昨日お越しの客人の一人、特に面白かったのは、オーストラリアからやって来た髭面の大男 遠来客の殆どが、ユーチューブとか SNS 情報を見てくる人ばかりだが、偶然前を通り掛かって 階段を上がってやって
昨日お越しの客人の一人、特に面白かったのは、オーストラリアからやって来た髭面の大男 遠来客の殆どが、ユーチューブとか SNS 情報を見てくる人ばかりだが、偶然前を通り掛かって 階段を上がってやって
昨朝 珈琲屋の隣席に座った 顔馴染みから『大国町て どの辺りですか?』と尋ねられた。よく聞く町名だが、咄嗟に所在地が判らない。スマホの検索も不得手 答え様がない。 『市内には大国町は沢山有るから 通
先日 ゴリラの先生の散髪をしていた時の会話の中で、 『子供の頃は、周囲に親以外の大人が居た 又 兄弟姉妹が沢山居たから それは一つの社会訓練になったかも知れませんね。』 と言ったら 『田舎の中学校
毎月一回 整形外科の先生に、注射を受ける。 骨密度を高めるとか 下がらない様にが目的で 両腕に注射されるのだが、 ご大層な薬らしく 万札出して千円少々の釣銭 保険適用が無ければ この何倍もの額を払わね
年寄の独居 現役の仕事を持ち。食に掛ける時間は有っても なかなか家の掃除が出来ない。 家で過ごす時間はベッドの上が多いから 埃で体の具合が悪くなる事は無かろうとたかを括っている。 不要と思うもの
久し振りに 栗塚旭君と、街で出逢った。体調が悪いと聞いていたが、相変わらず大きな よく通る声でご挨拶。『一年半程前から 癌の診断が下り 余命も告げられてますが 未だ生きている事で 医者が吃驚していま
自転車で 街中を徘徊していると、街並みの変化に気付く事が多い。自動車は安全運転に加え スピードが速い。 自転車は、街並み観察スピードとしては適宜 其の場に止まって ゆっくり観察する事も出来る
加藤登紀子の作詞・作曲になる 『時代遅れの酒場』という曲をベースに『時代遅れの床屋』という替え歌を作った事も有る。自他ともにに世に遅れを取っている事を自覚するシーンが 続出している。 約束していた
最新情報を求め続けている事がある。 ロス郊外の山火事である。 親しくしている彼女の家にまで 燃え広がらないか 彼女からのアップ記事には 車で15分か 20分位の距離が有ると言っていたが 風向き次第
最初の成人式の頃は 小正月十五日と決まっていたが今は違う。 昨日は日本全国成人の日とやらで 定休日だったが。月曜日思い込んでお越しの客人の散髪を午前中頑張る。 お仕事でルーマニアに 三・四か月赴任
昨年末 三十日『俳句談議』という一文を載せた。祇園町の珈琲屋さんで、 お茶屋『吉うた』の女将さんと二週間ぶりにお目に掛かった。 季語入りの八句が難しいと 『さのさ』ならと 柳居子の爲に一首作って
年賀状 昔は沢山届いたのだが、今年は三十通程 其の内の何枚かは、広告と思しき 料理屋さんや商店から それ以外の年賀状で一番印象深かったのは、幼馴染 子供の頃 共に学んだS君から届いた一枚。 此方
京都市内に住む 京都市民とは課税対象から外れるのだが、市内の宿泊施設の利用容に対して、宿泊税最高一万円という記事が一面トップに載っていた。従前の最低課税額は据え置きだが 範囲を狭め 宿泊金額に
理髪店の店頭 クルクル回るアメン棒 広告看板の謂われは、ヨーロッパの先進国では、〖病は 悪い血が引き起こすと考ええ 血抜き 瀉血措置が 理髪師が理容外科とその仕事を引き受けた事に由来する。アメン棒全
幼名 子供の時の名前を、年取るに従って 名乗りを変えるのが常識とされた時代が 長く続いた。 牛若丸が義経に 木下藤吉郎が秀吉に 元服や出世に伴って名乗りを変えたり 名を頂く事も有ったが、そもそも名
生誕120年 人間国宝 黒田辰秋 木と漆と螺鈿の旅 岡崎国立近代美術館で開催中の 招待券を頂いた。 もう亡くなって四十年ほどになるが 生前お元気だつた頃 週に一・二度お目に掛かり お声掛けした事
地元紙 京都新聞が、戦後八十年 巡り糸のサブタイトルの下 『我が家はアスファルトの下』という終戦間際の強制疎開の事を取り上げていた。御池通りで書店を開いていた人の娘さんからの投書を基に 御池通りの事
食品スーパーの商品展示の話題が出た。 昔は 泥付の一個売り 南瓜とか白菜 季節物でも 農家が作ったものを其の侭 店頭に並べていた様に覚えているが 全く今は違う。包装材も昔は 古新聞とか肉類は竹の皮で
昨日 二日は、去年の仕事をしていた。 確定申告の書類作りは、例年正月休みの仕事になっている。年寄一人が、隠居仕事の様に限定された仕事をしているのだから、僅かな額だが 確定申告の出来る事が 我が身現役
勝手な理屈をつけて、このところずっと年賀状を出していない。横着な事に 頂いた年賀状に返信すら出していない。 我々の年代になると、新年を寿ぐという意味は薄れてきて、未だ年賀状を書く元気は残ってます
明けまして おめでとうございます。良き年をお迎えの事と拝察申し上げます、 私は いよいよ八十歳台に突入 昨日とか去年と同じ事が出来たら 有り難い事と思いながら 今年も過ごそうと思って居ます。宜し
何故 百八の鐘を撞くのか? 大きな意味が有るのだと疑問に思って居た。 お寺で打ち鳴らす 其れも除夜十二月三十一日の夜と言うのなら 宗教関係の書物に載っているかと 今から五十年ほど前に買い求めたのが
年末 最終の定休日 昔は当然の様に営業したのだが、昨日日曜日の定休日は午前中予約が入り 一仕事したのだが、昼前からはフリータイム ブログプリント版の配布に出掛けた。 祇園切通しの 珈琲屋さんへは
もう幾つ寝ると お正月 「お正月には 鞠(まり)撞いて こまを回して遊びましょ 早く来い来い お正月」 七十年以上前に 親に唄って聞かされた記憶が有る。 鞠つき コマ回し 凧揚げなんで 今の子供は知
南禅寺 瓢亭の高橋さんが今年最後の散髪に起しになった。丁度外人客の仕事が終わって送り出した後 床に散らばっている 金髪に近い白い髪の毛指さして『外人さんでしたか?』と尋ねられた。「はい ルーマニアか
昨日 午後 掛かってきた 電話 営業無関係の電話なら、煩わしい 『今お客様の 顔剃りとかシャンプーの最中』と言って受話器を戻すのだが、手が空いていた。 二ケ月ほど前に 祇園町の珈琲屋で お茶屋の
昨夜は贔屓の料理屋『松長』 のクリスマス パーティと 若女将の誕生日祝いを兼ねての大宴会。夜の宴会は直ぐに眠くなるので 余り出掛ける事も無いのだが、場の盛りたて役をしようと一計を立てた。 先日柳居
毎年 十二月は色々と頂戴する事の多い月である。お歳暮という伝統的な物々交換も有るが 手作りの梅干しとか 柳居子の身の安全を守る蛍光シールを張り付けた安全ベルトとか 数の多くは口に入れるものが多かった
朝の珈琲屋で、高齢女性のお話を聞くという 介護ボランティアの様な事をしているのだが、 同じ話しを何度も聞かせて貰うのを 始めて聴く様な顔をして ほんの少しこちらが色づけして返すと『あんた 何でも知っ
色々な人との出逢いで、日々過ぎる事を 結構な事と感謝している。 特に日曜日 客待つ立場の仕事は 営業中は外出できないから 定休日に集中する事になる。 昨日午前中は、高校駅伝で 通行制限を受けた
色々な人との出逢いで、日々過ぎる事を 結構な事と感謝している。 特に日曜日 客待つ立場の仕事は 営業中は外出できないから 定休日に集中する事になる。 昨日午前中は、高校駅伝で 通行制限を受けた
今朝は 四時半に自宅を出た。周囲は真っ暗闇 店近く寺町二条辺り 街燈が点いていて 少し明るくなっていたのだが、突然真っ黒のいでたちで 若い女の子が辻から飛び出してきた。 自転車の急ブレーキを掛け 相
自分の思う事 考える事を、どれだけ相手に正確に 自分の思い通りに届いているのか? 幾つになっても判らない事の一つ、 喋るというのは 相手が居て成り立つののだから 始末が悪い。 年季の入った
脱炭素社会を目指す 政府の国家戦略の内 発電所近くに。電力を大量に使う工場等を集めて、送電コストの軽減を図るという内容のニュースを見て、歴史は繰り返されるという思いがした。 明治の初年 蝋燭
一昨日 イスラエルからお越しの客人には、本当に驚かされた。 肩口に迄伸びきった髪 一体どの位 放っておいたらこれだけ伸びるのか? 『お任せします。』の言質を取って取り掛かったのだが 何故これだけ
朝の珈琲屋 同じ卓に座る事は無いのだが、毎朝 柳居子と同じく開店前から 特定の席に座る人 奈良県からの通勤 建築関係の仕事をされている。柳居子徒然のプリント版を発行ごと差上げて他に一枚配達の用を引き
若い時は、手際よく短時間で出来た事が、出来なくなったり 時間の掛かる事が増えてくる。 店のフロアにワックス掛けを刈るのに ワックスは大分前に買い求めてあるのに未だ手付かず。床面が汚れて気になってい
九十歳を越えられると、ご自身一人で柳居子の店まで お越し頂くのは大変なご負担をおかけする事になる。柳居子も決して若くは無いが一応現役の理容師。 理容師法の規定では 認可を受けた理容所以外では 理
七・八年前から、手許と懐中に飴玉 一個づつ包装されたのを、途切らせた事が無い。 先日も幼い子連れでやって来た遠来の客人 客待ちの椅子が足りない 子供二人と奥さんの三人が 父親・ご亭主の散髪と髭剃りを
父 柳居の客人だった最後の方が 亡くなった事を知った。 二ケ月毎 ご自宅の在る 松ヶ崎迄出張の散髪に出かけていた。 十月の始めに出掛けたから 又髪を短く刈り込んで、お正月を迎えて頂こうと 心準備を
この上ない幸せを感じる時 至福と言う言葉が使われる。 日常会話では滅多に出てこない言葉ではあるが、誰もが至福を感じる時が有るのだと思う。 子供の頃の至福の日は 十二月二十五日 寝ている間にやって
未だ残す日も有るが、振り返る日々の方が多いこの時期 新聞各紙も今年の十大ニュースのランク付けに 忙しい頃で有ろう 年明け 八十歳になる柳居子の 七十歳台最後の一年 身に起こった十大事件 十件も
このところ カラオケに出掛けると、越路吹雪の『愛の賛歌』を唄う事に決めている。 越路が初めて海外旅行をした時 エディト・ピアフの歌唱を直接聞いた時 越路が唄う事の本髄を開眼したという。 以前にも
理解出来ない事が起こる隣国 最高権力者と思われる大統領とか首相が 『高位公職者犯罪捜査処』が有るなんて 日本では信じられない。 午前三時のニュースを聞いて直ぐに書いた 本サイトの記事では 韓国国
一昨日 土曜日は、散髪・顔剃りの 御用では無かったが、嬉しい客人をお迎えする事が出来た。 午後三時ごろ 手空きでパソコンを触っていたとき 店の扉開けて 体の大きい金髪の男性が入って来た。妙に人懐っ
八十三年前の今日『ニイタカヤマ ノボレ』の暗号発信から始まった戦争は、昭和二十年の八月十五日迄 続いた。柳居子は 戦争の終る半年ほど前に生れたから 戦中も戦後の混乱期の記憶は無いのだが 辛うじて進駐
昭和三十年初版の広辞苑に載っている『現代』という言葉の説明の中で。何時から現代 今の世かな 特定するのは何時ごろか 明治維新が 現代の始まりと書いてあって、第三版には現代の始まりは昭和二十年八月
司馬遼太郎氏が 乞われて『法然上人とわたくし』という演題で 知恩院で講演を開かれた時の 記録が 氏の没後三年経ってから 出版上梓されたのを頂いた。平成十五年版 おてつぎ運動企画広報部 発行 本章
地球温暖化の影響は、冬のスポーツ 特にスキー等の競技会場が。雪が降らず会場設定の出来ないケースが 世界的に起こっているらしい。 冬季オリンピックの開催出来る国も限定されてくると、国際競技 オリンピ
午前三時のNHKラジオニュースの第一報で。韓国大統領が 韓国全土に 『非常戒厳令』を布いた事を報じていた。 一切の政治活動中止 報道にも禁令が出た様だ。 国政マヒ状況を伝えるが 最大野党の党首が
販売商品を限定して、消費者と販売側が、極近で有るにも関わらず 無人で 商いの成立する商売が 有る事 誰もが知る清涼飲料水の自働販売機 これからの季節は、暖かい飲み物 温度管理もほぼ完璧な自版機ビジネス
繁華街とか メインストリートの纏まった敷地で営業している店舗と云うのは。其の業種が、ある意味時代を象徴しているのではと考える。 子供の頃 河原町三条西南角に 洋菓子の不二家が在った。ペコちゃん ポ
最後の一枚 月捲りのカレンダーが、とうとう残すところ一枚になった。 早く日が過ぎ去るというのは、同年配の誰に聞いても同じことを言う。確かに残存の期間は短くなる一方 だからこそ大事に使わねばと思うもの
まいにち 毎日の積み重ねと云うのは おおきい事と思う。変えず 変らず続ける事の難しさは、何時も同じ調子の繰り返しと 世の中の動きが噛みあってこそ 続く事の絶対条件かと思う。 京都には 老舗と言わ
昨夜 自宅近くのガソリンスタンドで 灯油を買い求め 家で使う分少し小分けして 愛用の三輪自転車で 店まで運んだ。東一条京大正門前辺りまでは 僅か五分程の距離 いつも通り 快適走行だったのだが 鴨川荒
相変わらず 遠来の客人の髭と格闘している。八十路近くなって、長年続けてきた仕事がこの様に変るとは想像もしていなかった。 柳居子自身は 何一つ広告めいた事 どうぞお越し下さいと云うPRめいた事は何
業種を特化した 商店街と云うのが在ったが、最近は色褪せていると思う街並みが有る。 先日 丸太町通りの本屋さんの事を 地元紙の 樺山記者が書いておられたが 川東 マキムラ書店は懐かしい店名 寺町六角下
中学校を卒業して 直ぐ親の仕事である理容の業に就いたのだが、親から小遣とか 給料と言われる金を貰った記憶が無い。 毎晩仕事が終わった頃 やって来る町内の骨董屋さんは、大きなレートでは為かったのだ
五線紙の上に躍る楽譜を全く読めないのに 文化の月(音楽)のタイトルは 烏滸がましいが 生活の身近に 11月は 喉と耳を愉しませる音楽が有った。 カラオケ二度と リサイタル・ライブショー・そして昨日は
毎朝 一緒に珈琲飲む九十二歳のGF曰く『なんで 京都の町に こんな沢山観光客が來るの?』と、空席待ちの観光客の前を通り過ぎて 店が其のお婆さんの爲準備した席に座るなり尋ねられた。 その席には 大分前
柳居子の世代になると、街の風景 これから何が建つのか という事より 以前何が建っていたか どの様な人々の営みが有ったのか そう云う事を思いだす事の方が愉しい 過ぎ去った過去が戻る事は無いのに。
徒然草の一節に『是なる時は喜び 非なる時は恨まず』という下りが有る。 【是】とは、正しい事とか 理屈に叶う事を指す一字かと思う。 国是という言葉も使われなくなって久しいが、国が是と認めた事 絶対
仕事に必須の 手持ちのヘアドライヤーの電源差し込み口のソケットの元が 長年の使用に耐えかねて、+ - どちらかのビニールの被膜が破れて、電源剥き出しの状態になった。 もう一方が同じ様に破れたら 完全
その時 そのタイミングで、受け答えが出来なければ、後から幾ら悔やんでも間に合わないと言う事がある。 ああ言えば良かったとか もつと良い話しが有ったのに と言う事の繰り返し 加齢が進むと特に其れを思う
昨夜は,どちらから誘った訳では無いのだが カラオケに出掛けた。コロナ禍前は、店の有る町内の御婦人たちと時々ご一緒したのだが このところ無沙汰気味 又 八十歳後半とか 九十を越える年輩になられると お
文化庁が 今年一月から三月にかけて、十六歳以上を対象として 3559人から 読書に関する調査をして、回答の有った人の結果を報じていた。 アンケート方式か 直接聞き取りか 判らないし 業種とか地域
少女達と掲げたが、如何見ても少女に見える女性 キャリアのある女性かも知れないと断りおく 毎朝 四時から五時に掛けてが、柳居子が自宅を出る 出勤時間 前照燈を付けて行き交う自転車やバイクは。全部新
昨日お越しの客人との会話は、同世代の思う事がほぼ一致する様な思いがした。 『年取って いいなぁと思う事は、皆無ですなぁ』 という事から始まった。 『若かった時の一日と 年取ってからの一日 同じ二十
先日 朝から遠来の客人が続いた日の事 午前十時過ぎ 夫婦連れと思しき二人が店に入って来た。 いきなりスマホの日本語表示のメッセージを見せられた。 「私達は メルボルンから来ました。 床屋を営業して
スマホの扱い方や 機能が、よく理解出来ていないと言うより殆ど何も判らない。 仕事に必要なものなら 無関心でいられないと思うのだが、スマホが使いこなせて無くとも 仕事に障りが有ったとは考えない。
今の季節 朝晩と昼間の温度差の大きい時は、着る物にも体感温度を考えねばならない世代になった。 朝 夜明け前自宅を出ての自転車通勤の往路 店まではほぼ完全に冬装束 マフラー巻いて 手袋嵌めてほぼ下
途切れることなく やって来る遠来の客人の数は、この四年間ほどで 施術後のメッセージを残してくれた人数だけでも 800人を越える。メッセージを書いて貰えずに送り出す人数も結構多いから 1000人は越え
このところ 少々オーバーワーク気味 昨日も定休日だったが 頼まれて仕事をして その後は恒例のプリント版の配達や 訪ねてきた人と昼食を共にしたりで 自宅に戻ったのが午後五時少し前 昼寝の時間では無かっ
昨日 午後 四国電力の配電先 三十六万世帯に電気を送る事が出来なくなるという椿事が起こった。 地震とか台風という天変地異が原因では無く 安定供給の目的で設置された 本州と四国間の連絡送電システムが
昨日八日は、お招きを受けてディナー付きの シャンソン・リサイタルに出掛けた。乾杯前 主賓二人の挨拶の内の一人に 柳居子が指名された。 『おとつい(一昨日) 六日 今日は 三木貴子さんの誕生日だな
東一条通り 吉田神社参道 京都大学正門前を 通勤路として往復する日が多い。大きな時計塔が建っている。柳居子の通過する時間帯は、夜明け前とか陽がほぼ沈みかけている頃だから 時計塔の表示は煌々と輝いて
専業主婦 家事は嫁さん任せという旧い時代とは 隔世の感が有る。 家庭内の仕事は、今は夫婦協働で果たすのが当然とされている。 家事とは どの様な仕事の事を言ったのか 思いつく事は。家の中の掃除 洗濯
寺院の門を山門と書くのが正しいのか 三門 三つの門と書くのが正しいのか判らず 随分前 親しくしていた郷土史家の田中緑紅さんに尋ねた事が有った。お年を召されていて ご子息の泰彦さんも同席されていた。
昨日は 振替休日の定休日だったが、旧い御常連の予約を頂いてたから 客人お越しの準備をして 朝の珈琲屋へ出掛けた。 次々と 空き席待ちから招じ入れられる客人の内 外国人の多い事 十人入って来る客の
日本人が、自分の名乗りをする時、先ず最初に氏(うじ)姓を名乗り次に名を告げるのが常識 当たり前過ぎる話しだ。 名刺の名前 漢字表記には 必ず氏を最初に書き 名前が後に書いてある。名前が上 逆表記の漢
今日 十一月三日は、文化の日 旧明治節 明治天皇の生誕日を『明治節』言っていた。 皇位継承が、巷でも大きな問題になっている様だ。我々の世代 昭和・平成・令和の御世を過ごしてきた者にとって 次の代
自宅庭 背の高い樹木の枝払いは、腰が曲って上を向いての作業が出来なくなってからは 伸びるに任せ、ご近所から声が掛ると 業者に頼んでいるのだが、地表近くの雑草は、比較的こまめに曳いていた。しかしこの夏
七月末 回春ボランティアという一文を本サイトに載せた 書き足したいと思う事が有るので 背景省略の爲 七月の記事 一部再録する 〖・・・・毎朝 珈琲屋の常連席 五番テーブルの座る前 三番テーブ
柳居子の店へは、散髪・顔剃り等の理容業務を施して。料金を頂く客人と、理容の業とは 全く関係の無い客に非ず 『非客』と云うのが結構数多くやって来る。 通っていた 少・中学校の同窓会の幹事を永久当
宛名の住所 郵便番号はしっかりと書き込まれているのだが、下前理容室 柳居子徒然様の書き込まれた 封書が届いた。 発送元は何も書いていない。 取り合えず 開封した。 お目に掛かった事は、無かった
若い時は親に従い、人生の盛りは夫に従い、年取ってからは、子に従う事を、 『三従』と云う。 女性への性差別表現になるが 「女 三界に家無し」という言葉も残っている。 三界とは 過去・現在・未来を表す
若い時は親に従い、人生の盛りは夫に従い、年取ってからは、子に従う事を、 『三従』と云う。 女性への性差別表現になるが 「女 三界に家無し」という言葉も残っている。 三界とは 過去・現在・未来を表す
枕許に有るラジオから、 流れている総選挙の開票速報を聴きながら 何と平和な国なのかと云う思いがした。国防とか憲法等の難しい論議は全て先送りにして、 政治資金の不明朗な事が 大きな争点となり 保革逆転に
朝の珈琲屋で、席を同じく交遊の在った人の事 想いだしながら書いた記事 前回は、駒井・野村両氏の事を書いたが 「次回は カタログ販売のニッセン 創業の 川島さんと おたべの酒井さんを取り上げる」と、予
色々な国から、柳居子の店を目指してやって来る客人 今月は未だ営業日を四日残しているのだが 既に六十三人を数える。 丁寧に仕事をする事は、理容師としては当然の事だが、やって来た客人 日本の京都
毎日する事がある。しなければ為らない事が有るのは、負担を感じる事も有るが 柳居子の年になると有り難い事だと思う。 先日 ラジオのトーク番組生放送に出演した時の録音音源をKBSさんが届けてくれて、
今から 十八年前の2006年6月22日 本サイトに載せた記事に『サルコイドーシス』という病に付いて書いた一文が有る 十八年前と今とでは この病に対する研究とか治療に付いては。大きな進歩が在った事は疑う余
愛用の電動アシスト付三輪自転車に乗って、 自宅から店までの通勤往路は、ほぼ経路が決まっているのだが、 仕事終えての帰路は、直進か左折を信号に従っているから 毎日コースが変る。 しっかりと覚えていた
先々週 祇園町のお茶屋の 大女将達が集う珈琲屋へ 柳居子がラジオの生番組に出演した時の評判を聞きに行った。色々な話題も出て、朝の珈琲屋の卓話が 其の侭 場所を移して昼の珈琲屋の卓話になった。 店
どちらから誘うという事でも無かったのだが 昨日昼はカラオケに出掛けた。 お相手は 柳居子よりは年若い女性 随分前からのお知り合い 朝の珈琲屋へも時々やって来て 柳居子の隣に座る。ブログ六千連載の記念
おぼろげな記憶では有るが、今『土下座前』と言って、若い人の待ち合わせの目印になっている 高山彦九郎像は 三条大橋南側を渡り切った角に在ったそうだ。 駅舎までは広場の様な空間が有った。未だ奈良電と言
昨年十一月 イタリア ローマから車で五時間掛かる片田舎から 一組のカップルが、日本にやって来た。男性の旅行鞄の底の方に婚約指輪が入っていた。 京都での 日本語の通訳は、柳居子のFB繫がりも有る 小
相変わらず 柳居子よりは 年若いと思われる女性から お声掛け頂くのだが、 何処の何方だったか 思い出せないケースが続いている。相手の間違いはあり得ない。 声掛けられて後の言葉が『もうすっかり元気になら
総選挙と同時に行われる 最高裁判所 裁判官の国民審査への投票は、〇×の印も付けずに投票箱に入れる。真面目に下した判決事例を読みこんで 裁判官に相応しい人を 自分の価値感と似た人に〇印 駄目と思う人に✕
十七歳の時の アルバムの中の一枚。 朝の珈琲屋で一杯飲み干している正面から撮った写真が出てきたから 六十二年間以上 毎朝の珈琲屋通いの証しの様な写真 誰に撮って貰ったかは 判らない。 最初に其の卓に
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昨日お越しの客人の一人、特に面白かったのは、オーストラリアからやって来た髭面の大男 遠来客の殆どが、ユーチューブとか SNS 情報を見てくる人ばかりだが、偶然前を通り掛かって 階段を上がってやって
昨朝 珈琲屋の隣席に座った 顔馴染みから『大国町て どの辺りですか?』と尋ねられた。よく聞く町名だが、咄嗟に所在地が判らない。スマホの検索も不得手 答え様がない。 『市内には大国町は沢山有るから 通
先日 ゴリラの先生の散髪をしていた時の会話の中で、 『子供の頃は、周囲に親以外の大人が居た 又 兄弟姉妹が沢山居たから それは一つの社会訓練になったかも知れませんね。』 と言ったら 『田舎の中学校
毎月一回 整形外科の先生に、注射を受ける。 骨密度を高めるとか 下がらない様にが目的で 両腕に注射されるのだが、 ご大層な薬らしく 万札出して千円少々の釣銭 保険適用が無ければ この何倍もの額を払わね
年寄の独居 現役の仕事を持ち。食に掛ける時間は有っても なかなか家の掃除が出来ない。 家で過ごす時間はベッドの上が多いから 埃で体の具合が悪くなる事は無かろうとたかを括っている。 不要と思うもの
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自転車で 街中を徘徊していると、街並みの変化に気付く事が多い。自動車は安全運転に加え スピードが速い。 自転車は、街並み観察スピードとしては適宜 其の場に止まって ゆっくり観察する事も出来る
加藤登紀子の作詞・作曲になる 『時代遅れの酒場』という曲をベースに『時代遅れの床屋』という替え歌を作った事も有る。自他ともにに世に遅れを取っている事を自覚するシーンが 続出している。 約束していた
最新情報を求め続けている事がある。 ロス郊外の山火事である。 親しくしている彼女の家にまで 燃え広がらないか 彼女からのアップ記事には 車で15分か 20分位の距離が有ると言っていたが 風向き次第
最初の成人式の頃は 小正月十五日と決まっていたが今は違う。 昨日は日本全国成人の日とやらで 定休日だったが。月曜日思い込んでお越しの客人の散髪を午前中頑張る。 お仕事でルーマニアに 三・四か月赴任
昨年末 三十日『俳句談議』という一文を載せた。祇園町の珈琲屋さんで、 お茶屋『吉うた』の女将さんと二週間ぶりにお目に掛かった。 季語入りの八句が難しいと 『さのさ』ならと 柳居子の爲に一首作って
年賀状 昔は沢山届いたのだが、今年は三十通程 其の内の何枚かは、広告と思しき 料理屋さんや商店から それ以外の年賀状で一番印象深かったのは、幼馴染 子供の頃 共に学んだS君から届いた一枚。 此方
京都市内に住む 京都市民とは課税対象から外れるのだが、市内の宿泊施設の利用容に対して、宿泊税最高一万円という記事が一面トップに載っていた。従前の最低課税額は据え置きだが 範囲を狭め 宿泊金額に
理髪店の店頭 クルクル回るアメン棒 広告看板の謂われは、ヨーロッパの先進国では、〖病は 悪い血が引き起こすと考ええ 血抜き 瀉血措置が 理髪師が理容外科とその仕事を引き受けた事に由来する。アメン棒全
幼名 子供の時の名前を、年取るに従って 名乗りを変えるのが常識とされた時代が 長く続いた。 牛若丸が義経に 木下藤吉郎が秀吉に 元服や出世に伴って名乗りを変えたり 名を頂く事も有ったが、そもそも名
生誕120年 人間国宝 黒田辰秋 木と漆と螺鈿の旅 岡崎国立近代美術館で開催中の 招待券を頂いた。 もう亡くなって四十年ほどになるが 生前お元気だつた頃 週に一・二度お目に掛かり お声掛けした事
地元紙 京都新聞が、戦後八十年 巡り糸のサブタイトルの下 『我が家はアスファルトの下』という終戦間際の強制疎開の事を取り上げていた。御池通りで書店を開いていた人の娘さんからの投書を基に 御池通りの事
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昨日 二日は、去年の仕事をしていた。 確定申告の書類作りは、例年正月休みの仕事になっている。年寄一人が、隠居仕事の様に限定された仕事をしているのだから、僅かな額だが 確定申告の出来る事が 我が身現役
勝手な理屈をつけて、このところずっと年賀状を出していない。横着な事に 頂いた年賀状に返信すら出していない。 我々の年代になると、新年を寿ぐという意味は薄れてきて、未だ年賀状を書く元気は残ってます
ブログ記事を 書きはじめて、三日めの 2006年4月27日。国で頑張っていた人の事を書いた。 今 彼は 生まれ故郷の 京都で 頑張りたいと。頑張っている。 2006.04.27 行革委員会 カテゴリ:カ
たまに出逢って『元気にしてるかー?』という問いかけは、我々の世代になると、生き死にの話しになる事が多い。 例によってブログプリント版配達先 玄関家の鍵が潰されていた。真向かいに住んでいる 中学
お名前はと聞かれ、國弘のヒロは、弘法大師の「弘」ですと答える様になつて、弘法大師に興味を持ち、随分沢山の本を読み、伝記だけでは無く 大師の書かれた物にも眼を通してきた。 勿論 四六駢儷体が読める訳で
神社の 創建 建立の由来は、色々と有る。不遇の内に亡くなった人の御霊を弔うとか 慰める目的で建てられたのが 御霊神社や 北野天満宮 御蔭神社等・・悪疫退散 病気平癒 流行り病を祟りと考えるのは医学知
久し振りに銭湯に出掛けた。寒中しては暖かいし 、湯冷めする事も無いだろうと 自転車で出掛けた。 家の風呂は隙間風だらけ いつもシャワー替わり 瞬間体を温めるだけのもの。 銭湯育ちは 風呂と云
老いこんだという事を、実感する事が 多くなってきた。 何年も前に、庭の塀 土塗りが、元の色が判らない程 汚れてきたので、高圧洗浄機と云うのを買いもとめて、其れこそ新築の塀の様に綺麗になったのだが
時々『京都の事 何でもよくご存知ですね。』と、言われる事がある。 生れ育って 八十年近く過ごしていると、その間に見知る事はあっても、自分の生活の範囲内の事 又 興味の向く部分だけ 其れも学術的な検証
京都の街が『国際文化都市』の名乗りに対しては。歴史的な実績が有り。又伝統文化とか 産業と云うのも保持してきたと思う。しかし現況は、そういう文化 伝統行事 又産業が、この先同じように続くのかという保証
いつも変らぬ日曜日と書くと、常と変らぬ日曜日という意味になるのかな? いつも通りの日曜日と書いた方が良いのか。 営業日は外をウロウロ出歩く事が無いから 日曜日に無碍外出が集中する。 ご招待の催事も
皇后杯を目指して、全国女子駅伝が、今日京都で開催される。四十七回を数えると云うから 伝統行事と云う事になる。 京都での開催が恒例になっている様だ。 都・道・府・県 持ち回りの開催でも良さそうと思う
昨日 ご年輩の客人を、階下までお見送りをして、 二階に戻ろうとした時、年輩の御婦人に声掛けられた。 全く見覚えの無い人だった。相手も其れをご存知の様で、直ぐに名乗りをされた。 同じ町内 東の方に居
過って 京都市内では、お寺・神社から 観光税の名目で 金を徴収するという騒動が二度有った。 一番最初に言い出したのは 高山義三市長だった。当時市の商工局長㋾されていた 上田氏(柳居子の店の客
亡くなった八代亜紀さんの歌唱は、少し好みから外れるので 余り聞く事も無かったが、流れ出てくる曲はしっかり覚えているから 何曲かは知っている。 亡くなった事を知って、いつ来るか判らない客人を待つ間 ユ
世の中 大きく変わりつつ有る事を、実感する事が有った。 左耳の具合が悪く 時々 塗り薬を処方して貰いに 耳鼻咽喉科の開業医に通っていたのだが、ここ暫くご無沙汰だった。老先生が若先生に入替った様だ。
オーバーツーリズムが、大きく問題視されている。 住む人の居住環境の劇変は、大きな問題では有るが、押し寄せる観光客で 大きく潤っている業界とか余禄を受ける人も居る事も確かな事である。 老舗の京料理
五十一歳の娘と、七十七歳の父親親子が 共に今回の地震で 潰れた家の下敷きになって 閉じ込められた。落命するか生き残りの狭間と云うのは、時・空間を越える 何かが有るのだろうと考える。 生き残りの限
地元紙「現代のことば」欄に、慶応大学名誉教授の 阿川尚之氏が 『アクセントが違うと』という一文を寄せておられた。 京都に生まれ育って 何の違和感も無く使っている言葉のアクセントの違いは、 外から見れば
年賀状を頂き乍 返礼も出さず 放っておいた幼馴染 小学校同窓だった女性から 電話が入った。『元気に、生きてるか?-』が開口一番 最初の口上だった。 彼女は、一年間起こった出来事を、悉く年賀状
年末にお越しになった遠来の客人は、仕事全てが 終わって 恒例のメッセージ帳にも 長文のコメントを書いて貰い 来店記念写真も撮り終わって 帰り際 握手を求められた。 ツルツルの顔剃り体験が余程気に入っ
地震 津波 火事 避難生活・・・ 幾たびこの光景を見続けてきた事か? 地震の体験談とか 同時代の出来事と記憶に残るのは、日本人皆が持つ国民性とでも言える事かと思う。 関東大震災の起った大正十二年