世界芸術遺産作家(陶芸)卒寿記念「金田充夫の世界展」を愛知県名古屋市中区の「ギャラリー彩」にて開催。■開催期間:2024年3月13日(水)~3月22日(金) [3月18日(月)休館] 11:00~18:00[最終日は16:00閉館]■場所 :ギャラ
世界芸術遺産作家(陶芸)卒寿記念「金田充夫の世界展」を愛知県名古屋市中区の「ギャラリー彩」にて開催。■開催期間:2024年3月13日(水)~3月22日(金) [3月18日(月)休館] 11:00~18:00[最終日は16:00閉館]■場所 :ギャラ
陶芸家 金田充夫(かねだみつお/Mitsuo Kaneda) 作窯変茶碗 「繚乱」(ようへんちゃわん 「りょうらん」)乱れ咲く花園の香り立つ窯変美、陶史にない奇跡の作品1934年愛知県生まれ 1976年に染色技術者から陶芸に転身独学で、化学知識を基に、一つの釉
春は桜に酔い 夏は水に遊び秋は紅葉を歩き 冬は白銀に跳ねる日本は自然に恵まれた国、人間は自然の中の一員自然と仲良くなることが幸せの土台窯が色を作り、絵を描く窯変の技法で四季を再現しました人の手を離れ窯が作る作品には喜びがあって、癒し
生きている時は楽しくなけりゃ、だが、先ずは苦難を味わってからでないとできないこと。命が保たれているのは自然の力によるもの。自然から色々な生き物の色々な生き方を観て色々の人の生き方を見て自分の生き方の参考にする。人それぞれ 自分は自分で
自分さえ良ければは差別を生み争いをつくる。人はそれぞれが自分であり、自分だけが自分ではない。世の中は自分の集合体である。皆んなに良いものが善であり害となるものが悪であるという共通の認識を持つことが平和な社会を作ることで、一人よがりは
親身になって相談できる人が居ないと、優しく近寄ってくる邪心の人に騙され相手の罠にはまり蟻地獄に落ちどこまでも利用され、その世界から抜け出すことが困難になる。洗脳された心を戻すことは至難の業であり本人が気付いて心を入れ替えない限りそこから抜
確かなものが分からないから何かを頼らないと生きてゆけない。無知だと付け込まれうまい話にころりと騙されてその一生を省みることなく無駄にしてしまう。広い知識を習得し多面的に物を見る力を身につけて一つの事に迷わされないようにして洗脳されない
元来、人間は善と悪の両方を持ち合わせており理性を働かせて何とか善人を保っているが時として悪に傾くことがある。清く正しく美しくが人間本来あるべき姿であり美はその純粋さが心を癒し人を救う万人に通じる力がある。美に国境なし、美しい心を尊ぶ人を増
脱サラし 陶芸を始め 一人道を貫き 作品発表を続け 八十才を過ぎて 芸術界で認められるようになる。一釉で七色を出す前史にない焼き物を作り上げ誰も観たことの無い世界を観ることができ苦しかったことの多い人生であったが総てが喜びの基となり いい人
九十才になったら運転免許を返納する。外出が難しくなり健康にと続けてきた畑仕事も出来なくなり後は家で陶芸に専念することになる。自然との触れ合いも少なくなり気分転換の機会も減って気力が落ちて来るので残念に思うがそろそろ人生の店仕舞い。
美しいものを作って見る人を幸せにする。自然美に優る美はなくその自然美を陶芸で再現させる窯変の技法を開発して作品を制作できたことは作者として最高の仕事であり名誉なことである。自然に生かされている人間にとって自然と同調して生きることはこ
悩み苦しんでいる人を安心させ救うのが本来の宗教の役割。騙して不安を煽り金銭を巻き上げるのも宗教としてはびこっている。両者はその手法は洗脳でその後どう扱うかで善にも悪にもなる。己の出世のためには悪とも手を組む権力者、権力者を取り込ん
陶芸家 金田充夫(かねだみつお/Mitsuo Kaneda) 作窯変紅葉茶碗 「七彩」(ようへんこうようちゃわん 「しちさい」)幸せの青い鳥の羽ばたく姿が器の見込みに浮かび上がった奇跡の作品1934年愛知県生まれ 1976年に染色技術者から陶芸に転身独学で、化
何か動いた何者なんだどうしてなんだ人間は者を知りたがる生きもの。いつも色々なものに出会いそこに疑問を持ちその原因を探ろうとする。ものの発展はそこから始まる。誰も知らないことを見つけることは楽しい。生きる面白さは新たな世界をそこに
生まれた時、無垢な心が世の風に晒されて汚れ曇ってくる。その汚れを落とすのは清らかな力を持つ美の役割。人は皆、心の奥に美を求め周りにも美を求める。美は救いの神であり生きる支えでもある。美に国境はなく総べての人に幸せをもたらす使者で
人間の殻に閉じこもっていると自分が何者か分からない。自然あっての人間、自然の恵みで命が守られている。人間が亡びても自然は悠然たるもの。自然を知り、自然に従って生きるのが王道。人間の世界だけでは、確かな答えは出てこない。
この我を大切にしてくれる人が一番大切な人 妻がその人。我ら夫婦を大切にしてくれる人それが家族。人は一人では生きてゆけない。支え合い 助け合ってこそ安心して生きられる。生涯の基盤は家族にあり老いて終わる時 最後の言葉は皆んなに ありがとう
欲を良い方に使えば人は幸せに悪い方に使えば不幸になる。身勝手な人が集まれば不都合な世の中に思い、やさしい人が集まれば住み易い世の中になる。集団で成り立つ人間社会他人は自分、自分は他人その関係を自覚すればみんなが幸せになれる。
人生何をもって良しとするか。長くもあり、短くもある一生どれだけの実りを得ることが出来たか自己満足で終わるか、だが確かに言えることは親からもらった命を子に託すことが出来たこと地位財産よりも尊い命の流れを切らすことなく後につなぐことが出来たこ
人間、年齢の節目ふし目で思うこと、考えることが違う。若い時は欲望を追いかけ老いて命の限りを知り時間を大切に思う。88歳のいま思うことは先ず健康、そして好きなことを毎日出来る喜び。これも共に生きてくれる人が居るから。何事も二人で一人助け
今日、面白いことを見つける明日にその続きが出来ると生きることが楽しくなる。人より増しなものにするには人より努力しないと出来ない。人に頼ったらひとまねしか出来ない。自分のものを作るには自ら生み出す力がいる。好きなことは楽しい。楽しいこ
何も無く過ぎた人はあっという間の人生だったという。苦労で終わった人は長い人生だという。苦労が効を奏した人は良い人生だったと言うだろう。苦労は薬、苦労は若いうちにせよと昔の人はよく言っていた苦労は心を鍛え 世の中を教えてくれて生き
人間それぞれに寿命があって限られた時間だけ この世に生かされる。生まれ出て そして老いて終わるまでにたくさんの知識を身につけたくさんの経験を重ねたくさんの感動をもらい人生が楽しかったと言えるようにこの一度の限られた時間を無駄にしないよ
必死に努力する姿に感動美しさに感動人はいつも新しい感動を求め生きている。でも いつも出会う訳にはいかない。有って当たり前と思う人は失った時の苦痛を知らない。無事が何事にも替え難い宝である事を知る者には小さなことも 大きな幸せと感じる。
生きることは感じること感じることは生きること人間は胸の奥にある姿の見えない心というくせ者にいつも支配されている。美しいのはその心、汚いのもその心。美しい心は世の中を明るくさせ人々を幸せにする。汚い心は世の中を暗くして人々を不幸にする
体を壊し 退職し 陶芸を始めた。生活を切り詰め、家族を巻き込んでの貧乏生活40余年。そこで身につけた人間にとって大事なこと。作品には生き抜くエネルギーが必要であるということ。作者の情熱が力となって作品に再現される。作品は生きていないと本物ではな
86才 もうすぐ死に直面する。財産、地位、名誉は何の役にも立たない。心安らかに人生を終えるには助けがいる。一番身近に居る人が頼り。それは家族。家族を大事にすることで自分が守られる。人生の大事業は心の通い合う家族をつくることにある。
人間は心の赴くままに動く生きもの。不浄、不正、醜さを知って心を修正し真の姿を見る。清らかな気持ち、正しい行い、美しい品格から生まれる一つひとつのものには間違いのない輝きがあり、心の癒しとなる。人間のあるべき姿と言えよう。赤いぐ
気持ちを大事にして生きる人間心の成長が無かったら喜びは生まれない。心と心を通い合わせお互いに成長し 思いやる。相手を尊び 自分も尊ばれる。その関係の中で 奉仕の心を育て人間としての誇りを築き共に生きてゆくのが 人の道と言えよう
好きだから やり続けられ興味があるから 探究心が生まれ目標に向かって突き進むことが苦にならない。壁を破ることは意欲が高まりむしろ楽しいものとなる。87歳の今、なお続けられるのはやきものの奥深さに魅了されたからである。赤いぐい呑み
何を頼り 何に従うか総べて初めの体験人生。先の見えない迷いの旅。答えは自分で探すしかない。だが確かなことがある。先人の生きざまを学んで己の生き方の指針とし良きをまね 悪しきを戒める真っ当な生き方こそ王道。赤いぐい呑みと茶碗
友人Sさんが生きているのが嫌になったと語りかけて来た。家族との折り合いが芳しくなく本人も高齢で目耳が衰え老いた姿も痛々しい。朝、畑に来て農作業をし午後、陶芸で創作意欲旺盛な我は何と果報者かと心に刻んだ。赤いぐい呑みと茶碗の陶
自分は自然発生したものではない。長い長い先祖からのいのちの引継ぎに依って今の自分があるのだ。授かったいのち次の世に引き渡していく義務がある。いのちは自分だけのものではなく大切な 人間の遺産なのである。赤いぐい呑みと茶碗の陶芸家
土を耕し、種をまき実を稔らせて、命を繋ぐ。朝焼け、夕焼けに手を合わせて天地に感謝する。自然は偉大であり人間の世界は小さなものだ。身の回り総べてのものがあって命が守られている事を忘れてはならない。一生は感謝することで終わりたい。
高齢になり 足腰が衰え体の動きも悪くなって来た時野菜作りを薦められ 畑仕事をしているうちに体の調子が良くなって来た。鍬を振るい立ったり かがんだりする農作業は健康体操になる。成長する野菜から 活力をもらい 心も爽快になり食べ物が出来
報道で知る 大スターの末期、決して幸せとは言えないものもある。86歳、いま健康で好きなことを毎日出来るということは何物にも代え難い 貴重な時間である。それに 美しいものを追及する創作の仕事はこの上ない喜びである。赤いぐい呑みと茶碗
好きなことは 頑張らなくても出来る。興味があれば 続けられ、いかなる苦労も 苦労と思わない。作品づくりに没頭していると知らぬ間に 時間は過ぎ年を取っているのも忘れる。長い人生 色々な出会いと発見を重ねて新しい世界を築いてきた。作品づくり
手違いで、赤色が出るところ黄色が出てきた。何故だろう。その原因を探求するとそこにまた新しい分野が開ける。創作は試行錯誤の繰り返しがあって成せることでその途中で思わぬ作品が生まれる。己の力以上の出来映えに感動を覚え天の力を感じる。
風の流れで模様ができ火の燃えようで色が生まれる。風も火もいつも自由気まま窯の中はいつも大騒ぎ。自然を操る”窯”という作家はいつも自由な絵を描いてくれる。風の機嫌、火のきげん、窯の機嫌を取り計らいながら作品を生み出す陶芸は何が出て来るか
一つの釉薬で七色が出るので器をキャンバスにして絵を描くことができる。自然色なので 自然の風景を作り出すことができ時には自然を凌ぐ彩りが生まれ絵画を超えた色彩の作品が生まれ作る喜びが一層高まり作家冥利に尽きるというもの。陶芸画家という人がい
人間は知ることで恵まれる 知恵の生きもの。知らないことを知って 知恵を積み上げ新しいものを作り出して 生活を豊かにする。自分に何が出来るか 一生をかけて挑戦するのが生きるということ。赤いぐい呑みと茶碗の陶芸家 のトップへ
今までに無いものを生み出すのが作家の使命。自然には未知がいっぱい 人間の知るところは少ない。我が陶芸窯変の作品は 自然の原理を取り入れたもので人の手を使わず一つの釉薬で七色を生み出し窯が描く唯一無二の技術にて作り出すやきもので至上の喜び
情熱は燃やし続けるもの。陶芸に自然の原理を使うと自然が生まれ自然の機能に人間の能力を足すと自然を超えた自然が生まれる。遥かなる自然には 永遠の喜びがある。我が窯変のやきものは変幻自在の顔を持つ 前史に無いやきものであり命も喜んでいる。
産まれた時、人は皆 死の宣告を受けている。死を忌み嫌い 遠ざけて生きているから生きることの大切さが分からない。産まれて死で終わる人生その時を無駄にすることは 自分を無駄にすること。人間として成し得ることを実践し成果を掴むことが 産まれて来
ご加入いただいております生命保険は満85歳になられる3月31日をもって終了となります、、、という通知が来た。我が命も賞味期限かと淋しい思いとよくここまで生きて来られたもんだと感慨深いものがあった。これからいつまで生きられるか天まかせ 運まかせに
初冬の庭に 痩せ細ったペチュニアが寒さに耐えて 小さくなった花を必死に咲かせている。二年草でこの冬を凌いで次の春から秋にかけて一杯の花を咲かせる。居間から、緑と花を見ながら茶を飲む至福の時を過ごさせてもらえる。耐え凌ぐのも 生きてゆくには
財宝、地位、名誉を得ても一輪の花にはかなうまい。何も言わず 何もしなくてもそこに居るだけで人を救う。辛いとき、悲しいとき それをやわらげる力でない力を持っている。花は心の妙薬人は人によって救われるその人は 花の心を持った人。花には真の
この世は私のためにあるとか、世界は二人のためになど、歌の文句に踊らされるとこの世は人間が中心と勘違いする。大自然の中で人間なんてちっぽけなもので自然の動きに何もできない。天災人災で、いとも簡単に命が奪われる。天まかせ、運まかせの人生を
作業の途中で ”こうしたらどうだろう”と一瞬ひらめく事があり、失敗成功は考えないで 即実行すると時に新しい世界の芽が出てくることがある。今までにないもの、誰もできないものを見つけ出してゆくには常にその場その場の状況判断が大事で前へ前への
幸せをないがしろにすると不幸に落ちる。幸せの姿は見えにくいから身の回りにあっても気づかない。気づいたときは、たいがい後の祭りで取り返しがつかない。本当の幸せは苦難を凌ぎ、身を以って実感するものでどこかから貰って来るものではない。他人の姿
今 何してる。今 何考えてる。今 何が出来る。これが今の自分の実力。歳を重ね 学習努力し 様々な経験の中から希望、喜び、生き甲斐を見つけ出してゆく。人がやらないことを人の出来ないことをする。そこに自分が現れる。自分を育て 自分を大切にする
昔 親は世間さまに迷惑をかけるな、警察のお世話になるような事はするな と言って子育てをした。貧乏で親の苦労を知っていたから、大きくなったら 親を楽にさせたいと思って育った。悪いことをしたら家族が悲しむ。良いことをして皆に喜んでもらいたい。辛
人間の基盤は夫婦。夫婦は二人三脚、結んだ足は不自由だけど、ゆずり合い 助け合う 互いの絆。夫婦は互いに出会ったもう一人の自分。一人では辛いから、女は男の力を借りて、男は女の優しさもらって 生きてゆくのです。この人の喜ぶ顔を喜びとする。苦し
「私は何もできない つまらない人間」と妻が一言もらした。専業主婦の仕事は 確かに目に見えてこない。だが、家事一切を賄い 二人の子を育て上げ芸術家を一人 世に出した功績は大きい。芸術作品はそれまでのもの、死ぬまで成長を続ける人間づくりは最高の
話しが合い 仲良くなると 何でもあげたくなる。正直で純な心の持ち主は 誰からも愛される。財産、地位、名誉があっても歳をとり病気になって 身動きもままならなくなった時、救いとなるのは人の親切。物、金に目が眩んでいるうちは本当に大切なものは見え
太陽は燃え続けるいのちの支配者、地球は生きている。自然はその生きざま。朝、畑に行き 成長する作物に触れ自然の営みを感じ取り活力をもらう。鍬をふるい 汗を流し 土を耕し草を取り 土寄せをする。これが健康体操になる。自然は美の宝庫。自然の
生まれて幾年、自分の事しか頭に無かった。他人がどうしているかなど考える余地もない。いじめられて悲しかった時、誰かに助けを求める術を知らず世の中のせいにした。美しさを知って自分から外の世界を見るようになり自分の未熟さを知り広い世界に興味
春になると桜が咲き、秋には紅葉が山々を美しく化粧して心を癒してくれる。自然は間違いなく時を刻み、沢山の命を蘇らせる永劫の世界。おかげで安心して生活設計が立てられ自由な生き方ができ自然の恵みをいっぱい頂ける。総ては確かな自然環境があるから
人生最大の悲劇は、自分を見い出せずに終わること。人間として生まれ、人間の本分を果たさずに終わることは悲しいことだ。人は誰でも才能があり、世界がある。考える、そして実践する。その能力を使って創造を発展させれば新しい世界が開かれる。折角の可能性
空に虹がかかり、春に緑の葉が秋に紅葉する。自然は様々な色の変化を見せてくれる。その原理を陶芸に応用すると人知を超えた作品が生まれる。素地の土、釉薬の成分、燃焼の方法などの適合を加味して一度に七色を出し、窯が絵を描く技法の開発で自然色豊かな日本
八十四歳五ヶ月、死んでいても不思議でない年齢、生きていることが不思議だ。人間は感性の生きもの、感じることが生きること。腹の足しにはならないけれど、美は心が食べる最高の料理。人間は自然の中の一員。自然を知り、自然に従い、自然を探求して、自然美
花は美しい、説明はいらない、見ただけで感動する。それぞれが個性を持った形と色、神が創造したデザイン、真似ることなく、比べることない、己を素直に表現する、その純粋な姿に人は感動する。人間が作る美は、その人の技量に依る人工美。我が窯
いのちあるものは皆、自然の懐で生かされている。どこで咲いても、花は万人にほほ笑む。花は広い心の持ち主だ。来る人なき野山にも、花凛と咲く。影日向のある人間ははずかしい。花飾る時その人の心きれい。花は喜びを深め、悲しみを和らげる
1979年にノーベル平和賞を受賞し、2016年9月にバチカンのローマカトリック教会で最高の崇敬対象「聖人」に認定されたことを記念して、マザー・テレサの伝記本が発刊されることになりました。マザー・テレサの伝記本「LOVE IN ACTION-The Story of Mother Teres
■世界芸術遺産百科事典 世界芸術遺産百科事典とは有史以来の歴史の中から、真に重要な芸術家を収めた「世界芸術遺産百科事典」が発行され、その中で名立たる日本の陶芸家20名すべて故人のなか唯一人、現存する金田充夫が掲載されました。
2016年新春号のArtJournal(アートジャーナル)Vol.85号に「日本工芸美術大賞」を受賞させていただいた陶芸作品「窯変紅葉茶碗 七彩(しちさい)」が掲載されました。日本工芸美術大賞■ 金田充夫(かねだみつお)■ 批評”
日本の四季の春のといえば、桜の景色を想像します。淡いピンクが発色する桜の釉薬をあらたに開発し、南天窯から新作として、窯変桜茶碗(ようへん さくらちゃわん)が出来ました。桜の花びら舞う、春のお花見の席には、桜茶碗がよく似合いそうです。
陶芸家 金田充夫(かねだみつお)代表作の紅葉茶碗”七彩(しちさい)”が電子美術書籍「Ideal Art Gallery」へ掲載されました!iPhoneまたはiPADをお持ちなら、以下のAppStoreからIdeal Art Galleryを無料でダウンロードしてご覧いただけます。
特集!金田充夫の芸術世界-BIFROST(ビヴロスト)Vol.18-
美術書籍のBIFROST(ビヴロスト)Vol.18に金田充夫の特集が組まれ、2015年6月30日に発刊されました!特集「金田充夫の芸術世界(Mitsuo Kaneda)」掲載されました作品は、紅葉茶碗「七彩」以外にもいままで個展等で発表してきました陶芸
陶芸では発色が難しとされる”鮮やかな赤色”。そればかりか、新緑の葉が、黄色、だいだい、赤へと移り変わる日本の秋、紅葉の景色のごとく、一種類の釉薬で七色を彩る、美しい紅葉のぐい呑みができました。紅葉の山の奥を進むと、
2015年6月発刊のBIFROST(ビヴロスト)Vol.18号に「世界平和芸術文化名誉功労大賞」を受賞した陶芸作品「窯変桜茶碗(ようへんさくらちゃわん)」が掲載されました。世界平和芸術文化名誉功労大賞■ 金田充夫(かねだみつお)■ 批評
鮮やかな赤色を基調にして、その赤が独自の焼成技術によって七色に変化する。見たこともない抹茶茶碗を作陶しています。全山紅葉するその奥に滝が流れ落ちる。そんな風景を想像する作品です。窯変紅葉茶碗”七彩(しちさい)”と名付けました
「ブログリーダー」を活用して、みつお@赤い抹茶茶碗さんをフォローしませんか?
世界芸術遺産作家(陶芸)卒寿記念「金田充夫の世界展」を愛知県名古屋市中区の「ギャラリー彩」にて開催。■開催期間:2024年3月13日(水)~3月22日(金) [3月18日(月)休館] 11:00~18:00[最終日は16:00閉館]■場所 :ギャラ
陶芸家 金田充夫(かねだみつお/Mitsuo Kaneda) 作窯変茶碗 「繚乱」(ようへんちゃわん 「りょうらん」)乱れ咲く花園の香り立つ窯変美、陶史にない奇跡の作品1934年愛知県生まれ 1976年に染色技術者から陶芸に転身独学で、化学知識を基に、一つの釉
春は桜に酔い 夏は水に遊び秋は紅葉を歩き 冬は白銀に跳ねる日本は自然に恵まれた国、人間は自然の中の一員自然と仲良くなることが幸せの土台窯が色を作り、絵を描く窯変の技法で四季を再現しました人の手を離れ窯が作る作品には喜びがあって、癒し
生きている時は楽しくなけりゃ、だが、先ずは苦難を味わってからでないとできないこと。命が保たれているのは自然の力によるもの。自然から色々な生き物の色々な生き方を観て色々の人の生き方を見て自分の生き方の参考にする。人それぞれ 自分は自分で
自分さえ良ければは差別を生み争いをつくる。人はそれぞれが自分であり、自分だけが自分ではない。世の中は自分の集合体である。皆んなに良いものが善であり害となるものが悪であるという共通の認識を持つことが平和な社会を作ることで、一人よがりは
親身になって相談できる人が居ないと、優しく近寄ってくる邪心の人に騙され相手の罠にはまり蟻地獄に落ちどこまでも利用され、その世界から抜け出すことが困難になる。洗脳された心を戻すことは至難の業であり本人が気付いて心を入れ替えない限りそこから抜
確かなものが分からないから何かを頼らないと生きてゆけない。無知だと付け込まれうまい話にころりと騙されてその一生を省みることなく無駄にしてしまう。広い知識を習得し多面的に物を見る力を身につけて一つの事に迷わされないようにして洗脳されない
元来、人間は善と悪の両方を持ち合わせており理性を働かせて何とか善人を保っているが時として悪に傾くことがある。清く正しく美しくが人間本来あるべき姿であり美はその純粋さが心を癒し人を救う万人に通じる力がある。美に国境なし、美しい心を尊ぶ人を増
脱サラし 陶芸を始め 一人道を貫き 作品発表を続け 八十才を過ぎて 芸術界で認められるようになる。一釉で七色を出す前史にない焼き物を作り上げ誰も観たことの無い世界を観ることができ苦しかったことの多い人生であったが総てが喜びの基となり いい人
九十才になったら運転免許を返納する。外出が難しくなり健康にと続けてきた畑仕事も出来なくなり後は家で陶芸に専念することになる。自然との触れ合いも少なくなり気分転換の機会も減って気力が落ちて来るので残念に思うがそろそろ人生の店仕舞い。
美しいものを作って見る人を幸せにする。自然美に優る美はなくその自然美を陶芸で再現させる窯変の技法を開発して作品を制作できたことは作者として最高の仕事であり名誉なことである。自然に生かされている人間にとって自然と同調して生きることはこ
悩み苦しんでいる人を安心させ救うのが本来の宗教の役割。騙して不安を煽り金銭を巻き上げるのも宗教としてはびこっている。両者はその手法は洗脳でその後どう扱うかで善にも悪にもなる。己の出世のためには悪とも手を組む権力者、権力者を取り込ん
陶芸家 金田充夫(かねだみつお/Mitsuo Kaneda) 作窯変紅葉茶碗 「七彩」(ようへんこうようちゃわん 「しちさい」)幸せの青い鳥の羽ばたく姿が器の見込みに浮かび上がった奇跡の作品1934年愛知県生まれ 1976年に染色技術者から陶芸に転身独学で、化
何か動いた何者なんだどうしてなんだ人間は者を知りたがる生きもの。いつも色々なものに出会いそこに疑問を持ちその原因を探ろうとする。ものの発展はそこから始まる。誰も知らないことを見つけることは楽しい。生きる面白さは新たな世界をそこに
生まれた時、無垢な心が世の風に晒されて汚れ曇ってくる。その汚れを落とすのは清らかな力を持つ美の役割。人は皆、心の奥に美を求め周りにも美を求める。美は救いの神であり生きる支えでもある。美に国境はなく総べての人に幸せをもたらす使者で
人間の殻に閉じこもっていると自分が何者か分からない。自然あっての人間、自然の恵みで命が守られている。人間が亡びても自然は悠然たるもの。自然を知り、自然に従って生きるのが王道。人間の世界だけでは、確かな答えは出てこない。
この我を大切にしてくれる人が一番大切な人 妻がその人。我ら夫婦を大切にしてくれる人それが家族。人は一人では生きてゆけない。支え合い 助け合ってこそ安心して生きられる。生涯の基盤は家族にあり老いて終わる時 最後の言葉は皆んなに ありがとう
欲を良い方に使えば人は幸せに悪い方に使えば不幸になる。身勝手な人が集まれば不都合な世の中に思い、やさしい人が集まれば住み易い世の中になる。集団で成り立つ人間社会他人は自分、自分は他人その関係を自覚すればみんなが幸せになれる。
人生何をもって良しとするか。長くもあり、短くもある一生どれだけの実りを得ることが出来たか自己満足で終わるか、だが確かに言えることは親からもらった命を子に託すことが出来たこと地位財産よりも尊い命の流れを切らすことなく後につなぐことが出来たこ
人間、年齢の節目ふし目で思うこと、考えることが違う。若い時は欲望を追いかけ老いて命の限りを知り時間を大切に思う。88歳のいま思うことは先ず健康、そして好きなことを毎日出来る喜び。これも共に生きてくれる人が居るから。何事も二人で一人助け
九十才になったら運転免許を返納する。外出が難しくなり健康にと続けてきた畑仕事も出来なくなり後は家で陶芸に専念することになる。自然との触れ合いも少なくなり気分転換の機会も減って気力が落ちて来るので残念に思うがそろそろ人生の店仕舞い。
美しいものを作って見る人を幸せにする。自然美に優る美はなくその自然美を陶芸で再現させる窯変の技法を開発して作品を制作できたことは作者として最高の仕事であり名誉なことである。自然に生かされている人間にとって自然と同調して生きることはこ
悩み苦しんでいる人を安心させ救うのが本来の宗教の役割。騙して不安を煽り金銭を巻き上げるのも宗教としてはびこっている。両者はその手法は洗脳でその後どう扱うかで善にも悪にもなる。己の出世のためには悪とも手を組む権力者、権力者を取り込ん
陶芸家 金田充夫(かねだみつお/Mitsuo Kaneda) 作窯変紅葉茶碗 「七彩」(ようへんこうようちゃわん 「しちさい」)幸せの青い鳥の羽ばたく姿が器の見込みに浮かび上がった奇跡の作品1934年愛知県生まれ 1976年に染色技術者から陶芸に転身独学で、化
何か動いた何者なんだどうしてなんだ人間は者を知りたがる生きもの。いつも色々なものに出会いそこに疑問を持ちその原因を探ろうとする。ものの発展はそこから始まる。誰も知らないことを見つけることは楽しい。生きる面白さは新たな世界をそこに
生まれた時、無垢な心が世の風に晒されて汚れ曇ってくる。その汚れを落とすのは清らかな力を持つ美の役割。人は皆、心の奥に美を求め周りにも美を求める。美は救いの神であり生きる支えでもある。美に国境はなく総べての人に幸せをもたらす使者で