家の中で孤立 家族誰とも一日中喋らない 庭掃除だけが仕事と 愚痴をこぼしにやって来た友が居た、 細君が長い患いで介護施設に入ってからでも 二十年とか三十年経つ、稼業は息子に託しては居るのだが 息子の
家の中で孤立 家族誰とも一日中喋らない 庭掃除だけが仕事と 愚痴をこぼしにやって来た友が居た、 細君が長い患いで介護施設に入ってからでも 二十年とか三十年経つ、稼業は息子に託しては居るのだが 息子の
丑三つ時 ふと眼が覚めると。スイッチ切り忘れのラジオから、懐かしい『マントヴァーニオーケストラの、水の流れる様なメロディが流れ出ていた。何十年も前の昔 よく聞いた曲は 全力傾廰のモードになる。
三寒四温の時期と言うのは、丁度今頃の事を言うのだろうか? 地球温暖化とやらで、今年は三月中頃 記録的な高温 夏日を迎えた地域もあったが 今は三寒寒中である。 昨日も 早朝 春衣装纏って 表に出て
京都の旧市内 洛中の其のまた中心部 其の辺りに昔から住む人だけが判る 瑣末な話題で 掲載が憚られる思いがするのだが、住所表記とか 所在地表記に。東西 南北に交わる辻を上がる(北行)下がる(南行)東入
売家・貸家 店舗のテナント募集広告が、やたら目に付く。買い手 借り手 余程借り手の条件に叶わないと店開きも無い。 同業 理髪の業界だけ取り上げても 店を疊むケースが続出している。理髪店 散髪屋とい
何処の何方か判らずに お声掛け戴く方が 相変わらず多い。相手は確実に柳居子と判ってのお声掛け 何となく何処のどちら様と聞くのが憚られる。 記憶の減退も考えられるが それだけでも無さそうだ 七十
錦小路の 鰻屋『のとよ』の三田さんから 例年滋賀県湖西に在る別荘の庭に実を結ぶ柚子を、結構大きな袋一杯頂き 知りあいに配り 残りを『柚子味噌』に仕立てて沢山の人二配るのが 恒例行事になっていたのだが
経済という言葉が、中国の古典籍『礼記』の中に 国を治め人民を救う『経国済民』が典拠で有る事を 其の道に詳しい方から教わった事が有った。 漢とか唐の時代に掛けて 編纂された 世の決まり事 国を治め
7325と言う数字は、365日×20年+5日 一年365日 20年間の間には、2月29日有る年が 5回有るから 7325日 ブログ記事の連載日数の数字である 連載5周年『柳居子徒然を読んだ』のタ
殆ど毎日 世界中の何処かからやって来る客人に対応していて、今迄持っていた常識とか 思い込みが 大きく遅れていると思う事が多々ある。 米国・豪州・独・英・加・仏・伊 辺りからお越しの方々が多いのだが
加齢が進むと、当然の事ながら聴力が落ちてくる。相手の喋る事 碌々聞かずに自分の喋りたい事だけを喋るのは 会話では無い。朝の珈琲屋でも そういうシーンが時々ある。 本当に久しぶりにやって来たE君 東
昨日 午後やって来た遠来の客人と思しきは、背の高い若い白人 肩口まで伸びた髪は 髪質も有るのか 綺麗に納まっていた。招じて理容椅子に゜座るなり スマホの音声通訳を介して応答が繰り返された。 『後ろ
NHKラジオ深夜便に 山極寿一氏が、地方の復活 過疎地対策に、廃小学校を使うという活動を 側面支援を剃れている事を知った。柳居子は本来 其の事にも関心が有るのだが 発信されたその言葉に成程と共感する
二十四節季の春分 春たけなわの語感感じるが 今朝の京都市内は寒かった。節季のの一つまえ 啓蟄は土中に居た虫が ぼちぼち春かと地上に顔出す季節だが 一寸顔だけ出して 余りの寒さに又 地中に戻ったかも
表題の 柳居子徒然は、改めて書くまでも無く 兼好法師の徒然草から 名付けているのだが、 筆の滑り出し 〖つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはか
朝の珈琲屋の常連席 5番テーブルの客人の年齢構成は、柳居子含め 八十歳台が三・四人 後七十歳台 平均年齢は 若い医師の座る事も有るが 七十歳台中程と言ったところ 時どきゲストとしてやって来る若い
腰椎の圧迫骨折をしてから、柳居子の弱点は 腰に集中している。寝るとき以外 常時コルセットを巻き付けていないと 何所まで腰が曲るか判らないという不安感が有る。腰が砕けるとは よく言った言葉だと思う。
昨日は 嬉しい客人が続いた。オランダからやって来た客人は リピーター 十日程前に、髪の毛刈って 髭剃って送り出した人 『又 来たよ』友人一人伴って『この人の髪の毛 髭剃りもお願いします。』 自分が体験
少子化 高齢化が進むと。 年寄も何時までも 頑張らねばならない時代の到来。 年取る事がある意味 値打ちが上がるという職域が有る。 宗教法人の事を職域と言うのは 憚りも有るが、我々と特別変った生活をし
『近世藩医の学問と 医療環境』と言う発刊間もない本を 謹呈された人を差し置いて借覧して 読ませて頂いた。 全ての内容を理解するには 余りにお粗末な読者では有るが、若し載っていたらという言葉 随分
若かった時の 記憶に有る 京都の街並と言うのは、 急速に様変わりしている様に感じる。 間口の広い 大店に限らず 普通の民家でも 道路に面した二階家は 虫籠窓で 虫籠窓の内側は、天井低く居住空間
先日お越しの客人との会話は 面白かった。 柳居子と同年代 ブログのプリント版を ご来店毎 何枚か纏めて差上げている。 「この前 頂いた新聞に 歌手の 岸洋子の歌を唄ったと載せて有りましたが 懐かし
何面も有る 店の鏡で、最近は 如何いう顔付き・目付きをして他人と接したら良いのかを研究して トレーニングをしている。目付き顔つきが悪い事は自分でも充分に自覚している、第一印象が良いなんて 今迄聞いた
昨日は 随分久し振りに 小・中学校同窓 度々同級にもなった 松下隆夫君に偶然出会った。一瞬 松下君によく似た人だなと思ったが 相手も同じ様に吃驚した顔をしたので 松下君と確信して声を掛けた。 『
アナウンスの語意は、告知 知らせる 広く語りかけるという意味が有ろうかと思う。 相手が居る対話とは 明らかに違う。又多くの人に 言い聞かせるアナウンサーという職域は 広報・伝達の社会的意味も有る。
毎日 十九年近く 無い知恵振り絞って 他人様が読む事を前提の文を書き、始めた頃と同じ方法で 一旦ワードに打ち込みウェブサイトに載せ 一週間分の記事を A3版裏表にコピーして 約二百枚程配る。週間新
連日 海外からお越しの客人と接して、自分の認識と、現実にお迎えした人との対話にすれ違いを感じる事がある、カット・顔剃り 特に顔去りは双方が黙して出来る事だが 自分の髭をツルツルに剃って貰った直後だか
今朝がた 午前四時の NHKラジオのニュースで、百七歳の女性美容師が 美容師の世界最高齢と ギネス認定を受けて 認定書の伝達式が昨日 行われた事を報じていた。男の美容師で 百八歳が要るそうだが 男女
若者が、金髪や流行の赤や緑に毛染めをする話題では無い。従前からの呼び名『白髪染め』の話しである。 一本の白髪も無い時代が過ぎて チラホラ白い髪が混じって来ると、体質にもよるが 誰もが年齢を自覚する
一年間に 二・三度 『おじちゃん 毛伸びた』と言ってやって来る 客人と言うのか半客人と言う様な人が居る、もう六十近い年齢 巨躯 決して鍛えた体では無く デブ 毛量は半分白髪で 伸びて来ると 頭全体が
昨日日曜日は、定休日だったが、真向かい乾物屋さんのご主人が 「髪の毛が伸びて。」と 仰るので 「前にこの自転車が止まっていたら 何時でもお越しください」が 朝一番の会話だつた。 珈琲屋から帰っ
十日程前。公人孝治さんの紹介と言うのか 紹介人ご本人は朝の珈琲屋には見えなかったのだが 春風亭の名跡の落語家さんと小一時間 話しが弾んだ。 落語のマクラの話し 柳居子が 東京で『京語り』の会を開い
スマホの音声翻訳機能の 充実は、微妙な日本語のニュアンスも 相手に上手に伝えてくれる。 昨日ジョージア州 アトランタからやって来た客人は、 体躯は大きいが 未だ年若い髭の濃い男 散髪の椅子に座るな
『安保理』「紛争終結初決議」という新聞の一面記事のタイトルを見て。意味する事の理解が出来る人は ある一定の年代の人かと思う。若手人の中には 安保理の言葉の意味を知らねば読み進める事は出来ない 安
人様にご披露する様な話では無いと、自覚しつつも 未だすこし 他人に自分の吐いた言葉に 従わせる事が出来た、顔つき 目付きが為せる事 ほんの少し嬉しくなるような事が有った。 昨朝 月に一度の整形
日文研(国際日本文化研究センター)教授で 日欧交渉史がご専攻の フレデリック クレインス氏が 地元紙 〖現代のことば〗欄に『京都の暖簾文化』し云う表題の一文を寄せておられた。 氏の書かれた文は 我々
四年間ほどで 約千人の遠来の客人を迎えているのだが、其のうちの僅かな数の人は 日本語が堪能 日本で生まれ育ったとか 配偶者が日本人とか 常日頃日本語と接する機会の有る人が多い様だ 『日本語は難し
人の命が尽きていくと言うのは、誰一人逃れる事の出来ない事。否 人間だけで無く 生有る物 全てに当て嵌まる事。 昨日 最後にお越しの客人は、柳居子とほぼ同年代 盛り上がった会話は、『最近SNS情報で
長年 ご贔屓の客人 又 始めてお越しの客人 遠来の人も含めて、如何したら 刈って 剃って 髪の毛洗う時間が リラックスして 愉しい時間になるか そう云う事をよく考える 結果が何時までも残る仕事で
昨日 朝の珈琲屋に 初めて五番テーブル常連席の柳居子の隣に座った人との会話が面白かった。人に喋り伝える事の難しさ 人が自分の話しを如何聞いてくれるか 如何すれば良いのか 東京で『京語り』という
取材 撮影の時間が長かったが、NHK BS放送に 僅か10分程登場。放映から五日ほど経っているのに とばっちりと言うのか 次から次に 番組を見ましたという メッセージや 電話 手紙も届いた。 放
辛抱 我慢が、貴い体験と昔の人は考えた。新しく店を開いたら、其の店を知って貰うだけで 三年の月日が必要と言う意味にもとる事が出来ると思う。 世のなかの仕組みが、日進月歩 毎日変わっていくスピー
子供の頃 犬を飼っていた。名前は『チビ』 今なら差別用語 路頭で飼い犬の名を呼ぶ事も憚られる。 両親が店を新開店した時も 犬は飼いつづけていた。開店当初 職住一緒だつたから 客人は 一番奥に在った
靴下の爪先が濡れるので、何故と愛用の靴底を見たら。穴が開いていた 其れも両側に。昨日新しい靴を買いに 川端今出川下がるの ホームセンター迄出掛けた。 愛用の靴は 靴売り場では無く 建築作業員の履
八十歳現役 オーバーツーリズムの声が高いとは言っても、体験型日本観光の取り組みに付いてか NHK BSに、昨夕 柳居子が、外人客の顏剃りをしている画像が流れた。 去年の秋 取材 撮影は終っていた
自分の喋る事が、自分の思い通りに相手に伝わっているか? 幾つになっても確信を持つ事が出来ない。 内容の軽重に関わらず もっと上手に簡潔に喋る言葉が有ったのではと思うのだ。 昨日は バレンタイン・
見る事 見た事の幸せ 殊更珍しいものを見なくても 常視るものが美しく見えたら 眼の幸せ 眼福と言う事だろう。 感服を感じるのは、年代に寄っても捉え方が変って来る様だ、眼福を最初に感じたのは 未だ
米トランプ大統領と ロシア プーチン大統領との 直接電話会談が 一時間半の長きに渡った事を報じていた。 両巨頭の一時間半の話し合った中身の濃さは 我々には想像を絶する内容だったと思われる。お互
降り注ぐ陽光は、春の到来を感じさせるに充分だし、母校 柳池中学校前の早咲きの桜は チラホラ咲きより進んでいる。そうは言っても 三・四日まえは大雪で、南側高い建物の建っている北側の道路には 未だ融けき
衣食住が足りて、当たり前に過ごせる事を、喜ばねばと思う事がある。 今朝がた 五時過ぎに店に着いたら 救急車と消防車のサイレンの音が 近所で止まった。 消防車は放水もせず直ぐに戻ったが 救急車はいつ
兄上と ご父君 他ご親族一名の 年回忌の法要を ささやかに身内だけで施行したと言う記事が上がった。 兄上が亡くなる直前と思われるある日の 父君と柳居子との ほんの短い会話を思い出した。 年末 大
机並べて、教室で大勢の仲間達と 共に学ぶという経験が少なかったから、判らない事は 周囲の大人達に、教え導かれて柳居子の今が有ると思って居る。 他人の話しを聞く耳と言うのは、自分の事を他人に喋る口
一晩で 一m・二メートル積もる雪と言うのは。京都市内に住む者には 想像も付かない事だが、それでも今朝は 自宅から店までの道路 僅かだが積雪で真っ白い道だった。 ブレーキが動かないから慌てたが ハンド
京都市内で 何か所かの転居を繰り返してはいるが、 生まれ育った中京区の家 今は店として使っているが 生活の基盤の全ては店の在る場所 生まれ育った場所で 生涯を過ごせる事の贅沢を感じる事がある 田
全国紙 21社の共同企画で、男女の特性を言い表す 地域特有の言葉の言い回しや 其の印象を尋ねるというアンケート調査結果を報じていた」 『京おんな』 のイメージは、「いけず」と「品がある」一筋縄で括
柳居子より年嵩 ご年輩の御客様が、もう あんた店まで行けないと言われ 暫くご無沙汰すると ご他界の話しを聞く事が多いのだが、ご家族も柳居子の店に起しになっているとは 限らない。幾ら長くご贔屓になって
日曜日 自転車で 街中徘徊して気付いた事は、 季分け 節分の催事を方々の寺や神社が 紅白の幕を張って どうぞお参り下さい お越し下さい。夜は煌々と灯りを点して商店のセールスの様な雰囲気。 又 単独で
自分の能力を信じて抱く誇り 自負心と云う言葉 昨日ふと矜持という言葉が頭の中で甦った。 最初に矜持という言葉を感じたのは、小・中学同窓で 中卒直ぐに就職して 其の後 中華料理屋に転職 艱難辛苦の
柳居子の母親世代の日常会話 数十年経っても 頭に今も残っている。 町内 ご近所のおばさん達の 朝の会話 当時は『表掃き』(かどはき)と言って 自分の家・店の間口部分だけを毎朝 掃き浄めるのが街中に
吉田神社 節分祭には 東大路通りから 山上の神社に至る東一条通りに 数多くの露店が並ぶ。山裾までの参詣道が 柳居子の通勤路になるので 季節の移り変わりを認識するのに 格好の催事 祭事である。 二
本サイトでも 度々取り上げている ユーチューバー 「ヘアカット ハリー」さんの 柳居子が外人客の 顏剃りをしている動画のアクセス数が、本編・続篇・シャンプー編の合計が 1000万を越えていた。 彼
今年 八十歳の誕生日は、十年一度の台替わり 傘寿とやらで、考えられない程多くの方から お祝いの品や メッセージ 又お声掛けを頂き 例年の誕生日とは 様変わりだった。 数多く頂いたプレゼントの中
新聞の第一面は、国民皆が知るべき事 内容詳しく判らなくても 経済・外交等 掲載内容の軽重を考えると、重厚な記事で纏められていると考えていた。 ネットで知る情報は、自分にとって重要 又 興味の赴く
毎朝 新聞の折り込み広告を手札型くらいの大きさに たたみ 其れを指し込んで ビニール袋に詰め込んで 其れを珈琲屋のウェイトレスに 「はい、ゴミ」と言って手渡す。 目と指先のトレーニング 綺麗にたた
子供の頃や 若かった頃の遊び場 遊び仲間を思い出すと、今の子供の遊びは、随分違うように思う。柳居子は弟が一人いるだけだが 仲間には兄弟姉妹の沢山居る友も居て、一年上は怖かったが 三・四年上の 遊び仲
『都会の喧騒を逃れて 静かな田舎暮らしをしたいと思うが 如何思う?』と、問われた事が有った。 『喧騒が如何いう意味が判らないが、都会暮らしの利点と言うのは 田舎に移り住んで始めて判る事で 年取って
コツコツと 主業である理容の仕事を続けてきた。社会貢献と言うと 大袈裟だが 世の爲 人の爲になる様なことをしてきたかだろうか? 反省の意味も込めて つらつら考えると やはり理容の仕事を介しての 人間関
ビットリオ デシーカー監督の作品に 『昨日・今日・明日』という映画が有った。デシーカの映画は見逃さず見ていた心算だが 作品内容を思い出せない。見逃した映画だったかもしれない。昨日 yesterday・今日toda
十年以上前に テレビが潰れた時 新しいのを買おうと思ったのだが 買いそびれている内 テレビ無しでも普通に生活が出来るなと気付いた。元々仕事終えて帰宅 寝るまでの僅かな時間帯 又 テレビで取り上げる番
見ず知らずの人に声掛けする事が多い。 老若男女問わず 此方から声を掛ける事が出来るのは、腰や背が曲った柳居子の老体の発する言葉 先ずは無難な事しか言わないだろうと相手も最初から 警戒心を持たないの
昨日お越しの客人の一人、特に面白かったのは、オーストラリアからやって来た髭面の大男 遠来客の殆どが、ユーチューブとか SNS 情報を見てくる人ばかりだが、偶然前を通り掛かって 階段を上がってやって
昨朝 珈琲屋の隣席に座った 顔馴染みから『大国町て どの辺りですか?』と尋ねられた。よく聞く町名だが、咄嗟に所在地が判らない。スマホの検索も不得手 答え様がない。 『市内には大国町は沢山有るから 通
先日 ゴリラの先生の散髪をしていた時の会話の中で、 『子供の頃は、周囲に親以外の大人が居た 又 兄弟姉妹が沢山居たから それは一つの社会訓練になったかも知れませんね。』 と言ったら 『田舎の中学校
毎月一回 整形外科の先生に、注射を受ける。 骨密度を高めるとか 下がらない様にが目的で 両腕に注射されるのだが、 ご大層な薬らしく 万札出して千円少々の釣銭 保険適用が無ければ この何倍もの額を払わね
年寄の独居 現役の仕事を持ち。食に掛ける時間は有っても なかなか家の掃除が出来ない。 家で過ごす時間はベッドの上が多いから 埃で体の具合が悪くなる事は無かろうとたかを括っている。 不要と思うもの
久し振りに 栗塚旭君と、街で出逢った。体調が悪いと聞いていたが、相変わらず大きな よく通る声でご挨拶。『一年半程前から 癌の診断が下り 余命も告げられてますが 未だ生きている事で 医者が吃驚していま
自転車で 街中を徘徊していると、街並みの変化に気付く事が多い。自動車は安全運転に加え スピードが速い。 自転車は、街並み観察スピードとしては適宜 其の場に止まって ゆっくり観察する事も出来る
加藤登紀子の作詞・作曲になる 『時代遅れの酒場』という曲をベースに『時代遅れの床屋』という替え歌を作った事も有る。自他ともにに世に遅れを取っている事を自覚するシーンが 続出している。 約束していた
最新情報を求め続けている事がある。 ロス郊外の山火事である。 親しくしている彼女の家にまで 燃え広がらないか 彼女からのアップ記事には 車で15分か 20分位の距離が有ると言っていたが 風向き次第
最初の成人式の頃は 小正月十五日と決まっていたが今は違う。 昨日は日本全国成人の日とやらで 定休日だったが。月曜日思い込んでお越しの客人の散髪を午前中頑張る。 お仕事でルーマニアに 三・四か月赴任
昨年末 三十日『俳句談議』という一文を載せた。祇園町の珈琲屋さんで、 お茶屋『吉うた』の女将さんと二週間ぶりにお目に掛かった。 季語入りの八句が難しいと 『さのさ』ならと 柳居子の爲に一首作って
年賀状 昔は沢山届いたのだが、今年は三十通程 其の内の何枚かは、広告と思しき 料理屋さんや商店から それ以外の年賀状で一番印象深かったのは、幼馴染 子供の頃 共に学んだS君から届いた一枚。 此方
京都市内に住む 京都市民とは課税対象から外れるのだが、市内の宿泊施設の利用容に対して、宿泊税最高一万円という記事が一面トップに載っていた。従前の最低課税額は据え置きだが 範囲を狭め 宿泊金額に
理髪店の店頭 クルクル回るアメン棒 広告看板の謂われは、ヨーロッパの先進国では、〖病は 悪い血が引き起こすと考ええ 血抜き 瀉血措置が 理髪師が理容外科とその仕事を引き受けた事に由来する。アメン棒全
幼名 子供の時の名前を、年取るに従って 名乗りを変えるのが常識とされた時代が 長く続いた。 牛若丸が義経に 木下藤吉郎が秀吉に 元服や出世に伴って名乗りを変えたり 名を頂く事も有ったが、そもそも名
生誕120年 人間国宝 黒田辰秋 木と漆と螺鈿の旅 岡崎国立近代美術館で開催中の 招待券を頂いた。 もう亡くなって四十年ほどになるが 生前お元気だつた頃 週に一・二度お目に掛かり お声掛けした事
地元紙 京都新聞が、戦後八十年 巡り糸のサブタイトルの下 『我が家はアスファルトの下』という終戦間際の強制疎開の事を取り上げていた。御池通りで書店を開いていた人の娘さんからの投書を基に 御池通りの事
食品スーパーの商品展示の話題が出た。 昔は 泥付の一個売り 南瓜とか白菜 季節物でも 農家が作ったものを其の侭 店頭に並べていた様に覚えているが 全く今は違う。包装材も昔は 古新聞とか肉類は竹の皮で
昨日 二日は、去年の仕事をしていた。 確定申告の書類作りは、例年正月休みの仕事になっている。年寄一人が、隠居仕事の様に限定された仕事をしているのだから、僅かな額だが 確定申告の出来る事が 我が身現役
勝手な理屈をつけて、このところずっと年賀状を出していない。横着な事に 頂いた年賀状に返信すら出していない。 我々の年代になると、新年を寿ぐという意味は薄れてきて、未だ年賀状を書く元気は残ってます
明けまして おめでとうございます。良き年をお迎えの事と拝察申し上げます、 私は いよいよ八十歳台に突入 昨日とか去年と同じ事が出来たら 有り難い事と思いながら 今年も過ごそうと思って居ます。宜し
何故 百八の鐘を撞くのか? 大きな意味が有るのだと疑問に思って居た。 お寺で打ち鳴らす 其れも除夜十二月三十一日の夜と言うのなら 宗教関係の書物に載っているかと 今から五十年ほど前に買い求めたのが
年末 最終の定休日 昔は当然の様に営業したのだが、昨日日曜日の定休日は午前中予約が入り 一仕事したのだが、昼前からはフリータイム ブログプリント版の配布に出掛けた。 祇園切通しの 珈琲屋さんへは
もう幾つ寝ると お正月 「お正月には 鞠(まり)撞いて こまを回して遊びましょ 早く来い来い お正月」 七十年以上前に 親に唄って聞かされた記憶が有る。 鞠つき コマ回し 凧揚げなんで 今の子供は知
南禅寺 瓢亭の高橋さんが今年最後の散髪に起しになった。丁度外人客の仕事が終わって送り出した後 床に散らばっている 金髪に近い白い髪の毛指さして『外人さんでしたか?』と尋ねられた。「はい ルーマニアか
昨日 午後 掛かってきた 電話 営業無関係の電話なら、煩わしい 『今お客様の 顔剃りとかシャンプーの最中』と言って受話器を戻すのだが、手が空いていた。 二ケ月ほど前に 祇園町の珈琲屋で お茶屋の
昨夜は贔屓の料理屋『松長』 のクリスマス パーティと 若女将の誕生日祝いを兼ねての大宴会。夜の宴会は直ぐに眠くなるので 余り出掛ける事も無いのだが、場の盛りたて役をしようと一計を立てた。 先日柳居
毎年 十二月は色々と頂戴する事の多い月である。お歳暮という伝統的な物々交換も有るが 手作りの梅干しとか 柳居子の身の安全を守る蛍光シールを張り付けた安全ベルトとか 数の多くは口に入れるものが多かった
朝の珈琲屋で、高齢女性のお話を聞くという 介護ボランティアの様な事をしているのだが、 同じ話しを何度も聞かせて貰うのを 始めて聴く様な顔をして ほんの少しこちらが色づけして返すと『あんた 何でも知っ
色々な人との出逢いで、日々過ぎる事を 結構な事と感謝している。 特に日曜日 客待つ立場の仕事は 営業中は外出できないから 定休日に集中する事になる。 昨日午前中は、高校駅伝で 通行制限を受けた
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家の中で孤立 家族誰とも一日中喋らない 庭掃除だけが仕事と 愚痴をこぼしにやって来た友が居た、 細君が長い患いで介護施設に入ってからでも 二十年とか三十年経つ、稼業は息子に託しては居るのだが 息子の
丑三つ時 ふと眼が覚めると。スイッチ切り忘れのラジオから、懐かしい『マントヴァーニオーケストラの、水の流れる様なメロディが流れ出ていた。何十年も前の昔 よく聞いた曲は 全力傾廰のモードになる。
三寒四温の時期と言うのは、丁度今頃の事を言うのだろうか? 地球温暖化とやらで、今年は三月中頃 記録的な高温 夏日を迎えた地域もあったが 今は三寒寒中である。 昨日も 早朝 春衣装纏って 表に出て
京都の旧市内 洛中の其のまた中心部 其の辺りに昔から住む人だけが判る 瑣末な話題で 掲載が憚られる思いがするのだが、住所表記とか 所在地表記に。東西 南北に交わる辻を上がる(北行)下がる(南行)東入
売家・貸家 店舗のテナント募集広告が、やたら目に付く。買い手 借り手 余程借り手の条件に叶わないと店開きも無い。 同業 理髪の業界だけ取り上げても 店を疊むケースが続出している。理髪店 散髪屋とい
何処の何方か判らずに お声掛け戴く方が 相変わらず多い。相手は確実に柳居子と判ってのお声掛け 何となく何処のどちら様と聞くのが憚られる。 記憶の減退も考えられるが それだけでも無さそうだ 七十
錦小路の 鰻屋『のとよ』の三田さんから 例年滋賀県湖西に在る別荘の庭に実を結ぶ柚子を、結構大きな袋一杯頂き 知りあいに配り 残りを『柚子味噌』に仕立てて沢山の人二配るのが 恒例行事になっていたのだが
経済という言葉が、中国の古典籍『礼記』の中に 国を治め人民を救う『経国済民』が典拠で有る事を 其の道に詳しい方から教わった事が有った。 漢とか唐の時代に掛けて 編纂された 世の決まり事 国を治め
7325と言う数字は、365日×20年+5日 一年365日 20年間の間には、2月29日有る年が 5回有るから 7325日 ブログ記事の連載日数の数字である 連載5周年『柳居子徒然を読んだ』のタ
殆ど毎日 世界中の何処かからやって来る客人に対応していて、今迄持っていた常識とか 思い込みが 大きく遅れていると思う事が多々ある。 米国・豪州・独・英・加・仏・伊 辺りからお越しの方々が多いのだが
加齢が進むと、当然の事ながら聴力が落ちてくる。相手の喋る事 碌々聞かずに自分の喋りたい事だけを喋るのは 会話では無い。朝の珈琲屋でも そういうシーンが時々ある。 本当に久しぶりにやって来たE君 東
昨日 午後やって来た遠来の客人と思しきは、背の高い若い白人 肩口まで伸びた髪は 髪質も有るのか 綺麗に納まっていた。招じて理容椅子に゜座るなり スマホの音声通訳を介して応答が繰り返された。 『後ろ
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二十四節季の春分 春たけなわの語感感じるが 今朝の京都市内は寒かった。節季のの一つまえ 啓蟄は土中に居た虫が ぼちぼち春かと地上に顔出す季節だが 一寸顔だけ出して 余りの寒さに又 地中に戻ったかも
表題の 柳居子徒然は、改めて書くまでも無く 兼好法師の徒然草から 名付けているのだが、 筆の滑り出し 〖つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはか
朝の珈琲屋の常連席 5番テーブルの客人の年齢構成は、柳居子含め 八十歳台が三・四人 後七十歳台 平均年齢は 若い医師の座る事も有るが 七十歳台中程と言ったところ 時どきゲストとしてやって来る若い
腰椎の圧迫骨折をしてから、柳居子の弱点は 腰に集中している。寝るとき以外 常時コルセットを巻き付けていないと 何所まで腰が曲るか判らないという不安感が有る。腰が砕けるとは よく言った言葉だと思う。
昨日は 嬉しい客人が続いた。オランダからやって来た客人は リピーター 十日程前に、髪の毛刈って 髭剃って送り出した人 『又 来たよ』友人一人伴って『この人の髪の毛 髭剃りもお願いします。』 自分が体験
少子化 高齢化が進むと。 年寄も何時までも 頑張らねばならない時代の到来。 年取る事がある意味 値打ちが上がるという職域が有る。 宗教法人の事を職域と言うのは 憚りも有るが、我々と特別変った生活をし
『近世藩医の学問と 医療環境』と言う発刊間もない本を 謹呈された人を差し置いて借覧して 読ませて頂いた。 全ての内容を理解するには 余りにお粗末な読者では有るが、若し載っていたらという言葉 随分
先日 高倉 松長に出掛けた時、柳居子をよくご存知の女性が沢山居られ 其の中の一人は、出逢った時は必ずハグを交す人だったので 何時も通りハグを交したら 其の流れで次から次にハグを交す事になって、松長で
今は 何処で有ろうが 誰で有ろうが 情報が瞬時に届く時代。昔の人が見れば信じられない不思議の世界になっているのだと思う。勿論生活 営みのエリアも狭まかったと思われるし 情報不足を不足と考えなかった部分
昨日出来た事が、今日も変わりなく出来るという保証は無い。 経験豊か十言われても、柳居子の仕事は 喉元に鋭利な刃物を突きつける仕事 仕事の出来る限界年齢と言うもの当然有ると思う、 手や指は長年使い
今から六十六年前、柳居子が十三歳の時の 四月十三日頃 曜日が定かで無いが、父に連れられ 嵯峨の虚空蔵法輪寺に、十三参りに連れて行って貰った事を想いだす。店の仕事を休んでまで出掛ける人では無かったから
AI(人口知能)の世界とか 其の領域が、どんどん拡大されつつあると云う。 人口知能と言われても もう我々の世代は、理解出来ないし 判ろうと思う気分にもならない、 取れ残されているというのは スマホの
『よくブログ記事ネタが続きますね、何かこつがるのですか?』と聞かれる事がある。 先日も朝の珈琲屋で其の話しが出た時、「何か気になる言葉・覚えて置いたら良いと思う言葉を、頭の中から消え去らぬ内に 手帳
小・中学校の同窓会は、古稀を契機に 案内状を出して 出欠を取る会は もう止めにしようと決めた。何時までも若い時の様に頑張っている人と そうでない人との個体差が増々大きくなる年代 元気・そうでないは
二週続けて日曜日 ご高齢で柳居子の店までお越し頂けない方の散髪に出掛けた。馬町に次いで松ヶ崎呼返町 散髪の道具類一式持参は 結構嵩張って重いので 電動補助の三輪自転車が重宝する。 出掛け先の邸内に
朝の珈琲屋で出てくる話題は、席に座る人の平均年齢を考えると、当然の事ながら 若い人には入り込む余地が無い事や 専門職的な話題も多いから 若者に敬遠される席でもある。 話題だけでは無く 使われる言
小・中の同級生は、誕生日を迎える毎 八十歳の大台に乗る。三桁の百才迄二十年を切った。八十路の旅は。冥土への一本道とも言えるか。 今朝も同級生だったT君にばったりと出逢った。 細君を介護施設に送り
今朝は、自宅を出るのを三十分程遅らせ 陽が昇りかけ 周囲が明るくなってから家を出た。 毎年、この時期のある朝 満開の桜頼りが溢れるころ 通勤路 自転車だから 逍遥では無いのだが、気になるお気に
先日 九十六歳の ご老人の散髪に、東山馬町の東 お寺の近くのご自宅にお伺いした。一月一回の散髪は 色々と旧いお話を聞かせて頂く場でもある。 奥さんが先に亡くなって、孤老と言ってよい生活。サポート
『柳居子徒然』表題 名乗りの由来は、何度か書いているのだが、 父が柳居を名乗っていた事 俳句や歌を詠むという雅の人では無かったが、同じ町内に住む 羅紗屋(服地商)の御主人が、自宅店舗前の柳馬場通りに
エイプリルフール 本当の話し? と、云うような店の展開となった。前日朝は何時から開店ですか? 拙い日本語の電話が入ったのだが 本当に来るか 来ないかは 判らなかった。一応 直ぐに仕事が取り掛かれるよ
一年の 四分の一が、あっと言う間に過ぎた昨日の陽気には吃驚した。 朝 出掛けに羽織ったジャンパーは、自転車の荷台に置いたまま セーター一枚でも暑い位。季節の移り変わりを、昨日の様に激越に感じる日は
昨日は土曜日の営業日。来客の多い曜日では有ったが、午後三時間程店を閉じて 『泉孝英先生を偲ぶ会』に参加した。 三百四十人程が参加 献花が終わって立食形式のパーティ会場 大勢の人 懐かしい顔とか 何故
昨夜は、朝の珈琲屋仲間で 柳居子より一世代か 半世代若いメンバーのお祝いの会を開いた。 十人程の人数だったが、おおいに盛り上がった。 社会の第一線から ほぼ退いている世代が、これから大変な仕事を
柳居子が、楽天ブログサイトに 連載を続けている記事は、大勢の人の眼を汚しているとは言え 他人の思索に影響を与えるとか 人を煽る様な意図は全く無く 只 自分の忘備録の心算で書き続けている。 この年 こ
三月は、特に遠来の外国人客の多い月となった。 昨日時点で 延べ50人を越えた。未だ4日残しているが 営業日数25日 孝準計算で一日二人はやって来る勘定になる。 先日も 店の直ぐ傍で スマホの画面と
都会に住んでいると、雨は出掛けるに傘一本余分の荷となり 又 鬱陶しいと感じる人が多いかと思うのだが 自然と向き合う農作業などは 雨が降らぬと一大事。 祈雨 日照りが続いて農作業に停滞が出た時は。神仏