孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
国から一人当たり十万円を頂く事が出来るという。特に何に使うという当てが無いのが、喜ばしい事か 悲しむべき事かは 判らないが、通知書と一緒にポストに入っていた封書 宛名 下前様とだけ認めてある。封もせ
親しい 友人・知人の訃を聞いたり知って、受け止め方が年々変わってくるように思う。長い間の交際だと、色々と思い出す事も多いが、過去の想い出の中に生き続けていた人と言う思いが強かったり、息子・娘たちに介
英国人とは言っても アイリッシュ イングランドやスコットランド等とは少し外れという感じがする。まして明治維新前の極東の島国日本に来るというのは余程の訳あり。以前載せたウイルスの記事には書かなかったと
終戦時 ソ・満国境近くに住んで居た 日本人女性が、侵攻してきたソ連兵などに 暴行を受けて 心ならずも妊娠して帰国した女性の掻破 堕胎手術をする施設が佐世保の近くに在った。当時法の定めは堕胎が禁止の時
一寸先は闇という言葉。 殆どの日本人 否 全世界の人が感得した今年前半 半年間の稀有な体験。長く記憶に残る事だと思う。情報の共有化については ネット社会の進化で 迅速便利な対応が可能となった反面 い
箸にも棒にも掛らぬ与太話は、朝の珈琲屋のキャリアが有るから、何時間でも時間が持つのだが、其れは対人 キャッチボールだから出来る事で、一方話しオンリーワンウェー 主役で話をするというのは、今迄数えるほ
毎晩 仕事を終えての帰路 市バス停留場の直ぐ傍に、大本山本能寺に至る脇道の様な巾の狭い細路が在る。朝は早くから開門しているのだが、柳居子の帰宅の頃は、門戸を既に閉ざしている。寺町通りに威風を張った正
昔ながらの「ぼったくり商法」もう見直す時期』というタイトルは、広く京都の料理業界で、ぼったくりが横行しているという印象を与えかねない。校條 氏自身がぼったくり料金を請求され支払いをされたのか? 柳居子は
今 男女間の恋文の遣り取り 交換など有るのだろうか? 皆が、頭の脳味噌代わりにスマホを使う時代。恋の遣り取りもパソコンやスマホが主力 紙の出てくる場面は無い。 美空ひばりさんの歌に『車屋さん』と
京都造形大学教授の 校條 剛(めんじょう つよし)氏が 東洋経済誌の寄稿が、インタビュー記事で、『京都は「気楽に入れる店がない」残念な外食事情昔ながらの「ぼったくり商法」もう見直す時期』という一文を載せ
2020 6 20 コロナ禍で、一番影響の大きかった業種、業と呼ぶに些かの憚りも有るが、医療の世界も甚大な影響を被っている様に思う。人から人にうつる 特効薬が無いという事を皆が知った時からスタートする。
2020 6 19 政治に大きな金が動く事を、我々国民は感覚的に理解している。まつりごと(政) 何か新しい事を始めると必ず予算が付き 何処が一番稼いだかという図式を書くと、ゼネコンとか 宗教法人とか 医
人間 幾つになっても 今迄何となく判っている心算でも確信の持てない事や、表層判っていても何故という疑問が、何かのきっかけで解き明かされると嬉しい思いがする。多分そうであろうとは思っていても、何故と問
今は、そう云う時代と言われたら、何一つ言い返す言葉も見付からないが、新規オープンした店舗とか 会社の設立など 出店・撤退のサイクルが、我々の眼には余りにめまぐるしく 飲食店など新しくオープンして 感
晴天の霹靂の様なコロナ禍の影響は、各国其々の対応が、その国のお国柄とか物の考え方 等が判る様だが、範とすべき国と云うのが見つからない。 これが良いという手段・方法が有ったとしても、其々の国の事情や背
百年程前に世界的大流行をみたスペイン風邪が終息した後 結核患者の死亡者数が激減したという。国民の業病とまで言われた時代の話 毎年の結核死亡者数も 一定のレベルで推移していたと思われるに、スペイン風邪
もう聞く事も 見る事も無いと思っていた『手水』と云う言葉が新聞紙面に載った。 長岡京市 柳谷観音楊谷寺は、境内約一万坪 三十種類余五千株程の紫陽花が植えられ 七月上旬くらいまで、品種ごと開花の時期を
物事全て 取って替わるかの如く オンラインで済ませる傾向が、今後も続くと考えられる。 柳居子はまったくその世界とは無縁 恩恵に浴する事も無ければ、其の利点・欠点を論じる事の出来る立場では無いのだが、
手間暇かけるという言葉が有る。 手間は判るが 手間と暇とが並立する暇とは、如何いう意味かという私見を書いてみる。 夜 ウロウロと巷に繰り出す事をしなくなって、何をしているかと言うと 料理作り。そ
新聞各紙 ラジオ・テレビ ネット情報もコロナの事ばかり。コロナ記事・情報と、我々の日常生活との間 どの程度の関わりが有るのか 正直な所判らない。油断は出来ないが、自宅でマスクを外さないと言う様な事が、
以前 糸引き納豆の事を書いた事がある。 頼朝の奥州藤原攻めの時、兵糧として馬か牛の背に積んだ豆が 川の深みに嵌まって水浸しになった。水から上げて破棄するのも勿体ないと思ったのか 其の侭奥州へ向かい
柳居子を信用して、プライベートな事を聞かせて頂く事が時々ある。他人に知れるとか、家族が知ったら問題に成る様な内容をも含む。 何故柳居子に其の話しをするの? と、考えると 誰にも話せない それでも其れを誰
客が消えた。 仕事が消えた。 一時的な現象とは判っては居ても、当座如何暮らす。日本の様に高度に分業化の進んだシステム社会になると、一人ひとりは 歯車の一部分としての仕事に専心する事になるから 今回の
国際色豊かと書くと大袈裟な話にはなるが、柳居子の店 この所 殆ど全世界から客人がやって来る。コロナ騒動が始まってからは流石その数は激減してはいるが、それでも昨日はイタリアから来たという 身の丈2メー
昨日 栗塚旭さんが店にやって来た。『一寸お話したい事が二つあって。』と。何時も通りの元気な声。よく通る大きな声は生来 自転車を降りてバスでの移動が多いのだが、車内の全部の人に聞こえるような声を出す。
我慢にも限界が有り 又 少し先に未だ確定ではないが、東京へ出掛ける頼まれ事も有り、ご迷惑を掛けてはと思い 整形外科の門を叩いた 否 開け放ちの患者待合室の最後尾に並んだ。 それでも コロナ騒動で患者
気温が30度を超すと、本格的な夏の到来を 思わずには居られない。 半袖のTシャツ一枚というスタイルは、背中腰の曲がった身には余りに貧相 他人の見る眼より自分自身が鏡に写った姿見て情けなくなるので、出
岩波広辞苑 初版・三版・六版 三省堂 大辞林 学検 国語辞典小学館現代国語例解辞典 漢和・和英・英和・仏和・ 成語辞典 人名事典 等々数え上げると 未だ何冊か出てくる。 全部を使うと言
我々の世代以降 今に至るまで、国の大権 主権は、我々の手の中に有ると教え込まれてきた。金科玉条の様に 又永劫変わる事無く続くが如くに。しかし誰一人主権が我々の手の中に在るという自覚は無い。国民ひとり
誰もが知っている日本の古典 内容知らなくても 源氏物語 平家物語を知り 少し興味のある人なら在原業平らしき人物の一代記とされる伊勢物語 又日記の体裁を取ってはいるが 藤原定家の明月記なども自著一代記
2020 5 31 人間誰しも加齢が進むと、何時までも若く保つ事の出来る部位と、そうでない部分が出てくる。アンバランスな衰弱化係数とでも言うのだろうか。舌先三寸何時までも元気とは言っても 喋る内容は頭の中か
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東