孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夜六時半(18時30分)頃、仕事を終えて自宅に戻るべく 東に向かった。 進行方向道路の突き当りは、鳩居堂の店 屋根の真上に 過って見た事も無い月が、煌々と輝いていた。ビルの林立した街中では、常 月を見
東京・銀座は、日本一地価が高いとか 流行の発祥地とか 時々頂く『銀座百点』という地域誌 戦後間もない頃からの月刊で 名の有る色々な人が寄稿されている。要するに日本で一番有名な場所 盛り場である。
六十年程前の 東京オリンピックの事を鮮明に覚えている。コロナ禍の最中とは言え つい先年の第二回東京オリンピックの事は何も頭に残っていない。柳居子世代 もう少し上の人達の オリンピック認識は第一回東京
朝の珈琲屋では お爺ギャグが頻発する。本筋の話をしているのかと 思いきや 席に居る人を笑わす爲にギャグが入る。『出たー お爺ギャグや』と言うのが、柳居子の役どころ 皆の笑いを呼ぶ事も有れば 明らかに
毎朝 出掛ける珈琲屋では、常連仲間との会話が有り、又 店に戻ってからも、客人をお迎えして 接客会話 短時間で物の販売とか ご機嫌取りの会話では無い 接客時間が長い故の特殊な接客会話が在る。一日中 数
定休日と決めている日曜日の仕事に、出張散髪と言うのが有る。 お年を召されて 柳居子の店まで 又 店に着いても二階の店まで、辿り着くのが無理な人 此方から出掛ける出張散髪が 二人居られる。 昨日は二人
考えてみると、恐ろしい仕事に就いていると思う。 喉仏に飛びっきりよく切れる刃物突き付け 皮膚を引っ張りたおして これ以上無理をすると 顔が血まみれになると云う様な 刃物による処置 処理業。 以前
歴史に名が残るという事 ご本人が生前どの様に考えていたかは判らない。名の残る形は色々と有ると思う。 忠臣蔵の因を作った 浅野内匠守長矩は 忠臣蔵の脇役として登場するが、切腹の時の辞世 『風さそう花
京都市発行の 市バス・地下鉄の敬老乗車証の有効期限が、この月末三十日に切れる。今まで五千円だったのが一万五千円 三倍の値上げになる。常時乗らない人には 回数券を発行すると言うが 基本的には値上げと言う
新京極は、子供の頃からの遊び場だった。 夏休み・冬休み 盛り場へは行かない様にと云う様な 学堂指導要綱は通用しなかった。一緒に遊ぶ仲間は、盛り場で商売をしている子供達 旧い盛り場の風景は鮮明に覚え
昨日は、お昼ご飯が、午後五時過ぎになった。朝からほぼ立った侭の仕事の連続。客人十一人のお迎えは、一人で出来る限界人数か? 日本人客は、朝一番の方と 午後一人の二人だけ 他は全員異国の人 散髪順番待
昨日は、親戚の法事 叔父の十三回忌 菩提寺東福寺山内の塔頭の一つで行われた。黒服上下 黒ネクタイ 黒靴下に 黒靴 髪の毛だけが真っ白 もう涼風が吹いている頃と構えていたが 真夏日だった。 親戚の出
均一価格 其れも百円で、何種類もの買い物が出来るのは、購買意欲をそそられるものだ。 一世風靡したと思う。 自宅近くの 百万遍の角 銀行跡地にも百均スーパーが在って、買う・買わぬ関係なく出掛けたが
上乾のちりめん雑魚を、柳居子風の煮方で。山椒の色が変らないというタイミングで 加えて「ちりめん山椒」を作りだしてから もう何年にもなる。 海産物の無い京都の土産にまで作り上げた『はれま』に控えて
流行り 廃れが有るから 流行歌と云うのだと思うが、歌詞の内容が時代にそぐわないとか 理解出来ないという場面が出てくると 幾ら流行っても忘れ去られて行くもの 後の世の歌手がカバーすると寿命は伸ばせるが
毎朝 珈琲屋で、眼と指先のトレーニングを兼ねて、配達される新聞の折り込み広告を細かく手札型くらいの大きさに折り畳んで、其れを折り目に差し込んで 分厚い手札の紙の塊を作るのが日課 仕事に取り掛かる前の
相変らず 相手は、柳居子の事をよくご存知なのに 此方に覚えが無いか 忘れたのかで 失礼するケースが時々ある。 どちら様でしたかと聞く事が失礼と思われる程 にこやかに話し込んで来られると、お名前聞く事
昭和を43年間 平成を30年 令和を5年 78年間 物心がついてからの記憶と云うのは、人其々に残っている物 若い時に印象深く刷り込んだ事柄は、何時まで経ってもよく覚えているもの 鮮明に思い出す記憶
昨日は、完全に日本人客から、見放された一日だった。 ニュージーランド・オーストラリア・アメリカ二人 フランス 四か国五人のご来店。内 三人が奥さんと思しき女性同伴だった。ご亭主か恋人の、気紛れ 日
ご大層な名乗りだが、始まって五十回を迎える会。 日本舞踊協会関西支部主催 京滋合同の会 在洛の舞・踊りの流派の代表が、日頃の研鑚を披露する会。コロナの影響で暫く途切れていたのかも知れないが 満席の盛
以前 NHKの大河ドラマ 髷物(まげもの)と言われる番組を見ていて俗に言う「チャンバラ場面」が終った直後のシーン 髪の毛の処理を生業としている身で 必死の斬りあいを刀を鞘に納める場面 元結も伐れ
『よくブログの書きネタが続きますね。』と言われる 六千三百連載 十七年間の休み無しに 皆さん呆れ顔をされる。ノルマと感じたら出来る事では無いが 今日が最後かという気分になる時は時々ある。 書きネ
今月に入ってからだけでも、もう十五人の遠来の客人を迎えている。 何となく仕事のプロセスも、如何すれば気に入られるかが判って来た。 日本の理容師の平均から、大きく外れている事は無い。 むしろ 年齢から
柳居子が 中学校を卒業して二年目 理髪師の免許を受ける試験に臨んだ。 免許試験の受験資格は、中卒以上 理容師養成施設で 一年間公衆衛生とか 消毒 又法規等の定められた授業を受け その後理容店で実地修練
京都で 生まれ育った人は、八坂という言葉の後に 『さん』とか『はん』 と言う親しみを込めた送りをする。おけら参りとか 円山の桜見る集い 又祇園祭の神輿の渡御等 とにかく想い出の多い土地・地域名でもある
加齢が進むと、一旦覚え込んだ事が頭から離れず、対象が時代と共に変化しているにも関わらず、昔のままのイメージを持ち続けている事が有る。 自分だけの現象かと言うと そうでは無く 先日お越しの客人との会
朝の珈琲屋の5番テーブル 常連客の柳居子の席の隣りに座る人は、この店に通い出してから六十余年 随分色々な人と隣同士で 珈琲一杯挟んで、四方山話に興じてきた。 今も印象に残る人としては 宮川町のお茶
先日 本サイト御愛読者から、東寺百合文書の新聞連載が終了したという記事を送って頂いた。 百合文書の事は、以前二度書き載せた事が有ったが、二万四千点に及ぶ古文書類の 京都府の買い上げの状況が興味深い事
異常気象が原因で有ろうとは判るのだが、この夏 空の雲が実に千変万化 お天気の劇変も体験した。 雲の無い好天気 傘など絶対必要ないと決め込んで 仕事終えて自宅に戻る道 一天俄かに暗くなったかと思うや否
白川が、新橋通りと並行して 西に向かい鴨川に流れ抱いて 直ぐに辰巳大明神が祀られている。川の流れの上には、巽橋が掛っている。伏見稲荷の連綿と続く赤鳥居と共に 京都を代表する様なスポット 映画の撮影など
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
相変わらず 遠来の客人の絶え間が無い。 月に一度は必ずお越しの御常連が、先日『毎月一回 散髪にお邪魔するけど、度々外人さんに出くわすね。』と仰った。 六月は53人外人客を数えたから 営業日数 単純に割
日本の歌謡曲が、最初に世界で認められた曲と云うのをご存知だろうか? 未だ戦後という色合いが若干残っていた昭和三十年代 『上を向いて、歩こう』 坂本九の歌唱の曲 アメリカに渡ってスキヤキソングと
戰や、大勢の人が住む故の度々の大火、諸々の事情で途切れた事も有ったと思われるが 祇園御霊会 祇園祭が続いている事に 特に山鉾巡行に直接関わる 鉾や山町の人々に 深甚なる敬意と、ご苦労様の気持ちを伝え
このところ オーバーワーク気味で、昨日 『海の日』とやらで、午後三時半頃には 雨にも降られず帰宅した。 家に帰ったら色々と用事が有るのだが、ひとまず一服と 常時腰に巻きつけているコルセットを外し ベ
常日頃 何気なく使う日本語を難しいと思う事がある。『敬語』である。 使う年代を限定される言葉かと思う。余り歳の端もいかない 子供が 大人が使う敬語を使うと 可愛げが無いし 柳居子の年代が、年若い
京に生まれ育って、変らぬ視点で見たり体験してきた事 眼で覚えている季節感覚と言うのが有る。 誰もが浮かれる気分になる祇園祭り 山鉾巡行の十七日 雨が降って傘をさして巡行を見たという記憶が無い
両親共 愛煙家だった。 中学校を卒業して直ぐに理容の仕事を始めた社会人と言う訳でも無いが、未成年の喫煙を咎めだてする事も無かったから 二十歳前には立派な喫煙家になっていた。二十歳の時に何か始めようと
昨日お越しの客人との会話は、祇園祭の事から派生して、京都の旧い話題で 盛り上がった。 『洛中洛外屏風』と言うのは 京都の昔の人の営みが 詳しく描かれていますが 京都の 中と外という意味だと思いま
共に白衣の作業衣を着用しているのだが、 客と患者の差異は歴然。 先日 月に一度の内服薬を貰いに行くだけの心算で 朝一番乗りなら直ぐに帰れると思い 八時の受け付け開始の一時間前 七時に並んで 九時の
都界住いだと 田舎 特に農作業の事等 殆ど何も知る事無く生涯を過ごす事になるのだが。昔はそうでも無かった様だ。未だ幼かった頃 肥え汲み屋さんというのが 時々やって来て それは肥料として使われていた様
オーバー ツーリズムの波は、京都の繁華街 祇園町花見小路界隈とか 錦小路 河原町辺りに限定される訳では無く、柳居子の住む北白川地区 哲学の道の少し北 (上流) 琵琶湖疏水を挟んで向かい側 北白川小倉
昨日は、現役で仕事をしているという 小学校時代の同級生二人に会った。ブログのプリント版を 発刊毎に届けているのだが、仕事をしている事は判っていても 第一線からは退いていると感じる事が有った。
兼好法師 徒然草 第百二十二段に 「人の才能は」という一文を載せておられる。 人の才能は、文明らかにして、聖のおしえを明らかにするを第一とする。次に字を書く事 上手に書けなくても学問には書ける事
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ