孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
月捲りのカレンダー 月末新しい月に変る毎思う事が有る。一月末には一年の12分の1が早過ぎたと思い 二月末菜は6分の1 三月末には4分の1 四月末には3分の1 6月末には2分の1 8月末 今日一年の3分の2が過ぎる
2020 8 30 井の中の蛙と ネクタイ 先日(22日土曜)東京都内で、大勢の人前で、一人喋る機会を頂いた、京都の事に付いて、何でも良いからと言う事だったので、最初パワー・ポイント(スライド)の 表題
特別何を書こうかと思い付く事も無く、今日はブログ記事の更新パスしようかと思っても 程々の時間になれば、今日の記事と ウェブサイトに何某の文が載せられる事を 我ながら不思議と思う時が有る。 天下
小・中学校時代 並はずれて背丈が高かった。多分学年で五指に入る程。中学校時代既に百六十五㎝以上有ったと思う。今の時代なら並の背丈かも知れないが、皆を睥睨していた。尤もその時は睥睨という言葉は知らな
毎朝の珈琲屋仲間の一人から、柳居子が久し振りに東京へ行くと言う事を聞き、日帰り大層な旅でも無いのだが、お守りの替わりと言って、手首に巻きつける小さな数珠を頂いた。一番大きな珠には梵字が書かれ百八の珠
先日 コロナ禍以降 健康診断を受ける人が激減して。結果として、早期発見される筈だった癌患者が、ステージが進んで見つかるケースが 数多く出ると論じた。 医療の世界に止まらず 教育の現場でも大変な騒動
先日 旧い時代のSP盤レコードを、その当時の再生装置「蓄音機」で聴かせて頂く機会が有った。 母が洋楽が好きで、若い頃幼稚園の保母を一時期していた事も有って、オルガン。ピアノもそこそこ弾けたから。SP洋
日帰り東京へ出掛けた翌日も、朝 始発のバスに乗って店は定休日にも関わらず メール メッセージの確認や ウェブサイトへの書き込み記事 朝の珈琲屋へ出掛ける事や 約束した訪問客を迎えたり 常の日曜日と何
『蛍の光』という曲 ある一定以上の日本人なら誰一人知らぬ人のいない曲。小・中学校の卒業の時必ず唄った曲。原曲はスコットランドの民謡という。 この曲に3番・4番の歌詞が有る事を知る人は少ないと思うし
3年程前の 本サイトの記事 故有って 縮小版を作った。 『私の大叔母(祖父の妹モルガン雪)は、聖テレジアの霊名をもつクリスチャンだったが、洗礼を受ける前 パトリック・バーン神父と親交が有った。 京都
もう 殆ど使われる事の無いが、『飢饉普請』という言葉が有った。公共工事という概念すら無かった時代、大店の普請は 多くの人に食扶持を提供するという事で歓迎された。世の中不作で経済も低迷期 好況の時より
接客業と言っても、広義に解釈すると、客に対応するとか 相手もてなすという広い領域の仕事。狭義には水商売 お茶屋やバー・クラブ 客をもてなす其の事が仕事 安売りの量販店で買う酒の何倍・何十倍になる絡繰
毎日アップするブログ記事は、書き放ち ウェブサイトへの打ち込みが終ると、殆ど其の侭アップするから 推敲・校正無しの文字通りの「書き放ち」である。誤字・脱字が無いかは、一応のチェックはするのだが、チェ
随分前の話だが、月に一度は必ずお越しになる客人。いつも通り仕事に取り掛かったのだが、頬と耳の間 業界用語だが一般語にもなっている『もみ上げ』という部位が少し周りに比べて黒ずんでいるな。と思いつつ仕事
柳居子が若かった時贔屓にしていたが、最近は出掛ける事も少なくなった 木屋町蛸薬師の蕎麦屋「ダイコク屋」と、小学校の後輩 柳居子の弟と同級だった 錦小路の鰻屋「ダイコク屋」音読み同じだが 蕎麦屋は『大
昨日は七十五回目の終戦記念日で、日本武道館で開催された戦没者追悼式典は、コロナウイルス拡大の懸念から、規模を縮小して開催され 20府県の遺家族が参加を断念 過去最少の540人程の参加で開催されたという。
ブログ記事のプリント版を 発刊毎 柳居子が直接届ける枚数が半端ではない。戸口のポストに放り込むだけなら 次から次と言う事だが、それでも新聞配達の様に軒並みでは無いから結構時間がかかる。配達先によって
男の顔に生える「ひげ」と言う漢字が幾つ有るか ご存知の人は少ないと思う。通常『髭』部首で言うと「かみかしら」と言うのだろうか? この字も読めない人が多いと思う。柳居子の職域は 髭と深いかかわりが有ると
交遊録とは言っても、交わり遊ぶという関係では無く 只の一度も二人で一緒に食事に出掛けた事も無い。話しを交す機会もそう多くは無いが、ネットの繫がりは結構長い。 秋田おばこの血筋で、色白の器量よし
サーカスの語源は古く ローマ帝国時代 闘牛や猛獣との戦いを催した 円形の競技場の事を言ったが、いつの間にかその場所で行われる闘牛・曲馬・手品等の催事其の物を指す言葉に変化した様だ。 徳川幕府が
昭和41年11月初版の「京都史話」という本を借覧して読んでいる。著者荒金喜義氏は、京都新聞社に席が有った人。社会部長・企画部長・編集委員などを務められた。在職中の京都取材を通じて印象に残った事を、『京都
誰も居ない一面の原野なら、町名の付く筈はない。町名は 人が常住 営みが有って始めて名付けられるもの。又他との区別 結界を引いた其の中とか 其の区域に住む人だけに冠する固有の名前だと思う。 京都の町名に
京都府立鴨沂高校の前身が、府立第一高等女学校 通称「府一」だった事を知る人も随分少なくなったと思う。『府一と一中 堀川高女(市立第一高女)・一商(市立第一商業学校)との カップリングも昔は。バランスの取
加齢が進むと、如何しても物忘れが多くなる。人の名前だけに限らず 薬の名前や ふと出てこない年号 町の名前など 絶対知っている筈が出てこないと、焦りを通リ越して、歳だからと諦める事にしている。 特に
人形浄瑠璃や歌舞伎の演目の中で、お半・長右衛門の心中を扱った 桂川連理柵は、世話物心中ものとして、何時の時代も人気のある演目では有るのだが、心中に至る前段も 心中其の物も全てが作りもの 作ったストー
外から見る京都人のイメージ 優しく甘える様に話しかける女性に比べて、男性は何となく陰気 引っ込み思案。何を考えているのか? 出てくる言葉がよく判らないとか、どちらかと言うとマイナスイメージで捉えられる
コロナ禍で、客の多数集まる店の営業自粛が取沙汰された頃 若し自粛が続いたら、閉店・廃業が続出すると本サイトに書いた。 営業自粛中という張り紙の中で、中の荷物や調度品を運び出しているのは 程なく
京都の町名とか、通り筋名の事を、色々とな視点で取上げてきた。難読名とか伝統的にそう読むという名が少なからずある。元とか新を頭に頂く町・通り筋名が、数多いというのも 古い歴史ある又 続いている都の特色
昨日は久し振り 万歩計16000越え しかも山道歩きまでした。マツモトヨーコさんの個展を見に行ったついでと言うのか、一人で出掛けるのはもう一寸躊躇するのだが同行する人も有って 蹴上インクラインを越えて
対価を求めて行う全ては、営みの基本であり 体を使う人 頭を使う人分け隔てなく皆が頑張っているのだと思う。 しかし全く見返りが無い事でも。汗水流す人が居る事も知っている。人の爲 町の爲 ひいては社会の
今日 8月1日は、水の日だそうだ。祝祭日にでもなれば、国民の関心も大きくなるとは思うが、日本は水事情が、これ以上望み得ない程 恵まれていて、殆ど空気と同じ様な存在 殊更水の日を謳っても 国民一般の関心
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東