孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
世の動き 出来事を知るという手段は。時代と共に変化して。 近年増々進化のスピードが速くなって。柳居子の年代などは、付いて行くのが精一杯 早々と変化の流から降りる人も沢山居る、 情報の速報性と言うの
昨日 夕食を共にした友人から『柳居子さんは、政治の事は殆ど何も書かれないのですね。 健筆だから 政治 まつりごとを書かれると 読者も喜ぶと思いますよ かくいう私も興味が有ります」と言うから『私は連載
『京都の事 何でも良くご存知ですね。柳居子さんの様な人を、通と言うのですね。』と 時々言われる。通とは通暁 知り抜いているという意味か? 自分が京都通 京都の物知りなんて考えた事も無い。京都の街は
毎日曜日の決まり事の様に、祇園切り通しに在る喫茶店に出掛ける。 週一の客なんて そう売り上げに寄与する訳でも無いのだが、柳居子の訪問時間に合わせて、待って頂いている女性が居られる。喫茶店の直ぐ近くの
コロナ過の影響が大きいと思うが、葬式とか回向の集まりと言うのを控えるケースが多く 家族だけで済ます人も多い。又 新聞の死亡広告も、葬式・告別式の案内では無く 生前のご交誼を謝すという内容が多い。この
福島の原発処理水の海洋放出が始まったそうだ。 其れと同時に放出処理が完了するのに三十年程掛るという事も 明るみに出た。原子力発電も化石燃料の一種と見做して、以前『パンドラの箱』という記事を十三年前と
青天の霹靂と言うのか 予想も下馬評にも上がって無かった学校が、頂点を極めた。 日本人なら誰でも知っている一万円札に描かれた人が、教育の場として開かれた「蘭学塾」として始まった学校は、その後『慶応義塾
度々書いている事だが、 父柳居は、十四人兄妹の末子 八男で姉が六人いた。 一番上の姉は、私から見れば従妹だが父より三歳年上 親娘で競って子どもを産んでいたのだ。 昔の子沢山は、其れなりの理由の有る事
地元紙の 情報ワイド版という欄に、 豪華執筆陣 新たな切り口で『左京区を多角的に読み解く』という企画を載せている。 旧知の樺山記者の記事 又佐藤守弘同志社大学教授の名前も載っている。 左京区 鴨川
若い時に比べてという書き出しで始まる記事は、いつも年取ったとか、レベルが下がったという内容の文になる。 遠来の外国人客が 店に入って来たら.直ぐ渡すのは『もう七十八歳の老人だから 今風のトレン
毎日のように 在洛のホテルのフロントから電話が掛って来る。今日は営業されてますか? 何時の時間帯なら。予約制出来ますか? 料金についても問い合わせが有る。皆 宿泊の外人客に替わっての電話である。
柳居子の朝食メニューは、完全固定 もう何十年も 同じ物を食べている。歯が弱ってきたから、八枚切り本来サンドイッチ用のパン二枚 軽くトースターで焦し 苺のマーマレードを塗りその上にロースハムを乗せたの
大文字を模した焼き菓子を「大文字焼き」と名乗るのは何等問題は無いのだが、毎年八月十六日の夜 京都の大文字送り火の事を 『大文字焼き』と言われると情けない思いがする。奈良の若草山の山焼きや 方々で行わ
幾つまで仕事が出来るかは 判らない。 同業仲間の多くは、もう仕事の現役から離れて、隠居生活を送っているのが多い。 一応の目途として眼が極端に弱って来たら潮時かなと思ったりする。 お迎えする御常連
『終戦の日』というのを、何か奥歯に物が挟まった様な思いをずっと持ってきた。 交戦国の代表が集まって「降伏文書」にサインして取り交わす事が 正式に戦争が終わったという事なら 終戦記念日と言うのは 勝敗
小学校・中学校の同窓会は、卒業以来 殆ど柳居子が仕切って来たが、古稀を境に、出欠を取る同窓会は止める事にした。 昔を懐かしむという歳でも無いし 合えば病気の話し 体が衰えてきたという話しが主流 又案
珍しく午後の八時に寝付いて 朝四時まで 一度も目覚める事無く 八時間睡眠なんて 何十年ぶりか記憶にない。ラジオのスイッチを入れると。台風情報ばかり 雨音も激しい。 こんな日は家に潜んでいるのが良いの
朝の珈琲屋で、時々同席する男が居る。 若い時からの顔馴染み 彼は一歳年下だったと思う。 一緒に出掛けたり お互いの家を訪問したりする関係では無いが、諸々の事情も 良く知っている。 柳居子徒然のプ
寺勢とか社勢 という言葉が有るのか如何か知らないが、お寺や神社に勢いが有るか その逆衰微の兆しが有るかは、寺・神社の数が圧倒的に多い京都では。市民の見る眼も、街の中一つ二つを構える町とは違う見方をす
日曜・祝祭日は、一応定休日と定めてはあるのだが、昨日『山の日』カレンダーの赤印は、遠来の外国人 入れ替わり途切れず三人お越し。 日本での床屋の日と決めこんだ御仁たちには 旗日の定休日なんて通用しない
立集を過ぎたとは言え 暑い日が続いている。クーラーが無かった時代 暑さにどの様に対処していたのだろう。 昔とは言っても柳居子の記憶に残る範疇の事だから せいぜい数十年前の事 今も昔も変らず熱かったの
料理は量を沢山作った方が 微妙 妙なる味が出ると信じ込んでいるから、何を作っても半端な量は作らない。 大匙一杯 小匙一杯 何CC 等と言うのは一人前 二人前と少量を作る時の単位 調味料の眼加減 手加減
被爆の語り部という人達が高齢化して、実体験を語る事の出来る人は、もう年齢的には 殆ど居られないのではと思う。後世に伝えねばという志は、能動的 再び原爆の惨禍を繰り返さない様にと考え行動に移すのは崇高
何時もブログプリント版をお届けして読んで頂いている老婦人。柳居子より年上は敬いの意味 思いを込めて『老』を付ける。 盆・暮れには必ず購読・配達料に替えてと 季節物を送って頂く。 先日も道端で、バ
昨日日曜日は店の定休日だったが、店の一階 扉の施錠を忘れて、ご恵贈の本を読んでいた。 何故店で読書かと言うと、この猛暑自宅で掛ける冷房は経費扱いにはならない 店の電気代は経費として処理できる。 逆に
朝の珈琲屋の円卓で交される話題は、高邁で、この席に座る幸せを感じる様な事は 滅多に無い。 誰も彼もが好き勝手な事を持ち出して、其れを皆が突きあうと言うレベル。 只 同卓仲間には其の道に詳しい人が居た
例年になく暑い今年の夏 例年になく色々と行事・予定が混み入っている。 今日は何処へ 誰と行くのだったかな? 誰が訪ねて来る予定だったかな? 約束した事を紙に書いて 又其れを見忘れない様に 毎朝見るブロ
受けた仕事 時間指定をされたら、 絶対間に合わすというのが、プロとしての当然の矜持と考えている。 時間内に納まりそうも無い時は 顔剃り省略とか 洗髪なしというケースも有るが。 何時もお越しの客人の場
相手に関心を示すという事と同列に 相手から関心を持たれる事は、会話や対話が円滑に進む重要な要素になるかと思う。例え言葉が通じなくても 又根柢の考え方が違う人でも 自分のスタンスとか考え方を伝える事は
昨日 昼食を始めようと手作り弁当を拡げた途端 客人が入って来られた。弁当の中身を見せたくない人 十九日 誘い合わせて朝粥に出掛けるお店のご主人 『どうぞ 先にお済ませください。』と声掛けられたが『お
何か判らない事や、知りたい事は、今は瞬時にスマホにキーワードを入力するだけで 解説 教えてくれる。知る事に何等煩わしい手間を掛けなくても何でも知ることが出来る。昔なら考えられない事が今の世の中の現実
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
相変わらず 遠来の客人の絶え間が無い。 月に一度は必ずお越しの御常連が、先日『毎月一回 散髪にお邪魔するけど、度々外人さんに出くわすね。』と仰った。 六月は53人外人客を数えたから 営業日数 単純に割
日本の歌謡曲が、最初に世界で認められた曲と云うのをご存知だろうか? 未だ戦後という色合いが若干残っていた昭和三十年代 『上を向いて、歩こう』 坂本九の歌唱の曲 アメリカに渡ってスキヤキソングと
戰や、大勢の人が住む故の度々の大火、諸々の事情で途切れた事も有ったと思われるが 祇園御霊会 祇園祭が続いている事に 特に山鉾巡行に直接関わる 鉾や山町の人々に 深甚なる敬意と、ご苦労様の気持ちを伝え
このところ オーバーワーク気味で、昨日 『海の日』とやらで、午後三時半頃には 雨にも降られず帰宅した。 家に帰ったら色々と用事が有るのだが、ひとまず一服と 常時腰に巻きつけているコルセットを外し ベ
常日頃 何気なく使う日本語を難しいと思う事がある。『敬語』である。 使う年代を限定される言葉かと思う。余り歳の端もいかない 子供が 大人が使う敬語を使うと 可愛げが無いし 柳居子の年代が、年若い
京に生まれ育って、変らぬ視点で見たり体験してきた事 眼で覚えている季節感覚と言うのが有る。 誰もが浮かれる気分になる祇園祭り 山鉾巡行の十七日 雨が降って傘をさして巡行を見たという記憶が無い
両親共 愛煙家だった。 中学校を卒業して直ぐに理容の仕事を始めた社会人と言う訳でも無いが、未成年の喫煙を咎めだてする事も無かったから 二十歳前には立派な喫煙家になっていた。二十歳の時に何か始めようと
昨日お越しの客人との会話は、祇園祭の事から派生して、京都の旧い話題で 盛り上がった。 『洛中洛外屏風』と言うのは 京都の昔の人の営みが 詳しく描かれていますが 京都の 中と外という意味だと思いま
共に白衣の作業衣を着用しているのだが、 客と患者の差異は歴然。 先日 月に一度の内服薬を貰いに行くだけの心算で 朝一番乗りなら直ぐに帰れると思い 八時の受け付け開始の一時間前 七時に並んで 九時の
都界住いだと 田舎 特に農作業の事等 殆ど何も知る事無く生涯を過ごす事になるのだが。昔はそうでも無かった様だ。未だ幼かった頃 肥え汲み屋さんというのが 時々やって来て それは肥料として使われていた様
オーバー ツーリズムの波は、京都の繁華街 祇園町花見小路界隈とか 錦小路 河原町辺りに限定される訳では無く、柳居子の住む北白川地区 哲学の道の少し北 (上流) 琵琶湖疏水を挟んで向かい側 北白川小倉
昨日は、現役で仕事をしているという 小学校時代の同級生二人に会った。ブログのプリント版を 発刊毎に届けているのだが、仕事をしている事は判っていても 第一線からは退いていると感じる事が有った。
兼好法師 徒然草 第百二十二段に 「人の才能は」という一文を載せておられる。 人の才能は、文明らかにして、聖のおしえを明らかにするを第一とする。次に字を書く事 上手に書けなくても学問には書ける事
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ