的外れである。 カトリ
Intelligence と Consciousness の分離の重要性。。。
Google DeepMind:Conscience, raisonnement et philosophie de l'IA avec Murray Shanahan 人工知能(AI)に関する議論の最大の問題点は、人間の中に同居している「認知主体が発揮する Intelligence」と「自己
人類が最初に発した言葉は何であったのかと言う問いが、如何にナンセンスであるかを説明しようと思うが、言語学者は、この様なナンセンスに全く気づかずに、今までずっと来たし、これからも、ずっと繰り返して行くの
私は、ソシュールの「言語には、差異しか無い」という命題の考察を自分の研究の出発点にしているが、最初に注目したのが「音声言語の音韻体系を構成する音素を弁別する為の聴覚的な記憶操作であるミニマルペア」であ
Closer To Truth:Philip Goff - Consciousness and Ultimate Reality? 私が「Panpsychism(汎心論)」を知ったのは、Goff 氏の動画だったと思う。 当時は、非常に面白い考えであると思ったのだが、今は、中途
言語の起源に関して私と同じ考えを持っている人は、この世に存在しないと言う事をデフォルトとして認識する事にした。 私は30年もの間、自分だけで研究を続けてきたが、同じ事を同じ様に実行して来た人がいるとは
歴史学者・哲学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏による最新刊『NEXUS 情報の人類史(上・人間のネットワーク/下・AI革命)』の「プロローグ」全文 ハラリ氏は人間が扱う情報自体がどうして生まれたのかを説明してい
記号のシニフィエである概念が、主語/目的語/述語と言う三つのカテゴリーと三つの人称と言う、二組の動的な入れ子構造を通す事より、発話の特定の文脈に変換される事になる。 この際、記号のシニフィアンが、そ
私が文字で書かれたコーパスを研究対象から除外する迄の話。。。
私は30年程前に、ソシュールの「言語には、差異しか無い」と言う命題に出会い、これに、とことん拘って、今迄、自分独りで研究を続けて来たが、どうやら、私以外に同じテーマで研究している人がいないと言う事に、最
私が「対称性バイアス」と言う概念を知ったのは、今井むつみ・秋田喜美共著の「言語の本質」であるが、これは。私が提唱する記号の概念と、とてもシンクロする。 とは言っても、この概念は、元々は、ソシュール自
現在、言語学を学んだり教えている人達で、自分達が「言語の本質」を知っていると思っている人はいるのだろうか。 でも、知らなくても全く問題はない。 言語の本質を知っている人は「私」以外に誰もいないので
昨日、音声言語の音韻体系と文法一般が、二層の独立した価値体系である記号と文法的な三つの人称の確立と平行して構築されていく過程を考察していたのだが、少なくとも人類の黎明期において、記号が視覚身振りチャン
言語の話になると、大体「世界中には何千の言語が存在する」という話になるし、チョムスキーは「言語を使えば無限に意味の違う文を作る事が出来る」という。 つまり「言語や意味の多様性」に関心が集まっているの
FR Anil Seth – L'histoire et l'avenir des études sur la conscience。。。
Closer To Truth:Anil Seth - The History & Future of Consciousness Studies 最初から、デカルトが近代の意識の科学の出発点であると定義する事で、意識の研究は既に完全な袋小路に入っているのだが、現在の西
ユヴァル・ノア・ハラリが情報の未来をアップデート The Big Interview WIRED Japan 私は「情報」ではなく「記憶」という用語を使う。 例えば、所謂、プロパガンダは「情報操作」を通じて行われる「集団的
言語学の最大の問題は、何の苦労もせずに言語を使える様になった人達が、自分だけに分かる言語学を論じている事だと思う。 私の知る限り、ソシュールの「記号の恣意性」を疑問視する動きは、もう一つの自然言語で
私の人生の選択で最良の選択が、日本の大学で外国語学部や言語学部を専攻しなかった事。 その代わり、大学では経済学部を専攻し、卒業後は素材メーカーに就職したが、4年余りで退職してフランスに言語学をする為
「神の視点」は、日本の神道の「八百万の神々の視点」に通じる。。。
Closer To Truth:Edward Wierenga - What Does it Feel Like to be God? 「神になることはどんな感じでか?」というタイトルに惹かれて視聴してみた。 私は「進化する自己記憶の視点」を「神の視点」であると
私は日本語を話すが、何故、私以外の人も同じ日本語を話す事ができるのかと言うと問いを私は自問し続けている。 同じ言語を話すと言う事は、同じ言語の形態と概念を共有すると言う事であるが、言語の形態と概念と
私は、言語が「混沌からの離散化」によってデジタル情報を扱っていると考えている。 これに対して、コンピュータによる言語と意識の再現をしようとしている人工知能も同じくデジタル情報を扱っている。 私の考
「ソシュールの一般言語学講義」を読み込んで、言語学をしていると考えている言語学者は、一度、立ち止まって考えて欲しいと思う。 この本は、ソシュールの名を付けられているが、ソシュールが直接書いた本ではな
まだ気が早いかもしれないが、私の「ソシュールの差異」の研究が行き着く先が見えてきた気がする。 只、今、私が認識している世界を、ソシュールも見ていたのかは分からない。 しかしソシュールは。少なくとも
ソシュールの記号の私の定義: 記号とは、言語の形態と概念に対応する其々が独立した二層の価値体系であるが、其々を構成する無数の価値の間に存在する「違うけど同じ/同じだけど違う」と言う相互関係によって生
我々人間の人格と言う価値体系は、何が無意識のうちに記憶から喚起されるかで決まっていく。 認知主体が発揮する知能は、連想と言う試行錯誤的な記憶喚起を繰り返すことによって洗練されていく。 知能は、認知
私は「万物の理論」として「進化する自己記憶の存在論」を提唱するが、私が最初に「記憶」と言う概念に注目したきっかけは、異なる知覚運動チャンネルに特化して確立した音声言語と手話の共通点を探そうとした事であ
Closer To Truth:Liad Mudrik - L'IA peut-elle devenir consciente ? 人工知能が「Consciousness(意識)」を持つかどうかを確かめる方法についての議論があるという。 昔の「チューリング・テスト」を、現
言語学者を筆頭に、哲学者も科学者一般も、言語の謎の解明を既に諦めてしまっている印象を受ける。 私も始めから、言語の謎を解明できると思っていた訳ではない。 ソシュールの「言語には、正の項が無く、差異
カンボジア出身の監督Rithy Panh氏の映画「Le papier ne peut pas envelopper la braise」の中で体を売ったカンボジア女性がお札を数えるのを見て、価値と数との関係について閃きがあった。 価値は、動的な入れ
言語によるコミュニケーションとは、共通の概念に支えられた共通の文脈を共有する事。 ソシュールの記号には、単独で存在可能な概念はあるが、そのままでは、コミュニケーションに不可欠な文脈を構築する事は出来
何年か前、ある友人に「(佐藤さんは)宇宙人👽」と言われた事があるのだが、自分でも、最近そう思う。 言語の本質を知る事で、宇宙の本質も見え隠れするようになってきたのだが、どうもこうも、他の人達とのズレ
今、新しい音韻体系の表記方法を考えている。 それは、音素が単位であるという前提の下に成立している国際音声記号(IPA)とは、全く違うものになる。 候補として挙がっているのは、日本語の五十音表形式であ
Closer To Truth:Deepak Chopra - Pourquoi la philosophie des sciences ? 動画の最後だけを視聴した。 西洋では「主観と客観」という視点で捉えているとし、インドでは「主観と客観は、一つである」とする
宇宙のあらゆる存在を確固たるものにしているのは、自己同一性の維持である。 例えば、元素は電荷によって確立される自己同一性によって種類が分けられている。 自己同一性が元素を作るが、それは、進化する
ソシュールの記号の定義で「二重の価値体系」と言う表現を使ったが、二重と言う用語は、マルチネの「二重分節」と言う用語に使われていて、紛らわしいと思うので「二層の価値体系」に変えようと思う。 特に、二重
私の提唱する「進化する自己記憶の存在論」は、ソシュールの記号のシニフィアン/シニフィエと言う二重構造を基本構造として採用している。 ただし、私の記号の定義は「其々独立した二重の価値体系」であり、其々
西洋哲学の「idealism(唯心論/観念論)」の最大の問題。。。
西洋哲学の「idealism(唯心論/観念論)」の最大の問題は、自己記憶の進化の三層目の離散的な時空、つまり「言語意味的な時空」しかカバーしていない点である。 これは、デカルトの「我思う故に、我あり」を「co
昨日、日本人が何にでも八百万の神を見るのは、そこに価値を見出しているのかもしれないと思ったのだが、価値と言うのは、自己同一性のバリエーションと言えるかもしれない。 自己同一性の正体は、自己同一性を維
「言語には、正の項がなく、差異しかない」と言うソシュールの命題。。。
手話と音声言語が、両方とも「人間が発明し習得している自然言語」であると言う事実に拘って現在に至るが、これ以外にも私が拘って来た事がある。 それは「言語には、正の項がなく、差異しかない」と言うソシュー
チョムスキーが一生かかっても見つけられなかった「普遍文法」が、「動的の入れ子構造を持つ三種類の人称」であると言う結論に達したのだが、どうやら、これで「意味論」が解決出来そうである。 言語的な意味は、
Closer To Truth:Keith Ward - Can Many Religions All Be True? 一人称の主観を、二人称の対象に投影すると、擬人化された神(神々)が生まれる。 これに対して仏教は、二人称の対象として仏陀を置くが、そ
「Consciousness(意識)」の研究に於ける最大の問題は認知的な意識と人間の自己意識の分離が行われていない事。 この為、一般的にクオリアと言うと、知覚によって誘発される認知の待ち受け状態である意識と言語
いのほた言語学チャンネル:今井むつみさんの研究者として始まり秘話・学生時代-。。。
いのほた言語学チャンネル:今井むつみさんの研究者として始まり秘話・学生時代---今井むつみさん登場!! このチャンネルは、結構面白いので時々視聴しているのだが、今井むつみ先生が直接登場している動画が流
「言語学が人類を救う」と、最近本気で考え始めた。 只、現在、言語学と称されているものは、これには該当しない。 認知言語学も、元々は心理学から派生した認知科学が母体であり、これも除外される。 では
William Dozier:Pourquoi devriez-vous lire NEXUS de Yuval Noah Harari この動画で、ハラリ氏の本「Nexus」の表紙に鳩の絵がある理由を知れたのは面白かった。 でも私は、我々人間が扱う情報や情報網の事
現代言語学は、ソシュール本人が著していない「ソシュールの一般言語学講義」に記載されていた「記号の恣意性」の誤解によって始まった。 当時の言語学者は、音声言語こそが言語学の正当な研究対象であると考えて
いのほた言語学チャンネル:ベストセラー本、今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』を語ってみました。【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル 第141回 】 この動画内で「サピア・ウォーフ的議論=言語が思考
Closer To Truth:Galen Strawson - Anything Non-physical About the Mind? 以前から疑問に思っていたのだが、何故、西洋では「Ideallism(唯心論)」と「Materialism(唯物論)」の二元論に分かれてしまうの
ソシュールの「言語には、正の項が無く、差異しか無い」という命題が私の研究の出発点になっているが、私は、これを単なる観察の結果ではなく、言語的な差異がどうやって成立するのか、その原理を知りたいと思った。
デジタル情報の三段階のアップグレード: 物理化学的な時空が、3+1次元だとすると、4次元だとして、生物知能的な時空と言語意味的な時空を通すと、4x4x 4 で64次元になるのか?
いま、ふと思ったのだが、普通の人が、私の投稿やブログを読んだら、きっと、まるで中世の錬金術師の様だと思われるかも知れない。 自分の中では、全て整合性が取れているのだが、時々、自分でも、突拍子が無いな
知覚は、物理化学的な記憶の蓄積によって生じる混沌から離散化が発動する事によって、新しい離散的な時空が確立される事で成立する。 これは、所謂「クオリア」であるが、この段階では、言語が確立していない「認
概念と文脈は、どちらも同じ動的な入れ子構造によって成立して、意味の確立に貢献する。 文脈は先ず、大きく人称と時間感覚に分けられるが、ただし、ピダハン語の場合、人称だけで時間感覚は無いと考えられる。
デジタル情報とコンプレックス系折り紙のバージョンアップ。。。
意識や言語の研究で脳科学が使えないと、私が考えているのは、脳内で伝達される記憶を物理的なデジタル情報と見做しているからである。 進化する自己記憶の存在論では、自己記憶の進化の過程でデジタル情報は三層
チョムスキーが普遍文法の最後の候補として提唱した「再帰性」は、ピダハン語研究のエヴェレット氏の論文によって否定された。 あなたがチョムスキーの生成文法の信者で、全ての言語に普遍文法が存在すると考えて
対称性バイアスとラデイカルな恣意性は、どちらも、其々独立した二重の価値体系である記号の特徴を表したものであるが、問題は、ここから。 何故、記号の其々の価値体系であるシニフィアンとシニフィエの特定の座
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Closer To Truth:Deepak Chopra - Vers une science de la conscience 意識の研究で最近注目されているのが、インドの思想であるが、これは、西洋の一人称の主観的な視点に対して、二人称の視点を含む形で、新し
私は、言語学者としてのソシュールを尊敬しているが、本人が執筆していない「ソシュールの一般言語学講義」と言う本の解釈は、完全に間違っていると思っている。 その筆頭が「記号の恣意性」である。 これが、
言語学はソシュールの記号の恣意性の解釈と言う呪いを解かない限り、科学に昇格する事はないと私は考えているが、言語学者は言語学を科学であると認識しているのだろうか。 フランスだと言語学は「人間科学」と言
生物学では、植物も動物も、四種類の塩基で構成される遺伝子構造を持っている同じ生命体である事が分かっている。 これに対して言語学では、手話と音声言語のどちらも同じ自然言語であると言う扱いになっているの
「ソシュールの一般言語学講義」の中に出てくる「記号の恣意性」の解釈に関して私は一つ疑問がある。 「記号の恣意性」が手話には適用できないという事が分かった時点で、何故、この解釈が間違っていると言語学者
私は、闇雲に「記号の恣意性」の批判をしている訳ではない。 全てに具体的な根拠がある。 また、全ての出発点になったのが、ソシュールの「言語には、正の項が無く、差異しか無い」と言う命題である。 「ソ
私のラスボスは「進化する自己記憶の存在論」であるが、現在、私が直面する言語学における最大の敵は「ソシュールの記号の恣意性」の誤った解釈であると考えている。 この解釈の上に成立している現在の言語学は、
私のブログの現在のタイトルは「言語学を越えて」であるが、2009年に始めた時は「言語学の嘘」だった。 ソシュールの「言語には、正の項が無く、差異しか無い」と言う命題を追求する事によって、私には、別の現実
私は、言語学者としてのソシュールを尊敬しているが、本人が執筆していない「ソシュールの一般言語学講義」と言う本の解釈は、完全に間違っていると思っている。 その筆頭が「記号の恣意性」である。 これが、
「ソシュールの記号の恣意性はナンセンスだ」と私が叫んでも、中世ヨーロッパで地動説を提唱したガリレオが宗教裁判にかけられたような弾圧を言語学界から受ける事はないだろう。 只、同じ考えを持つ同士が、殆ど
私が「記号の恣意性」が完全なナンセンスであると考えるのは、其々独立した二層の価値体系である記号の特定の知覚運動チャンネルへの特化と言う過程を考慮せずに、この特化によって成立する二つのタイプの自然言語の
私が考える言語が誕生する過程は、先ず、人類に共通な言語を発明及び習得出来るメカニズムがあり、それが、特定の知覚運動チャンネルに特化して手話と音声言語と言う二つの異なるタイプの自然言語に分化すると言うも
私は、宇宙と言語の誕生は、全く同じメカニズムによると考えている。 それは「混沌からの離散化」であり、どちらも、情報が展開する離散的な空間が確立される。 宇宙の場合の情報は、原子が基本であるし、言語
価値というのは、自己同一性を確立する為に常に自己相似性の更新を行なっている。 だから価値は一定ではなく、どんどん変化して行く。 其々独立した二層の価値体系である記号が胚となって構成されている言語が
ソシュールの一般言語学において、意味とは価値である。 また、音素も同様に価値である。 これら二つの価値がソシュールの記号を構成するのだが、この原型になるのが認知的な記憶の蓄積が形成する混沌である。
私が「三つの人称」が、チョムスキーの探していた普遍文法であると考えるのは、この「相互に交換可能な入れ子構造を持つ三つの文法的カテゴリー」の持つ二つの機能を発見したからである。 一つ目は、ソシュールが
西洋に限らないが、一般的に、科学と宗教を統合出来ないのは、言語のメカニズムを知らないからだと私は思っている。 我々が、神のような存在を考え付くのは、言語のお陰である。 だから、言語の本質が理解でき
人類と生命の他の全ての種を隔てるもの、それは「言語」である。 その生命の誕生も、その前に起きたであろう宇宙の誕生から、全て何かによって仕組まれた宇宙の進化の過程だとしたら、言語が誕生したメカニズムを
ソシュールの提唱した「ランガージュ/ラング/パロール」という区分だが、私は言語学の研究対象はラングではなくパロールにすべきだと考える。 個々人のパロールが集まって社会的なラングという形で構成されると
ロボマインド:567.『幻覚の脳科学』-見てしまう人びと- オリヴァー・サックス ロボマインドプロジェクトの田方さんと私とは、多分、ずっと平行線のまま行くのだろうと思うのだが、彼の研究の方向性は間違って
私は、哲学者というのは頭の回転が良すぎる人だと思うが、彼らに絶対的に足りないのは、言語の真のメカニズムの理解である。 だから、宇宙や存在や人間に関して考え過ぎてしまって真実が見えなくなっている。
私の研究が言語学のコンテクストから外れてしまった事は数年前に自覚したのだが、同じ事を哲学にも言えると認識できてしまって結構落ち込んでいる。 デカルトの「我思う故に我あり」が言語学と哲学の発展を妨げて
哲学も言語学もどうやら、人間の持つ「一人称の主観的な視点」がデフォルトとなっている様である。 私は、ソシュールの「言語には差異しか無い」という命題を記号のシニフィアンにも適用する事を通して、この「主
Kastrup 氏の分析的観念論が、どうもしっくりと来なくて悶々としているのと西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」の動画が流れてきた。 この短い論文を読んだ事はあるのだが、哲学の素養の無い私には、理解出来なか
Bernardo Kastrup 氏の哲学理論に関する動画を最近、結構な数、視聴しているのだが、どうもしっくり来ない。 私は、この宇宙を構成する存在を、三層の離散的な時空間に分けて考えているのだが、彼の場合、その内
私は30年近くも、たった一人で、言語に関する研究を続けてきて、現在では、意識や宇宙に関係する理論にまで発展しているのだが、世間では誰も注目していないし、全く期待されていない言語のメカニズムの解明を出発
Mark Vernon :The Speed of Gravity. A conversation with Rupert Sheldrake 「重力には速度が無い」、つまり、空間に存在する距離を無視して瞬時に働くのだが、物理学者は、これを認めないのだと言う事らしい。
Closer To Truth:Henry Stapp - How is the Cosmos Constructed? 量子力学の専門家 Henry Stapp 氏のインタビュー動画。 量子力学の世界は、瞬間的に起こる「discrete events(離散事象)」で構成され、また
この新しい視点は宇宙の誕生のきっかけとなった「波動で満たされ、何も存在出来ない混沌の中で、自らの自己同一性を確認しようとして生まれた心」の成長の過程、つまり「自己存在、次に自己意志、そして自己意識の確
西洋の哲学者は、一般的に、フランスの哲学者デカルトの「我、思う故に我あり」と言う命題が絶対的に正しいと考えて、自分自身の主観的な視点をデフォルトとして哲学的な思索をしようとしているようだが、今後、科学
また寝てる間、夢も含めてずっと考えていた。 「混沌からの離散化」についてだが、単純に混沌が離散化するのではない。 混沌は常にベースにあり、そこに「離散分裂(再)融合更新循環サイクル」と言う宇宙のあ
この宇宙には基本的に三種類の存在があるが、どれも「混沌からの離散化」という動的なメカニズムによって誕生、維持、更に進化している。 この三種類の存在を、言語を操る人間の視点からとらえようとするのが「Re
言語のメカニズムを解明しないままで哲学するのは、いつまで経っても堂々巡りで出口が見えないと私は考える。 それでも西洋の哲学者達は、西洋の哲学的な伝統に沿って、今の時代を代表する哲学者として歴史に名を
ソシュールの「言語には差異しか無い」を拡大解釈すると「宇宙には差異しか無い」になる。 これは、宇宙と言う物質が天体を作り活動する物理化学的な時空間と、人間が様々な概念を操って思考をしながら自己同一性
重力には速度という概念が適用できない。 全てが同時に起きるから。 もしかしたら、これが「離散分裂(再)融合更新循環サイクル」を可能にしている。 離散分裂という過程は、記憶という形で実現し、(再)
ソシュールの「言語には差異しか無い」と言う命題には、実は「sans terme positif(ポシティブな項が無く)」と言う短い補足的な表限がある。 これを「数学的にプラスの項が無い」と解釈すると、「自然数の様な離
ゆる哲学ラジオ : 哲学vs物理学の大ゲンカ。「現象」って何? #70 ソシュールの記号から始まった私の研究が、所謂「言語学」の範疇に収まらない事が分かり、一時期、結構視聴していた「ゆる言語学ラジオ」を、殆
私は、イタリア語の会話の経験をせずに、イタリア語を聴いて理解する事が出来るのかの実験をしているのだが、イタリア語の動画の聞き流しをしながら、何が記号のシニフィアンとシニフィエを繋ぐのかを考えている。
混沌からの離散化を促す「離散分裂(再)融合更新循環サイクル」と言う自己同一性の進化の動的なメカニズムが、この宇宙の摂理である。 これを知っているのは、現在、多分、世界中で私だけだと思う。 私が間違
知覚及び認知的な記憶の誕生に、言語における記号と同じ入れ子構造が関係している考えている。 只、私はソシュールの記号の定義を少し変えて「二層を成す価値体系」とし、記号ではなく「記憶子」という用語に変更