孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
お客様をお迎えする仕事を始めて、開店最初にお迎えするお客様と云うのは、柳居子の様な職域だと、其の店の開店以前に何等かの事前関係の有る事が前提の様に思う。 父 柳居が、昭和28年7月 祇園祭の後祭り
始発のバスに乗る様になって もう五年を越えた。365日×5+2(閏歳2回)1827日間 一日の休みも無く乗り遅れも無く 正月・日曜祝祭日も関係なく 其の時間 午前5時34分 変りなくバスの乗客となっている。当然
コロナウイルスの感染者数・患者数。死者の数でさえ 元々弱っていて風前の灯の様な人が、コロナが引き金になって死亡の場合 コロナ死に入れるか 入れないかで、随分実数が変ると思う。 何等かの数字の公
朝の珈琲屋 営業自粛明けも、なかなか客足が戻らず、店も正規雇用の社員・ウエイトレスだけで。充分回れるような状態が続いたが、四連休は 満席 店外に溢れるほどの客が詰めかけたが、連休最終日までの話で、又
なかなか 梅雨空が晴れ渡らないのだが、束の間の雨上がり、湿度が高い故 思いも掛けず 綺麗な虹を見ることが出来るのも この季節の余禄と言えそうだ。 昨日は所用を終えて帰路 乗り換えのバス停 百万
言葉というの、本当に生き物と感じることが有った。一つの言葉には、使う時代・使う人・又、年齢・使う相手 その言葉の持つ意味ですら、大きく解釈の分れるモノが有る。こちらが理解した言葉で声掛けても、相手が
土用の丑の日は、鰻・うなぎで 世間が盛り上がる。昔のように常 粗食で、せめてこの日位は、四つ足でない動物性蛋白質をと言った時代と違って、常にカロリー価の高いご馳走続き、鰻も其の内の一つという感覚だが
祇園甲部お茶屋組合が発行している季刊誌『ぎをん』243号を入手した。年四回の発行で243号というのは、何年くらい掛っての号数かと計算すると、六十年以上継続している事になる。編集後記にも書いているが コロナ
日進月歩の技術革新は、生活の質の向上に寄与している事は紛れ無き事実では有る。しかし経営戦略的に、旧を廃して新に購買意欲を向けさせる事も多々有るようにも思う。 例えば車 未だ充分に乗れるのに、新
コロナ禍の勢いが何時までも続く。全世界に蔓延というのが現況かと思う。其々の国が 必死の対処をしてはいるのだろうが、中々終息の気配を感じることが出来ない。隔離とか遮断というのが最有力の対応というのは
宣伝・広告 一切無しの七十五歳の老人が一人 細々と続けている理髪店など、客が途絶えても当然と思うし 又 自分自身 銭湯の横長の鏡の前に立って、裸の我が身を見て、大変な老人になり果てたという思いがする
梅が咲いて散り 櫻も花開き散り果て、蛍も何時もの年と何一つ変わる事無く 幽玄な灯りを見せてくれ 変らぬ自然界の営みを感じるのだが、 人々の毎年恒例の行事、今年は何も行われない。 賀茂の葵祭が中止
昨日 店にお迎えした客人は、公務員では無いが 元政府系の金融機関の公益の法人格の職場勤務。 大学生の頃から見えているから かれこれ二十年程見えている。一番忙しい年代かと思う。 髪の毛が三カ月
物事とか人物などを褒め称える言葉に、 折紙つきとか 極め付きという慣用句の様な言葉がつかわれる。 広辞苑はじめどの辞書にも 折紙つきには、鑑定保証書其の物とか 確かなもの 保証書付という説明 又極め
『トンネルを抜けたら 雪国だった』ノーベル賞作家の小説の冒頭。雪国では無いのだが、『トンネルを抜けたら 霧の国だった』という体験が柳居子には有る。 京都から日本海側へ伸びる国道九号線 車に乗って京都
新京極が開かれて、2022年 百五十年の節目の年を迎えるという事で。商店街を盛り上げようと、『新京極を語ろう』と、いうサイトを立ち上げて頑張っている。 柳居子も新京極の思い出話 記事にした物を時々寄
よく出掛ける 白川通り 銀閣寺近くの食品スーパーでは、アイスクリームの割引セール 其れも半額セールというのが時々ある。冷凍された物ではあるが、生鮮食料品 早く売りきらねば破棄しなければならない商品で
本サイト ブログ記事を読んで頂いている人から 時々『好奇心旺盛ですね。』と、言われる事が有る。連載が5200日 休載が一日も無しの書きネタが続くという事に対してのお褒めの言葉として聞いておくのだが、
旧東寺蔵の 百合文書が売りに出された時、京都府が一括購入する事で、散逸を免れるという判断が有った様だ。只 其の価値を理解できない人達に取っては、特別旧い時代の紙屑同然の物を 何故大金・公金を使うのか
『過ぎたるは 猶及ばざるが如し。』 人の考え方や行動規範を述べ諭した論語の一節だが、自然現象についても当て嵌まる事かと、今回の大雨で思う事頻りである。 雨が少なければ、今頃は 雨乞いをして 本格
筐底(箱の底)に埋もれている本では無い。さりとて座右の友と言う本でも無い。架蔵が埃を被っている様な本。初版は四十年以上前 デール・カーネギーの一連の啓発本を若い時は片っ端から読んだ。ためになる事も有
昨夜 食材買い求めに 河原町の激安食品スーパーへ出掛けた。必要なもの目いっぱい買い求める事は出来ない。バス乗って自宅まで持ち帰りの出来る重さ嵩を考えねばならない。備えてある買い物籠の重さ差し引いて
自分を大金持ちと思う人は、そう数多くいるとは思わない。幾ら預金残高が有っても これで充分と思う人も少ないと思う。 逆にどう考えても貧乏と思う人でも 下見て考えると、貧乏なりにも見合った生活が出来てい
京都スケッチ帖 郷愁の風景の中で という本を借覧して読了した。京都民報という機関紙に連載された エッセーと筆者自身が描いたスケッチが添えられている。絵の方が手間暇かかるのなら エッセー(小文)が添え
『悲しい京都体験者』の本サイト二件の記事については、随分沢山の人からご意見・コメントを頂き わざわざ柳居子の店にまで胸の閊えが取れたと言いに見えた人も居られた。東洋経済オンラインに載った校条剛氏の
昨日も朝から、街中ウロウロと出掛けたのだが、『こんにちは お元気で。』と声掛けられて 何処の何方か判らなかった御婦人が二人も居た。こちらも特注というより特別大きく理髪店営業中というアップリケ付 作って
柳居子名乗りの『柳』の一字は、本籍地 柳八幡町に由来する。姉小路通りに店は面しているのだが、登記簿記載は 柳八幡町 大きな家を分筆した様だ。 祖父が大正期に買求め 母が相続したのだが、この柳八幡町
年老いた親や 夫・妻の臨終に立ち会えなかった人の話を 最近よく聞く。先日弔問に伺った家、御主人はコロナウイルスでは無かったが、肺炎を起こされ 高齢の事も有り 入院幾許もせぬ内に亡くなったそうだ。見舞
対義語 町つくりという言葉を見聞きする毎 相容れぬ何となく違和感を持つ人が、京都には結構沢山居られる。町は住む人の都合や 町を構成する人の顔ぶれでコロコロと変わっていく。其れは進化でも有れば退
十六年前の 2004年3月21日(日曜)の京都新聞 読者投稿欄に柳居子の一文が載っている新聞が出てきた。『町家の有効利用 京に元気を』のタイトルが付いている。 本文一部紹介 【 京町家の保存・再生を目
月捲りのカレンダー6月を外すと7月になった。変らぬ営みの出来る事を改めて喜びたい。曲りなり 現役一線の年からは完全に外れていると思うに、又 自分自身を大きな 風呂屋の鏡に映してもどう考えても立派なお
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東