いつのまにか三月=誕生月になりました。誕生日の翌朝の目覚めは久しぶりに夢の記憶がありましたが..快い夢というよりもやはり私は亡母が嫌いだったのだという実感を再認識人は母から生まれるのだから誕生日には少しはその母を想う..けれども自分が出産~育児を体験する中で[母の愛(=親の愛)]というものを親になって知る親の恩の言葉通りに感じられなかった..むしろ成長して行く子ども関わる様々な状況下においてやはり私はおざなりにされていたという感情が勝って行った..子育て=人(ひと)育ては難しい親の愛情が無かったわけではない、けれど育つ者に合わない感情と環境のおしつけを[愛情]と思い込んでしまうと子ども本意ではなく親の都合でしかなくなって行く..しかし、それを子どもの[わがまま]とされる私が自己の経験を基にどれだけ注意深く...誕生月